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保育学研究第55巻第2号

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Ⅰ.問題と目的

1.表情の役割 家庭や保育園,幼稚園など,他者と関わるす べての状況において,子どもたちは他者の思い を読み取ったり,他者に自己の思いを伝えよう としたりしている。そのような状況において, 大きな役割を果たしているのが,非言語的なコ ミュニケーション,特に表情である。表情は人 間の感情に関する情報を豊富に提供し,他者の 表情を見た者はそれらの情報をもとに自らの行 本研究の目的は,幼児にとって理解しやすい表情素材(線画・イラスト・大人写真・幼児写真)とは どのようなものであるか,さらに,大人から見て幼児の意図表情は表情としてどの程度適切であり、 理解しやすいものであるのかという点について明らかにすることである。実験の結果,表情理解に関 しては,年少児頃には表情素材の種類を問わず基本的な表情の理解が可能であることが示された。表 情表出に関しては,喜び表情では大人が理解しやすい表情を表出することができるものの,悲しみや 怒り表情は大人から見て理解しにくい表情であることが明らかとなった。 キー ワード:幼児,表情理解,表情素材,意図的表情表出

Recognition and Production of Facial Expressions in Preschoolers:

Recognizable Stimuli of Facial Expressions for Preschoolers

and the Appropriateness of their Facial Expression from an Adult’s Viewpoint

This study first clarified the use of facial expressions (line drawings, illustration, adults’ pictures, and infants’ pictures) as stimuli, which made it easy for preschoolers to understand the emotion behind the facial expression. Second, it identified the extent to which adults could understand the facial expressions voluntarily produced by preschoolers. Results indicated that the preschoolers, aged 3–4, could understand the basic facial expressions re-gardless of the variety of the stimuli. Additionally, they could produce the facial expression of happiness, which was easily understood by an adult; however, it was difficult for them to produce the facial expressions of sadness and anger in such a manner that it could be understood by adults.

Key Word: Preschooler, Recognition of Facial Expressions, Stimulus of Facial Expressions, Voluntary Pro-duction of Facial Expressions

Takafumi Kagamihara

鏡原 崇史

原著≪論文≫

幼児期における表情理解と表情表出

―理解しやすい表情素材と大人から見た幼児の意図表情の適切性―

広島大学大学院博士課程 発達心理学

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動を調整し1),他者との関係性を形成・維持し ようとする。落ち込んでいる友達を見かけたと きには,表情は友達の気持ちを理解する最大の 手がかりとなり,本当の気持ちを言葉で表現す ることができないときには,表情は本心を伝え る最良のツールとなる。 2.表情理解の発達 表情から他者の心的状態を推測する表情理解 能力は,生後間もなくから顕著な発達を見せ, 乳児期では,提示する表情刺激の種類によっ て,表情に対する反応が異なることや2)3),幼 児期には基本的な表情理解が可能となることが 知られている4)5) ヤング・ブラウン(Young-Browne)ら6)は, 生後 3 か月の乳児を対象に,写真表情を用いて, 喜び,悲しみ,驚き表情の弁別能力を検討して いる。その結果,3 か月児は喜びと驚き,悲し みと驚きの弁別は可能であったが,悲しみと喜 びを区別することができなかった。実験刺激と して線画表情を用いた場合,反応が見られるの は生後 8 か月頃からであり,写真表情を用いた 場合より反応可能な時期が遅延することが知ら れている7)。乳児にとって,実際の人物を忠実 に再現した写真表情は抽象的な線画表情より表 情間の違いが判別しやすいため,写真刺激では より早い時期に表情の種類の弁別が可能になる と考えられる。しかし,結果の解釈については, 眼球機能の未成熟さにより,大人ほど正確に顔 の形態を把握できていない点も考慮する必要が あるだろう8) 表情理解能力は幼児期の特に 2 歳から 4 歳の 間に急速に発達し9),さらに,幼児期では線画 表情と写真表情の関係性も大きく変化する。菊 池10)は,線画・イラスト・他者写真・自己写 真の表情刺激を用いて,幼児の表情理解能力に ついて検討している。その結果,刺激ごとの正 答率は全年齢において線画とイラストで描かれ た表情が写真表情(他者・自己)より高いとい う結果が得られた。特に,年少児においてその 差は大きく,線画では平均 88%,イラストで は平均 84% と高い値が得られたものの,写真 刺激である他者写真では平均 66%,自己写真 では平均 49% となっている。つまり,幼児期 の特に年少児は,刺激の種類による影響を受 け,線画やイラストといった抽象的に表情が描 かれた刺激が実際の表情を忠実に表した写真表 情より,理解しやすいと推察される。 3.表情表出の発達 他者の心的状態を推測する表情理解ととも に,社会的なコミュニケーションにおいて重要 な役割を果たすのが表情表出である。乳児期で も,興味,喜び,驚き,怒り,恐怖,軽蔑,苦痛, 嫌悪など様々な形態の表情を表出する11)。さ らに,人間はコミュニケーションの際に意識的 にも無意識的にも様々な表情を表出しており, 他者が存在する場合としない場合では,表情の 表出頻度が異なることや,他者との関係性の違 いが表情の表出頻度に影響を与えることが知ら れている12) 表情には,人間の心的状態を忠実に表すとさ れる「自然表情」と,意識的な顔面筋の操作に より本来の感情とは異なった形態を示す「意図 表情」がある。特に,他者との関係性を築く上 で重要となるのが,意図表情である。本来の感 情を隠したり,他者に対して意識的に虚偽の心 的状態を伝えたりする際に用いられる意図表情 であるが,幼児期では大人ほど正確な意図表情 を表出することは難しいといわれている13)14) ルウィス(Lewis)15)らは感情語(喜び,悲 しみ,驚き,怒り,恐怖,嫌悪)に応じた表情の 表出を求め,2 歳から 5 歳児の意図的な表情表 出について検討している。その結果,2 歳児で はすべての表情において意図的表出が困難で あり,3 歳児以降であっても,完全な表情の表 出に成功した割合は,4 歳児,5 歳児の喜び表 情の 60% が最も高く,その他の表情では,悲 しみ,驚きが 30 ~ 50%,怒り,恐怖,嫌悪は 0 ~ 20% であった。さらに,4 歳児と 5 歳児間

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ではすべての表情において,有意な差は認めら れなかった。つまり,2 歳から 3 歳の間に表出 能力の向上が見られるものの,その後も依然と して幼児期では意図的に表情を表出することは 困難であると推察される。 4.本研究の目的 (1)理解しやすい表情素材 学校教育における教科とは異なり,感情に関 する学習は特別に設けられることはなく,その 多くは日々の生活の中で学び,習得していく。 このような環境の中,幼児にとって感情を学習 する貴重な機会となっているものの一つに絵本 や紙芝居などがある16)17)。物語の中で語られ るストーリーに合わせて登場人物は表情として 喜怒哀楽を表現し,読み手や聞き手である幼児 たちは,物語の文脈と登場人物の表情との一致 を確認しながら,その状況や感情に関する理解 を深めていく。 絵本や紙芝居で描かれている表情は,多くの 場合,実際の人間の表情より抽象化されてい る。このように抽象化された絵で描かれた表情 は,幼児にとって,理解しやすいものなのであ ろうか。先述の通り,幼児期においては,写真 より絵で表された表情の方が理解しやすい可能 性が示唆されている。一方で,これまでは実験 刺激が正確に該当感情を表していることを示す 指標として,大人によるラベリングや分類を含 む主観的な評価方法が用いられてきた18)19)20) 表情は眉や目,口など様々な部位のそれぞれの 形態変化によって表されるため,表情理解がす でに獲得されている大人が評価した場合,たと え,顔の一部だけが感情を示したものであっ ても,該当の感情を示していると認識すること ができる。一方で,表情理解が未だ発達過程に ある幼児では,感情を示す要素が一部のみの場 合,理解することが難しくなる。つまり,ある 刺激では顔の一部のみが感情を示しており,そ の他の刺激では顔の複数の部位が感情を示して いる場合,大人ではラベリングや分類を行った 際に刺激間の成績に差は生じないが,幼児では 刺激による影響が大きくなり,刺激間の違いを 正確に把握することが困難となる。そのため, 幼児にとって理解しやすい表情素材を明らかに するためには,用いる実験刺激を統制する必要 がある。 そこで,本研究では,各表情刺激が示す感情 の要素数(動作数)を統制した上で,線画,イ ラスト,写真表情(大人),写真表情(幼児)の 4 種類の表情刺激を用い,幼児にとって理解し やすい表情素材を明らかにする。 (2)幼児の意図表情の適切性 日常の保育場面において,幼児は様々な感情 を表情として表出している。その中で,時には 自分の気持ちを保育者に伝えるために表情をコ ミュニケーションツールとして用い,意図的に 表情を表出することもある。自然表情は生得的 なものであり,国や文化が異なっても同一の表 情であるため21),大人は正確にその感情を読 み取ることができる。しかし,大人と比べて正 確な意図表情の表出が難しい幼児では,表出さ れた表情の形態が一般的な意図表情と異なり, 大人に幼児の意図が正確に伝わらない可能性 が考えられる。実際,幼児の意図表情を大人が ラベリングした場合,喜び 74%,悲しみ 61%, 怒り 54% 程度しか正答が得られず22),大人に とって幼児の意図表情からの感情推測は困難で ある可能性が示されている。 このように,大人にとって理解が難しい幼児 の意図表情は,どの程度,大人から見て適切な 表情として表出されているのだろうか。従来の 研究の多くは,幼児の表情を大人がラベリング や分類することによって評価しており,正解・ 不正解の 2 値的な評価となっているため,その 程度は明らかにされていない23)24)25)。そこで 本研究では,大人の視点から見て幼児の意図表 情がどの程度,表情として適切に表出できてい るかを 5 段階(1 点:不適切~ 5 点:適切)で評 価することにより,大人から見た幼児の意図表 情の表情としての適切性を明らかにする。これ

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により,幼児が表出する意図表情が大人にとっ てどの程度理解しやすいものであるかを示すこ とができると考えられる。なお,本研究で扱う 表情の「適切(性)」とは,各感情を表す表情 としての正しさを示す。そして,幼児の表情の 適切性を大人が5段階で評価した値を「適切値」 とし,大人から見た幼児の意図表情の表情とし ての適切性を表すものとする。

Ⅱ.方 法

1.調査協力者 幼稚園に在籍している年少児 32 名(平均年齢 3 歳 8 か月,SD=3.74),年中児 27 名(平均年齢 5 歳 0 か月,SD=3.40),年長児 26 名(平均年齢 6 歳 0 か月,SD=3.26),計 85 名が参加した。 2.実験刺激 実験に用いた表情刺激は,線画,イラスト, 写真表情(大人),写真表情(幼児)の 4 種類で あり,感情は「喜び」,「悲しみ」,「怒り」の 3 種類と何も表出されていない「無感情」であっ た(図 1)。各刺激は 89 × 127㎜サイズのカー ドに印刷し使用した。線画は先行研究を参考に 作成し26)27),イラストは先行研究で用いられ ているものを使用した28)29)。写真表情(大人, 幼児)は新たに実験者が作成し,実験参加児と 面識のないモデルのものを用いた。写真表情は それぞれ,写真(大人)は 24 歳成人男性,写 真(幼児)は男児 5 歳のものを用いた。各実験 刺激について,先行研究30)31)で各該当感情を 示すとされている顔面の動作数を調べた結果, 喜び 2 か所注 1),悲しみ 4 か所,怒り 3 か所で あり,同一感情における表情刺激間の該当感情 を示す動作数は同じであった。なお,すべての 実験刺激は,心理学,教育学を専門とする大学 院生 6 名(成人男性 3 名,成人女性 3 名)による ラベリングにおいても,全員が該当感情を示し ていると評価したものであった。なお,本研究 では,表情の文化共通性32)及び,表情刺激の 性別の違いよって,表情理解の成績に有意な差 は見られないとする知見より33),男女の表情 は表情理解課題においては等質の刺激であると 見なし,参加時間短縮による調査対象者の負担 軽減も考慮した上で,短髪で眉の形態の変化が わかりやすい男性表情のみを写真刺激として採 用した。 3.手続き (1)表情理解課題 実験者と個室で一対一形式で行い,提示順序 はカウンター・バランスを取った。「〇〇(感 情)のときの顔はどれですか」と教示を行い, 4 枚並べられた同一種の表情刺激から一つ選択 するよう求めた。実験は「喜び」・「悲しみ」・ 「怒り」の 3 感情×線画・イラスト・写真(大 人)・写真(幼児)の 4 表情刺激の計 12 試行で あった。 (2)表情表出課題 実験者と個室で一対一形式で行い,「これか ら私が〇〇さん(調査協力者の名前)の嬉しい とき,悲しいとき,怒っているとき,普通の顔 の四つの写真を撮ります。〇〇(感情)のとき の顔をしてください」と教示を行い,合図とと もに撮影した。 図1 表情理解課題で用いた実験刺激注 2)

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(3)表情の適切性評定 心理学を専門とする大学院生 5 名(成人男性 2 名,成人女性 3 名)に,幼児の表情が各感情(喜 び,悲しみ,怒り)をどの程度適切に表出でき ているかを 5 段階(1 点:不適切~ 5 点:適切) で評価するよう求めた。算出された値を,大人 から見た幼児の意図表情の表情としての適切性 を表す値(適切値)とし,幼児の表情が大人に とってどの程度明確であり,理解しやすいかを 示す指標とした。なお,5 段階評価における 3 点を適切な表情が表出されているとする下限と して評価を求めた。 4.倫理的配慮について 本研究は,実施に際して当該園の園長に協力 を依頼し,園長から調査の対応一切を任された 現場責任者(主任)から書面にて同意を得た上 で行われた。また,園内における調査及び写真, ビデオの撮影に関して,保護者からの同意を得 ている。各課題の実施の際には,研究実施者が 課題の内容を説明し,了承が得られた幼児のみ 実験に参加した。なお,本研究は投稿に際して, 所属する大学の倫理委員会の承認を得ている。

Ⅲ.結 果

1.表情理解 全年齢におけるすべての表情に対して 7 割以 上の正答率が得られた(表 1)。理解しやすい表 情刺激を特定するため,年少児における同一感 情ごとにコクラン(Cochran)の Q 検定注 3) 用いて表情刺激要因に関する検定を行った。な お,年中児,年長児では天井効果が認められた ため,表情刺激要因の検定から除外した。検定 の結果,年少児喜び(Q(3)=.33,n.s.),年少 児悲しみ(Q(3)=2.18,n.s.),年少児怒り(Q(3) =6.55,n.s.),すべての感情における表情刺激要 因に有意な差は認められなかった。そのため, 以降は表情刺激を分けずに分析を行った。 次に表情理解能力の年齢間の違いについて検 討するため,感情ごとにクラスカル・ウォリス (Kruskal-Wallis)の H 検定注 4)を行ったところ, 喜び(x2(2)=20.60, p <.001),悲しみ(x2(2) =11.16, p <.01),怒り(x2(2)=7.62, p <.05) のすべての感情における年齢要因について有意 な差が見られた。そのため,シェフェ(Scheffe) 法注 5)を用いて感情ごとに年齢間の比較を行っ たところ,すべての感情において年齢間に有意 な差は見られなかった。 さらに,各年齢における理解しやすい表 情(感情)について検討するため,年齢ごと に 表 情( 感 情 )要 因 に つ い て フ リ ー ド マ ン (Friedman)検定注 6)を行ったところ,年中のみ で有意な差が認められ(x2(2)=9.00,p<.05) 年少児(x2(2)=.57,n.s.),年長児では有意な差 は見られなかった(x2(2)=2.00,n.s.)。そこで, 年中児における表情(感情)間の比較をシェ 線画 平均 イラスト 平均 (大人)写真 平均 (幼児)写真 平均 全体平均 年少児 (n=32) 喜び 91% 91% 91% 89% 88% 82% 88% 87% 87% 悲しみ 91% 81% 81% 88% 怒り 91% 94% 78% 84% 年中児 (n=27) 喜び 100% 99% 100% 99% 100% 94% 100% 97% 97% 悲しみ 96% 96% 89% 96% 怒り 100% 100% 93% 96% 年長児 (n=26) 喜び 100% 100% 100% 100% 100% 100% 100% 99% 100% 悲しみ 100% 100% 100% 100% 怒り 100% 100% 100% 96% 表1 表情理解課題正答率

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フェ(Scheffe)法を用いて行ったところ,有意 な差は認められなかった。 2.表情表出 表情表出課題時に「できない」「難しい」と いった理由から表情表出ができなかった幼児 18 名(年少児:9 名,年中児:6 名,年長児:3 名) を除く,67 名(年少児:23 名,年中児:21 名, 年長児:23 名)が表出した表情の適切値を表2 に示す。本研究で設定している,適切な表情が 表出されているとする適切値の下限(3 点)以 上の表情の表出が認められたのは喜びのみであ り,その他の表情については,全年齢で下限を 下回っていた。年齢間の適切値の違いについて 検討するため,感情ごとにクラスカル・ウォリ ス(Kruskal-Wallis)の H 検定注 7)を用いて年齢 の比較を行ったところ,喜び(x2(2)=.90,n.s.) 悲しみ(x2(2)=4.42,n.s.),怒り(x2(2)=.08, n.s.),すべての感情における年齢要因に有意な 差は見られなかった。 次に,幼児が適切に表出できている表情に ついて検討するため,各年齢における表情の 適切値について,各年齢内でフリードマン (Friedman)検定注 8)を行った。その結果,年 中児(x2(2)=18.45,p<.001),年長児において 有意な差が見られ(x2(2)=12.56,p<.01),年 少児では見られなかった(x2(2)=3.09,n.s.)。 そこで,年中児及び年長児においてシェフェ (Scheffe)法を用いて表情間の比較を行ったと ころ,年中児では喜びが悲しみより有意に高 く(p<.005),年長児では喜びが悲しみ,怒り より有意に高いことが認められた(ともに p < .05)。すなわち,年中児,年長児ともに,喜び は他の表情に比べ,大人から見て適切に表出で きている表情であることが示された。

Ⅳ.考 察

1.表情理解の発達と表情素材による違い 表情理解課題において,全年齢で 7 割以上の 正答率が得られたことから,喜び,悲しみ,怒 りの 3 表情に関する基本的な表情理解能力は今 回対象とした年少児の年齢(3 歳 8 か月)頃には, 獲得されていると考えられる。一方で,表情が 示す感情ごとに年齢間の比較を行った結果,年 少児,年中児,年長児の表情理解能力は同等で ないことが示された。つまり,年少児の時点で 基本的な表情理解は可能であるが,年中児,年 長児と成長していくことにより,その理解能力 はより強固なものになっていくと考えられる。 幼児が理解しやすい表情(感情)に関しては, 年少児,年長児では,喜び,悲しみ,怒り表情 は同程度理解でき,年中児のみにおいて,表情 によって理解のしやすさが異なる可能性が示さ れた。一方で,年中児においてそれぞれの表情 (感情)間の比較を行ったところ,有意な差は 認められなかったため,3 表情間の差はそれほ ど大きなものでないと推測される。しかし,天 井効果の影響を考慮する必要があり,幼児期に おける喜び,悲しみ,怒り表情に対する理解の しやすさの差異を検討するには,表情の示す感 情の強度を弱めて,課題としての難易度を高め る必要があるだろう。 幼児が理解しやすい表情刺激に関して,先行 研究では,抽象度の高いイラストや線画の正答 率が写実的な写真刺激より高い結果が得られて いるが34),本研究では,表情刺激間に有意な 差は認められなかった。その最大の要因とし て,表情理解課題に対する正答率の高さがあ げられる。菊池35)の研究では,写真表情(大 人)に対する正答率は年少児では 67%,年中児 では 82%,年長児でも 91% であったが,本研 究では,年少児で 82%,年中児で 94%,年長 喜び 悲しみ 怒り 全体 年少児 (n=23) (1.17)3.25 (1.02)2.58 (.83)2.74 (1.05)2.86 年中児 (n=21) (.79)3.25 (.59)2.15 (1.09)2.84 (.96)2.75 年長児 (n=23) (1.14)3.47 (.89)2.68 (.90)2.81 (1.04)2.98 表2 幼児が表出した表情の適切値 括弧内は SD.

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児では 100% と全体的に高い数値が得られてい る。同一の表情刺激を用いた線画とイラストに おいても年少児では 3 ~ 5% 本研究が高いもの の,写真表情ほど大きな差異は生じていないこ とから,これらの原因は,実験に用いた写真刺 激の影響が大きいと推察される。本研究では, 各表情刺激が示す感情を等しくするために,顔 の各部位が示す感情の要素数を統制した刺激を 用いた。そのため,すべての刺激において同 程度の感情が表情として表されていたことによ り,刺激間で有意な差が確認されなかったと考 えられる。 本研究では,大人の写真表情だけでなく,実 験参加児と同年代である幼児の写真表情も用い た。しかし,上述の結果が示すように,幼児た ちは表情表出者の年齢を問わず理解できる,つ まり,保育者の表情も幼児である友達の表情も 同じように理解できることが明らかとなった。 一方で,有意な差は認められていないもの の,本研究においても,菊池36)と同様に抽象 度の高い表情刺激である線画やイラストが正答 率としては高くなっていた。そのため,抽象度 の高い表情素材は幼児にとって理解しやすいも のである可能性は排除できないが,本研究で対 象とした年齢以降(3 歳 8 か月)は,表情素材 に関わらず,表情から感情を推測することが可 能であると考えられる。幼児にとって理解しや すい素材に関しては,3 歳未満の幼児を対象と し,さらに,表情理解として難易度の高い,嫌 悪や恐怖などの表情刺激を用いて,今後より詳 細に検討する必要があるだろう。 2.意図的な表情表出の発達 本研究では,大人から見た幼児の意図表情の 表情としての適切性を表す値として,適切値を 算出した。その結果,適切値は全体的に低く, さらに,年齢間に有意な差は認められなかっ た。これより,幼児は表情を意図的に表出する ことが困難であり,幼児期では,表出能力の顕 著な発達は見られない可能性が示された。 幼児期における意図的な表情表出の難しさは 従来から指摘されており37),本研究において もそれらを支持する結果となった。意図的に表 情を表出するためには,顔面のどの部位を動か すのかという表情に関する知識と意識的な顔面 筋の制御が必要となる。表情理解の結果から, 喜び,悲しみ,怒りの 3 表情に関しては,基 本的な表情に関する理解レベルでの知識は十分 あったと推察されるため,表出に必要なより深 い理解や意識的な顔面筋の制御の難しさが影響 していると考えられる。 表情の種類としては,喜びが最も表出しやす く,悲しみが最も表出しにくい表情であること が示された。悲しみ表情に必要とされる眉を下 げる動作と眉の内側を上げる動作は,意識的に 操作することが難しく38),これにより,悲し み表情の表出が困難になったと考えられる。 3.幼児の表情と大人の認識 本研究では,幼児が表出した表情を大人が 5 段階で評価することにより,大人から見た幼児 の意図表情の表情としての適切性を評価した。 評価の際には,5 段階における 3 を適切な表情 が表出できているとする下限と設定していたた め,今回得られた得点を見る限り,年齢を問わ ず幼児期では喜び以外の悲しみと怒りの感情は 適切に表出できず,それらの表情は,大人から 見た場合,どのような感情を示しているか理解 し難いことが示唆された。 大人である保育士は,「表情がなく,意思を 示さない」幼児に対して,保育活動の中で対応 に困難を感じるとされているが39),はたして, 保育の中で「表情がない」とされる幼児は,本 当に表情を,意思を示していないのであろう か。本研究の結果をふまえると,このような 「表情がない」幼児の解釈に関して,慎重な議 論が必要になる。 本研究において,表出した表情の適切値が低 い幼児の多くは,一見無表情に見えるものが多 数を占めていたが,その表情をよく観察する

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と,顔の一部には,何らかの表情を示そうとす る顔の形態の変化が見られていた。幼児期で は,意図的に完全な表情を表出することが難し く,部分的な表情表出になることが確認されて おり40),幼児が表情を表出しているつもりで あっても,部分的で僅かな変化であるがゆえ に,大人が正確にその意図を理解することは困 難であると考えられる。そのため,幼児が表情 のみを用いた非言語情報によって大人に意図を 伝えようとする際に,その意図は正確に認識さ れておらず,幼児が大人に求める行動と大人が 実際に行う行動との間に乖離が生じる危険性が ある。このような乖離は,大人と幼児との関係 性を崩壊させるきっかけとなり得るため,大人 は幼児が意図的に表出する表情が,大人の認識 の中にある適切な表情と同一でないことを理解 しておく必要がある。 4.より良い保育のための表情の活用 表情は,「心の窓」や「感情の鏡」と言われ るように,幼児自身が感じたことや考えている ことなど,本来は見えない心の動きについて多 弁に語る。つまり,表情は幼児の心の動きを知 る最大のヒントとなる。保育現場においては, 保育者(教師)は日ごろの保育の中で,幼児の 感情情報に注目し,それに応じた行動を取る と言われている41)。さらに,保育経験 10 ~ 30 年の 3 名の保育士にアンケートを行った横山・ 水野の研究42)では,3 名の保育士全員が絵本 の読み聞かせの際に「子どもの表情を見ながら 読む」と回答しており,意識的にも無意識的に も,保育士が保育の中で日常的に表情を手がか りとして,幼児を理解しようとしていることは 明らかであろう。これらの取り組みをより効果 的なものにするためにも,幼児期における表情 の特性について保育者が理解し,表情を手がか りとして幼児を理解することで,それぞれの幼 児が理想とする保育の実現に繫がると考えられ る。 保育における表情の活用方法は,保育者が幼 児の表情を読むだけではない。保育者が表出者 として表情を表出することにより,幼児に保育 者の意図を伝える手段にも成り得る。年少児で あっても基本的な表情の理解は可能であるた め,保育者の表情が示す意図は幼児も理解する ことができる。例えば,幼児を叱るときには, 言葉だけでなく表情でも怒りを表すことで,よ り明確に伝えることができ,幼児も本当に怒ら れていることが理解しやすくなる。褒めるとき には,表情を用いることで,幼児は褒められて いることをより強く感じることができる。実際 に,保育者は保育の場面で意図的に感情を表出 していることが報告されており43),本研究で 示された幼児の表情理解能力を考慮すると,保 育者の意図的な表情表出は幼児に意図を伝える 有効な手段に成り得ると考えられる。 5.今後の課題 本研究は実験的なものであったため,本研究 から得られた結果が普段の幼児の能力を必ずし も反映しているとは限らない。そのため,より 日常に近い環境,または,保育の中の実践とし て,幼児の表情理解や表情表出を捉えることが 必要になる。さらに,幼児の表情変化だけでな く,保育者の表情変化と相互的に捉えることで 保育における表情や感情が果たす役割について 明らかにすることが可能となり,より充実した 保育実現の一助になると考えられる。 (注 1)線画刺激では,喜びを示す「口角を上げ る動作」が明確に含まれていないが,喜び表 情において「口角を上げる動作」とともに生 じる「口を開く動作」が表されているため, 「口角を上げる動作」が含まれているものと 見なした。 (注 2)幼児の写真表情も実験刺激として使用し ているが,研究倫理の観点から掲載は控え た。大人の写真表情に関しては,掲載に関し て本人から了承を得ている。

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(注 3)本研究における表情理解課題は正解・不 正解の 2 値データとなり,パラメトリック検 定を用いることは妥当でないと判断されるた め,表情刺激間の比較には,対応あり要因の 比較に適しているノンパラメトリック検定の コクラン(Cochran)の Q 検定を用いた。 (注 4)天井効果が確認されており,データの正 規性が保証されないため,表情理解能力の年 齢要因の検定には,対応なし要因の比較に適 しているノンパラメトリック検定のクラスカ ル・ウォリス(Kruskal-Wallis)の H 検定を 用いた。 (注 5)多重比較には,ボンフェローニ(Bonferroni) の方法,シェフェ(Scheffe)の方法,ライア ン(Ryan)の方法などが用いられるが,本研 究では,検出力などの観点から主に用いられ る44)シェフェ(Scheffe)の方法を使用した。 (注 6)天井効果が確認されており,データの正 規性が保証されないため,各年齢における理 解しやすい表情(感情)の比較には,対応あ り要因の比較に適しているノンパラメトリッ ク検定のフリードマン(Friedman)検定を用 いた。 (注 7)データの正規性が認められなかったた め,対応なし要因の比較に適しているノンパ ラメトリック検定のクラスカル・ウォリス (Kruskal-Wallis)の H 検定を用いて年齢間の 比較を行った。 (注 8)注 7 と同様の理由により,感情間の比 較には,対応あり要因の比較に適している ノンパラメトリック検定のフリードマン (Friedman)検定を用いた。 引用文献 (1)Reed,L.I.,DeScioli,P.&Pinker,S.A.(2014). The commitment function ofangry facial expressions.Psychological science, 25 (8),1511-1517.

(2)Young-Browne, G., Rosenfeld, H. M. & Horowitz,F.D.(1977).Infantdiscrimination

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(3)Ahrens,R.(1954).Beitragzurentwicklung des physiognomie- und mimikerkennens.

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(10)

15

( )16 磯部陽子・池田由紀江(2002)絵本読み場面 における幼児の情動認知の発達.心身障害学 研究,26.33-44 ( )17 古屋喜美代・高野久美子・伊藤良子・市川奈 緒子(2000)絵本読み場面における1歳児の 情動の表出と理解.発達心理学研究,11 (1). 23-33 ( )18 星野喜久三(1969)表情の感情的意味理解に 関する発達的研究.教育心理学研究,17 (2). 90-101 ( )19 前掲(4) ( )20 前掲(5)

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( )33 Matsumoto,D.(1992).American-Japanese cultural differences in the recognition of universalfacialexpressions.Journal of cross-cultural psychology,23(1),72-84. ( )34 前掲(4) ( )35 同上 ( )36 同上 ( )37 前掲( )13 ( )38 Ekman,P.,Roper,G.&Hager,J.C.(1980). Deliberatefacialmovement.Child Development, 51,886-891. ( )39 鑑さやか・千葉千恵美(2006)社会福祉実践 における保育士の役割と課題―子育て支援に 関する相談援助内容の多様化から―.保健福 祉学研究,4.27-38 ( )40 前掲( )11 ( )41 田中あかり(2015)幼児のつまずき場面にお ける幼稚園教師の「敢えて関わらない行動」 の働き―幼稚園3歳児学年と4歳児学年の 発達的変化に応じて―.保育学研究,53 (3). 44-55 ( )42 横山真貴子・水野千具沙(2008)保育におけ る集団に対する絵本の読み聞かせの意義―5 歳児クラスの読み聞かせ場面の観察から―. 教育実践総合センター研究紀要,17.41-51 ( )43 神谷哲司・戸田有一・中坪史典・諏訪きぬ (2011)保育者における感情労働と職業的 キャリア―年齢,雇用形態,就労意識との関 連から―.東北大学大学院教育学研究科研究

(11)

年報,59 (2).95-112 ( )44 竹原卓真(2007)SPSS のススメ〈1〉―2 要因の分散分析をすべてカバー―.北大路書 房.237-242 謝 辞 本研究に快くご協力いただきました,幼稚園 の先生方,園児の皆様に心より御礼を申し上げ ます。 付 記 本論文は立命館大学大学院応用人間科学研究 科に提出した修士論文(2013 年度)の一部を加 筆・修正したものである。また,その一部を日 本発達心理学会第 26 回大会において発表して いる。

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