本稿は,フランス放射線防護学会(La Société Française de Radioprotection, SFRP)の学術誌 Radioprotection と EDP Sciences の厚意によって許可を得,英語で発表 されたオリジナル原稿(LOCHARD et al, 2020)を, 安東量子,児山洋平,吉田浩子が和文訳したもので ある。EDP Sciences と SFRP の協力に謝意を表する。 なお,開示すべき利益相反はない。オリジナル原稿 の情報は以下のとおり。
J. LOCHARD, R. ANDO, H. TAKAGI, S. ENDO, M. MOMMA, M. MIYAZAKI, Y. KURODA, T. KUSUMOTO, M. ENDO, S. ENDO, Y. KOYAMA The post-nuclear accident co-expertise experience of the Suetsugi community in Fukushima Prefecture. Radioprotection, 55, 225–235 (2020) DOI: 10.1051/ radiopro/2020062
安東 量子 *1, #,児山 洋平 *2,吉田 浩子 *3 Ryoko ANDO,*1, # Yohei KOYAMA*2 and Hiroko YOSHIDA*3
福島県いわき市末続地区における原発事故後
の共有知の経験
The Post-nuclear Accident Co-expertise
Experience of the Suetsugi Community in
Fukushima Prefecture
Jacques LOCHARD,*
1Ryoko ANDO,*
2Hiroshi TAKAGI,*
3Shinya ENDO,*
4Maiko MOMMA,*
5Makoto MIYAZAKI,*
6Yujiro KURODA,*
7Takeshi KUSUMOTO,*
4Masako ENDO,*
3Setsuko ENDO*
3and Yohei KOYAMA*
6要旨:本稿は,東京電力福島第一原子力発電所から南に 約 30 km 地点に位置する末続地区における放射線防護 と,住民の居住環境の改善のために行われた共有知(co-expertise)のプロセスがたどった経緯の報告である。こ のプロセスの独自性は,地域住民が,地域のリーダーや 専門家有志らの支援を得ながら開始し,主導したという ことである。このプロセスはまた,ICRP の数名のメン バーによって定期的に見守られた。本稿の第一部では, 原子力事故のマネジメントのための共有知プロセスの基 本的な特徴について述べる。第二部では,末続地区で行 われたプロセスの各段階について報告する。第三部では,
*1 Nagasaki University Atomic Bomb Disease Institute 1–12–4
Sakamoto, Nagasaki 852–8523, Japan. E-mail: [email protected]
*2 Ethos in Fukushima 14 Karasawa, Kuroda, Tabito-machi, Iwaki-shi,
Fukushima 974–0151, Japan. E-mail: [email protected]
*3 Suetsugi Resident Suetsugi, Hisanohama-machi, Iwaki-shi,
Fukushima 979–0331, Japan.
*4 Suetsugi, Our Home Town Suetsugi, Hisanohama-machi, Iwaki-shi,
Fukushima 979–0331, Japan.
E-mail: [email protected] [email protected]
*5 Radiation Consultant at Suetsugi Suetsugi, Hisanohama-machi,
Iwaki-shi, Fukushima 979–0331, Japan.
E-mail: [email protected]
*6 Fukushima Medical University 1, Hikarigaoka, Fukushima-shi,
Fukushima 960–1247, Japan.
E-mail: [email protected] [email protected]
*7 Fukushima Prefectural Centre for Environmental Creation 10–2
Tamura, Fukasaku, Miharu-machi, Fukushima 963–7700, Japan.
E-mail: [email protected]
Radiation Protection in the World
*1 特定非営利活動法人福島ダイアログ;福島県いわき市
田人町黒田字唐沢 14(〒 974–0151)
NPO Fukushima Dialogue 14 Karasawa, Kuroda, Tabito-machi, Iwaki-shi, Fukushima 974–0151, Japan.
*2 福島県立医科大学;福島県福島市光が丘 1 番地(〒 960–
1247)
Fukushima Medical University 1 Hikarigaoka, Fukushima-shi, Fukushima 960–1247, Japan.
*3 東北大学大学院薬学研究科ラジオアイソトープ研究教
育センター;宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉 6 番 3 号 (〒 980–8578)
Radioisotope Research and Education Center, Graduate School of Pharmaceutical Sciences, Tohoku University 6–3 Aoba, Aramaki, Aoba-ku, Sendai-shi, Miyagi 980–8578, Japan.
この経験からの教訓を引き出す。その教訓とは,原子力 災害後の回復期における専門家の役割と姿勢,そして社 会的信頼(social trust)の回復に関することであり,そ れによって,共有知プロセスを明確にすることが可能と なった。 キーワード:原子力災害 / 回復期 / 共有知プロセス / ス テークホルダー・インボルブメント / 社会的信頼 / 福島 のエートス 1. 緒 論 末続地区は,福島第一原子力発電所(以下,福島第一 原発と略す。)から南に 27 ∼ 28 km の海岸沿い,いわ き市中心部からは北に 20 km に位置する。(Fig. 1)集落 の面積はわずか 7.4 km2,森林に覆われた急な斜面の丘 陵に囲まれた田畑のある谷からなっている。事故直前の 2011 年 3 月の人口は,127 世帯 479 名であった。その多 くは農業を営んだり,いわき市や双葉郡といった近隣都 市部へ通勤する昔から住む世帯であったが,一部住民は 東京電力の下請け会社で働いたり,海と山にほど近い暮 らしを楽しむために移り住んできた退職世帯もあった。 2011 年 3 月 11 日の大地震による津波は末続地区も襲 い,7 名が亡くなり,27 世帯が全半壊した。3 月 12 日, 福島第一原発の最初の水素爆発が発生した。3 月 13 日, いわき市は末続地区にバスを送り,住民たちに地区か ら「自主的に」避難するよう要請した。これは,末続地 区は政府による強制力のある避難指示区域に指定されて いなかったためである。多くの住民は地区から離れるこ とにした。3 月 15 日,政府は福島第一原発の周囲 20 ∼ 30 km 圏に居住する住民に屋内退避を指示した。ほとん どの住民がこの指示に従ったが,地区にとどまった 1 名 の高齢女性は,この間も農作業を止めなかった。4 月 22 日,政府は末続地区に対する屋内避難指示を解除した。 4 月の終わりまでに,政府は 20 ∼ 30 km 圏内の住民に 対して農作物の生産を自粛するように要請した。この要 請の結果,住民は屋外で過ごす時間が以前より少なく なった。避難から約 1 か月後,住民は地区に戻り始めた。 しかしながら,小さな子供のいる若い世帯のほとんどは 戻らなかった。 その後の期間は,自宅に戻った住民にとっては困難な 時期であった。環境中の放射能の存在によって懸念が膨 らむ一方,それに関する情報もなく,まったくどうすれ ばいいかわからないという感覚を抱くこととなった。こ の感覚は主として,メディアによって報道された膨大な 量の情報によって強められた。その情報の多くが理解し がたく,矛盾するものであった。このような背景があり, 2011 年の夏,末続地区の一人の住民は他の住民の助力 を得て,集落内の放射能を測定する取組みを始めた。こ の出来事は,末続地区のコミュニテイと専門家有志達に よるこの後数年にわたる模範的な協働経験のはじまりで あった。 本稿の第 1 部では,原発事故後,被災した人びとの放 射線防護と居住環境を改善するための共有知プロセスの 基本的な特徴について説明する。第 2 部では,末続地区 で行われたプロセスを段階ごとに詳述する。第 3 部では, 関与した専門家の役割と姿勢,そして社会的信頼(social trust)i の回復という観点のみならず,原発事故後の課題 に取り組むための共有知プロセスを可能にした状況と方 法について,末続地区の経験からいくつかの教訓を引き 出す。 Fig. 1 末続地区の位置 (※内閣府資料に未続の場所を付記した。) i 社会的信頼(social trust)は,社会科学の概念のひとつ。社会 における誠実さ,善意,他者への信頼感といった,漠然とし た人間への信頼を表す。こうした信頼関係を,社会を円滑に 動かすことを可能とする社会資本(social capital)の一つとみ なす考え方である。
2. 原子力事故のマネジメントのための共有知プロセス 原発事故後という状況における「共有知プロセスii」 という概念は,住民の防護と生活状況の両方の改善のた め,被災地の住民やその他のステークホルダーの放射線 状況の管理への参加を目指したエートスプロジェクトを 背景として,1990 年代後半,チェルノブイリ事故によっ て被災したベラルーシの集落で登場した1)。フランスの 専門家たちからなる学際的グループは,村人たちの大き な懸念を解決するために,3 年間彼らとともに活動をし た。彼らの大きな懸念とは,村内で生産される牛乳と食 肉の放射線水準の改善,家庭内の暖房や調理用として周 辺の山林から取ってきた木材の使用の結果生じる放射性 物質を含んだ灰の取り扱い,村内に存在する放射性物質 について子供と若い世代への教育,そして,子供の内部 被ばくの軽減であった。エートスプロジェクトは,放射 線状況の特徴を把握するための測定と共に行われた専門 家と被災者の対話(ダイアログ)によって,住民の防護 と生活状況の改善へ地域のステークホルダーを直接参加 させることが実現可能であることを示した。被災者が一 度喪失してしまった生活のコントロールを取り戻し,そ して当局や専門家に対する信頼を再構築するための効果 的な手段であることが示されている。また,専門家にとっ ては,人々の選択の自由を尊重するという明確な倫理的 立ち位置を採用することも重要な点であった。エートス プロジェクトは,国際連合開発計画(the United Nations Development Programme, UNDP)によって,コミュニティ
をベースにした環境教育に関連するプログラムの促進の ための技術的な支援のあり方を確立した重要なモデルと して認定された2)。 共有知プロセスは,ベラルーシにおける公衆の自助的 な防護活動を促進する,いわゆる実用的な放射線防護文 化の開発を引き継いだ 2000 年代前半の国際的な CORE プログラムのフレームワークで発展したものである3)。 より近年では,福島の事故後の日本の被災コミュニティ で得られた経験を通じて,より練られたものとなっ た4–7)。 方法論的な観点から見ると,共有知プロセスはリスク・ ガバナンスの分野における進展に基礎を置いている8)。 その現実的な実装は,4 つの連続的な段階で構成される プロセスである(Fig. 2)。 最初の段階は,被災地のステークホルダーとの間にダ イアログを構築し,彼らが直面している問題等を認識す ることを目的とする。これは,当局,専門家,あるいは 被災者自身によって始められうる。ダイアログを通じて, 被災者は放射線のリスクについての質問を専門家に尋ね る。専門家にとっては,被災者との協働作業の機会とな り,放射線状況の特徴を明確にし,コミュニティにおけ る放射線防護と生活条件を改善するための方法を提案す る。 第 2 段階では,被災者が日々の生活のなかで,いつ, どこで,どのように被ばくしたかを理解できるよう,彼 らが個人の被ばく線量の測定とともに,居住地に存在す る放射線の測定を行えるようになることを目的とする。 被災者自身が放射線測定に関わることによって,被災者 にとって「見えていないもの」を可視化することが可能 となる。当局によって実施される包括的モニタリングや 被災者自身によって実施されるセルフ・モニタリングに
ii ICRP Glossary entry(7 March 2019)では,専門家と地域のステー
クホルダーが,「科学的な知識」と「地域社会や文化に固有 な知識」を「共有」するプロセスであると説明されている。 またそれは,生活環境を改善するために,彼ら自身で地域の 放射線状況を理解し,行動を展開することでもある。(http:// www.icrpaedia.org/Co-expertise) Fig. 2 共有知プロセスの段階
おいても,人々の測定への関与は積極的に展開されるべ きである。自分たち自身で測定することによって,被災 者は直面する放射線状況に対して,徐々にコントロール することを得ていく。より有意義にするためには,放射 線源の測定から,被ばく経路を通じて人々が受ける被ば く線量の測定へ段階的に行われる方がいいだろう。これ までの経験から,コミュニティの状況を議論するために 測定結果を共有することは,それぞれの個人が,自分た ちの状況を理解し,自分たちの防護を改善する機会を見 極めることを可能にする有力な手段であることが示され ている。 第 3 段階は,防護の行為の認識と実行を目的とする。 共に測定を行うことによって,被災者と専門家の双方 が,個人の被ばくの原因を分析・理解できるようになり, かつ,被災者個人の被ばくを減少させる適切な防護の行 為をさがすために必要な情報を提供することが可能とな る。そして,被災者個人が自助的な防護活動を認識でき るようになると同時に,当局による防護対策を見直し, 必要であればその改変を可能にする。これらの自助的な 防護活動を達成するためには,公的機関と民間部門(専 門家と政府・自治体)からの支援は欠かすことができな い。なぜならば,そこには必然的に技術的,人材的リ ソースが集まっているからである。このプロセスから得 られた経験は,関連する放射線についての基準の再検討 に役立ちうる。また,放射線測定と,それにより放射線 状況をコントロールする解決策を見つけることは,人々 の放射線防護への懸念と,生活を楽しみたいという願い の間のバランスを取ることにつながって行くことも示さ れた。共有知プロセスは,地域のステークホルダーが十 分な情報を得たうえで,自らが放射線防護に関する決定 を行うことを可能にするものである。 第 4 段階は,市民による見守り(FLWL]HQ¶V YLJLODQFH)iii を組織化し,専門家の支援を得て,地域のプロジェクト を実施することとなる。その目的は,コミュニティにお いて放射線の状況について「市民による見守り」を促進 できる放射線モニタリングのプログラムを用意すること である。これは,地域の放射線状況の特定の局面をモニ ターするために,地域の人々と専門家による共働のプロ ジェクトの実施につながる可能性がある。また,コミュ ニティの持続的な暮らしの回復を目的とした地域プロ ジェクトの発展へもつながるものである。このようなプ ロジェクトを異なる分野(放射線防護,教育,社会活動, 文化,記録,経済等)で実施する際にも,地域の放射線 状況と,コミュニティの社会的・経済的な状況を反映し, 個人の充足度(well-being)ivと,被災コミュニティの暮 らしの質の向上に資するべきであることを経験は示して いる。専門家の支援を得たうえでのステークホルダー間 (地域の住民,地方行政,職業者,民間団体等)の協力は, このような地域プロジェクトを効果的に実施するために 必須の条件である。 共有知プロセスは,放射線に曝される人々にとって有 意義であるためには,放射線防護の知識は,住民の日々 の現実に根をおろしていなくてはならないという認識に 基づいており,彼らの将来の暮らしを向上させることに もつながっている。このプロセスは,人々が直接関与す ることによってのみ可能となる。また,専門家から得た 特定のスキル,放射線測定の適切な方法,そして,政府 や自治体からの支援を動員する必要がある。そしてこれ は,時間がかかることでもある。成功のための鍵は,科 学と技術を,原子力災害により人々が直面する具体的な 問題を解決することに役立たせることである。 3. 末続での共有知プロセス このセクションでは,2011 年の原子力発電所事故か ら 2020 年初頭までの共有知プロセスの進展を報告する。 3.1 住民による最初の取り組み 建設業と農業を営んでいた遠藤眞也氏は,数か月に及 んで強いられた無為の時間の後,身動きできない状況に 耐えかねていた。そして,末続地区のどこがどの程度汚 染されているのかを調べるための測定活動を開始する旗 振りをはじめた。地域の放射線状況をよく知ること以上 に,彼の目的は,なによりも集落での農業を再開の可能 性について知ることだった。2011 年冬,いわき市から 無料で借りた測定器,末続地区からの金銭的な支援,そ して,集落全体の有志グループのサポートを得て,彼は iii 原文の「vigilance」は本来,「危険に対する警戒」を意味する
言 葉 で あ る。ICRP138 Ethical Foundations of the System of Radiological Protection(48)では,用心深い(prudent)態度 を 取 る と い う こ と に は, 放 射 線 の 影 響 に 対 し て「 警 戒 (vigilance)」する責任が生じ,被ばくした住民のモニタリン グとサポートという責務を担うことである,とある。ここで いう「用心深さ」というのは具体的に,不確実性を減らすため, 放射線やその他の要因によって引き起こされる可能性のある 病状を特定,必要であれば治療し,疫学,放射線生物学,計 測学などの研究を行う義務を意味する,と述べられている。 (https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/0146645317746010)本 稿においては,「vigilance」に関する活動をより具体的にイメー ジできるように,「見守り」という表現を使用して意訳した。 iv 身体面だけでなく,精神面や社会面も含めた「健康」に対す る充足度としての well-being。
集落全体の空間線量,特に水田と家屋の周辺の測定を 行った(Fig. 3)。さらに彼のグループは,土壌サンプル を採取し,事故直後から測定を開始していたいわき市内 の民間企業で測定を行った。この取り組みを歓迎,支援 し,測定結果を信頼した集落の住民は総じて多かった。 そのうちの 5,6 名には強い絆が生まれ,共有知プロセ スの中心メンバーとなった。なかでも,高木宏氏は一年 後に区長となり,その後,このプロセスを大きく助ける こととなった。 これらの測定結果に基づき,氏は集落全体の汚染地図 を作成し,それぞれの区画の対照的な状況が明らかに なった。しかしながら,氏は結果をわかりやすく説明す る専門的な知識を持たなかったため,共通の友人を通じ て,非営利団体「福島のエートス」の安東氏に連絡をと ることとなった。彼女は,末続から遠くない自分の集落 で放射線の状況についての勉強グループをすでに作って いた。末続の測定結果の分析は,空間線量と土壌汚染の レベルは比較的低いことを示していた。安東氏は,その 上で,個人線量を測定し,地域の空間線量の測定結果と 関連づけることを住民に提案した。 空間線量を測定し,集落の全般的な状況について話し 合うための最初の住民の集いは,2012 年 3 月 31 日と 4 月 1 日に,福島県立医科大学の放射線科医の宮崎真医師 の支援を得て開かれた。宮崎医師は安東氏の招きによっ て,末続地区で開始されていたプロセスに,ボランティ アとして 2012 年 3 月に加わった。この 2 人が最初に出 会ったのは,安東氏によって開かれた彼女の集落の状況 について話し合う集まりに際して,ツイッターで会った ということは付記しておいてよい興味深い事実である。 これらの初期の取り組みと,それに続いたプロセスにお いても,ソーシャルメディアは重要な役割を果たすこと になる。個人線量の測定は,十数台の個人線量計を福島 の事故後の活動に関わっていた地域の NGO から借り受 け,2012 年 4 月に始まった。当初,6 名が 3 ∼ 4 週間, 個人線量計を装着した。末続に育ち,いわきで働いてい た楠本氏も安東氏に協力し,宮崎医師がデータを分析し た。 3.2 ICRP との対話 安東氏は,2012 年 2 月から福島ダイアログの取り組 みに関わっており,伊達市で開かれた第 3 回ダイアログ ミーティングを利用して,ICRP の代表派遣団を末続地 区に招いて,住民たちと会う機会を設けた9–11)。数十名 の住民とメディアの記者たちが集会所に集まり,自分た ちの懸念を表明し,集落の放射線状況に関する多くの質 問を投げかけた(Fig. 4)。末続のリスクは何か? 私た ちの子供たちは,孫と一緒に私たちを訪ねてくることが 可能なのか? 畑で育てた野菜を食べることができるの か? 農業を再開することができるのか? 除染はどの 程度効果的なのか? 開始時には,住民の間にはかなり の緊張感が満ち,数人の参加者からは怒りさえ見てとれ た。しかし,建設的な対話が徐々に積み重ねられていっ た。 リスクについては多くの質問があったが,ICRP メン バーは,究極的には,それぞれの人が住む場所や日々の 行動,ライフスタイル次第であると説明した。集落の放 射線状況に関する正確な情報がなければ,それらの質問 に答えるのは困難だった。ICRP メンバーは,いつ,ど こで,どのように住民が被ばくしているのか,よりよく 理解するための手順を踏むことを参加者に助言した。そ して,測定の実施と,その結果を説明できる専門家との 関係を構築することを提案した。 この最初の訪問に引き続いて,ICRP メンバーは定期 的に末続へ戻ってきた。2012 年 7 月から 2019 年夏まで Fig. 3 2011 年冬の末続地区の空間線量地図抜粋(単位:毎時マイクロシーベルト)
に,彼らは末続を 13 回も訪れた。毎回集まりは,双方 にとって実りある意見交換の機会となった。ベラルーシ での共有知の経験を生かし,住民は,ICRP メンバーか らいくつもの有益な助言を得ることができた。他方の ICRP メンバーは,これらの訪問を経て,共有知プロセ スのメカニズムの理解を深めることができた。2013 年 11 月,いわき市で第 7 回 ICRP ダイアログが開催され, 末続の住民はこれに参加した。この際に,末続の住民と ICRP メンバーの間の車座集会が開催され,安東氏が議 論の進行役となった。 3.3 除染と廃棄物問題 末続の除染は,環境省の支援を得て,いわき市によっ て実施された。2012 年の冬に始まり,2013 年の夏に終 了した。住民が強く待ち望んだことではあったが,集落 内に除染した放射性廃棄物を保管するとなると,住民の 除染に対する気持ちは複雑になった。末続地区内の住宅 地から離れた場所にいわき市が汚水処理施設を所有して おり,住民との数回の話し合いののち,その施設の近く に廃棄物は一時的に保管することが決められた。しか し,この決定の潜在的な健康影響について強く懸念して いる住民もいた。除染作業がすでに十分に進んでいた 2013 年 3 月,3 回目の ICRP の訪問がちょうど行われ, 共有知プロセスの中心メンバーは,仮置場と除染現場へ の訪問を企画した。多くの住民にとって,これが除染作 業の効果と仮置き場に関するリスクについて質問する機 会となった。敷地内に積まれた廃棄物の袋から数メート ル離れたところの放射線量は,集落内の線量と同じ程度 であることを示した。敷地内の空間線量の測定だけでな く,仮置き場の計画と運用の説明は,徐々に住民たちを 安心させた(Fig. 5)。集会所で開かれた報告会の際に, ICRP メンバーは参加者に,仮置き場の放射線量を自分 自身でモニターすることを助言した。 2013 年秋,いわき市は末続地区に対して,市の焼却 場で発生した飛灰を地区内で保管することを提案した。 そして末続地区は,いわき市から測定活動の支援を受 ける条件のもと,提案を受け入れた。いわき市は,住民 が自分自身で測定を行うことに対して消極的であったた め,交渉は数か月に及んだ。しかし,最終的に,内閣府 の原子力被災者生活支援チームがいわき市役所を訪れ, 直接いわき市幹部と相談し,末続地区へ補助金をつける ことをいわき市は受け入れた。この補助金の財源は,原 子力災害の被災地における復興プロジェクトの国家予算 であり,末続地区がこの補助金を得るためには,いわき 市が日本政府へ申請を提出することが必須だった。政府 職員が地方自治体に直接相談をもちかけることはきわめ てめずらしく,事故後の復興においても,おそらく異例 なことであった。末続地区は,焼却施設の飛灰受け入れ と引き替えに,1 時間毎線量を記録する(積算型)個人 線量計 D-シャトル12)と,独立した専門家である福島県 立医科大学の宮崎医師と,京都女子大学の核物理学教授 である水野義之博士による仮置き場のサーベイランスの ための予算を得た。福島の事故後,水野博士は放射線リ スクに関する情報発信を行っていた13)。 後に,ICRP メンバーは,住民と共に数回にわたって 仮置き場を訪れ,除染廃棄物と飛灰両方の測定結果を彼 らと一緒に分析し,議論した。この飛灰については,当 初計画された保管方法に懸念を示した末続住民の要望に Fig. 4 2012 年 7 月に末続地区で行われた ICRP との集会 Fig. 5 仮置き場での住民による測定
よって,より安全なコンテナに変更されたことは記して おくべきことだろう。一連のこの経験は,低レベル放射 性廃棄物の保管に懸念を持つ住民が,彼らの将来に関す る意思決定プロセスだけでなく,放射線モニタリングに も関与することが可能であることを示している。除染に よる放射性廃棄物の保管によるリスク評価で得たノウハ ウを用い,住民がさらなる廃棄物の受け入れ交渉をする ことができたことは特筆すべきことである。最終的には, 2020 年始めまでに,除染による放射性廃棄物は双葉と 大熊の中間貯蔵施設に,飛灰は富岡の最終廃棄物処分場 に移送されることとなった。 3.4 ホールボディカウンター測定 2013 年 4 月,宮崎真医師の支援のもと,末続地区と 福島のエートスによる最初のホールボディカウンター測 定が行われた。124 名の老若男女の住民が,末続地区か ら約 60 km 離れた福島県の平田中央病院に向かって,2 台のチャーターバスに乗車した。翌月 5 月の集会では, 測定結果が議論された。多くのライフスタイルと食習慣 の違いがあったにもかかわらず,放射性セシウムのレベ ルは,ほとんどの住民で検出限界以下であった。これは 参加した住民にとっては喜ばしい驚きであり,この結果 を見て,住民の多くは安心し,測定を続けないことにし た(Table 1)。 2 回目の測定は 2013 年 10 月に行われ,その後 2016 年の終わりまでに年に約 2 回続けられた。検出可能な線 量であった人数は減少し,汚染レベルの低下が結果とし て示された。 内部被ばく測定の実施と,初回での予想以上の喜ばし い結果にもかかわらず,住民は地元の生産物,特に事故 前は非常に一般的であった山林で採れる物を食べること に対しては消極的だった。その根強い懸念に対して,末 続地区の中心グループは,2013 年 7 月の ICRP メンバー 4 回目の訪問の際に,庭で採れた食べ物の測定会を開い た(Fig. 6)。それぞれの食べ物の出所,つまり,店舗, 家庭菜園,山林といった違いによる食品中に含まれる放 射性物質の特性を議論する機会となった。測定会への参 加者は,カリウム 40 とセシウム 134,137 の測定値の解 釈や,ほとんどのホールボディカウンターの測定結果が 検出限界以下であった理由などについて質問をした。彼 らは,検出限界を超えたわずかな事例について考えられ る理由や,食生活を変えることの有効性と ICRP メンバー によって提供されたベラルーシの結果との比較などを検 討した。そして集会は,測定ずみの食品を使って作った 料理とともに,あたたかい雰囲気で終了した。 1 年後,2014 年 5 月の 5 回目の訪問の際に,ICRP メ ンバーは住民と,もう一度ホールボディカウンターの測 定結果と,個人の食生活の選択による影響について議論 した。1 人の住民女性は,夫が最近好物であるタケノコ を掘るために森に再び行き始めたと語った。その夫は, タケノコを測定した結果,わずかながらの汚染はあった ものの,好物である新鮮なタケノコを味わいたいという 思いと,放射線に対する恐れのバランスを取り,タケノ コを食べることに決めたという。ICRP メンバーは,内 部被ばく線量へのタケノコ(シーズン)の影響を確かめ るために,夫に次のホールボディカウンター測定への参 加を提案するように女性にアドバイスをした。このよう な話は,被災者が暮らしに自信を取り戻すために,個人 線量測定の重要性を強調しうるものだろう。一方で,原 発の潜在的な問題を理由に,末続に戻らなかった家族に ついて述べた参加者もいた。 Ta ble 1 集落住民のホールボディカウンターによる放 射性セシウムの測定結果 測定人数 検出限界値超 の人数 Bq/bpdy April 2013 124 8 420–1,200 October 2013 39 0 – July 2014 39 0 – June 2015 45 1 510 October 2015 31 0 – June 2016 30 0 – November 2016 25 1 320 Fig. 6 2013 年 7 月の住民による食品測定
3.5 D-シャトルの経験 2014 年 4 月,(株)千代田テクノルは末続地区に 30 個の D-シャトルを貸与した。この取組には,いわき市 も政府も関与していない。原発事故後,福島県の住民 とかかわるようになった東京大学の物理学者早野博士14) の仲介を通じて,住民は測定を実施した。2015 年 1 月, いわき市は末続地区と公式に協定を結び,D-シャトル を有料で借受けることが決まった(3 章 7 節参照)。契 約は,1 年間に 100 台借受けるというものであった。し たがって,2015 年 1 月から 2016 年 4 月までの期間,総 計 130 個が末続地区のほぼ全世帯に配布された。測定の 結果,外部ばく線量のレベルは年間 1 ミリシーベルトを 下回るか,あるいはわずかに上回る程度であることが明 らかになった(Fig. 7)。 この試みには少なからぬインパクトがあった。それぞ れの住民が自分の外部被ばく線量を知ることができただ けでなく,なによりも宮崎医師の説明のおかげで,彼ら はどのようにして,この被ばくを受けるのかを理解でき るようになったのだ15)。住民は,集会所で一緒に測定結 果を議論することで,日々の生活における行動と被ばく の直接的な関連性を認識することが可能となった16)。こ のような経験を経て,集落内の雰囲気はより明るくなり, 下の証言が示すように,住民はより自信と落ち着きを取 り戻した(Box 1)。 Box 1 個人測定の役割についての遠藤正子さんの 証言 宮崎先生が,ひとりひとりの住民と顔を合わせて, データの意味を説明して,質問に答えてくれました。 私の外部被ばく線量をただ測るだけではなかったん です。グラフを使いながらの先生の説明は助かりま した。この説明がなければ,それはただの数字に過 ぎなかったでしょう。私は,数字を自分の生活とつ なげることはできなかったと思います。先生の説明 を聞いた後,私はその「つながり」がわかり始めま した。たとえば,なぜある日は線量が低いのか,少 しずつ,私は自分の線量と自分の行動が関係してい るとわかりはじめたのです21)。 3.6 完全な末続の祭りの再開(2014 年春) 末続地区には,毎年 4 月の第一週の週末行われる祭り がある。御神輿をかついだグループが海に入るとき,そ れが海辺で行われる儀式のハイライトだ。2011 年 3 月 の事故直後,末続地区は政府の屋内退避指示下にあった ため,祭りは行われなかった。しかしながら,2012 年 4 月には住民はすでに,津波による被害のため海辺での儀 式は行わないかたちでの祭りの再開を決めていた。2014 年 4 月,海辺での最後の儀式を含んだ完全なかたちでの 祭りが再開された(Fig. 8)。若い世代の多くは避難して おり参加しなかったが,祭りの再会は,コミュニティの 社会的なつながりを再構築するために重要なステップで あった。ICRP は,2016 年の末続の祭りへの正式な招待 を受け取った。 3.7 地域プロジェクト それまで展開されてきたさまざまな測定活動をひと Fig. 7 2015 年の末続地区住民の年間の外部個人実効線量分布(単位:1 年当たりのミリシーベルト)
つにまとめるという構想が,時間の経過とともに徐々 に具体化してきた。ICRP ダイアログの取組みの一方で, 2011 年 10 月に安東氏はベラルーシを訪問し,ベラルー シのブラギン地区の CORE プログラム17)の枠組みの中 で設立された,放射線環境管理センターを兼ねた食品測 定所を視察した。その際に,安東氏は住民の関与を定着 させるためには,そのような測定所を作ることが重要な 要素であると認識した。問題は,測定を行うための場所 と人を見つけることで,十分な運営費なしには,実行す ることが難しいままだった。 末続地区に飛灰の受入が提案されたとき,地区の区長 となった高木氏は,個人の被ばく線量測定のための自治 体からの予算を望んでいた。この提案は,飛灰を受け入 れるのと引き替えに測定の運営費の交渉をする好機と なった。ボランティア活動として始まったことが,2015 年 1 月から「末続プロジェクト」と呼ばれるより包括的 な活動となり,ついに予算もついた。その活動の内容は 以下のとおり。 ―地区への D-シャトル線量計の配布; ―年に 2 度のホールボディカウンター測定; ―測定を担当するパートタイムの相談員への支援; ―週に 1 度の集会所での食品測定会; ―4 か月に 1 度のニュースレターの発行; ― 福島県立医科大学の専門家からの科学的・技術的な 支援; このプロジェクトの枠組みのおかげで,末続地区の住 民は週に一度集会所に行き,農産物を測定し,プロジェ クトの相談員として雇用された門馬麻衣子氏と,その結 果について話すことができるようになった。門馬氏は, 末続地区の近隣の四倉町の住民であった。彼女の役割は, 住民によって持ち込まれた食品サンプルの測定をするだ けではなく,地区の農産物に含まれる放射性物質につい ての情報を提供し,また,住民からの内部・外部被ばく に関する質問に答えることだった。 ニュースレター「すえつぎだより」は,測定結果と, 地区の暮らしに関する一般的な情報を,すべての住民と 共有するためのものだった。同時に,事故の後に地区か ら離れ,別の場所で新しい生活を送る人たちとのつなが りを維持するためのものでもあった。そして,ニュース レターはプロジェクトの中心グループが作成した。門馬 氏と支援者の男性 1 名が素材を集め,記事を書き,安東 氏がそれを編集した。これまでに,15 回ニュースレター は発行された(Fig. 10)。 プ ロ ジ ェ ク ト は,2015 年 1 月 か ら 2017 年 3 月 ま で の期間はいわき市から財政的支援を受け,2017 年 4 月 2020 年 3 月までは福島県立医科大学からの支援v を受け た。これらの支援を見つけるのは容易ではなく,多くの 時間と労力を要した。末続の住民が最終的に希望に合っ た支援を得ることができたのは,彼らのしぶとさと,多 くの国内外の専門家に認められた活動の質の高さによる ものである。 2014 年 12 月,ICRP メンバーの 7 回目の訪問が行わ れた。その際に,共有知プロセスのリーダーたちは「ロー カル・プロジェクト」について説明した。彼らは,いわ き市との交渉結果に自信を持っており,懸念はすでに次 Fig. 8 2014 年 4 月に行われた末続地区の見渡神社例大祭 Fig. 9 末続地区の放射線相談員の仕事の様子 v 環境省による放射線の健康影響に係る研究調査事業(2017 年 度∼ 2019 年度)
の段階に移っていた。放射能の存在が住民の行動や人間 関係に及ぼす影響だけでなく,子供のいる若い世帯が戻 らない問題,近隣地域との考え方の違いについての議論 が行われた。特に,原発事故後の経験が,地域の絆を強 めたという事実が強調された。住民にとって,このよう な事故の社会的な帰結は,放射線への懸念よりも重要な ことであった。 3.8 経験の拡散と伝承 末続の経験は,福島での ICRP ダイアログの取組みに よって非常に早い時期から発信されており,福島の事故 後の復興プロセスに関する日本の政策にも直接な影響を 与えた。2012 年 7 月の ICRP ダイアログミーティングに, 内閣府の原子力被災者生活支援チームのメンバーが訪 れ,安東氏と会った。その後彼らは,複数回にわたって 末続を訪問した。2013 年秋に政府が公布した「帰還に 向けた安全・安心対策に関する基本的考え方」における 被災地域の住民を支援する「地域の相談員」のアイディ アは,末続地区の活動に着想を得たものである18)。この アイディアは,避難指示が解除された地域で,放射線防 護に関する情報や助言を人びとに提供するための制度と なり,重要なものであり続けている。 2014 年暮れ,東京で開催された福島県内でもっとも 放射線の影響を受けた浜通りの町村の代表が集う会議 で,安東氏と宮崎医師は,他の地域には知られていなかっ た末続の経験を紹介し,専門家からの技術的支援の重要 性を強調した。後日,その経験をより深く理解するため に,近隣地域の代表者が末続地区を訪問した。 2016 年 9 月と 2017 年 8 月の 2 回,広島大学の「放射 線災害からの復興のためのフェニックスリーダー育成プ ログラム」の学生たちが,授業の一環として,末続で フィールドワークを実施した。学生たちは集会所に迎え られ,住民によって取り組まれた放射線防護の活動だけ でなく,住民の津波や原子力事故の経験の話に耳を傾け た。その後は,地区内にある津波から村を守るための新 しい防潮堤や,除染廃棄物の仮置き場などを見学した。 そして集会所に戻り,食品測定会や,個人的な経験を話 すためにやってきた住民とのダイアログにも参加した。 この学生のフィールドワークに協力した末続の住民は, たくさんの詳細な経験を彼らに話し,自分たちの経験を わかちあえたことに大きな喜びを覚えていた。 やがて,共有知プロセスに関わっていた者たちは,生 活環境回復の道のりについての住民の証言とともに,原 子力事故後に得られた可能な限りの放射線状況に関する 情報を集める必要を感じるようになっていった。コミュ ニティの経験を現在や未来の世代に伝えたいという願い によって,2017 年に「末続アトラスプロジェクト」が 安東氏によって開始され,最終的に福島県立医科大学か らの予算viを得た。共有知プロセスに関わった専門家の 科学的,技術的支援の助力を得つつ,安東氏が中心となっ てこのプロジェクトは進められている。 これらの取組みを超えて,末続は次第に,国内外の専 門家からなる数多くの代表団によく知られた場所になっ ていった。彼らは,地域住民の関与とエンパワメントの プロセスと,それらの活動の性質をより理解したいとい う関心を持っていた。2017 年 7 月の事務局長の訪問を 含め,フランス放射線防護・原子力安全研究所(IRSN) の専門家は複数にわたって末続を訪れた。フランス原子 力防護評価センター(CEPN),ノルウェー放射線原子力 安全庁(DSA),そして,原子力緊急事態後の医療と健 Fig. 10 すえつぎだより 2015 年 7 月号 vi 環境省による放射線の健康影響に係る研究調査事業(2017 年 度∼ 2019 年度)
康管理の改善に焦点をあてたヨーロッパの「SHAMISEN プロジェクト」の専門家なども続いて訪れた。末続は, 高校生だけでなく,福島県外から何組みもの代表団を迎 えた。 3.9 「見守り」を続けること 個人の被ばく線量を懸念するだけにとどまらず,末続 の住民は,地域全体の放射線状況の変化もモニターした。 この見守り活動は,除染廃棄物の保管と,いわき市から 飛灰の受入の際にも行われてきた。住民グループは安全 性を確かめるために,定期的に仮置き場を訪れ放射線測 定を行った(Fig. 11)。住民が D-シャトル線量計を携帯 するようになってからは,個人の被ばく線量を評価する だけではなく,空間線量の上昇をモニターするための手 段としても使われた。福島第一原子力発電所での不測の 事態は常にありえると感じられており,それに備えての ことである。D-シャトル線量計の主機能は,個人の被 ばく線量をモニターをするためのであったが,住民は自 発的にアラーム機能を付け足した。 住民の集団的な見守りの取組みは,内部・外部被ばく の測定と,農産物に含まれる放射性物質のモニターとを 結びつけることによって,次第にコミュニティにおける 社会的信頼の回復に寄与した19)。さらに,専門家たちは 定期的に末続を訪問し,地域への関与を明確に増やして いった。地域の放射線状況が前向きに変化していること が確認されたことも,社会的信頼の回復に貢献した20)。 住民と一緒に撮影されたビデオ「信頼を取り戻す・末続 地区の経験─原発事故の後で」では,住民がそれを非常 にわかりやすく表現している。「末続を見てくれている 人がいるんだ,動いてくれる人がいるんだ。そういうの で,すごく安心感というか,お話が信じられるというか, 本の中のお話ではなく。こう,ホッとしたというか。安 心ではなく,ホッとした。」21) 時間が経ち,食品を測定する住民の数も徐々に減って きた。状況を伝え続けるために測定を継続している他の 人を信頼し,自分では測定をやめた人たちもいる。この ことで,彼らの負担は軽減された。別の人は,測定の結 果を見て,それまでの測定の態勢を続ける必要性につい て考え始めた。2020 年 1 月,運営メンバーは住民と会 議を開いて,一連の測定の活動の終結を決めた。という のは,食品測定は毎日いわき支所で可能であるし,もし なにかが起きても,今の住民はもう,どうすればいいの か,誰に尋ねればいいのかも知っていたからだ。時間が 経つに連れ,末続の住民が実践的な放射線防護の文化を 習得していった。放射線状況の理解だけでなく,彼ら自 身と愛する人のために,どう対処すればいいかを身につ けたことは明らかである。 4. 末続の経験からのいくつかの教訓 本稿で著述した共有知プロセスは,いくつもの面で模 範的なものであった。まずなにより,住民自身が率先し て行った取組みであったことは重要である。末続の経験 は,多くの情報が広まる現代の開かれた社会を背景とし て,被災地の住民がソーシャルメディアを通じて,測定 の手段を探し,専門家などにアクセスすることができる ことを示している。住民は,自分たちが直面した状況の 主導権を握り,乗り越えるための道筋を見つけることが できた。その中で,過去のベラルーシの経験,とりわけ エートスプロジェクトは,ひらめきの継続的な供給源で あり続けた。末続で ICRP メンバーに尋ねられた多くの 質問は,ベラルーシでの彼らの経験につながるもので あった。この観点から,すべての共有知プロセスは記録 され,周知されなければならない。将来の起こりうる原 子力災害の際に,被災したコミュニティの役に立つため に。共有知プロセスの過程で,末続の住民たちは多くの 創造性と独立性を発揮した。専門家と共に測定結果を学 び,次のステップを考えたが,ときに専門家抜きでの決 定も行った。このアプローチでは,安東氏,遠藤氏,高 木氏のような地域のリーダーの役割が,プロセスの継続 を保証する鍵であった。 末続の経験からのもうひとつの教訓は,科学者や研究 者などの専門家が自発的にプロセスに参加し,コミュニ Fi g. 11 集落のなかの除染廃棄物仮置き場の視察を行う 末続の住民たち
ティを長期にわたって支援することが重要であるという ことである。ここで再びソーシャルメディアは,善意を 持った科学者たちを「リクルート」するための決定的な 役割を持った。しかしながら,専門家が住民の信頼を得 るためには,放射線防護とそれを実践するための科学的 基礎を習得し,透明性のある行動をするだけでは十分で はない。このプロセスでは,専門家が住民と共感し,そ してなにより,住民の選択の自由を尊重し,彼らと長期 的に関わり合うことの重要性が示された22)。これらは, 被災地の住民の信頼を徐々に回復するために必要な条件 である。 共有知プロセスは,被災者との対話に基づいたもので あり,彼らが直面している放射線状況を理解し,共有す るものでもある。それは段階的に進み,時間を必要とす るアプローチである。それぞれの住民が,日々の生活環 境に存在するさまざまな放射線源から被ばくする様態と メカニズムを,自分自身で把握するためには時間が必要 となる。すべての人が,曝されている被ばくの重要性を 推し量らなくてはならず,究極的には,人生の選択をす ることになる。必然的に,これらすべてには時間が必要 である。 末続の住民が実用的な放射線防護の文化を獲得したエ ンパワーメントのプロセスは,1990 年代後半にベラルー シの村での展開23)と比較的類似している。しかしなが ら,ソーシャルメディアの活用と新世代の測定手段に よって,そのプロセスはベラルーシよりも急速であった。 特に,外部被ばく線量用の個人線量計は,身に着けた人 の日々の活動と被ばく線量の直接のつながりを見出すこ とを可能にした。共有知プロセスの展開だけでなく,そ の持続可能性を確実にするための準備も間を置かずに導 入された。 もっとも特筆すべきは,最終的にプロジェクトへの財 政的支援を確保したリーダーたちの交渉能力である。た だし,末続の経験は,政府にとってのモデルとしては役 立ったが,期待されたようには広がらなかった。他の被 災地域における相談員の配置は,確かに重要な役割を果 たしはしたが,末続で見られたようなタイプの取組みは 現れなかった。加えて,末続の経験はそのアプローチに おいて成功したが,個人と集団の放射線防護と生活環境 の改善を目的とする地域のプロジェクトの発展のため に,公的機関が公衆を信頼することの限界を示すもので もあった。 最後に,ICRP メンバーとの対話を通じて,末続の住 民たちは,事故当時の心理状態と,後にプロセスが展開 するにつれての感情の展開について,豊かな「語り」を 生み出したことも記されるべきだろう。ビデオ「信頼を 取り戻す・末続地区の経験─原発事故の後で」21)におけ る証言は,事故後の日々,測定の役割,信頼を回復する メカニズム,そして専門家への期待について語っている。 これらの「語り」は,原子力事後後の人間的側面と共有 知プロセスの駆動力について,深く,時に前例のない解 明の光を当てた。 5. 結 論 末続の住民の証言と回想によって,原子力災害後の共 有知プロセスのメカニズムが明らかになった。 住民がそのプロセスに関わり,自分たちの放射線防護 と生活環境の改善のために,対話と放射線測定という重 要な役割を果たした。末続の経験は,専門家が住民の選 択の自由を尊重しながら,明確に倫理的な立場をとるこ との重要性を示した24)。また,共有知プロセスは,地域 の住民あるいは専門家のどちらによって先導されたもの であれ,政府や地方自治体などが地域の試みやプロジェ クトを促進し,支援する体制を作った場合にのみ発展し うることも明らかになった。 日本の経験は,20 年前のチェルノブイリの経験と同 じように,被災した住民が住む地域の復興にとって鍵と なる,地域の試みとプロジェクトの支援の問題は未解決 であることも示した。きわめて現実的である予算と平等 性に関する事柄以外にも,もっと基本的な公的機関のガ バナンスの問題もある。公的機関は,自分たちの管轄に 専属するべき仕事を,専門家でない人たちに任せること に抵抗がある。実際にこのことは,末続で取り組まれた 共有知プロセスにおいても,住民は直面し続けた問題で あった。一方で,高いレベルの不安,放射線リスクにつ いての知識と経験の欠如,当局と専門家に対する不信, そして原子力事故によって複雑化した社会経済に対処す るためには,これまでの経験から,意志決定の分権化vii と,被災地域の住民が,コミュニティの問題に自分たち で対処できるという自信に基づいたガバナンスが不可欠 vii 対義となる集権的な意思決定とは,政策決定等,社会的な意 思決定を行う際に,行政などの権限を持った組織や集団が トップダウン型で決めること。ここでは,原発事故後の緊急 時にはもっぱら国家による集権的な意思決定がなされ,住民 はそれに従うことを求められるが,日常生活の回復期におい ては,それぞれの地域の住民が自分たちに関わる事柄につい て意志決定できるよう,権限の委譲が行われる必要があるこ と が 述 べ ら れ て い る。 著 者 の チ ェ ル ノ ブ イ リ 事 故 後 の ETHOS プロジェクトの取り組みについての論文にも同様の 指 摘 が あ る。http://dx.doi.org/10.1016/B978-0-08-045015-5.00017-4)
に必要であることが明確に示されている25)。 末続の経験は,原子力災害から引き起こされた状況の 複雑さや,ある意味必然的であった困難や障害に直面し てもなお,公的,民間を問わないすべての関係者とあら ゆるステークホルダーは,被災地域の課題と困難に対応 することに協力しなければならないことを確証した。共 有知プロセスは,社会的革新(social innovation)とみな されうるものである26)。それは,被災地の住民を力づけ, 彼らの well-being と地域で「共に生きること」の質の回 復を助けるものであり,最終的には,彼らの尊厳の回復 までを助けるものであることがわかった。 現在 ICRP は,原子力災害後の状況の管理のために, 共有知プロセスを推奨している。このプロセスへの貢献 に感謝し,ICRP メンバーが末続を再び訪問した 2019 年 8 月,ICRP は末続の住民へ感謝の盾を贈呈した。 謝 辞 私たちは,末続のすべての住民に謝意を表したい。本 稿は,共有知プロセスの深化へのかけがえのない貢献に 感謝して,彼らに捧げられるものである。また,末続地 区を何度となく訪れ,そして私たちと住民の経験を継続 的に支援してくれた ICRP メンバーの丹羽太貫氏,クリ ス・クレメント氏,ティエリー・シュナイダー氏,そし て,ジャン-フランソワ・ルコント氏にも感謝申し上げる。 参 考 文 献 *+(5,$5''8%5(8,HWDO&KHUQRE\OSRVWDFFLGHQW management: the Ethos project, Health Phys., 77, 361–372 (1999).
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