• 検索結果がありません。

島尻先生のこと: 沖縄地域学リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "島尻先生のこと: 沖縄地域学リポジトリ"

Copied!
3
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Title

島尻先生のこと

Author(s)

新崎, 盛暉

Citation

沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(7): 31-32

Issue Date

1990-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/5734

(2)

沖縄大学紀要第7号(1990年)

島尻先生のこと

新崎盛暉

興南高校長の職を退いて、おそらくは悠々自適のうちに学問の世界に没頭す る予定であったはずの島尻勝太郎先生を、ふたたび学校行政の場に引っぱり出 したのは、歴史学者仲間の安良城盛昭沖大学長兼嘉数学園理事長であった。当 時の嘉数学園は、瀕死の沖縄大学に、すでに棺`桶に両足を突っ込んだ沖縄高校 がしがみついていろといった状態で、大学には自力更生の可能性がかろうじて 残されてはいたものの、高校側はまったくお先真っ暗で、校長のなり手もなく、 なっても労組と激突して数か月ももたずに辞めてしまうという状況であった。 そんな中で、1979年3月、島尻先生は沖大の教養科教授兼沖縄高校長として、 嘉数学園の一員になった。安良城学長兼理事長がどのように説得したかは知ら ないが、同じ私立高校の校長をしていた島尻先生が沖高の実情を知らなかった はずはない。そんなことは百も承知で、あえて引き受けられたところに学校行 政に長く携わってこられた島尻先生の”教育に対する想い',があったのかもし れない。 しかしそれから2年、島尻先生を校長の地位に据えた安良城学長兼理事長は、 自力更生の志を欠いた高校(労組)に嫌気がさしたことを第一の理由として学 園を去った。そして、島尻校長兼理事長、永野善治沖大学長、新崎副学長(学 長)という体制が生まれた。高校労組が一目置いている島尻校長以外に理事長 はつとまらないというのが、辞めていく安良城さんを含めた皆の共通認識であ った。今度も島尻先生は黙ってその役割を引き受けた。もちろん、「実務は僕 は知らんぞ」という前提で。 かくして、理事会は永野先生の司会によって運営され、高校労組との団交な どという修羅場は、当然の如く私が主役となった。激しいやりとりの続いた団 交は、おおむね、突如目を醒ました島尻理事長の「理事長は新崎理事と全く同意 見である」、という発言で幕を閉じた。修羅場は、団交の場だけではない。理 -31-

(3)

沖縄大学紀要第7・号(1990年) 事会それ自体も、身軽になって自力更生路線を歩もうとする大学側と、自らの 展望は無いままに大学に寄りかかることによって刹那的にその場しのぎをはか ろうとする高校側の利害が激突する場でもあった。そこでは、大学を代表する 学長と高校を代表する校長は、ある意味で敵同士のようなものであった。 荒れた理事会の翌日、ひょっこり学長室にやってきた島尻理事長は、コーヒ ーをすすりながら、「君の言うのが全く正しいのだが、僕がそう言うわけには いかんだろう」などとケロッとしていた。昨日の余韻さめやらぬ私は、「先 生は、校長だけじゃなくて理事長でもあるんですよ」などと文句を言っていた ものである。 やがて高校は、尚学院との提携に活路を見出し、校名も変えて進学校に衣替 えすることになった。結局は落ち着くべきところに落ち着いていくのだが、そ の過程では、高校と尚学院の百日戦争などもあり、島尻校長もモミクチャにさ れた。「先生、自分が傷つくことはないですよ」という息子ほども年の違う男 の,,忠告,,に彼は、「いや、米盛(教頭)君たちのやり易いようにするのが僕 の仕事だから」と、担がれた者の役割を律儀に果たそうとしていた。 島尻校長は、ご本人が好むと好まざるとにかかわらず校長としての役割のほ うが圧倒的に大きかったとはいえ、同時に沖大教授でもあったから、沖大の大 学創りにも大きな役割を果たしていただいた。新しい沖縄大学の特色の一つで ある士曜教養講座や移動市民大学などがその活躍の場であった。そこにおける 島尻勝太郎は、団交や理事会の場における精彩を欠いた姿とはうって変わって 生き生きとしていた。年輪の厚みを感じさせる話は、しみじみと聴衆の心にし みとおっていった。ご本人にとっても、こちらの仕事のほうがはるかに楽しく もあり、やりがいもあっただろうと思うのだが、それでもなおかつ校長をやり 通したところに、私は、一つの個性を感じろ。 いま、私の家の床の間、というよりも、8分の1坪ほどの壁のへこみに、島 尻先生の中国土産の漢詩の掛け軸がぶら下がっていて、ときおりその前に集 まって、喧喧誇誇の議論をしている血の気の多い連中を眺めている。 -32-

参照

関連したドキュメント

金沢大学は学部,大学院ともに,人間社会学分野,理工学分野,医薬保健学分野の三領域体制を

専攻の枠を越えて自由な教育と研究を行える よう,教官は自然科学研究科棟に居住して学

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

7.自助グループ

キャンパスの軸線とな るよう設計した。時計台 は永きにわたり図書館 として使 用され、学 生 の勉学の場となってい たが、9 7 年の新 大

人間は科学技術を発達させ、より大きな力を獲得してきました。しかし、現代の科学技術によっても、自然の世界は人間にとって未知なことが

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から