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在日ミャンマー人のアイデンティティから見る言語の社会化の事例

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─事例報告─

在日ミャンマー人のアイデンティティから見る

─言語の社会化の事例─

原 千亜 要 旨  日本語教育において「多言語多民族共生」という言葉を目にする機会が多くなったとは いえ、ミャンマー人は在日外国人の中のマイノリティであり、まだスポットライトを当て られる機会が少ない。そのような背景の下、日本語教室に在籍するミャンマー人学習者五 人に日本での生活について半構造化インタビューを行い、在日ミャンマー人の社会文化的 インターアクションを言語の社会化という視点から記述、分析を行った。  協力者のアイデンティティは、「在日ミャンマー人」という一括りの枠ではなく、一人 一人異なっており、ディアスポラ的な移動に伴って変化するハイブリッドで暫定的なもの であった。そして、どのようなアイデンティティを持っているかが、インターアクション の個別性の一要因であった。協力者たちは様々な領域でネットワークを構築し、そのネッ トワークとのインターアクションを通して「言語の社会化」を図っていた。それは、日本 社会という異文化社会をどう捉え、その中でどう生きるかということに通じていた。本稿 は、修士論文である原(2008)の一部をまとめ、加筆したものである。  【キーワード】 在日ミャンマー人、マイノリティ、言語の社会化、インターアクション、         アイデンティティ 1.はじめに  近年、地球規模でディアスポラ的な移動をする人々の増加に伴い、バイリンガリズムや マルチリンガリズム、第二言語習得といった新たな言語的、文化的インターアクションの 場面が世界的に増えている。このことが、これまで主に子供の第一言語習得研究で言及さ れて来た「言語の社会化」を第二言語習得研究のフレームワークとする潮流につながって いると言われている。「言語の社会化(language socialization)」とは、Schieff elin & Ochs (1986)によると、子供やあるコミュニティにおける新参者が言語形式や言語を通して、

そのコミュニティの価値観やマナーや習慣を自分のものとして取り入れることである。 Zuengler & Cole(2005)では、「言語の社会化」は、第二言語を習得しようとしている人 のその言語によって成り立っている談話コミュニティへの参加や、職業的専門知識の取得 や、言語使用における文脈の理解といった教室や職場で起こるインターアクションを理解 するのに有効であると述べられている。また、Ochs(1988)では、社会化は一生の間、継 続的に行われているものであり、そしてそれは、我々が接触するものを通して行ったり行 われたりするものであると述べられている。

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 本研究の調査協力者たちは、ディアスポラ的な移動で日本にやって来たミャンマー人で ある。そこで、協力者たちが移動によって新たに接触した言語とその背景にある異文化と のインターアクションを考察するにあたり、この言語を通して行われる社会化を研究のフ レームワークとすることにした。  また、宮副(2004)は、幼児の第一言語習得における「言語の社会化」理論の第二言語教 育分野への応用について述べている。幼児は、成長過程で周囲の人々と第一言語(母語) で社交することで言語習得が促される。これを第二言語習得に当てはめると、学習者は、 該当言語スピーチコミュニティのメンバーとして位置付けられ、三歳の幼児が成人と同じ ように話せないからといって能力別に分類されないのと同じように、「母語話者」と「非母 語話者」という二項対立や、「非母語話者」を「準母語話者、上級話者…」という能力別序列 によって分類されない。外国語教育の到達目標は、学習者の言語運用能力を母語話者に近 づけることでも、その文化に同化させることでもなく、文脈に沿って文化(母文化、異文 化を含む)の意味や規範の多様性を柔軟に理解できる人を養成することであると述べてい る。  『応用言語学事典』(2003:228)では「言語の社会化」について、「何も知らない者(子供 やその社会に新たに加わった者)をある社会、文化の成員としてふさわしい言語行動をと れるように教えることである」と述べられている。「言語の社会化」は日本語教育に携わる 学習支援者側にとっても、外国人学習者それぞれが日本社会で接する環境とのインターア クションを通して何をどう習得しているのかを知り、それを日本語教育の現場へ応用する ためのフレームワークとして有用であると考える。   2.研究の背景と目的  筆者が調査協力を依頼したミャンマー人を対象とした地域日本語教室には、およそ 100 名の学習者が在籍し、東京都のホームページ内「国籍別外国人登録人口」によると、平成 22 年 1 月現在、都内在住のミャンマー人は 5,128 人に上る。しかし、その「隣人」たちの実 態はまだ明らかにされていない。在日ミャンマー人が日本社会でどのような環境に接触 し、そこではどのようなネットワークを形成しているのか、またそれぞれのネットワーク の参加者とどのようなインターアクションを行っているのかを調査することによって、言 語の社会化の実態を明らかにすることを目的とする研究を行った。在日ミャンマー人の言 語の社会化の事例をエスノグラフィックな視点から明らかにすることで、一個人が異文化 社会の中で、その社会の一員として「自分らしく」生きるとはどういうことなのかを考察 する。本稿では特に、調査協力者たちの場所の移動と時間の経過に伴い変容が見られたア イデンティティから個々の言語の社会化について記述、分析を行った部分を取り上げた。  ネウストプニー(1995a)の「言語管理」理論によると、インターアクションには、言語 能力、社会言語能力、社会文化能力の三つが含まれる。そのうち、社会文化能力とは、「社 会の一員として、どのように行動するかというインターアクション能力」(ネウストプニ ー 1997:142)のことであり、そこには、日常生活の行動、経済、政治、思想行動なども

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含まれる(ネウストプニー 1995b)。本研究では、インタビュー・データから、その社会の 価値観やマナーや習慣を取り入れるという「言語の社会化」に影響を及ぼすと考えられる 社会文化能力に関係するものを取り上げた。 3.調査の方法と調査協力者  本研究では、アンケートなどによって一般的な傾向を明らかにするのではなく、インタ ビューによって個々の協力者の具体的で詳細な行動を記述する方法を取った。協力者のパ ーソナル・ネットワークの詳細な記述データの収集には、「対象者の意識の流れや内省を 重視して、柔軟に対応していく方法」(村岡 2002:127)である半構造化インタビューが適 していると考え、地域日本語教室に在籍するミャンマー人学習者五人に対し、来日から現 在までのネットワークについて半構造化インタビューを行った。そのうち本稿で記述、分 析を行った四人の調査協力者のプロフィールを表に示す。  調査にあたって、民族的多様性、男女比、滞在年数などを考慮し、表中の四人にインタ ビューを依頼することとした。また、これに加え、四人のインタビュー時の状況の違いな どによるデータの差をできるだけ均質にするために、補足的にインタビューを行ったり、 違う機会に協力者から得られた情報をフィールド・ノートとして記録したりした。調査協 力者にはインタビュー前に、調査内容について、「日本に来てからの日本人とのコミュニ ケーションや日本語の勉強について話してください」と説明した。 表:調査協力者のプロフィール(インタビュー時) MM1 MM2 MM3 MF1 性   別 男性 男性 男性 女性 年   齢 30 代 20 代 30 代 40 代 民   族 父方:中国系 母方:中国系 +カイン族 中国系 中国系 カチン族 (キリスト教徒) 日本語 学 習 日 本 語 能力試験 2 級合格 2 級合格 受験経験なし 1級合格 (2 回) 学 習 歴 3 年 2年 半年 5年 来 日 目 的 大学院進学 就労 就労 就労 職   業 証券会社 IT 関連部門 飲食店 店員 メーカー 営業部門 洋品店 店長 滞 在 年 数 7 年 9 年 12 年 16 年 学 歴 等 ミャンマーで 大学卒業 日本で MBA 取得 ミャンマーで 高校卒業 配偶者が日本人 ミャンマーで 大学卒業 配偶者が日本人 ミャンマーで 大学卒業

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4.記述と分析 4.1 アイデンティティ  本調査協力者は、ミャンマー国籍を持ち、現在は日本に在住するマイノリティであるが、 インタビュー・データの中からは、調査協力者たちの中のそれだけではない多様なアイデ ンティティが浮き彫りになった。ホール(1998:90)は、アイデンティティを、「すでに達 成され、さらに新たな文化的実践が表象する事実」ではなく、「常に過程にあり、表象の 外部ではなく内部で構築される『生産物』として考えるべきである」と述べている。つまり、 アイデンティティとは、固定化された「あるもの」ではなく、常に変異していく「なるもの」 であり、そして、その過程において、歴史、言語、文化をいかに利用するかという問題で あるホール(1996)。本稿では、調査協力者たちの母国や日本社会における環境との相互 作用を通したアイデンティティ構築のプロセスを明らかにするために、民族的アイデンテ ィティ、複合的アイデンティティ、ディアスポラ・アイデンティティの三つを取り上げ考 察する。 4.1.1 MM1・MM2・MM3 の事例から見る民族的アイデンティティ  調査協力者四人は通常、ミャンマーのパスポートを持つ「ミャンマー人」として一括り にされて語られる傾向にある。しかし、ミャンマーは多民族国家であり、協力者たちのナ ショナル・アイデンティティも単に「ミャンマー人」として説明するだけでは不十分であ る。日本語で「民族性」「民族統合」「民族意識」と訳されているエスニシティ(ethnicity) とは、人種(race)と区別されるものであり、「言語・宗教・慣習などの文化的諸特徴や伝 統を共有することによって歴史的に形成された同族意識をもつ人々の集団」恩村(2003: 211)を指すとされている。また、恩村(2003)は、アイデンティティの確立には、自分が 自我をどう認識するかと周りが自分をどう認識するかの両方がかかわっている。そして、 最終的には自分の帰属はその本人が決定するのであるが、決定の過程においては、外部が 自分をどう認識するかが多大な影響を与えることになると述べている。  インタビュー・データからは、出身民族への帰属意識が強い協力者とあまり強くない協 力者が見られた。その理由を解明するために、本節では特徴的であった MM1、MM2、 MM3 の母国でのエスニシティへの帰属意識に関するデータを取り上げ、それを基に個々 の民族的アイデンティティについて分析、考察を試みる。この協力者たちは、三人とも同 じように祖先に中国からの移民がいる「中国系ミャンマー人」である。しかし、それぞれ の「中国系」としてのアイデンティティには、言語能力とそれ以外の民族文化全般に対す る意識に特徴的な差異が見られた。三人の意識の違いに着目する。   <中国語の言語能力>  祖父が移民である MM1 は、母国では中国語に全く触れたことがなかった。MM1 にと っては、第一言語はミャンマー語であり、中国語は未知の外国語同様のものとなっている。 祖父母が移民である MM2 は、小学校時代に近所の中国系の男性に簡単な漢字を習ったこ

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とはあるが、会話は全くできない。MM2 にとっての第一言語もやはりミャンマー語であ り、中国語は第二言語とは言えない僅かに学習経験があるという程度のものである。父母 が中国からの移民である MM3 は、家庭では中国語を話しており、ミャンマー語よりも中 国語の方が優位である。自分の母語を中国語だと強く意識しており、ミャンマー語は不自 由ではないがあまり得意ではない。  このように、同じ「中国系」ミャンマー人でも中国語の言語能力に明らかな差異が見ら れた。これは、家庭環境における使用言語、つまり言語の社会化や継承語に対する意識の 相違が深く関係していたと考えられる。祖父、祖母の世代が移民として渡って来た MM1 と MM2 は、中国語との接触が少ないかほとんどなかった。一方、父母が移民であった MM3 は、幼いときから家庭内で日常的に中国語との接触があり、ミャンマー第一の都市 であるヤンゴン市内のチャイナタウンに自宅があったため、家庭外でも中国語との接触が 頻繁であった。書籍やインターネットなど情報媒体からの情報が入手しにくいミャンマー では、移民の継承語教育は、家庭内で親から子へ行われる以外の方法はほぼ不可能な状況 だろうと推察される。  言語能力や言語運用能力はその人物の表象のラベルとなりやすく、「中国系」と聞けば 中国語が第一言語であり、皆が中国語の能力を持つのではないかと一様に考えがちであ る。しかし、三人は移民の二、三世代に当たり、「中国系」ミャンマー人という移民社会 の民族の境界線と言語の境界線は一致していないことがわかる。   <民族文化全般に対する意識─ MM3 >  三人には中国語の言語能力以外に、民族文化全般に対する意識にも違いが見られた。 MM3 は、自分が育ったヤンゴンのチャイナタウンには、他のアジア諸国のような中国系 移民や子弟のための小・中・高校がないことを非常に残念に思っていた。母国での友人の ほとんどが中国系であり、そういった友人たちが皆、裕福な家庭の出身で学生時代に優秀 であったことを誇りに思っている。インタビュー中も自分のことを度々「中国人」と称し、 MM3 が「ミャンマー人」と言うときは、ほとんどの場合、中国系以外の人々のことを指し ていた。MM3 を取り巻く身近な家庭環境や社会環境の中心にオリジンとしての「中国」が あり、また、マジョリティであるビルマ民族が中心のホスト社会における自身の状況を、 対マジョリティと度々比較していた様子がうかがえる。この外部集団との比較が、民族的 帰属意識をより高まらせたのではないかと推測する。このように、マイノリティである自 身のエスニシティを常に意識する状態にあったことが、MM3 の民族的アイデンティティ に大きく影響を及ぼしたと考える。   <民族文化全般に対する意識─ MM2 >  MM2 は、日本語教室では他の学習者と比較すると教科書に出て来る漢字がよく読めた。 それについて、クラスメートたちは「MM2 さんは中国人(中国系)だから」と言っていた。 また、中国系は肌の色が白いという固定観念を持っている他民族のミャンマー人も多く、

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漢字が読めて肌が白いというラベルを貼られた MM2 は、自身のことを「一応、中国系」と 称していた。MM2 が「一応」と言ったのは、外部からは「中国系」と認識されてはいるが、 自己の中では「中国」は疎遠な存在だということが理由であることが、以下のインタビュー・ データから推察される。  MM2 は、中国語に関しては「しゃべれなくてもいい」と思っている。幼い頃はあまり熱 心に勉強しようとは思わなかったが、当時、多少触れた漢字の知識は、日本語の漢字を覚 えるのに役に立ったと感じている。しかし、あの時もっときちんと中国語の漢字を勉強し ておけば、日本に来て漢字で苦労することはなかったと後悔している。MM2 にとっての 中国語は、継承語として学ぶ機会を与えられはしたが、自身の民族的アイデンティティの 根幹を成す重要な一部とはならなかった。今や日本語を学習するための有用な道具という 認識でしかない。  首都から遠く離れた田舎町の出身である MM2 は、家族や親類以外の中国人コミュニテ ィに接する機会が少なかったと考えられる。そのような環境にあったことから、「中国系」 としてよりも移民として現地語で社会化する重要性があり、ホスト社会である田舎町のコ ミュニティの一員として生きることが優先されたのではないだろうか。日本で同じ地方出 身のミャンマー人に会うと、「うれしくてつい(ミャンマー語の)方言が飛び出してしまう」 と述べており、「中国系」というよりは、むしろその地方出身者としてのアイデンティテ ィを強く持っているのではないかと考えられる。  恩村(2003:212)では、「アイデンティティには自己を内面から定義するのか、外部か ら定義されるのかという側面がある」と述べられている。MM2 が「一応、中国系」と表現 したのは、「中国系」としてのアイデンティティを自身で選択してはいるが、実質的には 言語も文化も自己の中では疎い存在であり、その選択は、自分自身を取り巻く家庭や社会 や他民族の存在という外部の環境によって定義されたものを受容しているからではないか と考える。   <民族文化全般に対する意識─ MM1 >  MM1 の母方は父が中国系、母がカイン族という少数民族出身で、MM1 は母のことを「カ イン族」と表現しているが、MM1 自身はカイン族の言葉であるカイン語も中国語と同様 に全くわからない。両親から中国語やカイン語を勉強するように言われたことは一度もな く、自分自身も勉強しようと思ったことはないという。このように、家庭内でも継承語や 民族文化の教育を受けず、中国系のコミュニティともカイン族のコミュニティとも頻繁な 接触がなかった MM1 には、どちらの民族へも強い帰属を意識した発言は見られなかった。 その一方で、MM1 にだけは、現在でもミャンマーで受けた学校教育やミャンマーの社会 規範、社会道徳が、在日ミャンマー人社会における自身の行動基準や善悪の判断基準の一 つとなっている発言が見られた。MM1 は、三人の中でマジョリティを核とするホスト社 会のメンバーとしての意識が一番高かったと言える。  田辺(1996)では、ミャンマーではその長い歴史の中で、民族の移動の繰り返しが頻繁

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にあったことが述べられている。MM1 の家庭の事例のように、異民族同士が接触しイン ターアクションを繰り返す中で、民族的アイデンティティは一つのエスニシティに対して 固定されたものではなく、置かれた状況によって変容していくものではないかと考える。 MM1 が中国系やカイン族というオリジンに対する意識が希薄なのは、自身のオリジンで あるマイノリティ民族への帰属よりも、現在置かれたマジョリティ中心の環境や社会で、 安定的に過ごすということを目的とした言語の社会化のための選択だったと推察する。  このように MM1 の民族的アイデンティティの形成にもまた、家庭や社会環境とのイン ターアクション、および国の政策管理が影響していた。誰かに聞かれれば、自分のルーツ を「お父さんが中国系で、お母さんがカイン族」と説明するが、これも MM2 の場合と同じ ように、MM1 にとっては家庭や社会といった外部環境から与えられた定義でしかないと 考える。   4.1.2 MF1 の事例から見る複合的アイデンティティ  前節では、民族的アイデンティティという母国における民族的な所属集団との関係と意 識について考察したが、調査協力者たちは、日本という外国社会に居を移すことで、母国 にいたときとは異なるアイデンティティを構築させていた。恩村(2003)は、現代におい ては、様々な民族・文化集団間のコミュニケーションや相互作用が増加しており、人が状 況によって二つ以上のアイデンティティを持つことも起こり得ると述べている。本節で は、母国で少数民族の出身であり、来日後のアイデンティティの変容が特徴的であった MF1 を取り上げ、日本社会における社会文化的インターアクションから、一個人の中に ある複数のアイデンティティとそれに対する意識について考察する。 <変化するアイデンティティ>  MF1 は母国では、少数民族であるカチン族の出身である。MF1 によると、カチン族の 多くはキリスト教徒であるが、その中で二派に分かれており、MF1 は少数派の宗派に属 する。このことから、MF1 はミャンマー人の中でも少数民族というマイノリティであり、 その民族の中でも少数派であるという二重のマイノリティの状況に置かれていたというこ とになる。つまり、母国での MF1 の中には対するマジョリティによって、すでに二つの 民族的アイデンティティが存在していたのである。  戴(1999)によると、アイデンティティとは移動に伴って変化するものである。MF1 も、 外国社会である日本において、マジョリティである「日本人」に対する「ミャンマー人」ま たは「外国人」という新たな定義を受けることになった。MF1 は、幼い時に家族と一緒に、 カチン族が多く住む地域からビルマ族が多く住む地域に移住したため、家庭環境以外では ミャンマー語を使用していた。しかし、カチン族を集めた私塾で継続的に継承語教育を受 ける機会があり、現在でも自分ではカチン語の発音は完璧ではないと思ってはいるが、場 面と相手によってカチン語とミャンマー語を使い分けている。来日後は、同じ民族出身者 と一緒に住み、毎週日曜日の教会の礼拝には欠かさず出かけ、仲間と教会のバザー活動に

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参加するなどしている。このように、MF1 は外国社会にあっても、同国人とのインター アクションには言葉を使い分け、同民族コミュニティとの接触を頻繁に行っている。この ことから、MF1 の中には、少数派カチン族としての確固たる民族的アイデンティティが 存在していると考えられる。  しかし、日本人との接触場面では、度々ミャンマーのことを尋ねられる。ミャンマー人 であることが知れると、「日本ではこうですが、ミャンマーではどうですか?」という類 の質問を受け、国ではアイデンティティとして全く意識されていなかった「ミャンマー人」 という枠組みである自分を自覚させられることになった。MF1 は、カチン族としての民 族的アイデンティティを保持しながらも、日本という外国社会におけるインターアクショ ンの中で、「ミャンマー人」という新たな定義も受け入れることになる。しかし、MF1 の インタビュー・データからは、日本社会という外部環境から付与されたこの「ミャンマー人」 というアイデンティティに対し、少なからず違和感を持っている様子がうかがえた。 <新たに構築されたアイデンティティ>  MF1 は、上述した日本人との接触場面では、どう回答するべきか困惑するという。こ れは、質問している側が認識している「ミャンマー」と、MF1 にとっての「ミャンマー」に ズレがあるからではないかと考える。質問側にとっては、一つの国としての「ミャンマー」 という認識であり、そこで「一般的」と考えられる回答を期待しているのであるが、MF1 の中での「ミャンマー」は、マジョリティ民族の社会を指す言葉なのである。MF1 は、現 在では日本人の多くが多民族国家に対する認識が薄いことを理解しているが、回答すると きには、「他の人たちはわからないですが、私たちの民族の話でいいですか」と遠慮がちに、 しかし必ずこの前置きをしてから答える調整行動を取っているという。これは、質問をし た日本人に失礼がないように、なおかつ、自分の意思を的確に伝達するという言語の社会 化の適切な行動である。しかし、接触場面の内容によっては、このように自分の意図しな いアイデンティティの選択を迫られる場合もあるのである。この調整行動は、MF1 の中 で複数のアイデンティティが葛藤した末のものであったと考える。また、以下に挙げるイ ンターアクションからも MF1 の新たなアイデンティティの構築が観察される。 < MF1 のコメント> 店に来るお客さんで文句や悪口を言う人がいるの。私が外国人だから、中国人と思って。嫌 いな人もいるわけね。昔の戦争のこととかなんだかで。そういうとき、怒らないで、冷静に なって話聞いてあげる。でも、悪いのは国を別として、人間の、個人、個人の問題。いい人 もいれば悪い人もいるって話すのね。  職場場面での顧客とのインターアクションにおいて、MF1 は、日本ではまだ認知度の 低い「ミャンマー人」という枠ではなく、国籍の枠を超えた「在日外国人」としてのアイデ ンティティを背負うことになる。顧客の発言は、アジア系外国人=中国人というステレオ

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タイプに基づいたものであったと推察されるが、MF1 は中国人に間違われるという事態 が起こっても、「日本ではテレビやニュースで中国のことをよくやっているから」と社会 状況を理解し、それを強く否定することはしなかった。そのことよりも、在日外国人とし て、「国ではなくて、人間の、個人個人の問題だと思う」という自身の信条を顧客に説明 するという調整行動を取った。箕浦(1999:85)は、「アイデンティティは、自分に割り振 られた差異の中からその時々の状況に応じて、戦略的に特定の差異を選びとることで構築 される」と述べている。MF1 は、自身の中に新たに芽生えた国の境界線を越えた「在日外 国人」としてのアイデンティティを受容し、そしてその立場から、国民国家の枠組みに捉 われがちなマジョリティ集団の日本人に語りかけたのだろう。  母国でも日本でもホスト社会におけるマイノリティの立場に置かれ続けている MF1 は、常に自身の中に複数のアイデンティティを抱えているのだと推察する。ホール(1996) は、アイデンティティは、暫定的なものであり、我々はアイデンティティという「位置性」 を構築しており、もろもろのアイデンティティ位置の総体を生きていると述べている。 MF1 は、異文化社会で遭遇する様々なインターアクションの中で、自身のアイデンティ ティをその時々に接する環境との関係性によって捉え選択している。それは、国家という 固定的な枠組みで語ることのできない可変的で複合的なものであると考える。 4.1.3 MM3 の事例に見るディアスポラ・アイデンティティ  ディアスポラとは、戴(1999)によると、ギリシャ語が語源で、異なるさまざまな方向 へ種をまき散らすということを意味し、元々は、歴史的に離散状況に置かれたユダヤ人を 指すのに主に用いられてきたが、近年になり地球規模で移動する様々な人々を形容する言 葉として使われるようになってきたという。徐(2005)は、ディアスポラを近代の奴隷貿易、 植民地支配、地域紛争や世界戦争、市場経済グローバリズムなど、何らかの外的な理由に よって自らが本来属していた共同体から離散することを余儀なくされた人々やその末裔を 指す言葉として定義している。本調査の協力者たちも、祖先の時代から様々な事情で母国 を離れ日本へ行きついたミャンマー人ディアスポラと言える。  また、戴(1999)は、ディアスポラ的移動の経験は、従来の国民国家の下に機能してき た静的で固定的なアイデンティティのありように疑問を抱かせるものであり、日常的に人 が移動している現代では、ディアスポラ的アイデンティティの視点が必要であると述べて いる。これまで述べてきたように、本調査の協力者のアイデンティティも従来のナショナ ル・アイデンティティの枠組みとは異なる視点の定義が必要であり、ミャンマー人ディア スポラとしてアイデンティティを捉えることも可能であると考える。ホール(1996)によ ると、ディアスポラ・アイデンティティは、固定されたものではなく、特殊な歴史と表現 の文化レパートリーから生じているため、常にハイブリッド(雑種混淆的)なものである。 本節では、母国で移民の子弟としてすでにディアスポラ的経験をしていた MM3 を取り上 げ、アイデンティティのハイブリッド性という観点から、日本社会における社会文化的イ ンターアクションを分析、考察する。

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<「中国人」としてのアイデンティティ>  MM3 は上述したように、インタビュー中、自分のことを指すときにほとんどの場合「中 国人」と表現し、来日直後に世話になったという唯一のビルマ族の友人のことを「ミャン マー人」と呼んでいた。これもまた、前述した MF1 と同様に、「ミャンマー人」とは母国 におけるマジョリティのことを指す言葉であり、日本社会という外国社会とのインターア クションによって得た「ミャンマー人」アイデンティティに対する MM3 の抵抗の意識の表 れではないだろうか。ミャンマーですでに構築されていた MM3 のディアスポラ・アイデ ンティティは、日本に移住することでそのハイブリッド性が活性化されたと考える。  また、MM3 からは、来日してから2年ほど過ぎた頃に、日本語母語話者の友人を作る ためにディスコに通ったという報告があった。そこで何人かの日本人と顔見知りになった が、自分の名前を英語名で名乗ったという。それは、学生時代に英語の授業で教師から与 えられたものであったが、ミャンマーではその授業以外の場面で使ったことはなかった。 それにもかかわらず、何年もあとになって日本でその名前を使ったのは、日本がアジアよ りも欧米文化に価値を置く社会であることをすでに察知していたからだったと推測する。 本名より英語名を名乗る方がその場の文脈に沿ったものであり、母語話者の友人ネットワ ークを構築しやすいと考えたからではないだろうか。  母国を出て外国という新たな環境で定義された「外国人」、「ミャンマー人」という枠組 みは MM3 にとっては受容し難いものであり、自身の核を成していた「中国人」という枠組 みは、日本というホスト社会では自分にとって有利に働くものではなかった。ホール(同上) によると、アイデンティティとは暫定的な「位置性」の構築であるが、MM3 は暫定的に自 分自身に英語名という表象のラベルを貼ることで、ホスト社会への足がかりを構築しよう としたのだと推測する。これは、複数の異文化と接触してきた MM3 のディアスポラ的経 験に基づいた調整行動であったと考えるが、これもまた、日本社会において、その社会的 環境にいち早く適応するという言語の社会化のためのインターアクションであったと言え る。 <ハイブリッドなアイデンティティ> < MM3 のコメント> 私は友達と自分を犠牲にしてつきあってたの。自分を責めて下から下から言ってて。(中略) 私の友達、中国人悪いこと言う。じゃあ私見てって。「どう?俺悪い?」って。「そういうこ と言っちゃだめ」って。いろんな人がいるから。  しかし、数人の日本人の親しい友人ができてからも、その友人たちとのインターアクシ ョンを通して、MM3 の中で複数のアイデンティティがせめぎ合っていた。母語話者の友 人を作り、ホスト社会での自分の居場所を確保するという目標を達成するために、自身の オリジンをあいまいに表現していたが、「自分を犠牲にしていた」というコメントからは、 MM3 のアイデンティティとホスト社会への同化意識との間の葛藤が読み取れる。渋谷

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(1996)は、差異によって隔てられた二者には権力が不平等に配置されていると述べてい る。また、かつての沖縄や台湾の例を挙げ、従属集団は、支配集団の言語を受け入れるこ とによってなんとかその内部に自らの位置を得、支配者集団に準ずるアイデンティティを 獲得しようとしていたと述べている。これは、言語に限らず文化全般にも当てはまると考 えられるが、その社会で自分の居場所を確保することと同化することは異なることである。 友人とのインターアクションにおいて、マイノリティという立場から、自らを下位に置く という位置取りをすることでネットワークを持続させていたが、MM3 の内面ではアイデ ンティティに対する矛盾と葛藤があったのだと考える。つまり、この時点では MM3 自身 が自身のアイデンティティのハイブリッド性を意識しながらも、受容できない状況に置か れていたのではないだろうか。  MM3 が友人たちとの間にラポールの形成ができ、ありのままの自分を受け入れてもら えると確信ができるまでには、数年の時間が掛かったようである。MM3 は、「中国人」を 否定的に捉える友人に対して、国という枠組みではなく個人を見るべきであるという自分 の信条を主張できるようになったが、それは、MM3 自身が自らのハイブリッド性を受け 入れたことともつながると考える。祖先が中国からミャンマーへ、自身がミャンマーから 日本へ移住するというディアスポラ的移動の歴史と、その移住先の社会環境とのインター アクションの過程で、MM3 の中に構築されたアイデンティティもまた変容し続けている のだと考える。  MM3 は、「十人十色」という言葉が好きであると述べ、インタビュー・データ中にも、「一 人一人」「個人個人」というように、人は単体の存在であることを強調するコメントが多く 見られた。それは、母国でも日本へ移住後も常にマイノリティという存在であり、ホスト 社会の対マジョリティと比較する状態に置かれ続け、自身のアイデンティティの特殊性を 常に意識しているからではないかと考える。戴(1999)では、日本で生まれ育った父がド イツ系アメリカ人で母が日本人、育ての父が日本人という女性がアイデンティティを探し 求めて渡米し、そこでハイブリットであることが当然の異文化社会に接することで、長年 苦悩していたアイデンティティへの固定観念から解放された事例を述べられている。 MM3 もまた、外部から定義された境界線で判断されることに抵抗を感じ、自分自身の特 殊性を帯びたハイブリッドなアイデンティティを持って、移住先の一社会の一員として言 語の社会化を果たすことを望んでいるのだと考察する。 5.まとめ  ミャンマーは多民族国家であるが、「民族的アイデンティティ」という観点では、同じ 中国系民族に属する三人の間にもエスニシティに対する異なった意識が存在していた。そ れは、言語能力や民族文化全般に対する意識の差異という形で表れていたが、その違いは 協力者それぞれが接触した環境の違いでもあった。移民の何世代目に当たるのか、家庭や コミュニティにおける言語の社会化はどの言語で行われていたか、都市に住んでいるのか または、地方に住んでいるのか、民族コミュニティとの接触の機会が頻繁にあるかないか

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などの環境の違いは、アイデンティティの構築に大きな影響を与えていた。また、これら の置かれた環境の違いと共に、その環境とどうインターアクションをするかという個人の 意識も深く関わっていた。三人の協力者の民族的アイデンティティの差異は、環境の違い と環境とのインターアクションの違いであった。  次に「複合的アイデンティティ」を取り上げた。MF1 個人の中には複数のアイデンティ ティが存在していた。それは、移住と共に新たに構築されたものもあり、「○○人」とい う単一的で画一的なものではなかった。箕浦(1999)は、個々人は、その生活経験や歴史、 複数の社会集団への帰属性など、そのポジションの取り方で多様な自己提示をなしうる存 在であると述べている。本研究のインタビュー・データからも、アイデンティティは可変 性を持っており、接触する環境の中で自分がなりたい自己、他人からこう見られたい自己 の確立のために、戦略的に選び取られた姿が浮かび上がった。MF1 が職場領域における 日本人の顧客とのインターアクションで実践していたように、在日外国人は、自身をプロ デュースしながら言語の社会化を図っているのであると考察する。  最後に「ディアスポラ・アイデンティティ」について記述、分析を行ったが、社会の中 には、マジョリティとマイノリティが存在し、マジョリティの目からはマイノリティの姿 は見えにくい。しかし、徐(2005:3)は、「マジョリティたちが固定的で安定的と思い込 んでいる事物や観念が、実際には流動的であり不安定なものであるということが、マイノ リティの目からは見える」と述べている。日本社会でのみならず母国でもマイノリティの 立場にいた MM3 の交友領域におけるインターアクションを通して、ハイブリッドなアイ デンティティについて考察したが、それと同時に社会の中でマイノリティの位置にいるこ ととはどういうことなのか、マジョリティの立場からは認識しにくいその一端が明らかに なった。  ミャンマー人ディアスポラである調査協力者のアイデンティティを通して、一個人が異 文化社会で自分らしく生きることの考察を試みた。元々アイデンティティは個別的なもの であったが、移動と共にさらに複合的でハイブリットなものへと変化して行き、その変化 の過程に影響を与えていたホスト社会とのインターアクションはバラエティに富んでい た。しかし、異文化社会やコミュニティへの参加、そしてその新しい環境における言語の 社会化はホスト社会という環境への迎合ではない。新しい社会の価値観やマナーや習慣を 柔軟に、ときには戦略的に自分なりの解釈で取り入れ、その社会での自身の居場所を確保 し心地よく過ごすこと。それが異文化社会で自分らしく生きることであり、協力者たちが 実践していた「言語の社会化」ではないだろうか。インタビュー・データからは、在日ミ ャンマー人のそのような姿が浮かび上がって来た。 6.おわりに  戴(1999:5)は、人の移動が日常的になっている現代では、「自分自身が移動する場合 はもちろんのこと、動かない場合でも身近にディアスポラを生きる人たちがやって来るこ とにより、人はディアスポラを経験していくのである」と述べている。外国語としての日

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本語教育を考える上で異文化理解は欠かせないものであるが、多文化多民族時代の到来と 共に、それはアカデミックな現場でだけでなく、むしろ一般生活の中で注目されるべきキ ーワードとなっているのではないだろうか。在日外国人との共生を考える上では、国や民 族やオリジンという固定的な枠組みを越境した視点が必要である。従来の国家的アイデン ティティ、民族的アイデンティティの枠組みのような「○○人」という単一的で画一的な 捉え方だけでは、その個人の姿は見えてこない。  日本滞在が長期化するミャンマー人たちには、子供の進学や継承語教育など新たな問題 が浮上してきている。すでに父母の母国語であるミャンマー語よりも日本語が優位な二世 たちも存在している。ミャンマー人の多くが就労目的で来日していることから、職場環境 における勤労者としての在日ミャンマー人のインターアクション研究を深めると同時に、 より地域社会に密着した生活者としての在日ミャンマー人へ視点を向けた研究も必要にな っていると考える。 参考文献 浅井亜紀子(2006)『異文化接触における文化的アイデンティティのゆらぎ』ミネルヴァ書 房 恩村由香子(2003)「ことばと民族・国家」『新世代の言語学 社会・文化・人をつなぐもの』 くろしお出版(pp.169-219) 小池生夫他(2003)『応用言語学事典』研究社 渋谷真樹(1996)「帰国生によるハイブリッドなアイデンティティの構築─順応の言語と抵 抗の言語─」『フィールドワークの技法と実際』ミネルヴァ書店(pp.156-174) 徐京植(2005)『ディアスポラ紀行─追放された者のまなざし─』岩波書店 戴エイカ(1999)『多文化主義とディアスポラ』明石書店 田辺寿夫(1996)『ビルマ<発展>のなかの人びと』岩波新書 J. V. ネウストプニー(1995a)「日本語教育のネットワーク─ランゲージマネージメントの 観点から─」『ひろがる日本語教育ネットワーク最新事例集』日本語教育学会(pp.1-15) J. V. ネウストプニー(1995b)『新しい日本語教育のために』大修館書店 J. V. ネウストプニー(1997)「調査のまとめ(1997 年 2 月日本語教育学会におけるディスカ ッション)」『国内の日本語教育ネットワーク作りに関する調査研究─最終報告書─』 (pp.142-164) 原千亜(2008)『在日ミャンマー人の接触場面における社会文化管理−言語の社会化の事例 −』桜美林大学院修士論文 ホール、ステュアート(1996)「あるディアスポラ的知識人の形成」小笠原博毅訳『思想』 859 号(pp.6-30) ホール、ステュアート(1998)「文化的アイデンティティとディアスポラ」小笠原博毅訳『現 代思想』26-4 号(pp.120-140) 箕浦康子『フィールドワークの技法と実際』(1999)ミネルヴァ書房

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宮副ウォン裕子(2004)「教室内と教室活動をどう結ぶか─香港の経験から─」『日本語教育 国際大会予稿集』(pp.10-15)

村岡英裕(2002)「在日外国人の異文化インターアクションにおける調整行動とその規範に 関する事例研究」『接触場面における言語管理について(Ⅱ)』千葉大学大学院社会文化 科学研究所研究プロジェクト報告書第 38 集(pp.115-126)

Ochs, E. (1988) Culture and language development

New York: Cambridge University Press Schieffelin, B. B. & Ochs, E. (1986) Language socialization

(pp.163-191)

Zuengler, J & Cole, K.M.(2005) Language Socialization and Second Language Learning

London: Lowrence Erlbaum Associates

参考ホームページ

東京都公式ホームページ 「国籍別外国人登録人口 平成 22 年」 (参照日 2011 年 1 月 10 日)   http://www.toukei.metro.tokyo.jp/gaikoku/2010/ga10ea0200.xls

参照

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