辻井喬・川田順・谷崎潤一郎に重なる焦点その一 :
川田順が見た「大阪」…『住友回想記』で谷崎潤一
郎にふれて
著者
藤原 智子
雑誌名
日本文藝研究
巻
56
号
2
ページ
53-77
発行年
2004-09-10
URL
http://hdl.handle.net/10236/10192
辻
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川
田
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若 き 日 の 恋 は 、 は に か み て お も て 赤 ら め 、 壮 子 時 の 四 十 歳 の 恋 は 、 世 の 中 に か れ こ れ 心 配 れ ど も 、 墓 場 に 近 き 老 い ら く の ※ 恋 は 、 怖 る る 何 も の も な し 。 川 田 順 ︵ 辞 世 ︵ 自 殺 未 遂 ︶ の 詩 ︶ ※ 伊 勢 物 語 の ﹁ 桜 花 散 り か ひ く も れ 老 い ら く の 来 む と い ふ な る 道 ま が ふ が に ﹂ よ り の 出 典 盧 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 五 三第 30回 谷 崎 潤 一 郎 賞 ︵ 一 九 九 四 年 中 央 公 論 社 ︶ に 、 辻 井 喬 ﹃ 虹 の 岬 ﹄ が 選 ば れ た 。 こ れ は 、 あ る 実 話 が も と に な る 伝 記 的 小 説 で あ る 。 谷 崎 潤 一 郎 の 友 人 で 、 も と 住 友 本 社 の 最 高 幹 部 で あ っ た 歌 人 ・ 川 田 順 と 元 京 都 大 学 経 済 学 部 教 授 中 川 与 之 助 博 士 夫 人 の 中 川 俊 子 と の 道 な ら ぬ 恋 の 物 語 で あ る 。 二 人 に は 歌 の 師 と そ の 女 弟 子 と い う 師 弟 関 係 が あ っ た 。 当 時 、 川 田 は 第 一 回 帝 国 芸 術 院 賞 ・ 朝 日 文 化 賞 を 受 け て お り 、 ま た 昭 和 天 皇 皇 太 子 ︵ 現 平 成 天 皇 ︶ の 御 作 歌 指 導 掛 、 宮 中 御 歌 会 始 の 撰 者 を 拝 命 し て い た 。 忍 ぶ 恋 は 断 ち 切 れ ず 、 昭 和 23年 11月 30日 、 老 齢 の 川 田 は つ い に 谷 崎 潤 一 郎 や 新 村 出 、 吉 井 勇 ら に 遺 書 を 送 り 、 京 都 法 然 院 の 墓 の 前 で 自 殺 未 遂 を 起 こ す 。 法 然 院 に は 現 在 谷 崎 の 墓 が あ る が 、 当 時 川 田 家 の 墓 が あ っ た 。 冒 頭 の 詩 は 、 遺 書 と と も に 、 死 の 決 意 を し た 川 田 が ﹁ 最 後 の 仕 事 ﹂ と し て 東 京 朝 日 新 聞 社 の 嘉 治 隆 一 出 版 局 長 に 届 け た 原 稿 に 書 か れ て い た も の だ 。 ﹁ 恋 の 重 荷 ﹂ と い っ た ︵ 同 時 に ﹁ 孤 悶 録 ﹂ と い う 心 境 告 白 書 が 原 稿 用 紙 四 十 枚 に あ っ た ︶ 。 こ の 川 田 の 自 殺 未 遂 事 件 は 昭 和 23年 12月 4 日 の 朝 日 新 聞 に 大 き く 報 道 さ れ た 。 現 在 の 60代 は 若 い 。 今 日 、 日 本 は 長 寿 国 に な っ た が 、 そ の 頃 の 平 均 寿 命 は は る か に 短 く 、 現 在 の 認 識 と は 全 く 異 な る も の で あ っ た 。 川 田 67歳 、 俊 子 40歳 で あ っ た ︵ 数 え 年 ︶ こ と が 衝 撃 的 で あ っ た 。 当 時 の 男 性 の 平 均 寿 命 は ま だ 50代 半 ば で あ っ た た め 、 そ の 年 齢 は ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ 、 好 奇 の 視 線 を 一 身 に 浴 び た 。 ﹁ 遺 稿 ﹂ と な る 予 定 の 原 稿 を 受 け 取 っ た 朝 日 新 聞 は 、 三 本 見 出 し を 付 し ト ッ プ に 扱 っ た 。 三 本 の 見 出 し は 、 そ の 川 田 の 長 詩 ﹁ 恋 の 重 荷 ﹂ よ り 引 用 し た 、 ﹁ 老 い ら く の 恋 は 怖 れ ず ﹂ ・ ﹁ 相 手 は 元 教 授 夫 人 、 歌 に も 悩 み ﹂ ・ ﹁ 川 田 順 氏 一 度 は 死 の 家 出 ﹂ と い う も の だ っ た 。 ﹁ 老 い ら く の 恋 ﹂ と い う 時 代 の 流 行 語 は こ こ か ら 生 ま れ た 。 浮 つ い た も の で な く 、 こ の 悲 愴 な 出 来 事 か ら 生 ま れ た の で あ る 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 五 四
辻 井 喬 は 、 セ ゾ ン グ ル ー プ の 総 帥 と し て 君 臨 し た 堤 清 二 ︵ の 筆 名 ︶ で あ る 。 昭 和 2 年 生 ま れ 、 川 田 と 同 様 に 東 京 大 学 を 出 て 、 財 界 の 人 と な っ た 。 実 社 会 に 背 を 向 け る 文 学 の 人 で あ る 一 方 で 、 そ の 実 社 会 に 影 響 さ え 及 ぼ す 巨 大 企 業 の 経 営 者 と い う 、 ま る で 毛 色 の ち が う 生 業 を 両 立 さ せ て き た 。 現 在 は セ ゾ ン 文 化 財 団 の 理 事 長 で あ り 、 一 九 九 一 年 に セ ゾ ン グ ル ー プ の 代 表 を 降 り て い る が 、 か つ て 巨 大 企 業 の オ ー ナ ー と し て あ り な が ら 、 そ の さ 中 に も 一 九 五 五 年 の デ ビ ュ ー よ り ﹁ 辻 井 喬 ﹂ と し て 文 学 を 捨 て な い 。 彼 は 先 代 ・ 堤 康 次 郎 の 正 妻 の 子 で あ る が 、 も と 西 部 鉄 道 グ ル ー プ 代 表 盪の 堤 義 明 と い う 異 母 弟 を 持 つ 。 堤 清 二 は 現 在 、 父 ・ 堤 康 次 郎 と 正 妻 の 子 と さ れ て い る が 、 清 二 出 生 当 時 、 康 次 郎 は 川 崎 文 と 婚 姻 中 で あ り 、 現 在 庶 子 と さ れ て い る 堤 義 明 同 様 、 ︵ 青 山 操 が 未 婚 で 産 ん だ ︶ 清 二 も そ う で あ っ た 。 ま た 、 そ の 前 に す で に 康 次 郎 と 別 の 女 性 に 異 母 兄 が 出 生 し て お り こ れ が ﹁ 長 男 ﹂ 、 つ ま り 清 二 は ﹁ 次 男 ﹂ で あ る 。 後 に 康 次 郎 が 清 二 の 生 母 ・ 青 山 操 と 結 婚 し た こ と で 、 清 二 は ﹁ 正 妻 の 子 ﹂ と な る 。 し か し 、 そ の 後 、 他 の 女 性 と の 間 に さ ら に 異 母 弟 が 生 ま れ る 。 そ れ が 、 石 塚 恒 子 の 産 ん だ 義 明 で あ る 。 こ う し て 清 二 は 歴 と し た 本 家 の 男 子 と な っ た が 、 異 母 弟 ・ 義 明 と に 振 り 分 け ら れ て 引 き 継 い だ 事 業 の ウ エ イ ト に は 不 均 衡 が 見 ら れ た 、 と さ れ る 。 義 明 は ﹁ 三 男 ﹂ で あ る ︵ ま た 、 清 二 に は 前 記 以 外 の 女 性 の 産 ん だ 異 母 姉 が い る 。 康 次 郎 が 最 初 の 結 婚 で も う け た ﹁ 長 女 ﹂ ︵ 第 一 子 ︶ で あ る ︶ 。 西 部 グ ル ー プ の 中 で 、 中 枢 に あ る 鉄 道 産 業 を 庶 子 で あ っ た 義 明 に 、 そ し て デ パ ー ト 流 通 事 業 を 清 二 ︵ 辻 井 喬 ︶ に 継 が せ た の は 、 実 父 自 身 の 判 断 で あ っ た と い う 。 川 田 は 庶 子 で あ っ た ︵ 一 人 の 同 母 妹 あ り ︶ 。 11歳 で 若 い 母 を 失 い 、 牛 込 の ﹁ 本 邸 ﹂ に 引 き 取 ら れ る 。 自 ら の 出 生 に よ り 、 川 田 も 辛 い 少 年 時 代 を 過 ご し て き た が 、 辻 井 喬 も し か り で あ る 。 ﹁ ﹁ 妾 の 子 ﹂ 呼 ば わ り さ れ た ﹂ 少 年 時 代 が 彼 の 自 伝 的 小 説 ﹃ 彷 徨 の 季 節 の 中 で ﹄ ︵ 一 九 六 九 年 新 潮 社 ︶ に 、 赤 裸 々 に 描 か れ て い る 。 両 者 と も 幼 く し て 複 雑 な 人 間 関 係 に お か れ 、 確 執 の 中 で 育 っ た と い う 境 遇 に あ っ た 。 そ し て 川 田 は 財 閥 住 友 の 幹 部 に ま で 昇 り つ め な が ら 、 最 高 権 威 を 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 五 五
目 前 に 潔 く 55歳 で 財 界 で の 地 位 を 一 切 捨 て た 。 川 田 は 、 ﹁ 住 友 を 辞 す る と 同 時 に 作 歌 欲 は 堤 を 破 つ た 池 水 の 如 く 迸 出 し た ﹂ ︵ 第 八 歌 集 ﹃ 鷲 ﹄ 昭 和 15年 6 月 巻 末 小 記 於 山 海 居 ︶ と 記 す 。 そ う し て 富 も 名 声 も 捨 て 身 ひ と つ で 歌 の 道 に 没 頭 し た 川 田 の 生 き 方 に 、 似 た 境 遇 に あ る 自 分 の 姿 を 重 ね て 共 鳴 し た の で あ ろ う か 。 ま た 、 世 俗 の 権 威 栄 光 を 一 切 放 棄 し 、 そ れ と ひ き か え に 芸 術 の 道 と 激 し い 恋 を 得 た そ の 勇 気 と ﹁ 実 現 ﹂ に 憧 憬 の 念 を 抱 い た の で あ ろ う か 。 読 み 応 え の あ る 長 編 で あ り 、 受 賞 作 に 値 す る 作 品 と 評 価 さ れ て い る 。 谷 崎 潤 一 郎 が 川 田 と の 関 連 で 並 び 称 さ れ る と き 、 次 の 二 つ の 場 合 に 引 き 合 い に 出 さ れ る こ と が 多 い 。 ひ と つ は 、 谷 崎 が 佐 藤 春 夫 と 最 初 の 妻 を め ぐ っ て 世 間 を 騒 が せ た 既 婚 者 間 の ﹁ 不 倫 ﹂ 三 角 関 係 事 件 、 い わ ゆ る ﹁ 細 君 譲 渡 事 件 ﹂ 。 ま た ふ た つ め は 、 後 に 老 人 の 性 愛 を テ ー マ に し 国 会 で も 物 議 を か も し 出 し た ﹃ 鍵 ﹄ や 、 ﹃ 瘋 癲 老 人 日 記 ﹄ 等 と の 関 連 で あ り 、 こ の 共 通 項 は ﹁ 老 い ら く の 恋 ﹂ で あ る 。 こ の よ う な 面 か ら の 取 り 沙 汰 が 目 立 つ と こ ろ で あ る 。 し か し 、 ま た 一 面 に 川 田 と 谷 崎 に は 友 人 と し て の 個 人 的 交 流 が あ り 、 そ れ が 川 田 の 著 し た ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ に し ば し ば あ ら わ れ て い る 。 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ は 、 書 名 と お り 、 川 田 が 住 友 に あ っ た 折 の こ と を 書 き 記 し た 随 筆 で あ る 。 川 田 は 明 治 15年 生 ま れ 。 谷 崎 は 同 19年 で あ る が 、 そ れ ぞ れ 浅 草 と 日 本 橋 と 同 様 に 東 京 で 生 ま れ 育 つ 。 ま た 、 川 田 は 卒 業 と 谷 崎 は 授 業 料 滞 納 に よ る 退 学 と 明 暗 を 分 け る こ と に な る が 、 と も に 東 京 帝 国 大 学 に 進 む 。 川 田 は 小 泉 八 雲 や 夏 目 漱 石 ら と と も に 文 学 を 目 指 す が 、 そ の 後 、 住 友 総 本 店 ︵ 大 阪 ︶ へ 就 職 。 一 方 谷 崎 は 大 正 12年 の 関 東 大 震 災 を 機 に 避 難 し 、 互 い に ﹁ 東 京 人 ﹂ な が ら 数 十 年 関 西 に 移 り 住 む こ と に な る 。 神 戸 市 東 灘 区 の 阿 弥 陀 寺 門 前 、 甲 南 小 学 校 、 本 山 第 二 小 学 校 、 芦 屋 市 等 に 谷 崎 の 碑 が あ る よ う に 、 神 戸 市 須 磨 区 須 磨 寺 正 覚 院 に も 、 川 田 の 碑 が あ る 。 川 田 は 退 職 後 も ふ く め 41年 関 西 に 住 ん だ 。 こ の よ う に 、 両 者 と も ﹁ 江 戸 っ 子 ﹂ な が ら 、 関 西 に 移 住 し 、 当 初 は 片 や 実 業 の 道 、 一 方 は 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 五 六
文 学 の 道 に あ っ て 大 成 す る 。 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ に は 、 川 田 の ﹁ 江 戸 っ 子 ﹂ の 視 点 で 見 た 大 阪 が 描 か れ て い て 興 味 深 い 。 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ に 描 か れ た 谷 崎 像 は 、 そ の 実 像 に 近 く 、 本 人 や 当 時 の 著 作 を 損 な う も の で は な い 。 川 田 が そ れ で も 時 お り 違 和 感 を 感 じ 、 ど こ ま で も ﹁ 東 京 人 ﹂ と し て ﹁ 大 阪 ﹂ を 見 て い る の に 対 し 、 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ に 出 て く る 谷 崎 は い か に も 理 想 的 な ﹁ 大 阪 ﹂ の よ き 理 解 者 と し て 登 場 す る 。 彼 が 移 住 当 初 、 ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ に あ る よ う に ﹁ 東 京 人 ﹂ と し て 、 ﹁ 大 阪 人 ﹂ を 相 容 れ な い ﹁ 人 種 ﹂ 、 と 切 り 捨 て 、 激 し い 拒 絶 反 応 と 侮 蔑 の 念 を 露 骨 に 表 し て い た こ と な ど は 、 微 塵 も 感 じ さ せ な い 。 両 者 と も 同 じ ﹁ 江 戸 っ 子 ﹂ な が ら 、 大 阪 に 対 す る 認 識 に か な り 開 き が あ る の も 特 記 す べ き で あ る 。 本 稿 で は 川 田 が ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ に 残 し た 谷 崎 の ﹁ 阪 神 理 解 ﹂ を 記 し て お き た い と 思 う 。 本 稿 で の 考 察 、 つ ま り サ ブ タ イ ト ル │ │ 川 田 順 が 見 た ﹁ 大 阪 ﹂ ⋮ ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ で 谷 崎 潤 一 郎 に ふ れ て │ │ は 主 た る 題 、 ﹁ 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 ﹂ の 見 地 か ら 言 え ば 外 郭 的 作 業 と い え る 。 導 入 部 に あ た り 、 説 明 部 と も 呼 べ る 。 事 実 、 こ の ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ は 二 〇 〇 二 年 谷 崎 の ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ に 関 す る 論 文 ︵ ﹁ 江 戸 っ 子 ﹂ の ﹁ 見 解 書 ﹂ と し て の ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ │ │ 谷 崎 潤 一 郎 ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ 全 文 分 析 に よ る 仮 説 提 議 ﹁ 大 阪 ﹂ の 混 同 と そ の 理 由 │ │ ﹂ ︵ ﹃ 日 本 文 藝 研 究 ﹄ 第 54巻 第 2 号 二 〇 〇 二 年 一 〇 月 一 〇 日 関 西 学 院 大 学 ︶ ︶ を 起 こ す に あ た り 、 踏 ま え た 作 品 で あ る 。 ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ 及 び 谷 崎 を 相 対 化 し 客 観 性 を 持 た せ る た め 、 本 人 の 言 及 以 外 の 外 部 か ら の 視 点 を 必 要 と し た か ら だ 。 川 田 は 谷 崎 同 様 に ﹁ 江 戸 っ 子 ﹂ と し て ﹁ 大 阪 ﹂ を と ら え 、 時 に ﹁ 大 阪 ﹂ を 侮 蔑 し 、 そ の 報 復 と し て 激 し い バ ッ シ ン グ に 遭 う と い う 同 じ 体 験 を し な が ら 、 一 方 で 谷 崎 と は か な り 開 き が あ る の も 興 味 深 い 。 そ の 意 味 で 、 多 角 的 に 谷 崎 と ﹁ 大 阪 ﹂ の 問 題 を 理 解 を す る 上 で 効 果 的 な 作 品 で あ る と 判 断 し 、 ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ 論 を 立 て る 礎 と し て 導 入 し た 。 し か し 、 そ の 上 で も 意 義 深 い の は 川 田 自 身 の 生 き ざ ま で あ る 、 と い う こ と を 再 認 識 す る に 至 っ た 。 こ こ に 至 る 経 緯 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 五 七
を 説 明 す る と と も に 、 筆 者 の 研 究 作 業 の 課 程 報 告 を 兼 ね る も の と し た い 。
一
、
﹁
老
い
ら
く
の
恋
﹂
川
田
順
と
谷
崎
潤
一
郎
﹁ 老 い ら く の 恋 ﹂ と い う 流 行 語 は 、 道 な ら ぬ 恋 に 川 田 が 自 殺 を 図 っ た 事 件 よ り 生 ま れ た 。 川 田 は 、 明 治 15年 浅 草 生 ま れ 。 宮 中 顧 問 官 文 学 博 士 甕 江 川 田 剛 の 三 男 と し て 、 上 に 兄 二 人 、 姉 三 人 、 妹 一 人 が あ っ た 。 妹 を 除 く 兄 姉 は 異 母 兄 姉 で あ る 。 川 田 は 庶 子 と し て 外 に あ っ た が 、 明 治 26年 、 実 母 本 田 か ね 逝 去 に と も な い 、 本 宅 に 引 き 取 ら れ る 。 父 は 明 治 29年 2 月 逝 去 。 こ れ で 、 川 田 ︵ 14歳 ︶ は 実 父 母 を 喪 っ た こ と に な る ︵ 現 代 日 本 文 学 大 系 第 28巻 ︵ 一 九 七 三 年 筑 摩 書 房 ︶ 武 川 忠 一 編 川 田 順 年 譜 に よ る ︶ 。 中 学 時 代 は 歌 人 ・ 佐 々 木 信 綱 に 師 事 。 明 治 30年 15才 で 竹 相 園 に 入 門 し て い る 。 第 一 高 等 学 校 を 経 て 東 京 帝 国 大 学 文 科 ︵ 英 文 学 ︶ に 入 る が 、 途 中 法 科 に 転 ず る 。 同 様 に 当 時 の ﹁ 立 身 出 世 す る な ら 法 科 ﹂ 、 と い う 風 潮 の 中 、 谷 崎 は 一 か 八 か ﹁ 河 原 乞 食 ﹂ と い わ れ た 文 学 の 道 を 曲 げ な か っ た 。 そ の 折 の 、 不 遇 に 在 り な が ら の 本 人 の 激 し い 思 い は 弟 ・ 谷 崎 清 二 へ の 書 簡 に 残 さ れ て い る 。 ま た 、 末 弟 谷 崎 終 平 の ﹃ 懐 か し き 人 々 兄 谷 崎 潤 一 郎 と そ の 周 辺 ﹄ ︵ 文 藝 春 秋 社 平 成 元 年 ︶ に も 、 実 弟 の 目 か ら 見 た 当 時 の 兄 ・ 谷 崎 潤 一 郎 の 荒 れ た 生 活 ぶ り が 残 さ れ て い る 。 川 田 は 小 山 内 薫 ・ 竹 林 無 想 庵 ら 七 人 と 同 人 雑 誌 ﹁ 七 人 ﹂ 蘯を 創 る 。 そ れ は 後 の 第 一 次 ﹁ 新 思 潮 ﹂ の も と に な っ た 。 明 治 40年 、 東 京 帝 国 大 学 法 科 卒 。 一 方 、 谷 崎 は 明 治 41年 東 京 帝 国 大 学 国 文 科 に 入 学 す る 。 同 43年 に は 、 小 山 内 薫 ・ 和 辻 哲 郎 ・ 大 貫 晶 川 ら と 、 第 二 次 ﹁ 新 思 潮 ﹂ を 創 刊 し た 。 川 田 は 大 阪 北 浜 の 住 友 総 本 店 に 就 職 と 同 時 に 、 東 京 を 離 れ 関 西 に 移 住 。 そ し て 昭 和 11年 川 田 55歳 の と き 、 常 務 理 事 の 席 を 捨 て 住 友 を 辞 し て 実 業 界 よ り 引 退 。 当 時 住 友 の 重 職 に あ っ た こ と は 、 財 界 の 要 所 に あ っ た こ と を 意 味 す る 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 五 八昭 和 14年 に 川 田 の 妻 死 去 。 の ち 同 19年 に 、 知 人 宅 で 元 京 大 教 授 経 済 学 博 士 ・ 中 川 与 之 助 夫 人 、 俊 子 と の 邂 逅 を 得 る 。 川 田 63歳 、 俊 子 は 三 人 の 子 の 母 で 36歳 。 歌 の 師 匠 と 弟 子 と し て の 関 係 か ら い つ し か 恋 へ と 発 展 す る 。 世 間 は こ れ を 単 な る 一 般 人 の 色 恋 沙 汰 と は 扱 っ て く れ な か っ た 。 川 田 は 14年 に は ﹃ 大 阪 毎 日 新 聞 ﹄ の 歌 壇 選 者 と な り 、 17年 に は 第 一 回 帝 国 芸 術 院 賞 、 19年 に は 朝 日 文 化 賞 を 受 賞 。 彼 は ま た 21年 、 当 時 昭 和 天 皇 皇 太 子 ︵ 現 平 成 天 皇 ︶ の 御 作 歌 指 導 掛 の 命 を 受 け 、 14歳 の 皇 太 子 の 歌 の ご 指 導 に あ た っ て い る 。 こ の 折 の こ と は 、 つ つ し み て こ と の 重 き を 思 ひ つ つ た め ら ひ に つ つ 夜 の ふ け ゆ く も ︵ 川 田 順 ﹃ 寒 林 集 ﹄ 昭 和 22年 4 月 ︶ と 歌 に 残 さ れ て い る 。 昭 和 23年 に な る と 、 1 月 、 川 田 は 宮 中 御 歌 会 始 の 撰 者 を つ と め 、 7 月 に 俊 子 は つ い に 夫 を 捨 て 家 を 出 て 、 8 月 離 婚 し た 。 し か し 、 こ れ で 落 着 し た わ け で は な く 、 川 田 は 罪 の 思 い と 恋 の 苦 悩 に 追 い つ め ら れ て ゆ く 。 そ し て 同 11月 、 川 田 は 谷 崎 ら に 遺 書 を 送 り 、 自 殺 を 図 る 。 し か し 死 に 切 れ ず 、 全 国 に ス キ ャ ン ダ ル が 飛 ん だ 。 命 を 取 り 留 め た 川 田 は 、 ﹁ 死 に 損 ね ﹂ 盻と 自 ら を 嘲 り つ つ 、 せ め て ﹁ 生 き 損 ね ﹂ を せ ぬ よ う 戒 め な が ら 恥 を 引 き 受 け て 生 き る 。 そ し て 、 翌 24年 3 月 思 い を 遂 げ 結 婚 。 3 月 23日 、 京 都 を 発 ち 、 関 西 の 地 か ら 去 っ た 。 谷 崎 潤 一 郎 も ﹁ 細 君 譲 渡 事 件 ﹂ な ど で 何 度 も 世 間 を 騒 が せ な が ら も 、 恋 焦 が れ る 女 性 と 3 度 の 結 婚 を 経 て 会 心 の 家 庭 を 得 た 。 昭 和 40年 愛 妻 に 看 取 ら れ て 79歳 で 逝 っ た が 、 川 田 は 翌 41年 、 84歳 で 俊 子 に 看 取 ら れ て い る 。
二
、
﹃
住
友
回
想
記
﹄
﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ は 川 田 順 が 住 友 在 職 当 時 の こ と を 書 き と め た 随 筆 で あ る 。 歌 人 と し て の 業 績 は 多 い 川 田 だ が 、 企 業 人 と し て の 川 田 の あ り よ う が 色 濃 く 出 て い る 貴 重 な 書 で あ る 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 五 九既 出 で あ る が 、 本 稿 で い う と こ ろ の ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ と は 、 正 確 に は 昭 和 32年 6 月 に 株 式 会 社 甲 鳥 書 林 新 社 か ら 出 さ れ た も の を 指 す 。 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ は 、 既 に 昭 和 26年 12月 に 中 央 公 論 社 か ら 出 版 さ れ て お り 、 そ の 後 、 同 28年 2 月 同 社 よ り 追 っ て ﹃ 続 住 友 回 想 記 ﹄ が 出 さ れ て い る 。 し た が っ て 、 こ の 甲 鳥 書 林 新 社 版 の ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ は 、 そ の 普 及 版 と い え る 。 し か し 、 普 及 版 と し て 編 み な お す に あ た っ て 、 そ の 既 刊 2 冊 よ り 取 捨 選 択 し て 選 別 を し た の が 川 田 本 人 で あ る 。 そ の 際 の 選 出 の 主 旨 が 、 ま さ に ﹁ 住 友 と 大 阪 に 関 係 の 深 い も の ﹂ と い う も の で あ っ た 。 川 田 に よ っ て 選 別 し な お さ れ た も の は 、 読 み 手 の 主 観 で 旧 2 巻 よ り 選 別 す る よ り も 、 い ち ど き に 、 取 捨 選 択 し た 川 田 の 趣 旨 を も そ の ま ま 享 受 す る も の で あ り 、 意 義 が 深 い 。 川 田 の 意 向 が そ の ま ま 反 映 さ れ た も の と し て 、 甲 鳥 書 林 新 社 版 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ を 付 加 価 値 の あ る も の と し て 位 置 づ け た 。 そ の 意 向 を た が え ぬ も の と し て 、 本 稿 に お い て は テ ー マ と の 関 連 上 、 同 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ が よ り 望 ま し く 、 有 意 義 な も の で あ る と い う 視 点 か ら 、 あ え て 甲 鳥 書 林 新 社 版 の ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ を 採 用 し た 。 本 稿 に お い て は す べ て ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ と は 甲 鳥 書 林 新 社 版 の ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ を 指 す こ と を お 断 り し て お く 。 谷 崎 潤 一 郎 は か つ て 関 東 大 震 災 に 遭 い 関 西 に 移 住 し た 当 初 、 ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ ︵ ﹃ 文 藝 春 秋 ﹄ 大 正 14年 10月 号 ︶ に て 、 大 阪 の 人 は 電 車 の 中 で 、 平 気 で 子 供 に 小 便 を さ せ る 人 種 で あ る 、 │ │ と 、 か う 云 つ た ら ば 東 京 人 は 驚 く だ ら う が 、 此 れ は 嘘 で も 何 で も な い 。 と い う 具 合 に 露 骨 に 関 西 を 攻 撃 し 、 周 囲 か ら ﹁ 忘 れ な い ほ ど の 憎 し み を 買 っ た ﹂ ︵ ﹃ 私 の 見 た 大 阪 及 び 大 阪 人 ﹄ ︵ ﹃ 中 央 公 論 ﹄ 昭 和 7 年 2 月 ∼ 4 月 ︶ ︶ と い う 。 ち な み に 、 こ の ﹃ 私 の 見 た 大 阪 及 び 大 阪 人 ﹄ で は 谷 崎 は 実 に 細 や か に 京 阪 神 の 人 と 風 土 に 目 を 向 け 、 い と お し ん で あ る 。 川 田 は こ の ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ の 中 で 、 東 京 か ら 来 て 、 ﹁ 東 京 人 ﹂ の 目 で ﹁ 大 阪 ﹂ を 見 て い る わ け だ が 、 彼 も ま た ス ト 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 〇
レ ー ト な ﹁ 大 阪 ﹂ の 感 想 に 、 ﹁ 住 友 で め し を 食 い な が ら 、 大 阪 弁 の 悪 口 を い う と は 何 事 ぞ ﹂ と 、 ま わ り か ら 激 し い 攻 撃 を 受 け る こ と に な る 。 も と 財 界 人 と し て 、 感 情 に 走 ら な い 、 観 念 を 取 り 去 っ た 冷 静 な 文 で 随 筆 は 書 か れ て い る 。 し か し そ の 中 に 、 ﹁ 東 京 人 ﹂ の 意 識 も ス ト レ ー ト に 顕 わ れ て い る 。 彼 は 自 ら そ れ を ﹁ 特 権 意 識 ﹂ と 言 う が 、 そ の ﹁ 特 権 意 識 ﹂ を よ ろ し く な い 、 と 認 識 し な が ら も 、 ﹁ 東 京 人 ﹂ と し て し か 受 容 す る こ と が で き な い 。 そ の 面 に 関 し て は 、 ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ に 明 ら か な 当 初 の 谷 崎 に も 重 な る も の が あ り 、 ﹁ 東 京 人 ﹂ と し て の 認 識 が 似 通 っ て い る の が 興 味 深 い 。 し か し 、 川 田 に よ っ て 記 さ れ る 谷 崎 の 言 説 は す で に ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ の そ れ で は な い 。 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ に あ る 谷 崎 の あ り よ う は 、 関 西 の 地 を ﹁ 第 二 の 故 郷 た ら ん と す る 京 阪 の 地 へ の 愛 情 ﹂ を 持 っ て 受 け 入 れ 、 ﹁ 関 西 の 風 土 人 情 に 対 し て ﹂ ﹁ 愛 情 が 日 増 し に 強 く な っ て ゆ く ﹂ と 述 べ た ﹃ 私 の 見 た 大 阪 及 び 大 阪 人 ﹄ の そ れ で あ る 。 川 田 の 認 識 と 併 せ 、 そ の 対 照 が お も し ろ い 。 先 に 述 べ た よ う に 、 川 田 は 財 界 人 と し て 順 調 に 栄 進 を 重 ね 要 職 に 昇 り つ め た 。 そ の 一 方 で 、 歌 の 道 で は 数 度 の 受 賞 、 ま た 他 で も な い 皇 太 子 の 御 作 歌 指 導 掛 は じ め 、 宮 中 御 歌 会 始 選 者 も 命 ぜ ら れ 、 そ れ ぞ れ の 道 で 成 功 し た と い え る 。 そ の 点 は 周 囲 の 評 価 す る と こ ろ で あ り 、 本 人 も ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ で 次 の よ う に 述 べ て い る 。 ﹁ 二 兎 を 追 う も の は 一 兎 も 得 ず と 聞 く の に 、 お 前 は ど う や ら 二 匹 と も 捕 ま え た な ﹂ と 、 折 々 友 人 ら に 冷 や か さ れ る 。 け れ ど も 、 こ の 冷 や か し は 当 た ら な い 。 住 友 兎 は 半 生 追 い 掛 け た が 、 逃 し て し ま つ た 。 芸 術 兎 は 、 さ ら に 幾 倍 か 韋 駄 天 的 だ か ら 、 一 生 追 い か け て も 、 追 い 付 く ま い 。 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ は ス ト レ ー ト に 書 か れ て あ る 、 と 述 べ た が 、 文 の 心 得 の な い 者 が 主 観 に 走 っ て 日 記 的 に 書 い た も の 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 一
で は 決 し て な い 。 本 人 の 認 識 に 関 し て の 箇 所 は ス ト レ ー ト と い え る が 、 企 業 の 運 営 陣 と し て の 位 置 に あ り 、 い わ ば 経 営 者 と し て ま た 、 財 界 の 要 人 で あ る こ と の わ き ま え を も っ て 、 用 語 を 選 び 、 案 件 に す る 事 項 も 慎 重 に 選 ん で 発 言 し て い る で あ ろ う こ と は 想 像 に 難 く な い 。 ま た 、 文 を 書 く こ と に つ い て も 熟 達 し て い る 。 そ の 両 方 の 素 地 を 持 っ て 書 か れ た ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ は あ る 意 味 、 非 常 に バ ラ ン ス の 取 れ た も の で あ る 。 文 章 は 端 的 な が ら 、 そ れ 以 前 に か な り 内 容 は 相 対 化 さ れ て い る と 思 わ れ 、 客 観 で き る も の と な っ て い る 。 そ れ ゆ え 、 相 当 に 信 用 の お け る も の と 判 断 し 、 谷 崎 を 知 り 相 対 化 さ せ る に 敵 う 資 料 と し て 認 め る べ く 指 針 に し た 。 川 田 順 の 語 る ﹁ 大 阪 ﹂ と 、 谷 崎 の 語 る ﹁ 大 阪 ﹂ を 比 べ る と お も し ろ い 。 社 会 的 事 項 等 に 関 し て は 知 識 と 立 場 上 の わ き ま え で も っ て 相 対 化 さ れ て い る と は い え 、 川 田 が 語 る 自 分 の 嗜 好 に つ い て は 、 あ く ま で 本 人 の 弁 で あ る か ら 、 主 観 的 な 点 も あ る 。 し か し 、 川 田 も ま た 、 ﹁ 東 京 人 ﹂ で あ る こ と を 忘 れ ぬ よ う に し た い 。 前 出 の ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ で 、 谷 崎 は 私 は い つ ぞ や 上 方 の 喰 い 物 の こ と を 書 い た か ら 、 今 度 は 人 間 の こ と を 書 い て み た 。 が 、 こ う し て 見 る と 、 人 間 の 方 は ど う も 喰 い 物 ほ ど 上 等 で は な い や う で あ る 。 と 暴 言 と も 言 え る 結 句 で 言 い 放 っ た が 、 川 田 の 証 言 に そ の 面 目 が 示 さ れ て い る 。 つ ま り 青 春 時 代 の 味 覚 を 、 忠 実 に 、 そ の ま ま 白 頭 時 代 ま で 持 ち 続 け て い る の だ 。 東 京 育 ち だ か ら 天 ぷ ら 、 す し 、 う な ぎ 、 蕎 麦 さ え 食 べ て い れ ば 大 満 足 だ 。 そ れ も 、 ど こ の 鰻 で な け れ ば 食 は な い と い う 如 き 、 し や れ た 趣 味 で は な い 。 ど こ の で も 同 じ こ と だ 。 六 甲 山 下 の 御 影 に 拙 宅 を 構 え て い た 頃 、 近 所 の 魚 崎 に 谷 崎 潤 一 郎 が 閑 居 し て い た 。 そ の 魚 崎 と 御 影 と の 中 間 、 阪 神 国 道 の ほ と り に 一 軒 の 蕎 麦 屋 が あ つ た 、 私 は 夜 更 け て の 帰 り が け な ど に 立 ち 寄 つ た 。 或 時 ﹁ あ の 蕎 麦 屋 は ち よ い と 食 べ ら れ ま す 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 二
よ ﹂ と い は れ た の で 、 ﹁ 谷 崎 君 が 食 べ ら れ る と 言 う の な ら 、 大 丈 夫 だ ﹂ と 安 心 し て 、 一 層 ひ い き に し た 。 私 は 自 分 の 味 覚 を 信 用 で き な か つ た の で あ る 。 と い う よ う に 、 谷 崎 に 絶 大 な る 信 用 を お い て い た よ う で あ る 。 ﹁ 東 京 育 ち だ か ら 天 ぷ ら 、 す し 、 う な ぎ 、 蕎 麦 さ え 食 べ て い れ ば 大 満 足 ﹂ の 一 文 に 、 東 京 人 の 嗜 好 の 単 調 さ を 欠 点 と し て 示 し て い る 。 も ち ろ ん ﹁ 東 京 人 ﹂ の す べ て が そ う で あ る と い う わ け で な い が 、 こ と さ ら 自 分 の 味 覚 が 乏 し い こ と を 指 し ﹁ ど こ の で も 同 じ こ と だ ﹂ で 念 を 押 し て い る 。 そ の 谷 崎 の 言 説 を も っ て ﹁ 大 丈 夫 ﹂ と ﹁ 安 心 ﹂ し ﹁ ひ い き に し た ﹂ 。 自 分 の 舌 で な く 、 ほ か で も な い 谷 崎 の 言 説 が そ の 判 断 基 準 と な っ て い る 。 谷 崎 の 味 覚 な ら ﹁ 信 用 ﹂ が で き る と あ る 。 ま た 、 ﹁ ど こ の で も 同 じ こ と ﹂ で あ り な が ら 、 そ の く せ 一 方 で は 新 し い も の は 受 け 付 け な い 、 関 西 に 住 み な が ら 、 鯛 の 味 が わ か ら な か つ た 。 刺 身 と い え ば 、 東 京 で 食 い 馴 れ た 鰹 や 鮪 で な い と 承 知 し な い 。 と い っ た 、 無 意 味 と も 言 え る か た く な さ も 露 呈 さ せ て い る 。 前 出 抜 粋 本 文 の と お り 川 田 が 御 影 ︵ 現 兵 庫 県 神 戸 市 東 灘 区 ︶ に 住 ん で い た こ ろ 、 白 鶴 嘉 納 の 所 有 地 を 借 り て そ こ に 自 宅 を 建 て て い た 眈。 そ の 関 係 で 、 毎 年 盆 暮 れ に は 地 主 か ら 特 別 上 等 の 酒 を も ら っ て い た 。 し か し 、 彼 は ビ ー ル の 方 が 好 き で あ っ た た め 、 も ら っ た 日 本 酒 は ﹁ い つ も 出 入 り の 植 木 屋 に く れ て ﹂ し ま っ て い た と い う 。 ま た 、 こ の よ う に ﹁ ビ ー ル が 好 き ﹂ で あ っ た と い う が 、 銘 柄 に は う る さ く な か っ た よ う で あ る 。 ﹁ 強 い て 申 せ ば キ リ ン を ひ い き に し た ﹂ そ う で あ る が 、 そ の 理 由 は ﹁ 壜 の 中 身 ﹂ つ ま り 味 や 品 質 が よ か っ た か ら で は な く 、 味 と は 関 係 な い ﹁ レ ッ テ ル の デ ザ イ ン が 綺 麗 だ つ た か ら ﹂ だ と い う 。 ﹁ 私 は 所 詮 ﹁ め ん 喰 い ﹂ ﹂ で あ る と い う わ け で あ る 。 美 観 に こ だ わ る 点 は 美 意 識 の ゆ え ん で あ る よ 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 三
う な 気 も す る が 、 本 末 転 倒 し て い る 。 飲 食 に 対 し て も ﹁ 味 覚 ﹂ で な く 、 ﹁ 外 観 ﹂ に ポ イ ン ト が あ る と い う こ と に な る 。 そ れ が 、 盛 り 付 け や 食 材 の ﹁ 見 か け ﹂ で あ る な ら ま だ し も 、 ﹁ 容 器 ﹂ 、 つ ま り ビ ン の ラ ベ ル と い う 付 ! 属 ! 的 ! ﹁ 容 姿 ﹂ で あ る 。 食 に 対 す る 思 い 入 れ の 度 合 い が う か が い 知 れ る と こ ろ で あ る 。 味 覚 と い う も の は 個 体 差 が 個 体 数 だ け あ る と い え 、 千 差 万 別 で あ る 。 ﹁ 東 京 人 ﹂ す べ て が 川 田 の よ う で あ る と は い え な い が 、 同 じ ﹁ 東 京 人 ﹂ で も 川 田 と 谷 崎 で は あ ま り に も 対 照 的 で あ る 。 あ る 面 で 、 谷 崎 は 本 能 的 な も の に 非 常 に 重 き を 置 き 、 い わ ば 本 人 も そ れ に 支 配 さ れ て い た 感 が あ る 。 そ れ が 、 ひ い て 言 え ば 谷 崎 の 文 学 的 特 質 と さ れ る と こ ろ で あ る 。 と 同 時 に 、 ほ か な ら ぬ 谷 崎 文 学 の 意 義 で も あ る 。 そ の ひ と つ で あ る 食 慾 ・ 味 覚 に 対 し て は こ こ で 川 田 が 言 う ま で も な く 、 定 評 が あ る 。 関 西 へ の 移 住 後 、 一 時 避 難 の つ も り で 来 た は ず が 30余 年 も 定 住 し て し ま っ た の は ひ と つ に 関 西 の 食 事 、 東 京 と 比 べ 格 段 に 豊 か な 食 文 化 が 彼 を 魅 了 し た こ と が そ の 要 因 で あ っ た 、 と い う の も い わ ば 定 説 と な っ て い る 。 次 は 、 川 田 の 食 に 対 す る 思 い 入 れ が う か が わ れ る 箇 所 だ が 、 ﹁ 人 間 五 慾 ﹂ に 対 す る 認 識 が 述 べ ら れ て い て 、 そ れ を 重 視 し た 谷 崎 と は 対 極 に あ る こ と が 知 れ る 。 当 今 は 東 西 共 に 上 方 料 理 に 征 服 さ れ て し ま つ た 観 が あ る け れ ど も 、 私 は 賛 成 し な い 。 何 か し ら 、 ほ ん の 少 々 づ つ 、 各 地 の 珍 し い も の や 、 走 り の 初 も の な ど を 、 う る さ く 出 す 。 し か も 、 目 の く ら む よ う な 高 価 で 。 そ れ よ り も 、 最 も う ま い も の を 一 種 だ け 沢 山 出 し て く れ た が 宜 し い 。 そ の 方 が 、 気 が 散 ら な い で 、 面 倒 で な い か ら 。 要 す る に 食 慾 な ど と い う も の は 、 人 間 五 慾 の 中 で 最 も 下 等 な も の だ 。 大 人 君 子 の 関 心 に 値 し な い 。 こ う い う 論 法 だ か ら 、 川 田 順 に 御 馳 走 す る く ら い 莫 迦 げ た 浪 費 は な い の で あ る 。 ﹁ 上 方 料 理 ﹂ は 、 ﹁ 目 の く ら む よ う な 高 価 ﹂ で ﹁ う る さ く ﹂ 出 さ れ る 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 四
﹁ 食 慾 な ど と い う も の ﹂ が ﹁ 五 慾 の 中 で 最 も 下 等 ﹂ で あ り 、 果 て は ﹁ 大 人 君 子 の 関 心 に 値 し な い ﹂ と 言 い 切 っ て い る が 、 谷 崎 と は ま さ に 対 極 を な す 体 質 を 物 語 る 。 こ れ が 通 れ ば 、 今 日 の 谷 崎 文 学 は あ り え な い 、 と い う こ と に な る 。 ま さ に ﹁ 上 方 料 理 ﹂ の 特 徴 は 、 ﹁ 少 々 づ つ ﹂ ﹁ 各 地 の 珍 し い も の ﹂ ﹁ 走 り の 初 も の ﹂ を 出 す 点 で あ り 、 そ れ こ そ が ﹁ 売 り ﹂ で あ る 。 そ れ を あ り が た が り 、 客 は そ れ を 求 め て ﹁ 高 価 ﹂ な る 対 価 を 支 払 う 。 そ れ に 対 し て 川 田 の 用 い る ﹁ う る さ く ﹂ ﹁ 目 の く ら む よ う な ﹂ ﹁ 気 が 散 ら な い ﹂ ︵ 方 が よ く ︶ ま た ﹁ 面 倒 ﹂ と い う 用 語 を 見 れ ば 、 彼 の 認 識 は 明 ら か で あ る 。 両 者 の 、 対 極 と も い え る 価 値 観 の 違 い が 読 み 取 れ る 。 東 京 帝 国 大 学 を 卒 業 し た 川 田 は 、 住 友 に 就 職 す る た め 大 阪 に 移 住 す る 。 次 は 、 そ の 折 の く だ り で あ る 。 そ こ で 、 縁 日 に 出 会 い 、 感 想 を 述 べ て い る が 、 東 京 と 大 阪 で は ず い ぶ ん 商 売 人 の 気 質 が 違 う よ う で あ る 。 移 住 後 2 年 目 の 谷 崎 は ﹁ 人 間 の 方 ﹂ は ど う も ﹁ 喰 い 物 ほ ど 上 等 で は な い ﹂ と 言 っ た が 、 こ れ か ら 財 界 で 立 と う と す る 川 田 の 目 に は ち が う よ う に 映 っ て い る 。 こ こ の 商 売 人 に お い て は 、 大 阪 の 方 が ﹁ 上 等 ﹂ で あ る よ う だ 。 明 治 四 十 年 の 八 月 某 日 、 大 阪 に つ い た 私 は 、 東 京 帝 大 の 同 級 生 で 同 時 に 住 友 入 り し た 宝 来 市 松 ︵ 後 の 興 銀 総 裁 ︶ の 家 に 厄 介 に な つ た 。 彼 の 家 は 上 本 町 何 丁 目 か に あ つ た 。 二 週 間 ば か り し て 私 は 、 中 之 島 常 安 橋 南 詰 の 下 宿 屋 に 移 つ た ︵ 略 ︶ 私 は 牛 込 区 の 住 人 で あ つ た が 、 神 楽 坂 の 下 に も 毎 月 二 度 か 三 度 夜 店 が 出 る 。 ず る い 商 人 ら は 根 の な い 草 木 を 鉢 に 植 え た り 、 一 円 の も の を 十 円 と 吹 き 掛 け た り す る の で 、 そ の こ ろ 東 京 で は ﹁ 縁 日 の 植 木 ﹂ は 冷 や か す も の で 、 買 う も の で は な い と 、 た い て い 敬 遠 す る こ と に 決 ま つ て い た 。 大 阪 で も お な じ こ と だ ろ う と 考 え て 傍 観 す る と 図 ら ん や 、 五 人 に 一 人 ぐ ら い は 冷 や か し で な く 買 つ て 行 く 。 値 段 も ﹁ 少 々 ま か り ま へ ん か ﹂ ﹁ 二 円 三 十 銭 だ ん が 、 二 円 に ま け て お き ま つ さ ﹂ と い つ た 程 度 の 駆 引 き だ 。 い く ら 東 京 を ひ い き し て も 、 商 売 の 道 は さ す が に 大 阪 の 方 が 正 し い と 、 新 米 の 学 士 の 私 は 、 ひ ど く 感 服 し な が ら 、 濡 れ 手 拭 い ぶ ら さ げ て 夜 店 の 中 を 通 り 抜 け た 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 五
﹁ 商 売 の 道 ﹂ を ﹁ さ す が ﹂ に ﹁ 大 阪 の 方 が 正 し い ﹂ と 、 川 田 が 直 感 的 に 感 じ た こ と は 、 ﹁ 大 阪 ﹂ に と っ て 名 誉 で あ る だ け で な く 、 換 言 す れ ば 、 そ れ を 見 抜 く 商 売 人 ︵ 財 界 人 ︶ と し て の 素 地 が 既 に 川 田 の 中 に あ っ た こ と の 証 左 で あ る 。 そ う 直 感 し た ビ ジ ネ ス の 感 性 が 的 外 れ で な か っ た こ と は 、 そ の 後 の 川 田 の め ざ ま し い 栄 進 を み て も 明 ら か で あ る 。 次 は 、 大 阪 弁 に つ い て の く だ り で あ る 。 川 田 が 先 の ﹁ 大 阪 に 着 い た ﹂ と き か ら 40年 近 く 経 つ 時 期 に あ る こ と を 念 頭 に お く 。 昭 和 21年 。 昭 和 天 皇 が 京 都 大 宮 御 所 に 川 田 ほ か 、 新 村 出 ・ 谷 崎 潤 一 郎 ・ 吉 井 勇 の 四 人 を 招 集 し 、 文 芸 座 談 を 披 露 さ せ た 。 作 品 評 価 の 高 か っ た ﹁ ﹃ 春 琴 抄 ﹄ の 作 者 ﹂ と 谷 崎 を 称 し て 、 敬 意 を 払 っ て い る 。 昭 和 二 十 一 年 夏 、 天 皇 陛 下 関 西 に 行 幸 せ ら れ た と き 、 六 月 九 日 午 後 、 京 都 の 大 宮 御 所 に 於 い て 新 村 出 ・ 谷 崎 潤 一 郎 ・ 吉 井 勇 ・ 及 び 私 、 四 人 の 文 芸 座 談 を お 聴 き あ そ ば さ れ た 。 そ の 後 、 東 京 の 皇 居 に 於 い て も 文 芸 人 を 召 さ れ た こ と 数 度 と 伝 承 す る が 、 京 都 の 会 が こ の 種 の も の の 嚆 矢 で あ つ た ら し い 。 こ の 座 談 会 で 、 春 琴 抄 の 作 者 は 、 大 阪 言 葉 の 特 質 に 就 き 、 精 し い 意 見 を 述 べ た が 、 私 は そ れ を 聴 き な が ら ﹁ 言 葉 と い う も の さ う い う よ う に 味 わ う べ き で 、 自 分 の よ う に 、 大 阪 弁 は 嫌 い だ 、 と 、 簡 単 に 片 付 け る の は ま ち が つ て い る ﹂ と 反 省 し た の で あ つ た 。 川 田 が 、 こ の 姿 勢 に 至 る に は 経 緯 が あ っ た 。 こ の と き と ち が い 、 か つ て の 川 田 は ゆ る ぎ な い 偏 見 を 持 っ て お り 、 ま た そ れ に 対 す る 反 撃 も あ っ た 。 次 に 、 露 骨 で は あ る が 実 に 正 直 に 書 き に く い こ と も む し ろ 謙 虚 に 述 べ て ︵ 白 状 ︶ い る 。 実 は 、 白 状 す る と 、 私 は 住 友 在 職 中 に 大 阪 弁 の 悪 口 を 書 い て ひ ど い 目 に 逢 つ た こ と が あ る 。 ︵ 略 ︶ そ も そ も 東 京 人 に は 悪 い 癖 が あ つ て 、 東 京 で 生 ま れ 、 又 は 東 京 で 育 つ た と い う こ と だ け で 不 当 に 優 越 感 を 持 ち 、 地 方 人 を 一 段 低 く 見 る 傾 向 が 強 い 。 私 な ど も 、 そ の 悪 癖 を 身 に 着 け た 一 人 ら し か つ た 。 そ れ で 、 古 典 の 近 松 は 崇 敬 す る け れ ど も 、 現 在 の 大 阪 言 葉 を 卑 し い も の と 感 じ た 。 現 在 で は 、 関 西 文 化 の よ き 理 解 者 で あ り 、 貢 献 者 と さ れ る 谷 崎 だ が 、 前 出 の ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ の 項 に お い て は 、 ま っ 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 六
た く こ の 時 の 川 田 と 変 わ り な か っ た 。 大 阪 と い う と こ ろ は 商 工 業 以 外 の 世 界 を 持 た な い 。 そ れ だ け に 、 大 臣 な ど と い う も の を ひ ど く 有 難 が つ た も の だ 。 と 、 川 田 は 述 べ る が 、 こ の よ う な こ と も 背 景 に あ る の だ ろ う 。 そ れ が 、 文 化 的 水 準 、 教 養 的 水 準 と ス ラ イ ド さ れ て 把 握 さ れ が ち に 陥 る の も 、 こ の 川 田 の 言 が 無 意 識 な が ら 分 析 し て い る よ う に 思 う 。 た だ 、 一 方 で 大 阪 人 の 家 庭 に お い て は 川 田 に は 一 家 言 あ っ た 。 実 に 好 意 的 な 目 を 向 け て い る が 、 そ れ で い て 浮 い た 世 辞 を 言 う こ と も な く 、 実 像 に 近 い 形 で そ の 長 所 を と ら え て い る 。 む し ろ 、 好 意 的 と い う よ り は 、 一 目 お く 、 と い っ た 表 現 の 方 が 近 い 。 こ の あ た り の 記 述 は 谷 崎 が 大 阪 の 善 さ を 細 や か に 捉 え 賞 賛 し た ﹃ 私 の 見 た 大 阪 及 び 大 阪 人 ﹄ に 重 な る 。 日 本 中 の 家 庭 で 船 場 ・ 島 之 内 の 旧 家 が い ち ば ん 良 い と 或 人 か ら 聞 い て 、 東 京 育 ち の 私 は ち よ い と 意 外 に 思 つ た こ と も あ る が 、 関 西 で 約 三 十 年 生 活 し た 間 に 、 と き ど き は 生 粋 の 大 阪 人 の 家 庭 に も 出 入 り し 、 或 人 の 言 葉 の 正 し か つ た こ と を 悟 る よ う に な つ た 。 東 京 人 の 私 達 は 、 あ か ら さ ま に 白 状 す る と 、 大 阪 の 町 人 の 家 庭 は 拝 金 主 義 で 禍 せ ら れ 、 婦 人 ら も 失 礼 な が ら 品 行 が 軟 か い の で は な か ろ う か と 、 勝 手 に 決 め て い た 。 こ れ は ま こ と に 軽 率 で あ つ た 。 ﹁ 侍 と て も 貴 か ら ず 、 町 人 と て も 賤 し か ら ず 、 尊 い も の は 此 の 胸 ひ と つ ﹂ と 元 禄 享 保 の 昔 に 大 近 松 の 喝 破 し た こ と を 、 東 京 人 は 知 ら な か つ た 。 役 者 に 血 の 道 を あ げ る の は 、 む し ろ 江 戸 の 娘 の 方 に 多 か つ た 。 歌 右 衛 門 が 福 助 の 時 代 に 、 餝が し た 爪 や 切 つ た 小 指 を 送 つ て く る 娘 達 の 多 い の に 迷 惑 し た 。 羽 右 衛 門 の 家 橘 時 代 も 同 様 で あ つ た 。 西 園 寺 公 の 秘 書 の 原 田 熊 雄 が ﹁ 東 京 の 貴 婦 人 ら で 、 恋 愛 し て い な い 者 は 一 人 も な い ﹂ と 云 つ た 。 そ れ は 酒 席 の 冗 談 の 中 で は あ つ た が 、 ち ら り と 片 鱗 を 見 せ た に 相 違 な か つ た 。 ︵ 略 ︶ こ こ で 、 ﹁ 日 本 中 の 家 庭 で 船 場 ・ 島 之 内 の 旧 家 が い ち ば ん 良 い ﹂ と ﹁ 或 人 ﹂ か ら き い た と あ る 。 ﹁ 或 人 ﹂ と は 、 谷 崎 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 七
で あ っ た と い う こ と も 可 能 性 の ひ と つ と し て 考 え ら れ る が 、 特 定 す る に は 至 ら な い 。 ﹁ 島 之 内 ﹂ と は 、 船 場 の 南 部 に 隣 接 し 、 東 を 東 横 堀 、 西 を 西 横 堀 ︵ 船 場 も 東 西 端 は 同 じ ︶ で 、 南 を 道 頓 堀 、 北 を 長 堀 で 囲 ま れ た エ リ ア を 指 す 。 ﹁ 心 斎 橋 ﹂ 駅 ︵ 長 堀 鶴 見 緑 地 線 ・ 御 堂 筋 線 ︶ の あ る ﹁ 心 斎 橋 ﹂ と は ﹁ 島 之 内 ﹂ の 開 発 の 貢 献 者 ・ 岡 田 心 斎 に 由 来 す る 。 川 田 の い る 同 大 阪 市 営 地 下 鉄 四 つ 橋 線 の 信 濃 橋 に 価 値 し た 住 友 本 社 と は 現 在 の 3 駅 相 当 の 距 離 を 隔 て る の み で あ る 。 こ の よ う な こ と は す で に 長 年 在 阪 の 川 田 に と っ て は 、 日 常 の う ち に 一 般 的 通 念 と し て 耳 に 入 っ て い た 事 項 で あ ろ う 。 船 場 で 成 功 し た 豪 商 は 、 経 済 面 で の 豊 か さ を バ ッ ク に 、 い つ し か 自 分 に な い 資 質 を 求 め る よ う に な っ て い っ た 。 家 柄 や 由 緒 あ る 血 筋 を 欲 し が る よ う に な り 、 そ れ を 重 視 す る 者 は 素 封 家 同 士 で 縁 組 み せ ず 、 経 済 的 に は 衰 え て い て も 京 都 の 由 緒 あ る と こ ろ か ら 嫁 を 迎 え た い と 望 む よ う に な っ た 。 そ の よ う な 傾 向 が 増 え る よ う に な り 、 異 質 な 気 配 が 船 場 に 持 ち 込 ま れ る よ う に な る と 、 商 売 の メ ッ カ で あ り な が ら 、 隣 接 す る ﹁ 島 之 内 ﹂ に は よ り 濃 厚 に ﹁ 貴 族 的 ﹂ な 空 気 が 漂 う こ と に な っ て い っ た 。 谷 崎 が 、 ﹃ 細 雪 ﹄ を 書 こ う と い う 衝 動 に か ら れ た の が ま さ に こ の ﹁ 独 特 の 気 配 ﹂ で あ り 、 く り 返 し 日 常 を 描 き 、 そ の ﹃ 細 雪 ﹄ で 再 現 さ せ た か っ た の も 、 他 で も な い こ の ﹁ 独 特 の 気 配 ﹂ で あ っ た も の と 思 わ れ る 。 そ れ は 、 そ の 大 阪 の 土 地 だ け で 醸 成 さ れ 生 ま れ た も の で は な い 。 歴 史 あ る 京 都 か ら 持 ち 込 ま れ た も の で あ り な が ら 、 船 場 で 吸 い 上 げ る 豊 か な 収 入 を 背 景 に 支 え ら れ 、 ふ ん だ ん に 金 を か け る こ と で 京 都 以 上 に 優 雅 な 生 活 を そ こ に 実 現 さ せ る こ と が で き た の で あ る 。 ﹁ 京 都 以 上 に 京 都 ら し い ﹂ 、 ﹁ 京 都 以 上 に 貴 族 ら し い ﹂ 生 活 が 繰 り 広 げ ら れ た の も 、 隣 接 す る 船 場 で 生 み 出 さ れ る 潤 沢 な 利 益 が そ れ を 支 え る と い っ た 、 恵 ま れ た 経 済 的 背 景 を も っ て い た こ と が そ の 要 因 で あ る 。 ﹁ 東 京 育 ち の 私 ﹂ に は 、 ﹁ 日 本 中 の 家 庭 で 船 場 ・ 島 之 内 の 旧 家 が い ち ば ん 良 い ﹂ と 聞 い て 、 ﹁ 意 外 ﹂ で あ っ た 、 と 正 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 八
直 に 述 べ て あ る 。 ま た 、 ﹁ 失 礼 な が ら 品 行 が 軟 か い の で は ﹂ と い っ た 先 入 観 を 持 っ て い た こ と も 示 し 、 ﹁ 勝 手 に 決 め て い た ﹂ ﹁ ま こ と に 軽 率 ﹂ と 潔 く 認 め て い る 。 ま た ﹁ 拝 金 主 義 ﹂ と い う 語 も イ ン パ ク ト が あ る 。 ま た 、 川 田 は こ れ を 踏 ま え た こ と で 、 谷 崎 の ﹃ 細 雪 ﹄ を 連 想 し 、 引 き 合 い に 出 し て い る 。 生 粋 の 大 阪 人 の 家 庭 が 良 い と 云 う 意 味 は 、 金 が あ つ て も 質 素 で 、 も の 堅 く 、 物 質 的 と 見 え な が ら 骨 肉 知 人 ら へ の 情 味 ふ か く 、 伝 統 の 教 養 を 身 に つ け て 奥 ゆ か し く 、 家 業 に は 勇 敢 で あ り な が ら 凡 て の 新 風 に う か と 踊 ら な い 、 等 々 の こ と で あ ろ う 。 谷 崎 潤 一 郎 の ﹁ 細 雪 ﹂ は 衰 え て ゆ く 船 場 の 旧 家 を 描 き な が ら 、 上 述 の 美 点 を も し ば し ば 看 取 さ せ る 。 谷 崎 が ﹃ 細 雪 ﹄ を 発 表 し た 頃 は 、 戦 時 中 で 緊 迫 し た 世 情 に あ っ た 。 そ の た め 、 軍 部 か ら 厳 し い 警 告 を 受 け 、 発 禁 の 処 分 を 受 け る 。 軍 治 下 ﹁ お 国 の た め に ﹂ 男 児 な ら ば 命 を 捧 げ る こ と を 誇 り に 思 え 、 と 求 め ら れ て い た 頃 、 生 活 の 贅 沢 を 楽 し み 有 閑 階 級 の 優 雅 な く ら し を 書 い た ﹃ 細 雪 ﹄ の 作 者 は ﹁ 非 国 民 ﹂ と 避 難 さ れ た 。 中 野 重 治 、 火 野 葦 平 な ど も 、 時 局 下 に あ っ て そ の ︵ 谷 崎 ︶ の 神 経 が 理 解 で き な い 、 と い っ た 厳 し い 批 判 を し 、 そ れ は ﹁ 最 後 ま で 読 も う と 努 力 し た け れ ど も 、 ど う し て も 読 む こ と が で き な か っ た ﹂ と い う 言 説 に 如 実 に 顕 わ れ て い る 。 し か し 、 終 戦 後 と は い え 、 川 田 は そ の 文 学 性 に 着 目 し 高 い 評 価 を し て い た の で あ る 。 そ の 一 方 で 、 ま た 関 西 に は そ の よ う な 情 緒 が あ る が 、 東 西 両 者 を 踏 ま え た 上 で 、 東 京 の 合 理 的 な 言 語 等 に も そ の 長 所 を 見 出 し て い る 。 概 し て 、 ス ピ ー チ や 挨 拶 は 、 大 阪 人 よ り も 東 京 人 の 方 が 上 手 だ 。 こ う い う こ と に な る と 遺 憾 な が ら ﹁ 難 波 田 舎 ﹂ の 感 を 深 く さ せ ら れ る 。 そ れ は 必 ず し も 教 養 の 差 で は な い 。 大 阪 人 は 概 し て 声 が 濁 つ て い る ら し い か ら 、 聴 き 苦 し い 。 又 、 一 つ に は 大 阪 弁 の 損 だ 。 権 威 者 谷 崎 潤 一 郎 に 訊 く と 、 大 阪 言 葉 は 語 脈 正 し く 、 温 雅 で 、 し か も 簡 潔 で あ り 、 含 蓄 も 深 い と い う こ と だ 。 け れ ど も 、 そ れ は 谷 崎 の 如 き 立 派 な 聴 き 手 の 味 わ い 得 る と こ ろ で 、 凡 人 の 耳 に は 快 く な い 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 六 九
こ こ で は 、 少 々 谷 崎 と 意 見 が 異 な る こ と が 読 み 取 れ る 。 谷 崎 は ﹃ 私 の 見 た 大 阪 及 び 大 阪 人 ﹄ 等 で 、 関 西 の 人 の 声 の 麗 し さ を 愛 で 、 東 京 の 人 の 声 の 簡 潔 明 瞭 で か え っ て 味 気 な く ﹁ 色 気 ﹂ ﹁ 艶 ﹂ が な い こ と を 惜 し ん で い た 。 し か し 、 そ れ で も 谷 崎 に 対 し 、 造 詣 の 深 い こ と を 述 べ て ﹁ 権 威 者 ﹂ 谷 崎 潤 一 郎 と 冠 し 、 敬 意 を 表 し て い る 。 こ の よ う に 、 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ で は 終 始 、 谷 崎 に 対 し て そ の 関 西 に 対 す る 造 詣 の 深 さ を さ し て 、 評 価 し 、 ま た 表 敬 の 意 を 表 し て い る 。
三
、
﹃
住
友
回
想
記
﹄
と
﹃
阪
神
見
聞
録
﹄
と
﹃
私
の
見
た
大
阪
及
び
大
阪
人
﹄
と
﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ に は 、 企 業 人 と し て の 川 田 本 人 の 個 人 的 境 遇 と と も に 、 社 内 的 事 情 と 当 時 の 大 阪 の 風 情 も 書 き 残 さ れ て い る 。 私 が 移 り 住 ん だ 明 治 末 期 の 大 阪 は 、 な お 純 然 た る ﹁ 商 人 の 町 ﹂ で あ つ た 。 船 場 島 之 内 は 建 築 も 風 俗 も 多 分 に 江 戸 時 代 の 匂 い を 残 し て い た 。 ﹁ 天 の 網 島 ﹂ の 橋 ず く し で 知 ら れ た 多 く の 橋 が 、 昔 な が ら に 架 か つ て い た 。 曽 根 崎 の 硯 川 も 流 れ て い た 。 新 町 の 吉 田 家 も 繁 盛 し て い た 。 北 浜 五 丁 目 、 土 佐 堀 川 に 臨 ん だ 二 階 建 て 近 代 建 築 の 住 友 本 店 と い え ど も 、 内 部 に は 大 阪 町 人 の 空 気 が な か な か 濃 厚 に 漂 つ て い た 。 大 福 帳 を 廃 止 し て 新 式 帳 簿 に 移 つ た ば か り の と こ ろ で あ つ た 。 ︵ 略 ︶ 市 中 に 交 通 機 関 と 称 す べ き 程 の も の は い ま だ に 出 来 な か つ た 。 電 車 は な く 、 人 力 車 と 、 そ れ か ら わ ず か に ポ ン ポ ン 蒸 気 船 が 堀 か ら 堀 へ と 走 つ て い た 。 自 転 車 は 昭 和 の 自 動 車 ぐ ら い 贅 沢 な 乗 物 で 、 住 友 で さ え 、 こ れ に 跨 つ て 颯 爽 と し て 出 社 し た の は 、 当 時 の 支 配 人 湯 川 寛 吉 と 営 業 部 長 八 代 則 彦 ぐ ら い の も の で あ つ た 。 こ の よ う に 、 住 友 の 社 内 的 事 情 と と も に 、 大 阪 の 風 土 や 時 代 背 景 な ど が 併 せ て 書 か れ て い る 。 当 時 が 、 ち ょ う ど ﹁ 大 幅 帳 を 廃 止 し て 新 式 帳 簿 に 移 つ た ば か り ﹂ の 時 期 に あ た る と い っ た 日 本 の 社 会 事 情 も 知 れ 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 七 〇る 。 風 土 に つ い て は 、 風 情 、 光 景 、 と い っ た 個 人 の 目 で 感 情 的 に う け と め た も の よ り 、 た と え ば 交 通 事 情 や 町 並 み と い っ た 、 当 時 の 社 会 状 況 が 多 く 占 め ら れ て い る 点 が 特 徴 で あ る 。 こ れ に よ っ て 、 当 時 の 市 街 地 開 発 や 交 通 の 整 備 の さ ま が う か が い 知 れ る 。 な ぜ 、 特 徴 で あ る か と い う と 、 谷 崎 の ﹃ 阪 神 見 聞 録 ﹄ や ﹃ 私 の 見 た 大 阪 及 び 大 阪 人 ﹄ を 踏 ま え て い る か ら で あ る 。 双 方 を 対 比 さ せ て み れ ば 、 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ が ﹁ 社 会 事 情 ﹂ を よ く 残 し て い る の に 対 し 、 後 者 は 谷 崎 の 主 観 で 感 じ 取 っ た 、 例 え ば 女 性 の 声 の 響 き で あ る と か 、 食 事 の 細 か な 差 異 で あ る と か 、 装 い や 立 ち 振 る 舞 い 、 教 育 や し つ け 、 等 と い っ た 、 ﹁ 風 俗 ﹂ 的 記 述 が 多 く 、 ﹁ 文 化 事 情 ﹂ が 大 半 を 占 め て い る 。 そ れ ゆ え 、 ﹁ 関 西 人 ﹂ の 風 俗 と そ の 美 点 を 細 や か に 捉 え た 面 に お い て 意 義 が あ る 。 一 方 で そ の 分 だ け 、 社 会 事 情 や 世 情 に 関 す る 記 述 は 少 な い 。 他 方 、 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ は 財 界 人 ・ 川 田 が 著 者 で あ る だ け に 、 文 章 力 に 秀 で て い る こ と は 隠 す に 及 ば な い が 、 き わ め て 社 会 的 な 目 線 で 書 き 進 め ら れ て い る 。 ﹁ 食 慾 ﹂ な ど と い う ﹁ 最 も 下 等 ﹂ な 煩 悩 に 支 配 さ れ て い な い 川 田 の ゆ え ん で あ ろ う 。 個 人 的 趣 味 や 嗜 好 も 出 て い る が 、 そ の 分 量 は 少 な く 、 大 半 を 占 め る の は 社 会 的 な 記 述 で あ る 。 こ の よ う な 観 点 か ら 、 相 対 的 に バ ラ ン ス が 取 ら れ た も の と し て 、 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ を 谷 崎 の 一 面 を う か が い 知 る 資 料 と し て 値 す る と 判 断 し た 。 谷 崎 に 触 れ た 一 部 の 記 述 を も っ て 谷 崎 理 解 の 一 端 に し た い と 試 み た 。 川 田 の 書 を 信 用 お け る も の と し た か ら で あ る 。 こ れ は 、 谷 崎 を よ り 知 ろ う と す る 谷 崎 研 究 人 の 個 人 的 目 的 に お い て は あ な が ち 外 れ て い た と は 思 え な い 。 し か し 、 や は り ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ の そ の 普 遍 的 な 価 値 は 、 川 田 本 人 が 財 界 人 と し て 渦 中 に あ り 、 社 会 の 動 き 経 済 の 動 き を 見 て き た そ の 人 物 が 実 証 性 を も っ て 、 経 験 し て き た こ と を 記 し た 、 そ の 点 に あ る 。 筆 者 の 試 み た 、 川 田 の 角 度 か ら の 谷 崎 理 解 は 、 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ 理 解 に お い て ご く 稀 な も の で あ る 。 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ の 、 そ の 文 献 資 料 と し て の 本 来 の 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 七 一
価 値 は 、 当 時 大 阪 の 財 界 の 中 心 に あ っ た 住 友 の 内 部 か ら 、 運 営 陣 ︵ 経 営 者 ︶ と し て 、 内 外 を 見 、 同 時 に 絶 え ず 日 本 の 社 会 情 勢 を 踏 ま え て き た 、 そ の 記 録 に あ る 。 ﹁ 谷 崎 ﹂ 理 解 の た め の 資 料 と し て の 用 い 方 は 、 谷 崎 研 究 に お い て は 非 常 に 有 効 で あ っ た が き わ め て 目 的 の 狭 い も の で も あ る 。 川 田 と 谷 崎 の 随 筆 は 、 前 者 が 社 会 的 な 要 素 を 重 く も ち 、 後 者 は 情 緒 的 な も の を 重 く 持 つ 。 こ の よ う に 両 者 は 共 に ﹁ 大 阪 ﹂ を 描 き な が ら 、 そ の ス タ ン ス と ウ ェ イ ト は ま っ た く 異 な る 。 ま た 、 分 析 し て ゆ く う ち 、 片 方 の 手 薄 な 面 を 、 片 方 が 重 点 的 に 論 じ て い る と い う 具 合 に 、 図 ら ず も 補 い 合 っ て い る 点 に 気 づ い た 。 各 々 は 、 そ れ ぞ れ の 著 者 の 特 質 が よ く 顕 わ れ 、 そ の 内 容 的 な 偏 り こ そ が 、 む し ろ そ の 著 者 の ベ ー ス を 示 し 、 才 能 の 発 露 で あ り 作 品 の 価 値 と な っ て い る 。 こ の 点 は 、 少 し も 両 者 の 評 価 を 低 く す る も の で も 、 欠 点 で も な い 。 そ れ こ そ が ほ か で も な い 両 者 の 特 質 、 と 理 解 す る 。 し か し 、 そ の 論 点 に は 先 に 述 べ た よ う な 明 ら か な 偏 り が あ る 。 力 点 の 置 か れ る ポ イ ン ト は 重 な ら な い 。 そ こ で 、 こ の よ う な 偏 り を 確 認 で き た か ら こ そ 、 川 田 と 谷 崎 、 同 時 に こ の 両 者 の 随 筆 を 体 験 す る こ と の 有 効 性 を 認 め る の で あ る 。 川 田 と 谷 崎 、 こ の 両 面 か ら ﹁ 大 阪 ﹂ を 理 解 す る と き 、 読 み 手 は 実 に 実 証 的 な 事 実 を 踏 ま え な が ら 、 客 観 的 把 握 が で き る こ と に な る 。 そ し て 、 相 対 化 さ れ た ﹁ 大 阪 ﹂ 理 解 を 得 る こ と が で き る 。 そ し て そ の 上 に 立 っ た な ら 、 広 い 視 野 を 得 て バ ラ ン ス の と れ た 独 自 の 見 解 を も つ こ と を 可 能 に す る 。 両 者 の 随 筆 を 同 時 に 踏 ま え る こ と で 、 全 く ち が う 角 度 か ら 向 け ら れ た 、 毛 色 の ち が う 視 点 を 獲 得 す る こ と が で き る 。 互 い に 異 な る ス タ ン ス か ら 理 解 す る こ と は 、 こ の よ う な 理 由 か ら 非 常 に 有 意 義 な こ と で あ る と 思 い 至 っ た 次 第 で あ る 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 七 二
結
び
こ の よ う に 、 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ に お い て 川 田 の 語 る 谷 崎 の 姿 は 、 移 住 し た 時 期 は 前 後 す る が 川 田 に と っ て の ﹁ 関 西 ﹂ 文 化 の 先 達 で あ り 、 尊 敬 す る 文 化 の ﹁ 権 威 者 ﹂ で あ る 。 関 西 移 住 後 、 谷 崎 は そ の 作 品 群 に よ っ て 、 関 西 理 解 と そ の 造 詣 の 深 さ を 示 し 、 文 学 的 成 功 を 修 め た 。 そ の 裏 で 、 川 田 の 書 き 留 め た 日 常 の 谷 崎 の 姿 に 、 そ れ が い つ わ り で な い こ と を 知 っ た 。 外 部 か ら 、 そ の 看 板 に 偽 り な き こ と を 証 明 で き た こ と は 貴 重 で あ る 。 視 野 狭 く し て 主 観 に 走 る こ と な く 評 価 す る こ と 、 を 可 能 に す る 。 谷 崎 は 、 そ の 日 常 に お い て も ﹁ 関 西 賛 美 の 人 ﹂ で あ っ た 。 ま た 、 日 常 に お い て も そ の 造 詣 の 深 さ を も っ て 、 関 西 の 良 さ を 説 き 、 広 め て い た 。 そ れ が 川 田 の 筆 で 書 き 残 さ れ て い た 。 ま た 、 そ れ は ﹁ 関 西 ﹂ に 限 定 さ れ る も の で な く 、 ﹁ 関 西 ﹂ 理 解 を 通 じ て ひ い て は ﹁ 日 本 ﹂ の 伝 統 の よ さ を 愛 で る こ と と な り 、 昭 和 天 皇 の 御 前 に も そ の 思 い と す ば ら し さ を 披 露 し た こ と が 、 川 田 が 記 し た こ と に よ っ て よ り 相 対 的 に 知 ら さ れ た 。 川 田 は 、 東 京 帝 大 の 文 科 の 学 生 で あ っ た 私 は 、 途 中 か ら 法 科 に 転 じ た 。 文 学 を 志 し な が ら も 、 才 小 く 、 短 歌 以 外 の も の を 作 れ な か っ た 私 は 、 将 来 を 考 え て 心 細 く な つ た 。 短 歌 は い か な る 境 涯 に い て も 出 来 る 。 詩 は 生 活 の 糧 に す べ き も の で な い 。 役 人 に な ろ う が 、 商 人 に な ろ う が 、 作 歌 を 一 貫 し た な ら ば 必 ず 立 派 に 歌 人 と 成 り 得 る 。 か よ う に 考 え た 結 果 ﹁ 文 科 大 学 を 去 る も 文 学 は 捨 て ず ﹂ と 歯 の 浮 く や う な 捨 台 詞 を 残 し て 、 法 学 士 に な つ た の は 明 治 四 十 年 の 夏 で あ つ た 。 ︵ 略 ︶ と し て 、 一 念 発 起 し て 実 業 の 道 へ 進 ん だ こ と を 後 悔 は し て い な い 。 ﹁ 歯 の 浮 く や う な 捨 台 詞 ﹂ ﹁ 文 科 大 学 を 去 る も 文 学 は 捨 て ず ﹂ と い う の も 、 負 け 惜 し み で な く 、 思 い 切 る た め の 覚 悟 の 台 詞 だ と 言 え る 。 そ の 結 果 、 実 業 の 道 で も 重 要 な 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 七 三ポ ス ト を 歴 任 し 業 績 を 残 し た 。 任 務 を 人 並 み 以 上 に 果 た し た 点 は 立 派 で あ っ た 。 人 並 み 以 上 に 大 成 し た と い え る 。 ま ぎ れ も な く 、 一 般 的 に は ど の 角 度 か ら 見 て も ﹁ 立 身 出 世 の 人 ﹂ で あ っ た 。 そ の あ た り の こ と は 、 本 人 も 自 分 を 客 観 的 に 見 つ め た 上 で 次 の よ う に 記 し て い る 。 昭 和 十 一 年 五 月 、 す な わ ち 二 ・ 二 六 事 件 が 鎮 ま つ て 間 も な く 、 私 は 辞 表 を 提 出 し た 。 住 友 の 家 長 に 対 し 、 又 、 総 理 の 小 倉 に 対 し 私 情 に お い て は 忍 び 難 い も の が あ つ た け れ ど も 、 敢 行 し た 。 自 惚 れ か も 知 れ な い が 、 次 の 総 理 に 私 を 推 薦 す る 気 持 ち が 小 倉 の 胸 中 に 潜 ん で い た ら し か つ た 。 け れ ど も 、 私 は 到 底 そ の 任 で は な か つ た 。 こ の こ と は 、 誰 よ り も 私 自 身 が 知 つ て い た 。 総 理 を 援 け て の 下 働 き は 過 誤 な く 出 来 る 自 信 を 持 て た け れ ど も 、 悲 し い 哉 、 将 に 将 た る 器 で は な か つ た 。 私 が 総 理 に な る こ と は 、 私 自 信 の 破 綻 で あ る の み な ら ず 、 住 友 の 不 幸 に 違 い な い と 、 判 断 し た の で あ つ た 。 こ の 際 の 、 川 田 の 身 の 退 き 際 の 潔 さ は 特 記 す べ き で 、 そ れ ゆ え 人 の 口 に の ぼ る 。 現 在 の と こ ろ 、 退 職 の 真 の 理 由 は 不 明 、 と 川 田 研 究 者 は し て い る 。 そ の 時 の こ と を 、 ﹃ 川 田 順 ノ ー ト ﹄ ︵ 一 九 九 一 年 一 〇 月 譁教 育 出 版 セ ン タ ー ︶ の 著 者 ・ 鈴 木 良 昭 氏 は 、 さ ま ざ ま な 風 聞 を 踏 ま え た 上 で 、 ﹁ 謙 遜 こ の 上 な い 文 章 で あ る が 、 私 は こ こ に 掲 げ た 辞 職 の 理 由 は 、 そ の ま ま 既 述 通 り に 受 け 取 り た い ﹂ と 述 べ る 眇。 以 上 、 本 稿 で は し ば し ば 川 田 と の 関 連 で と り ざ た さ れ る 、 谷 崎 の ﹁ 細 君 譲 渡 事 件 ﹂ な ど の 私 生 活 面 や 、﹃ 鍵 ﹄ ま た ﹃ 瘋 癲 老 人 日 記 ﹄ な ど の 老 人 の 性 愛 、 と い っ た 論 点 か ら 離 れ 、 川 田 の ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ か ら 谷 崎 の 実 像 を う か が い 知 る こ と を 目 的 と し た 作 業 の 経 過 を 報 告 し た 。 川 田 に よ る 谷 崎 の 記 述 か ら そ の 点 が 確 認 で き た こ と は 、 先 記 の と お り で あ る 。 こ こ ま で に サ ブ タ イ ト ル ﹁ │ │ 川 田 順 が 見 た ﹁ 大 阪 ﹂ ⋮ ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ で 谷 崎 潤 一 郎 に ふ れ て │ │ ﹂ に 関 す る 作 業 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 七 四
の 報 告 を 終 え 、 本 稿 に 関 し て は こ こ か ら は 追 記 と な る が 、 し か し 、 や は り 、 帰 着 す る の は こ う い っ た 川 田 自 身 の 生 き ざ ま で あ る 。 河 野 多 恵 子 氏 は 谷 崎 を ﹁ 肯 定 の 欲 望 ﹂ 眄の 作 家 と す る が 、 結 果 と し て 、 い う な れ ば む し ろ 川 田 の 方 が 谷 崎 よ り も 劇 的 に 生 き た と い え る 。 谷 崎 は 生 涯 を 通 じ て 生 業 は 作 家 で あ り 、 ﹁ 文 学 ﹂ と い う 名 の も と に 、 あ る 程 度 の 自 由 な 立 ち 振 る 舞 い を 大 目 に 見 ら れ て い た 、 と い う 赦 免 が あ っ た 。 ま た そ れ は 、 そ の 作 家 の 文 学 性 に よ る が 、 そ の 意 味 で は 一 般 の 社 会 人 ま た 公 人 に 比 べ 谷 崎 は 強 味 を 持 っ て い た 。 谷 崎 は 世 俗 の 栄 光 や 価 値 観 を 捨 て て で も 、 己 の 求 め る 快 楽 を 追 及 す る 生 き 方 こ そ を 文 学 上 の 理 想 と 希 求 し た 。 そ し て 、 作 品 に そ れ を 実 践 さ せ て い る 。 し か し 、 そ れ を 地 で や っ て の け た の が 谷 崎 よ り も 、 む し ろ 川 田 で あ っ た 。 財 界 で 築 き 上 げ た ポ ス ト や 権 威 を 一 切 捨 て 、 身 一 つ で 歌 の 道 に 入 る こ と が ま ず 一 つ 。 そ し て 、 皇 太 子 御 作 歌 指 導 掛 等 を 拝 命 し た こ と 等 象 徴 的 に よ り 正 し く 身 を 処 す こ と を 暗 黙 の う ち に 求 め ら れ て い た 川 田 が 、 人 生 の 老 成 す る 時 期 に あ っ て 道 な ら ぬ 恋 に 身 を 窶 す こ と は 、 す べ て を 失 う こ と に 等 し か っ た 。 築 き 上 げ た 、 ﹁ 正 し き ﹂ 人 格 や 経 歴 を す べ て 投 げ 打 つ こ と を 意 味 し て い た 。 そ の 、 払 わ れ る 犠 牲 は 彼 の 積 み 重 ね た ﹁ 正 し き ﹂ 人 生 を 否 定 す る ほ ど の ダ メ ー ジ を 持 つ 。 し か し 、 そ れ は 言 い 換 え る と 、 川 田 は そ の ダ メ ー ジ さ え い と わ な い ﹁ ダ メ ー ジ 以 上 の も の ﹂ と 出 逢 っ た こ と に な る の で あ る 。 そ う い う も の に 、 す べ て の 人 が 出 逢 え る と は 限 ら な い 。 そ う い う も の に 出 逢 っ て し ま っ た 者 と 、 出 逢 う こ と な く 平 穏 に 人 生 を 終 え た 者 。 ど ち ら の 方 が 真 に 幸 せ な の で あ ろ う か 。 辻 井 喬 に そ れ を 小 説 化 さ せ た の も 、 こ の 劇 的 な 川 田 の 生 き 様 で あ っ た 。 彼 に 筆 を と ら せ た の も ほ か な ら ぬ こ の テ ー マ な の で は な か っ た ろ う か 。 こ の 川 田 の 生 き 方 に 対 し 、 は た し て 谷 崎 は ど の よ う な 気 持 ち で そ れ を 見 つ め て い た の か 、 谷 崎 の そ の 思 い は や は り 切 っ て も 切 れ な い テ ー マ で あ る 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 七 五
谷 崎 理 解 を よ り 客 観 的 に 相 対 化 さ せ る こ と を め ざ し 、 川 田 順 の 把 握 に 取 り 組 ん だ 。 そ の 結 果 、 そ の 当 初 の 目 的 は 果 た し た 上 で 、 改 め て さ ら に 重 要 な ﹁ 本 題 ﹂ を 再 確 認 す る に 至 っ た の で あ る 。 本 稿 に て 、 そ の ﹁ 本 題 ﹂ を 重 要 な も の と 再 認 識 す る に 至 っ た そ の 基 礎 作 業 の 経 緯 を 報 告 し た 。 次 稿 よ り は 、 そ の ﹁ 本 題 ﹂ に 入 っ て ゆ き た い と 思 う 。 ﹃ 住 友 回 想 記 ﹄ の 中 で 、 強 く 目 に 飛 び 込 ん で き た 一 文 が あ る 。 現 実 の 女 性 に 失 望 し た と き 、 歴 史 や 物 語 の 中 か ら 気 に 入 つ た 美 人 を 探 り 出 し 、 そ れ が も し 手 近 い と こ ろ に 生 き て い た ら 、 逢 え る も の か 、 逢 え な い も の か 、 そ ん な 莫 迦 々 々 し い こ と を 妄 想 す る の も 、 私 の 道 楽 の 一 つ で あ る 。 谷 崎 は 、 ﹃ 春 琴 抄 ﹄ の 中 で 、 現 実 の 春 琴 に 目 を 閉 ざ す た め 、 佐 助 に 目 を 突 か せ 失 明 さ せ た 。 そ し て 、 佐 助 は 見 え な い ま ぶ た の 中 に 、 永 遠 に 変 わ る こ と な い 春 琴 を 手 に 入 れ た が 、 川 田 の こ の 思 い も 、 佐 助 の 思 い に 重 な る も の と 思 え て な ら な い の で あ る 。 註 盧 川 田 順 ﹃ 心 ﹄ ︵ 昭 和 40年 4 月 ︶ に 記 さ れ て い る 。 盪 堤 義 明 は 二 〇 〇 四 年 四 月 総 会 屋 へ の 利 益 供 与 の 咎 で 総 責 任 者 を 辞 し て い る 。 現 職 は コ ク ド 会 長 で あ り 、 西 武 ラ イ オ ン ズ 球 団 の オ ー ナ ー で あ る 。 蘯 文 芸 同 人 誌 ﹁ 七 人 ﹂ 明 治 37年 11月 創 刊 川 田 22歳 。 川 田 ほ か 、 小 山 内 薫 ・ 武 林 無 想 庵 ・ 高 瀬 精 太 ・ 吉 田 白 甲 ・ 上 村 清 延 ・ 太 田 善 男 の 七 人 に よ る 。 盻 ﹁ 死 に 損 ね が 生 き 損 ね を せ ぬ や う に 、 努 力 工 夫 い た す べ く 候 。 そ の 一 つ と し て 居 を 東 京 方 面 に 移 す こ と を 決 心 い た し 候 ﹂ と あ る ︵ 鈴 木 良 昭 氏 所 蔵 尾 山 篤 二 郎 宛 川 田 順 書 簡 昭 和 24年 1 月 5 日 消 印 昭 和 59年 5 月 8 日 毎 日 新 聞 ・ ﹃ 短 歌 現 代 ﹄ 同 年 7 月 号 に て 紹 介 さ れ た ︶ 。 辻 井 喬 ・ 川 田 順 ・ 谷 崎 潤 一 郎 に 重 な る 焦 点 七 六