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日本感性工学会論文誌

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Academic year: 2021

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(1)

1.

は じ め に デザイン活動における思考過程では,習慣的に生じる思考の 偏りや癖などの「バイアス」が固定観念となり創造を阻害する 要因になる.一方で,熟練したデザイナーのノウハウのように, その成功体験から「バイアス」を活用することで独自の思考 パターンを生成している場合もある[

1

2

].つまり,デザイナー が既存のモノの改善・改良やイノベーティブなアイデアを創出 するためには,従来通りの思考方法を行うだけではなく,思考 のバイアスに気づき,それをコントロールする必要がある. そのためには,まず,自分の思考や認知について思考する 「メタ認知」を行い,アイデアを創出する際の自分の思考方法 を構造化し,そのフレームワークから思考のバイアスを見つけ ることが重要である[

3-5

].ただ,デザイナーが自分の思考の 流れをモニタリングすることは容易ではない.創作活動を行 う際に自分の思考の流れを客観的に捉えるためには,何らか の方法論やそれをサポートするためのツールが必要であろう. また,デザインのパラダイムの変化に沿って,デザイナーに 求められる能力が変化している.職人のような専門性の高い デザイナーが個人の能力を活かしてモノづくりをする時代か ら,ユーザーやステークホルダーなどの様々な立場の人たちを デザインプロセスに取り込み,共に価値創造することが重視 される時代になった.そのため,プロジェクトの参加者は単に 自分の創造力を高めるだけではなく,他者との相互理解のため に,自分の思考を形式知化する能力を高める必要がある. 以上のことから,本稿ではまず自分の思考構造を認知するため に開発された既存の方法論を調査し,それらに欠けている要素を 抽出した後に,欠けている個所を補うための新たな方法論を提案 したい.そして,その方法論を用いて実際のデザイナーの思考 過程を可視化し,思考のバイアスを意識的に排除する方法を示す.

2.

既往研究における本稿の位置づけ

2.1

 産業の変化と本稿の位置づけ

IoT

や人工知能,

AR

VR

などのデジタル技術の発展によ り,新しい産業革命が進みつつある現代において,本稿はど のような役割を果たすのか.

IoT

技術の進展により,モノは インターネットで繋がりモノが相互に情報をやり取りするよ うになると,媒体性が高まり,モノが持つ本来の能力に加え て,それ自体ではない他の何か(情報)がモノに出入りする ようになる.デザイナーはモノと情報と人の複雑な関係を設 計していくことになるが,本稿では方法論の基礎的な土台作 りのために,従来のモノのデザインに関する議論から始める. また,

AR

VR

の技術が進むと従来の知覚の世界に加え, 仮想的な空間が体験の対象となる.これまで,人は「人」と いう生物的・身体的特徴の制限の中でリアルな世界を経験 してきた.その経験が個々人の身体知を形成してきたが,

AR

VR

の世界での経験が加わると,生活者は今までと異 なる知覚の制限の中で新たな領域の知識ベースを築いてい くだろう.デザイナーがこの状況に向き合い,仮想空間に おける充実したユーザー経験をデザインするためにも,

原 著 論 文

デザイナーの推論過程のフレームワークとその可視化に関する基礎的考察

̶ メタ認知補助としての推論マッピング法の提案 ̶

秋田 直繁*,森田 昌嗣*,椎塚 久雄**

*九州大学‚ ** SKEL椎塚感性工学研究所

Fundamental Analysis on Designer’s Inference Process Framework and Its Visualization

– Proposal of Inference Mapping Method to Assist Meta-cognition –

Naoshige AKITA*, Yoshitsugu MORITA* and Hisao SHIIZUKA**

* Kyushu University, 4-9-1 Shiobaru Minami-ku Fukuoka, Fukuoka 815-8540, Japan ** Shiizuka Kansei Engineering Laboratory, Co., Ltd., 4-10-5 Sendagaya Shibuya-ku, Tokyo 151-0051, Japan

Abstract : To create innovative ideas, it is important for designers to monitor thought patterns by reflecting upon their thought

structure and then control thought. In this study, we visualized the inference process, which includes deduction, induction, and abduction, as well as the associative process. Subsequently, by connecting them radially along the flow of thought, we employed a method of visualizing the inference process of designers on a two-dimensional plane. We conducted an experiment to visualize a part of the thought of designer using the “inference mapping method.” Consequently, we found out that different cognitive biases occurred in designers’ deductive, inductive, abductive, and associative thinking processes. From the technical viewpoint of cognitive science, we studied the phenomena and clarified the structure of bias in each thought process. Finally, we proposed a way to visualize cognitive biases and to consciously eliminate them when designers engage in the creative process.

(2)

本稿ではまず基本となる従来の知覚の世界での具体的な実 験を出発点として,段階的に研究を進める. 以上より,本稿は物理的な制約が形のあり方に影響を与え るような公共空間用家具などのプロダクトデザインにおける 思考過程について議論を進め,社会変化に合わせて発展可能 な方法論の構築を目指す.

2.2

 筆者らの既往研究と本稿の関係 筆者らは文献[

6

7

]において,ユーザーの感性的な評価を 言語化し,微妙な感性面でのイメージや価値を可視化すること で,デザイナーが新たなデザイン活動を行う際の思考のきっか けとなるような情報取得のための方法論を展開した.デザイ ナーのコミュニケーション言語の拡大豊富化は,発想の元となる 情報を作るという意味で重要である.本稿では更にその情報を 元にどのように発想を進めるのかという思考の過程に焦点を 当てて議論する.前段と後段の手法が両輪のように上手く機 能することで新たな価値が創造できると筆者らは考えている.

2.3

 メタ認知を補助する既存のツールや方法論について バイアスを認知するためには,自分が思考している「範囲」 やその「過程」について考えることが必要であろう. まず,思考の「範囲」を可視化することで偏った視点を認知 し,更に強制的に視点を移すことで新たな発想ができることが 既往研究より分かっている.今泉ら[

8

]は既出のアイデアを 構造化することにより,発想者自身がその場で発想の軸やアイ デアの構造を可視化し,可視化結果から発想者自身が無意識的 に持っている思考の枠を知るとともに,思考の枠を強制連想の 軸として枠からずらすことによって新しいアイデアを発想する方 法を提案している.そして,「目的やテーマに応じて発想者自身 が柔軟に構造化手法を選択したり,組み合わせたりして使用す ることが望ましい」とした上で

2

軸図や川喜多が考案した親和 図法(

KJ

法)などを用いて思考の構造を可視化し,実証実験を 行っている.この研究は発想者の思考の範囲を可視化し,思考 できていない範囲に視点を移す方法論の有効性を示している. また,思考の「過程」をとらえるには,連続的にメタ認知 を行う必要がある.そのメタ認知を補助するツールの研究 は,認知心理学の分野だけではなく,理学療法士などの医療 従事者が課題を発見し解決策を創出するための教育や中学校 における教育に関する分野で幅広く応用研究が行われてい る.これらの研究で特に利用されているツールとして,マイ ンドマップやコンセプトマップが挙げられる[

9-12

]. マインドマップはトニー・ブザンが発案した手法で,前提 となる概念から想起した言葉を放射状に繋げることで思考の 一連の流れを可視化する方法論である.「想像」を働かせるこ とで,事象の具体的な様子を思い浮かべ,それを「連想」に より自分の記憶にある知識と関連づけるという脳の働きを生 かした表現法である[

13

].ブイエンら[

14

]は著書「デザイン 思考の教科書」で「マインドマップを用いれば,あるテーマ を軸に関係する様々な要素やアイデアをすべてマッピングし 構造的に把握できる」と述べている. コンセプトマップはジョセフ・

D

・ノヴァックが

1970

年 代に開発した手法で,概念を表す言葉を選択し,それぞれの 概念の関係を図示することで理解を深める手法である.概念 と概念の関係を表す言葉のラベルが付いた矢印で概念間を連 結し,全体として上から下へ分岐していく段階的な構造に なっている.福岡[

15

]は子供の教育にコンセプトマップを 用いた研究の中で,「子供たちが概念の言葉をもとに無意識 のうちにモニタリングを行い,メタ認知的知識を用いて概念 間の関係を繋げている」と述べている. このようにマインドマップやコンセプトマップはメタ認知 の能力を促進させることが多くの研究で報告されている. しかしながらこれらの手法には欠けている内容が見受けられ る.マインドマップは制作者の「連想」の思考過程を可視化す る手法であり,

1

人で考える時は効果を発揮するが,他者がそ のマップを理解するためには,説明が必要な場合がある[

14

]. それは「なぜその概念が連想されたのか」という理由が示され ておらず,連想過程の構造が可視化できていないためである. また,人は課題を発見したり解決策を創造したりする時に高度 な推論を行うが,マインドマップではその推論過程も連想の フォーマットで表現してしまっているのではないだろうか. また,コンセプトマップを用いれば,概念間のつながりを 言葉で表現することで,「なぜその概念が連想されたのか」 という内容を認知することが可能である.しかしながら, この手法も推論の過程を可視化できていない.

2.4

 デザインの推論におけるメタ認知を補助するツールの必要性 マインドマップやコンセプトマップは中等教育でも用いられて いることからもわかるように,利用する上で比較的制限が少な く,多くの人にとって扱いやすい手法であるといえる.一方, 一般の人が推論の過程を記述することは,その複雑さ故, 思考を滞らせてしまう可能性がある.しかし,創造のエキス パートであるデザイナーにとって推論は重要な思考過程であり, 多くのアイデアは連想だけでなく推論を用いて得られている. 以上のことから,筆者らは推論におけるメタ認知を補助す るツールの必要性を感じ,たとえ推論のすべての過程を記述 しなくとも,推論の思考構造を理解し,そのプロセスを図と して視覚的に意識するだけでも,自分の思考過程をモニタリ ングしやすくなると考えた. 本稿ではまず,後で詳しく説明する演繹と帰納,アブダク ションの考え方を元に推論の過程をフレームワークとして 図示し,次にパースの「記号過程」の考え方を参考にして連想 の過程を図示する.そして,マインドマップと同様に放射状 に思考していく構成を基本として,ただし実際のデザインプ ロセスに即して発想の起点は複数存在しても良いことを条件 付けて,推論が生じた箇所には前述した「推論プロセス図」 を当て込み,連想の詳細が分かる部分には「連想プロセス図」 を当て込むことで,連想と推論の一連の思考の流れを

2

次元 平面上に投影する方法論を「推論マッピング法」として提案 する.最後に,その方法を用いて実際のデザイナーの思考の 一部を具体的に論説し,バイアスを排除する方法を示す.

(3)

3.

公共空間用家具デザイナーのデザインプロセス 地方自治体庁舎や公民館,病院や銀行,大学,オフィスな ど,不特定多数の人が利用する施設の空間構成要素である 家具を本稿では「公共空間用家具」と呼ぶ.ここからはプロ ダクトデザインの中でも,筆者の

1

人がデザインの実践現場 で経験してきた公共空間用家具のデザインに関する具体例を 示しながら議論していく. まず,公共空間用家具のデザイナーが家具をデザインする 時の思考プロセスを説明したい.図

1

はカリフォルニア芸術 大学のサラ・ベックマン[

16

]が作成したデザインプロセス

Innovation as a learning Process: Embedding Design Thinking

のアイデアを参考に筆者らが作成したものである[

6

].デザ イナーはまず「発見する」のステップで具体的な事実の収集 を行う.「市場の変化やユーザーの利用状況や思い」,「競合 他社の製品やサービスの内容」,「自社の状況」に関する情報 を得る.次に「気づきと洞察」のステップで事実から得られ た気づきと幅広いデザイナーの知見を統合的に解釈し, ユーザーの要求事項や解決すべき本質的な課題を見つける. そして,「着想を得る」では洞察をもとにアイデアを展開し 解決案を考える.最後に,「創造する」では得られたアイデア を可視化・具現化し,ユーザーの経験を具体的な形で表現す る.各ステップには「評価」のタスクがある.評価を行い, 前段階の活動に移るか次に進むかの判断を行う.特に「着想 を得る」から「創造する」のステップにおいては,「創造する」 で可視化したプロトタイプを評価し,前段階の抽象概念であ るコンセプトが本当に正しいかどうかのフィードバックをか ける.そして,新たな課題が抽出された場合には前段階の ステップに戻りアイデアの検討を行う.このように反復的に ステップを行き来することで,その過程で最適解を見つけ出 し,アウトプットの質を上げていく.

4.

デザインプロセスにおける推論(演繹・帰納・アブ ダクション)のフレームワークの可視化

4.1

 推論の種類と歴史 デザインプロセスにおいて各ステップを進む時には,推論が 行われる.図

2

は各段階における推論が行われる機会を筆者ら が示したものである.事実の発見から法則や概念を見つけ本質 的な課題を把握する際には「抽象化による課題の推論」が行わ れており,次に,課題から解決策を見つける際には「抽象レベル における解決策の推論」が行われる.また,解決策をプロトタイ ピングする際には「解決策の具現化による推論」が行われてい る.では,推論には具体的にどのような種類があるのだろうか. 日常的に我々が行っている推論は,「帰納」と「演繹」, 「アブダクション」に分類できると言われている[

17

].ここ で,まずそれらの推論が提唱された歴史を確認する. まず,古代において,紀元前

384

年から同

322

年に活躍し た哲学者アリストテレスが帰納と演繹の体系を築き,アブダ クションについては,その考えの元となる「アパゴーゲ―」 という仮説的発想を援助する方法を示した[

18

19

].そし て,近世や近代においてそれらの考え方は発展する. 「帰納」は個々の具体的な経験的事例から,一般的な命題や 法則を導き出す推論である.

17

世紀から

18

世紀にかけてイギリス では知識や観念はすべて五感を通じて得た経験によるもので, 生まれ持った知識や観念は存在しないという考え方が発展した. この考え方をイギリス経験論といい,フランシスコ・ベーコンや ジョン・ロックなどのイギリス経験論の哲学者たちが具体的な サンプルから法則を導き出す「帰納」の概念を説いた[

20

]. 一方,ルネ・デカルトやバルフ・デ・スピノザ,ゴットフ リート・ライプニッツといった哲学者たちは,イギリス経験 論とは異なる考え方を持っていた.善悪の区別や完全の概 念,平行線は交わらないことなどは経験によって学んだこと ではないことから,「人は生まれながらにして基本的な観念 図1 公共空間用家具のデザインプロセス 図2 デザインプロセスにおける推論の機会

(4)

を持ち合わせている」と考え,この人間特有の先天的な生得 観念を頼りにして,一般的な原理からあらゆる個物の真理を 導き出そうとした[

20

].この思考過程を「演繹」と呼び, 一般的・普遍的な命題(法則や慣習など)から論理形式に頼っ て,特殊命題としての結論を導き出す推論のことをいう. このように伝統的論理学では人間の思考方法は主として 「帰納」と「演繹」の

2

つがあるとされてきたが,

19

世紀になり, 科学にとって最も本質的な知的営みは演繹でも帰納でもない 第

3

の推論方法である「アブダクション」であり,誰もが日常的 にこの思考を行っていることをアメリカの哲学者である チャールズ・サンダー・パースが論じた.このアブダクションは アパゴーゲーの概念を発展させたものだと言われている[

18

19

]. パースは「演繹は前提に述べられていること以上のものは 何も述べず,ただ前提のなかに表意されている事象から

1

つを 取り上げ,その事実に注意を向けるだけである」と述べてい る[

21

].つまり,演繹は前提に暗々裏に含まれている情報を取 り出し,結論においてそれを明確に述べるという思考であり, そこからは新たな創造的な情報は生み出されない[

22

23

]. 例えば,論理的数学は演繹的思考の典型だと言われており, 連立方程式を解く場合,前提条件である連立式には既に解が 含まれていて,それを定められた手法によって導いているの である.このように演繹を用いて科学の世界では,多くの 理論から個々の具体的な現象が説明されてきた. 一方,帰納とアブダクションは実在の世界に関する法則や 理論を見つけ出し,新たな知識を拡大していく推論であると 言われている.しかし,帰納とアブダクションはそれぞれ事実に 対する関わり方が異なる.帰納は事実を追求し,複数の事実か ら知識の一般化を行うが,アブダクションはある驚くべき事実か ら始まり,それを説明するための理論を求める.科学の世界では このアブダクションにより多くの仮説が生み出されてきたのだ.

4.2

 推論の思考過程のフレームワーク(推論プロセス図の提案) ここで,

3

種の推論に対してその推論過程を可視化する「推 論プロセス図」(図

3

∼図

5

)を提案する.推論プロセス図は 「演繹プロセス図」と「帰納プロセス図」,「アブダクション プロセス図」から成る.筆者らは,認知科学の分野で生まれ たプロダクションシステムの考え方を参考にして各推論のプ ロセスを説明できると考え,その様式に則り推論の過程を図 示した.その図を用いてそれぞれの思考過程を説明しよう. 【演繹の思考過程】 演繹プロセス図(図

3

)にある知識 ベースは経験的な記憶であり,プロダクションルールと呼ば れる〈

if

条件

then

実行(結論)〉ルールの形式で蓄えられてい る長期記憶である.ここでは「もし

A

ならば

B

」という普遍 的命題が知識ベースにあるとする.この時,前提命題として インプットされた情報「

A

である」をワーキングメモリーに おいて,一時的に保持しながら,知識ベースの条件と照合し, 実行部が実行され,結論「

B

である」のアウトプットにいたる. 【帰納の思考過程】 帰納プロセス図(図

4

)に示すように, いくつかの事実のインプットから長期記憶の中にある同じよ うな事実を参照・確認して「一般化」を行い,結論にいたる. 帰納では前提が真であるからといって,その前提と異なる事 実が存在する可能性があるため,結論が真であることは保証 されない推論である. 【アブダクションの思考過程】 最後に,「アブダクション」 は事例から,もっともらしい説明理由として仮説をつくる推 論である.アブダクションプロセス図(図

5

)に示すように, 前提命題がある場合,その驚くべき事実を説明するためにい くつかの仮説を生成し,それらの仮説の中で最も正しいと思 われる仮説を選択する. 図3 演繹プロセス図 図4 帰納プロセス図 図5 アブダクションプロセス図

(5)

5.

意識的連想と無意識的連想のフレームワークの可視化

5.1

 記号過程のフレームワーク デザイナーが行う思考は論理的な推論だけではない.ここ では連想の思考構造をパースの記号過程の考え方を元に考察 し,そのフレームワークを示したい. 記号とは何なのか.まずはその概念について説明する. パースは「われわれは記号を使わずに思考する能力をもたない」 と述べている[

21

].すべての思考は記号の媒介によって生じ ており,人が思考する時には必ず人の意識に生じる心像や 概念などの表象が記号として働いていると考えられている. また,表象はモノを知覚した時に生じるだけでなく,記憶の 中にある事物や現象について心に描く像も記号の表象となる. パースの記号論において,記号の働きは表象と対象,解釈 項の

3

つの関係から構成されている.記号の表象が思考の媒 介となり対象に結び付けられる.パースは記号を「誰かに対 して何かを表すもの」と定義しており,ここでの記号が表す 「何か」が「対象」である.ただし,記号の表象が直接的に対 象と結びつけられることはなく,解釈項によってその関係が 生まれるとされている[

24

].例えば,積乱雲を見たときにそ の表象から「夕立になるかも」と想起する人もいれば,「もう 夏だな」や「海が近いのかな」という対象が生じる場合もある. このように表象と対象の結びつきは確固たる根拠や必然性が なく恣意的であるが,その対象が想起されたことには原因が あるだろう.表象と対象を結びつけたものは,その人の長期 記憶にある知識だと考えられている.例えば「海上が温めら れることで発生する水蒸気を含んだ上昇気流は高度が上がる と次第に温度が下がり,飽和して水蒸気や小さな氷の粒にな り雲として可視化される」といった知識があったり,理屈は 分からなくても経験的にその事象について知っていたりする ことで「海の近くには積乱雲が発生しやすい」という解釈項 が働き,「海が近いのかな」という対象が生じるのである. 筆者らは,「記号の表象を前提として,長期記憶の知識ベー スにある解釈項により,アウトプットとしての対象が表れる」 というパースが示した記号過程をプロダクションシステムの 考え方を参考にして図示した(図

6

).

5.2

 連想の思考過程のフレームワーク(連想プロセス図の提案) 【無意識的連想の思考過程】 物事を発想する時に直観が大 切だとよく言われる.直観とは何だろうか.パースによると, いわゆる直観的思考は存在しない[

21

].このパースの考え は何もないところからひらめきは生じないことを意味してい る.直観とは瞬間的に想起されることなのかもしれないが, ゼロではない時間がそこには存在し,その短い時間の間に, 記号の表象から解釈項により対象が生まれていると考えら れる. 図

7

は図

6

の記号過程の図を元に①最初の表象から②解釈 項が生じると同時に③その解釈項が表象となり④次の解釈項 が生じるという思考の連鎖の概念を筆者らが描いたものであ る.この図のように思考の連鎖が実際に起こりうるかどうか は証明できていないが,直観はこのような過程で生じている と筆者らは考えている.無意識のうちにある表象から思いも よらない対象が瞬時に結び付けられたとき,この概念図の仮 説が正しければもっともらしい説明ができる.筆者らはこの 思考過程を「無意識的連想プロセス」と名付けた. 【意識的連想の思考過程】 一方で,マインドマップの作成 時に行うような「連想」は意識的に思考するものである. 図

8

は①最初の表象から②解釈項が生じ③その解釈項の作用 で④対象が生じ,更に⑤その対象が次の記号過程の表象とな るような連鎖を図示したものである.これは,対象を認知し ながら思考を繋げていくような思考方法であり「意識的連想 プロセス」と呼ぶことにする. 図6 記号過程のフレームワーク 図7 無意識的連想プロセス図 図8 意識的連想プロセス図

(6)

6.

推論の組み合わせ 椎塚[

22

23

]は,これらの推論を組み合わせることで, 今までの常識や壁を打開し,既存のパラダイムを抜け出す ブレークスルーが行われていることを示している.その中で, 組み合わせのパターンは数多くあるが,例えば,組み合わせ が「演繹のみ」の場合は「現状を改良する型」であると述べ ている.具体例を挙げると,筆者が過去に製品開発を行った 公共空間用家具のホワイトボードの改善・改良の過程では, 演繹的思考が行われた.図

9

は従来の製品と改良が行われた 製品の写真である.板書ができる面積を広げることを

1

つの 目的として改良を行った場合,一般的・普遍的な命題として 「製品の全体寸法を高くすれば,板書面積が広くなる」や 「脚を低くすれば,板面の高さ寸法がその分大きくなり, 板書面積が広くなる」,「枠を細くすれば,板面の高さ寸法が その分大きくなり,板書面積が広くなる」ということはわかっ ている.この時,「ユーザーが書きやすい高さを考慮すると, 製品の全体の高さは従来品から変更しないこと」や「脚羽根 の強度を確保するために,脚の高さを低くできないこと」, 「枠を細くすることは可能なこと」という事実がある場合, 推論の結果として,上部と下部の枠を細くする案を採用する ことになった(図

10

).このように長期記憶にあるノウハウ を生かして個々の具体案の実現可能性を判断する時に演繹的 思考が使われていることが多い. また,椎塚[

22

23

]は「帰納→アブダクション→演繹」 の順で推論するパターンを,一度,“知の考察”の領域に入り, 新たな知の創造「アブダクション的思考」を行うことで既存 のパラダイムを破壊するイノベーションを実現できる組み 合わせであると述べている.この推論パターンを筆者の

1

人 が製品開発に携わったフラップテーブル「

LISMA

(リスマ)」 [

26

]のキャスターのデザイン(図

11

)を事例として説明し たい. 公民館や会議室で使われるフラップテーブルは,移動させ るときにキャスターがロックされている状態に気づかず無理 に動かされてしまうことがよくある.そこで,それを予防す るために,ロック状態が一目で分かるキャスターロックをデ ザインした. まず,全国の既存のキャスターを調査して工夫されている 内容を把握した.ロック状態が一目で分かるように,ロック 時に赤色のサインが表示されるように設計してあったり, 文字表記でロック状態を示していたりする工夫が見られた. また,多くのロックレバーは黒色やグレーの配色が多く, 汚れ対策や空間と調和に配慮していると考えられるが,見た 目が空間と調和するとロック状態に注意が向かないという 問題があることが分かった.このような帰納的思考によりい くつかの要点が抽出できた. 次に,既存のパラダイムを超えるために,アブダクション 的思考を行った.「ロック状態が一目で分かる」という事実 がある場合,「どうして一目で分かるのか」という問いに対 するもっともらしい理由を発想するのだ.この時,筆者らは アナロジー(類推)の手法を用いてアブダクションを行い 「キャスターのロックレバーが地面に突き刺さっているよう に見えると,ロックされているように感じる」という仮説を 発想した.そのアナロジー手法によるアブダクションの過程 を説明しよう.筆者らは上記の仮説を発想するとき,リアカー が進んでいる時と止まっているときの状態をイメージした. 図

13

のようにリアカーが動いているときは,回転体のみが 地面と接し,止まっているときは回転体に付属された凸部が 地面に接することで回転が止まっている状態がイメージでき る.このように,複数のリアカーの具体例から帰納的にその 形の関係性を抽象的なスキーマ(情報の構造)に落とし込み, その概念をキャスターのデザインに借りてきたのだ.アナロ ジーの手法は,既知の領域「ベース」を基にして,類似の関 係を持つ対象領域「ターゲット」に関する知見を推論する方 法であり,抽象レベルの関係や構造のみを対応付けて発想す ることが重要である[

28

].これが具体レベルの五感でわかる ような「見た目」などの属性レベルで借りてくると,「模倣」 図9 ホワイトボードの改善例[25,26] 図10 演繹によるホワイトボードの改善改良 図11 ラップテーブルLISMA(リスマ)[25]

(7)

となる可能性があるので注意しなくてはならない(図

14

). アナロジーとアブダクションは厳密には異なるが,アブダク ションの過程において,いくつかの仮説を発想する際にアナ ロジーを手法として用いることで前提命題に対するもっとも らしい説明理由を作れることが本事例より示すことができた. そして,筆者らはこのアブダクションと帰納を組み合わせ た一連の思考過程を図

15

のようなフレームワークとして 表し,「アナロジー手法による型」と名付けた.この型は, アブダクションの仮説生成時の途中段階で帰納的思考を行 い,導き出した仮説を元に再びアブダクションの過程で仮説 選択を行うという流れを示している. 最後に,帰納とアブダクション的思考で発想したアイデア を総合して演繹的思考で仮説検証を行いながら,アイデアや 形の精度を高め,図

12

のような形状のキャスターロックレバー をデザインした.ロック時は操作レバーが地面に接している ように見え,さらに,赤色のサインで「

LOCK

」と文字表記が 見えることでロック状態が一目で認識できる(図

11

).また, ロックレバー自体は黄色で,周囲の雑然とした空間でも注意 を引く配色となっている.他にも操作性や駆動性など複雑な 要件を考慮して最終形状に至ったが,別の機会に議論する.

7.

推論マッピング法の提案と実験

7.1

 メタ認知を補助するツールを用いた推論マッピング法の提案

4

章と

5

章で提案した「演繹プロセス図」と「帰納プロセ ス図」,「アブダクションプロセス図」,「無意識的連想プロセ ス図」,「意識的連想プロセス図」をデザイナーが扱いやすく するために,それぞれの図をカード化し,タンジブルなツー ルとして制作した(図

16

).デザイナーの全ての思考を事細 かに可視化することは難しいが,このツールを用いること で,デザイナーが思考する時に自分の推論過程や連想過程に 意識を傾け,メタ認知を行いやすくなると考えた.

2

章でも簡単に説明したが,ここでデザイナーが思考する 時に自らの思考を

2

次元平面上に投影する方法論を「推論マッ ピング法」として提案する.この方法論はマインドマップの 「前提となる概念から連想を始め,その連想の過程を放射状 に書き記していく」という手順を基本として,そこに推論の 図12 LISMA(リスマ)のキャスター特許[27] 図13 回転体と凸部と地面の関係性 図14 アナロジーの概念図 図15 アナロジー手法を用いたアブダクションのプロセス 図16 推論プロセス図と連想プロセス図のカード化

(8)

過程を加え,更に,連想の過程に解釈項という概念を加える ことで発案した方法論である. 具体的には発想の起点となる概念から思考を始め,連想や 推論を行いながら,

5

種類のカードからその思考の種類に 合ったものを適宜選択してホワイトボードや模造紙に配置 し,前提の概念とカードを線で繋ぎ,思考した内容を書き記 していく. そして,実際のデザインの思考過程では,思考の途中で 無意識的連想により新たな思考の起点が発生することはよく あるため,マインドマップの思考の起点は

1

つの概念である が,推論マッピング法では思考の途中で起点となる概念が 生じた場合は,「無意識的連想プロセス図」のカードを配置 して,そこからも思考を始めることを可能とした.複数の 起点から発生した思考は放射状に広がり,総合されながら結 論へと進む.

7.2

 推論マッピング法の実践 推論マッピング法によりメタ認知を行うことができるかを 確認するために,筆者らがデザイナーとしてこの方法論を用 いてテーブルをデザインした.本稿では一連のデザイン活動 の最初のプロトタイピングの過程を説明したい.図

17

は その実践の様子を撮影したものである.そして図

18

と図

19

は推論マッピング法により思考を可視化したものを清書した もので,図

20

は図

18

と図

19

5

種類の思考過程のカードの 内容を省略し,その思考の流れを簡略的に示した図である. この図中の❶∼⓫には各推論プロセス図のカードが位置す る.また,カード間を繋いでいる連想は「意識的連想」のこ とである.以下にその思考の流れを説明する. 初めに「凛とした佇まいの中に優美さを感じるようなテー ブルをデザインしたい」というデザイナーの思いが思考の きっかけである. ❶ デザイナーはこの要求からアブダクションを行うため にアナロジーの手法を用いて思考を始めた(図

18

).まず, 「凛とした佇まいの中に優美さを感じる」という事実がある 場合,「どのような形からそのように感じるのか」という問い に対するもっともらしい理由を発想しようとする.この時, デザイナーは家具とは異なる領域において,凛とした佇まい の中に優美さを感じる具体的事例を連想し,ワイングラスの フォルムをイメージした.ワイングラスのようなくびれのあ る全体のフォルムに凛とした佇まいと優美さを感じた.この ように,複数のワイングラスの具体例から帰納的にその形の 関係性を抽象的なスキーマに落とし込み,その形と概念を家 具の領域に借りてくることで,もっともらしい仮説としての 形をいくつか発想し,その中から

3

本脚を交差させてくびれ をつくるという形を選択した. ❷ 次に「

3

本脚」に関する連想がきっかけとなり帰納的思 考を行った.既存の

3

本脚のテーブルは

4

本脚のテーブルよ りも製品化されているものが少なく,その理由として具体的 事例から「

3

本脚のテーブルは安定性に欠ける」という課題 が抽出できた(図

18

). ❸ そして,「安定性」に関する連想から,デザイナーの 帰納的な経験により「

2

本の脚が地面と接する点を結ぶ線と 天板の淵との水平方向の距離が約

160

㎜以上ある場合,天板 の淵に荷重を掛けると転倒する可能性がある」というノウハ ウが導き出された(図

18

). ❹ また,「

3

本脚」に関する連想がきっかけとなり,演繹 的思考を行い,「

3

本脚のテーブルの場合,

2

人が着座すると きに正面ではなくより近い位置に座ることになる」という 一般的な知識から,このテーブルもそのように使われる ことが想定できる.例えば,ダイニングでの夫婦の時間や カフェでの語らい,

PC

を用いたミーティングの場などでそ のようなシーンが実現されるという具体例を述べることが できる(図

18

). ❺

2

人が着座する場合の天板の大きさを帰納により推論す ると,デザイナーが過去に経験した事例より,直径約

800

㎜ が妥当だと導き出された(図

18

). ❻ 無意識的連想により生じた新たな思考の起点におい て,脚の強度が気になったので,帰納的思考により過去の具 体例を参考にして,強度を確保するためには

60

×

40

㎜くら いの断面積が必要だと推測した(図

18

). ❼ ここで,❶❸❺❻の推論により生まれた条件を総合し てプロトタイピングを行い,簡易な

3

次元モデルを

CAD

で 作成して仮説検証してみる.この過程は演繹である(図

19

). ❽ その

3

次元モデルを見てみると,天板の端から天板と 脚の接合部までの距離が

200

㎜以上あるので天板の端に荷重 を掛けると天板の強度が持たない可能性がある.これは専門 的な知識から推論した演繹である(図

19

). ❾ 一方,「凛とした佇まいの中に優美さを感じる」という 事実からアブダクションによりアナロジーの手法を用いて 図

19

に表したように発想した.帰納により「バレリーナの 足先が地面に触れる様子」や「テーブルに丁寧に指が触れる 様子」,「振り袖で挨拶する時に手先が床に触れる様子」の 具体的な形から「きっと,先まで神経を行き届かせながら, 斜めから面に触れる形に凛とした佇まいと優美な動きを感じ る」といった概念と形が導き出され,それをテーブルのデザ インの領域に転用することで,凛とした佇まいと優美さを 感じるテーブルの脚先と地面との関係性を「もっともらしい 仮説」として導き出した. 図17 推論マッピングを用いた実験の様子

(9)
(10)
(11)

❿更に,「凛とした佇まいの中に優美さを感じる」という事実か らアブダクションによりアナロジーの手法を用いて,家具とは異な る領域において凛とした佇まいの中に優美さを感じる具体的な 形を探した.その結果,弓道の弓具と身体の部位との関係から, 「きっと,矢と弓,弓と押手の手の内,右手の拇指の腹と弦,胸の 中筋と両肩を結ぶ線,首筋と矢との接点の兼ね合いに気を配った 部位とその形に凛とした佇まいと優美さを感じる」といった概念と 形が導き出され,それをテーブルのデザインの領域に転用すること で,

3

本の脚の接合部の形が綺麗に纏まるように,脚の取り付け角 度やその断面形状を調整し,接合部と脚が滑らかな曲面でつなが るような「もっともらしい仮説」としての造形を導き出した(図

19

). ⓫ここで,❽❾❿の推論の結果を足し合わせるのではなく, それぞれの要素の重視度を考慮しながら踏襲して,すべての要 素に納得感が持てるような形を発想するためのアブダクションを 行った.天板の端から天板と脚の接合部までの距離を近づける ために,脚の側面に勾配を付け,天板に近い部分は太く,脚先 は細い形状とした(図

19

).脚先は上品に地面に接し優美さが 保たれている.また,脚がスマートに見えるように角の面取りを 行い,それぞれの面の全体的な繋がりを考慮して造形した. 推論マッピング法を用いながら,プロトタイピングした

3D

モデル を図

21

に示す.

7.3

 実験結果

1

(実験の過程で気づいた思考のバイアスの存在) 筆者らが実際に推論マッピング法を用いて自分の思考過程 を可視化し,メタ認知を行う流れの中で,思考の偏りや習慣, 癖,先入観,パターンといった思考のバイアスに気づくことが できた.それらの気づきの内容を演繹や帰納,アブダクション, 連想に関する内容ごとに分類し,それぞれのバイアスを説明 するための図を作成した(図

22

∼図

25

).次に,認知科学の 分野で進んでいるバイアスに関する既往研究からその知見を 調査し,筆者らが分類したバイアスの内容と照らし合わせる ことで,その関係性を考察した.以下に結果を記す. (

1

)演繹に関するバイアス 図

22

のように演繹を行う 過程で,知識ベースに法則などの普遍的な命題がいくつか ある場合,デザイナーは自分にとって信頼度が高い命題に関 する事実のみを探し,関係性が弱い事実を避ける傾向がある ことに気づいた.個々の知識の信頼度により演繹の思考 パターンに偏りが生じているように感じたのだ.このような バイアスを認知科学の分野では「確証バイアス」[

29

]と呼ん でいる. (

2

)帰納に関するバイアス 帰納では,数ある事実のなか で

1

つでも他と異なる事象があれば一般化ができないので, より多くの事実から抽象的な概念やルールを導くことが望ま しい.しかし,図

23

のように帰納を行う過程で,少ない事 実から一般化を行ってしまうことがあることが分かった. この原因として,「代表性ヒューリスティック」[

29

30

]が 考えられる.人は,ある事象の確率を直観的に判断する時に, 限られた事例(標本)を用いて,事象全体の確率を判断しよ うとする.この脳の働きを代表性ヒューリスティックとい い,少ない具体例を見ただけで類似のものが皆同じだと勝手 に思い込んでしまう傾向があると言われている. また,「利用可能性ヒューリスティック」[

29

30

]も原因 の一つであろう.人はある事例を思い浮かべやすければ, 図20 推論マッピング法による思考の可視化(略図) 図21 テーブルの3Dモデル(プロトタイプ)

(12)

その事例が起こる確率が高いと判断する.このように想起し やすい事例だけを用いて一般化を行ってしまう可能性がある ことが実験を通して確認できた. (

3

)アブダクションに関するバイアス アブダクションを 行うときに図

24

のように,生成した仮説の数が少ない場合, その限られた仮説からもっともらしい仮説を選択しなけれ ばならない.このバイアスは,先ほど説明した「利用可能性 ヒューリティクス」[

29

30

]が影響していると思われる. また,図

25

のように生成した仮説の中からもっともらし い仮説を選択するのは,他でもないデザイナー自身であり, その「もっともらしさ」の評価は主観によるものなので, そこには何らかのバイアスが存在すると考えられる.その原 因はいくつかあるのかもしれない. (

4

)連想に関するバイアス 推論だけではなく連想する 過程にもバイアスは存在するだろう.例えば,「直観を信じろ」 などと言われるように,理由はないが記号の表象から最初に 表れた対象を人は信じようとしてしまう.これは,認知科学 分野の「係留・補正ヒューリスティック」[

30

]の働きでは ないだろうか.人は自分が下した最初の判断にしがみつくこ とが多く,それ以降に情報が得られても適正に補正できない ことが多いことに関わる脳の働きを係留・補正ヒューリス ティックと呼ばれている.

7.4

 実験結果

2

(推論の組み合わせパターンについて) 実験より,仮説としての形を発想する際に,アブダクション と帰納を組み合わせた「アナロジー手法による型」による 思考が

3

つのタイミングで行われたことが確認できた.そし て,その思考パターンにより発想した造形イメージは最終形 状に大きな影響を与えている.以上のことより「アナロジー 手法による型」は有効な思考過程の組み合わせパターンの

1

つであると考えられる.

8.

まとめと今後の課題 本稿では,プロダクトデザイナーが行う演繹と帰納,アブ ダクションの推論過程について,実際のデザインプロセスを 適用した形でその思考過程のフレームワークを示すことがで きた.また,デザイナーの思考過程をパースの記号論の

3

項 関係の概念を元に考察し,その視点からデザイン活動におけ る意識的連想と無意識的連想の思考過程を図示した. 次に,メタ認知を補助するツールとして既に利用されてい るマインドマップやコンセプトマップをデザイン活動で利用 する際の課題を分析し,それらに欠けている機能を補うため の新たな方法論として「推論マッピング法」を提案した. そして,本稿では,実際に公共空間用家具をデザインする 際にその手法を用いることで,思考の過程を振り返り, 「推論過程の可視化」や「連想過程における解釈項の可視化」 ができることを示した.更に具体例を用いて,デザインの仮 説を発想する過程には,思考の組み合わせパターンの

1

つと してアブダクションと帰納を組み合わせた「アナロジー手法 図22 演繹に関するバイアス 図23 帰納に関するバイアス 図24 アブダクションに関するバイアス① 図25 アブダクションに関するバイアス②

(13)

による型」が存在することを示すことができた.演繹と帰納, アブダクションは本来,単体で機能しているのではなく, それらが連続的に組み合わされることにより,デザインにお ける推論が効果的に実行されると考えられる. 最後に,本稿では推論マッピング法を用いた実験を行うこ とで,演繹と帰納,アブダクション,連想の思考過程には それぞれ異なるバイアスが生じていることに気づき,その気 づきの内容を元に各思考過程におけるバイアスの構造を図示 し,認知心理学の専門的な知見を用いてその構造を説明する ことができた. デザインを行う際には,思考のバイアスを排除したり, それを活用したりすることが重要であるが,本稿では思考の バイアスの構造を可視化することで,その構造に注意して, 意識的に思考のバイアスを排除する方法を示した. 今後は,様々な生活者や

BtoC

の一般消費財を対象として いるデザイナー,他の専門性を持ったエンジニアやマーケッ ターにも推論マッピング法を用いた実験を行い,本稿で提案 した方法論の改良を進め,デザイン活動においてバイアスを より効果的に活用するための手法を検討したい. 謝 辞 本論文をまとめるにあたり多くの方々にお世話になりまし た.特に,九州大学大学院准教授の曽我部春香氏には研究を 進めるうえで様々なアドバイスやご支援をいただきました. ここに深謝申し上げます.また,研究を通じて活発な議論に お付き合いいただいた九州大学大学院統合新領域学府の西原 尚宏氏に厚く御礼申し上げます

.

推論マッピング法の活用実験では,木材の加工法や設計に 関する専門的な視点から九州大学大学院芸術工学府デザイン 基盤センターの津田三朗氏,同笠原和治氏,同福澤萌氏に 有用なコメントをいただきました.ここに各氏に対して御礼 申し上げます. 最後になりましたが,九州大学大学院教授の清須美匡洋氏 には,日頃より議論を通じて多くの知識や示唆をいただい たと同時に温かい励ましの言葉をいただいたことに対して, 感謝申し上げます. 参 考 文 献 [1]アレックス・F・オズボーン:独創力を伸ばせ(Applied Imagination),ダイヤモンド社,1958. [2]ドン・コバーグ,ジム・バグナル:固定概念を打ち破れば どんな問題でも解決できる,産業能率大学出版部,1979. [3]濱口秀司:真のイノベーションを起こすために「デザイン

思考」を超えるデザイン思考,Harvard Business Review, DIAMOND,41(4),pp.32-33,2016. [4]細谷功:「思考の癖」を矯正し,活用する −なぜ,考え方は ワンパターンに陥りやすいのか−,Think!,東洋経済新報 社,AUTUMN2015(55),p.109,2015年. [5] J. ダンロスキー,J. メトカルフェ:メタ認知 記憶と応用, 北大路書房,2010. [6]秋田直繁,森田昌嗣,椎塚久雄:感性のシステム化による 製品デザインのユーザー満足度の評価 −公共空間用家具 としての「大学学務課受付窓口カウンター」の場合−, 日本感性工学会論文誌,15(2),pp.265-277,2016. [7]秋田直繁,森田昌嗣,椎塚久雄:ファジィ測度を用いた 製 品 デ ザ イ ン の 感 性 評 価 − 公 共 空 間 用 家 具 と し て の 「公民館用フラップテーブル」の場合−,日本感性工学会 論文誌,15(6),特集「あいまいと感性」,pp.659-669, 2016. [8]泉友之,白坂成功,保井俊之,前野隆司:親和図と2軸図 を用いた構造シフト発想法の主観的評価,日本創造学会論 文誌,17,pp.92-111,2013. [9]山下昌彦,玉利光太郎:臨床思考図を用いた症例検討会が 発表者と聴講者双方の臨床推論および推論伝達に与える影 響,日本理学療法学術大会,2012. [10]岡田由美,佐藤浩一,武井英昭:中学校国語科における文章 を読み深めるための指導 −文章を視覚的にとらえる図表化 活動を通して−,群馬大学教育実践研究,32,pp.159-171, 2015. [11]山﨑晴美,三澤麻衣子,上原任,尾﨑哲則,桑田文幸, 中島一郎:第1学年歯科医院見学実習の事前・爾後教育に おける発見的学習の展開 −キャリア教育における学習方 略への焦点化について−,日本大学歯学部紀要,42, pp.61-72,2014. [12]樋口直宏:グラフィック・オーガナイザーを用いた思考指 導 −スウォーツらの理論を中心に−,筑波大学人間総合科 学研究科学校教育専攻学校教育学研究紀要,6,pp.1-17, 2013. [13]トニー・ブザン:マインドマップ記憶術,株式会社ディス カヴァー・トゥエンティワン,2009. [14]アネミック・ファン・ブイエン,ヤーブ・ダールハウゼン, イェレ・ザイルストラ,ロース・ファンデル・スコール: デザイン思考の教科書,日経BP社,2015. [15]福岡敏行:コンセプトマップ活用ガイド −マップでわかる! 子供の学びと教師のサポート−,藤原印刷,2002.

[16] Sara L. Beckman, Michael Berry: Innovation as a Learning Process: Embedding Design Thinking, California Manage-ment Review, 50(1), 2007. [17]米盛裕二:アブダクション −仮説と発見の論理,勁草書房, pp.1-29,2007. [18]原田武夫:世界を動かすエリートはなぜ,この「フレーム ワーク」を使うのか?,株式会社かんき出版,2015. [19]棚橋弘季:ひらめきを計画的に生み出すデザイン思考の仕 事術,日本実業出版社,2009. [20]田中正人:哲学用語図鑑,プレジデント社,2015. [21]米盛裕二:パースの記号学,勁草書房,1981. [22]椎塚久雄:感性3.0−研究,教育,実務,感性工学,13(2), pp.67-77,2015.

(14)

[23]椎塚久雄:イノベーション・テトラ −感性3.0時代におけ るイノベーション工学に向けて−,第17回日本感性工学 会大会予稿集,H42,2015. [24]高橋揚一:デザインと記号の魔力,勁草書房,2004. [25]コクヨ株式会社:総合カタログ ファニチャー編,2013. [26]コクヨ株式会社:総合カタログ ファニチャー編,2016. [27]日本国特許庁『公開特許公報(A)』特開2013-52164,p.14, 2013. [28]細谷功:アナロジー思考 ―「構造」と「関係を見抜く」, 東洋経済新報社,2011. [29]日本認知科学会:認知科学辞典,共立出版,2002. [30] M.W.アイゼンク:認知心理学辞典,新曜社,1998. [附記]本研究はJSPS科研費JP16K16245の助成を受けたもの です. 秋田 直繁(正会員) 九州大学大学院芸術工学研究院助教.九州大学 大学院芸術工学府修了後,2006年からコクヨ ファニチャー株式会社でオフィスや公共空間 用家具の商品企画・開発を担当,2013年より 現職.デザインエンジニアリング,インクルー シブデザイン,インテリアデザイン,プロダクトデザインが専門. 感性のシステム化による製品のデザインの評価方法に関する研 究や高齢者や子供のQOL向上のための医療・服薬のデザイン研 究 に 携 わ っ て い る.2012年 に は ド イ ツ のUniversal Design Award 2012を受賞.2014年にはグッドデザイン賞(研究活動, 研究手法)とキッズデザイン賞(子ども視点の安心安全デザイ ン子ども部門)を受賞している. 森田 昌嗣(正会員) 九州大学大学院芸術工学研究院教授.九州芸術 工科大学卒業,東京藝術大学大学院修士課程 修了後,GK設計・環境設計部長を経て1992年 九州芸術工科大学助教授,2000年 同教授, 2003年より現職.インダストリアルデザイン, パブリックデザイン,環境デザインが専門.代表作は,銀座・ 晴海通りや西新宿地区,JR博多駅博多口駅前広場,西中島橋など, また都市サインデザインなどでグッドデザイン賞など多数受賞. デザイン研究では,パブリックデザイン方法研究をはじめデザイ ン評価診断システム(クオリティカルテ評価法)研究,自動車等 製品や観光・まちづくりなどにおける感性価値創造に関する研究 に携わっている. 椎塚 久雄(正会員) 株式会社 椎塚感性工学研究所代表取締役. 一般財団法人ファジィシステム研究所特別研究 員.工学院大学名誉教授.一般社団法人MTR 総研代表理事,南京航空航天大学客員教授. 工学博士.日本感性工学会前会長.アフェクティ ブイノベーション協会会長.これまでの主な研究歴:回路構成論, グラフ理論,ペトリネット,システムシミュレーション,ファジィ理論, ソフトコンピューティング,感性工学等に関する研究に従事.現在は 主に,高齢者の感性コミュニケーション,感性デザインイノベー ションを中心とした研究に関心を持っている.主な学会役職歴: 1990∼1992年 国際システムダイナミックス学会日本支部理事. 1995 ∼1997年 日本ファジィ学会理事.1997∼2001年 日本ファ ジィ学会評議員.1999年∼日本感性工学会理事.2001∼2003年 日本ファジィ学会副会長.2002∼2003年 電子情報通信学会コン カレント工学研究専門委員会委員長.2007年9月∼2013年9月 日 本 感 性 工 学 会 会 長(3期 連 続 ).2013年 ∼Chair of ISASE (International Society of Affective Science and Engineering),

図 18  推論マッピング法による思考の可視化(詳細) (左)
図 19  推論マッピング法による思考の可視化(詳細) (右)

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