円測の五性各別思想―円測思想に対する従来解釈の
再検討と基教学との比較―
著者
橘川 智昭
学位授与大学
東洋大学
取得学位
博士
学位の分野
文学
報告番号
乙第129号
学位授与年月日
2001-03-14
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003997/
学 位 請 求 論 文
円 測 の 五 性 各 別 思 想
P ト 則1 し りi I タ■) る 仰 米 解 釈 内 内 検 丁卜 ■': 刄 紗 学 と の 比 較
円測の五性各別思想
円 測 思 想 に 対 す る 従 来 解 釈の 再 検 討 と基 教 学 との 比
略 S 人 雨. 続 蔵 日 職 汗 仏 学 倣 仏 今 印 仁、研 人 \\-新 脩 人 蔵 経 人 目 本 校 職 経 ( 賊 経 川 硲) 日 本 人賊 紆 人 円 本 仏 教 令 八( 鈴 木 学 術 財 団 ) 位 田 仏 教 夕 占 印 度 学 仏 教 学 研 究
I
新 羅唯識の 研究状 況
A はじめにB 円 測 1 伝 記2 著 作3 教 学 D 目次
1 7 ″ l ` a \u訳 系 思 想 ・ 新 訳 系 思 想 の受 容 態 度 を め ぐっ て … … …… … … …4 b チ ベ ッ ト 訳 資 料 に も とづ くC 他 経 疏 との 比 較 研 究 b 1) 『仁 王 2) 『仏 説 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 賛』 d 『成 唯 識 諭』に e そ の 他 … ……4 後 世へ の 影 響 而 10 慧 沼『成 唯 識 論了 義 灯』と の 関 連 -a 華 厳 宗 ( 法 蔵 教 学 ) 13 C 日 本1) 行 信 c 遁 倫 2) 『成 唯 識 論 同 学 紗』 18 5 円 測 研 究 の ま と め … … … …20 E 勝 荘 ‥ 26F 道 証G 太 賢 H 新羅唯 識の研究 状況 総括 ………
II 円測 教学 にお け る
一
性皆成 論 と五 性各別論A
円測の基本立場に対する従来見解と問題点
1 現 行 の 円 測 理 解 28 30 34 ・56 2 円 測 思 想 に 対 す る 皆 成 的 解 釈 の 問 題 点 … …… … … …59B 『解 深 密 経 疏』に お け る一性 皆 成 論 と7 £性 各 別 論 … … … …61C 従 来 解 釈 の 再 検 討 1 1 従 来 研 究 に -3) 理 性 と1 E 2 従来解釈の再検討 a 『涅槃経』等の悉有仏性説に対する解釈箇所の問題 1) 悉有仏性説に対する 真如法身仏性と行仏性 -2)親 光 等 造『仏 地 経 論』 4)従来解釈の問 b 『法 華 経』の「無二亦 無三」説 に 対 す る 解 釈 箇 所 の 問 題 1)「無二亦無三」説に対する解釈 ・・2) 従来解釈の問題点 ……… D 『解深密経 疏』にお ける一性 皆成論 と五性 各別論の 再解読 --性 皆 成 論 と 五 性 各 別 論 の 経 論 引 用 の 0 r <9 9 2 『解深密経疏』における一性皆成論と五性各別論の再解読 ………107 m 円 測 の 一 乗 観 A 実 説 一 乗 仮 説 三 乗 と 実 説 三 乗 仮 説 一 乗 1 実 説 一 乗 仮 説 三 乗 と 実 説 三 乗 仮 説 一 乗 ‥… 1 実 説 一 乗 仮 説 三 乗 と 実 説 三2 従 来 研 究 に お け る 解 釈 …・ 3 実 説 一 乗 仮 説 三 乗 ・ 実 説 三 乗 仮 説 一 乗 の 再 検 討 『 解 深 密 経 』 に 対 す る 円 測 釈 と の 関 連- ̄ リmi^a 対 科 136 138 ●●●●●●●●●●140 b 経文に対する円測釈 1) 経文内容と円測釈の内容………145B I 2) 円測釈の問題点 …・・ 146 C 実説一乗仮説三乗・実説三乗仮説一乗の意味 ………150 一乗 教に関する円 測学説 円 測 の一一 C I' IV A 1 2 3 4 2 『顕 揚 聖 教 諭』『摂 大 乗 論』 ま と め と問 題 点
-基の 一乗解 釈 と五性 各別論
179 183 186 B 『人 乗法 苑義 林章』におけ る 一乗解 釈 『法 華 経』『勝 鬘 経』の一乗 説 ( 明 増 減 ) … … …… … … …… … …182 -乗 の 体 性 ( 弁 体 性 )-乗 の 名 字 ( 釈 名 字 ) 『 法 華 経 』『勝 鬘 経 』 の 一 乗 説 に 対 す る 真 実 と 方 便 ( 彰 廃 立 ) a 『摂 大 乗 諭』 a b 『法革経』と『勝鬘経』に対する基の解釈 ………188C 『法華経』の一乗真実と『勝鬘経』の一乗方便 ………189d 『法華経』の一乗方便と『勝鬘経』の一乗真実 ………1945 『法華経』の一乗義をめぐる一性皆成説批判(問答分別) b 基 の 解 釈 c 涅槃経 』の仏性 説に対す る基の解 釈 ………205D 『成唯識 諭掌中枢 要』にお ける:五性 各別論 1 五性各別による諸経論の会通 ………209 1 九性 各 別 に よ る 諸m 論 の 会 述 … … … ……2 瓦性 各別 の 証 文 … … … …… E 基の一乗解釈 と五性 各別論 217V 円 測説 と基説 との比較 ……
240 7I
新 羅 唯 識 の 研 究 状 況
A は じ め に 本 章で 扱 う 新 羅 唯 識 と は 、 新 羅 人 の 学 僧 に よ っ て 行 わ れ た 唯 識 を 範 囲 とし 、 そ う し た 学 僧 に は 唐 で 活 躍 し た 人 も い れ ば 新 羅 国 内 で 活 動 し た 人 も い て 、 し た が っ て 新 羅 国 内 で 形 成 さ れ た 特 定 の 学 派 で は な い 。ま た 、基( 六 三 二 一 六 八 二 ), 慧 沼 ( 六 五 ○ 七 ・四 )、 智 周 ( 六 六 八一七 二 三 ) の 所 謂 三 祖 に よ る 正 系 法 相 宗 と 敵 対 的 に 考 え ら れ て い る 人 と そ れ ほ ど で は な い 人 が い て 、 何 れ も 玄 奘 訳 の 唯 識 論 書 を 中 心 に 注 釈 を 著 し た 人達 で あ り 、 基 本 的 に は 玄 奘 仏 教 に 含 め ら れ る (富 貴 原 章 信[1944] の 目 次 参 照 )。 こ れ ま で の 研 究 と し て は 、 人 物 或 い は 著 作 毎 の 個 別 研 究 が 主 で あ り 、 新 羅 唯 識 と し て ま と ま っ た 研 究 の 段 階 に は 至 っ て い な い。1 こ こ で は 、 円 測 ( 六一 三 一一六 九 六 ) の 研 究 状 況 を 主 とし て 取 り 上げ 、 続 い て 遁 倫 (?一七 〇 五−? )、 景 法 師 、 勝 荘 (? 七 〇三 一七一 三 一一一?)、 道 証 (?-一六 九 二−? )、 太 賢 (?一七 五三一一七 七 四-‥一一) に つ い て 取 り 上げ る 。?B 円 測
新羅人円測のIf成唯識論』解釈はその弟子道証の説とともに慧沼『成唯識論r 義灯』において批判対象として大きく取り上げ られたが、それ故正系法相宗 の教学体系の構築の七でも大きな役割を果たしたと言える。その円測に関する 研究状況について伝記問題から順に見ていく。1 伝 記 現 在で は円 測の 伝 記 と し て。①崔 致遠(八五 七一一?)『故 翻 経証 義 大徳 円 測 和 尚消川文J (以 ド リ 師 西 明寺円 測法師伝 薄塵・ 琲)、 ③ 宋復 (?一一‥--一- 一一 五ト ー?)『大 周西明寺故大徳 円 測法師 仏介利 塔 銘祥序』(以 ド 『塔 銘、1』、④ 曇 頌(?一一二八 五一一? )『 六 学僧 伝,1 の4 腫が あ げ ら れ る 。2 こ の内r 宋高僧伝 』 の 円測伝 は、玄 奘 が 基 の た め に 『 成唯 識lino ,1]を講じ・で い た所に 、 円測か門番 に 贈賄し て 盗聴した という記 述 で あ り 、l廿く か ら 異 系唯識 学 者と し て の 円測 像を 伝え る伝 記 と し て知ら れ て き た 。3 日本 で 最 も 早 く円測 に 着[]し た 妻 木 良 直 【19 】3」は 、 当 時 発 見 さ れ た『譚 日 文,1『塔 銘 』 の 内 容 の 一 部 分 を 紹 介 レ 円 測 は 学 徳 高 い 高 僧 で あ る と し て 、そ れ ま で の『宋 高僧伝 』 の 記 述 は 後 世 末徒の 握 造 に よ る も の と 推 理 し た(「譚 日 文」は 明 治 四 三年 に 朝 鮮 よ り 将 来 さ れ た 『 湖 南 道 求 礼 智 異 山 大 華 厳 寺 事 跡 』 所 収 、『塔 銘 』 は 続 蔵 第 二編 乙 第 二 二 套 の 佐 伯 定 胤・中 野 達 慧 共 編 『玄 奘 三 蔵 師 資 伝 叢 書l ド 巻 所 収 』。 特 に『塔 銘 』 に は 、 円 測 は 譚 は 文 雅 、 新 羅 国 王 の 孫 と さ れ 、 十 五 歳 で 人 唐 し て 長 安 の 法 常 ( 五 六 七 一六 四 五 )、僧 弁 ( 五 六 八 一 六 四 二 ) の 許 で 摂 論 宗 を 学 ん で 貞観年間に太宗 に 度 さ れ て 僧 と な っ たことを はじ め 興 教 寺 の 円 測 塔 建 立 ま で の 経 緯 が 記 されて お り、『宋 高 僧 伝 』 で は知ら れな か っ た 新 し い 円 測 像 が明ら か に された 。また 妻木論 文 と ほ ぼ 同 時期 、羽 渓 了 諦[1914] [1916a]も こ の二資料 を 取り卜 げて、主 に『塔 銘』 に依りなが ら円 測 の 足 跡 に つ い て 詳細に紹 介し た 。鎌 田 茂 雄[1987]も、円測伝 の 資料と し て『宋 高 僧 伝 』 は 信 川 で き な い と し、│r消日 文』『塔 銘』 によっ て 伝 記を考 察 すべ き で あ る と し て そ の 足跡に つ い て解説 し て い る 。4 ま た申賢 淑1 1977 ] は、り れ 」文j を中 心資料と し て円 測の 在 家時 代 につ い て検討 し 、 少 年時 代に花 郎で あ っ た点 及び郷実は鶏林で あ っ た点 を 指 摘レ さ ら に 鶏林が 国 吋 で は な く地 城 名で あ る という問 題に つ い て 詳細 に 検 討し てい る 。 近 年 、木 村清 孝I 1990]は 、『塔 銘』に よっ て円 測の足 跡 を 追 い な がら智 眼 ‘ 法蔵と の 接 点 の可 能 性を探っ ている 。 ①人 唐 後 はじめ に 法 常 ・ 僧 弁 について 学んだ と される 点 …… 法 常 は 智 幟 の 師である 。 ②地 婆 詞 羅 (Divakara )の訳 経 を助 ける べ く招かれ 証義の 役 に 当 たったとさ れ る 点 … …i去蔵 は 地 婆 詞 羅 と と も に人法界 品の梵 木を校 勘 し 旧 訳『 面厳 経』( 六 十 華 厳 )に 欠 け た 部 分 の 補 訳 を 遂
行 し、こ の補 訳 から 発 展 し た もの が 地 婆 詞 羅 訳『人 方 広 仏 華 厳 経F 続1 人法界611J 』 ‥一巻で あ る。 ③実叉 難 陀 (Siksananda) 訳『新 華 厳 経J (八十 華厳 )を 講じ そ の最後 ま で行か ない 内に萬 歳 通天元年 (六九 六 )イム授記 寺で没した とされ る 点……『新華 厳経.1 の訳 出は 証聖元 年(六九五 )束 都 大 内 大 遍空 寺 にお い て で あ り、 則人武 后の 筆削を 経 て決定版が出 来 だの が 聖暦二年(六九 九) でこ の時 に は 法蔵も 参内してい る( 則天武后 は じ め一群の人 々 から法 蔵が 円測の後 継 者 と目さ れ た可能性)。 な お 、稲葉正 就I 19511は 直 接 の 伝 記研究 で は な い が 、一然 (一 二 〇六一一 ニ八 九)r ミ国遺iり 巻 こ、 孝昭王 の 項 の1 時 同測法師是海 東高 徳以牟 梁 里 人 故 不 授僧 職'Iと い う 記 述 に 着 目 し 、l同測」を 円測と 同一人物と 見 な した上 で、 こ の 記 述 が円 測が朝 鮮に 帰 ら な かった理由 で は な い か と 考 察 し た。稲葉 氏 は 。r 塔 銘』 の[新 羅 国 王 之 孫 也j の 記述 と矛盾 す る と し な が ら『三国 遺 事』の 説 を 採っ てい る。木 村[1990]も 同 様 の根拠 か ら『塔 銘』の 出 自 の 説 が 疑 わしい という 点 について触れ て い る。 以1-より、 円 測の伝 記研 究 は 、『宋 高 僧 伝』に よって 理 解 さ れ て き た 異 端 者 とし て の円測 像が定 着 してい た こ と が 背 景 と し て あり、 この点は 法 相 宗 の 伝 統 の中で定 着し て き たと 思 わ れ る が、そ れ に 対 レ 主に 宋 復『塔 銘』、崔 致 遠『譚 日 文』の紹 介 に よって 円測を再評価 す る方向で進め られた と言える。実際には 。 『譚 日 文』の内 容 は 讃 美的 傾向が強 過ぎ、『塔 銘』の 方 が史実を伝え る資料 と し て 扱 わ れ る。し か し厳密 に言え ば、妻木 氏等 の言う様に『宋 高僧伝』の盗 聴 説 が 握 造であ る こ とは 可 能 性と し て は あ り 得 る が 、『宋 高 僧 伝』の円 測伝 自体 悪 評 の み に 終 始 し て いない し、『塔 銘』『譚日 文』だ けを正 説 と し て採 用 す る 理 由 も 説明 出 来 る も の で は な く、盗聴説 を 学問 的実 証的に 否 定 出 来る ほ どでは ない 。 した がっ て円測伝研究 の現 状は、い宋 高僧伝j 『六 学僧伝』以 外の 資料 紹 介 に と ど まっ てい る段 階と言え る。ま た、稲葉氏 ・ 木 村氏が提示 した 様 な『三 国 遺 事』と の 対 比 によ る 出 自の問 題 など、 確定 し にく い 点 も多 く今後の課 題 は まだ 残 さ れて いる。 2 著 作 現 存 す る 円 測 の 茜作 は『解 深 密 経 疏J ( 巻 八 冒 頭 部 と 巻一 〇全 て は 散 逸 、 続 蔵一一三四一四 ∼ 瓦 、三五… 一一、 韓 仏 全一-■、II'解 深 密 経 註丿 金 陵 刻 経 処 ・一九 一一七 年')、 腿>£ 経 疏J ( 大 正三 三、 続 蔵一一四 〇一一一三∼ 四 、 韓 仏 全一)、『仏 説
般 若波羅 蜜 多 心 経 賛』( 大 正三 二、 続 蔵 −一匹ト ‥ 四、韓 仏全一一)であ る が、 散 逸 文 献も 含めた著 作 総 録と し ては 、 羽渓了 諦I.1916al 一一五部、忽 滑 谷 快天I I930I ・三部 、 富貴原 章信1.1944 」 一四 部 、 古田 道興[1976a ] 一六部、東 国 人学 校19821 鎌 田 茂 雄[1987 」- 八 部 など先 行 研 究の間で一致し て いな い。ま た巾賢淑1973 は唯 識 関 連の著 作に限定 した 撰 述 者 別 総 録であ るが 、 そ の円 測の 項で ー二部 を あ げ て い る。上 記 の研 究で 参照され た 根 拠 をもう一度 確認 し な がら、さ ら に諸 目録 等 を再 検討 し て確定 され るこ と が 望 ま れ る。7 ま た 、 結 城 令聞[1962 に 占 津 宜英[1992] は 、従 来 基 の撰述 と されてき た に成唯 識論別抄,1 ( 続蔵 一一-一一七 七-‥/{) に つ い て 、円 測『成唯識論別 章』(散 逸) と 同 本 の日J能性が あ る、と い う指 摘を行った。し か し な が ら 、『成唯 識論 別抄』 に は 、円測 り戊唯 識論疏J (散逸 )の断片 資料と明ら か に 相 違 す る 学 説 があり 、 円 測 作とは 考 え に く い と 思 わ れ る。゛ 3 教 学 a Ill訳 系 思 想 ・ 新 訳 系 思 想 の 受 容 態 度 を め ぐ っ て 円 測 教 学 の 特 質 と し て 従 来 の 主 流 と な っ て き た の は 、 真 諦系の 学 説を重視し て一一切 皆 成 説 を 唱 導 し た、と い う理 解で あ り、そ し て新訳 旧 訳折衷 型 と 言わ れ、 こ うし た 点 こ そ が 暴系 教学 と の根 本 的な相違 で あ る と し て 従 来 定 説とな っ てき た。9 円 測 の 教 学 に つ い て日 本 国 内で 最 もいく 発 表 し た のは 羽渓 了 諦[1916b] で あ る。 羽 渓 氏 はO 判教 論 、2)五種 性 論、3) 八識 論 、4) 識変論 、5)種子論、6) 薫 習 論 の6項目を 逞て て円 測学説の特 徴を論じ て い る 。 こ の内 特に、O 判 教 論に お い て 、 三時 教 判 を 説 き な が ら も 空有の両 思 想を融合調 和しよう と し た と し、2)/l 種 性論 に お い て、 円 測が瓦性 各別に賛 同 せ ず一性皆成説を 鼓 吹しよう とし た のは 最 も 注 意 を は ら う べ き で あ る とし、さ ら に、実 説一一乗 仮説 三乗の教 と実 説 三乗 仮説- 乗 の 教 と の両反対 説を巧み に調 和 した という 点にお いて唯 識 に立 場を据え な が ら も ー乗 教 の 根 本 観念 た る丿 唯皆 成 説を取り入 れてい たか らだ と 論じ た こ と は、それま での 法 相 教学 で収 り卜 げられて こな かった 円 測 像であり、 羽渓氏が こ の論文で提 起 し た 新 し い 見 解であ る。円 測 か 一切 皆 成 を 唱 導 したと す る解 釈 は 、『解深密 経』巻二、 無 自 性 相 品 に 対 す る 箇 所の 『解 深 密 経 疏』の
内容(真 諦 系 の ・切皆 成説 と 玄 奘 系 の 五性 各 別 説を説いた箇所 )を根 拠とす る も のであ る 力卜 n≫ そ の後長 く、 多 方 面 から の再 検証が なされ る ことなく 定 説 とな り、日 本だ けでな く韓 国の研究者に も定着 し た。と も かく こ の 羽 渓論 文は 、 そ れ まで法相宗 に 対 す る 異端と し て の み扱われて き た円 測の緻密 な教学を再 評 価して匪に知らし め た 点 に お い て人き な 意 義 を有す る も の と言え る。また 李 萬[19881 も 、 新 羅叩 識を概観 す る中で 、円 測を 瓦性各 別を 否 定 し た も の と 位 置 づけてい る が 、 基本的に は 羽 渓 説 に依 拠し て 論 じ て い る こ と が そ の 註 に よ り 知 られる。な お 貞 城 兄[1969 」も同 様の 立 場 に 位 置 づ け な が ら 検 証を行って いる。 実際 、 円 測の に解 深 密 経 疏J に は、 玄 奘以 後 の 経 論 だ け で な く真諦 訳 の 経 論 が きわめ て多く引川さ れてい て 、 こ の 点 に よって も、 円測は真諦 系 思 想を積 極 的に 受容しな がらH」訳 新 訳 折 衷 の 態 度 を 採った も の と し て 見 な さ れ る 傾向 が強 まっ た と思 わ れ る。し かし近 年、現 存 す る 文献 を より厳 密 に 再 検 証 す る こ と に よっ て、円 測の基 本 的立場 は 真 諦では な くて やはり玄 奘の側 で あ る す る 見 解 や 、 五性 各 別 を認 め て いるとす る 指 摘 も 行 わ れ る よ う に なって き ている。 こ れには まず、 木 村 邦 和 氏 に よ る一連の研 究 が あげ られ る。 い978]は『解 深 密経疏』所 引の 真諦の逸 文に的 を 絞って 論 じ 、119791 il981ajで は吉蔵 、 潅頂、 円 測の 『仁[モ経 疏』 にお け る真諦 説の継 承 状 況の対 比 を 行い、 そして [1981b][1982a I に お い て 、『解 深 密 経 疏』に 引 用 さ れ る真諦系経 論 が 。 円 測 によっ て ど のよう に扱 わ れ な がら引用さ れ て い る の か と い う 問 題 に つ い て 、三 六八箇 所 に 及ぶ引 用 の 全 て を精密 に検討 し ( こ の ほ か 巻一〇の 散逸部 分 中 の 一 九箇 所 も 稲 葉 還元漢 文 により 追加 検討 )、さ ら に1 1982b]で『仁 王 経疏』中 の 一〇九 箇 所全 て の検 討 を 行って、以 下 の よ う に 結 論 づ け た。 『解 深 密 経 疏J (│1981bJ 「1982a」)… …I)真諦 学 説 は 円測にお い て あ る 程 度 評価 さ れて いる。2 )し か し そ の 評価は 、 新 訳唯 識と同一の 説 で あ る 場 合 と 新 訳 唯識 の 中 に該当 す る も の が無い と 考 え ら れ る 場 合 で あ る。3)し た が っ て 新 訳唯 識と 相 違 す る 場 合 は斥け られる。4 )ilし 、l 円 測に とって そ の相違 が 重 要 と 考え られてい な い 場 合 は、 両者 の相違 が そ の ま ま 認 め られる。5)2 ・3を 重視 する と、真諦 の学説 は 円測に とって 新 訳唯 識の体系 を構築 す る 場 合 の補足 説 と し て 用 い て い る。6)1-4 を 重視す る と 、円 測か新訳 か ら遊 離し た面を 持 っ て いる こ とが 認 められ る。フ)し か し これは円 測か人生 の前半 を旧訳唯 識の研究に 捧 げ 、 既にそ の 分野で著 名な学僧となって い た時に、玄 奘 の帰 朝によって新訳唯 識 を 学 ぶ後 半生 を 送 る こ とに なった と い う時 代 的背景によってもた らさ れ た ことで もあ ろ う。そ の 点 か ら言えば 、│日 訳の 学説を多 く 引 用し、 後の新 訳家から批 判 される必然性も内 包 してい たと言え る。8 )円 測 自 身の 意識とし ては 、 新 訳 唯 識 を 重視し、そ の中で自らの学問 体 系を構 築 し よう と し て い た こ と であ る。
『仁一ミ│経 疏、I[I 1982bI ]) … …1滝 で あ る と し さ ら に 次 の三点を結 論と し て付 加し た 。1 )B'解 深 密 経 疏』と 比 較 する と、 引 川 ・ 紹 介す る の み で 正 義・ 不 正義 を決しない場合の 比率 が低く 、引Ill ・紹介は す る が他説 を正義 と し て 真 諦 説 を 否 定する場合 の比率 が 高 い。2)真 諦系 文献の種 類が 、If解深 密経 疏』 に比べ て少な い 3)玄奘三蔵 を 指示 する用 語が 、『解深 密 経疏J の場 合 は│ 人 唐三蔵。1で あ る が『仁 王 経疏』の 場 合は「慈 恩二蔵│ とされてい る。 このよ う に 、円 測の 現 存 著作は 真 諦 系 経論を多く引 用し て い てー一見し ただけ では貞諦 説 を 重視し てい る よ う に 兄 え る が 、 詳細に 見て み る と 、 実 は唯識 理解 の_:では 玄 奘 教 学 を 屯視し た こ と が 分 か る。木 村氏 の一一連 の研 究 は 、本来 真 諦 二蔵 説の中 国 仏 教 史ト。での 位 置づけ を 検 討 す る 目 的 で 行 わ れ た も の で あ る が 、 結 米と し て円 測 教 学の特質を 明らか に し たu な お 、 木 村 氏 と ほ ぼ 同 様 の 研 究に、 橘 川 智 昭I 19941 か あ る。こ れ は│ 解 深 密 経 疏』の『摂 大 乗 論』が 引 用 されて いる 箇 所 に 的 を 絞って 論 じ た も の で 、真諦 訳と 玄 奘 訳 と て ど のよ う な 引 用態 度の相違を円 測が示 し て い るのか 検 討し た も の で あ る。ま た 徐 徳 仙[1996a]1 1996b は 、じ解 深 密 経 疏J の 八 識 説の箇 所 で 、真諦の九 識 説 を 円 測 が ど のよ うな 批 判 を 行って い るか を 検 討した も ので、 その批 判の根 拠 は 法 相 唯 識 の 立場 であ る こ と を 論じ てい る。 次 に、 鄭炳 杓[1999]は 、 そ れ ま で の 殆 ど の 学 者 に よって 新羅 唯 識が一乗家 の方 に 傾 いて いる と評さ れ て き た 点 を 疑問と し 円 測 ・元暁 ・勝 荘・道倫 ・太 賢の種 性 論 を 取り卜げ な が ら検討 し た。こ こ で は、円測『解深 密 経疏』は 五 性 各 別をし っかり と 受容 し て い る と し て、 同 疏の無自 性相品 箇 所 で一乗と三乗の 両 教 説 に 対し て表 してい る見 解は、①一一乗真 実三乗方便と三乗真 実一乗方便 と を 一義 に より融 会しよ う と し て い る 、②八性 各 別は 有 情 の根 機が 未だ 熟 さ ない 時 分 に 約し て説 い た 方 便 説 で あ り、 一切皆成説は不 定種 性誘引の 方便 とし て 少 分一切 に 説い た 教 説とみ て い る 、③経 論と処に よって両 教説 の仮実 の問題 が関 わっ ていてそ れ が一定 と み る こ と は難し い、と指 摘し、 円 測 は 両 教説を方便と して対 等 に 認 めてい る と論じ て い る。さ ら に鄭 論 文では元暁 ・ 勝 荘 ・ 道 倫 ・ 太 賢 の種 性 論 の検討 も 行 いなが ら、 新 羅 唯 識の性 格と し て、一乗 ・三乗の両 教説 を 方便説 と して対 等 に認め それら を融会乃モ 会通しよう と した 中 道 的 な もの で あ っ た と結論づけ て い く。鄭[19981 も同主旨の論 孜であ る。ま た 後 に見る よ う に、吉津 宜英 い991 1 も 、 円 測 を 五 性 各 別 を 認 め た 人としつ つ、 出 来 る だ け 一乗説を 許 容 してい る と見てF 唯 識一乗]と位置づけ る。鄭氏 と吉 津氏の説 は 、 五性 各 別 思 想と一一切皆成 思 想との 調 和 の立場として、 円 測 の 特質を 論じ た も の と言え る。
次 に 、、1f村 誠 に000]は 、 円 測を八性 各 別の側に位置づけた 上 で 、 円測『解 深 密 経疏j と 基 ○戊叩 識 論掌中 枢 要,1 と の 五性 各 別の 議論 内容を 比 較 検討す る こ と に よ っ て 、店 初 期に お け る 五性各別説 の 実態に迫っ た 。 こ こ で 吉村氏 は 、 円 測は仏 性の有 無を論じ る こ と を避け て不定種 性に 着 目 し 、不定種 性説 の 中 に│ 日来 の仏 性 思 想を批 判的に内 包し よ う と し た と し、一方基 は無 性有 情 の不成仏 を 力説 し て ・切 皆 成 論者と 鋭 く対立し た と論じ 、 そ し て両者 の 思想に 差 異 が 生 じ た 背 以 とし て、教義的及 び 歴 史的要 因 の面か ら 考 察 を 行 っ て い る 。 吉村の 論 敦で は 、 唐初 期の叫識 学 派 にお い て 実 際 に は。五性 各 別 説 の 理解にある程 度 の幅 があ っ て 、Ir' r兪伽論、1や『イム地経 論 』 と 矛 盾 し な い よ う に 諸 説 が 論 じ ら れ て い たと い う 有情が あ っ た こ と を明ら か に し た 。 ・切 皆 成 を 唱 導 し て 新 訳l目訳 の 折 衷 を 図 っ た と し て 従 来 定 着 し て き た 円 測 理 解は、①『成 唯 識 論丿 解 釈 を め ぐ っ て 正 系 法 相 宗 か ら 異 端 と さ れ て き た 経 緯 が あ る こ と 、 ②現 存 著 作 に 真 諦 系 資 料 が 数 多 く 引 用 さ れ て い る こ と 、 ③ 慈 恩教学 で 行 わ れ た 一乗 解 釈 の 内 容 が 十 分 に 用 い ら れ な か っ た こ と 、 な ど か ら 正 系 に対 する 位 置 づ け の 整 理 措 置 と し て 結 論 を 急 ぎ す ぎ た も の で あ る よ う に 筆 者 は 考 え る。本 論 文 の 次 尽以 ド にお い て 羽 渓 説 を 詳し く 取 り 上げ て 問 題点 を 論 じ て い く 。 b チ ベ ッ ト 訳 資 料 に も と づ く 研 究 現 行 漢 文『解 深 密 経疏』 は 巻 八 巻 頭 の 一 部 と 巻。一〇 全 て が散 逸し て いるが、 法成 ( 九 世紀 、Chos grub) によっ て 全 巻 チ ベ ッ ト 訳され て チ ベ ット 大蔵経 に 収 めら れ て い る (デ ル ゲ版No.4016, Ti-Di,北京版No.5517, Ti-Di)。 これ により 漢 文の 散 逸 部 分 を補っ て 全体 像を知る こ と が出 来る。12 稲 葉 正 就! 195い は 、法成の チ ベ ッ ト 訳 を取りh げて 現行漢文と比 較し て『解 深密 経 疏.! に 関 す る ド記の諸点 を指 摘し た。 ① 漢 文 『解 深密 経疏』 巻 一 の内容 をチ ベ ッ ト 訳 と比較 す る と、チ ベ ット 訳の方が極 めて 詳細になっ て い る箇所 が 多 く 、こ れ を 調 べ て み る と チベット 訳の内容 の方が円 測の撰 述し た も の であり、 巻 一 の脱 落 箇 所 を 整備 する こ と によっ て、円 測の 二時 教 判が 詳細に理 解 出 来 る。 こ れに よ れ ば円 測は 、第二時 般 若の法 輪 も 実 は具に 二無 性を 説 いた もの であっ て第 三時深 密 の 法輪と理に おいて浅 深 は 無 いとしている 。す な わち般若 と喩 伽 と を三無 性を介し て人き く包含的 な立場 より。一味である と眺 めており、 基『述 記』 が第 二時 教に対し て非 難 的 な言辞 を弄してい るの と対 跳 的であ る。 ② 巻一一 ○ の散 逸 部 分の チ ベ ット 訳 を 見る と、 円 測 は『解 深 密 経』 の如 来 成 所 作事品 を
法身 化 身 受 川 身 の 三 身 門 を 以 て 解 釈 し て い る 。[1 本 香 樹 院 徳 龍( 一 七 七 二一一 八 斤八 )のIf 解 深 密 経 講 讃 』 に よ れ ば 法 身 化 身 の 二身 門 を 以 て 解 釈 し て い て 、 『 解 深 密 経,11の あ り 方 か ら 言 え ば 二身 門 の 方 が 適 切 に 思 わ れ る が 、 後 期 の 思 想 を 包 含し 成 熟 し た 玄 奘 の 『 成 唯 識 論 』 の 唯 識 思 想 に よ れば 、 円 測 の 方 が 玄 奘 に 忠 実 と 思 わ れ る 。 ③ 巻- ○ の 散 逸 部 分 の チ ベ ッ ト 訳 に お い て 証 成 道 理 に 関 する 注 釈 がμtだ 詳 細 で 円 測 は 囚 明 に 精 通 し て い た と 思 わ れ る 。 な お 、 稲 葉 [1976 ] にお い て 、 ① の チ ベ ッ ト 訳 の 方 が 良 い と す る 根 拠 、 及 び ② の 三 身 説 の 問 題 に 関 し て 掘り ト げ た 説 明 が 行 わ れ て い る。 I:記 の 稲 葉 説 の 内 、 特 に ① は 羽 渓 口916b ] にお い て 既 に 指 摘 さ れ た 問 題 で ある が 、 巻 ・の 脱 落 部 分 を チ ベ ッ ト 訳 で 補 っ て 解 明 し た 点 に 意 義 が あ る と 言 え る。 さ ら に 稲 葉 氏 は, ^'解 深 密 経 疏 』 の 現 存 漢 文 と チ ベ ッ ト 訳 と を 対 比し て 法 成 の 翻 訳 形 態 を 調 査 し て 、 稲 葉L 1972a ] にお い て 散 逸 部 分 の 還 元 漢 文 を 作 成 し て 発 表レ 後 に 韓 国 仏 教 全 書 の 『 解 深 密 経 疏 』 の 散 逸 箇 所 に 収 録 さ れ た 。 こ の い972a]で は デ ル ゲ 版 と 北 京 版 と を 用 い 、 論 文 巻 末 の 注 記 で 版 に よ る 異 同 が 示さ れ て い る 。 ま た 、『 解 深 密 経 疏 』 の 注 釈 形 態 は 経 論 の 引 用 に よ っ て 構 成 さ せる 傾 向 が 強 く 、 稲 葉 氏 の 基 本 方 針 と し て は 、 引 用 元 の 原 文 を 優 先 し て そ の漢 文を 当 て は め て チ ベ ット 訳 の 相 違 部 分 を 注 記 で 示 し て い く 形 を 採 っ て お り 、 し たが っ て 研 究 者 は 還 元 漢 文 だ け で は 資 料 不 足で あ る か ら 巻 末に 付 さ れ た 注 記を 常 に 参 照 す る べ き で あ る13 た だ 、 こ う し た 点 にお い て 、 韓 国 仏 教 全 書 に 稲 葉 訳の 漢 文 が そ の ま ま 採 用 さ れ て 利 用 さ れ て い る の は 、 現 段 階 と し て は 未だ 早 く 問 題 が 有 る も の と 筆 者 は 考 え る 。 稲 葉氏 の 還 元 漢 文 は 学 界 に 神 益 す る 所 き わ め て 大 き く 、 同 時 に 現 存 す る 漢 文 につ い て も 資 料 的 不 備 を 指 摘 し た 点 は 大 き な 意 義 を 有 す る も の と 思 わ れ る 。 チ ベ ット 訳 の 方 が 正 し い か 否 か の 問 題 は 、 今 後 十 分 に 掘 り 下げ た 検 証 が 必 要 であ る が 、 い ず れ に せ よ 、『 解 深 密 経 疏j の 研 究 者 に と っ て 、 漢 文 が 現 存 す る 部 分 であ っ て も チ ベ ット 訳 参 照 の 必 要 性 が 提 起 さ れ た と 言 え る 。
C 他 経 疏 と の 比 較 研 究 円測経疏と中国撰述の経疏類との対比によりその注釈形態や内容の位置づけ を論じた研究は、回レE 経疏』 二巻と 卜仏説般若波羅蜜多心経賛J 一巻が主に 対象とされる。 1)『仁 王 経 疏』 『 仁 王般 片 経j に 対 す る 注 釈 書で 中 国 撰 述 の 現 存 資 料 と し て 、 円 測 疏 の 外 に 天台 疏 、 嘉 祥 疏 、 良 肖:疏 が 存 在 す る( 真 諦 疏 は 散 逸)。 は じ め に 、 持杉 兇竜 川973 は 、 本 来 大台 疏 の 成 ぐバこ視 点 を 置 い た 研 究 で 、 天台 疏 が 智 頻 入 滅 以 後 嘉 祥 疏 の 影 響ト に 成 立し た と す る 佐 藤 哲 英 氏 の 研 究u に続 き 、 次 の 段 階 と し て 円 測 疏 と の 対 比 か ら 天 台 疏 の 成 立 を 論 じ た も の で あ る が、 同 時 に 円 測 疏 の 位 置 づ け も 提 示 さ れる 成 果 と な っ た 。 若 杉 氏 は. 1) 天 台 疏 と 円 測 疏 の 科 段 の 比 較 、2) 嘉 祥 疏 と 円 測 疏 と 天 台 疏 の 文 章 の 比 較 ④ 円 測 疏 と 天台 疏 の 文 章が ほ ぼ ・致 し て い る 箇 所 ⑥ 嘉 祥 疏 と 円 測 疏 の 文 章 が 組 み 合 わ さ っ て 天 台 疏 の 中 に 見 ら れ る 箇 所 ⑥ 天台 疏 が 円 測 疏 を 批 判 し て い る 箇 所D) 天 台 疏が 嘉 祥 疏 を 引 用、 批 判 或 い は 採 用 し て い る 箇 所 と い う 比 較 項 目 を 立て 、 特に 円 測 疏 と の関 連 項 目 に 限 定 し て 事 例 を あ げ て 論じ て い る 。 こ こ で は 、 天台 疏と 円 測 疏 で は 全 体 の 科 段 に 著 し い 類 似 が 認 め ら れ る こ と 、 円 測 疏 と 天 台 疏 の 文 章が 一 致 し て い る 箇 所 と 嘉 祥 疏 と 円 測 疏 の 文 章 が 組 み 合 わ さ っ て 天 台 疏 の 中 に 見ら れ る 筒 所 を 合 計 す る と 一 七 五 箇 所 に 及 ぶ が 天 台 疏 が 円 測 疏 を 批 判 す る 箇 所 は 一箇 所 で あ る こ と な ど か ら 、 天台 疏 が 円 測 疏 を 参 照し て い る こ と が 判 明 す る とし 逆 に 円 測 疏 は い か な る 部 分 に つ い て も 天 台 疏 の 影 響 を 些 か も 蒙 っ て い ない と し て 、 天台 疏 は 円 測 疏 の 成し 以 後で あ る と 述 べ て い る 。 次 に 、 武 内 紹 兄 い974a I は 、 良 貨 疏 と の 対 比 を 中 心 と し て 円 測 疏 の 諸 問 題 を 論じ た も ので あ る が 、 唯 識 思 想 の中 国 的 ㈲ 折 、 即 ち 無 著 、 世 親 の 唯 識 思 想 が 法相宗 唯 識 へ と 屈 折 す る 理 山 、契 機 は イ ン ド 的 な の か 翻 訳 な の か 中 国 的 な の か 、 が ど こ ま で 解 明 出 来 る か 、 と い う 問 題 意 識 か ら 論 じ ら れ て い る 。 円 測 疏 の 所 釈 経典 は 羅 什 訳 で 良 貨 疏 は 不 空 訳 で あ る が 、 じ仁 工 経 』 註 疏 の 内 、 唯 識 に 関 説 す る の は 円 測 疏 と 良 貨 疏 だ け で あ り 、 こ の 点 か ら 唯 識 学 的 な 対 比 が 可 能 と な る 。 本論 文 で は 、 良 貨 疏 は 円 測 疏 に し た が っ て 組 織 し た こ と 、 良 責 疏 で 唯 識 説 に 関 説す る 箇 所 は 全 ㈲的 或 い は 部 分 的 に 円 測 疏 を 受 け て い る が 根 本 的 に は 考 え 方 の
違 い が あ る こ と な ど が 知 ら れ る とし ま た 引川典 籍 か ら 見 て 、 円 測 疏で は 真 諦 閔 係が 多 く 特 に 真 諦 の 百二1ミ経 疏J を 全 面 的 に 依 川 し て い る の に 対 し 、 良 責 疏 で は 円 測 疏 の 影 響 を 受 け て い る が 教 義 的 に は 唯 識 よ り も 『 華 厳 』『起 信 論』等 の ー乗家 の 思 想 が 強 く 唯 識 に 関 す る 部 分 で は 当 時 の 法 相 唯 識 だ け が 取 り 上げ ら わた と 述 べ て い る。な お 関 連 論 文 に 武 内[19721 [1974b Iが あ る 。 木 村 邦 和 19781 I 19791[1981a ] は 、 嘉 祥 疏 、 天 台 疏 、 円 測 疏 に お い て 真 諦 説( 真諦 疏 )がどの よ う に 引 用 さ れて 取 り 扱 わ れ て い る の か を 比 較し て 中 国 に お け る 真 諦 学 説 の 継 承 状 況 を 検 討し た 論 孜 で あ る 。 特 に ∩979] で は 、1)『仁 一ミ経』I の 分 科 問 題 、2 )『仁 王 経』の 説時 問 題 、3 )七 賢 居 士 の 徳 行 中 の「二十二 品│ の 解 釈 、4 」 つしI-忍│ の 解 釈 に 的 を 絞 っ て 論 じ た も ので 、 各 疏 の 学 説 に お け る 百諦 学 説 の 位 置 づ け の 変 化 が 提 示 さ れ て い る。ま た 口981a] で は 、三 疏 にお け る 真 諦 説 の 引 用 態 度 を 精 舎 し て 、1)嘉 祥 疏 で は真諦 疏 を 参 考 に し て い る が 貞 諦 疏以 外 の 諸 訳・疏 中 に 説 か れ る真諦三蔵 説 を 引 用 し て ま で 論 を 展 開 す る 必 要を 感じ ておらず 、 ま た 吉 蔵 な り の 敬 意 を 払って真諦 疏 を 見て い た 、2 )天 台 疏 も 嘉 祥 疏と同 様と考 え ら れ る が 、 嘉 祥 疏 に 比し て真諦 疏 説 の 地 位 は 低 い。3 )円 測 疏の場 合は 引 川 頻 度 が 高 い が、 不 正 義 とし て 引 用 す る 場 合 と 正 不 正 の 判 断 を せ ず に 紹 介 す るのみ の割 合が 高 く 、 か つ 比 較 的 正 確 な 引 用 態 度 で あ る 、 と し て い る。 以 上 の『仁王経 疏』研 究 によ れ ば 、 若 杉 説 で は 天 台 疏 は 円 測 疏 を 参 照 す る が そ の 逆 は 無 く 天 台 疏 の 成 立が 円 測 疏以 後 で あ る と 論 じ て い る が 、一方 木 村 論 文 の検 証 内 容 に よ れば 、 反 対 に 円 測 疏 が 天台 疏 の 影 響 を受 け た 可 能 性 も 十 分 あ り 得る のであり、 こ の 問 題 は 課 題 と し て 残 さ れ る。 2 )『仏 説 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 賛』 玄奘訳『般若心経J の中国撰述の注釈は、円測の『仏説般若波羅蜜多心経賛』 『以下r 賛』)のほかにも、慧浄、靖邁、基、法蔵、明礦など多くの人によっ て作られているが、特に同じ唯識学派の観点から、基の『般若波羅蜜多心経幽 賛』(以ト[r幽賛,!) との対比研究が行われている。 占田道興1.1976b Iでは、はじめに唐代の玄奘訳r 般若心経』注釈書を紹介 し 『賛』の科段(四門分別). 基『幽賛』の学説との対比、『賛』の引用経論 の紹介、『幽賛J と│r賛,Jとの関係などについて論じている。特に、『幽賛』 との比較において、護法宗と清弁宗との対比をする箇所で 異なった傾向がある
とし て、 円 測は両宗 の相 違を 認めつ つ も根 底には 同一味で ある とい う考 え を 持 っ て い た とし さ ら にr 幽賛.11とr 賛 』 と の関 係に つ い て、円測が 『幽賛 』を 参照し た日丿能性を指 摘し て い る 。 こ の論文は短 い も の である が 、 円測 の『 賛 』 を中心 とし て取りL げ た も の と し て最 初で あ る 。 次 に、J 二藤 僥勝│。19921は 、 玄 奘 訳 『般 若 心 経』 の 訳出 時点 に 近 い 『 賛 』 と 『 幽 賛,11と 法職のll'般若 波 羅 蜜 多 心 経略 疏J (以下『略 疏』) の三疏 を取 り 上 げ て比較 し た も の で あ る が、 円 測の│r 賛 』 を中心 に し て お り 、『般若 心 経 』 の 教 学 史 上 の 位問づ け 、科文 の 対 比 、本文解 釈の問題 点 を 論 じ 、 最後に 『般若 心 経。!の 本 文と円測ir 賛J の 全科 文 の 対 応 表 を付し て い る 。 工 藤 は 、1』基 と 円 測 は 後 に 正 当 と 異端 と い う よ う に 評価が二分 し て し ま う が 、 両 者 の 立 場 は と も に 護 法 唯 識 をdミ義 と す る『成唯識 論 』 に あ る 。『 般 若 心 経 』 の 位 置 づ け とし て 、 基は 「大 乗 隠 密輪l 、円 測は「無相法 輪│ と 表 現 は 異 な る け れ ど も 第 三 時 唯 識 中 道 の 前 段 階 と 見て 第二時 に 配 当 し 、 法 蔵 の 場 合 は『般 若 経』は 実 教 とし て 高 く 評 価し て い る 、2 )科 文 の 相 違 で は 、 基 は 経 の 註 釈 に 仮 託 し て 法 相 唯 識 の 教 義 を 宣 揚し 、 円 測 は 自 説 や 法 相 の 教理 を 出 そ う と せ ず 経 の 文 意 に 忠 実 に し た が っ て 解 釈 し 、 法 蔵 は 纂 と 円 測 の 中 間 に 位 置 し て い る 、3)円 測 だ け が 、 観 自 在 菩 薩 は 実 の 菩薩 で は な く 仏 陀 釈 尊 の 化 身 と 判 定 し て 仏 説 とし て お り 、 こ のこ と か ら 『賛』の 表題 に『仏 説 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 賛 』 と し てF 仏 説 」 の 文 字を冠 し て い る 、 と い う 点 な ど を 指 摘 し て 論じ て い る 。 d 『成 唯 識 論』に 対 す る 解 釈 慧沼『成唯識諭了 義灯』との関連-法相教 学 から円 測 が 異端 視されるよう に なった 発端 は 、慧 沼 が『成 唯 識 論了 義灯』で 円 測 の『成唯 識 論』解 釈を批 判し た こ と である。 既に 見 た よ う に 、 前傾 羽渓1.1916bl は 円 測を皆 成説唱導 者 と して 提 起し た 最初の 論 文 で あ る が、さ ら に、3)八識 論 、4) 識 変 論 、5 )種子論 、6 )黒 習論の 項 にお い て円 測の哨識 学説 及び『成 唯 識 論丿解 釈の 実像を論じ てい る。本 論 文で は、 八識 論 ……^I 帝の九 識 説 批 判 、 第 八阿 頼 耶 識 の 能 蔵 の 解 釈 、 識 変 論 … … 四 分説 の解 釈 、 種 戸論…… 種 子六義の 果 倶 有・ 恒 随 転 、 表義名言習 気・ 顕 境 名言 習気、 本有新黒 説 の解 釈 、黒習 論 … … 所 煎 匹I義の 堅 住 性の解 釈 、 能薫四義の 有 勝 用の解 釈 な ど の問 題 を 取 り 上げて、 基 ・ 慧 沼 の学説 と 対 比 し な がら、 円 測 説の 特 徴を 示 し 、 そ し て、 慈 恩 ・ 西 明 両 釈 に 何 等 異 な る 所 が 無 い に も 拘 わらず
慧沼が 偏 兄に よって批 判し ている例、叫 明 説 の 方が 慈恩説 よ り も勝 れて いる 例 など を指 摘し て論じ て い る。こ の羽渓論 孜 は 占く大l[時 代に発表 され たもので ある が 、 それま で賢 端 々と し て の み見られて き た円 測に対し 、 皆成 説唱 導 の問 題などの根 本 的 相違 点 の 提起を 行 う と と も に、一一方で は唯 識学 の 面から も 再 評 価してい く 方向で論 じられ て い る。 次 に 、『成 唯 識 論川 の阿 頼 耶 識説 を め ぐ る唐 代 諸家 の解 釈 内容を 明ら か に し た 詳細な 研 究として結城令聞1 1931a」が あ げ られる。内容 は、1)唐代に 於 け る 唯識 の 諸 学 派 、2 )第 八識のここ位 、3 )異熟能変論に 於 け る 慧観道 証(神墓)恵沼 等 の 異 説 と日本並に 新 羅 の唯 識学 系 に就て 、4)頼 耶三相の 総 説 に 於 ける慈 恩 西 明の異 解と恵 沼 太賢 の 所 説 を 評 す 、5 )頼 耶の自 相論 に 於 け る 慈 恩 西 明 両 派 の 論 争と義 寂 玄 範 太 賢 等 の雑染 論 、6)慈 恩 西明 両派 に 於 け る 頼 耶 の 果 相 論を評 す、 フ)阿 頼 耶 識 の 囚相論、8)頼 耶 囚相の│一囚 分 別 論, 9)頼 耶三相 の 種 現 通 局 論 、10) 頼耶三相の囚 果 位 通 局 論、 の 十項 目 から成り、 慈 恩 系 教学と 円 測 解 釈 と の 相 違 に つ いて多 く 論じ られてい る。 ま た 、長谷 川 岳 史氏の一一連 の 論 文 は 、 円 測 に主眼 を置い た 研 究 で は な い が、 転識 得 智 問 題そ の他の検 討 に より、新 た な 円 測 像 を 提 示 す る 結 果 と なっている。 い995bl は 、 唯 識学 派 で行 わ れ る 転 識 得 智 に つ い て 第八識→大 円 鏡 智 、 第 七 識→平等性 智、第 六 識 →妙 観 察 智 、前 五 識→成所作智 と す る 説( 正 説 )に 対 し 、 こ の内ma 識→妙 観察智 、 第 六 識→成 所 作 智 と す る 説 ( 異 説 ) が あ っ て『仏 地 経 論』に は 排 斥 す べきも の と 説 か れ る がir大 乗 荘 厳 経 論』『無性摂 論』の 原 形 に は 異 説の方が採られてい た と す る 先 行研究 を 承 け 、 中 国唯識 諸 家 に お ける転 識 得智 の 異説に 対 す る 見解に つ い て検討 し た も の で あ る。こ れ によれば 、基『述 記』と 智 周『演 秘,1は 異 説 を排斥 す べ き と す る 立場 で、慧 沼『了 義 灯』と 円 測 説(『成 唯 識 論 本 文 抄』所 引の円 測説)は 正 説 と 異説 と を 会 通 させ よう と する 立場 だったとし 、さ らに 慧 沼『金 光明最勝王経 疏J には異説 を採る 記 述 が あ る と い う。[1996]は 、 こ れ に も と づ い て、r同学 紗J の諸見解の問題まで 議論を 進め た も のであ る。なお関 連 論文 に、長谷 川 F」994)[1995a]があ る。 さらに長谷川 I 1998a に よれば 、 慧沼『了義灯』 の円 測 批 判の内容に は 円 測の真説 と してみて問題点を 含んでいる こ と が知られる。す な わち『成 唯 識 論』 中のF 本来 自 性 清 浄 涅 槃│ の ト 一切 法 相真如 理」 の解 釈をめぐ り、基 の 実相真 如説 を 採用し た 慧 沼 が円 測の通 相 真 如 説を批 判し てい く 中 に 、 通 相真如と別 相 真如 の 両説 を円 測か 有し てい た ように 批 判されていて、 後 世『同学紗』等で 議 論される よ う に な る が、太賢 『成 唯 識 論学記、│及 び 忠 庵『成 唯 識 論 述 記 紗』(『本 文抄』所 引 )の円 測説 によ れ ば 、実は 、 円 測 説 と しては 通 相真如 と実相真如の 両 釈だった可能 性が見え て くる。 この 問 題 は 長 谷 川[1998b]でも 論じ られて
い る。 次 に橘 川 智 昭I 1998! は 、特に教 体 論を収り ヒげて、慧 沼 の引 用した 円 測説 が 実 は円 測 白 身の 学 説 と は 異 な る も の だった可 能 性を論じ た も の であ る。 慧 沼 の批 判に お け る円 測の 教体 論は 摂 妄帰貞・ 摂 相 帰 識 ・ 以 仮 従実・三法 定体 ・法 数出 体の/l門説で、さ らに 玄 奘 説 にお い て前三門を 各々二門に開い て ( 摂 妄 帰 貞・貞門差別、 摂相 帰 識 ・識相差別、以 仮従 実・仮 実 差別) 計 八 門 説 と したと 円測か 説 い たとする 。し か し 現 存 す る『解深 密 経疏』で は 五門説 の方も 玄 奘 説 の紹 介の形で出されていて、さらに、E 成唯識 論 学 記』で 示 さ れ る 円 測 説 は 、 基の四 服出 体に二法出 体を加え た 丘門説、す な わ ち 摂相帰 性・摂 除( 境 )従 識・ 摂 仮随 実・性川別 論・ ミ法 出体の 五門に なって い る。 こ う し て こ の 論 文 で は 。 『了義灯』所 引の円 測の五門説は 円 測 の『成唯識 論 疏』に 本 来 無 か っ た 説 で 、 円 測の 貞説と し ては じ成 唯 識 論学記』に 示 さ れ た も のであ る 可 能 性 を 論じ た。 さ ら に、『了義灯』 の円 測 説 が こ の よ う に 歪 められ た 原 因 として 、 道 証『成 唯 識iiHB 要 集』 か ら の孫 引きに 由 来 す る 可能 性 も 提 示 し た。 従 来は慧沼 のa イ 義灯』を 通じ て円 測の 『成 唯 識 論』解 釈 が 論じら れがち で ある。 し か し以 トの研究 の内 、 特 に 長 谷 川I 1998」橘 川[19981 に よって 、『了 義灯』 の批 判 内 容か ら姥だ 円 測 像や引 用 文そ の ものに は 円 測学 説 の資 料 と し て 信用し にくいものが 含ま れてい る こ と が 分 か る の で あ り、そ れ 故他の 諸 資 料 も 参照しな がら、 円 測の 真意 す な わ ち『成唯識 論 疏J (散逸 ) の 本 当 の 内 容 は ど うだったのか とい うことを ひ と つ ひ と つ 検 証 し て い く 必 要性 が示さ れ た と言え る。 e そ の 他 以L の論孜のほか、様々な視点から円測教学を扱った研究が行われている。 はじめに、 吉田道興I 1976a]は円測教学を概観した短編の論孜で、主に伝記 紹介・著作認定・現存著作の内容から論じられたものである。特に、現存著作 三本における引川経論を網羅的に調べ 上げ 部門別に整理し直しているのは円測 教学の背景を知るL で有益である。また、リプlミ経疏』の中に新華厳の引用を 見出して最晩年の著作であると述べており、これは前掲の木村[1990]におい て円測か晩年に未定稿の新華厳を講じたとする問題と重なってくる。 また吉田道興「1977] い978] では、唯識教学における止観という視点によ って円測教学を取りL げている。ただ、占田氏の関心は禅定思想ないし 禅観で
あり、 喩 伽 止iiを 天台 削 観等 と と も に禅 観 の一一種と し て究 明 す ること を 課 題と し てい る。19771 では、r解 深 密 経丿 分 別 喩 伽I I I中 の 、 止 観と作意 によ る 除遣 相、函観と 空観に よ る除 遣 相、1 I観- と三摩地に つ い ての 関連の 部 分に対 す る円 測の解 釈について述 べ 、 次 に、 円 測の師匠 の一人で ある法 常 の師の 曇遷に 着 目 し、 隋 文帝の代に禅定 与が建て ら れそ こ で曇遷 が禅 法の再 教育者と し て任 命さ れた点 、回楊 伽経,1の疏を 著し た こ と や『大 乗 止 観論』の著があったと され る こ となどから達 磨 系 の禅と 天台止 観と の関 係が 深 い 点 な どをあ げ て 、 円測が 曇 遷の 禅と[■解 深 密 紬り 分別喩伽 品から影 響 を 受 け て い た 可能性 に つ い て 論 じ て いる。さらに, ・II解深 密 経』の 序品以外の全て は『喩伽論』摂 決 択 分 に 含まれ てい る が 、 この こ とから[1978] に お い て 、 同 経 の分 別喩伽品 の一節 に 関 し 、r 解 深 密 経 疏J の円測 説 や 、 道 倫『喩伽論 記』所 引 の 基・恵景・神 泰・ 文備・ 郭法 師の 学説 及び道倫説 を 対 比 して、 唐 代 唯 識 諸 家 の 解 釈 を 論 じ て い る。 次 に、 大 鹿 実 秋I 1979] は 、『解 深 密 経 疏』に 引 用 さ れ た『維 摩 経』に 関 す る論 破であり、そ の半分 以 との 紙 数 に お い て 、 引 用 経 論の側 面 か ら『解 深 密 経 疏』 の概 観 を 行い、 後半部 に おいて 、『解 深 密 経 疏丿 所 引 の『維 摩 経』を紹 介 し て い る。 │゛解 深密 経疏丿 概観 で は 、 引 用 経 論 を 抽 出 し て 大正蔵の部 門 順 に 整 理さ れて い る が網 羅 的では な く 、 さ ら に 、 円 測 か 慧 遠『維 摩 義 記』に 依 拠 し て いる という き わ めて 重要な問題 を提起 し て い る も の の 、 そ の根 拠の提示まで 行 われていない 。ま た『維 摩 経』の 引 用 を 論 じ る 箇 所 で は 、 そ の 引 文 紹介が 主 と なっている。この大 鹿 論 文 は 、『解深 密 経疏』に お け る『維摩 経』の 意義を究 め る こと に よっ て、 円測自身の 説 法観、ひ い て は そ の仏身 観、言語観(仏音観) 等の 諸 思 想 を 明らか に す る こ とを目指し た も の と言う が引文 紹介に終 わっ てお り惜しま れ る。 しかし 慧 遠『維 摩義 記j と の 関 連 や『維摩 経』の 位 置 づ けな ど、 非常 に 重 要 な 視点 が 示 さ れ て お り 、 今後の 新 し い 課 題 が提 供 され た と言え る。 徐 徳仙[ 1996alは 、B'解 深 密経疏』の 八識説 を扱った研究 で、特 に 第七 阿 陀 那識 と 第 八阿 梨 耶 識の栄 性 梨 耶の 真 諦 説 に対す る円 測の批 判の内容や 各々 の 学 説 の根拠 と して 貞諦 訳・玄 奘訳の論 書の内容 ま で掘りドげ て比 較 検討し た 。関 連論孜 に [1996b]が あ る 。 そ の他、円 測教 学 を扱っ た研究 と し てド 記の も のが あげ られ る。 Shotaro lida [19861 " ・ 浄念清 敬I 19881 ■曹敬子 [1991]
4 後 世へ の 影 響 山i 本項では、円測教学の後世への影響について、唐・新羅の唯識以外を取り上 げた研究成果を見ていく。 a 華 厳 宗(法 蔵 教 学)等 はじ め に 円測教 学 の萌厳宗へ の 影 響 と し て は 、 法 蔵 ( 六 四三一七一二)教学 との 関 連 を 論じた研究 に 限 定 さ れ 、い ず れ も 華厳研 究 者 に よって 行 わ れ ている。 法蔵 は 玄 奘 系 の 新 訳唯識 の 摂 取 を 図って 性相 融会 を 試 み た とさ れ る が 、 木村清 孝I 19901では 、 新 た に円測 教 学 と の 関 連 に 着 目 し て 、 円測『解 深 密 経 疏』と 法 蔵『華 厳 経 探 玄 記.1と の 教体論 の 部 分 を 対 比 し た。『解 深 密 経 疏』の教体 論 はi 摂 妄 帰真門│ ∼│ 法 数 出 体」の 五門 説 で 、『探 玄 記』は「言詮 弁 体 門」∼ 「主伴 円 備 門」の川J.説で あ る が 、木 村 氏 は 法 蔵 の 十 門 の 内 第J 一(言詮 弁 体 門 ) ・第二(通 摂 所 詮 門 )・第 四( 縁 起唯心 門 ) と 円 測 の五門 中 の 第五(法 数 出 体 ) との箇 所の対 応 関 係 を 明 示して 、 法 蔵 は 基 の 教学に も 目 配り したりす る 部 分 も ある が 、 基 本 的 に は 円 測教学 を 援用し 部 分的に は 円測の 論 述 を そ のま ま自 ら の 体 系 に 組 み 入 れていると し た。16 な お 、 第三(遍該 諸 法 門 ) 及 び 第 五 ( 会縁 入実 門 ) 以 下 は 智 綴の思想を 自 ら の観点 にお い て 纏 め あ げ 組織 化し た色彩 が濃 厚で あ る としてい る。 また吉津 宜 英I 199い は 、法蔵r 探玄 記J を 論 じ た 箇所にお い て円 測 を取 り 上げ て い る。法 蔵 は 華 厳別 教一乗の 立 場 か ら 法 華・涅槃等 の一乗義を 批 判 す る が、 この論 文 は さらに 進 めて、 円 測 … …1唯i識一乗義〈一分 会通型 〉、元暁 … … 不口If 一乗義〈全面会通 型〉、 法宝… …fi\槃一乗義〈 全面 対 決型 〉、と い う類型を考 え て いき、こうし た 円 測・ 元 暁 ・法 宝 の一乗義 を、法蔵が批 判した所 の一乗大乗 説と 見な し て い る。 こ の類 型 は法蔵説ではな く、吉津 論 文に お い て独自に考 察 さ れ た も のであ る。ま た円 測の 逞場を「唯 識- 乗義│ と命 名する のも 独自 説で あ る が、 こ れ は円 測を石性 各 別: を 認 め た三乗家 と しなが ら、 華 厳天台 のよ う な 純粋な一乗家では な い が出 来る だけ一乗 説を許 容 する点 から唯 識一乗家と 考え られた も の で あ る17 そのほ か 、 華厳宗 と の関 連では な い が 、 根 無一力[1986]が あ げられ る。 こ れは法宝 の『 一乗 仏 性 究 竟 論』 を収 りL げ 、その時 代 背景を 検 討した 論 咬 で あ る。根 無 氏に よれば、 石 山寺本 の『一乗 仏 性 究 竟 論』 に 示さ れてい る一性 皆 成
論と 五性 各 別 と の 証 文 が 、 円 測 のr 解 深 密 経 疏 』 の も の と ほ と ん ど 一 致 す る と し 、法 宝 が 円 測 のじ解 深 密 経 疏』を 直 接 参 照 し て い た 証 明 に な る と 論 じ て い る 。]H 以 ヒを 大 き く 兄れ ば 、 一 乗 の 教 学 が 構 築 さ れ て い く 背 景 に 円 測 を 位 置 づ け よ う とす る 研 究 の 勤 き と 言え る 。 b 敦 煌 ∼ チ ベ ッ ト 円測教 学 の 敦 煌仏教 へ の 影 響面を明ら か に した 論 文と し て 、 曇礦( 八世紀 ) 教 学 と の 関 連 性 を 論 じ た 結城令聞 「1931b」が あ げ られる。 曇礦は 、河西地 方 出 身で長 安 に 遊 学 し 西 明寺 に 住 し て唯 識を 学 ん だ が、安 史 の乱( 七 五 五一七 六 三) 以 後 、 河四 地 方 が チ ベット に制圧 さ れ た た め 。 敦 煌 で の 活動を 余 儀なく さ れ た 人であ る。結城論 文 で は、敦 煌出上 の『大 乗 百 法 明 門 論 開 宗 義 記』に あ ら わ れ た 著 昔曇啖 の唯識 思 想 が い か な る 学 系 を継承 し て い た か を 決 定 するた め 、 四 点 に 着 眼しな がら教 理内容 を抽出・検 討 レ そ れ が 円 測 の 流 れ を 汲 む も の で あ る と 結 論づけ た19 こ の 論 文 に お け る 着 眼 項 目 と 各 々 の 項 目 で検討され た 教 理 項 目 は 、1)慈 恩 西 明 両 学 派 に 異 論 が 無 かった 為、両学派 の 何 れを 継承 し た か 不 明 で あ る が、現 存 し て い る 慈 恩 学 派 の文 献と そ の 発 表 方 法 が極 似 す る もの …… 外道 の 十 六 異 論 、内道 の 八 宗 分別 、 四重二諦、〈心〉の解 釈 、2)慈恩 西 明 両 学派 に 異 論 が 有った に も拘わ ら ず 曇礦が 慈 恩 学 派 の 説を 採用する 場 合… …法 の 〈軌 持〉の 解 釈 、3 )或 る問 題に つ い て両学派に 異論が 有った か 否 かは 不 明であ る が曇礦 の 学 説 が 慈 恩 学 派 の 学 説 と一致しない 場 合… …経律 論の三蔵 と三蔵 所詮 の三学と の配肖、4 )両 学派に異 論が有って曇礦が西 明の 学 説を 採用 し て いる場 合 ……『摂 大 乗 論J の 。意-識計 の解 釈 、 阿 頼 耶 識の能 蔵 所 蔵の関 係の解 釈20 阿頼耶識 の 能 蔵 所 蔵 が ー切畷習 位 (八地 以上)に通 ず るか 否かの問 題 、 と な って い る。 次 に、長 尾雅人[19531 は 円 測 教学 の流伝 を 主眼と し た研 究では な い が 、 チ ベ ッ ト に 残 る唯 識学 と し て、 ツォ ンカ パ (‥一三 瓦七一一四 一九 、Tsong kha pa ) の『意 と阿 頼 耶と の難 解の個 所を釈 す る善説の海 (Yid dang kun gzhi'i dka' ba'i 「gya cher 'grel pa legs par bshad pa'i rgya intsho」』 の内容を 検 討 レ そ こ に 紹 介 さ
れた 真 諦 の九 識説 が円 測r 解 深 密 経 疏』 にもと づいて解 説 さ れてい る こ と を 明 らかに し た。チ ベ ット は 中 観 が主 であ る が 、 特 に 漢 土 の 唯 識学に 関 す る ツォ ン カパの 知 識 は局限されてい て 、真諦 思 想 につい て は 法 成 蔵 訳 の 円 測 疏 を 通 じ て 触 れて いたこ と を 長 尾氏 は 論 じてい る。な お 同 論 文 中 で 、同 じ ツォ ンカ パ の『了
義未了 義論、」│に『解 深密経』 が頻 繁 に 引 川されて 屡々 円 測 疏に した がっ て 註解 し て い る こ と を指 摘し た 点 も 着目される 。 ま た稲葉正 就I 1972b Iは 、敦 煌 ・チ ベ ット 方 面への 円 測 唯 識学 の流伝経緯 とい う視 点に 娃っだ も ので、1 )曇鴫の唯 識学, 2)円 測の『解 深 密 経 疏』と 法 成 のチ ベット訳、3 )法成の唯 識学 、4 )ツ ォ ンカパ の唯 識学 の項 目 によっ て論じ て い る。前述 の よ う に稲葉氏は、 円 測『解 深密経 疏』の 法 成 訳 に 取 り組みそ の 敵逸 部 分 の還 元 漢 文 を 発 表 し た が 、 こ こ で は そ の 訳文か ら 見 た 法 成 の特 徴に 関 する 記 述 が 主となっ てお り 、 漢 文 の 読解に拙い 点 や 経 文 (『解深密経』) 部分 と『唯 識ニト 頌,1の引 川だ け は 梵 文 蔵 訳を用い て い る 点 な どを提 示 し て 法 成 が 純 然 たる漢 人では な い こ と な ど を 論 じ21 さ ら に 、 円測系唯識 を宣揚 し た わ けでは な い が曇岐などの 唯 識 学 者 に よって 円測 疏(『解深 密 経 疏』)が 伝 え ら れ 敦煌 付 近で川い られてい た からチ ペット工の 命 に よ り 訳 出 し た ま で で あ っ た ろ う、と=考察 し て いる。な お曇礦と ツォン カ パ の 項 は 前 掲 の 結 城 い931b] と 長 尾[1953] の成 果 を ほぼ依 用 してい る 内 容 で あ る。 こ の 論 文 は 、 先 行 成 果 も 合 わせ なが ら、〈敦 煌 曇m )〉 →〈チ ベット ( 法 成→ツォン カパ)〉と 円 測 唯 識 が 流伝し て い った 可能 性を提 示した 重 要 な 論 孜 と言え る。22 曇鴫やツォ ンカパ の現 存 著 作 と 円 測 説 資 料 と の 綿 密 な 対 比 に より、 敦 煌・チ ベット 方 面 へ の 円 測 教学の 影 響内容 がよ り 具体 的に 明 ら か に な っ て い く で あろ っ。 C 日 本 1 ) 行 信 、 片 珠 等 飛鳥 ∼ 奈 良 時代の日本法 相宗形 成時の特質 を論じ た も の とし て。 末 木 文美 士[19921 をあ げ る。末木 い992]は 、1) 法 相宗 の 伝来と継 承 、2 )行 信『仁 王般 若経疏』、3)善珠の 教 学一端、の三項 から成り、奈良 時 代におけ る 円 測学 説 の 受 容問題 を取り 上げ て い る のは 、この 内 行信 と 善珠 ( 七二 三一七二九)の項 で あ る。行 信『仁王般 若経疏』の 項では 、特に 玄談 部 分の内 容 を 取り上げ な がら、 この疏が 主 と し て円 測の疏 に 依ってい るこ と、さ らに吉蔵 ・真諦そ の他 の 諸師 の学説も引 川さ れ て い る こ となどを 指 摘 して、当時 既 に基系 教学が 大 幅 に 導 入 され、三論と の対・、yが 生ま れてい る 中 に あっ て、 自 覚 的 に 諸 説の融 和 を は かっ
た 可能 性 を 提 起 す る 。 善 珠 教 学 に つ い て は 、ir唯 識 義 灯 増 明 記 』 に お い て 、 円 測 説を 川 い て 注 釈 を 付 し て い る 箇 所 が あ る こ と 、If了 義 灯 』 で 批 判 さ れ る 道 証 『 要集 』 説を 文 献 的 に 考 証 し て 『 了 義 灯丿 の 批 判 の 不 適 切 を 指 摘 し て い る 箇 所 があ る こ と な ど を 指 摘 し 、 ま た. ft唯 識 分 量 決 』 で も 基 の み で は な く 円 測 説 も 積 極的 に 引 川 し て い る こ と な ど を 論 じ る 。 こ の 末 木 論 文 に よ り 、 日 本 法 相宗 の 形 成時 は 基 系 ・辺 倒と い う わけ で は な く 、 多 面 的 で 自 山 な 研 究 態 度 を 有 し て い たこ と が 示さ れ た。 な お 同 様 の 見 解 は 、 経 論 等 の 書 写 状 況 の 調 査 か ら 奈 良 朝 仏 教の 特 質 を 論 じ た 石 田 茂 作[19301 に お い て も 提 示 さ れ て い る 。 23 ま た 興 福 寺 の 善珠 に 比 肩 さ れ る 人と し て 元 興 寺 法 相 宗 の 大 成 者 で あ る 護 命 ( 七 五 〇 一 八 三 四) か お り 、 富 貴 原 ぴ信 「19441 によ れ ば 、 唯 識 の 人 門 書 た る 『 百 法 論』 の 円 測 疏 一巻を こ の 護 命 が 暗 誦し た 可 能 性 も あ り 、 こ う し た 点 か ら も 当時 円 測 教 学 の受 容 が 広 く 行 わ れ て い た こ と が 推 測 さ れ る。“ そ の 他、 善珠 教 学 と の関 連 で 見 る と 、 平 安 期 の仲 算 ( 九 三 五一 九 七 六) の 新 羅 僧 に 対 す る 態 度 を 論じ た も の と し て 森 重 敬光1994 」 が あ る 。 仲 算 は 天 台 の 良 源と 論 争し た 所 謂 応 和 の 宗 論 で 知 ら れ る 。森 重 氏 に よ れ ば 、善 珠 の『 分 量 決 』 とそ の 注 釈 で あ る 仲 算 の[' 四 分 義 極 略 私 記 』 と を 対 比し て 、 善 珠 の 取 り 上げ た 円 測 説 が 仲 算 に お い て 無 視 さ れ る 傾 向 が あ り 慈 恩 説 に 則 る よ う に な る と い う 。 日 本唯 識 で は 円 測 説 な ど 慈 恩 以 外 の 説 を 会 通し て い く 側 面 が 強 調 さ れ て 取 り 上 げ ら れが ち で あ る が 、 逆 に 慈 恩 教学 を 遵 守し て い く 面 も 示 さ れ た と 言 え る 。 2)『成唯識諭同学紗』 太田 久 紀[ 1971b]は 、貞 慶 (- -一五 瓦‥一一 二 一 三) が編纂者の一人と 目さ れる『唯識 論 同 学 紗j の中に、 円 測 教学 を 肯 定的に扱うよう にな る 傾 向が現 れ てい る 点 を 指摘し た。’ 『同学紗』には六十余 の箇 所で円 測説 が取り 上げ ら れて い る が 、 太田氏 は そ の内 十 七 箇 所に おいて肯定的に扱 わ れてい る こ と を見 出し て、1) IIイ 義灯,1 の中で既に肯定的に扱 わ れてい る もの、2 )何のことわり も無く円 測が取り上げ られる の で、それを認 容 してい る と考えられ る もの、3 ) 西明説 で も 良 い の で は ない かと設 問の聖で出 す も の 、4 )西 明 説 は 慈 恩 説 と 同一 である と す る も の、5 )IIイ 義 灯J で ・ー度 破 せられてい る け れども 、 よ く 見る と 慈恩 説 と同じ だ か ら 容 認しても 良 いとするも の 、6 )『了義灯』で は 破 斥 さ れ て いる け れど も、それ は 円 測 の言い ま わ し が 不 分 明 だ から であっ て、 西 明 の真 意 は 認められて良い とするも の、 フ)円 測 説 も と に か く 筋 が 通 る の だ から認 め て 良
い であ ろ う と す る も の、8 )『r 義灯』り寅秘』 との 関 係で西 明 説 が 認 められて いる も の、と いった八項目 に 分 類し 、その 項 目にし た がっ て『同学紗』の事例 をあ げ な が ら論じ た。本 論 孜 は、 日 本 唯 識の歴 史に お い て 貞慶 ・良遍 (一 一九 四 一一<こ/ト ■.)に到って相宗対 性宗 、レミ乗 対‥・乗の融 即 がはかられ る よ うにな った とし 、そ の 歩 み 寄 り を 法相 教学 の内 面 から 生 み出したも のは 何 か、 と いう 視点か ら 行った 試論であ り 、 こ こ ではそれを理長 為 宗 の精 神だった と 論じ て い る。な お太田[1971a は これと同一主旨の論 孜で あ る。 26 楠淳 沿 い998]も川本 唯 識に お け る円 測学 説 の扱われ 方 を論 じたも の であ る。 はじ め にr 論 第 一巻同学 紗、│乃 ヤ『論第 十 巻同学 紗Ji にお け る二十三の 事 例を 出し 三祖の 定判に 違 背 し て い た た め に 随所に円 測学 説 に 関 す る 論 義 が あ っ た こ と、 ・方, r同 学 紗,11『りのごこ箇 所 の 事例を あ げ て 円測学 説 で も依用される例 があ り げ論 第 ・巻同学 紗 七』の│  ̄無 問 解 脱同断 一障」、『論 第 六 巻 同 学 紗 八』 の[此 則 是 瞰u 『論 第 一巻 同 学 紗 十j の[以 仮 妄 情]). さ ら に ざ同 学 紗』以 外でも、 円 測 学 説 を 依 川 す る 短 釈 が 存 在 す る例を 示 し て (「第 九 識 体」に 関す る貞慶、 興 基 、 好 胤 の・ミ篇 )、 円 測 学 説 が 許 認 さ れ る の は三祖の定 判 に 違 背 せ ず真実 性 が 認 められ る 場 合で あ る こ と を 論 じ 、 平 安 か ら 室 町 期 の 日 本 唯 識 に は 真実 を 徹 底し て追 及 す る 傾 向 に あった た め と し て い るo 楠氏 は 短 釈 の翻刻 ・研 究 を 進 め て おり、 特 に こ れ を検証材 料に用い た 点 に 本論孜 の 特色が ある と 言える。 上記 の二論 孜 を 対 比 す る と 、 ど ち ら も日 本 唯 識にお け る円 測学 説 の肯定 面を 取り 上げ た も の で あ る が 、太 田 論文は三祖の定判で批 難さ れ た 円測説 が 肯 定的 に再 評 価 さ れ て い る 点 に 主眼 を 置い て論じ、 楠 論文では三祖の 定判に違背 しな い 範 囲 に お いて見てい る の が相違 し て い る と言え る。それか ら、『同 学 紗』中 の円 測 説 肯 定 の 例 文 と し て二論文 の間で一致 す る のは「此 則是眼」だけで あり (「此則 是 瞰」は 太田論文では1 )、 また 「西明二障体」は 太 田 論 文では2)に 配 し楠論 文 で は二祖の 定 判 に 違背 する二十三例 文の方に配 する 。 そ の他の例 文で 二論 文 に 重 複してい る も のは 無 い )、し た がって太 田説 で取り 上げ なか った 事 例を用い る こ と に よ り 逆 の側 面を指 摘したのが 楠 説である とも言え るが、 楠 論 文に お い て 太田論 文 へ の言及 は 行 わ れて いな い。『同学紗』にお け る 円 測説 肯 定の問題 は 、事 例を 総 合的 に 取りヒげ なが ら改 めて検 証 さ れ る 必 要 性 が あ る よ うに思われる。 そ の他、円 測説 と『同学紗』との 関 連 に 触 れ る 論 吸として、長谷 川 岳 史[1995a] [1995b][1996] I 1998a I[1998b]が あ げられ る。 以L のよう に、 日 本 唯 識 に お け る 円 測 説 の 影 響 面 を 取 り 上げ た 研 究 は 、 そ れ を 肯定 的に捉え た と見る研 究 が主 であ る が 、 慈 恩 正 系 の 枠 を 超 えて肯定 さ れ た
と す る 太日』│。1971a│ I 1971b]末 木│ 。19921 の 論 吸 と 、 正 系 に 違 背 し な い 範 囲 とし て 見る 楠[1998]と の二通 り に 分 類 さ れ る。 だ が 前 者 の 場 合 、 円 測 説 受 容 の背 景と し て 見 て 古 代 と『同 学 紗 』 の 時 代 と で ど の よ う な 相 違 が 有 っ た の か、 と いう こ と が 問 題 と し て 残 さ れ る 。一方 、 楠 「1998」に 立っ て 末 木 説 と 合 わ せ て 考え て み る と 、‘〈 飛 鳥 ∼ 奈 良 時 代 〉慈 恩 系 解 釈 だ け に と ら わ れ ず 多 面 的 で 自 由な 研 究 の 巾 で 円 測 説 も 依 用 ’→(慈 恩 系 へ の一本 化 )> '〈 平 安 末 期 ∼ 室 町 期 〉 慈 恩 系 解 釈 に 違 背 し な い 範 囲 で 真 実 を 追 求 す る た め に 円 測 説 を も 受 容≒ と い う 様 に、 受 容 背 景 と し て は 時 代 に よ り 変 化し た 可 能 性 が 考 え ら れ る。゛ 5 円測 研 究 の ま とめ 以 上、 円 測 に 関 す る 従 来研 究 に つ い て 、 伝 記 、 著 作 認 定 、 教 学 、 後 世 へ の 影 響の 側 面 か ら 見 て き た が 、 殆 ど が 円 測 を 専 門 に す る 立 場 か ら 論 じ ら れ た も ので はなく 、 諸 成 果 の 間 で 通 じ て こ な い 部 分 の 多 い こ と が 解 る 。 特 に、 占 く 大iH 時 代 に 羽 渓 了 諦 に よ り 円 測 は 皆 成 論 者と 論 じ ら れ、 ま た 、 円 測の 現 存 経 疏 に 真 諦 系 文 献 が 多 数 引 用 さ れ て い る こ と か ら も 真 諦 系 を 重 視 し た 立場 或 い は 新 旧 融 合 の 立 場 と 位 置 づ け ら れ 、 そ う し た 側 面 が 強 調 さ れ て 学 界 に 定着し て き た 。こ れ は 法 相 教 学 と 言 えば 当 然 新 訳 系 で 三 祖 の 定 判 が 基 本 で あ り 、 し か も 円 測 は 第 二 祖 慧 沼 の 批 判 対 象だ っ た か ら 、 法 相 宗 の 分 流 を 理 解 し 易く す るた め の 整理 措 置 と し て 定 着 し て き た と 考 え ら れ る。 後 世 の 影 響 面 に 関 す る 従 来 研 究 に お い て ー乗 教 学 と の 関 連 を 探 っ た 論 吸 が 見 ら れ る の は そ の た め で あ る。 し かし 近 年 に な り 、 円 測 の現 存 資 料 に お け る 真 諦 説 引 用 の 実 態 が 精 密 に研 究 さ れて 、 唯 識 教 学 に 限 定 す れば そ の 殆 ど が 玄 奘 説 の 立 場 か ら 批 判 さ れ て い る と い う こ と が 明 ら か に な り 、 従 来 説 は 少し ず つ 訂 正 の 必 要 が 生 じ て い る 。 2") こ れまで の 唯 識 研 究 で は 、 円 測研 究 の 重 要 度 自 体 低 か っ た た め に 、 専 門 的 な 研 究 の積 み 重 ね が 不 ト 分 だ っ た と 思 わ れ る 。 そ れ か ら、 慧 沼 が 『f 義 灯 』 で 引 川 し た 円 測 説 は 、 大 部 分 が 批 判 を 目 的 と し た も の であ る か ら 貞 意 が 歪め ら れて い る 場 合 が あ り 、 し た が っ て 『 了 義 灯 』 に も と づい て 円 測 の り戎唯 識 論 』 解 釈 を 見よ う と す る と 誤 解 が 生 じ や す い 。 そ れ 故ヽ 円 測 の 『 成 唯 識 論丿 解 釈 の 引 用 断 片 を 蒐 集し た だ け で は、 散 逸 し た 『 成 唯 識論 疏A の 復 元 に は な ら な い。 現 存 す る 『 解 深 密 経 疏 』 等 を 中 心 に 据 え て そ の 他引 用断 片 を 参 照 し な が ら 、円 測 唯 識 を 総 合 的 に 考 え て 真 意 を 探 る 必 要 が あ り 、