えようとすれば、それか俗 に云ってみることにする。 もしれない。
象のぶ山あこがれこがれまいる山
骨身埋めて守りぬく山 そういつちまえば、まことにその通り、いのちをつくし至誠をつくしては、もんくのつけようもないが、そのあり 方にこそ問題があるのである。あり方.ふるまい方・生き方.︵たしか死に方よりも生き方に︶﹁あこがれまいる﹂ という行動具象性内の論理構造が大切の意味なのだろう。それにしても、時代社会により各人各様の生き方・ふるま い・そのうちにひそむあこがれはまた種々雑多であろう。七○○年の永い歴史には、今とはすぐと比較はできにく いや物資の豊かさ、交通の難易速度など割引くと、我々に与えられる感銘は、昔にくらべてかなりわりびかれようか これまで本誌に、棲神の意義・身延山論と掲げてごく平凡な叙述をしてきたが、ひきつづいて、もっとくわしく考 ようとすれば、それからそれへと問題の線がつながって、うまくさばききれない。そこで先づ、思い切って結論的随想
身延山論をめぐって
室住妙
それにしてもいくつかの逸話集や殉教史談、それらがそのままに宗門唯一の宝として伝えゆけばそれでいいのかも しれない。それ以外のことは考えない方がいいのかもしれない。例えば、身延山論などと、こと新ためて、身延山を 顕彰するようなことは、却って有害無益なのかもしれない。昔あった記録、残った文献・偶然と伝はってきた紀行文、 文芸の詩句俳歌、多少の事蹟考証位に止めをけばいいのかもしれない。たしかに宗教に関しては、本質的にはたしか どの宗教に於いてもそうだろうし、ことに本宗においてはそうかもしれない。思うに、﹁四つぢのわらじに笠かぶっ て﹂北陸東海東山こえてきた昔こそむしろ有りがたいねうちも御利益もあったのかもしれない。従って今の時代には わざわざというほどもなく、一ねいりすればその土地に到着して参拝できるのは、気もちだけはるかに、ちょっと坐 って合掌で事すむ遙拝とさほどの違いもなささうである。とすれば、お墓だの御廟だの本山だのは、あってもよし、 なくてもいいようにも思えてくる。極言すれば、﹁身延山﹂として一宗に君臨し、何百万何千万の信徒に巡礼・参拝 を強いることはどうであろうか。いやいろいろ功徳が幸福が保証されるからであろうか。それとも別に理由の当然さ があるのか。そこらの辺は全くデリケートな心情の問題であって、決してどうでもいいとはいえないと思う。例えば 男女の恋愛もただの動物的生理現象としてだけでさばききれない。家庭内の親子・兄弟・家族、一国の忠君愛国も昔 風の道徳論批評で沙汰しきれない。それぞれが正当に処置し体当りする、いのちがけの作業がものいうのではなかろ うか。そのデータなのか体験記録が実は、他人にとって尊い手引き、参考・教訓となるのであろう。今ここでは身延 山論というのはそのための資料の一片に外ならない。 今考えうるところ、私は見当づけるのは、﹁身延山久遠寺﹂の七○○年の歴史である。本当は表向きの立派やかな 山史・縁起よりも、秘史実録が大切である。そうは思うがその実際はとてもうかがい、のぞき見ることもできないの (“)
が事実で、たといのぞき得たとしても本当のことはつか桑えないことも真実らしい。ましてや大きな時代のうごき、 権力体制の極秘のからくりに至っては、なかなかに凡慮の識測の許されないものがあることはたしかであらう。七世 紀に及ぶ大時代の中に我が宗門が扱はれ、翻弄されつづけてきた教団、そのまた一部の門流一山一派など、見る人か らみれば微塵にも等しいかも知れない。だがこの日蓮宗だけは断じてそういいきれないのではなかろうか。というの はそういいきってすましてはいられないというイミである。それは、日蓮宗という名字、看板のしからしめる所だか ら。それは前来略述し来つた日蓮一個のかかわる山だから。かかわるとは棲神のイギ、彼の生命と精神とを、一生否 万世を賭けた山だから。具しくいえば、彼の入・住・出・再入の精神的イミに外ならない。そこから今さし当り、ほ んの試象に一般歴史に浮沈し彩られてきた身延山史をのぞいて、その一番大きな重要なものを見て試みようではない か。その前に万人周知のことながら念のため、宗祖日蓮の一代乃至万代不易の行動精神を一口で言い表はしたらどう ● か?それは立正安国、それは誠心誠意・依法不依人・不惜身命一本にになはれ・しぼられ・きたえられている。権力 も勿論、一乗法以外の一切の権威もその前には風前の灯にも当らないであろう。それこそ正々堂奄と彼の一生を万代 かけて象徴した連鎖劇が、僅々数十年の史実であり、いや真実︵日蓮自身の真実︶ではないか。その真実︵仮称して 日蓮真実︶から日蓮宗︵一致・勝劣・不受等の諸派を一括してをく︶全体がどう動いてきたか、生き延びてきたか。 、、 、、 いや果してその生き生きした生きの良さの証明はどうなのであろうかを見たいものだ。その一の試験がこの身延山論 と承なしてもいいかと思う。 今ここの問題をしぼって例示するとせば、不受不施派の迫害忍難の事実であろう。それは細かいイザコザの理くつ はともかく、幕藩体制に対して宗教的権威を守ろうとしたとはいい得よう。それに対して、身延山当局が幕府官僚と
一つとなって大いに弾圧して明治維新を迎えた。この事実は凡そは、こんな風に解してもよさそうだ。立正安国精神 のほんの一端が、世俗と仏法、権力対権威の争いのような形で扱はれたと世間に染られたようだ。国諫の菰極性をロ コッに表はしたとはいい得ないようである。そのように仕向け、わざとするのが不受の反対派、幕府方を味方にする 一派の策戦であったようだ。それはともかくとして、宗内自身には門流争いのための格好の具のように、自己の権力 追従に利用したとみられる。そのハンヰでは成功したようにもみえる。おおよそは現在の日蓮宗の物質的文化財が維 持伝統された大利益が、実はそのおかげなのかもしれない。しかしトキワゴゼンが怨敵浄海入道の疵護のもとに源家 の二子を養うて源氏再興の力を守ったとみられるのは、まだしもその功績をほめられようが、本宗のは果して何とい い得ようか。いわゆる幕藩体制を満喫して明治維新を迎えても骨まで抜かれてからはもう起ち上る気力もなくなった 。○ のか、幕府に代えるに民族的大義名分のもとに挙国一致の維新には文字通り忠君愛国の下に立正安国を注釈体解した だけなのである。摂折論や法国論で多少の論議を見たものの、明治新政府国権に対しては殆んど無条件降伏のようで ある。少くもそう見えていたようだ。だからこそ、奉献本尊あり、大正年代には立正大師号をお願いしたり、更に勅 額拝戴して現に久遠寺に掲げられている。 それらは正に権威を捨てて権力に迎合した証明ではないのか。いやそれで終ったのではなくしてさらに導かれてく る結果、つまり報いを招かねばならないのだろう。満蒙事件より大東亜戦争となり、軍閥のにらゑのもとに宗教宗派 教団内外も新旧もとわず、挙って報国会運動の名の下に御用宗教化したのである。戦時体制よろしく、米英撃滅の布 教使となった。中に日蓮宗も宗祖の御遺文中不敬文字や文章だととがめられて改訂させられている。そうしたあげく は、まるまると無条件降伏人間天皇宣言・新憲法・民主的政治・教育等、全く国家的洗脳政策は全現し進歩し成就し (67)
○。●●。○ 新ためて言ってゑる。身延山久遠寺とは正に一山一寺ではあるが、その縁起してきた勝義のイミは日蓮聖人の身延 。◎ ・久遠でなくてはならないのである。その大切な点は為政者の勝手な料理にまかされてをいていいのではない。その 為政者そのものを、イサメたりヲシエたりミチビイテいかねばならぬのである。少くとも、そこで身延山久遠寺には 凡そ、三つのイミは区別して銘公が心中にたしかめて銘じていくべきだろう。一は宗教法人としてのもの、二は一宗 派内に君臨するもの、三には勝義・第一義・本質としては、宗祖日蓮云狗の文字通り、真実の意味の精神体系として 現に永遠に生きているものである。そういう内省をもってこの論文いな随想は書かれるべきだ。どこまで書けるかは 問題だが、まちがいなく書きたいと思う。まづここに偶作の詩をのせてぷる。 eみのぶの山河はないている。ひどいめにひどいめにあい通し、その人ここにお迎いす。どうぞどうぞoとびたつよ うな、うれしさに、精一ぱいの御馳走を、ああ、ごはんのごはんの、米がない米がない。承のぶの山河はないている。 eみのぶの山河はないている。七○○年来、なき通し、なぐさめるものもなし、よろこばす手もなし、かなしい心配 かろうか。 ようとしている。ヘタすると共産党天下も予想されるだろう。そこで日本の歴史も文化も大きな断層を受けよう。 イキサッはあるが、大勢は教育の実権は制せられて社会民主々義、︵社会党左派に傾く︶のうちに今日・明日を生き さばり、エコノミックァ|一マルとして完全成功の満点である。その間裏面の右翼の分子が靖国神社法案をめぐっての て今日に至る。その間まるで極右極左と大きな振幅をえがいて承せた。四半世紀にして日本は脱日本してセカイにの それ位だから、すべての宗教々団はこの国土にしては全く一蓮托生的同一運命をうけてくるのもヤムを得ない。我 を日蓮主義者も教団も全くカゴの中の鳥か、試験管中の良薬であって、そのイミではもう是好良薬ではないのではな
一ぱいに、それからそれへとのびてくる。にくむべき非法ははびこる。はづくき迎合はかさまり、観光・虚飾の刃で きざまれ⋮⋮。ああ、草も木もこの通り、みのぶの山河はないている。 e象のぶの山河はないている。ふゑにじられるくやしさに、象のぶの山河はないている。 日蓮大士のゑたましい、かへりみられずしていく百年、日の丸の旗、はためもはぢる。日蓮の御名、ちぢんで通る。 みのぶのお山は、こじきのそうくつ。ああ、ああ、ああ、すなほにまじめにしんけんに、象のぶの山河はないている。 ⑬象のぶの山河はないている。ただ一つ、おん題目の一返は、全一宇宙の魂とかがやく⋮⋮光源の、ああ、尊さ に・・・⋮、みのぶの山河はないている。 人をあいてにしはしない。天と地と無尽の宇宙の光栄に、みんなにゑんなに拝まれる。 わき立つようなうれしさに、山はをどり川はむせんで⋮⋮、日蓮大士の御身は延びて、⋮⋮久遠のいさをとか をるのだ。みのぶの山河はないている。 ⑫象のぶの山河はないている。さいごののぞゑはないじゃない。けれども日常、刻々と⋮いつも、かなしさになかさ れる。いつも、つみのふかさになかされる。いつも、かんしやでなかされる。 いつもくやしさにないている。いつもこえもたてずにないている。かほをかくしてないている。合掌してはないて いる。はをくいしばってはないている。いる。はをくいしばっては︽ 今これに念記してをく。eは宗祖が始め身延山御入山の当日、到着早々に鎌倉方の富木どのへ報ぜられた御書に本 e づいた事件である。@は宗祖滅後の身延山自身の感懐である。一くちでいへぱ、天地有情といわれる大自然の純な肌 承のぶの山河はないている。 (69)
には、さびしいであろう。非法・迎合とは人間の常といえるかもしれない。それが平気で而もロコッにやりぬくのが 歴史なのだろう。おまけに今日のような観光と虚飾で、きざまれ、すもゑにされての料理である。山にとっては、そ れこそたまったものじゃない。eは、宗祖のお心もちに同情した山の怒りである。義憤公憤。日の丸云々とは大戦後 のすがたである。⑲之も宗祖への同情だが、よろこびの方面である。自然は卒直だ、山だけにまる出しにうけ入れ、 よろこぶ。、山が大きく生長したとするとこんな風に、さいごののぞみを期待している。しかし日常刻之は、衆生の 万有の罪になかされ、感謝で泣かされる。それがこの山だけの恵まれてる点だろう。 そこで感傷的になるのを自らいましめて、ごくすなほに、今現実にある山をみつめよう。 数日前、偶然、鰍沢からバスで堂狗と馳せてくる。鬼島・西島・切石とくる、そこに展開する巨大な山容、おお身 延山!私にはいろんなイミ、ヲモワク、考証などをこめて感じてくる。いつかゆっくりとこの山のお姿を、まはりか らぐるりと拝みたいと思うた。ふと・ハスは停る。おおそこには一人では抱へきれないような自然石にお題目が彫って ある。すぐ後側には﹁峡南教会﹂上に﹁日本キリスト教団﹂と冠詞がついている。たしか地元御膝元にこのような異 教がはびこってきている。身延山論云々するよりもこの目前の事実を何とするのか?と斬りかけられたように、胸痛 く感じた。そしてサイゴのバス停でをりた。どんな町か、どんな人会が。ほんとに初めての参詣者には第一印象はあ るだろう。まじめな信者ほど強いだろう。﹁象のぶやま坊主町民生き生きと尊く守れや久遠をかけて。﹂例えばであ る。ここに日蓮宗にとって至極重要な教義があるとする。その第一が本門の本尊、第二が本門の題目、第三が本門の 戒壇。その第一・二は周知のごとくだ。今省略。第三は今もって明確な規定はない。ないところをゑると、之は或は 宗祖が再び三たび地上に生を現じた曙に顕揚実現なさるのかも知れない。さればこそ秘法と称されたのであろう。そ
れにしてもカイダンとは仏教にとって、ことに日本仏教史において重要な項目にちがいないし、ことに法花正統史に おいてはそうである。委細は分らぬにしてもそれが時代と国家と宗門との三にかかわることはいうまでもない。最小 限でいえば比叡山の戒埴がそれである。彼は迩門分、之は本門分。規模といい内容といい、天地雲泥の差格であるo それ位は推想されるが、そのカイダンと身延山とはどういう関係があるのか叉はないのか?、いわゆる葬式の出る前 にカタミワヶで争ふようなマネはっつしまう。ただ考えねばならぬのはここに今モサクしつづけてきた﹁身延山論﹂ の厳めしい内容こそが、そこら辺あたりから展開する原点ではあるまいかと思う。つつしみ想い進める素地がここで はなかろうか。宗祖御在世中のお山はもとより、滅後の宗門にとっても、︵滅後はなほさらに︶身延山の重さはとて も重いのである。その重象を証明するところの厳たる論理が、かの入・住・出・再の四柱連関である。︶﹂のイミを生 きた時代人社会人よ、ひとつ、とつくり吟味してみよというのが、我々宗徒に課せられた公案の一つではなかろう か。換言せぱ、四海帰妙の暁、このままの門流人がよってたかって相談して、どこか別の場所、︵霊山浄土に似たら ん最勝の地を尋ねて︶そこに建設するに至るのか。それにしても、当然の手続きとしても、身延山久遠寺・御廟に正 当な特使は、立てられねばならないのではないか。即ち直々に、御冥慮を仰ぐのだ。少くともこれから我々はそうい う当日を迎ふくく、道路も施設も考うべきではないか。正に身延山当局としても身延町民としても、日蓮門下一般と しても、たしかにこのままの延長線では快くはないのではあるまいか。真剣さの覚悟を何故にいかほどにと問はれて いるのである。それはその時と場合さ!などと、ではすまされない次第ではないのか。仮りに三大秘法の唱導師が宗 祖大士唯一人にはちがいない。本門戒壇の建立の願主は四大菩薩の他の三人のどなたかだとしても、その人が宗祖大 士の御廟に参上した上に於いて命ハトンを相承すべきではないのか。そこらは世間並みの秩序道理から考えてもいいで (7I)
、、、 はないか。そうではないとしたならば、﹁唱導師﹂の三字は空文なのか?ともかくこの一件については、これからの 身延山久遠寺法主及びそれをめぐる当局は本当に重大な責任を感ずべきものである。 実はただのおえら方がどうこうではなしに、本院支院の人為、町の民衆、それこそ何百年来すゑついて生きて来た 難え 人々、はたらいてきたものたち、ぢかにささえてきたものは、とくにかざりとか見栄ではなしに、七○○年来ソシの お山の人々である。別にやかましく生物学的に血管がどうのこうのではなく、大きくこの土地に住象続けてきた社会 民衆に外ならぬ。これから先き五○○年乃至一千年二千年或は又一○○○○年の将来も、身延山を久遠に維持してい く人舜こそここに実在するにちがいないのである。俗世間のことばに、﹁みのぶの人﹂というだけでもなつかしい。 いや実は尊いと感じたい。いや誰でもが何となく尊く感じてくるようにありたい。みのぷに何十年すゑついてくらし た人よりも﹁みのぶ生れ﹂といはれる人の方が何となく格が一枚上のようにありたい。みのぶの人は声がよいのは南 天山の水をのんだからかもしれないが、ともかく土地も人間も施設も寺もすべて尊くなることが必要なのであり、そ れが目標なのである。その目標実現には幼稚園から小中高の学校も家庭社会等一丸となった立派な人間づくりを創造 ここに於いてか、この筆者たる私も恥しい次第である。古稀といはれるだけの年を食っていてその住んでいる土地 を浄めもできず、ヘドロのたれ流しではないが、平を凡々で終ては、本当に宗教も仏教も法花経も何のイミもないこ ととなる。そこで及ばずながら、できるだけのことをもくろんでみる。夢を描いてみる。きっと実現するゆめである。 実現できるかどうかは別としても、そのことは実現のイミをこめ問題としなければならないことである。 たとへぱ、H御廟に安心して御真骨を奉安できるような地点をえらんで欲しい。身延全山適当な角度からゑて、安 したいと思う。
ロ久遠寺の在り方について、ただ世間並承他宗のまねしたのでなしに、全く独自の、即ち本門三宝のまします在り方 を顕現せしめよ。ただ工夫して作る安易のものでなしに、本感応妙から自然と涌き出るものでなくてはならぬ。 日御草庵跡は勿論一ヶ所しかない。あそこは厳重に清掃護持していくこと。あそこから見わたすかぎりの四方八方、 上げたいと思う。 一石、珍奇なだ径 川くりの薄ぺらの岩壁を背に、表向きだけのていさいをあやしたところ、どうして厳かつ浄といえきれるだろうか。 定・荘厳・方角・便宜・景勝等、よろしい地点にお移し申すべきではないか。名実のちがう、タヵトリ山のふもと、 少くも、身延山の安全な心臓部に、。えんぶだい第一の聖廟﹂をこれから二・三世紀かけて造立しようでははな いか。経費は何千億でもよろしい。之にひきつづいて思はれるのは、山頂への五十丁︵五キロ?︶、車で登るのは禁 止してほしい。ロープウエイもごく必要物資に留めて参詣客はゑな自分の両脚で登る、之もこれから三十年内にはそ うなってほしい。その代りに登山径路にはイミ深重な思索道・唱題行進の鍛練道、そして処為には景勝と参髄の行場 をかねた施設がある。頂上には思親閣、世界人類のどなたにも切々訴える大聖の悲泣がある。そこはごく、寂かな浄 い室があり、景観があり、祈念がある。よほど工夫が必要である。ほんとうに人類の個々が素裸になって自分を象つ い室があり、景観があ腕 、、◎ し力 める聖所でもあるゆえ。 お聞きできるような、自然と施設。我々信者も大いに与えることができる良きものを、最上の功徳を施そうではな 石、珍奇なだけでなく、寸信の結晶を巧みに織り成していき度い。つまりセヵイ人類総がかりの立体的大庭園を仕 これらをめぐって、どこか適当の一劃に或はところどころどこにでも、世界各地の信者からささげられた一木一草 (73)
どうかここだけは昔のままにありたいと思うがどうであろう。 四納骨・法要、今のままの行事は全廃してもよいだろう。実は人間の罪障のカタマリ、骨ぐる象をさし上げたところ が、このお山の荘厳とはならないかもしれない。それよりはもっと粒のよい質のすぐれた肥えた土を供養して大きな 立派なお山に仕立て上げたらいいかと思う。之はゆきづりの一考であるが、大いに研究を要する。さらに凡骨でもお 役に立てるようなすぐれた工夫を要す。 園寺平に今進められている聖園は、土地が狭く困るから全廃して、特別な施設荘厳の舞台を考察して欲しい。現にあ る御廟を見下し、正面に東方をふさいで、昔の御草庵のおん目の前を汚すかのように思える、こんな今の在り方は、 之も考慮して欲しい。実際信者の気持としては、大聖の御廟を正当に拝んだり拝ませたいとならば、全世界人類に対 して思うとき、このせまい地域はよほど工夫して効率を高めねばならない。 尚次は身延文庫の自覚の護持の件である。﹁身延文庫﹂の名称は、江戸中期に出たようだ。が実際は遠く、宗祖御入 山後まもなく、蒙古来襲後の北条氏当局の深刻な餓悔からどんな反応があらわれてくるのか、それに応じてきっと打 たるべき手は、公場対決ではなかったか。その為めにこそ諸方に人をつかはして経論を蒐集させてをられる。特に御 遺品として有名な﹁註法花経﹂の十巻は実に、ただの御自行修養のためだけではなく、こういう巨大な御事業の土台 であったと信じられる。申すも畏れ多いが、注経はその肝要部門で、凡そは完成しているとみられようか。中・小・ 細の枝葉はこれからであろう。とはいっても肝要部だけでも、しっかり身につけた人、人材こそねらいである。︵た だの学者ではない。︶もとより文庫としての当然、保管上の防災︵水火風虫盗︶・整理・実用・便宜等はよほど、新 進科学的に考えねばならない。
㈲教育、現在今の教育はただ従来身延山のやってきた惰性としてやっているに過ぎない。はづかし乍ら何らの目標も 理想も希望も絶無に近い。思えば昔の檀林だけでも、西谷の名を掲げて、その当時の一隅に面目をつけたようだが、 それからいく変遷か。明治維新以来は追随改変だけで今日に到っているが、実は内外の当局そのものが、まことに善 民善吏で、この宗の深義からわり出して身延山教育、世界教育を考えてはいない。どうしたら世の中世間一般に認め られようか、悪くは思はれないよう、うまく喰いつないでいけるかというだけである。そうしたことの内実の因由は 西谷檀林発生前から、後の社会・宗門の事情があって、日蓮宗的︵祖師の御流義のような気塊︶はそうつと荒立てず に処置してゆこうという方策であった。それがそのままに二○○年以上つづいて明治維新にうけつがれる。その際、 ﹁ソシ以来の強折を洗脳﹂という致命的な害毒に気づいた人はごく少かつたようだ。だからメイジゴイシン様の錦の ミハタは全国をなびかしたのである。いわゆるメイジ百年という美名のもとに、この身延山をはじめとして日蓮宗群 一党全派が、帝国主義の走狗となり終ったのではなかろうか。立正大師号といい、勅額といい、奉献本尊といい、御 遺文訂正といい、報国運動といい、管長大僧正の下に適当に摂受折伏しているのであって、日蓮の純粋宗学から、天 地に恥ぢざる宣言も絶叫もないのではないか。だからこそ国亡んでも誰一人哀悼の辞を申す人はない。日の丸は敵国 人には多少重んじられても、日本人には平気でふ象にぢられている。身延山での教育一斑をちらとみただけでも、反 省させられる。寺坊の人夫をつくるため間に合せにお化粧する?そうでなしに日蓮大聖人の本弟子を一人でもつくる ようにありたい。よほどの新企画が要るのである。 wここについでに、いわゆる年中行事についても当然、多少の感想はある。現代人にふさはしいこと、いや迎合では なく、ちつとは感銘させるだけの新鮮な、聖なるフンイキ、工夫を要する。例えば、梵唄・声明など、古式を相当苦 (75)
心して伝習しているだろうが、たとひそうだとするならば、本気になって、大衆・有識者の感銘度をたしかめること が必要である。礼拝にしても行道・散華・読諭にしろ、回向文の文を句々にも厳しい反省が要る。年中行事全体にわ たって、新たに加えなくてはならぬものも、現代には相当あるであらう。設えば、セカイのどこかの民衆の二・三が 偶然拝観したとき、必ず快い心霊的教化の一拶はなくてはならぬ。そうだ、身延山教育について乃至日蓮宗教育につ いて本気になって考えたら、こうしなければなるまい。思い切った手痛さだが、今の学校教育は全部やめてしまって、 新ためて募集するのは、大学以上の真の求道者だけを集めて、たとい三人・五人でも、それに本格的必要な教義を教 え、研究を積ませるのである。さらに修練努力をつづけて、やり遂げるように、そこがねらいである。