天草版平家物語の動詞について
連体形の終止形化を中心に
キーワード・・天草版平家・動詞の用法・連体形の終止形化 −二段活用の一段化 要 旨 動詞の活用が古代語から近代語となるためには連体形の 終止形化と二段活用の一段化の現象があることは、国語史 の説くとおりである。この天草版平家は室町末期の口語資 料として、右の三現象がどう現れているかは、興味のある 問 題 で あ る 。 まず二段活用の一段化については、一段化して用いられ ている語は﹁経﹂一語だけである。また連体形の終止形化 の現象は、終止法においては、かつての連体形が終止形と しての用法を果たして一つの例外もない。ただ助動詞や助 詞に下接する用法では、古い形の終止形についた例も残っ ていて、その用法では新旧両法の形がみられる。またこの 点から連体形の終止形化は、まず終止法から新しい形への 転換が完成し、やがて助詞や助動詞を下接する方向に向江
正
弘
口
かったことが確認され、天草版平家は、後者の附属語を下 接する用法では、まだ古い用法を残していると言える。 付 は じ め に 小稿は一九八九年三月、サンパウロ大学日本文化研究所 報に﹁天草版平家物語の動詞について﹂としてポルトガル 語で発表した論文を、日本語にあらためたものを骨子とし て い る 。 原 論 文 は 、 ω O ゲ 同 巾 O 印 ︿ 巾 叫σ
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という題で、雑誌名および発行所は、 同 ω 叫 , d u o ω ﹄ ﹀ H V O Z 開 ω 開 ωロ
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や同に解説を加えている。小稿 にはその部分の省略も考えたが、今はそのままの形で残す ことにする。ただ三段活用の一段化については右の論文で は触れなかったが小稿ではわずかであるが触れることにす る 。 同天草版平家物語について 天草版平家物語は一五九三一年熊本県天草で出版されたキ リシタン版の口語訳平家物語である。一般に平家物語と呼 ばれる作品は、鎌倉時代の初期二二世紀の成立で、語り物 として流布したため、多くの異文をもっ諸本が伝えられて いるが、この天草版平家物語はそれらの諸本とは全く別の 成立事情をもっ作品である。これは二ハ世紀後半からキリ シタン布教のために来日していたイエズス会の外国人宣教 師たちが、布教のための日本語修得を目的として編集した 本 の 一 つ で あ る 。 原本はロンドンの大英図書館にただ一冊だけ伝わるとい う本で﹁日本のことばとイストリアを習ひ知らんと欲する 人のために世話にやはらげたる平家の物語﹂という長い書 名がついている。すなわちこの本は書名にいうように、日 本語と日本の歴史を学習するために口語で書かれた平家物 語 で あ る 。 この序文には﹁わが師がこの固に天の御法を説くために は、この国の風俗を知り、言葉に上達しなければならない。 そのために日本の書をわが国の文字にして出版しなければ ならないから、その良い童聞を選んで編集せよ。という師の 言葉をうけてそのご命令に従ってこの本を作るのである。 日本の昔を述べた本が多いなかで平家物語が最高だと考え る。そして二人が相対して雑談をするような形にして口語 で抜書的に記したものである﹂という趣旨のことを記し ﹁ 特 に 御 出 世 、 一 五 九 二 、 一 一 一 月 一O
不干ハビアン謹ん で 書 す ﹂ と 結 ん で い る 。 この序文に示しているるように、天草版平家物語の編集 には﹁不干ハピアン﹂があたっている。このハビアンは日 本人のイルマンで、天草コレジォで日本語の教師をつとめ ていたらしい。ハピアンの伝記については、つまびらかに ︿ 注 l ﹀ しない点が多いが、新村出博士や土井忠生博土という方々 により、ある程度明らかにされている。 大 英 図 書 館 蔵 の 日 本 耶 蘇 会 関 係 古 文 書 集 ︵E
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︶ の 中 の 一 冊 に 、 ﹁ 一 五 九三年一一月に本会が日本副管区において有する教舎およ び駐在所の目録、並びに其処に居住せるパアテレ及びイル マンの名簿﹂という文書があるということを土井博士が ︵ 住 2 ﹀ ﹁吉利支丹文献考﹂に示しておられる。それによって天草 コレジォの名簿の一部を示すと次のようである。 天草コレジォとノピシァド 日 目 ν −F
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スペイン人、学林長 顧 問 、日本語を普通に解し、日本語の俄悔を聴く。
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ポルトガル人、日本語を甚だ よ く 解 し 、 日 本 語 に て 説 教 す 。 ︵ 中 略 ︶ 倒 ﹄ ﹃ ・ ︿ ロ ∞z
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日 本 人 、 ラ テ ン 語 を 少 し く 解 す 。 田守− H ,R
同 国 。 。 凶 ヨ 巾 日 本 人 、 日 本 語 以 外 解 せ ず 。 この二名は日本語の教師にて、日本語を教授せり。 この資料の︿a
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自己が天草版平家を編集した﹁不 干ハピアン﹂であると思われる。彼は禅僧の出身であるが、 当時天草学林で日本語の教師をつとめていた。またハビア ン は 一 六O
五年﹁妙貞問答﹂という本を著したことでも知 られている。さらに翌年松永貞徳の案内でやってきた林道 春と儒教とキリスト教について論争し、またその翌年には 副管区長が家康や江戸の将軍秀忠を訪れた折にもロドリゲ スらとともに同行して活躍したことが知られている。その 後まもなく彼はキリシタンの教えを捨てて、大和に身をか くし、一六二O
年﹁破提字子﹂一巻を著し、過去を清算し たといわれる。このハピアンが長老に委嘱されて平家物語 を口語に訳し、この天草版平家物語を編集したのは、彼が 二 七 才 の 時 で あ っ た と い う 。 同国語学研究資料の視点 一五四九年にイエズス会のザピエル︵p
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S 一 一 冊 。
が鹿児島に上陸し、領主、島津貴久の許可を得て、伝道を 開始したことは日本史上有名なことであるが、その後カト リック、特にイエズス会の宣教師たちが日本での布教のた めに多くの文献を編述し残し伝えている。それらをキリシ タン資料と呼んでいる。それらの中でイエズス会の巡察使 という重職にあったヴァリニャ l ノ ︵ ﹀ ぽM
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︿ 巴 ∞ 口 同 ロ O︶が一五九O
年にヨーロッパの活字印刷機を日本に輸入 し、それで印刷刊行したものがキリシタン版と呼ばれてい る 。 そのキリシタン版は、現在一五九一年頃に加津佐学林で 刊行された﹁どちりな・きりしたん﹂から、その二O
年後 に長崎で刊行された﹁太平記抜書﹂までのこ九種が知られ ハ 世 S ﹀ ている。この二九種の作品を、日本文字か、ローマ字か、 日本語か、あるいはポルトガル語か、またはラテン語か、 日本語はさらに文語か口語か、という用語用字の点から分 類して示すと次のようである。ω
日 本 字 ・ 文 語 の も の 一 一 種 倒 ロ ー マ 字 ・ ラ テ ン 語 の も の 五 種 例ローマ字・日本語およびポルトガル語のもの二種 倒ローマ字・ラテン語・ポルトガル語・ 日 本 語 の も の 二 種 岡 ロ ー マ 字 ・ 文 語 の も の 六 種 伺 ロ ー マ 字 ・ 文 語 お よ び 口 語 の も の 一 種 帥 ロ ー マ 字 ・ 口 語 の も の 二 種 これらはともに高い資料的価値をもつものであるが、こ れを国語資料、とくに音韻資料または文法史の資料という 視点からみると、帥のローマ字・口語の作品は特に注目されるものである。このこ作品は天草版平家物語と伊曽保物 語 で あ る 。 キリシタン版のローマ字による表記が、当時の音韻資料 として貴重であることは言うまでもないが、このローマ字 の写音法については、橋本進吉博士の﹁キリシタン教義の 研究﹂をはじめ、先学の研究があるところである。一方、 天草版平家物語の口語資料としての価値は、一般に中世が 言文二途の時代で、しかも口語資料が少ないなかで、特に 貴重であると言える。この時代は文法史では古代語から近 代語へ移ろうとする時代であるため、特に興味がもたれる 作 品 で あ る 。 ところで動調の古代語から近代語への推移の原理は、
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連 体 形 の 終 止 形 化 倒 二 段 活 用 の 一 段 化 の二つにあると考えることができる。例えば﹁受く﹂とい う動詞の活用の変遷は、左表のようになる。A
は平安時代 A う う う | 未 け け け | 然形
命 令 形 う け よ う け よ う け ろ 連 用 形 う け う け う け 終 止 形 己 然 形 う く れ う く れ う か れ う う う け0く:く るる: Bc
の 活 用 で あ り 、 C は 現 代 語 の 活 用 で あ る 。 A が C になる過程 に B が あ る 。 B は A の 連 体 形 ﹁ う く る ﹂ が 、 B の終止形とな り 、 A の 終 止 形 ﹁ う く ﹂ に と っ て 代 わ っ て い る 。 こ の A か ら B へ の 変 化 が い わ ゆ る ﹁ 連 体 形 の 終 止 形 化 ﹂ と い う 現 象 で あ る 。 一 方 、 B か ら C へ の 変 化 は B の ﹁ う く る ・ う く れ ﹂ が ﹁ う け る − う け れ ﹂ と 変 化 し て 、 母 音 U が e に変化している。これは ﹁ う け ・ う く ﹂ ︵ C 関 ゐ C 国 内 1己 ︶ の 二 段 活 用 が ﹁ う け ﹂ ︵d m
叩 ﹀ だ け の 一 段 活 用 に な っ て い る 。 こ の 変 化 が ﹁ 二 段 活 用 の 一 段 化 ﹂ である。動詞の活用の変化は巨視的にみれば上記の連体形の 終止形化や二段活用の一段化によって、近代語に移ってゆく わけであるが、微視的には当時の作品を細かに調査し、連体 形の終止形化、二段活用の一般化はどのように行われたかを 調査する必要があり、その資料としては、この天草版平家物 語 は 最 上 の 作 品 で あ る と い え る 。 伺連体形と終止形の用法 日本語における用言や助動調の語形変化はどのような語に 続くか、どんな切れ方をするかによって語形を変える。これ を活用と呼んでいる。橋本進士口博士は﹁語の意味の切れ続き を示し、又種々の語に続くために、同じ語の形の変化するの ハ 注 4u を活用といふ﹂と説明されている。そして活用する語が活用 してとる種々の違った形、すなわち未然形・連用形:::命令 形の六つを活用形という。また同じ活用形においても、例え ば、﹁をかしき歌﹂での﹁をかしきこは連体形で、文字どおり ﹁ 歌 ﹂ に 連 な り 体 言 を 修 飾 し て い る 。 ま た ﹁ 歌 ぞ を か し き 。 ﹂ という場合の﹁をかしき﹂も体言には続かない形であるが連 体形である。すなわち連体形というものには、単一な用法で はなく、幾種類かの用法が含まれているのである。このこと は他の活用形でも同じで、各活用形はいくつかの用法をもっ ている。これを活用形の用法と呼んでいる。小稿のテ l マ の天草版平家物語の連体形の終止形について述べる前に、平安 時代の語法により表現されている作品の活用語の終止形と連 体形の用法についてとりまとめておこう。 A 終止形の用法 ︵ A I ︶終止法|述語として文を終止する用法
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都 へ た よ り も と め て 文 や る 。 ︵ 徒 然 草 ︶O
雨 な ど 降 る も を か し 。 ︵ 枕 草 子 ︶ ︵ A Z ﹀助動調﹁ベし・ぺらなり・めり・らむ・らし・まじ ・ な り ﹂ な ど に 続 く 。O
男もすなる日記といふものを︵土佐日記︶O
閉 じ 深 さ に 流 る ぺ ら な り 。 ︵ 土 佐 日 記 ︶ ︵A S ︶ 助 調 ﹁ と も ・ な ︵ 禁 止 ︶ ・ や ︵ 疑 問 ︶ ﹂ な ど に 続 く 。O
散 り ぬ と も 香 を だ に 残 せ ︿ 古 今 集 ﹀O
あ や ま ち す な 。 心 し て 下 り よ 。 ︵ 徒 然 草 ︶ 終止形は︵ A 1 ﹀のような終止法のほかに︵ A 2 ︶ ・ ︵ A S ︶ の よ うに助動調や助詞に続く用法がある。また連体形の用法は次 の よ う で あ る 。 B 連体形の用法 ︵B 1 ︶連体法||連体修飾語となる用法O
人げなき所なれば、ここかしこのぞけどとがむる人な し 。 ︵ 堤 中 納 言 物 語 ﹀ ︵ B 2 ︶準体法||体言に準じて用いる用法O
冬はつとめて。冬の降りたるはいふべきにあらず、霜の い と 白 き も 、 ま た さ ら で も い と 寒 き に 、 ︵ 枕 草 子 ︶ ︵B S ︶係助詞﹁ぞ・なむ・ゃ・か﹂を受けて終止する用法O
女 子 の な き の み ぞ 悲 し び 恋 ふ る 。 ︵ 土 佐 日 記 ︶ ︵B J 疑問・不定などを表す副調や名詞などを受けて終止 する用法O
な ど 、 ま た 真 人 た ち の か う す る 。 ︵ 落 窪 物 語 ︶ ︵B 5 ︶余情を含んで終止する用法O
雀 の 子 を い ぬ き が 逃 が し つ る 。 ︵ 源 氏 物 語 ︶O
我ながら心の果てを知らぬかな捨てられぬ世のまたいと は し き ︵ 新 古 今 集 ︶ この余情終止の用法は平安時代ごろまでは会話文か和歌に 用 い ら れ る の が 普 通 で あ る 。 伺天草版平家の連体形の終止形化 連体形の終止形化とは連体形の用法のうちの︵ B S ︶の用法 が時代が下るにつれて次第に余情や感情を特に含まなくて も、この形を用いるようになり、やがて A の用法にとって代 わる現象である。この現象が天草版平家物語ではどう用いら れているかが、小稿のテ 17 で あ る 。 天草版平家を口語資料としてその用法を検討するのに、ま ず理解しておかねばならないことは、この中には文語的表現 が混ざっている部分があることである。というのは、この作 品には三頁分の序文と、数首の和歌及び引用句など文語で書 かれた部分があるということである。古代語︵文語︶から近代 語の口語への推移を検討しようとするためには、この部分は 他 と 区 別 し て 取 り 扱 う 必 要 が あ ろ う 。 さて連体形が終止形化すると、ラ行変格活用は変格活用でなく四段活用となるが、天草版平家ではどう用いられている か、﹁あり﹂の活用と使用度数を示すと、次のようである。 未然形 あ ら 四 終止形 あ り
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ある日 連 用 形 あ り 弘 あっ制 連体形 ある悶 巳然形 あれ回 命 令 形 あ れ 日 ﹁ あ り ﹂ は 一O
一八回用いられていて、それを活用形別に示す と右の表のとおりである。終止形に﹁あり﹂が七回、﹁ある﹂ が四三回であるから大勢は四段活用となっていることは明ら かである。しかし古い形の﹁あり﹂が七回用いられているの で、その用例を検討する必要がある。七例のうち一例は序文 中の例であり、四例は和歌の中の例である。序文と和歌は文 語であることは前述のとおりであるから、この五例を除くと あと二例だけは口語文と思われる中に終止形﹁あり﹂が用い られていることになる。そこでその﹁あり﹂はどう使われてい る か を み る と 、 下 記 の よ う で あ る 。 川たとひさありとも重盛かうでまかりいれ、ば、おん命にも かはり奉らうずると︵剖 l ロ ﹀ω
さうありとも何ごとのお使いとか聞いた?︵湖!日︶ 二例とも﹁ありとも﹂と接続劫調﹁とも﹂を下接する用法であ る。すなわち︵ A S︶の用法である。言い換えるとラ変として はその終止形﹁あり﹂は︵ A J の 用 法 が 二 例 だ け あ り 、 ︵ A l ﹀ の終止法には一例も用いられていない。そしてその︵ A 1 ﹀ の 用法には新しい形の﹁ある﹂の方が用いられている。﹁ある﹂ の終止形四三例中四二例は次の例のような終止法である。 同異国にさる例がある。︵日 1 3 ︶ このように﹁あり﹂の形の終止法はすべて姿を消し﹁ある﹂の 形に代わっている。また﹁ある﹂の終止形に接続助調﹁とも﹂ がついた﹁あるとも﹂の形が一例だけある。 同楽しみ栄え世にあるとも、千年の齢を延べうか?︵制 l 幻 ︶ ﹁ある﹂の形の終止形は終止法だけでなく、下に助詞を接続す る ︵ A J の用法にも一例用いられていることになる。すると、 ﹁ と も ﹂ に 続 く 形 は ﹁ あ り と も ﹂ が 二 例 、 ﹁ あ る と も ﹂ が 一 例 用 い ら れ て い る こ と に な る 。 以上ラ変に限ってみても、平安時代には連体形であった ﹁ある﹂の形が、この天草版平家では終止形として用いられて いる。そしてこの連体形の終止形化は、上記の用法でみると、 終止法である︵ A l ︶の用法から完成していったものであろう と考えられる。この現象をさらにカ変とサ変について考察し てみよう。説明の都合上、平安時代と同じ終止形の形を﹁終止 形 α ﹂とし、連体形が終止形化した形の終止形を﹁終止形S
﹂ として、以下考察していくことにする。 天草版平家のカ変・サ変の活用と、その度数を一示すと次の とおりである。但し複合語のカ変・サ変については、後述す ることにして今ここでは触れない。この表に示すとおり、カ 変では終止形 α の﹁く﹂は例がなく、終止形s e
の ﹁ く る ﹂ が 四 例用いられている。その終止形F
の﹁くる﹂もすべて次の例の ように終止法︵ A l ︶ で あ る 。せ ー 然 形 未 、ーー 149 7 し き 連 形 用 273 23 す
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11 2 2 同東国の武士とおぼしうて三十騎ばかりくる。︵却 15 ︶ 同武者一騎沖なふねに目をかけて五段ばかり泳がせて来 る 。 ︵ml7
︶ 一 方 、 サ 変 で は 終 止 形 α の﹁す﹂が四回、終止形 8 ’ の ﹁ す る﹂が二回用いられている。終止形α
の四回のうちこ回は序 文の中で使用である。それを除外してあとの二例は次の例で あ る 。 的まことに人は世にあるとてもすまじいことをし、言ふま じ い 事 を 言 は ぼ 、 ︵ 旧 ! 日 ︶ 同 こ れ は 院 方 の 者 ぞ 、 過 ち を す な と 、 言 う た れ ど も 、 ∼ ︵ml
却 ︶ この終止形α
の﹁す﹂は仰の文では助動詞﹁まじい﹂に、同の 文では禁止の助調﹁な﹂に続いて用いられている。上記終止形 用法の︵ A 2 ﹀と︵ A S ︶である。ところが、終止法︵ A l︶ に は 、 終 止 形9
の﹁する﹂の形が用いられている。その二例を示 す 。 倒木曽は京に居ていろいろのことをする。︵mll
︶ 帥やがてその日西国への門出をすると聞こえたほどに、 ︵m
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︶ 以上ラ変・カ変・サ変の終止形の用法を検討してみると、 ラ変﹁あり﹂が﹁ありとも﹂と助調﹁とも﹂を伴ってだけ用い られ、サ変の終止形α
の﹁す﹂が﹁すまじい・すな﹂と付属語 を下接してだけで用いられている。そしてこの終止形α
の 方 は終止法として用いられたものはない。一方終止形9
の﹁あ る・くる・する﹂の形は、終止法はすべてこの形が用いられ て い る 。 そ こ ら を ま と め て み る と 、 −終止形α
は下に助調・助動調がつく場合にだけ用いら れ 、 終 止 法 に は 用 い ら れ て い な い 。E
終止形 a H は、終止法はすべてこの形が用いられ、その他 付 属 語 が つ い た も の も あ る 。 というような用法の差異がみえる。ただこの傾向は他の下二 段活用や上二段活用あるいは複合語のカ変・サ変にもあるの か ど う か 、 さ ら に 検 討 し て み る こ と に す る 。 天草版平家に下二段活用は異なり語数語八二語、延べ語数 一 一 一 一 九 四 語 が 用 い ら れ て い る 。 そ の 一 一 一 一 九 四 語 を 各 活 用 形 別 に 示 す と 、 次 の よ う で あ る 。 未 然 形 一 連 用 形 一 終 止 形 a 終 止 形 月 一 連 体 形 一 巳 然 形 一 命 令 形 一 合 計 868 1923 186 110 64 3194 12 31 終止形α
の一二固と終止形9
の 一 一 一 一 回 が 解 明 の 鍵 で あ る か ら、まず終止形α
の一二回から検討することにする。一二 回のうち和歌での使用が四回、古い語句の引用での使用が 三回、序文の中での使用が一回ほどある。この入例を除いてあと四例が当時の口語文のなかに、古い形の下二段終止 形がいられていることになる。その四例は次のとおりであ る 。
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つひに隠れあるまじいことなれば、しばらくは知らす ま じ い と 思 ふ 。 ︵ 悶lM
︶ω
敵に首を取らすまいと思うたか。︵捌l
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うとうもあれ、親しうもあれ、えこそ刷U
剖矧剖まじ け れ 。 ︵ 却13
︶ω
女房たちいづれも遅れ参らすまじいともだえられた。 ︵ 拙IM
︶ こ の 四 例 は す べ て 、 ﹁ ま じ い ﹂ か ﹁ ま い ﹂ が 下 接 し た も の で ある。すなわち助動調﹁まい・まじい﹂が下接する形だけ が古い形の終止形α
が用いられている。しかも﹁まい﹂は 現代語では﹁知らせまい・受けまい﹂というように、下一 段活用などでは終止形ではなく、未然形につくようになっ ている。この﹁まい・まじい﹂の未然形接続への変化は、 天 草 版 平 家 に も 見 ら れ る 。 帥北の方この人に離れまじいものをと泣かるるに、 ︵ 加l
m
︶ このように、﹁まじい﹂は上二段や下二段活用では未然形 に接続するようになっており、下二段の﹁終止形 α + ま じ﹂の形は、当時ゆれている語法の一つであったと考えら れ る 。 一 方 、 終 止 形P
の 一 一 一 一 例 は ど う で あ る か を み る と 、 と も 多 い 例 は 終 止 法 で あ る 。 も つ 仰心の底に意趣を残さうずる儀でござなければ、申し上 ぐ る 。 ︵ 羽 ! 日 ﹀ 間熊谷これを見て、平山を討たすまいとて、続いて駆く る 。 ︵ 捌lM
︶ このように平安時代ならば連体形であった形がこの頃には 終止形として用いられている。右の M W ・ 仰 の よ う な 終 止 法 が三一例中、二六例用いられている。残りの五例は助動詞 ﹁ ら ん ﹂ と 助 調 ﹁ と も ・ な ﹂ に 続 く 例 で あ る 。 側ほととぎす雲居に名をやあぐるらんと仰せかけられた れ ぼ 、 ︵mll
︶ 側そののちはしかるべい人たちをぽ乗するとも、雑人ど も を ば 乗 す る な と 言 う て 、 ︵m12
︶ この付属語に続く例は﹁らん﹂にこの一例、接続助調﹁と も﹂に続く例二例、禁止の助詞﹁な﹂に続く例二例の計五 例 で あ る 。 以上下二段活用の調査をまとめると、次のように言うこ と が で き る 。 ︵ 但 し 、 序 文 や 和 歌 の 用 例 は 含 め な い ﹀E
終止形 α は下に助動詞﹁まじい﹂などを下接してだけ 用 い ら れ て い て 、 終 止 法 の 例 は な い 。 N 終止形 A H は多く終止法に用いられているが、そのほか 助 動 調 ﹁ ら ん ﹂ 、 助 調 ﹁ と も ﹂ や ﹁ な ﹂ が 下 接 し て の 用 法 も あ る 。 連体形の終止形化とは、終止形。 μ の用法が終止形α
に と っ て 代 わ る 現 象 で あ る 。w
に示すように、終止形9
が終止法 のほかに助動調や助詞が下接した例がみえる点に、終止形P
の 用 法 の 拡 大 、 が う か が え る 。 次にその他で連体形の終止形化がわかる上二段活用と、 複合語を含めたカ変やサ変はどうであるかについて調べて みよう。各活用形別の語数は次のとおりである。菱
|
基
|
主
未 504I 10 I 91 I然 32 終止 a 終 止 a H 連 6701281国 | 用 国 | 凶201震
己 61然 命 21令 メL <=I l銅I6813071言十 2 1 7 361 3。
2 24 52 上二段活用は延べ三O
七語用いられているが、それを活 用形別にすると右のとおりで、終止形α
が 二 回 、 β ・ が 一 回 用 い ら れ て い る 。 そ の 例 を 示 す 。 側 僻 事 し て わ れ を 恨 む な と 一 一 田 は れ た れ ば 、 ︿ お12
﹀ω
僻怠にして頼朝恨むなと、︵m
l
m
︶ 上二段の終止形α
は右の二例で、ともに﹁恨むな﹂という 形で禁止の﹁な﹂に続いて用いられている。ちなみに﹁恨 む﹂は本作品でも﹁ l み ・ l み ・ l む ・ l むる﹂と用いら れていて上二段活用である。一方、上二段の終止形 β ’ は 、ω
朝敵となっては、いかに悔ゆるとも、益あるまじい。 ︵ 必il
﹀ このように﹁悔ゆるとも﹂と接続助調﹁とも﹂に続いて用 い た 一 例 だ け で あ る 。 カ行変格活用は﹁来る﹂のほか複合語を加えて異なり語 数一五語、延ベ語数で六人語が用いられている。六八回の なかで﹁来る﹂が四九回用いられていて、他は﹁出で来 る﹂などの複合語である。その中で終止形α
は 一 回 も 用 い られていない。終止形8
’ の 方 が 七 回 用 い ら れ て い る 。 そ の 七回は終止法が六回で、接続助調﹁とも﹂に続くものが一 回 で あ る 。 終 止 法 六 回 の う ち ﹁ 来 る ﹂ が 四 回 、 ﹁ 攻 め 来 る ﹂ ﹁馳せ来る﹂が各一回用いられている。終止法の例は次の と お り で あ る 。 M W さうするほどに成田の五郎も来る。︵加1
7
︶ 帥文袋を首にかけた僧の蓑毛の馬に乗って馳せくる。 ︵ 制l
m
︶ 接続助詞﹁とも﹂に続くものは次の一例である。 M W たとひいかなる僻事いでくるとも、君をぼ何とさせら れ う か と 、 ︵ 却l
6
︶ ところで、サ変は和語や漢語との複合語があって、異な り 語 数 二O
四語、延べ語数一四五九語が用いられている。 それらのなかで終止形α
は 、 異 な り 語 数 一 一 一 一 語 、 延 べ 語 数 で二四回用いられている。なおその中で﹁書す︵3
︶・千 辞万退す︵1
︶・達す︵1
︶・免ず︵l
︶ ﹂ お よ び ﹁ す ﹂ の うちの二聞は、序文や引用文での使用である。したがって その文語表現での用例を除くと、口語文中での終止形α
は 九語一六回用いられていることになる。その語を下接語に よって分類して示すと次のようである。 ハ 例 助 詞 ﹁ な ﹂ に 続 く も の あひびきす︵1
︶・あやまちす︵5
︶ かくす︵l
︶ す ︵1
︶ ・ ふ 計八回制助動詞﹁まい・まじい﹂に続くもの けっす︵
l
︶・す︵1
︶・そんす︵1
︶ ︵l
︶・まらす︵ 2 ︶ω
助動調﹁らう﹂に続くもの おはす︵2
︶ 二 回 サ変の終止形 α の用法は、右のω 1 ω
のように助調・助動 詞に下接する︵ A 2 ︶・︵ A 3 ︶の用法だけで、終止法︵ A l ︶ の 例 は な い 。 一 方 、 終 止 形3
の五三例はどうかをみると、この用法を もっ語と回数は次のとおりである。 うちじにする︵1
︶・けんぶつする︵l
︶・する︵ 2 ︶ ・ す い び す る ︵1
︶・ぞんずる︵お︶・まらする︵剖︶ この五二例のうち、五O
例は終止法として用いられている。 そ の 終 止 法 の 例 を 一 示 す 。 側能登殿に寄りつく者がないが、本意なうござれば、組 み 奉 ら う と 存 ず る 。 ︵ 揃l
n
︶ 間その日西国への門出をすると聞こえたほどに、︵加! 日 ︶ サ変の終止形 β ’ は 、 こ の よ う な 終 止 法 が 五O
回用いられて いる。そして残りの二例は、助詞﹁とも﹂と助動詞﹁ま い﹂に続くものである。その二例を示す。 側母御前には別れまらするとも、父御前には必ず同じ所 に と こ そ 大 人 し や か に 仰 せ ら れ た 。 ︵ 揃 ! 日 ︶ 側三町にはすぎまらするまい。︵加lH
︶ このようにサ変の終止形9
の用法でも五二例中五O
例が終 計六回 ぞんず 止法であるように、多くが終止法で、 詞に続いても用いられている。 次に二段活用の一段化についてであるが、天草版平家に おいては、一段化した語は﹁経﹂の一語だけである。﹁経﹂ の活用形別語数を示すと次のようである。 未然形﹁へ﹂一回、連用形﹁へ﹂一二回、己然形﹁ふ れ﹂二回・己然形﹁へれ﹂二回 己然形の﹁ふれ﹂は下一一段であるが﹁へれ﹂は下一段であ る。すなわち一段化した例が二回だけ混じているとみるべ き で あ ろ う 。 己 然 形 の ﹁ ふ れ ﹂ と ﹁ へ れ ﹂ の 例 を 一 亦 す 。 側 平 家 は 日 数 を ふ れ ば 、 ︵ ﹃ 日 早 田 ︶ 都 を ば 山 、 川 、 海 に へ だ て ら れ て 、 ︵ 瑚1
6
︶ 倒日数をふれぼ、︵同日各国︶能登の国に着かせられた。 ︵mlH
︶ 右の例は下二段に活用したものである。 倒 日 数 へ れ ば 、 ︵ ﹃2
0
E
︶駿河国浮島にかからせらるる に 、 ︵ 制l
n
︶ 倒 日 数 へ れ ば 、 ︵ ﹃2
S
同︶六月三十日には近江国篠原に着 か せ ら れ 、 ︵ 拙 l げ ︶ 問・闘は﹁経れば﹂が一段に活用している。天草版平家で 一 段 化 し た 例 は 右 の 二 例 だ け で あ る 。 ロドリゲスによると、このような動詞の一段化は話しこ とばで稀に使われていた。特に関東で用いられ、都では一 部の者に使用されていたという。したがって、この二段活 用が一段化するのが普遍化するのは次の時代である。 そのほか助調や助動的 ま と め 中世は言葉の変動期であった。文法史上でも大きな変化 ︵ 注 5 ﹀ があった。その事情を﹁国語史要説﹂では次のように述べ て い る 。 動詞はこの期に大きく変動している。その一つは、連 体形が終止形の機能をもつようになったことである。前 代でも会話の文中では、上に係助詞がないのに、文末を 連体形で結ぶことがあったが、院政期になると、会話文 だけでなく、地の文にもあらわれるようになった。︵中 略︶室町期には、すべての活用を通じて、終止形と連体 形が同形になり、この点では今日と同じになった。︵
m
頁 ︶ 巨視的にみれば確かにこのとおりである。室町時代には連 体形の終止形化は完成し、終止形と連体形は同形になって いるはずである。ここで考察の対象とした天草版平家物語 は、その中世の最末期一五九二年に、口語で書かれた作品 である。この作品の終止形を細かに調査することは、連体 形の終止形化の現象を微視的に、その過程をも含めて考察 することになると考えられる。その観点から平安時代から の古い形の終止形を﹁終止形α
﹂とし、かつての連体形が とって代わって終止形となっているものを﹁終止形S
﹂ と 仮に名づけて、その用法を各活用の種類別に考祭してきた。 いま、終止形α
の 用 例 数 を と り ま と め て 一 不 す と 表1
の と お りである。古い形の終止形である終止形α
は全部で四五回 終止形αの活用の種類別使用度数 A1の用法 A2の用法 A,の用法 小計 文語文中の例 合計 終止法 まじい まい らう とも な 序文 和歌 引用 ラ 変 2 2 4 7 下二段 2 2 4 4 3 12 上二段 2 2 2 カ 変。
サ 変 4 2 2 8 16 7 24 ナ 変。
全 体。
6 4 2 2 10 24 9 8 4 45 表l用いられている。︵但し、四段活用や一段活用はもともと 連体形と終止形が同形であるので考察の対象から除く︶そ の四五例のうち序文・和歌・引用句など、もともと文語文 のなかでの使用が一一一例あるから、これを除くと口語文の なかでの終止形 α は二四例あることになる。となると古い 形が完全にとって代わられて消滅しているのではなく、い くらかは残っていることになる。そしてその残った二四例 を検討すると、終止法の用例は皆無で、助動調﹁まじい・ まい・らう﹂に続く例が二一例、助調﹁とも・な﹂に続く 例が一二例であることは表
1
の 示 す と お り で あ る 。 連体形の終止形化による用法の推移は、表2
と対照する と明確になる。表2
の終止形8
・ の 用 法 を み る と 、 ま ず 一 二 四回使用の終止法が注目される。表ーと表2
の終止法の項 目を比較すると、表l
の 終 止 法 はO
であるのに対し、表2
は一二四である。すなわち終止法に関しては、﹁あり・上 ぐ・く・す﹂というような古い形は一例もなく、すべて ﹁ある・上ぐる・くる・する﹂というような、以前の連体 形が終止形になったものだけである。この終止法に関して は連体形の終止形化は完全に完了しているといえる。 一 方 、 ︵ A 2 ︶の助動調を下接する用法では、表1
の 方 が 一 一 一 例 、 表 2 の方が二例で、数の上では表l
の方の、終止 形α
につく例の方が多い。ただ﹁まい・まじい﹂は常に終 止形接続ではなく、一段活用や二段活用では未然形につく ようにもなるから、その点は考慮に入れなければならない。 さらに︵ A J の助詞を下接する用法では、終止形α
で は 終止形9
の活用の種類別使用度数 A1の用法 A2の用法 Aaの用法 合計 終止法 まい らん とも な ラ 変4
2
/ /1
4
3
下二段2
6
1
2
2 3
1
上二段1
1
カ 変6
6
サ 変5
0
1
1
5
2
ナ 変。
全 体1
2
4
1
1
5
2 1
3
3
表2 ﹁ と も ﹂ に 二 例 、 ﹁ な ﹂ に 一O
例がありー終止形F
で は ﹁ と も﹂に五例、﹁な﹂に続くもの二例がある。このように対照 してみると、次のような見方ができる。助調﹁とも﹂を下 接する用法では﹁ありとも﹂という形が二回用いられてい る の に 対 し 、 ﹁ 終 止 形3
+とも﹂の方は五回用いられてい るから、この仮定法はほぼ新しい形へ移っているようであ る。また﹁な﹂を下接する用法は終止形α
が 一O
例、終止 形。が二例であるだけに、また古い形の方が優勢であったとみなければならない。 以上、表