封建地代から地租ヘ
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(2) 第7巻. 1.は. 第1号. じ. め. に. 経 済 史 研 究 の 課 題 の 一 つ に,資 本 主 義 社 会 が 成 立 す る前 段 階 と して,そ. こ に貨 幣 地 代 が. 存 在 して い るか 否 か を 問 題 と し,封 建 地 代 が そ う した 貨 幣 地 代 に どの 程 度 迫 る もの で あ る か を 考 察 す る と い う問 題 設 定 が 存 す る。 そ して,日 本 にお いて 貨 幣 地 代 は成 立 して いた の か 否 か,と. い う設 問 が な され,種. 々検 討 が な され て きた 。 そ の 場 合,明 治 維 新 を 経 て 成 立. した 地 租 と,徳 川 時 代 で の 封 建 地 代 との 関 連 が 問 わ れ,様. 々見 解 が 提 唱 され て きた 。. と こ ろ で,地 租 改 正 につ い て は,す で に福 島正 夫 氏 が そ の著,「 地 租 改 正 』 に よ って, 詳 細 を 明 らか に され て い る(1)。 そ こで は,廃 藩 置 県 が 明 治4年(1871)7月14日 新 県 が 旧藩 を4年 以 降 ひ きつ いで ゆ き(2),さら に,同5年. に公 布 さ れ,. に壬 申地 券 が 発 行 され,近 代 的 土. 地 制 度 が整 備 され て い た と され て い る(3)。そ して,地 租 改 正 法 が 翌6年7月28日. に公布 さ. れ,「 今 般 地 租 改 正 二 付,旧 来 田 畑貢 納 ノ法 ハ悉 皆 廃 シ,更 二 地 券 調 査 相 済 次 第 土 地 ノ代 価 二 従 ヒ百 分 ノ三 ヲ以 テ地 租 ト可 相 定 旨被 仰 出 候(以 下 略)」 と して,地 価 に応 じた 租 税 が 賦 課 され て ゆ く こ とが 述 べ ら れ て い るω。 こ う した 地 券 の 発 行 と地 価 に 基 づ く課 税 方 式 は,封 建 社 会 で の,個 人 の 地 代 を 村 役 人 が 一 括 して 徴 収 し,そ れ を 領 主 に納 付 す る」 と い う形 式 か ら,個 々人 の 負 担 分 は個 々人 が 各 人 にお いて 納 付 す る と い う近 代 的 な 形 式 に踏 み 出す 第 一 歩 と して の 意 味 も存 した と考 え られ る(5)。 他 方,こ の よ う に して 成 立 す る 「地 租 」 を いか に評 価 す るか につ いて は,同 書 で は 「旧 租 額 の 維 持 と継 続 」が そ の 目的 で あ った と され て い る(6)。 一 方,封 建 地 代 の 発 展 との 関 連 か らは,酒 井 一 氏 が 「地 租 改 正 に よ る全 国 的 な 貨 幣 地 代 が 実 施 され 」 た,と の べ られ て い る よ う に(7),地租 が成 立 した 明 治 社 会 を 絶 対 主 義 時代 と考 え る見 解 を示 さ れ る ケ ー ス も存 す る(8)。いず れ に せ よ,地 租 改 正 の 研 究 で は,法 令 や制 度 の整 備 等 につ い て の論 考 は 存 す る (1)福 島 正 夫(1968)「 (2)同 上 書,85-87ペ (3)同 上 書,97ペ. 地 租 改 正 」 日本 歴 史 叢 書21,吉. 川 弘 文 館,東 京 。. ー ジ。. ー ジ。. (4)同 上 書,159・160ペ. ー ジ。. (5)現 実 に は,明 治15年(1882)に. な って も,個 々人 の 租 税 は村 役 場 の 出張 所 た る戸 長(旧 幕 府 時. 代 は,ま さ に村 役 人 が これ にあ た る)が 徴 収 して,一 括 納 付 され て お り(次 節 参 照)個 人 主 義 は 未 だ 未 成 熟 で あ った 。 さ ら に いえ ば,現 在 にお い て も,サ ラ リー マ ンの 税 は国 税,地 方 税 と も企 業 等 が 一 括 納 付 して お り,い まだ に本 来 の 個 人 主 義 は 未 完 成(前 近 代 的)な の で あ る。 (6)同 上 書,242ペ (7)酒 井. ー ジ。. 一(1960)「. 河 内 国 石 川 家 領 の 貢 租 一 日本 貨 幣 地 代 成 立 史 研 究 の 一 試 論 一 」(大 阪 歴 史 学. 会 編 『封 建 社 会 の 村 と町 」 吉 川 弘 文 館,東 京,所 収,439・510ペ. ー ジ)。. (8)明 治 期 を 絶 対 主 義 時 代 と捉 え るの は,い わ ゆ る講 座 派 の 立 場 に立 つ もの と考 え られ るが,わ が/ -336(336)一.
(3) 封 建 地 代 か ら地 租 へ(美 馬). もの の,具 体 的 な 変 転 の 姿,封 建 地 代 か ら近 代 的 租 税 へ の 転 換 を 具 象 す る研 究 は存 しな い か と思 わ れ る。 そ こで,本 稿 で は幕 藩 制 社 会 で の 封 建 地 代 が,近 代 的 な 地 租 へ と転 化 す る 状 況 を,史 料 を もって 示 して ゆ きた い と思 う。 な お,本 稿 で 対 象 とす るの は大 和 国 平 群 郡 菜 畑 村 の 幕 末 か ら地 租 改 正 時 にか けて の 貢 租(税)の 賦 課 と徴 収 の 状 況 につ いて で あ る。 な お,同 村 は村 高 が も と617石7斗. で,竜 田 藩 領 で あ った が,寛 永16年(1639)に. 編 入 さ れ た。 延 宝7年(1679)に. 村 高 の う ち426石4斗1升1合. な り,郡 山藩 領 は192石3斗7升5合. 郡 山藩 に. が旗 本 松 平 信 重 の 采 地 と. とな った とい う(9)。 以 後,同 村 の 支 配 領 主 に変 化 はな. く幕 末 期 を 迎 え る こ と とな る。 な お,本 稿 で 使 用 す る史 料 は総 て 生 駒 市 の 広 岡 智 佑 家 文 書 で あ る。 閲 覧 を 許 され た こ と に深 謝 す る次 第 で あ る。. 2.幕. 2.1.税. 末 期 の 年 貢 か ら地 租 へ. の賦課形態. 大 和 国平 群 郡 菜 畑 村 の,郡 山藩 支 配 下 に か か る村 高 は192石3斗7升5合. で あ るが,ま. ず,幕 末 期 で の 同 村 の 貢 租 の 賦 課 状 況 につ きみ て お こ う。 同 村 の 免 状 は,天 保 期 の ほか,文 久 ・元 治 ・慶 応 ・明治 期 に つ き,若 干 が残 さ れ て い る。 この う ち,元 治 元 年(1864)の. 免 状 を み る と,. 子年免状. 平群郡. 菜畑村. 和州平群郡菜畑村子御成箇免状之事 一高百九拾弐石三斗七升五合 内三斗四升九合. 高辻 前前堤下池床引. 残百九拾弐石弐升六合 取米百弐拾六石七斗三升七合 米壱石弐斗六升弐合. 定 厘 六 ツ六 分. 去 ル 未 山崩 亥 ヨ リ年 々当 引. 内 米拾九石一斗九升六合. 當子当引. \ 国 で 産 業 革 命 が 生 じた 後(資 本 主 義 化 した 後),で は地 租 が 貨 幣 地 代 か ら名 実 共 に近 代 的 地 租 とな る理 由 につ い て は,説 明 が 明 確 で はな い よ う にお もわ れ る。 この 見 解 で は,地 租 が い つ しか 貨 幣 地 代 か ら近 代 的 地 租 へ と転 換 して し ま う とい う こ と とな る。 結 局,明 治 期 の 生 産 様 式 を い か に理 解 す るか につ いて は,そ の 政 治 形 態(つ. ま り上 部 構 造)よ. り も生 産 関 係 そ の もの(下 部 構 造)を. 重 視 す べ き もの で あ る と考 え られ る。 (9)池. 田 末 則,横. 田健 一(1981)『. 奈 良 県 の 地 名 」 日本 歴 史 地 名 体 系30,平. ペ ー ジ。 -337(337)一. 凡 社,東 京,99・100.
(4) 第7巻. 第1号. 残取米百六石弐斗七升九合 外 一・ 米五石七斗六升壱合. 夫米. 一米弐斗五升七合. 山年 貢 定 成. 一米三石壱斗八升八合. 口米. 納合米百拾五石四斗八升五合 右 之 通 當 子 御 成 箇 相 極 之 間 惣 百 姓 井 入 作 之 者 迄 立 会 無 高 下 令 割 賦 来 ル 極 月 十 日以 前 可 皆 済者也 元治元子年十二月 橋本猪野右衛門. 印. 和 田忠 兵 衛. 印. 深井喜右衛門. 印. 吉川幾右衛門. 印 菜畑村 庄屋 年寄 惣 百 姓(1①. と,郡 山藩 の 恐 ら くは勘 定 方 の 役 人 の 名 に よ って 貢 租 の 徴 収 が 触 れ られ て い る こ とが わ か る。 次 い で,版. 籍 奉 還 に よ り形 式 上 明 治 政 府 の 管 轄 下 に 置 か れ る こ と と な る,明 治2年. (1869)の 状 況 を見 よ う。 巳年 免 状. 平群郡菜畑村. 和 州 平 群 郡 菜 畑 村 巳御 成 箇 免 状 之 事 一高百九拾弐石三斗七升五合 内. 三斗四升九合. 高辻 前 々堤 下 池 床 引. 残百九拾弐石弐升六合 取米百弐拾六石七斗三升七合 米壱石弐斗六升弐合. 定 厘 六 ツ六 分. 去 ル 未 山崩 亥 ヨ リ年 々当 引. 内 米拾九石壱斗九升六合 ⑩. 當 巳當 引. 元 治 元 年 「子 年 免 状 」。 一338(338)一.
(5) 封建地代から地租へ(美 馬) 残取米百六石弐斗七升九合 外 一・ 米五石七斗六升壱合. 夫米. 一米弐斗五升七合. 山年貢定成. 一米三石壱斗八升八合. 口米. 納合米百拾五石四斗八升五合 右之通當 巳御成箇相極之間惣百姓井入作之者迄立会無高下令割賦来ル極月十 日以前可皆済 者也 明治二 巳年十一月 渡辺致清. 印. 新藤盛忠. 印. 吉 田勝英. 印. 小牧知之. 印. 出庁二付不能加印 深井権大属. 印. 豊 田権大属. 印 菜畑村 庄屋 年寄 惣 百 姓qD. よ って,同 年11月 段 階 で は,貢 租 を課 す役 人 は相 変 わ らず藩 の役 人 で あ った事 が わ か る。 次 に,翌3年(1870)の. 免 状 を み る と,. 和州平群郡菜畑村午成箇免状之事 一高百九拾弐石三斗七升五合 内三斗四升九合. 高辻. 前 々堤 下 池 床 引. 残百九拾弐石弐升六合 取米百弐拾六石七斗三升七合. 定 厘 六 ツ六 分. 内. (ll)明. 米壱石弐斗六升六合. 去 ル 未 山崩 亥 ヨ リ年 々當 引. 米拾九石壱升六合. 當午當引. 治二年. 「巳 年 免 状 」。. 一339(339)一.
(6) 第7巻. 第1号. 残取米百六石弐斗七升九合 外 一・ 米五石七斗六升壱合. 夫米. 一米弐斗五升七合. 山年 貢 定 成. 一米三石壱斗八升八合. 口米. 納合米百拾五石四斗八升五合 右 之 通 當 午 成 箇 相 極 候 間 惣 百 姓 井 入 作 之 者 迄 立 会 無 高 下 令 割 賦 来 ル 極 月 十 日以 前 可 皆 済 者 也 明治三庚午十一月. 郡 山藩. 印 菜畑村 庄屋 年寄 惣 百 姓(②. とな って お り,藩 役 人 の 記 名 は 消 滅 し,税 を課 す主 体 が 「郡 山藩 」と銘 記 され る よ う にな っ た こ とが わ か る。 さ らに,廃 藩 置 県 が 実 施 され た 明 治4年(1871)を. み る と,課 税 の 主 体 が 「郡 山県 」 と. な る こ とが わ か る。 和州平群郡菜畑村未成箇免状之事 一高百九拾弐石三斗七升五合 内三斗四升九合. 高辻. 前 々堤 下 池 床 引. 残百九拾弐石弐升六合 取米百弐拾六石七斗三升七合 米壱石弐斗六升弐合. 定 厘 六 ツ六 分 去 ル 未 山崩 亥 ヨ リ年 々當 引. 内 米拾九石壱斗九升六合. 當未當引. 残取米百六石弐斗七升九合 外 一米弐斗五升七合 一米三石壱斗八升八合. 山年 貢 定 成 口米. 右 之 通 當 未 成 箇 相 極 候 間 惣 百 姓 井 入 作 之 者 迄 立 会 無 甲乙 令 割 賦 来 極 月 十 日以 前 可 皆 済 者 也 ⑫. 明 治 三 年 「和 州 平 群 郡 菜 畑 村 午 成 箇 免 状 之 事 」。 -340(340)一.
(7) 封建地代か ら地租へ(美 馬) 明治四辛未年十一月 郡 山県. 印 菜畑村 庄屋 年寄 惣 百 姓(③. す な わ ち,ま さ に郡 山藩 は郡 山県 へ と転 換 す るの で あ り,よ って,わ が 国 の 場 合,藩 の 貢 租 はそ の ま ま維 新 政 府 の 地 方 行 政 府 の 公 租 へ と転 換 して い る こ とが わ か るの で あ る。 次 に,明 治6年(1873)に. は,免 状 で はな く 「租 税 上 納 割 賦 帳 」 と して,課 税 が な され. て い る(残 念 な が ら,明 治5年 の 史 料 は欠 如 して い る)。 當酉租税上納割賦帳. 平群郡. 菜畑村 西方. 検見 一反別拾四町三反三畝拾七歩. 平群郡菜畑村 西方. 此訳 田反 別 拾 壱 町 七 反 壱 畝 拾 三 歩 内. 反別三畝壱歩. 前 々堤 下 池 床 引. 反別壱反六畝拾六歩九厘 小以〆反別壱反九畝拾七歩九厘 残反別拾壱町五反壱畝弐拾五歩壱厘 此真米九拾石七斗七合 内米弐斗三升. 検 見 去 申増. 畑反別弐町六反弐畝四分 此真米拾五石八斗弐合 去 申同 内訳 反別弐町四反廿八歩. 本畑. 此真米拾四石三斗九合 反別弐反壱畝六歩 ⑱. 屋敷. 明 治 四 年 「和 州 平 群 郡 菜 畑 村 未 成 箇 免 状 之 事 」。 -341(341)一.
(8) 第7巻. 第1号. 此真米壱石四斗九升三合 納合米百六石五斗九合 内米弐斗三升. 去 申増. 右者酉租税書面之通候条惣百姓立会無 甲乙割賦致決算来ルニ月限急度上納可致 もの也 明治六年酉十二月. 奈良県. 印 右村 戸長 副戸長 惣百姓ω. こ の よ う に,課 税 の 主 体 が 奈 良 県 とな る もの の, 書 式 は幕 末 期 の免 状 に酷 似 した形 態 を 取 って い る。 な お,翌7年6月. に は, 明 治 五 年 度 の 税 の 徴 収 が 完 了 した 旨を 示 す 「納 税 済. 証 」 が 下 府 され て い る。 申年 租 税 録. 大和国平群郡菜畑村. 一高百九拾弐石三斗七升五合. 平群郡. 菜畑村. 此訳 田高 百 六 拾 四 石 壱 斗 七 合 内高三斗四升九合 高壱石九斗壱升四合. 前 々堤 下 池 床 引 前 々 山崩 引. 小以高弐石弐斗六升壱合 残高百六拾壱石八斗四升六合 此貢米拾五石八斗弐合 貢米合百六石弐斗七升九合 口米 不 掛 一米弐斗五升七合. 山税. 城米百六石弐斗七升九合 一米三石壱斗八升八合. 口米. 小以米百九石七斗弐升四合 此永三百五拾八貫百七文 納合金三百五拾八両三分永五拾七文 右 者 去 ル 申年 租 税 書 面 之 通 皆 済 いた し候 二 付 小 手 形 引 替 一 紙 目録 相 渡 者 也 ω. 明 治 六 年 「當 酉 租 税 上 納 割 賦 帳 」。 一342(342)一.
(9) 封建地代か ら地租へ(美 馬) 明治七年 五月. 奈良県. 印 右村 戸長 副戸長 惣百姓⑮. これ にみ る よ う に,租 税 録 で は 「租 税 」 が 「皆 済 」 され た と い う文 言 が な され,徳 川 期 の 年 貢 皆 済 目録 の 形 式 を 未 だ に踏 襲 して いた 様 子 が 伺 え るの で あ る。 と もか く,一 連 の 年 次 別 史 料 に よ って,封 建 地 代 が ま さ に明 治 新 政 府 の 歳 入 と して,其 の ま ま転 化 され た こ とが 見 事 に確 認 で き るの で あ る。. 2.2.税. の徴収形態. 次 に,税 の 徴 収 の 形 式 は どの よ う に変 化 した の で あ ろ う。 結 論 か ら先 に言 え ば,封 建 地 代 と同 様 租 税 も戸 長 が 村 民 か ら徴 収 して 一 括 して 納 付 す る と い う形 式 が 踏 襲 され て いた 。 明 治6年. 「当 申 ノ御 年 貢 請 取 小 前 帳 」 を 見 よ う。. 明治六年五月 当 申 ノ御 年 貢 請 取 小 前 帳 平群郡第一小区 菜畑村 辻井礒七 一高百九拾弐石三斗七升五合 同三斗四升九合. 前 々 ヨ リ堤 下 池 床 御 高 引. 残百九拾弐石弐斗一合 取米百弐拾六石七斗三升七合 又三石壱斗八升八合. 六 ツ六 分 定 口米. 合百弐拾九石九斗弐升五合弐勺 内 一米拾九石壱斗九升六合. 定免引. 一同壱石弐斗七升弐合. 未 山崩 御 高 引 此 割 之 分. 此内 ⑮. 明 治 七 年 「申年 租 税 録 」。 一343(343)一.
(10) 第7巻 一四斗. 礒七分引. 一六斗. 新三郎分引. 一・ 六升. 武三郎分引. 一七升. 八郎分引. 一四斗壱升弐合. 平三郎分引. 第1号. 〆 残百九石四斗五升七合弐勺 高百六拾八石九斗八升九合二割 石二付. 六斗六升 ツツ. 此歩百拾壱石五斗三升弐合七勺 差引 残弐石七升五合五勺. 過. 此金六拾八〆〇七十六文 (百五 十 一 文)消 内 一 金 壱 円七 銭 六 厘. 手数料掛引. 一同弐拾六銭九厘. 一ケ月分利足掛引. 差引 残 五 円四 拾 六 銭 弐 厘 六 過 右 之 通 申年 内 割 帳 へ 出 ス 此 水 相 済(1④ そ して,次 に 個 々 人 の 税 額 と,そ れ を徴 収 した 日付 と額 が記 入 さ れ て い る。 一 例 を示 そ う。 奥野新六 一高三石八斗弐升五合 取米弐石五斗弐升四合五勺 八合. 山年 貢. 合弐石五斗三升弐合五勺 代 金 八 円三 拾 銭 六 厘 六 毛 一金弐拾五銭二毛 一同五拾八銭七毛 ⑯. 村方小入用 ニケ村小入用. 明 治 六 年 「当 申 ノ御 年 貢 請 取 小 前 帳 」。 -344(344)一.
(11) 封建地代か ら地租へ(美 馬) 一同三銭. ニ ケ 村 山年 貢. 〆 九 円拾 六 銭 七 厘 五 毛 入金 九月十八 日 一金七拾五銭. 受取. 十一月十五 日 一 同 三 円弐 拾 五 銭. 受取. 十一月十九 日 一 同 壱 円拾 三 銭 六 厘 五 毛. 受取. 十一月 一 同 壱 円九 拾 銭 四 毛. 未 申講 か け銀 ふ り入 受 取. 四月十 日 一同五十銭. 受取. 四月十三 日 一五十銭. 受取. 五月二十九 日 一 同 壱 円拾 三 銭 六 毛. 受取. 〆 九 円拾 六 銭 七 厘 五 毛 右 相 済(1の 以 上 で あ る。 ま さ に,徳 川 期 の 村 役 人 に相 当 す る戸 長 が,村 民 か ら徴 収 して いた こ とが わ か る。 この よ う に,税 の 徴 収 形 態 は,徳 川 期 の 年 貢 の 徴 収 形 態 と何 ら変 わ りはな い こ とが 判 明 す る。 こ の形 式 は,明 治15年 段 階 で も同 様 で,「 田 畑 宅 地 租 税」 と 「 地 方 税 」 の二 つ を,や. は. り戸 長 が 徴 収 して い るの で あ る。 まず,前 者 を 見 て お こ う。 総 て 個 人 別 状 況 の み で あ る。 明治十五年八月 田畑 宅 地 租 税 取 立 帳 菜畑村. 戸長役場 中谷 四 郎 平. 地 価 弐 百 八 拾 七 円〇 四 銭 九 り 地 租 七 円拾 七 銭 六 厘 ⑰. 明 治 六 年 「当 申 ノ御 年 貢 請 取 小 前 帳 」。 -345(345)一.
(12) 第7巻. 第1号. 内 八月十七 日 三拾七銭. 壱期分. 十月二拾三 日 五拾銭. 弐期分. 十二月八 日 三 円五 拾 銭. 三期分. 小 以 〆 四 円三 拾 七 銭 入 引 〆 弐 円八 拾 銭 六 厘q8) 次 に,地 方 税 の 徴 収 状 況 につ いて み よ う。 (明治)十 五 年 八 月 日 地方税地価戸数割帳 菜畑村. 戸長役場. 記 地 価 耕 宅 山林 芝 一 金 三 万 九 千 四 百 三 拾 七 円四 拾 九 銭 弐 り 此 地 租 金 九 百 八 拾 八 円九 拾 四 銭 八 十 八 円三 十 四 銭 二 り 内 一 金 六 拾 九 円弐 拾 弐 銭 六 り 地方税 但 シ地 租 拾 円二 付 七 拾 銭 又 地 価 百 円二 付 拾 七 銭 五 りツ ツ ー 金 拾 九 円拾 壱 銭 六 り 但戸数百八戸割掛ケ 壱 戸 二 付 十 七 銭 七 リ ンツ ツ 壱等弐戸 一五十七銭 壱戸二付 弐十八銭五厘 ㈱. 明 治 十 五 年 「田畑 宅 地 租 税 取 立 帳 」。 -346(346)一.
(13) 封建地代か ら地租へ(美 馬) 弐等四戸 一 壱 円弐 銭 六 り 壱戸二付 弐拾五銭六厘 三等廿戸 一 四 円五 拾 六 銭 壱戸二付 弐拾弐銭八 り 四等廿九戸 一 五 円七 拾 八 銭 六 厘 壱戸二付 弐拾銭 五等拾七戸 一・ 弐 円九 拾 銭 七 り 壱戸二付 拾七銭壱 り 六等廿二戸 一 三 円十 三 銭 五 り 壱戸二付 拾四銭三 り 七等拾戸 一 壱 円拾 四 銭 壱戸二付 拾 壱 銭 四 り⑲ そ して,先. に示 した 中谷 四 郎 平 分 と して,. 中谷 四 郎 平 一金五拾銭弐 り. 地価掛 り. 弐拾銭 〆七拾銭弐 り 内三拾五銭壱厘 ⑲(明. 受取. 治)十 五 年 「地 方 税 地 価 戸 数 割 帳 」。 -347(347)一.
(14) 第7巻 三拾五銭壱厘. 第1号. 受取⑳. と,賦 課 分 が 徴 収 され て い る こ とが 判 明 す る。 な お,租 税 は地 券 に よ り税 額 が 確 定 して い るか ら,総 額 記 載 は 当 然 存 在 しな い。 と もか く,以 上 の よ うに貢 租 が地 租 へ と転 換 して も, そ の 賦 課 と徴 収 の 形 態 は,徳 川 期 と比 し変 化 が な か った と考 え られ るの で あ る。 いず れ に せ よ,一 連 の 史 料 か ら読 み 取 れ るの は,幕 藩 制 社 会 で 領 主 が 農 民 か ら徴 収 して いた 封 建 地 代 は,明 治 維 新 に よ る新 政 府 の 地 方 行 政 府 が 樹 立 され た と き,そ の 地 方 行 政 組 織 に組 み 込 まれ た 領 主 階 級 が,そ の 生 活 を 維 持 す るた あ の もの と して の 収 入 を 確 保 す る財 源 と して, 旧来 の封 建 地 代 そ の もの を,そ の ま ま の 姿 で 引 き 続 き徴 収 して い った こ とを 示 す もの で あ った と考 え られ るの で あ る。 そ して,幕 藩 制 社 会 で の 封 建 地 代 が 貨 幣 地 代 で あ った か 否 か と い う問 題 設 定 以 前 に,封 建 地 代 が 封 建 領 主 階 級 か ら明 治 政 府 下 で は其 の 名 を 官 僚 と変 え て いた と は いえ,同. じ領 主 勢 力 が そ れ を 地 租 と して 得 て いた こ とが 判 明 す るの で あ る。. 3.若. 干 の 総 括. 以 上 見 た よ う に,わ が 国 の 場 合 封 建 社 会 が 議 会 制 社 会 とな り,資 本 主 義 生 産 制 度 を 導 入 して 行 った 時,封 建 社 会 で 領 主 が 徴 収 して いた 封 建 地 代 は,結 果 的 に見 事 に維 新 政 府 の 地 方 行 政 府 の 徴 収 す る歳 入 と い う内 実 へ と姿 を 変 え て い っ た こ とが 判 明 した の で あ る。 即 ち,従 来 は個 々の 藩 主 や 家 臣 が 直 接 徴 収 して いた 地 代 が,維 新 後 は総 て が 行 政 府 に納 あ ら れ,そ. こか ら各 種 歳 費 目(例 え ば,公 務 員 にた いす る給 与)に 支 給 され る と い う形 態 に変. 化 した こ と を示 して い る。 い わ ば,公 的 な 地 代 が ま さ に公 租 へ と転 換 した こ と を意 味 す る。 この よ うな,わ が 国 の 地 代 の 転 換 を み る と,封 建 地 代(あ. くまで 領 主 が 徴 収 す る地 代. で あ り,農 民地 主 の そ れ は 小 作 料 や 賃 貸 料 と称 す べ きで あ る)が 資 本 主 義 地 代 に転 化 す る, と い う一 般 論 の 命 題 の 立 て 方 は,二 重 三 重 の 誤 りを 内 包 して い る と考 え られ る。 封 建 地 代 と資 本 主 義 地 代 の 相 違 点 は,前 者 が 公 的 な もの に対 して,後 者 は私 的 な 意 味 合 いを 持 つ も の に過 ぎな い し,前 者 が 政 治 体 制 と生 産 関 係 の 両 者 を 結 合 した 概 念 で あ るの にた い し後 者 は単 に生 産 関 係 の 形 態 に係 わ る概 念 で しか な い。 即 ち,資 本 主 義 生 産 関 係 は,な に も議 会 制 度 と い う政 治 体 制 に対 応 した もの で はな く,単 に生 産 の 形 態 に対 応 して い るだ け にす ぎ な い。 現 に,そ の エ ー トス は,用 地 を 借 地 した 資 本 家 に よ る賃 労 働 者 の 雇 用 と い う と こ ろ に存 す る にす ぎな いの で あ る。 よ って,資 本 主 義 生 産 関 係 は,封 建 社 会 にお いて 成 立 し得. ② ①(明. 治)十 五 年 「地 方 税 地 価 戸 数 割 帳 」。 -348(348)一.
(15) 封 建 地 代 か ら地 租 へ(美 馬). るの で あ る⑳。 逆 に,そ の 社 会 が 全 面 的 に 資 本 主 義 生 産 関 係,つ ま り様 式 と して の姿 を示 す こ と とな り, 議 会 制 度 が 成 立 した と き,で は あ らゆ る産 業 部 門 にお いて 資 本 主 義 生 産 関 係 が 成 立 して い るの か ど うか も,実 は確 定 し得 な い。 つ ま り,成 立 し得 な い こ と も存 在 す る と言 う こ とで あ る。 よ って,農 業 部 門 で 封 建 社 会 に資 本 主 義 的 生 産 関 係 が 成 立 した と して も,そ れ が 其 の 社 会 全 体 を 資 本 主 義 生 産 関 係 に導 いて ゆ くか ど うか 全 く解 らな いの で あ る。 否,む. しろ. 農 業 部 門 の 資 本 主 義 化 が,は た して 必 然 で あ るの か ど うか さえ 疑 問 で あ るの で あ る。 しか しな が ら,現 に英 国 で は ま さ に封 建 社 会 にお いて 領 主 が 資 本 家 に土 地 を 貸 与 して, 資 本 主 義 的 生 産 に よ って 生 産 され た 農 産 物 の 販 売 収 益 か ら地 代 を 領 主 に納 め て い るの で あ る⑳。 よ っ て,英 国 で は封 建 地 代 た る貨 幣 地 代 が,ま. さ し く資 本 主 義 地 代 に と って 代 られ. た(姿 を 変 え た の で はな い)こ と とな る。 他 方,わ が 国 で も封 建 社 会 で,そ 義 の 存 在 を 追 及 した が,せ. う した 資 本 主. いぜ い,初 期 マ ニ ュ フ ァク チ ュ アの そ れ で あ り,し か も,資 本. 家 と地 主 は一 体 の もの で あ った 。 よ って,そ の 事 実 を(つ. ま り,領 主 が 資 本 家 に土 地 を 貸. 与 す る こ とを)見 出 す こ と はで き な か った⑳。 つ ま り,日 本 で それ を見 出 す 場 合,対 象 は あ くまで 農 民 地 主 にお いて の 資 本 主 義 関 係 な の で あ り(例 え ば,地 主 手 作 り地 や 彼 の 手 に よ る農 村 工 業 で の そ れ)⑳,領 主 に と って の 地 代,つ ま り,貨 幣 地 代 に お い て,領 主 が 土 地 を 資 本 家 へ 貸 与 し,そ こか ら資 本 主 義 地 代 が 徴 収 され た と い う内 容 で は決 して な い ㈱。 ⑳. も っ と も,そ れ で は 資 本 主 義 と は一 体 どの よ うな 生 産 様 式 な の か,と い う根 本 的 な 問 題 が 問 わ れ る こ と とな る で あ ろ う。 は た して,資 本 と賃 労 働 が 資 本 主 義 の 本 質 そ の もの で あ る の か ど う か,と い う こ とで あ る。. ⑳. 椎 名 重 明(1962)「. ㈱. 中村. ⑳. 同 上 書,19-23ペ. ㈲. 哲(1961)「. イ ギ リス産 業 革 命 期 の 農 業 構 造 」 御 茶 の 水 書 房,東 京 。 明 治 維 新 の 基 礎 構 造 」 未 来 社,東 京 。 ー ジ。. わ が 国 にお け る地 主 手 作 地 や 農 村 工 業 で の 年 季 奉 公 人 や 日雇 労 働 者 を,半 リア ー トと して 呼 称 して い るが,あ. プ ロや 前 期 プ ロ レ タ. くまで そ れ は農 民 地 主 の 経 営 に対 す る考 察 で あ り,領 主 が 農. 民 か ら土 地 を 収 奪 し,そ の土 地 を 資本 家 に貸 与 し,資 本 家 が,土 地 を 収 奪 され た 農 民 を 雇 用 して, 資 本 主 義 的 農 業 を 行 い,そ の 収 益 の 一 部 を 領 主 に地 代 と して 支 払 った(こ れ が 英 国 の 事 例 で あ る が(椎 名 重 明,前 掲 書))と. い う形 態 と は全 く異 な る ので あ る。 強 い て 言 え ば,そ う して地 主 が. 収 奪 した 農 村 工 業 や 地 主 手 作 地 で の 収 益 の 一 部 が,領 主 へ の 「年 貢 」 と して 納 め られ た,と い う 点 は指 摘 され よ う。 しか し,も. し地 租 を 絶 対 主 義 社 会 で の 貨 幣 地 代 と規 定 して しま うな ら,日 本. の 社 会 で は,一 体 いつ 貨 幣 地 代 と言 う封 建 地 代 が 近 代 的 な 租 税 へ と転 化 した こ と にな るの で あ ろ うか 。 否,一 体 何 故 公 租 と して の 地 租 が 資 本 主 義 的 地 代(こ れ は,一 般 的 には 私 的 な そ れ と言 う 概 念 を 示 して い る と考 え られ る。)へ と転 化 し得 るの で あ ろ うか 。 我 が 国 で は,明 治 以 後 も農 業 に お い て 資 本 主 義 生 産 関 係 が 成 立 しな い 事 実 と,ど の よ う に整 合 性 を もた せ て ゆ くの か,は な は だ 疑 問 で あ る。 む しろ,以 上 の 点 は 史 的 唯 物 論 を 実 証 す る こ とは 現 在 まで で きて い な い,と 言 う点 に意 義 が 存 す る と考 え られ る。 な お,我 が 国 にお いて 明 治6年(1873)に が 整 うの が 同14年(1881)頃 京,445・446ペ. で あ り(下 中 邦 彦 編(1972)「. ー ジ),ま た,国 税 と して の 所 得 税 の 導 入 が 同20年(1887)(前 一349(349)一. 導 入 され た 地 租 の 実 態. 世 界 大 百 科 事 典 」18巻,平. 凡 社,東. 掲 書,446ペ. ー ジ),/.
(16) 第7巻. 第1号. よ って,資 本 主 義 的 地 代 が 成 立 す る と い うの は,領 主 の 地 代 で と い う視 点 で は全 くな い。 む しろ,も. し領 主 が 資 本 家 に貸 与 す る と して(資 本 家 が 存 在 した らの 話 で あ るが)一 体 今. 耕 作 して い る封 建 農 民 を どの よ う に扱 うの で あ ろ うか 。 彼 らは一 人 一 人 が 土 地 を 手 放 して い な い 限 り土 地 耕 作 権 を有 して お り(検 地 帳 に名 が 記 載 され て い る),封 建 農 民 か ら土 地 を 取 り上 げ る こ とな どで き は しな い。 ま して や,事 実 上 の 土 地 所 有 者 た る農 民 地 主 の 土 地 は(多. くが 小 作 人 に貸 与 され て い るが)取. り上 げ る こ とな ど全 くで き は しな い。 む しろ,. 領 主 側 が 彼 ら地 主 か ら借 金 を して,経 済 的 に依 存 して い るの で あ る。 逆 に,英 国 で は封 建 農 民 の 土 地 保 有 権 が 誠 に脆 弱 で あ るケ ー スが あ り,そ の 場 合 は,領 主 は いつ で も条 件 さえ 整 え ば封 建 農 民 を 追 い 出す こ とが で きた の で あ る。 よ って,英 国 で は封 建 地 代 た る貨 幣 地 代 が,封 建 社 会 で あ りな が ら資 本 主 義 地 代 へ と転 化 す る こ とが 可 能 で あ った の で あ る。 そ して,政 治 体 制 が 議 会 制 とな った と き,領 主 は資 本 主 義 的 地 代 か ら租 税 分 を 納 め 得 た の で あ る。 他 方,わ が 国 で は,資 本 主 義 生 産 関 係 を 導 入 す る と して,あ. くまで 主 体 は農 民 地 主 な の. で あ る。 日本 の 領 主 は,封 建 社 会 で は資 本 主 義 生 産 関 係 を 導 入 し得 な い し,明 治 以 後 はそ もそ も地 主 で はな くな って しま った の で あ る。 この よ う に,英 国 の 事 例 を わ が 国 に適 用 し て ゆ くこ と は,大 きな 誤 りで あ った の で あ る。 そ れ で は,何 故 この よ うな 誤 った 問 題 設 定 が な され た の で あ ろ う。 そ の 第 一 の 原 因 は,マ ル ク ス(実 態 はエ ンゲ ル ス)が で 示 した 「資 本 主 義 地 代 の 生 成 」 と い う言 葉 で 示 され た 内 容 が,誠. 『資 本 論 』. に曖 昧 で あ った か らで. はな い か と思 わ れ る㈱。 マ ル ク ス とエ ンゲ ル ス が示 した 貨 幣 地 代 と は,そ. こに 多 くの 概 念. が 混 入 せ しあ られ て お り,そ れ を 基 と した 議 論 を 後 の 人 々が 行 った か らで はな いか と考 え られ る。 本 来 は,そ の 混 入 を まず 正 す べ きで あ った の で あ る。 即 ち,マ ル ク ス等 は,封 建 社 会 の 地 代 が や が て 資 本 主 義 地 代 へ と転 化 す る可 能 性 を 示 す た め に,そ の 過 程 で の 様 々な 条 件 を 述 べ た の で あ るが,そ の第 一一 の誤 りは,英 国 の 事 例 の み を 対 象 と した こ と,つ ま り, 全 くの 特 殊 な ケ ー スを 対 象 と して しま った こ とで あ ろ う。 従 って,英 国 で 見 られ る様 々な 特 殊 事 情 を も って,そ れ を一 般 化 して しま った こ とに よ る もの で あ る と考 え られ る。 ま. \ ま た,地 方 税 た る府 県 税 が 同11年(1878),市 る(同 上 書,20巻(1972年),176ペ. 町 村 税 が 同21年(1888)に. ー ジ)。 い ず れ にせ よ,ま ず,我. 導 入 され て い る の で あ. 々 は封 建 地 代 と封 建 社 会 の. 地 代 を 区 別 せ ね ば な らず,ま た,英 国 と言 う特 殊 状 況 を 日本 と言 う特 殊 状 況 に当 て はめ て 考 え る こ と 自体 が,全 く意 味 の な い こ とで あ る こ と に気 づ くべ きな の で あ る。 む し ろ,遅 れ た と はい え, 日本 も資 本 主 義 化 せ ざ るを 得 な か った 事 実 こそ が,重 要 な 意 味 を 持 つ の で あ る。 ⑫ ③ 向 坂 逸 郎 訳,カ. ー ル ・マ ル ク ス著,フ. リー ド リ ッ ヒ ・エ ンゲ ル ス編(1969)『. 第 六 篇 第 四 七 章(岩 波 文 庫 『資 本 論 」8,1969年,280-329ペ. 資本論」 第三巻. ー ジ。)そ こで は 「貨 幣 地 代 は(中. 略)資 本 主 義 的 借 地 農 業 者 の 支 払 う地 代 に導 か ざ るを 得 な い 」 とい う一 文 が 存 す る。 -350(350)一.
(17) 封建地代か ら地租へ(美 馬) た,基 本 的 に は社 会 が 全 体 と して 封 建 社 会 か ら資 本 主 義 社 会 へ と必 然 的 に変 化 して ゆ く も の で あ る と い う,史 的 唯 物 論 が 正 しい理 論 で あ る こ とを 実 証 す るた め の 史 実 を 提 示 しな け れ ばな らな いの に,そ の 転 化 が 必 然 で あ る と して 論 を 展 開 して しま った と こ ろ に,問 題 が 存 した の で あ る。 結 論 が 先 に あ って,そ れ を 裏 付 け るた め の 理 由付 けを 行 って しま った の で あ る。 本 来 は事 実 を 示 して そ の 事 実 が 転 化 の 理 由付 け と して 一 般 化 し得 るか 否 か を こそ 演 繹 的 に示 す べ き もの で あ った の で あ る。 結 果,実 証 され た か 否 か は と もか く,封 建 社 会 にお いて も資 本 主 義 的 地 代 は成 立 し得 るが,し か し,そ れ が 成 立 した か らと言 って 社 会 全 体 が 資 本 主 義 化 して い る と は言 え な い こ と,つ ま り,両 者 は別 の 次 元 の 話 な の で あ る,と い う こ とが 理 解 で きな くな った の で あ る。 従 って,な. る ほ ど英 国 と い う特 殊 社 会 で は,封. 建 地 代 が 貨 幣 地 代 へ と化 し,か つ,そ の 貨 幣 地 代 が 非 常 に低 額 な もの に固 定 化 され,そ の 低 額 さが 領 主 と封 建 農 民 との 相 対 で 決 定 され て いた 。 ま さ に他 方 で,資 本 主 義 地 代 が そ こ に導 出 され て ゆ く。 つ ま り,領 主 は封 建 農 民 で はな く,資 本 家 に農 業 経 営 を ゆ だ ね,彼 か ら地 代 を 得 る と い う形 態 に転 化 して い った と い う事 実 が 存 す る。 が,こ の 時,よ. って 農 業. も資 本 主 義 化 す る,と い う考 え が 導 入 せ しめ られ て しま った もの と考 え られ る。 しか し, 本 来 英 国 で は既 に広 く資 本 主 義 生 産 が 工 業 部 門 で 展 開 し,今 や 政 治 制 度 も議 会 制 が 成 立 し よ う と して い る,あ る い は,既 に成 立 して い る よ うな 状 況 下 で,議 会 制 で も政 治 権 力 を 掌 握 しつ つ あ った 封 建 領 主 が,土 地 所 有 者 と して 土 地 を 資 本 家 に貸 与 して,農 業 経 営 を ゆ だ ね,結 果 と して 桁 違 いの 高 い地 代 を 得 る よ う にな るの は,英 国 の 特 殊 事 情,つ. ま り,地 代. の 中 間 収 奪 者 と して の 悪 魔 の 存 在 が あ った か ら に 他 な ら な か っ た と考 え られ るの で あ る⑳。 英 国 に お い て,農 業 部 門 は 社 会 全 体 の資 本 主 義 の 成 立 に対 して積 極 的 に作 用 した の で はな く,成 立 して いた 資 本 主 義 生 産 形 態 に よ って 後 追 い的 に,し か も,特 殊 事 情 に よ っ て 資 本 主 義 化(し か も,一 部 に しか 過 ぎな い)し た の が 事 実 で あ った 。 そ して,こ れ こそ が,人 間 社 会 の 全 体 と して の 基 本 的 姿 で あ る と考 え られ る。 何 故 な ら,資 本 主 義 は工 業 部 門 こそ が そ れ を 担 う第 一 の,否,唯. 一 の 産 業 部 門 で あ るか らで あ り,そ れ は,最 大 の 利 潤. を もた らせ て くれ るの は工 業 部 門 で あ るか らで あ る と考 え られ る。 従 って,農 業 部 門 が 資 本 主 義 化 す るか 否 か は実 は全 く必 然 的 で はな いの で あ る。 とす るな ら,日 本 にお いて 封 建 地 代 が 貨 幣 地 代 化 し,そ れ が 資 本 主 義 地 代 に転 化 して い た か 否 か を 追 及 す る とす るな ら,そ こで の 意 味 は,単 にそ こ に資 本 主 義 が 既 に成 立 して い るか 否 か を 実 証 す るた あ か,も. し くは,日 本 にお いて も英 国 と同 じよ うな 状 況 が 存 在 す る. か 否 か を 実 証 す るた め の もの で しか な い。 しか し,前 者 は明 らか に明 治 維 新 に よ って 資 本 ⑳. 椎 名 重 明,前. 掲 書,323ペ. ー ジ。 一351(351)一.
(18) 第7巻 主 義 化 す るの で あ る し,又,封. 第1号. 建 領 主 は版 籍 奉 還 と廃 藩 置 県 に よ って 完 全 に封 建 領 主 の 座. を 明 渡 して しま った の で あ る。 従 って,わ が 国 は英 国 と は全 く異 な った 状 況 下 に置 か しめ られ て いた の で あ る。 この よ うな 前 提 にお いて,な お か つ わ が 国 で の 資 本 主 義 地 代 成 立 の 有 無 を 追 求 す る こ と は,資 本 主 義 が 展 開 して いな い に も拘 わ らず,資 本 主 義 が 農 業 部 門 で 成 立 して いた と い う画 期 的 な 成 果 を 求 あ るた あ に行 う こ と とな って しま うで あ ろ う。 しか し,今 み た よ う に資 本 主 義 の 特 質 と して あ り得 る はず が な い と考 え られ る。 現 実 に,わ が 国 にお いて,土 地 に基 づ く農 業 にお いて 資 本 主 義 的 生 産 が 今 日に至 る まで 存 在 しな か った の は,周 知 の 事 実 で あ る。 む しろ,其 の こ とが 資 本 主 義 の 真 の 特 質 を 物 語 って い る もの と 考 え られ る。 従 って,旧 来 的 な,貨 幣 地 代 の 成 立 が 資 本 主 義 地 代 の 導 出 に いか に結 びつ い て ゆ くか,と. い う論 の 建 て 方 自体 が,実. は意 味 の な い,む. しろ誤 った 捉 え 方 で あ った こ と. に気 づ くの で あ る。 貨 幣 地 代 につ いて は,幕 藩 制 社 会 で の そ の 成 立 の 有 無 が わ が 国 の 資 本 主 義 化 の 道 程 に どの 程 度 の 影 響 を 有 す る もの で あ るか,と. い う論 の 建 て 方 で 考 察 して ゆ く. もの で あ ろ う。 即 ち,近 世 末 に全 面 的 に貨 幣 地 代 と同 等 の 地 代 が 成 立 して いた こ と,つ ま り,商 品 貨 幣 経 済 が 展 開 して いた か らこそ,わ が 国 は明 治 維 新 後 ス ムー ズ に資 本 主 義 を 展 開 せ しめ る こ とが可 能 で あ っ た と考 え られ る㈱。 ま さ に,か か る点 を確 認 す る た め の もの と して で あ る。 従 って,封 建 地 代 は当 然 公 租 と して そ の 姿 を 転 化 せ しあ て ゆ くこ とが そ の 必 然 で あ った と考 え られ るの で あ る。 最 後 に,で は封 建 社 会 の 次 に は何 故 資 本 主 義 社 会 が 必 然 的 に成 立 す るの か,と. い う点 に. つ き,筆 者 は従 来 「何 故 英 国 にお いて 真 っ先 に資 本 主 義 が 成 立 した の か 」 と い う点 と関 連 付 けつ つ,そ の 主 因 を ウ ェー バ ー が 指 摘 した 「プ ロテ ス タ ンテ ィズ ムの 勤 勉 性 」 と共 に, 「貨 幣 が 無 限 の 交 換 可 能 性 を 付 与 せ しめ られ た こ と」 に求 め て い た⑳。 と こ ろ で,拙 著 で は,プ ロテ ス タ ンテ ィ ズ ムの 真 髄 が 「勤 勉 」 で あ る と表 記 した が,よ. り正 確 に は 「予 定 説. と 自己 審 査 に よ る禁 欲 に基 づ いた 勤 勉 」 と表 記 す べ きで あ ろ う。 ウ ェー バ ー 自身 も,そ の 著 書 で は勤 勉 と い う語 は使 用 して いな い。 あ くまで,プ. ロテ ス タ ン トの 「精 神 」 を 示 した. だ けで あ る。 そ の 精 神 の 具 体 的 な 現 れ が 「勤 勉 」 と言 う行 為 で あ った と,暗 に指 摘 して い るだ けで あ る。 この 点 を,こ ㈱. こで 補 足 して お きた い。 また,彼 が もう一 点 指 摘 して いた の. よ って,貨 幣 地 代 は そ の 封 建 社 会 が 資 本 主 義 経 済 体 制 を 実 現 し得 るだ けの 経 済 発 展 状 況 を 示 し て い るか 否 か を 判 断 す る メル クマ ー ル と して の 役 割 は はた す 。 しか しな が ら,貨 幣 地 代 が 農 業 部 門 に資 本 主 義 生 産 関 係 を 導 入 して ゆ くか ど うか につ い て は,何. も言 う こ と はで きな い で あ ろ う。. む し ろ,農 業 部 門 で 採 用 され て ゆ くの は,地 主 ・小 作 関 係 で あ ろ う。 何 故 な ら,そ の 方 が 地 主 取 り分 が よ り大 き い か らで あ る(以 上 の 論 は,拙 著(2006)『 京 都 を 参 照 され た い)。 ㈲. 前 掲 拙 著,435-436ペ. ー ジ。 -352(352)一. 近 世 畿 内 在 払 制 度 の研 究 」 松 籟 社,.
(19) 封 建 地 代 か ら地 租 へ(美 馬). は,プ ロ テ ス タ ン トの人 々 は 「正 当 な 利 潤(=貨. 幣(筆 者 補 う))を,天. 職 と して 組 織 的. か つ 合 理 的 に追 求 」して い た と い うこ とで あ ったG① 。 だか らこ そ,英 国 で は最 終 的 に は貨 幣 獲 得 の 巨大 化 を 目指 して,そ れ を 最 大 限 に もた ら して くれ る資 本 主 義 と い う社 会 経 済 体 制 を 構 築 して い った の で あ る。 この 時,プ き対 象 と して 認 識 した こ とが,大. ロテ ス タ ン トが 貨 幣 を 不 浄 と は考 え ず に獲 得 す べ. きな 影 響 を 与 え た と考 え られ る。 そ して,プ. トが 「貨 幣 」 を 不 浄 の もの と は考 え ず,む. ロテ ス タ ン. しろ獲 得 す べ き対 象 と考 え だ した の は,貨 幣 が. 紙 幣 の 姿 を と った こ と(こ の こ とが,貨 幣 獲 得 の 吝 薔 性 を 薄 あ た の で あ る。),及 び,彼. ら. が 貨 幣 が 持 つ 無 限 の 交 換 性 に い ち早 く気 づ い て い た か らで あ る と考 え られ る の で あ る。 (ウ ェー バ ー は こ の 点 に気 づ か な か った た め に(そ. して,気 づ けな か っ た の は,彼 の 方 法. 論 にお いて メ タ認 知 の 程 度 が まだ 浅 く,も う一 歩 深 め る こ とが 出来 な か った 故 で あ る と考 え られ る。),ウ ェー ズ リー の 原 典 に 「史 料 操 作 」 を して しま った の で は と考 え られ る㊤D。) こ こ に,封 建 社 会 が 資 本 主 義 社 会 へ と転 化 す る必 然 性 の 根 本 的 な 原 因 が 存 在 す る と考 え ら れ るの で あ る。 逆 に言 え ば,プ ロテ ス タ ン ト以 外 の人 々 は洋 の東 西 を 問 わず ま た 時代 の新 旧 を 問 わず 鋤, 不 浄 で か つ 吝 音 の 対 象 で あ る貨 幣 を,最 大 限 に求 め る社 会 経 済 体 制 な ど追 い求 め る はず が な く,従 って,資 本 主 義 体 制 を 成 立 せ しあ る はず が な か った の で あ る(但. し,い ず れ はそ. の 構 築 が 必 然 的 で あ った こ と は指 摘 して お か ね ばな らな いが 。)。そ して,こ の こ と はわ が 国 で も例 外 で はな か った の で あ る。 我 が 国 で は,幕 末 期 に あれ 程 商 品 貨 幣 経 済 が 進 展 し, 貨 幣 地 代 と同 等 の 地 代 が 成 立 して いた に も拘 らず 資 本 主 義 化 が 外 圧 に よ って もた らされ た の は,儒 教 と い う仁 ・義 ・礼 な どを 重 視 し,結 果 と して 貨 幣 を 蔑 視 す る思 想 に縛 られ て い た か らで あ ろ う と考 え られ る。 よ って,工 業 ・農 業 部 門 と も資 本 主 義 が 自律 的 に成 立 せ し. e① 大 塚 久 雄 訳,マ. ッ クス ・ウ ェ ーバ ー著(1989)『. 神 」 岩 波 文 庫,東 京,72ペ eD安. 藤 英 治 編(1977)『. 書D4,東 勧. ウ ェー バ ー,プ. 京,185・186ペ. 大 塚 久 雄 訳,マ. プ ロテ ス タ ン テ ィズ ム の 倫 理 と資 本 主 義 の 精. ー ジ。 ロ テ ス タ ンテ ィズ ム の倫 理 と資 本 主 義 の精 神 』 有斐 閣 新. ー ジ。. ッ ク ス ・ウ ェー バ ー 著,前 掲 書,45ペ. ー ジ。 そ れ で は,ウ ェー バ ー の 言 う よ う. に プ ロテ ス タ ン トの ピ ュー リタ ン的 な 宗 教 解 釈 が 近 代 資 本 主 義 を 導 出 した と して,で は も しそ の よ うな 考 え が 生 じな か った な ら(何 故 な ら,ウ ェー バ ー は ピ ュー リタ ン的 な 宗 教 解 釈 が,人 間 社 会 に必 然 化 す る こ と に は言 及 して いな い か らで あ る。)我々 は近 代 資 本 主 義 社 会 を 構 築 しな か った の で あ ろ うか,と 言 う疑 問 が 生 じる。 結 論 を 言 え ば,今 本 主 義 社 会 は,た. 日 にみ る工 業 生 産 に重 きを 置 い た 近 代 資. とえ 時 間 はか か る に して も必 然 化 して い た と考 え られ る。 何 故 な ら,人 間 の 主. 観 が 生 み 出 し,も はや 存 在 そ の もの が 客 観 とな った 貨 幣 こそ が,人 間 社 会 にそ れ を 必 然 化 させ る 力 量 を 持 つ 根 本 的 な 存 在 で あ るか らで あ る。 従 って,貨 幣 に依 って 経 済 生 活 を 営 む,否,営 るを 得 な い人 間 は,ど. まざ. う して も,や が て 近 代 資 本 主 義 社 会 を 構 築 せ ざ るを 得 な い と考 え られ るの. で あ る。 一353(353)一.
(20) 第7巻. 第1号. め られ る こ と はな か った 。 しか し,欧 米 列 強 が 資 本 主 義 化 に よ って 国 力 を 飛 躍 的 に高 め, 他 国 を 圧 して い た 事 実 は,も. は や 貨 幣 を 忌 避 す る こ と な ど 許 さ れ る は ず が な く,こ. こ に,. 我 が 国 も明 治 以 降 強 力 に資 本 主 義 化 を 進 め ざ るを 得 な か った と考 え られ るの で あ る。. 参. 〔1〕. 安 藤 英 治 編(1977)『. 有 斐 閣 新 書D4,東 〔2〕. 池 田 末 則,横. 〔3〕. 大 塚 久 雄 訳,マ. ウ ェ ー バ ー,プ. 酒井. 文. 献. ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム の 倫 理 と資 本 主 義 の 精 神 』. 京。 田 健 一(1981)『. 奈 良 県 の 地 名 』 日本 歴 史 地 名 体 系30,平. ッ ク ス ・ウ ェ ー バ ー 著(1989)「. 本 主 義 の 精 神 』 岩 波 文 庫,東 〔4〕. 考. 一(1960)「. 向 坂 逸 郎 訳,カ. 京。. ー ル ・マ ル ク ス 著,フ. 論 』 岩 波 文 庫8,東 〔6〕. 椎 名 重 明(1962)『. 〔7〕. 下 中 邦 彦 編(1972)『 哲(1961)『. 京。. 河 内 国 石 川 家 領 の 貢 租 一 日本 貨 幣 地 代 成 立 史 研 究 の 一 試 論 一 」,. 大 阪 歴 史 学 会 編 『封 建 社 会 の 村 と 町 』 吉 川 弘 文 舘,東 〔5〕. 凡 社,東. プ ロテ ス タ ンテ ィ ズ ム の倫 理 と資. 京。. リ ー ド リ ッ ヒ ・エ ン ゲ ル ス 編(1969)『. 京。 イ ギ リ ス 産 業 革 命 期 の 農 業 構i造』 お 茶 の 水 書 房,東 世 界 大 百 科 事 典 』18巻,19巻,平 明 治 維 新 の 基 礎 構 造 』 未 来 社,東. 凡 社,東. 〔8〕. 中村. 〔9〕. 福 島 正 夫(1968)『. 地 租 改 正 』 日本 歴 史 叢 書21,吉. 〔10〕. 美 馬 佑 造(2006)『. 近 世 畿 内 在 払 制 度 の 研 究 』 松 籟 社,京. 一354(354)一. 京。. 京。 川 弘 文 舘,東 都。. 京。. 京。. 資本.
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