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明治期における「庭球」の技術について

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Academic year: 2021

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(1)明治期 にお け る「 庭球」 の技術 につい て 岡. 明 *・ 表. 田. 孟. 宏 **. 序 日本 の幕藩体 制 が崩壊 し,明 治新政府 が樹立 され るとともに神戸 ,横 浜 な どの居留地外 国人 は ,彼 等 がその母 国 で慣 れ親 しんで きた スポー ツを 自分達 の生活 に取 り入 れて , それを エ ンジ ョイす るかたわ ら. 1). 2). KRACゃ YAACな. ど外 国人 だ けのスポー ツ・ クラブを 組織 し,親 睦を はか って いた。その スポ ー ッが 時代 が経過す るに したが つて ,次 第 に 日本人 に取 り入 れ られ て「 日本 にお け る近代 スポー ツの発展」 とな った こ とは間違 いのない ことで あ る。 も ちろん 一 方 で は ,我 が国近代化 の為 に雇 い入 れた外 国人技 師 や教 師が その 目 的 の為 に来 日 し,そ して近 代 スポー ツを伝 播 した こと も事実 で あ る。体操伝 習所 の米人. GOA・ リー ラ ン ドや南校教 師 の英人 FOW・ ス トレンジな どが. そ うで ある。また洋行 して きた 日本人 がそれを持 ち帰 った もの もある。 テ ニ ス がわが国に伝 来 したの も例外 でな くこのい ろ い ろの ルー トをた ど っ たわ けで 類似説 も含 め ると約 18説 といわれて い る。またそ の 時期 につ いて は 6). ほぼ明治 14∼ 16年 頃だ といわれて い る。そ して明治17年 に坪 井玄 道 が体操伝 習所 で ドイツ製 の ゴム球「 青馬 」印を用 いて生 徒 にテ ニ スを教 えた。 これが 明治期「 ロー ン・ テ ニ ス」 と呼 ばれなが ら 日本 の津 々浦 々ま で拡 が った ゴム 球 の「 庭球」 の 創始 で あ り,現 在 の「 軟式庭球」 の誕生 で あ る。大 正 2年 慶 応 が ,そ して大 正 9年 に他 の大学 が硬球 に転 向す るまで明治期 スポー ツの花 形 と して全盛 を きわ め ,大 正 期 に「 軟球」,昭 和 10年 │と 「 庭 球」,昭 和 14年 に. * **. 甲南女子大学助教授 甲南女子大学非常勤講師 (松 蔭女子学院大学教授).

(2) ″4. 明治期における「庭球」の技術について. 「 軟式庭球」 とその名称を変 えなが ら最 も競技人 口の 多 いスポー ッの一 つ と して現在 にいた って い る。 このよ うに明治期 ,「 ロー ン・ テ ニ ス」 また は 「 庭 球」 と呼 ばれなが ら次 第 に大流行 を果 した ゴム球 のテ ニ ス も当初技術的 には非常 に幼 稚で あ り,戦 術 な ど もただ四人 が単 な るボ ールの打 ち合 いを してい るのに過 ぎなか った。 その後明治期後半 にな ると打球術 (打 球法 )は もちろんの こ と,そ の戦術 にお いて も進歩 が著 し く,変 化 に富んで非常 に多様化 は して くるが ,大 正 2 年慶応大学 が ,そ して大 正 9年 他 の大学 が硬式 テ ニ ス に転向 した一 つ の動機 が ゴム球「 庭 球」 の戦術 のい きづ ま りで あ って ,そ の マ ンネ リズムに あ った ので はないか とさえ考 え られ な い こ ともな い。 大 正 期 か ら現在 に至 る70余 年間 ,軟 式庭球 の戦術 と しての主 流 は ,属 にい う「 雁 行陣」 で あ り,後 衛 と前衛 が分担 されてお り,練 習方法 な ど も後衛 は グ ラウ ン ド 0ス トロー クやサー ビス な どが 中心 とな って お り,前 衛 はボ レー スマ ッシュな どが 中心 とな って長 い年月 が経過 して きて い る。 本研究 は ,明 治期 にお こな われた変化 の多 い戦術 な どが現今 あま りに も知 られて いな い とい う状 況 の もとで ,当 時 の文献や歴 史的資料 を調査 し,こ れ を紹 介す る こ とが ,現 在 お こな われてい る「 雁 行陣」 に加 えて も っ と新 しい 戦術 が採用 されて ,今 後 の軟式庭球 の技術 の発展 につ なが り,ひ いて は正課 体 育 の授業や クラブ活動 の指導 に生 か され る こ とと確信 して ,こ こに研究成 果 を報告 す る もので あ る。 調. 査. (I)グ リップ 現在 グ リップに 関 しての考 え方 は ラケ ッ トの面 に対 して ど う持 つ か とい う こ とで あ り,イ ース タ ン・ グ リップや ウエス タ ン・ グ リップな どとい う用語 も この こ とか ら生 まれ て きたわ けで あるが ,こ れに対 して 明治期 の ラケ ッ ト 8). の握 り方 の考 え方 は ラケ ッ トの ハ ン ドル の どの部分を持 つ か とい う こ とにな って い る。つ ま り. ,. ,.

(3) 495. 岡田 明・表 孟宏 『 第一. ラケ ッ トの持 ち方. ラケ ッ トの持 ち方 には ,お お よそ三 種 あ り,第 一 は ラケ ッ トの柄 の 中程 を握 る仕 方 に して ,初 心 者 の一般 に傾 き易 き持 ち方 な るが ,こ の仕方 は ロー ンテ ニ ス界 にて は最 も忌 む所 の ものな り,何 となれ ば此持 ち方 によれば ,手 と ラ ケ ッ トの網 の 中心 との距離 ,短 か くな るを以 て ,低 き球或 は少 しく離れた る 球 を打 たん とす るときは,勢 ひ磐 を多 く屈 めざ るべ か らず して ,遂 には非常 に見苦 しき姿を造 り出す に至 るべ ければ な り,其 外高 き球 を受 け外す ことあ るのみな らず ,受 け返 した る球 も,他 の方法 にて持 て る時 に比 して球勢弱 く. ,. 且肥 の左方 に来 れ る球を打返す ことは非常 に困難 な り,』 とあ り,ま た. ,. 『 第 二 の持 ち方 は ラケ ッ トの柄 の端 を握 り,其 最 も端部 の皮 のつ きた る部 分 を僅 かに掌 の外 に出 し置 く方法 な り,こ の持 ち方 は最 も普通 に撰 ば るる方 法 に して ,姿 勢 の上 に も,球 勢 の上 に も,又 遠 き球或 は高 き球 を受止 む る上 に も,通 営 の持 ち方 な り,初 心 者 は必 ず此方法 にて慣 るるを勉 むべ し,充 分 に比仕 方 に心 得 た るもの は,更 に. ,. 第 二 の持 ち方 に移 るべ し,此 持 ち方 は ラケ ッ トの柄 の最 も端部 を全 く掌 中 に 入 れ ,こ れを握 れ るときは四本 の指 にて之 れを包 み ,小 指 は後押 の役 をつ と む る如 くす る仕 方 な り,然 れ ど も初 めよ り此持 ち方 になれん とす るときは. ,. 却 って ,ラ ケ ッ トの使用 ,意 の如 くな らず して其持 ち方 に慣 れ ざ る内に ,遊 』 戯 に あ きを来す の恐 あれば ,初 めには第 二 の方法 よ り入 るを順 序 とす 。 とあ り,大 変興味 の ある ことは当時 その第 二 の持 ち方 が非常 に流行 し,第 二 の持 ち方 を して い る ものが一 流 の選 手 といわれてい る。そ して シ ョー ト・ バ ウンド. (「. シ ョル トバ ウ ン ド」 とな って い る)な どは この持 ち方 に限 ると. あ り,ま た 前方 に落 ちるボールを打 つ のに も この持 ち方 が適 して い るとい わ れ ,当 時別名 で「 手裏釧 法」(し ゅりけん ほ う)と い う打 ち方 といわれて い る。. (I)グ ラウン ド・ ス トロー ク. 9). 10). 11). 現行 の指導要領 で は「 グ ラウ ン ドス トロ ー ク・ ボ レー ・ サ ー ビ ス 0ス マ ッ.

(4) 明治期における「庭球」の技術について. ″δ. シュ」 と細分化 されてい るが ,明 治期 には「 ボー ルを打 つ 姿勢」 と して一 括 して 次 の様 に書 かれてい る。 『 H證 の右方 に来 れ るボ ールを打 つ ときの姿勢 この場合 の姿勢 に ,お およそ三種 あ るが如 し何 れ の場合 に於 て も,鎧 の方 向 は ,ネ ッ トと平行 せ ず して ,之 と四十 五 度乃至九十度 の角度 をな し居 るを可 とす. ,. に)上 段 の姿勢. ラケ ッ トを肩 の上 に振 り上 げ ,撃 剣を使 ふ とき,同 じ姿勢. を取 る こ とを云ふ ,此 場合 は反跳 した る「 ボー ル」 の高 さによ りて ,證 の 重心 の位 置を上下 に加減せ ざ るべ か らず ,但 し此際 に両 足 の位 置 に 関 して は ,随 意 た るべ しと雖 ど も,吾 人 の経験 によれば ,両 足 を揃 へ て ,重 心 を 下 げ ん とすれば ,自 然證 を曲 ぐるに至 るべ きを以 て ,此 醜勢 を避 けんが為 めに ,成 るべ く両足 を開 くを可 とす 同 中段 の姿勢. ,. 右手 を ,ラ ケ ッ トと共 に前方 に突 き出 しラケ ッ トの網面 は. 地 に垂直 な ら しめ ,且 つ「 ネ ッ ト」 と少 し角度 を為 さ しむ │→. 下段 の姿勢. ,. 此姿勢 は厳 安全 に して且 最 も見 へ よ く,加 ふ るに最 も有 力. な る「 ボー ル」を送 るに適 せ る姿勢な り,そ の右手 は ,充 分伸 した る儘. ,. 證 と四十 五 度 の角度 をな し,ラ ケ ッ トは ,ボ ールを打 つべ き面 を地 に向 は じめて ,腕 と同 じ方 向 に伸 さるるが ,或 は其 方 向 と上 方 に四十五 度 の角度 を保 た しむ るな り,府 下 にて姿勢 の美 な るを以 て称 せ らるる高等商業学校 は多 くこの姿勢を採 る. ,. 準中 右T戌′. 姿朴 力上負′.

(5) ″7. 岡田 明・表 孟宏. 0膿 の左方 に来 るボールを打 つ ときの姿勢 ,. バ ック. (Back)を 打 つ と. きの姿勢 此場合 の姿勢 に も上段 ,中 段 ,下 段 の三 様 あ り. ,. И)上 段 の姿勢. 右拳を左 の肩 の前 に持 ち来 し,ラ ケ ッ トは直立 せ じめて. ,. ボー ルを打 つべ き面 を ,ネ ッ トと反 対 の方 向 に 向 は じむ ,シ ョル ト 0バ ウ ン ドを打 つ に妙 な り。 lE)中. 段 の姿勢. 右 の前腎 を水 平 に して ,鎧 と密 接 せ しめ ,ラ ケ ッ トはボ ー. ルを打 つべ き面 を ,ネ ッ トに 向 は じめて矢張 水平 に左 方 に伸 は さる。 │→. 下段 の姿勢或 は剣客 の姿勢. 肥 は之 を直立 せ しむ と言ふ よ りは,創 客 の. 足 を揃 へ て今 しも敵 に切 り込 まん とす る時 と同様 の姿勢 に あるべ し,そ の 左T負鼻鷲争. た上代ノ事 与.

(6) 明治期 における「庭球」の技術について. 498. 体 を来 るべ き「 ボー ル」 に対 して. ,. 通営 の位 置 に 占む るや否 や ,常 に体 重を左右 に托 し置 きいざ と云ふ場合 に ,重 心 と共 に左足 を一 歩前 に踏 み 込 ま しめ ,所 謂 ,落 し腰 の姿勢 とな るべ し,而 して右手 は左 の腰部 に添 へ ,ラ ケ ッ トの面 は下 を向か しめて 腕 と同 じ其方向 に伸 ばす ,そ の丁度. ,. 釧 客 が今 しも電光 石花 を演 ぜ ん と し て ,其 鯉 口を寛 げ た る時の秋水 のあ るべ き位 置 に ラケ ッ トを保 つ べ し. ,. 』 此 姿 勢 は最 も強 き ボ ー ル を送 るに適 す 。 とあ り,明 治期 に お け るグ ラウ ン ド・ ス トロー クの フ ォ ア ー・ ハ ン ドとバ ック 0ハ ン ドに 関 して上 ・ 中 ・ 下 段 それ ぞ れ六 種 類 の 打 ち方 の 説 明 にな って い る。. mボ. レ. ー. また ボ レーにつ いて は次 のよ うで. ,. 『 0ヴ ォ レー (或 はダ イ レク ト)に て打 つ ときの姿勢 ヴ ォ レーにて打 つ ときの姿勢 に も,左 右各 三 段 の種類 あ り と雖 ど も,最 も有効 に して ,又 最 も多 く行 はれ居 るは何 れ の方 向 に於 て も,上 段 の姿勢 な り,右 の上 段 の姿勢 は ,全 く前 に説明 した る上段の姿勢 と同一 な り,而 して左 の上 段 の 姿勢 は ,前 の ラケ ッ トの正面 を ネ ッ トに背反 せ じめた るに反 して此 場合 にて は ,ラ ケ ッ トのボー ルを打 つ べ き面 を ,ネ ッ トに 向 は じむ るを異 な り と す るのみ ,中 段 の姿勢 も頗 る流行 せ りと雖 ど も,下 段 の姿勢 に至て は其 困難 』 な ると,危 険 の多 き ことよ り,止 むを得 ざ る場合 にのみ行 はれ居 るが女日し。 と他 のグ ラウ ン ド・ ス トロー クの説明な ど と比 較 して余 り詳細 にわた つて の説明 がな されていな い。.

(7) 岡田. m. 明・ 表. 孟宏. 499. サ ー ビス サー ビス の説明につ いて は詳 細 にわた って い る。 『 サーブの打 ち方. 「 サー ヴ」 とは毎 回勝負 の始 めに於 て ,コ ー トの一. 方 の 隅 よ り,相 手 の相 対 せ る隅の方位 にある「 サーヴ ィ ング,」 一 卜」 にボ ール を打 ち送 るを云ふ ,此 サーヴの 強弱 ,巧 拙 は ,全 体 の勝負 に大 な る関係 を有 す るを以 て ,最 も注意 して練習す るを可 とす ,吾 人 の経験 す る所 によれ ば ,ラ ケ ッ トを右 手 にて持 ち上 げ ,其 握 れ る部分を右耳 の上 方 にて頭 部 に殆 ん ど接鯛 せ しむ ると同時 に ,ボ ールを左 の手 にて ,右 肩 の前 一尺 五 寸位 の邊 にて ,鉛 直 に上 方 に投 げ出 し,そ れが下 り来 りて頭 の上 ,五 寸位 の高 さに至 れ るを劇 しく打 つ くるに あ り,何 れの場合 に於 て も,ボ ール は必 ず ラケ ッ ト の面 を正 し く,ネ ッ トに 向 は じめず して ,多 少 ラケ ッ トを捻 づ る心持 にて打 つ を可 とす ,勿 論此場合 の打 ち方 に種 々あ りて ,僅 かの手 心 によ りて色 々の ボールを送 るを得 べ し,予 の経験 す る所 によれば ,下 り来 るボ ールの上面 の 方 を強 く打 つ くるときは ,ボ ール は殆 ん ど一 直線 をな して進 み ,バ ウ ン ドの や り方 も高 し,然 れ ど も若 し,下 り来 るボ ールの 内面 (相 手 の コー トに面 す る部分を外面 と云 ふ に対 して用 ふ )打 つ くると同時に我 体 の重心 を も下 す と きは ,ボ ール は「 ネ ッ ト」を越すや否 や急 に下 向 して ,其 バ ウ ン ドも甚 だ低.

(8) 5". 明治期における「庭球」の技術について. きを以 て ,こ れ は最 も恐 しき強球 と称 せ らる,尚 又 ,下 り来 るボ ールの上面 に「 ラケ ッ ト」 の 中心 を あて ると同時に ,其 中心 を して ,ボ ールの右面 を下 りて下面 を半周す る如 くに強 く打 つ くるときは ,相 手 の コー トに落 ちて ,殆 ん ど跳ね上 らざ る恐 しき魔球 とな るべ し,若 し此時 ラケ ッ トの 中心 を ,下 り 来 るボ ールの右面 の下方 に富 て ,こ れをそ の下面 の方 向 に廻転す るときは. ,. 球勢弱 けれ ど も,相 手 の コー トに落 つ るや ,今 迄 で進 み来 れ る方 向 に反跳 せ ず して , 上 方 に僅 か飛び上 るか , 若 しくは却 って後方 に返 る所 の (Cutting Ba11)と な るべ し,是 等 の打 ち方 は , 注意 した る「 サーヴ」を行 ふによ りて. ,. 容易 に 自得 せ らるるに至 るべ し。 べ 「 サ ー ヴ ァ」 は相手 の コー トの何 れ の邊 を狙 ふ きか は ,熟 練 の程度 と相 手 の位 置 によ りて ,臨 機應憂 の虎置 に出づ べ しといえ ど も,最 も安全 な る狙 ひ 所 はネ ッ トの 中央 の所 と相 手 のサー ヴィ ング ,コ ー トの 隅 の方向 との間を狙 ふ にあ り。 ボー ル が 「 サー ヴ」 は一 般 に強 く打送 るを便 とす といえ ど も,時 あ りて弱 き 却 って成功す る ことな きに あ らず ,そ の相手 が あま り用 心過 ぎて ,「 サ ー ヴ」 線 を去 る遠 き所 に位 置 を 占む る場合 には ,非 常 に弱 く辛 ふ じて相 手 の. コー ト. 内 に落 つ るよ うな る「 ボー ル」を送 るべ し,多 くは相手 を失敗 せ しむ るを得 べ し,よ し萬 が一受 け返 さる ことあ るに して も,か か るボー ル は一般 に弱 き を以 て今後 は充分 に狙 ひを定 め ,乱 れかか りた る敵 陣 の虚 を見 て ,最 も烈 し べ 』 きボー ルを送 るを得 べ きを以 て 大概 は之 れに て相手 を破 るを得 し。 と大変 くわ しい説明 がな されて い る。そ の他 一 般的 に「 カ ッテ ングボ ール (Cutting Ball)」. にかな りの 重点 をお いてい る ことが うかがわれ , ツイス ト. の カ ッテ ング ボー ル も「 魔球 」 と呼 ばれて い る。. lVl 戦術 (戦 法 ) (I)か. らmま でにつ いてはす べ て 明治期 にお け る打球 に 関す る説明 で あ り. ,. 現在 の指導方法 とはかな りの相違点 がみ うけ られ るが ,そ れに もま してtVlの 戦術 に 関 して は現在 で は全 く考 え られ な い様 な種 々の戦術 や らそ の名称 な ど.

(9) 岡田. 明 0表. 5θ F. 孟宏. がみ うけ られ る。 (1),鶴 翼 陣法 と魚鱗 陣法 明治期 にお け る戦術 につ いて は種 々な戦法 がいろいろな用語 を用 いて説明 されて い る6そ の 中 で も鶴翼 陣法 と魚鱗 陣法 な どとい う古 い兵法 の用語 が用 い られ優 雅 で あ る。 鶴翼 陣法 とは ,『 蓋 し此場合 に於 て 中央線 の右 に落 つ る球 は右方競技者 , 其 左 に落 つ る球 は背 部競技者 に一任 す るを可 とす。此鶴翼 陣法 は容易且 つ 適 当 な る配備 に して最 も普通 一 般 の例 な り。併 しここに他 の異 れ る陣法を張 る人 あ り。即 ちサー ブ線 の前方 に落 下 す る球 は一人 にて総 て受合 ひ ,他 の一人 は 寧 ろネ ッ トよ り遠 く距 りて 落 つ る球 のみ打 ち返 へ す。 若 し競 技 者 の 一 人 が 』 「 バ ウー レイ」を得 意 とす る時 は寧 ろ此魚鱗 陣法 に依 るを良策 とす る 。 とあ り,前 者 が現在 でいえば並 行 陣 で後者 が雁 行 陣 といえ よ う。 (2),正 進 的位 置 これ は現在 で い う並行陣型 で あ り,当 時並行 陣 型 に も後段並行 陣 ,中 段並行 陣 ,前 段並行 陣 とい うよ うに二 人 の ポ ジ シ ョンによ つてそ れぞれ の名 称 が付 け られ て い る。 『 正進 的位 置. これ は兵隊の正面進行 の場合 に. 於 け るが如 く雨 々相並 んで ,ネ ッ トに面 す るよ り 名 づ けた るものな り,予 の経験 す る所 によれば. ,. これ は総 ての場合 に於 て ,最 も安全 な る,又 最 も. 回 ・ 回 M. 有効 な る位 置 の 占 め方 な り,此 位 置 を とれば 自己の領分 の 内 ,何 虎 に落 つ る ボー ル にて も,決 して ,受 け返すに間 に合 はぬ ことな く,優 然 と狙 ひを定 め て ,こ れに應 ず る ことを得 べ し,但 此場合 に注意す べ きは ,両 者 の 中間例 へ ばM路 に落 ちた る球 に封 して ,甲 と乙 の雨人 一 度 に これに向 ひ ,為 めに ラケ ッ トを衝突せ じめて ,敵 に漁夫 の利を 占 め しむ る ことあ り,或 は此 際辛 ふ じ て一人 の ラケ ッ トに よ つて ,受 け返 した り とす るも,既 に 己に隊形 を乱 し. ,. 敵 を して ,充 分 に付 け入 るべ き,空 地を与 へ た る ものな れば ,第 二 回 目には.

(10) 5θ. 2. 明治期における「庭球」の技術について. 大概 ,敗 北 の不幸 に 陥 い るべ し,故 に斯 る場合 には必 ず ,組 の一人 に任 せ ざ るべ か らず ,此 注意 は ロー ンテ ニ ス勝負 中 の最 も大 切な る注意 の一な り,さ れば ,吾 れ よ り此位 置 を 占 めた る敵 に ,ボ ールを打 ち込 ま ん とす るには直 ち に此 場所 を狙 ふか ,或 は一旦 隅を狙 ひて ,相 手 の一人 を一 方 に偏 よ ら しめ. ,. 三 度 目に此 中間 目が けて打 ち込 むべ し,多 くは面 白 き勝鶏 を得 べ し,然 れ ど も此 隊形 は相互 に と りて ,最 も安全 な る ものな れば ,初 めに は ,最 も正則 な る,最 も強 きボー ルを送 るを主 眼 と し,幾 回 も績 く間 に相 手 の隊体乱 れた る を見 て ,始 めて思 ひ切た るボールを打 ち送 るべ し,始 めよ り,敵 の隙 のみ注 意 して ,勝 たん勝 たん と し居 るときは,却 って敵 に乗せ らるるの期を造 る も のな り,此 心掛 けは晴 れ の勝負 に於 て特 に大切 な るを覚 ゆれば コー トに上 る 』 もの は ,造 次 も忘 るべ か らざ る格言 と知 るべ し。 とあ る。 ①後段並行 陣 (底 部 並行 陣型 ) 明治34,35年 ごろまで 4人 ともベ ース ライ ンにいて打 ち合 うグ ラウ ン ド・ ス トロー クだ けのテ ニ スにす ぎなか った 。 これを「 底部平行 陣型」 といい も っと も普通 の 陣型 で あ った 。当初 は非 常 に幼 稚 で あ り,単 な るボ ールの打 ち 合 いに過 ぎなか った 。そのために ワ ンポ イ ン トの打球数 が百 球 を越す こと も 珍 しく無 い とい う ことで あ った。 明治38年 に東京高商を卒業 した安藤 博氏 が 昭和 14年 に次 の文を寄 せ てい る。 「 庭球 は平素 の練省 に も又試合 に も常 にダ ブ ルスのみで ,シ ング ルス は全 くや らぬ。又前衛 と後衛 との分業 はまだ全 く無 か った 。四人 が大体 ベ ース ラ イ ン近 く位 置 して互 に打 ち合 った ものだ。そ して相 手方 が少 々大 きな球 を打 った 時 に之 を打 ち返 さずに ア ウ トさ して得点 す る事 は ,何 だか少 々卑怯 な様 な気 が残 って いた (我 々以前 には ,手 が届 く球 はア ウ トと知 りつつ も打 ち返 してや った 時代 が有 った と聞 いて い る,庭 球技 の上 に も 日本 で は謙信式 の武 士気分 が漂 った事 は面 白 い じゃ無 いか)。. 一 つの 球 が百回以上 も打 ち返 され. る事 も有 った。 明治34∼ 36年 は一 橋庭球部 が最 も優 勢を誇 った 時代 で あ った。 高木 ,片 柳 ,金 原 三 君 は当時傑 出 して居 た。なかんず く高木 さん は六尺 有余.

(11) 岡田 明・表 孟宏. 5a3. の 巨躯 で 端艇部 の リーダ ーで あ り,悠 然且豪壮 な型 で有 った。片柳 さん は五 尺 二 ,三 寸位 ,軽 快俊敏 ,正 確 で技 も亦鮮 かで。金 原 さん は麻布 中学 の撃剣 と野球 の名手 (捕 手 )で ,球 を見 る事 す こぶ る速 い ,こ れに加 え るに俊敏機 を見て ネ ッ トに近 く突進 し左右 に出没 して敵 陣を圧迫 ,止 めを 刺すに妙 あ り。 此 時代 に於 け る只一人 の前衛 の技 を巧 に した。 けだ し日本 で 自然 に生 んだ 前 衛 の元祖 で あ った 。僕等 は此 二人 を庭球 の神 さんの ご と く思 った 。又 球 を切 る事 の妙技を持 った 向井 ・ 和 田組 が有 った。当時野球 カーブ研究 が余 り知 ら れ ぬ 時代 とて ,向 井 ・ 和 田組 に は相 手 も魔 球 と称 して嫌 が った ものだ ,殊 に 両人 の球 は各 反対 に ソ レるので一 層翻弄 された 。 』 とあ る。 ② 中段並行 陣 (中 部 並 行 陣型 ) 中段並行陣 とい うのは二 人共 サー ビス・ ライ ン位 まで前進 してプ レーす る ことを いい ,新 しいテ ニ スヘ の示 唆 をす る ものがす でに 当時開発 されて いた ことは注 目に価 いす る こ とで ある。 『 明治39年 に は ,丙 十生 の名 で「 つ ぎの 時代 は並 行 陣 に変化 す べ きな り」 とその研究を促 し,つ ぎのよ うな文 で「 運動 の友 」 に記述 してい る。 「 今春早稲 田が慶応 と戦 った 時 ,早 稲 田 の鈴木 ・ 岩 田組 が此 陣形 を用 ひた 事 があ った 。其勝負 は兎 に角 い くらか 目新 ら しい もの と して ,時 事子 は之 れ を庭 球界 の新紀元 に あ らざ るか と迄 云 ふたが ,其 時若 し鈴木組 が成功 して居 った ら,一 層 の注意を引 いて ,一 歩進 んで研究 す る者 も出来 たか も知 れな い。 が不幸其 時 は失敗 に終 った為 めあ ま り顧 み るもの も無 か った 。然 るに今秋 に な って慶応 と高 師 が戦 った 時 ,慶 応 の 岡が江森 と組 んで ,前 衛 の 岡が後衛 と な って ,此 に並 行 陣を張 った と聞 き及んだ。余 は残念 なが ら其ゲ ームを見 る 事 が出来 なか ったが ,兎 も角此 の勝負 も失敗 に帰 した ら しい。斬 うな ると或 は並行 陣 の存在 を疑 ふ 人 があ るか も知 れな いが ,是 れだ けで並 行 陣 な る もの を否定 す る事 は出来 な い。 ある欠点 の為 めに失敗 に帰 した とて ,其 全体 を全 然否定 す るの はあま りに早計 と云 ふ べ きで ある。 並 行 陣 は若 しロ ッビ ングに対す る適 当な る防禦法を発 見 した 暁 には恐 るべ.

(12) 明治期における「庭球」の技術について. "4. き陣形 とな るで あろ う。然 し之 等 は実地 につ いて 次第 にそれぞれ の順序 を経. て発達 し,変 化 して行 くべ き筈 の もので あ って ,決 して座上 の空 論 で は行 か ぬ 事 が明か で あ るか ら,余 は斯道 の選 手 に其研究 を希 ふ もので あ る。斯 く し て一 方 並 行 陣を張 るに於 ては対手 も亦 自然防禦法 と して 同 じ陣形 を取 らね ば 不利益 で あるか ら,此 に並行 陣 は普通 の 陣形 とな って来 る。 と,斯 うまで 予 」』 想 せ らるるが ,果 して 当れ りや否 や 。 と中段並行 陣 を高 く評価 して い る。. (3. 雁 行的位 置. 魚鱗 陣法 とい うのがそれで あ り,あ たか も魚 の 「 ゥ ロコ」 の様 に二 人 が相前後 して相 手 に対す る 陣法 を い う。ま た「 か り」 が飛 んでい るのに よ く 似 て い る ことか ら「 雁行」 と名付 け られ てい るの ③大雁行 陣 ④ 中雁行 陣 ⑤小雁行 陣 『 此位 置 を 占む るには ,一 組 の 内例. へ ば甲は. ,. ヴ ォ レーの打 ち方 に長ず るか ,或 は相手 よ り来 る高 きボー ルを巧 みに ,敵 の 居 らざ る方 向 に軽 く打 ち遣 るに妙 な るか ,或 は割合 に背高 きが故に ,自 己の 領 内 目がけて進 み来 るボー ル は悉 く之 を喰止 む るに都合 よ きか の場合 に用 ゆ べ き方法 な り,か つ これ と同時 に ,其 組 の一 人 な る乙 は右 よ り来 るボールを 打 つ に特意 な らざ るべ か らず ,何 となれば ,か か る隊列をなす ときは ,相 手 は主 と して ,乙 を狙 ふを以 て ,ボ ールは 自然 と,乙 の右方 に来 る こと多 けれ ばな り,尚 巧 者 な る相手 によ りて は ,我 が隊列を乱 さんが為 め ,甲 の後 に高 きボー ルを打 ち送 るべ きを以 て ,乙 は ,此 際最 も敏捷 に之 に赴 む き,其 球 を 受 け返す と同時 に ,甲 を して 己れ の先 の コー トに走 ら しむ るか ,或 は 自 ら氣 早 く,帰 らざ るべ か らず ,要 は各 瞬間 に於 て一 つ の領分 に只 一 人居 るよ うに 注意す べ し,然 れ ど も相手 の左程 に場所慣 れ ざ るものにあ りて は,前 方 にあ る甲 の奏効 ,誠 に見事 な る もの あ り,畢 克 す るに組 とな る人 の技術 と,相 手.

(13) 岡田 明・ 表 孟宏. の手腕 によ りて ,此 隊形 の取捨 を定 むべ きものな り。 』 とあ り,ま た 同 じ雁行 陣 で も大雁行 陣 ,中 雁行 陣 ,小 雁行 陣 と二 人 の ポ ジ シ ョンの違 いによ ってそれぞれ呼称 をかえて い る。現在 行 なわれてい る術 戦 は大雁行 陣型 とい う ことがで きる。そ して この雁行 陣型を始 めて用 いたの は 明治36年 頃慶応 が練習応用 しか けた といわれて い る。 (4),側 進 的位 置 前後衛 が縦 に一列 にな り相手 の打球時 に左右 に パ ッと別 れ る戦術 で あ る。 ⑥ 単行 陣 『 側進 的位 置. 兵隊 の側面進行 の 時 の如 く,甲. 乙互 に相 重な り居 るよ り,此 名を附 せ るな り,此 位 置 は ,雁 行的位 置 の一 層極端 な る ものに して. ,. 一 組 の 内例 へ ば ,甲 がヴ ォ レーの打 ち方 に長 ぜ る も,他 の打 ち方 には ,あ ま り得手 な らざる場合 に 作 るべ き隊列 な り,然 れ ど も,か か る隊列に あるときは ,甲 の左右 に移 しき 空地 あるを以 て ,巧 みな る敵 は ,必 ず 甲の右 か或 は其左を狙 ふ べ し,然 ると きは ,甲 の背後 にあ りてボー ル の何 れ の方 向 に来 るかを凝視 せ る乙 は ,最 も 軽快 に之 に駈 け付 け ざるべ か らず ,今 丙 よ り送 れ るボ ール は Pに 来 る もの と す べ し,而 して乙 は走 り行 きて ,容 易 に之 を受 け返 した る もの とす べ し,然 れ ど も巧猾 な る敵 は ,ヴ ォ レーにて ,乙 の右 の Qの 所 を狙 ふて打 ち付 くべ け れば ,此 場合 に ,甲 は Pよ りQま で駈 け付 け ざるべ か らざるを以 て ,敵 球 の 強 き場合 には ,到 底 ,間 に合 ふ ものに あ らず して ,お お よそ は負 け とな るべ し,故 に一般 に云 へ ば ,此 位 置 の 占 め方 は頗 る不安全 の もの とせ ざるべ か ら 』 ず。 とあ り,昭 和初期 における 日向 正 善 のい う単行 陣 とい う戦法 で ある。. 2. 結 果 お よ び考 察. 明治期 における「 庭球」 (現 在 の軟式庭球 )の 技術 につ いての調査につい.

(14) 明治期における「庭球」の技術について "δ. て は以上 の通 りで あ る。そ して この調査研究 は主 と して 高橋清 一の「 実験 ロ ー ンテ ニ ス術」を 中心 と したが ,明 治期 の他 の文献 に記 載 されてい るもの も 含 めて全 般 的 に調査検 討 を加 え ると. ,. 1,ラ. ケ ッ トの持 ち方 につ いて は ラケ ッ トの柄 の どの部分を持 つ か とい う こ. とが問題に されてお り,現 在 のよ うに「 グ リップ」 が ラケ ッ トの面 に対 し て どのよ うで あ るか とい うの とはかな りの相異 がみ られ る。つ ま り現在 い われ てい る「 イー ス タ ン・ グ リップ」 とか「 ウエス タ ン 。グ リップ」 とか を云 々す るよ うな ことは記 されてな く,「 上 手 な人 は ラケ ッ トの 柄 の先 を 掌 中 にす る」な ど ラケ ッ トの ハ ン ドル (柄 )の 持 つ 部分 につ いて述 べ られ て い る。. 2,「 上 手 な人 は ラケ ッ トの柄 の先 を掌 中 にす る」 とい う持 ち方でかつ短 か く飛 んで くるボー ル に対 しての打 ち方 を 「 手 裏剣法」 (し ゅりけん ほ う) とい って い る。. 3,サ ー ビスの種類 の 内 ,特 に「 カ ッテ ングボ ール」 の研究 が進 んでお り当 時 このサー ビスを「 魔球」 とい つてい る。 (明. ) 治35年 高商 の和 田が「 魔球 の元祖」 といわれて い る 。. 4,グ ラウ ン ド・ ス トロー クにお け る 「 ツイス ト」 (ネ. ッ ト近 くに打 つ 短 い. 打球 )も 当時「 魔球」 とい ってい る。 この 際 のボー ル は普通 の飛 び方 でな く,や や「 フ ァー」 と浮 きぎみ に飛んで相手 の コー トに入 る球 をい う。. 5,戦 術. (戦 法 )と して は次 の様 に分かれて い る。. (1),正 進的位 置 (鶴 翼 陣法 ) ①後段 並行 陣 (底 部 並行 陣型 ) ② 中段 並行 陣 (中 部 並行 陣型 ) (2),雁 行的位 置 (魚 鱗 陣法 ) ③大雁行 陣 ④ 中雁行 陣 ⑤小雁行 陣 (3),側 進的位 置.

(15) 岡田 明・表 孟宏. 5θ. 7. ⑥単行 陣 以上 大 き くわ けて 6陣 型 に分 け る こ とがで きる。 しか しなが らこの戦法 も初期 の段階 において は 4人 が後方 か らただ単 にボー ルを返すのみで ,い わば後段並 行 陣 で あ った ものがチ ャ ンスを見て 1人 が ネ ッ ト近 くへ 前進 し ス マ ッシュを した り した こ とか ら中・小雁行 陣 に発展 した と考 え られ る。 (明. 治32年 に金 原 が モー シ ョ ンに巧 みで あ り,ス マ ッシュに長 じていた. ので「 前衛 の元祖」 といわれてい る。 ) また ,た またま チ ャ ンスを見て ネ ッ ト近 くへ 前進 した 中・ 小雁行 陣か ら 発展 した ものが大雁行 陣 で あ り,大 雁行陣 にな って は じめて 前衛 が定着 した と考 え られ る。 (明. 治36年 早 稲 田 の飯 田が左右 の モー シ ョンに巧 みで「 ボ レーの元祖」. ) といわれて い る。. 並行 陣 につ いて は後段並行 陣 か ら中段並行 陣 に発展 したので はな くむ しろ 中雁行 陣ま た は小雁行陣か ら中段並行陣 に発展 した もの と考 え られ る。 単行 陣 につ いて は前記 の五 戦術 に加えてやや 奇襲的 に採用 された 戦術 と考 え られ る。. 6,ボ ールのス ピー ドが速 くな って きた。 (明. 治37年 に早 大鈴木 ・ 岩 田組 が強球を も って 奇勝 を博 し,「 鉄抱組 の. ) 元祖」 といわれて い る 。. 7,強 打 と ロビ ングとを併用 して大 正・ 昭和 と続 いてい る現在 の戦術 の基礎 とな る ものが出現 した。 (明. 治39年 早大 の氏家 ・ 山住組 は ロビ ング と強 打 とを併用 した 見事 な戦. ) 術 を確立 した 。. 8,当 時 の用語 明治期 に使 われた テ ニ ス用語 と して は 初期 にお ける「 テ ン ニ ス」 と か 「 サ ルブ」 とか とい うもの を除 けば余 り変 って いないが ,現 在 のテ ニ スか らみ て珍 ら しい と思 うもの を あげてみ ると. ,. ①「 テ ンニス」00… 。 「 テニス」の意.

(16) 明治期における「庭球」の技術について. 5“. 「 サー ビス」 の意 ②「 サ ルブ」 ……・. バウンド ・ バウンド 」の意 ]… … 「ショート ③「ショルト 「 サービス・ ライン」の意 ④「 サルヴィス ライン」……・ ・ ハ ⑤「 ハーフカウル ト」…… 「 ーフ・コー ト」の意 ⑥「 ス トリックァー,ア ウ :」 ……「 レシーブサイド」の意 …・ ニビスサイド」の意 ⑦「 ス トリックアー,イ ン」… 「 サ ・…・ 「 フォール ト」の意 ③「 ファウル ト」・ 「 デ ユース」の意 ③「 ィゝヴ ン」……・. バンテージ」の意 ⑩「利益L… …「アド. 「 サーバー」の意 ①「 球手」……・ 「 レシーバー」の意 ⑫「 受手」……・ 「 サーバーJの 意 ⑬「 打出入」……・ 「 レシーバー」の意 ⑭「 打返人」……・ 「 デ ユース」の意 ⑮「 一様」……・ 「 デ ユース」の意 ⑩「 対立」……・ ° ロビング」の意 ○「 ツライビング」…… 非常に打ち返 しにくい「 ⑬「 スコンクロビング」……・走 っていっても間にあわず返球す ることの出 来ない「 ロビング」の意 ったボ ⑩「 アラ又」(あ らまた)・ ……相手側によってポイントをされかか ールを自分のパー トナーが「 拾い返す」,現 在でいう「 フォロー」 の意 であり,こ の用語の語源はどうやら「 高田の馬場で助太刀に加わ った有 名な “荒木又衛門"」 からとってあるようである。. ・ … 「口_ン ⑩「ドンデンタ」…. 0ロ. ニスJの 意 ローン・テニス」とい (「. ° う発 音 を耳 で 聞 いて 間違 えて いたよ うで あ る ). 註  D の. Kobe Regatta and Athletic Ceub Yokohama Amateur Athletic Club.

(17) 509. 岡田 明・表 孟宏. 3)George Lelandァ メ リカ人. (1852年 ∼1929年. )在 日明治11年 9月. 6日 ∼明治14年. 7月 3日 。. 4)Frederich Wiliam Strangeィ. ギ リス人 (1854年 ∼1889年 )在 日明治 8年 ∼明治22. 年 7月 5日 歿。. 5)表 孟宏他「 日本における近代 スポーツの発展 に関する一考察一一 テニスの日本への 伝来 について一一 」松蔭女子学院大学「研究紀要」第24号. 6)坪 井玄道. (つ. (昭 和57年 12月. )。. ぼいげんどう)(1852年 ∼1922年 )嘉 永 5年 1月 9日 ∼大正11年 11月. 2日 歿。. 7)日 本軟式庭球連盟編『軟式庭球指導要領』 (昭 和53年 12月 ), 2頁 。 8)高 橋清一『 実験 ローンテニス術』 (明 治33年 3月 30日 金昌堂)45頁 ∼48頁 。 9)日 本軟式庭球連盟編 ,前 掲書 3頁 。 10)日 本軟式庭球連盟編 ,前 掲書14頁 。 11)日 本軟式庭球連盟編 ,前 掲書11頁 。 12)日 本軟式庭球連盟,前 掲書16頁 。 13)高 橋清一,前 掲書48頁 。 14)佐 竹郭公『 中学世界』一庭球一 (明 治35年 3月 10日 東京博文館)112頁 ∼124頁 。 15)高 橋清一,前 掲書68頁 ∼70頁 。 16)一 橋大学テニス部編『 一橋のテニス』 (昭 和57年 5月 20日 )32頁 ∼33頁 17)丙 十生『 運動の友』一庭球 の並行陣型一 (明 治39年 12月 。 18)藤 善尚憲『 テニスの技術史』 (昭 和47年 6月 1日 大修館)565頁 ∼566頁 。 19)高 橋清一 ,前 掲書65頁 ∼66頁 。 20)一 橋大学テニス部編 ,前 掲書35頁 。 21)高 橋清一 ,前 掲書66頁 ∼68頁 。 22)23)24)坪 井玄道『 戸外遊戯法』 (明 治18年 4月 金港堂)。. 25)26)27)28)29)30)下 村泰大『 西洋戸外遊戯法』 (明 治18年 3月 博聞社)。 31)32)野 口圭園『 内外遊戯全書第六編一庭球一』 (明 治32年 12月 博文館)。 33)34)35)36)高 橋忠次郎『 新式女子違戯法』 (明 治37年 7月 文盛堂)。 37)38)39)雑 誌『 ローンテニス』 (大 正15年 1月 ローンテニス社)。 40)吉 井良尚『 わがプ いの 自叙伝』 (昭 和48年 6月 10日 神戸新聞)。.

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