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南アジア研究 第22号 003書評・藤森 梓「清川雪彦『近代製糸技術とアジア─技術導入の比較経済史─』」

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清川雪彦『近代製糸技術とアジア─技術導入の

比較経済史─』

名古屋:名古屋大学出版会、2009年、viii+615ページ、7400円+税、 ISBN:9 78-4-8159-0611-8

藤森 梓

本書の概要

アジアに暮らす私たちにとって、「絹

=

シルク」という言葉は郷愁と異 国情緒が混ざり合った独特な響きを感じさせる。中国で生まれた繭から 生糸を製造する製糸技術は、紀元前に「絹の道

=

シルク・ロード」を通っ て西洋にもたらされた。そして、彼の地で独自の進化を遂げた後、

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世 紀に生まれ故郷のアジアに再び持ち帰られるという、長く複雑な旅路を 経てきた。本書では、このような「西洋からの里帰り」を果たした後、進 化した製糸技術がアジア諸国で受け入れられ発展していく過程を、日 本・中国・インドというアジアの主要3ヶ国に対象を絞って比較分析が なされている。近代以降、アジアを代表するこの3ヶ国における製糸技 術の受け入れられ方とその後の様相はそれぞれの国ごとに大きく異 なっている。いち早く近代製糸技術を受容した日本、日本の後塵を拝す ることになった中国、そして近代製糸技術の導入が停滞しているイン ド。その要因について、各国における製糸技術の発展の差異を精密に検 証し、それぞれの国の事情と照らし合わせた議論が本書の中でなされて いる。 そもそも、なぜ著者は製糸業を分析対象として取り上げたのであろう か。それは、製糸業が典型的な農村工業であるということに起因する。 著者は農村工業について、「農村工業とは①農村ないし農村に隣接する 地方都市などにおいて生産が行われ(立地要件)、且つ②農産物を原料 の一部として使用(原材料要件)し、工業製品を生産する活動を、一般 的に指すものと理解される」[4ページ]と定義した上で、「繭から生糸 を製造する製糸業は、この2つの条件を満たす農村工業の典型であると 言えよう」[4ページ]としている。それでは、なぜ農村工業なのか。著 者は、これまでの研究成果の中で、製糸業などの農村工業を含めた在来 産業部門の発展が日本の経済発展に大きく貢献したことを指摘してい 書 評

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る。とりわけ、民間部門が主導した「下からの工業化」が日本の経済発 展パターンの大きな特徴であるとしている[清川

1995

]。さらに、生糸 が代表的な「 世界商品」であるために、国際市場において大きなポテン シャルを秘めており、後発国の工業化を牽引する重要な産業であると捉 えることができる。著者が産業発展と技術の関係を議論する上で製糸業 を重視しているのは、こうした観点に基づいている。以下では、本書の 主要な議論やファインディングスをやや詳しく見てみたい。

本書の内容について

本書は5部構成となっている。第1部(序章、第1章および第2章) では、分析の枠組みや世界の蚕糸業の多様性などが紹介されている。特 に第1章では、製糸技術が中国から西洋に渡り

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世紀になってアジアに 逆輸入された経緯について解説されている。西洋にもたらされた製糸技 術は、科学技術の進歩、産業革命を通して、伝統的農村工業から近代 工業へと変貌を遂げ、アジアへもたらされた。このように大きく形を変 えた製糸技術は「西洋の衝撃」としてアジアの製糸業にも大きな影響を 与えることになった。 第2部の第3章から第6章までは、日本における近代製糸業の導入と発展 について議論されている。ここで注目すべきは、なぜ日本がいち早く近代製糸 技術の導入に成功したかである。日本における製糸技術導入について著者は、 「技術の折衷」、「労働力と労務管理」、「中間管理者・監督者層の育成」という トピックを挙げて議論している。 はじめに、「技術の折衷」について見てみよう。日本は、西洋からの技術を そのまま受け入れるのではなく、日本の伝統的な技術との折衷を図ることに よって、当時の状況に適した新しい製糸技術を生み出した。そもそも、当時 の日本には、「農村工業型家庭製糸技術(ミューラー型)」と「大規模製糸工 場技術(ブリューナ型)」の両方の技術が存在していた。また、日本の多くの 工場において、繰糸の方式として、西洋で一般的であった大枠・直繰式では なく小枠・再繰式が選択されたこと、さらに、煮繰工程においては、分業化 が進んでいる煮繰分業方式ではなく煮繰兼業方式が採用されたことなどは特 徴的である。このように西洋の技術がそのまま採用されなかったことが、結果 として日本における近代製糸技術の発展につながっていったのである。加え て、官営の富岡製糸場がモデルとなり、日本国内の技術普及に大きな役

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割を果たしたことも強調されている。このような日本における技術革新 の成果が、多條繰糸機、さらには自動繰糸機の導入につながるのである。 同時に、蚕についても、年に1回繭を作る蚕(一化性蚕)から夏・秋の 2回繭を作る蚕(二化性蚕)への改良、人工孵化法の開発、一代交雑種 の導入などを通して品種改良に努力が注がれ、結果として日本産生糸の 品質向上に貢献したとされる。 次に「労働力と労務管理」について考えてみたい、均質な生糸の生産 を考える上では、効率的な労働力が必要不可欠である。本書では、いか にして日本は効率的な労働力を入手することができたのかを、労務管理 の視点から分析している。日本の製糸業の労務管理の特徴として、①徹 底した集団生活(寄宿制度)、②技術指導の強化(養成工場の開設など) ③労働者のインセンティブを考慮した品質志向的な出来高賃金制度が 導入された、などが挙げられている。この結果として、効率的かつ生産 性の高い労働力を育成することができたのである。 最後に、労働者を管理する中間管理者・監督者層の育成が製糸業発 展の段階で大きな役割を果たしたことが指摘されている。日本において は、科学的・合理的な生産管理システムが整備されていたことが特徴で ある。また、専門実業教育を通して教婦の育成に取り組んだことも大き く取り上げられている。これら、中間管理者・監督者層が充実していた がゆえに、日本の製糸業は変化の激しい国際生糸市場へうまく適応する ことができたのである。 以上、日本についての議論をまとめると、①西洋近代技術と日本の伝 統技術の折衷、②技術革新への努力、③徹底した労務管理、④中間管 理者・監督者層の適切な経営判断、といった要因が複合して、製糸技術 の向上に貢献したと考えることができよう。 第3部の第7章から第

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章までは、中国における製糸技術の発展につ いて考察している。現在は世界一の生糸生産国となった中国であるが、 近代製糸技術の導入に関しては、日本に遅れをとることになった。 そもそも、近代以前は良質な生糸を生産していた中国が、近代技術の 導入に遅れをとってしまった理由として、一つは技術導入の方法が指摘 されている。すなわち、独自の技術改良を行わなかった(西洋の技術を そのまま導入した)ということである。これは、気候や土地風土に適し た形に技術改良を行った日本とは大きく異なる点である。さらには、中

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国の製糸工場の経営形態、すなわち所有者と経営者の分離も重要な問題 の一つである。中国では「租廠性」と呼ばれる所有者が経営者に

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年契 約で工場を貸し付ける方式が主流であったが、このような短期の契約方 式では経営者が技術革新のインセンティブを持つのは難しく、企業家精 神が根付かなかった。また、中国の市場が分断されていたことも、近代 製糸技術導入が遅れた要因と考えられる。当時の中国においては、市場 はローカルな地域に分断されており、先に述べた上海と広東の間でさえ お互いの技術が影響を与え合わなかったとしている。さらに、日本の半 植民地であった

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世紀初頭の満州(中国の東北地方)において、日本 からの柞蚕製糸技術導入が進まなかった要因としても、やはり市場が発 達していなかったことを指摘している。 このような中国の製糸業は、

1920

年代以降に日本からの技術移転や二 化性蚕の導入により緩やかな成長を始める。しかし、中国の製糸業が大 きな転換点を迎えたのは

1970

年代以降である。具体的には、市場の変 化、原料の変化、技術の改良が挙げられる。市場の変化については、世 界市場における日本生糸のシェアが低下し、中国生糸への需要が高まっ たことである。原料の変化については、改革・開放に伴って、繭の品種 改良が急速に進歩したことである。技術の改良については、日本からの 中古の多條繰糸機が輸入されたことによって、生産性が向上したことで ある。労働集約的な性格の強い多條繰糸機が導入されたことは、労働力 が豊富な中国にとって大きな強みとなった。 第4部(第

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章および第

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章)ではインドにおけるに製糸技術の発 展について考察している。インドでは、東部のベンガル、西北部のカシ ミールや南部のマイソールで生糸生産が行われていたが、地域ごとに、 それぞれ異なった製糸技術体系や経営システムを採用していたことが 特徴である。例えば、蚕の種類を見てみても、ベンガル(一化性蚕と多 化性蚕、野蚕の混合)・カシミール(一化性蚕)・マイソール(多化性蚕) と地域によって生糸の種類が大きく異なる。 ベンガルの特徴としては、東インド会社によって、日本や中国よりも 1世紀以上早い

1769

年に既に製糸業の近代工場が設立されていたこと である。ただし、

19

世紀に入るまで、インドの近代製糸業は東インド会 社が独占していた。その後、

19

世紀半ばには一時隆盛を極めたものの、

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世紀には製糸業は国際競争力を失い、ベンガル地方から消滅するとい

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う事態に直面する。カシミール地域は品質の良い生糸を生産していたも のの、生産が藩営工場で行われていたために、技術革新に対するインセ ンティブが低かった。マイソールについては、養蚕や蚕種の改良・発展 に対する努力がなされたが、製糸技術については近代技術の導入は進ま なかった。 このように、インドにおいて近代製糸技術導入が進まなかった要因と して、蚕の種類が品質の悪い多化蚕であったことに加えて、インドにお ける中間管理者・監督者層の知識水準の低さ、粗暴な生産活動からもた らされる品質へのこだわりの低さなどが挙げられる。これらはインドに おいて蚕糸業教育が十分になされていなかったことが影響していると 考えられる。 第5部(終章)では、本書の議論の総括が行われている。ここでは、アジ ア3ヶ国での近代製糸技術の導入・発展の過程において、「適応化」が重要で あることを示している。この適応化の要素としては、①技術的適応化、②生 産組織面における適応化、③市場的適応化、の三つが挙げられ、これら三つ の適応化は「社会的適応力」に依存するとしている。日本は、これら三つの 適応化を達成し、近代製糸技術の発展を成し遂げたということを主張してい る。

議論と考察

ここでは、本書の内容について少々踏み込んだ議論をしてみたい。本 書は産業発展というテーマを、経済学にとどまらず隣接科学の幅広い切 り口から分析しているが、以下では評者の専門分野である開発経済学の 視点から捉えた本書の論点を考えてみたい。 まず、本書の特徴としてはタイトルの中にもある「技術導入」が産業 発展論の中でどのような意味を持つのかについて深く切り込んでいる ところにある。さらに、近代技術の導入・発展の過程を「社会的適応力」 という今までの開発経済学の中では漠然と議論されてきた点について、 経済学の範疇にとどまらない幅広い視点からの分析によって明らかに しているところにあろう。以下では、著者が示している「社会的適応力」 に関する三つの論点が、開発経済学とどのように関連しているのかをま とめてみたい。 はじめに、「技術」に関する視点である。著者はこの背景にある要素

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として「教育」を指摘している。近年の開発経済学では、教育を通した 人的資本の重要性についてはすでに多くの議論が存在している。これに 関して、日本の製糸業において、いち早く専門学校が設立され、人材の 育成が行なわれたことは、製糸業近代化の中で無視することはできな い。本文中でも指摘されているとおり、労働者層および中間管理者層の 教育が重視されていたことが、日本の製糸業の特徴である。こうした人 的資本の形成・蓄積が、日本の製糸業の発展に貢献したのであろう。 次に、「生産組織」に関して考えてみる。以下では、特に労務管理に 焦点を絞って議論したい。ここでの重要な点は、寄宿制度による女工の 集団規律付けを通して、労務管理を行っていたことである。日本的な集 団管理体制は、結果として品質の均斉化や向上に役立ったのである。さ らに、賃金設計についても考えてみたい。著者は、従来は否定的な見解 のあった品質志向的な出来高賃金制度について、経済学的視点から一定 の評価を与えている。特に、女工に対する賞罰を考慮した賃金体系は、 女工が努力するインセンティブを考慮した巧みな制度としてとらえるこ とができよう。これは、近年よく開発経済学の場面でも議論されている ゲーム理論や契約理論の応用であると考えることができる。 第三に、「市場」について考えてみたい。日本の製糸業が飛躍的な発 展を遂げた要因として、日本の生糸市場が明治時代にはある程度、完備 されており、それが日本の製糸業の発展を促したと考えることができよ う。ここでは特に、「市場のルール」と「規模の経済」について深く考 えてみたい。「市場のルール」についてであるが、市場で財が取引され る際には、財の同質性が求められる。そのため、生糸に関しては品質の 均斉化、品質評価の透明性といった点が重視されるようになったと考え られる。さらに、本文中でも「こうした市場の取引ルール(品質の斉一 性や品質評価の透明性など)の遵守には、地方の主蚕地自体もまた積極 的に取り組もうとしていた」[

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ページ]と指摘されている通り、日本で は市場取引に対する生産者側の意識が高かったということもうかがえ る。「規模の経済」に関しては、市場を通して日本全国で製糸に関する 技術や情報を共有できたと考えることができる。例えば、富岡製糸場は 日本の近代製糸工場のモデルとして存在し、教婦によって日本全国に伝 播した。また、品種改良された蚕が瞬く間に日本全国に普及した例から も理解できよう。

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一方で、清朝末期の中国においては、上海と広東で製糸技術が異なる発展 を遂げたことからもわかるように、中国大陸を統合するような市場の誕生が遅 れたことが製糸業の近代化が進まなかった一つの要因であろう。中国におけ る製糸技術の発展が見られたのは、中華民国の誕生以降である。すなわち、中 華民国という国民国家の誕生とともに、市場の統合が始まり、中国製糸業が 離陸する素地が整ったのであろう。 もう一つ、インドでは典型的な植民地型経済、すなわちイギリス資本 とインド現地資本との断絶が製糸技術の普及が進まなかった要因と考 えることができよう。また、インドでは地域ごとに製糸業の性格が大き く異なり、それぞれ独自の問題を抱えていた。こうした背景から、イン ド全体を統一する市場が存在したとは考えにくい。そのため、インドで は日中両国に比べても早い時期から西洋技術がもたらされていたにも かかわらず製糸技術が普及しなかった。 このように、いち早く全国規模の市場統合が行われた日本では、市場 のルールに則った取引の実現と、富岡製糸場に例えられるような規模の 経済性を生かした生産技術の向上によって、アジア製糸業のトップラン ナーの地位を獲得できたと考えることができる。 以上のように、著者の主張の多くの部分は、開発経済学、とりわけ新 古典派経済学の議論によって解釈することができる。その上で、開発経 済学の諸理論の背景にある、技術の受け入れと発展のプロセスを歴史 的・社会的背景を考慮しつつ明らかにしていることが本書の特徴として 挙げられる。分析の手法についても、文献調査はもとより、丹念なデー タの解析や地域経済情勢の分析、さらには現地フィールド調査やインタ ビューまでをも織り交ぜた、非常に幅広いものになっている。 開発経済学や経済成長論の分野では、

1980

年代の内生的成長理論以 降、技術発展や技術伝播のメカニズムの研究が重視されるようになりつ つある。しかしながら、多くの研究では技術そのものが一般化して扱わ れており、技術導入・革新のプロセスに関しては抽象的な印象が否めな い。本書は、このように開発経済学の中で一般化して扱われている経済 成長と技術の関係を、より現実的な視点から理解するための道筋を示し ていると言えよう。

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参照文献

清川雪彦、1995『日本の技術発展と技術普及』、 、東洋経済新報社。

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