アイデンティティを考える (二) (秩序としての混
沌 -- インド研究ノート 第7回)
著者
湊 一樹
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
207
ページ
44-45
発行年
2012-12
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003816
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植民地支配と
アイデンティティ
前回 の 連 載 で み て きた よう に 、 宗教 お よ び カ ー ス ト と い っ た ア イ デン ティ ティ は 、 インド 社 会にき わめ て重大 な 影 響 を及ぼ し て い る。 しかし 、 だから と い っ て 、 宗 教 やカ ー ス ト に 基 づ く社会的亀裂 の 存 在 を あ たか も 当 然の こと のよ う に考 え て も よ い と いう 訳ではな い 。 なぜなら 、 こ の よ う に 理解し て し まうと 、 宗 教 やカー ス ト に よ る 境 界 が 複雑な歴史的経緯を経 て 形 作 られ てきたと い う 事 実 が見 過 ご さ れ 、 結 果 とし て、 ア イ デン ティ ティ をめぐる問 題 を誤 っ て 認識 する こ とに な り か ね ないか ら で あ る 。 実際、われわれが当たり前のよ うに意識している宗教やカースト による境界は、遠い昔から今のよ うな形で存在していたのではな く、イギリスによる植民地支配の 下で進行した﹁近代化﹂の過程で 再構成された比較的新しいものに すぎない。具体的には、以下の四 つの点を指摘することができる ︵より詳しくは 、参考文献①∼⑤ を参照︶ 。 第一 に 、 イ ン ド 社 会 に お け る 宗 教お よ び カ ー ス ト の 役 割をイギ リ スが 過 度 に 重 要 視 し た た め 、 そ の よう なイ ン ド 認 識 が植民 地 支 配 の 思想 に も 色濃く反映された 。 イ ギ リスは イ ンド 支 配 を 正 当 化 す る た めに 、﹁ イ ン ド 国 内の 相 対 立 す る 諸 グルー プ の あ いだ を 調 停 す る 公 平 なアン パ イア ﹂︵ 参 考 文 献 ① 、 四 三 ペー ジ ︶ と し て の 自 身 の 役 割 を 強 調 し た。 こ の ロジ ックの 背 後には、 インド 社 会 は 宗 教 ・ カ ーストによ っ て は っ き りと 分断 さ れ た 多 様な社 会集団 で 構成さ れ て お り 、 それ ら の属 性が個 人 の考 え方や 行 動 を 規 定し て い ると い う イ ギ リ ス 側 の 誤った イ ン ド 認 識 が あ る 。 この 点 を 最 も 象 徴 的 に 表 し てい るの が 、 一 八 七 一 ∼ 七 二 年 よ り 一 〇年 ご と に実 施された国 勢 調 査 ︵セ ンサス︶ である。英 領 インドで 行われ た 国勢調査 で は 、 宗 教 ・ カ ー ストのカテ ゴ リ ー が現 実から 乖 離 した形 で 定 義 され る 一 方 、 そ の よ うにして 特 定 さ れ たカテ ゴ リ ー ご とに 様 々 な 情 報 が 収 集 さ れ 、植 民 地支配 の 基礎と な る ﹁ 科学的﹂ で ﹁客観的﹂ な 統計 データ と し て 活 用された 。 結 果 的 に 、 集団 帰属 に 固執 し た 調査 は 、 きわ め て 流動的 で曖 昧 な 境界し か 存 在 しなか っ た 社会集団 の 間 に 明 確な区分と 序 列 を持ち込む こ と に な っ た 。 第二に、このような植民地支配 の思想に従って各種の政策が策 定 ・ 実施される過程で、 宗教やカー ストに基づく区分が援用されて いった。その典型的な例が、高い 軍事的適性を持つとされる ﹁種族﹂ ︱いわゆる ﹁尚武の民﹂ ︵ martial races ︶︱を優先的に雇用すると いう募兵制度である。一九世紀中 頃から顕著になり始めたこの政策 によって、軍隊への採用が特定の 宗教・カースト︵例えば、シク教 徒︶に集中するようになった。さ らに極端な例として、犯罪を行う 可能性の高い集団をカースト単位 で特定したうえで、登録や移動制 限などを通して監視下に置くとい う犯罪対策があげられる。いうま でもなく、今の目からみれば、こ れらの政策の根拠となっているの は人種主義に基づく偏見以外の何 物でもない。 第三に 、植民地政府が宗教や カーストといった集団帰属に基づ いて様々な政策を行ったため、そ れに対応しようとするインド人の 間で宗教やカーストを単位とした 集団行為を引き起こし、アイデン ティティの意識が強められていっ た。例えば、軍隊への雇用につい ては 、﹁尚武の民﹂としての認定 を勝ち取るためにカースト組織のインド研究ノート
湊 一樹
秩序としての
混沌
第7回
アイデンティティ
を考える
(二)
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アジ研ワールド・トレンド No.207 (2012. 12)結成や請願運動などを行い、自ら の利益を確保しようとした社会集 団が数多く現れた︵具体例につい ては、参考文献④の一三八ページ を参照︶ 。 第四に、植民地支配を背景にイ ンド内部から様々な宗教・社会改 革運動が沸き起こり 、アイデン ティティの在り方に重大な影響を 及ぼした 。特に宗教については 、 これらの運動によって信仰の純化 と標準化が進むとともに他宗教を 敵視する言説が広くみられるよう になり、宗教間の亀裂が深まって いった。 以上のように、植民地支配の下 で進行したアイデンティティの実 体化は、支配側と被支配側の間の 相互作用の帰結なのである。