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パーリ学仏教文化学 (27) - 006彦坂 千津子「王の出現:タイ『三界経』と他の仏教経典との比較」

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全文

(1)

研 究ノー ト

タ イ

『三

界 経

出現

仏 教 経 典

との

比較

彦 坂 千

津 子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AKing

’ s 

Appearance

A

 

Comparison

 

between

Traiphumikatha

 

in

 

Thailand

 and  

Other

  

      

      

     

Buddhist

 

ScriptUres

Hikosaka

, 

Chizuko

  “

Se

  on  on 山e 

Three

 

W6rlds

is

 a traditional 

Thai

 

Buddhist

 

literahlre

       ,   own  as “

Traiphumikatha

” or “

Traiphumipramang

in

 

Thailand

. 

This

 story

was  written  

by

 

King

 

Lithai

 the 

fifth

 of 

the

 

Kings

 of the 

Phra

 

Ruang

Dynasty

 of 

Sukhothai

 

in

 

l

 

345

. 

The

 materials  

the

 

king

 chose  

to

 

include

 

in

 

his

presentation

 were  

limited

 to about  

30

 selections  

drawn

 

from

 

the

 

Pali

 canon

, 

its

commentaries , sub

commentaries

, and  other 

Buddhist

 texts. 

It

 

is

 considered

to

 

be

 

highly

 regarded  and  

precious

 

literature

 which  

portrays

 

the

 stories and traditions of the 

Buddhism

 of  the time 

in

 a contemporary  sense

  

In this 

paper

 

I

 used “

Traiphumikatha

 ru 

Traiphumipraruang

TPK

of

Khurusapa (

Thai

 

Teacher

’s 

Association)

version  as a reference . 

Regarding

‘‘

A

King

s 

Appearance

 

I

 ref ヒrenced  a variety of other 

Buddhist

 scriptures  

in

 order to examine  and  ascertain  

the

 

features

 ofthe  above  mentioned  

TPK

キーワ ー ド

 

タ イ,三,Traiphumikatha,王ボーデ ィサッ タ

1

タ イ

『三

界 経

』 に つ い て

(2)

 68      パ ーリ学 仏 教 文 化 学 又 は ト ラ イ プ ーム ・ラル ア ン グ と呼 ぼれ, 古 典 文 学 として 人々 の 間で そ の 名

はよ く知 られて い る。 タ イ仏 教の 原 始の 姿を伝え る貴 重 な 文 献 とさ れ る この

は, タ イ国

最初

の 王

ス コ ー タ イ

5

目ω リタ イ

在 位

1354

1376

とさ

タ イ国 教 師会

Kh

  sapa

)版

Traiphumikatha

 ru 

Traiphumi

 rai’uang ” (リ タイ

2008

1974

一 以

TPK

とす る

に よ る と , 王 は即

す る前,

6 年

月を か けて これ を編み,世に出したの は

1345

(2)年で ある。

TPK

 

2008

:序

12]

 

タイ の 仏 教 界で は 「

1830

年 代の 後 半, タマ ユ ッ ト

(3)

立 し

復 古

的 仏 教 改 革の 原 動 力 とし て ,パ ー

が 叫 タ イ仏教 を 支 えて い た 「聖 典 」 は,

14

世 紀の ス コ ー タ イ 王 リタ イ 著 作 わ れ る

traiphUm あるい は tebhUmikatha

な どの通

仏 教

で あっ た。 一 中略一

 

タ イ国

地の寺 院の本堂 に は, たい てい

が描か れてい るが, そ の モ チー フ は, リ タ イ王 の 『界 経 とが 。 タ イの農 民は, 壁 画 とい う視 覚 的表現 を通 して , 『 界経 内容に か な り古 くか

い た と考え られる。 [石井

2003

319

320

 

』 の 「三界」 とは,「

界」

kamaphUmi

, 「

rilpaphami)

, 「無 色 界

arUpaphUmi

の三種 類の 生

の 状 態を

す。 金 沢

は この

品 に つ い て 「仏 教でい う三界, 「す な わ ち

廻 的 生

ル キ ー を文 学 的に 表現 した, い わぼ仏教 的宇 宙論」 で あ り, 徳を積み善を な す こ とを勧め, 壁

の 題 材 と も なっ て 民衆の仏 教 思想 形 成 に大 き な影 響を与えた [金 沢

1989

383 ]

。 」 と

べ て い る。

 

リタ イ 王の三界の

構成

は, 「欲 界」 が

心 になっ てい る。 「 界」 の 中はさ らに 「地獄 界」, 「生 界 」, 「餓 鬼 」, 「修 羅 界 」, 「人 間 界 」 の 五界に分か れ, こ の

間界

」 につ い て の

記述

はt 全

5 分

2

, 「

欲界

」 の

3

2

を 占め る。 リ タ イ 王 が

に 「 間界 」 の記

に力を 入 れ た こ とにつ い て, 石

氏は 「

本書

践 的

性格

す も

井 2003

320]

で あ る と

(3)

       王の 出現      

69

見て い る。 人

界に は,

が当て られてい るが, そ れはま た 五つ の 部 分 に分かれて い る。 中で も リ タ イ王 が最も

幅を割き, その 中心 と なっ てい る

分はチ ャ ク ラ ヴァ ッ テ ィ大 王

転輪

聖 王

につ い て の

で あ る。

タ イ 『三界

』 の テ キス ト と写本 及び先 行 研

・研 究の 目的

 

れ まで の 調 査明 らか になっ て い る写

J クメ ール 文

か れ た 貝葉 写 本

3

種で 一つ は トン ブ リー王朝 時 代

1767

1782

1778

仏 暦

2321

年 )に書か れ た トン ブ リー 地 区,パ ー ク ナ ム

paknam

) 寺 院に あっ た 『マ ハ ー チ

phra

mahachuai

, 二 番 目は

1787

2330

, 現王朝 の ラー マ

1

在 位

1782

1809

時 代の 『プラ マ ハ ー

phra

− mahacant

』 で ある。 最後は 『特 別 本

chabap

phiset

1

特 徴 らアユ タ時代 末期の の と推 定されて い そ れ らは現 在バ ン コ 立 図書 館 に保管さ れて い る が, 前

2

種は其々

10

巻あ り,

1

巻にっ き 貝葉は

24

枚 ずつ で あ る。 そ して 最後 の

1

種 は

1

巻で 貝葉は

24

枚で あ る。 [

TPK

 

2008

: 序

2

 

現 在, タイ 『界 経 』 (= ト ラ イ プ ー ム ・カ タ ー

 

以後 『トライ プ ー ム 』

は本 稿で テ キス トとする

TPK

1912

年 タ イ芸 術 局に よ り 「トラ イ プ ー ム ・ラル アン (4) とい う題で 出版さ れた もの が版を重ねて 現 在 まで わっ て い る

澤 井

2000 ]

。 また,

1985

年 に は

ASEAN

文 化 情 報 委 員 会に よ りタイ

と英

の対 訳 版

TRAIBHUIva

KC4THA

版 さ れ て い る。

翻 訳

で は,

1973

Coedes

Archaimbault

両 氏 に よ り タ イ語か らフ ラ ン ス へ ,

1982

年に

Reynolds

氏 夫 妻 に よ りタ イ語か ら英 語へ 翻 訳 されて い る。 日本 語 へ の 翻 訳 は

在の とこ ろ

版 されて い ない し か し, 本 書に っ い て は, 田中忠 治氏, 石井米雄氏 ,

部一氏 他, 多 くの タ イ研 究者の 著 作の 中で 紹 介さ れて い る。

 

に お け る 『トラ イプー ム 』 の

究 と して は

井なつ み氏が,

2000 年

に上記のタ イ 芸 術 局 の タ イ語版 をテキス トに, 欲界の

の 「 」 を め ぐっ て

(4)

 

70

      パ ー学 仏教 文化 学

積善

関係

る 「タ イ

界経

』 に

られ る 「

業 (

k

 

と 「積

tham −

bun )

を ,

照司氏 が

Reynolds

の 英 語

をテキス トに リ タ イ 王 が説か ん と し た ,倫理 的

神 性を 理

し ようと

1986

年 「タ イ

典 『トライ ・ ー ン 』」 を

わ して お られ る。 又, 三 上

1997 年

タ イ 』 の タ イ

に つ い て」 で,

本 書

使

わ れて い る タ イ

を対

に, その 言

徴を明らか にす るこ と を目的と した研

究成

果 を ま とめ て お られる。 また リ タ イ 王が 依

した とい う経 典,

疏に つ い て は,

Niyada

氏の タ イ語によ る研 究が あ る。

 次

TPK

構成 内容

をみ る と,

前述

した よ うに, リ タ イ王が 特に力を注 い で記 し た と思 わ れる の は 「欲 界」 の中の 「人 間 界」 で, そ の 中で も特に 「 チャ クラヴ ァ ッ テ ィ大 王」 の

分で あっ た。 筆

は こ の 点に注 目し, リ タ イ王が描き

し た理想の

特徴

検 証

す る こ とで, 『ト ラ イ プー ム 』 の 特徴の 一端が 明 らかに なる の で は ない か と考え,今 回の

研 究テ ーマ と し た。 そ して 同

に, こ の

著作

を以て, リタイ 王が 当時の 彼の 王 国の 人 民 に

えようとしたの か, 国家 統 治にあたっ て 王 の 目指した とこ ろ を探 る こ と も本 稿の 目的とす る。

 

ま た ,我が国の 『 トライ プ ーム に関 する研 究につ い て は, 先 学 に よっ て

くの

が積み重ね られて きてい るもの の ,そ の 全容を

明 する に は ま だ 研

の 余地 が残 さ れ てい る と思わ れ, 今後の 更 な る研 究が必 要で ある と考 る。

2

. 『

イ プ

ー ム』 に み ら

 

リタイ 王 は転 輪 聖王 とい う理 想国王 像を, その

品に よっ て ひろ く民

に示 し, そ して実 際に仏 法を統 治に取 り入 れ よ う と した。 そ して 自らタン マ ラーチ ャ

法 王

一世 と称 して, 王

を確 固た るもの とす るため に, その 理 想の 国 王

用 し た と思 わ れ る。

 

筆 者は 「タ イ 界 経 』 に お ける転 輪聖 王 (5>」 で ,『 トラ イプ ーム』 に 描

(5)

      王の 出 現       71 か れ た国王像の 特徴を検 証 した。 本 稿 は

転輪

聖 王 に つ い てを

う もの で はない が , 王権 につ い て考 察す る際に,前稿の 結論 部分を示す ことは, リ タ イ 王の 描い た国王像を捉え る上で有 効で ある と判 断 し, その 特徴 と思 わ れ る とこ ろ を

しく述べ の で ある。

 

トラ イ 』 に

か れた チャ ク ラ ヴ ァ ッテ ィ大王 の

特徴

として以下が

さ れ た。

 

功 徳 のカ

 

チャ クラヴァ ッ テ ィ王 にな るこ とが

出来

るの は ,武 力によっ て で も, 選 ば れ たか らで も な く,前世で為し た

大 な功 徳の力によっ て で あ る。

 

王 と民衆 との間の支 配 ・

支配

関係

 輪

宝 に先

さ れ る王 の 行 列に参 加す る民衆 と チ ャ ク ラヴ ァ ッ ティ 大 王 との

に,

服従

保 護

関係

が認められる。 従 う民衆は王 の保 護 下にあ り, 平 和 と安全 ,幸 福が保 証 さ れ る。

 

仏 法 を広める

 

王 は征服 に赴い た先々 で 服 従 を誓 う支 配

た ちに,

法に

っ て国を治 め, 戒 律を守っ て 生 き る よ う訓 話をす る。

 

は チ ャ ク ラヴ ァ ッ ティ大 王 とな る人の

質で あ り,

 

は チ ャ ク ラ ヴァ ッ テ ィ王 と民

との

の支 配 ・被 支 配 関係の 構 築に よ っ て, 民 衆に与え られ る 王か らの保 護約 束であ り,

 

統治

仏法

に よっ て

うこ との 宣

で あ る。

 

山 崎 氏は 「古代イ ン の 王権 論一仏 典 と 『実 利 論

史料

と して

典にみ られ る王の 義務を 「人 民の

序の

持に ある」 と し, そ れ に対す る報 酬 と し て , 王が 享受す る微 税

を あげてい る。 そ して仏 教 徒の理 想 とする征 服は, 武 力で はな く,ダル マ の 力に よ る

和 裡の征 服で あ る

山 崎

1993

3

5

とす る。 また,

転輪

聖王 に

し て は, 「こ の

(6)

 

72

      パ ーリ学 仏 教 文化 学 は前 世の

で あ る

崎 1993

5]

と して い るが こ れ らは 『トラ イ プーム され た 国 王像 と合 致 す るもの で あろ う。

 

以 上の

事柄

念頭

い て,

本稿

で は 『トライ プーム に描かれた 王

に つ い て, 「王 の出現」 の場 面 を取 り上 げ,他の 仏 典 と比 較 する こ とに よ り, その特 徴を検 証 したい

3

. 『トラ イ プー ム』 に お

る王 の

出現

 

TPK

10

「マ ハ ー カ パ の 滅亡

の王 の 出現の

分 を見て い く。 なお, タイ

の ロ ー

字変換

, タ イ 王立

め た

基準

うが, 他 の 文献か ら 引用 する場 合はその 限 りで はない

 

この

で は,最

にカ ッ パ

と世 界が火, 水, 風に よっ て破

され る

子が

られ 。 そ し てすべ ての もの が破 壊さ れ尽 く した後, 長い 時

を か け, 再 び始 まっ た 新 しい カ ッパ の 中で, 新た な世 界生成の

が描か れ て い る。

 

以下, 内容を掻い摘んで述べ る。

 

ある

こ っ た風に よっ て, 何 もない 水の

か ら泡が生じ, そ れ が形あ るもの へ と次 第に変 化を して い , すべ て が破

され る前と同 じ よ うな世 界 が 形成 され た。

 

大 陸がで き, 太 陽 月が現 わ れ , 三 っ の 季 節が生 じ る。 そ して デ ー ヴ ァ ターが 天 か ら地上 に

りて きて住ん だ。 彼 らは 自然の 恵み を受 け て暮 ら し た。

食物

を摂る必要はな かっ た。 最

, その 中の誰か が地の 栄

め た。 しか し

ル マ の 実践 を軽 ん じ, 功徳 を

ま なか っ た こ とによ り,地の

養 は消えて し まっ た。 その

に出て き た植 物 も, 同様の 理 由に よっ て絶え た。 その後

え な くて も

然に米が

ち実っ た。 その 米は朝 刈れば, 夕 方に は再 び実 り, 夕 方 刈れ

に は ま た

ん だ。 し か しや は り人間た ち が

(7)

       王 の出 現      73 ダル マ に反 する行い を した ため,

た な くなっ た。 そこ で

らは

物を 自分た ちで育て るため に, 田と畑を分け あっ た が ,貪欲 で よこ し ま な 心 を

が,

所を

い , い さ か い を繰 り返 す ようになっ た。 こ の よ うな

経緯

か ら, 人々 は 自分た ちの 社 会に王 を迎え たい と考える よ うになっ た。

TPK

288

309

, 〔

Reynolds

 

1982

314

324

Thai

 

National

 

Team

 

l

 

985

428

441

以下 は上記の続きの

分,

TPK

の 「王の 出現」 の 場面の 和 訳で ある。

 

そ こ で ら は集 まっ て, 次 の よ うに 相談 し た。 「 , 我々 は大 変 孤 独 で あ る。 なぜ な ら我々 は相 談す る相 手を見つ け る こ とが で き ない か らで あ る。 そこ で 我々 は, 全 員で協 力し て, 我々 の 上長

に な り, 君主にな り,

々が

う上

の人

を一人 指 名 するべ あ る 。 我々 全 員が

違っ て い るか

い は正 しい か の いずれ に せ よ, その 人

に我々 が

違っ て い るか正 しい かの

を して も らお う。 そ の 人

に我々 の ため に土 地 を分 けて も らお う。 そ し て 我々 は, その 人

に 我々 の 取 り分よ りも

く の と田を与えよ う。」

 

こ の よ うに相 談 し た

らは ボ ー ディ サ ッ タ の とこ ろ に行っ て手 を合わせ て礼

し,

らの為 に上 位 の 主 人と なっ て くれ るよ うに

ん だ。 彼 らは その ボ ー ディ サ ッ タ を儀 式 を以 っ て王 と し, 同 時に三種類 の 名 前 を 与 え た, そ の 一 ー ト

m

盲榔       or  4 maha  sarnrnati rat

とい う

で あ り, また

は カ

khasattiya

) とい う名で あ り, も う一 つ は ラー チ ャ (

7

sl

 racha ) とい

で あ る。 その マ ハ ー サ ン マ テ ィ ラー ト と

ぶ理

は, 人々 全員が , 彼 を上 長 者 と して引き 上

た か らで ある。 そのカ サ ッ テ ィ ヤ と呼ぶ 理

は, 人々全 員が ,畑, 田 ,米,水を その人

に彼 らの た め に分けさ せ た か らで ある。 そ して その ラ ー

, すべ て の人々 の 心を満 足さ せ る か らで あ る。 その理

に よっ て ラ ー

の で 。 ボ ー

(8)

74      パ ーリ学 仏 教 文

 

デ ィサ ッ タ は すべ て男

で あ る(6), そ して 人々 が 彼 を 引 き上 げて彼 を  王 に し たの であ る。 その理 由は, その 人 物が誰 よ りも美 しい 姿 形を し

 

て い るω のを知 っ て い るか らで あ る そ し て誰 よ り も知

が あ り

 

して

よ り も

しい を持ち, 親 切で ある (8) る。

よ り も正

 

直で,誠 実で, 他に対 して 善い 心を持っ て い る(9)。 人 々 は こ の よ う な

 

こ と を知 る。 そ の 理

に よっ て , その 人

を 王 と し, 君 主 とし, 上 長

 

と し た。 そ の カ サ ッ テ ィ ヤ と呼ぶ慣 わ しは, 現 在 まで 引き継が れ て

 

い る(10>。

TPK

306

7

, [

Reynolds

 

l

 

982

324

5]

Thai

 

National

 

Team

  1985

440

442 ]

4

仏典

に み

られ

る 「王 の

出現

 

王 の

現に つ い て, 『トラ イ プ ー 』 と共 通す る

内容

が述べ られた仏 教 経 典の 主 な もの を挙 げる とすれ ば,

漢訳

で は 『

』 「世本 縁品」川 , 『 経 』(12>,『起 世 因本 経』(13), 『起 世 経

q4

), 『衆 許 摩 訶 帝 経 』(15), 『破 僧 事』(16) な どが 挙 げられ る。 パ ー 関係で は

Aggafifia

Suttanta

(17) , サ ン ス ク リッ トで は

Mahav

αstu な どが ある

 

ま た経典 以外で も, これ に類 似 し た文 献 と して 岡野 氏

2004 )

に よ っ て翻 訳研 究さ れ た

12

世 紀の サ ン ス ク リッ ト

文献

『マ ハ ー サ ン ァ ル ニ ー カ タ ー

Maha

−sapavartanikathdi

11

12

ろ ま 立 し られる ビル マ ・タ イ に伝れ るパ ー リ

『ロ ー ・パ ン ニ ャ ッ テ ィ

Lokapafifiatti

)』 な ど が あ る。

 

ま た岡野 氏は部 派によ る

違の

無を比

するた め に, パ ー リ上座

に属 する 『 ッガ ンニ 並 行資 料 と して パ ー ン ス ク リ 諸 部 派の 聖典

資料

該 当部

を和 訳 して お られる が, その

資料

は,

子正量

・パ ン ニ

根本

有部破 僧事

Sahghabhedavasnl)

』,大 衆 部 説 出世 部 『

Mahavastu

』 で あ る。

 

桜 部 氏は,

Lokapafifiatti

名前

か ら想 起 され る もの に

L

欲 卯 吻 脚ρ〃が あ る が, 両

関連

す る ところは

い が, まっ た く別の テ キス トで ある と述べ て

(9)

      王の出 現      75 い る

桜 部

1982

24 ]

。 氏の 論 文で は,

Loka

ρafifiattiにつ い て 「漢 訳 世 阿

論 の 原 本 あ るい は それ に近 い 内容の もの を主 な 素 材 と し, 現 存パ ー

Chagatidrp

αnT な どに近い 内容の もの を それに合 編 して で き あが っ た も の で, も とサ ン ス ク リッ トで 書か れ, 北 方の 所 伝に 由来 する, と見 定めて よい で あ ろ う

桜 部

1982

25

]。 」 とする。 そ し て ,そ の 著 者につ い て は諸説 あるもの の

定 す るこ は で きない , しか し パ ー リ語翻 訳時 期

11

12

世 紀 ご ろ ビル マ に おい て と推 察 されて い る [桜 部

1982

26

と述べ る。

 

さて, 『ト ライ プー ム』 は, リタイ 王が約

30

の 経 典 義 疏な どか ら引い た

内容

を ま とめ て ,

編纂

した

で ある。 その序 文 と, 結語の 中で それ らの 文献 名が 列 挙 されて い る

TPK

2

3

323

324

]。 

Niyada

氏は

1994

年に そ れ らの原 典 資

につ い て の 研 究 を発 表 して い るが, 氏に よれ ば , 『 ト ライ プ ー 』 の

第 10章部 分

出典

に つ い て は

Aggafifiya

 

Sditra

, 

Atthakatha

 

Aggafifiya

 

Stitra

Lokup

ρatti

Niyada

109

149]

(18) 

Sdratthasangaha

Niyada

109

163

(19)

どが あ るが ,

で も最も依 拠す る文 献 は

Atthakatha

 

Aggafifiya

 

Sditra

で あ る と し て い る

Niyada

 

1994

107

109]

。 そ の他 に, 本 稿 で は パ ー リ関 係

DiPtn

・amsa

『島王

統史

考に した 。

 

以上 を ふ ま えて,

本稿

で はこ れ らの 中か ら, 部派の 別に も留意 し, や や詳 しく述べ られ い る と思 わ れ る

文献

り上げて 「王の 出現」 の場 面にっ い て 比較 検 討 して い き たい

 

漢 訳 経 典の 『世 紀 経』 は, 『長 阿含 経 』 に含 まれ る が , 部 派は法 蔵 部に 属す る

岡 野

1998

60

。 そ の 「世 本 縁 品 」 で, 王の 出現 につ い て述べ た箇 所が あるの で引用 して

介 した い 。

 

世 間 だ ん だ ん

くな こ の 悪 法 。 一

中略 )

一 田地や宅 地の

界の区別 が あ るた め に, い さ かい を 生 じ たの だ。 怨 みや

復讐

を ま ねい て , 正 し く決 定で き る もの はい ない 。 私た ちは今 一 の 主人 をたて て , 立派に人々 を守 り, よい こ とを褒め, 悪 を 罰 し, そ して み ん

(10)

 76      パ ーリ学教 文化 学 なで, そ れ ぞ れ の 蓄え を割い て , これ を与え た ほ うが よ か ろ う』 と。

 

さて , 人 々 の

が 大 き く,端 麗な顔立 ち ,大 変 威 厳が あ り徳の い 人 が い た。

 

人 びとは次の よ うに言っ た。

 

た ち今 君を 主て よ 。 立派に人 々 を守 り, よい こ とを 褒め, 悪を罰して くだ さい 。 私たちは みん なで , そ れ ぞ れの

え を

い て, これ を与え よ う』 と。

 

その人 は こ れ を聞 く と, す ぐに承 諾 して王 とな り, 褒め るべ き もの は褒 め ,罰すべ した 。 こ こ に初 めて 『民の主』 とい う名 前がで き たの で あ る

2005

333

4

 

こ こ で , 一 ッ パ が消 滅 して 新たなカ ッ パ が始ま り 世 界の

ま りか ら, 時 を

て 人

問社会

が生ま れ た。 そ して 人々の 問で 貪 欲の為に争 い 事 が 起 き る よ うにな り,一人の王 を 立て る とい う物 語れが時 系列で か れて い るの は 『トライプーム と同様である。

 

法蔵 部 『長 阿含 経』 の 『小縁 経』 で も, 「

」 に

す る場

が 登 場す る。 話の 流 れは,類 似 して い るの で い ちい ち 示 さ ない が , こ こ で は王 とな る人

にっ い て, 「 き く,端正 な

立 ちで,威 厳 あ る人 を 選 び,一

辛 嶋

1997

101

コ」 とあ り, その 名 称につ い て は 『 』, 『

』 とい う名 称が

めて 世の 中に 生 じた と して お り, 同

平等

な主人

平等

とい う語 も用い られて い る。

 

パ ー リ

経典

パ ー リ上

座部

属 す

Aggafifia

Suttanta

,漢 訳 仏典の 『 縁 経』 に対 応す る もの で あ るが , こ こで は王 を 選ぶ に際 し, その 資 質につ い て,(他の に比べ 正 な abhiriipataro

, よ り美 しい

dassaniyataro

, よ り浄心 の

p5sEdikataro

そ して よ り

権 勢

の あ る

mahesakkhataro

人 物 で あるこ と が述べ られい る。 そ して その名 前につ い て は,第

1

に マ ハ ーサ

(11)

       王の出現      

77

ン マ タ

mah5 −sammata

第 2

に カ ッ テ ィ ヤ

  attiya

第 3

に ラー ジ ャ ー

「aja

が現わ れ た と述べ ら れてい る

第 1

が使わ れ た理 由は , その

が 「

か ら選 ばれ た

mahaj  ana −sammato

」 か らで あ り,

第 2

語の理

は その人

が 「

khettanam

 

patiti

」 で あ るか らで あ り,

3

は 「法 に よっ て

ぼせ る

者 (

cih… a 

pare

 rafijetTti

で あ る

とい う

明が なされて い る。

 

岡野 氏が

子 少 量部 に属 す る とする

Lokapafiffatti

Denis

 

1977

212

213

で は, 王 の 立 場は, 「 田 の 支 配 者

khettanaiP

 adhipati

」 で あ る。 そ して 王 の 資 質 と して , 「彼は最 も長 寿 ((

hghayukataro)

で あ り 最 も 美 しい 容 色

肌 の色

) (

va avantataro

最 も優れ た偉大 さ

mahesakkhataro ) 最も大 き な 神 通 力

mahiddhikataro

,最も大き な

威神力 (

mahanubhavataro

を もっ てい る最 高の 生 ける者」 で あ り, その 義 務 は, 「正 し く非 難 さ れ き も 難す る。 正 し く

譴責

さ れ るべ き もの を譴

する。 正 し く追 放 すべ き もの を追 放す る。」 こ とで あ る。 王 の 報 酬は 「 収 穫 さ れ た ら, あ

分 量を与え る。」 となっ て い る。

 

また, 王の 名 称につ い て は 「法 話

せ る がで きた。」 こ と か ら, 「ー ジ ー 」

が , 「大

によっ て認 定さ れ た者」 とい う意 味か ら, 「 ン マ 」 の 名が, 「田の 支 配者」 とい う意

か ら, 「 」 の 言 葉が生 ま れ た。

岡野

2004

59

60

 そ れ ぞ れの 経 典の 内容につ い て 比 較が容 易な よ うに別 添の 資 料に一覧 表 と した の で

照して い た だ き たい 。

 

こ れ を見 ると, 王 は 人 々の 上長 者, 主 人で あ り, 人 民を保 護す る 一 , 秩 序 維持の た め平 等に裁 き, 悪い 行い に対し て は刑 罰を科 し,善 行に対 し て は

褒賞

を与え, 国を治め る義務 を有す る。 その 報 酬 と して, 王 は本

人 民の所

であ る米や 土 地の 内か ら何 某かを分け与え ら れ る

徴 税

権 )

す る 〔20)。

(12)

  78      パ ーリ学 仏 教化 学

 

世 記 経 』 「世 本 縁 品」, 『小 縁 経 』,

Aggafifia

Suttanta

で は , 人 々の 中か ら 選ばれた もの が王 とな るとする が, 『ト ラ イ プ ー で は , 王 の 資質 とし て, ボーディ サ ッ タ

男性

で あ るこ と と して お り, 前世の

結果

が 王位に反 映されて い る。

 

各 聖 典の 立 年 代 は, 上記で 述べ た よ うに 『トラ イ プ ー 』 は

14

世 紀,

Lokapafifiatti

11

12

世 紀 の 成 立で ある。 パ ー リ上 座

につ い て , その聖

成立の 時 期につ い て は, 「 存 時代 仏 滅 後

20

400

西暦前

615

〜 前

2

3

世 紀 ) と う大き な幅をみ な けれ ば な ら な [山 崎

1990

362

 

他の 聖 典につ い て は, 原 始 仏 教の 時代に おい て分

り返 して 成立 す る 部派 仏 教の 展 開 と並 行 して編 纂さ れて い っ た と考え られる。 その年 代 は, 根 本 分 裂後

2

3

と さ れ

33

35

。 従っ て,

2

聖 典 成立 の 時 期 と は千年以 上の開き が あ るが , 内 容 的に は十 分並行資 料た り得 る とい 見 地か ら, 検 討資 料 とした。

5

結    論

 

原 始 仏 教の 経 典 成 立 当 時社 会思想につ い て,

村 元 氏 は当 時の王

に つ い て の

と して, 「王 を

聖 な も

あるい は本

国 王 の 地位 に くべ く定 られ い る もの で ある と は考え な い で む し ろ 国 王 は 元 来人 民 の 選 出 し た もの で あ る と

して い た

中村:

274 ]

。」 しか しな が ら,

に 「過 去

十善

した ため に現 世 に は国王 と して 生 まれ た とい う

仰が

立 す るこ とになっ た [中村:

280

]。 」 と述べ て い る。 つ ま り, も と も と仏 教

会思 想 と して は, 王 は人民の 単 な る

代表者

に す ぎず, 聖

存在

で ある とは考え られて い な か っ た が, 時を経て 次

に聖

が附与 さ れて い っ た と考え ら れてい る。

 

こ の見 解を当て は め て み る と,

Loka

ρafifiatti

も大 き な

き な威 神 力 ・ 有 情

『トイ プー

位の 人 ・ボ ー デ ィ サ ッ タ),

Dipavamsa

(灯明者 ・守 護 者

な どに は, 王 の神 格 化, カ リス マ

(13)

       王の出現      

79

化が 見 ら れ る。 そ して,

M

痂 vα ∫加

高者 )

, 

Aggalfia

Suttanta (

選 ば れ た 人

につ い て も, 有 情の 中の 最

者,選 ぼれ た 人 と して,

らか の聖

が附 与さ れ, 他 との差 別 化が 図 られて い るよ うで あ る。

 

さて, こ こ で 『トライ プーム が 王の

資質

と してい るボー デ ィサ ッ タにっ い て

確 認

し て お き たい ィサ ッ タ とは

菩薩

の サ ン ス ク リ ッ ト ・パ ー リ 語で ある。

TPK

に よれ ば , ボ ー デ ィサ ッ タ とは, 仏 法に よっ て悟 りを開き, 全 知 を得, や がて は ブ ッ ダ と な るた め に天界 〔21) りて , こ の 世に生 ま れ変わ っ た人 間

有情

で あ る。 ボ ー デ ィ サ ッ タ が得 度 し よ うとす る とき, 最 高の 階層で ある梵天界に住む梵天 は天界か ら降 りて きて , こ の 時の 為にあ らか じめ用意 して あっ た a仙apahkkhar5

僧の八要 具〔22)

を彼に

げる。

 

ま た ボ ー ディ サ ッタ は,彼が母の 胎

に い る時か ら,他の 人 間とは異なっ て い る。 彼 は子 宮の 中で すで に全 知 を得てい る。 生 まれて き た あ とに は, 父 母の 話 す言 葉を覚え, 話す よ うにな るが, 言

を何 も教え ない 時に は,彼は 聖なる言 語で あるパ ー 話 す

TPK

83

4

 

つ ま り, ボ ー ディ サ ッ タは最後の 生 の 中で ,悟 りを開い て聖な るブ ッ ダに な るこ と が運 命づ け られて お り, その 誕生か ら生涯を通 じ て , 一般 民衆 とは 異 なる聖な る人 と して , 民衆の 尊敬 を集め る対 象なの で ある。

 

王権 に話 を戻す と, 『ト ラ イ プ ー 』 で は,他の 仏 典 と異な り, 王 の 要 件 とし て, ボ ー デ ィ サ ッ タであ る こ とが 求 め られ る (23) 。 王 が ポ ー デ ィサ ッ タ で あ る 以上,王 が 支 配す る俗 界で ある王国は,

法 に よっ て

治され る。 そ れ は 山崎氏の い う, 王権の ドの 俗界 と, 出 家 者の 世 界を切 り離 す とい う王権

相容

れ ない

分で は な い だ ろ うか

山崎

1993

16

『ト ラ イ プ ーム の チャ ク ラヴァ ッ テ ィ大 王

聖王

の 部 分で は , 特に その 点が 強調 されて い る。 そ れ が リタイ 王 の 作 り出し た 『 ト ラ イ プ ー 』 の 理 想の 国王像で あ る。 最

、 タ イにお け る国王 と仏 教の 関係につ い て論 じた石 井 氏の 研 究を参

(14)

 

80

      パ ーリ学 仏 教 文 化 学 照したい 。 石 井 氏は歴 史 的に 「 ラ ヤ大 平 原進 出た タ イ

, 周辺の 諸 民族 との 接触過 程で蒙っ た文化 変容の複 合 性がその複 雑 さに対応 するもの で る [石井

1975

266

]」 とみて い る。

 

タ イ族が影 響を受けた もの の ひ とつ に タイ族がモ ー ン(24)か ら継 承 し た文 化 遺産 『 ラ タ(25) こ れは タイ人に よ っ て長 く尊 重 されてきた基

で ある。 その 内容に は, パ ー

濃密

な影

にみ られ る。 仏 教 的理想王 (26) 観 念 も そ え ら れ る 。 その 「 観 念は, まず人々 に よっ て選 ぼ れ 仏 教 的な法 (ダン マ )に基づい て統 治を お こ な う王

石 井

1975

267

8

」, 即 ちタ ン マ ラ ー

 

つ い でタ イ

が影

を受 けたの は, 東 隣の ク メ ー 文 化 っ た。 とく に, 国王観 念で 重 要 なの は,

devar

a す な わ ち 「 思想 」 で あ る。 「神王 思想」 とは, 国王 をシ ヴァ神, ヴ ィ シ ュ ヌ

な ど ヒ ン ドゥ教の

々 の

化 身

とす る クメ ール 人 の 思想をい う

石井

1975

269 ]

セデス

1969

125

126]

。 つ り民衆に とっ て 国王 と は 単な る恩情 主 義 的統 治 者で は な く 疑 い も な く 「聖性 を持っ 存在 なの で あ り, タ イ国王にお け る 「カ リ マ 的 支 配 側 面が看 過で きない もの で あ るこ とを石井 氏は指摘す る。 そ して 国 王の 持っ こ の 即

的聖性は, 国王 に よ る支 配の 正 当性の 考 察上極 めて 重 要 な意 味を 持っ てい る とい う [石 井

1975

269

]。

 

こ の文 脈か らす れぼ 『トラ イ プ ー 』 で 王 がボー デ ィサ ッ タで ある こ とが 求め られ るの は, 王 によ る支 配を正 当化す る ため, 王 に聖

を附 与す る重

な フ ァク タ ー と なっ て い る よ うに思 わ れ る。

 

さて ス コ ー タ イ

5

王 リタ イ(27)が

ん だ 『 』 の物 語 は,寺 院の 内側の 壁画に描か れ, タ イ民衆に仏 教を教 化す るの に大 き な役 割 を果た して たこ とはすで に述べ

 

リ タ イ 王 は在 位 中の

1362

に出 家 し, マ ハ ー タ ラ ー チ

1

世 と 称 号 を得 た が, タ イ 国 におい て、 歴 代 国王 が 一 時期 出家 す わ しはこ の リ タイ 王か ら始 まっ た とい わ れ る そ して ス コ ー タ イ 王

で は, リ タ イ 王 孫 , サ イル ー タ イつ ま り タン マ ラーチ ャ

3

世 (在 位

1400

1419)

団 を

(15)

      王の出現      

81

王の

組織

し, 自ら大

正 を任命 してい る。 これに よ り俗 界に あ る王権 に よ る出家 者の 界へ の 支 配体 制が整 え られ た と言え よ う 。   以上 に述べ き たとか ら, トライ プ ーム を著 した リタ イ 王の 意 図の ひ と つ は,

彼 自身

はも と よ り歴代の ス コ ー タ イ 王 ボ ー デ

= 聖 な る存

在)

で あ り, 一

な く

家者

存在

る と い うメ ッ セ ー ジ をこ の 物 語を通 じ て, 暗に ひ ろ く当時の 民衆に訴え る か け るこ とで はな か っ た だ ろうか。  本 稿で は 『 プ ー 』 に描かれた 「王 の 出現 」 の 部 分に焦 点を 当て て 他の 仏 典 との 比較 を試み て き た。 比 較に使 用 した仏典は 「 の 出現 の 部分 が記されて い る点で 共 通 し た もの で ある が, ご く限られ た もの で あっ た こ と は否めない 。 その ため,今 回の 検 証を もっ て明らか とな っ た こ とは取る に足 りず, 批 判は免れ ない もの で ある と思 う。

 

題 点 と して は, リ タ イ王 が依 拠 した と され る

30

数 種の

典, 義 疏の一 つ ひ とつ を綿 密に調査す る必要が あ る と考えて い る。 また, タ イの 王

王 思想との

関係性

に つ い て も改めて 考 察す る必要が あ ろ う。 至らな い 点は ご教示 をい た だ き, これか らの 筆 者の 課題 と し たい と思 う。 註 (

1

)石 井 氏, 澤 井 氏は リタイ王 をス コ ータ イ

6

王 と し

TPK

で は第

  5

代王 と し て い る た め, 本 稿 で は TPK に従 っ た。 [石井 1993:

357

, 425],[澤井  

2000

], [

TPK

7

] (2仏暦1888。 サ テ ィエ ンポン ・ワ ン 氏 (森 ・吉 1989) 1359 年 。  田中 (

1992

1988

})は

1374

年。 (

3

1836

年, 当時僧 籍に あっ たモ ン ク ッ ト親 王 (の ちの

4

世 王)に よっ て創始され  た サ ン ガ内の復古 主義 的改革派で ある。 [石井 2003:203] (4) プラル ア ン は, ス コ ー タイ時代の王朝を指すこ と ばで ある。 (

5

) 2012 東海 印度学 仏教学会 『東海佛 教 』 第 57 輯 

pp

122

106

(16)

 

82

      パ ーリ学 仏 教 文 化 学

6

) 駲 盲珈 齢 イ且寄wm 雨馳

浦 跚 1喞 (

7

)翁

d

禰 躙 1・・蜘

・襁 1・       Pt                         ツ (

8

∩づ1貧浦 欄 1釦愚繭 qr漁 飾浦 蜥 鯏 (

9幽

・・づ・餌

・e       or   4 げ      w   4

aO

) 現 代タイ語で も nNenSe kasat, fiYenSS kasatriyaは国王 を意 味 する語で ある。 匚松山

 

1995

51

] (

11

) 『長 阿含 経 』 巻

22

 大正

1

148c

a2

) 『長 阿含 』 巻 6 大 正 1 :36b〜 37a (

13

) 大 正

1

:417c α

4

) 大正 1 :363a    大正

3

937c

a6

>大正24 :100c (17) DN .27 :80〜 98 (

18

) パ ガ ン の人,Aggapanditaが書いたパー リ語の書。 [G , P Malalasekera RTS ]    

13

世 紀の セ イ ロ ン の僧,

Siddhattha

が 書い た仏教書 。

 

G

P

. 

Malalasekera

 

P

T

S

コ    本稿 2 ,で も少し ふ れたが , 山崎氏に よ れば 「 ハ ー ン マ タ伝説に説か れて い  るの は 王の 義 務 を 人 民の 保 護 と社 会 秩 序の持に ある と し, 王 が 享 受 する徴税権  をそ うし た役 割に対する報 酬と見る 王権 論で ある。」 [山崎

1993

3

4

      a       げ

2D

ボーディサ ッ タの住 む 天 界は

dusita

−sawan 俑 m 盲漁 で ある

TPK

229

]。 

dusita

リ語 tusita あ た り

, 六欲 天 の 二 番目の 天 界 で あ る兜率天 を意 味す る も

 

の であろ う。

Reynolds

の英訳で は “

the 

heaven

 of  

fU11

 ofjoy ” の訳があて られて お り,

 

文字通 り訳せ ば 「ち た 天

」 とい うこ とになる。 タ イ語で

dusi

は喜び

 の意 ,ta fl1は た く さ んの, 豊な,の意味が ある。

方 Thai Natio/nal Team

 Tusitaの訳 を あて てい る Thai National Team 

1985

329

。    三衣, 鉢,帯, か み そ り, 針, 水漉し器の

8

つ の必需品。    仏典の 中に はボーディサ ッ タで ある王の存在が確 認で きる。例え ば ジャ ータカ第  499 『尸 毘 王物 語 』 (Jataka 499 sivijatakam )の尸 毘 王 はその一例で ある。 し か  しこれは本稿う王の要件と して の ボーディサッ タ とは問題の本質が異 なる よ う  に思わ れ るの で ,特に言及 して い    先住 民族。 かつ て はチャ オ プラ ヤ ー川 流域 やビ ル 広 く居 住し,タ イで は  ヴァーラ ヴァ ティ王やハ リ ブン ジャヤ 王建 設 し た がいず れ も正

2

3

世紀  に クメール の 王 国 や 新 興の タ イ 族 に征服さ れ た。 [石 井 1993;

324

]   「

Phrathammasat

」 はサン ス ク リッ ト語vara −

dharmaStistra

に由来

 

するタ イ語で 「ダル マ シャ ース ト ラ」 の意 味で ある。 [石井 1999:306]

(17)

王の出現

83

  

タ イの伝統 法は 『三 印法典』 とい う法律 集成の形で, ラ ーマ 1 世王の 勅命によ り  アユ ヤ 時代に残 存 して い た 旧 法 を含み編 纂され,

1805

年に完 成 した。 こ の 法 典  の 冒 頭に お か れ た と さ れる本の タ イ トルが 「 ラ タン マ サー ト で ,これ が イン ド  の 『マ ヌの法典 (ダルマ シャ ース ト ラ)』 を指す語で あ るこ と か ら,『三 印法 典』 と  イン ド法の関係が指摘されて き た。 し か し 『 印法 』 に は人類に対す る神の天啓

 

で ある 「ダル マ シャース トラ」 の持つ 宗教 的性 格が 全 く見 られず, 両者を同 一  じるこ とは でき ない。 [石 井 1993:228コ」   またプ ラ タ 」 と 『マ ヌ 法 典』 の 中間に, 第 3 の 法 「ダム マ タ ッ   (

Dhammathat

)」 の 存在が ある。 こ の法 典に 関し て 「学 仏教 文 化学 会   第

27

 回学 術大 会」 の折に,理事の奥 平氏よ り ご 助言を賜っ た。 こ の法典の 由来につ い  て は,  アユ タ ヤ が ビル マ の支配 下に あっ た時 (1569〜 1584), ビル 人 を通 じ  タ イに入 さ れた とい う説 と,   「 」 のパ ーリ語の 序を論拠 とす る  モ ーン起 源説 ちモ ーン の 「ダム マ サ ッ タ ン

Dhammasattham

が直接の起源  で ある とす る説が ある。   本稿で取 り上げた 石井 氏の 論は  の 説に依 る と思 わ れ る。 こ れ らの 問題につ い て  は,「タ イ伝統 法 」 [石 井:

1980

]に詳 述が ある。  

 

本 書に は, ボ ー 軸 甜 phraboromaphotisat。hao)が,人々

 

の争い 調停 る サ ン マ タ 王 (WMraweqm ” slsuor mahasommutirat にな る とい う伝説が  見 ら れ る。 匚京 都大学 東 南ア ジ ア研 究 所 タ イ語三 印法典デ ーベ ース 王 立研 究

 所版 vol.

1

9

15

 

http

11area

.net .cias.

kyoto

−u.ac.

jp

ktsdf

  石 井 氏は リタ イ 王 をス コ ータ イの第

6

代王 と して い るが,

TPK

で は第

5

代王 と

 してい るため,本稿で は TPK に従っ た。 [石 井 1993:357 ,425],[TPK :7]

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1988

2008

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1990

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1

39

参照

関連したドキュメント

いない」と述べている。(『韓国文学の比較文学的研究』、

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

剥落箇所にも同様の矢が描かれていた可能性があり、正確な本数は復元できない。また弓 Masaru INOUE, Qizyl mural painting “conversion of King Mahā-Kalpina”and an icon

鈴木 則宏 慶應義塾大学医学部内科(神経) 教授 祖父江 元 名古屋大学大学院神経内科学 教授 高橋 良輔 京都大学大学院臨床神経学 教授 辻 省次 東京大学大学院神経内科学

1991 年 10 月  桃山学院大学経営学部専任講師 1997 年  4 月  桃山学院大学経営学部助教授 2003 年  4 月  桃山学院大学経営学部教授(〜現在) 2008 年  4

奥村 綱雄 教授 金融論、マクロ経済学、計量経済学 木崎 翠 教授 中国経済、中国企業システム、政府と市場 佐藤 清隆 教授 為替レート、国際金融の実証研究.

学識経験者 品川 明 (しながわ あきら) 学習院女子大学 環境教育センター 教授 学識経験者 柳井 重人 (やない しげと) 千葉大学大学院

Photo Library キャンパスの夏 ひと 人 ひと 私たちの先生 文学部  米山直樹ゼミ SKY SEMINAR 文学部総合心理科学科教授・博士(心理学). 中島定彦