柳田國男による『グリム童話集』の読書過程
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柳田文庫所蔵
KHM
(第七版)の書き込み調査
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横
山
ゆ
か
1.はじめに
柳田國男が青年時代から洋書に親しみ、また日本に民俗 学という新しい学問を形成、構築していく過程で欧米諸国 の研究を積極的に取り入れたということは、これまでに多 くの研究者たちが指摘してきた。特に、アナトール・フラ ン ス の 諸 作 品 や ハ イ ネ の『 流 刑 の 神 々』 、 後 に は フ レ ー ザーやジョージ・ローレンス・ゴムなどに代表されるイギ リス民俗学や人類学、サンティーヴやベティエ、ユエなど のフランスの口承文芸研究、さらにドイツのグリム童話に 関する研究が柳田民俗学に影響を与えたとされてい る (( ( 。し かしながら、柳田國男は執筆時に外国の参考文献を明示し ていないことがほとんどで、いかにして西欧の研究成果を 自身の学問に取り入れたのか、その過程を探るのは容易で はな い (( ( 。 柳田國男の年譜によると、柳田は国際連盟委任統治委員 として大正十年(一九二一年)五月に渡欧し同年十月に一 時帰国、大正十一年(一九二二年)五月に国際連盟委任統 治委員会の仕事のため再び渡欧し、大正十二年(一九二三 年 ) 九 月、 渡 欧 中 に 関 東 大 震 災 の 報 を 受 け 帰 国 し て い る (( ( 。 滞欧中、柳田はジュネーヴを拠点としてヨーロッパの各地 を旅行し、ドイツでは『グリムの御伽話細 註 (( ( 』など多くの 本を買って日本に送っている。帰国後、柳田はこれらの洋書を紐解き、その研究成果を挙げていく。現在、柳田が購 入 し た 洋 書 群 は、 成 城 大 学 民 俗 学 研 究 所 所 蔵 の「 柳 田 文 庫」に収められている。この「柳田文庫」には雑誌を含め て約三万七〇〇〇冊の図書が収められており、そのうち洋 書の単行本が一四三四冊、洋雑誌が約九〇〇冊収録されて い る (( ( 。 こ れ ら の 洋 書 の 中 に は 英 語 だ け で な く、 ド イ ツ 語、 フランス語、イタリア語の文献も見られ、読了自記や、赤 ペンによる下線や欄外メモが多数書き込まれている。これ らの書き込みは、柳田が欧米諸国の研究をいかにして渉猟 し た か、 そ の 過 程 を 探 る 上 で 直 接 的 な 手 が か り と な り う る。 柳田文庫所蔵の洋書文献を手がかりに、柳田とヨーロッ パ の 口 承 文 芸 学 と の 関 係 に 焦 点 を 当 て た 先 行 研 究 と し て、 高木昌史氏による共同研究や田中藤司氏、高橋治氏の研究 等が挙げられ る (( ( 。高木氏の共同研究は、柳田文庫に収めら れている英独仏を中心としたヨーロッパ諸国の口承文芸に 関する文献の比較調査であり、その文献調査は雑誌・機関 紙類にまで及んでいる。一方、高橋氏は柳田文庫に収めら れている洋書の納品伝票や書店票、読了自記を手がかりに 一九〇〇年代から一九三〇年に至るまでの柳田の洋書講読 の過程とその全体像を把握しようと試みており、田中氏は 柳田國男が読了年月日を記した一一〇点の目録を作成して いる。しかしながら、柳田文庫の膨大な量の洋書に比すれ ばこれらは研究の一端であり、特に書き込みについての詳 細 な 調 査・ 研 究 は 発 展 途 上 の 段 階 に あ る よ う に 思 わ れ る。 前 述 し た よ う に、 ハ イ ネ の 他 に は 特 に イ ギ リ ス の 民 俗 学、 人類学が柳田の民俗学に大きな影響を与えたとされてきて いるが、柳田文庫に所蔵されている仏語文献、独語文献の 研究はほとんどが手付かずのままであり、これらを研究す ることにより新たな視点から柳田民俗学を捉えなおすこと が出来るのではないだろうか。そこで本稿では、柳田文庫 に所蔵されているドイツ語文献の中でも書き込みの多いグ リム兄弟の『子供と家庭の童話集』第七版(原書)を調査 し、柳田が昔話研究を行うにあたり、何を主眼としてきた のか、その一端を覗いてみたい。
2.
柳田文庫所蔵レクラム文庫版
『子供と家庭の童話集』について
柳 田 文 庫 に 収 め ら れ て い る『 子 供 と 家 庭 の 童 話 集 』( 以 下、 KHM と略記)のテキストは以下の三冊である。・
Grimm, Jacob und W
ilhelm. Kinder- und Hausmär
chen: gesammelt dur ch die Br üder Grimm. V ollständige Ausg. Bd.1 . Leipzig, P . Reclam. ( Reclams Universal-Bibliothek ) ・
Grimm, Jacob und W
ilhelm. Kinder- und Hausmär
chen: gesammelt dur ch die Br üder Grimm. V ollständige Ausg. Bd.2 . Leipzig, P . Reclam. ( Reclams Universal-Bibliothek ) ・
Grimm, Jacob und W
ilhelm. Kinder- und Hausmär
chen: gesammelt dur ch die Br üder Grimm. V ollständige Ausg. Bd.3 . Leipzig, P . Reclam. ( Reclams Universal-Bibliothek ) 柳 田 文 庫 所 蔵 の KHM は 決 定 版( 第 七 版 ) の も の で、 第 一 巻 の 冒 頭 に は、 一 八 四 三 年 版( 第 五 版 ) の KHM が 刊 行 された際、ベッティーナ・フォン・アルニム婦人に宛てた ヴィルヘルム・グリムの献辞が見られる。また、第一巻に は KHM 一 番 か ら 八 七 番、 第 二 巻 に は KHM 八 八 番 か ら 二 〇〇番および子供の聖者伝十話が収録されており、第三巻 はグリム兄弟自身による注釈編となってい る (( ( 。 と こ ろ で、 こ の 三 冊 の レ ク ラ ム 文 庫 版 KHM に は 刊 行 年 が書かれていない。しかしながら、各巻の表紙にはタイト ルと共にレクラム番号が記載されており、このレクラム番 号 か ら 柳 田 文 庫 所 蔵 の KHM 刊 行 年 を 推 定 す る こ と が 出 来 る。 柳 田 文 庫 所 蔵 の 第 一 巻 の レ ク ラ ム 番 号 は Nr .3191 ― 3194 、 第 二 巻 は Nr .3195 ― 3198 、 第 三 巻 は Nr .3446 ― 3450 と な っ て い る。 W orldCat の デ ー タ ベ ー ス に よ る と、 KHM の決定版が初めてレクラム文庫から刊行された年は一八八 四 年( 第 一 巻 お よ び 第 二 巻 ) と 一 八 八 五 年( 第 三 巻 注 釈 編 ) で、 そ の 時 の レ ク ラ ム 番 号 は 第 一 巻 が Nr .3191 ― 3193 、 第 二 巻 が Nr .3194 ― 3196 、 第 三 巻 が Nr .3446 ― 3450 で あ る。 その後、第一巻、第二巻は一八九七年にもそれぞれ刊行さ れているが、この時のレクラム番号は一八九四年に刊行さ れた番号と同じである。次に刊行されたのが、一九〇〇年 頃 な の だ が、 刊 行 年 は 書 誌 情 報 に よ る と「 ca .1900 」( 一 九 〇〇年頃)としか書かれておらず、はっきりした刊行年は 不明である。しかしながら、この一九〇〇年頃に刊行され た KHM の レ ク ラ ム 番 号 が 柳 田 文 庫 所 蔵 の も の と 一 致 し て おり、この一九〇〇年頃の版の次に刊行されたレクラム版 KHM ( 決 定 版 ) の 刊 行 年 は 一 九 二 〇 年 で、 第 一 巻 の 番 号
が Nr .1391 ― 1393 a 、 第 二 巻 が Nr .3194 ― 3196 a と な っ て い る (( ( 。 以 上 の こ と か ら、 柳 田 文 庫 所 蔵 の レ ク ラ ム 文 庫 版 KHM は一九〇〇年頃に刊行されたものだと考えられる。 柳田文庫所蔵の本には読了自記のあるものが多数見られ る が、 こ の KHM 三 冊 に は 読 了 自 記 が な く、 書 店 票 や 納 品 伝 票 な ど、 購 入 先 や 入 手 時 期 に 結 び つ く も の も 見 ら れ ず、 講読の開始時期もはっきりしたことはわかっていない。柳 田 文 庫 所 蔵 の KHM が 刊 行 さ れ た と 思 わ れ る 一 九 〇 〇 年 (明治三十三年)といえば、柳田が東京帝国大学を卒業し、 大 学 院 に 在 籍 し な が ら 農 商 務 省 に 勤 務 し 始 め た 年 で あ る。 柳 田 は、 一 高 在 学 中( 一 八 九 三 年 ― 一 八 九 七 年 ) か ら よ く 古書店で外国文学書を集書し、一九〇〇年頃からは丸善を 介して洋書を購入し、 「土曜会」 「文学界」 「龍土会」 「イプ セ ン 会 」 等 で ツ ル ゲ ー ネ フ、 ハ イ ゼ、 メ ン ゲ ル、 イ プ セ ン、ハイネなど諸作品の報告をしていた。高橋氏の調査に よると、柳田が所蔵していたハイネやクライスト等のレク ラム文庫には柳田による読了自記、および和歌が見られる のだが、読了自記の一番古いものは明治三十一年五月十七 日、新しいもので明治三十八年十月二十六日であ る (( ( 。各レ クラム文庫版書籍の購入時期は判明されていないが、読了 年月日がどれも明治三十年代であることと、巻末に柳田家 に入る前の姓である「松岡」の名が記されていることから ( 柳 田 は 明 治 三 十 四 年 五 月 二 十 九 日 に 柳 田 家 の 養 嗣 子 と し て 入 籍 し て い る (10 ( )、 柳 田 が レ ク ラ ム 文 庫 版 の 書 籍 を 購 入 し ていた時期は主に明治三十年代であったと考えられ、レク ラム版 KHM もこの頃に購入していた可能性がある。 また、講読時期を示す手がかりになりうるのだが、柳田 文 庫 所 蔵 の KHM 第 一 巻 に は、 昭 和 十 年( 一 九 三 五 年 ) 八 月十七日から二十一日にかけて長野県上諏訪町において行 なわれた「霧が峰山の会」の案内状が挟まっている。定本 の年譜によると柳田は昭和十年八月十八日信州の山の会で 「狩と山の神のこと」 、十九日には「山の幻覚のこと」を講 義 し て い る。 お そ ら く 再 読 で あ ろ う が、 と に か く こ の 頃、 集中して KHM を読んでいたようである。
3.
KHM
への書き込み箇所
次 に、 柳 田 文 庫 所 蔵 の KHM 三 冊 へ の 柳 田 に よ る 書 き 込 み箇所を以下に記 す (11 ( 。書き込みには赤鉛筆によるものと赤 ペンによるものがあることから、少なくとも二度にわたって KHM を読んでいたことが推測される。 まず初めに、目次の頁から見ていく。目次の頁には以下 の KHM 番 号 の 隣 に 赤 鉛 筆 ま た は 赤 ペ ン に よ る ○ 印 が 見 ら れ る。 ま た、 第 一 巻、 第 二 巻 に は 目 次、 お よ び 本 文 中 の KHM 番 号 の 隣 に 赤 ペ ン に よ る 数 字 が と こ ろ ど こ ろ に 書 き 込まれているのだが、この数字は、世界童話大系刊行会よ り『世界童話大系』第二巻独逸篇⑴(大正十三年八月)お よび第二十三巻独逸篇⑵(昭和二年三月)として出版され た『グリム童話集』の通し番号と全て一致している。柳田 文庫にはこの金田鬼一訳の『グリム童話集』は所蔵されて いないが、金田訳の通し番号の書き込みは、柳田が金田訳 を 参 考 に し な が ら KHM を 読 ん で い た こ と を 示 唆 し て い る。 以 下、 本 文 中 に 見 ら れ る 柳 田 に よ る 書 き 込 み、 お よ び、 赤 ペ ン に よ っ て 書 き 込 ま れ た 数 字 を〈〉 内 に 記 す。 「?」は判読できなかった箇所を表す。なお、 「」内の邦名 は著者による補足であり、本文の引用箇所の意味内容を明 確 に す る た め に、 [] で 適 宜 補 足 を 加 え た。 ま た、 赤 ペ ン 以外の書き込みは全て赤鉛筆による書き込みであり、傍線 は柳田によって書き込まれた下線の箇所を表す。 第一巻の目次(○印のチェックがあるもの) 二 Katze und Maus in Gesellschaft 「 猫 と 鼠 の 共 暮 ら し 」、 一 八 Str ohhalm, Kohle und Bohne 「 藁 と 炭 と 豆 」 ( さ ら に 頁 数 に 下 線 )、 二 一 Aschenputtel 「 灰 か ぶ り 」、 二 八 Der singende Knochen 「 歌 う 骨 」、 三 一 Das Mädchen ohne Hände 「 手 な し 娘 」、 三 七 Daumesdick 「 親 指 小 僧 」( さ ら に 頁 数 に 下 線 )、 四 八 Der alte Sultan 「 老 犬 ズ ル タ ン 」( 赤 ペ ン で ○ 印 )、 六 五 Allerleirauh 「 千 匹 皮 」、 七 八 Der alte Gr oßvater und der Enkel 「 年 取 っ た お じ い さ ん と そ の 孫 」( 赤 ペ ン で ○印) 、八七 Der Ar
me und der Reiche
「貧乏人と金持 ち 」( 赤 ペ ン で ○ 印 )。 そ の 他、 一 二 番 Rapunzel の 番 号の横に○印。上から×印。 第二巻の目次(○印のチェックがあるもの) 八 九 Die Gänsemagd 「 が ち ょ う 番 の 娘 」( 頁 数 の 横 に 〈 102 〉 の 書 き 込 み )、 九 八 Doktor Allwissend 「 物 知 り 博 士 」、 一 〇 八 Hans mein Igel 「 ハ ン ス は り ね ず み 」( ○ 印 の 横 に さ ら に × 印 )、 一 一 二 Der Dr
eschflegel vom Himmel
「天国のからさお」
Die weiße und die schwar ze Braut 「白い花嫁と黒い花 嫁 」( さ ら に 頁 数 に 下 線 )、 一 四 二 Simeliber g 「 ジ メ リ 山」 付箋紙が挟まっている話、および本文への書き込み箇所 は以下の通りである。 第一巻 二 Katze und Maus in Gesellschaft 「 猫 と 鼠 の 共 暮 ら し 」 (白い付箋紙) 一五 Hänsel und Gr etel 「ヘンゼルとグレーテル」 ・ 私のお話はこれでおしまい。 あそこにハツカネズミ が走ってる。あれを捕まえた者は、あれで大きな、大 き な 毛 皮 の 帽 子 を こ し ら え も よ ろ し い。 ( 赤 ペ ン で 下 線。横に赤ペンで ✓ 印) 一六 Die dr ei Schlangenblätter 「三枚の蛇の葉」 (番号の 横に赤ペンで ✓ 印) 一 八 Str ohhalm, Kohle und Bohne 「 藁 と 炭 と 豆 」( 紫 色 の付箋紙) ・でも藁は燃え出し、 二つに切れて 、小川の中に落ち てしまいました。 (赤鉛筆で下線) 二一 Aschenputtel 「灰かぶり」 (ピンク色の付箋紙) 二八
Der singende Knochen
「歌う骨」 (薄い緑の付箋紙) ・ 彼[ 羊 飼 い ] が 初 め て そ れ[ 角 笛 ] を 吹 い て み る と、 小さな骨がひとりでに歌い始めたので、羊飼いは 大変びっくりしました 。……彼[羊飼い]がそれ[角 笛]をもって 王様の前に出た 時、小さな角笛はまたも や 小 唄 を 歌 い 始 め ま し た。 ( 赤 鉛 筆 で 下 線。 最 初 の 下 線部に赤鉛筆で○印) 三 一 Das Mädchen ohne Hände 「 手 な し 娘 」( 群 青 色 の 付箋紙。番号の横に○印) ・そこへ、信心深いお后にいつも害を加えようとして いる悪魔がやって来て、 その手紙を 別の手紙と すり替 えてしまいました 。そこにはお妃が取り替え子を産ん だ と 書 い て あ り ま し た。 ( 赤 鉛 筆 で 下 線。 横 に 赤 鉛 筆 で○印) ・彼女[年寄りのお母様]は彼女[お妃]の背中にそ の子をしばりつけ、その哀れな女は泣きながら立ち去 りました。 (横に赤鉛筆で○印) 三四
Die kluge Else
「賢いエルゼ」
三 七 Daumesdick 「 親 指 小 僧 」( タ イ ト ル の 横 に 赤 鉛 筆 で〈一寸法師〉の書き込み) 五六
Der Liebste Roland
「恋人ローラント」 (先述の 「山 の会」の案内状が挟んである) 六五 Allerleirauh 「千匹皮」 (薄い黄色い付箋紙) ・そうして彼ら[狩人たち]は言いました。 「 千匹皮、 お前は台所がお似合いだ。 さあ、来い。台所で 灰をか き集めたら よかろう。 」(赤鉛筆で下線) ・顔と手の煤を洗い落とすと、申し分のない美しさが また現われました。それから彼女[千匹皮]は胡桃を 開 け て、 太 陽 の よ う に 輝 く ド レ ス を 取 り 出 し ま し た。 そして前の時みたいに、祝宴に行き、誰もが彼女のた めに道をあけました。というのも、誰も彼女のことは 知 ら ず、 ど こ か の 王 女 様 に 違 い な い と 思 っ た か ら で す。 (右の箇所に赤鉛筆で傍線) 七六 Die Nelke 「なでしこ」 ・ 彼 ら が 生 き て い る か ど う か、 そ れ は 神 様 次 第 だ。 (横に赤ペンで ✓ の印。本文に赤ペンで」の印) 八〇 Von dem T
ode des Hühnchens
「雌鶏の死の話」 ・ こ れ で み ん な 死 ん で し ま い ま し た。 ( 横 に 赤 ペ ン で ✓ 印) 八一 Br uder Lustig 「陽気な兄貴」 ・ そ れ か ら 陽 気 な 兄 貴 は ま だ 長 い こ と 世 の 中 を 歩 き 回 っ て い ま し た。 も し そ れ を 知 っ て い る 人 が い れ ば、 そ れ に つ い て 多 く を 語 っ て い た こ と で し ょ う。 ( 赤 ペ ンで ✓ 印) 八四 Hans heiratet 「ハンスが結婚する」 ・お前さんも結婚式に行ったのかい?ああ、行ったと も、 め か し こ ん で ね。 私 の 帽 子 は 雪 で で き て い て ね、 それでお日様が出たら解けちまった。私のドレスは蜘 蛛 の 巣 で で き て い て ね、 そ れ で 茨 を 通 っ た ら 破 れ ち まったよ。私の靴はガラスでできていてね、それで石 につまずいたら、ピシッと言ってまっぷたつに割れち まったのさ。 (赤ペンで ✓ 印) 八六
Der Fuchs und die Gänse
「狐とガチョウ」 (番号の 横に〈 99 〉と赤ペンで書き込み) ・それで彼ら[鵞鳥たち]のお祈りが済めば、このお 話の続きが出来るのだけど、いまだにずっとお祈りを し て い る の。 ( 赤 ペ ン で〈 ハ テ ナ シ 話 〉 と 書 き 込 み。 赤ペンで ✓ 印)
八七
Der Ar
me und der Reiche
「貧乏人と金持ち」 ・大昔、神様がまだご自分の足で下界を歩いていた頃 のこと、ある晩、神様はお疲れになったのですが、宿 を 見 つ け る 前 に、 夜 が 来 て し ま い ま し た。 ( 赤 ペ ン で ○印) 第二巻 八八 〈 101 〉D er s in ge nd e S pr in ge nd e Löwenecker chen 「踊って跳ねるヒバリ」 九〇〈 103
〉Der junge Riese
「若い巨人」 ・お代官とその妻がまだ空中に漂っているかどうか私 たちは知らないね。でも若い巨人は自分の鉄の棒を担 いでいってしまいました。 (右の箇所に赤ペンで傍線) 九一 Dat Er dmänneken 「大地の小人」 ・「その時、私はガラスの靴をはいていたのだけどね、 石 に つ ま ず い ち ゃ っ て、 「 ピ チ リ!」 と い っ て 靴 が 壊 れちゃったのよ」 (赤ペンで ✓ 印) 九六 De dr ei V ügelkens 「三羽の小鳥」 ・その間に子供たちは大きくなりました。ある時、一 番年上の兄さんが他の年下の二人を連れて、魚を捕り に 出 か け ま し た。 す る と 他 の 子 供 た ち は「 捨 て 子 や い 、あっちへ行け」と言って兄さんを仲間に入れてく れませんでした。 (赤ペンで下線、横に ✓ 印) 九 八〈 111 〉 Doktor Allwissend 「 物 知 り 博 士 」( 1 1 1 の書き込みの横に赤鉛筆で○印) 一 〇 二 Der Zaunkönig und der Bär 「 ミ ソ サ ザ イ と 熊 」 (番号の隣に ✓ 印) 一〇五〈 119 〉Mär
chen von der Unke
「ウンケの話」 一 〇 七〈 121 〉 Die beiden W ander er 「 二 人 の 旅 人 」 (番号の隣に ✓ 印) 一 〇 八 Hans mein Igel 「 ハ ン ス は り ね ず み 」( 番 号 の 隣 に赤鉛筆で○印。赤鉛筆で〈田螺長者〉の書き込み) ・ 彼[ 百 姓 ] は つ い に 怒 っ て、 家 に 帰 っ て 言 い ま し た。 「 子 供 が 欲 し い。 ハ リ ネ ズ ミ だ っ て か ま わ な い。 」 するとおかみさんに子供ができ、その子は上がハリネ ズミで、下が人間の体でした。そしておかみさんがそ の子を見ると、びっくりして言いました…「それ見た ことか、あんたが私たちに 呪いをかけた んだよ。 」 ・そこに男達がやって来て、ハリネズミの皮を持ち去 り、火の中に投げ入れてしまいました。火が皮をなめ
つくしてしまうと、 彼[ハンスハリネズミ]は解放さ れ 、 ベ ッ ド に ま っ た く 人 間 の 形 で 横 に な っ て い ま し た。……しかしお父さんは、自分に息子はいない、一 人いたが、そいつはハリネズミ同様、 針をはやして 生 まれてきて、どこかに行ってしまった。……年寄りの お父さんは喜んでハンスと一緒にハンスの王国に行き ま し た。 ( 赤 鉛 筆 で 下 線。 「 針 を は や し て 」 の 横 に ✓ 印) ・ 私の話はこれでおしまい 、グストちゃんの前をお家 が歩いている。 (赤ペンで下線。横に赤ペンで○印) 一一二 Der Dr
eschflegel vom Himmel
「天国のからさお」 ・ところが彼[百姓]が再び道を引き返すと、その穀 粒 か ら 木 が 生 長 し て、 天 ま で 届 い て い ま し た 。( 横 に 赤鉛筆で〈豆の木〉の書き込み) ・そうして 彼[百姓]は上まで登って 、天使たちが上 で燕麦を脱穀しているのが見え、それを一緒に見てい ました。 」(赤鉛筆で下線) ・ところがつるはしを持っていたのが幸運で、彼[百 姓 ] は そ れ で 段 々 を 作 っ て、 上 へ 登 っ て い き ま し た。 そして殻ざおを証拠として持っていたので、誰もその 話 を 疑 う わ け に は 行 き ま せ ん で し た。 ( 右 の 箇 所 に 赤 鉛筆で傍線) 一一三
De beiden Künigeskinner
「二人の王様の子供」 ・ このお話をつい先日にしてくれた人の口は、まだ温 かい。 (赤鉛筆で下線。横に赤ペンで ✓ 印) 一一四 Vom klugen Schneiderlein 「賢い仕立て屋の話」 ・ そ れ を 信 じ な い 者 は 1タ ー ラ ー 支 払 う。 ( 赤 ペ ン で 下線。横に赤ペンで ✓ 印) 一一五 〈 129 〉Die klar
e Sonne bringt's an den T
ag 「お 天道様は明るみに出す」 一一八〈 132 〉Die dr ei Feldscher er 「三人の軍医」 一 二 〇〈 135 〉 Die dr ei Handwerksburschen 「 三 人 の 職人」 一 二 六 Fer enand getr ü un Fer enand ungetr ü 「 忠 実 な フ ェ レ ナ ン ト と 不 実 な フ ェ レ ナ ン ト 」( 話 の 最 後 に 横 に 赤ペンで書き込みがあるが判読不能) 一二七 Der Eisenofen 「鉄のストーブ」 ・ そ ら 鼠 が 出 て き た。 お 話 は お し ま い。 ( 赤 ペ ン で 下 線。横に赤ペンで△印) 一三〇〈 146 〉
Dr eiäuglein 「一つ目、二つ目、三つ目」 一三一〈 148 〉 D ie s ch ön e K at rin elj e u nd P if P af Poltrie 「美しいカトリネリエとピフ・パフ・ポルトリー」 一三四〈 151
〉Die sechs Diener
「六人の家来」 一 三 五 Die weiße und die schwar ze Braut 「 白 い 花 嫁 と 黒 い 花 嫁 」( 番 号 に 赤 鉛 筆 で 下 線。 赤 鉛 筆 で〈 皿 々 山 〉 の書き込み) ・ 彼[お兄さん]は妹の絵を描いて 、自分の部屋にか け て お き ま し た。 ( 横 に 赤 鉛 筆 で〈 エ ス ガ タ 女 房 〉 の 書き込み) ・ し か し 宮 殿 の 召 使 達 は 御 者 が 毎 日 美 し い 絵 の 前 に 立っていることに気がつき……(赤鉛筆で下線) ・そのような女は服を脱がせて裸にし、釘が打たれた 樽 の中に入れて、樽の前に一頭の馬をつけ、馬を世界 中 行 か せ る の が 良 か ろ う。 ( 赤 鉛 筆 で〈 臼 ニ 入 レ テ 〉 の書き込み。その横に赤ペンで○印) 一 四 二〈 159 〉 Simeliber g 「 ジ メ リ 山 」( 159 の 数 字の書き込みの隣に赤鉛筆で○印。さらに赤ペンで〈隣 爺型???〉の書き込み) 一 四 三 Up Reisen gohn 「 旅 に 出 る 」( 紫 の 付 箋 紙。 番 号 の横に〈ヲロカム子〉の書き込み) 一 四 四〈 162 〉 Das Eselein 「 小 さ な ロ バ 」( 162 の 数字の書き込みの隣に○印。赤鉛筆で〈田ニシ長者〉の 書き込み。以下の下線は全て赤鉛筆によるもの。 ) ・ つ い に 神 様 が お 妃 の 願 い を 叶 え て く れ ま し た。 で も、子供が生まれると、その子は人間の子のような姿 ではなく、 小さなロバの子 でした。 ・ し か し 王 様 は 言 い ま し た。 「 い や、 神 様 が そ の 子 を お授け下さったのならば、その子もまた私の息子であ り、 私 の 世 継 ぎ で あ る べ き 。 私 の 死 後、 王 位 に 就 き、 王冠をかぶるべきなのだ。 」 ・「 い や だ。 」 と そ れ[ ロ バ の 子 ] は 言 い ま し た。 「 私 は王様の傍へ座りたいのだ 。」 ・ す る と 王 様 は 言 い ま し た。 「 お 前 を 満 足 さ せ る よ う なものが知りたいのだが。 わしの娘を妻にしたいか?」 「 は い、 い か に も。 」 と ロ バ の 子 は 言 い ま し た。 「 い か にもお姫様を頂戴したいです 。」 ・二人が中に入り、お婿さんがドアに閂をかける、辺 りを見回して、二人しかいないことを確認すると、 お 婿さんは突然ロバの皮を脱ぎ捨てました 、するとそこ
には美しく、堂々とした青年が立っていました。 一 四 七 Das junggeglühte Männlein 「 焼 か れ て 若 返 っ た 小男」 ・その晩、二人は男の子を生みました。その子たちは 人 間 に 似 て は お ら ず、 猿 の よ う で、 森 の 中 に か け て 行ってしまいました。そして猿の種族は彼らに由来す る の で す。 ( 右 の 箇 所 に 赤 ペ ン で 傍 線。 横 に 赤 ペ ン で ○印と ✓ 印) 一五一〈 169 〉Die dr ei Faulen 「三人の怠け者」 * 一 五 一〈 170 〉 Die zwölf faulen Knechte 「 十 二 人 の 怠け者の召使い」 一五二〈 171 〉Das Hir tenbr üblein 「羊飼いの男の子」 一五八 〈 178 〉Das Mär
chen von Schlauraf
fenland 「の らくら者の国の話」 一 七 一 Der Zaunkönig 「 ミ ソ サ ザ イ 」( 以 下 の 箇 所 に 赤 鉛筆で傍線) ・むかし、むかし、どんな音もまだ意味を持っていま した。鍛冶屋の槌が鳴り響く時というのは、槌が「ス ミート ミ トー! スミート ミ トー!」 (「おい ら を 鍛 え ろ! お い ら を 鍛 え ろ!」 ) と 叫 ん で い る の でした。指物師の鉋がシューシュー立てる音は、鉋が こ う 言 っ て い た の で す。 「 ド ル ヘ ス ト! ド ル ド ル ヘ ス ト!」 (「 そ ら で た! そ ら、 そ ら で た!」 )。 水 車 の 輪 が カ タ カ タ 音 を 立 て 始 め る 時 は、 輪 が こ う 言 っ て い た の で す。 「 へ ル プ、 ヘ ア ゴ ッ ト! ヘ ル プ、ヘア ゴット!」 (「助けて、神様! 助けて、神 様!」 )。 そ し て 粉 引 き が 嘘 つ き で、 水 門 を 空 け る と、 水門は標準ドイツ語を喋って、初めはゆっくりと尋ね た の で す。 「 ヴ ェ ア イ ス ト ダ ー? ヴ ェ ア イ ス ト ダー?」 (「そこにいるのは誰だ? そこにいるの は誰だ?」 )それから早口で言うのです。 「デア ミュ ラー! デア ミュラー!」 (「粉引だ! 粉引だ!」 )。 そ れ か ら つ い に は も の す ご い 早 口 で、 「 シ ュ テ ィ ー ル ト タ ッ プ フ ァ ー、 シ ュ テ ィ ー ル ト タ ッ プ フ ァ ー、 フォム アハテル ドライ ゼヒター。 」(おもいきっ て盗む、おもいきって盗む、 8分の 1から 6分の 3。) と言っていたのです。 その頃、鳥たちも自分の言葉と言うのを持っていまし た。 一七四 Die Eule 「ふくろう」
・それを 信じたくない者は、そこに言って自分で聞い て見ろ。 (赤ペンで下線。横に赤ペンで ✓ 印) 一七六〈 197 〉Die Lebenszeit 「寿命」 一七七〈 198
〉Die Boten des T
odes
「死神の使い」
一八〇〈
201
〉Die ungleichen Kinder Evas
「エヴァの 不揃いの子供たち」 一 八 三〈 205 〉 Der Riese und der Schneider 「 巨 人 と 仕立て屋」 一八四 Der Nagel 「釘」 ・ 急がば回れ。 (赤ペンで下線と ✓ 印) 一 八 六〈 208 〉 Die wahr e Braut 「 本 当 の 花 嫁 」( 2 0 8 の隣に赤ペンで〈皿々山〉の書き込み) 一八七
Der Hase und der Igel
「兎とハリネズミ」 ・ と こ ろ で、 こ の お 話 に は 教 訓 が あ り ま す、 一 つ は、 自分がどんなに優れており、身分も人と違うと思って も、つまらないもの、例えばハリネズミのようなもの に対しても決して馬鹿にしてはいけないということで す。二つ目は、お嫁さんをもらうなら、自分と同じ身 分の者で、みかけも自分と同じものをもらうのがいい ということです。 (赤ペンで下線、横に ✓ 印) 一八八〈 210 〉 Sprindel, W eberschif
fchen und Nadel
「錘と杼と針」
一九〇
Die Br
osamen auf dem T
isch 「食卓の上のパンく ず」 ・ や っ と み ん な で ど こ か へ 行 き ま し た。 ( 赤 ペ ン で ✓ 印) 一九二〈 215 〉Der Meister dieb 「泥棒の名人」 一九四〈 217 〉Der Kor nähr e 「麦の穂」 次に第三巻の注釈編についての書き込み箇所だが、柳田 は第三巻の注釈編をあまり精力的に読んでいない。その証 拠に、製本の問題で頁と頁が切り離されていない箇所がと ころどころにある。つまり、柳田はその部分を切り離して 読まなかったということになる。しかし、いくつかの書き 込みも見られるので、以下にその書き込み箇所を記す。書 き 込 み は KHM 六 五 番 に 見 ら れ る 書 き 込 み 以 外 は 全 て 赤 ペ ンによるものである。 一 Der Fr oschkönig oder der eiser ne Heinrich 「 蛙 の 王 様と鉄のハインリヒ」
・ヘッセンに由来するもう一つの物語。三人の娘を持 つ あ る 王 様 が 病 気 で お 城 に あ る 泉 の 水 を 所 望 し ま し た。 ・「 ふ ん、 誰 が 汚 ら し い 蛙 の 恋 人[ Schatz ] に な る っ ていうのよ !」 (横に○印) ・ つ い に 三 番 目 の 娘 が 水 を 汲 み に や っ て き ま し た。 ……「君が僕の恋人になるなら、とっても澄んだ水を 君にあげるよ。 」「ええ、もちろん」と彼女[三番目の 娘]は 嬉しそうに 答えました。 (「三番目の娘」の横に ○印) ・彼女は朝起きた時、あの蛙は飛び跳ねて行っちゃっ たんだわ、と思いました。そうして彼女の前には 若く てきれいな王子様 が立っていて、自分が魔法にかけら れた蛙だったのだが、彼女が恋人になるという約束を 果たしてくれたから救われたのだと言いました。 ・パーダーボルンの 三番目の物語 では、蛙の姿から救 われた後、王子は別れの際に赤で自分の名前が書かれ た布を花嫁に渡す…… ・すぐ後に王子様が 偽の花嫁 と旅立たれた時、三人は 馬車の後ろに乗らなければなりませんでした。 二 Katze und Maus in Gesellschaft 「 猫 と 鼠 の 共 暮 ら し 」 (タイトルの横に○印) ・さらに蜂蜜の壺を見つけた 狐と雄鶏 について語られ ている。 六五 Allerleirauh 「千匹皮」 (横に○印) ・四番目の物語は異なって伝えられている。千匹皮は 継母に追い出される ……。 (横に ✓ 印) ・ このメルヘンは灰かぶりのメルヘンといくつか類似 点がある。 (横に○印。 )ペローの ロバの皮 はこれに属 する……。 以 上 が 柳 田 に よ る 柳 田 文 庫 所 蔵 の KHM 全 三 巻 へ の 書 き 込み箇所である。これらの書き込みからどのようなことが 言えるだろうか。次に考察を加えてゆくことにする。
4.
柳
田
に
よ
る
昔
話
の
定
義
――
発
端
句
と
結
末
句
書き込み箇所の特徴として、第一に柳田は発端句と結末 句に強い関心を抱いていたということが指摘できる。発端 句 に 下 線 や 傍 線 あ る い は ✓ 印 が あ る 話 は 八 七、 一 七 一 番、 中 句 は 八 一 番、 結 末 句 は 一 五、 七 六、 八 〇、 八 四、 八 六、九 〇、 九 一、 一 〇 八、 一 一 三、 一 一 四、 一 二 七、 一 七 四、 一八四、一九〇番である。なお、発端句、中句、結末句は どれも赤ペンで下線が引かれており、ある時期に柳田が発 端句と結末句に注目して集中的に熟読していたことが窺え る。 ところで柳田國男の著作には、発端句と結末句に関する ものがいくつか見られる。柳田は昭和六年四月に刊行され た雑誌『旅と伝説』に「昔話採集者の為 に (12 ( 」を投稿してお り、そこで柳田は消えつつある昔話を採集するよう呼びか けている。柳田は昔話採集の便宜を図るために、当時まだ 明確でなかった「昔話」という語を伝説や世間話との違い を挙げながら定義づけようと試みている。その際、柳田は 発端句と結末句に注目し、形式的な観点および信憑性とい う点から昔話を次のように定義している。一、必ず冒頭に 昔々という一句をそなえて語っている話。二、話法の特徴 として「あったそうな」というような「私はそう聞いてい る」という意味の語がそなえてある。すなわち、昔話は最 初から説く人、聴く人は信じようとしない、周遊、流伝の 力が強い、技術、文芸作品であり、一方、伝説は常に信じ られ、又、信じようとしていたもので、土地に定着し、そ れ は 記 憶、 素 材 と い う 事 実 で あ る。 三、 「 話 は 是 を 以 て 終 わる」といった意味を持つ結末句を有する。 さらに柳田は、昭和十年五月から昭和十一年四月にかけ て、 「 昔 話 と 伝 説 と 神 話 」( 『 口 承 文 芸 史 考 』 所 収 ) に お い てさらに詳しい定義を試みてい る (13 ( 。この論考で柳田は、ド イツやフランス、イギリスにおける昔話の名称について述 べた後、昔話の発端句や結末句の特徴を外国のものと比較 し な が ら、 前 述 の 昔 話 の 定 義 を 以 下 の よ う に 補 足 し て い る。 昔 話 は、 一、 「 と ん と 昔 」 な ど の 発 端 句 や 話 の 区 切 り に ト サ・ ゲ ナ・ サ ウ ナ・ ト イ フ な ど の 句 が あ る。 こ れ は 「 信 ず べ き 物 語 」 と は 異 な る こ と を 示 し て お り、 外 国 の 昔 話 に は あ ま り 窺 わ れ な い。 二、 固 有 名 詞 の 省 略。 三、 「 ド ン ト ハ ラ ヒ 」 な ど の 結 末 の 一 句。 三 つ 目 の 要 素 に 関 し て、 柳 田 は KHM に つ い て 言 及 し、 日 本 の 昔 話 と 比 較 し、 次 の ように指摘している。 ところがもう一つ、是は日本の昔話だけに、幾分か 強烈に保存せられて居るらしい第三の形式がある。グ リムの説話集にも五つか七つ、最後に奇抜な笑を催す やうな文句を付け添へたものはあるが、他の多数は採
録の際に落ちたものか、何の変哲も無く、事実の終り を以て話しの結びとして居る。我々の昔話はそれと反 対に、一つ一つ必ず形式の句があつて、それが地方毎 に一定して居る。……一番単純で数の多いのは是でお し ま ひ、 又 は 話 は こ れ だ け と い ふ 意 味 の 短 句 で あ る。 奥羽の村々でドンドハラヒと謂い、中国のそちこちで ムカシコッキリとか、……すべて全部が終わつたとい ふ言葉の様式化したもので、それを是非とも添へなけ れ ば な ら ぬ 趣 意 は、 本 来 は 一 種 伝 承 者 の 宣 誓 で あ り、 聴いて知つて居ることは是だけだといふのは、即ちお まけも無く匿しも無いといふことを言明する方式だつ た と も 解 せ ら れ る。 多 分 は 今 あ る 昔 話 よ り も 以 前 か ら、聴いて信じなければならぬ説話にも、既に伴なう て 居 た も の だ ら う と 私 は 思 ふ。 …… ア ァ ヴ ィ ン グ の リップ・ヴァン・ウィンクルの発端の引用句にも、古 いサクソンの神にかけて、自分の物語の偽りでないこ とを誓つたうけび言が出て居た。白人の国でも元はや はり此趣旨を以て、話毎に斯ういふ一句を付加する風 習があつたと見える。それが我邦の昔話では永く今日 まで持続して居たのであ る (14 ( 。 つまり、昔話は「ドントハラヒ」などの結末の一句を有 し、これは伝承者の宣誓でもあり、こうした一定の形式の 句は外国にはあまり見られず、永く持続してきた日本にお いて比較研究すべき問題である、と指摘している。また柳 田 は、 KHM に 見 ら れ る よ う な 笑 い を 誘 う よ う な 結 末 句 は 笑 話 化 と 並 行 し て 発 明 さ れ た と 考 え て お り、 KHM に 見 ら れる結末句と日本におけるそれを比較して以下のようにも 述べている。 グリムのメェルヘンを読んで見ると、滑稽に富んだ 長々しい結びの文句が、或地方のものに限つて付いて 居る。人によつては是を其話だけの必然なる一部分の 如く思ふ者もあらうが、実はただ採集者が個々の採集 に忠誠であつたといふのみで、それと本文との間には 格別の連鎖は無く、少しも変へずに之を別の話に持つ 行つて付けられるものばかりである。つまりはグリム 生時の独逸の田舎には、もう此程度の改造した結びの 文 句 し か 行 は れ て 居 な か っ た の で、 是 を 日 本 の 昔 話 の、まだ色々の古風な形式を保存して居るのに比べる と、研究の便宜は確かに少ない。だから我々は今後こ
の一点の綿密な調査からでも、まだ外国の学者の気づ かなかつたものを拾ひ上げることが出来るのであ る (15 ( 。 ここで柳田は、外国の昔話に比べると日本の昔話には古 くから伝えられてきた形式が保存されているものが多いゆ えに、この点において日本の昔話研究の発展が世界の昔話 研究に貢献しうることを強調している。そして、日本の昔 話の形式について着目した柳田は、昭和十七年三月に論考 「 昔 話 の 発 端 と 結 び 」 を 著 し た (16 ( 。 こ の 論 考 に お い て 柳 田 は 日本における発端句と結末句の地方的変化の特色、傾向を 明 ら か に し よ う と 試 み、 「 昔 話 と 伝 説 と 神 話 」 で 柳 田 自 身 が言及した課題、すなわち日本国内の昔話の形式の比較と いう課題に取り組んでいる。 柳 田 の こ れ ら の 諸 論 文、 お よ び KHM へ の 書 き 込 み を 照 ら し 合 わ せ た 時 に 浮 か び 上 が っ て く る こ と は、 柳 田 は KHM そ の も の に 興 味 が あ っ た と い う よ り は、 当 時 ま だ 海 外の研究者にはあまり知られていなかった日本の昔話に特 有 な も の を 研 究 す る た め の 参 考 資 料 と し て KHM を 読 ん で いたということである。柳田は日本国内の昔話研究を発展 させ、それを世界に発信することにより、日本が「世界の 民間説話の実験 所 (11 ( 」となることを望んでいたのではないだ ろうか。
5.比較昔話研究の資料としての
KHM
柳 田 に よ る 書 き 込 み 調 査 か ら 指 摘 さ れ う る 第 二 の 点 は、 柳田は、日本の昔話と共通する類話、あるいはモチーフを 対 比 さ せ な が ら KHM を 読 み 進 め て い た と い う こ と で あ る。 柳 田 の 書 き 込 み が 見 ら れ る KHM の う ち、 柳 田 國 男 監 修『日本昔話名彙』に対応する類話の対応表を資料 1にま とめた。 特に顕著なのは、三七番「親指小僧」や八八番「歌って 跳ねるヒバリ」 、一〇八番「ハンスはりねずみ」 、一四四番 「 小 さ な ロ バ 」 な ど、 柳 田 は 日 本 の「 一 寸 法 師 」 や「 田 螺 長 者 」 と い っ た 小 さ 子 に 関 す る KHM の 類 話 に 関 心 を 払 っ ていたことである。柳田國男の本格的な昔話研究は『桃太 郎の誕生』をもって出発しているが、ここでテーマとなっ ているのは「小さ子」であり、このテーマに関連した論文 と し て 他 に も、 『 桃 太 郎 の 誕 生 』 以 前 に 発 表 さ れ た「 一 寸 法師譚」 (昭和三年五 月 (18 ( )や「桃太郎根原記」 (昭和五年五月 (19 ( )が挙げられる。この「桃太郎根原記」の中で柳田はシ ン デ レ ラ 比 較 研 究 の 大 家 で あ る コ ッ ク ス の 研 究 を 紹 介 し、 日 本 の 紅 皿 欠 皿 や 粟 福 米 福 の 話 に 言 及 (20 ( 、 さ ら に、 二 八 番 「 歌 う 骨 」 に 関 係 の 深 い 死 人 感 謝 譚 や「 美 女 と 野 獣 」 な ど の異類婚姻譚にも触れている。 年をとって社会からはじき出される人、あるいは動物を 扱った「年取ったおじいさんと孫」や「老犬ズルタン」の 類 話 と し て 日 本 で は「 姥 捨 山 」 が 挙 げ ら れ る が、 柳 田 は 「 親 棄 山 」 で、 日 本 に は 四 種 の サ ブ タ イ プ が あ り、 う ち 二 つは外国から入ってきたものだと述べてい る (21 ( 。昔話や民俗 学的にも興味深い一六番「三枚の蛇の葉」や一〇五番「ウ ン ケ の お 話 」、 そ の 他、 一 一 八 番「 三 人 の 軍 医 」、 九 八 番 「 物 知 り 博 士 」 や 一 四 三 番「 旅 に 出 る 」 な ど の 笑 話 や 二 番 「 猫 と 鼠 の 共 暮 ら し 」 や 一 七 一 番「 ミ ソ サ ザ イ 」 等 の 動 物 昔話にも注目していることがわかる。また、日本にも類話 の見られる由来譚「藁と炭とそら豆」など関心領域は幅広 い。 一 一 二 番「 天 国 の か ら さ お 」 で は、 〈 豆 の 木 〉 の 書 き 込みがあり、柳田はこのモチーフに関して、論考「天の南 瓜」を発表してい る (22 ( 。一三五番「白い花嫁と黒い花嫁」に は〈皿々山〉と〈エスガタ女房〉 、一八六番「本当の花嫁」 にも〈皿々山〉の書き込みが見られ、本当の花嫁を探すと いうモチーフに注目している。さらに、一九二番「泥棒の 名人」の日本の類話「俵薬師」に関しても柳田は論考「俵 薬 師 (23 ( 」を、 KHM 八六番に書き込まれている〈はてなし話〉 に関連して、論考「はて無し話」を出してい る (24 ( 。これらの 論文を見ると、柳田は外国の昔話を中心に論じているので はなく、外国の昔話を参考にしながら、日本の昔話を中心 に論じている。前述した昔話の定義づけに関してもそうで あったが、柳田は日本の個々の昔話研究を行なっていく上 でも KHM を参考にしていたようである。
6.結語
柳田國男が日本民俗学を確立する上で、フレーザーやゴ ムなどイギリス民俗学から方法論などを取り入れているこ とはこれまで多くの研究者が指摘してきたことである。し か し な が ら、 柳 田 の KHM へ の 書 き 込 み を 調 査 し て み る と、 日 本 の 昔 話 と 対 応 す る KHM の 話 に 多 く の 書 き 込 み が 見られ、それらの類話に関する論考を『桃太郎の誕生』を 皮切りに次々と発表していることが明らかとなった。さらに 柳 田 は 昔 話 を 形 式 的 な 観 点 か ら 定 義 づ け る 上 で、 KHM を参照、参考にしていたことが書き込み箇所から明らかと なった。柳田國男は本格的に昔話研究を開始するにあたっ て KHM を 精 読 し、 比 較 研 究 の た め の テ キ ス ト と し て 用 い ていたと言えよう。しかしながら、本稿は柳田文庫所蔵の 基 礎 文 献 の 調 査 を 中 心 と し た も の で あ っ て、 柳 田 が KHM をどのように読み、日本の昔話と比較した結果、どのよう な結論に至ったか、その思索過程を詳細に検討するまでに は至らなかった。本稿で紹介したグリム兄弟の『子供と家 庭の童話集』以外にも柳田文庫には英独仏を中心とした膨 大な量の文献が収められており、柳田の思索過程を辿るに は、これらの文献に残されている書き込みや傍線のさらな る調査が必要である。それらの調査は本稿と対をなす形で 別の機会に改めて論じることにしたい。 謝辞 本稿執筆の準備段階で、成城大学民俗学研究所の林洋平 様に大変御世話になりました。ここに深く感謝の意を表し ます。 注 ( 1) 【 柳 田 と イ ギ リ ス の 民 俗 学 お よ び 人 類 学 関 係 に 関 す る 研 究】 高 橋 治「 柳 田 国 男 に お け る G・ L・ ゴ ン ム 受 容 の 一 断 面 ― 大 正 中 期 の〈 供 犠 〉 論 の 受 容 と 関 連 さ せ て 」『 柳 田 国 男 の 学 問 は 変 革 の 思 想 た り う る か 』 柳 田 国 男 研 究 会 編、 梟 社、 二 〇 一 四 年、 二 六 三 ― 二 八 三 頁。 横 山 茂 雄「 英 国 に 住 む 野 人 也: 南 方 熊 楠、 柳 田 國 男 の 山 人 論 争 と ジ ョ ー ジ・ ロ ー レ ン ス・ ゴ ム 」( 特 集 南 方 熊 楠 と 民 俗 学 )『 季 刊 民 族 学 』 三 六( 一 ) 号、 二 〇 一 二 年、 一 五 ― 二 四 頁。 横 山 茂 雄「 歴 史 の 致 命 的 な 沈 黙 ― ロ レ ン ス・ ゴ ム と 柳 田 國 男 の 先 住 異 民 族 説 」『 外 国 文 学 研 究 』 二 六 号、 二 〇 〇 七 年、 一五〇 ― 一六六頁。高木昌史編『柳田國男とヨーロッ パ 口承文芸の東西』三交社、 二〇〇六年。赤坂憲雄『一 国民俗学を越えて』五柳書院、 二〇〇二年。佐伯有清『柳 田 国 男 と 古 代 史 』 吉 川 弘 文 館、 一 九 八 八 年。 高 原 隆 「 ジ ョ ー ジ・ ロ ー レ ン ス・ ゴ ム 民 俗 学 の 柳 田 國 男 へ の 影 響 に つ い て 」『 日 本 民 俗 学 』 二 一 七 号、 一 九 九 九 年。 伊 藤 幹 治「 柳 田 國 男 と J・ Gフ レ ー ザ ー の「 金 枝 篇 」」 『 民 俗 学 研 究 所 紀 要 』 第 二 二 集・ 別 冊、 成 城 大 学、 一 九 九 八 年。 田 中 藤 司「 柳 田 文 庫 所 蔵 読 了 自 記 洋 書 目 録・ 略 年 表 」『 民 俗 学 研 究 所 紀 要 』 第 二 二 集・ 別 冊、 成 城 大 学、 一 九 九 八 年。 長 谷 川 邦 男「 柳 田 国 男 と イ ギ リ ス 民 俗 学 の 系 譜 Ⅰ 」
KHM 柳田『日本昔話名彙』 二 猫と鼠の共暮らし 猫と鼠 一八 藁と炭とそら豆 炭とわらしべと豆 二一 灰かぶり 継子の椎拾い、米福粟福、紅皿欠 皿、姥皮、灰坊太郎 二八 歌う骨 歌い骸骨 三一 手なし娘 手無し娘 三七 親指小僧 一寸法師 六五 千匹皮 (姥皮) 七八 年取ったおじいさんと孫 姥捨山 八七 貧乏人と金持ち 大歳の客、大歳の火、弘法機、打 出小槌 八八 歌って跳ねるヒバリ 田螺長者、蛙婿入、蛞蝓婿 九八 物知り博士 見透かしの六兵、功名の鼻利き 一〇八 ハンスはりねずみ (田螺長者) 一一八 三人の軍医 どうもこうも 一三四 六人の家来 力太郎 一三五 白い花嫁と黒い花嫁 継子の椎拾い、(皿々山、絵姿女 房) 一四三 旅に出る 愚か婿、ぐづの話、茶栗柿 一四四 小さなロバ (田螺長者) 一五一 三人の怠け者 無精競べ 一五八 のらくら者の国の話 うそ話 一七一 ミソサザイ ミソサザイは鳥の王 一八六 本当の花嫁 (皿々山) 一八七 兎とハリネズミ 虱と蚤、動物競争 一九二 泥棒の名人 弟出世、俵薬師 資料 1 柳田國男による書き込みのある KHM の類話と『日本昔話名彙』の対応表
柳 田 国 男 研 究 会 編『 柳 田 国 男・ ジ ュ ネ ー ブ 以 後 』 三 一 書 房、 一 九 九 六 年。 川 田 稔『 柳 田 国 男 の 思 想 史 的 研 究 』 未 来 社、 一 九 九 四 年。 ロ ナ ル ド・ モ ー ス『 近 代 化 へ の 挑 戦 柳 田 国 男 の 遺 産 』 岡 田 陽 一・ 山 野 博 史 訳、 日 本 放 送 出 版 協会、一九七七年。 【フランスの民俗学および口承文芸研究との関連】 ジ ュ デ オ ン・ ユ エ『 民 間 説 話 論 』 関 敬 吾 監 修、 石 川 登 志 夫 訳、 同 朋 舎 出 版、 一 九 八 一 年。 高 木 昌 史 編『 柳 田 國 男 と ヨ ー ロ ッ パ 口 承 文 芸 の 東 西 』 三 交 社、 二 〇 〇 六 年。 田 中 藤 司「 柳 田 文 庫 所 蔵 読 了 自 記 洋 書 目 録・ 略 年 表 」『 民 俗 学 研 究 所 紀 要 』 第 二 二 集・ 別 冊、 成 城 大 学、 一 九 九 八 年。 川 田 稔『 柳 田 国 男 ― 「 固 有 信 仰 」 の 世 界 』 未 来 社、 一 九 九 二 年。 岡 谷 公 二「 柳 田 国 男 と ア ナ ト ー ル・ フ ラ ン ス」 『日本民俗学』一四一号、一九八二年、一 ― 一二頁。 【グリム関係】 岩 本 由 輝「 補 訂・ 柳 田 國 男 の 紀 行 文 芸 を め ぐ っ て ― 『 グ リ ム の 昔 話 』 に お け る 書 き 換 え の 問 題 を 含 め て ― ( 上 ) ( 下 )」 『 柳 田 國 男「 遠 野 物 語 」 作 品 論 集 成( 三 )』 石 内 徹 編、 大 空 社、 一 九 九 六 年。 高 木 昌 史 編『 柳 田 國 男 と ヨ ー ロ ッ パ 口 承 文 芸 の 東 西 』 三 交 社、 二 〇 〇 六 年。 高 木 昌 史「 柳 田 國 男 と グ リ ム 学 ― 『 遠 野 物 語 』 の 位 置 」『 現 代 思 想 柳 田 國 男 「 遠 野 物 語 」 以 前 / 以 後 』 二 〇 一 二 年、 二 一五 ― 二三一頁。 【ハイネ関係】 林 正 子「 柳 田 國 男 の ハ イ ネ 受 容 に よ る〈 民 族 〉 の 発 見: 〈 民 族 精 神 〉 の 高 揚 と〈 民 俗 学 〉 隆 盛 の 連 環 を 考 究 す る た め に 」『 岐 阜 大 学 国 語 国 文 学 』 三 六 号、 二 〇 一 〇 年、 一 九 ― 三 五 頁。 ル ー ト ウ ム・ ペ ー タ ー( Lutum Peter )「 柳 田 国 男 の〈 一 国 民 俗 学 〉 誕 生 に 関 す る 一 考 察 ― ハ イ ン リ ッ ヒ・ ハ イ ネ 著『 流 謫 の 神 々』 の 思 想 的 な 影 響 ― 」。 『 民 俗 学 研 究 所 紀 要 』 二 七 号、 二 〇 〇 三 年。 一 〇 五 ― 一 二 四 頁。 ハ イ ネ と 柳 田 と の 関 係 に 関 す る 参 考 文 献 は 右 の ル ー ト ウ ム・ペーターの論文一二三 ― 一二四頁に詳しい。 右 の 文 献 以 外 に も、 ス イ ス を 中 心 と し た 滞 欧 中 の 柳 田 の 足 跡 な ど を 詳 し く 研 究 し、 ヨ ー ロ ッ パ で の 体 験 が 柳 田 の 一 国 民 俗 学 の 形 成 に 多 大 な 影 響 を 及 ぼ し た と す る 以 下 の 研 究 も 参 照 し た。 岡 村 民 夫『 柳 田 国 男 の ス イ ス ― 渡 欧 体 験と一国民俗学』森話社、二〇一三年。 ( 2) 『 民 俗 学 研 究 所 紀 要 』 第 二 二 集・ 別 冊、 成 城 大 学、 一 九 九 八 年 の 伊 藤 幹 治 氏 に よ る ま え が き、 お よ び 長 谷 川 邦 男 「 柳 田 国 男 と イ ギ リ ス 民 俗 学 の 系 譜 Ⅰ 」 柳 田 国 男 研 究 会 編 『 柳 田 国 男・ ジ ュ ネ ー ブ 以 後 』 三 一 書 房、 一 九 九 六 年、 五 一頁等を参照。 ( 3) 柳 田 國 男『 定 本 柳 田 國 男 集 』 別 巻 第 五、 筑 摩 書 房、 一 九 八 三 年、 六 三 四 ― 六 三 五 頁。 以 下、 『 定 本 柳 田 國 男 集 』 は 「定本」と略記する。
( 4) 『 グ リ ム の 御 伽 話 細 註 』 と は、 ボ ル テ / ポ リ フ カ に よ る グ リ ム 兄 弟 の『 子 供 と 家 庭 の 童 話 集 』 の 注 釈 書 の こ と で、 柳 田 文 庫 に は 以 下 の 五 冊 が 収 め ら れ て い る。 Grimm, Jacob und W
ilhelm. Anmerkungen; zu den Kinder- und
Hausmär
chen der Br
üder Grimm. Neu bearb. von Johannes
Bolte und Geor
ge Polívka. Leipzig, Dieterich'sche
( Bd.1 1913, Bd.2 1915, Bd.3 1918, Bd.4 1930, Bd.5 1932 ). 出版年 か ら、 柳 田 が 滞 欧 中 に 日 本 に 送 っ た の は 一 巻 か ら 三 巻 で、 四巻、五巻は帰国後に購入したと考えられる。 ( 5) 成 城 大 学 民 俗 学 研 究 所 に よ る と 収 録 冊 数 は 以 下 の 通 り で あ る。 ① 単 行 本 … 和 漢 書 一 万 五 〇 四 二 冊、 洋 書 一 四 三 四 冊 ② 逐 次 刊 行 物 … 和 雑 誌 一 三 七 九 タ イ ト ル( 約 一 万 八 一 〇 〇 冊 )、 洋 雑 誌 八 一 タ イ ト ル( 約 九 〇 〇 冊 ) ③ そ の 他 の 図 書 資 料 … 別 刷 そ の 他 七 三 八 冊。 成 城 大 学 民 俗 学 研 究 所 編『 増 補 改 訂 柳 田 文 庫 蔵 書 目 録 』、 成 城 大 学 民 俗 学 研 究 所、二〇〇三年。 ( 6) 高 木 昌 史 氏 お よ び 田 中 藤 司 氏 の 研 究 に 関 し て は 注( 1) を 参 照。 高 橋 治「 柳 田 国 男 の 洋 書 体 験 一 九 〇 〇 ― 一 九 三 〇 ― 柳 田 國 男 所 蔵 洋 書 調 査 報 告 ― 」『 柳 田 国 男・ 民 俗 の 記 述 』 柳 田 国 男 研 究 会 編、 岩 田 書 院、 二 〇 〇 〇 年、 二 〇 五 ― 二 五 五 頁。 そ の 他、 ロ ナ ル ド・ A・ モ ー ス は 柳 田 文 庫 に 所 蔵 さ れ て い る G・ L・ ゴ ム の『 歴 史 科 学 と し て の 民俗学』 Folklore as an Historial Science への書き込み箇所 を 一 部 再 録 し て い る。 注( 1) 二 六 二 ― 二 六 六 頁 を 参 照。 ル ー ト ウ ム・ ペ ー タ ー は 注( 1) で 挙 げ た 論 文 に お い て、 柳 田 文 庫 所 蔵 の ハ イ ネ の “ Deutschland. Ein W inter mär chen ” や “ Atta T roll ” に み ら れ る 柳 田 の 書 き 込みについて二、三言及している。 ( 1) 現 在、 レ ク ラ ム 文 庫 か ら 刊 行 さ れ て い る KHM は 第 一 巻 に 一 番 か ら 八 六 番、 第 二 巻 に 八 七 番 か ら 二 〇 〇 番、 お よ び 子 供 の 聖 者 伝 と 決 定 版 に は 収 録 さ れ な か っ た 話( 補 遺 ) が収録されており、第三巻は注釈編となっている。 ( 8) 第 三 巻 の 注 釈 編 は 一 九 〇 八 年、 一 九 一 八 年、 一 九 三 〇 年 にもレクラム文庫より再版されている。 ( 9) 注 6、高橋治、二一六頁。 ( 10) 注 3、六二四頁。 ( 11) KHM の訳出にあたっては、 以下の邦訳書を参考にした。 『 完 訳 グ リ ム 童 話 集 』 一 ― 五 巻、 金 田 鬼 一 訳、 岩 波 文 庫、 一九七九年。 ( 12) 柳 田 國 男「 昔 話 採 集 者 の 為 に 」( 『 昔 話 覚 書 』 所 収 ) 定 本・ 第 六 巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 三 年、 三 四 一 ― 三 六 六 頁。 初出は一九三一年四月「旅と伝説」四巻四号。 ( 13) 柳 田 國 男「 昔 話 と 伝 説 と 神 話 」( 『 口 承 文 藝 史 考 』 所 収 ) 定 本・ 第 六 巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 二 年、 五 八 ― 一 二 七 頁。 初 出 は 一 九 三 五 年 五 月 ― 一 九 三 六 年 四 月「 昔 話 研 究 」 一 号 ― 十二号。
( 14) 注 13、六〇 ― 六一頁。 ( 15) 注 13、六二頁。 ( 16) 柳 田 國 男「 昔 話 の 発 端 と 結 び 」( 『 昔 話 覚 書 』 所 収 ) 定 本・ 第 六 巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 二 年、 三 六 七 ― 三 九 〇 頁。 初出は一九四二年三月(初版本文末) 。 ( 11) 注 16、三六五頁。 ( 18) 柳 田 國 男「 一 寸 法 師 譚 」( 『 物 語 と 語 り 物 』 所 収 ) 定 本・ 第 七 巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 〇 年、 五 ― 一 九 頁。 初 出 は 一 九二八年五月「民族」三巻四号。 ( 19) 柳 田 國 男「 桃 太 郎 根 原 記 」 定 本・ 第 三 〇 巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 三 年、 一 四 八 ― 一 五 七 頁。 初 出 は 一 九 三 〇 年 五 月 「文学時代」二巻五号。 ( 20) 注 19、 一 四 八 ― 一 四 九 頁。 そ の 他、 「 灰 か ぶ り 」 や「 千 匹 皮 」 と 関 係 の 深 い 類 話「 姥 皮 」 に 関 す る 柳 田 の 論 考 は 以下を参照。柳田國男「姥皮と蛙報恩」 、「昔話の継合せ」 、 「 鷲 の 卵 と 桃 の 酒 」( 『 童 話 小 考 』 所 収 ) 定 本・ 第 八 巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 〇 年、 四 六 五 ― 四 七 二 頁。 初 出 は 一 九 三 六年二月 ― 四月「昔話研究」 。 ( 21) 柳田國男 「親棄山」 (『村と学童』 所収) 定本・第二一巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 三 年、 二 九 四 ― 三 〇 五 頁。 初 出 は 一 九 四五年二月 ― 三月、 「少女の友」三八巻二号 ― 三号。 ( 22) 柳田國男 「天の南瓜」 (『昔話覚書』 所収) 定本・第六巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 二 年、 四 二 〇 ― 四 三 一 頁。 初 出 は 一 九 四一年四月、六月「文藝世紀」三巻、四号、六号。 ( 23) 柳 田 國 男「 俵 薬 師 」( 『 昔 話 覚 書 』 所 収 ) 定 本・ 第 六 巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 二 年、 四 三 二 ― 四 三 六 頁。 初 出 は 一 九 三九年四月「博浪沙」四巻四号。 ( 24) 柳 田 國 男「 は て 無 し 話 」( 『 昔 話 と 文 学 』 所 収 ) 定 本・ 第 六 巻、 筑 摩 書 房、 一 九 八 二 年、 三 〇 八 ― 三 一 三 頁。 初 出 は一九二九年十二月「遊牧記」一号。