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秋田縣駒嶽爆發調査報告

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Academic year: 2021

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(1)

調

~・1=1 Hヨ

鷺 園

秋田腕駒ケ山獄は一名駒形山と稀し海抜千六百三十七米、秋田勝仙北郡生保内村にあって東 麓岩手懸巌手郡御明神村にある。此の山は湯の森山(海抜千四百七十二米)、無森山ハ一五四一米)、,烏帽 子岳(一四七八米)、小白森(一一五六米¥大白奈(三二六米)、曲崎山こ三三四米)、大深岳(一五四 一米)、険組森三四四八米)、諸槍岳(一五一四米)、春岳(一五七八米)及び八幡森(二八一四米)等を 一 、 緒 言 漣ぬる駒ケ山獄火山列の主峯であって、那須火山脈に属してゐる。而し℃此の火山列からは分汲とし

τ

束 方に岩手火山列、西方に森吉火山群を出してゐる。 元 京 市 駒 ケ 山 獄 は コ ニ I デ式二重火山であっ℃山容は侠頂固錐形をなし山頂に近く長径約手四百米、短形 九百米、略縮図形をなす爆裂火口祉、があ

b

、主ハの長軸の方向は南西!北東の方向をと

b

.

,南西方花開口 して弦から火口瀬たる檎木内川が火口祉内の水を排水し℃流れてゐる。此の爆裂火口祉を園む外輸山と

L

℃は最高峯たる男岳ハ千六百三十二米)を始めとしノし北よ

b

東ど国

b

南方迄は横岳が艇々として連な 一 五 五

(2)

一 五 六

b

、西方は峠の山背に限られて居る。従つ℃此の爆裂火口祉は極め℃明瞭な形をしてゐる。 此の爆裂火口内には数個の小噴火口を有するが共の中北方なる女岳は最大な中央火口岳であって共の 裾を火口内に引くため、火口内は北東に高く、南西に低く、ために火口原はあま

b

後達せず、僅かに中 央部の石ポラよ

b

西部アザミ原にかけての一帯に限られてゐる。命中央火口丘としては他に二個、小な るものがある。共の一は女岳の西方外輪山たる積岳との中間に位するものであって今般

b

に第二火口丘 と般得して置く。(桜井康三郎氏は之れに模岳の名を冠し、外輪山たる積岳を横長根と穏し℃ゐるが隣近 多くの村民に聞くも左様な名稀はない。従って西方外輪山は矢張

b

村民の稀する如く横岳と呼ぴ、之れ と女岳との中聞にある小火口丘は第二火口丘と稀する次第である) 第二火口丘の外化命一一個の小火口丘は爆裂火口祉の南西端にあっ℃之れを阿禰陀池と稀する。蓋し共 の山頂に近く噴火口、があ

b

現時水を湛へ℃池となっ℃ゐるからである。而して之等三火口丘中最も新ら しいのは第二火口丘であって頂上に固形の火口が存在してゐる(附岡第三国及第四闘参照)。女岳は頂上 に二三の火口祉があるが崩壊して現形完全してゐなや只共の南西側中腹に比較的新らしい火口祉があっ て略図形をなし、共の下山腹には火山砂磯‘火山弾、熔岩等の堆積し℃小焼砂がある。(附園第二園参照) 女岳は一帯に僅松及態笹に蔽はれて居るが此の小焼砂のみは火山砂磯等に蔽はれて杢く不毛である。期 様な所は積岳の北部、火口壁にもあって大焼砂と稀してゐる。而して此の大焼砂からは明治中期迄噴気

(3)

一 五 e 七 J角的'-"・ 身寺 国 秋田駿駒山獄附近地勢固

(4)

一 五 八 をなしてゐたと稀せられ℃ゐる。 駒ケ款の裾野は東部及西部に夜達し℃ゐる、が北部は烏帽子岳のよ b 古

3

火口に阻弐れて後達せず、南 部は笹森山に阻止注れて居る。而して此の山から四方に射出する轄射谷は凡て小なる渓流であって東方 は悉く玉川に注ぎ‘西方は雫石川に注いで居る。郎ち前者には黒湯淳、赤倉津、-小先達淳、槍木内川が あ ' 夕 、 後 者 に は 取 染 様 、 安 柄 裡 件 、 小 柳 津 、 龍 川 等 、 が あ る 。 又駒ケ山獄の山麓に退く北には孫六湯、締法の湯、鶴の湯、黒湯等の温泉があ b 、南方中腹には図見沼泉 がある。然し之等の温泉は何れも高温ではなく、例へば図見温泉は硫黄泉であるが共の粗皮は三十六度 乃至三十八度である。此の外駒ケ山獄中生保内登山口三令自に静岡る減川に℃白瀧の川と北西よ

b

流 れ 京 市 b て令流する御代倉津は水温十四度七あって、白瀧よ b 流 る L 川の水温八度五とは格段の相違がある。 次に駒ケ山獄附還の地勢を見るに先づ駒ケ山獄南方の仙石峠よ b 南 方 に 朝 日 山 獄 ' ( 一 三 七 五 米 ) 、 和 賀 山 獄 ( 一 四 四

O

米 ) 、 異 霊 山 獄 ( 一

O

O

米 ) 、 笹 峠 ( 六 一 八 米 ) 、 白 木 峠 ( 六

O

二 米 ) 、 三 界 山 ( 一 三 八 一 米 ) 、 柏 峠 ( 一

O

一九米)、大荷山(一一六六米)等を連ぬる異霊山脈がある。此の山脈は明治二十九年の陸潟大地震の震 源となったものであ℃共の東側に川舟断層、西側に千屋断層を生じたものである。 此の外駒ケ荻火山列の東方には北方に焼山火山群があ b . 南方回路湖北方に荷莱欲火山がある。而し て玉川は大深款の西旋かち出て之等諸山の水を排水しつ L 田津湖の東洋ど流れ、共の問焼山火山の南鷺

(5)

'

.

を西流して漉黒川を令し、田路湖附還にて駒ケ山獄火口瀬たる槍木内津及朝日山獄よ

b

殺する生保内川を A 口 せ、更に角館附近にて森古火山群よ

b

殺する槍木内川を令せ℃横手盆地の西部を流れて雄物川に注いで 居 る 。 倫駒ヶ款の西方なる田浬湖はカ Y デ一プ湖盆と稀せられて居る。而して明治二十九年陸 m m 大地震によう ℃生じた千屋断層(二)は横手盆地東部を略南

l

北に走

b

白 山 石 附 返 よ

b

北東の走向をと

b

生保内村東方一 粁弱にて盛岡街道を横切 b 、駒ケ山獄へ入つ℃居る。邸ち駒ケ山獄は千屋断層の延長上に嘗てゐる火山であ って此鈷よ b するも注目に値するものである。向仮 b に千屋断層を延長すると共上に岩手火山があるの も注目に値する事貨であらう。 -一 、 駒 ケ 議 の 地 質 駒ケ款は今同の爆殺迄全く活動を休止して居たものであっ℃頂上の爆裂火口祉内 にも噴気孔は一つも存在してゐなかったし叉有史以来共の活動の記録は一'として残ヨれたものがない。 只前述した如く爆裂火口祉内所々に火山砂礁の堆積し不毛の地となれる所あるを見る。従って可な b 近 さ過去迄之等の場所では噴気どしてゐた事を窺ム乙とが出来る。 扱 桜 井 出 伊 三 郎 (一)に依れば駒ケ殺の末、南及西三方から殺する幅射谷の岩石露頭は凡℃第三紀屠の 岩石であって北部殺面を深刻するものも第三紀唐山石屠であると云ム。部ち駒ヶ款の基底岩石の大部分は 第 三 紀 の 凝 十 氷 山 石 で あ っ ℃ 、 一部分流紋岩が基盤をなせる事は、先達津の上流附近 K 流紋岩の露出を見る 一 五 九

(6)

六 O の事から窺知する之と、が出来る。而して此の流紋岩も駒ケ款の噴出に先立つ℃地表に廷出したものであ ら う と 云 ふ 。 命桜井氏は駒ケ獄から噴出した溶岩を女岳溶岩、槍木内海溶岩、大焼砂溶岩、駒ケ山獄南部溶岩、片倉 溶 岩 、 F 男岳溶岩及水深溶岩の七種に分つ℃居る。而し℃之等各種溶岩の分布は第二固に示した如くであ る。次に桜井氏の調査に基さ之等各種の溶岩に就

3

簡単に記して見る。 女岳溶岩は女岳及第二火口丘附近等爆裂火口祉内に分布せられ火口外院は浴出し℃居ないもので駒ケ 山獄溶岩中最も新らしい。山石質は撤撹石輝石安山岩である。槍木内津溶岩は女岳溶岩に亜いで新らしいも のであって火口溺たる檎木内海に沿ムて流れ分布区域は極め℃狭い。却ち御坪、白瀧透から十丈瀧に至 る聞に之れを見る。宏質は複輝石安山岩である。大焼砂溶岩は爆裂火口吐から東部へ溢流したものであ っ て 1 其の一部付第二中央火口丘よ

b

噴出した火山砂磯に蔽はれてゐる。之れが大焼砂である。此の岩 質は撹撤石輝石安山岩である。 駒ヶ獄南部溶岩は東方及南方の山腹に亙 b -庚く分布し℃居る。然し℃龍川の水源及図見温泉附還の小 瀧等明かに露出してゐる由である。此の漆山石の山頂に近い上部は前記大焼砂溶岩によっ℃蔽はれて居 る。而して共の岩質は楯縫石輝石安山岩である。片倉溶岩は北部山腹に沿ム℃流出したもので扇股形を なして炭範固に分布してゐる。此の溶岩は岩質は撤,慌石輝石安山岩である、が、溶岩の上部には撤携石が . >

(7)

第 秋田版駒山獄附近地質問(槌井氏三郎氏による﹀ 悶 多いに係らず下部氏至るに従って殆んど消滅 し‘之れに代るに紫蘇輝石の量を増し、殆んど 紫蘇輝石安山岩となって居る。従って此の溶岩 の下方に水深溶岩が後達し℃ゐるものであらう と 云 ふ 。 男岳溶岩は爆裂火口壁の北部から西部に亙つ て分布

3

れて居るが特に外輪山たる男岳の断崖 に善く露はれて居る白である。而して此の溶岩 の岩質は複輝石富士山石である。倫此の溶岩は檎 木内津溶岩に比して石基の構造稲粗く、且夫れ よ

b

も古いものであらうと云ム。水津溶岩は生 保内村字水津及檎木内津流域創ち駒ヶ岳西部か ら南西部へかけて分布

3

れて居る。之れは恐ら く駒ケ山獄から流出した溶岩中最も古いものであ らうと云ム。特に十丈瀧附近及水津瀧附近に善

... / 、

(8)

一 六 く露はれ℃ゐる由であって岩質は紫蘇輝石安山岩であると云ふ。 要 す る に 駒 ケ 山 獄 よ

b

流出した溶岩は撒撹石輝石安山岩複輝石安山岩或は紫蘇輝石安山岩等であって、 附近の火山たる烏帽子山獄、大深山獄或は岩手山等の溶岩と略同質のものであると云ふ乙とが出来る u 命第 三紀屠は駒ケ荻南方山林庇に節、く後達する外、先遣海流域等にも殺達してゐる。而して洪積層或は沖積層 は玉川の流域に於て見らる L の み で あ る 。 三、駒山獄今悶の活動朕況 駒ケ山獄今同の活動は七月二十一日頃から泥流噴出等の小爆後的活動を始めたのが最初である。一然し生 保内村村民の談る所によると昨年から今年へかけての冬期には駒ケ山獄の爆裂火口内に所-々積雪の無い所 が知 P 庁、として居たと云ム。之れによると今年初頃から肢に多少の水蒸気或は瓦斯を所冷から噴出してゐ だが、少くとも活動期民入って内部に高熱になった倒所を生じて居だと見る乙とが出来ゃうと思ム。扱今 同の活動、が起るや直ちに秋田線常局及秋田測候所から中央気象墨長宛調査方の依頼、があった、依って著 者等は命中どうけて七月三十一日出後寅地踏査に向ったのである。以下著者等の調査結果を報告するに先 立つ℃、先づ爆殺後現状を踏査したと云ふ生保内村村民諸氏及秋田測候所員の談ゆだ掲げる乙と L す る 。 (一)生保内村役場吏昌一回ロ耕之助氏調査 己の調査せられし慮を手記として著者に手交して変化種手説明せられ'る所、があった。共の調査結果は左 田口耕之助氏は七月二十八日駒ケ山獄に登山せしが同氏は白

(9)

の如くである、但し手記中括弧内の註は著者の補筆せしものである。

m w

爆設の場所友海抜 仙北郡生保内村字駒形二番の内俗稀石ポラ、海抜千二一百米(註駒ケ山獄火口原内、 女 岳 の 南 一 践 で あ る ) 。 間爆裁の目時 昭和七年七月二十五日午前中駒ヶ荻へ登山したもの、があるが異常はなかった。越えて二 十六日午前二時頃一音響を聞いたもの、がある。思ふに二十五日午後五時頃から翌二十六日午前二時頃に至 る問で爆殺した模様である J ( 註図見温泉主怠の談によると二十一日頃かと云ム) 別爆援の兆候 ( 1 ) 七月二十五日午前十一時頃白瀧の湧出口に於℃水質が務化したのを知った o h 而して共の水ほ著し く 酸 味 を 帯 び て 来 日 だ と 云 ム 。

( a

)

二十五日午後五時頃駒ヶ獄方面に遠雷の設な鳴動が二同あったのを聞いたものがある。 ( 3 ) 二十五日午後七時頃生保内村で鳴動を聞いた J 同時刻に大曲町方面に震動があった。(註、之れは 大曲附近を震央とし℃午後七時三十七分頃に起った局後地震であって震度は大出で弱震、生保内村では 微 震 で あ っ た ) 。 (益)七月二十六日午前二時頃生保村宇堂の前で激しい鳴動が二同あったのを聞いたものであった。 g 官)七月二十三日頃から駒ケ荻南方中腹図見温泉の温度が多少上昇した。 一 -L‘ / 、

(10)

一 六 回 向噴出口 大小九伺を生じ之等は略南西

1

北東に配列してゐる。 ( 1 )噴出口中最大なものは最も南西のものであって南北の径約五十問、東北の径約三十問、深誌は水

面迄十二問位ある。 ハ 2 ) 九筒の中八個は水蒸気によっ℃爆殺したもの L 如く何れも深ぐ陥浸して泥水沈溜して居るのを見 る。へ註、内壁を見ると泥土中に大言な岩石、が露出し℃ゐる)。 ( 3 ) 噴火口と思はる L ものが一個ある。径約五問位の堆積丘で中央摺鉢肢をなして盛に熱気を噴出し 底は激しく灼熱し℃居った。(此の堆積丘は快頂図錐形をなして火山砂磯の堆積したものである)。 (壬︺堆積丘の周固に克新噴出口数箇あって何れも灼熱股態にあって危険で立寄る乙と、が出来ない。 強烈な西風であっ℃現状から東方横岳方面に多量の泥士、降・一此が飛散して居るのを 問爆設曾時の風向 見た。(註二十五日から二十六日にかけ℃は高気座、が北太平洋方面にあ

b

、小低気座、が北海道中部にあっ た。そのため秋田では西の疾風が吹いて居た。然し盛岡では二十五日十八時には南の軟風であったが二 十六日六時には無風とな

b

正午には西南西の疾風となっ℃居る。従って二十五日夜駒山獄では相営強い西 風、が吹いた事と思はれる) 向被害医域及紋況 -、J ( 1 ) 爆 後 地 域 約三十町歩

(11)

( 2 ) 泥流汎濫区域 約百五十町歩悶らず、脚を浸する程であっ℃歩行困難である。 約二百町歩(註女岳中腹迄も泥土を飛ばした様である) ( り d ) 奔騰泥士一飛散医域 ( 壬 ) 火 山 友 降 下 地 域 現場から東方積岳方面一帯に降友甚しく蓬かに岩手領域橋場附志氏迄も降友し て 居 る 。 ( 5 ) 爆後嘗時一帯に毒瓦斯を噴出した様であって下草の枯死したもの鳥獣、最類の鰭死して居るもの 等無数にあった。 れ 6) 御坪附近に存在し℃居る殆んど無数の風穴は外気よ

b

も稲冷かであるが全部作用せゴる様になっ た (子)白瀧の水量は約三分の一に減少し、殊に湧査は炭酸水に竣質

L

又十九斯の噴出ど見るに至った。 ( 8 ) 樹木は杢部剥皮して裸木とな

b

一面に泥土を以℃蔽はれ頗る奇視をロ壬し℃居る。 め爆震後の扶況. ( 1 ) 七月二十八日午前十一時頃現肢を調査中一同遠雷の殺な鳴動を聞いた。現場では震動微弱であっ たが男岳及女岳方面の登山者は轄倒しゅ d うになったものがある由リ ( 2 ) 同日午後十一時頃鳴動があって山上に炎焔を見たもの、があると云ム。 ( 3 ) 二十九日白瀧の水量枯渇したのを見る。 一 六 五

(12)

e 一 六 六 (イユ御坪附遅から室登山道一帯毒克斯を噴出し℃悪臭が甚だしい。 ( 5 ) 七月二十九日山上嘗道俗稀アザミ原に℃先達者千葉忠一郎者克斯のため昏倒して人事不省となっ だが蘇生した。以上 【 ¥ (二)生保内村畠山正光氏調査 は左の如くである。七月二十八日登山の途次ダイナマイトの爆一音の様な一音響を聞いたり時刻は午前十一 岳山氏は前記田口氏の案内者とし℃登山したもので氏の談話せる概要 時頃であった。此の時五会目附近にある白瀧の水は酒石酸の様な溢味を帯び殆んど飲めね程度となって ゐた。此の水は以前は登山者の好飲料水と忍つ℃ゐたものである。 叉白瀧の湧出口では少量ではあるが元新肢のものが出て居 b 肢量を戚ずる位であった。而して附還の 草木は枯死して居た様である。更に進んで火口原内石ポラでは小鳥の鎗死し℃ゐるものが二ケ所にあう た げ l 叉附迩には径一尺位の軽石(約三貫目)が落下し径五六寸の木が倒ヨれてゐた。 火口原内を遠望すると河水、が流れてゐる様であるが賓際共の場所で見ると黒色泥土の流れた跡であう た。共の泥土は所ムマ乾い℃固まってゐるが向軟かい所もあ b 、 何れも温かく戚ずる程度の温度であっ た。命火口原内に生じた九ケ所の新噴出口中最大のものは目測した所長主五問、幅三十同位であるが深 誌は貫測した結果二十米あった。之等噴出口よ b 殺する元新は喚問覚が麻庫してゐたため何であるかど知 る事が出来なかった。又前述した殺な遠雷の如

3

鳴響は他にも幾度か聞いたものがあったと云ム。以上

(13)

(三)秋田測候所技手三浦忠次郎氏談 浦技手は七月二十九日秋田測候所技手山田恭治氏と共に駒ケ 山獄へ登山調査をる概要に就℃語る。同氏は中生保内からの登山道の中途、御代倉、淳、白瀧の合流貼たる 抜川に℃白瀧の、津は縫味。乞帯び水温八度五分を観測した。之れに反して御代倉津の水温は十四皮七分で あったが此の津の内氏ある湧出口よ b 湧出する清水の水温は八度五分であっ℃.白瀧の湧出口の水温は 五度四分であった。命白瀧の湧出口附近は硫黄の臭気が甚しかった。之れは恐らくー硫気の噴出によるも の で あ ら う 。 更に白瀧よ

b

奮登山口を登ると火日原内俗稽アザミ原附還に℃熊笹中に兎及畿雀の鰭死したものを 見、又ホダ(蕨の大なるもの)の枯死した部分があった。命之れよら J先南方登山口なる図見温泉にて主人 石塚鶴松氏の語る所を閣内くに七月二十一日午後四時乃至五時の聞に地震があっ℃重い物を落した様な戚 じがした。更に二十七日。午前十時三十分頃にも強い地震があ b 地鳴五同程を聞いた由である。而して図 見温泉の温度は上の湯が三十八度、下の湯が三十六度であった。 七月六日生保内小向学校職員、が登山した際化は御坪の湧出口の水は何等異常を認めなかった由であるが 同月二十日角館女向学校生徒、が登山した際には味悪く、酸味を呈

L

℃ 居 た 由 で あ る 。 御 坪 ょ , ・ 9 奮登山口を 約三十米程登った,所に風穴を後見じだが之れは以前には無かったものであると云ム。越え℃七月二十五 日大曲高等女向学校生徒、が登山して蹄路午後五時頃火口原内俗稀石ポフ附近噴煙せる模様、があった c ' 八 七

(14)

一 六 八 更に七月二十五日午後七時三十七分頃大曲で可な b 強い地震があ b 、二十五日夜宇十二時過ぎ中生保 内に於てドンと一五ム鳴響を三同位聞いた。又七月三十日午後七時十分頃大曲に℃性質緩かで電燈が揺ぐ 程度の地震を戚じた。更に同日六時四十八分頃生保村でドシンと戚ずる様な念牲の地震があった。命同 時間には向生保内及刺巻でも可な

b

強い地震を戚じだが之等は耐一地震であった。叉登山案内者及木樵 の談によると三月上旬火口原石ポ一プ附還の積雲は極め℃砂く、又本年冬季阿禰陀岳、から図見混泉に赴く 途中媛大な範固に瓦

b

積雲が無かった由である。 (四)園見温泉石塚牧競氏談同氏は図見温泉主人の息であるが今岡の爆援に就て語る所は左の如くで ある。七月二十一日午後一時頃図見温泉で可な b 強い地震を戚じた。主ハの振動時間は極め℃短かく二振 動位山の方へ引かれる様な戚じがあっ℃止む、だ。二十二日午後五時頃も同様な地震があ b 共後も二、三 同雷鳴の様な地鳴を件ム小地震があった。閤見温泉(硫黄泉)の温皮は和上昇せる戚があった。街同氏は 二十六日及二十九日の雨同登山したが.噴火口内は肢に焼けて居た。又七月二十日図見温泉の湯治客七八 名登山したが何等異常を認めなかった由である。然も之等湯治客中一一雨入は以前にも登山した経験を有 するものであるから、之等の事貨から推定すると爆殺は二十一、二日頃であらう。 (五)盛岡測候所技手こ宮三郎氏談 七月二十七日夕刻六時乃至七時盛岡市よ b 見た慮駒ケ獄中腹に黒 味が¥りた単一戸が這つ℃平常にない現象と忠ふた。命三十日午後七時頃燥一音らしいものを聞いた。

(15)

o ( 六 ) 線 括 以上五はんの談る慮を総括すると左の如くである。 今年冬季南方山腹に積雲を見なかった。火口原内の積雲も極めて砂い。七月二十日火口原 ( 1 ) 前兆 内御坪湧出口の清水酸味を帯ぷ。 ( 2 ) 爆設時日 図見温泉では二十一日午後から二十二日にかけ℃鳴響を件ム数同の地震があ

b

共の後 湯の温度上昇した故爆殺は二十一日よ b 二十二日化かけ℃であらう。二十五日大曲高女の生徒登山の際 石ポ一ア附近よムソ噴煙してゐた。二十五日白瀧湧出口の水質酸味を帯ぶ。同日午後五時駒ケ山獄方面に遠雷の 如き鳴響を聞く。二十六日午前二時頃生保内村堂の前で二同鳴響を聞く。之等事責から推すと二十五日夕 刻か含二十六日朝にかけ℃爆殺があった。要するに爆後日時に就ては二十一日頃と二十五日頃との二設 があ b 地元でも何れが異か剣然しない。然し二十一日設を否定すべき反詮もない故雨同とも莫であらラ。 火口原内所々に有毒瓦斯を噴気した。白瀧の水湘渇した。降友及降石があった。泥流 ( 3 ) 随 伴 現 象 -の噴出を見た。有毒死新のため堰松、ホダ等、が枯死した庭が数ケ所ある。‘ 四、駒ケ山獄爆設嘗時の気象 以上述べた如く駒ケ山獄爆殺は七月二十一日乃至七月三十六日の聞に行はれたものと考へられる。従つ ℃此の一週間の気象状態を調べて見ゃうと思ム。此の調査は本蚕諜報掛の天気圏及秋田、盛岡雨測候所 よ b 本塁へ報告

3

れた気象月表によったものである。 一 六 九

(16)

一 七 G 扱七月三十日以後二十六日に至る本邦の気一路配置は大低南高北低であっ℃夏期の基本版態と忍ってゐ る。卸ち二十日六時には太平洋の高気歴は舌旅をなし℃本邦南方洋上を四図沖迄延びてゐで七百五十八 粍 位 の 一 不 度 を 一 不

L

℃ ゐ る 。 一方低気回腔は大したものなくアイリツピン方面に浅い防風が現はれ北方へ進 んでゐるが大したものではなく、只日本海北部にある低気一座は七百五十粍位の一不度乞一不し℃東北東に進

-A

でゐるが、二十日午前六時には日本海北部奥尻島西方にある。此のた的新潟焼以北の東北地方日本海 沿岸では可な

b

の豪雨があ

b

、二十日盛岡では六十四粍四、秋田では三十五粍を降らし℃ゐる一共他某 邦各地は一般に天気よく、晴又は曇 b の波態となっ℃むる。而して風は秋田では精強く二十日は西風が 四米乃至八米の秒速で吹い℃ゐる。之れに反して盛岡では風弱く風向も南ふ西から南へ廻って風速は一 米乃至四米位である。 二十一日には日本海北部の低気歴は可な b 表へて津軽海峡を越へて太平洋へ抜けてゐる。風も秋田で は西乃至北西風で風速も弱ま b 一米乃至四米となってゐる。之れに劃して盛岡では二時には南風が一米 一の秒速で吹いてゐたが十時頃から風向、が西に轄ずると共に風速を増して三米五から六米を越える位に なった。然し夜に入って東風に特使ると共に風速も一米張に衰へて仕舞った。此の時本州南方洋上の高気 歴は西へ'延びて九州そ蔽ム迄 K 帯 肢 を な し ℃ 京 地 た 。 二十二日以后は前譜小低気摩が千島へぬけると共に、ー高気回陛が一帯に本邦子}蔽って仕舞ぴ一一般に天気

(17)

ょく、温度は著しく日升つ℃来た。そうして此の肢態のま L で二十六日に至ってゐる。只此の間小低気師殿、が 各地に殺生し℃ゐる、が大したものではなく、北海道或は日本海北部にも時々小低気懸の殺生をみたが問 題 K する程度のものではない。従って二十一日から二十六日の聞に於℃駒ケ山獄爆殺の誘因となる可

3

特 に著じいん一丸.象紙製動はない様である。次に此の間の秋田及盛岡に於ける風向及風速を掲げる乙と、する。 盛岡に於ける風向及風速〈米/秒〉

2 6 10 14 18 22 降水量 20 SSE SSW SE S SSE S 粍│ 2,9 ,]5 3,7 日 ] ,5 1;6 64,4 I 2l S NNE w W S W w s w E 1.1 ,]2 2,5 6,6 5, t ,]6 ,]5 2~ SE 8

0 1S R S SSW SSE ~,9 ,]8 2え, 6,8 23 1S 5 2S ::; W S W W 5t 5 W S W ESE 3 , f~ 2,5 24

SSE wsw. W N W w N W ESE 0,4 0,9 R,2 7,1 3,' 1,9 i ー 25 1SE 3 2S 5 2w W N W SE 0 3,9 0,4 2,0 。1 26 2'SE 7 1NNE SSW 6 10 2S W W S W SE 2 44 24 (9 豆、鮪震計による調査 秋田に於ける風向及風速度(米/秒)

2 G 10 14 18 盟 20 E w W W 可V W S W ] ,4 4,3 8,t 4,7 4,6 3,9 3 21 可V N W W N W N W N W W 5,7 2,1 4,0 3,7 2,5 0,7 0,3 。~~り s SE SE W N W W N W 可V 1,2 2,2 2,11 4,4 3,4 4,6 27,8 ~~ぞ) 5rR. W N W W N W w s w W N W 38 3 39 16 ]E 5 0 寺一一一一一 ESE W N W W N W W N W W N W W 24 13 16 36 6t 43 45 05 25 5V8 3N W 4 n w ,I ftv6 5. 可V7 4w 9 00 26 5w 0 w 4 W N W W N W W N W SE 68 4;1 36 21 0I 一 七

(18)

七 著者等は七月三十一日出後八月一日午後生保内村着、翌二日は終日降雨であって登山不可能であった L め児玉族館の圭戒前夕、キへ携帯せるグヰへ Y トミントロプ型震動計(固有迦期一秒三.倍率十四倍) そ据付けて微動の観測をした。芸品し駒ケ山獄が命活動中であるとすれば前夜来の降雨が渉透して再び小爆 殺をなし微'動を殺するやも知れねと考へたからである。而して生保内村は駒ケ山獄の火口よ b 南西八粁強 の 地 貼 に あ る 。 斯くて終日観測を績けたが午前九時よ b 午後九時に至る問一同の微動をも記録する事が出来なかった 故午後九時に至

b

観測を打切る事とした。叉此の日午後民至る迄降雨、があったが午後からは天候が侠復 して日照を見るに至った。然し風は殆んど無かった。 六、費 地

E

者 査 八月三日快晴な天候に恵まれて登山の途につく。順路は中生保内を経る登山口である。 の外秋田測候所の三浦、相場雨技手、盛仲測候所の二宮‘中谷地雨技手を始め生保内村役場吏員田口耕 一行は著者等 之助氏、畠叫正光氏、案内人千葉忠一郎氏等である。右の内千葉氏は駒ケ山獄の主と稀せらる L 程山広精 通せる案内人であるが去る七月二十九日登山の際火口原内アザミ原に℃有毒元新に燭れ窒息.吐血し℃ 人事不省となったが共後幸に蘇生して雨三日臥床全快の上一行に参加する事を得たのである。 中生保内よ 0 路 を 北 ん γ 一 泉 に と

b

裾野を登

b

一 A 口目庇達する、之よ

b

東北東に轄向し℃峡谷に沿ふて登

(19)

b

十丈瀧を越え、手間倉(二 A 口 日 ) ぞ 過 介 、 る 頃 東 方 谷 を 隔 て と ー ヤ ロ シ カ ン バ ﹂ と 稀 す る 噴 気 孔 を 見 一 る J 尚 北 日 時此慮にて有害瓦斯に燭れ窒死した者、があったと聞いた。三会目減川に達すると此庭では京手に白瀧よ

-b J 流 る L 津る左手に長五郎湾、御代倉、津を令せて流れホゆる御代倉混とが令流する。水温は白瀧の、俸が八 度五分御代倉揮は十四度七分である。 之れよ

b

路は念峻とな

b

、四令目舟形石を過ぎ白瀧に山達する。白瀧の河床の玉砂利は茨酸盤類に蔽獲 せられて白色を墨してゐる故此の名があるが、爆後後は水質酸性を帯びた¥め炭酸盤類が宇ば剥落洗落

3

れ J し宇白、宇黒色を塁してゐる。然して水量は七月末多量の降雨があ

b

命前日も多量の降雨、があった に係,らず、著しく減退し℃ゐる。此慮は標高千百十六米である。 白瀧から登山路は北東に向ぴ白瀧の湧出口を経℃御坪の傍を渇

b

アザミ原を北京に女岳を指して注 h u のである、が此の途中に有毒瓦斯

k

噴出してゐる慮、がある由を聞いた故、著者等は白瀧よ台念坂そ登って 三角姑に出て、外輪山の山頂を男岳を指して登る乙と L した。三角鈷附近から見ると、七月二十九日千 葉氏が有毒瓦斯のため窒息したと云ム地黙が見える c 共の地知はホダの密生した庭であるが筏約五米位 にホダ、恒松が枯死して赤くなって見える。斯様な姑は爆後地貼たる石ポラの方へ倫外に二ケ所一直線 をなしで姑々としてゐる。 外輪山の西角を男岳を指して症な途中右手火口原の内に泥流を噴出した穴の跡が貼冷として見交る。 レ ﹄

(20)

一 七 四 (口論哨官何回兵第一回参照)、此庭から見ると爆殺の跡を大観する事、が出来、之等噴出口は略一列に女岳裾か ら北東││南西に並んでゐる事が剣る。男岳の抑慨に砕回る五百羅漢の奇勝を過ぎ℃から路を右にとって女 岳の中腹へ出る。 此の中腹には小焼砂と稀する不毛の地、があ

b

、火山砂磯の堆積し℃居る部分を見る。此慮に於て一行 は多くの火山弾を後見した。此の小焼砂の北端には略国形をなした噴火口跡、がある。(口総潟異第二国参 照)小焼砂から東方ど見ると女岳東方横昔との問に第二火口丘が見える。(口総潟異第三国第四回参照) 此の火口丘は最も新らしいらしく形も剣然とし℃ゐる。又小焼砂北端の噴火口も可な

B

新らしいもの L 如 く 形 は 未 、 だ 明 瞭 で あ る 。 小焼砂の東方から女昔を石ポラ八一下るのであるが此の庭は路が全くなく一品ヨ約二米位の熊笹が密生し て共の中に白樺や恒松が繁

b

-歩行極めて困難であって僅か五百米位の下山路を二時間も要した一程であっ た。而して石ポラから耳米位の一両誌の庭迄噴出した泥流をかぶっ℃居る上に所々に拘射ヨれた岩が落ち てゐる。之等の岩の中には径一米位のもの、があった。 火口原に下ると石ポラ附迂は一帯に泥流で蔽はれて居て共の厚みは約三米不払位であって径約一米位 の大杉が三分二は泥流に蔽はれて居ると云ム有様である(口給潟異第五岡及第六園参照)。此の泥流を一以 て蔽はれた地域は一長径約七百米、短径約四百米位で一長軸は北東

l

l

南西の向

3

をとってゐる。而して此

(21)

第 秋田賂駒最噴火口祉国 闘 の方向に沿ムモ大小約九偶の泥流噴出口、がある が主ハの中、中央にある一一例は火山友及火山礁を 飛ばしたと見られる校な小噴火口であった。 此の小噴火口(口絵努箕第七回参照)は一両

3

約 二米位、径約七米位の快頂固錐形をなして居る 細かい火山砂磯の堆積したもので西側に関口

L

-た噴火口がある。二十八日院は口底は灼熱状態 であったと云ふが著者等の登山した時は和熱い と云 λ 科度であった。思ムに之れのみは他の噴 出 口 と み 十 一 く 趣

3

を異にしたものであって東方積 岳方面迄も降下した火山友は此の噴火日から噴 出ぷれたものであらう。 今之等九伺の泥流噴出口及噴火口に第三闘の 如 ・ く 南 方 の も の 上

b1

b9

迄の番競を附しで 見る。然る時は 1 の噴出口は最も大なるもので 一 七 五

(22)

t 長径約六十米、短径約四十米 l 深

3

二 十 ・ 米 位 の 大

3

3

であっ℃周固には此の孔から噴出・ 5 れ た 大 山 石 、 が 無 数に乙ろ、かつてゐる。而し℃孔の中には雨水が溜

b

硫気りセめ K 黄色に濁ってゐる刀日給潟異第、八闘は 此の噴出孔の一角を南方よ

b

掠ったものである。 口総第九国は第

2

噴出口の北側内壁であって女岳の裾迄泥流、が堆積じ℃ゐる裁を南方から撮ったもの である。又第十闘は第 3 噴出口の東側内壁であ

b

第十回同じく北側の内壁であって第十二闘は莱の口底 を上から識したものである。此の噴出口は仰はに淘乾し℃ゐて口底は潟異に見る r如く無数の亀裂を生じて ゐる。更に第 8 及 9 の孔は女岳の一皮九佃の中最も高い所にあって第十三国の如く今も命水蒸気及硫黄・を 噴出し︿ゐる。命第十四国は 8 及 9 の噴出孔の遠望であって手前の所は泥流の流出した一跡である。 泥流の跡も所によっ℃は既に固く乾燥して国の如く無数の亀裂を生じ℃ゐる所もあるし叉所によって は向泥土の弐 L で歩くと腔を浸する様な所もある ρ 而 し て 乾 燥 し た 所 で は 亀 裂 の 問 か ら 多 少 硫 ム 恭 子 一 交 ー へ た瓦斯を噴出し℃ゐる所もある。 一方向乾燥しない所では内部は約三十皮位の暖みがあって歩くりを唆一か い戚じを受ける程度である。夏に績から泥流の堆積した所を見ると屠肢をなし壬居︿、此の泥流が一同 の爆殺で斯様に堆積したものでない事を一不し℃ゐる。 叉石ポ一ア附逗の樹木は泥流のため悉く枯死してゐるが此の内には直径一米に遅い杉、径一尺位の白樺 な ど が あ る 。 一方から考へると新様な大木が繁茂してゐるのは可な

b

の長年月に亙って此の山の活動が

(23)

なかった事堂立設してゐる。斯くて下山の際には以前千葉氏が毒瓦斯に鰯れて窒息したと云ムアザミ原 へ路をとりて行ったが肢に何等噴気などは無かった。向別に田淳湖附近の調査も行ったのであるが今岡 の爆殺に関聯する殺な務一化は何等認める事が出来なかった。 占ハー秋田測候所の地震験測結果 駒ケ山獄今同の爆殺による微動が或は秋田測候所の微動計に記録哀れてゐるかとの考へから秋田測候所 の微動計記象を験測し︿見た慮二十日以後に於 J ' ﹂左の三同の局後地震を験測する事、か出来た。 (一)七月二十三日零時四十七分七秒七夜震 此の地震は初期微動一秒四 1 線震動時間約一分極めて小 なる無戚受地震である、が盛岡及び水揮でも微動計に戚じ初期微動は盛岡で十七秒六であった。従って此 の地震は玉川下流大曲附返に起った局磯地震と思はれる。此の地震は生保内村或は図見温泉等では戚受 がなかった様である。 初期微動は明瞭でないが約二秒六、線震動時間三千 六秒、秋田は無戚畳であったが大曲では弱震、生保内では微震で遠雷の様な地鳴を聞いてゐる。此の地 (二)七月二十五日十九時三十七分十八秒

O

殺震 震も盛岡測候所の微動計に戚じ殺震時間は十九時三十七分十七秒五、初期微動は七秒七であったョ而し て此の地震も大曲附還を震央として起ったものらしい。二十五日夕刻生保内村及図見温泉等で微震ケ戚 じ鳴動を戚じたのは此の地震である。 一 七 七

(24)

一 七 人 (三)八月一日六時二十八分十八秒殺震 此の地震の初期微動は六秒で総震動時間は一分三十秒、盛岡 測側所の微動計にも戚じてゐるが秋田、盛岡共に無戚受であった。 以上三種の地震は殆んど同様の記象型を示してゐる庭から見ても凡℃同一地震群に属するものと見ら れる。而して前述した如く七月二十五日駒ケ山獄山麓地方でも鳴動及微震を戚じた地震の震央は大曲附迩 であって斯の明治二十九年の陸 m m 大地震ど起した震源と略同一震源から殺した局後性のものと見られ る。従つ℃駒ケ山獄今次の爆後と直接の関係はないと見るのが至静岡であらう。倫之よ

b

見 て 駒 ケ 山 獄 の 爆 脱 税 は極め℃小規模のものであっ℃秋田測候所或は盛岡測候所の微動計には戚じなかったーペ見受られる。 七、結 邑会ー 高岡 以上述べた所を総括するに先づ有史以来全く主ハの活動を休止して居た駒ケ山獄が今同小なら Yと雄も突如 活動をなせるは注目に値する事である。然も駒ケ山獄火山列は陸籾大地震の震源となった真書山脈の北部 に位し℃ゐて、士ハの地震によって生じた千屋大断層(二)の延長上舵存在する之とは大に注目そ要すると と で あ る 。 元来千屋断層は山崎博士の調査に従ふと南部は m m 前 m m 後の図端近く、横手盆地の南端杉宮、兵津方面に 共の痕跡を認める事が出来るが剣然と之れを認め得るのは浅舞以北であって、此の附在学米詳の小陥落 をなして北 l 伊東に走ってゐる。而し℃此の断層が最も剣然せるは角間川の西南西金津以北であって、之

(25)

れ よ

b

北々束又は北東の走向をとって六郷東枝、千屋、浪花‘黒海、大田、啓内ど経て白山石に達する問は断 絶ずる乙となく延々として走ってゐる。 此の間千屋に於℃は最も顕著であって此の断層を境として両方は相劉的に三米の落差を示してゐる。 白岩よ

b

北東に進んだ断層は常に北東の走向をとって断渡しながらも生保内方面に達し、生保内の東方 一粁弱で盛岡街道を東北東の向きに過ぎって駒ケ法山涯に走ってゐる。而して之れよ

b

北 方 は 駒 ケ 山 獄 火 山中に入るため断層の院跡は不明である、が若し白岩生保内聞の如く北西の走向を以て進むとすれば第一 聞の如︿駒ケ山獄の爆裂火口祉を南西 lli 北東に縦断する事となる。然も此の方向は今同の爆援によっ℃ 駒ケ山獄大口祉内に生じた泥流噴出口或は小噴火口の列べる方向と一致し℃ゐる。 従つ℃駒ケ山獄を南西││北東に縦断する一 m m 線の存在する乙とは確賞であっ℃、¥之れが千屋断層の延 目先と一致する乙とは興味ある事寅である。出向般

b

に千屋断層ど北東方に延長して見る時は岩手山に達す る。岩手山は前にも述べた如く犬深山獄から東方に走る火山列中の火山であるが、近くは貞享三年(西暦 千六百八十六年)貞一百十四年の大活動を始めとして元誠二年(千六百八十九年)及享保四年(千七百十九 年)に活動をなした歴史がある。然し之れ以後今日に至る迄二百三十年間更に活動の歴史がない。 命岩手山は一方陸 m m 大地震によって真書一山脈の東側に生じた川舟断層の延長上にもや回ってゐる。(第一 回参照)故 K 之等の知から考へて少くとも共の動静に注目する債値があると考へられる。 一 七 九

(26)

一 八 O 扱明治二十九年の陸籾大地震は川舟、千屋雨断層間の真書一山脈の相針的隆起が原因となって居る、が、 之等雨断層の走向は北々来 l l 南今西戎北東││南西の走向である故に之れが原因となった力の作用方 向は北西及南来方向からの一腰カであると考へる事、が出来る。叉明治二十七年十月二十二日山形燃庄内地 方に起った大地震によって生じた失流津断層も走向は北五十五度束に走って西部の相釣的陥渓を示して 見る。従って此の地震も前者同様北西及南東よ

b

の一魅力によって生じたものと考へる之とが出来る。 又最近本邦各地に起った数同の烈震及強震から藤原博士及本多技師(三)(四)は之等地震が本邦に絶え ず働く北西及南東よ

b

の歴力、北東及南西方向への張力によっ℃生じたものであるとの憶説を唱へてゐ る。著者も又夫れに賛するものであるが若し之れが異であるとすれば陸溺大地震も亦今同の駒ヶ款の活 動も共に絶えず日本島に作用する此の一魅力による歪の増大化よって生じたものと考へる之とが出来るで あらう 0

7 A問今同の駒ヶ獄の活動は極めて小規模のものであって営時賀地踏査後著者等、が殺表した如く引績いて 大なる活動は起らなかったのであるが、若し此の活動、が前述した如く日本島に不断に作用する力によっ ℃起ったもの L しすれば今後同系統の火山若くは地震帯の活動も漁期せらるよ祥であるが‘之れは勿論草 なる憶設に過ぎ胤故暫らく共の治一 J 誌を注目して他日叉再び論ずる事とする。 文 献 ( 一 ) 槌 井 信 災 海 防 調 査 曾 報 告 第 四 十 四 競 ハ 二 一 ) 本 多 験 震 時 報 第 五 巻 第 二 掠 つ 一 ) 山 崎 同 第 γ 一 一 読 ( 四 ) 本 多 同 第 六 巻 第 一 一 誠

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