書評 本書は、留学をある意味究極のアクティブ・ラーニングと見なす研究者を中心 に遂行された研究課題「グローバル人材育成と留学の長期的インパクトに関する 国際比較研究」の成果報告をベースにした学術書である。これほどまでに大掛か りで包括的・多角的な留学のインパクトに関する研究成果は日本になかった。欧 米で行われてきた「留学の効果と意味」を探る大規模調査を参照しつつ、グロー バリゼーションのただ中にある日本の社会・文化における留学のインパクトを日 本で最初の大規模質問紙調査で検証した。留学経験者からの有効回答4,489件の みならず、留学をしていない対照群1,298件を交えて比較を行った量的調査の報 告として、先駆的な研究との評価が与えられるものと思われる。 本書の構成は、第1部が第1章から第3章、第2部が第4章から第12章までに分 かれる。第1部では、この大規模質問紙調査の背景情報を伝えている。日本の海 外留学政策の変遷や海外留学に関する海外の先行研究レビュー、とりわけ留学経 験の効果についての分析を詳述している。第2部では、調査報告の本編に相当し、 調査の目的と方法、データ分析の多様な観点と留学形式の類型化、大学の学部・ 大学院・高校の留学で高まった能力と意識の比較、採用・給与・昇進を中心とし た留学のキャリアへの影響、留学経験による生活の満足感、留学と世界市民意識・ 平和の意識との関係、留学経験者の雇用主調査と企業アンケートの分析、本研究 報告に関連する教育実践と社会的浸透について詳しい報告がなされている。 第1部の第1章では、海外留学促進政策の動向と課題について概観している。 まず、遣隋使や遣唐使、幕末の官費留学などによる自国の発展に資する技能・知
横田雅弘・太田浩・新見有紀子 編著
『海外留学がキャリアと人生に与えるインパ
クト─大規模調査による留学の効果測定』
澤 田 敬 人 (静岡県立大学)識の獲得を目指した文化伝習型の海外留学に一定の歴史的評価をしつつも、本格 的な外国留学支援を展開した政策・事業として、1949年の「ガリオア・フルブ ライト・プログラム」を挙げる。1952年に「日米フルブライト交流事業」に名 称変更し、1979年以来日本政府が運営費用を分担している。1949年から2005年 の長期海外留学支援の開始までを第1期、これ以後を第2期に分け、政策および 関連する事業を分類している。 2005年の文部科学省による「大学教育の国際化推進プログラム(長期海外留 学支援)」以降、海外へ留学する日本人の数が毎年減り続ける状況で大学の国際 化の機運が高まるにつれ、日本の若者を海外に送り出す政策と海外の大学と連携 した双方向の交流が必要と認識されるようになった。2009年の「長期海外留学 支援」、2011年の「大学の世界展開力強化事業」、2012年の「グローバル人材育 成推進事業」と続き第2期の政策・事業は、変わりゆく経済環境の中での国益に 通じる人材育成の仕組み作りが焦眉の急であることを示している。このように海 外留学促進政策を丁寧に概観した後に、評価体制の構築を求めるなどの示唆に富 む提言がなされている。 第2章では、欧米における留学のインパクトに関する先行研究をレビューして いる。留学のインパクトのカテゴリーとして、(1)異文化間能力・外国語運用能力、 (2)学業、(3)社会性・人としての成長、(4)キャリア・エンプロイアビリティ、 (5)社会貢献の5つの領域に分けられる。それぞれの領域について、日本国内に おける分量的に限られた先行研究を紹介している。5つの領域では留学経験が肯 定的な影響をもたらす点で有益であるとの研究結果が紹介され、第2部で詳しく 述べられる本書のオリジナルテーマによる研究課題の背景を明らかにしている。 第3章では、海外留学の異文化適応力に対する効果の測定方法について、海外 の先行研究に基づいて論じている。目下のところ確立した測定方法がないため、 実証研究を行う際には研究者ごとに異なるアプローチを採用する。そこで多くの 効果分析について「成果分析型」と「要因分析型」の二つのアプローチに大別す る。前者は海外留学の学習効果についてその要素そのものを探究する。後者は研 究者があらかじめ異文化適応力のある要素に着目し、その要素の伸長に対し海外 留学のどのような経験に効果があったのかを分析する。本書では日本人学生の異 文化適応力への効果を測定するに際し、多様な留学の形態に関するサンプルデー
タ、多角的な分析項目、量的調査を中心とした研究方法を採用するとし、説得力 のある実証的研究を進めることを期待させる。 第2部は、本調査報告の本編にあたる。第4章では、留学経験者と非経験者を 丁寧に定義したうえで、4,489件の留学経験者への調査としては、留学中の経験 や苦労、留学によって向上した能力、留学終了後の就職やキャリアへの影響、価 値観・行動の変化に関し、留学経験を振り返って回答する「回顧的追跡調査」を 行う経緯を説明した。また、本調査のために作成したホームページに質問紙をア ップし、直接回答を求める方式を採り、2015年1月から5月までの期間に回答を 促すとした。さらに、留学非経験者への調査および雇用主意識調査を補足的に行 い、大規模かつ綿密な本調査の計画を明らかにしている。 第5章では、「学部」、「大学院」、「語学学校」、「高校」の4種類の教育機関に分 けて留学を類型化し、それぞれの留学類型の特徴とそれらの留学パターンがある ことを量的なデータに基づき報告している。例として「大学院」を挙げると、大 学院留学の4類型は、人文・語学系、教養系から成る「文系1留学」、経済・経営 系、社会科学系、スポーツ・芸術系による「文系2留学」、理工系、医療・看護・ 福祉系の「理系留学」、および「企業派遣留学」である。それぞれの類型で留学 した理由が述べられている。「文系1留学」、「文系2留学」および「企業派遣留学」 では、「語学の習得」と並んで「海外の学位の取得」が理由となっている。「理系 留学」では、「海外の学位の取得」の重要度が低いとの結果を示している。高校 留学を分析する際にも類型化とそれぞれの特徴を明らかにしており、精緻な分析 による情報量の多さは特筆に値する。 第6章では、学部留学のインパクトを明らかにするために、能力の向上や意識 の高まりに関する自己評価について、学部留学経験者(1,870件)とその対照群 としての非経験者(710件)を抽出して比較考量を行った。学部留学経験者は積 極的に授業内外の活動に参加し、能力の向上や意識の高まりをより高く自己評価 する傾向がある。宿題、プレゼンテーション、宿舎・寮での交流、ボランティア 活動は、能力と意識の高まりの両方をより向上させる影響があるとする。インタ ビューによる質的データの分析や自己評価でなく他者による評価での検証を次な る研究課題として挙げているが、十分に示唆に富む結果を示しているといえる。 第7章では、高校留学のインパクトを検証している。高校留学経験者と学部留
学経験者との比較を通じて、「価値観の醸成」、「能力の向上」、「キャリアへの影 響」、「人生や仕事への満足度」、「行動の変化」という視点から分析し、高校留学 のインパクトの大きさを解明した。高校留学を重要視する人々は、学部留学経験 者と比べて異文化間交流や支援活動に対する行動の変化があったとする割合が特 に高い。これをホリスティックなインパクトと称して高校留学の意義を説明する。 第7章の報告により、留学のインパクトについて高校と大学の違いが十分に検討 されるべきであることがわかる。 第8章では、海外留学経験者は留学経験からどの程度仕事で得られる収入や待 遇の向上、さらには職業生活やプライベートな生活における満足を得ているのか を学部と大学院に分けて明らかにしている。学部・大学院それぞれのレベルで、 留学経験者は非経験者に比べて年収水準が高いだけでなく、留学経験が年収を上 げることに役立ったと実感した人の割合も高いことを実証している。また、留学 経験者は、金銭以外においても雇用や職業キャリアにおける効果を高く評価し、 プライベートな生活を含めて人生に対する充足感が高いという傾向を示した。分 野の違いが大きい大学院への留学では、留学がコストに見合う効果を生むとは限 らない。このような精緻な分析が進められており、読み応えがある。 第9章では、留学経験と生活満足度の関連を留学経験者に関するデータに基づ いて報告している。分析手法としては、重回帰分析と因子分析を同時に行ってパ ス図で分析結果を表すことで共分散構造分析を実施している。パス図を描く段階 に来てわかったことは、留学経験者の生活満足感に対しては満足感という潜在的 因子が及ぼす影響が強く、留学経験という潜在的因子が及ぼす影響は微弱という ことである。この調査の手法によって綿密な留学のインパクト研究への展望が開 かれる。 第10章では、グローバル社会での留学を検討するために、「国際的市民性」の 意識の涵養に留学のインパクトがどのように関連しているのかを明らかにした。 この章では平和や多様性の中の共生を基盤とするグローバル・シチズンシップや 持続可能性への認識、男女平等の推進に対し、留学が有効な手段であることを示 した。そのうえで留学が相互理解でなく、誤解や差別の温床になり得ることを指 摘し、相互理解のインフラとしての知の共有と創造にまずは取り組むべきと主張 する。ビジョンの深遠さに感銘を受けるであろう。
第11章では、企業がグローバル人材を採用する理由を探り、企業による海外 経験者の活用状況を明らかにしている。企業が求めるグローバル人材は、日本企 業が世界市場において優位性を維持し持ち味を発揮する推進役を担う人材である との見解が示されている。そのような目的と背景を考えると、グローバル人材を 育成するうえで海外の経験はいっそう重要性を帯びる。ただ海外経験者と非経験 者の処遇上の違いは、大企業になるほど小さい。グローバル人材の候補者は、処 遇面での優位性を得ることがない。人材確保の点から認識を変え、グローバル人 材を活用することのできる改革が必要になる。そこで「グローバル人材活用企業」 の事例紹介を行い、あるべき姿を示している。 最後の第12章では留学のインパクトを明示するために、若い世代への留学の 価値を伝える実践を紹介している。世代間交流サイトとして発展させたオンライ ン・コミュニティの「留学のすすめ.jp」と授業形式の「留学のすすめ」で、こ れらの取り組みは「グローバル人材5000」(GJ5000)という産官学連携のプロジ ェクトにより推進されてきた。抽象的な研究成果の公表に留まるのではなく、実 践的なものとして広く社会にアピールすることを目指している。 海外留学はキャリアと人生に与えるインパクトがあるものと期待されてはいた が、研究対象としてこれほど大掛かりな留学経験者に対する回顧的追跡調査を行 って包括的かつ多角的に分析した学術書はこれまで日本になかった。その意味で 当該分野の金字塔といえる。ただ所々読みにくい箇所があるが、その原因は多角 的な研究アプローチを採用しているためにそれぞれ分野の異なる先行研究の紹介 が何度も行われることにある。総勢13名の自立した研究者が自らの研究分野の 専門性を主張すればそうなることは自明である。本書は専門性の度合いに差があ ると承知したうえで編集されている。その意味で、欧米の研究紹介を先駆的に行 い、量的調査を優先させて取り組んだ本研究は、海外留学研究の歴史の一断面と して位置付けることも可能であろう。本書に刺激された海外留学の研究がさらに なされることが望まれる。 (学文社、2018年3月、A5判306ページ、定価3,500円+税)