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封建地代から地租ヘ

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Academic year: 2021

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(1)生駒経済論叢. 第7巻 第1号2009年7月. 封 建地 代 か ら地 租 へ. 美 目. 馬. 佑. 造. 次. 1.は 2.幕. じめ に 末 期 の 年 貢 か ら地 租 へ. 2。1.税. の賦 課 形 態. 2.2.税. の徴 収 形 態. 3.若. 干 の総 括. 要旨. 旧 来 の 研 究 テ ー マ の 一 つ に,日 本 近 世 社 会 で は 封 建 地 代 が どの 程 度 貨 幣 地 代 と して 発. 展 して い た か,と い う問 題 設 定 が 存 す る。 と こ ろで,封 建 地 代 とは 本 来 封 建 領 主 が 農 奴 や 隷 農 か ら徴 収 した 地 代 で あ るべ き もの が,い つ しか 封 建 社 会 で の 地 代 一 般 と解 釈 され る よ う に な った 。 また,研 究 の視 点 も,英 国 で の貨 幣 地 代 と資 本 主 義 地 代 と の関 係 を論 じた 『資 本 論 」 の 内 容 を,そ の ま ま 日本 社 会 で も実 証 し よ う と した もの で あ った 。 しか し,そ もそ も封 建 地 主 と言 った 場 合,そ れ が 領 主 な の か また は 農 民 地 主 な の か で 研 究 の 内 実 は 全 く異 な って くる は ず で あ る。 本 稿 で は,ま. さ に封 建 領 主 が 徴 収 して い た 封 建 地 代 につ き,そ れ が 明 治 以 降 ま. さ に地 租 に転 化 した こ とを 実 証 した い 。. キ ー ワー ド. 封 建 地 代,貨 幣 地 代,地 租, 資本主義地代. 原 稿 受 理 日2009年3月23日. Abstract money. The issue as to whether for rent. in pre-modern. Feudal rent is what is thought helotry. and copyholder;. eral rent in the feudal to demonstrate. feudal rent developed. is a traditional. to have been originally. sotiety.. the content. fication in the Japanese of the research. lord or a peasant. society. collected. owner.. Additionally,. from a research. of The Capital, which discusses rent in England,. society.. rent,. standpoint. in order between. varies as to whether. any modi-. for rent,. land. tax,. and. the lord means a feudal. the feudal rent collected by the. that the feudal rent was transformed. money. as a gen-. the relationship. ter the Meiji Era.. feudal. by the lord from. we wanted to do so without. In this paper, regarding. into. theme.. However, when it comes to a lord, the content. completely. lord, we want to demonstrate. Key words. research. however, as time passed, it came to be interpreted. rent money and capitalism. findings. and to what extent. Japanese. capitalism. rent. into land tax af-.

(2) 第7巻. 1.は. 第1号. じ. め. に. 経 済 史 研 究 の 課 題 の 一 つ に,資 本 主 義 社 会 が 成 立 す る前 段 階 と して,そ. こ に貨 幣 地 代 が. 存 在 して い るか 否 か を 問 題 と し,封 建 地 代 が そ う した 貨 幣 地 代 に どの 程 度 迫 る もの で あ る か を 考 察 す る と い う問 題 設 定 が 存 す る。 そ して,日 本 にお いて 貨 幣 地 代 は成 立 して いた の か 否 か,と. い う設 問 が な され,種. 々検 討 が な され て きた 。 そ の 場 合,明 治 維 新 を 経 て 成 立. した 地 租 と,徳 川 時 代 で の 封 建 地 代 との 関 連 が 問 わ れ,様. 々見 解 が 提 唱 され て きた 。. と こ ろ で,地 租 改 正 につ い て は,す で に福 島正 夫 氏 が そ の著,「 地 租 改 正 』 に よ って, 詳 細 を 明 らか に され て い る(1)。 そ こで は,廃 藩 置 県 が 明 治4年(1871)7月14日 新 県 が 旧藩 を4年 以 降 ひ きつ いで ゆ き(2),さら に,同5年. に公 布 さ れ,. に壬 申地 券 が 発 行 され,近 代 的 土. 地 制 度 が整 備 され て い た と され て い る(3)。そ して,地 租 改 正 法 が 翌6年7月28日. に公布 さ. れ,「 今 般 地 租 改 正 二 付,旧 来 田 畑貢 納 ノ法 ハ悉 皆 廃 シ,更 二 地 券 調 査 相 済 次 第 土 地 ノ代 価 二 従 ヒ百 分 ノ三 ヲ以 テ地 租 ト可 相 定 旨被 仰 出 候(以 下 略)」 と して,地 価 に応 じた 租 税 が 賦 課 され て ゆ く こ とが 述 べ ら れ て い るω。 こ う した 地 券 の 発 行 と地 価 に 基 づ く課 税 方 式 は,封 建 社 会 で の,個 人 の 地 代 を 村 役 人 が 一 括 して 徴 収 し,そ れ を 領 主 に納 付 す る」 と い う形 式 か ら,個 々人 の 負 担 分 は個 々人 が 各 人 にお いて 納 付 す る と い う近 代 的 な 形 式 に踏 み 出す 第 一 歩 と して の 意 味 も存 した と考 え られ る(5)。 他 方,こ の よ う に して 成 立 す る 「地 租 」 を いか に評 価 す るか につ いて は,同 書 で は 「旧 租 額 の 維 持 と継 続 」が そ の 目的 で あ った と され て い る(6)。 一 方,封 建 地 代 の 発 展 との 関 連 か らは,酒 井 一 氏 が 「地 租 改 正 に よ る全 国 的 な 貨 幣 地 代 が 実 施 され 」 た,と の べ られ て い る よ う に(7),地租 が成 立 した 明 治 社 会 を 絶 対 主 義 時代 と考 え る見 解 を示 さ れ る ケ ー ス も存 す る(8)。いず れ に せ よ,地 租 改 正 の 研 究 で は,法 令 や制 度 の整 備 等 につ い て の論 考 は 存 す る (1)福 島 正 夫(1968)「 (2)同 上 書,85-87ペ (3)同 上 書,97ペ. 地 租 改 正 」 日本 歴 史 叢 書21,吉. 川 弘 文 館,東 京 。. ー ジ。. ー ジ。. (4)同 上 書,159・160ペ. ー ジ。. (5)現 実 に は,明 治15年(1882)に. な って も,個 々人 の 租 税 は村 役 場 の 出張 所 た る戸 長(旧 幕 府 時. 代 は,ま さ に村 役 人 が これ にあ た る)が 徴 収 して,一 括 納 付 され て お り(次 節 参 照)個 人 主 義 は 未 だ 未 成 熟 で あ った 。 さ ら に いえ ば,現 在 にお い て も,サ ラ リー マ ンの 税 は国 税,地 方 税 と も企 業 等 が 一 括 納 付 して お り,い まだ に本 来 の 個 人 主 義 は 未 完 成(前 近 代 的)な の で あ る。 (6)同 上 書,242ペ (7)酒 井. ー ジ。. 一(1960)「. 河 内 国 石 川 家 領 の 貢 租 一 日本 貨 幣 地 代 成 立 史 研 究 の 一 試 論 一 」(大 阪 歴 史 学. 会 編 『封 建 社 会 の 村 と町 」 吉 川 弘 文 館,東 京,所 収,439・510ペ. ー ジ)。. (8)明 治 期 を 絶 対 主 義 時 代 と捉 え るの は,い わ ゆ る講 座 派 の 立 場 に立 つ もの と考 え られ るが,わ が/ -336(336)一.

(3) 封 建 地 代 か ら地 租 へ(美 馬). もの の,具 体 的 な 変 転 の 姿,封 建 地 代 か ら近 代 的 租 税 へ の 転 換 を 具 象 す る研 究 は存 しな い か と思 わ れ る。 そ こで,本 稿 で は幕 藩 制 社 会 で の 封 建 地 代 が,近 代 的 な 地 租 へ と転 化 す る 状 況 を,史 料 を もって 示 して ゆ きた い と思 う。 な お,本 稿 で 対 象 とす るの は大 和 国 平 群 郡 菜 畑 村 の 幕 末 か ら地 租 改 正 時 にか けて の 貢 租(税)の 賦 課 と徴 収 の 状 況 につ いて で あ る。 な お,同 村 は村 高 が も と617石7斗. で,竜 田 藩 領 で あ った が,寛 永16年(1639)に. 編 入 さ れ た。 延 宝7年(1679)に. 村 高 の う ち426石4斗1升1合. な り,郡 山藩 領 は192石3斗7升5合. 郡 山藩 に. が旗 本 松 平 信 重 の 采 地 と. とな った とい う(9)。 以 後,同 村 の 支 配 領 主 に変 化 はな. く幕 末 期 を 迎 え る こ と とな る。 な お,本 稿 で 使 用 す る史 料 は総 て 生 駒 市 の 広 岡 智 佑 家 文 書 で あ る。 閲 覧 を 許 され た こ と に深 謝 す る次 第 で あ る。. 2.幕. 2.1.税. 末 期 の 年 貢 か ら地 租 へ. の賦課形態. 大 和 国平 群 郡 菜 畑 村 の,郡 山藩 支 配 下 に か か る村 高 は192石3斗7升5合. で あ るが,ま. ず,幕 末 期 で の 同 村 の 貢 租 の 賦 課 状 況 につ きみ て お こ う。 同 村 の 免 状 は,天 保 期 の ほか,文 久 ・元 治 ・慶 応 ・明治 期 に つ き,若 干 が残 さ れ て い る。 この う ち,元 治 元 年(1864)の. 免 状 を み る と,. 子年免状. 平群郡. 菜畑村. 和州平群郡菜畑村子御成箇免状之事 一高百九拾弐石三斗七升五合 内三斗四升九合. 高辻 前前堤下池床引. 残百九拾弐石弐升六合 取米百弐拾六石七斗三升七合 米壱石弐斗六升弐合. 定 厘 六 ツ六 分. 去 ル 未 山崩 亥 ヨ リ年 々当 引. 内 米拾九石一斗九升六合. 當子当引. \ 国 で 産 業 革 命 が 生 じた 後(資 本 主 義 化 した 後),で は地 租 が 貨 幣 地 代 か ら名 実 共 に近 代 的 地 租 とな る理 由 につ い て は,説 明 が 明 確 で はな い よ う にお もわ れ る。 この 見 解 で は,地 租 が い つ しか 貨 幣 地 代 か ら近 代 的 地 租 へ と転 換 して し ま う とい う こ と とな る。 結 局,明 治 期 の 生 産 様 式 を い か に理 解 す るか につ いて は,そ の 政 治 形 態(つ. ま り上 部 構 造)よ. り も生 産 関 係 そ の もの(下 部 構 造)を. 重 視 す べ き もの で あ る と考 え られ る。 (9)池. 田 末 則,横. 田健 一(1981)『. 奈 良 県 の 地 名 」 日本 歴 史 地 名 体 系30,平. ペ ー ジ。 -337(337)一. 凡 社,東 京,99・100.

(4) 第7巻. 第1号. 残取米百六石弐斗七升九合 外 一・ 米五石七斗六升壱合. 夫米. 一米弐斗五升七合. 山年 貢 定 成. 一米三石壱斗八升八合. 口米. 納合米百拾五石四斗八升五合 右 之 通 當 子 御 成 箇 相 極 之 間 惣 百 姓 井 入 作 之 者 迄 立 会 無 高 下 令 割 賦 来 ル 極 月 十 日以 前 可 皆 済者也 元治元子年十二月 橋本猪野右衛門. 印. 和 田忠 兵 衛. 印. 深井喜右衛門. 印. 吉川幾右衛門. 印 菜畑村 庄屋 年寄 惣 百 姓(1①. と,郡 山藩 の 恐 ら くは勘 定 方 の 役 人 の 名 に よ って 貢 租 の 徴 収 が 触 れ られ て い る こ とが わ か る。 次 い で,版. 籍 奉 還 に よ り形 式 上 明 治 政 府 の 管 轄 下 に 置 か れ る こ と と な る,明 治2年. (1869)の 状 況 を見 よ う。 巳年 免 状. 平群郡菜畑村. 和 州 平 群 郡 菜 畑 村 巳御 成 箇 免 状 之 事 一高百九拾弐石三斗七升五合 内. 三斗四升九合. 高辻 前 々堤 下 池 床 引. 残百九拾弐石弐升六合 取米百弐拾六石七斗三升七合 米壱石弐斗六升弐合. 定 厘 六 ツ六 分. 去 ル 未 山崩 亥 ヨ リ年 々当 引. 内 米拾九石壱斗九升六合 ⑩. 當 巳當 引. 元 治 元 年 「子 年 免 状 」。 一338(338)一.

(5) 封建地代から地租へ(美 馬) 残取米百六石弐斗七升九合 外 一・ 米五石七斗六升壱合. 夫米. 一米弐斗五升七合. 山年貢定成. 一米三石壱斗八升八合. 口米. 納合米百拾五石四斗八升五合 右之通當 巳御成箇相極之間惣百姓井入作之者迄立会無高下令割賦来ル極月十 日以前可皆済 者也 明治二 巳年十一月 渡辺致清. 印. 新藤盛忠. 印. 吉 田勝英. 印. 小牧知之. 印. 出庁二付不能加印 深井権大属. 印. 豊 田権大属. 印 菜畑村 庄屋 年寄 惣 百 姓qD. よ って,同 年11月 段 階 で は,貢 租 を課 す役 人 は相 変 わ らず藩 の役 人 で あ った事 が わ か る。 次 に,翌3年(1870)の. 免 状 を み る と,. 和州平群郡菜畑村午成箇免状之事 一高百九拾弐石三斗七升五合 内三斗四升九合. 高辻. 前 々堤 下 池 床 引. 残百九拾弐石弐升六合 取米百弐拾六石七斗三升七合. 定 厘 六 ツ六 分. 内. (ll)明. 米壱石弐斗六升六合. 去 ル 未 山崩 亥 ヨ リ年 々當 引. 米拾九石壱升六合. 當午當引. 治二年. 「巳 年 免 状 」。. 一339(339)一.

(6) 第7巻. 第1号. 残取米百六石弐斗七升九合 外 一・ 米五石七斗六升壱合. 夫米. 一米弐斗五升七合. 山年 貢 定 成. 一米三石壱斗八升八合. 口米. 納合米百拾五石四斗八升五合 右 之 通 當 午 成 箇 相 極 候 間 惣 百 姓 井 入 作 之 者 迄 立 会 無 高 下 令 割 賦 来 ル 極 月 十 日以 前 可 皆 済 者 也 明治三庚午十一月. 郡 山藩. 印 菜畑村 庄屋 年寄 惣 百 姓(②. とな って お り,藩 役 人 の 記 名 は 消 滅 し,税 を課 す主 体 が 「郡 山藩 」と銘 記 され る よ う にな っ た こ とが わ か る。 さ らに,廃 藩 置 県 が 実 施 され た 明 治4年(1871)を. み る と,課 税 の 主 体 が 「郡 山県 」 と. な る こ とが わ か る。 和州平群郡菜畑村未成箇免状之事 一高百九拾弐石三斗七升五合 内三斗四升九合. 高辻. 前 々堤 下 池 床 引. 残百九拾弐石弐升六合 取米百弐拾六石七斗三升七合 米壱石弐斗六升弐合. 定 厘 六 ツ六 分 去 ル 未 山崩 亥 ヨ リ年 々當 引. 内 米拾九石壱斗九升六合. 當未當引. 残取米百六石弐斗七升九合 外 一米弐斗五升七合 一米三石壱斗八升八合. 山年 貢 定 成 口米. 右 之 通 當 未 成 箇 相 極 候 間 惣 百 姓 井 入 作 之 者 迄 立 会 無 甲乙 令 割 賦 来 極 月 十 日以 前 可 皆 済 者 也 ⑫. 明 治 三 年 「和 州 平 群 郡 菜 畑 村 午 成 箇 免 状 之 事 」。 -340(340)一.

(7) 封建地代か ら地租へ(美 馬) 明治四辛未年十一月 郡 山県. 印 菜畑村 庄屋 年寄 惣 百 姓(③. す な わ ち,ま さ に郡 山藩 は郡 山県 へ と転 換 す るの で あ り,よ って,わ が 国 の 場 合,藩 の 貢 租 はそ の ま ま維 新 政 府 の 地 方 行 政 府 の 公 租 へ と転 換 して い る こ とが わ か るの で あ る。 次 に,明 治6年(1873)に. は,免 状 で はな く 「租 税 上 納 割 賦 帳 」 と して,課 税 が な され. て い る(残 念 な が ら,明 治5年 の 史 料 は欠 如 して い る)。 當酉租税上納割賦帳. 平群郡. 菜畑村 西方. 検見 一反別拾四町三反三畝拾七歩. 平群郡菜畑村 西方. 此訳 田反 別 拾 壱 町 七 反 壱 畝 拾 三 歩 内. 反別三畝壱歩. 前 々堤 下 池 床 引. 反別壱反六畝拾六歩九厘 小以〆反別壱反九畝拾七歩九厘 残反別拾壱町五反壱畝弐拾五歩壱厘 此真米九拾石七斗七合 内米弐斗三升. 検 見 去 申増. 畑反別弐町六反弐畝四分 此真米拾五石八斗弐合 去 申同 内訳 反別弐町四反廿八歩. 本畑. 此真米拾四石三斗九合 反別弐反壱畝六歩 ⑱. 屋敷. 明 治 四 年 「和 州 平 群 郡 菜 畑 村 未 成 箇 免 状 之 事 」。 -341(341)一.

(8) 第7巻. 第1号. 此真米壱石四斗九升三合 納合米百六石五斗九合 内米弐斗三升. 去 申増. 右者酉租税書面之通候条惣百姓立会無 甲乙割賦致決算来ルニ月限急度上納可致 もの也 明治六年酉十二月. 奈良県. 印 右村 戸長 副戸長 惣百姓ω. こ の よ う に,課 税 の 主 体 が 奈 良 県 とな る もの の, 書 式 は幕 末 期 の免 状 に酷 似 した形 態 を 取 って い る。 な お,翌7年6月. に は, 明 治 五 年 度 の 税 の 徴 収 が 完 了 した 旨を 示 す 「納 税 済. 証 」 が 下 府 され て い る。 申年 租 税 録. 大和国平群郡菜畑村. 一高百九拾弐石三斗七升五合. 平群郡. 菜畑村. 此訳 田高 百 六 拾 四 石 壱 斗 七 合 内高三斗四升九合 高壱石九斗壱升四合. 前 々堤 下 池 床 引 前 々 山崩 引. 小以高弐石弐斗六升壱合 残高百六拾壱石八斗四升六合 此貢米拾五石八斗弐合 貢米合百六石弐斗七升九合 口米 不 掛 一米弐斗五升七合. 山税. 城米百六石弐斗七升九合 一米三石壱斗八升八合. 口米. 小以米百九石七斗弐升四合 此永三百五拾八貫百七文 納合金三百五拾八両三分永五拾七文 右 者 去 ル 申年 租 税 書 面 之 通 皆 済 いた し候 二 付 小 手 形 引 替 一 紙 目録 相 渡 者 也 ω. 明 治 六 年 「當 酉 租 税 上 納 割 賦 帳 」。 一342(342)一.

(9) 封建地代か ら地租へ(美 馬) 明治七年 五月. 奈良県. 印 右村 戸長 副戸長 惣百姓⑮. これ にみ る よ う に,租 税 録 で は 「租 税 」 が 「皆 済 」 され た と い う文 言 が な され,徳 川 期 の 年 貢 皆 済 目録 の 形 式 を 未 だ に踏 襲 して いた 様 子 が 伺 え るの で あ る。 と もか く,一 連 の 年 次 別 史 料 に よ って,封 建 地 代 が ま さ に明 治 新 政 府 の 歳 入 と して,其 の ま ま転 化 され た こ とが 見 事 に確 認 で き るの で あ る。. 2.2.税. の徴収形態. 次 に,税 の 徴 収 の 形 式 は どの よ う に変 化 した の で あ ろ う。 結 論 か ら先 に言 え ば,封 建 地 代 と同 様 租 税 も戸 長 が 村 民 か ら徴 収 して 一 括 して 納 付 す る と い う形 式 が 踏 襲 され て いた 。 明 治6年. 「当 申 ノ御 年 貢 請 取 小 前 帳 」 を 見 よ う。. 明治六年五月 当 申 ノ御 年 貢 請 取 小 前 帳 平群郡第一小区 菜畑村 辻井礒七 一高百九拾弐石三斗七升五合 同三斗四升九合. 前 々 ヨ リ堤 下 池 床 御 高 引. 残百九拾弐石弐斗一合 取米百弐拾六石七斗三升七合 又三石壱斗八升八合. 六 ツ六 分 定 口米. 合百弐拾九石九斗弐升五合弐勺 内 一米拾九石壱斗九升六合. 定免引. 一同壱石弐斗七升弐合. 未 山崩 御 高 引 此 割 之 分. 此内 ⑮. 明 治 七 年 「申年 租 税 録 」。 一343(343)一.

(10) 第7巻 一四斗. 礒七分引. 一六斗. 新三郎分引. 一・ 六升. 武三郎分引. 一七升. 八郎分引. 一四斗壱升弐合. 平三郎分引. 第1号. 〆 残百九石四斗五升七合弐勺 高百六拾八石九斗八升九合二割 石二付. 六斗六升 ツツ. 此歩百拾壱石五斗三升弐合七勺 差引 残弐石七升五合五勺. 過. 此金六拾八〆〇七十六文 (百五 十 一 文)消 内 一 金 壱 円七 銭 六 厘. 手数料掛引. 一同弐拾六銭九厘. 一ケ月分利足掛引. 差引 残 五 円四 拾 六 銭 弐 厘 六 過 右 之 通 申年 内 割 帳 へ 出 ス 此 水 相 済(1④ そ して,次 に 個 々 人 の 税 額 と,そ れ を徴 収 した 日付 と額 が記 入 さ れ て い る。 一 例 を示 そ う。 奥野新六 一高三石八斗弐升五合 取米弐石五斗弐升四合五勺 八合. 山年 貢. 合弐石五斗三升弐合五勺 代 金 八 円三 拾 銭 六 厘 六 毛 一金弐拾五銭二毛 一同五拾八銭七毛 ⑯. 村方小入用 ニケ村小入用. 明 治 六 年 「当 申 ノ御 年 貢 請 取 小 前 帳 」。 -344(344)一.

(11) 封建地代か ら地租へ(美 馬) 一同三銭. ニ ケ 村 山年 貢. 〆 九 円拾 六 銭 七 厘 五 毛 入金 九月十八 日 一金七拾五銭. 受取. 十一月十五 日 一 同 三 円弐 拾 五 銭. 受取. 十一月十九 日 一 同 壱 円拾 三 銭 六 厘 五 毛. 受取. 十一月 一 同 壱 円九 拾 銭 四 毛. 未 申講 か け銀 ふ り入 受 取. 四月十 日 一同五十銭. 受取. 四月十三 日 一五十銭. 受取. 五月二十九 日 一 同 壱 円拾 三 銭 六 毛. 受取. 〆 九 円拾 六 銭 七 厘 五 毛 右 相 済(1の 以 上 で あ る。 ま さ に,徳 川 期 の 村 役 人 に相 当 す る戸 長 が,村 民 か ら徴 収 して いた こ とが わ か る。 この よ う に,税 の 徴 収 形 態 は,徳 川 期 の 年 貢 の 徴 収 形 態 と何 ら変 わ りはな い こ とが 判 明 す る。 こ の形 式 は,明 治15年 段 階 で も同 様 で,「 田 畑 宅 地 租 税」 と 「 地 方 税 」 の二 つ を,や. は. り戸 長 が 徴 収 して い るの で あ る。 まず,前 者 を 見 て お こ う。 総 て 個 人 別 状 況 の み で あ る。 明治十五年八月 田畑 宅 地 租 税 取 立 帳 菜畑村. 戸長役場 中谷 四 郎 平. 地 価 弐 百 八 拾 七 円〇 四 銭 九 り 地 租 七 円拾 七 銭 六 厘 ⑰. 明 治 六 年 「当 申 ノ御 年 貢 請 取 小 前 帳 」。 -345(345)一.

(12) 第7巻. 第1号. 内 八月十七 日 三拾七銭. 壱期分. 十月二拾三 日 五拾銭. 弐期分. 十二月八 日 三 円五 拾 銭. 三期分. 小 以 〆 四 円三 拾 七 銭 入 引 〆 弐 円八 拾 銭 六 厘q8) 次 に,地 方 税 の 徴 収 状 況 につ いて み よ う。 (明治)十 五 年 八 月 日 地方税地価戸数割帳 菜畑村. 戸長役場. 記 地 価 耕 宅 山林 芝 一 金 三 万 九 千 四 百 三 拾 七 円四 拾 九 銭 弐 り 此 地 租 金 九 百 八 拾 八 円九 拾 四 銭 八 十 八 円三 十 四 銭 二 り 内 一 金 六 拾 九 円弐 拾 弐 銭 六 り 地方税 但 シ地 租 拾 円二 付 七 拾 銭 又 地 価 百 円二 付 拾 七 銭 五 りツ ツ ー 金 拾 九 円拾 壱 銭 六 り 但戸数百八戸割掛ケ 壱 戸 二 付 十 七 銭 七 リ ンツ ツ 壱等弐戸 一五十七銭 壱戸二付 弐十八銭五厘 ㈱. 明 治 十 五 年 「田畑 宅 地 租 税 取 立 帳 」。 -346(346)一.

(13) 封建地代か ら地租へ(美 馬) 弐等四戸 一 壱 円弐 銭 六 り 壱戸二付 弐拾五銭六厘 三等廿戸 一 四 円五 拾 六 銭 壱戸二付 弐拾弐銭八 り 四等廿九戸 一 五 円七 拾 八 銭 六 厘 壱戸二付 弐拾銭 五等拾七戸 一・ 弐 円九 拾 銭 七 り 壱戸二付 拾七銭壱 り 六等廿二戸 一 三 円十 三 銭 五 り 壱戸二付 拾四銭三 り 七等拾戸 一 壱 円拾 四 銭 壱戸二付 拾 壱 銭 四 り⑲ そ して,先. に示 した 中谷 四 郎 平 分 と して,. 中谷 四 郎 平 一金五拾銭弐 り. 地価掛 り. 弐拾銭 〆七拾銭弐 り 内三拾五銭壱厘 ⑲(明. 受取. 治)十 五 年 「地 方 税 地 価 戸 数 割 帳 」。 -347(347)一.

(14) 第7巻 三拾五銭壱厘. 第1号. 受取⑳. と,賦 課 分 が 徴 収 され て い る こ とが 判 明 す る。 な お,租 税 は地 券 に よ り税 額 が 確 定 して い るか ら,総 額 記 載 は 当 然 存 在 しな い。 と もか く,以 上 の よ うに貢 租 が地 租 へ と転 換 して も, そ の 賦 課 と徴 収 の 形 態 は,徳 川 期 と比 し変 化 が な か った と考 え られ るの で あ る。 いず れ に せ よ,一 連 の 史 料 か ら読 み 取 れ るの は,幕 藩 制 社 会 で 領 主 が 農 民 か ら徴 収 して いた 封 建 地 代 は,明 治 維 新 に よ る新 政 府 の 地 方 行 政 府 が 樹 立 され た と き,そ の 地 方 行 政 組 織 に組 み 込 まれ た 領 主 階 級 が,そ の 生 活 を 維 持 す るた あ の もの と して の 収 入 を 確 保 す る財 源 と して, 旧来 の封 建 地 代 そ の もの を,そ の ま ま の 姿 で 引 き 続 き徴 収 して い った こ とを 示 す もの で あ った と考 え られ るの で あ る。 そ して,幕 藩 制 社 会 で の 封 建 地 代 が 貨 幣 地 代 で あ った か 否 か と い う問 題 設 定 以 前 に,封 建 地 代 が 封 建 領 主 階 級 か ら明 治 政 府 下 で は其 の 名 を 官 僚 と変 え て いた と は いえ,同. じ領 主 勢 力 が そ れ を 地 租 と して 得 て いた こ とが 判 明 す るの で あ る。. 3.若. 干 の 総 括. 以 上 見 た よ う に,わ が 国 の 場 合 封 建 社 会 が 議 会 制 社 会 とな り,資 本 主 義 生 産 制 度 を 導 入 して 行 った 時,封 建 社 会 で 領 主 が 徴 収 して いた 封 建 地 代 は,結 果 的 に見 事 に維 新 政 府 の 地 方 行 政 府 の 徴 収 す る歳 入 と い う内 実 へ と姿 を 変 え て い っ た こ とが 判 明 した の で あ る。 即 ち,従 来 は個 々の 藩 主 や 家 臣 が 直 接 徴 収 して いた 地 代 が,維 新 後 は総 て が 行 政 府 に納 あ ら れ,そ. こか ら各 種 歳 費 目(例 え ば,公 務 員 にた いす る給 与)に 支 給 され る と い う形 態 に変. 化 した こ と を示 して い る。 い わ ば,公 的 な 地 代 が ま さ に公 租 へ と転 換 した こ と を意 味 す る。 この よ うな,わ が 国 の 地 代 の 転 換 を み る と,封 建 地 代(あ. くまで 領 主 が 徴 収 す る地 代. で あ り,農 民地 主 の そ れ は 小 作 料 や 賃 貸 料 と称 す べ きで あ る)が 資 本 主 義 地 代 に転 化 す る, と い う一 般 論 の 命 題 の 立 て 方 は,二 重 三 重 の 誤 りを 内 包 して い る と考 え られ る。 封 建 地 代 と資 本 主 義 地 代 の 相 違 点 は,前 者 が 公 的 な もの に対 して,後 者 は私 的 な 意 味 合 いを 持 つ も の に過 ぎな い し,前 者 が 政 治 体 制 と生 産 関 係 の 両 者 を 結 合 した 概 念 で あ るの にた い し後 者 は単 に生 産 関 係 の 形 態 に係 わ る概 念 で しか な い。 即 ち,資 本 主 義 生 産 関 係 は,な に も議 会 制 度 と い う政 治 体 制 に対 応 した もの で はな く,単 に生 産 の 形 態 に対 応 して い るだ け にす ぎ な い。 現 に,そ の エ ー トス は,用 地 を 借 地 した 資 本 家 に よ る賃 労 働 者 の 雇 用 と い う と こ ろ に存 す る にす ぎな いの で あ る。 よ って,資 本 主 義 生 産 関 係 は,封 建 社 会 にお いて 成 立 し得. ② ①(明. 治)十 五 年 「地 方 税 地 価 戸 数 割 帳 」。 -348(348)一.

(15) 封 建 地 代 か ら地 租 へ(美 馬). るの で あ る⑳。 逆 に,そ の 社 会 が 全 面 的 に 資 本 主 義 生 産 関 係,つ ま り様 式 と して の姿 を示 す こ と とな り, 議 会 制 度 が 成 立 した と き,で は あ らゆ る産 業 部 門 にお いて 資 本 主 義 生 産 関 係 が 成 立 して い るの か ど うか も,実 は確 定 し得 な い。 つ ま り,成 立 し得 な い こ と も存 在 す る と言 う こ とで あ る。 よ って,農 業 部 門 で 封 建 社 会 に資 本 主 義 的 生 産 関 係 が 成 立 した と して も,そ れ が 其 の 社 会 全 体 を 資 本 主 義 生 産 関 係 に導 いて ゆ くか ど うか 全 く解 らな いの で あ る。 否,む. しろ. 農 業 部 門 の 資 本 主 義 化 が,は た して 必 然 で あ るの か ど うか さえ 疑 問 で あ るの で あ る。 しか しな が ら,現 に英 国 で は ま さ に封 建 社 会 にお いて 領 主 が 資 本 家 に土 地 を 貸 与 して, 資 本 主 義 的 生 産 に よ って 生 産 され た 農 産 物 の 販 売 収 益 か ら地 代 を 領 主 に納 め て い るの で あ る⑳。 よ っ て,英 国 で は封 建 地 代 た る貨 幣 地 代 が,ま. さ し く資 本 主 義 地 代 に と って 代 られ. た(姿 を 変 え た の で はな い)こ と とな る。 他 方,わ が 国 で も封 建 社 会 で,そ 義 の 存 在 を 追 及 した が,せ. う した 資 本 主. いぜ い,初 期 マ ニ ュ フ ァク チ ュ アの そ れ で あ り,し か も,資 本. 家 と地 主 は一 体 の もの で あ った 。 よ って,そ の 事 実 を(つ. ま り,領 主 が 資 本 家 に土 地 を 貸. 与 す る こ とを)見 出 す こ と はで き な か った⑳。 つ ま り,日 本 で それ を見 出 す 場 合,対 象 は あ くまで 農 民 地 主 にお いて の 資 本 主 義 関 係 な の で あ り(例 え ば,地 主 手 作 り地 や 彼 の 手 に よ る農 村 工 業 で の そ れ)⑳,領 主 に と って の 地 代,つ ま り,貨 幣 地 代 に お い て,領 主 が 土 地 を 資 本 家 へ 貸 与 し,そ こか ら資 本 主 義 地 代 が 徴 収 され た と い う内 容 で は決 して な い ㈱。 ⑳. も っ と も,そ れ で は 資 本 主 義 と は一 体 どの よ うな 生 産 様 式 な の か,と い う根 本 的 な 問 題 が 問 わ れ る こ と とな る で あ ろ う。 は た して,資 本 と賃 労 働 が 資 本 主 義 の 本 質 そ の もの で あ る の か ど う か,と い う こ とで あ る。. ⑳. 椎 名 重 明(1962)「. ㈱. 中村. ⑳. 同 上 書,19-23ペ. ㈲. 哲(1961)「. イ ギ リス産 業 革 命 期 の 農 業 構 造 」 御 茶 の 水 書 房,東 京 。 明 治 維 新 の 基 礎 構 造 」 未 来 社,東 京 。 ー ジ。. わ が 国 にお け る地 主 手 作 地 や 農 村 工 業 で の 年 季 奉 公 人 や 日雇 労 働 者 を,半 リア ー トと して 呼 称 して い るが,あ. プ ロや 前 期 プ ロ レ タ. くまで そ れ は農 民 地 主 の 経 営 に対 す る考 察 で あ り,領 主 が 農. 民 か ら土 地 を 収 奪 し,そ の土 地 を 資本 家 に貸 与 し,資 本 家 が,土 地 を 収 奪 され た 農 民 を 雇 用 して, 資 本 主 義 的 農 業 を 行 い,そ の 収 益 の 一 部 を 領 主 に地 代 と して 支 払 った(こ れ が 英 国 の 事 例 で あ る が(椎 名 重 明,前 掲 書))と. い う形 態 と は全 く異 な る ので あ る。 強 い て 言 え ば,そ う して地 主 が. 収 奪 した 農 村 工 業 や 地 主 手 作 地 で の 収 益 の 一 部 が,領 主 へ の 「年 貢 」 と して 納 め られ た,と い う 点 は指 摘 され よ う。 しか し,も. し地 租 を 絶 対 主 義 社 会 で の 貨 幣 地 代 と規 定 して しま うな ら,日 本. の 社 会 で は,一 体 いつ 貨 幣 地 代 と言 う封 建 地 代 が 近 代 的 な 租 税 へ と転 化 した こ と にな るの で あ ろ うか 。 否,一 体 何 故 公 租 と して の 地 租 が 資 本 主 義 的 地 代(こ れ は,一 般 的 には 私 的 な そ れ と言 う 概 念 を 示 して い る と考 え られ る。)へ と転 化 し得 るの で あ ろ うか 。 我 が 国 で は,明 治 以 後 も農 業 に お い て 資 本 主 義 生 産 関 係 が 成 立 しな い 事 実 と,ど の よ う に整 合 性 を もた せ て ゆ くの か,は な は だ 疑 問 で あ る。 む しろ,以 上 の 点 は 史 的 唯 物 論 を 実 証 す る こ とは 現 在 まで で きて い な い,と 言 う点 に意 義 が 存 す る と考 え られ る。 な お,我 が 国 にお いて 明 治6年(1873)に が 整 うの が 同14年(1881)頃 京,445・446ペ. で あ り(下 中 邦 彦 編(1972)「. ー ジ),ま た,国 税 と して の 所 得 税 の 導 入 が 同20年(1887)(前 一349(349)一. 導 入 され た 地 租 の 実 態. 世 界 大 百 科 事 典 」18巻,平. 凡 社,東. 掲 書,446ペ. ー ジ),/.

(16) 第7巻. 第1号. よ って,資 本 主 義 的 地 代 が 成 立 す る と い うの は,領 主 の 地 代 で と い う視 点 で は全 くな い。 む しろ,も. し領 主 が 資 本 家 に貸 与 す る と して(資 本 家 が 存 在 した らの 話 で あ るが)一 体 今. 耕 作 して い る封 建 農 民 を どの よ う に扱 うの で あ ろ うか 。 彼 らは一 人 一 人 が 土 地 を 手 放 して い な い 限 り土 地 耕 作 権 を有 して お り(検 地 帳 に名 が 記 載 され て い る),封 建 農 民 か ら土 地 を 取 り上 げ る こ とな どで き は しな い。 ま して や,事 実 上 の 土 地 所 有 者 た る農 民 地 主 の 土 地 は(多. くが 小 作 人 に貸 与 され て い るが)取. り上 げ る こ とな ど全 くで き は しな い。 む しろ,. 領 主 側 が 彼 ら地 主 か ら借 金 を して,経 済 的 に依 存 して い るの で あ る。 逆 に,英 国 で は封 建 農 民 の 土 地 保 有 権 が 誠 に脆 弱 で あ るケ ー スが あ り,そ の 場 合 は,領 主 は いつ で も条 件 さえ 整 え ば封 建 農 民 を 追 い 出す こ とが で きた の で あ る。 よ って,英 国 で は封 建 地 代 た る貨 幣 地 代 が,封 建 社 会 で あ りな が ら資 本 主 義 地 代 へ と転 化 す る こ とが 可 能 で あ った の で あ る。 そ して,政 治 体 制 が 議 会 制 とな った と き,領 主 は資 本 主 義 的 地 代 か ら租 税 分 を 納 め 得 た の で あ る。 他 方,わ が 国 で は,資 本 主 義 生 産 関 係 を 導 入 す る と して,あ. くまで 主 体 は農 民 地 主 な の. で あ る。 日本 の 領 主 は,封 建 社 会 で は資 本 主 義 生 産 関 係 を 導 入 し得 な い し,明 治 以 後 はそ もそ も地 主 で はな くな って しま った の で あ る。 この よ う に,英 国 の 事 例 を わ が 国 に適 用 し て ゆ くこ と は,大 きな 誤 りで あ った の で あ る。 そ れ で は,何 故 この よ うな 誤 った 問 題 設 定 が な され た の で あ ろ う。 そ の 第 一 の 原 因 は,マ ル ク ス(実 態 はエ ンゲ ル ス)が で 示 した 「資 本 主 義 地 代 の 生 成 」 と い う言 葉 で 示 され た 内 容 が,誠. 『資 本 論 』. に曖 昧 で あ った か らで. はな い か と思 わ れ る㈱。 マ ル ク ス とエ ンゲ ル ス が示 した 貨 幣 地 代 と は,そ. こに 多 くの 概 念. が 混 入 せ しあ られ て お り,そ れ を 基 と した 議 論 を 後 の 人 々が 行 った か らで はな いか と考 え られ る。 本 来 は,そ の 混 入 を まず 正 す べ きで あ った の で あ る。 即 ち,マ ル ク ス等 は,封 建 社 会 の 地 代 が や が て 資 本 主 義 地 代 へ と転 化 す る可 能 性 を 示 す た め に,そ の 過 程 で の 様 々な 条 件 を 述 べ た の で あ るが,そ の第 一一 の誤 りは,英 国 の 事 例 の み を 対 象 と した こ と,つ ま り, 全 くの 特 殊 な ケ ー スを 対 象 と して しま った こ とで あ ろ う。 従 って,英 国 で 見 られ る様 々な 特 殊 事 情 を も って,そ れ を一 般 化 して しま った こ とに よ る もの で あ る と考 え られ る。 ま. \ ま た,地 方 税 た る府 県 税 が 同11年(1878),市 る(同 上 書,20巻(1972年),176ペ. 町 村 税 が 同21年(1888)に. ー ジ)。 い ず れ にせ よ,ま ず,我. 導 入 され て い る の で あ. 々 は封 建 地 代 と封 建 社 会 の. 地 代 を 区 別 せ ね ば な らず,ま た,英 国 と言 う特 殊 状 況 を 日本 と言 う特 殊 状 況 に当 て はめ て 考 え る こ と 自体 が,全 く意 味 の な い こ とで あ る こ と に気 づ くべ きな の で あ る。 む し ろ,遅 れ た と はい え, 日本 も資 本 主 義 化 せ ざ るを 得 な か った 事 実 こそ が,重 要 な 意 味 を 持 つ の で あ る。 ⑫ ③ 向 坂 逸 郎 訳,カ. ー ル ・マ ル ク ス著,フ. リー ド リ ッ ヒ ・エ ンゲ ル ス編(1969)『. 第 六 篇 第 四 七 章(岩 波 文 庫 『資 本 論 」8,1969年,280-329ペ. 資本論」 第三巻. ー ジ。)そ こで は 「貨 幣 地 代 は(中. 略)資 本 主 義 的 借 地 農 業 者 の 支 払 う地 代 に導 か ざ るを 得 な い 」 とい う一 文 が 存 す る。 -350(350)一.

(17) 封建地代か ら地租へ(美 馬) た,基 本 的 に は社 会 が 全 体 と して 封 建 社 会 か ら資 本 主 義 社 会 へ と必 然 的 に変 化 して ゆ く も の で あ る と い う,史 的 唯 物 論 が 正 しい理 論 で あ る こ とを 実 証 す るた め の 史 実 を 提 示 しな け れ ばな らな いの に,そ の 転 化 が 必 然 で あ る と して 論 を 展 開 して しま った と こ ろ に,問 題 が 存 した の で あ る。 結 論 が 先 に あ って,そ れ を 裏 付 け るた め の 理 由付 けを 行 って しま った の で あ る。 本 来 は事 実 を 示 して そ の 事 実 が 転 化 の 理 由付 け と して 一 般 化 し得 るか 否 か を こそ 演 繹 的 に示 す べ き もの で あ った の で あ る。 結 果,実 証 され た か 否 か は と もか く,封 建 社 会 にお いて も資 本 主 義 的 地 代 は成 立 し得 るが,し か し,そ れ が 成 立 した か らと言 って 社 会 全 体 が 資 本 主 義 化 して い る と は言 え な い こ と,つ ま り,両 者 は別 の 次 元 の 話 な の で あ る,と い う こ とが 理 解 で きな くな った の で あ る。 従 って,な. る ほ ど英 国 と い う特 殊 社 会 で は,封. 建 地 代 が 貨 幣 地 代 へ と化 し,か つ,そ の 貨 幣 地 代 が 非 常 に低 額 な もの に固 定 化 され,そ の 低 額 さが 領 主 と封 建 農 民 との 相 対 で 決 定 され て いた 。 ま さ に他 方 で,資 本 主 義 地 代 が そ こ に導 出 され て ゆ く。 つ ま り,領 主 は封 建 農 民 で はな く,資 本 家 に農 業 経 営 を ゆ だ ね,彼 か ら地 代 を 得 る と い う形 態 に転 化 して い った と い う事 実 が 存 す る。 が,こ の 時,よ. って 農 業. も資 本 主 義 化 す る,と い う考 え が 導 入 せ しめ られ て しま った もの と考 え られ る。 しか し, 本 来 英 国 で は既 に広 く資 本 主 義 生 産 が 工 業 部 門 で 展 開 し,今 や 政 治 制 度 も議 会 制 が 成 立 し よ う と して い る,あ る い は,既 に成 立 して い る よ うな 状 況 下 で,議 会 制 で も政 治 権 力 を 掌 握 しつ つ あ った 封 建 領 主 が,土 地 所 有 者 と して 土 地 を 資 本 家 に貸 与 して,農 業 経 営 を ゆ だ ね,結 果 と して 桁 違 いの 高 い地 代 を 得 る よ う にな るの は,英 国 の 特 殊 事 情,つ. ま り,地 代. の 中 間 収 奪 者 と して の 悪 魔 の 存 在 が あ った か ら に 他 な ら な か っ た と考 え られ るの で あ る⑳。 英 国 に お い て,農 業 部 門 は 社 会 全 体 の資 本 主 義 の 成 立 に対 して積 極 的 に作 用 した の で はな く,成 立 して いた 資 本 主 義 生 産 形 態 に よ って 後 追 い的 に,し か も,特 殊 事 情 に よ っ て 資 本 主 義 化(し か も,一 部 に しか 過 ぎな い)し た の が 事 実 で あ った 。 そ して,こ れ こそ が,人 間 社 会 の 全 体 と して の 基 本 的 姿 で あ る と考 え られ る。 何 故 な ら,資 本 主 義 は工 業 部 門 こそ が そ れ を 担 う第 一 の,否,唯. 一 の 産 業 部 門 で あ るか らで あ り,そ れ は,最 大 の 利 潤. を もた らせ て くれ るの は工 業 部 門 で あ るか らで あ る と考 え られ る。 従 って,農 業 部 門 が 資 本 主 義 化 す るか 否 か は実 は全 く必 然 的 で はな いの で あ る。 とす るな ら,日 本 にお いて 封 建 地 代 が 貨 幣 地 代 化 し,そ れ が 資 本 主 義 地 代 に転 化 して い た か 否 か を 追 及 す る とす るな ら,そ こで の 意 味 は,単 にそ こ に資 本 主 義 が 既 に成 立 して い るか 否 か を 実 証 す るた あ か,も. し くは,日 本 にお いて も英 国 と同 じよ うな 状 況 が 存 在 す る. か 否 か を 実 証 す るた め の もの で しか な い。 しか し,前 者 は明 らか に明 治 維 新 に よ って 資 本 ⑳. 椎 名 重 明,前. 掲 書,323ペ. ー ジ。 一351(351)一.

(18) 第7巻 主 義 化 す るの で あ る し,又,封. 第1号. 建 領 主 は版 籍 奉 還 と廃 藩 置 県 に よ って 完 全 に封 建 領 主 の 座. を 明 渡 して しま った の で あ る。 従 って,わ が 国 は英 国 と は全 く異 な った 状 況 下 に置 か しめ られ て いた の で あ る。 この よ うな 前 提 にお いて,な お か つ わ が 国 で の 資 本 主 義 地 代 成 立 の 有 無 を 追 求 す る こ と は,資 本 主 義 が 展 開 して いな い に も拘 わ らず,資 本 主 義 が 農 業 部 門 で 成 立 して いた と い う画 期 的 な 成 果 を 求 あ るた あ に行 う こ と とな って しま うで あ ろ う。 しか し,今 み た よ う に資 本 主 義 の 特 質 と して あ り得 る はず が な い と考 え られ る。 現 実 に,わ が 国 にお いて,土 地 に基 づ く農 業 にお いて 資 本 主 義 的 生 産 が 今 日に至 る まで 存 在 しな か った の は,周 知 の 事 実 で あ る。 む しろ,其 の こ とが 資 本 主 義 の 真 の 特 質 を 物 語 って い る もの と 考 え られ る。 従 って,旧 来 的 な,貨 幣 地 代 の 成 立 が 資 本 主 義 地 代 の 導 出 に いか に結 びつ い て ゆ くか,と. い う論 の 建 て 方 自体 が,実. は意 味 の な い,む. しろ誤 った 捉 え 方 で あ った こ と. に気 づ くの で あ る。 貨 幣 地 代 につ いて は,幕 藩 制 社 会 で の そ の 成 立 の 有 無 が わ が 国 の 資 本 主 義 化 の 道 程 に どの 程 度 の 影 響 を 有 す る もの で あ るか,と. い う論 の 建 て 方 で 考 察 して ゆ く. もの で あ ろ う。 即 ち,近 世 末 に全 面 的 に貨 幣 地 代 と同 等 の 地 代 が 成 立 して いた こ と,つ ま り,商 品 貨 幣 経 済 が 展 開 して いた か らこそ,わ が 国 は明 治 維 新 後 ス ムー ズ に資 本 主 義 を 展 開 せ しめ る こ とが可 能 で あ っ た と考 え られ る㈱。 ま さ に,か か る点 を確 認 す る た め の もの と して で あ る。 従 って,封 建 地 代 は当 然 公 租 と して そ の 姿 を 転 化 せ しあ て ゆ くこ とが そ の 必 然 で あ った と考 え られ るの で あ る。 最 後 に,で は封 建 社 会 の 次 に は何 故 資 本 主 義 社 会 が 必 然 的 に成 立 す るの か,と. い う点 に. つ き,筆 者 は従 来 「何 故 英 国 にお いて 真 っ先 に資 本 主 義 が 成 立 した の か 」 と い う点 と関 連 付 けつ つ,そ の 主 因 を ウ ェー バ ー が 指 摘 した 「プ ロテ ス タ ンテ ィズ ムの 勤 勉 性 」 と共 に, 「貨 幣 が 無 限 の 交 換 可 能 性 を 付 与 せ しめ られ た こ と」 に求 め て い た⑳。 と こ ろ で,拙 著 で は,プ ロテ ス タ ンテ ィ ズ ムの 真 髄 が 「勤 勉 」 で あ る と表 記 した が,よ. り正 確 に は 「予 定 説. と 自己 審 査 に よ る禁 欲 に基 づ いた 勤 勉 」 と表 記 す べ きで あ ろ う。 ウ ェー バ ー 自身 も,そ の 著 書 で は勤 勉 と い う語 は使 用 して いな い。 あ くまで,プ. ロテ ス タ ン トの 「精 神 」 を 示 した. だ けで あ る。 そ の 精 神 の 具 体 的 な 現 れ が 「勤 勉 」 と言 う行 為 で あ った と,暗 に指 摘 して い るだ けで あ る。 この 点 を,こ ㈱. こで 補 足 して お きた い。 また,彼 が もう一 点 指 摘 して いた の. よ って,貨 幣 地 代 は そ の 封 建 社 会 が 資 本 主 義 経 済 体 制 を 実 現 し得 るだ けの 経 済 発 展 状 況 を 示 し て い るか 否 か を 判 断 す る メル クマ ー ル と して の 役 割 は はた す 。 しか しな が ら,貨 幣 地 代 が 農 業 部 門 に資 本 主 義 生 産 関 係 を 導 入 して ゆ くか ど うか につ い て は,何. も言 う こ と はで きな い で あ ろ う。. む し ろ,農 業 部 門 で 採 用 され て ゆ くの は,地 主 ・小 作 関 係 で あ ろ う。 何 故 な ら,そ の 方 が 地 主 取 り分 が よ り大 き い か らで あ る(以 上 の 論 は,拙 著(2006)『 京 都 を 参 照 され た い)。 ㈲. 前 掲 拙 著,435-436ペ. ー ジ。 -352(352)一. 近 世 畿 内 在 払 制 度 の研 究 」 松 籟 社,.

(19) 封 建 地 代 か ら地 租 へ(美 馬). は,プ ロ テ ス タ ン トの人 々 は 「正 当 な 利 潤(=貨. 幣(筆 者 補 う))を,天. 職 と して 組 織 的. か つ 合 理 的 に追 求 」して い た と い うこ とで あ ったG① 。 だか らこ そ,英 国 で は最 終 的 に は貨 幣 獲 得 の 巨大 化 を 目指 して,そ れ を 最 大 限 に もた ら して くれ る資 本 主 義 と い う社 会 経 済 体 制 を 構 築 して い った の で あ る。 この 時,プ き対 象 と して 認 識 した こ とが,大. ロテ ス タ ン トが 貨 幣 を 不 浄 と は考 え ず に獲 得 す べ. きな 影 響 を 与 え た と考 え られ る。 そ して,プ. トが 「貨 幣 」 を 不 浄 の もの と は考 え ず,む. ロテ ス タ ン. しろ獲 得 す べ き対 象 と考 え だ した の は,貨 幣 が. 紙 幣 の 姿 を と った こ と(こ の こ とが,貨 幣 獲 得 の 吝 薔 性 を 薄 あ た の で あ る。),及 び,彼. ら. が 貨 幣 が 持 つ 無 限 の 交 換 性 に い ち早 く気 づ い て い た か らで あ る と考 え られ る の で あ る。 (ウ ェー バ ー は こ の 点 に気 づ か な か った た め に(そ. して,気 づ けな か っ た の は,彼 の 方 法. 論 にお いて メ タ認 知 の 程 度 が まだ 浅 く,も う一 歩 深 め る こ とが 出来 な か った 故 で あ る と考 え られ る。),ウ ェー ズ リー の 原 典 に 「史 料 操 作 」 を して しま った の で は と考 え られ る㊤D。) こ こ に,封 建 社 会 が 資 本 主 義 社 会 へ と転 化 す る必 然 性 の 根 本 的 な 原 因 が 存 在 す る と考 え ら れ るの で あ る。 逆 に言 え ば,プ ロテ ス タ ン ト以 外 の人 々 は洋 の東 西 を 問 わず ま た 時代 の新 旧 を 問 わず 鋤, 不 浄 で か つ 吝 音 の 対 象 で あ る貨 幣 を,最 大 限 に求 め る社 会 経 済 体 制 な ど追 い求 め る はず が な く,従 って,資 本 主 義 体 制 を 成 立 せ しあ る はず が な か った の で あ る(但. し,い ず れ はそ. の 構 築 が 必 然 的 で あ った こ と は指 摘 して お か ね ばな らな いが 。)。そ して,こ の こ と はわ が 国 で も例 外 で はな か った の で あ る。 我 が 国 で は,幕 末 期 に あれ 程 商 品 貨 幣 経 済 が 進 展 し, 貨 幣 地 代 と同 等 の 地 代 が 成 立 して いた に も拘 らず 資 本 主 義 化 が 外 圧 に よ って もた らされ た の は,儒 教 と い う仁 ・義 ・礼 な どを 重 視 し,結 果 と して 貨 幣 を 蔑 視 す る思 想 に縛 られ て い た か らで あ ろ う と考 え られ る。 よ って,工 業 ・農 業 部 門 と も資 本 主 義 が 自律 的 に成 立 せ し. e① 大 塚 久 雄 訳,マ. ッ クス ・ウ ェ ーバ ー著(1989)『. 神 」 岩 波 文 庫,東 京,72ペ eD安. 藤 英 治 編(1977)『. 書D4,東 勧. ウ ェー バ ー,プ. 京,185・186ペ. 大 塚 久 雄 訳,マ. プ ロテ ス タ ン テ ィズ ム の 倫 理 と資 本 主 義 の 精. ー ジ。 ロ テ ス タ ンテ ィズ ム の倫 理 と資 本 主 義 の精 神 』 有斐 閣 新. ー ジ。. ッ ク ス ・ウ ェー バ ー 著,前 掲 書,45ペ. ー ジ。 そ れ で は,ウ ェー バ ー の 言 う よ う. に プ ロテ ス タ ン トの ピ ュー リタ ン的 な 宗 教 解 釈 が 近 代 資 本 主 義 を 導 出 した と して,で は も しそ の よ うな 考 え が 生 じな か った な ら(何 故 な ら,ウ ェー バ ー は ピ ュー リタ ン的 な 宗 教 解 釈 が,人 間 社 会 に必 然 化 す る こ と に は言 及 して いな い か らで あ る。)我々 は近 代 資 本 主 義 社 会 を 構 築 しな か った の で あ ろ うか,と 言 う疑 問 が 生 じる。 結 論 を 言 え ば,今 本 主 義 社 会 は,た. 日 にみ る工 業 生 産 に重 きを 置 い た 近 代 資. とえ 時 間 はか か る に して も必 然 化 して い た と考 え られ る。 何 故 な ら,人 間 の 主. 観 が 生 み 出 し,も はや 存 在 そ の もの が 客 観 とな った 貨 幣 こそ が,人 間 社 会 にそ れ を 必 然 化 させ る 力 量 を 持 つ 根 本 的 な 存 在 で あ るか らで あ る。 従 って,貨 幣 に依 って 経 済 生 活 を 営 む,否,営 るを 得 な い人 間 は,ど. まざ. う して も,や が て 近 代 資 本 主 義 社 会 を 構 築 せ ざ るを 得 な い と考 え られ るの. で あ る。 一353(353)一.

(20) 第7巻. 第1号. め られ る こ と はな か った 。 しか し,欧 米 列 強 が 資 本 主 義 化 に よ って 国 力 を 飛 躍 的 に高 め, 他 国 を 圧 して い た 事 実 は,も. は や 貨 幣 を 忌 避 す る こ と な ど 許 さ れ る は ず が な く,こ. こ に,. 我 が 国 も明 治 以 降 強 力 に資 本 主 義 化 を 進 め ざ るを 得 な か った と考 え られ るの で あ る。. 参. 〔1〕. 安 藤 英 治 編(1977)『. 有 斐 閣 新 書D4,東 〔2〕. 池 田 末 則,横. 〔3〕. 大 塚 久 雄 訳,マ. ウ ェ ー バ ー,プ. 酒井. 文. 献. ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム の 倫 理 と資 本 主 義 の 精 神 』. 京。 田 健 一(1981)『. 奈 良 県 の 地 名 』 日本 歴 史 地 名 体 系30,平. ッ ク ス ・ウ ェ ー バ ー 著(1989)「. 本 主 義 の 精 神 』 岩 波 文 庫,東 〔4〕. 考. 一(1960)「. 向 坂 逸 郎 訳,カ. 京。. ー ル ・マ ル ク ス 著,フ. 論 』 岩 波 文 庫8,東 〔6〕. 椎 名 重 明(1962)『. 〔7〕. 下 中 邦 彦 編(1972)『 哲(1961)『. 京。. 河 内 国 石 川 家 領 の 貢 租 一 日本 貨 幣 地 代 成 立 史 研 究 の 一 試 論 一 」,. 大 阪 歴 史 学 会 編 『封 建 社 会 の 村 と 町 』 吉 川 弘 文 舘,東 〔5〕. 凡 社,東. プ ロテ ス タ ンテ ィ ズ ム の倫 理 と資. 京。. リ ー ド リ ッ ヒ ・エ ン ゲ ル ス 編(1969)『. 京。 イ ギ リ ス 産 業 革 命 期 の 農 業 構i造』 お 茶 の 水 書 房,東 世 界 大 百 科 事 典 』18巻,19巻,平 明 治 維 新 の 基 礎 構 造 』 未 来 社,東. 凡 社,東. 〔8〕. 中村. 〔9〕. 福 島 正 夫(1968)『. 地 租 改 正 』 日本 歴 史 叢 書21,吉. 〔10〕. 美 馬 佑 造(2006)『. 近 世 畿 内 在 払 制 度 の 研 究 』 松 籟 社,京. 一354(354)一. 京。. 京。 川 弘 文 舘,東 都。. 京。. 京。. 資本.

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