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日本語学習者に対する文学作品の読み方指導の研究

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Academic year: 2021

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(1)Title. 日本語学習者に対する文学作品の読み方指導の研究. Author(s). 董, 英玉; 三上, 勝夫. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 54(1): 1-12. Issue Date. 2003-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/303. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第別巻 第1号. 平成15年 9 月. JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.54,No.1. September,2003. 日本語学習者に対する文学作品の読み方指導の研究. 董 英玉・三上 勝夫 (北海道教育大学札幌校 数育方法学研究室). はじめに. 外国語としての日本語の上級レベル学習者が増加している.これにともなって,日本語の教育には,新し. い課題が提起されている.長文の言語作品を,その背後にある日本文化・日本事情を踏まえて,理解させる という課題もその一つである.こうした新しい課題へのアプローチとして,筆者は,日本の国語教育で行わ れている読解の理論を応用することを試みた.. 日本を代表する読解の理論は,それぞれ,3,40年を超える研究と実践の実績があり,精緻な体系を誇っ ているが,筆者はそれらのなかから,一つの流儀にこだわることなく,日本語学習者の指導にとって意義あ. ると思われるいくつかの方法を学びとることとした.つぎに,それをもとに,指導の計画を作成し,実際の 授業を行って,その妥当性を検証することとした. 授業は,本学に在学している中国人留学生に対して行った.ここでは,この授業について分析する.. 1.日本の国語教育における読解の理論. 言語を根拠とする理論. 教育科学研究会国語部会(教科研と略す)の読解の理論は,言語を根拠におくことを強く主張する点で, 際立っている.文学作品の読解は,かならず読者の想像力を介しておこなわれるところから,主観的となら ざるをえないものではあるが,教科研はそこにおいても的確な客観性が確保されなければならないとしてき た.. この理論が形成されるについては,つぎのような経過があったと思われる.教科研は,第一に,早くから. 日本語文法形態論などの記述的な文法体系(教科研文法と通称される)を独自に構築しており,読解の基礎 として活用できる道具立てを持っていたのである.第二に,読解の過程を,石山帽平以来のいわゆる三読法 を基礎にしながら,通常の第二読解(精読)をさらに二分割して,一次読み,二次読みに分け,この一次読 みにおいて,語彙・文法的な根拠にもとづく理解の徹底をはかることとしたのである.. 教科研の一次読みには,いちいちの語菜・文法的事実にこだわって,作品の文脈を逸脱する傾向や,語彙 ・文法的な形式の断片に,過大な表現力を期待する傾向などが見うけられる.が,根拠を言語におき,客観 的な読解を指向することについては,きわめて高く評価できるところである. 文芸学を活用する理論. 文芸教育研究会(文芸研と略す)は,文芸の理論に学んで,これを国語教育の読解に生かしてきた.. 1.

(3) 董 英玉・三】と二 勝夫. 文芸研は,ニュー・クリティシズムを十分に岨嘱したうえで,虚構論,視点論などにおいて,独自に理論 を発展させている.虚構論では,すぐれた虚構の手法が典型を造形し,ものごとの本質をイメージ(形象). として描きだすとする.視点論では,ある形象が,その形象の内側から描かれるか(内の目),外側から措 かれるか(外の目)が重要であるとする.このうえに構想される読解の理論では,とくに視点論によって, 表現の構造を分析し,これを辛がかりに読者に作品の世界を追体験(文芸研の用語では「共体験」)させる ことが,もっとも重要であるとされる. ただし,文芸研の共体験論は,感情的な側面を重視していることの反面として,ともすれば,言語的根拠. にもとづく客観的読解が軽視される傾向があり,惜しまれる. 文芸研は,読解過程は二読法としている. 思考・言語心理学に依る理論. 児童言語研究会(児言研と略す)は,ヴイゴツキーなどの思考と言語の理論に学んで,読解において,読. 者の想像力のはたらきを十分に生かすことを重視している. 児言研の最大の特徴は,読解の過程を一読とするところにある.読者が想像力を駆使して,作品世界を読 みとるのに,叙述の展開を先に知っていることは妨げになるというのである.読者は,それまでの叙述の範 囲で,その後の展開を予測する.その読者の予測と作品の叙述との東経や一致のなかにこそ,読解の醍醐味 があるとされる.この想像力の発揮が,作品の提示する主題や思想の発見を促すのだという.. 児言研は,このように読解における読者の自然な思考過程に注目し,一読法(児言研の用語では「一読総 合法」)を提唱したところに最大の功績が認められる. が,予測は,作品の叙述の読みとりと読者の世界認識との重ねあわせから生まれてくるものであり,読者. の主観によって左右されるものである.このとき,叙述の読みとりは,他の流儀にもまして的確さが要求さ れると思われるが,この点での自覚はあまり明瞭でなく,実際の授業においては,主観的な誤った思いこみ が放置される傾向が見られるのは残念である. これらの理論の授業計画への応用. 筆者は,これらの理論を実際の授業の計画づくりやその実践に,次のように活用した. まず,児言研の一一読法を採用することにした.ただし,その場でテキストを渡すのではなく,予習の時間. を保障するために,次の時間にあつかう場面のテキストをあらかじめ渡すという方法をとった.読者の想像. 力を引きだすには,一読法が適切だと判断したのである.教材には佐多稲子の短編『水』を用いたが,主人 公が出しっ放しの水道の栓を閉じる最後の場面だけは,その時間の流れのなかで渡すこととした.. 最後の場面にいたるまでは,文芸研の言う「とおしよみ」や教科研の言う「形象の読み(一次読み,二次 読み)」にあたる,文章の叙述に即して,物語の展開をイメージするための読みとりをこころがけた.とく. に,教科研の言う,言語に根拠をおく読みとりを意識的にこころがけた. 結末では,児言研の「総合」,文芸研の「まとめよみ」,教科研の「形象の理解」にあたる読みとりができ ればと考えた.いずれも,作品のテーマ(主題)を理解することを目指す作業であるが,この授業では,主 人公幾代の「典型」性に迫りたいと思った.. なお,以上の各理論の総括と活用については,基本的に,鈴木秀一・三上勝夫著『文学作品の読み方教育 論』(明治図書1986年)所収の「物語の読みの理論」に依拠している.. 2.

(4) 日本語学習者に対する文学作品の読み方指導の研究. 2.『水』の読解授業の展開. 教材の特徴. 授業では,佐多稲子の『水』を教材とした.この作品は,富山から東京に働きに出てきた身体に軽い障害 のある少女が,母親の死の知らせと,雇い主の冷たい処遇に,上野駅頭で打ちひしがれている姿を描いた短 編である.1962年の発表当時,批評家からその巧みな描写が絶賛された.とくに,泣きぬれる少女が,出. しっ放しの水道の栓を,通りすがりに無意識に閉めて,「水」を止める形象は秀逸である.高校などでの教 材として,作品としての質の高さの点からも,高度成長以前の貧しい庶民の生活実感を学ぶうえでも,好個 の一編と思われるが,取りあげられた事例はきわめて少ない.障害についての表現のいくつかで,配慮が必 要な箇所があることも影響しているかもしれない. 筆者は,貧しい日本が描かれるこの作品が,その文学的完成度の高さの点でも,さらに,急速な経済成長 過程にありながら,貧しさを残している中国の日本語学習者にとって,親しみが持てる点でも,よい教材で あると思っている. 授業の展開. 授業は,董が「授業者」となり,3人の中国人留学生(大学院生2名,研究生1名)に対して行われた. ここでは,この授業を受けた留学生を「受講者」と呼ぶことにする.作品を理解するためには,日本の時代 背景や地理にある程度の予備的理解が必要であることから,三上も加わった.作品は短編であるが,難語句 も多いので,1回2時間の授業を3回行った.授業と授業の間には1週間の間隔をおいた.作品の構造(回 想形式)にそって場面を7つに分け,1時間目に1,2場面,2時間目に3,4,5場面,3時間目に 6,7場面をあつかった.テキストは,あらかじめ配付し,予習の機会を保障したが,取りあつかう場面の みを渡し,それ以後の場面は渡していない. 以下に,特徴的な展開箇所について,授業記録にもとづいて,考察を進める.. 第1場面(前半). 幾代はそこにしゃがんでさっきから泣いていた.彼女がしゃがんでいるのは上野駅のホームの駅員詰 所の横だった.だから彼女のしゃがんでいる前には,もう客を乗せて時刻を待っている列車の鋼鉄の壁 面があった.正午を過ぎたばかりで,空にはうらうらとした春の陽ざしがあったが,列車にさえぎられ て,詰所との間の狭い場所は陰になっていた.グリーンのセーターに灰色のスカートをはいて,その背 をこごめ,幾代は自分の膝の上で泣いていた.膝に乗せたズックの鞄を両手に抱え込んでその上で泣い ていた.. (略). 董:次に第一段落の中に,幾代がしゃがんで泣いている前に,「列車の鋼鉄の壁面があった」というのが ありますよね.実は列車があったということですよね.「鋼鉄の壁面があった」,わざとこういう描写を している.どういうニュアンスを感じますか. 楊 :捨てられる感じじゃないですか.. 董 :捨てられる.. 呉:また,空には春の光があったとか,周りの環境,おだやかな春の陽射しがあったのに,女の子はこん なに泣いている.周りの環境とちょっと不調和のような感じがしますね. 3.

(5) 董. 英玉・三上 勝夫. 三上:そうですよね.. 楊 :世の中に捨てられた. 孫 :なんか違和感がありますね. (略). ここには,この授業に参加した受講者の能力の高さが示されている.授業者からの「鋼鉄の壁面」という 表現についての指摘に村しては,楊さんから捨てられた感じがするという的確な発言があった.つづいて, 呉さんが春の陽光と泣いている主人公との村比を挙げて,それを「不調和な感じがする」と発言し,あらた めて,楊さんが「世の中に捨てられた」とまとめている.授業としては上々のすべりだしといえる.. 第1場面(後半). ・このほこりっぼい混維の中で,幾代はまったく自分の膝の上の鞄を抱きしめているよりほかな. かった.しっかり鞄を抱いているのは,彼女自身が頼りなくて捕まり場を欲しているからだった.が, 彼女はそれを誰かに求めるように意識しているのではなかった.むしろ彼女は,この駅の雑踏のなか で,自分ひとり打ちひしがれた悲哀にいることをそのまま受け入れて,ただ,とどめようもなくあふれ 出る涙をあとからあとから拭きながら,胸の中で母親を呼んでいた.. 董. ここの中に,「胸の中で母親を呼んでいた」というのがありますね.彼女が泣いているってい うのはいろいろ想像できますよね.「母親を呼びながら泣いている」と書いたように,まだ二十歳にも ならないんだから十代,十代の女の子が駅のホームで母親を呼びながらないている.ちょっと想像して ください.. 楊:女の子はね, ・なんか淋しい,悲しい時,最初なんか頭の中に浮かんでいる人の姿は,お母さん じゃないですか. 董 :うん.. 三上:悲しさの放で,当然母親を求めている. 楊 :男の人は別かも知らないですけどね. 三上:そんなことないです. 董:それに,「泣いていた」「泣いていた」「泣いていた」と書いてありますね. ・こういう悲しさの 涙は,普通の悲しさとちょっと違うイメージがないですか. 三上:うん.. 董 :何があったと思いますか. 孫 :それは分からない.(笑い) 呉 :いったい何があったか,ここの中には書いてない.. 董:だから,次の場面を読んでみたい気持ち(になるんじゃ)ないんですか.(笑い) (略). 三上:先ほどちょっとありましたけど,この主人公幾代が今この上野駅にいるのは,東北や北陸から東京に 来たのか,それともこの上野駅から自分の故郷である東北や北陸に帰るのか,どっちだと思いますか. 呉 :来たと思います.. 4.

(6) 日本語学習者に対する文学作品の読み方指導の研究. この場面の読みの途中では,三上が上野駅について説明している.地図を示し,東北や北陸地方に開かれ た玄関口であること,日本人にとっては,東海道につながる東京駅とはニュアンスを異にして,郷愁の響き. があることを話した.集団就職列車も紹介した.「ふるさとのなまりなつかし」の一首を知っている受講者 もいて,十分理解されたように思われた. ここでは,母親を呼びながら泣く主人公に何があったのかという問いが自然に生まれるところである.実 は,母親の死があふれでる涙の第一の原因なのであるが,次の場面を渡していないことから,孫さんの言う ように,たしかに受講者にはそれはわからない.上野駅についたところか,上野駅から出かけようとすると. ころかの問いには,案外にあっさりと「来たと思います」で終わっている.能力の高い読者ではあるが,一 読法的な,可能な範囲で想像をたくましくするという読書体験は意外に乏しいのかもしれない.. 第5場面(一部). しかし幾代は,明るいとは云えないにしろ,素直な性質だった.旅館の台所で終始立ち働きながら,. 身体の引け目を見せなかった.どこかに負けん気をひそめていて,それが素直さにもなり,身体の引け 目を見せぬ働き者にするらしかった.この旅館に住み込んで一年と数ヶ月で,料理人も主人も,幾代の. 働きぶりの誠実さを認めた.東京の他人の中に出て苦労するものと覚悟してきたから,幾代のほうでは 自分が認められているのを仕合わせに感じさえもした.. 董. ・最初に,「しかし」が出ているんですけど,この「しかし」は何の,どんな内容の逆接を表し ていると思いますか.. 孫:前をあまり読んでいないんですけど,幾代はちょっと体の不自由な人で,不自由な者はたぶん普通は ちょっと弱い性格を持っているかもしれない.誰かに頼ってと感じますけど.. 董 :その「しかし」であると.. 楊:前の場面,男の子に「はやしたてられた」(小学校時代の回想)につながるのではないかと思ってい ますけど. 董 :うん. (略). 孫:あの,幾代は不自由な人だから,そういう性格を持っていると普通は思っている.また,前の場面に. もそういう様子が出てきますね.だから,「しかし」という逆接になっている. 董:はい.でもやっぱり素直な性質だと. ・. 「身体の引け目」ってわかりますか.. 楊 :ひとより劣っている. 三上:コンプレックス.. この時間は,受講者の一人呉さんが欠席していたので,やや盛りあがりに欠けていたといえる.にもかか わらず,この場面の冒頭の「しかし」の読みに見られるように,しっかりと授業は進行している.楊さんの 発言のように. ,前の場面を受けての文脈的な「しかし」でもあり,孫さんの言うように,身障者であるにも. かかわらずという意味での「しかし」でもあるだろう.孫さんのまとめが的確である.ただし,この後者に ついては,作家自身の無意識の偏見が思わず露呈されたといえる面があり,この点の歴史的な限界も見てお く必要がある.このことについては,この授業のなかで三上が指摘をした.. 5.

(7) 董 英玉・三上 勝夫. 第6場面(一部). ハハシンダ,カエルカ,と次の電報が今朝配達された.幾代は台所の板にへたっと座ると,「ああ, かアちゃ」と,細い,しぼるような泣き声を上げて突っ伏した.. 彼女はもう朝のやりかけの仕事をしなかった.泣きながら身のまわりの物と貯金通帳を鞄に詰める と,河岸に出かけて留守の主人の帰りを待たずに,女主人にだけ挨拶をして上野駅へ駆けつけた.幾代. が出てくるときも,女主人は夫の留守を口実に引きとめようとした. 「それに,もう死んじゃったんだろ,あんたが帰ったって,死んだものが生きかえるわけでもないし ねえ.」 幾代は固い顔をしてそれを聞いていた.聞いていたけれど,反応さえ見せなかった.ズックの鞄を抱 えて旅館の台所口から出て歩きだす幾代は,いつもより腰の揺れが強かった.. 董 :最初の電報のこと覚えていますか. 呉 :ハハキトク,スグカエレ 董:そう,命令形を使っていますよね.今度の「カエルカ」と「カエレ」,この二つの電報が,一つは命 令形,もう一つは相手の都合をきいている.この二つの電報からどういうことが推測できますか. 楊:お母さんは死んだ.帰るか,帰らないか.帰ってもお母さんは死んだんですよね.感情のない人に とってはたぶん無意味なことですよね.母親と対面して話せないですよね.でも,だからこんな電報を 書きましたね.これはなにか後の方の女主人の話と同じじゃないですか. 三上:そういうふうにも考えられますよね. 董 :わたしはそういうふうには考えなかったんです. 呉:そのほかに,普通は親しい人だったら,言い方とか,言い回しとかみんな遠慮しないでしょう.身内 の,家族の人だったら,帰れ,帰ってくれという遠慮しない言い方をしますけれども,そういう電報, 幾代のところに届いた.幾代は来なかった.家族の人は幾代はもう東京に出稼ぎに行って,もう私たち と遠くなってしまった.その電報を見て帰ってくれなかった.だから次の電報のとき,帰るか,帰らな いかあなたの自由,そういう意味じゃないですか. 董 :あ,つめたい. 三上:そういう解釈もあるね. 董 :姉さんと兄さん(義理の)が,ちょっと怒ってね. 孫:さっき私が思ったのはね.はじめの電報は,ハハキトク.まだ死んでいないんでしょう.危篤だった から帰ってくるはずだったのに帰らなかった.今度はもう死んだ.帰る意味はなくなった.かえるか, 帰らないか.. 呉 :前は絶対帰ってくると思ったからね. 三上:そう,そう,それは間違いないね. 孫:深い意味はたぶんないですね.もう死んだ. 三上:董さんの考えをちょっと紹介して. 董:たしかにそうです.危篤のときにも帰らなかったから,死んだときは聞くわけです.危篤のときに帰 れなかったのは,やっぱり幾代はやっと仕事場を見つけたし,何かの事情で帰れなかったかと分かるん じゃないかと思います. ・もし本当に都合が悪かったたら,帰れないんじゃないかという意味で, カエルカという電報を打ったと考えられますけど. 6.

(8) 日本語学習者に対する文学作品の読み方指導の研究. 三上:なるほど. 楊:お姉さん,優しいでしょう.親孝行だし.. 受講者のやや浅い理解に対して,しかし,それはそれで成りたつ一つの解釈であることを,三上の方から 同意しつつ,授業者である董からは,より妥当な解釈を示したという展開であった.危篤や死亡の知らせを 聞けば,とるものもとりあえず,かけつけるのが日本の習いである.それは中国でも同じである.にもかか わらず,死者に対面することが無駄であるかのような解釈は,あるいは,受講者の日本人の行動様式につい ての理解が不足していることによるのかもしれない.電報の送り手である幾代の姉は,一時でも働き手を失 いたくない旅館の主人の狭い意図からの引き止めがあったことなど知らないわけだが,何かの事情が帰郷を. 妨げているものと,あたらずとも遠からずの推測をして,母親の死を知らせるとともに,せめて葬式には来 れるかと聞いたのである.. 授業では,このように受講者の理解の不足を,教師のより妥当性のある解釈を示すことで補うということ は当然ありえることである.ただし,しばしばこれが繰りかえされることによって,受講者に,授業者が常 に「正しい」解釈を所有しており,その基準から,発言が評価されていると思わせてしまっては,授業は成. 立しにくくなるであろう.それは,受講者の学習の意欲をくじく. 第7場面(前半). 幾代の乗るはずの列車がホームに入るまでまだ一時間待たねばならなかった.彼女がしゃがんでいる. 前の列車は,いよいよ発車するらしかった.合図のベルがホームに流れた.それをしおに,幾代は鞄を 抱えて腰を立てて立ち上がった.泣きつづけた彼女の′トさな顔は,色白の皮膚を晒したように赤味を消 して,瞼がたれ,細い目がいよいよ細くなっていた.. 幾代は,動き出した列車と反対の方向に,重い足で歩き出した.彼女の肩が歩調にともなって,ゆっ くり揺れた.彼女はそのとき,列車の窓の視線に自分をあからさまにしたわけだった.. 駅員詰所の先に水道があった.水道の蛇口はさっきから水を出しっ放しであった.駅員が薬かんに水 を汲んでそのままくるりと身体をまわして元気に行ってしまってからあと,水は当てなしに流れつづけ ていた.そのそばを通ってゆくものも多かったが,誰ひとり蛇口の栓を閉めなかった. 董:では,今度は次の場面,いよいんよ「水」が出る場面,みなさんももう待ちくたびれたのではないですか・ 楊:これだけ? 董 :もうちょっと隠している.. 三上:もうちょっと付くんですよ. (略). 董:「元気」ということばは幾代と対照される.ここでいよいよ「水」が出てきましたね.みなさん.幾 代がその「水」を止めたと思いますか.想像してください.答えはこのプリント(最後まで渡しのこし てあるプリント)の中にありますから. 呉 :止める.. 楊:二つの可能性がありますね. 三上:ちょっと議論して.興味ありますから. 楊:もし自分の悲しみにずっと気になっていたら,「水」をとめる気がないですね. 7.

(9) 董 英玉・三上 勝夫. 三上:そうですよね.ないはずですね. 楊:大騒ぎのところ,みんな止めてないんですね.世間の冷たさ. 三上:関心というかね,自分のことには関心があるけど,ほかのことには関心がない.. 楊:とくに大都市. 三上:その中で悲しみが深ければ,そこで止めるはずがないんじゃないかな.幾代にとってもゆとりがない. かなっていう意味もありますよね. 楊 :そうです. 呉 :そう考えるかもしれないけれど. 三上:止めると言いましたね. 呉:私の考えはこういうところに「水」が出たのは,幾代の心の状態を表しているのではないかと思いま. す.つまり,幾付の心の中では血が(流れ)落ちている.自分が苦しんでいるのに,でも気にしてくれ る人が一人もいなかったです.そういう状態,悲しみからどういうふうに出たいか.それ本人幾代は自 分で気分転換しなければならない.止めるというのは自分が悲しみから,悲しみから・ 董 :解放?. 三上:一つの区切りとして.. 呉:自分が強くなって,過去のことはもう済んだことですから,これからも強くなって,前は何か困難が があってかもしれないですけど,どんなことがあっても自分で立ち上がって.その,戦う気持ち.. 三上:そういう決意の象徴として.なるほど,その場合は意図的に止めるということだね. 呉 :うん.. 楊:水を止めるきっかけはたぶんずっと涙ですよね.顔を洗って,これからまた頑張っていこうかな. 三上:水が流れているから,顔を洗うということもありますよね.なるほど.. 董:顔を洗って,ぐっと止めて,けじめをつけようという解釈もありますよね.孫さんは,どう思いますか. 孫 :どの可能性もありますよね. 董 一つは悲しみのあまりとめる余裕がないんだ.もう一つは決心をつける. 三上:けじめ.悲しみはなくならないと思いますけど,そういう意図的に止めるということもありうると思 います.もう一つの解釈はないですか. 呉 :幾代が止めなく,誰か. 三上:幾代にとってはないですか.もう一つの可能性は.思わず止めてしまう. 董 :無意識.. 孫:無意識の可能性あるかな.主題と水が関係あると思いますけど.. 董:タイトルが『水』だから,深い関係があることはわかりますよ. 三上:聞き方にちょっと予断があって,水を止めたか止めなかったか.適切じゃなかったかもしれないね. やっぱり止めるか止めないか次の場面でだいじなんですよ.授業者として,知っている人が聞いたので. 勘弁してあげましょう. 孫 :はい.. 三上:止めるか止めないかなんですよね. 楊 :作者が日本人だからわからない. 董 :作者が日本人だからわからない?. 三上:そう,それもあるかもしれません.日本文化というかね.そういうものもあるかもね.いや,それは 日本人だけのものではなく,世界各国の・ 8.

(10) 日本語学習者に対する文学作品の読み方指導の研究. 楊 :止めないかな.中国人だったら止める.. 董:中国人だったらとめる.日本人だったら止めない.. 孫 :そう. 董 :おもしろいよね. 三上:そうそう,日本人の若い人たちを見ると,そういう感じを持たれるかもしれないね.ものを大切にし ないからね. 董:もういいですか.次の. 三上:興味があるな,もうちょっと議論してほしいな. 董:でも,みんな待ちくたびれています.(最後のプリントを配る). まず,孫さんの「これだけ?」という発言が興味深い.短編の結末部分としていかにも,しりきれとんぼ の感じがするのであろう.思わずこのような発言となった.ここでも,受講者の能力の高さがうかがえる. そこで,授業者は肝心の部分を隠していることを知らせる. この後,授業は,幾代が目の前の列車の発車につられたようにして立ちあがり,重い足どりで歩きだすよ. うすを確認した.受講者みずから,「それをしおに」の「しお」が,塩ではなく,潮汐のそれであることを 発見したりもしている. 最後に,授業者から. ,この出しっ放しの水を,主人公の幾代が止めたかどうかを質問した.作家の答えは. つぎのプリントにあることを言いそえて.短編小説の定石としてのドンデン返しは,筋の進行のなかで,当. 然の帰結として予想される結末とは異なった展開となるからおもしろいのである.この授業では,このよう な作品のプロットから生じる自然な予測ではなく,やや無理をして,受講者に予測を求めている.三上がそ の不自然さを謝っている. この質問に対して,受講者は,. 呉さんが止めると言い.楊さんは止めないと言い,意見が分かれた.止め. る説は,悲しんでいる主人公は,この雑踏の中で見捨てられている.悲しみから抜けだすためには,自力で 気分の転換をしなければならない.その象徴として,水を止めるという行為があるのではないかと言う.止 めない説は,深い悲しみに打ちひしがれている主人公に水を止める気力はないと言う.議論のなかで,止め ない説の楊さんは,止めるとすれば,その水で顔を洗って,気力を回復するきっかけとするためではないか. と,妥協の気配をみせる.いずれも,作家が描く「無意識」の動作には思いいたらなかったようである.作 家がどう描くかは,一種の国民性のような背景にもよるのではという議論にもなった.このなかで,楊さん は,日本の作家が措く日本人の姿としては,止めないのではないかと,いくぶんか確信をこめた意見を述べ る.発言の少なかった孫さんもこれに同意する.. 第7場面(後半). 幾代は,悲しみを運んでそこまで歩いてきた.顔を上げているので,険をあふれた涙が頬に筋を引い. た.が,幾代は,水道のそばを通り抜けぎわに,蛇口の栓を閉めた.音を立てて落ちていた水が止まっ た.が,幾代は自分のその動作に気づいてはいないらしかった.それは無意識に行われただけだった. 列車は音を立てて出てゆき,明るくなったあとに街の眺めが展がった.が,幾代は,再びもとの場所に もどってしゃがみ込むと,今までと同じように泣きつづけた.その場所にさえぎるものがなくなって春 の陽があたった.. 9.

(11) 董 二英玉・三上 勝夫. 孫 :止めた!. 董 :楊さん,読んでください.. 楊:(読む) 楊 :ちょっとがっかり. (略). 三上:さっき,中国人なら止めるけど,日本人なら止めないとおっしゃったんですね.そのことと関係して どうですか.. 呉 :楊さん,発言した人. 楊:なんか,わたしがなんか,向こうで日本の小説を読んでね,なんか日本の作家は,日本文学はけっこ う悲しみ,さびしさに趣をおきますよね.なんでも,なんか淋しさとか.だから止めないかな.もっと 悲しさを強調するために.. 三上:そう,悲しさに打ちひしがれて,まあね. 楊:中国の作家は,なんか,たぶん歴史と政治の影響を受けているから,なんか.. 三上:もし少し力強い. 楊:子どもが転んだら自分で頑張って立ち上がって,これから未来に向かって頑張って.こんな教育をみ んな受けてきたんですよ.. 董 :うん. 孫:中国の作品の場合は,たぶん結局は読者にいい影響を与えるために,あのう・ 三上:価値観を強くするんですよね. 孫:そうそう,閉めなかったらただの気持ちですよ.影響とかあまりないんですよね.ただの表現だから. ね.でも幾代は「閉めた」,心のきれいな人ですね.という感じ. 楊 :ほとんど. 三上:これはね,日本の文芸評論家たちは,この描写をものすごくほめたんですよ.すばらしいと.作家佐 多稲子はもともと短編の上手な方なんだけれど,これ以上のことはないんじゃないかと絶賛したんです よ.われわれがどうしてこれをすばらしいと思うかですよね.さっきおっしゃったとおり普通悲しみに 打ちひしがれていたりすると止めたりしないんですよね.自分の視野に入ってこない.だから,作者と. してもそこを意図的に止めたと書かずに,無意識に止めたと書いた.より人間の行動としては自然じゃ ないかなと思うんですが,この止めたということが. 孫 :作者は幾代を代表として,人間の心のきれいさとか,素直さとか,表現したかったのではないですか ね.. 楊:これはプロレタリア作家だということに関係ありますよね.. 三上:それは十分あります.つまり,働く者,労働者の中にこそ人間性というものが,社会の人間的なもの が含まれているのだと強く言いたいのがプロレタリア作家だと.そういうことは当然含まれていると思. います.. 董:さっき,孫さんが幾代を代表としてと言いましたよね.それが,前は(みなさんに)切実な体験をさ せるのがねらいだったんですよ.今度はそれがまとめ読みになり,典型を読ませるということになるん ですよ.幾代はその時代の,その若い女の子の,さっきのプロレタリアといいましたね.労働者の典型 ですよね.だから幾代という典型の無意識の力で止めたという生命力のあるところを書きたかったん じゃないですか. 孫 :止めた. 10.

(12) 日本語学習者に対する文学作品の読み方指導の研究. 楊さんの「ちょっとがっかり」が,雰囲気をよく表している.止めない説の楊さんは,予想がはずれたこ とにがっかりしているのである.. 受講者は,日本人の作家であれば,止めない形象を描き,中国人の作家であれば,「未来に向かって頑 張って」といったやや政治色の濃い形象を好むという先入観で,予想を立てた.が,この結末部分を読むこ とで,作家佐多稲子はそのいずれとも異なって,「無意識」のうちに水をとめるという形象を創造したのだ ということが確認された.. 議論は,孫さんの「作者は幾代を代表として」という発言を受けて,おのずから,その時代における人間 の「典型」として,主人公幾代が措かれていることにも及んだ.授業者の董が,「幾代という典型の,無意 識の力で止めたという生命力」と,まとめたこともまずまず妥当だったと思われる.. ただし,無意識に栓を閉じた形象の意味するものについては,その豊かさにくらべて,授業での議論はき わめて浅いものである.無意識に栓を閉じた少女の形象がなにゆえに典型たりえるのか.なぜ,読者の胸を 打つのか.これについては,専門の文芸批評の世界でも,十分な解明がないようである.こうした豊かな内 容は,授業時間内にとどまらず,読者それぞれが時間をおいて反窮すべきもののようにも思われる.この授 業が,受講者にそのようなきっかけを提供しえたとすれば,望外のことといえる.. 3.成果と課題 この授業をとおして明らかになったこととして,日本の国語教育のなかで発展してきた読解の理論が,日 本語学習上級者の「長文」の指導においても,有効性をもちうるという結論を第一にあげたい.. 一例にすぎないが,「鋼鉄の壁面」といった語彙的選択による表現性,「しかし」という文法形式の文脈的 表現性などの読みとりにみられるように,文学的に高度な作品であっても,むしろ,それゆえに,教科研の 主張する言語に根拠をおく読みとりは,重要である. また,主人公が水を止めるという重要な形象の意味を問うことをとおして,「幾代を代表として」という 発言を引きだしたように,おのずから,「典型」の意識を生じさせる読みとりとなったことも,文芸研の虚. 構論を授業者が学びとっていて,受講者の思考を的確に導いたことによるといえる. さらに,児言研の一読法を創造的に適用したことも,確かに,読者の想像力を刺激し,物語の展開への興 味や期待を引きだしたといえる.「これだけ?」「とめた!」「ちょっとがっかり」などの反応は,一読法で なければ生じなかったであろう.やや強引な誘導ではあったが,「止めた」かどうかの予測をせまったこと が,表面的ながら日本と中国の文学論的比較や典型の意識につながる思考を促すことにつながった.この展 開も,一読法をおいては語れない.. 第二に,日本語の学習者にとって,人間性を描く文学作品は,やはりよい教材であることも実証されたと いえる.この作品は,社会の下積みに働き,生活する庶民のな−かにある人間性について,その現れは文化的 背景によって異なってはいても,国境を超えて共感しえるものがあることを,伝えてくれている. 第三に,これは今後の課題であるが,伸びざかりの中級者の日本語学習に,今回上級者で確かめたこの手 法が,有効にはたらくかどうか,そのためにどのような条件が必要か,検討してみたいと思う二今回は,す べて日本語で行った授業ではあったが,受講者はそのことによる支障を感じさせない能力をもっていた.あ らかじめ作品全体のテキストを配付しなかったことも,作品の深い理解にむけての意欲をもった取りくみを 促進したといえる.この手法を,中級程度の学習者に適用することができれば,日本語の指導に,さらに一 つの提案を加えることが可能かもしれない.. 11.

(13) 董 英玉・三上 勝夫. (付記)本稿は,董 英玉が修士論文をもとに執筆し,三上が助言をあたえたものである・ (董 英玉:本学大学院修士課程(執筆時)) (三上勝夫:本学教授札幌校). 12.

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参照

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