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オーストラリアにおける
環境主義の発展(II)
近 藤
西 1 はじめに II 問題の所在と性格 IIIオーストラリアの社会・政治構造 IV 環境主義の台頭と反動 V 環境主義の全国的拡大 VI ESDプロセスと環境主義の爆発…一一一以下,本号 VIIオーストラリア・モデルの評価 VI ESDプロセスと環境主義の爆発 [第4期:制度化期] カカドゥ開発問題の背景には,国際的な環境問題への関心の盛り上がり,と くに1990年のブルントラント報告(“我ら共有の未来”)やESD論議の高まり, オゾン・ホールの発見(1986)や地球温暖化などの国民の問の環境への関心の 高まりがあった。1989年を境に国民世論が劇的に変化し,4人に1人は環境問 題を連邦政府の最重要課題と見なすようになった。俵7参照)また,アボリジ ニなどの先住民族の人権回復問題も関連している。カカドゥ問題のように環境 か開発かが鋭く対立する問題では,開発と環境を真に整合させるためには,単 なる妥協や目先の部分的修正ではなく,より広い,総:合的・長期的な見地から 環境と開発を考えて行く必要性を人々に認識させた。こうして,政府,産業界, 環境団体,労働組合,研究者が一同に会して共同で環境と開発のための国家戦 略を練り上げるという画期的な試み一ESDプロセスと呼ばれる議論が開始彦根論叢 第297号 表7 環境に対する一般の人々の関心1975−90(%) 年 1975 76 77 78 79 80 82 83 85 86 87 88 89 90
最も関心がある/ 7 5 3 4 3 4 4 4 2 4 5 5 26 26
最も重要な問題 注:1975−86年の期間の質問は,「今日,オーストラリアが直面している問題は沢山あります が,次の諸問題のうちあなたはどれに注目してきましたか?掲げられた問題のうち最も関 心のあるものはどれですか?」であった。’1987−90年置期間では質問は,連邦政府が取り組 むべき最も重要と回答者が考える問題に焦点が絞られた。McAllisterは1987年に質問の仕 方が変わったにも関わらず,環境への関心は1987年と1988年の両方の年においてわずか(5 %)に留まった,と述べている。急激な変化は1989年に生じ,1990年へと続いた。「それゆ え,このことが示唆していることは,環境への関心が急激に増加したのは質問の仕方が変わ つたという技術的な理由によるものではない」(McAIIister,1991) 原出所:Roy Morgan Research Cen亡re(McAIIister,1991,図1により作成) 出所:E.Papadakis(1993),p.143,表5.1. された。 ESDというのはecologica11y sustainable developmentのことであり,日本 では「永続可能な発展sustainable development(SD)」などと言われているが, オーストラリアではecologicallyという形容詞を前につけて,生態的にという 限定をつけて用いられることが一般的である。 ここでESDを巡る議論を振り返ってみよう。ESDの考え方は,すでに1972年 の国連ストックホルム会議で使用されていたが,80年代までは単なる言葉とし て使われるにすぎなかった。1980年の「世界保全戦略:持続可能な発展のため 36) の現存資源」の公刊は多く人々の注目を浴びたが,ここでのESDの考え方に は,西洋デモクラシーにおける「物質主義materialism」から「脱物質主義post −materialism」への価値観の転換のきざしが反映されていたと評価されてい る。オーストラリア政府はこのESDの考え方をいち早く取り入れた。 フレイザー自由党政権は「世界保全戦略」をどう進めるかの議論を開始し, 1983年6コ口ホーク労働党政権は具体的な会議を召集した。1983年,連邦政府 は早くもオーストラリア国家保全戦略National Conservation Strategy for 36)イニシアチブは国際自然・資源保全連合,国連環境プログラム,世界野生生物保護基金 の3者。オーストラリアにおける環境主義の発展(II) 55 表8 環境主義年表 [第4期 制度化期] 1990連邦選挙。ACFとTWSは民主党を支持。ただし, TasmaniaではUTG,西 オーストラリアではGreen Partyを支持。民主党はFranklin Dam反対のシンポ ル・マークを選挙に利用し環境政党であることをアピール。民主党は第一回目の 投票で11.2%の支持を獲得。西オーストラリアのGreen Partyは州の7.5%を獲 得。環境政党躍進 (1990年,環境と開発に関する世界委員会開催。ブルントラント報告出される) 1990.6連邦政府,ESDディスカッション・ペーパー公刊 1990−91Greenpeaceの支持者がこの間,9万2000人から13万人に増加。 ACFは7万 人へ。ACFの会貝数は21,400名(1991) 1991.1Kelly(DASETT)とKerin(DPIE)はESD processに関する公衆審問public consultationを開始。 ESD groupには政府機関や産業界のみでなく環境保全団体 や労働組合も参加 1991ESD processの最終報告書公刊 1991連邦政府はESDのコンサルタント料としてACFとWWFNに80万ドル支払 う 1991? National Soil Conservation Strategy策定 1991.5資源評価虚貝会,最終報告書を公表。開発困難を勧告 1991.6連邦政府,Kakaduのコロネーション・ヒル(ステージ3)の国立公園編入を
壁
1992.8Bob Brownらにより全国レベルでのGreen Party結成 1992.12 連邦政府,「生態的に持続可能な開発のための国家戦略」策定 Australia(NCSA)を策定し,以下の原則を確立した。 ①環境保全と経済開発の統合,相互依存性の認識 ②現在のためだけでなく,未来の利用ための選択肢の留保 ③環境への潜在的ダメージの重視 ④SDと保全の統合に関する未来のための知識の蓄積とコミュニティの教 育 しかし,当初この原則は何年もの間忘れられた。それは,1983年当時のオース トラリアには未だ国家戦略を現実化しようとする社会的基盤は存在していなか った,といえよう。しかし,ブルントラント委員会(1990年,環境と開発に関 する世界委員会)の議論により再びESDに関する議論の火がつけられたので彦根論叢 第297号 ある。 1990年6月,連邦政府は,ESDディスカッション・ペーパー Ecologically Sustainable Development:A Commonwealth Discussion Paperを公刊した。 そこでのESDの定義とは次のようなものであった。 「ESDとは,われわれの生命が依存しているエコロジカルな過程を維持し,現 在および将来の全ての生活の質を増大せしめるように,我ら共有の資源を利用 し,保全し,補強してゆくことである」。 表9 環境問題の緊急二一現在および将来(%) 現在緊急(1) 将 来② 大変 やや 緊急で さらに かわら よく 最:も緊急 緊急 緊急 ない 悪化 ない なる な問題(3) 汚染 76 20 4 58 20 22 40 人口過剰 26 19 54 37 47 16 5 廃棄物 73 22 5 52 22 26 10 ウラニウム開発 39 28 34 25 55 20 2 森林伐採 49 31 20 26 38 36 10 種の絶滅 68 21 11 39 31 31 5 土壌劣化 74 19 8 47 28 25 9 温室効果 71 17 12 53 28 19 19 注(1):回答者は,「次の環境問題は,この国でほどのくらい緊急ですか?」と質問された。(回 答者は「大変緊急」から「緊急でない」までの5点評価を求められた。この表では最初の 2っの評点が一つのカテゴり一にまとめられ,中央の評点はそのまま(「やや緊急」),最後 の2つの評点も同じく一つのカテゴリーにまとめられた。) 注②:「次の10年間で,これらの環境問題がこの国でもっと悪くなると思いますか,または解 決されると思いますか?」(回答者は「もっと悪くなる」から「解決される」までの5点 評価を求められた。この表では最初の2つの評点が一つのカテゴリーにまとめられ,中央 の評点はそのまま(「かわらない」),最後の2っの評点も同じく一つのカテゴリーにまと められた。) 注(3):「あなたは過去1年間,次の環境問題のうち個人的にはどれが最も心配でしたか?2つ 選んで下さい。そのうちどちらが最も緊急ですか?そしてどちらが2番目に緊急です か?」(この表には最も緊急と回答のあったもののみ記載) 原出所:オーストラリア選挙研究(1990年)(N=2037)。右の著作の主な研究者は1.McAllis− ter, R. Lones, E. Papadakis and D. Gow.データはオーストラリア国立大学の社会科 学研究所,社会科学資料保管庫に所収。選挙研究に基づく本表および他の表による分析 はE.Papadakisによる。 出所:E.Papadakis(1993),p.145,表5.3.
オーストラiJアにおける環境主義の発展(II) 57 この「生活の質」の定義の中には,所得や消費財の量といった物質的要素の みならず,環境,社会正義,個人の自由の発展,といった脱物質的要素をも含 めて考えられている。こういつた視点は日本でも参考になろう。 ESDについての国際的な議論の高揚は,連邦政府の環境政策に対する受身の 態度を変えて行くきっかけともなった。連邦政府は自ら積極的に環境と開発の 調整役を果たすようになって行った。その良き例がカカドゥの鉱業開発や森林 伐採などの分野での政府のイニシアチブであったと言えよう。また,環境への 関心や生活の質の改善への高まりは,一般の多くの人々の関心となって行った。 コミュニティの環境保護に対する考え方も変化し,グリーン・テクノロジーな どの新しい技術や製品,リサイクルへの関心が生まれて行った。 オーストラリア選挙研究(!990)によれば,国民は「大変緊急」な問題として, 汚染(76%),土壌劣化(74%),廃棄物(73%),温室効果(71%)が7割を超 える関心事となっており,それらが「将来さらに悪化する」としている割合は, それぞれ58%,47%,52%,53%と高い。(表9参照)また,人々は環境保護の 表10伐採,物価上昇および租税に関する政策(%〉 伐 採(1) 物価上昇(2) 税 金㈲ 伐採禁止 中立 伐採許可 70﹂∩V
4902
物価上昇 物価下落 不知809々
711
租税上昇 租税下落 不知712
£U9自− 注(1):「ある人々は,たとえ仕事や輸出所得の喪失を意味するとしても,環境を守るために連 邦政府は全ての国民資産の森林伐採を禁止すべきであると確信しています。他の人々は, たとえ環境を破壊するとしても,より多くの仕事や輸出所得を作り出すために,国民資産 の森林伐採を許可すべきであると確信しています。そしてこれら以外の人々は中間の意 見を持っています。」回答者は7点評価を付けることを求められた。中央の点数を記入し たものは中立,残りは伐採禁止か伐採許可として扱われた。 注②:あなたの考えは次の主張のどれに最も近いですか?「産業界はたとえ物価が上昇する としても環境破壊を避けるべき」,「産業界はたとえ環境を破壊するとしても物価を下落 させるべき」,「分からない。考えたことがない」。 注(3):あなたの考えは次の主張のどれに最も近いですか?「政府はたとえ税金が高くなって も環境保護にもっと努力すべき」,「政府はたとえ環境が悪くなっても税金を安くすべ き」,「分からない。考えたことがない」。 原出所:オーストラリア選挙研究(1990)(N=2037) 出所:E.Papadakis(1993),p.146,表5.4.58 彦根論叢 第297号 ため,経済に影響が出てもある程度やむおえない,と考えており,オーストラ リアの輸出収入がたとえ減少しても森林伐採を禁止すべきと考えるものが47%, 物価が高くなってもやむおえないとするものが78%,環境保護のため税金が高 くなっても構わないとするものが67%にも達している。こうした事実は,国民 の中に責任ある環境主義が広がって行きっつあることの証拠であると考えられ る。(表10参照) こうしてESD概念が国民に中に広く受け入れられるにつれ,政府において も,ESDが将来の経済成長と環境保護の望ましい道を切り開くとの期待が高ま っていった。しかし,他方,国家による過度の環境規制の強化は自由貿易の厳 しい国際競争の中で,もし他国が同等の環境規制をやらなければ自国が損害を 被るというキャンペーンの中で,一定の制約を受けていることも事実である。 こうした経過の中で,連邦政府は1989年,オゾン層保護法Ozone Protection Actを策定し,温室効果ガスの1988年水準の20%削減を2005年までに実行する 37) との計画を公表した。 1991年1月,ケリー夫人(環境大臣DASETT)とケーリン(基礎産業エネル ギー大臣DPIE)はESDプロセスに関する公衆審問public consultationを呼 掛けた。ESDワーキング・グループには政府機関のみでなく環境保全団体や労 38) 働組合も参加した。しかし,環境団体は必ずしも足並みが揃っていた訳ではな く,当初参加していたTWSやGreenpeaceは後に脱会した。 環境派にとってはESDプロセスへの参加は多くのデレンマと困難を伴うも のであった。環境派が参加を拒否すれば彼らは非寛容で,合理的な議論を拒否 したと見なされる。実際,ある政治家は,ESDプロセスを,環境と開発の問題 から環境派を排除するための手段として利用しようとした。他方,環境団体は, 37)ちなみに,日本は,CO2を2000年以降,1990年レベルにすると国際公約したが,1994年, その目標が達成不可能と宣言。尚,オーストラリアはオゾン問題への関心は極めて高い。 38)ESDワーキング・グループの参加者は連邦政府の各省庁や研究機関,州政府の諸機関, 産業団体,環境団体,労働組合,その他であり,延べ130余りの団体および個人が参加。部 会としては,農業,漁業,森林利用,鉱業,エネルギー生産,製造業,輸送,エネルギー 利用,観光の9部門が置かれた。E. Papadakis(ユ993),表4.5, pp.130一ユ参照。
オーストラリアにおける環境主義の発展(II) 59 参加すれば,政府の方針に妥協することを迫られ,これまで考えてこなかった 新たな問題にも取り組まなければならない。 GreenpeaceやTWSは,一旦はESDワーキング・グループに参加したが, 原理的障害としてNSW二三東部の森林伐採(ウッド・チップ輸出のため)に 関する政府の開発優先政策にはついてゆけない,として脱会を表明した。この 森林伐採に関しては他の環境団体も同調し,結局,ESDワーキング・グループ の森林部会からはすべての環境団体は脱会することとなった。しかし,ACFや
WWFNは他の部会には留まった。
ESDプロセスの中で産業界と環境派,閣僚内部でESDの定義や現状認識に ついて次のような論争が起こった。 環境団体の現状認識:世界は地球的規模の解決global solutionに向けて国際 的行動が必要な,前例のない大局的な気候変動の危機にさらされている。 オーストラリア経済評議会Business Council of Australiaの現状認識:オー ストラリアが急激な変化を必要とする全体的な緊急性の状態にあるかどうか疑 問。むしろ事態は相対的に改善されている。 結局,1991年のESDプロセスの最終報告書は,制度転換の必要性とともに, 眼下に横たわる困難性の両方の視点を盛り込むという,妥協的なものとなった。 しかし,ESDをまとめて行く上で開発派も環境派も様々な経験を積むことがで きた。最終報告書には400もの政策提言が盛り込まれ,産業界と環境派の間には 多くのコンセンサスが生まれた。環境派はタイムスケジュールの不備や政府内 部の競争による目標の曖昧化に不満をもった。しかし,土壌保全戦略について は農業団体と環境団体双方に合意が生まれ,みるべき前進があった。(後述)また,ACFやWWFNは政府からESDのコンサルタント料として80万ドルを得
た。 国家土壌保全戦略National Soil Conservation Strategy(NSCS)二 土壌劣化は以前から,オーストラリアの最も重大な環境問題の一つであった。 というのは,①政府は問題と知りつつも長い問この問題に真剣に取り組んで来 なかった,②経済(農業)への影響が大きいこと(輸出総収入の40%),③しか60 彦根論叢第297号 し,全国農民連合(NFF)とACFの間に連合が形成され,問題提起がなされたの であった。そして,1989年の連邦政府の文書は土壌劣化と森林保全との関連を 明らかにした後で次のように森林問題の重大性を訴えている。 「ヨーロッパ人が最初にオーストラリアにきた時,森林は大陸の10%を覆って いた。Woodlandは23%を占めていた。現在,原初の中高木の森のおよそ50%, Woodlandの35%は無くなるか,または重大な修正が加えられた。主として農業 上の理由で,オーストラリアの4分の3の熱帯雨燕は破壊された」。 1990年の連邦選挙は土壌劣化問題,すなわち森林の保全が一つの焦点となつ 39) た。 こうした問題に対処するため,政府はNFFとACFの提案を受け入れ,「1990 年代はランドケアLandcareの時代」と宣言した。そして10億本の木が植えられ るために3億2000万ドルが支出されることとなった。合言葉は“サステイナブ ル・ファーミング”,“サステイナブル・ランドケア”であった。その意味する ところは,土地資源の構成者一土壌,水,植生一のそれぞれの価値を,人間と エコロジカルな目的の維持のために,それぞれの能力の範囲内において利用す ること,であった。こうして,年間に8000万本の木を植えるという当初目標が 達成され,また,1990年6月までに,土地の保全に関する500の社会運動が誕生 した。プログラムやスタッフの不足が明らかになったが,政府は1990年8月, 税制による支援策を表明した。 こうして,ESDプロセスはNSCSという副産物を生み出しながら大きく前 進して行った。この過程を通じて政府は環境と開発をより高い,総合的な見地 から統合してゆくうえで重要な役割を演じたばかりでなく,既存の国民意識, 価値観を喚起・転換する上でも重要な役割を果したと言える。そして,このESD プロセスは1992年12月の「生態的に持続可能な開発のための国家戦略」へと結 39)森林保全の意義は次のように説明されている。①森林は風害や水の蒸散を防ぎ,塩害を 減らし,生物的活力を増大させることを通じて土壌の生産性を高め,また維持する上で決 定的な役割を果たす。②森林は野生生物を維持するための多様な生態系を保護する。③森 林は有用な資源である。
オーストラリアにおける環境主義の発展(II) 61 40) 実してゆくのである。これは1960年代末から始まった下からの環境主義の小さ くとも着実な歩みが,環境団体を変え,政党を変え,政府を変え,産業を変え, ついには国家と国民を変えて行ったことを意味している。それは,国際的に見 ても現在の段階で望みうる環境主義の最高の勝利であり到達点と言えよう。 VIIオーストラリア・モデルの評価 こうした環境主義の発展の現状について国民はどう見ているのであろうか。 表11は国民は,誰が環境問題を解決するとみているか,その主体に対する信 頼度を調査したものである。科学技術者(59%)と環境団体(54%)への信頼 表11環境問題を解決する団体への信頼度;不信度と政党支持(%) 信頼度(1) 政党支持(2)(3) 信頼しない 少 し 大いに 労働党 自由党 国民党 民主党/緑の党 労働組合 68 26 5 55 80 85 69 環境団体 15 31 54 10 20 36 8 連邦政府 30 53 17 17 37 43 38 州政府 36 49 15 28 36 43 49 政党 49 43 8 40 52 52 60 産業 68 25 7 71 62 51 79 科学技術者 11 30 59 10 9 9 12 大衆 25 43 32 24 26 19 26 注(1):次の団体はどの程度環境問題を解決すると思いますか?信頼しませんか? 出所:E,Papadakis(1993),p.185,表6.2. 少し信頼しますか?大いに信頼しますか?回答は「信頼しない」,「少し」,「大いに」の順に5 点法で記入。それぞれの端の2つのカテゴリーは一つにまとめた。「少し」の列は中間のカテ ゴり一を表す。 注(2):表のこの部分は「信頼しない」と答えた回答者のパーセンテイジを示す。 注(3):「一般に,あなたは通常,自分を自由党,労働党,国民党または何党と思いますか?」 原出所:オーストラリア選挙研究(1990)(N=2037) 出所:E.Papadakis(1993),p. 185,表6.2. 40)オーストラリアの国家環境戦略の策定は,国際的にみれば,1989年5月のオランダの「国 家環境政策計画」,1990年9月のイギリスの「この共通の遺産一イギリスの環境戦略」,1990 年12月のカナダの「グリーンプラン」,1991年1月のフランスの「国家環境計画」に続くも のであり,世界で5番目のもの。
62 彦根論叢 第297号 度が圧倒的に高く,政党(8%)や産業界(7%),労働組合(5%)への信頼 度は極めて低い。また,特徴的なのは大衆自身が環境問題を解決するとみてい るものが32%もあり,また連邦政府(17%)や州政府(15%)に対する期待感 も相対的には強いと言える。さらに,労働組合を「信頼しない」と答えた者(68 %)は,自由党一国民党支持者の約8割,民主党/緑の党の約7割,労働党の 約5割強であり,政党を「信頼しない」と答えた者(49%)は民主党/緑の党 表12 多様な環境争点についての見解(%) 主張 強く反対 反対 中立 賛成 強く賛成 1.国立公園と自然保護区の最大の価値はブッ シュウォーキングやキャンプ,写真撮影とい ったリクリエーション活動にある 2.埋蔵鉱物や森林などの天然資源を如何にう まく利用するかを決める場合,仕事が最も重 要である 3、開発は鉱業などの活動によって環境破壊が ほとんど起こらない場所で行われるべきだ 4.たとえ私が実物を見に行ったことがない場 所であっても,天然の野性動植物のあるとこ ろを残すことは重要である 5.オーストラリアの天然資源の利用を決定す る場合に我々よりも将来世代の必要をもっと 考えるべきだ 6.二二ドゥのような地域の利用を決定する場 合,その地域のアボリジニ人にとっての重要 性が重視されるべきだ 7.埋蔵鉱物や森林などの天然資源の利用を決 定する場合,最も重要なことはオーストラリ アにとっての財政的便益だ 8.国立公園内の地域が鉱業などの開発プロジ ェクトのために取って置かれるとしたら,そ の公園の価値は著しく損なわれる 9.州の森林をもっと国立公園にすべき 10.天然資源の利用を決める場合,政府は私の ような公衆の意見をほとんど無視している
5 13 25 22 35
26 25 26 11 12
26 20 20 18 15
1 2 1 23 13 82
9 22 65
9 11 24 26 31
20 21 27 14 17
10 13 17 23 38
4U4
8 19 24 43
7 17 20 53
原出所:Imber et a1.(199!,表5.10)(N=2034) 出所:EPapadakis(1993),p.147,表5.5.オーストラリアにおける環境主i義の発展(II) 63 支持者の6割,自由党一国民党支持者の約5割であった。産業界を「信頼しな い」と答えた者(68%)は民主党/緑の党支持者の約8割,同じく労働党支持 者の7割であった。これらの事実から,オーストラリアでは,環境問題が伝統 的な階級的利害を守ろうとする産業界や労働組合の力によっては十分に解決で きず,新たな運動主体 それは科学者や環境団体であり,国民自身一が必 要である,と考えられているということである。環境問題の広がり・深刻化に 応じて,従来の階級的利害関係を超えて社会階層が流動化しつつあることを読 み取ることができるであろう。 他方,国民の間に環境主義はしっかりと根を下ろしている。表12は環境問題 の争点となった問題に関して国民の意見を求めた調査であるが,鉱業開発が仕 事を増やすとしてもそれだけで利用決定することに反対するもの(51%)が賛 成するもの(33%)を上回り(主張2),資源を利用する場合には将来世代の必 要を重視すべきと言う意見については,賛成(87%)が反対(4%)を大きく 上回っている。(主張5)また,国民の考える資源利用が政府のそれと異なって いると考えるもの(73%)は,同じと考えるもの(11%)を大きく上回ってい る。(主張10)ただし,オーストラリアの財政と環境保全の対立に関する意見で は財政重視派(31%)と環境重視派(41%)が接近しているが,これは環境保 護を重視する余り,オーストラリアが経済的に先進国から脱落してゆく行くこ とに対する国民の素朴な不安を表現したものとみられる。(主張7) 次に,視点を変えて,労働党と環境主義との関連を検討してみよう。オース トラリアの環境主義が多大の成功を収めた秘訣は,客観的にみれば,政府与党 である労働党と環境主義との結合であった。いわば,労働党は環境主義を取り 込むことを必要とし,環境主義は労働党を必要とした。両者は重なり合う部分 も持つが,他方,労働党は産業界とも重なり合い(労働党支持者の産業嫌いに もかかわらず),環境主義とは対立する側面もある。しかし,労働党はこれまで の所,オーストうりアにおける環境主義と経済発展の責任ある統合者として(内 部分裂の危機をはらみながらも)進歩的な役割を演じてきたことは確かである。 労働党は階級政党として誕生したが,1967年の総選挙の頃を境として,熟練
64 彦根論叢 第297号 労働者や肉体労働者に変わっていわゆるホワイト・カラー労働者が増加し,そ 41) の支持基盤が流動化しはじめたと言われている。その後,労働党はウィットラ ム政権の成立などをテコとして,福祉の充実や環境問題への取り組みを強化す ることでその基盤を安定的に確保することに努力した。「1967年から1984年にか けて…非肉体労働者の労働党への支持は26%から49%にほぼ倍加しているのに 42) 対し,自由党一国民党連合へのそれは71%から46%へと低下」している。また, 「1967年から1984年にかけて,労働党は,自由党一国民党連’合が女性や18−34才 43) の年齢集団の支持を失ったのと引き換えに,顕著な勝利をかち取った」。こうし 表13社会経済的背景と投票(%) 1967 1984 1990
LN DL AL
計LN
AD AL
計LN AD他AL
計 高等教育 66 4 30 (19) 38 6 56 (38)39 30 31
(31) 職業 一 一 一 一一 一 一 一一 ■ 一 一 一 一 一 一 一 一 冒 一 一一− 『Tπ“ 冒胃rπ り 一一 一 一 一 一 一一 一 一冒一 一一一■ 一 ■ 一 一 旧 罰 「 一 一 一 一 ’ 一 一 一 一 非筋肉 71 3 26 (41) 46 5 49 (55)47 14 35
(61) 筋肉 41 3 56 (47) 35 3 62 (44)36 11 49
(39) 年齢 一一 一冒冒π 一一一 r冒一一一 一一一一一一一 ’ 一齢 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一一一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ■ 一冒一一一一一一一一一一幽 一 一 一 一 一 18−24 58 3 39 (8) 34 4 62 (14)35 15 49
(9) 25−34 63 4 33 (19) 35 5 60 (26)34 23 43
(20) 35−44 56 2 42 (24) 44 5 51 (20)41 20 38
(25) 45−54 57 2 41 (21) 44 3 53 (13)49 18 33
(15) 55−64 58 4 38 (15) 47 3 51 (13)49 15 36
(15) 65十 53 3 44 (13) 47 1 52 (14)50 10 40
(16) 性 π 一 一 噂P一 一 一一一一一一凸 一一一 一一一 山 一 一一 一 一 一 一 一 一冒一 一一一■ 一 一 一一 一 一 ■ 一 一一一一一r一一幽一一一一ππ 一 一 π 一 r 女性 63 2 35 (50) 43 4 53 (52)43 18 39
(51) 男性 53 3 44 (50) 40 3 57 (48)43 17 40
(49) 注:LN:自由党一国民党連合, DL:民主労働党(1978年解散), AL:労働党, AD:民主党, 他:緑の党など。尚,データは一部省略した。 原出所:Surveys of Australian Political Attitudes 1967 and 1979;National Science Survey 1984 ; Australian Election Studies 1987 and 1990, Graetz and McAllister (1988)およびMcAllister and Bean(1990)も参照。 出所:E.Papadakis(1993),p.177,表6.1. 41) E. Papadakis(1993),p. 76. 42) ibid., p.176. 43)1967年から1984年にかけて,女性の支持はALPが35%から53%へ増加,自由党一国民党 連合が63%から43%へ低下。ibid., p.178.オーストラリアにおける環境主義の発展(II) 65 て労働党は環境主義を取り込むことで,自ら「階級政党」から「統合の政党」 へと変化・脱皮することに成功し,国民の間での支持基盤を安定化させること に成功した。しかし,1984年から1990年にかけて,非肉体労働者や女性,若年 層の労働党に対する支持には低下傾向が見られる。(表13参照) このことは,最近の地球規模の環境問題への取り組み,この間の環境主義の 爆発への政府・与党の対応がなお不十分であるとする国民の不満を反映するも のであろう。1992年8月には全国的レベルの緑の党が誕生している。 環境問題を解決する主体として労働党を含む政党への国民の期待度が低いと いうこと,さらには環境主義者が労働党から一部離れつつある,という事実は, 労働党の対応の問題というより,環境問題が一国の枠を超えて広がりつつある 今日,国家や政党といった従来の伝統的利害の制度的枠組そのものがもはや限 界に近づきつつあり,地球規模の環境問題の解決にとっては十分でない,とい うことの表現であるかもしれない。もしそうならば,今後,環境主義は新たな 国際化の方向へと広がって行くであろう。他方で,オーストラリアの経済開発 44) 展は十分な余裕を持っているとは言いがたい。従って,オーストラリアにおけ る環境と開発のせめぎ合いはさらに新たな,より高次の段階での統合,ないし 調整を不可避としているように思われる。 オーストラリアの経験は,しかし,既存の政党システム,国民国家システム という伝統的枠組みの中で,どこまで環境と開発の統合という課題に対応しえ るか,の実験的なモデルとして十分に評価しえる,と考える。その特徴は, 1.部分的・技術的改革でなく社会システム総体の改革 2.急激な断絶型変革でなく既存システムの漸進的・連続的な制度改革 3.国家行政組織や司法システムの柔軟1生と先見性 4.行政主導でなく下からの環境団体主導の改革 44)例えばEPACの論文などもオーストラリア経済の脆弱性を指摘している。 D. Dao et a1. (1993)参照。失業率は1990年に入って増加し,1991年以降10%を超えている。D. Clark (1993),ch.32参照.また福祉政策の,とくに若者に対する,行き過ぎについては根強い批 判もある。
66 彦根論叢 第297号 5.労働党の先見性と柔軟1生 6.労働運動をはじめ様々な社会運動の蓄積と水準の高さ 7.一般公衆の環境保護意識,市民意識の強さ である。その意義は,(1)技術優先的・部分的対応でなく価値観の転換の必要性 をも含む社会システム的対応=システム・チェンジの必要性と可能性を提起し たこと,②下からの環境団体の運動を基盤とする住民参加型環境主義の可能性 を切り開いたこと,にあると考える。 他国の経験を安易に持ち込むことについては慎重でなければならないことは もちろんであるが,今なお1万人置超える認定患者を抱える水俣病問題をはじ め,従来の利害対立の枠に縛られて,不要不急の公共事業を抜本的に見直すこ とが容易でない日本の現実や,他方で「会社人間」,「ワーカホリック」とも評 される労働現場の厳しい現実と対比するにつけ,オーストラリアの経験から学 ぶべき教訓は少なくないと言わねばならない。 (1995.6.29) 参考文 献 [1] ACF(199!) Green Pages 1991−92 Directory of Environment GrouPs in Australia. [ 2 ] ACF(1992) The Magazine of Australian Conservation Foundation : Habitat, Vol. 20 No. 4. [3] ACF & WWF(1993) Environmental /mPact Assessment and Ecologically Sustaina− ble DeveloPment in Auntralia(Discussion Paper). [ 4] Bates, G. M.(1992) Environmentag Law in A ustralia(third edition), Butterworths : Sydney. [5] Bonyhady, T.(1993) Places U(orth Keoping: conservationists, Politics and law, Allen & Unwin: Sydney. , [6] Clark, D.(1993) Economic Update 1993 ,’ seventh edition, The Australian Financial Review and Commonwealth Bank. [7] Commonwealth of Australia(1991) Azastralian National Roport to the United ハXa tio ns(〕onference on Environment and Development, December 1991, Australian Government Publishing Service. [8] Commonwealth of Austra1ia(1991) Ecologically Sustainable Development M)rorking GrozaPs, Final Roport−Energy Use, November 1991, Australian Governrnent Publish− ing Service, [9] Commonwealth of Australia(1992) National Strategy for Ecologically Sustainable
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