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光線屈折によって生じる色彩を最初に叙述したのは内的必然性と時代の要求 があったからである。内的必然性として考えられるのは長年月の間に鍛え上げ た方法によってゲ…一・テの全経験、そして信念を読者に披歴することである。も うひとつの時間の要求とはどういうものが考えられるだろうか。この繋ぎの章 では遠巻きに述べられているが、ニュートン光学批判に他ならない。ますます ゲーテの考える光の概念とは違った形を取って成長する物理学に対する人類の 再考を促すために書かれたものに違いない。文中から引用すると、 「〔……〕
ある現象は知れ渡ってる癖にその真価は誤解されており、特に間違った状態に 於いて注目されてきたが、私の講述に於いてはその現象のあるがままの展開の 姿を叙し、且つその現象の真に経験的な秩序を述べると云う事、この事こそ余 の狙ふ第二の目標でなければならなかった。」という寂述から容易に想像でき る。繋ぎの章に於いて準備の整ったゲーテは虎視眈々と狙っていたニュートン 論駁の旗を掲げるのである。今までの光線屈折によって生まれる色彩の実験に よる検証もそのために息をひそめ、正確に、つけいるスキも無いくらいに慎:重 になされている。
しかし、ニュートンとゲーテの大きな違いは、ニュートンが光は7色から成 るというしっかりした理論を確立したのに対して、ゲーテは一つ一つのものを 観察し、それを集めて、現象としてはあらわれるがことばでは表現出来ないも のを伝えようとしたことにある。現象を認識することは、部分的認識をするこ
とでしかないようなものの上にある大きな自然の法則を示そうとしたことであ
る。
次に、光線反射の色彩(katoptrische Farbe)について考察が加えられる。光 線反射の色彩は光線反射(Reflexion)によって現われる。色彩が現われる必要 条件とは、普通の光とは限らない。強烈な光、限られた光(begrenztes Licht)
即ち光るもの(Lichtbild)が必要であると説く。
例えば細い鉄線に太陽光をあてると反射する光は一点に集中する。反射する 小太陽の光は近くで観察すると色彩を伴はないが、少し離れて反射光
(Abglanz)を眺めると色彩を伴った小太陽が見られる。眼鏡をかけてこの現象 を見るとGlanz(輝き)も消えて小さな光点にもどる。この経験は主観的であり 生理的色彩の輝く量と関係があることがわかる。
客観的方面からの研究も引用しよう。369節「暗箱の扉にうがった適度な孔 の下に白い紙を貼りつける。日の光がこの孔の中に射し込んだら、縫らかした 鉄線を、この白い紙の真向いに置いて、この日の光に当てる。この日の光は鉄 線の輪を限りなく照すであろうが、併しながら一つの中心点に集まると云う事 はない。一切を集中統一する人間の眼球と違う所以である。孔の下に貼りつけ た白い紙は、その面の何処の部分に於いても光の反映を捕まえ得るが故に、こ の白い紙の面上では、太陽の光は一つの中心点を結ばずして、髪の毛筋の形を
し、しかも色とりどりな線となってうつるのである。」
また、明と暗の交錯(Abwechselung des Dunkeln und Hellen)が反射の時に 起こると光線反射の色彩が現われるという。光を反射するものの表面の細い線 のキズ、尖った稜、微妙な点が原因として考えられる。上記の三つの原因によ
る光の制限と、照らす鮮かな光が必要条件と考えられる。
光線反射の色彩として現われるものには客観的量としてあらわれるものもあ る。この色彩は光線屈折とも関係あるものである。例えば383節を引用しよう
「軽い霧が大気の中に充満するがために、太陽のまわりの空が白く輝いてる場 合、または竈や雲が月のまわりに浮かんで居る場合には、日輪や月輪の姿はこ れらの竈や雲の中に反映する。かかる場合に我々の眺める量は一重である事も あり二重になってる事もあり大小も様々で有るが稀には非常に大きい。無色で ある事は度々であるが色彩を帯びる事も間々ある。」と生理的色彩の主観的量 で確かめられた客観的量の理論が知識だけにとどまらず、自然現象にあてはめ て見ることでより完壁さを求めている。
次に光線廻折によって現われる色彩について考察を試みている。廻折的色彩 は物体の縁の所で物体の方へ射心することで現われるが、そのたあには条件が 必要だと説く。太陽が歩く人の陰を作る場合、作る陰の中、又は陰に沿って色 彩を認めることが出来る。
自分の陰のくっきりと現われるのは足元の方で頭の方は陽光になだらかに融 け込んでしまう。太陽の光は一点からの放射ではなく太陽のあらゆる点からの 放射であるから、客観的視差(Parallaxe)が生まれる。この視差の為に、物体 の両面においてぼかし(Halbschatten)が現われる。
401節「そんなわけであるから、経験に於いては平行光線だとか、光線束だ とか云うような仮定的なものを取り上げて、これを正しいとせぬよう自戒せね ばならぬ課も又このような実験で充分にわかるのである。」402節「太陽の輝 きや燭の証明はむしろ、はてしなく反射する有限の光であると考えられる。太 陽の差し込む孔を四角に切って、これの大小に応じて適宜に離せば、必ず円形 の現象を現わすと云う事も恐らくは此処から推論される。」
401節402節に記されているものは、太陽や燭を光源として考えた場合、光 というものは直接に平行光線や、光線束で地球を照らすものではなしに発光体 から離れた瞬間に放射状にいろいろな方向に飛んでいくもの「だと考える原子論 的見解を示している。発光体から離れた瞬間はその様に考えられても空虚な空 間でさえもゲーテは一歩踏み込めば曇りの存在を認めるという。よって果てし なく反射する有限の光と考えのおよぶことももっともなことだと考えられる。
こうしてゲーテにとっての光は、色彩を伴う生きているような存在として形成 されるのである。
414節から廻折的色彩に随伴する現象をぼかしの理論と網膜の生理的機能の
理論からの演繹を試みる。417節を引用する。 「主観的な廻折的色彩は、一部 は生理的色彩と結合し、一部は屈折の色彩の第二類と密接な関係を持して居る。
従って主観的な廻折的色彩と名づけられるものは殆どないように見える。そう 云う繹であるからこの色彩の極く僅かだけを挙げるに止めよう。もっとも仔細 に見ればこの色彩・はr色彩論』全体とその構成をわからしてくれるものではあ るが。」から眼の中で意識されずに機能していることが廻折的色彩として現れ ているのである。よってこの主観的な廻折的色彩は生理的色彩と光線屈折の色 彩・第二類で演繹されたことからすぐに導き出せるというのである。ゲーテは 物理的色彩の最後に化学的色彩と密接に関係する表面的色彩(Epoptische Farbe)を置く。移ろい易い色彩として捉えるのは従来通りだが、或る状態で は固着するために現象をあらわした条件を取り除いても存続する色彩のことだ
と説く。
表面的色彩は431節において7っの条件の下において現われると記している。
引用してみると
「第1の条件 透明なる固体の2つの滑かなる両面の接触。
その1 硝子塊、硝子板、レンズが相互いに圧し合ふ場合。
その2 固い硝子塊や水晶塊、或いは氷塊の内部に亀裂が生じる場合 その3 透明なる鉱石の薄板が剥離する場合。
第2の条件 硝子面或いは磨かれた鉱石に息吹をかける場合。
第3の条件 第1の条件と第2の条件との結合。
即ち硝子板に息をかけ、この上にもう一枚の硝子板を載せてぎ ゅつと圧して色彩をあらわし、次にこの硝子を動かす。こうす れば色彩はこれに従って動き曇り(Hauch)がなくなるとともに 消滅する。
第4の条件 石けん、チョコレート、麦酒、葡萄酒などの色々の液体の泡。
小さな硝子泡。
第5の条件 鉱物質の溶液の微妙な薄膜、石灰溶液の薄膜、澱める水の表面、
特に鉄分を含んだ水の表面、同様に水の表面に浮いている油の 薄膜、特に硝酸の上に浮かんでいる假漆のなす薄膜。
第6の条件 金属の威せられる場合。鉄その他の金属にかかる曇り。
(Anlaufen)
第7の条件 硝子の表面が腐食される場合。」になる。
第1の条件の下に現われる色彩はいかに滑らかな媒体の接触といえども二つ を密着して100%の透明度を示す部分では色彩は現われない。緩かな結合をす
る部分や場合において極めて微かに曇りが生まれ、そこに色彩が現れると説く。
掛かる圧の違いによって曇りの生じたところに色彩が発生するのである。
第2の条件では息を吹きかけるとすぐに硝子の表面に色彩が現われ、息の曇 りが消えかけると漸次現われる所を変え、曇りがなくなり、もとの硝子表面に もどると色は消えてしまうと説く。息、つまり硝子面につく水蒸気と関係する 色彩である。
第3の条件の下に現われる色彩は第1、第2の条件の下に現われる色彩の範 囲を越えることはない。圧の変化と意図的に作り出した水蒸気による曇りとい
う複雑な条件においても色彩が現れるということである。
第4の条件の下に現われる色彩は泡をふくらませる内部の空気と外気との問 にはさまれた薄い膜に現われる。泡の表面は常に変化しているために色彩は留 まる所を知らない。
第5の条件の下に現われる色彩は水平上に浮かぶ薄膜の表面にも現われる。
第1から第5の条件の下に現われる色彩においては移ろい易い色彩といえる。
しかし、第6の条件の下に現われる色彩。金属が塾せられた時に現われるも のは次々に色彩が変化し、加熱を止めるとその時の色で固定することが出来る。
化学的色彩へのさわりの叙述と思われる。 第7の条件の下に現われる色彩は 硝子の表面が腐食され曇りと同じ現象が現われる。表面の腐食の度合いによっ て白色、青味がかった、緑色の硝子と曇りの度合いが少なくなってくるという。
第一類の屈折、166章の光の屈折によって色が変化する場合もあるが、硝子自 身の中の曇りの度合いによって固定される色彩についてここでは述べている。
物理的色彩においては、485節を除いて概要を私に捉把出来る範囲でまとめ てみた。それでは485節にはどの様な事が書かれているのだろうか。私はこの 節において二つの重大な事が書かれていると思う。一つは、色彩は曇れる媒体 を認めてこそ知覚出来るものであるということ。それも光の特性ではなしに和 かな曇り(TrUbe)によって現れるということである。もう一つは考えられる限
りの色彩現象を系統立てて記述してきたが、最後にこの現象一切を統括する公 式を導き出す手だての一助になることこそゲーテの意図する所だと説く。ゲー テは知識として現象を捉えるのは書かれたことで理解してもらいたいのと同時 に、その背後にある言葉では言い表わせないものを感じて欲しかったのに違い ない。私は.この場所においてゲーテから直観したことを確かめる時間を与えら れたのである。