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第試拾九號
身延山短期大学
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罰 難 画露宰也鵬壷幽学識傘齢鍵 ;".・ 鍵 翠 (木版については一三六頁参照〕 日蓮聖人註法華経巻首雀末 罐、 之尋 さ諺 秘渦癖“溌鍵撒鎗職麓擬磯
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大正の初め、未だ島智良上人健在の頃と記憶するが、本山納骨堂の一隅で手も顔も真シ黒にした生徒の手に依って 謄写刷りのみすぼらしい雑誌が発行された。是が棲榊才一号であった。内容は大部分が坐徒の作文程度で埋もれて居 て研究論文といふ様なものは見られなかった。オニ号から活字になり、是が矛一号として方々へ配布されたが内容は 前と変りはなく精倉廿五・六頁のやはりみすぼらしいものであった。それが号を重ねるに從って、学内で遠藤、高田 永倉等の諾教授の執筆があり、学外からは清水龍山先生や、山川博士を初めとして諸龍象の寄稿もあって、初めの学 生の志操発表の機関としての目的が、いつの間にか学者の論揚となり、学生側からは不滿を持たれた様ではあったが 宗の内外からは重要頑せらる上様になって居たのが、戦箏が苛烈になると共に学徒隅陣、学徒動員といふ様な事で先 生も生徒も戦場に工場に躯り立てられてしまひ、静かに想を錬り●ペンを執る機会も無くなり棲榊の発行も自然お流れ となってしまひ、戦後の混乱時代は亦物資不足其の他の悪条件の爲に、心には思ひながら手を染め得なかったのが、 昨年開宗七百年の聖辰に当り調昭和定本としての御遺文矛一巻の刊行成り。四海帰妙推進大法要虐修中身延山に於い て宗学研究大会が挙行せられたるを記念として、棲榊を復刊する機運が生れ出で研究会の紀要と合本した事は、租山 の学苑としてはこよなき記念事業であると思ひます。 此処に過去を追懐すると同時に望みを將来に蝿して復刊の辞と致します。 ︵開宗七百一年太陰暦宗祗身延御到着の聖日に当り︶ P
復列の辞
身延山短期大学々頭松木本興
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復刊の瀞⋮⋮;⋮;⋮⋮︾⋮:、身延山短期大学々頭⋮松木本典⋮
唱題思想の根底とその歸結⋮:⋮・↓?;・・⋮⋮:⋮⋮⋮。:⋮塩田義遜︵一︶
純粋宗学の綱領的展開⋮:⋮・⋮⋮⋮..⋮・⋮・・・:⋮⋮:⋮室住一妙⋮︵三︶
御消息文の分類研究
⋮:.⋮・⋮⋮⋮:.:・・斎藤龍遵⋮︵麦︶
l身延艤栖後l
同廣中師について⋮⋮⋮..⋮・⋮:⋮・・⋮。::⋮・⋮:・⋮・⋮︲秋山智孝:︵雲︶﹁梵唄﹂賑口傳された五調子茨︾その旋法
.:.:、石町是行..︵老︶
l延山流駕襄たる陰旋陽旋の分析研究l
原子論雷﹄佛教・・・⋮⋮...:.・・・・⋮..⋮・⋮・・・⋮;・⋮⋮坂・本幸男⋮︵莞︶ 有部に於ける存在の概念⋮⋮:。⋮;⋮・⋮:・・:⋮:.:。;・§︽里見泰穰・︵公︶ 露魂不滅の問題・⋮・⋮:⋮。:⋮・⋮.:.⋮::・・・.:・・・⋮波多野通敏..︵豆ご シインフレーション心理:⋮・・・・・・・・..⋮:.⋮.:・・:⋮・・:::.:御園生桂三郎:ご宝︶口繪写真高租御遺文断片
目
、次
I
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︵二︶研究發表
諸法実相論
11日蓮聖人の実相観11:⋮・・⋮・・⋮⋮・・・;.田日蓮桜華宗の現代的籏幟。:⋮⋮:。.⋮::..⋮::.:浦
教概双用法華経安心深敬讃講話・⋮⋮:⋮:.⋮⋮⋮:綱:⋮綱
真言宗に於ける到教の綱格私見:⋮.::。:⋮・⋮⋮・・⋮:“脇日蓮聖人書入本﹁註法華経﹄の版經について:・・⋮・・⋮兜
身延、中山の関係
l特に所祷経及祇祷禰伝書に旨て11::;影
法華経成立史上に於ける見寶塔品の重要性・⋮⋮..⋮⋮木
無作三身の根本批判ざ本佛の根本開顯・⋮:⋮⋮⋮⋮;・河
プトン﹁善逝史﹄に引用せられし法華経に就いて。⋮・・↓:失
第五回日蓮宗散学研究大會紀要︵目次︶
。 ・ ・ : : . : . ● ・ 今 ・ ・ . ︵ 一 二 三 ︶山堯雄:︵三八︶
村日紀⋮︵西ご
合捗明:。︵一豐︶
臓正見:.︵一豊︶
木正亨⋮︵一美︶
本日頑:.︵三三
脇龍妙・:︵三s
上芳武。:︵三ぎ
村芳朗..︵三霊
の、 11ⅡⅡⅡ1ⅡIⅡ1ⅡIIIiIIⅡ剛ⅡⅢⅡIⅡⅡInIⅡIⅡIⅡ11ⅢI 宗学槻に於ける個的立場芭種的立場。:⋮:⋮:・・・・⋮⋮・ゞ
本門戒壇の性格⋮⋮⋮⋮:.⋮⋮⋮:.⋮;;:
龍華像師の布教について
●●●●●●。●◆●。●申合①◆●●●●●●●●I南北朝動乱期に関聯してl
罪障消減についで・⋮⋮⋮・⋮..⋮⋮⋮・⋮
妙法華経に見られる文体上の特色:..・・・:⋮⋮:.:.⋮・・・⋮ 教義と.教学・・・::::.⋮..⋮⋮・⋮.:⋮。:;・・:本門本尊の在り方
●◆oooeo全中。。。。。︲℃。●o色。●・●’一奪一士正境論l
現代に於ける日蓮主義の進路⋮⋮・⋮:.:⋮:・・⋮。:⋮⋮大般混藥経の佛性論::⋮⋮⋮⋮.:⋮⋮・⋮⋮.、
勢至菩薩經に就いて。::⋮⋮:⋮::・・・⋮⋮⋮⋮.
、佛教実在観の現代的意義⋮:.⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮:.⋮⋮
給仕第一の精祁⋮:::.⋮..:::⋮:⋮⋮。:
会員名篭
学園記事
校友会記事
編集後記
、室長中勝高竹
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一正瑞昌大日
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豊:。︵菫一︶ 照;.︵一茜︶ 昌︵一美︶. 哉・・色芙︶廷=−−
等と見ゆるが、これは全く悲華経の五百大願の意を、無銑壽経の矛十八願に寄せて述べたものであらうが、法華経に は方便品に﹃我本立一審願一、欲し令三切衆、如し我等無し異、如二我昔所願一、今者已滿足、化二一切衆生一、皆令レ入一砕道一﹄と 軍に菩薩の総願に寄せて説き、壽量品には﹃我本行一菩薩道一、所シ成壽命今猶未﹀鑑,復倍二上数一﹄と壽鐙本果を菩薩本因 日本佛教の特長であり、且つ三国佛教の結論とも見られる、溌名往生と唱題成佛の思想は、可成早くかち存在した ことは、法華経の﹃一稀南無佛﹄宣心稀名乃至受持槻世香旨受持法華名者﹄等の文や、観無最毒経の﹃受二持読三諦 方等経典皇﹃讃二九乗十一蔀経首題名字一﹄﹃具一蒐十念一講南無阿彌陀佛﹄等の文に依っても明らかである。且つ法華経︾ には法師品に﹃一念随喜者我皆與二授記一﹄と説き、無量壽経には﹃設我得し佛、十方衆生至心信樂、欲し生二我国一乃至皿 十念、若不生者不取正鎚﹄等と説き、淨土教は専らこれ老法藏の因願の上に説いて、衆生の行功を法藏の丙願に僻め て、彌陀佛果に依る本尭無作の信心の上に往生を肯定し、法華経に盤﹃如我昔所願﹄と菩薩の総願以外に別願を説か ないが、修善寺決には悲華経の鐸迦五百の大願を出して 湾迦如来五百夫願中矛五十二云、我有二微妙法一若有二衆生一、至心受持者成二無上道一、於二矛二生一不し受二生死一、若不
爾考不し取一正覚一、︵全三、六六七︶︲jI
唱題思想の根抵淫其の歸結
G 中 〃 ■■■■■ 1 、 !鐺田義遜
● 、併しかくの如く観経法華の穗名題目が如来行と肯定せらる上に至ったのは、全くその前提として、かょる易行に如 来行たり佛慧行たる所以が證せられなくてはならぬ。これに就ては菩薩行溌如来行たらしむる過程として華殿の普蜜 行願や、般若の十種受持の準本尭的行法のあったことは、見逸し得られない事実である。普賢行願の名は早く新奮雨 信解に依る成佛を肯定して居るのである。 五度と校量して、﹃百千万億倍乃至算数警楡所し不し能し及﹄と説いて、正しく本因報酬の氷果の上に、本覺無作の一念 数劫、久修行所得﹄と説き、分別品には壽命長遠の佛果を深梁若の佛慧となし・か上る佛慧の受持に依る一念信解を の報酬と説いて、塵点実成の光毒無数の佛果は菩薩の無泄の大願に報いられる所以ぞ、偶には﹃慧光照無裁、毒命無 かくの如く念佛と唱題とは諸悌の因願に報いら恥たる佛慧行、即ち如来行なる故に、爾前小乘の四諦十二因縁等の 二乘行、並に穂大乘経の般若華厳等の六度十度等三乘の因位の諸行を始盛の修証の行とすれば句念佛唱題は因願報酬 宅Qh の上の本覚の信証の行といはねばならぬ。故に宗租は佐前の唱題妙には、題目を常の行、助縁には鐸迦多宝十労諾佛 の名号を用ゆくしと述べ、題目妙には題目を一日六万十万千万遍唱へて、暇あらぱ諸佛の名号を口ずさむくし等と説 いたのは、題目も念佛も共に本覺観心の上の如来行の意と解せられたからである。併し唱題妙には、阿含小乗に対す れば﹃華嚴方等般若淨土の槻経等は了義経であるが、法華経に対すれば不了義経と判じ、題目妙には﹃佛の名号なれ ばたくみなろに似たれども、不成佛不往生の経に依るが故に、徒に他の宝を数ふるが如し﹄と専ら教相の上で念佛無 間と説かれて居るのである。 子 一 一
訳の華嚴経にも見えるが、その具体的の礼拝諸佛や稻讃如来・庚修供養、餓悔業障、随喜功徳、請転法翰、請佛往世 常随佛学、恒順衆生、普皆廻向等の十願は、後に入法界品の別訳とも瀞せらる上四十華嚴に始めて見えるのである。 か上る普賢行願は全く華嚴の十地品等に見える菩薩の総願以外の供養、受持等の十願の結果なることは、不室訳の普 賢行願讃等に依っても明らかである。されば此の行願は普賢菩薩に依って、一切の菩薩の無箪無辺の行願が悉く成滿 せられた、一切佛刹厳淨の願とも穂せられ、就中入法界品には善財童子の五十二善知識︵五十二位︶の歴訪に寄せて 菩薩の無辺の因行を具体的に説かれたのにも見えるものである。 ・か上る普賢行願は華厳十地品の鐸論と稀せらる上、龍樹の十住毘婆沙諭には、三受茶羅陀羅菩薩経と同じ・く、普賢 行願の要略と稀せらる上、餓悔、渤請、随喜、廻向の帰命を鉄;五悔の形を以て説かれ、後に五悔は天台に於ては止・
“観に四極三昧と共に止観の方便行として採用せられ、叉真言の金剛教王経等の密軌にも五悔として見え、金剛界九方3
便の餓悔法として用ゐられて居る。又これより先普賢行願は礼拝、讃歎、作願、観察、廻向の淨土往生の要行たる五 ● 念門として、黒く世親の淨土論等にも見ゆるが、若し観無景壽経には五念門は三輩九品の行法として、受持読請等の 、 五種法行と共に念佛往生の前提として採用せられ、絡に下品の下には十二部経の経名、彌陀の穰名を以て往生の行と 説くに至ったのである。 若し華嚴の普賢行願に匹敵すべき、般若の十種受持は諸部の般若経の囑累品に、深般若の十種受持として、諦蕊、 受持、披読、調謂庚説、書写、供養、思惟、修習、施他の十種行法が説かれ、法華に至っては十種中受持等の五種 が、一念信解の受持行として止揚せられて居るが、十種受持は無着の顯揚聖行論、世親の中辺分別論等には、菩薩の +波羅蜜の方便行として攝取せられ、若し天台は文句に分別品の四信五品の行法を止観に六邸の方便位たる相似観行かくの如く般若に菩薩の六度に対し、殊勝の行と見らるべき十種受持、華殿の十願報酬の行と見娼.べき普賢行願は 就れも菩薩当分の六度十度等の如き、観念修証の所謂随法的行に対李れぱ、随信の易行なる故に方便行と解せらるL 声 こと徹、鉦署、世親、天台、真一言等に於てしらる1のである運しかし、佛教史上より見れぱか上る観念行法は、所 謂正像に於ける上根利智の行法ではあるが、末法に於ける利鈍有智無智一同の行法ではなく、別語でいへぱ哲学的の 観念であって、万人救済の宗教とはいはれないのである。故にかよる要求に答へて菩薩の弘誓の総願を基調として、 別願に依る菩薩の無辺の行願が説かれ、無着等に依で主張せられた、大悲の故に浬藥に住せ歩、大智の故に生死に住 せざる所謂、無住浬藥の常在教化を理想とする要求に対して普賢行願が華嚴の十戴別願報酬の信行的行法として現は れ、又龍樹が大論七二に溌揚する諸法室の溺般若に対して、世法即佛法と説く深般若の行として・十種受持の易行が 菩薩の因位の行願報酬の行とし跡.現はれたものであらう。而してか上る因願報酬の易行を菩薩行以上の殊勝の行とし て説いたのが、法華の一念信解の唱題行であり観経の具足十念の念佛行である。されば是等の行法はこれを三乘の修 証の観念有作の行に対すれば、全く信念を塞調とする故に、菩薩2ハ度等の翻念修証の行に対すれ嬉無作の行とい ひ得られるのである。即ち彼此を相対して且らく始毘修証、本攝信証の行と呼ぶべきである。 此等の中念佛行は早く世親の淨土論の五念門に次で、曇鴦の諭注、善導の往生礼讃、就中槻経疏には観経に依て五 念門と五種受持との合糠の五種正行の上に、正助二行の判に依る智愚一同の行法として念佛の一行が止揚せられ、慧 心は往生要集に更に専ら五念門に依て、末代の易行としての念佛を止揚して、末代頑魯の自足と説き、更に源筌は専 ら善導に依り、選鐸集に於て侭願に依る方徳所帰の念佛を以て末代の要行として淨土宗の樹立を見、親鴦は更に犬無 の行法として擶取して居ろ。 』 〆 〃 1 』 4
■ 『 〆 1 〃 最涛経の永子八願の至心信樂の彌陀本願に立って、いよノー本蝿無作の意を強調して、所謂行具之信、信具の行たる 不行而行の聞信一念の念佛を説き、全く本覺無作の意に立ち蒋名報恩の解を見るに至ったのであ.る。 これに対し唱題正行の説は、妙法華には.﹃受二持法華名一考幅不し可し量﹄、正法華には﹃若聞二此経一宣二持名号一徳示し 可し最﹄等と見ゆろが、正行としての唱題行は恐らく、傳教作と稀せらる上修騨寺決に見える、臨維行事としての法具 の一・心三観、一念三千観を塞ぐべきであらう。併し本書は島地師の天台教学史、大崎学報一天等に依るに、藤原末期 乃至源平時代の初期、静算の心地教行決︵一皇◇以後、忠零の漢光類聚︵二天︶以前の粗ほ七十年間の箸と推考せら れ︲又近代忠零の法華略義見聞中に、﹃私粟田口御義﹄﹃私云粟田口﹄︵佛全ニハ、四。・四一︶等と見ゆるに依て、粟田口静 月 明以後恵心流行泉坊流一派の筆になったものか等の疑もあるが、静期が弘安九年心賀に付法あった事実に依り、且つ 修騨寺決が宗租の十八円滿抄等に見ゆるに徴して、修瀧寺決は恐らく忠尋前後藤原末期のものと推定すべきであらう 由来修輝寺決は惠心流の口傳を傳教に假托して一心三親、心境義、止観大旨、法華深義三重七個に寄せて口傳した ものである趣漠光類聚三の﹁夫一・念心起事﹂の下に、一念三千槻は文、義、観相、醤嚥の姻種の口傳を明す義に假名 円融、理具、事冥、本性、不思議、自己の七種の一念三千を明し、観相の下に別時、︲常用、臨柊の三種を掲げ、﹃臨 終一念三千者、是有二重友属伝一、委細旨如二四箇傳法決一﹄︵佛全一七、七一︶等と述ぶる。所謂四箇傳法決とは恐らく修 輝寺決を指すものであらう。か上る修郷寺決に依るに、一心三槻、心境義二念三千︶止観大旨は、各教行証に寄せ てこれを鐸し、若し法華深義の下は五重玄義に寄せてこれを鐸して居る。・ タ グ 一一一 = 、 0 ノ
等と説き、更に證分の一念三千を天眞澗朗不修一念三千と薮し、心地観経の成佛品の﹃琉伽行者観二月輪一観二三種大秘密 法一﹄︵三、三二大︶と心語身三秘密の丈を以て之を證し、矛三に止観大旨は付丈元意に寄せて鐸し、付丈の下に止観の 先づ一心三槻の行の下の別時、常用調臨移の三種の中、臨経の一心三槻は断末鰯に於ける出離の要行として、法具
の一心三頚を明し.
法具一心三獅者即妙法蓮華経者是也、乃至臨維之時唱一南○経一、由二妙法三力之功一速成二菩提一、令レ不し受二生死身一、 O○○. 初法力者鐸迦如来本行二菩薩這一時、修一藷行願一五百塵点昔速成一砕這一、自一孟百遠劫一久思惟説二此経一、三世十方諸佛 自利排他、八万法蔵最要号爲二妙法一、故唱二妙法号一人過去曾成諸佛行願、入二行者身内﹁未来諸佛行願亦可二来入一、 三世行願速来行者身内成就。次佛力者不思議変勝経云、我從二阿謹仙一聞二於妙法一今成二無上道一、若有言衆生一於一庇微 妙法一起二一念信一、爾時我與二十方諸佛一現二其人前一、陰穣妙身一或現菫小身一令三行者願心應二成就一美。緯迦如来五百 妖願中才五十一芸、我有二微妙法一若有二衆生一、至心受持者速成二無上道一涜二矛二生一不し受二生死身べ若不レ爾者不ン取 # 二正覚一。次信力者玄師傳云生疑不信者、設錐し眞一妙法一於二出離生死證得菩提一、生二猶予竺此人妙法不信輩也、或從 グ ー智識一、或從二経巻一關砂法蓮華経一於一生死一更不レ怖者、是名下信二法華一人上是信力也。如レ是妙法有二三力不共徳一、 行二一行一万行円滿、譜二万行円滿一後一心三観行得し不一婦入一耶、一心三観行相万行所帰内證也、妙法万行自性内徳也 披臨維之行者可レ唱一灌華首題一。︵全三、六六六要引︶ へ と縄し。若し心境義即ち一念三千の下の三種行の臨終の行法の下に 、 臨柊一念三千観者妙法蓮華経是也、妙即一念法即三千是故輿一二念三千一名異義同也、臨経時専心應レ唱一妙法蓮華一臨維一念三 ︵全六七九︶ 一 6』 〃 、 ﹃法性寂然名止、寂而常照名観﹄の文を稗してT﹃止即一念観即三千、妙即一心法即諾法、是故止観二妙法一名異義同 実﹄と述べ、文意の下教行證に約して止観を説く、行門に還用有相の縄離生死の観行の口伝に、先づ十界順逆観に次 、 で有相の礼拝行話明し 和尚深秘行法伝云、図一霜十界形像一十処安乏是毎レ向二一像一、各一百反可レ行二礼拝一、・口可レ唱二南無妙法蓮華経一、心・・ 可し念、若向二地獄像一彼猛火当体即当即假即中、乃至向二佛像一之時可レ観二彼体即三諦一也。霊一時夜一時可し修二此行 。。。O 一大師爲二末世鈍機一密授二此法要一、若欲下縄二生死一證塁巨提上先可レ用二此修行一也︵全上七○己 等と説き、矛四法華深義の下には、五字各説、五字合成の雨檬の五重玄義を、大師の自解佛乘、始本二覚等に寄せて 稗し、﹃唱二妙名一郎一心三親一念三千也﹄、﹃唱二妙一名.一万徳識帰﹄﹃邇廣五種行心散乱故非し要、乃至和尚云一時五種妙︾
0一
行﹄等と名体宗を鐸し、妙体の下に更に蓮華因果、円教三身、常寂光土の別伝三箇を開き、次に総説の下には﹃総説7 五重玄者妙法蓮華経五字即五重玄也﹄︵全上七工七︶等と稗して居るが、悉く本覚、断証へ果上、本法、果海、遼用︾有相自解佛乘等.本覺の行法としての唱題行を説いて居る。、
宝 上述の如く念佛唱題の易行に依って、速疾に往生成佛を肯定し得るのは、是れ全く菩薩の願行に報いられたる行法 なるが故であるが、念佛は善導が槻経疏に﹃順彼佛願故﹄と説ける如く、彌陀の別願の上に衆生の行功が予め盛られ て居るが、唇題の場合に於ては緯迦の本行菩薩道の行功の上に之を肯定すべきである。而し定か入る意味を明かに説 いたのが、恐らく前提修善寺決の一心三親の下等に見ゆる﹃妙法三力速成菩提﹄の稗といふべきであらう。即ち法力の妙 I 四 1 、 瓜口 込 法を騨迦本行菩薩道の行願に依る八万法蔵の最要と稗し、佛力を緯迦五百大願による一念信解速成菩提の信証と鐸し 信力を知識糎巻に依る行者の一念信解と緯し、かくの如き三力合成に依って法具の一心三観たる妙法を唱ふれば、一 行に能く万行を円成むて速かに即身成佛すと説くのである。かく一心一一霞、心境義の下に於ては、共に臨維行事とし 〃 て之を説くが、若し止観大旨の下に於ては﹃止観與二妙法老異義同﹄となし、十界形像の順逆観と口唱妙法を以て、 上述の如く臨柊行事にあらずして、大師末世鈍機の爲に説ける密授の法要と説き屈此に於ては臨維行たる唱題は末法鈍 根の平生行となり、更に法華深義には﹃唱二妙名一即一公一顕一念一手也、何可レ云二妙名無溺心一耶﹄と唱題即観の鐸 をなし、殊に観智儀軌に依り﹃薩字此一言妙即大日遍照総体﹄なれば、唱題即童一密輸伽の行法なりと説き、経に這 じて廣く受持等の五種の法行は心散の故に要行にあらず、唱題受持を以て一時頓修の五種妙行と説き、五字各説の五 重玄に次で合成樺に於ては、妙法の五字を以て総じて五重玄具是の五字と鐸し、且つ上述の如く、本蝿、断誕果上 本法等、所謂本覺思想の上に之を﹃名即実体﹄等と説いて居るが、全書には妙休を鐸して﹃迩門心以二不変真如一理一 爲二妙体一、乃至観心時直擶二大真如一、大真如者不変随縁一体不し分二二相体一﹄塁上七二︶等と述べ、妙宗の下妙果に就て 迩門始覚談以二佛果不変一理一爲二妙果一へ本覚門時者以二本性三千一直爲二妙果二、性相亡浜時者以二法性不思議一爲二妙果一 ︵全上七二s等と説いて、本羅門に於ても本性三千と説くが、唱題を以て性相亡浪、法性不思議、不変瞳縁一体不分等と 本迩未分の上の観心の所談と説くの婚修禅寺決に於けぢ唱題鐸である。併し宗胆は唱題の妙行に対して念佛を以て 専ら教相に立ち未顯眞実の無間業と蛇するが、併し廣く行惹より見れば共に佛果点上の妙行といふべきである。 若し念佛は早く善導︵六六二︶の槻経疏に依て、往生の正行と説かれたのであるが、若し唱題に於ては或は章安の 天台大師別傳等に﹃法華無斌壽の一蔀の経名を唱へて最後の聞思と。なす﹄島q一九さと見え、宗租は当体義紗に恐 ノ 8
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{ 、 らく南岳の法華餓迭天台の法華三味陵儀2−壼礼中の南無妙法蓮華経の法礼の文に依り、唱題を以て南岳天台の自 行眞実の内証︵九九も等と説くも、これ等は礼拝行帰命法であって、未だ純然たる口唱の題目行とは見られないので ある。これ我が国佛教史上藤原の中期の本覺思想高潮時代に、慧心が一乘要決を脳して.法華一乘の宗は如来慧たる 無漏の種子に依り、定性無性皆成佛道と説き、日本一州同帰一乘と述べつ上、顯密事理の業因は利智精進の所行とな し、経論の要卒為集めて往雌要集を作り、五念門に依り乖修念佛為説て末代の目足となし、諾経の行業は鯉瑠経に見 ゆる如く六度を脳でないが、華嚴の普賢行願、法華の受捧読請等を哨共に往生の諾行となし、最後諾行の縢劣を判じ て法華の一念信解を以て、權教の禅定には勝る上も円教の定慧たる一念三千槻には劣るとなし、若し億作たる枕双紙 には一念三千観姥以て出離の最要と論き、彌陀宝号瀧唱へて法華経の一念三千の理に依り、我即真如本毘無作三身と 知る等の鐸を見るに於ても雨慧心当時には未だ唱題成佛の説が明で無かったことは知る︽ことが出来るのである。 かくて慧心の後都卒の鴇超の頃、傅教以来の口紘法門が始めて紙上に減せられ、勝緬、長豪に次で忠零頃に至って 天台傳南岳心要の口傳が、漢光類聚に註せられ、その才三巻に常用、別時や臨維の二種一念二千観重々の口傳は、四 箇伝法決に詳なる旨が記されて居るが、岡箇伝法決とは修禅寺決でないにしても、類似の口伝と恩はれるが果して然 りとすれば、企観失旨の下に﹃止観與二妙法一名異義同﹄と説き、法具の一心三槻、臨終の一念三千観たる唱題が、末泄 鈍機の法要たる五種頓修の妙行として説かれたのが、果して忠尋の頃であったとすれば善導以後実に五百五十にして ● 年、始めて伝敦に假托して修禅寺決に依て現はれたものといはなければならぬ。 「 1■P 五 Q ●画 然らば修禅寺決に見ゆる如き↓唱題思想は、果して何処から来たのであるかといふに、法華経は敏達天皇六年始め 、 て我が国に伝来し、推古朝には太子の三経の疏となり、奈良朝時代法華の鐵仰いょノー盛大を加へ、平安朝の初伝教 慈寛に依て、四種三昧不断念佛が將来せられ、随ってこれより先鑑真に依て將来せられた法華儀法も、叡山中心に行 はれると同時に、当時の日本佛教は表面的には佛教の加持所祷が主流をなしたが、裏面に天台の法華の三大部中心の 蕊講研蜜が潜行的に行はれたことは、藤原初期に於ける御堂関白道長が、覺運に三大部、四教義等を学び、院源より 法華経を蕊講せることは權記︽御堂関白記等の記事に徴して明かである。かAろ上砿間に於ける講読研鎖と平行して 叡山に於ける伝教將来の法華三昧堂の法華繊澪並に慈寛將来の常行三昧堂の不断念佛は、一般的佛教行事として普 ねく行はれたことは、三宝繪詞等に当時の年中行事を記する中に、﹃ひえの山の四季の繊海、不断念佛﹄等が見ゆる のみならず、日本往生極楽記には﹃登読一法華謹一、夜念二阿彌陀僻E等逵記し、拾鐘往生伝には﹃唱二彌陀宝景一、謬一 法華題目星等とあり、更に後拾這往生伝には﹃行二法華繊法一、修二不断念佛一﹄等と見ゆる如く、所謂当時叡山に於け る朝題目夕念佛の行事は、今日見る如き、法華念佛が別の信仰異る思想に立つ行事ではなく、当時は法華念佛一体の 信仰上の行事であって、鎌倉時代以後に於ける法華念佛相容れざるものとは全く別の立場にあったものである。され ば古人は童ハ字名号略法華﹄︵朝野群誠︶といひ、﹃阿彌陀経を読んではこれを小法華と鰐讃し、法華を読みてはこれ を大名号を唱ふと号し﹄︵日本紀略後篇︶た等と、小原の座主顯真が語ったのに徴して明”である。かふる時代に生れ たのが慧橿雨流腿源心覺運である。さ鯉ぱ慧心は往生要集を著して.念佛を以て末代の目だと号し、後に一乘要決を 出して﹃綴桑資賎悉甥成佛﹄と述べ、剰へ後枇枕双紙に〃﹃生年六十有余唱二彌陀宝言時・依二法華経庚大恩徳一知二我即 真如昌︵至一、二一七︶等と述懐せられたと述べらる所以である。 、 、 、 10
1 而して叡山に於けるか上る法華彌陀一体の信仰は、撰時紗に﹃所謂洪華経の観智の儀軌に毒景品を阿彌陀佛とかける 眼の前の壬僻見﹄た不澆彩評せる如く、不奏の銅智儀軌には﹃会堂当心閉同爽意、諦普潜行願一遍、一心遍縁誇佛菩 薩、乃至次当即請無骨壽命決定如来眞言こ︵一九、五九さ等と見え、且つ彌陀の梵名に無景.壽無最光の雨義あるより 眞言の浜華曼茶羅には何時しか騨迦彌阿同体と解し、台密に於ける燕覚智証等も亦同一思想を有し、慧心の如きも当 時の偽経たる蓮華三味経を盛んに引用し、正修観記に於ては無量光無量毒を迩本の彌陀と解し︵至二、二六二︶彌陀法 華観香一体三宝院︵全、一二三の説をなしたのである。か入る実践行法として普賢行願の要略たる五悔が四種三味中の 法華普賢観に依る半行半坐三昧の別行たる法華三味餓儀と合流し、更に南岳に假托して簡易化せられた法華餓法が、 後の唱題思想を高潮する温床をなしたもの.であらうことは想像に難くないのである。 由来法華餓法は止観七の天悔と同じく全く華嚴の普擬行願の要略であり、叉古来佛菩薩の一切の行願は普賢十願を 腿でぬと鰐せられたのであるが、か上る普賢行願は五念門と同意の菩薩の願行具足の行法で、天台真言の五悔並に淨 土の五念門とは、法門組織上の別なることは、近くは乳味妙一、槻経疏玄義分指定記等に依て明かである。而して五 念門に依る念佛は、観無最壽経に依り善導に依て専修への基礎が作られたのであったく即ち観経の九品往生に就て見 るに、先づ上品上生の至誠心深心回向発願の三心は五念門、又読諦大乘と中生の善解義趣は℃全く法華の五種法師と 同じく、般若の十種受持の要略であり、更に下品上生は﹃讃大乘士一部経首題名字乃至穂二阿彌陀佛稽号一﹄に寄せ、 下生ほ﹃令声不絶蒋阿彌陀佛、乃至十念﹄を桶持佛名の受持に寄せて説いた五念五種合糠の往生行である。善導は親 経疏に於けるか上る合糠往生行を読諦、観察、礼拝、稗名、讃歎廻向の五溌正行と爲し,重ねて科名を正定業となし 他の四種を助行と判じて、専修念佛への基盤を作ったのである。
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I f 4 ヤ 併し慧心は専ら円密の本覺思想の上に立ち、就中往生要集は世親の五念門上に正修念佛溌以て止観の易行と説き、 華嚴の普賢行願と法華の受持等の諸行を往生の諾行となU、是等の蒲行の上に偏円定慧の陵立をなし、往生之業念佛 爲本と説けるも、畢覚慧心の思想は諸行往生を出でないものである。随って同時の檀那流覺運の観心念佛、念佛宝号 等も亦同工異曲と解すべきであらう。かくて慧檀雨祀の後慧心流は覺超、勝範、長豪、忠零と相承したが、此の間に 天台傅南岳心要なるものを中心として、天台の口傳法門なるものが次渉に発達し、忠零に至って始めて口傳法門が漢 光類豪として筆録せられ、更にこ奴が伝教に假托して﹁止観妙法名異義向﹂の下に整束せら鯉て、三重七個の口伝と なり、維に臨絡行苅至永世鈍授のために止観の一心三槻.一念三千槻の要行として、修禰寺決等に見るに至つれたも 若しか上る修輝寺決を以て忠零頃のものとすればその後粗縁百五十年に宗瓶は、鎌倉京叡山等を東請南調すること 二十余年、建長五年春三十二歳にして始めて題目宗を開き、臨維行たる題目を以て﹃地涌の菩薩にあらざれぱ唱へ難き 題目﹄ご講し、上行別付塔中相承の秘法と推轄せられたのであ・るが、前述の如く佐前に於ては、唱題妙の如く専ら天台 の五時八教判に依り、法華経を四十余年の諸経の総結。随って諸佛諸経の題目は所開妙法は能開なれば、題目は正行 諸佛諾謹の名号はこれ助縁と説き、題伺を以て末世怠者の要行となし。題貝妙には.一部、要品、題日を以て庚略要 の別をなし・要の題目を雛値往生成佛の行となu、,親睦の念悌を禾顛其実の経説に寄せて不成佛不往生の行と判じた のであるしかくの如く佐前の題目は諾行往生の域を脱しないことは、持法華問答釣に﹃上根上機は観念観法も然るべ f のであらう。 ダ 全 く 岳 ノ 〃 G 〆 』 、 12
ノ ‐ ' 〃 ‐ る。 グし、下根下機は唯信心肝要﹄等と説ける如く、佐前の題目は往生要集に於ける念佛と同様の鐸意と解せられ屋のであ 由 併し佐渡に至っては、開目妙に題目を以売﹃壽量文底の一念一手の秘法﹄と説き、本尊妙には五玄具足五字の受持 を自然譲與の佛慧行と鐸し、当体義抄には﹃弟子檀那の当体﹄﹃高橋番には﹃八万聖教の肝心﹄、四信五品妙には﹃以 信代慧一念信解の妙行﹄、報恩妙には﹃天台傳教未弘、有智無智琴一同末法の専修の行﹄と説き、白女妙には﹃赫力別付 の要法、以信得入、五種頓修の妙行﹄と述べ、富木書には﹃天台傳敦末法譲與の矛三法門﹄と説いて、正しく毒戴文 底の本覺法門なる意を明にして居る。且つ十法界事には ⑨ ・若本門顯已述門佛因即本門佛果故、天月水月成二本有之法一牽迩倶頴一三世常住一也、一切衆生始覺名二迩門円因一、一 、切衆生本提名二本門円果﹁修一円因感一円果是也、︵参二九五︶・ と説き、開目紗には!﹃本門にいたりて始成正覚をやぶれば、此即本因本果の法門なり、九界も無始の佛界に具し、佛 〃 界も無始の九界に備はりて、眞の十界互具一念三千なるべし﹄等と即ち題目話以て鐸迦の発心弘誓以来、本行菩薩道 時の無数の因行に酬いられだる、、如我昔所願、今者己滿足、化一切衆生、皆令入佛道の佛果々上の法なることを明に 〆 したととは、これ本尊妙に五字を以て繧尊の因果具足の鐸せるに依て明である。随って宗胆弘這の題目ぱ修藤寺決等 〆 ″ に見ゆる如き本迩未分の法とは全く別といはなければならぬ。 雛って宗祖這文噸修禰寺決の名目、並に文の見ゆるのは、現行縮刷では十八円滿抄のみで、他は録外十七の臨維一 心三槻と廿三の当休蓮華抄であるが、臨維一心三槻は真本には文永十年二月十日最蓮房相傳と見え、文は修禰寺決の 一心三槻ひ下臨経義の全文で、妙顯寺日具は五字円妙抄に﹃蓮帥御筆跡非歎﹄といひ、又当体蓮華抄は弘安三年八月 、 ノ
』 L ∼ 一日とあるが、古来真備の論があり、随って二書は現に縮刷等には削除せられて居る。若し十八円満抄に就ても近代 最蓮房存否の問題と連関して、或は疑ふ筋もあるが、立正観妙や当休義妙、十八円満妙はその内容の一貫した、所謂 天台傳南岳心要に立つ﹃一心三観一念三千之極理、不し出二妙法諏華経之一言一﹄の口傳の上に立つものである。就中 十八円満妙に﹃当体蓮華相承等、日蓮已證法門等前倉如二書進一﹄と見えるは、恐らく当体義妙を指すものであらう。 随って全妙は文永十年でなく、證議論等の如く円滿妙と同じく弘安三年に系くべきであらう。 若し最蓮房に就ては現に京都立本寺に日永授與の本尊が存し、就中身延三世日進が永仁三年上洛以来、正中二年三 月某人転写の立正観妙を十二月再転写したものが、逢状と共に身延文庫に現存するに徴して、最蓮房は赦尭後恐らく 京都に帰り、その後宗祀とは屡法門質疑の往復があり、その賜書は有縁に依って録内外等に傳はったが、御眞蹟は最 蓮房が所持したが恐らくその後火災等に依て失はれたのであらう。現存の十八円滿妙は恐らく当体義妙等と関連し工 最蓮房よりの質疑に対して、修騨寺決の法華深義の下五重各説の蓮字五玄と、総説五玄に連続し、その下に止観大旨 の元意三重鐸中、教門末、行門全文證分の初約十五行を、○印を附し略引し六番問答以後本迩未分の天真濁朗と本果 の妙法とを対判して、本果の妙法老正行、本迩未分の天真澗朗の法は助行と判じ、、妙法を以て脚力別付末法相應の佛 法と鐸したものである。此に注意すべきは修騨寺決の四個法門中爾一心三観、一念三千の下に於ては三重の中行門の 臨維行事として唱題を明し、止観大旨の下には附文元意に分ち附文の鐸には﹃止即一念観即三千、妙即一、心法即諾法 是故止観與二妙法一名異義同﹄と述べ、元意は教行証の三重に約し、十八円滿妙に○印に依る略引は、行門止観の下、 和尚深秘行法傳の義として、 図一霜十界形像一十処安し之、毎し向一二錘各一百反可レ行二礼拝一、口可し唱二南○経一、心可ン会若圃一地獄像︾彼猛火当体 W hd 辿
即室即假即中、乃至向二佛像一之時、可レ観二彼体即三諦砥。霊一時夜一時可レ修庇行一、大師爲二末批鈍機一密授二此 法要一、若欲下脳二生死一證中菩提上、先可レ用二此修行一也︵三全、七○こ・ と述ぶる如く、此処に始めて臨維行事にあらざる鈍機平生行事の唱題行が見ゆるのである、かくて法華深義の五玄澤 中妙休の下には、﹃大真如者不変随縁一体不し分二二相休一﹄と本迩未分を体となし、妙宗の下迩本を一往不変と本性とに 分つも、畢寛未分の法性不思議を妙果となし、更に逼廣の五種妙行は心乱の故に、﹃和尚云一時五種妙行﹄と五種頓修 の行法として唱題を明し、宗の下に蓮華因果、円敬三身、常寂光土2−蔵別傳を開き、かくて総説五重玄の下に﹃妙 法蓮華経五字即五重玄也﹄等の程が,一往修禰寺決に見ゆる唱題に関する鐸である。
若しか上る修騨寺決に見ゆる慧心流七箇の大事は。忠尋の後皇覚、範源を経て源室︵一三三’二二三即ち法然
と粗幟同時に同門下の梢後遜たる俊範︵三三’一二六二︶が、後嵯峨法皇の勅命を奉じて七箇法門を始めて筆録し て奏遥したのが、・一帖抄即ち恵心流内証相承法門集一巻なりといひ、その奏進の年次は判明しないが、俊範の弟子静 明の法孫心賀が入門後二十七年弘安九年四十四歳言始めて俊範より一帖抄の相承のありしに徴して、山川氏は範源 の後嵯峨院への奏進淀以て粗ほ建長一革と推罷して居るが、果して然りとすれば一帖抄の奏進は宗祀の遊学の晩年に 当るのであるが、現に見る如く一帖抄は純天台義に立つもので、常用別時臨柊の義、並に止観妙法の同異、乃至五種 妙行等に関する鐸は文中に一向に見当らないのである。併し十八円滿妙に﹃天台宗奥義不し可し過し之鍬﹄等と述べら る上如く、修輝寺決の四箇傳法は当時に於ける最も赫奥の相傳であったものであらう。。 テ 七 一● ロ﹄凸日 ざ 『 今且らく修騨決を忠零︵一○六五’一三X︶頃の作とし、叉俊範が一帖抄を後嵯峨院に奏進せろを、山川氏の如く粗 假建長二年︵三宝9として、雨書の内嶺瀞比較するに上述の如く、七箇法門に於ては決は四箇法門を中心とし、別 傳三箇は最後法華深義中に妙宗の下に、これ葱開き﹃如二別集一﹄等とあって未だ何等鐸を見ないが、抄には法華深義の 下に正しく題目に関する別鐸があり、叉決は四筒に互って当時の天台舞の以外に、臨柊行とし叉鈍機の平碓行として唱 題行を高潮し、且つ本迩未分の上に止観妙法名異義同の説をなし。抄はその文要略で止観の穰義をあまり出て居ないの であるo且つ忠尋、俊鞠雨聖の名は共に遁文に見冬就中忠尋に就ては太田殿女房御返事に真言の即身成佛に就て 但天台矛四十六四座主東陽の忠尋と申す人こそ、此法門はすこしあやぶまれて候事は候へ、然ども天台座主慈覚の 末を受くる人なれば、いつわりをろかにてさてはてぬるか。︵三七三 と述べ、俊範に獄ては念佛者追放宣状事には﹃大和莊法印俊範、乃至爲レ対二治源室門徒一各友述二子細一﹄と記し、淨 ■ 士九品之事には﹃三塔総学頭として大和莊俊媛法印﹄と他の鍵字を用ゐての名は見ゆるが、決抄等に見ゆる所謂口傳 法門に就ては何等述べられて居ないのである。 、 併し聖人の遺文中口傳法門に就ては、十八円滿妙には上述の如く、止観妙法名異義同等と述べつ上、妙法を以て赫 力別付己心相承の秘法となし、天真猫朗に対して正助を判じ、就中彼を随獄の法と麗し◎若し立正観妙、当休義妙に 於ては、共に妙法を以‘て癖最所顯赫力別付の法要にし、且つ天台傳教自行内証の法とするも、時機至らざるが故に正直 の妙法の名字を替へて止観と号す元九九、一○六八一と述べ、末法は本門所顯の妙法の流布すべき時となし。立正観 円滿抄には天台の玄旨血脈の﹃一言妙旨、一教玄義﹄傳教の顯戒論に所謂﹃一心三獺傳於一言﹄の法に寄せて妙法を 説き、当休義抄には南岳の法華餓法、天台の法華三昧、傳教の十生願記︵修輝寺決?︶等に見ゆろ南無妙法蓮華経の I 訂 』 16
ノ 〆 〆 、 題目と解し、﹃南岳天台傅教等内鑑、而末法導師議し之不二弘邇給一也﹄等と述べて居るのである。以上は遺文に見ゆろ 止観と妙法との同異である。併しか上る止観系統とも見らるべき題目が、果して法華餓法、法華三昧より来るものと すれば、それは全く五悔に依蓉普賢行願の上の本蝿的行法としての題目と見なければならぬ。 以上は最蓮房関係の遺文に見ゆろ題目であるが、若し宗租が題目諾以て五玄具足の五字と鐸せろは、その意全く法 華玄義に出づろ所で、近くは修騨寺決の法華深義の五字合成の鐸が最も冥休的のものであるが﹃本愈妙には﹃是好良 薬毒量品肝要、名体宗用教南無妙法蓮華経是也﹄と、正しく毒最所顯の果上の妙法として鐸せろは、天台が宝塔品の
三箇嘉に寄せて起後篝して、﹃明春嘱声鍾一下方一﹄毒し、鑿鰐に蟇て﹃蕊篝壼一部﹄と篝し、叉
天台は赫力品の四句要法を五箪玄に約して妙名用休教となし、﹃総誌二琴唯四而巳、撮一箕榧揮而授一興之一﹄等と g 程し、妙樂は﹃一部之要豈過二於此皇と樺する等に徴して、宗組は常に題目を以て五玄具足祁力別付の要法となし︵九 四四、四九九、二○四︺・叉天台は文何に五種法師を束ねて四安樂、三軌、自他二行、更に二行を束ねて具一切行即 ち如来行と程せるは、常に宗祀が天合傳教内鑑冷然と窪せる如く、本尊紗の具足妙法の鐸は天台に由ると見なければ ならぬが、日女御前御返事には﹃南無妙法蓮華経と唱る即五種の修行を具足す﹄と述べ、これを五種頓修の妙行と鐸 し、且つ修瀧寺決の・一﹃和尚一雪時五種妙行﹄を以て之を證し、更にこれ老以て弟子檀那の肝塞榊力別付の要法と程 し、高橋入道御返事には末法の要法たる題目を以て﹃八万聖教の肝心、法華経の眼目﹄等と鐸すろは、修騨寺決の三 力緯の最初法力の﹃八万法藏最要号爲妙法﹄と全く同意である。 随って若し是等の鐸に依れば宗胆の題目は、遠くは天台の潅義に依るも近くは修騨寺決等の、臨維行事や末世鈍根平 生行事の題目と全く相邇歩ろものがある。併し若し後の一帖抄の鐸と相逼参るものとしては、円教三身の下の﹃山家 P一 、 一 大師舞云一念三千即自受用身、自受用身者脳尊形佛﹄等の文は、矢張先の日女紗、御義F十七等にこれを見るのであ る。然るに聖滅七十九年佐渡阿闘梨日滿は、日滿抄に略傳三箇と三秘との関係を述べ、本門宗の日隆は本門弘経抄に 略傳三箇は三秘なること義理分明と述べ、本妙宗の證誠日修は真流正傳妙に、略傳三筒を修獺寺決の簡要となし、﹃蓮 師替一名目一雪一本門三大秘法一﹄等と三秘抄を以てこれを証して居るが、併し是等の三秘に対する稗は宗租滅後に於け る’一帖抄等の口傳法門と宗義との交渉を物語るもので、日修がこれを修輝寺決に関係づけた点等から見れば、唱題思 想は一帖抄より修禰寺決により深い関係を有するものと考へちる上のである。 若し果して宗腿の唱題が修騨寺決に由来するとすれば、天台の敬光は夙に山家学則に修瀧寺決を傳教の真作となし 宗祀の唱題を以て修輝寺勤行の風と解し、近代前田博士は傳教に発する本覺法門に依る臨維行と解し︵天台宗網要︶、 上杉博士は口傳法門の脱化と説き︵日本天台史︶、佐々木博士は台密地撚に立つ徹底的法華至上主義︵天台教学︶等 と、聖人の教学を評することは一往これを容受しなくてはならぬ。何となれば聖人は佐前に於ては自ら天台沙門、傳 教大師門人等と瀞し、唱題を﹃受持法華名者臓不可堂﹄の丈を以て解し、且つ題目を以て慧心の往生要集等と同じく 諸行往生思想の上に立って鐸されたからである。併し題目弘通に依る先業滅罪即ち佐渡御勘気妙に﹃佛になる道は必 ず身命をすつるほどの事ありてこそ﹄等の思想は、佐後本尊妙等の専修唱題、受持譲典の唱題成佛説の強い前提と解さ なければならぬ。されば宗腿は佐後の開顯に於ては題目を、天台傳教等の内証に約して開目鍵蔑淨房書等には﹃懐 之﹄と述べ、三識菩薩事等には﹃未二分明員本尊妙等には﹃未一凌行一﹄、四条妙等には﹃一重立入﹄、富木紗、値難事 八 ﹂ 。 18
取要妙等には﹃麓し之﹄等と與輝し。上野妙には天台の所弘を壽暦昨食﹄、十八円滿妙には﹃堕獄の法﹄、等と評し、 若し外用に就ては濁り報恩妙には﹃未弘﹄と述べ、上野法要妙には﹃但南無妙法蓮華経なるべし、余事をましへはゆ 上しき僻事﹄等との棄抄緯嵯見るに至ったのは、全く本門開顯に立脚するからである。 されば当身の大事たる本尊紗には、舞尊と共に天台傳教矛内典の聖人となし、題目を以て止観の一念三千に勝る上 輝騨の因行果徳具足の法と述べ、四信五品抄には正しく法華の流邇分たる法師品分別品等に依り。一念信解以信代慧 の佛慧如来行と解し、且つ雨妙には共に自然讓與に寄せ〒本覺無作の行意を明かにして居る。かくの如き一念信解五 繩頓修の行意は、勿論これ般若の深般若の十種受持、並に華嚴の普賢行願等に由来し、近くは天台の緯意等にも依る が、更に修禰寺決等の輝意に関係なしとは断じ得られぬものがある。就中佐々木博士の天台教学に楕摘せる、奮録外 所收の臨維一堂一題に見ゅろ、﹃妙法三力速成菩提﹄の鐸を以て﹃唱題の他力的意味づけ﹄云為の評は、﹃法力署緯迦如 来本行二菩薩道一曙修一諾行願一、三世行願速来行者身内成就、乃至佛力者若有二衆生庇於一識妙法一、超二一念信一至心受持 者漢成一燕上道一不し受二生死身昌等の文に徴して、唱題の易行によく成佛の妙果の具足せる所以話物語るものである。 上述の如ぐ淨土三部等は彌陀の別願に寄せて、易行肯定の理由を明にして居るが、法華は方便品に菩薩の行願の成滿 ぞ明し、壽量品に諾佛因位の行願を﹃本行菩薩道﹄の一句に牧むるのみなるが故に、易行肯定の理由を観取し難き怨 みがあることは否めないのである。故に修禰寺決には三力に寄せて受持の如来行なる所以を止揚し、更に宗瓶は本錬 妙に唱題は鐸迦の本因本果具足の功徳薬なる所以を指摘して、法華の経意に依る受持成佛の旨を明にしたのである。 かくの如く宗祖の唱題成佛の意は法華の文に明かであり、更に法華三味、法華繊法歴始め、修禅寺決等にはいよいよ その旨を明にせられて居るが、これ等の緯は慧心の往生要集、宗祀佐前の唱題錘題目妙等に見る諸行往生乃至諾行 【 19 、
I 成佛思想に立つ所謂雑行中の題目行といふべきである。これに就ては先頃縊氏が﹁日本佛教の開展とその基調﹂の中 に﹃我が鎌倉佛教は諸行往生より一向専修への開展なり﹄と指摘せる如く、佐後に於ける宗祀の題目程は、上述の﹃一
纈鮮霊蕊鰯織霊域鰹瀦縦縄蕊鯲震溌羅峨無繩魑鱸
し、本化上行、赫力別付の上に﹃諸経過法華経も詮なし唯南無妙法蓮華経﹄の専修成佛論を建立し・本朝沙門、法華 経の行者日蓮と凋自の主鵬に徹したることは、法然の念聯宗と同じく全く思想展開の自然の結果であり、随って本迩 未分天眞狗朗の本覺法門を打破して、全く本門開顯、以信代慧.受持譲典、一念信解主張の上に、口傳法間を脱化し 、 て徹底的法華本門至上主義の上に打ち立てられたものといはなければならぬ。︵二八、三、一二︶ 、 ∼ = / 狸 ▲ 〆 4 20ロ P 今 それ故に宗学は必すし軽学一般の学的ワクに規制さ奴ろものではな.いであらうが、︵この点については後述する︶ 純情に一心に教の本質を最大限に発揮することを自覚的に自ら使命づけるものである。 ︵ごわれノーの宗学は︾ とはい上乍ら、純粋宗学し 気持を寓したものである。 即ちできるだけ﹁あり︵即ちできるだけ﹁ありの われノーの宗学はキ だから、いつの時代いかなる社会に於いて完成したとか、するとか、作り上けるものとかいふことは大して問題で はない。そういふ固定した体系を目ざしてはゐないが、上は本佛より宗祀に流れ、宗祀より宗団に生き、社会国家世 界に全宇宙に光被すべきものとして、生きて働らくべきものとして規定づけられよう。 まL﹂、﹁本当のもの﹂、﹁宗租のもの﹂、﹁宗団のもの﹂ る・もの﹂、﹁永遠に生きて行くべきもの﹂、﹁絶対に本質的な﹂、﹁最も重要な﹂心 ・諏等を究明する目的をもつ。自攝的に筒ら発心、立志心た理想的信念、人格を主体と︲ ことを性格とするものである。 ﹁ 宗 団 の も の ﹂ ハモノ的名溌を避けたい。 上乍ら、純粋宗学といふのも、やはりキハモノには遠ひないが﹃
純粋宗学の綱領的展開
、 一室、住一妙
むしろ、さうしたキハモノをさけたいといふ 、﹁歴史的社会的に生含てゐ も重要な﹂心﹁最も奪嚴な教權的なもの﹂⋮ 人格を主体とし、叉同時にそこから働くべき ● 、 曲.I
丘 グ ○ ℃℃℃b 從って教の性格をI激といふものそのものを、凡聖相関するを意識し毎志向連関することは、あくまでも抽象的で はなくて、,現実人間の内奥に於いて実存的に把握されてゐねばならぬ。そこに教の純精榊的生命が、現実人間の純生 命的糖祁に、直接感應し交融するといふ先験的構造は、確実に認めなくてはならぬ。 いかなる宗教も、民族的風習的宗教より、律法的倫理的宗蕊天啓的宗教、佛教の自覺的宗教に至る壷で教の性格 は、たしかに邇貫してゐると恩ふ。またいかなる時代に於いても、人間が現実的内奥に於いて自攝されてくるとき、 あ員. 実存的に称との対決とかいへる場面に於いて、その性格構造はいよノー露はになる。 こうした意味で、激は、或は宗教は、実存的にあくまでも現実の人間生活一般に、即ち社会的インフレも犯罪も戦 争も乃至天災も運命も、墓石も幽霊もすべてかLはってゐる。幾万年前の人類文化の痕跡も、現代世界の文化戦にま で蓮ってゐる、さうした現実人間生活に必ず直接しD切実にいな致命的に血が這うてゐろ。 そういふ教でなくては、教とはいへないものであるとともに、現実を徹底的に批判し超克してへ高くノ、悠久無限 へと志向し飛躍するのでなくては叉教とは断じ定いへない。要するに教は現実の、現実の内心に根ざし︲て、絶対否定 的に理想の、理念の極致につながってゐる。非連続的諏続にたしかに貫いてゐる純精祁的生命である。 それはた営今の今日に於いてではない。前時代も、前々時代も、幾百千年の昔も叉將来にも.現実と理想との相即 〃 し相克し相融する辨證法的全連関が健全に生きるとき、﹁教といふものが生きてゐる﹂といふのである。 また、一.の時代の教の在り方は、直接根ざした現実より抽象さ虹ていく概念化であってはならぬ。 概念操作による建築の、哲学や、形而上学ではない限り、教は生食しい人性内奥の生命と.個人的社会的全宇宙的 亀 に、血みどろの格斗をつ置け、生殺し與奪しつ入、理想へ解脱.超越へと、無限の過程をふみ通っていく。そこには ノ 22
これらの時間空間的諸問題に即應し、色づけられてくる教の特殊性格がある。之をぱ教の現実的水平的特性とでも 名づけるならば、本質的に、理想への向上進展の過程における性格を激の上昇的性格と名.つけられようと恩ふ。 以上の水平的、.上昇的・深刻な必死の問題と取組んでゐるのが教の性絡でありへ叉・教の生きた体系或は生態なの である。真剣な態度と嚴密公正な究明證する体系はいつの世。いつの処、いかなる凡人も贋人も、教の中に於いては そ服j、尊厳な真姿を示してゐる。この限り、いかなる激も.またその断片にすらも、固定したシステムではない、 生きて流動し、創造しっ上ある確乎たる自覺体系を孕んでゐるといへる。即ち廣狭明暗の度はあるにしても、一の人 生観、世界槻、宇宙観を展開していくのである。むしろ、たしかに上昇過程につれて、人生、世界、宇宙観はいよい よ廣く明かにされていくことは当然である。 教の本質は現実から理想への到達過程で、教より修行を起し、.行によって目的境地に達アろ。故に教に行証老ふく まねばならぬ。行のいかなる階程も教に随うての行であり、証への目的を見失はね。証も同様、教行の実践、実践到 巳の証でなくては証とはいへない。教行証が三重相関鼎立の三位一体性をなしてゐる。 ケ 個のうちに全を映しつ上、︵教︶ひそめられた全ぞ開展しようとする︵行︶、全に相関し活躍しつ上﹁全個完成を る現実的諸問題がある。 の地域的社会にも社会問題生活問題等がそれ人、あるやうに、教にも之と関連しつ上、内外にそれj、交錯してわた 時代にそれ内、時代性があるやうに時代の問題がある。即ち数にも時代の教の性格が自らあるのである。東西南北 生長し創造していく。そこにおのづから自発自展の体系を作していく。 深刻な純粋生命の問題をいつももってゐる。否問題をたえず生み出し、それといつも必殺必死の対決をもって刻魯
期していく、︵証︶・これが本来、教の根本性格であり、軍なる知識体系の学とは、本賛的意味で峻別されねばなら ぬのである。 ﹁との教の本質を解明しつょ、自己批判し、問題姥自ら提腿し、解決し、生きた弧間社会の生一般を淨化向上し完成 崎ろ﹂・といふ、そういふ学でなえてはならぬ。 之は教と学との中間に立つやうにみえるが、むしろ真実の教の特色としてのみ、教がか上る学を生み出す。教が、 、℃ 教蕊老生み、潤嵐の展開をなさしむるものこそ、眞実の激といへる。唯だ仏教のみがそれであらう。仏教の特質性と いへぼ、誰しも、仏とは覺者、﹁それより、それへの教﹂といふととができる。仏は学者ではない、覚著大覺者、正 等覚者である。絶対理想境に到達、全宇宙の真実正理を照らし得るもの、その教の本質は、自ら羅者となり、他をも
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教へ導いて自ら覺者たらしむる、︲そういふ教である限り、﹁理想へ現実より﹂の、水平、上昇の無限の問題を、勇敢 牢 生 き ノ 、 と 取 組 み 、 自 ら 体 系 姥 な す 。 永 遠 の 求 道 的 ︵ 上 求 ︶ 、 教 化 的 ︵ 下 化 ︶ 努 力 淀 惜 し ま な い 。 今 そういふ宗教、穀団溌仏教といふ。絶対箇覚の教説、教法lそれ臓教行証の円かに融致してゐ扇体系lこそゞ 科学哲学一般の概念体系とは全く異った領域をひらく。教そのものの学、教学を拓き得る。いかなる時世の人向をも 直接に教へ導き、自覺者、大覺者そのものとなさしむる教這いょノ、純化し自覺的に本質をあらはす。 わが宗学の本く宗旨は、その教の中のある特殊ではない。仏教の教の本質を最大限に発揮した教に本き、最大限に 発揮すべき教学性を自覺し、自らも他人も現実に直接し即應して、一蕊にかうした行願海に朝宗せしめようとする本 質的な特殊宗教である︵別頭仏教︶Oその宗旨の基礎的教学耐五時八教判も、五綱判も、新たな再認識、再検討を要するの はいふまでもない。以上の教の本質、教学的領域からかへりみるとぎ、寧ろ現代及び將来的新価値をみとめられよう。 ,へ 、 24 /右 = ﹁出づる息は入る息淀待つことなし。風の前の露なほ醤にあらず。;:⋮﹂と仰せられた祀聖の言の葉は、切実真剣 ﹄ な対浅を促される。たしかに、個人生体のはかなさに加へて、今や社会的世界的経対絶命の世界史的運命を以て、今 感ぜら恥ろのであ亀。. ↑ 殊にわれJ1日本人いとって、一等国より四等国への顛落はともかくとして、敗亡悲惨の生活面社会面はどうだら う。それもなほ、思想的精祁的にどうだらう。何たる屈辱ぞや、天に塊ぢ地に糊ぢ、人にをぴえつょある、そういふ 、、℃ 馳 私たちである。そのうちの一人、私は.一体どうすればよいのか。生きるにはといふよりも食ふととが生きることの先 決条件だと︵唯物論者はいふ︶しても、その生きることの目的は何なのだ。生きる目的とか価値とか、何らかすぐれ た意味のない限り、あえて苦しい恐しい此の世に生き永らへるための、衣食の苦労も無用のことではないのか。 〆 今、私はさし当り、具体的問題からす上めるo まづ見ろ。現実問題とは何か。日食の衣食、俸給、賃銀、配給等々、街頭の交通もビラも、ストも講和問題、苛税と j いふより殺人税、平和とか再武装とか、いふ論議を別として、対岸の火災なら砲すでにはやく戦雲は全世界を薇うて ゐろ。いつ、どこで、ピカとして、ドンの吾もきかねうちに、地球まるごと破裂させられないとも限らない。逃げよ
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うもない、諦めようもない、切実な毎日の不安恐怖をラヂオは叫び、新聞は印刷してゐる。我々は菟疫的に摩淳性の 殻のうちに通た営今かうして、ものごとを考へてゐるのだ。マトモに考へたら赫経衰弱症挺なって了ふであらう。さ りとてやはりあくまでも、そんな噴火山上の小屋にダイナマイト・諾抱いてゐるのであるといふととが、意識下にある ことも承知はしてゐるつもりである。このこともたしかだ。私もさういふ時代に生きてゐる。生かきれてゐる。 ' 0寺 人はた蛍生きるのではない。生きんがために食うへそれだけではない。まして食はんがために生きるの、ではない。 、℃、、、、℃
↑0
生きること以上のためにこそ生きる・のだ、、とかう教へられるとき、我は生存、︵それはたとひ乞食をしても、草を食 うても︶生きようとする。あ上この、歴史的傅統、世界的恥辱、恐怖苦難、なにもかも、涙ながら目をつぶって生き ても行かうと思ふ。私自身、何ものであらうとも毎才能も体力も何も、この時代に生かされ得るような働きはなく価 ℃、℃、面、 値はなくとも、た賃さうい必誠実な目つきだけが、私の生存の真価なのかもしれない。果して、どうであらうか。ど 争うであるにしても、少くとも、私はさう信ずればこそ、敢えて生きようと努めてゐぢのだと思ふ。 うであるにしても、少くとも、封 F こんな意味のと.とは、あらゆる宗教がみな説いてゐるやうである。但し果してどれだけ実現してゐるのか。たしか に実現し来つたか相当に。つまり、人生と、宗教、世界宗教比較検討の問題である。人生といっても悠久幾万年の人 類文化典につながる問題である。宗教学の単なる形態同題ではなく、宗教哲学的問題、乃至比較宗教研究等であらう しかし、今のところ、私の力の及ばぬところ。 私はもつと、直入の短刀を自らに擬せねばならぬ。 、今の私自身、何うせねばならぬのか。 然らば私の信ずる教とは何か。 それは佛の教である。佛とは何か。それは一切智者、大覚者、正等覚肴、露の宇宙的意義、絶対的価値を実現した 人である。万人をそれに導き教へて行かうとする教である。之こそ、至人類の尊嚴な生命であり、価値でぱなからう か。意義も価値もないところ、百千年の壽命を悠友永らへて、栄耀の限りを議し工も、全くイミナイ、バカゲた物に 過ぎない。 01レ 26は、た資その絶対核心のためであ乏 門分別を明確に把握すべきである。 、 rり裏ノ。 しかし、その祗聖の信仰に生きるといふ宗団その蝋のは果して何うだ。何彰教へ何を爲してゐろか、またこれまで さし 来たのか。こんな宗団の社会的機能、宗史の文化的役割等も今しばらく措おくp 私自身、祖聖の教導のもとに緒進していくこと。実行実証それが絶対核心である。と上に今の私に許される学、宗学 屯 は、た資その絶対核心のためである。本来、純粋宗学の矛一の関門なのではないか。教の本質論、上求下化の往還二 然らば、その成佛・への道はいかに。 ﹁末法に入っては、法花経も余経も詮無し。た営南無妙法蓮花経たり。﹂ 之はその教法を詮要して示されたものである。 ﹁た営南無妙法蓮花経とばかり唱へて、佛に成らんこと肝要なり。﹂ 、 之は宗旨を行証として示されたものである。 われノーの誠実の魂は、純信至極の信として、教の緒要に結ばれ、眞劔な受持一行は即座に極証の秘妙に達する。い かくも、切実にまた懇々と、その宗旨の生命として教導される所以のものは、この現の生きた身に即しての成佛で ある。私の向上の一門、切実な念願は、覗聖の一片のお言葉にさ典へられてゐ.る。、 画$ ﹁日蓮は今生の斬りなし。た営佛と成らんと思ふぱかりなり﹂.・之は初信の規定のやうでへまた信の絡局的目的であ ﹁太佛の召喚に應じ、祀聖の教導にぬかづく﹂といふをのことで精一杯なのである。こ上に徹しよう。 r 。
とも簡明な宗旨の体系である。日蓮教学の至純性は之を措いてはないと信ずる。 教学は或は一面精微を極め、論理的システムを嚴に、体系の雄大を誇っても、結局それは、世俗の学術的ゼスチャー を街ふもので、出世間的教の本質を毒することになり易い。即ち一時一機の遊戯に堕す。‘ 教学はむしろ、簡明化さ湖、崇際化され生きた現実に直爾に生かされねばなら理その爲めの讃仰究明こそ、教学の 本質である。教の現実に生きるところ、実証的に、人格に、家庭に、、社会国家に世界に道風徳香一切に薫じわたるで 卓 あらう。その目的としての宗教は、窪リクッではない、遊戯ではない。現人間主体の内奥生命に下種され、根を張り、 芽を忠し、葉を按け、花さき結実していく、生きたものの、生きた問題なのである。人格より蕊絡へと生長の事実こ そが佛教の本質、宗旨の輔造なのである。故に即身成佛は永遠の理想とか、願業とかではないdはるかかなたの幻想 1 やまた理論的象徴ではない。思想的加上説のレッーァルでもない。生きてゐる人間の当処に開かるべき体験境である。 親子兄弟夫婦の家庭にも、向竺二軒雨隣の社会にも、国家に世界に全宇宙に光被する光明がこの五体の毛孔より放た 鯉ろ体験実証である。少くもわが租聖に於いてはさうである。 われらはこの祖聖のあとを繼ぎ、その求められたものを求め心その到られた処に到達すべきである。た蟹のその身躯 手足口舌の眞似事をするのが宗徒門弟なのではない。佛教は、佛をた蟹謹めた上へ、媚びへつらひ、荘厳光飾するの が佛教のr教の本質ではない。悪しく敬ふは祖師の大嫌ひなどころである。 純粋宗学は即成を期し、即成より発して、佛教そのものを活かし、現代を世界を全宇宙を、絶対真理の光明のうち
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に、尊厳微妙な本性実相を照らし出すべきである。常寂光土の顯現とは、そういふ意味で期待する。. 以上は、、純粋宗学の構造的展開とされる。 28財 、 1 今、菰はかすかな常寂の光で認める。 津巳 みわたせば花も賎みぢもたかりけり、 碧瑠璃かがやく蓮のうてなに。 世界も全宇宙も、大慈微妙な功徳に充ちj、た結晶である。十界互具、百界千如、一念三千等も、この大慈大悲の御 911口2rJO 恩を知る智慧であり、大菩薩の願業の基礎づけ、乃至説明に外ならね。 本佛大覚世尊は絶対の哀憐教化の大蕊格である。教主濯嫁はその人格的顕現であるp衆生の惑業苦の因縁、いよノ、 、