• 検索結果がありません。

租税思想におけるデイヴィッド・ヒューム-香川大学学術情報リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "租税思想におけるデイヴィッド・ヒューム-香川大学学術情報リポジトリ"

Copied!
37
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

租税思想におけるデイヴイッド・

ヒ、ユ■・ム

山 崎

怜 Ⅰ.序章。ⅠⅠ.租税・国家・経済。ⅠⅠⅠ∴租税の分頬とその転嫁・帰着。 ⅠⅤ.ラ㌧ユルゴーとの論争一租税転嘩をめぐる−−。Ⅴ小 むすびに.かえ て。 Ⅰ スコットランド人デイブイッド・ヒユ−ム(David Hume,1●71l−76)ほ,ア ダム・スミ.ス(Adam Smith,1723・90)の親友であり,ジェイムズ・スチュア ート(SirJamesSteuart Denham,1712−80),i7エイムズ・オズワルド(James Oswald,1715−1769),イングランドのジョクサイア・タブカー・(JosiahTucker, 1718・99)などの,やや,年長の同時代人として,スコットランドを中心に, 活躍した18世紀イギリス思想家の先駆者である。そればかりか,フランス人テ

ユルゴ−(Anne RobeItJacques Turgo,1728−81),モソテスキ.ユ−(Charles

Louis de Secondat,Baron dela Br¢de etdeMontesquieu,1689−1755)や,

かのルソq(JeanJacques Rousseau,1712−78)などとも,交友かんけいにあ

り,その足跡は,大陸ヨ−ロッパの思想界に,およんだのであった。 全人ヒュ∴−ムは,さまざまの視角から,かえりみられるべき人物なのだが, 筆者は,とりわけ,ふたつの視点を,重視している。ひとつは,歴史家としての ヒューームー契約説批判を中心に,『イングランド史』(蛾5ねγ・.γ 0ノ■助gJα刀d, 17弘17引)の著者であり,スコットランド歴史学派の礎石老ヒューム叫の, ふたつほ,経済理論家としての,そして,ともに,スミス思想とのかんれんか らみたと,ユームの,位置.確定である。そして,前者でほ,モソテスキュ−が,

(2)

租税思想におけるデイゲイッド・ヒ,ユー、ム ーヱ09叫 後者の視点からすれば,テユルゴーが,それぞれ,ヒューム,および,スミス もんだいの焦点であるに,ちがいない。 小論は,この課題を念頭におき,ヒュ.−・ム租税思想1)の基調を特徴ずけたあ と,租税転嫁をめぐるヒュー・ム=デュルゴー論争に言及しつつ ,ヒユー・ム村税 論の再構成をこころみ,モンテスキュー・については,別の機会にまわすことに したい。租税というデーマは,経済と国家(=政治)の統一・的媒介環であり, 末期重商主義,産業革命胎動期の歴史的発言における,あらわな指標を,提示 するほザである。いずれにしろ,以下ほ,前記ふたつのアブロ−チへの序説で あり公債論も,別の機会にまわし,タッカー,スチュアートなど,同時代の巨 人たちを,正面から,とりあげないという,いまだ,限局された視野のもので ある紅すぎない。 Ⅱ 1.租税の歴史性 シユムぺ−・ター2)をまつまでもなく,租税は,市民が財 産の主体となった近代的商品生産に対応する国家収入のあり方であり,近代以 前の諸共同体における支配階級の直接的収入とほ,その歴史的意義を,ことに する。≪国家の無産化≫・(R・ゴルトレャイり3)による家産国家の崩壊ほ,形 式的にいえほ,国家収入として,有産者の市民から,ある種の経済価値物岩租 税を,徴求せしめる。すなわち,租税は,一方では,商品経済の展開を基底と する貨幣社会,致富の追求者・貨幣所有者の集積する資本主義を,他方では, <宅私有≫と≪権力≫との分離,いいかえれば,公的権力=法的租税徴収権の成 立を,前提するのである。マルクスは,この史的事情を,つぎのように,説明 する−「所有のさいしょの形態ほ,苗代世界においても,中世に.おいても, 1)主として,David Hume,Po揖よcαJ∂∠5C〃〝㌢■・ゞβ√S,1752・を中心に,検討する。テキス トは,DHume,Writings oflEconomicS,edby Eugene Rotwein,1955によるが, 他の著作にも,必要なかぎり,言及したい。

2)Joseph Schumpeter,Die Z&iSe des SieuerStaais,1918

3)RudolfGoldscheid,山Staat,6ifentlicher Haushalt undGesellschaft”im:助nd・

(3)

香川大学経済学部 研究年報1 −ユズ0− ヱ96」 種族所有であり,これほ,ローマ人のばあいに牲,主に戦争を,ゲルマン人の

ばあいには,牧畜を条件とした。古代の諸民族のばあいには,ひとつの都市に

いくつかの種族が−緒に住んでいたため∴種族所有ほ,国家所有としてあらわ れ,そLて,それにたいする個々人の権利は,たんなる占有(Possessio)とし てあらわれる。だが,この占有ほ,種族所有が一−・般的にそうであるように,た だ,土地所有にかぎられる。本来の私有ほ,古代人のばあいにも,近代諸民族 のばあいとおなじく,動産所有とともに.ほじまる。−(奴隷制と共同体)(ロー マ市民法にもとずく所有権dominium ex jure Quiritum)。か(て,中世から でてきた諸民族のばあいにほ,種族所有ほ,さまざまの段階−一封建的土地所 有,組合的動産所有,マニユファクチュア資本・−をとおして,大産業と普遍 的競争とを条件とする近代的資本にまで,発展する。これほ,共同体のみせか けを,すべて−ぬぎすてたところの,そして,所有の発展紅たいする国家のあら ゆる作用を,しりぞけてしまったところの,純粋な私有である。この近代的所 有に近代的国家が,対応する。この国家ほ.,租税を通じて,次第に,私有者た ちに買いとられ,国債制度を通じて,かんぜんに,かれらの手におちており, そして,その存在ほ,取引所での国債証券のあがりさがりの形で,私有者,す なわち,プルジ.ユワが国家にあたえる商業上の信用に.,まったく,依存するも

のにり なっている。プルジ,ユ.ワジ−は,すでに,ひとつの階級であって,もほ

や,ひとつの身分でほないという理由からも,どうしても,自己を,もはや,

地方的に.ではなく,国戌的に組織し,自己の平均利害に.,ひとつの・一般的な形 態をあたえざるをえない。私有が,共同体から解放されることによつて,国家 は,市民社会とならんで,そのそとに.ある,ひとつの特殊な存在となった。し かしながら,それほ,たんに,プル汐ユ.ワが,かれらの所有,および,かれら の利益の相互保証のために.,外部,ならびに,内部へむかって,必然的に,自 分たちにあたえるところの組織の形態にはかならない。」4)19世紀のマルクス= エンゲルス紅とっては,碑蘭国家は,たんに.,うららかな公的権力でありえず, つねに,二重に,とらえられるのだが,この「純粋な私有」に.基礎ずけられる 4)KarlMarx=Friedrich Engels,Diedeuis(heldeoゐgie,1845−1846,im:Werke,ⅠⅠⅠ, 1958,SS,61−2.

(4)

租税思想におけるデイヴイッド・ヒ.ユ.−ム ーヱヱユー・

「国家の経済的定有ほ,租税である」5)こと,「この公的強力の維持にほ,国家所

属員の献金が,必要である仙すなわち,租税。これは,民族社会のまったく 知らないものであった。しかし,こんにちでは,それに・ついて,われわれは, 知りすぎるはど知っている。文明の進歩につれて,租税でも,まだ,たりなく なる。国家ほ,将来をひきあてに,為沓をふりだし,借金をする。すなわち, 国債。 いまや,官吏ほ.,公的強力と徴税権とを紅ぎって,社会の機関とし て,社会のうえ紅,たつ」6)ことを,明確に,認識した。当面のわれわれは.,裡 税国家の歴史進歩的側面であるプルジュワ議会の生成(租税協賛権)と,富の カテゴリである貨幣経済の進展(現物的特権収入にかわる価値三相税の基盤)にとも なう,さまざまの租税形態紅,関心を,おく。ヒュ.L−ムの生きた時代と社会 は,なお,かかる意味での,財政民主化の時代であるからだ。 ロックは,その『政府二論』(1690)で,「人民が,結合して国家を組織し,政 府の支配をうけようとするばあいの,主要な大目的ほ,かれらの私有財産の 保ごにある」りといい,「私有財産の保どということがなければ,人民は,社 会に参加することにより;かえって,そうすることの目的とされたものを, うしなう」8)のであるが,「政府の維持には,多大の負担が必要であるから, 各自,政府の保ごの分前を事受するものは,政府を維持するために.,自己の 財産のなかから,かれ相応の金額を,支払うのほ,当然である」9)とも,主張 する。私有財産の保ごには,私有財産のある部分を,うばうという背理の解 消ほ,その同意理論によってである。つづけて,かれは,「だが,しかし,

それ紅は,かれらみずからの同意−すなわち,大多数の同意−が,かれ

5)KarlMarx,りDie moralisierendeKritikunddiekritisieIendeMoral.”im:Werke, Ⅳ,1959,S・348・Ⅹ・マルクス,「道徳的批判と批判的道徳」(『在プリ,ユツセル・ドイツ 人新聞』1847年11月18日号),『マルクス=・エンゲル.ス遜酪』(大月苔店),第2巻,74ぺL− ジ。なお,同ぺ−・ジ紅は,「租税は,経済的にあらわされた国家の定有である」の規定も みられる。 6)F・エンゲルス『家族・私有財産および国家の起源』,同,滞13巻,4−75ぺ−ジ。 7)一Iohn Locke,T抑O T′鋸崩・Se・S〃ノ■C査房JG00併一乃研β乃′,1690..ⅠⅠい §124. 8)乃紘,ⅠⅠ・§138,

(5)

香川大学経済学部 研究年報1 ヱ96ヱ −ヱJ2・・− ら自身,あるいほ.,かれらの選んだ代表者によって,あたえられねばならな い。すなわち,だれかが,その権威に・よって,かかる同意をえずに・,人民に 税を課し,とりたてる権力〔徴税橡〕を,いいほるなこらば,かれは,そうす ることによって,私有財産の基本法を侵害し,政府の目的をぐつがえすこと になる」10)とのべ,したがって,また,「課税権のもんだいほ,立法部が,恒 久的に/存在したり」,立法権が,人民の代表者砿保持されないときに・,本来, かんけいする,という。11)しかも,ロックにおいて−は,貨幣の導入に・したが い,「人民ほ,財産を維持・拡大させる機会」12)を有するように・なるのである。 それは,貨幣が,腐敗しない一・般的等価物として,胃腑の限界をこえる富の蓄 積を,許容する手段であるからだった。13)われわれほ,ロックに・,租税国家論の 初期プル汐.ユワ的典型一国家の無産化と,人民の私有財産・蓄積,租税協賛 権−を,みいだすことができるのである。ところで,ヒーユ.−ムは,国家の支 柱を,(1)公共的利害,(2)権力,(3)財産権とし,14)このいずれをも,相対的決定因 でしかありない根拠を,明示しつつ,いずれも,かれに.あってほノ,「同志」でほ

なく,「与論」(opinion)に.よって,ささえられる点カミ,論定される。財産権が,

政府の基礎であり,重大な支配力をもつとされるにもかかわらず,人民は,公 共的功利感と権威の原理に.,つよく,つきうごかされるとすると一ユームほ,「原 始契約派のもっとも著名な論客」ロックにたいし,「・一・国の最高主権によるば あいでも,被課税老自身の,あるいは,その代表者の同意なしには,税金や賦 課物に.より,かれの財産のはんの一・部分でも,とりたてることは,不可能であ るという」15)のは,「人顆の・一般的慣行から,きわめて,はど遠い意見をひきだす 10)乃査d…,ⅠⅠ.§1軋「国民みずから,あるいは,その代表者を通じてあたえた同志がなけ れば,国民の私有財産にたいし,税をとりたてることほ,ゆるされない。」 (乃揖.,IL §142・) 11)乃諦.,ⅠⅠ.§142 12)乃∠d.,ⅠⅠ.§48 13)乃拍,,ⅠⅠ.§§46,47,48,49,50・

14)David Hume,PohiicalDiscourses,1752.助me,rs MoY’alandlbliiicalZ%ilosp?h.y, ed byH“DAiken,1948,reprinted,1959,pl308

(6)

租税思想におけるデイヴイッド・ヒ,ユ.−・ム ーZヱ∂一 社会理論」16)であり,すくなくとも,イギリス王国のはかでは,通用しない,と いうのである。こうして,単純な租税利益説も,租税協賛権も否認される。そ れというのも,かれは,ステ,ユ.アー・ト王朝のジ.‡イムズ1世に.しろ,チャール ズ1世にせよ,人のよい正直もので,あるとき,食事中のジェイムズ王が,公 然と,声高に.,客の監督に,「お金が入用のとき,議会の手続など,いっさい, ぬきにして,臣民から,金をとってはいけないか」と質問し,ひとりが,「ま ったく,わるくはない。陛下は,われわれ臣‥民のよろこびの源である」とこた え,返答をことわったもうひとりも,王のたっての要求に/たいして,「陛下は, わたくしの兄弟の金を,合法的にとりうる。というのは,兄弟が,金をさしだ すから」といった対話濫言及し,臣一下の言を,信じて救いがたくなり,臣民の 反感を,夢想だにしなかったこの国王の失政ほ,当時としては,「大目に・みてや れる」17)と,指摘するのである。歴史家ヒュ−・ムのばあい,人民の政府に.たいす る服従の根拠は,「そうしなけれは,社会は存続できないから」18)であり,「政府の 安定性の保持に.は,新来の世代が,既定の政治組織に順応し,父祖の世代が, そのまた父祖の世代の足跡を,継承することによって,かれら新来の世代に.し るしずけてくれた道に.,大体,したがうことが必要である。」19)そして,歴史的・ 現実的には,いわゆる人民の契約や同意による政府は,虚構なのである。名誉 革命でさえ,変革は,王位継承だけであり,1,000万ちかい国民の選択ではな く,わずか,700人が,これを決定した軋すぎなかつた。20)しかも,歴史は,古 い政府:の消滅は,暴力(foI・Ce)や,軍事力・政治的術策によるのであり,人民の 自発的同志や契約などに依存しないことを,示すのである。21)「正義をまもれと いう義務の根拠は,まったく財産の相互不侵害が,人類のあいだで平和を保つ ために必要であるという社会的利益にある」のだから,社会的利益が,危急に おちいったばあいに.ほ,財産の掠零をさけることはできないと,ヒユームはい 16)Jゐよd,p372 17)ヒ.ユ・−ム,訂市民の国』,上巻(岩波文辞),298−300ぺ−ジ。 18)0♪。.Cよ′′,♪い368. 19)乃紘,pp‖364−5 20)乃昆.,p‖361 21)乃よd..,p.362

(7)

香川大学経済学部 研究年報1

ーヱヱイ一 J961

う。22)

しかし,また,ここで注意の要するのは,かれは.,この論理を.・−・面的に.主

張したのではなく,公共的利害(publicinterest)の顧慮,すなわち,強く, かつ,広汎な仁愛(strong extensive benevolence)ほ正義の根源的動機でほ

ありえない2S)一人々ほノ,正義の原理を夢想だにしえないだろうから一−とし, 「■人間相互を,きわめて,都合わるくさせる自愛が,同じく,また,あらたな, かつ,いっそう,都合よい方向をとることによって,正義の規則をうむのであり, したがって,自愛こそ,正義の規則を遵守するさいしょの動機なのである」,24) 「正義の法の真の起源ほ,自愛(sel董−love)である」25)とまで,ヒユ−ムほ,い いきるのみではなく,個々の正義の行為は,政府の樹立によって,正義をさら に.,厳格に.遂行(a more strictexecutionofjustice)しうる,すみわら,「政府

の主要目標は,自然法〔正義〕′を遵守するよう人々を拘束する点に.ある」2¢)とい い,ひとつひとつの単独の正義は,公共的利害や私的利害に.背反する事例の頻 繁であるに.もかかわら1ず,一時的な受難と災禍ほ.,正義の確立によって,十分 に.補偵され,諸個人にとってほ,「収支計算をすれば,自分ほ収益者であるとわ かるに相違ない。なぜなら,正義がなければ,社会ほ,ただちに,解消するに ちがいなく,、各人は,あの未開で瓢独な状態へ‥おちこむに相違ないからであ る」27)と断じ,これを,人々の「黙約」と「約定」から,解明するのである。と ころが,かかる論拠から出発した政府の起源は,政府自体の優越性にすすみ; 「忠誠の義務が,さいしよこそ,約定の責務に.接木されて,ある時間のあいだ 約定の責務に.よって,ささえられるが,迅速に自己の根を生やして,あらゆる契 約から独立な本源的者務と権威とをもつのである。これほ重大な原理である」28) と,かれほ,いい,政府ほ,約定をほなれて,平和と秩序をまもる機構として, 22)ヒューム,『市民の国.』,上巻(岩波文蹄),152ぺ−ジ。 23)DいHume,A7γβα′去S♂q/’月払肌用仁〃ム知和,1739−40・坤.c払.p小64 241用材..,plO5 25)乃詔.,p・93 26)乃諺..,p105い 27)乃拍.,pp…65−6 28)乃i♂、.,p,104.

(8)

租税思想におけるデイゲイッド・ヒーユ−−ム ーーヱヱ5− 独白の性格を具有するに.いたり,29)こうなったうえでは,論理は,逆転して−,私 的義務コ約定の世界は,公的義務二忠誠の世界に.依存し,基礎ずけられる。そ うして,容易に,権威の原理が,政府の起源となりうるのである。 叙述の晦渋は,われわれの解釈を,まよわしめるとはいえ,取引雲所有の安 全という,いわば,経済的・社会的世界と,服従という政治的世界は,発生史 的に.は,「自愛」に.起因するかに.みえても,呵歴史的現実は,両者の混同をゆるさ ないのが,ヒュ−ムのねらいであり,それに.ほ,ロック的な抵抗権の抽象性を, 排除しようとする熱意が,作用したのである。だから,ヒ,。」−ムは,抵抗権・−・ 般の絶対萬否認に,意をそそいだというべきではなく,31)契約違反に理由をもと 29)乃≠d“,pp.105−10.ヒュームにしたがえば,「約定」の履行とは,別の明白な利益をも つ服従の義務がなけれは,「政府は,存立できない。あるいは,−・方では,おおくの財産 所持があり,地方では,兵実の,また,像想上の欠乏のおおい巨大な社会の平和,ない しほ,秩序は,まったく,維持されない。」これが,第1の論証=自然的義務としての,

両者の明白性。第2は,道徳的明白性である。社会をみだす不忠な行動ほ,約定の侵犯

と同じく,不快である。「われわれほ,為政者への,いっさいの不忠誠を誹諾する。けだ し,われわれほ,財産所持の安定と,承諾によるその移転と,約定の履行における正義 の遂行が,政府への服従なしには,不可能だと,みるからである。」しかも,もし,約定 ほなくとも,政府は,文明社会で,必要であるが,約定は,政府による是認と処罰がと もなわなければ,効果は,うすいだろう。「これは,われわれの公的義務と私的義務とに −・線を劃し,前者が,後者に依存するよりも,後者が,前者に依存することが,おおい

ことを,示すのである。」そして,教育と政治家の人為は,忠誠に.道徳性を賦与し,叛逆

に,犯罪と悪名の烙印をふすのである。第3に,約定とは,いかなるかんけいもない権 威の原理が,登場する。 30)政府は,正義以上のものを体現したもの,したがって,社会の存立条件と国家のそれ は,かさなりあわない。自愛→正義→政府の説明原理ほ,1部なりたちえても,政府→ 正義が,本来的なものとなり,正義は,自愛と政府の媒介錯の役目をほたさない。自愛 →正義←政府なのである。そして,「所有は市民法(Civillaws)に依し,市民法は,社 会的利益(theinterest of society)以外の目的をもたないから,この社会的利益は,所 有と正義の唯一・の基礎である。為政者とその法律へのわれわれの服従は,社会的利益に もとずくのは,いうまでもない」(DlHume,A〃広明適わ=〃〝Cβγ〝ま紹g紘ヲ♪㌢・加須油.ゞOr Morals,1751。Ibid。,p.196footnote3“)という三段論法によって,政府→正義→自愛 となりうる。 31)I}Hume,ATrealiseof助man NaiuY■e,1739−1740」Ibid‖,p110fflSectionsIX,Ⅹ.

(9)

香川大学経済学部 研究年報 1 J96ヱ ーノブ6一 める抵抗権を否定したのであり,契約説そのものについも,その非歴史性をつ いたのであって,そこにふくまれる民主的原理=契約説の「結論」32)を,あやま りだと,いうのでほない。そこで,われわれに.とって,大切なのは,かれの二 元論が,真濫意図したものほ,何か,ということでなければならない。 ヒ.ユー・ムは,純化された≪消極的服従≫(トーリ)も,≪社会契約≫(ウィ ッグ)をも,ともに.,否定することによつて,呵名誉革命をへたイギリス体制= 制限政体の歴史的弁ごに.,つとめた,みるべきであり,その二元論ほ,かかる イギリス体制の忠実な反映であると,かんがえるのが,至当である。かれが,こ とさらに,ウィッグ的人民主権論を排撃して−いるのは,トーリの反動を抑制し, 両党のあゆみよりを期し,現制度の安定をめざして−いる以外に.,根拠はない。叩 この意味では,かれは,イギリス型ロック体制の擁ど者であり,ウィッグ的解 釈を拒否するウィッグ(ロック的解釈をとらないリアルなロック)なのだとさえ,い いうるのである。こ・うすれば,ヒュー・ムの次のことばほ,なんら奇異なもので ほないだろうー「アー・トが,ニグレクトされている粗野な未開の諸国民にお いてほ,すべての労働が,土地耕作に投下され,全社会は,ふたつの階級,地 主とその奴隷=小作人にわかれる。後者は,必然的虹,隷従的であり,奴隷制 と隷属状態に,ふさわしい。前者は,小暴君となり,絶対君主に.服従する か, ,おたがいに不和とたたかいにおちいり, ,全社会を混乱に′おと しいれるにちがいない。しかし,著移が,商工業をつちかうところでほ,農民 ほ,土地の適切な耕作に.より,富み,独立し,他方,商工業者ほ,財膚のわけ まえをえて,社会の自由(publicliberty)の,最良のもっとも強固な基礎であ る,かの中産階級(thatmiddlingrankof men)に.,権威と尊敬をもたらす。こ れらの人々ほ,農民のように,貧困と卑屈とにより,奴隷状態に.甘んずるとい ったこともなく,直臣.のように.,祝儀をもらうために,君主の圧政を甘受すると かかる観点からすれば,ヒ.ユームほ,忠誠の対象のため紅この源泉をもんだいとしたの であった。原契約の否定は,もっぱら,イギリス現政体の擁ご紅,連結する。 32)丑紘,pい110 33)D”Hume,“OftheCoalitionofParties:’in:EssaysandTreatiseSOnSeveY’alSubjeeis, 1777・『市民の鼠』,上巻,157ぺノージ以下。あるいは,逆に,両者をJ‘ともに,ただしい」 (qれ(さ≠・pけ356)としても,同じ論理である。 34)同,152ぺ−汐以下。

(10)

租税思想匿おけるデイヴイッド・ヒュ.−ム ー∴け7一 いった誘惑濫.も,さそわれない。かれらほ,平等な法律,すなわち,かれらの 財産をまもり,かれらを貴族政治の,また,王制の暴政からまもる法律を渇望 する。」そして,すぐさま,つづけて「〔イギリスの¶引用者〕下院ほ,わが人 民による政治の支柱である。全世界のみとめるように.,下院は,その主要な影 響力と尊敬とを,民衆(commons)の手に財産のこのようなバランスをもたら した商業の増大に負うのである」B5)と。 それであるから,かれは,抽象的等仙交換原理に.もとずく租税利益説(国家 保険料説)とほ,きっぱり,たもとをわかったのであるが,いわほ,租税利益説 の歴史化,ないし,現実化という形式(→租税利益説なき租税国家論)で,これを継 承して行くと,みるのが,たたしい。いいかえれほ,かれは,王権とか,国家 の視点からでほなく,これを,経済(史)の論理から,みつめて行こうとする。 すでに,知ったように,貨幣経済(生産力)の進展が,これであるが,筆者ほ.,こ れを租税国家の下部構造的論証とよび,家産国家の解体→≪私有≫と≪権力≫ の分離→公的権力成立(ゥ私的所有のための探険料説)→租税協賛権の系論 は.,その上部構造的論証とよぶこととする。ヒ,ユ.−・ムは,下部構造的論証の駆使 に.,むかう理論家なのである。 2.国家収入と生産力 かれに.よれほ,「国家の強大さと,その臣民の幸福 ほ,いかに,両者が,いくつかの点で,別々の独立的かんけいにあると,かバ がえられるにせよ,一・般に.,商業にかんしてほ.,不可分のかんけいにあると, おもわれる。個人(privatemen)が,国家の力によって,そのトレイドと富と の所有に.おける強力な安全を事受するように.,国家は,個人のゆたかさと,広 汎な商業とに比例して強大になるのである。このマキシムほ,大体において, 員実である。」さ6) どうしてか−・あらゆる国家の大多数は,農民(ゐ鉦ぶ∂α〝d;く右β乃)と製造業者 (肋紺〟αCf祝γβγ5)にわけられる。野蛮な状態では,人は,狩猟や漁揆に・よっ て,生活するが,のちに.は,このふたつ百こわかれ,時の経過と経験とが,アー・ トを改良し,農業者ほ,自己,および,製造業者を維持する以上のもの(大なる 農業剰余)を,顔出しうるようにIなり,こうして,あま/つた人手(superfluous 35)D‖Hume,ⅣγitinglSOnEconomicIS,edhbyE・Rotwein,1955,ppl28q9 36)侮d.,p5・

(11)

香川大学経済学部 研究年報 1 【JJβ− ヱ96ヱ hands)が,著移品産業(arts ofluxur・y)に従事すれば,かれらは,国家の幸 福を,増大する。それは,あたらしい快楽(enjoyments)をあたえるからなの でほあるが,このあま.った人手を,他の方法に.用いてほいけないか,すなわち, 「主権者ほ,かれらを,海軍に陸軍に.,国家支配の拡大と,その名を,遠くの 諸国民に知らせるために,使用しては,いけないか。」37)このばあい,国家の強 大さと臣=民の幸福とほ,矛屈するかにみえる・−すべてのあまった人手が,国家 の仕事につくときに.,国家は,もっとも,強大であるし,個人の安楽と便宜は, そのあまった人手が,かれらのサ−ザ′スに.,つかわれるぺきだと,要求する。 一・ほ,他の犠牲なしに,満足されない・−−,しかも,これは,たんに,妄想で はなく,歴史と経験に.合致するニスパルタやロ−マでほ,商業と馨移の欠如の ために,国家ほ,強大であったと,叙述しつつも,かれは,こう主張する。そ れでは,主権者は,古代のやり方に,もどるぺきかといえは,「苗代の政策は,

暴力的で,事物の自然なふつうのなりゆき(more naturaland usualcourse

Of things)に,さからうもの」38)であると,いう。マ1=・.。.ファクチェアとmechanic aItSのないところでは,人々は,農業に局限され,かりに,技術とインダスト リが,増加し,農業剰余が,生産されても,その剰余と交換すべき商品一快 楽と虚栄に/役だつ→が,ないため,自然に.,怠惰が,支配的となろう。広大 な土地は.,あいかわらず,未耕のままである。国家的危機到来のさいには,も はや,その仕事に.つくぺき人々を養なうはずの剰余生産物は,どこにも,ない。 これに.たいし,「世界のあらゆるものほ,労働に.よって,購買される。われわれ の欲望(passions)は.,労働の唯一Lの原因である。」したがつて,「ある国民が, マニユファクチ,,アやmechanic artsに富むほあいに.,良民も土地所有者も, 農業を科学として,研究し,インダ.ストリと専心力を,倍加する。かれらの労 働から生ずる剰余生産物は,うしなわれずに,人々の奪惨が,いまや,かれら に,渇望させる諮商品と交換される。このようにして,土地ほ,その耕作者に. 十分な以上に,多還の生活必需品を供給する。平和で平穏な時代には,この剰 余生産物は,製造業老と学問芸術の改革者たちの,維持に.,むけられる。しか し,国家が,これらの製造業者の大多数を,軍人に転換させ,農民の労働から 37)乃拍..,pp5−6。 38)乃寝.,p.、8.

(12)

和税思想におけるデイグイッド・寧ユ−ム ーJJ9−一 生ずるかの剰余生産物に・より,かれらを雅持することは,容易である。それ故, われわれが,みるように・,このことこそ,すべての文明政府のばあいである。 主権者が,軍隊を募集すれば,その結果は,何か。かれほ,租税を課す。この 租税は,人民全部にたいし,その生活にあまり必要でないものの,削減を,強 いる〔だけ〕であろう。もんだいを,拙象的に.かんがえれぼ,製造業老は, かれらが,おおくの労働をたくわえるに比例して,国家の力を増大する。しか も,それほ,なんらの生活必需品をうほうことなしに,国家が,要求しうるた ぐいのものだ。したがって−,労働が,たんなる必譜品をこえて,使用されれほ されるほど,いかなる国家も,強大に.なる。製造業者のいない国でほ,同 数の人手がいても,労働鼠は,同じでなく,同種類の労働も,ない。あらゆる 労働ほ,必一青島に投下され,その減退ほ,はんのすこしか,あるいほ,まった く,ゆるされえないか,である。」 「かくして,主権者の偉大さと臣民の幸福ほトレイドとマニュファクチ.ユア に,かんしてほ,極度に,むすびつけられているのだ。」39) このように,ヒュームにしたがえば、「いまや,事物のもっとも自然のなりゆ

き(most naturalcourse of things)に.よって,インダストリとアートとトレ

イドとは,主権者の力と臣民の幸福とを,〔二ともに.〕増加させるのであり,個人の 貧困により,国家を大きくするという,例の〔意代の■〕政策は,無暴である。」40) 「労働者とその家族を維持する以上のものを,土地から,産出しようとして, 労働者に苦労を強いるのほ,乱暴きぁまる方法であり,また,はとんどのばあい, 実行できないものなのである。かれに,マニ.ユファクチーユ.アと商品をあたえよ。 そうすれば,ひとりでに,かれは,そうするであろう。それからは,諸君は, かれの剰余労働(superfluouslabour)をうほいとり,かれに,通常の報いをあ たえずに,これを公共サ−ダイスに,使用することも,容易である。」公共 の穀倉,織物倉膵,軍隊の武器椰,これらのすべてほ、どんな国にあっても, 真実の富であり,力であるに.ちがいない。トレイドとインダストリは,実に,

労働のストック(a stock oflabour)以外の何ものでもない。この労働のスト ックこそ,平和と平穏の時期にほ,個人の安楽と充足濫,つかわれ,国家の危

39)乃id,pp11・2

(13)

香川葺大学経済学部 研究年報1 }−J20一‖−・−−− ヱ96」 急に.は,国家の利益に.転ずるのである。」41) 奮惨的欲望を開花させ,インダストリとマニコファクチ.ユアとをつくりあげ ることば,この労働のストックを増加する合理的準則なのであり,これを阻害 する制度・政策は,無暴な人為だというのが,ヒユームの基調である。とりも なおさず,これは,消費と生産の,ふたつの局面からみた市民社会ニニ商業社会の 生産力的擁ど(生産力の発展と富の潤沢)を,意味していると,みなしてよい。そ・

して,外国貿易も,同じ論理から,臣民の富と幸福,および,国家の力を,増加さ

せる。すなわち,輸入は,マニユファクチエ.アの原料を,輸出は,自国で消費しえ ない特殊な商品での労働をつくりだし,インダストリを,拡大し,こうして, 精巧な商品や著惨品が,′生産される。臣民ほ,富裕に.なるが,「■国家も,また, 利益をうける。これに.よつて,労働の大量なストックが,国家の危急に.そなえ て,たくわえられる。いいかえれは,生活必需品のいずれも,主な便宜品です らも,うばうことなしに・,国家の仕事に・かわりうる蒐大な数の労働者が,維持 されるのだ。」42ノ 剰余労働ストック!これこそほ,国家収入の源泉であり,基盤 である。 石.国家収入と生産かんけい と.ユ.−ムに.とってほ.,生産力のみでなく, その分配かんけいも,軽視されてほ,ならなかった。「市民たちのあいだにおけ る〔分配の〕なみはずれた不平等ほ,国家を,弱体化する。できれば,各人ほ., その労働の果実を草受し,あらゆる生活上の必需品と便宜品のおおくとを,十 分に.,所持すべきである。かかる平等が,人間性に,いちばん,かない,それ

が,貧者の幸福につけくわえるものは,富者の幸福から減らすものより,ほる

かに,おおい。しかも,かくて,平等は,国家の力を増大し,莫大な租税,ま

たほ,課徴をも,もっと愉快に.,支払われるようにする。富が,小数の人に独 占されるところでは,かれらほ,国家需要の大部分を責納する。だが,富が, 大衆に.まきちらされているときに.は,負担は,各人の肩に,軽く,かかり,租 税は,だれの生活状態にも,きわだった変化をあたえないであろう。」 「これに.くわえて,富が,小数の人にあるばあいに.ほ,かれらは,全権力を ほしいままに・し,たやすく,全負担を,箆者に転嫁させようと,たくらみ,ま 41)J∂∠dり,p=12. 42)劇掲.,p。13.

(14)

租税思想に.おけるデイダイソド・ヒュ.−ム ーJ2トー すます,貧乏人を抑圧し,あらゆるインダストリを臥上するであろう。」43) イングランドほ,この点で,いまだかつて..史上,類例のない優越性を,有 している。たしかに.,労働の高い価格は,外国貿易のばあい,いくらか不利を もたらすけれども,外国貿易は,実質的なことがらではないため,44)これを,幾 百万の民衆の幸福と,くらぷべきではないのである。また,もし,ほかに,自 由政府(free government)に愛着させるものほ,もほやないとしても,これ で十分なのだ。人民の富裕ほ,つねに.,自由の絶対的な結果であるとほ,かぎ

らないとはおもうが,一般人民の貧窮は,絶対専制(absolute monarchy)の,

絶対的な帰結でなくとも,当然の結果なのだと,ヒ,コ∴−・ムは,いう。45)かれに.よ れば,かつて,ベイコンは,フランスとのたたかいにおける,イギリス人の勝 利を,前者にまさるイギリス人民の安楽と,富裕に,もとめた。しかも,当時,ふ たつの国の政府は.かなり,いちじるしく相似た形態のものだったのである。人 民(common people)のゆたかさこそ,国家の強力の礎石なのだ。、こうして,「自 由な政治のもとでも,労働者と職人が,低質銀で,はたらき,その労働の果実の, ごく小部分しか保有しないばあいにほ,かれらが,〔生活〕状態を改善し,もしく ほ,かれら自身の協力で,賃銀をひきあげることは,むつかしい。」しかし, 逆に,「かれらが,相当ゆたかな生活をしているときでも,専横な政治のもとで は,富者が,かれらを抑圧し,租税の全負担をかれらに.,おっかぶせることほ, 容易なのだ。」46)経済的分配の平等と,自由政府の確立ほ,人民の幸福と国家の 力とを,ともに.,調和的に,実現する要因だと,理解しても,よいであろう。 これは.,市民社会=商業社会の生産かんけい的擁ごである。 インダ.ストリとア−トを,さらには,アー・トにおける洗練(著惨)を,増進 せしめよ。しからば,生活の潤沢と経済の平等が,そして,これによって,国 43)拗れp.15.. 44)外国貿易は,人々に,快楽(クJβα・即〝−β・5)と商業の利益(♪r〃/2J5)を知らしめ,外国貿易 と国内商業の発展を促進する。そして,おのずから,国内産菜が改良されるが,この国 内産業こそ,外国貿易の基礎である(乃揖.,p、14,p.79.)。こうなれば,もし,外国人 が,わが国の商品をかわないときでも,他のゆたかな国内謡要によって,これをおぎな いうる。 45)乃よ♂.,pp.15−6. 46)J∂id.,pl16.

(15)

香川大学経済学部 研究年報 1 ーエ22− ヱ96ヱ 家闇政の財源が,十分に,確保される。ヒュームの・山貴した商業論¶生産・過 程をうち軋ふくんだCOmmerCe〝】の命題は,すなわち,こう要約しうる。そ して,この国家財源は,人民の生活における基本水準,つまり,生活必需品と, ●●●●●●●●●●●●● ●●●■●

便宜品さえも,包含した生活基準を,おかすことなく,徴収・把捉しうるとい

うのが,また,人民ひとりのこらず,軽度に,負担しうるし,また,そうすべ

きだというのが,ヒ.ユームの税源規定なのだと,みなして,さしつかえないだ

ろう。 そうして,ふたたび,かれの政治的発言にり ふれると,▲,かかるインダストタ →馨俸の弁ご論は,人民の額秩序と反乱にたいする有効な下剤であることだっ た。かれほ,香移の有益性を,個人と国家に.わけて考察し,くりかえし,馨惨 が,個人の活動と快楽とを,増加せしめること,インダストリと知識とヒュ∴−・ マニチイの不可分なかんけいを,強調し,この結果,蓄積される社会の労働ス トック(sioY・ehouse oflabou:)ほ,公共任務(publicservice)に,まわしうる ことを,のべながら,このインダストリから生ずる知識ほ,法律,秩序,治政, 風紀の充実を,うながすとして,次のように,いうのである。この政治的知識

は,無知な時代の迷信に別れをつげさせ,穏健と中庸とを,生ぜしめ,暴動の

非人間性を,人々に,教示する。これによって,党派心ほ,うすらぎ,革命は, 悲惨さをもたず,権力者は,寛容的となり,治安妨害==騒擾ほ,おこらなくな る。戦争でさえ,残忍さを,欠き,戦士たちは,獣性を放棄して,人間性をと りかえす。47)っづけて,この文脈のなかで,すでに,引用した中産階級とイギリ ス下願三の賛美が,の ペられ,現代への不満,遠き昔への礼賛は,いかに.,非歴 史的であるか,叛逆と残酷は,古き非文明の時代の特質であること,すなわち, こういった18世紀イギリスの,リアリスティックな歴史的弁明が,まわりくど, く,ねほりづよく,なされているのである。したがって,ヒ。」−ムの下部構造 的論証というのは,政治的不満分子への下毒剤だったのだ。租税国家の現実的 弁証が,ヒュ−ムの主題だというのも,ひとつほ,ここに,あったのである。 これまでに,われわれの知ったヒュームの下部構造的==∵経済的論証(生産力と富 の平等)にみられる経済像にかんして,注目すべきことは,商業社会において 47)J∂Jd.,pp24−5

(16)

租税思想におけるデイゲイッド・ヒュー・ム ・−ヱ之ヲーー は,第1に,インダストリの剰余が,国家収入の財源であるべきこと,第2に, そ・れは,馨修的剰余を根本とし,人民の必需品を侵蝕しない,また,してほな らない,第8に,特定の階級が,これを負担するのではなく,全人民が,一様 に,負担すべきであり,また,負担しうると,いうのであった。こうして,か れは,かれなりの生産的労働論を,展開したのであ′るけれども,ここで,欝1 に.,この巨視的生産力論と,分配論とは,商業社会の構成単位である価格論に, その位置をしめていない。固有の価格論の欠如。第2に,その巨視的経済社会 の分析に.もかかわらず,ここに,登場する人々ほ,多種多様な1abour’er,artisan,

manufacturer,PrOprietor,farmer,peaSant,tradesman,merChqnt であっ

て,スミス的な本源的社会階級へ・の志向に.稀薄である。ヒ、ユ.−ムは,富者と貧 者,地主と農民,農業者と製造業者などの,階級区分を,しないわけではない が,これらの範疇かんけいは,多分に,社会的分業によるか,現象記述的で, 原理的でなく,相互のあいだに.,流動的移行が,想定されていると,みてよい。か れの基本ヴィジョンほ,独立生産者的なものである。それほ.,李惨的剰余をう む独立生産者だった。 4.国家収入の形態 ヒュームの現実的弁証が,生産力にもとずく経済学 的な市民社会の擁ごであるとすれば,前期的収入形態=直領地・ドメ−ネン収 入に.たいする批判も,これに,対応して,生産力的であるだろう。 かれは,古代軍隊が,戦時にあってほ,その資力を分捕品にあおぎ,したが って,敵も,また,わが方のものを分捕るから,「これは,かんがえつく他のい かなるものをも凌ぐもっとも破滅的な課税方法だった」48)といい,また,苗代口 ・−マ時代におけける不断の戦争は,市民のすぺてを,軍人にしたて,各人は., かわるがわる,戦争におもむいたが,その間,かれらほ自己の費用で,生活し た洲「このサ−ダイスほ,実に.,重税に,相当する」(しかも,かれらは報酬より も,名誉と役聖聾のために,たたかったので,このことに息ずかない)と,いう。49)あき らかに.,かれは,「重税」以上のものである人的奉仕や分捕品を,課税のひとつに・ かぞえることに.よって,苗代と近代の区別の質的差異を,みおとしたのである。 さらに,必需品のみが,生産される粗野な時代に.は,「主権者は,その臣民の 48)揖dり,p 8 49)乃まd‥p。9り

(17)

香川大学経済学部 研究年報1 −−J24− ヱ96」 大部分から貨幣のかたちでの和税(taxesinmoney)を,徴収しえない。もし,か れが,なんらかの負担を課すならば,もっぱら,かれらのもつ現物(commodities) のかたちでの,納付をうけるに.ちがいないが,この方法ほ,極度の明白な不便 をともなった。」50)主権者収入〔貨幣〕の減少(貨幣の流通する都市部からしか徴収し えないため)と貨幣の不足によるインダストリの減退−ヰ物価騰昌(主艇名所有貨幣 の購買力低下)が,それである。インダストリにみあう貨幣が,国中に.ゆきわた り,あらゆる価格が低下すれは,「主権者は,ニ重の利益をうる。かれほ.,国の いたるところから,租税によって,貨幣をひきあげ,そのうけとるところほ, さまざまの購買と支払に,大いに,費消されるからである。」叫あくまで,ヒ.ユ −・ムにとっては,相税の必然性が,国家収入の量的多寡・利不便・統一L的経費 支弁という貨幣経済的基礎によって,論証されるべきなのであろう。 5.租税とインダストリ 租税国家が,下部構造的論証をうけたうえは, こうした租税の経済的作用の摸索が,蕃要となる。 すでに,あきらかに.したようにり ヒュ.−ムは,税源をインダストリのうむ督 俗に.もとめた。これほ,インダストリ→租税という,ながれで,おさえること ができよう。そして,それは,いいかえ.れば,和税の,国家収入としての役割 であった。しかし,かれほ,租税を,受動的に.,たんなる財政収入としてみた のでほなく,これを,インダストリ促進の政策としても,規定したのである。 「ある種の識者のあいだに.,普及しているマキシムがある。これによれば, ●●●●●●●●●●●●● いっさいのあたらしい租税は,これを負担する臣‥民にあたらしい能力をつくり ●●●●●●■●●●●●● だし,公共負担のいっさいの増加ほ,これに比例して,人民のインダスr・りを

増加すると。このマキンムは,不合理な性質のもので,まつたく,危険であり,

その寅理性が,否定されえなければ,ますます,危険だ。だが,ある一・定の限 界内では,理性と経験に,ある基礎を有しているにちがいない。」82) 「ある租税が,・一般人民の消興する商品にかかると,その必然的結果ほ,貧 50)J∂∠♂い,pp.44−5なお,ここで,かれほ,この不便について,弓飢、て,輸調する必要 はないといっているので,かれの説明は.,以下の真体例以上のものをも,念頭において いたのだろうか。 51)J鮎d.,p‖45 52)1bid.,p.83.ある種の識者(Some reasoners)は.,初版から,第7版(1768年版)ま

(18)

村税思想紅おけるデイゲイッド・ヒ.ユ−ム 岬J25一 乏人が,生活水準をきりつめるか,またほ,かんぜんに,富者に私税が,かか るように,その賃銀をひきあげるか,であろう。しかし,租税に,しばしば, ともなう発3の結果がある。−す■なわち,貧者は,そのインダストリを増進し, もっとおおくの仕事を完遂し,かれらの労働にたいするおおくの要求をなすこ となく,まえと,同・一Lの生活をたもつことである。」勘これは,租税→インダス トリのながれであるが,かれは,この課税濫よるインダストリ促進効果を,自 然条件の不利紅もとずく生産力発展と,同じ論理で,説明する。すでに,『商業 論,打(0./’c〃タどβ′f㌶♂㌢・どβ)の末尾で土地の肥沃と気候温畷は,かえって,人々を怠惰 にし,インダストリの闊害因になること,イングランドは,地味は,ゆたかだ が,相野であるため,強力なインダストリを必要として,富裕となったことを 説明した。54)この,かれ白身のいう「笥妙な命題」55)がここで、適用され,「商業の 非常に発達している国民ほ,かならずしも,肥沃な土地をもつとは,かぎらな い。むしろ,かかる国民ほ.,おおくの自然的障害のもとで,ほたらいてきた。」5¢) Tyre,Athens,Carthage,Rhodes,Genoa,Venice,Hollatldほ,この顕著な 例である。歴史上,土地の肥沃,かつ,商業をきりひらいたのほ,ネーブルラ

ンド地方,イングランド,およぴ,フランスであるが,前二者ほ,風土の劣性を,

海上ににもとめ,外国港をもったのである。後者は,隣国の海運と商業に注目し, そこから,天才的・計画的な観察によって,さいきん,商業を導入したのだった。 このように,自然的障害が,インダストリに好都合だとすると,ヒノユームに.し たカ;えば,「なぜ,人為的負担が,同じ効果をもってほならないか」57)となる。そう して,サ−・ウィリアム・テムプルが,オランダ人とアイアランド人との比較か ら,インダストリほ,地味に反比例して累増することを,証明したように,狭 では「この国では,政策家(紺αプSα紹d研βα乃5研β〝)とよばれ,フランスでは,財政家・ 収税更(Fさ勿〃〝C去β㌢ざα紹d〟α伽f去¢㌢∴S)と名ずけられた人々」と,かかれていた。いずれ も,重商主義時代の勤務官,学者の通称であり,おおくの重商主義者の論説には,W∂yS andIneanSのタイF・ルが使用されたことほ,よく知られている。 53)J録♂.,p.83〃 54)ル材,pp.16−8小

55)Ibid,p‖16.=an odd position,’. 56)乃よd,pけ83

(19)

香川大学経済学部 研究年報1 −」ほ好一 ヱ961 院な土地こそ,富と源泉なのだと,かれほ,論断するのである。 人も知るように.,このインダストリへの拍車としての詔税は,17世紀のぺテ ィやジョン・フ−†ン以来,ピーター・・ドゥ・ラ・ク−ル,初期ジョウサイア・ タッカ爛,トロウプリッ汐のウィリアム・テムプル(ヒユ−・ムのテムプルとほ別人) の主唱した理論紅,ふくまれる17・→18世紀前半に.かけての支配的なコロラリの ひとつであった。58)両テムブルにおいて,ひときわ,あらわなかかる思考の根底 にほ,人民は,ゆたかであれば,怠惰に.おもむき,困窮すれば,やむなく,労働 するという遊惰貧民観が,のぞいている。ヒ.ユ−ムほ,元来,かかる想定の持 主であったか。われわれは,さきに,奪惨と安楽を起動とするインダストリの 高揚が,かれの商業社会擁ごの基本視角だったこと,「富は,いつでも,あらゆ る人にとって,値うちがあり,それほ,富が,つねに,人々の習慣であり,ま た,人々の欲望する快楽を購買するからである」ことを,知って−いる。59)だから, かれの「奇妙な命題」は,いかにも,奇妙である。 しかし,・一歩をふみ↓、れて,かれの叙述を,細心に,たどれば,一・見,矛盾 とおもわれる,ふたつの文脈は,けっして,背馳するものでないのである∩第 8の結果が,のべられたすぐあと,これを限定して,「租税が,中庸(mode‡ate) であり,徐々に(即・adually),かけられ,生活必爾品をおかさないばあいにほ, この結果〔第3の〕ほ,自然に.,おこる」という。それであるから,つづいて, 「かかる障害(difficuIties)が,しばしば,国民のインダスF・りを刺戟し,最大 の有利をたのしむ国民よりも,人民を,より,ゆたかに,かつ,勤勉にするの ほ,たしかである」60)と結論するとき,この障害は,中庸で,徐々に,必需品を おかさないもの,すなわち,われわれの知った香移的剰余への障害なのである。 貧乏人の名称にもかかわらず,ヒユ−・ムの貧者ほ,インダストリのにない手で あり,便宜品・著修晶の消費力を,もつほずのものだった。たしかに,すくな くとも,初発的には,上からの刺戟剤が,要請されているとすれば,奪修が, 58)WilliamKennedy,EngliShTaxalion.1640−1799.AnEsSa.yOnPolic.yand Obinion, 1913,p.82ffりERいA‖Seligman,7協e ShifLingandhlCidence qr Taxaiion,2nd ed 1902,p.18ff.

59)0れCよf.,p・27・、また,乃査♂小p小21“後半の精彩ある叙述をみよ。 60)乃∠♂リp一、83

(20)

稗税思想におけるデイヴイッド・ヒュL−ム ・∼∫27−■ 十分に,独立・自立化した社会像として,えがかれたとはいえないかも知れぬ。 だが,ここでの,かれのねらいが,労働者への苛酷なむちでほなくて−,きわめて, おだやかな誘い水の効果であることほノ,十分に.,たしかめられる必要が,あるは ずだ。消費税の税源は,いわば,労働強化にもとずくのでなく,あくまで,イン ダストリの著惨的剰余に,ある。ちょうど,外国貿易や貨幣が,初発的に.は,そ して,歴史的にも,インダストリの起動であり,先行的であるに∴せよ,富作出 の主体ほ,労働であり,アートであり,また,インダストリであったように。 それ故に′,『政治論集』初版から,1768年の『論文集』(第7版)にいたる版で ほ.,テムプル所説を,歴史的に.,確認しあと,「この理論〔欠乏の年には,それ が,極端でないばあい,労働者ほ,よくはたらき,富裕の年にほ,怠惰・遊蕩 にふける。ある製造業名のはなしによれば,その労働者たちが,各種食糧品価格 の高いとき,生活をひきあげ,ゆたかな前年∼こ負った借金を返済したという理 論〕は,租税に.かんしても,あるていど,みとめられるであろう。だが,その 漁用(abuse)ほ警戒せよ。途方もない(exorbitant)租税ほ,過度の自然的障害 と同じく,絶望をうみ,インダストリを破壊する。この租税は,しかも,かか る極点にたっするまえですら,労働者と製造業者の賃銀をひきあげ,あらゆる商 品の価格を.高めるのである。注意ぶかい公平な立法部は,どこを境界に.して, 利益がなくなり,不利益が生ずるかを,看取するであろう。しかし,逆なばあい が,ずっと,ふつうであるから,租税の第1次的増加が,他の諸条件とあいま って,これらの諸利益をうむにあずかって力あったとしても,全ヨー・ロッパの 租税が,〔いま、〕すべてのア−・トとインダストリを,かんぜんに,おしつぶすはど

に.,ふえつつあることほ,心配されていいのである」61)と,かきくわえる。かれ

の眼前にある仝ヨ−・ロッパは,租税の増徴により,危機に.ひんしているという この認識が,何を意味するかは,あらためて,とうまでもないであろう。 そういえば,かれが,「この理論」を説明する文中紅さえ,慎重に,「それ〔欠 乏〕が,極端でないはあい」(“ifit be not extreme”)と,ただしがきを,い

れたのである。

こうして,ヒ.ユ∵−・ムの租税効果論は,62)伝統的な貧民観や低質銀経済モデルの

61))bid.,p85footnote一

(21)

香川大学経済学部 研究年報1 ヱ961 ーヱ2β−

形式的残浮なのであり,内容的には,むしろ,脊惨誘因論にむすびつくのである。

租税は,労働者のぎりぎりの窮乏化による刺観ではなく,労働者の著修的生活 の圧迫による薯移的ア−・ト培養の,しかも,初発的な1手段・契機に・,はかな らなかった。そうとすれは,この租税→インダストリのながれほ,実質的なイ ンダストリ→租税への,対抗的なシキー・マではなく,後者に・,吸引され,収赦 して行く重商主義の残照であり,やがては,脱皮されるほずの幼少期産業資本 の外皮なのでほあるまいか。 ヒュ.−・ムの篇別構成は,このかんれんからも,なかなか,すてがたいものを もつのである。かれほ,ともか チユア=トレイドの同義語)を商業社会二市民社会の原基とみなし,著移的アー ト→貨幣→利子→貿易差額(内外商業政策)→租税−ケ公債63)といった上向法を, みごとに.,展開し,これに.よって,富の作出機構の,本質的なものから,現象的 なものへの思惟的再構成をこころみた。経験的・歴史的順序ほ,市民社会の物 質代謝過程の論理的秩序にしたがって,鋳なおされるのである。むろん,同時 に,その商業論ほ,固有の価値論を有しないし,その構成は,農業を起点とす のリンネルへの課税ほ,イギリスの国産品を奨励し,わが人民とインダストリを増加す る。ブランディ税は,ラム酒販売の増大に寄与し,わが南部を保ごする。政府の維持に ほ,課税が,必要であるから,入港時に,賦課しうる外国商品に・税をかけると,便利で ある,という。これはあきらかに.,財政関税とあわせて,保ご関税の主張である。しかし, かれは,スワイフト博士のマキシムのどとく,関税計算では,2プラス2が,4に・は・な らず,しばしば,1となる。税率をさげる方が,政府収入は,大である理由を,消費鼠 の増加に.もとめ,したがって,貿易上の嫉妬の不合理を批判するにいたった(乃よ♂・,p.76。, p.78ff.)。かれの重商主義的残英ほ,ゆたかな国内市場論と自由貿易論に依存して, いずれ,散るべきものであった。 スミ.スが,このスウイフト博士に言及したのは,ヒ,ユ−ムからの継受であろうか。lγ 〃ノ’〃.,Vol.ⅠⅠ,p..365,ケイムズも,また汀人間史のスケッチ』(1774年)で,スウイフ トに.ふれていた。スミスが,ケイムズをよんだことは,租税原則論の注記から,あきら かなところである。 63)一丁㌧ステ.ユア」−・卜では,周知のように,公債一増税という発生史的叙述順序をもち,こ れが,公憤政策を遠視したかれのマネタ−ル・ジステ」−ムでもあった。ヒ,ユ−ムは,ス ミスのように,これを逆転させている。E・ロ−トワインの編集のように,かりに,さ いごに,古代人口論が,位置するとすれば,これは,ヒュームの市民社会=近代社会概

(22)

租顎′瞥想におけるデイゲイッド・ヒ.ユーム ・−∫カーー る再生産の歴史過程的論理化であり,のみならず,すぐさま,国家と人民の調 和から,議論の出発するように,方法的に.も,下向の原ノ且に,おりきってはい ない。しかし,それにもかかわらず,われわれは,ヒーユ.−・ムのなかに,あたら しい歴史の巨歩をみいださざるをえないのである。 ⅠⅠⅠ 1.租税の分類 かれは,和税には,これこれのものがあるとはいわない が,租税の良否を論ずるとき,事実上,ふたつの租税にわける。−「最良の 租税は,消費(consumptions)にふかるもの,ことに,著俗に.かけられるもの である。というのほ,かかる税は,人々に.,あまり,感ずかれない(1east felt)。 それは,あるていど,自発的(voiuntaごy)であろう。課税された商品を,どれ だけ,使用するかは,人々ほ,えらぶことが,できるから。それは,徐々に (gradually)知らず知らずのうちに.(insensibly),支払われる。それは,ただ しく,課徴されれば,自然に,節制と倹約をうみだす。そして,商品の自然価格 にふくまれて,はとんど,消費者紅,気ずかれない。その唯一Lの欠点は,徴収 に.あたって費用のかかることである。」¢4) 「所有に.かかる税(Taxes uponpossessions)ほ,費用なしに,課徴される。 しかし,他のさまざまの欠点がある。だが,いまひとつ(イ肖蟄軌〕の不足額を おぎなうために.,はとんどの国が,余儀なく,これに.,たよっている。」65) 租税は,みられるように,自由性・任意性の有無を公準として,ふたつに.,

大別される。消費税(Taxesuponconsumptions,Dutiesuponconsumptions,

a duty upon commodities)と財産税。前者ほ、事実上,曹移品税と必需品税,

の総括とみられよう。しかし,固有の経済学は,公供論でおわるとみた方が,穏当であ

る。公債論までで,ロ−・トワインのほぷいた0ノ■gカβ月αJα乃Cβ∂ノ■Po紺β7■は.,前2茸(貿

易差額,貿易上の嫉妬)の政治化されたものであろう。ただし,肇者ほ,丘∫∫α.叩〃〝d

TYeaiises on SeveY・alSubjecIs,Vol.Ⅰ,Essays,Moral,Politicalland Literary.Part Ⅱ,Edinbufg量1,1809.による諸政治論集』全体の篇別構成ほ,別に論究を要する。

64)0♪.C鉦,p」85.

(23)

香川大学経済学部 研究年報1 ーヱβクー ヱ96‡ 内国消費鞘(excise)と関税(custom)K.,分類できよう。後者に.ついてほ,ほ とんど,言及がない。66)そこで,次のように.なる。

瑠芝纂童謡コ互髄国昭琵

租税一

Ⅰ. この分類ほ.,あきらかに.,われわれの知った基礎過程分析一税源は,イン ダ.ストリをに.なう富裕な消費者の李移的剰余である−一斗に,正確に.,対応して いるのである。租税論は,経済学に基礎ずけられ,批判的性格をあたえられる。 2・租税の転嫁・帰着 ヒユ−・ムの税源が,消費者の著俸的剰余にあるこ とほ,くりかえして,記すまでもない。かれほ,この点を,ロック,ないし, 重農主義の土地単税論に.かんれんずけて,検討する。 「すべての租税は,窮極には(ultimately),土地にかかるのだから,はじめか ら,土地に租税をかけ,さまざまの消費税ほ,廃止するのがよいという意見が, しつように.,ある種の政論家たちに.よって,くわだてられた。だが,すべての 租税が,窮極に.ほ,土地に.かかるということほ,容認しえない。もし,ある職 人の消致する商品に課税されれば,かれは,それを支払うにほ,ふたつの明白 な方策をもつだろう。かれは,支出のいくらかをきりつめるか,その労働を増加 させるか,どちらかである。その賃銀をひきあげるよりは,このふたつの方法 が,より,容易で,自然である。 〔たとえば〕いかなるやりかたで,かれ は,その労働価格をひきあげうるか。かれをやとう製造業者は.,これ以上,か れに.あたえないとするであろうし,また,そうしえない。というものも,外国 市場での価格によって制限されるため,布を輸出する商人が,その価格をひき あげることはできないのだから。各人は,たしかに,賦課されるいかなる租税 負担からも,まぬがれ,他人に負担させようとのぞむ。だが,各人が,同じ傾 向をもち,各人が,自己をまもるのだから,いかなる人も,このたたかいで, かつとはかんがえられないのだ。なぜ,地主階級(landed gentleman)〔のみ〕 が,全重荷を負担し,なぜに,他の連中と同じく,かれ白身をまもりえないか 66)よ羽産の種別に.ついて,ヒ.ユ・−ムが,まったく,言及しないわけでなく,のちに,租税 原則のところで,引用するように,貨幣的財産やストック,土地,家屋について,説明 する。

(24)

租税思想におけるデイダイアド・ヒ、ユーム ーJ封、− を,わたしほ,ただらに,合点しえないのである。」67) 転嫁をきそいあう各人が,だれも,嘩独がちに.,なりえないというヒュ.−・ム の立脚点は,職人にたいする労働強化にもとずくのではなく,社会の全成員の 奪移的剰余認識にあった。いいかえれば,ゆたかな国内市場把握に依存したの である。したがって,かれは,つづいて,こうのべる−「実際,あらゆる商

人は,よろこんで,かれ〔地主〕を搾取し,できるなら,かれを,自分たちの

あいだで,わけあっでむさぼりくう。これは,課税されないときでも,かれら のもつ性向であり,したが′つて,課税前に,商人の苛政誅求に.たいして,かれ をまもった同じ方法が,課税ごに.も,かれに役だち,商人たちと,負担をわか ちあうように,する。」68)強調されるのは,香移的剰余の主軸である商人たちこ そ,税負担者の中核であるはずだということである。そして,ヒュ.−・ムのいい たいのほ.,商人単一・税でほなく,土地嘩税の一一面性を批判することだった。つ づいてのべられる職人の賃銀ひきあげをゆるす重税論も,つよめられた重層主 義批判のひとつであり,かれの所説=全消費者負担論の例外なのではない。 かくして,いわゆる≪分散説≫の,ヒュー・ム的基調が,明示的になったのであ るが,くれぐれも,注意の要するのほ,そ・の調子のたかい反ロック主義=反重偲 主義ほ,けっして,そのまま,ふるい重商主義にかえるのではなく,むしろ,筆者 が,これまで,あきらかに.したはずのあたらしい生産力を背景とするイギリス市 民社会の底ぶかい進展に,密接にり むすびついていたのである。地主負担説を とらないというのは,ヒユ−・ムのトーリ主義でほあるけれども,この地主愛好 67)0♪‖C鉦,pp。86−8いさいしょの「すべて」から「 商人が,その価格をひきあげる ことはできないのだから」までほ,1770年版以降の訂正された文章であって,1752年初 版→1768年までは,次のように,かかれた。「どのように課税されようと,いっさいの租 税は,さいごには,土地に帰着するという,ひろくゆきわたった意見がある。かかる意 見は,その手中にわが立法権が,主として,委ねられている地主階級を牽制し,かれら

に,トレイドとインダストリに.ついて,いちじるしい関心を保持させるために,ブリテ

ンでは,有用であるだろう。しかし,わたしは,当初,ひとりの名高い著作者により,

提出されたとはいえ,この原理は,どうみても,道理(reason)にあわず,かれの権威が なければ,だれからも,けっして,うけいれられなかっただろうことを,みとめなけれ ばならないのだ。」ひ・とりの名高い人物とは,もとより,ロックをさしている。 68)助軋p‖88.

参照

関連したドキュメント

  中川翔太 (経済学科 4 年生) ・昼間雅貴 (経済学科 4 年生) ・鈴木友香 (経済 学科 4 年生) ・野口佳純 (経済学科 4 年生)

一方で、平成 24 年(2014)年 11

一貫教育ならではの ビッグブラ ザーシステム 。大学生が学生 コーチとして高等部や中学部の

経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を

[r]

 昭和大学病院(東京都品川区籏の台一丁目)の入院棟17

関西学院大学社会学部は、1960 年にそれまでの文学部社会学科、社会事業学科が文学部 から独立して創設された。2009 年は創設 50

ダブルディグリー留学とは、関西学院大学国際学部(SIS)に在籍しながら、海外の大学に留学し、それぞれの大学で修得し