[
研 究ノー ト]
タ イ
『三界 経
』王
の出現
と
他
の仏 教 経 典
との比較
彦 坂 千
津 子
AKing
’ sAppearance
−A
Comparison
between
“Traiphumikatha
”
in
Thailand
andOther
Buddhist
ScriptUres
一Hikosaka
,Chizuko
“
Se
on on 山e
Three
W6rlds
”is
a traditionalThai
Buddhist
literahlre
, own as “
Traiphumikatha
” or “Traiphumipramang
”in
Thailand
.This
storywas written
by
King
Lithai
, thefifth
ofthe
Kings
of thePhra
Ruang
Dynasty
ofSukhothai
in
l
345
.The
materialsthe
king
choseto
include
in
his
presentation
werelimited
to about30
selectionsdrawn
from
the
Pali
canon,
its
commentaries , sub
−commentaries
, and other
Buddhist
texts.It
is
consideredto
be
highly
regarded andprecious
literature
whichportrays
the
stories and traditions of theBuddhism
of the timein
a contemporary sense .In this
paper
,I
used “Traiphumikatha
ruTraiphumipraruang
”(TPK
)ofKhurusapa (
Thai
Teacher
’sAssociation)
version as a reference .Regarding
‘‘A
King
’s
Appearance
”,I
ref ヒrenced a variety of otherBuddhist
scripturesin
order to examine and ascertainthe
features
ofthe above mentionedTPK
.キーワ ー ド
タ イ,三界経,Traiphumikatha,王,ボーデ ィサッ タ
1
.タ イ
『三界 経
』 に つ い て68 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 又 は ト ラ イ プ ーム ・プラル ア ン グ と呼 ぼれ, 古 典 文 学 として 人々 の 間で そ の 名
前
はよ く知 られて い る。 タ イ仏 教の 原 始の 姿を伝え る貴 重 な 文 献 とさ れ る この書
は, タ イ国最初
の 王朝
ス コ ー タ イの第
5
代
目ω の王 リタ イ(
在 位1354
−1376
)
の作 とされ る 。タ イ国 教 師会
(
Kh
sapa)版
“Traiphumikatha
ruTraiphumi
rai’uang ” (リ タイ2008
(1974
)
一 以後
TPK
とす る)
に よ る と , 王 は即位
す る前,6 年
の歳
月を か けて これ を編み,世に出したの は1345
(2)年で ある。[
TPK
2008
:序12]
タイ の 仏 教 界で は 「
1830
年 代の 後 半, タマ ユ ッ ト派
(3)が成
立 し ,復 古
的 仏 教 改 革の 原 動 力 とし て ,パ ー リ語聖典の 重要性
が 叫ばれ るまで , タ イ仏教 を 支 えて い た 「聖 典 」 は,14
世 紀の ス コ ー タ イ 王 リタ イ の 著 作 とい わ れ る 『三界経
』(
traiphUm あるい は tebhUmikatha)
な どの通俗
仏 教書
で あっ た。 一 中略一タ イ国
各
地の寺 院の本堂 に は, たい てい壁画
が描か れてい るが, そ の モ チー フ は, リ タ イ王 の 『三界 経』 で あ るこ とが多い 。 タ イの農 民は, 壁 画 とい う視 覚 的表現 を通 して , 『三 界経』 の 内容に か な り古 くか ら親
しんで い た と考え られる。 [石井2003
:319
−320
] 」『三 界
経
』 の 「三界」 とは,「欲
界」(
kamaphUmi
)
, 「色界
」(
rilpaphami)
, 「無 色 界 」(
arUpaphUmi)
の三種 類の 生存
の 状 態を指
す。 金 沢氏
は この作
品 に つ い て 「仏 教でい う三界, 「す な わ ち輪
廻 的 生存
の ヒ エ ラル キ ー を文 学 的に 表現 した, い わぼ仏教 的宇 宙論」 で あ り, 徳を積み善を な す こ とを勧め, 壁画
の 題 材 と も なっ て 民衆の仏 教 思想 形 成 に大 き な影 響を与えた [金 沢1989
:383 ]
。 」 と述
べ て い る。リタ イ 王の三界の
構成
は, 「欲 界」 が中
心 になっ てい る。 「欲 界」 の 中はさ らに 「地獄 界」, 「畜生 界 」, 「餓 鬼界 」, 「阿修 羅 界 」, 「人 間 界 」 の 五界に分か れ, こ の内
「人間界
」 につ い て の記述
はt 全体
の5 分
の2
, 「欲界
」 の3
分
の2
を 占め る。 リ タ イ 王 が特
に 「人 間界 」 の記述
に力を 入 れ た こ とにつ い て, 石井
氏は 「本書
の実
践 的性格
を示す もの[
石井 2003
:320]
」で あ る と王の 出現
69
見て い る。 人間
界に は,第
五章
が当て られてい るが, そ れはま た 五つ の 部 分 に分かれて い る。 中で も リ タ イ王 が最も紙
幅を割き, その 中心 と なっ てい る部
分はチ ャ ク ラ ヴァ ッ テ ィ大 王(
転輪
聖 王)
につ い て の箇
所で あ る。〈
タ イ 『三界経
』 の テ キス ト と写本 及び先 行 研究
・研 究の 目的〉
こ れ まで の 調 査で 明 らか になっ て い る写
本
はJ クメ ール 文字
で書
か れ た 貝葉 写 本3
種で , 一つ は トン ブ リー王朝 時 代(
1767
−1782
)
の1778
年(
仏 暦2321
年 )に書か れ た トン ブ リー 地 区,パ ー ク ナ ム (paknam
) 寺 院に あっ た 『プラマ ハ ー チュ ア イ(
phra
−mahachuai)
』 , 二 番 目は1787
年(
仏暦
2330
年)
, 現王朝 の ラー マ1
世(
在 位1782
−1809
)
時 代の 『プラ マ ハ ー チ ャ ン(
phra
− mahacant)
』 で ある。 最後は 『特 別 本(
chabap −phiset
)
』1
巻で,文字
の特 徴か らアユ タヤ時代 末期の もの と推 定されて い る。 そ れ らは現 在バ ン コ クの 国立 図書 館 に保管さ れて い る が, 前2
種は其々10
巻あ り,1
巻にっ き 貝葉は24
枚 ずつ で あ る。 そ して 最後 の1
種 は1
巻で 貝葉は24
枚で あ る。 [TPK
2008
: 序2
]
現 在, タイ 『三界 経 』 (= ト ラ イ プ ー ム ・カ タ ー
以後 『トライ プ ー ム 』
)
は本 稿で テ キス トとするTPK
の 他,1912
年 タ イ芸 術 局に よ り 「トラ イ プ ー ム ・プラル アン (4)」 とい う題で 出版さ れた もの が版を重ねて 現 在 まで 伝わっ て い る[
澤 井2000 ]
。 また,1985
年 に はASEAN
文 化 情 報 委 員 会に よ りタイ語
と英語
の対 訳 版TRAIBHUIva
[KC4THA
が出
版 さ れ て い る。翻 訳
で は,1973
年Coedes
とArchaimbault
両 氏 に よ り タ イ語か らフ ラ ン ス 語 へ ,1982
年にReynolds
氏 夫 妻 に よ りタ イ語か ら英 語へ 翻 訳 されて い る。 日本 語 へ の 翻 訳 は現
在の とこ ろ出
版 されて い ない 。 し か し, 本 書に っ い て は, 田中忠 治氏, 石井米雄氏 ,森
部一氏 他, 多 くの タ イ研 究者の 著 作の 中で 紹 介さ れて い る。日
本
に お け る 『トラ イプー ム 』 の研
究 と して は澤
井なつ み氏が,2000 年
に上記のタ イ 芸 術 局 の タ イ語版 をテキス トに, 欲界の中
の 「業 」 を め ぐっ て
70
パ ーリ学 仏教 文化 学悪
業
と積善
の関係
を探
る 「タ イ語
『三界経
』 に
見
られ る 「業 (
k
)
」 と 「積善
(
tham −bun )
」 を ,伊東
照司氏 がReynolds
夫妻
の 英 語翻
訳版
をテキス トに, リ タ イ 王 が説か ん と し た ,倫理 的精
神 性を 理解
し ようと1986
年 「タ イ仏
典 『トライ ・ブー ム ・プラ ・ル ア ー ン 』」 を著
わ して お られ る。 又, 三 上直
道氏
は1997 年
「タ イ 『三 界経 』 の タ イ語
に つ い て」 で,本 書
で使
わ れて い る タ イ語
を対象
に, その 言語
的特
徴を明らか にす るこ と を目的と した研究成
果 を ま とめ て お られる。 また リ タ イ 王が 依拠
した とい う経 典,義
疏に つ い て は,Niyada
氏の タ イ語によ る研 究が あ る。次
にTPK
の構成 内容
をみ る と,前述
した よ うに, リ タ イ王が 特に力を注 い で記 し た と思 わ れる の は 「欲 界」 の中の 「人 間 界」 で, そ の 中で も特に 「 チャ クラヴ ァ ッ テ ィ大 王」 の部
分で あっ た。 筆者
は こ の 点に注 目し, リ タ イ王が描き出
し た理想の国
王像
の特徴
を検 証
す る こ とで, 『ト ラ イ プー ム 』 の 特徴の 一端が 明 らかに なる の で は ない か と考え,今 回の自
身の研 究テ ーマ と し た。 そ して 同時
に, こ の著作
を以て, リタイ 王が 当時の 彼の 王 国の 人 民 に何
を伝
えようとしたの か, 国家 統 治にあたっ て 王 の 目指した とこ ろ を探 る こ と も本 稿の 目的とす る。ま た ,我が国の 『 トライ プ ーム 』 に関 する研 究につ い て は, 先 学 に よっ て
多
くの成
果が積み重ね られて きてい るもの の ,そ の 全容を解
明 する に は ま だ 研究
の 余地 が残 さ れ てい る と思わ れ, 今後の 更 な る研 究が必 要で ある と考 る。2
. 『ト
ライ プ
ー ム』 に み られ
る国
王像
リタイ 王 は転 輪 聖王 とい う理 想の 国王 像を, その
作
品に よっ て ひろ く民衆
に示 し, そ して実 際に仏 法を統 治に取 り入 れ よ う と した。 そ して 自らタン マ ラーチ ャ(
法 王)
一世 と称 して, 王権
を確 固た るもの とす るため に, その 理 想の 国 王像
を利
用 し た と思 わ れ る。筆 者は 「タ イ 『三 界 経 』 に お ける転 輪聖 王 (5>」 で ,『 トラ イプ ーム』 に 描
王の 出 現 71 か れ た国王像の 特徴を検 証 した。 本 稿 は
転輪
聖 王 に つ い てを特
に扱
う もの で はない が , 王権 につ い て考 察す る際に,前稿の 結論 部分を示す ことは, リ タ イ 王の 描い た国王像を捉え る上で有 効で ある と判 断 し, その 特徴 と思 わ れ る とこ ろ を少
しく述べ るもの で ある。『トラ イプー ム 』 に
描
か れた チャ ク ラ ヴ ァ ッテ ィ大王 の特徴
として以下が導
き出
さ れ た。功 徳 のカ
チャ クラヴァ ッ テ ィ大王 にな るこ とが
出来
るの は ,武 力によっ て で も, 選 ば れ たか らで も な く,前世で為し た偉
大 な功 徳の力によっ て で あ る。王 と民衆 との間の支 配 ・
被
支配関係
輪
宝 に先導
さ れ る王 の 行 列に参 加す る民衆 と チ ャ ク ラヴ ァ ッ ティ 大 王 との間
に,服従
と保 護
の関係
が認められる。 従 う民衆は王 の保 護 下にあ り, 平 和 と安全 ,幸 福が保 証 さ れ る。仏 法 を広める
王 は征服 に赴い た先々 で 服 従 を誓 う支 配
者
た ちに,仏
法に従
っ て国を治 め, 戒 律を守っ て 生 き る よ う訓 話をす る。は チ ャ ク ラヴ ァ ッ ティ大 王 とな る人の
資
質で あ り,は チ ャ ク ラ ヴァ ッ テ ィ大王 と民
衆
との問
の支 配 ・被 支 配 関係の 構 築に よ っ て, 民 衆に与え られ る 王か らの保 護の 約 束であ り,は
統治
を仏法
に よっ て行
うこ との 宣言
で あ る。山 崎 氏は 「古代イ ン ドの 王権 論一仏 典 と 『実 利 論』 を
史料
と して」 で ,仏
典にみ られ る王の 義務を 「人 民の 保護
と社
会秩
序の維
持に ある」 と し, そ れ に対す る報 酬 と し て , 王が 享受す る微 税権
を あげてい る。 そ して仏 教 徒の理 想 とする征 服は, 武 力で はな く,ダル マ の 力に よ る平
和 裡の征 服で あ る[
山 崎1993
:3
−5
]
とす る。 また,転輪
聖王 に関
し て は, 「こ の世
で王位
に即 くの
72
パ ーリ学 仏 教 文化 学 は前 世の業
の結
果で あ る[
山崎 1993
:5]
。 」 と して い るが, こ れ らは 『トラ イ プーム 』 に著され た 国 王像 と合 致 す るもの で あろ う。以 上の
事柄
を念頭
に置
い て,本稿
で は 『トライ プーム 』 に描かれた 王権
に つ い て, 「王 の出現」 の場 面 を取 り上 げ,他の 仏 典 と比 較 する こ とに よ り, その特 徴を検 証 したい 。3
. 『トラ イ プー ム』 に おけ
る王 の出現
TPK
の 第10
章 「マ ハ ー カ ッ パ の 滅亡」中
の王 の 出現の部
分 を見て い く。 なお, タイ語
の ロ ーマ字変換
は , タ イ 王立学
士院
が定
め た基準
に従
うが, 他 の 文献か ら 引用 する場 合はその 限 りで はない 。この
章
で は,最初
にカ ッ パ(
劫)
と世 界が火, 水, 風に よっ て破壊
され る様
子が述
べ られ る 。 そ し てすべ ての もの が破 壊さ れ尽 く した後, 長い 時間
を か け, 再 び始 まっ た 新 しい カ ッパ の 中で, 新た な世 界生成の様
が描か れ て い る。以下, 内容を掻い摘んで述べ る。
ある
時
,起
こ っ た風に よっ て, 何 もない 水の中
か ら泡が生じ, そ れ が形あ るもの へ と次 第に変 化を して い き , すべ て が破壊
され る前と同 じ よ うな世 界 が 形成 され た。大 陸がで き, 太 陽 月が現 わ れ , 三 っ の 季 節が生 じ る。 そ して デ ー ヴ ァ ターが 天 か ら地上 に
降
りて きて住ん だ。 彼 らは 自然の 恵み を受 け て暮 ら し た。食物
を摂る必要はな かっ た。 最初
, その 中の誰か が地の 栄養
を食
べ始
め た。 しか しダ
ル マ の 実践 を軽 ん じ, 功徳 を積
ま なか っ た こ とによ り,地の栄
養 は消えて し まっ た。 その後
に出て き た植 物 も, 同様の 理 由に よっ て絶え た。 その後植
え な くて も自
然に米が育
ち実っ た。 その 米は朝 刈れば, 夕 方に は再 び実 り, 夕 方 刈れば
朝
に は ま た実
を結
ん だ。 し か しや は り人間た ち が王 の出 現 73 ダル マ に反 する行い を した ため,
米
は自
ら育
た な くなっ た。 そこ で彼
らは作
物を 自分た ちで育て るため に, 田と畑を分け あっ た が ,貪欲 で よこ し ま な 心 を持
つ者
が,他
の者
の場
所を奪
い , い さ か い を繰 り返 す ようになっ た。 こ の よ うな経緯
か ら, 人々 は 自分た ちの 社 会に王 を迎え たい と考える よ うになっ た。[
TPK
:288
−309
] , 〔Reynolds
1982
:314
−
324
コ, [Thai
National
Team
l
985
:428
−441
]
以下 は上記の続きの部
分,TPK
の 「王の 出現」 の 場面の 和 訳で ある。そ こ で 彼ら は集 まっ て, 次 の よ うに 相談 し た。 「今 , 我々 は大 変 孤 独 で あ る。 なぜ な ら我々 は相 談す る相 手を見つ け る こ とが で き ない か らで あ る。 そこ で 我々 は, 全 員で協 力し て, 我々 の 上長
者
に な り, 君主にな り,我
々が敬
う上位
の人物
を一人 指 名 するべ きで あ る 。 我々 全 員が間
違っ て い るか或
い は正 しい か の いずれ に せ よ, その 人物
に我々 が間
違っ て い るか正 しい かの判定
を して も らお う。 そ の 人物
に我々 の ため に土 地 を分 けて も らお う。 そ し て 我々 は, その 人物
に 我々 の 取 り分よ りも多
く の畑 と田を与えよ う。」こ の よ うに相 談 し た
後
,彼
らは ボ ー ディ サ ッ タ の とこ ろ に行っ て手 を合わせ て礼拝
し,彼
らの為 に上 位 の 主 人と なっ て くれ るよ うに頼
ん だ。 彼 らは その ボ ー ディ サ ッ タ を儀 式 を以 っ て王 と し, 同 時に三種類 の 名 前 を 与 え た, そ の 一 つ はマ ハ ーサ ン マ テ ィ ラー ト(
罰m 翩浦
盲榔 or 4 maha sarnrnati rat)
とい う名
で あ り, また一り は カ サ ッ テ ィ ヤ
(
洲 轍khasattiya
) とい う名で あ り, も う一 つ は ラー チ ャ (7
「sl
racha ) とい う名
で あ る。 その マ ハ ー サ ン マ テ ィ ラー ト と呼
ぶ理由
は, 人々 全員が , 彼 を上 長 者 と して引き 上げ
た か らで ある。 そのカ サ ッ テ ィ ヤ と呼ぶ 理由
は, 人々全 員が ,畑, 田 ,米,水を その人物
に彼 らの た め に分けさ せ た か らで ある。 そ して その ラ ーチャ と呼
ぶ理由
は , すべ て の人々 の 心を満 足さ せ る か らで あ る。 その理由
に よっ て ラ ーチャ と呼
ぶの で ある 。 ボ ー74 パ ーリ学 仏 教 文化学
デ ィサ ッ タ は すべ て男
性
で あ る(6), そ して 人々 が 彼 を 引 き上 げて彼 を 王 に し たの であ る。 その理 由は, その 人 物が誰 よ りも美 しい 姿 形を して い るω のを知 っ て い るか らで あ る。 そ し て誰 よ り も知
識
が あ り, そして
誰
よ り も美
しい 心を持ち, 親 切で ある (8)か らで あ る。誰
よ り も正直で,誠 実で, 他に対 して 善い 心を持っ て い る(9)。 人 々 は こ の よ う な
こ と を知 る。 そ の 理
由
に よっ て , その 人物
を 王 と し, 君 主 とし, 上 長者
と し た。 そ の カ サ ッ テ ィ ヤ と呼ぶ慣 わ しは, 現 在 まで 引き継が れ てい る(10>。
[
TPK
:306
−7
], [
Reynolds
l
982
:324
−5]
,[
Thai
National
Team
1985
:440
−442 ]
4
.仏典
に みられ
る 「王 の出現
」王 の
出
現に つ い て, 『トラ イ プ ー ム 』 と共 通す る内容
が述べ られた仏 教 経 典の 主 な もの を挙 げる とすれ ば,漢訳
で は 『世
記経
』 「世本 縁品」川 , 『小縁 経 』(12>,『起 世 因本 経』(13), 『起 世 経 』q4
), 『衆 許 摩 訶 帝 経 』(15), 『破 僧 事』(16) な どが 挙 げられ る。 パ ー リ関係で はAggafifia
−Suttanta
(17) , サ ン ス ク リッ トで はMahav
αstu な どが ある。ま た経典 以外で も, これ に類 似 し た文 献 と して 岡野 氏
(
2004 )
に よ っ て翻 訳研 究さ れ た12
世 紀の サ ン ス ク リッ ト語
の文献
『マ ハ ー サ ン ヴァ ル タニ ー カ タ ー(
Maha
−sapavartanikathdi)
』 や ,11
−12
世紀
ごろ ま で に成立 した と考え られる ビル マ ・タ イ に伝承 され るパ ー リ語
の文
献 『ロ ーカ ・パ ン ニ ャ ッ テ ィ(
Lokapafifiatti
)』 な ど が あ る。ま た岡野 氏は部 派によ る
相
違の有
無を比較
研究
するた め に, パ ー リ上座部
に属 する 『ア ッガ ンニ ャ経』 の並 行資 料 と して ,パ ー リ ・サ ン ス ク リッ トの 諸 部 派の 聖典資料
の該 当部
分を和 訳 して お られる が, その資料
は,犢
子正量部
『ロ ーカ ・パ ン ニ ャ ッ テ ィ』,根本
有部 『破 僧事(
Sahghabhedavasnl)
』,大 衆 部 説 出世 部 『マ ハ ーヴ ァ ス トゥ(
Mahavastu
) 』 で あ る。桜 部 氏は,
Lokapafifiatti
の名前
か ら想 起 され る もの にL
欲 卯 吻 脚ρ〃が あ る が, 両者
は関連
す る ところは多
い が, まっ た く別の テ キス トで ある と述べ て王の出 現 75 い る
[
桜 部1982
:24 ]
。 氏の 論 文で は,Loka
ρafifiattiにつ い て 「漢 訳の 立世 阿 毘曇
論 の 原 本 あ るい は それ に近 い 内容の もの を主 な 素 材 と し, 現 存パ ー リ 文Chagatidrp
αnT な どに近い 内容の もの を, それに合 編 して で き あが っ た も の で, も とサ ン ス ク リッ トで 書か れ, 北 方の 所 伝に 由来 する, と見 定めて よい で あ ろ う[
桜 部1982
:25
]。 」 とする。 そ し て ,そ の 著 者につ い て は諸説 あるもの の特
定 す るこ とは で きない , しか し パ ー リ語に翻 訳された時 期は ,11
−12
世 紀 ご ろ ビル マ に おい て と推 察 されて い る [桜 部1982
:26
]
と述べ る。さて, 『ト ライ プー ム』 は, リタイ 王が約
30
の 経 典 義 疏な どか ら引い た内容
を ま とめ て ,編纂
した書
で ある。 その序 文 と, 結語の 中で それ らの 文献 名が 列 挙 されて い る[
TPK
:2
−3
,323
−324
]。Niyada
氏は1994
年に そ れ らの原 典 資料
につ い て の 研 究 を発 表 して い るが, 氏に よれ ば , 『 ト ライ プ ーム 』 の第 10章部 分
の出典
に つ い て は ,Aggafifiya
Sditra
,
Atthakatha
Aggafifiya
Stitra
,Lokup
ρatti[
Niyada
;109
,149]
(18),Sdratthasangaha
[
Niyada
:109
,163
]
(19) な
どが あ るが ,
中
で も最も依 拠す る文 献 はAtthakatha
Aggafifiya
Sditra
で あ る と し て い る[
Niyada
1994
:107
−109]
。 そ の他 に, 本 稿 で は パ ー リ関 係 のDiPtn
・amsa(
『島王統史
』)
も参
考に した 。以上 を ふ ま えて,
本稿
で はこ れ らの 中か ら, 部派の 別に も留意 し, や や詳 しく述べ られて い る と思 わ れ る文献
を取
り上げて 「王の 出現」 の場 面にっ い て 比較 検 討 して い き たい 。漢 訳 経 典の 『世 紀 経』 は, 『長 阿含 経 』 に含 まれ る が , 部 派は法 蔵 部に 属す る
(
岡 野1998
:60
)
。 そ の 「世 本 縁 品 」 で, 王の 出現 につ い て述べ た箇 所が あるの で引用 して紹
介 した い 。『世 間は だ ん だ んに
悪
くなっ て ,つ い に こ の 悪 法が生 じて しまっ た 。 一(
中略 )
一 田地や宅 地の境
界の区別 が あ るた め に, い さ かい を 生 じ たの だ。 怨 みや復讐
を ま ねい て , 正 し く決 定で き る もの はい ない 。 私た ちは今 一 人 の 主人 をたて て , 立派に人々 を守 り, よい こ とを褒め, 悪 を 罰 し, そ して み ん76 パ ーリ学仏教 文化 学 なで, そ れ ぞ れ の 蓄え を割い て , これ を与え た ほ うが よ か ろ う』 と。
さて , 人 々 の
中
に,体が 大 き く,端 麗な顔立 ち ,大 変 威 厳が あ り徳の 高い 人 が い た。人 びとは次の よ うに言っ た。
『私た ちは今 君を 主人に立て よ うと思う 。 立派に人 々 を守 り, よい こ とを 褒め, 悪を罰して くだ さい 。 私たちは みん なで , そ れ ぞ れの
蓄
え を割
い て, これ を与え よ う』 と。その人 は こ れ を聞 く と, す ぐに承 諾 して王 とな り, 褒め るべ き もの は褒 め ,罰すべ きは罰 した 。 こ こ に初 めて 『民の主』 とい う名 前がで き たの で あ る
[
引
田2005
:333
−4
]
。こ こ で , 一つ の カ ッ パ が消 滅 して 新たなカ ッ パ が始ま り, 世 界の
始
ま りか ら, 時 を経
て 人問社会
が生ま れ た。 そ して 人々の 問で 貪 欲の為に争 い 事 が 起 き る よ うにな り,一人の王 を 立て る とい う物 語の 流れが時 系列で 描か れて い るの は 『トライプーム』 と同様である。法蔵 部 『長 阿含 経』 の 『小縁 経』 で も, 「王 の
出
現 」 に関
す る場面
が 登 場す る。 話の 流 れは,類 似 して い るの で い ちい ち 示 さ ない が , こ こ で は王 とな る人物
にっ い て, 「そ の 人々の 間で 体が大 き く,端正 な顔
立 ちで,威 厳 あ る人 を 選 び,一(
略)
一[
辛 嶋1997
:101
コ」 とあ り, その 名 称につ い て は 『王 』, 『刹
利 』 とい う名 称が初
めて 世の 中に 生 じた と して お り, 同時
に平等
な主人(
平等
主)
とい う語 も用い られて い る。パ ー リ
経典
のパ ー リ上座部
に属 す るAggafifia
−Suttanta
は ,漢 訳 仏典の 『小 縁 経』 に対 応す る もの で あ るが , こ こで は王 を 選ぶ に際 し, その 資 質につ い て,(他の 人に比べ て )よ り端正 な (abhiriipataro)
, よ り美 しい(
dassaniyataro
)
, よ り浄心 の(
p5sEdikataro
>
, そ して よ り権 勢
の あ る(
mahesakkhataro)
人 物 で あるこ と が述べ られてい る。 そ して その名 前につ い て は,第1
に マ ハ ーサ王の出現
77
ン マ タ(
mah5 −sammata)
,第 2
に カ ッ テ ィ ヤ(
attiya)
,第 3
に ラー ジ ャ ー(
「aja)
の語
が現わ れ た と述べ ら れてい る。第 1
の語
が使わ れ た理 由は , その人
物
が 「全員
の中
か ら選 ばれ た(
mahaj ana −sammato)
」 か らで あ り,
第 2
の語の理
由
は その人物
が 「田畑の主(
khettanam
patiti
)
」 で あ るか らで あ り,第
3
の馳
は 「法 に よっ て他
を喜
ぼせ る者 (
cih… apare
rafijetTti)
」 で あ るとい う
説
明が なされて い る。岡野 氏が
犢
子 少 量部 に属 す る とするLokapafiffatti
[
Denis
1977
:212
−213
]
で は, 王 の 立 場は, 「 田 の 支 配 者(
khettanaiP
adhipati)
」 で あ る。 そ して 王 の 資 質 と して , 「彼は最 も長 寿 ((hghayukataro)
で あ り, 最 も 美 しい 容 色(
肌 の色) (
va聊 avantataro)
, 最 も優れ た偉大 さ(
mahesakkhataro ), 最も大 き な 神 通 力(
mahiddhikataro)
,最も大き な威神力 (
mahanubhavataro)
を もっ てい る最 高の 生 ける者」 で あ り, その 義 務 は, 「正 し く非 難 さ れ るべ き もの を非 難す る。 正 し く譴責
さ れ るべ き もの を譴責
する。 正 し く追 放 すべ き もの を追 放す る。」 こ とで あ る。 王 の 報 酬は 「田で 収 穫 さ れ た もの か ら, ある程度
の 分 量を与え る。」 となっ て い る。また, 王の 名 称につ い て は 「彼は善き法 話に よっ て,会
衆
を喜
ばせ る こ と がで きた。」 こ と か ら, 「ラー ジャ ー 」(
王)
の名
が , 「大衆
によっ て認 定さ れ た者」 とい う意 味か ら, 「マ ハ ーサ ン マ タ 」 の 名が, 「田の 支 配者」 とい う意味
か ら, 「カ ッ テ ィヤ 」 の 言 葉が生 ま れ た。[
岡野2004
:59
−60
]
そ れ ぞ れの 経 典の 内容につ い て 比 較が容 易な よ うに別 添の 資 料に一覧 表 と した の で参
照して い た だ き たい 。こ れ を見 ると, 王 は 人 々の 上長 者, 主 人で あ り, 人 民を保 護す る 一方 , 秩 序 維持の た め平 等に裁 き, 悪い 行い に対し て は刑 罰を科 し,善 行に対 し て は
褒賞
を与え, 国を治め る義務 を有す る。 その 報 酬 と して, 王 は本来
人 民の所有
であ る米や 土 地の 内か ら何 某かを分け与え ら れ る権
利(
徴 税権 )
を有
す る 〔20)。78 パ ーリ学 仏 教文化 学
『世 記 経 』 「世 本 縁 品」, 『小 縁 経 』,
Aggafifia
−Suttanta
で は , 人 々の 中か ら 選ばれた もの が王 とな るとする が, 『ト ラ イ プ ーム 』 で は , 王 の 資質 とし て, ボーディ サ ッ タ(
男性)
で あ るこ と と して お り, 前世の業
の結果
が 王位に反 映されて い る。各 聖 典の 成立 年 代 は, 上記で 述べ た よ うに 『トラ イ プ ーム 』 は
14
世 紀,Lokapafifiatti
は11
−12
世 紀 の 成 立で ある。 パ ー リ上 座部
につ い て , その聖典
成立の 時 期につ い て は, 「ブ ッ ダの 生存 時代か ら仏 滅 後20
〔}−400
年に及ぶ 時 代(
西暦前615
〜 前2
!3
世 紀 ) とい う大き な幅をみ な けれ ば な ら な い [山 崎1990
:362
]
。」他の 聖 典につ い て は, 原 始 仏 教の 時代に おい て分
裂
を繰
り返 して 成立 す る 部派 仏 教の 展 開 と並 行 して編 纂さ れて い っ た と考え られる。 その年 代 は, 根 本 分 裂後2
〜3
世紀
の間
で あ る と さ れ る[
塚本
:33
−35
]
。 従っ て,前
掲2
聖 典 成立 の 時 期 と は千年以 上の開き が あ るが , 内 容 的に は十 分並行資 料た り得 る とい う見 地か ら, 検 討資 料 とした。5
.結 論
原 始 仏 教の 経 典 成 立 当 時の 社 会思想につ い て,
中
村 元 氏 は当 時の王権
に つ い て の仏
教徒
の考
え方
と して, 「国王 を神
聖 な もの ,神
的権
威あ るもの 、 あるい は本来
国 王 の 地位 に 即 くべ く定 め られ てい る もの で ある と は考え な い で , む し ろ 国 王 は 元 来人 民 の 選 出 し た もの で あ る と解
して い た[
中村:274 ]
。」 しか しな が ら,後
に 「過 去世
に十善
の行
い を実
行 した ため に,現 世 に は国王 と して 生 まれ た とい う信
仰が成
立 す るこ とになっ た [中村:280
]。 」 と述べ て い る。 つ ま り, も と も と仏 教徒
の社
会思 想 と して は, 王 は人民の 単 な る代表者
に す ぎず, 聖性
を持
っ存在
で ある とは考え られて い な か っ た が, 時を経て 次第
に聖性
が附与 さ れて い っ た と考え ら れてい る。こ の見 解を当て は め て み る と,
Loka
ρafifiatti(
最
も大 き な神
通力
・最
も大
き な威 神 力 ・ 有 情 の 中の 最高
者)
,『トライ プーム 』(
高
位の 人 ・ボ ー デ ィ サ ッ タ),Dipavamsa
(灯明者 ・守 護 者)
な どに は, 王 の神 格 化, カ リス マ王の出現
79
化が 見 ら れ る。 そ して,M
痂 vα ∫加(
最高者 )
,Aggalfia
−Suttanta (
選 ば れ た 人)
につ い て も, 有 情の 中の 最高
者,選 ぼれ た 人 と して,何
らか の聖性
が附 与さ れ, 他 との差 別 化が 図 られて い るよ うで あ る。さて, こ こ で 『トライ プーム 』 が 王の
資質
と してい るボー デ ィサ ッ タにっ い て確 認
し て お き たい 。 ボーディサ ッ タ とは菩薩
の サ ン ス ク リ ッ ト ・パ ー リ 語で ある。TPK
に よれ ば , ボ ー デ ィサ ッ タ とは, 仏 法に よっ て悟 りを開き, 全 知 を得, や がて は ブ ッ ダ と な るた め に天界 〔21)か ら降 りて , こ の 世に生 ま れ変わ っ た人 間(
有情)
で あ る。 ボ ー デ ィ サ ッ タ が得 度 し よ うとす る とき, 最 高の 階層で ある梵天界に住む梵天 は天界か ら降 りて きて , こ の 時の 為にあ らか じめ用意 して あっ た a仙apahkkhar5(
僧の八要 具〔22))
を彼に捧
げる。ま た ボ ー ディ サ ッタ は,彼が母の 胎
内
に い る時か ら,他の 人 間とは異なっ て い る。 彼 は子 宮の 中で すで に全 知 を得てい る。 生 まれて き た あ とに は, 父 母の 話 す言 葉を覚え, 話す よ うにな るが, 言葉
を何 も教え ない 時に は,彼は 聖なる言 語で あるパ ー リ語を話 すよ うにな る[
TPK
:83
−4
]
。つ ま り, ボ ー ディ サ ッ タは最後の 生 の 中で ,悟 りを開い て聖な るブ ッ ダに な るこ と が運 命づ け られて お り, その 誕生か ら生涯を通 じ て , 一般 民衆 とは 異 なる聖な る人 と して , 民衆の 尊敬 を集め る対 象なの で ある。
王権 に話 を戻す と, 『ト ラ イ プ ーム 』 で は,他の 仏 典 と異な り, 王 の 要 件 とし て, ボ ー デ ィ サ ッ タであ る こ とが 求 め られ る (23) 。 王 が ポ ー デ ィサ ッ タ で あ る 以上,王 が 支 配す る俗 界で ある王国は,
仏
法 に よっ て統
治され る。 そ れ は 山崎氏の い う, 王権の ドの 俗界 と, 出 家 者の 世 界を切 り離 す とい う王権論
と相容
れ ない部
分で は な い だ ろ うか[
山崎1993
:16
]
。 『ト ラ イ プ ーム 』 の チャ ク ラヴァ ッ テ ィ大 王(
転輪
聖王)
の 部 分で は , 特に その 点が 強調 されて い る。 そ れ が リタイ 王 の 作 り出し た 『 ト ラ イ プ ーム 』 の 理 想の 国王像で あ る。 最後
に 、 タ イにお け る国王 と仏 教の 関係につ い て論 じた石 井 氏の 研 究を参
80
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 照したい 。 石 井 氏は歴 史 的に 「チャ オプラ ヤ ー大 平 原に進 出した タ イ族
が , 周辺の 諸 民族 との 接触の 過 程で蒙っ た文化 変容の複 合 性がその複 雑 さに対応 するもの で ある [石井1975
:266
]」 とみて い る。タ イ族が影 響を受けた もの の ひ とつ に , タイ族がモ ー ン族(24)か ら継 承 し た文 化 遺産 『プ ラ タ マ サ ー ト(25)』 が あ る。 こ れは タイ人に よ っ て長 く尊 重 されてきた基
本
法典
で ある。 その 内容に は, パ ー リ聖典
の濃密
な影響
が各
所 にみ られ る。 仏 教 的理想王 (26)の 観 念 も その 一つ に数え ら れ る 。 その 「国王 観 念は, まず人々 に よっ て選 ぼ れ, 仏 教 的な法 (ダン マ )に基づい て統 治を お こ な う王[
石 井1975
:267
−8
]
」, 即 ちタ ン マ ラ ーチャ(
法王)
で ある 。つ い でタ イ
族
が影響
を受 けたの は, 東 隣の ク メ ール 文 化で あ っ た。 とく に, 国王観 念で 重 要 なの は,devar
司
a す な わ ち 「神王 思想 」 で あ る。 「神王 思想」 とは, 国王 をシ ヴァ神, ヴ ィ シ ュ ヌ神
な ど ヒ ン ドゥ教の神
々 の化 身
とす る クメ ール 人 の 思想をい う[
石井1975
:269 ]
,[
セデス1969
:125
−126]
。 つ ま り民衆に とっ て 国王 と は, 単な る恩情 主 義 的統 治 者で は な く, 疑 い も な く 「聖性 を持っ 存在」 なの で あ り, タ イ国王にお け る 「カ リス マ 的 支 配」 の 側 面が看 過で きない もの で あ るこ とを石井 氏は指摘す る。 そ して 国 王の 持っ こ の 即自
的聖性は, 国王 に よ る支 配の 正 当性の 考 察上極 めて 重 要 な意 味を 持っ てい る とい う [石 井1975
二269
]。こ の文 脈か らす れぼ 『トラ イ プ ーム 』 で 王 がボー デ ィサ ッ タで ある こ とが 求め られ るの は, 王 によ る支 配を正 当化す る ため, 王 に聖
性
を附 与す る重要
な フ ァク タ ー と なっ て い る よ うに思 わ れ る。さて , ス コ ー タ イの 第
5
代王 リタ イ(27)が編
ん だ 『トライ プー ム 』 の物 語 は,寺 院の 内側の 壁画に描か れ, タ イ民衆に仏 教を教 化す るの に大 き な役 割 を果た して きたこ とはすで に述べ た 。リ タ イ 王 は在 位 中の
1362
年に出 家 し, マ ハ ー タン マ ラ ー チ ャ1
世 とい う 称 号 を得 た が, タ イ 国 におい て、 歴 代 国王 が 一 時期 出家 する慣 わ しはこ の リ タイ 王か ら始 まっ た とい わ れ る。 そ して ス コ ー タ イ 王朝
で は, リ タ イ 王 の 孫 , サ イル ー タ イつ ま り タン マ ラーチ ャ3
世 (在 位1400
−1419)
は ,僧団 を王の出現
81
王の 下に組織
し, 自ら大僧
正 を任命 してい る。 これに よ り俗 界に あ る王権 に よ る出家 者の 世界へ の 支 配体 制が整 え られ た と言え よ う 。 以上 に述べ て き た こ とか ら, トライ プ ーム を著 した リタ イ 王の 意 図の ひ と つ は,彼 自身
はも と よ り歴代の ス コ ー タ イ 王 は ボ ー ディサ ッ タ(
= 聖 な る存在)
で あ り, 一般
民衆
ばか りで な く出家者
を も支
配下
に置
く存在
である と い うメ ッ セ ー ジ をこ の 物 語を通 じ て, 暗に ひ ろ く当時の 民衆に訴え る か け るこ とで はな か っ た だ ろうか。 本 稿で は 『トライ プ ーム 』 に描かれた 「王 の 出現 」 の 部 分に焦 点を 当て て 他の 仏 典 との 比較 を試み て き た。 比 較に使 用 した仏典は 「王 の 出現」 の 部分 が記されて い る点で 共 通 し た もの で ある が, ご く限られ た もの で あっ た こ と は否めない 。 その ため,今 回の 検 証を もっ て明らか とな っ た こ とは取る に足 りず, 批 判は免れ ない もの で ある と思 う。今
後
の問
題 点 と して は, リ タ イ王 が依 拠 した と され る30
数 種の仏
典, 義 疏の一 つ ひ とつ を綿 密に調査す る必要が あ る と考えて い る。 また, タ イの 王権
と神
王 思想との関係性
に つ い て も改めて 考 察す る必要が あ ろ う。 至らな い 点は ご教示 をい た だ き, これか らの 筆 者の 課題 と し たい と思 う。 註 (1
)石 井 氏, 澤 井 氏は リタイ王 をス コ ータ イの 第6
代王 と して い るが ,TPK
で は第5
代王 と し て い る た め, 本 稿 で は TPK に従 っ た。 [石井 1993:357
, 425],[澤井2000
], [TPK
:7
] (2)仏暦1888年。 サ テ ィエ ンポン ・ワ ン ナポック氏 (訳森 ・吉川 1989)は 1359 年 。 田中 (1992
(1988
})は1374
年。 (3
)1836
年, 当時僧 籍に あっ たモ ン ク ッ ト親 王 (の ちの4
世 王)に よっ て創始され た サ ン ガ内の復古 主義 的改革派で ある。 [石井 2003:203] (4) プラル ア ン は, ス コ ー タイ時代の王朝を指すこ と ばで ある。 (5
) 2012 東海 印度学 仏教学会 『東海佛 教 』 第 57 輯pp
.122
−106
82
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 (6
) 駲 盲珈 齢 イ且寄wm 雨馳蜘
浦 跚 1喞 (7
)翁憲d
禰 躙 1・・蜘著
・襁 1・ Pt ツ (8
)ぎ
∩づ1貧浦 欄 1釦愚繭 qr漁 飾浦 蜥 鯏 (9幽
輪
繍緬
・・づ・餌漏
・e or 4 げ w 4aO
) 現 代タイ語で も nNenSe kasat, fiYenSS kasatriyaは国王 を意 味 する語で ある。 匚松山
1995
:51
] (11
) 『長 阿含 経 』 巻22
大正1
:148c
a2
) 『長 阿含経 』 巻 6 大 正 1 :36b〜 37a (13
) 大 正1
:417c α4
) 大正 1 :363a 大正3
:937c
a6
>大正24 :100c (17) DN .27 :80〜 98 (18
) パ ガ ン の人,Aggapanditaが書いたパー リ語の書。 [G , P Malalasekera RTS ]13
世 紀の セ イ ロ ン の僧,Siddhattha
が 書い た仏教書 。[
G
.P
.Malalasekera
P
.T
.S
コ 本稿 2 ,で も少し ふ れたが , 山崎氏に よ れば 「マ ハ ーサ ン マ タ伝説に説か れて い るの は , 王の 義 務 を 人 民の 保 護 と社 会 秩 序の維持に ある と し, 王 が 享 受 する徴税権 をそ うし た役 割に対する報 酬と見る 王権 論で ある。」 [山崎1993
;3
−4
] a げ(
2D
ボーディサ ッ タの住 む 天 界はdusita
−sawan 解俑 m 盲漁 で ある [TPK
:229
]。dusita
・はパ ーリ語の tusitaに あ た り
, 六欲 天 の 二 番目の 天 界 で あ る兜率天 を意 味す る も
の であろ う。
Reynolds
の英訳で は “the
heaven
offU11
ofjoy ” の訳があて られて お り,文字通 り訳せ ば 「喜びに満ち た 天界
」 とい うこ とになる。 タ イ語で
dusi
萌
は喜びの意 ,ta fl1は ,た く さ んの, 豊富な,の意味が ある。
一方 Thai Natio/nal Team は,
Tusitaの訳 を あて てい る [Thai National Team
1985
;329
]。 三衣, 鉢,帯, か み そ り, 針, 水漉し器の
8
つ の必需品。 仏典の 中に はボーディサ ッ タで ある王の存在が確 認で きる。例え ば ジャ ータカ第 499 『尸 毘 王本生物 語 』 (Jataka 499 sivijatakam )の尸 毘 王 はその一例で ある。 し か しこれは本稿で扱う王の要件と して の ボーディサッ タ とは問題の本質が異 なる よ う に思わ れ るの で ,特に言及 して い ない 。 先住 民族。 かつ て はチャ オ プラ ヤ ー川 流域 やビ ルマ に広 く居 住し,タ イで は ド ヴァーラ ヴァ ティ王国やハ リ ブン ジャヤ 王国を建 設 し た が,いず れ も正2
〜3
世紀 に クメール の 王 国 や 新 興の タ イ 族 に征服さ れ た。 [石 井 1993;324
] 「プラ ・タマ サ ー トPhrathammasat
」 はサン ス ク リッ ト語vara −dharmaStistra
に由来するタ イ語で 「ダル マ シャ ース ト ラ」 の意 味で ある。 [石井 1999:306]
王の出現
83
タ イの伝統 法は 『三 印法典』 とい う法律 集成の形で, ラ ーマ 1 世王の 勅命によ り アユ タヤ 時代に残 存 して い た 旧 法 を含み編 纂され,
1805
年に完 成 した。 こ の 法 典 の 冒 頭に お か れ た と さ れる本の タ イ トルが 「プ ラ タン マ サー ト」 で ,これ が イン ド の 『マ ヌの法典 (ダルマ シャ ース ト ラ)』 を指す語で あ るこ と か ら,『三 印法 典』 と イン ド法の関係が指摘されて き た。 し か し 『三 印法典 』 に は人類に対す る神の天啓で ある 「ダル マ シャース トラ」 の持つ 宗教 的性 格が 全 く見 られず, 両者を同 一に論 じるこ とは でき ない。 [石 井 1993:228コ」 また, 「プ ラ タマ サー ト 」 と 『マ ヌ 法 典』 の 中間に, 第 3 の 法 「ダム マ タ ッ (
Dhammathat
)」 の 存在が ある。 こ の法 典に 関し て 「パ ーリ学 仏教 文 化学 会 第27
回学 術大 会」 の折に,理事の奥 平氏よ り ご 助言を賜っ た。 こ の法典の 由来につ い て は, アユ タ ヤ が ビル マ の支配 下に あっ た時 (1569〜 1584), ビル マ 人 を通 じて タ イに導入 さ れた とい う説 と, 「プラ タマ サ ー ト 」 のパ ーリ語の 序を論拠 とす る モ ーン起 源説 即ちモ ーン 語の 「ダム マ サ ッ タ ン (Dhammasattham
)が直接の起源 で ある とす る説が ある。 本稿で取 り上げた 石井 氏の 論は の 説に依 る と思 わ れ る。 こ れ らの 問題につ い て は,「タ イの伝統 法 」 [石 井:1980
]に詳 述が ある。本 書に は, ボ ーデ ィサ ッ タ (鵬 劉 測 軸 甜備 匹嶺 phraboromaphotisat。hao)が,人々
の争い を調停す る サ ン マ タ 王 (WMraweqm ” slsuor mahasommutirat )にな る とい う伝説が 見 ら れ る。 匚京 都大学 東 南ア ジ ア研 究 所 タ イ語三 印法典デ ータベ ース 王 立研 究
所版 vol.
1
:9
−15
http
:11area
.net .cias.kyoto
−u.ac.jp
!ktsdf
]石 井 氏は リタ イ 王 をス コ ータ イの第
6
代王 と して い るが,TPK
で は第5
代王 としてい るため,本稿で は TPK に従っ た。 [石 井 1993:357 ,425],[TPK :7]
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