ISSN 1346-3802 尚美学園大学総合政策研究紀要 第 34 号
BULLETIN OF POLICY MANAGEMENT SHOBI UNIVERSITY No.34
研究ノート|Research Notes
『となりのトトロ』と考古学
“My Neighbor Totoro” and Japanese Archaeology
櫻井 準也 SAKURAI, Jun’ya 尚美学園大学 総合政策学部教授 Shobi University 2019 年 9 月
『となりのトトロ』と考古学
“My Neighbor Totoro” and Japanese Archaeology
櫻井 準也 SAKURAI, Jun’ya 尚美学園大学総合政策研究紀要 第34号 研究ノート [要旨] 1988年に公開された『となりのトトロ』はわが国だけでなく、世界中の子どもたちに根 強い人気を誇るわが国を代表するアニメ映画である。また、この作品の主人公の父親が考 古学者であること、トトロの寝床に縄文土器があること、そして作品の自然観にわが国の 縄文時代のナラ林文化や照葉樹林文化が影響していることなど、本作品には多くの考古学 的要素がみられる。本稿では、作品の概要や父親のモデルとなったと思われる実在の考古 学者について説明し、父親が所蔵する書籍や縄文土器などの映像分析を行うことによっ て、本作品と日本考古学との関わりについて指摘した。 キーワード となりのトトロ、日本考古学、草壁タツオ、縄文土器、ナラ林文化、縄文農耕 [Abstract]
“My Neighbor Totoro” exhibited in 1988 is an animated film representing our country which is proud of deep-rooted popularity not only to our country but the children in the world. Moreover, many archaeological elements are seen in this work. For example, the father of the heroines of this work is archaeologist, and Jomon potteries are in the bed of Totoro. Moreover, the nara forest culture and the East Asian laurel forest culture of Jomon period have influenced the outlook on nature of this work. In this paper, I started with outline introduction of the work , and explained the archaeologist who became the father’s model. Then, I pointed out the relationship with Japanese archaeology by analysis of the image of the father’s books and the Jomon potteries etc, which appears in this work.
Keywords:
My Neighbor Totoro, Japanese Archaeology, Kusakabe Tatsuo, Jomon Pottery, Nara Forest Culture, Jomon Farming
はじめに
1988年に劇場公開された宮崎 駿監督のアニメ『となりのトトロ』は、子どもたちに人 気の国民的アニメであり、公開後30年を経過した現在でもそのファンは多く、海外でも人
気である。しかし、誰もが知る人気のアニメ作品でありながら、この作品の世界観にわが 国の縄文時代が関わっていること、主人公の父親が考古学者であることなど作品中に様々 な考古学的要素が含まれている点についてはあまり知られていない。また、大衆文化(ポ ピュラーカルチャー)における考古学者像という観点からも『となりのトトロ』の父親は 重要な存在である(櫻井2014)。わが国のアニメ作品においては父親が考古学者という設 定は多くみられるが(1)、それらの中でも1980年代終わりになると、従来のような家庭を 顧みずに遺跡の研究や調査、あるいは冒険に熱中する変わり者という父親像ではなく、家 族を大事にする「やさしいお父さん」という以前にはない、世界的にも珍しい考古学者像 (2)が登場するが、そのルーツと言えるのが本作品である。 本稿では、考古学の立場から父親のモデルとなったと思われる実在の考古学者について 検討するとともに、作品中に登場する書籍のタイトルや縄文土器に似た土器の分析などを 試みることによって本作品と日本考古学の関わりについて明らかにしてみたい。 1 .作品の概要 『となりのトトロ』(図1)は宮崎が原作・脚本・ 監督を務めたスタジオジブリ制作・東宝配給の劇場 用アニメ作品で、1988年4月に公開された。上映時 間は88分である。海外では香港・韓国・フランスな どで公開され、各国でビデオや DVD などが発売さ れている。同時上映は『火垂るの墓』であったが、 この2作品の公開にあたっては作品に派手さに欠け ることや公開が中途半場な時期であったことなどか ら配給元の東宝宣伝部は宣伝に消極的だったという (叶2006)。 しかしながら、 本作品は興行収入 5 億 8800万円のヒットを記録した。 1.1 設定 本作品の舞台は一般的に埼玉県所沢市(狭山丘 陵)であるとされているが、宮崎は「あの物語の舞 台は、実はいろいろなところから取っているんです。聖蹟桜ケ丘の日本アニメーションの 近くとか、自分が子どものころ見て育った神田川の流域とか、今住んでいる所沢の風景と か、みんなまざっちゃったんです」と述べている(宮崎1988c、再録485頁)。このうち所 (1) 比較的古いアニメ作品ではロボットアニメの主人公の父親が考古学者であることが多い。 『鋼鉄ジーグ』(1975・76年放映、日本教育テレビ)、『勇者ライディーン』(1975・76年放 映、日本教育テレビ)、『魔境伝説アクロバンチ』(1982年放映、日本テレビ)、『巨神ゴー グ』(1984年放映、テレビ東京)などの作品である。1990年代以降では、『カードキャプ ターさくら』(1998・99年放映、NHK)や『未来少年コナンⅡ タイガアドベンチャー』 (1999・2000年放映、TBS・日本アニメーション)などの主人公の父親が考古学者である (櫻井2014)。 図1 『となりのトトロ』 (スタジオジブリ1988)
沢市には作品で登場する「松郷」、隣接する東村山市には「八国山緑地」があり病院も存 在している。また、カンタの家は宮崎が日本アニメーション在籍時に散歩した聖蹟桜ケ丘 周辺に実在した農家がモデルで小川の風景には宮崎が子どもの頃に遊んだ神田川流域の風 景が混ざっているという(叶2006)。次に、時代設定については1953(昭和28)年説と 1958(昭和33)年説がありインターネット上で議論となっているが(3)、宮崎は「それは2 つのイメージボードからはじまった―宮崎駿インタビュー―」の中で「昭和30年といって いるけれども厳密に調べたわけじゃない。みんなが共通に思っている“ちょっと前のこ と”ということなんです。<中略>ただ、テレビを出さないということによって、ひとつ の時代は出てくる。もうひとつは、プラスチックが出てこない。そのふたつだけは守ろう ということにしていました」(宮崎1988b、433頁)と述べている。さらに、「トトロは懐か しさから作った作品じゃないんです」(インタビュアー池田憲章)においても宮崎は「テ レビがまだない時代」の話であると述べたうえで、それを強調するため劇中でラジオドラ マ「新諸国物語」(4)でも流そうかと思ったとも述べている(宮崎1988c、再録485頁)。こ れらの宮崎の発言からラジオドラマ「新諸国物語」において「笛吹童子」が人気を博した 1953(昭和28)年頃という設定が有力ということになるが、そこまで厳密に年代を設定し たわけではないようである。また、テレビがないという点では、この年がNHK テレビの 本放送が始まった年であり、「テレビのない時代」という点ではギリギリの時代設定であ ったとも言える。一般にわが国の高度経済成長期が始まったとされるのが1954(昭和29) 年末であり、1956(昭和31)年の経済白書に日本の戦後復興が終わり「もはや戦後ではな (2) 「やさしいお父さん」としては、『カードキャプターさくら』(1998・99年放映、NHK)の 主人公である木之本さくらの父親である木之本藤隆があげられる。藤隆は大学で考古学を 教えている教員であるが、母親のいない子どもたちのことを常に気遣いながら家事もこな すやさしい父親である。これに対し、「やさしいお母さん」として考古学者が描かれてい るのが『ふたりはプリキュア Splash★Star』(2006・2007年放映、朝日放送)の主人公の母 親の美翔可南子である。彼女は遺跡発掘に夢中であり、オッチョコチョイではあるが飾り 気がないサッパリしたタイプの女性である。二人とも従来の漫画やアニメの考古学者イメ ージとは異なるやさしい父親や母親として描かれている(櫻井2014)。 (3) 例えば、タツオの書斎のカレンダーが1955(昭和30)年、母親の病状についての電報の 消印が1957(昭和32)年、母親の病室のカレンダーが1952(昭和27)年、1953(昭和28) 年、あるいは1958(昭和33)年であるといった指摘である。また、当時の商品の発売開 始年についても、冒頭のシーンで登場する三輪自動車ダイハツミゼットDKは1957(昭和 32)年発売、バス停でサツキが使っていたジャンプ傘が登場したのが1960(昭和35)年 で一般に使用されるようになったのは1961(昭和36)年以降であるとされている。様々 なモノの製作年代が重要な研究対象である考古学研究者にとって作品の時代設定と実際 の映像に登場するモノの年代の整合性は常に気になるものであるが、アニメ制作に限ら ず映画やテレビドラマの制作において使用する小道具が時代設定に合っているか年単位 でチェックすることは通常ないと思われる。 (4) 『新諸国物語』は1952(昭和27)年から NHK でラジオ放送された子ども向けの時代劇シ リーズである。1953(昭和28)年の『笛吹童子』や1954(昭和29)年の『紅孔雀』は特 に人気が高く、その後映画化された。
い」と記されて流行語にもなったことを考えると、この頃は都市部を中心にわが国の伝統 的生活が現代的な生活へと変わり始めた時期であるが、いまだ昔ながらの生活が残る大都 市の郊外が本作品の舞台として選ばれたということになる。これに対し、当時の東京を舞 台として新しい時代の息吹や昭和のノスタルジーが感じられる漫画作品でその後アニメ 化・映画化された西岸良平の『三丁目の夕日』(西岸1975)は、テレビや電化製品が普及 する1955(昭和30)年から1964(昭和39)年にかけての高度経済成長期の下町が舞台とな っており、本作品とは対照的な作品であると言える。 1.2 ストーリー 本作品の大まかなストーリーは次の通りである。 退院が近い入院中の母親を空気のきれいな場所で過ごさせるために、父親とともに田舎 の一軒家(和洋折衷住宅)(5)に引っ越してきたのが小学6年生のサツキと4歳のメイであ る。オバケ屋敷のようなその家には「ススワタリ」(まっくろくろすけ)がいたが、父親 はお化け屋敷に住むのが小さいときから夢だったという。メイは庭で2匹の不思議な生き 物(中トトロと小トトロ)を見つけ、その後をつけると森の奥の洞穴にさらに大きなトト ロが眠っていた。メイは大喜びでサツキと父親にこのことを話した。雨の日の夕方にサツ キが傘を持ってバス亭まで父親を迎えに行くと隣でトトロもバスを待っていたが、しばら くするとネコバスが来てトトロはそれに乗って去っていった。そして、サツキとメイはト トロにもらったドングリを庭に蒔いたが、真夏の夜の風の強い晩にトトロたちがやって来 て一瞬のうちに大木に成長させ、トトロは二人を抱いて野山を飛び回った。その後、父親 が大学で講義の日に病院から電報があり母親の一時帰宅が延期になったことを知らされ る。メイは病院にトウモロコシを届けに向かうが途中で道に迷ってしまう。サツキは村の 人たちとメイを探すが見つからないので、トトロに助けを求めたところすぐにネコバスを 呼びメイのいる場所へ連れていってくれた。ネコバスは二人を病院まで運んでくれたが、 木の上から病室をのぞき母親の無事を確認したサツキとメイはお土産のトウモロコシを窓 際に置いて家に帰った。 このように、本作品は戦後の日本に残る自然や伝統的な世界観を背景に幼い姉妹と家族 の愛、そして奇妙な生き物たちとの交流を描いたファンタジー映画である。 1.3 登場人物 作品の中心となっている草壁家は娘の草壁サツキ(声:日高のり子)と草壁メイ(声: 坂本千夏)、父親の草壁タツオ(声:糸井重里)、母親の草壁ヤス子(声:島本須美)で構 成される。サツキは12歳(当初は10歳の設定であった)、メイは4歳、タツオは32歳とい う設定になっている。このうち、長女のサツキはしっかり者で活力のある魅力的な少女、 次女のメイは寂しがりやである一方で頑固で忍耐強い子どもである。タツオは大学の非常 勤講師をしている考古学者でヤス子とは学生結婚である。ヤス子は体が弱く、おそらく結 (5) この住宅は2005(平成17)年に愛知県で開催された「愛・地球博」の長久手会場で「サ ツキとメイの家」として再現され、その後も「愛・地球博記念公園」において公開され ている。
核で七国山病院に入院中である。その他にも隣の農家の少年カンタ(声:雨笠利幸)、そ の母親(声:丸山裕子)と祖母(声:北林谷栄)などが登場する。また、人間以外のキャ ラクターとして、この国に昔から住んでいる生き物(6)であるトトロ(声:高木均)、中ト トロ、小トトロ、そしてススワタリ(まっくろくろすけ)やネコバスが登場する。 2 .父親のモデルとなった考古学者 サツキやメイの父親である草壁タツオは娘たちを愛しており、お化け屋敷に住むのが小 さいときから夢だったという子どもっぽさを残した人物である。仕事については書斎に本 が多いため小説家であると思っている人が多いが、実際には考古学者である。しかし、タ ツオは当初から考古学者という設定ではなかった。1987(昭和62)年の「演出覚書」に 「もの書きを職としている。一作目の成功で作家生活に入り、いま二作目の長編にとり組 んでいる」(宮崎1996b、405頁)とあるようにタツオの仕事は当初作家という設定であっ た。これに対し、「準備稿」では「若い考古学者。大学で非常勤講師をやりながら、翻訳 の仕事で生活している。今は革命的な新学説の大論文を執筆中。縄文時代に農耕があった という仮説を立証しようと週 2 回の出勤以外は書斎にとじこもっている」(宮崎1988b、 415頁)となっており、短期間に設定が「作家」から「考古学者」に変更されたことがわ かる。そのため、書斎には縄文土器の写真が飾られ、考古学や関連分野の書籍が乱雑に積 まれている。また、タツオが外出する際に被っている帽子(布製のサファリハット)は、 その当時の多くの考古学者がフィールドワークの際に着用していたものである。 タツオのモデルとなったとされる考古学者については諸説あり、森本六爾(1903~ 1936)、藤森栄一(1911~1973)、戸沢充則(1932~2012)、T.A. 氏(1946~)がその候補 としてあげられる。このうち、森本六爾は1903(明治36)年奈良県織田村(現桜井市)に 生まれ、旧制畝傍中学(現畝傍高等学校)を卒業後、小学校の代用教員となり、1924(大 正13)年に上京して東京高等師範学校の考古学者三宅米吉の副手となったが1929(昭和4) 年の三宅の死後職を辞している。考古学研究会(のちの東京考古学会)を創立し、雑誌 『考古学』を主宰して多くの考古学者を育成した。弥生時代研究を専門とし、現在では定 説になっている弥生時代の稲作農耕についての学説を発表している。1936(昭和11)年に 結核により若くして逝去したが、在野の研究者であり「考古学の鬼」とも称された森本 は、松本清張の小説『断碑』(松本1972)の主人公木村卓治のモデルとなっている。 同じく在野の研究者で森本の薫陶を受けた藤森栄一は1911(明治44)年長野県上諏訪町 (現諏訪市)生まれ、旧制諏訪中学を卒業後、上京して東京考古学会に入会する。1936 (昭和11)年に葦牙書房を設立して森本の『日本農耕文化の起源』を出版した。1943(昭 和18)年に出征し、1946(昭和21)年の復員後は故郷の諏訪で諏訪考古学研究所を設立 (6) トトロについては<演出覚書>で「森の中でのんびりくらし、ドングリを熱愛する。普 段は人の目には見えないが、たまたま姿を見た者に、もののけと錯覚されたりする」(宮 崎1988b、415頁)とある。また、インタビュー記事「トトロは懐かしさから作った作品 じゃないんです」における「トトロも縄文人から縄文土器を習って、江戸時代に遊んだ 男の子をマネしてコマ回しをやっているんでしょう(笑)」(宮崎1988c、再録501頁)と いう宮崎の発言からトトロが少なくとも縄文時代から生きており、それぞれの時代の人 間と交流があったことがわかる。
し、発掘調査や執筆活動にあたった。藤森は多くの考古学者を育て1973(昭和48)年に逝 去している。『旧石器の狩人』(1965)、『かもしかみち』(1967)、『石器と土器の話』(1969) など考古学の専門家だけでなく考古学愛好家にも大きな影響を与えた著書を数多く出版し ている。また、出土資料の分析から新たな学説である縄文時代中期の「縄文農耕論」を提 唱し、考古学界で注目された。 戸沢充則は1932(昭和7)年に長野県岡谷市栄町に生まれ、戦後故郷で藤森の教えを受 けた(7)。諏訪青陵高校(旧制諏訪中学)を卒業後、明治大学文学部に進学し、1961(昭 和36)年に明治大学文学部専任講師、1968(昭和43)年に文学部助教授、1976(昭和51) 年に文学部教授となっている。その後、明治大学の文学部長・学長を歴任し、2012(平成 24)年に逝去している。専門は縄文時代や旧石器(先土器)時代で1976(昭和51)年に多 摩湖遺跡群の調査団長となり、その後も多摩地方の遺跡の発掘調査団長を歴任し、2000 (平成12)~2002(平成14)年には日本考古学協会の「前・中期旧石器問題調査研究特別委 員会」の委員長を務めている。さらに、わが国の考古学界ではT.A.氏がタツオのモデルで あるという説も根強い。T.A.氏は東京都生まれで都内の中学校元教諭、明治大学の非常勤 講師を務めた人物であり、(財)トトロふるさと財団の理事でもある。考古学や縄文時代 の概説書、武蔵野の縄文時代遺跡に関する書籍、さらにはわが国の考古学史に関する書籍 など数多くの著書を執筆している。 これに対して監督である宮崎と日本の考古学の関係については、「風の谷のナウシカ」 公開後で充電中であった宮崎が1984(昭和59)年の『平凡パンチ』の「日本人がいちばん 幸せだったのは縄文時代」という記事において、自らの読書遍歴の中で考古学者の藤森栄 一と植物学者の中尾佐助、さらに植物生態学者の宮脇 昭の著作が好きであると述べてい る点は注目される(宮崎1984、260~261頁)。この中で宮崎は藤森について、その著書 『かもしかみち』(藤森1967)(図2)をあげ、この著作によって考古学が「一篇の美しい 叙情詩」であることや藤森が縄文中期農耕の存在を指摘したことに感銘し、縄文時代がナ ラ林文化を背景として日本の歴史の中で一番安定しておだやかに生きられた時代であった と宮崎は述べている(8)。さらに、宮崎は照葉樹林文化(9)を提唱した中尾の『栽培植物と 農耕の起源』(図3)(中尾1966)にも大いに感銘を受けており、これによって藤森の説が 実証されたとまで述べている。そして最後に宮崎は「藤森、中尾って人は、歌舞伎とか能 とかそんな衛生的できれいな日本とはちがった日本があったんだ、と教えてくれた」(宮 崎1984、再録版262頁)と述べている。また、中尾の著作について宮崎は、1988(昭和63) 年の「呪縛からの解放―『栽培植物と農耕の起源』」という文章で、自分にものの見方の出 発点を与えてくれた一冊の新書として紹介しており(宮崎1988a)、同年のインタビュー記 事「トトロは懐かしさから作った作品じゃないんです」でも照葉樹林文化について語り、 (7) 戸沢の恩師である藤森栄一に対する評価については、藤森の死後まとめられた論考(戸 沢1974・1978)を参照されたい。 (8) その後、宮崎は1996年の司馬遼太郎との対談「トトロの森での立ち話」においても藤森 について言及している(宮崎1996a)。 (9) 照葉樹林文化の提唱やその後の展開については、田畑久夫(田畑2003)や佐々木高明 (佐々木2007)の論考を参照されたい。
中尾の著作が戦後日本の閉塞感から自身が解放される契機となったとも述べている(宮崎 1988c)。このように藤森や中尾の著作が宮崎に感銘を与えたことによって、『となりのト トロ』の中に「ナラ林文化」を背景とした豊かな森や安定した食料資源としてのドングリ の利用にみられるような縄文的な自然観がこの作品に反映され、父親の職業も小説家から 考古学者に変更されたと考えられる。 タツオのモデルについては、「準備稿」における「縄文時代に農耕があったという仮説 を立証しようと週2回の出勤以外は書斎にとじこもっている」(宮崎1988b、415頁)とい う記述からタツオのモデルは藤森が有力ということになるが、タツオには藤森のような明 治生まれというイメージはない。確かに黒縁の眼鏡がタツオと藤森の共通する特徴ではあ るものの、当時のタツオの年齢が32歳であることを考えれば、タツオは1911(明治44)年 生まれの藤森と1932(昭和7)年生まれの戸沢の中間の世代ということになる。これに対 して、戦後生まれではあるが、都内の大学で非常勤講師を務め、専門が関東地方の縄文時 代研究者であるT.A.氏も有力な候補となる。叶精二は「宮崎が尊敬する考古学者で縄文農 耕起源説を唱えた藤森栄一の影響を反映された設定と思われる」(叶2006、115頁)と述べ ているが、以上の検討結果を考慮すると特定の人物がタツオのモデルとなっているわけで はなく、タツオは藤森を中心にT.A.氏など複数の人物が重なり合って出来上がったキャラ クターであると考えるべきである。 3 .アニメ映像にみる考古学的要素 3.1 タツオ所有の書籍 考古学者であるタツオが所蔵する書籍がどのようなものであるかについては、作品に登 場する書籍の表紙や背表紙のタイトルを判読することによって知ることができる。以下で カットごと(宮崎1988b)にタイトルが判読できた書籍について紹介する。 図2 『かもしかみち』 (藤森1967) 図3 『栽培植物と農耕の起源』(中尾1966)
①3Aカット 作品冒頭の引っ越しのシーンである。オート三輪車の荷台に紐をかけた書籍が積ん である。向かって左側の束は『世界文学全集Ⅱ』『少年少女名作Ⅲ 小公子』『少年 少女名作Ⅴ 三銃士』など子どもたちの書籍であるが、右側の束の背表紙に『○○ 古代史』『文化と風土』『土木出版 鉱物Ⅰ 佐藤〇〇』『土木出版 鉱物Ⅱ 佐藤 〇〇』『関東地方の地○○』『写真大〇〇』とあることから考古学者であるタツオの 所有する書籍であることがわかる。なお、鉱物図鑑は先史時代を専門とする考古学 者の必需品である。 ②279カット タツオの書斎のシーンである。背表紙のタイトルが判読できる書籍は、左側の本棚 では上の段から『〇〇古代』『日本〇〇』『コンティキ〇〇号』『奥羽山脈』『東北の 古代史』『日本○○○』(3冊)『和英辞典』『アク・アク』『アイヌの○○○』(2冊) 『現代国語辞典』『和泉の須恵器』『縄紋土器』『中国〇〇〇』(2 冊)『九州の 〇〇〇』、右側の本棚では上の段から『奥の細道』『関東地方○○』『武蔵野の歴史』 『古代の食○』『古代の農○』『古代の狩猟』などと読める。 ③280カット 同じくタツオの書斎のシーンであるが、本棚に背表紙のタイトルが判読できる書籍 はないものの、机の上に『森と農耕』という背表紙の本が置かれている。 ④283カット 書斎の机の上にメイが花を置くシーンであるが、開いた書籍に遺跡分布図らしき図 版が見える。その隣に遺物の写真図版らしきものがあるがその遺物が何であるかは 不明である。これが考古学の専門書であることは明らかである。 ⑤373カット タツオが書斎で原稿用紙に向かって原稿を書いているシーンである。ここでは机の 上に『考古学』という表紙の書籍が置かれている。 ⑥653カット タツオが書斎で原稿用紙に原稿を書いている夏のシーンである。開いて見ている書 籍のタイトルは『古墳○○』である。また、机の上に『纒向遺跡』『飛鳥』『○○辞 典』、スタンドの下に『言海』(明治時代の国語辞典)が置かれている。背後の左側 の本棚に『〇〇食文化』『食と〇〇〇』、右側の本棚に『縄文の〇〇』(3冊)など と読める本がある。 3.2 作品に登場する縄文土器 次に、本作品には複数のシーンで縄文土器らしき画像が登場する。以下でカットごと (宮崎1988b)に紹介する。 ①279カット タツオの書斎のシーンである。メイを見送るタツオの背後、すなわち机が接してる 壁の奥に飾ってある縄文土器らしき写真である。この縄文土器は明褐色の深鉢形土 器で口縁に把手(4単位)があり、奥の把手のみ大形であるが形状は判然としない
(蛇をモチーフにしている可能性がある)。胴部全面に斜行沈線文が施文されている ようであるが、その方向は中央の垂線を境に左右対称である。色調や文様から縄文 時代中期の縄文土器のイメージに近い。 ②280カット 同じくタツオの書斎のシーンである。メイを見送って立ったまま原稿に目を通し、 その後座るタツオの背後(①の写真の反対側)に別の縄文土器らしき写真が飾られ ている。この縄文土器は暗褐色の浅鉢状の土器で口縁は6単位の波状になっており、 胴部上半がくびれ「そろばん玉状」になっている不思議な形状である。胴部に縄文 は施文されていないようであるが、縄文時代後期後半の縄文土器のイメージが反映 されている可能性がある。 ③342カット メイがクスノキの根っこの穴から転落して着いたトトロの住みかのシーンである。 中央にトトロの尻や尻尾が見えており、それをメイがぼんやり見ている。向かって 左側に大小2つの土器が並んで置かれているが、右側のやや高い位置にある穴の中 にも土器が1点置かれていることがわかる。 ④367カット 342カットの3点の縄文土器のうち左側の2点がアップとなり、その中から中トトロ と小トトロが顔を出すシーンである。絵コンテには「スミの縄文土器みたいな器の 葉っぱのフタがもち上り 中トトロとチビトトロ メイをうかがう」とある(宮崎 1988b)。このうち中トトロと小トトロが顔を出した左側の大きな土器は頸部がやや すぼみ、口縁に向かって開く甕形土器である。口縁部の作りや色調、さらに胴部に 縄文が施文されていない点は異なるが、全体の器形や頸部の一部に「工字文」に類 する文様が施されていることから縄文時代晩期の大洞A式土器のイメージが反映さ れている可能性がある。さらに、右側のやや小形の土器は口縁に向かって開く深鉢 形土器であり、全面に縄文が施文されていることが確認できる。器形や文様から縄 文時代前期あるいは中期の土器のように見える。また、3点すべての土器の口部に 大きな葉が掛けられており中は見えないが、これらがトトロが採集したドングリを 収納する容器であることはエンディングで確認できる。 ⑤653カット タツオが書斎で原稿用紙に向かっている夏のシーンである。タツオの背後の壁に土 器のような写真が飾ってある。下部に文字があるためポスターなどの印刷物である 可能性があるが上部がカットされているため詳細は不明である。 このように、本作品に登場する「縄文土器のような器」(10)については、甕形か深鉢形 の土器でその色調や形態からわが国の縄文土器のイメージが反映されている可能性が高 い。ただし、それらは特定の縄文土器がモデルになったとは思われず、絵コンテにもその (10) 「それは2つのイメージボードからはじまった」(宮崎1988b)の438頁に「トトロもね、縄 文人から縄文土器をもらって、それにドングリを入れて、これは便利なものだっていっ て、ズーッと使っている」という宮崎の発言がある。
ような指示もないため、作画者が縄文土器をイメージして描いた創作であると考えられ る。なお、タツオの所蔵の書籍も含め、これまで紹介したシーンの原画担当については、 メイがトトロと出会う342カットおよび367カットのみ二木真希子氏であるが、残りのカッ トの原画担当者は不明である(叶2006)。 3.3 その他の考古学関連シーン 本作品には、その他にも次のような考古学に関連するカットがある。 ①671カット ドンドコ踊りで芽を出したドングリの若い木をサツキが描いたスケッチ(着色され ている)である。左から「クヌギ シラカシ コナラ マテバシイ」の順に描かれ ているが(11)、これらは縄文人が採集し、食料としていた落葉広葉樹や照葉樹のド ングリである。芽を出したドングリを「ドングリ」として一括せずにその種類まで 詳細に描いていることから、宮崎が「照葉樹林文化」や「ナラ林文化」を背景とし た縄文の世界に傾倒していたことが窺える。 ②719カット サツキが病院から電報を受け取り、大学で非常勤講師をしているタツオに電話をす るシーンである。電話先が考古学研究室であることは「もしもし考古学教室です か。父を、あの草壁をお願いします」(宮崎1988b、326頁)というサツキのセリフ で確認できる。また、その大学が当時考古学教室が設置されていた大学であること や校舎の外観から、タツオの非常勤先は戦後の早い時期に考古学の専攻や考古学研 究室が存在した都内の伝統校であることが想像できる。 おわりに 以上示してきたように、わが国の国民的アニメ作品といえる『となりのトトロ』には多 くの考古学的要素を確認することができる。具体的には父親が考古学者であることやトト ロがドングリを収納している容器が縄文土器のようなものであることなどであるが、この 背景には既に述べた宮崎監督の縄文時代への思いやその学説や生きざまに感銘した考古学 者の影響があったことは想像に難くない。また、一般に本作品は懐かしさの感じられる子 ども向けのファンタジー作品と認識されているが、本作品はこれ以外にも宮崎のこだわり が垣間見れる作品である。1988(昭和63)年のインタビュー「それは2つのイメージボー ドからはじまった」で宮崎は「ぼくとしては、この作品のうしろに、日本の近代化論の理 屈がこんなにいっぱいくっついているわけ。「トトロ」は、じつはいままで作った映画の なかで、いちばん理屈が多いんです」(宮崎1988b、438頁)と述べ、わが国の近代化に対 する疑問から家族がトトロの住みかを探しに行くときに鳥居をくぐったり、立派な神社に (11) クヌギ・シラカシ・コナラはブナ科コナラ属でクヌギは東北以南、シラカシは関東以西、 コナラは日本全域、マテバシイはブナ科マテバシイ属で西日本を中心に分布している。 ただし、絵コンテでは「シラカシ クヌギ コナラ(ミズナラから変更されている)」と いう順番になっている(宮崎1988b)。
手を合わせることによって明治時代以降の国家神道がイメージされることを避けたとも述 べている。その意味で縄文農耕や照葉樹林文化・ナラ林文化という新たな考古学の学説と の出会いによって戦後の閉塞感から解放されたと述べている宮崎にとって、考古学的要素 が多く含まれる本作品が誕生したことは必然的な結果であったと言える。 参考文献 叶 精二2006『宮崎駿全書』フィルムアート社 考古学の道標編集委員会2014『考古学の道標―考古学者・戸沢充則の軌跡』新泉社 木原浩勝2018『ふたりのトトロ―宮崎駿と『となりのトトロ』の時代―』講談社 櫻井準也2014a『考古学とポピュラー・カルチャ―』同成社 佐々木高明1993『日本文化の基層を探る ナラ林文化と照葉樹林文化』日本放送出版協会 佐々木高明2007『照葉樹林文化とは何か』中央公論社 田畑久夫2003『照葉樹林文化の成立と現在』古今書院 戸沢充則1974「考古学における『地域研究』の方法―藤森栄一の仕事を通して」『信濃』26巻4 号 戸沢充則1978「藤森考古学の現代的意義―通念に縛られた学問観の変革を求めて」『季刊地域と 創造』5月号 中尾佐助1966『栽培植物と農耕の起源』岩波書店 西岸良平1975『三丁目の夕日』(初出『ビックコミックオリジナル』1974年9月20日号より連載 中) 藤森栄一1965『旧石器の狩人』学生社 藤森栄一1967『かもしかみち』学生社(初版は1946年発行) 藤森栄一1969『石器と土器の話』学生社 藤森栄一1970『縄文農耕』学生社 松本清張1972「断碑」『松本清張全集35』文芸春秋社(初出『別冊文芸春秋』43号、1954、原題 は「風雪断碑」) 宮崎 駿1984「日本人がいちばん幸せだったのは縄文時代」『平凡パンチ』7月9日号、マガジン ハウス庫(宮崎1996bに再録) 宮崎 駿1988a「呪縛からの解放―『栽培植物と農耕の起源』」『世界』臨時増刊6月号(宮崎1996b に再録) 宮崎 駿1988b『となりのトトロ絵コンテ集』徳間書店 宮崎 駿1988c『ロマンアルバム「となりのトトロ」』(宮崎1996bに再録) 宮崎 駿1996a「トトロの森での立ち話」(司馬遼太郎との対談)『週刊朝日』1月5 ・12日号(宮 崎1996bに再録) 宮崎 駿1996b『出発点[1979~1996]』徳間書店 宮崎 駿(原作)・久保つぎこ(文)1988『小説となりのトトロ』アニメージュ文庫