太賢 ( 人ft) の 伝 記 は、 謙 順『増 補 諸宗 章疏 録』に『太賢 法師行状』 一巻 が 見出さ れ る が 現 存 し な い。53 ト 三国遺事』に よれば 、喩 伽 祖大徳で 茸 長 寺 に 住し た 大で、唯識・ 囚 明に通じ中華 の 学 士 も 注 目 し た と され 、景徳王 一 二年( 七 斤三) に い が 続 い た 時 、 太賢 に 詔し て内殿 で『金 光 明 経』を 講じ さ せ て 雨を降 らせ たこ と 、恵 恭 王一一〇年( 七 七 四 )に は仏国 寺 に 住し た こ と な ど が 記されるM
ま た、照 遠 (‑にミ○四一 一 三六一一一一?) の『梵網経 下 巻 占 述 記 述 述 抄』に は 有 人 の 説として、 円 測 の 門 弟 道 証 の弟子 で あ る と 記 さ れ て お り 、 申 [1979a] はそ の 照 遠 所 引の相 承 論 が 成立す る 可能 性 に つ い て 論 じ た も の で あ る。申氏に よ れ ば 、「太賢 と同 時 代 に 活 躍 し た 表 訓 が 義 寂 と 同 じ く 義 湘 の 弟 子 で あるな ら ば、円 測→道 証→太賢 の相承論は 成 立する で あ ろ う。太賢 は初めは『華厳 経』
の教理 を 学 び、後 に 道 証 によって唯 識を 学んだ こ と に なる。│と 論じるが論 証方 法に 不明 な 点 が 残 さ れ る 。 55 吉津[1992] はこ の申説 に 対 し て 直接 相 承が無 かった 可能 性 を 提 起 し た。 吉津説は 、七一四年 に 示 寂 し た 慧 沼 が円 測 と共に 道 証を も批判 し て い る の であ る から そ の時 まで に 道 証は 世に知ら れた学者 であ り、帰 朝 し た 六 九二年に は 道 証 は 既に 学問 を 大 成し て いた こと が考 えられる こ と、 太賢『成唯識 論 学 記 』所 引の 先師 に 隨口1こ(も しく は老和上)」 とさ れ る 大 がい て( 六 回 引 用)こ れ を道 証と太賢 と の間の人物と提案す る こ と な どによって 述 べら れ た 考 えであ る。な お こ の 古津説は 既に羽 渓 川917]も 論じた 所であり、
羽 渓 氏 は『成唯 識論 学 記 』『梵 網 経 占 追 記丿 所 引の「和 上」「老 和上」に着目 して、太賢 が こ の 説 を 援引 したば かり で殆ど批 評を加え ておらず 、 翻って 道 証 説の引 用の 場 合 に は批評 し たり 論 破を試 み たりしてい る 点 な ど から、 太 賢 は 道 証の 直弟で は な く こ の和 上 から西 明 ・ 道 証 の 釈 義 を 伝 えられ た 可 能 性 を 指 摘 レ 仮に 道証か ら直接 伝えられ たとし ても あ ま り 親 密では な かった と 推 定し て いる。そ の他 太賢伝を知 る た め の 資 料として 『三国 遺 事』、『述 述 抄』、定 泉『梵 網経 古 述記下巻補忘抄J、 清 算『梵 網 経 上巻古 法 記 綱義 』、 道 峯『太賢法 師 義 記序』 等 を網 羅 的に紹 介し た 論 文 に 蔡 渾 洙[19731 が あ る。56
現 存す る著 作 は \f成 唯 識 論学記』( 続 蔵 ・‑一八〇‑一一‥一一、韓 イム全三)、『菩薩 戒 本宗 要,fl ( 大正四 削 続 蔵一一 一六〇 一一一二、 韓 仏全三)、『梵 網 経 占 述記J ( 大正四
〇、続蔵一一六〇‥ 二 韓 仏全三)、『本 願 薬 師 経古述』( 大正二八 、続 蔵一 一 三五一犬二、韓 仏全ミ)、『大 乗 起信論 内義略 探記J ( 大 正 四 四、続 蔵一一一一一七一 一 四、韓 仏令∧■:)が現 存す る が、 五 十余部百十 余巻 の 著作 を なしたと言わ れ 、題 目 に 多 く 卜占 注 記。│の名が付される。著 作 総 録 は 羽渓[1917] ・申[1973 ]・ 蔡[1973] ・富 殴原1 1944] ・ 束 国 大学校 い982]に お い て検討 されて いる。
次 に 教 学研究 につい て 見 る。羽渓I 1917]で は現存 著作 毎に 注 意を惹 く 特色 を 取 りIこげ 、最後 に 太 賢 学 説 の 特徴に つ い て 総括 的に 述 べ て いる。1)『成唯 識 論 学 記J ……慈 恩・ 西 明 ■道 証 を は じ め 玄 奘・玄 範・ 神 廓 ・元 暁 ■義 寂・宗 廓
・恵 観 等 の 釈 義 を 以て満 た さ れ 太 賢自 身の 新釈義 は多く 現 れ て い な い が 、 諸 釈 の 異 義 に 対 して是 非 の批 判を加え る 点 に よ り 太 賢 の 意 見 を 知 る こ と が で きる。 ま た 本 名 不明の[和hi ト老和上]は 太 賢 の 恩師で あった に 違いな く 、 太 賢 が 道 証 の 直 弟では な く こ の和上 か ら問接 に 西 明 道 証 の 釈 義 を 伝 え ら れ た 可能性 が あ る。2 )『菩 薩 戒 本 宗 要J … … 開 巻 劈 頭 に 掲 げ ら れ る 自 作 の[勇 士 交 陳 死 如 帰 丈 夫 向 道 有 何 辞 初 人 恒 難 永 無 易 由難若 退何却 成 丈 夫 欲 取三界王 当 揮 智 剣 断 衆 魔 吾 於 片 海誓無 畏 荘 厳 戒 筏 摂 諸 方57」の 偶 に よって 、 太 賢 が 学 理 の一面 に 偏 し た 単 な る 学 究 者 で は な く 実践 的方面も 尊 重 し た持戒 堅 固 の 聖僧で あった こ と を 知り得 る。3)r梵網経 古 注 記』… … 著し い特 色は 往々 唯 識 教 義 を 以 て 本 文 が 解 釈 さ れ る こ と で あ り、 また『梵 網経』が 華厳部に属す る 関 係上屡 々 法 蔵・義 寂 の 説 が 引 用さ れる 。4)『本 願薬師経 古述J … … 教 摂に つ い て 南地 師 の 説 を 斥 け な がら、『解 深 密 経』 に言う第三了 義教 を最 上 の も の と 見な す一 般唯識 家 に 異 な ら な い 教判 論 が説 かれる 。5)『起信論 内義略 探記J … …法蔵『起 信 論 義 記j 、 元 暁 ら
章 で は主と し て 法 蔵 の 所 説 を踏襲する 。羽渓氏 は 太 賢学 説 の総 括と し て、 唯 識 教義 を中心 と し な がら少な から ず華 厳 教学 の 影響 を蒙っており、一乗家 の 主張 に 対 し て 調和 的態 度 を 取 った 点を指 摘し、ま た唯 識家 の異義に 対して学派 的 感 情 に駆ら れ ず 、 慈 恩・ 西 明の 説 に対し採る べ きは 採り棄てる べ き は 棄 て 慈 恩 西 明 両学 派 の 異 説 の 長 所 を 綜 合した も の である こ とを 提 起し た 。
羽渓論文 は さ ほ ど 詳細 な 思 想 的 掘りド げ は 行 わ れてい な い が 、 そ れ ま で着 目 されなかった太賢教学 の特 色 を 紹 介し た最 初 の 研究 と位 置づけられ る。た だ 、 一乗家 と の調 和 的 態度 を取った と す る 所で西 明 ・ 道 証と 全く そ の 軌 を一一に す る と論じ て お り 、 こ の点 について 言 えば 、 円 測 説 の 見 直 しと とも に 、『了 義 灯』 所 引 の 道 証 説(『要 集J 』でも そ の ような 学 説 は 見 出 さ れ ず 。 再 考 の 余 地 が 有 る と思 わ れ る。
次 に 、李 萬[1988∩ ま主と し て 太賢 の 仏 性 論 を 取 り ヒげ た 論 孜 で あ り 、緒 言 、I 新羅 唯 識 家 の 仏 性 論 、U 太 賢 の 仏 性 論 、 結 語 か ら 成 る 。 i新 羅 唯 識 家 の 仏 性 論で は 、 元 暁 ・ 円 測 ・ 神 墓 ・ 義 栄 の 仏 性 論 の 概 観 が 行 わ れ 、n 太 賢 の 仏 性 論 で は 、 ○戊唯 識 論 学 記j の み な ら ず 『 大 乗 起 信 論 内 義 略 探 記 』『 梵 網 経 古 述 記j、 さ ら に 善 珠 白准識 分 量 決J や 寿 言 『 華 厳 五 教 章 下 巻 指 事 本 』 所 引 の 太 賢 説な ど を 依 川 し な が ら そ の 特 質 に つ い て 詳 細 に 論 じ て い る 。H 太 賢 の 仏 性 論 で は 次 のよ う な 提 起 が 行 わ れ る。 1)『 学 記 』 に 第 六 阿 頼 耶 識 は 三 蔵 の 中 で も 執蔵 の意 が 最 も 殊勝 な る と あ っ て 、 こ こ に 太 賢 の 仏 性 論 へ の接 近 を 示 唆 し て い る と 見る こ と が 出 来 、 ま た 河珠 『 唯 識 分 量 決 』 所 引 の 太 賢 説 (『 大 乗 心 路 章 』) で は 真性 が 有 為 法 の 所 摂 か 否 か と い う時 に 神 墓 ・ 邁 法 師 ・ 慧 沼 等 と と も に 不 人 の 侃場 を 主張 し た こ と に 注 目 さ れ る。2 )『 学 記 』 にお い て 、 聖 性 の 解 釈 に つ い て 唯識 中 道 の 侃場 か ら 窺 基 説 を 批 判 す る な ど し て い る。3 )寿 霊 『 華 厳 五 教 章 下 巻 指 事 本 』 所 引 の 太 賢 説 (『 涅 槃 経 古 述 記J ) に よ れ ば 、 一 関 提 等 も 仏 法 を 聞 く も聞 け な く と も 仏 性 が 有 る 故 に 成 仏 出 来 る と さ れ る。4 )『 大 乗 起 信 論 内 義 略 探 記』『 梵 網 経 占 述 記,11に よ れ ば 一心 が す な わ ち 如 来 蔵 で あ り 衆 生 が す な わ ち 涅 槃で あ る と 説 い て い る と し 、 そ れ は 大 乗 菩 薩 の 大 戒 を 中 心 理 念 と し て 仏 性 を 論 じ て い る こ と が 特 色 と 訪え る 。
李 [1988] は 仏 性 論 の 問 題 に 的 を 絞 り 現 存 文 献 と 散 逸 し た 断 片 資 料 を 活 用 し た 詳細 な 論 孜 で あ る が 、 し か し な が ら 、 一 部 分 に お い て 、 唯 識 の 基 本 的 な 教 理 概念 が 参 照 さ れ て お ら ず 資 料 を 誤 読し て い る 箇 所 が 見 出 さ れ る 。 例 え ば 上 記 の 内、 第 六阿 頼 耶 が 三蔵 の 中 で 執 蔵 を 勝 と な す と 太 賢 が 説 い た 部 分 に つ い て 見 る と、 こ れ は ゆI頼 耶│ に 能 蔵 ・ 所 蔵 ・ 執蔵 の 三 蔵 の 義 が あ る が 、 正 し く は 我 愛 執蔵現 行 位 の 人( 二乗 有 学 及 び 第 七 地 の 菩 薩 迄 )の 執 蔵 の 義 を 取 っ て「阿 頼 耶 」 と 名 づけ ら れ た こ と を 言う も の で あ り 、 こ の 執 蔵 こそ 最 も 過 失が 重 い か ら で あ る。『学 記』 で は そ の 直 後 で│ 流 転 過 重 故j と 説 か れ て い る が 同 じ 意 味 で あ る 。 これ は、 李 が 述 べ る 様 な 仏 性 論 へ の 接 近 を 示 唆 す る も の と か 如 来 蔵 思 想 の 始 源 など で は 全 く な く て 、 基 『 述 記。Uで も 同 様 に 説 か れ る 基 本 的 な 教 理 で あ る 。 5S
ま た 、『 唯 識 分 量 決.11所 引 の 太 賢 説 の 箇 所 で 、 貞 性 が 有 為 法 の 所 摂 か 否 か 、 とい う 問 題 と し て 李 は 論 じ る が 、 こ れ は 『 掌 珍 論丿 所 説 の 頌 「 真 性 有 為 空 如 幻縁 生 故 無 為 無 有 実 不 起 似 空k'i\の 中 の 最 初 の 「 真 性 」 と い う 語 が 宗 主 辞
( 有 法 ) に 入る か 否 か と い っ た 所 謂囚 明 の 議 論 が 行 わ れ て い る の で あ り 、 真 性 と有 為 法 と の関 係 と か 仏 性 問 題 な ど が 説 か れ て い る の で は な い 。59
次 に 吉 津宜 英 氏 は 、 既 に [1991 1 の 巾 で 、 新 羅 ・ 目 本 に か け て は 元 暁 法 蔵 融 合形 態 と い う 教 学 の 流 れ で 大 き な 影 響 を り え て い る 、 と い う 提 案 を 行 い 、 さ ら にそ う し た 問 題 意 識 に 拠 り な が ら[1992 ] に お い て 太 賢 『 成 唯 識 論 学 記 』 の 教
学的 特 質 を 論 じ た 。 占 津I 1992]で は ま ず 、『学 記 』 所 引 の 人師 の 引 用 回 数 を あげ て 基 説 の 引 川 が 最 も 多 く 円 測 と 道 証 と を 加 え る と 基 に 匹 敵 す る 回 数 で あ る 点 を 指 摘 し ( 基565 川 ・ 円 測439│可 ・道 証146[日卜 慧IS 44回 ・ 玄 範30 回 ・三蔵43 回
・義 寂 口 回 ・ 和 上 も し く は 老 和 上6 回 ・元 暁2 回 ・ 順 憬 陣 ̄ ・ 慧 沼1 回 ・ 景1(司・
郭1回 )、そして慧 沼 説 へ の言及が 少 な く 、 基 と 円 測 ・ 道 証 へ の言及 が 多 い点 に 着目し 、 円 測 と 基 のl.i.]' 片を ー体 化 し よ う と い う 意 図 が 見 え る と し 、 そ の 根 拠 は 元暁 教 学であ る ことを 提 起 し た。 さ ら に 、 こ う し た 会 通 の 姿 勢 を 支 え る 根 本 的 な所 に 几 暁 法 蔵 融 合 形 態というも の が あった こ と を 推 測 し て い る 。 そ の 他、 道 証と 太 賢 と の 開 に 和 上 ( 老和 上 ) を 想 定 す る 提 案 、 基 撰 述 と 伝 え ら れ る『成 唯 識論 別 抄J の円 測 撰 述 の 日丿能 性 の 提 案 な ど を 行って い る ( 前 述 )。
この占津 論 文 は 岡%山 の 具体 的 な 教 学 内 容 に は 未 だ 踏 み 込 ん で お ら ず 、 基 本的 に はr 学記』中の人 師 の 引 川 状 況 の 調 査 結 果 に よって 問 題 の 掘 り 下げ を 行 った 論 孜と 言え る。特 に 大 賢の元 暁 法 蔵 融 合 形 態 の 確 認 の た め に 、①円 測 ・道 証に対 す る 慧沼 の批 判 内 容の 実態 、②『学 記』の 内 容 検 討 ( な ぜ 基 と 円 測 と を 合致さ せ慧沼 を 無 視し続 け た の か)、③日 本 の善珠 教学(『唯 識 義 灯 増 明 記』) の研究(基 ・ 円 測 ・ 慧沼 な どに向 かって ど の よ う な 姿 勢 を 持っていたのか)と いった 今後の段 階 的 研究 の必 要 性 が 提 起 さ れ て い る。
なお 蔡 り973]は『梵 網 経 古 述 記』に 引 用 さ れ る 経 ・ 律 ・ 論 ・ 人 師 ・ 疏 を 精 査し て 、『古述 記 綱 義』で 言わ れ る よ う に│ 多 く 法 蔵 ・ 義 寂 ・ 井 州 ・ 勝 荘 等 の 義に 依って い る が 、然 し、 依 る と 云って もそ れ は 大 筋 の こ と で あ っ て 、 他 師 の 説を 破り自 己 の 新 見 解 を 述 べ る 所 が 多 い]と い う 態 度 を 堅 持 し て い る とし 、『梵 網経 古 追 記』の 特 色 について概 観す る。
太賢は 唯 識 関 係 の 著 作 が 多 く 、 海 束 喩 伽 の 祖 と さ れ る け れ ど も 、 実 際 に 活 躍 し た時 代 は景徳王時 代であ る。ま た 、 道 証 か ら 直 接 相 承し た 可 能 性 は 残 さ れる が、 唯 識 教 学 に 限 定 して見ても 、 円 測 ・ 道 証 の 系 統 と一致 す る 訳 で は な い こ と が以 上 の 研 究 から明らか に なって き た 。 当時 の 唐 は 法 相 宗 が 既 に 振 る わ な く な る時 代 で あ る から、 太賢の教 学 が 新 羅 国 内 で 華 厳 な ど の 影 響 を 受 け な が ら 独 自 の 形で 形 成 さ れ た ことは 十 分 あ り 得 る で あ ろ う 。 J古 追 記 」 と い う 性 格 か ら 、 占津氏 ・ 蔡 氏 の 論 文 の ように 先 師 学 説 の 引 川 状 況 を 調 べ る 形 式 面 の 研 究 も 重 要 であ ろ う し 、 ま た 李 氏 の 論 文 の よ う に 、 特 定 の問 題 に 的 を 絞 り な が ら 現 存 の 五 著作 及 び 諸 文 献 に 引 川 さ れ る 太 賢 説を 総 合 的 に 活 川 し て 見て い く 方 法 は 今 後 の 研究 の 指 針 と な る も の と 思 わ れ る 。