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夏秋山麓居詠草石川國武
初夏のけはひとなりしこの夜ごろ肌をぬぎては風にふかるる
杉むらにたちこむる霧木の間ゅも這ふとこそすれわがゆく道に
霧ふかみ水鐙鳥の盤絶へし静寂のみちをわけは歩みつ
かなかなのこゑ親しもよ松ヶ枝に暮れな歩む陽のひかり残れる
椋梠の葉にふく風ありて動かざる山の上の雲のゆゅしきをみつ
げ
わたる日に空は照りつつ山の邊に凝る雲見れば炎暑おもほゆ
窓の逢の楓にふきくる風をさへうれしみ恩ふ暑き家居に
夕ぐれの明るみにして廣原に遊ぶ童らが見ゆ旗うち振りて
すかし見るすだれの外はすがすがし照りわたる月の白く光るも
夕づきし深山の森に鴫く鯛の難まれになりね夏ゆくらむか
夕づきし葡萄の棚にふさぷさと垂るつぶら資の靜けさに居り 郵船倶樂部の屋上を今し離れたる眞舞の月は海にかたぶく 樹壁の葉の一様に散る冬にむきすまじく心荒る包思ひす 閉まりし部屋に香をこめて薬草を煮をればまき霜夜にも似き 夜の庭を歩む仕様なぞすべもなし他郷の山に園まれてゐて 冬枯れの山のへに佇ち濃濫の海見てゐしが悔となり來つ 蓮池に蓮の花咲く清らかな朝の目覺めを欲りて久しき 朝掩を散る花あればおの、ずから生きゆく意識きびしかりけり 大輪の菊冷交と咲きてあれ歯を磨ぎつつも唇つめたかり
丈蕊棚
に進み出て﹁お樺迦様決して御案じ下さ
るなよ・如來なき後二千年。末法濁懸の
侭とならば、吾等必ず佛の使となり慈悲
の衣に堪忍柔和の袈裟打ちかけて命を的
に法を髄くぺし。大難も來らば来れ・世
の鶏一切衆生の篤捨つる命、など惜しか
らん。吾ばこれ伽の使なり。衆の前に恐
る入虚なし。﹂といふのが此の經丈の意
である。何といふ錘い力のある言葉だら
う。つら﹄#、枇間を眺むるに生あるもの
は必ず死す。轍きも賎しきも皆この遁理
から逃れる事は出來ない。定められたる
浬命の前には全世界の縦勢を以ってして
も、千蕊無量の金力を以ってしても一分
岬の燕命すら伸ばす事が出來ない。生老
病死の苦しみは何人も絶對に逃れる事は
出來ない、生れ乍らに背負って來る迩命
なのである。どうせ死ななければならな
いとするならば短かい生涯を、親を醤し
め世を呪ひ地獄に堕ちてかくも苦しみ悶
えつL死んで行くよりは、此の御錘に響
いてある様に、いっそ佛の使とカリ人を
救ふ篤に命を捨てた方がどれ程幸顧であ
一
一
四
一坐
〃、
拾ひ屑一束東蓄
庭隈の紅き山茶花咲き初めてまき曇りを四十雀の來る
くぐもりの夕べさむしく山茶花にひっそりと來て鳴くみそさざい
山並みのはたては晴れてすむ筌に八ヶ高嶺の雪ぞ光れる鼎部街遜︶
ひとひとり通らぬれば椋の樹に雀はさわぐうるさきまでに
ひそまりてものの昔たへし夜の湖にうつる三日月光鋭く
夜の湖は途く寂けし吾が佇てる汀を洗ふ波もあらなくに
朝霧の林をとほし窓に入る陽すぢはすでに秋づきにけり
冬の陽のとどかずなりて庭隈の山茶花のはなは散りしきてあり
深霜は日にけにきびし庭ぺの南天の資は朱味そめたり
凧のしづみし夕べ裏山に落葉をさむく踏む鳥のあり
ここに來て心ひろらなり富士川の挺腕として白き一すぢ
雲霧のふかくたちこめ見もわかぬ熱間にぞ來て鳴く鳥のあり
曾って師が住まひし燦迦堂今はなくて夕陽に淡く暁く胡蝶花の花
胡蝶花の花むらがり嘆ける崖なだり夕日あかるくしばしを照らす 松虫の窓遜にきたりなきたつる夜はしみじみと恩ふ事多し みまかりし防人の母ならむ白木の箱抱き來る人老ひましてゐぬ 豫備少尉林是幹先生召集されこの峡の町きばひたちたり 曼珠沙華は毒なりと叱へどきかばこそつみとり居りし幼妹世になし 現世は今日もかなしや亡き母を偲びて心泣かんとするも︵命日︶
丈蕊柵
つたらうと今になって悔悟の涙がさんぜ
んとして枕をぬらすのであった。
死に行く我が子の桃下で父母は蟹證然
自失してつくねんと坐ったまL、手を合
せて上人の御諜の蕊を聞いて居た。恐ら
くこれが此の世の最後の別れであらうと
父母の顔を見上げた時あれ程肥って居た
父が今は六十の坂を越ゑて瀞せ哀へ、見
るも哀れなおいぼれ爺になり果ても居る
母は雪より白い白髪頭。噸、此の老ぽれ
た父と鰍な残して死んで行ったなら。
後に残って父と母が何を便りに募すだら
員/O
﹁聴阿父さん、お母さん。悪うござい
ました。今日迄執不孝の数々。二十三の
春。今こLで私が死ぬといふ堺壷知って
居たなら、あんなに親不孝するのではな
かったのに、それは皆私に信仰心がなか
ったからです。何卒お許し下さい。ちう
私はあの世へ旅立たなければなり室せん
死んだなら一度御稗迦様の御膝下へ行っ
て、立派な御弟子となり今度この世に生
れて來る時には必ず眞心こめて親孝行を
二四七