• 検索結果がありません。

橡恋愛小説の翻訳(王虹).PDF

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "橡恋愛小説の翻訳(王虹).PDF"

Copied!
15
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

恋愛観と恋愛小説の翻訳

―― 林脾訳と長田秋涛訳『椿姫』を例として

王 虹

は じ め に

デ ュ マ ・ フ ィ ス の La Dame aux Camélias が 日 本 語 と 中 国 語 に 翻 訳 さ れ 、受 容 さ れ た の は 19 世 紀 の 末 こ ろ で あ っ た 。し か し 、彼 の 作 品 が 日 本 と 中 国 の 近 代 文 学 に 及 ぼ し た 影 響 は 決 し て 同 じ で は な い 。 中 国 に お い て 、1899 年 、 外 国 語 に 通 じ な い 翻 訳 者 林 脾 (1852-1924)に よ っ て 翻 訳 さ れ た 中 国 語 版 『 椿 姫 』 (『 巴 黎 茶 花 女 遺 事 』 )は 完 全 訳 で は な く 、 恣 意 に 増 削 を 加 え た も の で あ る と し ば し ば 指 摘 さ れ る に も か か わ ら ず 、 中 国 に お け る「 新 文 化 」の 形 成 に 大 き な 影 響 を 与 え た 。そ れ に 反 し て 、 日 本 に お い て 、 La Dame aux Camélias の 翻 訳 が 中 国 よ り は る か に 早 く 行 わ れ 、特 に 明 治 35 年 (1902 年 ) に 出 版 さ れ た『 椿 姫 』は フ ラ ン ス 留 学 を 経 験 し た 翻 訳 者 長 田 秋 涛 (1871-1915) が は じ め て フ ラ ン ス 語 原 典 か ら 訳 し た 直 接 訳 で あ り 、 逐 語 訳 に 近 い も の で あ る 。 と は い え 、 デ ュ マ ・ フ ィ ス の 翻 訳 は 日 本 の 近 代 文 学 に「 明 瞭 な 影 響 は 認 め が た い 」と い わ れ て い る ( 富 田 、 197)。 い う ま で も な く 、 日 本 と 中 国 の 読 者 や 文 学 者 の こ の 異 国 情 味 に 満 ち た フ ラ ン ス の 恋 愛 小 説 の 受 容 の 仕 方 は 異 な っ て い た 。本 論 で は 、そ の 時 代 に 中 国 語 と 日 本 語 に 訳 さ れ た 小 説 La Dame aux Camélias を 例 と し て 、 男 女 間 の 感 情 に 関 す る 表 現 の 翻 訳 を 比 較 考 察 す る こ と を 通 し て 、 中 国 と 日 本 に お け る 当 時 の 人 々 は ど の よ う に 西 洋 的 「 恋 愛 観 」 を 理 解 し 受 け 入 れ た か を 考 察 す る と 同 時 に 、 受 容 側 の 文 化 的 歴 史 的 背 景 は ど の よ う に 翻 訳 作 業 に 影 響 を 与 え る か を 検 討 す る 。

(2)

1 . 原 テ キ ス ト : デ ュ マ ・ フ ィ ス の L a D a m e a u x C a m l i a s 1 . 1 L a D a m e a u x C a m l i a sの 成 立

La Dame aux Camélias(『 椿 姫 』)は 小 説 で あ る と は い え 、物 語 は 純 粋

な フ ィ ク シ ョ ン で は な い 。 作 者 と 作 中 人 物 の 間 に 、 あ る 実 在 の 人 物 が い た の で あ る 。 彼 女 は 有 名 な 娼 婦 で あ る 。 実 名 は ア ル フ ォ ン シ ー ヌ ・ プ レ シ ス( Alphonsine Plessis)で あ り 、当 時 マ リ −・デ ュ プ レ シ ス( Marie Duplessis) と 自 称 し て い た 。 マ リ ー は バ ラ の よ う な 香 り の 強 い 花 に 酔 う の で 、「 椿 の 花 」を 愛 し て い た が 、生 前 に お い て は 、彼 女 は「 La dame aux camélias」 と は 呼 ば れ な か っ た 。 デ ュ マ ・ フ ィ ス が 当 の 作 品 に 「 椿 の 花 」 を こ の パ リ の 高 級 娼 婦 の 運 命 と 結 び 付 け 、 美 し い 名 を 主 人 公 マ ル グ リ ッ ト ・ ゴ ー テ ィ エ に 与 え た の で あ る 。 当 の 小 説 を 発 表 し た 後 、 人 々 は 亡 く な っ た マ リ ー に も 椿 の 花 を 捧 げ る こ と と な っ た( Dumas fils、 1867 10)。 1 . 2 L a D a m e a u x C a m l i a sの 翻 訳 ロ シ ア の 言 語 学 者 ロ ー マ ン ・ ヤ − コ ブ ソ ン の 革 新 的 な 翻 訳 概 念 に し た が っ て 言 え ば 、 La Dame aux Camélias は ( 1) 同 一 言 語 内 翻 訳 、 (2) 異 種 言 語 間 翻 訳 、 (3) 記 号 間 翻 訳 ( ヤ ー コ ブ ソ ン 、 57) と い っ た 三 種 類 の 翻 訳 の す べ て が 行 わ れ た と 言 っ て も 過 言 で は な い 。1848 年 、24 歳 の デ ュ マ ・ フ ィ ス は パ リ で 、 La Dame aux Camélias と い う タ イ ト ル を も つ 小 説 を 発 表 し た 。つ い で 1851 年 、彼 は 自 ら こ の 小 説 を 五 幕 劇 に 改 編 す る 。1853 年 、 イ タ リ ア の 音 楽 家 ヴ ェ ル デ ィ が 、 こ の 作 品 を も と に し て 有 名 な 歌 劇 を 作 曲 し た 。 1909 年 以 後 、 La Dame aux Camélias は 何 度 も 映 画 や テ レ ビ ド ラ マ に 取 り 上 げ ら れ 、世 界 中 に 広 が っ た 。そ し て 、 小 説 、 劇 、 歌 劇 、 映 画 は ま た 世 界 の 国 々 の 言 語 へ 翻 訳 さ れ 、 数 え 切 れ な い 読 者 を 獲 得 し た の で あ る 。 中 国 に お い て 、 は じ め て こ の 小 説 を 翻 訳 し た の は 外 国 語 に 通 じ て い な い 翻 訳 者 林 脾 で あ る 。彼 は 助 手 の 口 述 に し た が っ て 、『 巴 黎 茶 花 女 遺 事 』 と い う 題 名 で 刊 行 し た 。 そ れ は 中 国 の 近 代 翻 訳 史 に お い て 最 初 に 翻 訳 さ れ た 西 洋 小 説 で あ る 。 彼 が 翻 訳 を 発 表 し た 後 、 た ち ま ち 大 好 評 を 得 、近 代 の 中 国 知 識 人 に「 西 洋 の 紅 楼 夢 」と よ ば れ 、大 歓 迎 さ れ た 。 1920 年 頃 、 文 学 家 劉 半 農 が 『 椿 姫 』 の 劇 を 訳 し 、 夏 康 農 は 「 白 話 文 」

(3)

で 『 椿 姫 』 を 新 た に 翻 訳 し た 。 と こ ろ で 、 日 本 に お い て は 、 1874 年 ( 明 治 6 年 )、 新 聞 記 者 成 島 柳 北 の 日 記 に お い て 、す で に 、『 椿 姫 』の 観 劇 後 の 感 想 と 粗 筋 が 紹 介 さ れ て い る 。『 椿 姫 』 の 最 初 の 日 本 語 訳 が 現 れ た の は 1884 年 ( 明 治 17 年 ) で あ る が 、訳 者 は「 艸 廼 戸 主 人 」と 署 名 し て い た 。彼 は『 巴 里 情 話 椿 の 俤 』 と い う 訳 題 で 『 函 右 日 報 』 に 発 表 し た 。 1885 年 ( 明 治 18 年 ) に 、「 天 香 道 人・醒 醒 巨 士 」が『 椿 姫 』の 翻 案 と し て『 新 編 黄 昏 日 記 』 を 出 し 、 デ ュ マ ・ フ ィ ス の 名 は 「 歴 山 徳 戎 馬 」 と 記 さ れ て い る ( 高 橋 、 23)。明 治 二 十 年 代 に 入 る と 、日 本 に お け る 西 洋 文 学 の 翻 訳 は 質 量 と も に に わ か に 盛 ん に な っ て く る が 、 フ ラ ン ス 文 学 の 翻 訳 紹 介 、 特 に フ ラ ン ス 語 か ら の 直 接 訳 は ま だ 少 な か っ た 。 1888 年 ( 明 治 21 年 ) に 、 加 藤 紫 芳 は 『 椿 の 花 把 』 と 題 す る 訳 を 読 売 新 聞 に 連 載 し 、 後 に 雑 誌 『 小 説 萃 錦 』に 載 せ 、単 行 本 ま で 世 に 出 し た( 柳 田 、183)。明 治 29 年( 1896 年 ) に 、 日 本 に お い て 、 デ ュ マ ・ フ ィ ス の La Dame aux Camélias は よ う や く フ ラ ン ス 原 語 か ら の 訳 が 現 れ た の で あ る 。 フ ラ ン ス 留 学 の 経 験 が あ る 長 田 秋 涛 は 雑 誌『 白 百 合 』の 創 刊 号 に「 椿 姫 」と 題 す る デ ュ マ ・ フ ィ ス の 劇 La Dame aux Camélias の 一 幕 を 訳 出 し 、世 の 注 目 を 集 め た 。 と こ ろ が 、『 白 百 合 』 は 、 二 号 し か 発 行 さ れ な か っ た た め 、 劇 『 椿 姫 』 の 訳 も 中 断 し た 。 さ ら に 、 内 田 魯 庵 は 雑 誌 『 世 界 之 日 本 』 に デ ュ マ ・ フ ィ ス の 小 説 La Dame aux Camélias を 「 椿 夫 人 」 と 題 し て 訳 出 し 、 創 刊 号 か ら 三 回 連 載 し た が 、 こ れ も ま た 、 未 完 成 の ま ま で あ っ た 。 内 田 魯 庵 は 翻 訳 を 断 念 し た 理 由 を 「 白 百 合 発 行 せ ら れ 長 田 秋 涛 の 精 錬 な る 訳 文 『 椿 姫 』 出 て 江 湖 嘖 嘖 と し て 妙 を 称 す 」 か ら だ と 述 べ た ( 内 田 、 277)。 魯 庵 の 話 か ら も わ か る が 、 当 時 長 田 秋 涛 の 訳 は 好 評 で あ っ た の で あ る 。 長 田 秋 涛 の 訳 が 出 た 後 、 日 本 に お い て 、 デ ュ マ ・ フ ィ ス の こ の 小 説 は よ う や く 『 椿 姫 』 と 定 訳 さ れ た 。 そ の 他 の 題 名 の 訳 も あ っ た 。 た と え ば 、大 正 3 年 に 出 た 太 田 三 次 郎 と い う 人 に よ っ て 訳 さ れ た も の は『 椿 御 前 』 と 題 さ れ た 。 し か し 、 長 田 秋 涛 の 優 れ た 訳 名 を 多 く の 人 に 親 し ま れ 、 日 本 の 読 者 の 中 に 広 が っ た た め 、 以 後 の 殆 ど の 訳 は 『 椿 姫 』 と 題 し た の で あ る 。 そ の 中 に 、 1911 年 ( 明 治 44 年 )、 田 口 掬 汀 と い う 人 が『 文 芸 倶 楽 部 』に 発 表 し た 脚 本 も「 椿 姫 」と 題 し て い た 。1928 年( 昭

(4)

和 3 年 ) に 出 た 高 橋 邦 一 郎 の 訳 は 長 田 秋 涛 の 訳 と 比 べ れ ば 、 文 体 や 語 彙 か ら 見 る と 、 よ り 一 層 読 み や す く な っ た 。 1934 年 ( 昭 和 9 年 ) 吉 村 正 一 郎 の 翻 訳 が 世 に で て 、 今 日 ま で 、 す で に 81 刷 が 刊 行 さ れ て い る 。 そ れ 以 外 に 、 鈴 木 力 衛 の 訳 、 新 庄 嘉 章 の 訳 も 何 度 も 版 本 が 現 れ た が 、 い ず れ も 『 椿 姫 』 を 訳 題 と し て い る の で あ る 。 1 . 3 原 テ キ ス ト に お け る 恋 愛 観 お よ び そ の 表 現 よ く 言 わ れ る よ う に 、西 洋 の 近 代 的 恋 愛 観 は 中 世 の フ ラ ン ス 人 が「 発 見 」し た も の で あ る( ル ー ジ ュ モ ン 、1-15)。19 世 紀 に お け る フ ラ ン ス の 作 家 ス タ ン ダ − ル は 1822 年 に 刊 行 さ れ た 有 名 な 論 文 、『 恋 愛 論 』 に お い て 、 中 世 の フ ラ ン ス 人 が 「 発 見 」 し た 「 恋 愛 」 を 「 情 熱 恋 愛 ( l’amour-passion)」と 名 づ け 、「 我 々 に あ ら ゆ る 利 害 を 無 視 さ せ る 」一 種 の 恋 愛 で あ る と 称 し て い る ( ス タ ン ダ ー ル 、 309-310)。 一 言 で い え ば 、「 情 熱 恋 愛 」と は「 女 性 優 位 」の「 純 潔 の 愛 」で あ る 。 中 世 に お い て 、 南 仏 の 詩 人 た ち は 歌 で こ の よ う な 「 恋 愛 」 を 歌 い 、 彼 ら に よ っ て そ れ は 全 ヨ ー ロ ッ パ へ 広 が っ た 。 彼 ら の 歌 に お い て 、 女 性 は つ ね に 高 位 に い る 美 貌 と 才 能 を あ わ せ も つ 既 婚 の 婦 人 で あ り 、 数 々 の 試 練 と 苦 難 の な か に 愛 を 求 め る 。 既 婚 の 貴 婦 人 で あ る た め 、 男 に と っ て は 彼 女 た ち の 「 愛 」 は た や す く 得 ら れ る も の で は な い 。 絶 え ず 犠 牲 と 忍 耐 を 強 い ら れ る だ け で な く 、 待 つ こ と に よ っ て 、 「 愛 」 は 更 に 得 難 い も の と な る 。 人 間 も こ の 肉 欲 を 超 え た 「 純 潔 な 愛 」 を 求 め る 過 程 に お い て 、 高 め ら れ 強 め ら れ 、 崇 高 の 領 域 に 至 る 。 後 に 、 こ の よ う な 愛 の 物 語 は 18 世 紀 、 19 世 紀 の ヨ ー ロ ッ パ 文 学 に 現 れ た 恋 愛 小 説 の 源 と な っ た 。 と こ ろ が 、18 世 紀 の 小 説 か ら 、 そ の 「 情 熱 恋 愛 」 の 物 語 の 女 主 人 公 の 階 級 が 徐 々 に 変 わ っ て く る 。 い つ の ま に か 、 作 家 た ち の 目 は 社 会 階 級 と し て 最 高 の 位 置 に あ る “dame” と 呼 ば れ る「 貴 婦 人 」に で は な く 、 最 下 層 に あ る 悪 女 に も 向 か っ た 。 そ の 代 表 的 な 作 品 は 十 八 世 紀 に 現 れ た 小 説 ア ベ ・ プ レ ヴ ォ の 『 マ ノ ン ・ レ ス コ ー 』 で あ る 。 と こ ろ が、 貴 婦 人 で あ れ 娼 婦 で あ れ 、 一 旦 愛 に 陥 る と 、 女 性 も 男 性 も 積 極 的 に 愛 を 求 め る こ と は 変 わ っ て い な い 。 中 世 の 有 名 な 宮 廷 風 恋 愛 物 語 『 ト リ ス タ ン と イ ズ ー 』 の な か で 、 マ ル ク 王 の お 妃 で あ る 金 髪 の イ ズ ー は 宮 廷 か

(5)

ら 逃 げ 出 し て 、重 傷 を 負 っ た 恋 人 ト リ ス タ ン の い ど こ ろ に 駆 け つ け る 。 娼 婦 で あ る マ ノ ン も 恋 人 を 愛 し な が ら 、 貧 困 に 耐 え ら れ ず 、 恋 人 を 捨 て る が 、 最 後 に 、 愛 す る 恋 人 の 傍 に 死 ぬ 。 さ ら に 、 こ の よ う な 作 品 の な か で は 、つ ね に 、男 は い か に 地 位 が 高 く て も 、愛 す る 女 に 向 か っ て 、 自 ら を 下 僕 、奴 隷 と 称 す る 。た と え ば 、正 式 に は『 デ ・ グ リ ユ ー 騎 士 と マ ノ ン ・ レ ス コ ー の 物 語 』 と 題 さ れ る 『 マ ノ ン ・ レ ス コ ー 』 に お い て 、 聖 職 者 に な る は ず で あ っ た デ ・ グ リ ユ ー は 娼 婦 マ ノ ン に こ う 言 う 。 あ あ 、 マ ノ ン 、 … 君 が あ れ ほ ど 悪 意 に 満 ち た 裏 切 り で ぼ く の 愛 に 報 い よ う と は , 思 っ て も み な か っ た 。 君 を 絶 対 君 主 と 崇 め 、 君 を 喜 ば せ , 君 の 意 に 従 う こ と を 無 上 の 楽 し み と し て い た 心 を 欺 く こ と な ん て 、 … ど う か 正 直 に 言 っ て ほ し い … ( 石 井 訳 、 1998) デ ュ マ ・ フ ィ ス が『 マ ノ ン ・ レ ス コ ー 』か ら 受 け た 影 響 は 大 き い 。お そ ら く 、著 者 が『 マ ノ ン ・ レ ス コ ー 』を 模 倣 し 、あ る い は そ れ と 比 較 し な が ら 、 La Dame aux Camélias を 書 い た と 言 っ て も 間 違 い な か ろ う 。 当 の 作 品 で は 、 女 主 人 公 マ ル グ リ ッ ト が 終 始 マ ノ ン と 重 ね 合 わ せ て 描 か れ て い る 。物 語 は マ ル グ リ ッ ト ・ ゴ ー テ ィ エ が 持 つ こ の 本 の 競 売 か ら は じ ま り 、ス タ イ ル も『 マ ノ ン ・ レ ス コ ー 』と 似 通 っ て い る 。La Dame

aux Camélias に お い て 、 男 主 人 公 ア ル マ ン も 次 の よ う に 言 う 。

Marguerite, fais de moi tout ce que tu voudras, je suis ton esclave, ton chien ;( 原 文 149).

マ ル グ リ ッ ト 、 僕 を ど う に で も 君 の 好 き な よ う に し て お く れ 。 僕 は 君 の 奴 隷 だ 、 犬 だ ( 吉 村 訳 180)。

周 知 の よ う に 、 La Dame aux Camélias の タ イ ト ル は 「 椿 の 花 を 持 つ 婦 人 」 を 意 味 す る 。 単 語 “dame( 婦 人 ) ”は “femme” よ り 丁 寧 な 言 い 方 で あ り 、「貴 婦 人 、身 分 の 高 い 女 性 」 と も 解 釈 で き る(『 ロ ワ イ ヤ ル 仏 和 中 辞 典 』 481)。 と は い え 、 小 説 の 女 主 人 公 は 実 は 娼 婦 で あ る 。 デ ュ マ ・ フ ィ ス の 『 椿 姫 』 が 世 に 出 る 前 後 に 、「 娼 婦 」 は ま だ “courtisane,” “femme entretenue” と 呼 ば れ て い た が 、 デ ュ マ ・ フ ィ ス が 1855 年 、「 高 級 娼 婦 」 を 対 象 と し て 新 た に 劇 Le demi-monde を 書 い た 後 、「 娼 婦 」 を

(6)

指 す 語 彙 と し て 新 し い 表 現 “Le demi-monde” が 現 れ た の で あ る ( Grand LarousseⅢ 905)。 よ く 知 ら れ る よ う に 、 “Le monde”と は 、 フ ラ ン ス の 上 流 社 会 、社 交 界 を 指 す こ と ば で あ る が 、デ ュ マ ・ フ ィ ス は「 高 級 娼 婦 」 の 社 会 を 「 半 社 交 界 」( “Le demi-monde”) と 称 し た 。 彼 は La

Dame aux Camélias に こ の 二 つ の 社 会 の 関 係 を こ う 述 べ る 。

こ の 種 の 女 た ち 〔 高 級 娼 婦 た ち を 指 す 〕 の 馬 車 は 毎 日 、 彼 女 た ち 〔 社 交 界 の 貴 婦 人 た ち を 指 す 〕 の 馬 車 に 泥 水 を 跳 ね 上 げ る し 、 オ ペ ラ 座 や イ タ リ ア 劇 場 で は 同 じ よ う に 肩 を 並 べ て 座 席 を と っ て い る し 、 そ れ か ら ま た パ リ の 市 中 で は き り ょ う と 装 身 具 と い か が わ し い う わ さ と で も っ て 、 え ら そ う な 顔 を し て 、 豪 奢 を 見 せ び ら か し て い る の だ ( 吉 村 訳 4) 「 半 社 交 界 」( “Le demi-monde”) の 社 会 に 入 る 娼 婦 た ち は 殆 ど こ の 中 か ら 脱 出 し よ う と は 思 わ ず 、 男 と の 結 婚 を 目 指 す で も な く 、 自 由 な 意 志 で 豪 奢 な 生 活 を 求 め 、 金 持 ち の 愛 人 に 自 分 の た め に 献 身 さ せ る 。 椿 姫 マ ル グ リ ッ ト も こ の 社 会 の 一 人 で あ る が 、 娼 婦 と し て 、「 情 熱 的 な 」 日 々 、「 淫 蕩 な 生 活 」 を 送 っ て い た 彼 女 は 実 際 「 処 女 」 の よ う な 、 否 、「 処 女 」 よ り 純 潔 な 一 面 を 持 っ て い る 女 で あ る 。「 愛 」 が あ れ ば 、 こ の 娼 婦 も「 情 の あ る 純 潔 な 処 女 に な れ る 」( 吉 村 訳 95)。小 説 に お い て 、著 者 は 何 度 も 彼 女 の 純 潔 さ を 強 調 し 、「 純 潔 の 愛 」を 賛 美 す る 。著 者 は ア ル マ ン の 口 を 借 り て 、 こ う い う 。

Quel sublime enfantillage que l’amour! ( 原 文 70)

〔 愛 と は な ん と 至 高 で 子 供 っ ぽ い な も の だ ね ! 〕

Comme l’amour rend bon !( 原 文 107)。

〔 愛 は 人 間 を 崇 高 に す る ! 〕 娼 婦 で あ る マ ル グ リ ッ ト は 一 旦 真 実 の 愛 に 目 覚 め る と 、 積 極 的 に 自 分 の 情 緒 を 表 し 、自 己 を 犠 牲 に し て 、恋 人 を 守 る 。そ れ は「 真 の 恋 愛 」 が 人 間 を 崇 高 に す る か ら で あ る 。 要 す る に 、西 洋 の 「 恋 愛 観 」 の 伝 統 に 基 づ い て 描 か れ た 愛 の 物 語 で は 、 女 性 は つ ね に 、 金 髪 の イ ズ ー 、 マ ノ ン 、 マ ル グ リ ッ ト の よ う に 、 恋 愛

(7)

の 主 人 公 で あ り 、 自 由 に 恋 人 を 選 択 し 、 積 極 的 に 愛 を 求 め る 。 と こ ろ が 、 そ の よ う な 西 洋 的 「 情 熱 恋 愛 」 の 伝 統 お よ び 「 か た ち 」 は 中 国 と 日 本 で は な か っ た 。 2 .『 巴 黎 茶 花 女 遺 事 』 に お け る 「 愛 」 の 翻 訳 と そ の 恋 愛 観 『 巴 黎 茶 花 女 遺 事 』 に お い て “l’amour” と い う こ と ば は 、 し ば し ば 「 情 」と 翻 訳 さ れ る が 、「 愛 」に 翻 訳 さ れ る 場 合 も 少 な く な い 。た と え ば 、 1 . 瀧 垰 ,“ [… ]埴 惚 需 握 ,萩 扮 械 狛 厘 葎 偵 嗔 [… ]” ( 160) 〔 馬 克 は 言 っ た 、(中 略 ) 君 は ほ ん と に ( 私 を ) 愛 す る な ら 、 私 と 親 友 の よ う に 接 し て く れ 。〕 2 . 瀧 胆 繁 秤 來 ,飛 剋 雑 岻 昧 送 闘 鬼 ,導 凛 宴 涙 裁 治 。( 163) 〔 馬 克 の 「 情 」 は 美 人 の 情 で あ り 、 柳 の わ た の よ う に 漂 い 、 瞬 く 間 に 跡 形 が 消 え て し ま う 。〕 〔 馬 克 は マ ル グ リ ッ ト を 指 す 〕 原 文 で は そ れ ぞ れ “l’aimer, ” “l’amour” で あ る 。そ も そ も 、中 国 語 の 「 愛 」 と い う 言 葉 は 早 く も 紀 元 前 の 古 典 の 中 で 使 わ れ て お り 、 フ ラ ン ス 語 “l’amour” と 同 じ 、 い ろ い ろ な 人 間 関 係 を 含 む 一 種 の 感 情 を 示 す こ と ば で あ る 。た だ し 、“l’amour” と は 根 本 的 な 違 い が あ る 。中 国 文 化 の 基 盤 で あ る 孔 子 孟 子 の い わ ゆ る 儒 学 思 想 を 示 す 書 物 に お い て 、「 愛 」 は「 人 を 愛 す る 」と い う 意 味 で よ く 使 わ れ て い る 。「 仁 」、「 義 」、「 徳 」、 「 礼 」 を 強 く 強 調 す る 儒 学 で は 、 つ ね に 男 が 上 位 に お り 、 女 は 男 に 支 配 さ れ る 対 象 で あ る 。「 人 を 愛 す る 」 こ と が 天 下 の 男 の 責 任 と 見 ら れ 、 「 女 を 愛 す る 」 と い う こ と が 「 色 」 と さ れ る 。 男 が 立 派 な 人 間 に な る に は 「 色 」 欲 を 抑 制 し な け れ ば な ら な い の で あ る 。 周 定 一 編 の 『 紅 楼 夢 語 言 詞 典 』 の 「 愛 」 の 項 目 に お い て 、 編 著 者 は 五 つ の 意 味 に つ い て 例 を 挙 げ た が 、「 男 女 の 愛 」と い う 意 味 は な い 。言 い 換 え れ ば 、有 名 な 中 国 の 恋 愛 小 説『 紅 楼 夢 』 に お い て も 、「 愛 」と い う 語 は 男 女 の 愛 と い う 意 味 で は 使 っ て い な い よ う で あ る 。「 男 尊 女 卑 」 と い う 観 念 の 下 に あ る 中 国 文 学 作 品 に 現 れ た 恋 愛 物 語 に お い て 、 女 は

(8)

つ ね に 、 下 位 に お り 、 自 ら の 主 体 性 に よ っ て 積 極 的 に 「 愛 」 を 求 め る の で は な く 、 男 の 帰 り や 救 い を 待 ち 、 密 か に 思 慕 の 感 情 を 抱 き つ づ け る と い う イ メ ー ジ で あ っ た 。 し た が っ て 、 こ の 意 味 で は 、 中 国 に お け る 「 恋 愛 」 は や は り 西 洋 的 「 恋 愛 」 と 違 っ て 、 男 性 上 位 の 「 恋 愛 」 で あ る 。 こ の よ う な 中 国 式 の 「 愛 」 の 発 想 に 基 づ い て い る た め 、 中 国 文 学 に お け る 女 性 の 美 貌 お よ び 恋 愛 情 緒 の 描 写 、 表 出 の 仕 方 は や は り 異 な っ て い る 。 中 国 人 は 社 会 的 基 準 と 見 ら れ る 道 徳 と 常 識 か ら の 非 難 を 逃 れ る た め に 、 男 女 の 「 愛 」 の 感 情 を 積 極 的 に 表 現 す る こ と を 控 え な け れ ば な ら な か っ た 。 「 個 」 を 強 調 し 、 自 己 主 張 を 積 極 的 に 表 そ う と す る 19 世 紀 以 降 の 西 洋 人 の 言 語 表 現 と 比 較 す る と 、中 国 人 の 「 愛 」 の 情 緒 は よ り 繊 細 で 、 抽 象 的 で あ る 。 近 代 に な っ て も 、 こ の よ う な 情 緒 の 表 出 の 消 極 性 は 変 わ ら な い 。 そ れ 故 に 、女 は 男 に 向 か っ て 、「 愛 」を 用 い て 、 率 直 に 「 私 は あ な た を 愛 す る 」 と 、 自 ら の 感 情 を 表 す こ と は き わ め て 大 胆 な 表 現 方 法 で あ り 、 中 国 の 伝 統 的 な 文 学 作 品 に は 見 当 た ら な い 現 象 で あ る 。そ れ に 反 し て 、

La Dame aux Camélias に お い て は 、 い う ま で も な く 、 女 主 人 公 マ ル グ

リ ッ ト が 恋 人 ア ル マ ン に 向 か っ て 、“je t’aime( 私 は あ な た を 愛 す る )” と い う こ と ば は 、ご く 自 然 に 、ま た 頻 繁 に 出 て い る 。19 世 紀 末 、20 世 紀 初 期 の 中 国 人 に と っ て は 、 女 が 男 に こ の よ う な 心 情 を 表 す こ と は 不 自 然 と 考 え ら れ た 。 こ の よ う な 受 容 側 の 文 化 を 考 え る と 、 林 脾 の 訳 は き わ め て 大 胆 で あ る と 言 え よ う 。『 巴 黎 茶 花 女 遺 事 』 に は 、「 愛 」 は 次 の よ う な 例 が あ る 。 1. 瀧 垰 :“ 隼 夸 徨 封 握 厘 窄 ? ” ( 166) 〔 馬 克 は 言 っ た 、 で も あ な た は 私 を 死 ぬ ほ ど 愛 し て い る の 。〕 2. 瀧 垰 :“ … 厘 握 冉 値 、 … ” ( 168) 〔 馬 克 は 言 っ た 、 … … 私 は 亜 猛 を 愛 す る 、 … … 〕 3. “ 厘 握 冉 値 ,冉 値 岑 岻 厮 蕪 ,僅 厘 症 握 … … ” ( 182) 〔 私 が 亜 猛 を 愛 す る こ と を 、 亜 猛 は 知 っ て い る で し ょ う が 、 私 の 愛 を 断 っ て … … 〕 〔 亜 猛 は ア ル マ ン を 指 す 〕

(9)

し か し 、林 脾 は 西 洋 の「 恋 愛 観 」を す べ て 受 け 入 れ た と は 言 え な い 。 フ ラ ン ス と 中 国 の 「 恋 愛 観 」 が 異 な る た め 、 訳 さ れ な い 部 分 が こ の 作 品 に は 少 な く な い 。 例 え ば 、 マ ル グ リ ッ ト の 「 な ぜ 、 あ な た は 私 の 病 気 の と き 毎 日 見 舞 い に く る の で し ょ う か 」 と い う 質 問 に 、 ア ル マ ン は “dévouement( 献 身 ) ” と 答 え る 。 一 見 簡 単 な 一 つ の 単 語 で あ る が 、 訳 者 が 翻 訳 を す る の に か な り 悩 ん だ こ と が 推 測 で き る 。林 脾 は こ れ を「 此 所 謂 徳 武 忙 耳 」と「 音 訳 」し て 、括 弧 に「 犹 華 語 言 為 朋 友 尽 力 也 」(「 友 人 の た め に 、 力 を 尽 く す 」 と い う 意 味 ) と 注 釈 を 加 え た 。 し か し 、 訳 者 は フ ラ ン ス の 文 化 や 習 慣 を な る べ く 中 国 の 読 者 に 伝 え よ う と 努 め る 。 た と え ば 、 原 文 に よ く 現 れ る 男 女 の 抱 き 合 う 動 作 を 訳 す 場 合 、 林 脾 は 次 の よ う な 方 法 を 取 る 。 冱 肝 ,訟 隗 欄 , 噫 軸 遇 牌 岻 (緩 廉 没 槻 溺 ㌢ 需 岻 撰 匆 。)( 156) 〔 と い う と 、( 彼 女 の ) 腕 を 挙 げ 、 私 は こ の 白 い 腕 に キ ッ ス を し た 。〕 人 前 で 、 男 女 の 愛 を 表 す 動 作 、 た と え ば 「 抱 き 合 い 」 、 「 接 吻 」 な ど す る の は 中 国 人 の 習 慣 に は な い 。 慣 習 的 に 許 さ れ な い の で あ る 。 し た が っ て 、訳 者 は 、「 此 れ は 西 洋 男 女 の 挨 拶 の 仕 方 で あ る 」と 説 明 を 加 え ざ る を 得 な か っ た 。そ の 後 、訳 者 は 堂 々 と「 噫 參 棺 牌 凪 駆 」〔 私 は 唇 で 彼 女 の 額 に キ ッ ス を す る 〕、「 扮 扮 參 笥 牌 噫 欄 」〔 時 々 口 で 私 の 腕 に キ ッ ス を す る 〕、「 參 棺 牌 令 謝 」〔 唇 で 私 の 頬 に キ ッ ス を す る 〕、「 噫 牌 凪 謝 御 佩 」〔 私 は 彼 女 の 頬 に キ ッ ス を し て( 彼 女 と )別 れ る 〕な ど の 表 現 を 使 う こ と に な る 。 要 す る に 、 翻 訳 者 は 翻 訳 す る さ い 、 往 々 に し て 、 原 作 と 翻 訳 作 品 の 読 者 の 文 化 や 習 慣 の 差 異 性 を 考 慮 し な が ら 作 業 し て い る と 推 測 で き る 。 少 な く と も 、 林 脾 の 場 合 は そ う で あ る 。 そ れ 故 に 、 林 脾 は 翻 訳 す る さ い 、 ア ル マ ン の 次 の よ う な 発 言 、“Marguerite, fais de moi tout ce que tu voudras, je suis ton esclave, ton chien”( 原 文 149) の 中 の 、 「 ぼ く は あ な た の 奴 隷 で す 、 あ な た の い ぬ で す 」 と い う 内 容 を 大 幅 に 省 略 し 、「 噫 崛 壅 哈 恟 」( 177)〔 私 は 再 び 謝 っ た 〕 と 訳 し た 。 原 文 に お け る ア ル マ ン の 話 は ご く 簡 単 な フ ラ ン ス 語 で あ る 。 林 脾 が わ か ら な か っ た と し て も 、 林 脾 の 口 述 者 が わ か ら な い は ず は な い 。 古

(10)

文 の 文 体 に 合 わ な い た め 、 翻 訳 者 が 恣 意 的 に 改 訳 し た と は 言 い が た い が 、 む し ろ 中 国 の 「 愛 」 の 概 念 で 考 え た た め に 、 原 文 を 「 忠 実 」 に 訳 す こ と は で き な か っ た で あ ろ う 。 し た が っ て 、 林 脾 は “l’amour” な ど 表 現 を 「 情 」 、 「 愛 」 と 訳 し た と い っ て も 、 西 洋 的 な 「 愛 」 が 理 解 さ れ 、 受 け 入 れ ら れ た と は と て も 言 え な い の で あ る 。特 に 、原 文 に あ る 、「 愛 は 人 間 を 崇 高 に す る 」と い う 意 味 を 表 す 表 現 は 一 度 も 翻 訳 さ れ て い な い 。 受 容 側 の 伝 統 的 な 恋 愛 観 に は な か っ た こ の よ う な 表 現 は 翻 訳 し よ う と し て も 、 翻 訳 し が た い の で あ る 。 3 . 長 田 秋 濤 訳 の 『 椿 姫 』 に お け る「 恋 」 と 「 恋 愛 」 日 本 に お け る 「 恋 愛 」 と い う 用 語 の 成 立 過 程 も 、 西 洋 的 恋 愛 観 と 中 国 や 日 本 的 恋 愛 観 の 交 流 の 結 果 で あ る 。 中 国 の 『 漢 語 大 詞 典 』 に よ れ ば 、「 恋 愛 」 と い う 表 現 は 中 国 の 宋 代 の 文 献 に も 見 ら れ る の で あ る が 、 そ の と き は 、 ま だ 、 男 女 間 の 「 愛 」 を 指 す 用 語 で は な く 、 ひ ろ く 一 般 の 人 々 の 「 思 う 」 と い う 感 情 を 指 す こ と ば で あ っ た 。18 世 紀 に 書 か れ た『 紅 楼 夢 』に お い て は 、「 恋 愛 」と い う 表 現 も 使 わ れ て い る が 、た だ 、 物 事 を 愛 す る と い う 意 味 で 、 今 日 の 日 本 語 と 中 国 語 に お け る 「 恋 愛 」 と い う 意 味 と は 全 く 違 う の で あ る (『 紅 楼 夢 語 言 詞 典 』 523)。 し か し 、 19 世 紀 に 来 華 し た 宣 教 師 メ ー ト ハ ー ス ト の 編 集 し た『 英 華 辞 典 』で は 、 “to love ” は「 恋 愛 」と 訳 さ れ た(『 明 治 の こ と ば 辞 典 』602)。そ れ は 、 西 洋 の 「 愛 」 と 漢 語 の 「 恋 愛 」 を 結 び 付 け た 最 初 の 例 で あ る よ う で あ る 。 明 治 の 知 識 人 は 西 洋 の “love,” “l’amour” を 翻 訳 す る さ い 、 日 本 の 「 愛 」の 概 念 と 西 洋 の 愛 の 概 念 を 区 別 し よ う と し て 、「 恋 愛 」と い う こ と ば を 用 い た 。 彼 ら は 日 本 の 伝 統 に あ る 「 情 」、「 恋 」、「 色 」 と い っ た 表 現 が 「 不 潔 」 な 連 想 を 引 き 起 こ す 恐 れ が あ る と み て 、 西 洋 的 な 愛 に は 「 深 く 魂 に よ り 愛 す る 」 こ と を 意 味 す る と 考 え た ( 柳 父 、 89-105)。 後 に 、「 恋 愛 」 と い う こ と ば が 近 代 の 「 恋 愛 観 」 を 示 す こ と ば と な り 、 中 国 の 留 学 生 に よ っ て 、 中 国 に 逆 輸 入 さ れ た と み ら れ る 。 一 つ の こ と ば の 誕 生 か ら も わ か る が 、 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 と の 接 触 が ま だ 浅 か っ た 十 九 世 紀 の 初 期 、 概 念 か ら 「 か た ち 」 ま で 差 異 性 が 存 在 す る 西 洋 的 恋 愛 観 を 偽 り な く 「 伝 え る 」 こ と は 決 し て 容 易 な こ と で は な

(11)

か っ た 。 日 本 に お い て 最 初 に 翻 訳 さ れ た 西 洋 の 恋 愛 小 説 『 花 柳 春 話 』 に 、 青 年 が 少 女 に kiss を す る こ と を 「 朱 唇 を 一 嘗 す る 」 と 翻 訳 し ( 木 村 、20)、二 葉 亭 四 迷 は 男 の い う “I love you” を 簡 単 に「 ぼ く は あ な た が 好 き だ 」 と 訳 し た が 、 女 の 答 え “I love you” を 「 死 ん で も い い わ 」 と い う 文 句 に し た と 指 摘 さ れ て い る ( 玉 村 、 228)。 し た が っ て 、 二 葉 亭 四 迷 と 同 時 代 の 長 田 秋 涛 も フ ラ ン ス の 恋 愛 小 説 を 翻 訳 す る さ い 、 そ の 「 愛 」 に 関 す る 表 現 の 翻 訳 が い か に 難 し か っ た か は 容 易 に 想 像 で き る 。 長 田 秋 濤 訳 の 『 椿 姫 』 に お い て 、 す べ て の 固 有 名 詞 は 「 日 本 化 」 さ れ た 。 露 子 ( マ ル グ リ ッ ト ) と 有 馬 ( ア ル マ ン ) の “amour” は 「 哀 れ な 恋 愛 の 奇 談 」( 285) と も 訳 さ れ て い る が 、「 恋 、愛 、 我 が 恋 」 と 訳 さ れ る 場 合 が 多 い 。「 人 情 」や「 情 愛 」と 混 同 し 、訳 さ れ な い 場 合 も ま れ で な い 。「 恋 愛 」と い う こ と ば は す で に 流 行 し て い た と は い え 、秋 涛 の 訳 文 に は ご く 僅 か し か 現 れ な い 。 人 々 が こ れ を 使 う の は ま だ 慎 重 で あ っ た こ と が わ か る 。 “amant” を 「 い ろ 」 と 訳 す 場 合 が 多 い が 、「 恋 人 」 と 訳 す こ と も あ る 。 ア ル マ ン は マ ル グ リ ッ ト が 自 分 を 愛 し て い な い よ う に 思 い 、 彼 女 に 手 紙 を 出 す 場 面 が あ る 。 マ ル グ リ ッ ト は ア ル マ ン の と こ ろ に 来 て 、 再 び 自 分 の 愛 を 次 の よ う に 告 白 す る 。

Ta lettre t’a démenti, elle m’a révélé que tu n’avais pas toutes les intelligences du coeur, elle t'a fait plus de tort dans l’amour que j’avais pour toi que tout ce que tu aurais pu me faire.( 原 文 147)

那 の 手 紙 で 卿 の 真 個 の 処 が 解 ツ た の 。 全 く 卿 が 人 情 が 解 ら な い ん だ ツ て 事 が 丁 と 解 ツ た の 。 妾 は こ れ 程 情 け な い と 思 つ た こ と は な い わ 。( 329)

「 人 情 」に 対 応 す る の は “coeur” で あ る と 推 測 で き よ う が 、“l’amour que j’avais pour toi( あ な た に 対 す る 愛 ) ” と い う 語 は 訳 さ れ て な い の で あ る 。「 妾 」と い う 表 現 で 、さ ら に 、マ ル グ リ ッ ト と ア ル マ ン の 位 置 は 逆 転 す る 。 そ も そ も 、 日 本 語 に は 第 一 人 称 、 第 二 人 称 の 代 名 詞 が 数 多 く あ り 、こ れ を「 置 く の み で 、上 下 関 係 は 明 確 に な る 」( 伊 藤 、264)。 往 々 に し て 、 女 性 が 男 の 前 で 、 卑 下 す る こ と ば を 使 う の は 女 性 の 美 徳 と 見 ら れ る 。 し か し 、 西 洋 に は こ の 習 慣 が 見 当 た ら な い 。 周 知 の よ う

(12)

に 、フ ラ ン ス 語 に お い て 、第 二 人 称 代 名 詞 は 二 つ あ り 、“tu” と “vous” の 使 い 方 に よ っ て 、 相 手 と の 親 し さ な ど を 表 す 。 こ こ に 、 マ ル グ リ ッ ト は 恋 人 に 対 し て 、平 等 と い う よ り 、や や 高 い 立 場 か ら 自 分 の 愛 を「 告 白 」 す る の で あ る が 、 長 田 秋 涛 の 訳 で は 、 ま さ し く そ の 逆 に な っ て い る 。 も ち ろ ん 、 こ れ は 訳 者 で あ る 長 田 秋 涛 の 語 学 力 と は 関 係 な い こ と で あ ろ う 。 マ ル グ リ ッ ト と い う 名 を 露 子 に 置 換 し 、 翻 訳 者 が 意 識 的 に 異 質 な も の を 日 本 の 読 者 に 親 し ま せ よ う と す る 形 式 を 採 る と す れ ば 、 こ れ は や む を 得 ざ る こ と で あ っ た 。 と こ ろ が 、長 田 秋 涛 は 翻 訳 に お い て 、「 色 」と「 愛 」を 区 別 さ せ よ う と い う 試 み も し て い る 。 原 文 に 次 の よ う な 部 分 が あ る 。

[...] en effet, tout me disait que Marguerite m’aimait. [...] Il n’y avait donc eu chez elle que l'espérance de trouver en moi une affection sincère, capable de la reposer des amours mercenaires au milieu desquelles elle vivait, et dès le second jour je détruisais cette espérance, et je payais en ironie impertinente l'amour accepté pendant deux nuits .( 原 文 139)

実 際 、 マ ル グ リ ッ ト は ど こ か ら 見 て も 私 を 愛 し て い る の で す 。 … 彼 女 は 自 分 の 周 り に あ る 金 銭 ず く の 恋 か ら 逃 げ 出 そ う と し 、 私 に 心 の 休 ま る よ う な 愛 を 求 め よ う と 希 望 し て い た が 、 私 は ま だ 二 日 し か た っ て い な い の に 、 も う そ の 希 望 を ぶ ち こ わ し て し ま い 、 二 夜 の 愛 に 、 無 礼 な 皮 肉 で 返 し て し ま っ た の で す 〔 筆 者 訳 〕。 長 田 秋 涛 の 訳 を 見 て み よ う : 何 う 考 へ て 見 て も 露 子 は 我 を 愛 し て 居 る 。 否 恋 し て 居 る 。 … 露 子 の 方 に は 鼻 に 附 い た 金 づ く の 情 ( い ろ ) を 離 れ て 、 一 寸 中 入 に 自 分 に 因 て 真 正 の 情 愛 を 得 た い と 思 つ た 外 、 一 点 何 の 交 り ツ 気 も な い の で あ る 。夫 を 僅 二 日 目 に 、此 希 望 を づ だ づ だ に 壊 し て 了 ツ て 、 而 し て 二 晩 得 た 其 清 い 愛 に 対 し て 、酷 い ゑ ぐ り 文 句 を 與 つ た の だ 。 ( 325)

(13)

pendant deux nuits” と い っ た 類 似 の 表 現 が あ る こ と に 、 長 田 秋 涛 は そ れ ぞ れ を 「 真 正 の 情 愛 」、「 金 づ く の 情 ( い ろ )」、「 二 晩 得 た 其 清 い 愛 」 と 訳 し た 。 同 じ “l’amour” と い う こ と ば は 、 訳 文 に 「 い ろ 」 と い う ル ビ を 付 け た 「 情 」 と 「 清 い 愛 」 に 直 さ れ た 。「 い ろ 」 と 「 愛 」 を 、 こ こ で 、 は っ き り と 区 別 し た の で あ る 。 と は い え 、 訳 文 の 初 め 、 原 文 に な い 「 否 恋 し て 居 る 」 と い う 表 現 か ら 窺 え る よ う に 、 長 田 秋 涛 の 西 洋 的 「 恋 愛 観 」 に つ い て の 考 え は や は り 日 本 の 伝 統 的 な 「 恋 」 を 基 準 に し た の で あ る 。 終 わ り に デ ュ マ ・ フ ィ ス の こ の 作 品 を 翻 訳 す る さ い 、 最 も 重 要 な 概 念 は 「 愛 」 で あ る 。 一 見 簡 単 に 訳 さ れ る よ う に 見 え る こ の こ と ば に は 、 中 国 語 に も 日 本 語 に も 訳 さ れ な い フ ラ ン ス 人 の 愛 の 概 念 、及 び 愛 の 情 緒 が あ る 。 こ の 差 異 を め ぐ っ て 、翻 訳 者 は 翻 訳 作 品 の 読 者 に 理 解 さ せ よ う と し て 、 や む を 得 ず 、 注 釈 を 加 え た り 、 省 略 し た り す る こ と に な る 。 ア メ リ カ の 聖 書 翻 訳 者 ・ 言 語 学 者 ユ ー ジ ー ン ・ ナ イ ダ( Eugene A. Nida) は 翻 訳 に 関 す る 著 作 に お い て 、 翻 訳 者 を 翻 訳 さ れ る 原 テ キ ス ト ( M ) の 受 容 者( R)と み る 。翻 訳 者 は 原 テ キ ス ト の 歴 史 的 文 化 的 背 景 に 置 か れ 、ま ず 、 み ず か ら 原 テ キ ス ト の 読 者 「 R に な っ た つ も り で M を 受 け と り 」 ( ナ イ ダ 、 31)、 次 に 、 受 容 側 の 歴 史 的 文 化 的 文 脈 に 立 ち 、 発 話 者 (S) と し て 伝 達 す る の で あ る 。 と こ ろ が 、 現 実 に お い て 、 翻 訳 者 は 、 つ ね に あ る 文 化 的 背 景 を も つ 人 間 で あ る 。 人 間 は 往 々 に し て 生 ま れ 育 っ た 文 化 的 背 景 に も と づ き 、 問 題 を 考 え る 傾 向 を も つ の で あ る 。 翻 訳 者 が 原 テ キ ス ト の 読 者 と 同 じ 歴 史 的 文 化 的 文 脈 に 属 す る 人 間 で あ れ ば 、 完 全 に 原 テ キ ス ト の 読 者 に 「 な る 」 可 能 性 が あ る が 、 他 の 文 化 的 文 脈 に 属 す る 場 合 、 た と え ば 、 林 脾 や 長 田 秋 涛 な ど の よ う に 近 代 の 日 本 と 中 国 の 翻 訳 者 た ち の 場 合 に は 、 彼 ら が 原 テ キ ス ト の 読 者 の 立 場 に 「 な っ た つ も り 」 で あ っ て も 、 な り 得 な い 場 合 も ま れ で は な い 。 実 際 の 翻 訳 の 過 程 に お い て 、 受 容 者 と し て の 翻 訳 者 が 翻 訳 す る さ い 、 や む を 得 ず 翻 訳 作 品 を 自 文 化 の 尺 度 か ら 考 え 、 故 意 に 、 原 文 に 「 忠 実 」 で な い 訳 文 を 作 る こ と が あ る 。『 椿 姫 』の 翻 訳 に お け る 林 脾 と 長 田 秋 涛 は そ の 例 で あ る 。 し た が っ て 、 翻 訳 作 業 の 過 程 に お い て 、 受 容 者 と し て の 翻 訳 者

(14)

は 原 テ キ ス ト を 「 忠 実 」 に 訳 そ う と 意 識 し て も 、 無 意 識 的 に あ る い は 意 識 的 に み ず か ら の 歴 史 的 文 化 的 文 脈 に 頼 り 、文 化 の 差 異 性 に よ る 「 誤 訳 」 は 不 可 避 と な る 。し か し 、そ の よ う な 「 誤 訳 」 に は 、ま さ に 訳 者 の 異 文 化 に 対 す る 姿 勢 や 理 解 の 仕 方 が 表 れ て い る の で あ る 。 引 用 文 献 伊 藤 整 1958.「 近 代 日 本 に お け る < 愛 > の 虚 偽 」、『 伊 藤 整 全 集 』 第 18 巻 所 収 、 新 潮 社 、 1973 年 . 内 田 魯 庵 1896.『 椿 夫 人 』、『 明 治 翻 訳 文 学 全 集 < 新 聞 雑 誌 編 > 』デ ュ マ 父 子 集 所 収 、 大 空 社 、 1997 年 . 長 田 秋 涛 ( 訳 ) 1903.『 椿 姫 』、『 明 治 翻 訳 文 学 』 明 治 文 学 全 集 7 巻 所 収 、 筑 摩 書 房 、 1972 年 . 木 村 毅 1978.『 花 柳 春 話 』「 解 題 」、『 明 治 初 期 翻 訳 文 学 選 』 所 収 、 雄 松 堂 書 店 . 『 漢 語 大 詞 典 』. 羅 竹 風 主 編 、 上 海 辞 書 出 版 社 、 1986-1994 年 . 『 紅 楼 夢 語 言 詞 典 』. 周 定 一 編 、 商 務 印 刷 館 、 1995 年 . ス タ ン ダ ー ル 1822.『 恋 愛 論 』、 生 島 遼 一 ・ 鈴 木 昭 一 郎 訳 、 桑 原 武 夫 他 編 『 世 界 文 学 大 系 22・ ス タ ン ダ ー ル 』 所 収 、 筑 摩 書 房 、 1960 年 . 高 橋 邦 一 郎 1928.「 椿 姫 の 邦 訳 本 」、『 愛 書 趣 味 』 6 号 . 玉 村 禎 郎 1996.「 こ と ば と 文 字 ――< 恋 >・< 愛 > な ど を め ぐ っ て ――」、光 華 女 子 大 学 日 本 文 学 科 編 『 恋 の か た ち 』 所 収 、 和 泉 書 院 . 富 田 仁 1978.「 デ ュ マ < フ ィ ス > (ア レ ク サ ン ド ル )」、松 田 穣 編『 比 較 文 学 辞 典 』、 東 京 堂 出 版 . ナ イ ダ , ユ ー ジ ー ン ・ A 1969.『 翻 訳 ――理 論 と 実 際 』、 沢 登 春 仁 ・ 升 川 潔 訳 、 研 究 社 、 1973 年 . プ レ ヴ ォ 1998.『 マ ノ ン 』、 石 井 洋 一 郎 ・ 石 井 啓 子 訳 、 新 書 館 、 1998 年 . 『 明 治 の こ と ば 辞 典 』. 惣 郷 正 明 ・ 飛 田 良 文 編 、 東 京 堂 出 版 、 1986 年 . R .ヤ ー コ ブ ソ ン 1973.「 翻 訳 の 言 語 学 的 側 面 に つ い て 」、『 一 般 言 語 学 』、 田 村 す ゞ 子 等 訳 、 み す ず 書 房 、 1973 年 . 柳 田 泉 1935.『 明 治 初 期 の 翻 訳 文 学 』、 松 柏 館 書 店 . 柳 父 章 1982.『 翻 訳 語 成 立 事 情 』、 岩 波 書 店 、 1998 年 . 吉 村 正 一 郎 ( 訳 )( 1934).『 椿 姫 』 岩 波 文 庫 所 収 、 岩 波 書 店 、 1998 年 . 林 脾 ( 訳 )( 1899).『 巴 黎 茶 花 女 遺 事 』、『 翻 訳 文 学 集 』 中 国 近 代 文 学 大 系 第 1 巻 所 収 、 上 海 書 店 、 1991 年 . ル ー ジ ュ モ ン ,ド ニ・ド 1973.「 愛 」、『 西 洋 思 想 大 事 典 』第 1 巻 、平 凡 社 、 1990 年 . 『 ロ ワ イ ヤ ル 仏 和 中 辞 典 』. 田 村 毅 等 編 、 旺 文 社 、 1985.

(15)

Théatre Complet d’Alexandre Dumas Fils. Calmann Lévy,

Paris, 1896.

Dumas fils (1848). La Dame aux Camélias. Librairie Générale Française, 1983.

参照

関連したドキュメント

この 文書 はコンピューターによって 英語 から 自動的 に 翻訳 されているため、 言語 が 不明瞭 になる 可能性 があります。.. このドキュメントは、 元 のドキュメントに 比 べて

『紅楼夢』や『西廂記』などを読んで過ごした。 1927 年、高校を卒業後、北 京大学哲学系に入学。当時の北京大学哲学系では、胡適( Hu Shi 、 1891-1962 ) ・ 陳寅恪( Chen

・虹彩色素沈着(メラニンの増加により黒目(虹彩)の色が濃くなる)があらわれ

Au tout d´ebut du xx e si`ecle, la question de l’existence globale ou de la r´egularit´e des solutions des ´equations aux d´eriv´ees partielles de la m´e- canique des fluides

[r]

②上記以外の言語からの翻訳 ⇒ 各言語 200 語当たり 3,500 円上限 (1 字当たり 17.5

[r]

1 7) 『パスカル伝承』Jean Mesnard, La Tradition pascalienne, dans Pascal, Œuvres complètes, Paris, Desclée de Brouwer,