• 検索結果がありません。

〈論説〉責任能力と訴訟能力に疑いある場合の公判手続-刑事訴訟法314条の解釈・運用

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "〈論説〉責任能力と訴訟能力に疑いある場合の公判手続-刑事訴訟法314条の解釈・運用"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

【目次】 1 はじめに 2 裁判所のとるべき措置―公判手続停止決定か無罪判決か 3 公判手続停止後の措置―手続打切りの可否 4 おわりに

1 はじめに

責任能力が争点となり,裁判所が被告人の精神鑑定を実施したところ,その 結果(裁判所に提出された鑑定書の内容)が,刑法39条の「心神喪失」1)を基 礎づけるものであったが,同時に,刑事訴訟法314条1項の「心神喪失の状態」 をも基礎づけるものだった場合2),裁判所はどうすべきか。公判手続の停止 (314条1項本文)か,無罪判決(同項但書)か。また,公判手続を停止した場 合に,その後の帰趨はどうなるか。「心神喪失の状態」から回復する可能性がな いときも,検察官が公訴を取り消さないかぎり(257条),裁判所が手続を打ち 切ることはできないのか。

責任能力と訴訟能力に疑いある場合の公判手続

―刑事訴訟法3

4条の解釈・運用

江 里 人

1)精神の障害により,事物の理非善悪を弁識する能力又はこの弁識に従って行動する能力を欠く状 態(大判昭和6年12月3日刑集10巻12号682頁〔686頁〕)。 2)捜査段階における簡易鑑定の「責任能力あり」という結果を受けて検察官が起訴したところ,公 判段階における裁判所鑑定の結果が「責任能力なし」であり,かつ,「訴訟能力もない」旨が付記 されるという事態は,あり得ることである。

(2)

このような事態は今後も生じ得るから,議論の実益がある。そして,前者に ついては「冒頭手続前に弁護人が被告人に訴訟能力がない旨主張し,裁判所が 訴訟能力に関する鑑定を実施したところ,その結果が『訴訟無能力かつ責任無 能力』だった場合」をめぐって議論が展開されている3)が,なお掘り下げる余 地があると考えられ,その際,冒頭に記載した(これまで措定されてきた状況 とやや異なる)状況を措定して検討することが,有益と考えられる。また,後 者については,近時,裁判例に動きがみられる。そこで,本稿では,これらに ついて検討する。

2 裁判所のとるべき措置―公判手続停止決定か無罪判決か

 「心神喪失の状態」の意義 本稿は「鑑定結果が(刑法の『心神喪失』を基礎づけると同時に)刑訴法の 『心神喪失の状態』を基礎づけるものだった場合」を措定しているので,「心神 喪失の状態」の意義について,まず確認する。 これについては,「訴訟能力,すなわち,被告人としての重要な利害を弁別 し,それに従って相当な防御をすることのできる能力を欠く状態」4)という理 解が,一般的である。ここで問題となる能力は,個々の訴訟行為を有効になし 得る能力(訴訟行為能力)ではなく,被告人の防御権の保障ないし手続の公正 の確保という観点からみて訴訟手続を進めていくことが許される,公判手続の 続行に耐え得る能力(公判手続続行能力)である5)6)。そして,その判断は, 3)法曹会編『例題解説刑事訴訟法〔3訂版〕』(法曹会,1998年)17頁以下,木村烈「訴訟能力と 刑事鑑定」中山善房判事退官記念『刑事裁判の実務と理論』(成文堂,1998年)25頁以下。 4)最決平成7年2月28日刑集49巻2号481頁〔484頁〕。 5)最決昭和29年7月30日刑集8巻7号1231頁〔1233頁〕は,控訴取下げの効力が争われた事案で, 「訴訟能力というのは,一定の訴訟行為をなすに当り,その行為の意義を理解し,自己の権利を守る 能力を指す」とした。また,最決平成7年6月28日刑集49巻6号785頁は,死刑判決の言渡しを受 けた被告人の控訴取下げを有効とした原原決定及び原決定を取り消すにあたり,「死刑判決に対す

(3)

弁護人・補佐人等法律上被告人を擁護すべき者による適切な援助があること及 び裁判所が後見的役割を果たすことを前提になすべきものとされ7),また,事 案及び争点の内容(複雑性)をも考慮してなされる8) る上訴取下げは,上訴による不服申立ての道を自ら閉ざして死刑判決を確定させるという重大な法 律効果を伴うものであるから,死刑判決の言渡しを受けた被告人が,その判決に不服があるのに, 死刑判決宣告の衝撃及び公判審理の重圧に伴う精神的苦痛によって拘禁反応等の精神障害を生じ, その影響下において,その苦痛から逃れることを目的として上訴を取り下げた場合には,その上訴 取下げは無効と解するのが相当である。けだし,被告人の上訴取下げが有効であるためには,被告 人において上訴取下げの意義を理解し,自己の権利を守る能力を有することが必要であると解すべ きところ(最高裁昭和29年(し)第41号同年7月30日第二小法廷決定・刑集8巻7号1231頁参照), 右のような状況の下で上訴を取り下げた場合,被告人は,自己の権利を守る能力を著しく制限され ていたものというべきだからである」とした。ここでは,上訴の取下げという特定の訴訟行為を有 効になし得る能力が問題とされており,また,自己の権利を守る能力が完全に欠けていなくても, 著しく制限されていれば,当該訴訟行為が無効になる場合があるとされている。 6)「訴訟行為能力」と「公判手続続行能力」については,川口政明『最高裁判所判例解説刑事篇平 成7年度』(法曹会,1998年)19頁,中谷雄二郎『最高裁判所判例解説刑事篇平成7年度』(法曹会, 1998年)267頁。 7)木村・前掲注3)30頁,川口・前掲注6)134頁,佐々木史朗「判批」平成4年度重判解(1993 年)202頁,鬼塚賢太郎「判批」判評451号(1996年)78頁,松本一郎「判批」現刑2号(1999年) 60頁など。 この点に関し,最判平成10年3月12日刑集52巻2号17頁は,「被告人は,重度の聴覚障害及びこれ に伴う二次的精神遅滞により,訴訟能力,すなわち,被告人としての重要な利害を弁別し,それに 従って相当な防御をする能力が著しく制限されてはいるが,これを欠いているものではなく,弁護 人及び通訳人からの適切な援助を受け,かつ,裁判所が後見的役割を果たすことにより,これらの 能力をなお保持していると認められる。したがって,被告人は,第1審及び原審のいずれの段階に おいても,刑訴法314条1項にいう『心神喪失の状態』にはなかったものと認めるのが相当である」 としている。 これに対して,渡辺修「聴覚障害者と刑事裁判の限界」判タ897号(1996年)41頁は,防御の主 体は被告人であり,防御の利益は被告人一身専属であって,弁護人は被告人が選ぶ防御方針を法的 に表現する援助はできても本人の意思を忖度して代理表示することはできず,裁判所による被告人 の懇切な後見機能の信頼を求める運用は,糾問・効率・必罰に支配された裁判を生みかねないとし て,訴訟能力の有無はあくまで被告人本人の精神的諸能力を判断基準にすべきであるとする(同 「判批」判評480号(1999年)53頁は,16歳,高校1,2年生程度の精神的諸能力が必要だとする)。 これに賛成するものとして,飯野海彦「刑事手続における訴訟能力の判断」廣瀬健二=多田辰也編 『田宮裕博士追悼論集 下巻』(信山社,2003年)409~410頁。 この点についての検討は後日の課題とし,本稿は本文の考え方を前提に検討する。 8)川口・前掲注6)134頁。この点に関し,平成10年最判・前掲注7)は,被告人が訴訟能力をな お保持しているとする理由として,「本件は,事実及び主たる争点ともに比較的単純な事案であっ て,被告人がその内容を理解していることは明らかである」ことを挙げている。

(4)

本稿が措定する状況,すなわち,責任能力が争点となっている事案で,責任 無能力と訴訟無能力とを基礎づける鑑定結果が出ている状況においては,以後 の審理は鑑定結果の当否(信用性)に関するものとなる。したがって,ここで の訴訟能力(公判手続続行能力。以下「訴訟(無)能力」の語はこの意味で用 いる)は,「責任無能力の主張立証,具体的には鑑定結果の当否をめぐる攻撃 防御を,弁護人の援助を得て遂行する能力」ととらえることができると考える。 この能力は,事実関係が争点となっている事案で,たとえばアリバイの成否に 関する審理が予定される場合などよりも,低いもので足りると考えられる。後 者においては要証事項を体験した被告人自身の役割が重要であるのに対して, 前者においては専門家の意見を分析・検討する弁護人の役割が大きいからであ る9)  「心神喪失の状態」の判断 次に,「心神喪失の状態」に関する審理・判断の在り方を検討する。314条が 公判手続の停止にあたって要求している,検察官及び弁護人の意見の聴取(同 条1項)と医師の意見の聴取(同条4項)は,それぞれどのようなものとして 位置づけ,どのように行うべきであろうか。 これに関して,まず,訴訟能力の有無は,厳格な証明の対象ではなく,自由 な証明で足りるとされている。そして,314条4項の医師の意見の聴取につい ては,鑑定ではないから裁判所が適当と認める方法で意見を聴けばよいとされ ている10)。鑑定人の作成した鑑定書が裁判所に提出されている(証拠調べは未 9)法曹会編・前掲注3)19頁は,「実務上,被告人が訴訟能力を欠くものと認められる場合は極め て少なく,このことは,審理の結果半永久的に責任無能力であることがほぼ判明した被告人につい てもなお手続を進めた上で無罪等の言渡しがなされていることが多いことからもうかがえる」とす る。 10)横井大三『新刑事訴訟法逐条解説Ⅲ』(司法警察研究会公安発行所,1949年)89頁,小野清一郎 ほか『ポケット註釈全書刑事訴訟法(下)〔新版〕』(有斐閣,1986年)836頁〔横川敏雄=石丸俊 彦〕,平場安治ほか『注解刑事訴訟法中巻〔全訂新版〕』(青林書院新社,1982年)652頁〔高田卓

(5)

了の)場合に,適当な方法(形式上公判期日を開き,そこに顕出する方法もも とより差しつかえない)で取り調べればよい(訴訟法上の事実に関する認定の ために用いる限りは証拠能力は問題とならない)ともいわれている11)。他方, 訴訟能力の有無について鑑定を実施した場合に作成された鑑定書は,直ちに判 断の資料となるが,公判手続の停止の是非に関する事柄であるから,その資料 は公判廷に顕出することを要するという主張12)や,規則183条の医師の診断書 を徴する必要はないが,旧法と異なり特に医師の意見を聴くべきものとされた 趣旨から,慎重に認定すべきことは当然であるという指摘13)もある。 次に,訴訟能力の証明について,「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適 用しなければならないとの見解がある14)。しかし,一般的には,「被告人に訴訟 能力があることには疑いがある……場合には,裁判所としては,同条〈314条〉 4項により医師の意見を聴き,必要に応じ,さらに……専門家の意見を聴くな どして,被告人の訴訟能力の有無について審理を尽くし,訴訟能力がないと認 めるときは……公判手続を停止すべき」15)とされている。 爾〕,河上和雄ほか編『注釈刑事訴訟法〔第3版〕第4巻』(立花書房,2012年)563頁〔小林充= 前田厳〕,松尾浩也監修『条解刑事訴訟法〔第4版〕』(弘文堂,2009年)710頁,河上和雄ほか 編『大コンメンタール刑事訴訟法第2版第6巻』(青林書院,2011年)480頁〔高橋省吾〕など。木 村・前掲注3)34頁は,「一審の運用としては,可能な限り法12章の定める鑑定の規定に則った扱 いが相当であろう」とする。 11)法曹会編・前掲注3)32頁。 12)石丸俊彦ほか『〔3訂版〕刑事訴訟の実務(上)』(新日本法規,2011年)714頁〔石丸=井口修〕。 これに対して,木村・前掲注3)35頁は,鑑定結果によれば訴訟能力が認められる場合であれば, 公判手続を開いて顕出するのが妥当であるが,鑑定結果によれば訴訟能力が認められない場合には 本来の公判手続を開き得ないのであるから,公判廷外で当事者に示せば足りよう(当事者に開示し 「争う機会を与える」ことに主眼があるから,形式的な公判を開いて顕出するまではしなくともよい であろう),とする。これは,裁判所が,鑑定書を読んだ時点で,「訴訟能力なし」という心証を形 成していることを,前提にしている。しかし,検察官の意見が「鑑定結果を争う」というものであ る場合は,検察官に争う機会を与えるまでは,そのような心証は形成できないと考える。 13)団藤重光責任編集『法律実務講座刑事編第6巻』(有斐閣,1955年)1438頁〔佐藤千速〕。 14)後藤昭「被告人による控訴取下げの効力が争われた一事例」千葉7巻1号166頁,渡辺・前掲注 7)「判批」54頁。 15)平成7年2月最決・前掲注4)。

(6)

これらの点については,以下のように考える。まず,訴訟能力の有無は職権 探知事項であるが,被告人に対する権利保障がその内実であるから,被告人・ 弁護人の主張・立証及びそれに対する検察官の反論・反証の機会を,十分に保 障すべきである。すべての資料は(職権によるものも含めて)公判廷に顕出す ることを要し,当事者に弾劾の機会が与えられるべきである。また,訴訟能力 の審理方法(医師からの意見聴取の方法,実体審理を並行して行うか否かなど) についても,当事者の意見を尊重すべきである。検察官及び弁護人からの意見 聴取(314条1項)は,この趣旨で理解し,運用すべきである。次に,訴訟能 力の有無は職権探知事項であるから,裁判所は(当事者の意向を尊重しつつ,) その判断に十分と考えるだけの資料を入手することができる。また,訴訟能力 の実質は「防御権保障・公正確保という観点から訴訟手続を進行することが正 当視できるだけの能力」という規範的なものである。これらに照らせば,「審理 を尽くしても真偽不明」という事態は,ほとんど生じないと考えられる16)。た だし,可能な限りの資料を入手した結果「訴訟手続を進行することが正当視で きると言い切れない」という場合は,「正当視できない」という判断をすべき であろう。このようにして,裁判所が「訴訟能力なし」という心証に至ったと きは,公判手続を停止すべきである。  無罪判決の可否 続いて,314条1項但書により無罪判決をすることができるのはどのような 場合かについて,検討する。 同条項の「無罪……の裁判をすべきことが明らかな場合」とは,既に公判廷 で適式に取り調べた証拠によって無罪等の判決をするのに熟している場合をい 16)公刊された裁判例をみても,訴訟能力の有無を確定的に判断しているものばかりであり,真偽不 明とするものはみあたらない。

(7)

う,とされている17)。したがって,冒頭手続前に被告人の訴訟能力の有無につ いて鑑定をしたところ,(現在の)訴訟無能力かつ(犯行時の)責任無能力を 基礎づける内容の鑑定書が提出されたような場合は,被告人が訴訟無能力者で あることが判明しており,無罪判決をするためには冒頭手続や証拠調べ手続 (による鑑定結果の顕出)が必要であるから,無罪を言い渡すことはできない, といわれている18)。さもないと,たとえば,検察官から責任能力の存在を立証 すべき証拠が提出されて裁判所の無罪心証が動揺したり,検察官が鑑定書に同 意しなかった場合,裁判所は直ちに無罪の裁判をすることができなくなり,し かも被告人が直接防御できないうちに一定の手続が進行した結果を残すことに なる,というのである19)。これに対して,このような場合には,検察官の意見 を十分に聴取するなどして確実な見通しのもとに手続を進行させることが許さ れる,との主張がある20) この点については,以下のように考える。まず,裁判所が「訴訟能力なし」 という確定的判断をしたときは,その時点で無罪等の裁判ができる状態にない 限り,公判手続を停止しなければならず,その後に実体審理を行うことは許さ れない。しかし,「訴訟能力なし」という確定的判断は,公判廷に顕出された 資料に基づくものでなければならず,かつ,当事者に十分な主張立証の機会を 与えた結果であるべきである。したがって,鑑定書が裁判所に提出されただけ では,その判断はできない。形式的には鑑定結果を公判廷に顕出する必要があ り,実質的には鑑定結果について当事者に争う機会を与える必要がある。そし 17)松尾監修・前掲注10)709頁,河上ほか編・前掲注10)大コンメンタール483頁〔高橋〕,河上ほ か編・前掲注10)注釈565頁〔小林=前田〕。なお,公訴棄却や免訴に関しては,この解釈は修正す べきである(注41)参照)。 18)法曹会編・前掲注3)31~32頁,河上ほか編・前掲注10)大コンメンタール484頁〔高橋〕,河上 ほか編・前掲注10)注釈565頁〔小林=前田〕。 19)法曹会編・前掲注3)32頁。 20)松尾監修・前掲注10)709頁。

(8)

て,鑑定結果についての当事者の意向(当事者に対する意見聴取の結果)に応 じて,適切な鑑定結果の顕出方法をとることによって,妥当な進行を図ること が可能である。すなわち,検察官が鑑定結果について争わない意向である場 合は,鑑定書に同意意見を述べてもらい,同意書証として取り調べればよい。 取調べによって裁判所は「訴訟能力なし」という確定的判断をすると同時に, 責任無能力の心証も抱くから,直ちに無罪の判決を言い渡すことができる。以 上の進行について,弁護人にも異議はないはずである。他方,検察官が鑑定 結果について争う意向である場合は,その対象や方法に応じて,審理を進める 必要がある。まず,(B1)検察官が「訴訟無能力についても責任無能力につ いても争う」という場合は,訴訟能力と責任能力の双方について,厳格な証明 の要件を充足するように,審理を進めることが,妥当であろう。そして,審理 (例えば,鑑定人尋問と,検察官が請求した専門家の証人尋問)の結果,①鑑 定結果中の責任無能力の部分が信用できる場合は,無罪判決をすることにな り,②責任無能力の部分は信用できないが訴訟無能力の部分は信用できる場合 は,公判手続停止決定をすることになり,③責任無能力の部分も訴訟無能力の 部分も信用できない場合は,(公判手続を停止することなく)実体審理を進める ことになる。次に,(B2)検察官の鑑定結果に対する意向が「訴訟無能力部 分は争わないが,責任無能力部分は争う」というものである場合は,鑑定書 を公判廷に顕出(自由な証明)したうえで,公判手続を停止するのが妥当であ る21)22) 以上は,「第1回公判期日前に弁護人が訴訟無能力を主張し,訴訟能力に関す る鑑定を実施したところ,『訴訟無能力かつ責任無能力』という鑑定書が裁判所 21)訴訟能力に関する鑑定が実施されたのは,弁護人が訴訟無能力の主張をしたからであり,「責任 無能力でもあった」という鑑定結果が出たからといって,弁護人が「訴訟無能力」という鑑定結果 に異論を唱えることは,ないはずである。 22)検察官の意向が(B3)「責任無能力の部分は争わず,訴訟無能力の部分を争う」というものに なることは,考え難い。

(9)

に提出された場合」についての議論である。本稿で措定したのは,「弁護人が責 任能力を争い,責任能力に関する鑑定を実施したところ,『責任無能力かつ訴訟 無能力』という鑑定書が裁判所に提出された場合」である。この場合について も,上述したのとほぼ同じことになるが,違いが生じる部分もある。すなわち, 裁判所は,まず,検察官及び弁護人に,鑑定結果及び以後の審理方針に関する 意向を確認すべきである(314条1項の意見聴取)。そして,検察官が鑑定結 果について争わない意向である場合,及び,(B1)鑑定結果全体について争 う意向である場合は,上とまったく同じことになる。しかし,(B2)検察官 が「訴訟無能力部分は争わないが責任無能力部分は争う」という意向である場 合は,弁護人の意向によってその後の進行が異なる。(B21)弁護人が「訴 訟無能力部分を争わない」場合は,鑑定書を公判廷に顕出したうえで,公判手 続停止決定をすべきである。(B22)弁護人が「訴訟無能力部分を争う」 場合23)は,鑑定結果全体について厳格な証明の要件を充足するように審理を進 め,その結果,①責任無能力部分が信用できれば,無罪判決をすることになり, ②責任無能力部分が信用できず訴訟無能力部分が信用できれば,公判手続の停 止決定をすることになり,③責任無能力部分も訴訟無能力部分も信用できなけ れば,実体審理を進めることになろう24) 23)弁護人が訴訟無能力の主張をして訴訟能力に関する鑑定が実施された上の場合とは異なり,ここ では,弁護人が(訴訟能力はあることを前提に)責任無能力を主張して,責任能力に関する鑑定が 実施されたところ,「訴訟無能力でもある」という鑑定結果が出たのであるから,弁護人が,訴訟 無能力の部分に異論を唱えることは,あり得る。 24)鑑定結果に関する審理の過程(例えば,鑑定人尋問が終わり,責任無能力部分に関する検察官請 求証人の尋問が未了である時点)で,「責任無能力部分の信用性はまだ判断できないが,訴訟無能 力部分は信用できる」という心証に至ることも,考えられないではない。その場合は,その時点で 公判手続停止決定をすることになろう。ただ,1 つの鑑定についての信用性判断であるから,責任 無能力部分と訴訟無能力部分の双方についての証拠調べが終わるまで,いずれの部分についても確 定的な判断ができないことが多いと思われる。

(10)

3 公判手続停止後の措置―手続打切りの可否

上述のとおり,鑑定結果中の訴訟無能力部分のみ信用できる場合に,公判手 続停止決定がなされることになる。この場合に,その後被告人の訴訟能力が回 復しないとき,公判手続はどうなるか。検察官が公訴を取り消せば(257条), 公訴棄却決定(339条1項3号)により訴訟は終了する。しかし,検察官が公 訴を取り消さない場合,いつまでも停止状態が続くのか。裁判所が手続を打ち 切ることはできないか。  学 説 この点に関しては,①被告人が継続的な心神喪失の状態に陥り回復の見込み がない場合は,公判手続の構造的基礎・重要な基盤が失われ,手続が無効に帰 するから,338条4号により公訴棄却判決をすべきであるという説25)26),②被告 人が訴訟能力を失い回復の見込みがないときは,被告人死亡の場合に準じて 339条1項4号により公訴棄却決定をすべきであるという説27),③公判手続の 停止が長期にわたり,なお被告人に訴訟能力を回復する見込みがないときは, 手続が長期化したのは被告人側の事情によるものではあるが,被告人に有責な 25)松尾浩也『刑事訴訟法(上)』(弘文堂,1979年)135頁,同『刑事訴訟法(下Ⅰ)』(弘文堂,1982 年)160,163頁。賛成するものとして,高田昭正「訴訟能力を欠く被告人と刑事手続」ジュリ902 号(1988年)43頁,青木紀博「判批」判評448号(1996年)233頁,長沼範良「判批」ジュリ1108号 (1997年)118頁。 26)これに対して,土本武司「訴訟能力の欠如と公訴棄却」捜研757号(2014年)119(10)頁以下は, 公訴棄却事由は制限的列挙と解されており,公訴提起の適否は当該公訴提起時を基準とすべきで あって後発無効の論理は首肯しがたいとしたうえ,検察官は,公益の代表者として,被告人側の事 情だけでなく,被害者・遺族の感情や社会的影響なども総合的に考慮して公訴取消しの可否を判断 すべきであり,その裁量権行使が妥当であるのに裁判所が公訴棄却判決をするのは当事者主義訴訟 構造に反する処置だとする。 27)鈴木茂嗣『刑事訴訟法〔改訂版〕』(青林書院,1990年)44頁。

(11)

原因が存在するわけではないから,最判昭和47年12月20日(いわゆる高田事件 上告審判決)に則り,免訴で手続を打ち切ることも可能であるという説28) ど29)が主張されている。①②は訴訟能力の回復可能性がないことを手続打切 りの根拠とするものであり,③は手続の長期化を手続打切りの根拠とするもの である。 また,これらは排他的なものではなく,事案に応じて適切な構成を採用すれ ばよい,ともいわれている30)  裁判例 裁判例としては,以下のものがある。 28)佐々木・前掲注7)204頁。 29)岡部泰昌「刑事手続と障害者の人権保障(下)」判時1274号(1988年)13~14頁は,捜査・公訴・ 公判審理の全手続を通して広く告知と聴聞の権利保障が全く阻害されている場合には,捜査・公 訴・公判審理における基本的人権の保障に対する重大な侵害を理由にした憲法的形式裁判による手 続打切りが認められるべきであり,その場合には338条4号を準用すべきだとする。 白取祐司「判批」法セ401号(1988年)137頁は,①訴訟無能力の程度が重く回復不能であること, ②起訴から7年間も審理を行ったが通訳が不可能で法廷内での意思疎通ができていないこと,だけ でなく,③捜査段階での自白調書についても黙秘権告知が通じていないと考えられることも視野に 入れれば,338条4号の文理(「公訴提起の手続の違法」)により馴染むとする。飯野海彦「刑事被 告人の訴訟能力について」北園35巻2号(1999年)211頁は,捜査段階から訴訟能力に欠け黙秘権 告知が有効でなかった場合は,訴追行為に瑕疵があり「公訴提起の手続の違法」(338条4号)があ るとする。 渡辺修「聴覚障害者と刑事裁判の限界」判タ897号(1996年)42頁は,捜査権限を含む公訴権及 び裁判権の不当な行使によって被告人の包括的防御権が侵害され,裁判追行の瑕疵が重い場合は, 憲法76条の司法権に内在する,司法が自らの瑕疵を是正する責務に基づいて,訴訟指揮権による非 常措置として,免訴で手続を打ち切るべきだとする。また,同「聴覚障害者と訴訟能力」『刑事裁 判を考える』(現代人文社,2006年)183頁は,実質的な意味での裁判権の喪失事由を法338条1号 に読み込むことも検討の余地があるとする。 指宿信「聴覚言語障害を理由とした訴訟無能力と手続打切り―米・加の裁判例を参考にして」判 タ977号(1998年)25頁は,一般論として,裁判所が検察官に公訴の取消しを要請し,検察官が応 じない場合は,裁判所において訴訟の主宰者として非常措置として代替的に公訴を取り消したもの と擬制し,339条1項3号により公訴棄却決定を行うべきであるとする。 30)青木・前掲注25)233頁,中島宏「判批」刑ジャ45号(2015年)225頁,伊藤睦「判批」新・判例 解説 Watch 16号(2015年)188頁,指宿・前掲注29)25頁など。

(12)

 岡山地判昭和62年11月12日(刑集49巻2号506頁。平成7年2月最決・前 掲注4)の原原審) 「被告人は,耳が聞こえず,言葉も話せない聴覚及び言語の障害者であり, ……文字を読むことができず,手話も会得していない。したがって,本件の審 理を進めるに当っては……ほとんど通訳人の身振り手振りの動作によって被告 人との意思の疎通を図ろうと試みてきた。……被告人には通訳を介しての黙秘 権の告知が不可能であった……証人尋問における証人の供述内容も,……意味 あるものとして被告人に通訳することは不可能である。……検察官の冒頭陳 述,検察官及び弁護人がする証拠の請求,これに対する双方の意見や裁判所の 決定,論告,弁論など,すべて然りである。……このように,本件の審理の実 態を通訳という側面から眺めるとき,通訳の有効性はほとんど失われていると いわざるを得ない。……本件のような極限的事例においては,被告人に対する 訴追の維持ないし追行は救い難い影響を受けているというほかはない。それは また同時に,刑訴法が公訴の適法要件として本来当然に要求する訴追の正当な 利益が失われているということである。したがって,本件各公訴については, 刑訴法338条4号を使って,公訴提起の手続自体が不適法であった場合に準じ, 公訴棄却をするのが相当である。」  広島高岡山支判平成3年9月13日(刑集49巻2号517頁。平成7年2月最 決・前掲注4)の原審) 判決に対する検察官の控訴を受け,以下のように判示して,判決を破棄 した。 「338条4号……が適用されるのは……公訴提起の手続に瑕疵がある場合に限 定されると解されるから,本件のように公訴提起の手続に何らの瑕疵がない場 合にまで適用すべきものではない。……原判決が本件が極限的一例であること の根拠として認定している事実は,結局,……被告人に……訴訟能力が欠けて

(13)

いることを意味している。……原判決の認定するような事由で訴訟能力を欠く 被告人については,手続の公正を確保するため,刑事訴訟法314条1項を準用し て公判手続を停止すべきである」31)  最決平成7年2月28日(前掲注4)) 判決に対する弁護人の上告を受けて,上告趣意はすべて405条の上告理由 に当たらないとしたうえで,職権で,314条1項の「心神喪失の状態」の意義 について前掲注4)のとおり判示し,さらに,「原判決の認定する……事実関 係によれば……被告人に訴訟能力があることには疑いがあるといわなければな らない。そして,このような場合には,裁判所としては,同条4項により医師 の意見を聴き,必要に応じ,更にろう(聾)教育の専門家の意見を聴くなどし て,被告人の訴訟能力の有無について審理を尽くし,訴訟能力がないと認める ときは,原則として同条1項本文により,公判手続を停止すべきものと解する のが相当であり,これと同旨の原判断は,結局において,正当である」とした。 この決定には,千種秀夫裁判官の補足意見が付されている。曰く,「仮に被告 人に訴訟能力がないと認めて公判手続を停止した場合におけるその後の措置に ついて付言すると,裁判所は,訴訟の主宰者として,被告人の訴訟能力の回復 状況について,定期的に検察官に報告を求めるなどして,これを把握しておく べきである。そして,その後も訴訟能力が回復されないとき,裁判所としては, 検察官の公訴取消しがない限りは公判手続を停止した状態を続けなければなら ないものではなく,被告人の状態等によっては,手続を最終的に打ち切ること 31)同判決は,「公判手続が停止されると,被告人は,おそらく生涯の間公判手続が停止され,迅速 な裁判を受ける権利が侵害され,適正手続に違反するから,314条1項は適用されるべきではない」 旨の弁護人の主張に対して,「右の規定は,本来,手続の公正を確保するため,訴訟能力がない被 告人を保護する趣旨もあって存在する規定であるから,そのため訴訟が遅延することは右の規定が ある程度予想していることであり,それが相当長期にわたってもやむを得ないと考えられ,それに よって,迅速な裁判を受ける権利が侵害され,適正手続に違反することになるとは認められない」 と判示している。

(14)

ができるものと考えられる。ただ,訴訟能力の回復可能性の判断は,時間をか けた経過観察が必要であるから,手続の最終的打切りについては,事柄の性質 上も特に慎重を期すべきである」。  名古屋地岡崎支判平成26年3月20日判時2222号130頁32) 平成7年9月に男性(66歳)とその孫(1歳)を文化包丁で刺殺したという 殺人等被告事件で,同年11月に第1回公判が開かれ,平成9年3月に公判手続 が停止された後,平成10年5月に勾留の執行が停止されて精神科病院への措置 入院が開始され,その後入院治療が継続しており,公判手続停止中に鑑定等の 訴訟能力回復可能性に関する審理が行われ,検察官が公訴取消しの予定はない 旨表明していた事案で,以下のように判示して,公訴棄却の判決をした。 「本件のように,裁判所が訴訟手続の主宰者として被告人の訴訟能力の回復 状況を長期にわたって把握し,その後も訴訟能力が回復されないことが認めら れる場合,検察官の公訴の取消がない限りは公判手続を停止した状態を続けな ければならないものではなく,被告人の状態等によっては,手続を最終的に打 ち切ることができるものと考えられる(最高裁平成7年2月28日第三小法廷決 定・千種秀夫裁判官補足意見参照)。被告人に訴訟能力の回復の見込みがなく, 公判手続再開の見込みがないにもかかわらず,検察官が公訴を取り消さない場 合,裁判所が公判手続を打ち切ることは,訴訟手続の主宰者である裁判所の責 務であるといえる。……訴訟能力は,当事者主義の訴訟構造の前提をなすもの であって,訴訟関係成立の基礎となる重要な訴訟条件である。そして,被告人 に訴訟能力はなく,かつ,その回復の見込みが認められないことは,本件公訴 提起時には必ずしも明白ではなく,その後に明らかになった事情であるが,訴 32)弁護人による紹介として,伊神喜弘「ある精神障害者の弁護活動」刑弁79号(2014年)159頁が あり,評釈として,中島宏「判批」法セ717号(2014年)128頁,同・前掲注30)219頁,伊藤・前 掲注30)185頁がある。

(15)

訟能力の回復の見込みがない場合に,公判手続の停止を継続し,刑事被告人の 地位を半永久的に強制することは,被告人の迅速な裁判を受ける権利(憲法37 条1項)を侵害し,適正手続の保障(憲法31条)にも反するおそれがあるだけ でなく,事案の真相を明らかにし,刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現すると いう刑事訴訟法の目的(1条)にも反することになる。そこで,本件について は,公訴提起後に重要な訴訟条件を欠き,後発的に『公訴提起の手続がその規 定に違反したため無効』になったものとして,刑事訴訟法338条4号を準用した 上,被告人に対し公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合(刑事訴訟法314 条1項ただし書)として,被告人の出頭を待たないで,直ちに公訴棄却の判決 を言い渡すのが相当である。」33)  名古屋高判平成27年11月16日判時2303号131頁34) 判決に対する検察官の控訴を受け,以下のように判示して,判決を破棄 した。 「被告人の訴訟能力が欠けており,その回復の見込みはないとした原判決の 判断に誤りがあるとは認められない。……被告人が訴訟能力を欠く状態(刑訴 法314条1項にいう『心神喪失の状態』)にあるときは,検察官及び弁護人の意 見を聴き,原則として,その状態の続いている間公判手続を停止しなければな らない(同項本文)。公判手続を停止した後も訴訟能力の回復の見込みがない場 合には,訴追の権限を独占的に有している検察官(同法247条)において公訴 を維持するか否かを検討し,検察官が公訴を取り消せば(同法257条),決定で 公訴を棄却することとなる(同法339条3号)。また,その他の刑訴法の規定を 33)弁護人は「責任無能力を理由として,直ちに無罪を言い渡すべきである」旨主張したが,判決は, 「被告人は犯行時精神分裂病の症状を呈していなかった」旨の鑑定結果や,被告人が公判期日におい て一定程度の意思疎通能力や理解力を有していたと認められることから,「本件犯行当時心神喪失 の状態にあったという合理的な疑いを有するには至ら」ない,としている。 34)評釈として,暮井真絵子「判批」刑弁86号(2016年)119頁,中島宏「判批」法セ738号(2016年) 126頁がある。

(16)

みると,検察官が公訴を提起した被告事件について,裁判所がその管轄権を有 しないとか,被告人が死亡しているとか,親告罪の告訴がないとか,同一事件 について確定判決を経ているとか,時効が完成しているなどといった各種の訴 訟条件を欠いた場合には,それらに応じて,管轄違い,公訴棄却,免訴などの 裁判をすることが定められている(同法329条,332条,337条,338条,339条)。 刑訴法上,以上のとおり規定が整えられている一方で,公判手続を停止した後, 訴訟能力の回復の見込みがないのに検察官が公訴を取り消さない場合,裁判所 がいかなる措置を講ずべきかについては刑訴法に規定が存しない。以上によれ ば,その場合,訴追の権限を独占的に有している検察官が公訴を取り消さない のに,裁判所が公判手続を一方的に打ち切ることは基本的には認められておら ず,検察官による公訴取消しの合理的な運用が期待されている,というのが刑 訴法の規定の自然な理解であり,当事者追行主義とも整合するというべきであ る。もっとも,いわゆる高田事件に関する最高裁昭和47年12月20日大法廷判 決・刑集26巻10号631頁は,刑事事件が裁判所に係属している間に迅速な裁判 の保障条項に反する異常な事態が生じた場合,憲法37条1項はその審理を打ち 切るという非常救済手段がとられるべきことを認めている趣旨の規定であり, その場合においては免訴判決を言い渡すのが相当である旨説示している。最高 裁平成7年決定も,公判手続を停止した後,訴訟能力の回復の見込みがないの に検察官が公訴を取り消さないことが明らかに不合理であると認められるよう な極限的な場合に,検察官が公訴を取り消さなくても,裁判所が訴訟手続を打 ち切ることができることを否定したものとは解されない(検察官も上記のよう な場合に裁判所が訴訟手続を打ち切ることができることを認めている。)。原判 決は,裁判所が訴訟手続の主宰者として被告人の訴訟能力の回復状況を長期に わたって把握し,その後も訴訟能力が回復されないことが認められる場合に, 検察官が公訴を取り消さない限りは公判手続を停止した状態を続けなければな らないものではなく,被告人の状況等によっては,手続を最終的に打ち切るこ

(17)

とができるものと考えられる,と説示するのであるが,これは前記のような極 限的な場合の限度において憲法37条1項の趣旨に照らし是認することができ る。以上を踏まえ検討すると……原審の公判手続の停止時に被告人が訴訟能力 を有していたことがうかがわれ……精神状態に改善がみられた時期があった ……。また,原審において,……被告人の訴訟能力の回復可能性に関する審理 が行われてきたのであり,本件は,長期間にわたって審理が放置されてきたよ うな事案と同視することはできない。さらに,本件は……凶悪重大事案とうか がわれるものであり,遺族の被害感情も峻烈であること等を考慮して公訴を取 り消さない判断をしたとうかがわれる検察官の裁量を合理的でないと断定する こともできない。以上を併せ考慮すると,本件について,検察官が公訴を取り 消さないことが明らかに不合理であると認められる極限的な場合に当たるとは いえない」。  検 討 このように,裁判例としては,訴訟能力の回復可能性がないことを理由に338 条4号によって公訴棄却とした地裁判決が,すべて控訴審で破棄されており, 高裁レベルでは,「検察官が公訴を取り消さないことが明らかに不合理と認め られる極限的な場合に限って,裁判所が手続を打ち切ることができる」とされ ている(手続打切りの形式は明示していないが,高田事件判決と憲法37条1項 を援用しているところから,免訴を想定していると考えられる35)。ただし,実 際に手続が打ち切られた例は,いまだないようである。 たしかに,当事者追行主義に照らせば,検察官が公訴を取り消すのが,本来 の在り方であろう。しかし,訴訟能力の回復可能性がないにもかかわらず検察 官が公訴を取り消さない場合に,それが「明らかに不合理」とはいえないとい 35)暮井・前掲注34)119頁は,338条4号の準用による公訴棄却という原審の理論構成を,結論にお いて否定しなかった点に,本判決の最大の意義を見出すことができる,とする。

(18)

うことが,あるだろうか。判決が指摘する,①公判手続の停止時に,被告人 が訴訟能力を有していた時期があったり,被告人の精神状態に改善がみられた りしたこと,②訴訟能力の回復可能性について審理が行われていたこと,③事 案が凶悪重大で,遺族の被害感情が峻烈であること,などは,訴訟能力の回復 可能性がある場合にそれを待つことを正当化する根拠にはなっても36),訴訟能 力の回復可能性がない(と確定的に判断された)にもかかわらず公訴を取り消 さない(再開される可能性のない公判手続を存続させる)ことを,正当化する 根拠にはならない37)。訴訟能力の回復可能性がない場合には,爾後公判手続を 維持する意義も理由もないから,検察官は,速やかに公訴を取り消さなければ ならない38)。訴訟能力の回復可能性がない場合における,憲法37条1項にいう 「迅速」は,このように解すべきである39)。公判手続停止後,裁判所は,公判 手続再開のために,被告人の訴訟能力に関する資料を適時に収集し,当事者に 36)京都地判平成8年11月28日判時1602号150頁は,強盗殺人未遂・殺人等被告事件で,被告人が精 神分裂病に罹患して約26年間にわたって公判手続が停止され,第1審判決までに起訴後30年6か月 が経過した事案について,責任無能力を理由に無罪としたが,手続の打切りについては,以下のよ うに判示して,否定した。「本件の公判が著しく長期化した原因は,専ら被告人の病気にあり,…… 公判手続停止までには被告人の本件犯行当時の責任能力に関する鑑定書等の証拠を除いて,証拠調 べは殆ど完了しており,責任能力の点に関しても,……公判手続停止による審理の中断によって被 告人が防御上重大な不利益を受けたとは認め難いものである。……訴訟能力の回復可能性の判断 は,とくに精神分裂病という寛解ないし治癒の困難な病気に罹患している場合,時間をかけた経過 観察が必要であり,その審理手続の最終的打ち切りについては,事柄の性質上も慎重を期すべきで ある。……本件の公判手続の停止期間は約26年と異例の長期に及んだが,この間もはや被告人が訴 訟能力を回復する見込みがないと確定的に判断されて,その審理手続を最終的に打ち切るべきを相 当とするような状態には,遂に至らなかったものである。以上の次第で,右審理経過に照らせば, 弁護人指摘の点を考慮しても,本件においては,憲法37条1項の定める迅速な裁判の保障に反する 異常な事態を生じ,もはや審理打切りをもって被告人を救済すべきを相当とする場合にはあたらな い」。 37)中島・前掲注35)126頁。暮井・前掲注35)119頁も疑問とする。 38)起訴猶予を相当とする事情が公訴提起後に生じあるいは発見された場合(これが公訴取消しの本 来的場合とされている)には,検察官の裁量が認められるが,訴訟能力の回復可能性がない場合に は,裁量の余地はない。 39)高田事件判決の判断枠組みは,実体審理の続行可能性を前提とするものであるから,訴訟能力の 回復可能性がある場合には妥当するが,訴訟能力の回復可能性がない場合には妥当しない。

(19)

開示して補充・弾劾の機会を与えるべきである40)。そして,それらを経て,「訴 訟能力の回復可能性がない」という確定的判断に至ったときは,検察官に公訴 取消しを促し,検察官が公訴を取り消さなければ,公判期日を開いて訴訟能力 に関する資料を顕出したうえで免訴の判決をすべきである。314条1項但書は, 公判手続停止後に免訴や公訴棄却の審理・裁判をすることを許容するものと解 される41)。そして,この免訴判決については検察官が上訴することができる が,その不服(及び上訴審の審査)の対象は「訴訟能力の回復可能性なし」と いう判断の是非のみであるべきである42) 40)藤田昇三「判批」研修565号(1995年)30頁,川口・前掲注6)137頁は,訴訟能力の回復可能性 については,医師等の専門家の意見を聴取するなどして慎重に検討されるべきものであるから,裁 判所と検察官の判断が一致することが多いと考えられるという。そうあるべきである。しかし,裁 判例の事案では,検察官は「回復可能性あり」と考えており,第1審においても控訴審におい てもその旨主張している。審理を尽くしても裁判所と検察官の判断が一致しないことは,一定の割 合で避けられないであろう。 41)停止決定があると公判手続の進行が法的に禁止され,これに反してなされた手続は無効となると されている(河上ほか・前掲注10)注釈564頁〔小林=前田〕,松尾監修・前掲注10)708頁,河上 ほか・前掲注10)大コンメンタール482頁〔高橋〕)。しかし,ここでいう「公判手続」は「実体審 理」と解すべきであり,公訴棄却や免訴に関する審判は妨げられないと解すべきである。また,314 条1項但書の「無罪等の裁判をすべきことが明らかな場合」に「直ちに(その裁判をする)」とは, 「既に公判廷において適式に取り調べられた証拠によって無罪判決等をするのに熟している場合」に 「公判手続を停止しないで(それらの裁判をする)」という意味だとされている(河上ほか・前掲注 10)注釈565頁〔小林=前田〕,松尾監修・前掲注10)709頁,河上ほか・前掲注10)大コンメンター ル484頁〔高橋〕など)。しかし,公訴棄却や免訴に関しては「公判手続停止中に公訴棄却ないし免 訴の裁判をすべきことが明らかになった場合」に「停止した公判手続を再開したうえで(それらの 裁判をする)」をも含むと解すべきである。 公判手続停止決定後に,検察官が公訴を取り消した場合や,被告人が死亡した場合に,314条1項 但書により公訴棄却の裁判をすることは,実際に行われている(前者の実例として東京地八王子支 決平成10年12月24日判タ994号290頁(尊属傷害致死被告事件),後者の実例として千葉地決平成22年 9月28日公刊物未登載(弁護人による紹介として,橋修一「『訴訟能力』に囚われた被告人」刑 弁68号(2011年)128頁以下)がある)。 42)訴訟能力の回復可能性がある場合にも,高田事件判決の判断枠組みによる免訴の可能性がある (中島宏「長期にわたる公判手続きの停止と『手続打切り』の可能性」法セ577号(2003年)79頁)。 この場合の控訴審における審査対象は,「迅速な裁判を保障した憲法37条1項に反する異常な事態 が生じたといえるかどうか」となる。

(20)

4 おわりに

本稿では,「責任能力が争点となり裁判所が鑑定を実施したところ,責任無能 力と訴訟無能力とを基礎づける内容の鑑定書が提出された」場合を措定して, ①その局面で裁判所がとるべき措置(公判手続停止決定か無罪判決か),②公判 手続停止後に裁判所がとるべき措置(手続打切りの可否),について検討した。 その結論の骨子は,以下のとおりである。 検察官が鑑定結果を争わない場合は,鑑定書を同意書証として取り調べた上 で無罪判決をすべきである。検察官が鑑定結果全体を争う場合は,鑑定人尋問 及び検察官の弾劾立証を(厳格な証明の要件を満たすように)実施したうえ, その結果に応じて(鑑定結果の意思無能力部分が信用できる場合は)無罪判決, (訴訟無能力部分のみ信用できる場合は)公判手続停止決定,(いずれも信用で きない場合は)実体審理の続行,をすべきである。検察官が「訴訟無能力につ いては争わないが責任無能力については争う」という場合は,(自由な証明とし て)鑑定書を公判廷に顕出した上で,公判手続停止決定をすべきである。 公判手続停止後,被告人の訴訟能力の回復可能性がない場合には,再開可能 性のない公判手続を維持する意義も理由もないから,検察官は速やかに公訴を 取り消さねばならず,検察官が公訴を取り消さない場合は,それは「明らかに 不合理」であり,憲法37条1項の「迅速」に反するから,裁判所は免訴をもっ て手続を打ち切るべきである。 以上が,本稿の結論の骨子である。本稿は,既存の判例等の枠組みを前提に, その具体的内容を少し掘り下げようと試みたにとどまる。枠組み自体の妥当性 や,本格的な掘り下げなどについては,さらに追究していきたい。 (2016年11月18日脱稿) 

(21)

脱稿後,3 の上告審判決が出た(最判平成28年12月19日 http://www.courts. go.jp/app/files/hanrei_jp/355/086355_hanrei.pdf[最終アクセス:2017年2月4日])。 同判決は,以下のように判示して,原判決を破棄し検察官の控訴を棄却した。「訴訟手続 の主宰者である裁判所において,被告人が心神喪失の状態にあると認めて刑訴法314条1 項により公判手続を停止する旨決定した後,被告人に訴訟能力の回復の見込みがなく公 判手続の再開の可能性がないと判断するに至った場合,事案の真相を解明して刑罰法令 を適正迅速に適用実現するという刑訴法の目的(同法1条)に照らし,形式的に訴訟が 係属しているにすぎない状態のまま公判手続の停止を続けることは同法の予定するとこ ろではなく,裁判所は,検察官が公訴を取り消すかどうかに関わりなく,訴訟手続を打ち 切る裁判をすることができるものと解される。刑訴法はこうした場合における打切りの 裁判の形式について規定を置いていないが,訴訟能力が後発的に失われてその回復可能 性の判断が問題となっている場合であることに鑑み,判決による公訴棄却につき規定す る同法338条4号と同様に,口頭弁論を経た判決によるのが相当である。したがって,被 告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後,訴訟能力の回復の見込みがなく 公判手続の再開の可能性がないと判断される場合,裁判所は,刑訴法338条4号に準じ て,判決で公訴を棄却することができる」。 上記最判は,①公判手続停止後に,被告人の訴訟能力が回復しない状態で,公訴棄却判 決をすることができると明言した点,②訴訟能力の回復可能性(公判手続の再開可能性) の欠如のみを理由に,手続を打ち切るべきとした点,③打切りの形式について,338条4 号に準じて公訴棄却判決とした点に,意義が認められる。これらのうち,③に関しては, 訴訟条件や338条4号の性質などについて,詳細な検討が必要と考えられる。

参照

関連したドキュメント

例えば,立証責任分配問題については,配分的正義の概念説明,立証責任分配が原・被告 間での手続負担公正配分の問題であること,配分的正義に関する

例えば,立証責任分配問題については,配分的正義の概念説明,立証責任分配が原・被告 間での手続負担公正配分の問題であること,配分的正義に関する

攻撃者は安定して攻撃を成功させるためにメモリ空間 の固定領域に配置された ROPgadget コードを用いようとす る.2.4 節で示した ASLR が機能している場合は困難とな

サンプル 入力列 A、B、C、D のいずれかに指定した値「東京」が含まれている場合、「含む判定」フラグに True を

荒天の際に係留する場合は、1つのビットに 2 本(可能であれば 3

基準の電力は,原則として次のいずれかを基準として決定するも

保税地域における適正な貨物管理のため、関税法基本通達34の2-9(社内管理

Dual I/O リードコマンドは、SI/SIO0、SO/SIO1 のピン機能が入出力に切り替わり、アドレス入力 とデータ出力の両方を x2