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二五鈴木大拙の 日本的霊性 についての考察(上)横田理博序一 日本的霊性 の全体像二 霊性 概念をめぐって三 即非の論理 をめぐって(以上 本誌に掲載)四西田幾多郎の反応 場所的論理と宗教的世界観 五戦後の 霊性 論を踏まえて六鈴木の見解についての検討序鈴木大拙(一八七〇~一九六六年)という人物は

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上)

横田, 理博

九州大学大学院人文科学研究院 : 教授

http://hdl.handle.net/2324/1912130

出版情報:哲學年報. 77, pp.25-76, 2018-03-13. 九州大学大学院人文科学研究院

バージョン:published

権利関係:

(2)

二五

鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察

  (上)

 

 

 

序 一   『日本的霊性』の全体像 二   「霊性」概念をめぐって 三   「即非の論理」をめぐって (以上、本誌に掲載) 四   西田幾多郎の反応――「場所的論理と宗教的世界観」 五   戦後の「霊性」論を踏まえて 六   鈴木の見解についての検討 序   鈴 木 大 拙 ( 一 八 七 〇 ~ 一 九 六 六 年 ) と い う 人 物 は、 西 洋 社 会 に 禅 を 広 め た 日 本 人 と し て 今 な お 讃 仰 さ れ て い る。 その一方で近年は、 近代化の果てに戦争をひきおこして日本国民をも近隣諸国をも苦しめてきた日本の国家主義 ・ ナショナリズムに彼は協調していたのではないかという批判もある (1) 。   西田幾多郎・鈴木大拙・九鬼周造・新渡戸稲造・岡倉天心、これらの近代日本の知識人は、明治の初めに西洋

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二六 的な教育を受けて青年となり、西洋思想に憧れの念を抱き続けるとともに、忘れられつつあった東洋思想を掘り 起 こ し、 そ こ に 西 洋 に な い 独 自 の 意 義 を 主 張 す る よ う に な っ た。 〝 西 洋 に な い 独 自 の 意 義 が 東 洋 思 想 に は あ る 〟 とするとき、 〝 西洋 〟 像は矮小化されているのではないか。このような問いかけがロバート ・ H ・ シャーフによっ て投じられた (2) 。   近代日本の知識人たちに対するシャーフの批判はニーチェの 「ルサンティマン」 説 (3) を思い起こさせる。ニー チ ェ に よ れ ば、 〝 強 者 〟 が そ の 強 さ を 誇 っ て「 主 人 道 徳 」 を 形 成 す る の に 対 し て、 〝 弱 者 〟 は 強 者 に 立 ち 向 か い えない無力感と強者への「ルサンティマン (うらみ) 」を抱き、 そこから、 弱者をいたわることは善いことで、 弱 者をしいたげる強者は悪者だという 「奴隷道徳」 をつくりだした。キリスト教倫理は奴隷道徳に淵源する、 とニー チェは言う。近代日本の知識人たちにとって、 「西洋」は自力では立ち向かいえない「強者」であった。この「強 者」になにがしかマイナスのレッテルをはって、自分達「弱者」の自尊心を保とうとした。シャーフの説はこの ように換言できるかもしれない。   西洋人がその力関係の優位を背景として東洋を劣ったものとして固定して見る見方をサイードは「オリエンタ リ ズ ム 」 と し て 告 発 し た ( 4) 。 こ れ と 反 対 に「 西 洋 」 を 克 服 す べ き 対 象 と し て 固 定 的 に 矮 小 化 し て 見 て、 そ の ネ ガとして設定された東洋思想を讃美する態度は、 他者に歪んだレッテルをはるという点では「オリエンタリズム」 の裏返しだと言える。西洋人の「オリエンタリズム」は強者の自己正当化の論理、近代日本が提示した東洋思想 論は弱者の自己正当化の論理、ということになるのかもしれない。   しかし、 ウェーバーがニーチェの「ルサンティマン」説を批判したように、 宗教倫理は、 もっぱら「強者/弱者」 と い う 社 会 構 造 に よ っ て 決 定 さ れ る わ け で は な い。 近 代 日 本 の 知 識 人 た ち が、 〝 西 洋 を 克 服 し う る 東 洋 思 想 〟 と して提起したものについても、他者否定の先行、オリエンタリズムの裏返しというような局面だけを強調して解

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 二七 釈したり、ましてその価値をおとしめてはならない。   シャーフの問題提起が、日本の近代化の歩み総体の中で西田や鈴木の思想の意義を考える上でたいへん啓発的 なものであったことは否めない。とはいえ、近代日本の知識人たちを「ナショナリズム」という烙印のもとに一 緒くたにしてレッテルばりをするわけにはいかない。彼ら一人一人それぞれに異なる境遇で異なる問題を抱えて いたし、鈴木大拙一人をとってみても、時期により著作によりその思想は異なっている。私は当面、一つ一つの 著作に即して、いったい鈴木は何を言いたかったのか究明していくことを課題としたい。そのような分析の中で こそ、ナショナリズムを含む諸問題の具体相は明らかになるだろう。   日 本 文 化、 日 本 思 想 の 中 に、 我 々 が 今 日 再 評 価 し 継 承 す べ き も の を 掘 り 起 こ す、 「 今 ま で 埋 れ て 居 た も の を 掘 り 出 す 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 九 頁 ( 5) ) こ と を 鈴 木 は 試 み た。 今 日 我 々 も ま た、 埋 も れ つ つ あ る 鈴 木 の 思 想 の 中 に、 な に がしか継承すべきものを掘り起こすべきなのではなかろうか。   本稿で主たる考察対象とするのは『日本的霊性』という著作である。   『日本的霊性』で提示された「霊性」概念や「即非の論理」 、そして、それに西田幾多郎が触発されたことなど を め ぐ っ て は、 す で に 種 々 の 研 究 が あ る。 し か し、 『 日 本 的 霊 性 』 と い う 著 作 そ れ 自 体 を ト ー タ ル に 真 正 面 か ら 考察する研究は管見のかぎり多くはなかったのではなかろうか。   「 昭 和 十 九 年 の 春 頃 か ら 秋 に か け て 草 せ ら れ た 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 五 頁 ) と い う『 日 本 的 霊 性 』 の 初 版 を 鈴 木 大 拙 が 出 版 し た の は 昭 和 十 九 ( 一 九 四 四 ) 年 十 二 月 の こ と で あ る。 こ の 初 版 の う ち の 第 五 篇「 金 剛 経 の 禅 」 は、 昭 和 二 十 四 年 の『 鈴 木 大 拙 選 集 』 第 一 巻 ( 大 東 出 版 社 ) 収 録 の 際 に は 省 か れ た。 そ の た め 現 行 の『 鈴 木 大 拙 全 集 』 ( 岩 波 書 店 ) 第 八 巻 ( 一 九 九 九 年 ) 所 収 の『 日 本 的 霊 性 』 に も 第 五 篇 は 含 ま れ て お ら ず、 こ の 第 五 篇 の 文 章 は 同 全 集 第 五巻 (二〇〇〇年) に収録されている。とはいえ、 本稿で考察対象とするのは、 第五篇を含んだ形での 『日本的霊性』

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二八 である。それは、昭和十九年の初版『日本的霊性』に込められた鈴木大拙の問題意識や問題点を明らかにしてお きたいからである。そもそも、浄土系思想と禅思想とを二本の柱としてその対照性と共通性とを探り出すという 『 日 本 的 霊 性 』 全 体 の 構 成 を 考 え れ ば、 第 五 篇 の 禅 思 想 を は ず し た 形 で『 日 本 的 霊 性 』 を 論 じ る わ け に は い か な いのである。   本稿の構成を示しておこう。   第一章では『日本的霊性』の全体像を示す。重要な論点を極力くみあげる形で紹介しておきたい。   『 日 本 的 霊 性 』 と い う タ イ ト ル 自 体 が ア ピ ー ル し て い る「 霊 性 」 と い う 言 葉 は、 現 代 の 我 々 が 通 常 使 用 す る 言 葉ではない。したがって、 まずはその意味を究明しなければならない。 『日本的霊性』 という著作における 「霊性」 概念の意味は第一章の中で解明するが、この概念が鈴木の他の著作でどのような意味合いで使われていたのかを 第二章で明らかにする。   『 日 本 的 霊 性 』 の 中 に 示 さ れ た テ ー マ の う ち、 読 者 に と り あ げ ら れ る こ と の 多 か っ た の は 何 と 言 っ て も「 即 非 の 論 理 」 で あ っ た。 『 金 剛 般 若 経 』 か ら 鈴 木 が と り だ し た 論 理 で あ る が、 い っ た ん は『 金 剛 般 若 経 』 の 中 に も ど して、経典の内容を踏まえながら考察してみる (第三章) 。   鈴木の『日本的霊性』は、晩年の西田幾多郎を突き動かして宗教論「場所的論理と宗教的世界観」を書かせた。 西田がいかに『日本的霊性』のテーマを継承したのかを探ってみる (第四章) 。   この著作の発表が戦争末期であったことから、鈴木は執筆の際に軍部からの圧力や世間の空気のゆえに、思い 通りには書けなかったのではないかと推測される。幸いにして、戦後になって同じ「日本的霊性」というテーマ に関して鈴木は著作を発表している。軍部の圧力など気にしなくてもよくなった時代において鈴木はどういうこ とを主張したのか。その後の鈴木のいくつかの「霊性」論を視野に入れた上で『日本的霊性』について再考して

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 二九 みる (第五章) 。   第六章では、この著作『日本的霊性』を私が読んだときに感じた疑問点・問題点などを率直に示して検討して おきたい。 一   『日本的霊性』の全体像   さしあたって、 『日本的霊性』は全体としてどういう内容を提起しているのかを示してみたい。そのためには、 第一篇から第五篇までを順番に要約してみるよりも、むしろ話の順序にこだわらず、読み手の側で論点を整理し た ほ う が よ さ そ う で あ る。 講 演 の 内 容 を も と に し て 補 筆 し た も の が い く つ か 並 置 さ れ ( 第 三 篇・ 第 五 篇 ) 、 そ れ に 書 き お ろ し が 加 え ら れ て い る の で、 こ の テ キ ス ト は、 い わ ゆ る 〝 体 系 的 〟 に は 書 か れ て い な い。 論 点 が 二 重 に 登 場したりすることもある。それゆえ、或る程度読み手の側が整理して示さないと著作を全体として把握すること が困難になるのである。 (1)「 霊 性 」 の 意 味 と そ の 所 在 ①霊性   まずは、 「霊性」とは何か、鈴木の文章に即して探っていこう。   「精神」 とか 「心」 といった言葉では 「包みきれないもの」 を含む言葉として鈴木は 「霊性」 というタームを使う。 鈴木によれば「霊性」とは次のようなものを意味する。 「なにか二つのものを包んで、 二つのものが畢竟ずるに二つでなくて一つであり、 また一つであつてそのまま

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三〇 二つであると云ふことを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。……精神と物質の世界の裏 うち に今一 つの世界が開けて、前者と後者とが、互に矛盾しながら、しかも映発するやうにならねばならぬのである。 」 (鈴木全集八巻二一~二二頁) つ ま り、 鈴 木 は「 精 神 と 物 質 と の 奥 に、 今 一 つ 何 か を 見 な け れ ば な ら ぬ 」 と 考 え、 両 者 の「 奥 」 あ る い は「 裏 」 に一つの世界を見出し、これを「霊性」と呼ぶ。   「精神」と「霊性」との違いについて、 「精神には倫理性があるが、 霊性はそれを超越して居る。……精神は分別意識を基礎として居るが、 霊性は無 分別智である。……霊性の直覚力は精神のよりも高次元のものである……精神の意志力は霊性に裏付けられ て居ることによつて始めて自我を超越したものになる。 」 (鈴木全集八巻二二頁) と説明されている。すなわち、 「精神」 を方向づけている 「倫理性」 や 「分別意識」 を 「霊性」 は 「超越」 している。 「霊性」は「無分別智」である。また「霊性」は根本的な「直覚」を基盤としている。 「精神」に伴う「自我」は 「霊性」という基盤の上で乗り超えられる。   「精神」というものは「霊性」よりも表層にある。 「霊性は精神の奥に潜在して居るはたらき 0 0 0 0 で」ある。この霊 性という「はたらき」があるとき、 「精神はその本体の上において感覚し思惟し意志し行為し能ふ」 、つまり、本 来のはたらきを全うできる (鈴木全集八巻二四頁) 。   「 霊 性 」 を「 宗 教 意 識 」 と 呼 び 換 え て も よ い が、 日 本 人 に は「 宗 教 」 を「 迷 信 」 と 同 じ も の と 考 え た り す る 誤 解 が あ る の で 敢 え て こ れ を「 宗 教 」 と は 呼 ば な い、 と 鈴 木 は 言 う。 と は い え、 「 霊 性 に 目 覚 め る こ と に よ つ て 始 めて宗教がわかる」 (鈴木全集八巻二二頁) と言われるように、 「霊性」 は 「宗教」 の中心的要件である。 「宗教」 は 「人 間 の 精 神 が そ の 霊 性 を 認 得 す る 経 験 」 で あ る。 「 制 度 化 」 し「 形 式 」 に 堕 し た 宗 教 は「 宗 教 経 験 」 そ の も の で は

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 三一 ない (鈴木全集八巻二四頁) 。   霊性は「普遍性を有つて居て、どこの民族に限られたと云ふわけのものでない」 。しかし「霊性の目覚めから、 そ れ が 精 神 活 動 の 諸 事 象 の 上 に 現 は れ る 様 式 に は、 各 民 族 に 相 異 す る も の が あ る。 」 霊 性 が 現 れ 出 る「 様 式 」 は 民族ごとに違う (6) 。日本民族の霊性の現れ方の様式が「日本的霊性」である (鈴木全集八巻二五頁) 。   平安時代の「物のあわれ」の世界は、 「感覚的」 、「感情的」 、「情性的」であったが、 「霊性的」ではなかった (鈴 木 全 集 八 巻 七 六 ~ 八 〇、 九 〇 ~ 九 三 頁 ) 。「 感 性 的 又 は 情 性 的 直 覚 が 霊 性 的 直 覚 に 入 る 途 は、 否 定 の 外 に な い 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 一 一 三 頁 ) と い わ れ る よ う に、 霊 性 の 動 き は 現 世「 否 定 」 か ら 始 ま る ( 鈴 木 全 集 八 巻 七 九 頁 ) 。 第 二 篇 第 二 章 第一節の冒頭で鈴木は次のように述べる。 「 霊 性 の 動 き は 現 世 の 事 相 に 対 し て の 深 い 反 省 か ら 始 ま る。 こ の 反 省 は 遂 に は 因 果 の 世 界 か ら 離 脱 し て 永 遠 常住のものを攫 つか みたいと云ふ願ひに進む。業 ごう の重圧なるものを感じて、これから遁れたいとの願ひに昂まる。 これが自分の力で出来ぬと云ふことになると、何が何であつても、それに頓着なしに、自分を業縁又は因果 の繋縛から離してくれる絶対の大悲者を求めることになる。業の重圧を感ずると云ふことにならぬと、霊性 の存在に触れられない。これを病的だと云ふ考へもあるにはあるが、それが果してさうであるなら、どうし て も、 そ の 病 に 一 遍 と り つ か れ て、 さ う し て 再 生 し な い と、 宗 教 の 話、 霊 性 の 消 息 は、 と ん と わ か ら な い。 病的だと云ふ人は一たびもこのやうな経験のなかつた人なのである。病的であつてもなくても、それには頓 着 し な く て も よ い。 と に 角 霊 性 は、 一 遍 何 と か し て 大 波 に 揺 ら れ な い と 自 覚 の 機 縁 が な い の で あ る。 」 ( 鈴 木 全集八巻七九頁)   こ の 世 で 生 き て い る こ の 自 分 の「 業 の 重 圧 」、 つ ま り、 欲 望・ 煩 悩 に か ら め と ら れ た 自 分 の 生 活 の 罪 深 さ、 ふ がいなさを感じることが基点である。この罪責感情を感じること自体を「病的」だと考え、現実に満足している

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三二 ような人々のことをウィリアム ・ ジェイムズ (一八四二~一九一〇年) は 『宗教的経験の諸相』 (一九〇一~一九〇二年) の 中 で「 一 度 生 ま れ 」 の 人 々 と 表 現 し た ( 7) 。 そ こ に と ど ま る な ら 宗 教 は 生 ま れ な い。 自 ら の 罪 責 感 情 か ら 逃 れ る術 すべ を必死に求め、自分を救いとってくれる「大悲者」に出会い「再生」する。そのとき、現世否定から現世肯 定へと転換する。それは万葉人の素朴な 「現世肯定」 (鈴木全集八巻三六頁) とは違い、 現世否定をくぐりぬけた 「現 世肯定」である。 ②大地   ところで、 「霊性はどこでもいつでも大地を離れることを嫌ふ。 」 (鈴木全集八巻七二頁) と鈴木は言う。 「霊性」 とともに 「大地性」 もまた 『日本的霊性』 のキーワードの一つである。 霊性と不可分である 「大 地」とは何だろうか。 「大地」という言葉に鈴木はいくつかの意味を象徴的・シンボル的に込めている。   第一に、我々の生命がそこから生まれ、そこに帰っていく場としての「大地」である。 「生れるも大地からだ。 死 ね ば 固 よ り そ こ に 帰 る。 …… 霊 性 の 奥 の 院 は 実 に 大 地 の 座 に 在 る。 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 四 五 頁 ) と 言 わ れ る。 す な わ ち、大地は霊性の根源である。さらに次のようにも書かれている。 「霊性と云ふと、 如何にも観念的な影の薄い化物のやうなものに考へられるかも知れぬが、 これほど大地に深 く根を下して居るものはない。霊性は生命だからである。大地の底には底知れぬものがある。空翔けるもの、 天下るものにも、不思議はある。然しそれはどうしても外からのもので、自分の生命の内からのものでない。 大地と自分とは一つものである。 大地の底は自分の存在の底である。 大地は自分である。 」 (鈴木全集八巻四八頁) 霊 性 は 生 命 で あ り、 大 地 に 根 を お ろ し て い る。 「 大 地 と 自 分 と は 一 つ も の で あ る 」、 「 大 地 は 自 分 で あ る 」 と 言 わ れ る ( 8) ほ ど に、 我 々 個 々 の 人 間 の 根 っ こ に「 大 地 」 は あ る。 「 個 体 」 ( 後 述 す る「 個 己 」 と 同 じ と 見 て よ い だ ろ う )

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 三三 としての我々は大地と不可分である。 「個体は大地の連続である、 大地に根をもつて、 大地から出で、 また大地に還る。個体の奥には大地の霊が呼 吸して居る。それ故、個体にはいつも真実が宿つている。 」 (鈴木全集八巻五〇頁)   以上のように、 「大地」の第一の意味は本来の人間の根源ということであったが、 第二に大地には現象レベルで、 我 々 と の「 近 さ 」 が あ る。 天 は 遠 い が 大 地 は 近 い。 我 々 の 足 は 大 地 に 接 し て い る。 大 地 は「 具 体 的 」 で あ る ( 貴 族文化の「観念性」と対照させられる) 。人間は大地に直接に手を加える。   第 三 に、 人 の 生 き 方 の 模 範 を 大 地 は 我 々 に 与 え て く れ る。 農 作 業 に お い て、 誠 を も っ て 大 地 に 働 き か け れ ば、 大地はその誠に応えて農作物を恵んでくれる。 「大地は言挙げせぬが、 それに働きかける人が、 その誠を尽くし、 私心を離れて、 自らも大地となることが出 来ると、大地はその人を己 おの が懐に抱き上げてくれる。大地はごまかし 0 0 0 0 を嫌ふ。 」 (鈴木全集八巻一一八頁) 大地は人を欺かない。大地はあせらず四季の順序通り進行していく。大地には人間を教育し訓練する働きがある。   第四に、大地には「限りなき愛」 、「包容性」 、「何事も許してくれる母性」がある。けがれたものをも受け容れ、 それを浄化して生き返らせてくれるのが大地である。   第 五 に、 「 大 地 」 は、 田 舎・ 百 姓 農 夫 を 意 味 す る。 そ れ は「 智 慧 分 別 」 と は 対 照 的 な あ り 方 で あ る。 鈴 木 は と くに親鸞が越後に長年暮らしたことを「大地」との接点として重視する。親鸞は「一個の百姓男として、他の百 姓の間に伍して、静かに念仏の生活を生き抜かんとした」 (鈴木全集八巻八七頁) 。京都の文化の「観念性」 、「概念 性」はふりすてられた (鈴木全集八巻八八頁) 。「大地」が親鸞の霊性を覚醒させた。 「法然上人――親鸞聖人――の霊性的経験は実に大地から獲得せられたもので、 その絶対的価値は亦此に在る のである。 」 (鈴木全集八巻八三頁)

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三四 「親鸞聖人は、 法然上人の許で得たる念仏の信心を、 流謫の身となつた機会において、 大地生活の実地にこれ を試さんとしたものに相違ない。 」 (鈴木全集八巻八七頁) 「親鸞の念仏は大地から出て大地に還り行くものであつたに相違ない。 」 (鈴木全集八巻八九頁) 「特に親鸞聖人を取り上げて日本的霊性に目覚めた最初の人であると云ひたいのは、 彼が流竄の身となつて辺 鄙と云はれる北地へ往って、そこで大地に親しんで居る人々と起居を共にして、具 つぶ さに大地の経験を自らの 身の上に味つたからである。 」 (鈴木全集八巻九四頁) ③万葉・平安・鎌倉時代   古代の日本の 『万葉集』 に表現されているのは 「純朴な自然生活」 であり、 「生まれながらの人間の情緒そのまま」 である。 「宗教学者の云ふ、まだ生れかはらぬ魂の生活である。 」 (鈴木全集八巻三四頁) 。これは、先にも指摘した ように、ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』における「一度生まれ」を指しているものと思われる。 ジェイムズの「二度生まれ」のように、いったん「否定」を媒介しないと本当の宗教にはならないと鈴木は考え ているようである。 「宗教は此否定 [現世否定] なしに、最後の肯定にはひるわけに行かぬ」 (鈴木全集八巻三七頁) 。   平 安 朝 文 化 は「 宮 廷 を 中 心 に し て、 こ れ を め ぐ る 貴 族 達 の 文 化 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 四 一 頁 ) で あ っ た。 「 仮 名 文 字 」 をつくりだし、それによって繊細で弾力的な感情表現を可能にした平安朝の女性の文化的意義に鈴木は敬意を表 してはいる (鈴木全集八巻七五~七六頁) が、 貴族たちの「頽廃気分」 、「意気地なさ」に鈴木は共感を示さない (鈴 木全集八巻四二頁) 。仏教や神道の、 いわゆる宗教思想が知られていたとしても、 そこに本当の意味の宗教はなかっ た。 「人間の魂の奥から出るやうな叫びはどこにも聞えぬ。 」 (鈴木全集八巻四四頁) と鈴木は言う。   鎌倉時代になると、平安時代の貴族に代わって、武士が台頭する。武士は、たんに武力・腕力にたけていただ けではなく、大地に足を踏みしめて生きる人々であった。地方で大地に親しむ農民たちと直接関わってきたのが

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 三五 武士だった。 「 民 族 と 大 地 と の 関 係 が、 鎌 倉 時 代 で 始 め て 緊 密 に な つ て、 両 者 の 間 に 霊 性 の 息 吹 き が 取 り 交 は さ れ た。 」 ( 鈴 木全集八巻三一頁) 「鎌倉時代になつて、日本人は本当に宗教即ち霊性の生活に目覚めたと云へる。 」 (鈴木全集八巻五一頁) 「鎌倉時代になつて、政治と文化が、貴族的 ・ 概念的因襲性を失却して、大地性となつたとき、日本的霊性は 自己に目覚めた。……鎌倉時代は、私の考へでは、日本霊性のもつてゐるもつとも深奥なところが発揮せら れた時代だと思ふのである。それまでは、日本民族の霊性といふものは一寸頭を擡げたにすぎないが、鎌倉 時代になつて、それが根本から動いて自ら主体性を持つやうになつた。 」 (鈴木全集八巻七三~七四頁)   「 蒙 古 民 族 の 猛 進 」 と い う「 外 来 」 の「 刺 激 」 が 日 本 的 霊 性 の 覚 醒 を 促 し た と も 指 摘 さ れ て い る ( 鈴 木 全 集 八 巻 七四、 七八頁) 。 ④受け入れ側の主体性――「啐啄同時」   『 日 本 的 霊 性 』 第 一 篇 第 二 章「 日 本 的 霊 性 の 自 覚 」 で は、 鎌 倉 時 代 の 文 化・ 思 想 の 特 徴 的 な 局 面 と し て、 浄 土 系 思 想 の 展 開・ 禅 宗 の 伝 来・ 日 蓮 宗 の 興 隆・ 『 神 道 五 部 書 』 ( 伊 勢 神 道 ) の 成 立、 と い う 四 局 面 を 挙 げ、 後 二 者 に つ い て は「 蒙 古 来 襲 」 と 関 連 す る と 指 摘 し て い る ( 鈴 木 全 集 八 巻 五 一 ~ 五 三、 五 九 頁 ) 。 し か し、 『 日 本 的 霊 性 』 全 体 の 流 れ は 前 二 者 を 軸 に 論 述 さ れ て い る こ と は 明 ら か で あ る。 「 日 本 的 霊 性 」 の 所 在 を 鈴 木 は 主 と し て 鎌 倉 時 代 の 浄土系思想と禅思想とに見出していく。 「霊性の日本的なるものとは何か。自分の考では、 浄土系思想と禅とが、 最も純粋な姿で、 それであると云ひ たいのである。 」 (鈴木全集八巻二五頁)

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三六   禅の伝来についても、 日本の浄土思想の深化についても、 「啐 そったく 啄同時」という言葉が使われている。 「啐啄同時」 とは、 雛が卵の内側をつついて鳴く声 (「啐」 ) と、 母鳥が卵の外側をつつき割る音 (「啄」 ) とが同時という意味である。 本来この言葉は、法然と親鸞との関係のように、師と弟子との呼応関係を示すものであった (鈴木全集八巻一二六 ~一三〇頁) 。鈴木は外来思想とその受け入れ側との関係にもこの言葉を適用する。   外 来 思 想 ( 母 鳥 が つ つ く こ と ) の 受 け 入 れ は、 与 え ら れ る 側 ( 雛 が つ つ く こ と ) の 成 熟 が あ っ て 初 め て 成 立 す る。 外 来 の 仏 教 を 雨、 日 本 的 霊 性 を 草 木 に た と え て 説 明 し て い る と こ ろ も あ る ( 鈴 木 全 集 八 巻 一 〇 〇 頁 ) 。 雨 が ふ ら な ければ草は萌え出でないが、そもそも草木のないところに雨がふっても草木は萌え出でないのである。文化の伝 播を考える際に受容し展開する側の霊性の成熟度に重きを置く発想を鈴木は繰り返す。 「 仏 教 が 外 か ら 来 て、 日 本 に 植 ゑ つ け ら れ て、 何 百 年 も 千 年 以 上 も 経 つ て、 日 本 的 風 土 化 し て、 も は や 外 国 渡来のものでなくなつたと云ふのではない。始めに日本民族の中に日本的霊性が存在して居て、その霊性が 偶 たまたま 々仏教的なものに逢著して、 自分のうちから、 その本来具有底を顕現したと云ふことに考へたいのである。 」 (鈴木全集八巻六三頁) 「普通には外から移し植えられて、 それが根を下したと云ふことに考へられるが、 吾等は、 さう考へるよりも、 移し植ゑられたと云ふものの縁を借りて、 本 もと からその土地にあつた種苗が― ― 或は霊性が働き始めたのだと 云ふやうに見たいのである。外から来たと云はれるものに重点をおくよりも、内に在つたものが主体となる と云ふ考の方が事実の真相に徹するのではなからうか。 」 (鈴木全集八巻六九頁) 「日本仏教は日本化した仏教だと云はずに、 日本的霊性の表現そのものだと云つておいてよいのである。この 表現の機の熟したとき、仏教と云ふ形態にその体を仮りたまでである。 」 (鈴木全集八巻一〇〇頁) 「仏教が日本で、 こんな風に、 又はあんな風に、 発達したとかと云ふことの代りに、 日本的霊性はその仏教を

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 三七 如何に活かしたかと云ふ点を研究しなければならぬ。……仏教が日本的霊性にどんな力を加へたとか、与へ たとか云はずに、後者が仏教にどう働きかけて、それを自家薬籠中のものとしたかと尋ねるべきであらう。 」 (鈴木全集五巻三六九頁)   一般に文化の伝播において、何でも無条件に伝わるというものではなく、受け入れ側の状態に左右されること は鈴木の指摘の通りである。ただ、あまりに日本文化の内発性・主体性・成熟性を強調することは、日本文化の 優 越 性 の 主 張 に な り か ね な い。 こ の 点 に つ い て は 後 述 す る ( 第 六 章 ) 。 と も あ れ、 日 本 人 が 主 体 的 に 受 け 入 れ て 自分のものとした思想だと鈴木が見做す浄土系思想と禅思想との内実をこれからそれぞれ見ていこう。 (2) 土 思 想 ①法然の「一心」の立場   鈴木は、鎌倉時代の浄土系思想の展開に日本的霊性の現れを見出す。その際、法然と親鸞という二人の立て役 者を「一人格」と見てよいと言う (鈴木全集八巻五六、 八三、 九五、 一三四、 一五九頁、鈴木全集五巻三六九頁) 。   『平家物語』によれば、 「南都炎上」の罪を犯した平重 しげひら 衡が源氏に捕らえられ、人生を真剣に反省する。彼に呼 ば れ て 相 談 さ れ た の が 法 然 で あ っ た。 法 然 は、 罪 あ る 者 で も、 ま た、 ど ん な「 愚 痴 闇 鈍 の 者 」 で も、 「 称 名 」 念 仏の「信心」をもてば極楽「往生」できると重衡に説く (鈴木全集八巻一三五~一四〇頁) 。 「 浄 土 系 思 想 の 中 心 は 念 仏 で あ つ て 極 楽 往 生 で は な い。 …… 念 仏 し つ つ 往 生 を 考 へ て 居 て は、 そ の 念 仏 は 純 粋性をもたぬ、絶対の念仏ではない。……念仏そのものが大切なのである。一心の念仏だけが大切なのであ る。 」 (鈴木全集八巻一四一~一四二頁) と鈴木は言う。極楽往生というような未来の目標を考えていては念仏の「純粋性」が失われる。

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三八 「永遠の念仏は一心でないと出ないのである。 一心のところに永遠がある。 それは久 く お ん 遠の今である。 南無阿弥 陀仏の一声である。 」 (鈴木全集八巻一四三頁)   思 い が ひ た す ら で あ る と こ ろ に 永 遠 性 が あ る。 「 一 心 」 の「 今 」 は「 久 遠 の 今 」 で あ る ( 9) 。「 久 遠 の 今 」 と は、 永遠性が凝縮された一瞬のことと考えられる。   「一心」になりきることに対して、 「知性」や「学問」や「智慧」が邪魔をすることがある。むしろ「一文不知 の愚鈍」 ・「無智」 ・「愚痴」 ・「無学文盲」のほうがよいと言われるのはそのためである。法然は『一枚起請文』の 中で 「念仏を信ぜん人は、 たとひ一代の法をよくよく学せりとも一文不知の愚鈍の身になして、 尼入道の無智のと もがらに同じうして、智者のふるまひをせずして、一向に念仏すべし。 」 (鈴木全集八巻一四六頁) と 語 っ て い る。 雑 念 を 払 っ て「 一 心 」 に な り き る と こ ろ に は 禅 の 教 え と 近 し い も の が あ る。 (3) ① で も 言 及 す る こ と に な る が、 浄 土 系 思 想 と 禅 思 想 と の 間 に 通 底 す る も の が あ る と い う 立 場 は 鈴 木 大 拙 の 特 徴 的 な 主 張 で あ る。 禅 者 で あ り な が ら 浄 土 思 想 に も 深 い 理 解 を 示 し た ―― そ の か ぎ り で、 ま さ に 鈴 木 大 拙 と 同 じ ―― 鈴 木 正 し ょ う さ ん 三 ( 一 五 七 九 ~ 一 六 五 五 年 ) の 言 葉 が し ば し ば 参 照 さ れ て い る ( 鈴 木 全 集 八 巻 八 八 ~ 八 九 、一 四 四 ~ 一 四 五 、一 四 九 ~ 一 五 二 頁 ) 。   法然が迫害を受けるに至った理由は、一般的には、専修念仏をいいことに悪行をする輩への対応と考えられて いるが、 鈴木は、 法然が「霊性的自覚の途に進」み、 庶民や武士に歓迎されたことへの南都北嶺の学者たちの「嫉 視」のゆえだと考えている (鈴木全集八巻一五三頁) 。 ②親鸞の「一人」の立場   日常生活を生きる我々は、それぞれに「個己」の生活を送っている。個己を超えたものとして「超個の人 にん 」な

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 三九 いし「超個己」というものを鈴木は打ち出す。少なくともこの『日本的霊性』には、個と超個との関係に関して あ ま り 説 明 が な い の だ が ( 10)、「 超 個 の 人 」 と は、 〝 本 来 の 自 己 〟 、 〝 人 そ の も の 〟 あ る い は 〝 真 理 そ の も の 〟 と で も い う べ き も の と 推 測 さ れ る。 鈴 木 は こ れ を「 人 0 」 と ( 傍 点 を 付 し て ) 表 現 し て い る 場 合 も あ る。 そ れ は「 個 己 の 源 底 に あ る 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 八 〇 頁 ) 、「 本 当 の 個 己 で あ る 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 八 一 頁 ) と い わ れ る。 そ れ は「 個 己 の 世 界 に は 居 な い 」 が、 か と い っ て「 個 己 を 離 れ て 存 在 し 得 な い 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 八 〇 ~ 八 一 頁 ) 。 次 の よ う に も 書 か れている。 「 霊 性 そ の も の は 超 個 己 底 で あ る が、 個 己 を 通 さ な い と、 そ れ 自 ら を 表 現 し な い の で あ る。 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 一一四頁) 「個霊は個霊で而かも個霊でない。其故に、個即超個、超個即個でなければならぬ。 」 (鈴木全集八巻一二三頁) 「 超 個 」 と「 個 」 と は、 あ る 意 味 で、 絶 対 者 ( 仏 ) と 相 対 者 ( 人 間 ) を 意 味 す る。 個 己 を 通 さ な い と 超 個 は 自 己 を 表 現 で き な い と い う 論 理 に は、 キ リ ス ト 教 で い う、 神 が 人 ( イ エ ス ) と し て 受 肉 す る と い う 論 理 と 重 な る と こ ろ が あ る か も し れ な い。 「 個 霊 は 個 霊 で 而 か も 個 霊 で な い 」 と い う 表 現 は、 後 述 の「 即 非 の 論 理 」 を 先 取 り し て い るとも言える ( 11) 。   個己の 「一人一人」 が超個の人となる。 「超個の人」 に行き着くのは、 「個己」 がおのれに徹したときである。 『歎 異 抄 』 に 収 め ら れ た 親 鸞 の 言 葉「 弥 陀 の 五 劫 思 惟 の 願 を よ く よ く 案 ず れ ば、 ひ と へ に 親 鸞 一 人 が た め な り け り 」 の「親鸞一人」という境地、すなわち、他の人はどうであれ、自分だけかもしれないが、とにかく自分はそこに 感 動 し、 あ り が た い と 感 じ、 得 心 し、 確 信 し た、 と い う 境 地 に、 「 個 己 」 が「 超 個 の 人 」 に な る 体 験 が 表 現 さ れ て い る。 親 鸞 は 弥 陀 の 本 願 を「 一 般 性 の 範 囲 」 で 考 え る こ と を や め、 「 具 体 的 」・ 「 根 源 的 」 な「 一 人 」 の 立 場 で 考 え た ( 12) の で あ る ( 鈴 木 全 集 八 巻 八 三 頁 ) 。 そ し て 親 鸞 に そ の よ う に 考 え さ せ た の は、 越 後 の「 大 地 」 と の 出 会 い

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四〇 だった (鈴木全集八巻八三~八四頁) 。 「 彼 [ 親 鸞 ] が、 具 体 的 事 実 と し て の 大 地 の 上 に 大 地 と 共 に 生 き て 居 る 越 後 の 所 謂 る 辺 鄙 の 人 々 の 間 に 起 臥 し て、 彼 等 の 大 地 的 霊 性 に 触 れ た と き、 自 分 の 個 己 を 通 し て 超 個 己 的 な る も の を 経 験 し た の で あ る。 」 ( 鈴 木 全 集八巻八四頁) 「 大 地 の 具 体 性 が 即 ち 一 人 0 0 の 具 体 性 ―― 他 の も の で は ど う し て も 置 き 換 へ ら れ ぬ 性 格 ―― で あ る。 」 ( 鈴 木 全 集 八巻九〇頁)   京都を離れた親鸞は、 「越後の田舎」 で 「大地」 に触れ合いながら、 「真剣」 に 「個己」 を徹底した先に 「超個己」 に行き着いた。それは「観念性」 ・「概念性」 ・「一般」 ・「抽象」に終始する「南都北嶺の学生たち」には辿り着け ない境地であった。 「一人」という「特殊」に「大地の具体性」 、「他のものではどうしても置き換へられぬ性格」 が凝縮されている。そこにこそ「霊性的直覚」 、「絶対的真実性」 、「まこと」がある。このような「一人」の境地 を今日継承しているのは、本願寺の殿堂にいる人々ではなく、粗末な暮らしに甘んじている「妙好人」だと鈴木 は言う (鈴木全集八巻八〇~九三頁) 。   鈴 木 に よ れ ば、 浄 土 往 生 と い う 目 標 や そ の た め の 念 仏 と い う 手 段 は、 浄 土 思 想 の 本 質 で は な い ( こ の 論 点 は 法 然 論 で も 指 摘 さ れ て い た し、 次 の 妙 好 人 論 で も 言 及 さ れ る ) 。 そ の 本 質 は「 純 粋 他 力 と 大 悲 力 」 で あ る ( 鈴 木 全 集 八 巻 五五頁) 。 「真宗は念仏を主とするとか、 浄土往生を教へるとか、 その外何とか云ふと云ふのは、 真宗信仰の真髄に触れ て居ない。真宗は弥陀の誓願を信ずると云ふところにその本拠を持つて居る。誓願を信ずると云ふは、無辺 の大慈悲にすがると云ふことである。因果を超越し業報に束縛せられず、すべてそんなものをそつちのけで、 働きかけて来る無 む げ 礙の慈悲の光の中に、此身をなげ入れると云ふことが、真宗の信仰生活であると、自分は

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 四一 信ずる。 」 (鈴木全集八巻五七~五八頁)   法 然 と 親 鸞 の 宗 教 経 験 の 上 に 現 れ た 日 本 的 霊 性 の 特 徴 は「 大 地 性・ 一 文 不 知 性・ 単 刀 直 入 性・ 具 体 的 真 実 性・ 即生活事実性など」であったと鈴木は総括している (鈴木全集五巻三六九頁) 。 ③「妙好人」   「 愚 鈍 」 な る 人 々 が「 一 心 」 に 念 仏 を 唱 え る 姿 勢 を 法 然 は 尊 ん だ。 鈴 木 の「 妙 好 人 」 へ の 着 目 は そ の 延 長 線 上 に位置する ( 13) 。「妙好人」とは、 「浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んで居る人」である。妙好人は「学 問に秀でて、 教理をあげつらうと云ふがはの人」ではなく、 「浄土系思想を自らに体得して、 それに生きて居る人」 で あ る ( 鈴 木 全 集 八 巻 一 七 一 頁 ) 。 蓮 如 ( 一 四 一 五 ~ 一 四 九 九 年 ) を 警 護 し た 越 中 赤 尾 の 道 ど う し ゅ う 宗、 そ し て、 石 見 で 下 駄 づ く り を し て い た 浅 原 才 さ い ち 市 ( 一 八 五 〇 ~ 一 九 三 二 年 ) に 鈴 木 は 妙 好 人 の 典 型 を 見 た。 彼 ら に お い て 日 本 的 霊 性 的 直 覚が現れているという。   鈴木は次のように言う。 「 吾 等 の 如 く 文 字 の 上 で の み 生 き て 居 る も の は、 何 事 に つ け て も 観 念 的 に な つ て、 味 ふ こ と を せ ぬ。 才 市 の 如きは、文字に縁が遠いだけ、言葉の上の詮索をさけて、何事も体験の上で物語るのである。それ故、その 云ふところは自ら急所につきあたる 0 0 0 0 0 のである。学者の考へ及ばぬところを何の苦もなくさつさ 0 0 0 と云ひのける、 気持がよい、胸がすつきり 0 0 0 0 する。……その言葉に技巧がないだけに、益々その体験の真実性に触れるのであ る。 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 二 〇 五 ~ 二 〇 六 頁。 体 験 と 観 念 と の 対 照 は、 『 日 本 的 霊 性 』 の 中 で 繰 り 返 し 言 及 さ れ る テ ー マ の 一 つである。鈴木全集八巻二〇九、 二一三、 二一九~二二〇頁も参照)   法悦三昧に浸って仕事を怠るのではなく、才市は人一倍働いた。彼にとって「仕事そのものが法悦で念仏であ つ た 」 ( 14) 。 仕 事 の あ い ま に 彼 は 鉋 か ん な く ず 屑 に「 ふ と 心 に 浮 ぶ 感 想 を 不 器 用 に 書 い た 」。 そ こ に は「 実 に 不 思 議 な 宗 教 的

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四二 情操の発露」がある (鈴木全集八巻一八二~一八三頁) と鈴木は言う。   鈴木によれば、 「 才 市 の 全 存 在 が 南 無 阿 弥 陀 仏 に な つ て 居 る …… 才 市 が 南 無 阿 弥 陀 仏 そ の も の で あ る …… 彼 の 主 体 が 南 無 阿 弥陀仏そのもので、彼の意識と云ふのは南無阿弥陀仏が南無阿弥陀仏を自覚すると云ふ意味になる……才市 が下駄を削つて居るのではなくして、南無阿弥陀仏が下駄を削つて居る」 (鈴木全集八巻一八四頁) 。   「個己」としての才市に、 「超個己」である阿弥陀仏が「大悲」をはたらきかける。才市はそれを「大恩」とし てうけとめ「歓喜」し「感謝」し、 「なむあみだぶ」と唱える。   「 な む あ み だ ぶ 」 と 才 市 は 唱 え る。 し か し そ れ は 阿 弥 陀 仏 に 導 か れ て 才 市 の 口 が 動 い て い る の で あ る。 阿 弥 陀 仏が才市の口を借りて 「なむあみだぶつ」 と唱えていると言ってもよい。 「なむあみだぶつ」 が仏と才市とをつなぐ。   一般的な浄土観では、念仏をしていれば、臨終ののちに極楽浄土に往生できると考えられている。才市は死後 の 極 楽 往 生 の こ と を 考 え な い。 「 死 ん で か ら 往 く 極 楽 で な く て、 生 き て 居 る う ち に 往 く 極 楽 」、 「 才 市 は 今 そ こ に 居 る 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 一 九 六 頁 ) 。 す で に 極 楽 に 入 っ た ( 往 相 ) 才 市 が 還 っ て き て ( 還 相 ) 今、 衆 生 済 度 と し て の 下 駄 削 り に 励 ん で い る ( 鈴 木 全 集 八 巻 一 九 七 ~ 一 九 八 頁 ) 。 し か も、 阿 弥 陀 仏 か ら い た だ い た 信 心 に 支 え ら れ、 阿 弥 陀 仏 と「 遊 び 」 た わ む れ る 心 境 で 仕 事 に と り く ん で い る ( 鈴 木 全 集 八 巻 二 〇 一 頁 ) 。「 南 無 阿 弥 陀 仏 」 に お い て、 才 市 は 悟 り を 開 き 仏 と な る ( 鈴 木 全 集 八 巻 二 〇 三 頁 ) 。「 南 無 阿 弥 陀 仏 」 を 通 じ て 娑 婆 は 極 楽 浄 土 に な る ( 鈴 木 全 集 八 巻 二一七頁) 。   才 市 は「 永 遠 の 今 」 に 生 き て い る。 過 去・ 現 在・ 未 来 と 流 れ 去 る 時 間 で は な く、 「 永 遠 」 が 凝 縮 さ れ た「 今 」 という時間 (「絶対現在」 ) に生きている。 「 此 [ 才 市 の ] 信 心 は 此『 今 』 で 味 は れ る。 今 0 は 永 遠 の 今 で あ る。 絶 対 現 在 で あ る。 過 去・ 現 在・ 未 来 と 直 線

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 四三 に流れてつづく今 0 でない、三世心不可得の今 0 である。無限大の円環にのみ見出される中心である。才市は此 に立つて居る、 否、 才市はそれ 0 0 である。霊性的直覚は此処で成立する。 」 (鈴木全集八巻二〇六頁。 「絶対の現在」 や「円環」的時間観については禅の境地として第五篇で再び言及されることになる)   もとより才市と阿弥陀仏との間には絶対的な矛盾がある。 「 才 市 の『 わ し 』 即 ち 分 別 識 上 の 個 己 に は、 阿 弥 陀 に な り 能 ふ べ き も の は 何 も な い の で あ る。 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 二一二頁) 「 永 遠 の 迷 と 永 遠 の さ と り、 地 獄 必 定 の 才 市 と 畢 竟 浄 に 坐 わ つ て 居 る 弥 陀 仏 ―― こ れ は ど う し て も 融 消 せ ら れ な い 対 立 で あ る。 こ れ は 止 揚 と か 云 ふ 考 で 止 揚 せ ら れ な い 対 立 で あ る、 絶 対 的 対 立 で あ る。 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻二一三頁) それにもかかわらず才市と阿弥陀仏とは一体だと才市は歌う。たとえば次のように。 「 わ し が 阿 弥 陀 に な る じ や な い、 阿 弥 陀 の 方 か ら わ し に な る。 な む あ み だ ぶ つ 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 一 九 一 ~ 一九二、 二一二頁) 「才市もあみだもみなひとつ。なむあみだぶつ」 (鈴木全集八巻一九二頁) 「わしと阿弥陀はふたつあれど、ひとつお慈悲のなむあみだぶつ」 (鈴木全集八巻一九七頁) 矛 盾 は 依 然 矛 盾 に は ち が い な い が、 両 者 の 〝 相 即 〟 性 が 体 験 さ れ 自 覚 さ れ る。 矛 盾 が 矛 盾 の ま ま に 生 か さ れ な が ら、 矛 盾 は 解 消 す る。 西 田 幾 多 郎 の い う「 非 連 続 の 連 続 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 二 一 八 頁 ) 、「 矛 盾 の 自 己 同 一 」 ( 鈴 木 全 集 八巻二一一頁) である。   『 大 乗 仏 教 概 論 』 に お い て、 い わ ば オ プ テ ィ ミ ス テ ィ ッ ク に「 法 身 」 と「 衆 生 」 と の 一 体 性 が 語 ら れ て い た こ とと対比すれば、ここでの「絶対的対立性」の強調は鈴木の思想の大きな変化を表していると言えるかもしれな

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四四 い。このような鈴木の思想の転換は、西田幾多郎の初期から後期への思想的転換と濃厚に重なり合っている。西 田もまた初期の「純粋経験」という、いわば一元論的な地平をのちに脱却して「矛盾」を強調する思想に移って いったからである。 ④神道批判   と こ ろ で、 鈴 木 は 戦 後、 軍 国 主 義 と 結 託 し て い た 神 道 を 積 極 的 に 糾 弾 す る こ と に な る ( そ れ は 戦 後 書 か れ た「 第 二 刷 に 序 す 」 に も 現 れ て い る ) の だ が、 そ も そ も『 日 本 的 霊 性 』 の 本 文 の 中 で も 神 道 に は 批 判 的 で あ っ た。 そ の 論 拠の一つが 〝 「大悲」 (「絶対愛」 ) の欠如 〟 とされているので、 この浄土系思想論の文脈の最後にとりあげておこう。 「神道がその根源的なるものとして、 独自の立場を維持せんとする諸直覚は、 霊性的なものでなくて、 寧ろ情 性の範疇に属するものである。……清明心・丹心・正直心など云ふものは情性的であつて、まだ霊性的領域 に這入らない。……何故に、神道的直覚は情性的であるかと云ふに、それはまだ否定せられたことのない直 覚だからである。感性的直覚もさうであるが、単純で原始性を帯びた直覚は一たび否定の炉 ろ は い 鞴をくぐつて来 なければ霊性的なものとならぬのである。否定の苦杯を嘗めてからの直覚又は肯定でないと、その上に形而 上学的体系を組み立てるわけに行かないのである。 」 (鈴木全集八巻一一一~一一二頁)   神道が高く評価する心のあり方としての 「清明心」 や 「正直心」 は 「情性的」 であって、 「霊性的」 とは言えない、 それは、いったん「否定」されることがないからだ、と鈴木は言う。 「「 あ る 」 が 「 あ る 」 で な い と 云 ふ こ と が あ つ て 、 そ れ が 「 あ る が ま ま 」 に 還 る と き 、 そ れ が 本 来 の 「 あ る が ま ま の あ る 」 で あ る 。 … … 感 性 的 又 は 情 性 的 直 覚 が 霊 性 的 直 覚 に 入 る 途 は 、 否 定 の 外 に な い の で あ る 。 花 が 紅 くれない で な く 、美 し い が 美 し い で な い と 云 ふ こ と が 、一 遍 な い と 、花 は 本 当 に 紅 い で な い 、美 し い が 本 当 に 美 し い で な い 。」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 一 一 二 ~ 一 一 三 頁 )

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 四五   「花は紅」がいったん否定されることによって、 「花は本当に紅」になる。   生き方に関して、 いったん否定されたものが再肯定されることを可能にするのは 「絶対者の絶対愛」 (ないし 「絶 対 者 の 絶 対 悲 」、 「 無 辺 の 大 悲 」) だ と 鈴 木 は 考 え て い る。 自 分 の 罪 業 を 否 定 す べ き も の と し て 自 覚 す る。 し か し そ の 罪 業 は「 大 悲 者 の 手 に 摂 取 」 さ れ る こ と に よ っ て、 自 分 の 生 き 様 が「 そ れ で よ い と 肯 定 」 さ れ る ( 鈴 木 全 集 八 巻一〇六~一〇七頁) 。「此大悲に包まれて心は赤きを得る」 (鈴木全集八巻一〇七頁) 。 「 善 を 肯 定 し、 悪 を 否 定 す る の が、 普 通 の 倫 理 で あ る が、 今 の 場 合 [「 日 本 的 霊 性 の 直 覚 」 の 場 合 ] で は、 善 を も 否 定 し、 悪 を も 否 定 し て、 然 る 後、 そ の 善 を 善 と し、 そ の 悪 を 悪 と す る の で あ る。 而 か も 絶 対 愛 の 立 場 か ら は、 善 も 悪 も そ の ま ま に し て、 何 れ も 愛 自 体 の 中 に 摂 取 し て 捨 て な い の で あ る。 」 ( 鈴 木 全 集 八 巻 一 一 三 ~ 一一四頁) 。   神 道 者 に 霊 性 的 直 覚 が な か っ た の は、 神 道 に「 一 人 」 的 な も の、 「 孤 独 性 」 が な か っ た か ら だ と も 指 摘 さ れ て いる (鈴木全集八巻一一五頁) 。また、 神道の宇宙生成論は「直線的 ・ 時間的で、 生成の真義に称 かな はぬところがある」 (鈴木全集八巻一一九頁) という点についても批判されている。 (3) 思 想   さ て、 鈴 木 に よ れ ば、 前 節 で と り あ げ た 浄 土 系 思 想 の 展 開 と と も に 鎌 倉 時 代 に 霊 性 の 働 き が 発 揮 さ れ た の が、 禅思想を生活・芸術の中に受け入れたことであった。後者について見ていこう。両者の関係をどう捉えていたの かを先ず確認しておく。 ①浄土系思想と禅思想   「 日 本 的 霊 性 」 が 純 粋 な 形 で 現 れ た の は 鎌 倉 時 代 の「 浄 土 系 思 想 」 と「 禅 」 に お い て だ と い う の が『 日 本 的 霊

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四六 性』の枠組みであった。その際、 日本的霊性の直覚を表現する上で、 浄土系思想は「情性的」 、 禅思想は「知性的」 に表現されたという対照性も指摘されている。 「日本的霊性の情性方面に顕現したのが浄土系的経験である。 またその知性方面に出頭したのが日本人の生活 の禅化である。 」 (鈴木全集八巻二八頁) 「 [ 浅 原 才 市 は ] い つ も 有 難 い と か、 よ ろ こ ば し い と か、 う れ し い と か、 楽 し い と か 云 つ て、 知 性 的 表 現 を 用 ゐ ぬ。これは浄土系の人々の特徴で、彼等は何事をも情性的文字で述べる。 」 (鈴木全集八巻二〇二頁) 「 浄 土 系 思 想 の 中 心 は 固 よ り 霊 性 的 直 覚 の 上 に お か れ て あ る が、 此 直 覚 は 主 と し て 情 性 を 通 し て 現 は れ て く る。此点では禅の知性的なるのと対照すべきであらう。 」 (鈴木全集八巻二二一頁) 「知性はいつも物を離れて見る、 情性は物と共に生きる。そこに禅と浄土系との、 表面上の相異が看取せられ る。 」 (鈴木全集八巻二二二頁。そのほか、鈴木全集八巻二〇六~二〇七、 二一五頁も参照)   「否定」から入る禅と、 「肯定」から入る浄土系という違いもある。 「禅ではまづ否定してかかる、 般若は般若にあらずと云ふ。浄土系は此否定の後の肯定から歩みを進める。 」 (鈴 木全集八巻二二二頁)   また、日本人の生活の中に活用・消化された点は浄土系思想も禅思想も同様であるが、禅思想については、日 本 人 の「 芸 術 」 に 影 響 を 与 え、 さ ら に 日 本 人 の「 生 活 」 そ の も の に 流 れ 込 ん で い る ( 15) と い う 点 で 浄 土 系 思 想 と はいくらか違う面をもっていた (鈴木全集五巻三七〇~三七一頁) 。   鈴木は同じく日本的霊性の現れとして鎌倉時代の浄土系思想と禅思想とを挙げているが、 前者については法然 ・ 親鸞に即してその思想展開・内実をとりあげながらも、後者については、たとえば栄西や道元に即して 〝 日本の 禅 思 想 〟 の 内 実 を と り あ げ る こ と を し て い な い。 禅 思 想 と し て と り あ げ ら れ る の は、 『 碧 巌 録 』、 『 伝 灯 録 』、 『 臨

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 四七 済録』 、『頓悟要門』 、『虚 き 堂録』 、『無門関』といった中国仏教の典籍である。この禅思想を日本人は中国人以上に わがものとして受容したと鈴木は主張したいのだろうが、はたして中国人が十分にわがものとしていなかったの かという疑念は残る。   ところで、禅の「莫 まくもうぞう 妄想」とか「驀 まくじきこうぜん 直向前」とか「三昧」という言葉を使って「絶対の現在」の境地を説明す る文脈の中で、鈴木はそのような境地は浄土系の思想にも通じるのだと指摘している (この点は (2) の ①でも言及し た ) 。 す な わ ち、 「 南 無 阿 弥 陀 仏 」 の 一 念 に 徹 し 一 心 不 乱 に な る、 あ る い は 南 無 阿 弥 陀 仏 と 自 分 と が 一 体 化 し て 他 念の入る余地のなくなるときの心境と禅の「莫妄想」の心境とは同じなのである。念仏が極楽往生という目的の た め の 手 段 な の で は な く、 信 心 ゆ え に 極 楽 往 生 も 悟 り も 確 定 し て い る と 考 え る 浅 原 才 市 の 浄 土 観 も、 「 無 功 徳 」 を説く禅思想も、報い・結果を考えずに行為に専心するという点では同じだと言える。 「真宗と禅宗とは、 余程違ふやうに見られてゐるけれども、 煎じ詰めてみれば、 かういふやうなところで両両 相手を携へて行くといふことになる。 」 (鈴木全集五巻四三三頁) と鈴木は書いている。浄土系思想と禅思想とが、その究極的とされる境地において重なるというのは鈴木の特徴 的な立場であった (鈴木全集八巻二一六頁も参照) 。 ②「即非の論理」   第五篇「金剛経の禅」の中で、 『金剛経』の第十三節にあるという言葉 「仏説般若波羅蜜、即非般若波羅蜜。是名般若波羅蜜」 を鈴木は 「仏の説き給う般若波羅蜜というのは、 すなわち般若波羅蜜ではない。 それで般若波羅蜜と名づけるのである」 と「述べ書き」 [訓読] した上で、さらにこれを「公式的」にして、

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四八 「AはAだというのは、AはAでない、故に、AはAである」 と 一 般 化 す る ( 鈴 木 全 集 五 巻 三 八 〇 ~ 三 八 一 頁 ) 。 こ の 形 式 に 鈴 木 は「 即 非 の 論 理 」 ( 16) と い う 名 を 与 え る ( 鈴 木 全 集 五巻三八七頁) 。 「 こ れ が 般 若 系 思 想 の 根 幹 を な し て ゐ る 論 理 で、 ま た 禅 の 論 理 で あ る。 ま た 日 本 的 霊 性 の 論 理 で あ る。 」 ( 鈴 木 全集五巻三八一頁) 「この即非の論理が、また霊性的直覚の論理であつて、禅の公案を解く鍵なのである。 」 (鈴木全集五巻三八七~ 三八八頁)   「即非の論理」に関して、次のように説明される。 「これは肯定が否定で、否定が肯定だと云ふことである。 」 (鈴木全集五巻三八一頁) 「 凡 て 吾 等 の 言 葉・ 観 念 又 は 概 念 と い ふ も の は、 さ う い う 風 に、 否 定 を 媒 介 に し て、 始 め て 肯 定 に 入 る の が、 本当の物の見方だといふのが、般若論理の性格である。 」 (鈴木全集五巻三八一頁) 「存在してゐるといふことが、 霊性的の上では、 矛盾の自己同一といふことになるのである。論理的矛盾その ことが存在なのである。 」 (鈴木全集五巻三八五~三八六頁) 「 矛 盾 の 自 己 同 一 」 と い う 西 田 幾 多 郎 の 言 葉 が 使 わ れ て い る ( 17) 。 西 田 は あ く ま で も 論 理 を 追 求 す る が、 鈴 木 の 場 合 は「 存 在 」 と い う こ と で 落 着 さ せ よ う と い う 傾 向 が あ る。 「 知 性 面 の 論 理 で は 矛 盾 に な る 」 も の が「 霊 性 的 直 覚 で は、 そ の ま ま に 受 け 入 れ ら れ て、 矛 盾 が 矛 盾 で な く な る 」 と い う ( 鈴 木 全 集 五 巻 三 八 六 頁 ) 。「 即 非 の 論 理 」 に ついてはいくつか疑念がある。第三章で検討したい。 ③「無所住」   「即非の論理」は「霊性的直覚の知性面」であり、 その「行為面」にあたるのが「無所住」だと鈴木は言う (鈴

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 四九 木全集五巻三九九~四〇〇頁) 。「無所住」とは、 何物にも執着せずとらわれないこと、 自分の行為の「結果」 (因果) に心を煩わされないことである。それは「他人に迷惑がかかつても構はぬといふことではない」 、「ただ、その結 果 な る も の が、 自 分 に と つ て、 ど う い ふ こ と に な る か と い ふ こ と を 構 は ぬ 」 と い う こ と で あ る。 た と え ば、 「 こ の仕事をすれば、かういふ報酬がある」とかいうことを考えずに「働くことそのことに、意識の全力を傾注」す る こ と で あ る ( 鈴 木 全 集 五 巻 三 九 九 頁 ) 。「 自 分 の 行 為 の 結 果 と し て、 社 会 が ど う い ふ 形 で 自 分 に 対 し て く れ る か と い ふ こ と を 念 頭 に お か ぬ 」 と い う こ と で あ る ( 鈴 木 全 集 五 巻 三 九 九 ~ 四 〇 〇 頁 ) 。 〝 結 果 を 気 に し な い 〟 と い う か ぎ りで、ウェーバーが注目していた『バガヴァッド・ギーター』の倫理にも通じるし、ウェーバーならこれを「心 意倫理 ( Gesinnungsethik ) 」と呼ぶだろう ( 18) 。   分 別 意 識 ( 自 我・ 個 己 ) を 滅 却 し、 無 念、 無 心、 「 無 所 住 」 に な っ た 境 地 を 鈴 木 は「 絶 対 無 」 と 呼 ぶ ( 鈴 木 全 集 五 巻 四 〇 一 ~ 四 〇 二 頁 ) 。 そ こ か ら「 は た ら き 」 が 出 て く る ( 鈴 木 全 集 五 巻 四 〇 二 頁 ) 。 無 分 別 か ら 分 別 が 出 て く る。 「 無 分 別 心 は 分 別 心 と 共 に 働 い て ゐ る 」 ( 鈴 木 全 集 五 巻 三 九 二 頁 ) 。 鈴 木 の い う「 無 分 別 の 分 別 」 で あ る ( 鈴 木 全 集 五 巻 四 〇 三 頁 ) 。 こ れ は「 は か ら い の な い 」 こ と で あ り、 親 鸞 の い う「 自 じ ね ん ほ う に 然 法 爾 」 で も あ る。 そ れ は「 受 動 性 」 と も 言 え る し、 仏 教 で「 如 ( そ の よ う に ) 」、 「 只 し も 麼 」、 「 そ の ま ま 」 と 表 現 さ れ て き た こ と で あ る。 こ の よ う な 境 地 を 表 現するものとして鈴木は次の二つの言葉を挙げている (鈴木全集五巻四〇三頁) 。 「心の欲するところに従ひて矩を踰えず」 (孔子) 「生きながら死人となりてなり果てて心のままにするわざぞよき」 (無 ぶ な ん 難) 「 生 き な が ら 死 人 と な る 」 と い う 表 現 は、 ウ ェ ー バ ー が「 世 俗 内 的 神 秘 主 義 」 の 生 き 方 の 特 徴 と し た「 匿 名 性 ( Inkognito ) 」にあたるだろう。 ④「絶対の現在」

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五〇   趙 じょうしゅう 州 (七七八~八九七年) は或るとき雲水に向かって「お前達は十二時に使はれてゐるが、わしは十二時を使つ て ゐ る 」 と 語 っ た と い う ( 鈴 木 全 集 五 巻 四 二 一 頁 ) 。 一 日 を 物 理 的 に 十 二 分 割 し て「 十 二 時 」 と い う 制 度 を つ く っ たのは便宜上の人為である。 「自分で分けた時間に自分が使はれてゐるやうでは、 甚だ不都合であらう。使ふために分けたので、 使はれる ためではなかつたのである。 」 (鈴木全集五巻四二一頁) そういう「十二時」から独立・超越した境地が必要である。 「十二時」の出てくるところに立つ根本的な時間は、 〝 過去/現在/未来 〟 に分けて考えられるものではなく、 「絶対の現在」と言われる。   『 金 剛 般 若 経 』 は「 過 去 心 不 可 得、 現 在 心 不 可 得、 未 来 心 不 可 得 」 と 言 う (「 三 世 心 不 可 得 」 と ま と め ら れ る ) 。 心 は と ら え ら れ な い (「 不 可 得 」) 。 し か し、 「 絶 対 の 現 在 」 の 境 地 に 至 れ る な ら、 「 過 去 で も、 未 来 で も、 永 遠 で も、 不可得のままで可得となる」 (鈴木全集五巻四三〇頁) と鈴木は言う。   「絶対の現在と云ふのは西田哲学の言葉である」 (鈴木全集五巻四三〇頁) と指摘した上で、 鈴木は次のように言う。 「三世中の現在は相対的で、 過去に対し、 未来に対してゐる。絶対の現在は禅者の云ふ一念である、 又は一念 不生である、即今の事である。すべてはこの絶対の現在から生れ出て、またそこへ滅し去るのである。これ を形で顕はすと、時間は直線に見てはいけない。円にしなくてはならぬ。総てが過去・現在・未来と、直線 的時間の上に連続して行くものと考へると、その考へはいつか行き詰る。分別識ではさうならざるを得ない。 これに反して、霊性的直覚の中から見ると、一念の円相の上に、過去・現在・未来が現出し没入するといふ やうに道取しなくてはならぬのである。それで一念又は一念不生のうちに、千年があり、万年があり、無量 劫があるのである。云ひ換へれば、 一念の上に、 過去も、 未来も、 現在も、 皆悉く映つてゐるのである。 」 (鈴 木全集五巻四三〇頁)

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 五一   「 一 念 の 円 相 」 と い わ れ る と き の「 円 相 」 は、 禅 で「 絶 対 無 」 ( 身 心 脱 落 ) の 境 地 と し て 円 相 を 描 く 伝 統 ( 19) を 踏 まえているものと推測される。   時間というものを、過去・現在・未来へと流れていく「直線」的なものと捉える「分別識」から脱却して「霊 性的直覚」の立場に立つとき、 「一念の円相の上に、過去・現在・未来が現出し没入する」 、 「一念の上に、過去も、未来も、現在も、皆悉く映つてゐる」 こ と が 洞 察 さ れ る。 こ の「 一 念 」 が「 絶 対 の 現 在 」 で あ る。 「 す べ て は こ の 絶 対 の 現 在 か ら 生 れ 出 て、 ま た そ こ へ滅し去る」 。   「絶対の現在」のことを鈴木は「円周のない円環」と表現したりもする。 「 こ の 円 環 は 円 周 が な い か ら、 中 心 は 到 る 処 に 在 る。 自 分 が か う し て 居 る、 こ こ が 直 ち に 天 地 の 中 心 で あ る、 絶対の現在である、……誰もかもが中心である、そして相互に融会して相礙えない。個己はいずれも個であ つて、しかも超個たるを妨げない。円融無礙である。 」 (鈴木全集五巻四二八頁) それぞれの「個」が「個」でありながら「超個」でもある。おのおのの個が「中心」となる (この論点は第二篇の 親鸞論の中でも言及されていた。鈴木全集八巻一二二~一二三頁) 。 「周辺に妨げられない一円相の中で、至る所に中心を据ゑてゐる」 (鈴木全集五巻四三一頁) 「円周で限られない一円相の中、至るところに中心がある」 (鈴木全集五巻四三九頁) 。   それぞれの個という「中心」がお互いに働きかけ合っている。これは華厳哲学でいう「事事無礙法界」にあた る。華厳は「四法界」として、すべてを一つに見る「理法界」 、すべてを千差万別に見る「事法界」 、一が多とな り多が一となる「汎神論」的な「理事無礙法界」 、そして最後に「事事無礙法界」を説く。 「事事無礙法界」とは、

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五二 「 一 々 の 個 物 が お 互 に 融 通 無 礙 の 働 き を す る 」、 「 千 差 万 別 の 個 物 が、 一 一 自 ら の 位 を 守 つ て ゐ な が ら、 そ の ま ま 他 の 一 一 に 転 位 す る 」 と い う 立 場 で あ り、 「 事 が 理 な の で あ り、 理 が 事 で あ る。 理 外 の 事 な く、 事 外 の 理 な し 」 だと言われている (鈴木全集五巻四四三~四四四頁) 。   「 事 事 無 礙 法 界 」 は 戦 後、 昭 和 二 十 一 年 に 刊 行 さ れ た『 霊 性 的 日 本 の 建 設 』 の 中 で 鈴 木 が 改 め て 主 張 す る こ と になる立場である。難解な立場なので、鎌田茂雄による説明 ( 20) で補っておきたい。   鎌 田 に よ れ ば、 『 大 乗 起 信 論 』 に「 真 如 の 不 変 [ 理 ] が 随 縁 [ 事 ] し て 万 法 に な る 」 と い う 考 え 方 が あ る。 こ こ では理と事とが無礙の関係にある。仏性と衆生とが無礙の関係にあるということも、理事無礙法界の立場である。 「 事 事 無 礙 法 界 」 で は「 理 」 が 消 え て い る が、 「 事 法 界 」 と は 異 な る。 事 法 界 で は、 〝 人 間 / 山 / 川 〟 は 別 々 だ が、 「 事 事 無 礙 法 界 に な る と、 人 間 が 山 で、 山 が 人 間 に な り、 つ な が っ て く る 関 係 に な る。 」 ( 一 九 〇 頁 ) 人 間 の 意 志・ 情は物に「乗り移っていく」 。「ひとたび山に対しても川に対しても愛着をもったり意志をもったりすると、山と 人 が 一 つ に な っ て い く、 人 と 川 も 一 つ に な っ て い く。 そ れ を 事 事 無 礙 法 界 と 呼 ぶ わ け で あ る。 」 ( 一 九 二 頁 ) そ れ は「ありとあらゆるもの、ありとあらゆる人、そういうものが溶け合う世界」 (一九六頁) である。   人と人との関係で「事事無礙法界」を考えると、自分が他人の心身を思いやって共感するとき、自分と他人と の境はなくなり (「無礙」 ) 一体化している。この一体化のもとで、他人の苦しみを取り除こうとする意志が生じ、 行為が誘発される。これが「慈悲」である。 ⑤智と悲   『 日 本 的 霊 性 』 の 中 で、 ( 阿 弥 陀 仏 の 大 慈 大 悲 以 外 に は ) 「 慈 悲 」 と い う 論 点 は あ ま り 表 面 に 出 て こ な い。 む し ろ、 と く に 禅 思 想 に お い て は 悲 ( 愛 ) よ り も 智 ( 知 ) に ウ ェ イ ト が 置 か れ て い る よ う で も あ る。 し か し、 次 の よ う な 鈴木の指摘は、人は「霊性」や「無分別」の立場に立つとき、おのずからエゴイズムから解放されて「慈悲」の

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鈴木大拙の『日本的霊性』についての考察 (上) 五三 実践へと向かっているということを示唆している。 「本当の愛は個人的なるものの奥に、 我も人もと云ふところがなくてはいけない。此に宗教がある、 霊性の生 活がある。 」 (鈴木全集八巻四六頁) 「集団生活を規制するものは合目的性の原理でなければならぬ。が、 この原理はまたその中に自らを立てて他 を排ける性格をもつてゐることを忘れてはならぬ。これが却つて相互を滅亡に導く原理となるのである。こ こに大いなる矛盾がある。どうしても無分別の分別の世界がそこに展開せられなければならぬ、即ち大悲の 本願といふ原理に撞著しなければならぬ。 」 (鈴木全集五巻三九七~三九八頁)   そ も そ も『 日 本 的 霊 性 』 で 鈴 木 が「 大 地 」 と い う 言 葉 を 提 示 し て い た の も、 抽 象 性・ 観 念 性 に 対 す る 具 体 性・ 現実性また個体の根源を重んじていたからだとともに、大地の「限りなき愛」 、「包容性」 、つまりはその「慈悲」 性を人間が学びとることを求めていたからでもあった。   初版『日本的霊性』の最後をしめくくる節は「四 し 弘 ぐ 誓願」をめぐって論じられている。 「衆生は無辺なれど誓願して度せん。 煩悩は無尽なれど誓願して断ぜん。 法門は無量なれど誓願して学ばん。 仏道は無上なれど誓願して成ぜん。 」 こ れ が「 四 弘 誓 願 」 で あ る。 鈴 木 は「 こ れ は 誠 に 結 構 な 文 句 」 な の だ が、 「 現 実 で は 知 的 方 面 が 余 り に 強 調 せ ら れ て、 悲 的 方 面 が 頗 すこぶ る 閑 却 せ ら れ る 」、 「 禅 者 は 往 往 に 大 慈 大 悲 と い ふ 心 持 を 忘 れ る こ と が あ る 」 と 主 張 す る ( 鈴 木 全 集 五 巻 四 五 三 ~ 四 五 四 頁 ) 。 つ ま り、 「 四 弘 誓 願 」 の 冒 頭 は 衆 生 救 済 す な わ ち「 利 他 」 を 説 い て い る に も か か わ らず、現実には知 (智) が強調される一方で「悲」は重要視されていないのではないかという問題提起である。

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