ゲーテ『色彩論』におけるくもりの本質
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(2) 目. 次 1. はじめに. 第1章 色の存在 1節 色とは何か ・一・…・一・…・・…h・一…・…・一・・一一……. 2. ……一一. 11. 3節 内的関連による色彩の感覚的精神的作用. 33. 2節 物理的色彩一客観的面と主観的面. 第2章 色彩世界の成立 1節 くもりとは何か ・一・・一…一一・一一一一…一一. 2節 色彩世界成立のためのくもりの役割. 52 59. 第3章 くもりとゲーテの世界観 1節 なぜくもりを重視したか 一…一…一一一一・・一…一……・……一・一・. 2節 なぜニュートンを批難しなければならなかったのか. 65 69. おわりに. 74. 注記. 75. 参考文献. 77. ※本論文ではわかりやすい、村岡一郎氏・菊地栄一氏の翻訳. によるr色彩論』を主として利用し、潮出版 木村直司訳 のr色彩論』も参考にした。引用するにあたり本論文には 一部口語体に書き改めたところもある。.
(3) はじめに. 人間にとって1生みだした者が亡くなった後も、子どもが生存してゆけるよ うに育てることは、芸術家にとって作品を制作することと同様に、それに値す る本性である。. 人間は常に自分の置かれた環境の中で、人や自然との距離を確かめ、保ち、. 自分の存在を確認しながら生活するものである。そこには、生から死までの自 分が生きていた世界が展開される。. 私の絵画制作の経験から話をする。一つは、パレット上の一色はすべて美し く感じる。しかし、パレット上で何色か混ぜ合わせて色が数種類出来ると、色. の中に好一嫌、美一醜の関係が見て取れる。ましてやその色を画面に置こ うとすると、すぐ様嫌悪感を覚えて、もっと良い関係を作り出そうと苦心する. のである。時間の経過と共に、そこには一つの類似自然が創り出されるのであ る。絵画が完結された一つの世界表現とするならば、芸術家は常に色の響き合 いを考えながら、バランスのとれた絵を制作していることに他ならない。この 行為は子育てと共通する所があるように思う。 もう一つは、私にとっての制作は、生きている中での時間を少しの間止めて、. 生活の様を記録したのが、私自身の絵だということができる。以前に描いた 「遊戯の途中の一寸した休息」という題名を付けた絵についてもいえる。その 絵に託したものは、私と絵画との関係を示したものにほかならない。それは私 の世界観へとつながる。. 上記の二つの事柄から、色の不思議さ、常に流れる時間の中での自分自身の 不思議さに、興味を持つようになった。 この論文は、色に対してあらゆる面から解明しようとしたヨハン・ヴォルフ ガング・v・ゲーテr色彩論』から読み取れる色の存在、色彩世界の成立、及 びそこから感じ取れるゲーテの世界観をゲーテのいうくもりを通して考えてゆ こうとするものである。. 1.
(4) 第障色の存在 1節 色とは何か. r色彩論』を読んでみて感じたことは、ゲーテのあらゆるものに対する観察 する眼の鋭さである。ゲーテの探究心の深さがr色彩論』完成今と導いている1 ゲーテの知的欲求とは何だったのだろうか、とふと考える。 rファウスト』 に書かれたものを人間の内にあるミクロコスモスの表現とすれば、 r色彩論』. で伝えたかったものはマクロコスモスだと言えないだろうか。自然内存在とし ての人間、眼が機能する世界を確かめるために書いている。一個人が今の自分 を確かあるたあに出来ることはまわりの状況を知る以外にない。時間の経過と 共に少しづっ変化している今を知るためには、人間のまわりを取りまいている 可視世界を問題にせざるを得ない時代だったのだろう。ここではじめて色彩と 眼の関係が成立する。決して、ものと色彩ではない。空間に注目するのである しかしゲにテは歴史的、社会的な必要性も感じてこのr色彩論』を書きあげる のである。. その原因として、ゲーテは社会的地位も高く指導的立場にあったことである もう一つは17世紀の物理学がゲーテの考える世界観と大きく違っていたことが 挙げられるだろう。しかし最大の原因は、ゲーテの生きていた時代への提言で はなしに、ギリシア人アリストテレスの時代から流れている色彩に対する考え 方がニュートン物理学以後消えかかっていたものを身を挺して流れを受け継ぎ. 流れをもどそうとした。そして更に未来をも展望したr色彩論』といえるだろ う。私の中ではrゲーテとその時代』の中に書かれている「彼[ヴェルテル] はロッテの婚約者アルベルトと自殺論を戦わせ、 〔自殺は人間の弱さのあらわ れと見るほかはない〕というアルベルトに対し、 〔暴君の圧政下にあって耐え. られなくなった国民がついに反乱を起こし鎖を断ち切ろうとするとき、それが 弱さと呼べるか〕と口走ったりしているが、分別あるアルベルトには理解でき なかったにしても、ここで自殺は、自由を求めて決然と起ち上がる行動にも比 されている。ヴェルテルの自殺は、彼がその生涯にただ一度敢行した、自分の 心の自由を守るための決起であったのだろう。」という坂井栄八郎の考え方と 重なって、非常に重みのある生まれ方をした色彩論だと考える。. 難産であったが故にゲーテはr色彩論』を最後まで庇護するが、崇高な観察 思考のもとに総合化された色彩を介した世界観、自然賛美の書と言える。我々 にもゲーテのいう根源現象について考えさせることを今日でもやめさせない魅 力がある。ゲーテの生きていた時代こそ違え、可視空間は時代を経て共有する 色とはゲーテが愛する自然をよりわかりやすく体系化するために選んだ素材と 2.
(5) いえる。. それでは色彩とは何か。ゲーテが「色彩は光の行為である」というように、. 光は色彩として現象することによって眼に確かめられ、色彩は光があるために 存在することが確かめられる。色彩と光は相補的な切っても切れない関係にあ ることが理解できる。可視的色彩世界と眼との関係は先に述べた通りである。. まとめてみると、自然は光に照らされることによって色彩を帯びる。色彩は 眼の感覚に自然を啓示する。このことから眼は色彩を介して自然を感受すると いう構図が浮かびあがってきた。. それでは、人間は直接光を見れないものであろうか。この欲求は興こって当 然のことである。 r色彩論』の中では分かり易く説明されている。概要をここ で示そう。 r色彩論』. 緒言 序論 講述篇 論争篇 色彩学史篇. 附録 結びの言葉、からなる。 はじめにゲーテの「生理的色彩」についてまとめてみる。 r生理的色彩」は. 1節から、135節に細分化されたアフォリズムの形で書かれており、第1章か ら第8章、附録に分かれている。1節においてゲーテは「余が生理的色彩を冒 頭に置くのは当然である。なぜならば、この色彩は全然、といって悪ければ、. 大部分は人間の眼に付属するからである。この色彩は色彩論全体の基礎 (Fundament der ganzen Lehre)を構成するものであり、しかも盛んに論争され. た色彩調和(Chromatische Harmonie)を啓示するものであるが、かかる生理的. 色彩は在来、非本質的な偶然的なものと見なされ、否虚偽錯誤とすら考えられ たのである。この色彩の諸現象は昔から熟知せられては居るが、研究者は移ろ い易きこの色彩を取って押さえてこれぞと示すことが出来なかったから、これ を百害あって一利もなき妄像の領域に放りこんでしまった。従ってこれが記載 は主管として定まらないというありさまであった。」と語る。色彩は人間の眼 という視覚器官において現象として捉えられるものであり、その客観的現象は 視覚器官において主観的に知覚される。. 色彩は人間の眼に対して常に能動的であり、人間の眼は常に自体内あるいは 外部に向かってエンテレケイアしている。ゲーテにとっては生理的色彩現象が 3.
(6) 非本質的で偶然的なものであれ、移ろい易き色彩であれ、仮象であるはずがな く、現象として並列的に示すことによって眼の機能と色彩との関係の解明を試 みた。人間の眼によって知覚されるすべての色彩現象の総合化を計ることこそ 真理を求める方法だとゲーテは考えている。. 第1章でゲーテは、眼という人間の視覚器官は光と闇の関係によって機能す るということを解き明かそうとする。6節で「暗室の中で眼を見開けば一種異 様な虚無が感ぜられる。眼はぼうぜんとして自らの内部に吸いこまれそうであ る。眼が外界を見る時に感ぜられるあの嬉しく楽しき感銘を今は眼は持たない。. あの感銘あって、眼は外界に結びつけられ、全きものとなるのであるが。」と 語る。上記の感銘ということばは非常に主観的で、感情的なゆさぶりを受けた ときに使うものだ。必ずしも個人的感銘は第三者と共有出来るというものでは ない。このことをゲーテは光と闇の関係から生じる色彩現象によって解明しよ うと思ったことに間違いはないものと思う。 ゲーテが私に「色とは何ですか?」と問うことがあったら、 「私にとっては 喜びを与えてくれるもの、楽しませてくれるもの、そして遊ばせてくれる世 界」だと答えるでしょう。この答えでゲーテは、私が今の生活を謳歌し、充分 満足していると感じられるかも知れません。しかしゲーテにとっては不充分な 返答だとうつるでしょう。なぜなら、この返答はゲーテのいう分極性のプラス に対するマイナス、明に対する暗のプラス、あるいは明といえることだけしか 答えていないからです。ゲーテは続けます「それで。」 「私にも心配事はある のです。いやなことは避けて通りたいとか、次の瞬間には悲劇が訪れるので目 を閉じて見たくないとか、どうにかしてやり過ごそうと考えるのです。結局認 めたくないものは見ても忘れ去る、忘れされなくても忘れようと努めます。ま た反対に、二度とやるまいと決めた上で記憶することを常に行っています。」 と付け加えるでしょう。. 「君の言うことももっともなことだが、未来の不安や過去の事実は消し去る ことが出来ないものだよ。私にとっては眼が外界とつながることによって自然 を感じ取り、生きていることの確認をしている。自然の内に在るということで 充分なんだ。」と答えるかも知れない。 健康な眼で自然を観察し、降りそそぐ光、彩られた空間を現象によって確か め、多様な現象の背景に一貫して存在すると考える必然的連関を説こうとした のが、このr色彩論』である。 「眼の人」と言われるゲーテが6節で書いてい る文章には深い意味が込められており、この部分が自然内存在としての人間観 察の最初であると考える。6節を引用する前に13節を引用しよう。 「物を見る と云う作用に於いては網膜は同時的に相異れる状態、と云うよりは寧ろ相対立 せる状態にある。眩しくはない最高の明るさ(das Helle)は完全な暗さ(das. Dunkle)と相共に作用するのである。同時に吾人は明るさと暗さの相混ぜるも 4.
(7) の(das Helldunke1)の中間的段階とすべての色調を認めるのである。」この節. で「第一章光と闇の眼に対する関係」を結論づけている。6節「暗室の中で眼 を見開けば一種異様な虚無が感ぜられる。眼はぼうとして自らの内部に吸い込 まれそうである。」、7節「強い光で照明された白色の平面に眼を向けると、 目は眩み、暫くは和かな光で照明された物を判別することが出来ない。」から 6節においては闇の中でこそ最高の感受性をもった眼となり得ると説く。しか し、闇に対して対立する光を見るときの実験はしていない。 「講述の巻」、序 論から引用してみよう。 「〔……〕色彩を現ぜんがためには、光と闇との融合 (Licht und Finsternis)、明と暗との合一(Helles und Dunkles)、或いはもっ. と一般的な公式を用いんとするならば、光(Licht)と光ならざるもの (Nichtlicht)との結合が必要である」と書かれている。7節では序論中の普遍. 的な公式め光ではなく、強い光によって実験を試み、現象として書き記す。眼. は無感覚になるということである。13節の最高の明るさにおいても7節の強い 光と共通なところがある。よってゲーテのいう光には特別な意味を含んでいる のがわかる。第二章が理解しやすくなるようにつづけて「生理的色彩」から引 用を試みる。. 33節「睡眠から醒めた人の眼はいとも容易に明から暗又暗から明へと移り動 く状態にあって、絶えず変化する事を求むるものであるが、此処にこそ眼の躍 動性が現れて居る。眼は瞬時と云えども特殊の状態、即ちある対象に特殊化さ れた状態の中に縛りつけられて同一の状態で停滞する事はあり得ないし、又あ るを欲しない。寧ろ眼は一種の対立に強制される。この対立こそは、極に対し て反極を、中間的状態に対して中間的状態を対立せしめつつも、直ぐその裏で は、これら対抗するものを結合し、漸次的に(in der Sukzession)も又同時同 所的にも(in der Gleichzeitigkeit und Gleichortlichkeit)全体を求めて止. む事がない。」この文章から我々は現実を見据える眼と思考することの尊さや 深さを感じとる。そのことは人間の本性である全体把握を求めて止まないと説 いているようである。. 人間の創造物についても続いて34節に書かれている。 「色彩を用いない絵や. これに類似の芸術作品の巧みになされた明暗を見て、我々は異常なる快感を覚. ゆるが、かかる快感は特に全体の同時的把握(Aus dem gleichzeitiger Gewahrw erden eines Ganzen)から生ずるのであろう。全体そのものは、普通 ならばただ漸次的に(in einer Folge)目によって産み出される、と云うよりも. 探し求められるものであり、どんなに巧く行っても決してしっかりと握りしめ られ得ないものなのである。」、38節「灰色のものを黒地の上に置くと、同じ ものを白地の上に置く時よりも遙かに明るく見える。黒地の灰色と白地の灰色 とを並べて見ると、両方の灰色のものが同一の色で塗られてるなどとは信ずる. ことが出来ぬ位である。此処で又我々は網膜の大いなる可動性(gross∈ 5.
(8) Regsamkeit)を認め得ると思う。網膜の動きと云うのは、生ある物は、何らか の一定の状態が与えられると、必然的にそれの秘かなる対立を現ずる事である。 例えば吸気(Einatmen)は既に呼気(Ausatmen)を前提とし、逆に呼気は吸気を豫. 回する。拡張(Diastole)と収縮(Systole)の関係もこれと同様である。これこ. そは生命の永遠の公式であって、それが此処に於いても表現せられて居るので ある。暗きものが眼前に置かれると眼はその対極たる明るきものを呼び求める。. 逆に光明が眼に向かってあたえられると眼は暗黒を求めて止まぬのである。か くして眼前にあるものの反極たる或る物を眼自らの中より産み出す事によって こそ活き活きした正しき物の掴み方を示すのである。」. 上記の38節において、ゲーテは生命の永遠の公式を指摘する。例えば吸気に 対しては呼気、拡張に対しては収縮という関係は、何らかの一定の状態が与え られると必然的にそれの秘かなる対立を現ずるというのである。 r灰色のもの を黒地の上に置くと、同じものを白地の上に置く時よりも遙かに明るく見える、 黒地の灰色と白地の灰色とを並べて見ると、両方の灰色のものが同一の色で塗 られてるなどとは信ずる事が出来ぬ位である。」と感じたゲーテは眼の錯覚と は考えずに、ここに網膜の大いなる可動性を認めると強調するのである。 生命の永遠の公式、明と暗の関係において網膜の可動性の内に知覚されるも のは、眼前にあるものの反出たる或る物を眼自らの中より産み出す事によって こそ活き活きとした正しき物の掴み方を示すものだと語る。眼という感覚器官 の独自性によって知覚された主観的色彩こそ正しいものだと説く。. 55節においては、第4章無地にして眩しきもの、第5章色彩を有するもの (farbige Bilder)の中に並記された網膜におこる色彩変化についてまとめてい. 色彩変化は法則的な呼び合い(gesetzliche Forderung)のもとに相対立する色 彩が網膜上において継時的(sukzessiv)、同時的(simultan)におこるというこ. とを説く。例えば黄色と董色、緑と赤が掲げられるだろう。この呼び求あ合う 色はゲーテの色彩円上では対立する色彩を示す。. 赤(真紅). 緑 6.
(9) このような現象を58節において、法則的にして生産的なる呼び合いdie produktive Forderung dieser Gesetzlichkeitという言葉で表現する。生産. 的という言葉を用いるところに感覚によって捉えた現象は真実をかたちづくる ものだという考えが伺える。. ゲーテは60,61節において色彩円上に現れる色彩のすべてを全体性 (Totalitat)と定め、眼は常に全体性を求めるものだと説く。ゲーテのいう調 和とは、眼が見る或る一色を呼び求める色(die fordernde Farbe)とすると、. その色に対して呼び求められた色(die gefordernte Farbe)が現れて呼び求め. られた色が認められる場合のことをいう。調和については本論文の第1章3節 内的関連による色彩の感覚的精神的作用で考察する。 次に第6章色陰(farbige Schatten)において、同時的に呼び求められた色に. ついての観察をする。64節「色陰成立の条件は2っある。第一には強い光が白 色の表面を何らかの仕方で染める事、第二にはこの光の反対側に照明を設けて 白色の表面に投影された物陰を可成りに照らす事これである。」65節において 実験を試みる。 「黄昏時、白紙の上に低く燃ゆるろうそくを立てなさい。しだ. いに良くなってゆく日の光りとそのろうそくの間に鉛筆を1本真直ぐに立てて ろうそくの光のなす鉛筆の陰が弱い日の光に照らされるように、だが日の光が 強過ぎてこれに消されないようにしなさい。こうすれば鉛筆の影は美しい青色 に見えるでしょう。」. ゲーテは、前掲の64節第2の条件の下に現れた呼び求められた色(鉛筆の影 の青色)をこの実験によって確かめる。色陰においても眼が生理的に呼び求め る色と呼び求められた色の関係が成立することを強調する。第64節の第1の条 件に書かれている何らかの仕方とは、 「物理的色彩」第10章第1類の屈折の色 彩、 150節において説明されているものと同様のことだと考える。. 白紙が赤味がかった黄色に変化するのを認めるのは人間の眼であり、主観的 知覚であるが、客観的現象においても確かめられるものなのである。. 生理的色彩の第6章面諭において計らずも本研究次節の物理的色彩一客観的 面と主観的面へのつながりが出来た。否、これはゲーテの意図する所であり、 うまく策にはまってしまったといった方がよいだろう。 なおもゲ・一・・テは実験をし、観察をする。68節「夜、2本のろうそくをつけて. 向い合せにして白色の板上に立てなさい。細身の棒をその中間に真直に置き、. 陰が2つ出来るようにしなさい。色ガラスを取り上げてこれを=方の燭の前に 置き、白色の板がその色で染まるようにしなさい。そうすれば、このガラスを あてがわれた方の燭によって投影された陰、云い換えると無色の燭に照明され た陰は呼び求められた色をあらわすでしょう。」この実験からゲーテの重大な 省察が始まる。69節で「色彩そのものは暗い陰(ein Schattiges)(Skieron)」. 「色彩は陰と切っても切れぬ密接な関係を持つ。」 「色彩は容易に陰と結合す 7.
(10) る。」 「色彩はよく陰の中にしかも陰によって現れる。」から、色彩は光と陰. の相補的関係において生まれるものであると考えた。なぜなら68節の実験にお いて、照明された紙面の色によって陰は何色にでも意図的に変化させることが 出来たからである。. 第7章漸次に消え行く光(schwachwirkende Lichter)についてまとめてみた. い。強い光は白無垢に見え、漸次に消え行く光は網膜に色彩幻象を起こさせる 主観的な生理的色彩を認める。. 第8章においては、量(HOfe)(Dに考察が加えられる。量は主観的量と客観 的量とに分けられ、生理的色彩で考察される主観的量は網膜上に現れる光体が 蔽はれると、量は消え失せると説かれる。目の前に量を作ろうとすれば光は適 当でなければならず、まぶしくてはいけないと説明する。. 98節において、主観的量は光と網膜との言わば、生きた空間(der lebendinge Raum)との格闘であると考えられており、眼の感受性の強い特定 の条件の下で生じる波動運動であると説く。例えて言えば、水中の波紋、次第. に消え行く鐘の音の間歌的な振動のようにゲーテの分極性Polaritatのあらわ れであると理解できる。明るい量は波の極頂であり、暗き量は波の底の位置に あるときに現れるものだというのである。網膜には、自らの組織の中に或る種 の円形的傾向を持っているとも書かれている。. 100節「併しながら原動力が小さい癖に強烈である場合に眼の中に現れる肇 ははなはだしく小さくて、しかも多様である事がある。地上にある一片の金箔 が太陽の照射を受けた場合の実験が一番効果的だ。この場合にあらわれる量は 多彩な光に包まれて居る。木の葉もる太陽が眼の中に作る色彩現象も又これで ある。」この文章は生理的色彩の最後を飾るにふさわしい。実験という形式を 取りながら、結果はある一つのことに限定しているのではない。このような主 観的実験において、ゲーテは金箔から反射する光やゆれる木の葉の間に射す太 陽が眼の中に作る色彩現象が快よいと伝えたいに違いない。これは詩人ゲーテ が色彩を感じとる眼に感謝し、太陽がゲーテ自身の回りを彩り、可視世界を出 現させてくれている喜びへの色彩直中の、制約された中での表現に仕方で書か れたものだと考える。. なぜならこの実験によって導き出す結果が、生理的色彩を呼び起こす眼であ り、自然内存在である自己を確かめるものなら、実験を試みた人々にはそこか しこに結果を認めることが出来るからである。この100節の短文にゲーテの喜 びと自然賛美の気持ちが表れている。. 次にゲーテの「化学的色彩」についてまとめてみる。 「化学的色彩」は481. 節から687節に細分化されたアフォリズムの形で書かれており、第34章から簾 56章に分かれている。. ゲーテは486節で化学的色彩について以下のように要約している。 「我々帽 8.
(11) 回る物体において色彩を喚起(erregen)し、程度の差こそあれ、これをその物 体に固定(fixieren)せしめたり、昂進(steigern)せしめたりする事も出来、又. この色彩をこの物体より除去して、他のものに伝達(mitteilen)することも出. 来る。この故にこそこの色彩には内在的性質ありとせられるのである。かかる 色彩を余は名づけて化学的色彩と呼ぶのだ。化学的色彩の大体の特色は永続と 云う事である。」と。. 上記の喚起、固定、昂進、伝達の4っのことばを確かあ、結びつけることに よって理解し易い物となる。. 喚起は第37章で色彩の喚起(Erregung der Farbe)として説かれている。501. 節「物理的色彩の編において曇れる物体を研究した時には、白と黒よりもむし ろ色彩を見たのであるが、化学的色彩の編においては余は凝固せる白、完成せ る黒を前以って立てて置いて、このような白と黒に即して色彩が喚起せられる 有様を問題にして行こう。」と積極的に白と黒から生まれる色彩について演繹 している。前篇、 「物理的色彩」において、色彩現象を曇れる媒体によって光 と闇の根本現象から演繹されたのとは大きく違っている。. 色彩の喚起とは白いものが暗くされ曇らされると黄色になり、黒いものが明 るくされると青くなることをいう。具体的に例をあげると、磨きのかかった鉄. においては加熱(表面を酸化)することによって色彩円上の色彩 (Elementarfarben)に変化することが認められるというようなことである。. 固定(Fixation)については第43章で語られる。物体表面において現れる色彩. でさえも常に変化するものであったが、或る状態においては、色彩は色素の中 において固定(fixieren)され、或る段階に停滞し(beharren)、かくして特殊化. される(spezifizieren)と説く。ゲーテのいう色素は色彩が特殊化したもので. よく染料として使われる。染色には媒染剤を使うことで、より強固に色彩と物 体が結びつく。ある物体から色素を取り出し、別の物体に染めなおすことによ っても色を固定化することが出来るというのである。 昂進(Steigerung)については第38章に述べられている。517節「昂進とは色. 彩が凝化し(lnsichselbstdrangung)飽和し(Sattigung)、且暗イヒ (Beschattung)することだと考えられる。曇りを増すに連れて、明るいものを. 極めて微かな黄色から遂には最も強烈な紅玉色にまでも昂進せしめ得るが、運 に、闇の前にある照らされた曇りを次第次第に薄あ減らして行く場合には、青 は昂進してついには最も美しい重立と化するのである。 〔……〕」と書かれて いる。根本現象として「物理的色彩」で立てられたことを、 「化学的色彩」の. 立場から実験することによって証明している。518節「白色の陶器で階段状a 容器(StvfeugefaBe)を作らせ、一方の容器を黄色の純粋な液体で満たしたまえ. すればこの液体は上から降って底に至るまで、徐々に赤味を増し、最後には橿 色となるであろう。他の容器には青い純粋な溶液を注ぎたまえ。最上層の示す 9.
(12) 色彩は空色で、容器の底は素晴らしい董色を現わすであろう。これを太陽にか ざせば、上層部の日の当たらない側も又必ず董色である。手でもよし、或は何 か他のものでもよし、これをかざして日の射す部分の上に陰を作れば、この陰 も又前と同じく赤味を帯びる。」この実験からは、曇りの媒体の量的関係は、. 視覚に対して、質的な印象を提示することがわかった。つまり有色の液体の厚 さで見える色が変化することである。透明度の極致にある曇りを通してみれば 青い色は美しい董色に漸次変化して昂進を見るのである。. 伝達(mitteilen)についての記述は、第46章真実の伝達(Wirkliche Mitteilung)に認められる。. ゲーテは573節において「色彩というものはどんなものでも暗いものだ」と. いうことを「生理的色彩」では第4章40節で、 「物理的色彩」では第10章 150,151節に引きつづいて再度述べている。574節において、生理的色彩は眼 を閉じることによって漸次闇にっつまれてしまうので、光より弱いものだと語 る。物理的色彩は、眼が色彩現象として捉えるために必要な曇れる媒体を通し て現れる弱い光(gedampftes Licht)のことだという。その弱い光は常に暗きも. のへの変化を伴なうことが述べられている。. 我々は真実の伝達586節においてゲーテ独特の世界観を読みとる。 「生ある. ものは全て色彩を帯びる傾向がある。即ち、具体的な色彩を取り、特殊化の作 用をあらわし、効果的となり、不透明となり、かくして極めて微妙なものとな るのである。これに反して凡そ死滅せるものは徐々に白くなる。即ち抽象化の 作用をあらわし、普遍的な色彩を示し、浄化され、透明となるのである。」と 語る。. 自然は生きているものであり、生きている限りは色彩を帯びた現象としてあ らわれるのである。その色彩を帯びた現象はあらゆるものにおいて全体と結び ついている。自然は流れる時間の一瞬、一瞬によって特殊化され、効果的とな り、観察者をも含めた自然の可視空間の中で微妙に変化している存在であると 考える。. 10.
(13) 2節 物理的色彩一客観的面と主観的面. 物理的色彩は136節から485節に細分化されたアフォリズムの形で書かれ ており、第9章から第33章に分かれている。物理的色彩について書かれてい る文章の、客観的面と主観的面についての記述部分を中心に考察を試みる。 ここでr色彩論』、 「講述の巻」の構成を示そう。ゲーテは「講述の巻」の 「生理的色彩」と「化学的色彩」の間に「物理的色彩」を編入する。生理的 色彩のところで書かれている色彩のことを主観的色彩について、と考えると 「化学的色彩」のところで書かれている色彩は客観的色彩について書かれた ものだと言える。その間にゲーテは主観的側面を持ちながら客観的にとらえ. る色彩を「物理的色彩」のところで説くのである。136節を引用しよう。 「物理的色彩を現ずるが止めにある物質的媒体(Materielle MitteDを必要 とするものをいうのである。だが、この物質的媒体そのものは無色であって 或いは透明なるもあり、半透明なるもあり、又は全く不透明なるもある。そ れでこのような物質的媒体という一定の外的原因によってこの物理的色彩か 我々の眼の中に作られるか、さもなくして、この色彩が既に何等かの方法で 外界に現ぜられたる場合には、反射して我々の眼に入るかである。余が物理 的に一種の客観性を認めるとしても、この色彩の特色とする所は何といって も移ろい易くしてこれぞと取って押さえられぬことである。」136節でゲー テは、色彩は眼によって知覚されるが、その色彩現象を現わすためには物質 的媒体が必要なものがあると指摘する。物質的媒体が色彩現象に関係すると いうのは光と眼の直接的な関係から導き出された生理的色彩とは違い、光と 眼の間に物質的媒体をはさむことにより現れると説く。当然のこと、物質匿 媒体により現れた色彩は客観性を持つことになる。では、物質的媒体とはと ういうものなのか。ゲーテは「物質的媒体そのものは無色であって、或いCJ 透明なるもあり、半透明なるもあり、又は全く不透明なるもある。」と討匪 する。このことばは光を相当に意識してのことであると考える。物質的媒侮 自体に色彩が現れ、それによって自然が染あられることがあるからである。 例えば、夕日によってあたり一面が朱色に染まるようなことが思い浮かぶ。. ゲーテは、生理的色彩附録の病理的色彩中の132節で次の様なことばを残し ている。 「灰白内障眼に罹った、甚しく混濁した水晶体を通して患者は赤色. の仮象を見る。これが電気で治療されると赤色の仮象は漸次黄色にかわり、. 最後には白色の仮象に変ずる。かくして患者はやっともと通りに外部を認屍 るようになる。これからすると、どうも水晶体の混濁せる状態は、治癒さわ てしだいに透明になって来るらしかった。次篇で「物理的色彩」を詳細に論 究すれば、こんな現象を演繹する事は易々たるものである。」と。特殊な伊1. 11.
(14) としてではあるが、物質的媒体(水晶体)の濁り具合から認められる色彩の 変化を観察し端的に書いている。. 色彩を知覚することは、時間の流れの一瞬一瞬をつなぎ合わせて流れる方 向に、自然という大流が人間を流しているものと考える。同時に、人間にも 自然は時間によって流転していることの証明がなされるのである。物理的色 彩が移ろい易く、これぞと取って押さえられない特色を備えているというの は、人間が時間の流れに添っている限り捕らえられないのである。しかし、. 137節に出てくる「完成せる色彩」、つまり化学的色彩は、物体から色素を. 取り出し、別の物体に色を固定化することが出来るということを1節におい て確かめた。このことは時間を止あた色彩表現を人間が成し得ることを示し ている。これは色彩が生きている自然ではなしに、色素が輝きだす第二の自 然を作りだす力を人間が持っているということに他ならない。ゲーテは序論 での「〔……〕余が色彩論に入ったのは絵画の側、即ち、表面の美的彩色の 側からであるが故に、余が第6編に於いて、色彩の感覚的にして精神的な諸 作用(die sinnlichen und sittlichen Wirkungen der Farbe)を努めて明ら. かならしあた後で、かかる努力によって色彩を芸術的使用の実際に接近せし めんとするならば、余も又画家に対して最大の功労を立てた事になるであろ う。」や、附録の「〔……〕理論的叙述であるこの色彩論綱要が、すぐに絵 画制作の実際に応用されて、その真偽の検討を受け、且又、この理論がすみ やかに展開されん事は、余のもっとも望んで止まぬ所であるが、他面に於い ては、芸術家自身余の正しと考える道を既に歩まれて居るのを見出す事は、 余の欣快に耐えぬ所であらねばならぬ。」と書かれている。色彩論を書くこ とによって物理的基礎を芸術家に伝え、ゲーテの教える色彩世界こそ正しい ものだと説き、それに沿っての表現こそ本当の芸術家だと言い切るのである 論旨が飛躍したように考えられる方もいると思うが、 「物理的色彩」の冒頭. 部分は私にとって思考をめぐらす部分であった。これもゲーテの仕組んだ罠 にはまってしまったといえるだろう。論旨が拡散してしまったが元に戻そう 137節において「無色の平面でも人間の網膜の代りとなり、従ってこの平 面上で客観的な現象を把握し得る」と述べている所は、眼による知覚が無色 の平面においてあらわれる現象を通して、客観的にも認められるということ である。無色の平面に写し出される色彩は絵画空間を成立させる平面と自然 の生きている色彩を思い描くが、後者を指すのである。. 自然の生きている色彩は、生理的色彩とは違い、眼の外に現れるものであ る。よって眼の感覚だけで捉えられるものではなく媒体を介することによっ て知覚され得るのである。色彩は光によって現れるが直接には眼に作用しな い。なぜなら眼の感覚機能を失うからである。この事を再度確かめたうえで 光が媒体を介して現す現象を三様に分ける。. 12.
(15) ①光線反射(katoptrisch)一光が媒体の表面から反射する場合。 ②廻折(paroptisch)現象一画面媒体の縁の所で射入する場合。. ③光線屈折(dioptrisch)一光が透明体を通過する場合. の3種類と、物理的色彩として ④表面的色彩を掲げる。 ①∼④を関係づけると141節から、①は生理的色彩に密接に関連している、 ②は①より生理的色彩との関係を断ち、自立的である。③は物理的色彩その もの。客観的面を持つ。④は外見的ではあるが化学的色彩への過程を示す。 と、いうことがわかる。 「物理的色彩」において多様な色彩現象を現わす様 式について実験による検証が加えられる。. ゲーテは最初に光線屈折について語る。145節から177節までは第一類の 光線屈折、半透明の曇れる媒体を用いると現われる現象について説く。178 節から365節までは第二類の光線屈折、媒体が可能な限り透明である場合に 生ずる現象について説く。. 145節において「空虚な空間」 「透明な媒体」を、146節において「純粋 にして透明な曇り(trUbe)」を客観的色彩現象を認めるうえで必要な概念と して示される。第一類、光線屈折による色彩は、自然界の大気中に現れるの. がほとんどである。148節「経験に即して考察すれば、透明なる媒体そのも のが既に曇れる媒体の第一段階である。これから始まって不透明な白色の媒 体に至る迄の曇れるものの段階は無限である。」から、我々は純粋にして透 明な曇りの存在する環境において色彩を知覚することが出来るということに 外ならない。ゲーテは第一類の屈折の色彩の冒頭において、空虚な空間と透 明な媒体を想定することを迫るのである。この事はゲーテの考える光の神秘 性を保とうとする保守的な姿勢であり、自然の生きた色彩は何らかの働きか けによって現象として知覚できるものになるという考えに他ならないと考え る。ここにゲーテの主観的光の概念と客観的色彩現象のあらわれを確かある ことが出来る。客観的色彩現象のあらわれは、149節において「不透明と云 ふ所まで至らぬ曇りのどの段階のものをつかまえても、これを明及び暗に関 係せしむるならば、単純にして、しかも重大なる現象があたえられる。」と 強調する。生理的色彩において確認できた明と暗の分極性は、物理的色彩に おいても色彩やかに現象として確かめられるのである。例えば、太陽の光を 曇れる媒体も通して見ると黄色に見える。更に媒体の厚味を増すと榿色から 真紅色にまで高まる昂進を認めるのである。明の場合を示したが、暗の場合 も同様に昂進を確かめることが出来る。差し込む光に照らされた曇った媒体 を通して闇を見ると青い色が現れる。曇りを増すと明るく淡く変化し、曇り. が透明に近くなると計時として知覚出来るのである。ゲーテは152節におい て以下のように説明する。 rこのような現象は、上に述べた通りに、人間の 眼の中にあらわれるが故に主観的と呼ばれ得るけれども、我々は客観的現象. 13.
(16) によってもこの事を更に確かめねばならぬ。と申すそのわけは光が曇らされ ると外にあるものを黄色に、丈長に、或いは深紅色に染めて見せるし、又、 闇が曇れる媒体を通してあらわす現象は光の場合ほど強烈ではないにしても 青空は暗箱の中では白い紙の上にあらゆる他のまとまりのある色彩と並んで くっきりとあらわれるからである。」と。. 次に、私は具体的にゲーテの考える曇れる媒体を併記する。154節から. 158節では霜について、i59節一蝋燭の炎の下部に発生する蒸気、160節一. 煙、161節から164節一濁った水溶液、165節一宝石、166節から169節一 曇ったガラス、170節一羊皮紙、171節一灰白内障眼にかかった水晶体。そ して最後の172節において瞬間的曇りについても記す。絵に描かれた天鳶絨 のガウンを水拭きすることによって、フラシテンのガウンに色が変わってし まったことを書いている。曇れる媒体の気体、液体、固体の三様において、 それぞれに色彩があらわれると説く。. 154節から172節の経験することで知覚される事柄は、経験的な標題 (allgemeine empirische Rubriken)で包括され、その経験的な標題も学的な. 標題(wissenschaftliche Rubriken)の下位に置かれる。しかし、学的な標題 も根本現象(Urphanomen)の下に従属している物だと説く。. 根本現象とは高次の法則であり、言葉や仮説では説明できないもので、現 象を通して直観に啓示されると説く。これを解き明かすのは、光、即ち明き ものと、闇、即ち暗きものとの対立から知覚される諸現象の統合を計り、総 合して根本現象の存在を知ることであるのだろう。自然科学の誤りは派生的 現象を上位に置き、根本現象を下位に置き、そればかりではなく、派生的現 象の複雑なものを単純なものと解釈し、単純なものを複雑なものと認めるこ とである。この本末鼻血(Hinterstzuv6rderst)のために科学は正しく導かれ ていないと説く。. 177節においてゲーテは自然科学者への提言として、人間に許された観照 において根本現象を確かめ、直観の限界を認めることで現在における錯綜と 混乱に悩まされなくなると説く。哲学者に対して全き自然を研究対象にする と、自然の中からは貴重な素材が見出せると説く。変化に富んだ表情を持ち 常に移ろう現象を表わす自然は、観照したり、我々を思索に引き込んだりす る魅力のある色彩世界でありっづける。この提言も、根本現象によって自分 自身の存在を確認させてくれる自然に対する讃美の気持ちの表われである。. 第二類の屈折の色彩は、透明な媒体の中の現われる色彩のことである。経 験上透明なものはすでに曇りを帯びていることがわかる。そのことは、透明 な媒体といわれているものの量を増すと曇ることで示される。. 179節において光線屈折によっておこる現象を観察の対象とすることを示 す。 rだが透明なる媒体に話を移すけれども余は先づ透明なる媒体の中に多. 14.
(17) 少は内在する曇りには一切触れないで置こう。そして透明なる媒体の中に現 われる現象に全注意を向けよう。これは光線屈折(Refraktion)の術語で知ら れるものである。」と。 180節を引用する。 「世人が在来、幻視(AugefitauschUfi9)と名づけ勝ちで. あったものは、実は寸分の狂いもなく作用する健全なる眼の活動であると、. 生理的色彩を述べた折に既にこれを辮護しておいた。此処で又人間の感覚の 名誉のために、即ち人間の感覚は信頼し得るものである事を讃明するために、 余は若干の言葉を述べねばならぬ破目に遭遇して居る。」. 生理的色彩は感官において知覚される現象は常に真実であり、根本現象に おいて経験的知覚であった。光線屈折においても人間感覚の錯覚が引き起こ す現象と捉えられ易い為に若干の言葉を必要とすることを断る。ゲーテのい う感覚は誤らないという信念が書かせているのだと考える。 高節、181節を引用しよう。 「現実の世界全体では一般的に云って対象相. 互の間の関係と云うものが大切である。併しながら取り分け大切なのは地上 に棲む最重大なる対象即ち人間と他の対象との関係である。この関係によっ て現実の世界は二分される。即ち人間は主観として客観に対峙するのである 主観と客観との対峙のこの世界では実際家が経験をあげて奮闘し、思想家は 思弁を食して奮励し、かくして飽く迄も戦い抜くように勧告せられる。両者 のこの闘争は如何なる平和も、亦如何なる仲裁もこれに決着をっけ得ないの である。」. 我々は自然の営みの真実相を洞察することは大切なことであり、自然内存 在としての人間のとれる立場には限界があると考える。客観的に現象として 現われるものでも、自分自身の感覚において確かめられないものは真実では ないと判断する。感覚器官によって知覚された真実は主観的であり得なけれ ばならない。その真実が客観的にも認められるというのは自分にとっての一 瞬一瞬の間違いようのない主観的感覚によって捉えられたものが、他との関 係においても認められることである。人間として共有していける自然を確か めながら形成してゆくことに他ならないと考える。ゲーーテは社会をつくり、. 生活の場を豊かにするための色彩論を形づくりたかったに違いない。. 言い変えれば、信じるところに正しく判断して、何事にも誠実に接するこ とこそ人間としての生き方であると感じ取れる。信じるところとは決して宗 教的なものではなく自分自身であり、自分と外部をつなぐ感覚器官を指すの である。自然は常に我々に対して働きかけているのであり自営的な時間の流 れに存在を現わすものであると考える。. 181,182節を理解しようとして思索の時間を持つことが出来た。この場に 置いてはゲーテの策に嵌まったと言うより、ゲーテの伝えんとするところの 一部を汲み取ったと考えたい。. 15.
(18) 光線屈折をわかりやすい実験装置によって説明する。光線屈折とは直線的 視覚の法則に従って本来見えるべきものが見えないときのことを言う。. 187節「四角の容器をからっぽにして置いて、この中に日の光をはすかい に射し込ませる。云い換えると、容器の底は照らされず、日の光に向かった 側だけが照らされるように対角線的に射し込ませる。次ぎにこの容器に水を 注ぐ。光の容器に対する関係は立ち所に変るであろう。光はそれが射す方向 に向かって後退する。かくして底の一部が、側と同じく照らされるようにな る。かなりに濃い媒体の中に直入せんとするその場所で光はその直線的方向 から逸れて屈折するように見える。だからこの現象も又屈折(Brechling)と呼. ばれたのである。客観的方面からの叙述はこれだけにして置こう。」. p 圃. ミN. 朕. 眼を太陽の代わりにして水槽をのぞくと、点線MNの水面で視線は屈折さ せられて基底の一部を見さされてしまう。この浮き上ったように見える現象 を浮き上り(Hebung)と呼ぶ。. 客観的には屈折現象が見てとれる。主観的には眼で水面をのぞき込むこと で浮き上りを確かあることが出来るのである。以後の実験は本来あるべき所 の物がずらされて見えたり変化させられたりするのを手がかりにして主観的. 実験(Subjektive Versuche)を195節から298節に、客観的実験(Die objektiven Versuche)を303節から349節に書き記す。 主観的実験では屈折する媒体を直接ゲーテが覗き込んで色彩現象を確かめ 屈折による変化を実験によって検証するのである。. 16.
(19) 主観的実験と客観的実験を対照させて表にしてみた。 表中の( )は文節の番号を示す。 主 観 的 面. 色彩現象を伴は ざる屈折. ・屈折作用が現れても色彩. 客 観 的 面 ・色彩現象を現ずる事なく. 現象を認めない事がある。. して、光線屈折が行われる. (195). 。(306). ・大きな水プリズム(Wasse rprisma)を太陽にかざすと. 、これに向かって設けた板 面に於いて上方に屈折して 明るい空間があらわれるが 、この空間の中央部は無色 である。(308). 色彩現象の諸条 件. ・プリズムを通して見る一. ・上記の水プリズムにおけ. っの対象と、相隣接する縁. る実験では、明るい空間の. の所で色彩現象が認められ. 水平面の境界の所には色彩. る。(197). 現象が認められる。(309). ・平面に縁を付けると、こ れを形あるもの(Bild)とい. う。形あるものがプリズム によってずらされる。 (198). ・黒地の上に明るい色の縁. を描き、これを拡大鏡で見 る事によって円周をその中 心から外部に向かって引き 延ばすように見せかけると 、この円にずれが起こる。. このずれの部分が青くなる 。(199). 二二 2一イ参照. 17. ・光を抑制すると色彩があ らわれる。(312).
(20) ・凹面鏡を使って円を収縮. ・凹面鏡を用いて光体を捕. させると円の円周は中心点. 足すれば、拡大されるため. 方向に向かってめりこむよ. に広がる。あらわれるもの. うに見せかけることができ. の縁は青い。(313). る。その時に円周は黄色に. ・操作によって境目が必然. 的に進出して行ってお互い. 見える。(200). に重なり合うと根本現象の 下に色彩が現われる。 (316). ・明るい円盤がそのあるべ. ・暗室に太陽光を一すじ差. き位置からすっかりずらさ. し込ませ、プリズムでこれ. れると、動かされると見せ. を補足するとする。太陽の. かけるその方向に色彩を現. 明るい幻象は直線的に床の. わす。(204). 方には現れないで、垂直に 立てられた板に沿って上部. 画表2一ロ参照. に屈折する。(317). ・四角形aはプリズムによ. ・可成りの大きさの窓の孔. ってab又はadの方向に. を四角に作り、水プリズム. ずらされる場合にはその方. を用いて明るい幻象を作り. 向と平行なる側面には色彩. 、最初は水平と垂直の方向. をあらわさない。acの方. に次ぎには対角線に色彩縁. 向にずらされると四角形の. を認める。現像のずれて行. 4つの側面ともに色彩を表. くその方向に色彩が現われ. わす。(201). る。(321). 画表2一ロ参照 ・プリズムを通して見れば. ・隣接部が平行にずらされ. 形あるものは必然的にずら. るのではなく、重り合うよ. される結果、形あるものが. うにずらすと色彩を認ある. その隣接線を突破して侵入. 。 (322). し、又逆に隣接部の方が形 あるものの上に押しかぶさ るように見せ掛ける。しか し、色彩を現わさない場合. 18.
(21) もある。それは或る形をな. す直線の場合であり、平行 にずらされたために隣接部 と重ならなかったときであ る。(208). 色彩現象増加の. ・形体のずれが増すにつれ. 諸条件. て色彩現象が強く現われる. ・物のずれ方が増すほど色 彩現象も強まる。(323). 。(209). (形体のずれ:色彩現象の. 諸条件で検証しておいた光 線屈折によってずらされた 形体の縁に現われる色彩は 、形体がずらされてその地 の上にかぶさったり、形体 そのものの方向にずらされ ることに依る。). 色彩現象増加の諸条件. ずれ方が増す諸条件. 1.眼が平行媒体に対して斜. 1.平行媒体の上に照射する. あの方向を取る場合。. 光体の方向が可成りにゆが む場合。. 2.媒体が平行でなくなって. 2,媒体の平行的な形が多か. 多少の鋭角をなす場合。. れ少なかれ鋭角的な形に変 わる場合。. 3.媒体の度を強くする場合. 3.媒体の形は平行的でも又. 。平行媒体の体積を増して もよし、直角にならぬ程度. 鋭角的でも構はない。とに かく媒体の度を増す場合。. で鋭角の度を増してもよい. かくすれば、光体が一層強. o. くずらされるからでもあり. 、又質量の性質が共に作用 するからでもある。 4.ずらされるべきものから. 4.あらわれ出でたる色彩現. 屈折媒体を掛けた眼を離す. 象がかなりの距離迄進むほ. 場合。. どに板面を屈折媒体から遠 ざける場合。. 5.化学的性質による場合。. 19. 5。上に挙げたすべての場合.
(22) この性質は硝子に与えられ. に化学的性質が効力を発揮. 、硝子に於いても高められ. する時。(324). る。(210). ・プリズムを用ふれば形体 を甚だしくゆがめる事なく. ・現象の変転する相、(das Werdende das Phanomens). して図形を最高度にずらし. その漸次的に生起する有様. 得る。(211). (seine sukzessive Genes. e)は、我々とは無関係に 叙述されると共に線書で明 瞭に書かれ得る。(325). ・相対立する両端には、正. ※辺(へり)(Saum). 図形をプリズムでずらす. 反対の現象が鋭角をなして. 際に全面にあらわれる色彩. 生ずる。これらの現象はも っと先の方に進んで板面に. ※縁(ふち)(Rand). 図形をプリズムでずらす. うっされると、この角度に. 際に境目の所に停滞する色. 比例して拡大せられる。. 彩の幅は狭い。(212). (328). 画表 5参照 ・明るいものに向かって暗. ・明るいもののほうに暗い. い色の境目をずらして行く. ものが動いて行く動き方と. と、前面にあらはれる幅の. 、逆に明るいものが暗いも. ひろい辺は黄色、境目と共. のの方にずれて行くずれ方. にこれに続く幅の狭い縁は. とがある。(329). 榿色である。暗いものに向 かって明るい色の境目をず らして行くと前方に生ずる. 幅の広い辺は董色でこれに 従う幅のせまい縁は青色で ある。(213). ・図形が大きいとその真中. ・大きな幻象の真中の部分. の部分は無色のままである. は無色のままである。密度. 。これは形なき平面と見な. の少ない媒体や、度の低い. 20.
(23) され、ずらされるがゆがめ. 媒体を用いる場合には、特. られない。しかし、ずれ方. にこうなる。しかし、つい. の増す諸条件の下に黄色い. には相対立する縁辺が触れ. 辺の方が青色の縁の所迄も. 合うに至るが、かかる場合. 達し得る程に図形の幅が狭. には、明るい幻象の真中の. ’いならば、中央の部分は一. 所に緑色があらわれる。(3. 面に色彩でおおわれる。. 30). (214). 耳癖 5参照 ・白紙の上に細長い黒い炉. ・暗いものに対する客観的. の紙片を載せると、この黒. 実験。. の上に三色の辺が反対側の 榿色の縁の所に達する迄に. 大きなプリズムを太陽にか. 拡がるであろう。(215). 紙をプリズムの外側と内側. ざし、まるく切り抜いた厚 に貼って色彩縁や色彩辺を 出現させる。拡大された真 中の所に真紅色が生ずる。 (331). 画表 6参照 ・上記214節の実験では榿. ・331節の実験から目に留. 色・緑色・董色の三間色を 、実験では青色・真紅色・. るものは外側の2色と中央 の色の3色のみに過ぎぬよ. 黄色の三原色を現わす。. うになる。(332). (216). ・216節の現象は固着凝定. ・上述のプリズム現象は固. 的なものとは見なされず、. 着凝定的(fertig und voll. 何時でも変化して増加し、. endet)なものでは断じてな. 且如何様にでもなり得るも. い。プリズムの中から躍り. のと考えられる。ずれ方の. 出てきたものが明るい幻象. 増す諸条件をなくすと消滅. なのである。躍り出た途端. する。(217). は、初富階のプリズム現象 が二色相対峙して認められ るだけに過ぎぬが、次の瞬. 21.
(24) 間にはこれが増大し、 最後. には相対峙して居ったもの. が最も深き融合を瞬ぐるに 至るのである。板面によっ. て補足された現象の切断面 はプリズムからの距離が違 うに従ってその相を異にす る。(334). 予告されし現象. ・以下に述べるような複雑. ・主観的実験に妥当したも. の演繹. な現象を自然愛好者達には. のはすべて客観的実験にも. つきりと判ってもらうため. 妥当する。その事が真実で. に上述した現象からかなり. あるならば、主観的実験も. 単純な現象を演繹する。. 客観的実験も同一なる根源 より演繹されるにずである. (218). o. (335). ・視覚作用一般を問題とす. ・取り扱うものは形あるも. るに当って特に注目するの. のである。発光体である太. は、眼に区切られて眼に映. 陽はプリズムの屈折面の縁. ずるもの、即ち形あるもの. の所で制約を受ける。 太陽. のみ。(219). の現わすものはかかる制限 を受けた従属現象である。 (336). 《 現. 象 》. 主 現 象. 副 現 象. (Primare Bilder). (sekundare Bilder). ○派生的現象. ○根源的現象 (UrsprUnglich). (abgeleitete. Bilder). 眼前の対象によって吾々. 対象が取り除かれても眼. の中に作られる現象。. の中に残留する生理的色. 対象の真実の存在を我々. 彩の仮象、模象に相当す. に保証するもの。. る。. 22.
(25) ○直接的現象. ○間接的現象. (direkte Bilder). (indirekte Bilder). 眼 対象から直接に我々の眼. 反射面から間接的に伝達. に到達する現象。. される光線反射の現象 (Katoptrische Bilder). であり、ときには二重現 象になって現われるとき もある。. ○基本現象. ○従属現象. (Hauptbilder). (Nedenbilder). 二重現象の一種 ・現象として集めた近似せ るものを集成してこそ次第 次第に全体性(Totalitat). つかむことができる。 (228). ・従属現象に承けつがれる. ・太陽の従属現象が強烈で. ものは、もともとの形ばか. しかも輝かしいのは、太陽. りではない。基本現象のそ. が未曾有の強さを持ってい. の他の色々な規定もまた継. るからである。太陽がプリ. がれるのである。基本現象. ズムを通して何らかの対象. とその背景とが裁然と目立. に投射した色彩は強烈な光. つ場合には、色彩を伴う従. を伴うということは、強烈. 属現象もまた極めて強烈に. な原光(Urlicht)を背景と. あらわれる。(235). するからである。(337). ・二重現象や従属現象の特. ・従属現象もまた曇れる媒. 徴は半透明にある。透明な. 体と名づけられ得る。かく. る媒体は全く半透明となる. してかかる従属現象は曇れ. 内的傾向を持ち、その透明・ る媒体の論から導き出され. なる媒体の内部に半透明な る仮象の存在を考えるなら. ば、かかる仮象は直ちに曇. 23. 得る。(338).
(26) れるものと名づけられるで あろう。(238). 色彩現象の減退. ・色彩現象増加の5っの条 件を逆にやって行きさえす ればよい。(243). ・基本現象が、色彩現象の. ・プリズムの方に板面を近. 真中の所に再び現われて頑. つくれば近づけるほど、こ. 張って居る。かくして縁と. の縁辺は狭ばまり、最後に. して又辺としてあらわれる. プリズムの傍では零となる. 従属現象の副的本質はこの 現象によって完全に理解し. 。(340). 得られるのである。(246). 画表 5参照. ・従属現象をあらわす縁と. 辺を好きなように細める事 は我々の思いのままである. 。光線屈折はそのままに残 してもそれがために境目の 所に色彩が現われる事のな いようにするのも我々には 自由自在に出来るのである. 。このような色彩現象は根 源的現象であるはずはない 。もっと単純な現象、つま り曇りの媒介によって光と 闇の根本現象(Urpharomen). から演繹した。その演繹に あたっては副現象の理論と 結びつけたのである。 (247). 屈折によってず. ・白と黒の中間に停滞する. ・曇らされた硝子に太陽光. らされる灰色の. 灰色はボカシ(Halbschatt一. をさし込ませ、硝子を通す. もの. en)の一段階と考える。. と軟らかい光が生じる。こ. (249). の軟らかい光が屈折を受け. 24.
(27) ると微弱な色彩を板面にあ らわす。弱い従属現象が現 われる。(341). ・灰色のものは白地の上に. 置かれた場合よりも黒地の. 上に置かれた方が明るく見 える。黒地の上にある時は 、灰色のものは明るきもの として実物よりも大きく見 え、白地の上にある時は、. 暗いものとなって実物より も小さく見える。(250). ・濃い灰色の従属現象は、. 黒地の上では弱く、白地の 上では弱い。薄い灰色の従 属現象は白地の上では弱く 、黒地の上では強い。 (251). ・濃淡の異る灰色を段階的. にならべる場合、淡いもの から濃いものへとプリズム でずらすと、縁に現われる. 色彩は青色乃至は董色だけ であり、逆に濃いものから. 淡いものへとずらすと、現 わるる色彩は赤色乃至黄色 だけに限る。(253). ・灰色は黒に比べて明るい. ので上部は赤と黄を、下部 は青と董を現わす。灰色は 白色に比べて暗いので上部. の縁は青色と董色を、下部 の縁は、これとは反対に赤. 25.
(28) 色と黄色を呈するのである 。(257). 色彩を有する図. ・プリズムによって生まれ. ・器具としては大きな水プ. 形が屈折によっ. る色彩が観察出来るのは、. リズムを用いるのが都合が. てずらされる場. 有色の平面がこれとは別の. よい。厚紙にいろんな形の. 合. 色彩を有する他の平面から. 孔を切りぬいて、それを水. 縁をへだてて隔離されてい. プリズムの前に当てがう。. る場合に限る。(258). 厚紙の孔に色硝子を取りっ けると色彩現象に応じて客. ・すべての色彩は灰色的性 質(Skieron)を持つ。白よ. り暗く、黒より明るい。 (259). ・プリズムによって色彩を. 有する図形をずらす場合に は従属現象が現われる。従 属現象は一方に於いては青 色乃至は陰萎となってあら われ、反対側では黄色乃至 は榿色を現ずる。従って縁 や辺となってあらわれる従 属現象の色彩が基本現象の 実際の色彩と同じになる事 もあり得ねばならぬが、他. の場合には、基本現象の色 彩は縁や辺となってあらわ れるものとは違うこともあ り得る。色彩が同じ場合で. は従属現象は基本現象と同 じものと認められ、基本現. 象を拡大するように見える 。違う場合では、従属現象 のために基本現象は曇らさ. れ、不明瞭にされ、そのた. 26. 観的な光線屈折の観察が出 来る。(343).
(29) めに縮小する事もあり得る 。(260). ・光線屈折の際に生じる色. ・クラウン硝子を材料とし. (Achromasle)と. 彩は、昔、特別な従属塩原. てこれを切って作った小角. 飴剰色. 因に由来すると考えられて. 度の鋭角プリズムを太陽に. (Hyperchromasi. いた。(285). あて、これに相対しておか. 色消し. れた板面の上方に太陽が屈. e). ・色彩現象は常に光線屈折. 折させられるようにする。. に随伴するものだと確信す. 現われる縁辺の部分の色彩. ると、色彩現象は光線屈折. は、董色とあおいろの部分. とのみ深い関係を持つと見. は上方に、しかも外側にあ. なされた。(286). らわれ、黄色と三色の部分. は下方に、しかも現象の内 ・しかしプリズムによって. 側にあらわれる。(346). ずらされた図形の程度は等 しくても色彩辺は等しくな いという。(288). ・物理的性質が化学的性質. も考慮する必要に迫られる 。(289). ・酸性を帯びると色彩現象. は増し、アルカリ性を帯び ると減少する。(290). 画表 4参照 主観的実験の諸利益、客観. 客観的実験と主観的実験と. 的実験への推移. の結合. ・ゲーテは、光線屈折によ. ・主観的実験と客観的実験. って現われる色彩を上述の. とを結合すれば、あらわれ. 主観的実験の結果、曇れる. る現象は相対立し、且相互. 媒体と二重現象の理論(Leh. に消し合うと云う結論が生. re von der tr〔1ben Mittel. じる。. 27.
(30) n und DoppelbHdern)から. 導き出す。眼で見る、観察. “ 璽・鐙. するという簡単なことから W搬. 導き出せるというのである. b. 、. 陰. 一≒、. B客観的実験はどうしても 太陽の光が必要であり、条. ⊇’、、覧. 、\こく〕・赤. 3蓮. 件が限られてくる。しかし 、主観的実験と客観的実験. ・上図の壁面に向かって客. は優り劣りなく詳しく研究. 観的に投影された太陽の色. されなければならないと説 く。相方の実験は主観、客. 彩現象は凝定的な(fertig). 観の違いがあり、結果は相 対立するように見えてもそ. nveranderhch)でもない。. の諸現象は双方の実験の特 殊性であり、その特殊性こ. れてあらわれるばかりでは なく、元の色彩なき円形と. そ根本現象のあらわれであ. 化する。. ると説く。. 28. 現象や、一一定不変なものω. 観察者の眼には下にずらさ.
(31) @. 脳■\ ×一. 〈g). 鍵■圏 (1s). 謝表策三. 欝表第二. 日表節・.
(32) T『. _二一「] [II.zi. J:”. f−T’一一. f l. xsC. l . 一一一く. ..//VLtf. b. (. /’/ r/. 11. @. r. j. / /. .L. ’ ;/eij. 1.. ia轟121’tiノ{. ’鄙tf.1乏箪ITI. d.
(33) 光線屈折によって生じる色彩を最初に叙述したのは内的必然性と時代の要求 があったからである。内的必然性として考えられるのは長年月の間に鍛え上げ た方法によってゲ…一・テの全経験、そして信念を読者に披歴することである。も. うひとつの時間の要求とはどういうものが考えられるだろうか。この繋ぎの章. では遠巻きに述べられているが、ニュートン光学批判に他ならない。ますます ゲーテの考える光の概念とは違った形を取って成長する物理学に対する人類の 再考を促すために書かれたものに違いない。文中から引用すると、 「〔……〕. ある現象は知れ渡ってる癖にその真価は誤解されており、特に間違った状態に 於いて注目されてきたが、私の講述に於いてはその現象のあるがままの展開の 姿を叙し、且つその現象の真に経験的な秩序を述べると云う事、この事こそ余 の狙ふ第二の目標でなければならなかった。」という寂述から容易に想像でき る。繋ぎの章に於いて準備の整ったゲーテは虎視眈々と狙っていたニュートン. 論駁の旗を掲げるのである。今までの光線屈折によって生まれる色彩の実験に よる検証もそのために息をひそめ、正確に、つけいるスキも無いくらいに慎:重 になされている。. しかし、ニュートンとゲーテの大きな違いは、ニュートンが光は7色から成 るというしっかりした理論を確立したのに対して、ゲーテは一つ一つのものを 観察し、それを集めて、現象としてはあらわれるがことばでは表現出来ないも のを伝えようとしたことにある。現象を認識することは、部分的認識をするこ とでしかないようなものの上にある大きな自然の法則を示そうとしたことであ る。. 次に、光線反射の色彩(katoptrische Farbe)について考察が加えられる。光. 線反射の色彩は光線反射(Reflexion)によって現われる。色彩が現われる必要 条件とは、普通の光とは限らない。強烈な光、限られた光(begrenztes Licht) 即ち光るもの(Lichtbild)が必要であると説く。. 例えば細い鉄線に太陽光をあてると反射する光は一点に集中する。反射する. 小太陽の光は近くで観察すると色彩を伴はないが、少し離れて反射光 (Abglanz)を眺めると色彩を伴った小太陽が見られる。眼鏡をかけてこの現象 を見るとGlanz(輝き)も消えて小さな光点にもどる。この経験は主観的であり 生理的色彩の輝く量と関係があることがわかる。. 客観的方面からの研究も引用しよう。369節「暗箱の扉にうがった適度な孔 の下に白い紙を貼りつける。日の光がこの孔の中に射し込んだら、縫らかした 鉄線を、この白い紙の真向いに置いて、この日の光に当てる。この日の光は鉄 線の輪を限りなく照すであろうが、併しながら一つの中心点に集まると云う事 はない。一切を集中統一する人間の眼球と違う所以である。孔の下に貼りつけ た白い紙は、その面の何処の部分に於いても光の反映を捕まえ得るが故に、こ の白い紙の面上では、太陽の光は一つの中心点を結ばずして、髪の毛筋の形を. 29.
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