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「競争」概念を広げる中学校公民的分野の授業開発

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Academic year: 2021

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要旨  「競争」概念がもっぱら「決められたゴールに向かう競い合い」の意味で用いられる背景に学校文化(ヒ ドゥン・カリキュラム)の影響があるのではないかという仮説に基づき,生徒への事前調査による現状分析 と,「競争」の概念を広げることのできる中学校公民的分野の授業を開発し実践と評価を行った。 キーワード:二つの競争,ヒドゥン・カリキュラム,メタ認知

Ⅰ.問題の所在

 少子高齢化が進み,社会保障制度など既存の社会シ ステムへの信頼が揺らいでいる。社会の成長を維持し 持続可能にしていくために様々な改革が試みられてい るが,期待された効果をあげているとは言い難い。代 表的な例として規制緩和などの競争を強化する政策が あげられる。しかし,大学の国際競争力を高めるため とされる改革政策をはじめとして,規制緩和,競争の 強化と言いながら多くの条件を政府が定め「決められ たゴールに向かう競い合い」の意味で競争政策が行わ れ上手く機能していない事例は多い。井上[1]が,「エ ミュレーション」と「コンペティション」という表現 を用いて今日の競争政策が偏った意味合いで使われる 傾向にある事を指摘しているように,「競争」に関わ る経済的な見方や考え方が,そもそも現在の日本の社 会で十分に理解されていないことが背景にあるのでは ないかと考える。

Ⅱ.研究の目的と方法

 本研究は,「競争」概念が限られた意味で用いられ てしまう背景に学校文化(ヒドゥン・カリキュラム) の影響があるのではないかという仮説に基づき,生徒 への事前調査による現状分析を行い,義務教育段階に おいて「競争」の概念を広げることのできる授業を開 発することを目的とする。

Ⅲ.授業開発と分析

1.授業の構想  神取[2]は,長い間共同体で過ごしてきた人間に必 要な道徳律として発達し,閉じた社会では合理的な 「共同体の論理」と,集団間での物品の交換・交易が 始まって以降に発達した「市場の論理」が社会には存 在すると指摘している。二つの価値観に優劣があるわ けではなく,場面に応じて柔軟に選択することが重要 であると考えられるが,「学校」という空間は正規の カリキュラムに加えて「共同体の論理」を身につけさ せることも期待されており,結果として経済的な思考 をさまたげていることがある。世間知,素朴知として 生徒が身につけてしまっている概念を広げ,経済学的 な考え方を可能にする授業開発が必要である。  報告者は,松尾[3]の「反経済学的発想」と言う視 点に基づいて,生徒へのアンケート調査を行い,反経 済学的発想の中でも「ゼロサムの考え方」が特に強固 に存在していること,比較優位の学習によってゼロサ ムの考え方が修正されうることを明らかにした[4] この研究の中では「自分が得をしようとすると誰かが 損になる」と学校で指導されたことを記述した生徒が

「競争」概念を広げる

中学校公民的分野の授業開発

ヒドゥン・カリキュラムの

教材化の試み

The Journal of Economic Education No.37, September, 2018

Lesson development in middle school civics class to extend the notion of competition: An attempt to use hidden curriculum as learning material

ABE, Tetsuhisa

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いた。学校では正規のカリキュラムに限らず,様々な 概念が獲得されている。それは生徒に対して「共同体 の論理」として意識的に伝達される場合もあれば,無 意識のうちに伝えられている場合もあろう。いわゆる ヒドゥン・カリキュラムの影響について検討する必要 があると考える。 2.事前アンケート  まず学校における二つの競争概念の扱いについて検 討した。学校では,発表回数の班競争など「決められ たゴールに向かう競い合い」(以後競争①と記述する) という意味で「競争」という言葉が使われることが多 い。中学校の学習指導要領には市場における資源の配 分について理解させるという文言があるものの競争と いう言葉は出てこない。通常教科書では専ら競争は価 格競争としてのみ扱われ,多様な選択肢から自由な選 択により選ばれるための競争,新しいゴールを探し出 すための競争,ゴールに向かう新しいルールづくりの 競争などの,「競争」概念の多様な意味(以後競争② と記述する)が十分に扱われているとはいえない。  学習指導要領の中で「競争」を明示しているのは保 健体育である。「運動における競争や協同の経験を通 して,公正に取り組む,互いに協力する,自己の役割 を果たすなどの意欲を育てるとともに,健康・安全に 留意し,自己の最善を尽くして運動をする態度を育て る。」とあり,ここで前提とされているのは競争①で ある。  さらに,先に述べたように,学校ではクラスの学習 環境を作るなどの目的のために教師は競争①を積極的 に活用する。結果として学校ではもっぱら競争とは競 争①であるという認識のみが育ち,「競争」という言 葉の多義性に気づけていないのではないか。  そこでまず中学校3年生を対象にアンケートを実施 し結果を整理した。まず,自分の知っている「競争」 を“できるだけ多く”あげさせたところ,学校生活に 関わる競争としてあげられたのは,テストや受験,体 育祭競技やスポーツ等の競争①がほとんどで,特に体 育祭競技をあげた生徒が多かった。競争②をあげた生 徒は各クラス数名以下と非常に少なかった。  この結果から,クラスの共同性,協調性を高めるた めに行っている体育祭等の学校行事が,決められたと おりに同じゴールに向けて競い合うという「競争」の あり方を印象づけていることが示唆されたと考える。  さらに社会で行われている競争についても聞いたと ころ,営業成績やゲーム,価格競争等が多くあげられ ており,生徒の「競争」イメージがやはり競争①であ ることが明らかとなった。ただし相対的に少数ではあ るが,企業の競争や科学研究,開発競争,恋愛,選挙 など,「競争」を多義的にとらえることが可能なもの もあげられていた。これらには競争①②いずれの要素 も含まれていると考えられ,抽象的な表現がほとんど であったため,生徒のイメージがどちらにもとづくも のかは十分に判別できなかったが,例示することで 「競争」が多義的である事を扱うことは可能であると 考える。  次に競争のメリットについて自由記述を求めたもの を整理したものが表1である。かなり多くの生徒が 「共に高め合う」「互いに成長する」など,おそらく学 校生活の中で聞いてきたと思われる“共通したフレー ズ”で回答していることが印象的であった。また,モ チベーションや努力に言及した生徒も多かった。二項 目の調査結果は,保健体育の学習にとどまらず,学校 の様々な行事などが,予想していた以上に生徒の競争 観に強い影響を与えていることを示しているものであ ると考える。 表1 競争のメリット 高め合う,互いに成長する 57 全体のレベルが上がる 20 モチベーションが上がる,がんばれる 32 より良いものが生まれる 12 その他(比較できる,楽しい等) 33 (中学校3年生 133 名,すべて延べ数) 3.授業の構成  事前アンケートの結果から,生徒は学校生活を通じ て特定の競争観をすでに身につけていることが明らか となった。先行して行った比較優位に関する授業開 発[4]においても生徒の持つ素朴知,世間知の強固さ が明らかになっており,一般的な教材を通じた競争概 念の学習に加えた工夫が必要であると考える。  そこで本研究では,学校生活の中でのヒドゥン・カ リキュラムそのものを教材化することで生徒が日頃意 識していない,学校生活を通じた価値観の学習につい て考えさせることでメタ認知を促進することを構想し た。ヒドゥン・カリキュラムの影響についての研究と しては,伊藤ら[5]によって,平等主義にもとづく学 校での実践が再分配に否定的な価値観につながった可 能性が示され話題となったが,本研究はヒドゥン・カ リキュラムの存在そのものを生徒に提示するものであ る。中学校学習指導要領で特別活動の目的として示さ

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れているのは「望ましい集団活動を通して,心身の調 和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団や社会の一 員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主 的,実践的な態度を育てるとともに,人間としての生 き方についての自覚を深め,自己を生かす能力を養 う。」ということであり,競争については示されてい ない。しかし学校ではこれらの「目標を達成するため に」生徒たちを競い合わせており,生徒たちは特別活 動での実体験に基づいて競争①の概念を獲得している。 本授業では,この事自体を生徒に示すことで学校生活 で身につけている考え方そのものを相対化して認識さ せたい。  学校生活を教材化し,従来ヒドゥン・カリキュラム であった内容を専門知に基づいて明示的に示し理解さ せるということについては,すでに公民的分野の中で は「対立と合意」「効率と公正」の単元として導入さ れている。「対立と合意」「効率と公正」は,教員が学 校文化の中でノウハウとして身につけ行われてきた学 級での意思決定や合意形成にどんな意味があるのか, どうするべきなのかを専門知に基づいて考えさせると いう点で,閉じていた学校空間を開いたすぐれた単元 であると考える。この単元が導入される以前は,多数 決の意味や限界を専門知に基づいて学ぶことが公式な カリキュラムの中に十分に位置づけられていなかった ことは今思えば問題であった。経済的な見方・考え方 についても,学校空間を教材化し,相対化してとらえ させるとともに,専門知にもとづく見方・考え方にふ れさせる授業モデルの確立が必要である。  そこで本授業では「社会認識」と「メタ認知」の パートからなる授業構成を作成した。まず事前アン ケートを基に特定の競争観を持っていることを確認す る。次に生徒に身近な存在であるスマートフォンの競 争を題材として「二つの競争」の存在を理解させる (社会認識)。その上で自分たちの持っていた競争観が どこから来たのか,学校生活を通じて目標外のことも 学んでいることに気づかせる(メタ認知)展開とした。 表 2 授業構成 指導過程 学習内容 構成内容 導入 自分たちの競争のイメージについて 考える 問題提示 展開1 企業の行う二つの競争について理解 する 社会認識 展開2 生活の中で学んでいることについて 考える メタ認知 終結 学んだことを活用してみる 活用 4.実践結果の分析  2017 年 9 月 19 〜 22 日に広島大学附属中学校の 3 年 生を対象に授業を行った。授業終了後に実施した自己 評価を整理したものが表 3 である。  授業で扱った内容をそのまま聞いているため当然で はあるが,ほとんどの生徒がポジティブな評価となっ ている。しかし質問①に比べると②の評価は低く,メ タ認知を求める内容は通常の学習に比べてハードルが 高いことを伺わせるものとなっている。(ただし②に ①よりも高い数値を記入した生徒もいた(8 名)。両 方に 1 を記入した生徒は自由記述に「むつかしかっ た」旨を記入していた。)   理解度をより正確にはかるため,授業の中で生徒に 考えさせた「競争②を取り入れた学校行事の提案」に ついて整理した。もともと学校行事の性格として競争 ②の導入には困難が予想されることもあり,空欄も多 かった(12 名)が,そのような難しさをふくめた記 述など,競争①と②の違いについては概ね理解した上 で考えて答えたと思われる回答が 8 割をこえていた。 「発想アイデアマッチ的な行事」「文化祭のクラスのだ しものを固定せずにやって集客を競う」「なるべく抽 象的なテーマに対するプレゼン大会」など,生徒の身 の回りの中から競争②の要素があるものを探そうとし たことが伺われる記述内容が多く見られ,具体的には 発明工夫展のようなものや文化祭の多様化,芸術系の 行事などを上げた生徒が多かった。また,「学校では ゴールを明確にして競争しているので(中略)ゴール が明確でないので競争したら批判が出たりしそうな気 がする」「全員が出来ることじゃないと親から苦情が きそう」など,学校行事のありようを客観的に捉えて 難しさを回答した生徒もいた。  授業全体についての自由記述による感想を整理した ものが表 4 である。「競争のイメージが片方に偏って いることがわかった」「競争は競う争うだけではない ことがわかった」等,二つの競争への理解を記述した 生徒が最も多かった。  また,「競争だと思っていなかった例がたくさん あった」「二つ目の競争は考えたことがなかったので 新鮮だった」など,今回はじめて競争の別の意味を 知ったことを記述した生徒も予想以上にいた。さらに, 「ゴール設定をしないで多様なアイデアを出す方が私 は楽しそうだなと思いました」「一つに向かっていく 競争ではなく多様性を求める競争が増えれば豊かな社 会になると思った」「もっと色々な社会現象を学んで みたい」「新しいことを考えようと思った,誰も考え

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つかないこと」のように新しい競争の概念を獲得した ことで,新たな意欲が生まれたことを伺わせる記述も あり,競争概念の拡張によって社会参画への意欲を高 められる可能性も示唆されたと考える。  次に多かったのは,「学校の活動を通じてねらい以 外のことを学んでいることがあるというのが特に印象 に残りました」等,学校での学びについての記述であ る。「多様なものから選ぶ競争は確かに学校では少な いなと思った」「知らないうちに競争をしていたり, 小学校などでは競争心をうえつけられてるんだなと思 いました」「学校での競争はいつも片方のものである ことにとても納得した」等,学校で特定の競争観を学 んでいることへの気づきに加え,「学校で新しいアイ デアを競う競争をするのは難しいと思った」「なんで 競争のことをカリキュラムに書かないのか」「日本以 外の学校ではどのような競争が行われているのか気に なった」といった学校のしくみそのものへの気づきや 意見,疑問も見られた。  以上,表 4 の結果を通じて,本授業の「競争には二 つの意味があることを理解させる。」「学校では活動を 通じて学習内容以外のことも学んでいることを理解さ せる。」という目標は一定程度達成されたと考える。 ただし,いずれの評価においても空欄の生徒が一定数 いることから,理解が難しかった生徒がある程度いた ことも考慮する必要があろう。

Ⅳ.成果と課題

 本研究の成果は,中学生が「競争とは決まったゴー ルに向けて競い合い成長や意欲の向上のために行うも の」という特定の競争観を強固に持っていること,そ の理由が,学校において学習指導要領では競争①のみ を学ぶことになっていることに加え,学校での特別活 動におけるヒドゥン・カリキュラムにある可能性を示 したことである。さらに,競争概念を拡張するための 授業を開発し,ヒドゥン・カリキュラムの教材化に一 定の効果があることを明らかにしたことも成果である。 加えて競争概念の拡張によって社会参画の意欲を高め られる可能性も示唆されたと考える。  課題は,より精緻な評価方法を開発すること,学校 生活そのものを相対化して理解させることが難しい生 徒もいる中で全ての生徒にとってわかりやすい授業を 開発することである。さらに,競争概念にとどまらな い経済分野の概念について,「対立と合意」のような, 学校生活を教材として扱いながら専門知にもとづいた 社会の見方や考え方を身につけさせる単元の開発を進 めていくことも今後の大きな課題である。直接学校生 活に貢献できる「対立と合意」と異なり,本授業のよ うな形で学校のとりくみを相対化することには現場で の抵抗感も予想されるが,一方でブラック企業問題を はじめヒドゥン・カリキュラムが影響を与えているこ とが懸念される事象も存在する。様々な影響も考慮し つつ,継続して実践研究を進めていきたい。 引用・参考文献 [1] 井上義朗『二つの「競争」─競争観をめぐる現代経済思 想─』講談社現代新書.2012 [2] 神取道宏『ミクロ経済学の力』日本評論社.2014 [3] 松尾匡「『経済学的発想』と『反経済学的発想』の政策論 回 答 人数 理解(二つの競争がわかった 等,括弧内は新たに知ったことの表明の内数) 52(16) ヒドゥン・カリキュラムへの理解や驚き 25 疑問や質問 17 わかりやすかった 3 難しかった 4 空欄 13 その他(連想した話題 等) 19 表 4 授業後の感想(自由記述) 表 3 自己評価 質 問 5 4 3 2 1 ①競争には 2 種類ある事が理解できた。 66 54 12 0 1 ②学校の活動を通じてねらい以外のことを学んでいることがあ る事を理解できた。 45 61 25 1 1 (とてもそう思う5〜全くそう思わない1,単位:人)

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─マルクス経済学から─」『経済政策形成の研究』野口旭 編.ナカニシヤ出版.2007 [4] 阿部哲久「分業と交換の視点を取り入れた中学校公民科 の授業開発 ─社会的包摂のための経済教育の検討─」. 公民教育学会発表資料.2017.6.24 [5] 伊藤高弘・窪田康平・大竹文雄「隠れたカリキュラムと 社会的選好」.産業経済研究所ディスカッションペーパー. 2014

参照

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