国立銀行の再検討 : 発券と預金を中心に
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(2) . 枚挙にいとまがない.また,福岡銀行行史編纂. 立銀行券の役割については,いまだ十分な検討. 室編『第十七国立銀行史料』のように,地方銀. がなされたとはいいがたい状況である 4).. 行が史料を翻刻していることもあり,広く一般. ところで,先に示した本稿の諸課題に本格的. の関心を惹きつける歴史的テーマであるといっ. に答えるには,設立が許可された 153 行すべて. て間違いないだろう.. の国立銀行を個別的に分析した上で,分析結果. 本稿と直接関連する先行研究としては,原司. を統合する必要があるが,それは他日を期する. 郎(1965)があげられる.同書の第六章「国立. こととし,本稿では,第十五国立銀行を除いた. 銀行の預金銀行への転形」では,横浜第二およ. 全国国立銀行の主要勘定およびいくつかの個別. び第七十四国立銀行の負債・資本勘定が分析さ. 行の主要勘定を利用することで,まずは全体的. れているが,その中で「最後に発行紙幣である. な傾向を把握し,序説的検討を行うにとどめた. が,明治十六以降の「紙幣銷却法」により順次. い.. 銷却されねばならなかったわけであるが,当期 (1884 ∼ 1889 年―筆者注) においては,なお高. 2.国立銀行と発券. い流通量を示しており,これのもつ意味もまた. (1)旧国立銀行条例下での発券. 軽視することができない」(p.137) という指摘. 1872 年(明治 5)11 月 15 日に制定された国. がなされている点は興味深い.しかし,残念な. 立銀行条例(太政官布告第 349 号,以下,旧条例. がら,二行の発券に関する具体的な分析は行わ. と略す)では,各国立銀行による発券が認めら. れていない.. れていた.旧条例制定の経緯については『明治. 基本的に,先行研究は個別行ベースのものが. 財政史』(第 13 巻) に詳しいが, 「臣頃日合衆. 中心であるせいか 3),国立銀行の出資者(商人. 國國債償消法及ヒ紙幣條例等ノ書ヲ繙閲シテ. 資本か華族・士族資本か),貸出行動(貸付先の. 其ノ方法簡便事理適實ニ官民共ニ権利ヲ保存. ,明治政府と 職業別分析や貸付担保種類の分析). シ相ヒ行ハレテ相ヒ悖ラサルノ制ヲ略知ス…. の関係(官公預金や国債投資) や預金の内訳分. 冀クハ臣ニ數月ノ暇ヲ給シ合衆國ニ渡航シ…」. 析(当座預金か定期預金か) に,問題関心が集. と,伊藤博文がアメリカ流の分権的な National. 中する傾向にあった.国立銀行システムの一大. Banking System を強く推したことが大きい 5).. 特色である発券面(特に,国立銀行条例改正後や. 資本金の 60%まで公債証書での出資を認める. 日本銀行設立後における国立銀行券の役割)につ. いては,これまであまりフォーカスされてこな かったように思われる.もちろん,国立銀行条 例制定当初の国立銀行券に対して兌換請求が相 次ぎ,あまり流通しなかったことはよく知られ ているが,国立銀行条例の改正以降における国. 2)群馬県史編さん委員会編(1989)pp.343-366. 3)杉山和雄(1965)は, 『銀行局年報』に基づいて, 全国国立銀行の統計的考察を行っているが,資料 の制約から府県別の分析にとどまっており,銀行 別の分析はなされていない.また,発券と官公預 金とのバーター的性格が明らかにされているが(同 pp.8-12),1881 年末時点の静態的分析にとどまって おり,日本銀行設立後の動態的変化については明 らかでない.. 4)国立銀行条例の改正と関わって,正貨兌換主 義と紙幣兌換主義が対立したという把握が代表的 である.例えば,岡田俊平(1975)pp.237-250.お そらくそのような理解の仕方が一般的なため,国 立銀行条例の改正以降における不換紙幣化した国 立銀行券の役割については,これまでの研究では 看過されてきたのだろう. 5) 明 治 財 政 史 編 纂 會 編(1905b)pp.17-18. な お,伊藤の主張は,吉田清成のイギリス流の銀行 システム移植と対立したことは有名である.しか し,アメリカ流をベースとしつつも,「 (明治四年) 十一月ニ及ヒ國立銀行論者ハ其主張ニ係ル紙幣兌 換主義ヲ改メテ正貨兌換ト為スコトヲ諾シ又金券 銀行論者ハ公債證書ヲ抵當トシテ銀行紙幣ヲ發行 スル計畫ニ對スル攻撃ヲ控ヘ即共ニ一歩ヲ反對論 者ニ譲リテ兩者ノ議漸ク調和スルコトヲ得タリ」 と,両案の折衷が行われた点には留意すべきであ る.明治財政史編纂會編(1905b)pp.27-29..
(3) . (第六条第二・三節)ことで公債価格の維持を図. たが,聞き入れられなかった.代わりに,同年. り,正貨兌換券の発券(第六条第四節) によっ. 末に政府貸下金(第四国立銀行の場合,6 万円). て不換紙幣の償却を進めることを狙っていたの. を受けることができ,経営不振を切り抜けられ. である.. た 9).この段階では,明治政府は近代的紙幣制. そこで,旧条例では,正貨兌換券である国立. 度の確立を優先していたのだろう.. 銀行券の引換準備として 40%の本位貨幣によ. しかしながら,ちょうどこの時期に進められ. る出資を要求していた(第六条第五節).ところ. ていた「政治上ノ事由」(秩禄処分)によって,. で,新貨条例制定後の 1871 年 10 月, 「三井組. 明治政府は方針を転換せざるをえなくなる 10).. ノ名義ヲ借リテ」発行された大蔵省兌換証券は,. 1876 年 8 月,華士族の家禄等を廃止する代わ. 明治政府の「国庫窮乏」のため,正貨兌換から. りに 1 億 7 千万円もの金禄公債証書を交付する. 紙幣兌換へと変更されてしまっていた 6).国立. 秩禄処分によって,中下級士族による公債の売. 銀行制度の創出を通じて,明治政府は近代的紙. 却とそれに伴う公債価格の暴落が予想された.. 幣制度の確立 7)を今度こそ達成しようと目論ん. また,禄を失った中下級士族への授産も課題と. でいたとみてよいだろう.国立銀行券の発券総. なっていた.こうして,秩禄処分にあわせて旧. 額は,旧条例第二十一条第一節において 1 億円. 条例は改正されることとなり,国立銀行券の兌. と定められた. 換規定および正貨準備規定は廃止された.. ことからも,明治政府の期待の. 8). 高さが窺われる. もっとも,この正貨準備規定がネックとなっ. (2)改正国立銀行条例下での発券. て,国立銀行の設立はわずか 4 行しか,旧条例. 1876 年(明治 9)8 月 1 日に改正された国立. 下では実現しなかったことは,よく知られてい. 銀行条例(太政官布告第 106 号,以下,改正条例. る.紙幣の信用を高めるはずの兌換規定が,か. と略す)では,公債証書での出資限度が資本金. えって国立銀行から貸付を受けた(国立銀行券. の 80%まで引き上げられ(第十八条),残りの. を受け取った)商人からの激しい兌換請求に帰. 20%は(正貨ではなく)「通貨」(政府紙幣)準備. 結したのである.例えば,新潟第四国立銀行で. (第二十条) で構わなくなった.正貨準備規定. は 12 万円の発行限度額(資本金 20 万円の 60%). が廃止されたことで,銀行設立は著しく容易化. があったが,そのほとんどが兌換請求にあい,. された.加えて,公債による出資幅が引き上げ. 1875 年(明治 8)上期末時点での同行銀行券流. られたことで士族も出資しやすくなり,銀行株. 通高はわずか 1 万 6 千円に過ぎなかった.他行. 主や役員・行員として銀行と関わる道も開かれ. も同様の状況で,資金不足による経営難に陥っ. ることとなった.もっとも,国立銀行の多くは. ていたようである.明治 8 年 3 月には,東京第. 商人資本が中心的であり,士族は小口資金の融. 一,横浜第二,新潟第四,大阪第五国立銀行が. 通を受けるというパターンであったように思わ. 連名で,明治政府に正貨兌換規定の廃止を求め. れる. 折からの西南戦争に伴う資金需要の増大 11) もあいまって,銀行設立は一挙に進んだ.近代. 6)明治財政史編纂會編(1905a)pp.48-49, 60-61. 7)1871 年 5 月の新貨条例によって,近代的貨 幣制度はひとまず確立された.しかし,不換紙幣 から正貨兌換紙幣への転換は困難に直面していた. 例えば,大蔵省兌換証券は発券からわずか 5 ヶ月 間で当初発行総額 680 万円のうち 150 万円が兌換 請求されるという有様であった.明治財政史編纂 會編(1905a)p.6. 8)明治財政史編纂會編(1905b)p.54.. 的紙幣制度の確立を一旦諦めたことによって, 近代的銀行制度が一挙に普及するドライバーと. 9)第四銀行企画部行史編集室編(1974)pp.60, 68. 10)明治財政史編纂會編(1905b)pp.112-113. 11)邉英治(2008)pp.62-66..
(4) . 表1 国立銀行の資本金・発券総額の府県別割当高 (千円). 府県名 鹿児島 熊本 大分 福岡 長崎 高知 愛媛 山口 岡山 広島 島根 大阪 兵庫 堺 和歌山 京都 滋賀 三重 愛知 岐阜 静岡 山梨. 資本金 390 350 250 370 400 390 450 240 370 370 360 2,000 500 390 210 250 320 340 470 290 350 130. 銀行紙幣 312 280 200 296 320 312 360 192 296 296 288 1,600 400 312 168 200 256 272 376 232 280 104. 府県名 石川 長野 新潟 東京 神奈川 埼玉 群馬 栃木 千葉 茨城 福島 宮城 岩手 青森 秋田 山形 開拓使 小計 (その他) 余裕分 華族銀行 合計. 資本金 600 320 480 5,000 1,000 330 280 200 420 290 270 180 170 150 180 230 70 19,360. 銀行紙幣 480 256 384 4,000 800 264 224 160 336 232 216 144 136 120 144 184 56 15,488. 2,840 17,800 40,000. 2,272 16,661 34,421. 出典)明治財政史編纂會編(1905b)pp.223-227. 注)堺県は和泉国・河内国を管轄するが,1876 年奈良県(大和国)を合併し,1881 年大阪府に合併された.なお, 1887 年奈良県は大阪府より分割・再設置されている.開拓使は旧北海道開拓使,華族銀行は第十五国立銀行を指す.. なったのである.近代的銀行業が急速に普及し. 定を改正条例に設けた. 始めた点は,おそらく明治政府にとってうれし. 百五十三国立銀行をもって,国立銀行の設立は. .最終的に,京都第. 13). い誤算だったであろう.しかしながら,国立銀. 打ち切られた.. 行の設立に伴い,今度は不換紙幣化した国立銀. ここで,注目されるのは,資本金総額規制・. 行券の過剰発券の恐れが出てきた.1877 年(明. 発券総額規制が「各地方ノ商況」に応じて割り. 治 10)11 月 17 日,大蔵省銀行課長岩崎小二郎. 当てられたことである(表1).例えば,関東. は「國立銀行ハ紙幣發行ノ特権ヲ有スルモノニ. 地方(資本金総額上限)について, 東京 500 万円,. シテ濫リニ之カ開業ヲ許可スヘカラス」と建議. 神奈川 100 万円,千葉 42 万円,埼玉 33 万円,. した.これを受けて大隈重信大蔵卿は, 「國立. 茨城 29 万円,群馬 28 万円,栃木 20 万円とそ. 銀行ハ各自紙幣ヲ發行セシメ候モノニ付能ク其. れぞれ定められている.具体的な規制の設定・. 流融ノ度ヲ量リ豫シメ其發行額ヲ制限セサル. 運用方法については,各府県の人口と租税高に. トキハ遂ニ如何ナル弊害ヲ醸成スルモ難測就 テハ差向資本金四千萬圓ヲ標準トシ…」と,同 月 29 日太政官に稟議した 12).同年 12 月 12 日, 明治政府は,太政官布告第 83 号によって,全 国国立銀行の総資本金額 4,000 万円・総発券額 3,442 万円を目安にその設立を規制する追加規. 12) 明 治 財 政 史 編 纂 會 編(1905b)pp.221-228. 旧条例第二十一条第一節において定められた総発 券額1億円という規制は,改正条例において削除 されたようである. 13)明治財政史編纂會編(1905b)p.227..
(5) . 応じた制限の目安を作った上で,資本金額を大. ことは困難であった.結果的に,資本金総額規. 蔵省によって「適宜ニ節減セシメ」 ,なるべく. 制は,日本銀行の設立とあいまって,国立銀行. 不便が生じないよう配慮されることとなってい. の資金源泉の預金へのシフトをもたらすことと. た.「商業物産」や「地方ノ便否」を考慮した. なる.. 理由として,明治政府は,画一的に国立銀行の. なお, 明治政府は, (全ての国立銀行ではないが). 設立を突如規制すると,各地方発起人の「迷惑」. 各国立銀行に箔をつけるため,御用為替方に任. となるし, 「公平至當」に欠くとしている 14).. 命した.例えば,尾張徳川家と伊藤次郎左衞. なお,発券額は資本金額の 80%が上限だった. 門らによって設立された名古屋第十一国立銀行. が,第十五国立銀行は「特別ヲ以テ資本高九割. は,既に伊藤家が為替方を務めており,その必. 以上ノ銀行紙幣ヲ発行スルコトヲ許可」されて. 要性が必ずしもなかったにもかかわらず, 「(明. いた.. 治)十年第八国立銀行第十一国立銀行順々開業. ところで,全国国立銀行の総資本金額 4,000. 候処我邦ニテハ銀行ノ名称最モ初発ノ儀ニテ嘗. 万円・総発券額 3,442 万円を目安とする上限規. テ公布相成タル該紙幣ト雖モ見聞ノ不慣ヨリシ. 制が設けられたことは,国立銀行券に大きな信. テ疑惑ヲ抱キシ程ノ折柄下民ノ信憑ヲ固確セシ. 用を付与することになった.すなわち,国立銀. メ度趣」で,御用為替方に任命されている 18).. 行券は不換紙幣にはなったものの,発券総額が. 最後に,全国国立銀行の主要勘定の推移をみ. 規制されている(濫発の恐れがない) という意. よう(表2).改正条例を受けて,資本金額は. 味で,政府紙幣と比べても相対的に信用できる. 1879 年末に 4,000 万円を突破し,設立打切りを. 紙幣となったのである. 受け,1882 ∼ 86 年に 4,400 万円でひとまず落. .. 15). 他方で,この資本金総額規制によって,国立. ち着いている.発行紙幣(残高) については,. 銀行は単独増資を実施することがほとんど不可. 1880 年末に 3,400 万円のピークをつけたが,日. 能となった.特に,第十五国立銀行の資本金. 本銀行設立を受けて 1884 年以降明確な減少傾. は 1,780 万円,第一国立銀行の資本金は 150 万. 向に転じ,毎年 100 万円のペースで消却が進ん. 円(1876 年上期末∼) であったから,残された. でいる.もっとも,1890 年末においても 2,500. 約 2,000 万円の資本金額の枠を 151 行で取り合. 万円もあるから,消却のペースはかなりゆっ. うという状況(1 行あたり単純平均で約 13 万円). くりとしたものであったことがわかる.総預金. であった.いくつかの国立銀行は合併. によっ. 16). 額(残高)については,1879 年末に 1,600 万円,. て資本金額の増加を図った 17) ものの,合併だ. 発券がピークに達した翌年(1881 年)末に 1,900. けで総資本金額のパイが増えるわけではないか. 万円,日本銀行設立の翌年(1883 年)末に 2,400. ら,根本的にみて,増大する資金需要に応える. 万円,第一次企業勃興が始まった 1886 年末に 3,200 万円と,明治政府の規制・政策および景. 14)明治財政史編纂會編(1905b)pp.222-223. 15)銀兌換券である日本銀行券でさえも,大蔵 省兌換証券と同じ論理で,明治政府の財政状況に よっては,不換紙幣化する可能性は否定できなか った.1888 年 8 月の兌換銀行券条例の改正以前は, 日本銀行券の発行限度額は大蔵卿(大臣)の裁量 に委ねられていたし,改正以降も制限外発行が可 能な仕組みとなっていた. 16)国立銀行の合併については,15 件の事例に ついて,史料からその具体的内容を知ることがで きる.『松尾臣善関係文書』所収(日本銀行調査局 編(1958)を参照した).. 気状況に対応した動向を示している.総貸出 額(残高)については,大隈インフレ期に著増. 17)例えば,名古屋第百三十四国立銀行は,経 営不振に陥った豊橋第八国立銀行を吸収合併した. 名古屋第百三十四国立銀行「合併勘定説明書 附 合併後損益清算書」(1886 年 5 月)愛知県史編さん 委員会編(2013)pp.475-479. 18)愛知県「百三十四・百三十六銀行為替方願」 (1879 年 8 月 29 日)『為換方書類綴 明治九−十二 年』愛知県史編さん委員会編(2013)pp.396-400..
(6) . 表2 全国国立銀行の主要勘定の推移(1877 ∼ 90 年) (千円). 年 1877 1878 1879 1880 1881 1882 1883 1884 1885 1886 1887 1888 1889 1890. 払込資本金 22,986 33,596 40,616 43,041 43,886 44,206 44,386 44,536 44,456 44,416 45,839 46,878 47,681 48,645. 積立金 137 378 972 1,665 2,717 3,830 4,260 4,677 5,130 5,489 6,020 7,751 9,610 12,461. 総預金 4,507 8,067 16,227 14,916 19,584 19,715 24,223 20,371 27,477 32,360 33,439 35,585 36,429 33,598. 総貸出 14,279 26,673 39,520 41,009 49,290 47,535 42,485 45,954 43,194 45,424 55,167 59,405 68,239 81,697. 発行紙幣 13,353 26,279 34,046 34,426 34,397 34,213 34,093 30,914 30,093 29,455 28,566 27,646 26,710 25,785. 出典)後藤新一(1970)pp.44-45. 注)各年 12 月末時点の残高.. して 1881 年末には 5 千万円の大台に迫ったが, 松方デフレ期に低迷して 1885 年末に 4,300 万. 主要勘定の推移から簡単に確認しておきたい (表3).. 円となり,第一次企業勃興の中で激しい増加に. 資本金額は 1,782 万円で推移しているが,こ. 転じ,1890 年末に 8,100 万円を超えたように,. れは第一国立銀行の資本金額が 250 万円(1876. 基本的に景気状況を反映した動きとなってい. 年の減資後は 150 万円) であったことを考えて. る.. みても,第十五国立銀行が巨大な国立銀行で あったことを示している.総貸出額(残高)は,. (3)西南戦争と第十五国立銀行による発券. 西南戦争を受けて御用貸付が 1,500 万円を超え. 周知のように,1877 年(明治 10)2 月に勃発. たことに対応して 1878 年末には 1,600 万円近. した西南戦争の戦費は,約 4,200 万円と莫大で. くに達している.1883 年末に御用貸付が 1,000. あった.この巨額の戦費は,2,700 万円の政府. 万円に減少したことと連動して 1,200 万円に一. 紙幣の発行と 1,500 万円の第十五国立銀行によ. 旦減少し,1886 年末までその水準で推移した.. る「貸上金」(御用貸付金)によってまかなわれ. 産業革命期に入って人民貸付が急増して 1890. た.この御用貸付は,1,500 万円の銀行券発券. 年末には 1 千万円を突破,総貸出は 2,200 万円. を意味していたから,第十五国立銀行券が国立. まで増加した.このように総貸出残高が 1 千万. 銀行券のマジョリティとなることを意味してい. 円を下回ることはなかった第十五国立銀行だ. たともいえる.. が,一方で預金額は極端に小さかった.同行の. 東京第十五国立銀行の設立の経緯や概要につ. 総預金額(残高)は,1879 年末にゼロ,御用貸. いては,三井銀行八十年史編纂委員会編(1957),. 付が 1 千万円に減少した 1883 年末に 85 万円,. 戸原四郎(1963)などに譲りたい.先にみたよ. 産業革命期に入った 1888 年末ですら 124 万円. うに,第十五国立銀行は資本金の 90%以上の. ときわめて低調である.1,500 万円を超える巨. 発券を「特別ヲ以テ」認められていたが,ここ. 額の発券額と 150 万円に満たない僅少な預金. では,華族資本を中心に設立された大銀行であ. 額,これが第十五国立銀行の資金調達構造を特. る同行の経営が如何に特異なものであったか,. 徴づけているといえよう 19)..
(7) . 表3 第十五国立銀行の主要勘定の推移(1877 ∼ 90 年) (千円). 年 1877 1878 1879 1880 1881 1882 1883 1884 1885 1886 1887 1888 1889 1890. 払込 資本金 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826 17,826. 積立金 0 99 270 403 530 665 880 860 1,030 1,140 1,200 2,320 3,020 4,040. 総預金. 総貸出. 306 0 0 n.a. 137 141 852 412 801 513 789 1,244 849 1,116. 内訳 御用貸付. 人民貸付. 10,080. 214. 15,486. 476. 10,294 15,962 15,686 n.a. 16,341 15,965 11,726 12,344 12,683 12,681 14,497 17,753 19,300 22,187. 15,382. 304. n.a.. n.a.. 15,324. 1,017. 15,311. 654. 10,290. 1,436. 10,287. 2,057. 10,266. 2,273. 10,232. 2,449. 10,213. 4,284. 10,135. 7,618. 10,119. 9,181. 10,106. 12,081. 発行 紙幣 9,787 16,656 16,650 n.a. 16,661 16,661 14,261 13,952 13,616 13,254 12,854 12,440 12,019 11,602. 公債 保有高 17,018 17,907 n.a. 18,145 18,088 17,851 17,492 17,542 17,166 16,042 14,225 13,361 12,205. 出典)戸原四郎(1963),大蔵省銀行局編(1880 − 1889). 注)各年 12 月末時点の残高.. 3.国立銀行における資金源泉のシフト (1) (第十五国立銀行を除いた)国立銀行と預金. 本銀行券の発券が始まった 1885 年末に 1,600 万円,1890 年末に 1,400 万円となった.総貸出 額(残高)については,大隈インフレ期の 1881. そもそも総資本金額が 4,000 万円で上限規制. 年末に 3,300 万円とピークを一旦つけたあと,. されていた上に,前節でみたような第十五国立. 松方デフレ期に 3,000 万円程度で推移し,産業. 銀行の特殊な資金調達構造によって,他の国立. 革命期に入って急速に増加し, 1890 年末に 5,900. 銀行の資金調達方法は当時の非伝統的手段=預. 万円にまで著増した.特に,1889 年末→ 90 年. 金へと向かわざるをえなくなった.すなわち,. 末への増加率は,21.6%ときわめて大きい.. 増資による資金調達および発券による資金創出. このような資金需要の増加に対応するため,. が限られていた状況で,一般の国立銀行はその. 資金源泉の預金へのシフトが起こった.総預. 資金源泉を必然的に預金などの他ソースに求め. 金額(残高)については,先にみたように,第. ざるをえなくなったのである.. 十五国立銀行の預金残高はほとんどなかったわ. ここで,第十五国立銀行を除いた全国国立銀. けだから,一般の国立銀行を対象としても,前. 行の主要勘定の推移をみよう(表4).発行紙. 掲表2での検討と結果はほとんど変わらない.. 幣(残高) は,第十五国立銀行の御用貸付が 1. す な わ ち,1881 年 末 に 1,900 万 円,1883 年 末. 千万円へと減少した 1883 年末に 1,983 万円と. に 2,300 万円,1886 年末に 3,100 万円と着実に. ピークに達するが,以降は漸減傾向となり,日. 増加している.特に,(日本銀行券の発券が本格 化する. 19) な お, 第 十 五 国 立 銀 行 の 株 主 資 本 収 益 率 (ROE)は他の国立銀行と比較して 2 ∼ 3%程度 低く,1877 年に実施された大蔵省検査において収 益性の改善(特に役員行員の高報酬の見直しと役 員数の削減)が指導されるに至っている.邉英治 (2009)pp.6-13.. ) 明治 19 年から始まる第一次企業勃. 20). 興に伴う資金需要の増大に対応するべく,1885 年末に 2,600 万円だった総預金額は,1889 年 20)厳密には,日本銀行券の発券は,兌換銀行 券条例の制定の翌年,1885 年 5 月 9 日に始まった. 日本銀行百年史編纂委員会編(1982)pp.285-292..
(8) . 表4 第十五国立銀行を除いた全国国立銀行の主要勘定の推移(1877 ∼ 90 年) (千円). 年 1877 1878 1879 1880 1881 1882 1883 1884 1885 1886 1887 1888 1889 1890. 払込資本金 5,160 15,770 22,790 25,215 26,060 26,380 26,560 26,710 26,630 26,590 28,013 29,052 29,855 30,819. 積立金 137 279 702 1,262 2,187 3,165 3,380 3,817 4,100 4,349 4,820 5,431 6,590 8,421. 総預金 4,201 8,067 16,227 n.a. 19,447 19,574 23,371 19,959 26,676 31,847 32,650 34,341 35,580 32,482. 総貸出 3,985 10,711 23,834 n.a. 32,949 31,570 30,759 33,610 30,511 32,743 40,670 41,652 48,939 59,510. 発行紙幣 3,566 9,623 17,396 n.a. 17,736 17,552 19,832 16,962 16,477 16,201 15,712 15,206 14,691 14,183. 出典)表2,表3参照. 注)各年 12 月末時点の残高.. 末には 3,600 万円へと約 1 千万円も増加した.. することが傾向的にも明確になる 1886 年以降. 産業革命期に入り,国立銀行は預金銀行化し. は,さしあたり預金銀行化したとみることがで. たのである.もっとも,1890 年末には,明治. きよう 24).. 二十三年恐慌の影響を受けて,3,200 万円へと 10%程度減少してしまっており,当時の国立銀. (2)借入金と積立金(内部留保). 行における預金の性質にはいまだ不安定性を内. 産業革命の開始とともに,全国国立銀行の貸. 包していたことも窺われる.. 付金残高は急増した.前掲表4によると,1885. ところで,第一次企業勃興期以降の国立銀行. 年末に 3 千万円だったものが,1890 年末には 6. を預金銀行とみることは妥当だろうか .この. 千万円へと倍増している.先にみたように,こ. 点,イギリス金融史 22) やアメリカ金融史 23) で. の間預金も増加したが,これだけの資金需要に. は,(資本金額と預金額との比較ではなく) 発券. 見合うものとはなっていない.では,預金を補. 業務の衰退と預金業務の発展という「銀行ビジ. う資金源泉としては何が重要だったか.. ネスの変化」の視点が提示されていることをふ. まず,想起されるのは借入金だろう.1881. まえると,発券ではなく預金をメインソースと. 年 12 月末時点で借入金残高のあった国立銀. 21). 行 66 行を対象にその借入金残高の変化につい 21)資本金額と預金額との比較という伝統的概 念からは抜け出せてはいないが,日清戦争期以 降については預金銀行とみる先行研究によると, 1895 年末時点で預金残高 100 万円台という「かな り大きな地方銀行」が,東京・大阪のほかに仙台・ 横浜など全国各地に存在していたことが指摘され ている.石井寛治(1970)pp.272-277. 22)例えば,Munn(1988)pp.22-26, 33-37. 23)例えば,Robertson(1968)pp.62-66.なお, アメリカでは,発券から預金へのシフトが起こっ たため,National Banking は当初期待されたほどに は振るわなかった.White(2011)pp.6-9.. てみよう(表5).福島第六,大阪第十三,東 24)なお,原司郎(1965)は,総預金額が総紙幣 流通高を上回る 1886 年末をもって「国立銀行は預 金銀行としての性格を確立しおわった」と評価して いる(pp.134-135) .しかし,これは特殊な第十五国 立銀行を合算した数値での考察にすぎず,評価の根 拠という点で疑問が残る.仮に,第十五国立銀行を 除くと,総預金額が総紙幣流通高を上回るのは 1881 年末となるわけだが,それによって評価が変わるの か気になるところである..
(9) . 京第三十三,横浜第七十四といった一部の国. むしろ,預金を補う資金源泉となったのは,. 立銀行では,借入金に依存した経営が行われ. 国立銀行の年々の利益の内部留保(積立金)で. て い た こ と が わ か る. 例 え ば, 第 三 十 三 国. あった.前掲表4によると,1885 年末に 410. 立銀行は,1881 年下期末において 30 万円も. 万円だった総積立金額は 1890 年末に 840 万円. の 借 入 金 残 高 を 計 上 し て お り,1884 年 下 期. へと 2 倍以上増加している.設立から 10 年を. 末においても 27 万円もの借入金残高を計上. 超えた国立銀行の経営が軌道にのり,内部留保. し て い る 25). ま た, 第 六 国 立 銀 行 は,1881. によって資金需要にある程度応えることができ. 年下期末において 10 万円だった借入金残高. るようになっていたことは興味深い.もちろん. が,1884 年下期末には 48 万円にまで膨らん. 金額的にみると,産業革命の急増する資金需要. でしまっている.そのような借入金依存のハ. に対応するためには,やはり預金の増強が国立. イ リ ス ク 経 営 が た た っ て か, 同 行 は 明 治 23. 銀行経営の大きな課題であったことは否定でき. 年 恐 慌 を 受 け て 1891 年 6 月 17 日, 営 業 停. ない.しかし,このような経営課題に直面する. 止 に 追 い 込 ま れ た が, 同 年 12 月 1 日 東 京 へ. ようになったこと自体,わが国の国立銀行業が. 移転した上で営業再開にこぎつけている. 既に近代化していたことを示唆するのではなか. .. 26). しかしながら,表5をふまえると,借入金残 高のある国立銀行に限っても資本金額に対して 20%程度にすぎず,当時の国立銀行は借入金に. ろうか. 4.おわりに. よる資金調達が認められていたものの,それは. 本稿では,国立銀行制度の大きな特色である. 一部の国立銀行を除いては,短期的かつ一時的. 国立銀行の発券面および資金源泉の変遷を中心. にしか利用されなかったと評価するのが妥当で. に再検討を進めてきた.政策面では,国立銀行. あろう.その一例として,第十一国立銀行は,. 条例の変遷をトレースした結果,1877 年にお. 1882 年下期末において,41,000 円もの借入金. ける資本金総額規制・発券総額規制の設計にあ. 残高を計上していたが,翌年には借入金残高は. たって,各地方の商況に基づいて資本金上限・. なくなり,以後そのままゼロで推移している.. 発券上限が府県別に割り当てられたことが明ら. そもそも大蔵省は,国立銀行が借入金を利用す. かとなった.前田正名の『興業意見』に対する. ることについて, 「国立銀行ニ於テ借用金ヲ為. 態度に象徴されるように,地方経済・在来産業. スハ條例中之ヲ禁スルノ正條ナシト雖モ銀行本. に冷淡なイメージの強い明治政府であるが 29),. 務ノ責任ヨリ之ヲ論スレハ決シテ許ス可カラサ. 地方の商業・物産の利便性にある程度は配慮し. ルモノナリ」と批判的な態度. ていたとみてよいだろう.. 27). をとっていた. から,借入金が有力な資金調達手段となること. 国立銀行の資金源泉の変遷と関わっては,第. は,原則的にはなかったのである 28).. 十五国立銀行を除いた全国国立銀行の主要勘定 およびいくつかの個別行の主要勘定を分析した. 25)なお,第三十三国立銀行は三井銀行の不良 貸出先であり,三井銀行の中上川彦次郎が「強硬」 に取立を行ったことでも著名である.白柳秀湖 (1940)pp.213-224. 26)大蔵省銀行局編(1884)pp.358-363,および 同編(1889)pp.371-376. 27)大蔵省銀行局編(1884)pp.352-355.例えば, 第二十六国立銀行では大蔵省検査で増資の入金不 足を補うための借入金の実態をもつ池田家からの 「預金」10 万円が摘発されている.邉英治(2008) pp.71-78.. 結果,不換紙幣化したあとも国立銀行券は信認 を保っていたこと,資本金総額規制・発券総額 28)実際,1881 年末時点で借入金残高のあった 国立銀行のうち,1884 年末までに,第二十四,第 二十六,第百八,第百二十六の 4 行が破綻に追い 込まれており,第四十四,第百二十四の 2 行が他 の国立銀行へと合併されている. 29)大島清・加藤俊彦・大内力(1974)pp.292298..
(10) . 表5 各国立銀行の借入金残高の変化(1881 年下期末→ 84 年下期末) (円). 国立銀行名 東京第三 福島第六 豊橋第八 熊本第九 名古屋第十一 大阪第十三 松本第十四 岐阜第十六 大坂第十七 上田第十九 飯山第廿四 小濵第廿五 大坂第廿六 濵松第廿八 若松第三十一 東京第三十三 静岡第三十五 八王子第三十六 高知第三十七 姫路第三十八 東京第四十四 秋田第四十八 土浦第五十 岸和田第五十一 水戸第六十二 大津第六十四 郡山第六十八 長岡第六十九 村上第七十一 神戸第七十三 横濱第七十四 山形第八十一 大聖寺第八十四 高梁第八十六 大橋第八十七 盛岡第九十 三春第九十三 龍野第九十四 東京第九十五 柳川第九十六 小城第九十七 千葉第九十八 平戸第九十九 東京第百 巌原第百二 水戸第百四 佐賀第百六. 1881 年末 0 109,500 12,600 90,500 38,400 55,000 20,000 20,000 0 23,000 75,400 46,500 35,000 0 0 306,295 0 12,000 0 36,561 12,550 21,000 4,500 4,000 15,000 27,000 19,000 30,000 0 89,057 0 0 0 0 0 0 0 13,000 0 0 0 483 8,360 0 1,200 21,200 32,350. 1884 年末 7,000 482,605 58,722 1,380 189,500 2,080 0 0 0 0 17,600 0 276,711 48,500 23,000 0 32,610 20,500 0 26,760 800 119,535 20,100 5,000 8,300 198,300 53,266 0 0 4,000 3,000 0 0 0 7,000 0 12,000 0. 資本金 300,000 250,000 150,000 120,000 200,000 500,000 200,000 150,000 200,000 200,000 200,000 130,000 200,000 300,000 100,000 300,000 100,000 150,000 250,000 230,000 700,000 100,000 100,000 100,000 100,000 300,000 80,000 280,000 50,000 140,000 400,000 60,000 90,000 80,000 120,000 100,000 130,000 50,000 200,000 80,000 50,000 120,000 50,000 200,000 50,000 120,000 300,000. 備考. 大阪→福岡へ移転 1882 年 8 月 24 日鎖店 1883 年 7 月 7 日営業停止 福島県会津若松市. 1882 年 9 月 5 日第三国立銀行へ合併. 奈良県大和郡山市 新潟県村上市. 石川県加賀市 岡山県高梁市 福岡県行橋市 福島県田村郡三春町 兵庫県たつの市 福岡県柳川市 佐賀県小城市. 長崎県対馬市.
(11) . 国立銀行名. 1881 年末. 1884 年末. 資本金. 須賀川第百八. 61,346. -. 下関第百十 京都第百十一 亀山第百十五 東京第百十九 古河第百二十 大坂第百廿一 桑名第百廿二. 38,000 31,343 3,000 81,000 2,500 50,000 17,000. 90,000 29,400 6,500 0 55,200. 見附第百廿四. 0. -. 17,802 43,766 949 0 24,417 0 10,249 2,450 0 0 1,563,278. 21,864 0 2,500 17,000 0 5,266 0 0 0 1,845,999. 米澤第百廿五 大坂第百廿六 八幡第百廿八 大垣第百廿九 保土谷第百卅二 名古屋第百卅四 宇土第百卅五 半田第百卅六 二俣第百卅八 沖縄第百五十二 合計. 備考 福島県須賀川市,1883 年 3 月 15 日 150,000 営業停止 60,000 70,000 90,000 三重→大津へ移転 300,000 100,000 茨城県古河市 220,000 150,000 静岡県磐田市,1882 年 7 月 1 日第 70,000 三十五国立銀行へ合併 80,000 200,000 1882 年 11 月 2 日営業停止 50,000 岐阜県郡上市 70,000 70,000 横浜市保土ヶ谷区 150,000 80,000 熊本県宇土市 170,000 150,000 静岡県浜松市 130,000 沖縄→鹿児島へ移転 10,740,000 . 出典)大蔵省銀行局編(1880 − 1889),東京銀行協会調査部・銀行図書館編(1998). 注)資本金は,1881 年下期末時点のもの.備考に記した本店所在地は,現在の行政区画に基づくもの.. 規制によって預金への資金源泉のシフトが起こ. で意外に進まなかった.例えば,名古屋第十一. りつつあったこと,その不足分は内部留保が重. 国立銀行では,「紙幣償却元資積立金」は十分. 要な役割を果たしていたこと,借入金への依存. に準備されていたにもかかわらず,発行紙幣残. は国立銀行ではマジョリティとはならなかった. 高は 15 万円(1885 年下期末) → 13 万円(1890. ことが明らかとなった.. ,と漸進 年下期末) → 10 万円(1895 年下期末). これら本稿での検討結果をふまえると,国立. 的にしか減少していない 31).通説的には,国立. 銀行システムは従来イメージされてきた以上に. 銀行の紙幣引換準備金(政府紙幣)等を原資と. 近代的銀行業だったと考えて差し支えないだろ. する「紙幣消却元資」で日本銀行が国債を購入. う.特に,資金源泉の預金へのシフトおよび地. し,そこから得られる公債利子収入によって国. 方の商況に基づく分散的な銀行設立は,19 世. 立銀行券が合同消却される手順となっていたと. 紀後半という時代状況や当時の英米の銀行業に. ころ,国債価格が上昇したため想定されていた. 鑑みても,先進性と親和性を有するものであっ. 分の券面額を確保できず,したがって,利子収. たといえそうである.. 入が低下して国立銀行券の消却額が減少したと. 最後に,古典的なテーマである「国立銀行券 はどの程度流通していたのか?」について,考 察したい.1882 年(明治 15) の日本銀行の設 立と日本銀行券への発券集中は,国立銀行券制 度の終焉を意味していたが 30),国立銀行券の消 却はその営業満期(設立より 20 年)を迎えるま. 30)最終的に,国立銀行券は政府紙幣とともに 1899 年 12 月通用停止とされた.大貫摩里(2008) p.37. 31)名古屋第十一国立銀行の経営展開について は,現在別稿を準備中である(『愛知県史研究』第 21 号を予定)..
(12) . 理解されている. .しかし,国立銀行券の消却. 32). Office of the Comptroller of the Currency.. スピードが遅いという事実は,国債価格の上昇. White, Eugene N.( 2011) “To establish a more. や政府紙幣の消却優先といった政策的要因だけ. effective supervision of banking: How the birth. でなく,国立銀行券の信認やユーザビリティと. of the Fed altered bank super vision”, NBER. いった実態的要因が関係している可能性も排除 できないように思われる. ともあれ,金本位制がスタンダードとなりつ つあった 19 世紀後半において,国立銀行券は, 金(銀)とのリンクではなく,発券総額規制と. Working Paper , No.16825. 愛知県史編さん委員会編(2013) 『愛知県史 資料編 31 近代 8』愛知県. 石井寛治(1970) 「地方銀行の成立過程―地方銀行 と都市銀行の分化―」(『近代日本金融史序説』. 日本銀行設立という政策的措置によって信認を. 東京大学出版会,1999 年,所収のものを参照. 確保しえた 33).不換紙幣であった政府紙幣につ. した).. いても,太政官布告第 14 号で 1886 年 1 月 1 日 以降銀貨兌換とされたので 34),不換紙幣は国立 銀行券を残すのみとなっていた.その意味で, 不換紙幣への信用を確立した点にこそ,日本銀 行設立後における国立銀行券の役割と歴史的画 期性を認めることができるといえよう 35).. 石井寛治編(2001) 『日本銀行金融政策史』東京大学 出版会. 伊牟田敏充(1972) 「日本銀行の発券制度と政府金 融」 『社会経済史学』第 38 巻第 2 号,1972 年 7 月. 「銀行局報告」(第 1 大蔵省銀行局編(1880 − 1889) 次∼第 7 次),大蔵省. 大島清・加藤俊彦・大内力(1974) 「前田正名」 『殖. 参考文献 Checkland, Sydney G.(1975) Scottish Banking: A. History, 1695-1973 , Collins.. 産興業』東京大学出版会. 大貫摩里(2008) 「国立銀行紙幣」『歴史と地理』第 612 号,2008 年 3 月. 岡田俊平(1975) 『明治期通貨論争史研究』千倉書房.. Clydesdale Bank: The Munn, Charles W.(1988). 加藤俊彦(1957) 『本邦銀行史論』東京大学出版会.. First One Hundred & Fifty Years , Collins.. 加藤俊彦・大内力編(1963) 『国立銀行の研究』勁草. The Comptroller and Rober tson, Ross M.(1968) Bank Supervision: A Historical Appraisal , The. 書房. 群馬県史編さん委員会編(1989) 『群馬県史 通史編 8 近代現代 2 産業・経済』群馬県.. 32) 日 本 銀 行 百 年 史 編 纂 委 員 会 編(1982) pp.294-303. 33)伊牟田敏充(1972)が指摘しているように, 発券限度額が固定的で「経済規模の拡大に対応し えない」点に,国立銀行券の限界も画されていた (pp.15-16).しかし,英米銀行業で起こったような 発券から預金へのシフトの可能性が看過されてい るように思われる. 34) 日 本 銀 行 百 年 史 編 纂 委 員 会 編(1982) pp.304-307. 35)なお,国立銀行券も最終的には日本銀行券 へ置き換えられることになっていたから,間接的 に銀とリンクしており,それが国立銀行券の信認 の維持につながったとみることもできる.しかし ながら,国立銀行券の消却スピードの遅さとの関 連については,国立銀行券自体の信認やユーザビ リティといった実態面でのさらなる史料的検討が 必要である.. 後藤新一(1970) 『日本の金融統計』東洋経済新報社. 白柳秀湖(1940) 『中上川彦次郎伝』岩波書店. 十六銀行編(1978) 『十六銀行百年史』十六銀行. 杉山和雄(1965) 「国立銀行の統計的考察―『銀行局 年報』の分析―」東畑精一・高橋泰蔵監修『明 治前期の銀行制度』東洋経済新報社. 第一銀行八十年史編纂室編(1957 − 58) 『第一銀行 史』上巻・下巻,第一銀行. 第四銀行企画部行史編集室編(1974) 『第四銀行百年 史』第四銀行. 東京銀行協会調査部・銀行図書館編(1998) 『本邦銀 行変遷史』東京銀行協会. 戸原四郎(1963) 「第十五国立銀行」加藤俊彦・大内 力編『国立銀行の研究』勁草書房..
(13) . 日本銀行調査局編(1958) 『日本金融史資料 明治大 正編』第 4 巻,大蔵省印刷局. 日本銀行百年史編纂委員会編(1982) 『日本銀行百年 史』第 1 巻,日本銀行. 原司郎(1958) 「第二国立銀行覚書」『金融経済』第. (付記) 本稿は,平成 26 ∼ 29 年度科学研究費補助金「金 融エリートと日本の銀行業の近代化―大蔵省・日 本銀行・財閥系銀行―」 (基盤研究(C),研究課題 番号 26380422)の研究成果の一部である.. 50 号,1958 年 6 月. 原司郎(1960) 「明治中期における横浜第二国立銀行 の性格―とくに預金構造を中心として―」『商 経法論叢』(神奈川大学)第 11 巻第 3 号,1960 年 11 月. 原司郎(1965) 『明治前期金融史』東洋経済新報社. 福岡銀行行史編纂室編(1964) 『第十七国立銀行史 料』上巻・下巻,福岡銀行. 邉英治(2003) 「大蔵省検査体制の形成とその実態― 1920 年代を中心として―」『金融経済研究』第 20 号,2003 年 10 月. 邉英治(2007) 「明治維新期における大蔵省銀行検査 ―日本の銀行業の近代化―」『エコノミア』第 58 巻第 2 号,2007 年 11 月. 邉英治(2008) 「西南戦争後における銀行経営問題と 大蔵省銀行検査―1878 ∼ 85 年,第二十六国立 銀行を中心に―」 『エコノミア』第 59 巻第 1 号, 2008 年 5 月. 邉英治(2009) 「草創期における第十五国立銀行と大 蔵省銀行検査―1877 ∼ 82 年―」『地方金融史 研究』第 40 号,2009 年 5 月. 邉英治(2010) 「日本的銀行経営の再検討―スコッ トランド How to mismanage a Bank の分析を 手がかりに―」『エコノミア』第 61 巻第 2 号, 2010 年 11 月. 三井銀行八十年史編纂委員会編(1957) 「別編 十五 銀行小史」 『三井銀行八十年史』三井銀行. 明治財政史編纂會編(1905a) 『明治財政史』第 12 巻, 丸善. 明治財政史編纂會編(1905b) 『明治財政史』第 13 巻, 丸善. 藪下史郎(2001) 『貨幣金融制度と経済発展』有斐閣. 山口和雄編(1966) 『日本産業金融史研究 製糸金融 篇』東京大学出版会.. (横浜国立大学経済学部准教授).
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