• 検索結果がありません。

私たちは今、どんな文学を求めているだろう?

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "私たちは今、どんな文学を求めているだろう?"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

岡 」。 吉 岡 は 杉 原 に 情 報 源 を 明 ら か に す る こ と を 迫 る。 そ の時、 杉原は「自分は国側の人間だから」と断ろうとする。 それに対し、吉岡は「そんな理由で自分で自分を納得させ ら れ る ん で す か、 こ の ま ま で い い ん で す か。 」 と 杉 原 に 迫 ります。杉原はここである踏み切りをして真実を公表する 行動に出ます。しかし、映画を見た方はご存知と思います が、彼はこれにつづく二度目の踏み切りはできませんでし た。陰に陽に上司から圧力をかけられたからです。子ども がうまれたばかりでした。転任や閑職においやることをほ のめかされもしました。これが、現在、ただいまの日本の 現実です。 一人一人の「はみだし」をみてきましたが、はみだした 人間はヒーローではありません。またヒーローにしてはい けないと思います。メンタリティーの自然としてはみださ ざるを得なかったのです。 教育の問題として考えるべきは、 こうしたメンタリティーをどう育くんでいくかという事で し ょ う。 そ れ に は、 文 学、 文 学 体 験 は 欠 か せ な い し、 今 集 会 の テ ー マ で も あ る「 探 求 の 共 同 体 」 ( 注 ) を 教 室 で も、 家庭でも、 社会でもつくっていくことではないでしょうか。 (注)本誌五五頁参照

今、

う?

成川日女美 西鶴から森鷗外、芥川龍之介へと受け継がれた課題とは 何か。ここで探るのは、西鶴から作家自身が意識的に受け 継いだ課題について資料を駆使して証明する、という作業 ではない。それぞれの作品を通してのみ現代の読者の目に 映る文学系譜、 今を生きる我々にとって意味のある、 西鶴、 鷗 外、 芥 川 の 作 品 の 中 に 一 貫 し て 流 れ る 問 い 掛 け は 何 か、 という課題への模索である。 集会当日は対象を左記の作品に絞り、以下の三点の切り 口から問題提起した。 西鶴   「忍び扇の長唄」 「人には棒振虫同然に思はれ」 鷗外   「山椒大夫」 「最後の一句」 芥川   「偸盗」 「羅生門」 「六の宮の姫君」   生きる苦しさとその苦しさを生んでいる現実に、真摯 に向き合った人の文学

(2)

  「 真 に 生 き た と 言 え る ほ ど 生 き 」 る た め に、 常 識 か ら „はみだし"ていく人の文学   行動しながら自らの行動の意味を考え続ける(成長し ていく)人の文学   生きる苦しさとその苦しさを生んでいる現実に、    真摯に向き合った人の文学 西 鶴 の「 忍 び 扇 」「 棒 振 虫 」 に は、 恋 に 目 覚 め た 男 女 が ぶつからざるを得なかった、元禄期の困難が描かれる。そ して彼らは挫けることなく、その困難に相対して生きてい く。さて、鷗外、芥川の上記作品について、その登場人物 の 生 き 方 は ど の よ う に そ こ に つ な が っ て い る だ ろ う。 「 山 椒大夫」の安寿は親と離され人買いに売られる中で、その 奴 隷 状 態 か ら の 脱 出 を 模 索 す る。 「 最 後 の 一 句 」 に は、 不 運な難破をめぐる大阪町人の現実、父親の処刑という災難 に 向 き 合 う 少 女 い ち の 姿 が あ る。 「 偸 盗 」 は、 盗 人 に な っ て生き延びるしかない底辺の人間の生活、さらに一人の女 をめぐる太郎、 次郎の葛藤を描く。 「羅生門」 の下人もまた、 主 人 か ら 暇 を 出 さ れ こ の ま ま で は 飢 え て 死 ぬ だ け だ。 「 六 の宮」は零落した中下層貴族の姫として、今はただ男を替 えて生きていくしかないところまで落ちていく。 そこには共通して、自分で自分の人生を選択できない状 況に直面した人の現実がある。そして、彼らは皆、その現 実から目を背けずに考える。自分に嘘なく生きようとした 時、今、抗うべきは何に対してなのか。その結果選び取ら れた道、忍び扇の姫や利左や吉州の生き方は、心ある読者 に対し元禄期の現実の問題をあぶりだす。そして鷗外や芥 川の歴史小説においてもまた、江戸中期や平安末期の現実 を描く中で、今、抗うべきは何に対してなのかを問いかけ る。天皇制絶対主義下の冬の時代を生きた鷗外、大正期を 「人生は地獄より地獄的」 (「侏儒の言葉」 )と感じながら 「精 神 の 自 由 を 失 わ ざ る こ と 」( 「 プ ロ レ タ リ ア 文 芸 の 可 否 」) を求めた芥川、それぞれの作家が生きる今、その時代の課 題意識から目を逸らさずに問い掛けるのである。 たとえば、鷗外「最後の一句」のいちは、父が死罪にな る話を立ち聞きして考えた。そして、この災難に対する自 分自身の答えを出す。 ……しばらくたって、いちが何やらふとんの中で独言 を言った。 「ああ、 そうしよう。きっとできるわ」 と、 言っ たようである。        (中略) ……「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞き

(3)

届けになると、お前たちはすぐに殺されるぞよ。父の顔 を見ることは出来ぬが、それでもよいか」 「 よ ろ し ゅ う ご ざ い ま す 」 と、 同 じ よ う な、 冷 や か な 調子で答えたが、少し間を置いて、何か心に浮かんだら し く、 「 お 上 の 事 に は 間 違 い は ご ざ い ま す ま い か ら 」 と 言い足した。 いちの真っ直ぐな思索のあり方、行動の仕方、そして最 後にふと口にした彼女の言葉が、新参である西町奉行佐佐 の心に鋭い刃を突き付ける。幸徳事件後を生きる鷗外の読 者 た ち に と っ て、 「 お 上 の 事 に は 間 違 い は ご ざ い ま す ま い から」という言葉は、 強い抵抗の言葉として響いただろう。 いちが被った思いがけない災難、人生を思うように選択 できない厳しい現実、それは確実に現在もある。逃げるこ との出来ない歴史的現実と向き合って、自分の頭で考える のか考えないのか。生きる苦しさとその苦しさを生んでい る現実に、真摯に向き合うのかどうか。そして、そこで見 えてくるものは何なのか。そうしたことが問いかけられる 文学、その文学の系譜がある。 「真に生きたと言えるほど生き」るために、    常識から „はみだしていく人の文学 人生がたとえ一晩の夢であったとしても「真に生きたと 言 え る ほ ど 生 き た い 」。 芥 川( 「 黄 粱 夢 」) の 言 葉 だ。 結 果 は見えていると言われても、その常識からはみ出していく 生 き 方 が あ る。 「 棒 振 虫 」 の 利 左 も 吉 州 も 自 分 た ち の 生 き 方を守るために逃げていく。友人三人の言うことが常識な のかもしれないが、その常識にとどまる限り真に生きたと 言える生き方は出来ない。 「 山 椒 大 夫 」 の 安 寿 の 覚 悟 も そ う だ。 佐 渡 は 遠 い か ら 大 きくなるまで待て、という二郎に「大きくなってからでな くては、遠い旅ができないというのは、それは当たり前の 事よ。わたしたちはそのできない事がしたいのだわ」とい う安寿の言葉には、その「当たり前」を抜け出ていく姿勢 がはっきりと表れている。 「 偸 盗 」 で は、 太 郎 と 次 郎 が 沙 金 を 殺 し て 逃 げ て 行 く。 どろどろした人間関係の中で、その場に合わせて都合よく 生 き て い く な ら も っ と 他 の 生 き 方 も あ っ た か も し れ な い。 しかし、沙金をめぐる今の生活のあり方が兄弟の間を崩し てしまうことを自覚した時、すべてを捨てる。これから先 どうなるかは分からない、分からないけれど、大事な兄弟 同士が傷つけあわないためには逃げていくしかない。 「 羅 生 門 」 の 下 人 も、 こ の ま ま で は ど う に も 生 き る 術 の ない現実に直面している。迷い悩んでいる下人をひとつの

(4)

行動に踏み出させるのは、老婆の言葉だ。死人の女も人を だまして生きてきた、そうしなければ生きていけないのだ から、きっとこの女も自分の行為を許してくれる……。死 と隣り合わせに最底辺を生きる人間が、こういう考え方を し て 生 き て い る、 自 分 も 同 じ だ。 「 己 も そ う し な け れ ば、 飢 え 死 に を す る 体 な の だ 」。 無 意 味 に 老 婆 を 切 り 殺 し た り せず、短いながらこの言葉が老婆への説得となっている事 実も確認したい。死ぬしかなかった人間が、生きるために 踏み出す一歩。ぎりぎりな状況の中でそれでも生き抜くた めに、今の自分が納得して行動できる選択とは何か。答え は簡単ではない。考え続けるより他ない。 さらに「六の宮」は、死を目前にしてなお自らの生き方 を問うた人の文学だ。彼女にとって、人生の選択とはどう いうものであったか。古い宮腹の家に生まれ大事に育てら れた。そうやって生きることしか知らない彼女が男と出会 う。心は動かなかったけれど、でも丁寧に生活する中で人 間として頼りには思った。しかし、平安朝の男の生活には 本妻がいる。男は姫のことを思ってはいるが、彼女の立場 に立って理解してはいない。そういう条件の中に生まれて し ま っ た 姫 君 が、 生 き る た め と は い え、 次 の 男、 次 の 男、 と い う 生 き 方 は 出 来 な い と 決 心 す る。 「 わ た し は も う 何 も 入 ら ぬ。 生 き よ う と も 死 の う と も 一 つ こ と じ ゃ。 ……」 。 その結果の最底辺への零落である。選択したからこそこう なった、いや、選択の幅はこれしかなかった、それでも選 択した。 「身はならはしのものにざりける」 、こうなるしか なかったのが自分の人生であった。そして彼女の人生を決 定づける壮絶な選択は、死にゆく最期の場面である。 法師は何か云おうとした。が、今度はそれよりもさき に、姫君が切れ切れに口を開いた。 「 蓮 華 は も う 見 え ま せ ぬ。 跡 に は 唯 暗 い 中 に、 風 ば か り吹いて居りまする。 」 「 一 心 に 仏 名 を お 唱 え な さ れ。 な ぜ、 一 心 に 御 唱 え な さらぬ?」 法師はほとんど叱るように云った。が、姫君は絶え入 りそうに、同じことを繰り返すばかりだった。 「 何 も、 ―― 何 も 見 え ま せ ぬ。 暗 い 中 に 風 ば か り、 ― ―冷たい風ばかり吹いて参りまする。 」 「 極 楽 も 地 獄 も 知 ら ぬ、 腑 甲 斐 な い 女 の 魂 」 と 法 師 は 語 るが、彼女は法師の言葉を信じて極楽往生する道を選ばな か っ た。 法 師 の 常 識 で は 救 う こ と の 出 来 な い 現 実 と し て、 彼女の人生はあった。そのことから目を逸らさなかった姫 は、神仏にすがることを拒否する。なぜ彼女は、法師の言

(5)

葉に身をゆだねることが出来なかったのか。…… 現在を生きる私たちもまた、様々な常識に取り巻かれて いる。しかし、自分の胸に手を当ててみた時、それは本当 に自分にとって必要な常識なのか。自分の人生を自らの手 に取り戻そうとしたとき、それを邪魔しているのは案外そ の常識であったりはしないのか。 „はみだす"ことを回避 して極力無難に生きる生き方はある。そうでない生き方も ある。心の内の常識を壊して生きていく、そういう選択を す る の か ど う か。 …… し か し、 ど ち ら に し て も 常 識 か ら „はみだす"生き方のあることを知った人間にとって、生 涯そのことを問いかけ続ける文学の系譜は存在する。  行動しながら自らの行動の意味を考え続ける(成長し て行く)人の文学 「山椒大夫」の安寿は「そのできない事がしたいのだわ」 と言ってから後、ものを言わなくなる。そして一人弟を送 り出す決意をする。 厨子王は黙って聞いていたが、涙が頬を伝わって流れ て き た。 「 そ し て、 ね え さ ん、 あ な た は ど う し よ う と い うのです」 「 わ た し の 事 は か ま わ な い で、 お 前 一 人 で す る 事 を、 わたしといっしょにするつもりでしておくれ。おとう様 にもお目にかかり、おかあ様をも島からお連れ申した上 で、わたしをたすけに来ておくれ」       (中略) …… 山 椒 太 夫 一 家 の 討 手 が、 こ の 坂 の 下 の 沼 の 端 で、 小さい藁履を一足拾った。それは安寿の履であった。 孤 独 に 考 え 抜 い た 末 の 行 動 で あ る。 「 最 後 の 一 句 」 の い ちにしても、 「偸盗」の太郎と次郎も、 「羅生門」の下人も、 迷 い な が ら 考 え 行 動 す る。 「 六 の 宮 」 の 姫 に し て も、 与 え られた条件の中で精一杯自分の人生を選択する。 それぞれに若者が思索し成長し行動する姿が描かれてい る、ともいえる。無論、若者に限ったことではないが、子 ど も 時 代、 あ る い は 世 代 形 成 期、 そ こ で 培 わ れ た 感 受 性、 思索するクセ、勘、そうしたものが人間形成において重要 であることが意識されればこそ、そこが丸ごとに描かれて いるとも言えるだろう。その体に染みついた思索のあり方 は、 その生き方として行動の系につながっている。 「六の宮」 の姫君は「時勢にも遅れ勝ちな、昔気質の」父と母に寵愛 されて育った。そこで育まれた感受性が彼女の精神の骨格 を作っている。どういう相手と思索していくか。家族を対 話の相手としながら思索し成長して行くのは、 「山椒大夫」

(6)

の 安 寿 も「 最 後 の 一 句 」 の い ち も 同 じ だ。 「 偸 盗 」 の 太 郎 と次郎も兄弟としての互いの存在を対話の相手として考え 続ける。 次郎は、屹と馬上の兄を見た。それは日頃見る兄では ない。いや、今しがた馬を飛ばせて、一散に走り去った 兄 と さ え、 変 わ っ て い る。 険 し く せ ま っ た 眉 に、 潔 く、 下唇を噛んだ歯に、そうして又、怪しく熱している隻眼 に、 次郎は、 殆ど憎悪に近い愛が、 ――今まで知らなかっ た、不思議な愛が燃え立っているのを見たのである。 「早く乗れ。次郎」         (中略) 、 ……彼は、限りない安息が、徐に心を満たして来るの を感じた。母の膝を離れてから、何年にも感じた事のな い静かな、しかも力強い安息である。―― 「兄さん」 馬上にある事も忘れたように、次郎はその時、しかと 兄を抱くと、うれしそうに微笑しながら、頬を水干の胸 にあてて、はらはらと涙を落したのである。 自分にとって本当に大切な思索の相手、それは必ずしも 家族とは限らない。家族を持たない平安末期の下人にとっ て、それは自分と同じ最底辺を生きる人々の存在であった ろう。そういう思索の相手によって培われてきたメンタリ ティー、それが幹となって悪現実から „はみだし"ていく ことが可能となるのではないのか。人間が成長して行くた め に は 対 話 の 相 手 が 必 要 で、 そ れ が 内 な る 対 話 の 相 手 と な っ て 人 格 が 形 成 さ れ て い く。 そ の 内 な る 対 話 の 相 手 が、 より豊かに確かなものとなっていったとき、人は悪現実か ら „はみだし"て行くことが出来るのではないか。そこに は、 基 調 報 告( 井 筒 満「 文 学 の 論 理 と は 何 か 」) で 話 さ れ た「 探 究 の 共 同 体 」、 内 な る「 探 究 の 共 同 体 」 が 存 在 し て い る。 真 理 を 追 求 す る た め に 対 話 し 続 け る こ と の 出 来 る、 信頼を基盤とした多様な仲間たち、内なる多様な仲間たち の存在だ。 さて、自分は行動しながら考えているだろうか。深く思 索することのできる対話の相手を持っているだろうか。そ の対話の相手をより豊かに育んでいるか。今、自分は成長 しているか。……そう問いかけられる文学の系譜がある。

参照

関連したドキュメント

てい おん しょう う こう おん た う たい へい よう がん しき き こう. ほ にゅうるい は ちゅうるい りょうせい るい こんちゅうるい

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない

だけでなく, 「家賃だけでなくいろいろな面 に気をつけることが大切」など「生活全体を 考えて住居を選ぶ」ということに気づいた生

私たちは、私たちの先人たちにより幾世代 にわたって、受け継ぎ、伝え残されてきた伝

 医療的ケアが必要な子どもやそのきょうだいたちは、いろんな

5.あわてんぼうの サンタクロース ゆかいなおひげの おじいさん リンリンリン チャチャチャ ドンドンドン シャラランラン わすれちゃだめだよ

C :はい。榎本先生、てるちゃんって実践神学を教えていたんだけど、授

・分速 13km で飛ぶ飛行機について、飛んだ時間を x 分、飛んだ道のりを ykm として、道のりを求め