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闘峠翌善光寺信仰資料考・附解題

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(1)

的に研究する者はそれほど多くはなく未紹介の資料も 持たず︑また地方にあるためか︑現在善光寺信仰を学術いほど学界に知られておらず︑また系統立った研究も皆 口に贈炎していた︒しかし︑善光寺は本来特定の宗派を 年間約六百万人もの参詣者があり︑庶民信仰の寺として日本宗教史の中でも特異な位置を占める︒善光寺の縁起は︑すなわち本朝仏法史の淵源を説くものであり︑数十年前までは多くの日本人の常識に属するものとして︑人 ゴルドン文廂には﹃善光寺如来絵伝﹄.

その他明治期以降の関 古来貴賤上下の信仰を広く集めている︒現在においても 信濃善光寺は三国伝来の生身阿弥陀如来を本尊とし

はじめに

している︒まず

善光寺如来像・善光寺如来絵像等十数点が蔵されている︒

また︑特別図書指定の﹃善光寺暑縁起﹄をはじめ写本・

版本の善光寺縁起類が数本あり︑

係資料も含めると数十点が蔵されている︒このように︑

まとまった形で善光寺信仰資料が蔵される公的機関は︑

全国的にも珍しい︒しかし︑この事実は全くといってよ

無という状態である︒私は十年以上に亙って善光寺信 早稲田大学図書館は︑その善光寺信仰資料を多く所蔵 数多く残されているのが現状である︒

闘峠翌善光寺信仰資料考・附解題

吉 原

告 人

1

‑ 9 7 ‑

(2)

以下に紹介する早稲田大学固書館蔵善光寺信仰関係資 附した︒

ゴ ル ド ン 夫 人 蒐 集 資 料 の 意 義

五 年

(‑九一

六 ︶

︑第一次惟界大戦に従軍していた長男戦 講師として迎えられ︑研究・購演活動を行なった︒大正 景教流行中国碑﹄の模造碑を建立︒早稲田大学には名誉 多くの資料を蒐集している︒高野山には︑長安の﹃大秦

括して腕できるように、論文末に略解題と写真を勤しんだ。その間、中固•朝鮮にも数次の渡航を行ない 十点について︑解説と考察を試みる︒また︑以上の資料

︑古

同で

i

/  まずゴルドン文庫所蔵資料の意義について

簡単に述べた後、江戸時代以前の彫刻•絵画・縁起約二ンドンで下田歌子とも出会い明治四十年(‑九〇七︶再

きるようになろう︒

の宗教に魅せられたという

︒明治二

十 四 年

(‑

八九

学図書館所蔵の善光寺信仰資料の全体を見渡すことがで 続けなければならないが

こ れ に よ り あ る 程 度 早 稲 田 大 ク ス フ ォ ー ド 大

学において︑比較宗教学をマックス・ミ ら︑ヴィクトリア女王の女官として仕えた︒さらにオッ 付を受けることができた︒

小稿

は︑

その成果概要の報告

である︒各個の資料については︑今後更に詳細な研究を エドワード・ゴルドンの妻となり︑数人の子を儲けなが ところ︑大学当局よりその意義が認められ︑補助金の交呼ぶ︶︒ゴルドン夫人は 一九九二年度早稲田大学特定課題研究助成費を申請した集にかかるものである︵以下通称に従ってゴルドン夫人と

︶れまで充分な調査を行なっていなかった︒そこでリザベス・アンナ・ゴルドン 光寺関係資料について︑その存在を承知はしていたものれている︒ゴルドン文庫とは︑イングランド生まれのエ

l)  

仰の研究を継続してきたが︑早稲田大学図書館所蔵の善料のうち、彫刻•絵画のすべては、

(2 ) 

ゴルドン文庫に蔵さ

︵一

八五

一I‑

J L 二

五 ︶

の蒐

スコ

ットランドの貴族ジョン・

ューラーに師事し︑同門の高楠順次郎と出会って︑東洋

夫との世界一周旅行の途次初めて来日した︒

その

来日︒持論である仏教・キリスト教根本同一論の研究に

‑ 98‑

(3)

都ホテルにおいて研究執箪生活を送り︑大正十四年にそ

﹁密厳院自覚妙理大姉﹂︒著書には﹃弘法大

師と景教

︵ 高

ならないが︑私の関心からいえば、中国・朝鮮•日本の

仏教美術及び庶民信仰関係資料の宝庫と評価できよう

特に掛幅の絵画類は数多い︒すべてを閲覧するには多く

などの信仰資料が︑時代を切り取った形で残されている から明治において流布していた︑庶民を対象とする絵画

ということである︒当時は︑誰にでも容易に手に入った

ゴ ル ド ン 文 庫 の 価 値 は

︑ 多 方 面 か ら 研 究 さ れ な け れ ば ど 高 い も の で は な

い︒しかしここで

重要なのは

︑江戸

楠順次郎訳︶など多数ある︒

後期及び明治時代のものであり美術史的価値はそれほ もちろんゴルドン文庫の絵画類の殆どは︑江戸時代

野山奥院と朝鮮金剛

長 安 寺 に 分 骨 さ れ 葬 ら れ た

︒ 法 名 す る こ と と し た い

︒ の生涯を終えている︒葬儀は東寺で厳修され︑遠骨は高

きいのであるが

︶れに関しては機を改めて詳しく紹介

るどの系統にも属していない︒その存在意義は非常に大 ルドン夫人は︑その後大正九年頃には︑再々度来日し京

を絵巻仕立にしたもので︑しかも絵相は従来知られてい

漢書一百八十六•仏画及掛図類四百五本・写真及物品

{3二百五十点•石刻の羊一対」にも及ぶものであった。ゴ

ので

ある

︶れは掛幅の﹃熊野観心十界曼荼羅﹄

れているため の大学首脳が列席している︒翌年の﹃早稲田学報﹄第二 六0号に拠れば︑その内容は洋書一千三百十七冊•和

﹃熊

野観

心十界曼荼羅

1

ま ︑

il 

の未紹介の一本の存在である︒

目録においては﹁地獄極楽図沿色/一巻﹂と記さ

これまで誰からも注目されてこなかった

︑ 大 隈 重 信 夫 妻 を は じ め と し

︑ 高 田 早 苗

・ 天 野 為 之 ら 報 告 す べ き も の が 含 ま れ て い る

︒ 中 で も 特 箪 す べ き は

ドン文庫が誕生したのである

︒ゴルドン夫人の送

別会に

見るべきものがあるようであり︑日本の仏画にも学界に は︑その蒐集資料を早稲田大学に寄贈し︑固書館にゴル

が瞥見するところでは︑中国・朝鮮の絵画類にいくつか 死の報が入り︑急遠帰国することになったゴルドン夫人

の時間を要するので︑まだ全貌を櫃むには至っていない

‑ 99

(4)

ゴルドン文庫目録では﹁善光寺如米﹂として四体の彫 期のものなので以下の資料一覧には掲げていないが、夫後現代に至るまで多数の彫刻絵画が制作されている。

とこ

ろで

ゴルドン夫人は実際信濃善光寺にも参詣し

ているらしい︒

とい

うの

も︑

ゴルドン夫人が蒐集した絵

(4 ) 

葉書や一枚刷りの絵画等を綴った貼込帳が︑文庫に残さ

からである︒貼り込まれている内容は︑善光寺如来御姿・

みやげ(金堂•門等の図)・善光寺境内地図の五点であ

る︒前二者

には

ゴルドン夫人英文直箪の︑善光寺縁起

についてのメモが記されている︒これらは

人が現地で実際に購入したものとして︑

を有するものである︒ 明治・大正

それなりに意義 しようじん善光寺の本尊は︑衆生を極楽浄土に導く生身如来とし

知られており︑平安末期には既に拝することがかなわな

を持つ善光寺如来像は︑建久六年︵︱‑九五︶に熱田

の定

尊が勧進造立したと伝えられる甲府

市善光寺本尊で︑以

像が蔵されていることになっているが︑うち一体は前述 全国に造像されることとなったのである︒現在最古の銘 本田善光来に遭遇の図盲僧の開眼奇瑞図•善光寺御くなっていたらしい。そこで、かえって分身仏が盛んに れており︑その中に善光寺関係資料が若干残されているて︑深く尊崇されていた︒しかし絶対の秘仏としても

< 4 / I J  

周亥

であ

ろう

象にはできなかったことを附記しておきたい︒ て残された貰重な資料は今後ますますその価値を増す明のため欠本となっており残念ながら以下の考察の対 ものがある︒ここに蒐集されているのは︑まさにそういった性格のものであり異邦人によって逆にその価値が

認められたものといえよう︒ゴルドン夫人の爛眼によっ 四

二六

︶ ・

﹁善光寺如来版画﹂

︵モ

ニ/

一五

二﹀

・ ﹁

善光寺如来

三国

伝来

之図

色刷

銅版

﹂︵

モ ニ/ 一

五五︶の三点は︑行方不 載されているにもかかわらず︑﹁善光寺如来

Y t 銅

﹂︵ モ

ニ/

ものであっても今となっては入手困難か不可能というなお︑善光寺信仰関係資料で︑ゴルドン文庫目録に収

‑100‑

(5)

寺信仰査科・附解題 の定印︵上品上生印︶である︒従ってこれ 光寺如来像に単独で光背が付けられるこ 像と解されているようである

しかし善

中尊のみで両脇侍を欠いた︑阿弥陀如来 寺如来

とある

善光寺三尊像のうち B.C

の二

体は︑ともに目録に

﹁善 光

いえよう︒ て述べていきた

い ︒

A︵

文末に掲

ける

解題の記号︑以下同

/写真

1)

は ︑ 像高わずか三・六

セン

チの

(5

) 

光寺

式阿弥陀如来像である

ところが︑このAには通常

(6

) 

の 一

光三

尊像に加えて︑台座部

分に月蓋長者

夫 妻 像 が

一 一光

三尊善

を伴うことはない

成されたのであろう

なお

れは︑

個人の念持仏として︑御守り袋などに入れられ︑

常時携帯されたからであろう

この種の小像は︑多数造

立されたと思われ︑

Aは

︑ 恐らく絵画の表現をもとに作 ゴルドン文庫にも数点蔵されている

このような善光

光寺

信仰史上極めて貴重な存在と

l l

とはない︒

印相も善光寺式三尊中尊の特 徴である刀剣・施無為印ではなく阿弥陀

真写 寺

如来像の現存例は他に報告されておら しかし

見の限りでは

体となっ

て彫刻されている

絵 画

の場合は

この月蓋

長 ︶の像は磨耗が著しい︒こ の通り

行方不明であるので︑以下は現存する

三体につい

者夫妻像が描かれる場合が

いが︑彫像においては

両像

‑101‑

(6)

光寺本尊が絵画

化された現存最古の例は︑﹃

覚禅抄

﹁ 阿 らないため︑中世以降数多く作成されたと思われる︒善

絵画の善光寺本尊の模造は彫刻ほど造像費用がかか

四 絵 画

らは︑善光寺如来像ではなく

すべきである

阿弥陀如来単独の立像と

(写真2)

﹃善光寺如来絵伝

第三幅に大きく描かれる︑鎌倉時代

(7

のものである︒ここで注意すべきは既に根津美術館本

にお

いて

月蓋長者夫妻像が描かれているということで

ある︒

三尊像単独で描かれた遺例は︑室町初期までしか

潮れ

ない

が︑

それ以前においても盛んに作成されたので あろう

特に︑個人でも容易に入手可能な版画は︑大量

弥陀法下﹂に描かれたものであり︑次いで根津美術館蔵

‑102

― 

(7)

普光寺信仰査料考・附解題 で頒布されたのである︒

‑ 8)  

掛幅の﹃善光寺如来絵伝﹄は︑信濃善光寺縁起の絵解

き唱導のため︑鎌倉時代以来多数作成されたと思われる

が︑現存するのは数十点である︒私は﹃善光寺如来絵伝﹄ ういったいわゆる新善光寺本尊の模造も︑信濃同様各地

VI 

示︒ 熱病流行のため︑物部遠許志は如来の破壊を指 に参内︒

> 如 来 は

︑ 欽 明 天

皇十三年百済の勅使二人ととも 水し如来の霊力により西方極楽に往生︒ れ甲府善光寺•口善光で発行されたものである

I V 推明王の時︑仏勅により日本に出港︒后達は入 で︑特にDは丁寧な仕上である︒

また

G

.H

はそれぞ

III 

一光三

尊如

百済

・聖 明

の許

に示

現︒

いずれも版本または印本であり︑肉箪のものは含ま

れない︒このうちD.Eは︑版本に肉箪で彩色したもの時に光明を放つと新仏︵善光寺

如来

︶ が出現︒

II闇浮檀金を机上いて、釈迦弥陀二諄が同 ゴルドン文庫の善光寺如来画像は合計八点が現存する

 

こ青' し

n "

持ち帰る︒ に印刷され大小様々な種類が存在する︒

目 連尊者は、竜宮第一の宝物・闇浮檀金を竜王

VI 

VIl  IV 

VlI[ 

II 

↓ 

(図1)

らXの

番号を附し︵固1

以下にその梗概を示す︒ に上に進み︑左側は上から下に進む︒

いま

絵相

に︑

Iか 相当しよう︒Lは全十図からなり︑向かって右下から順 ここに新たな作例を見出すことができたのは喜ばしい︒

これは︑もと三幅からなっていたと思われ︑その中幅に は学界未紹介の絵伝である︒残念ながら完本ではないが の全国調査を十数年前から行なっているがL

︵写 真

2)

‑103

― 

(8)

,‑. 

^    . .

¥̲̲̲ 

. ‑ )  

は元禄五年版に存在しない絵なのである︒この V I

から

I X である︒実は︑

V I

︵写

4 )

V i

l

︵写

真5

)の絵伝の絵相の解釈で多少問題となるのは こ

の絵

相は

︑ V I V

I I 以外は元禄五年版本縁起(P・

(9 ) 

Q.R)の挿絵を粉本としたものである︒これは例

えば

I V の場面︵写真3/図2︶の対照によって明

たる場面である︒

い図は︑縁起全体の流れから︑物部遠許志の悪行を

描いたものであることがわかる︒

けを指示している髭の人物は︑ ほ V I において火つ 真

V I I

で水をかけられ らかであろう︒善光寺縁起のちょうど中間部にあ

七日七夜打たせ続けたが︑全く損傷せず︒

守屋は︑如米を難波の堀江に投榔゜ を上奏︒如来を七日七夜鋳続け︑同じく

IX 

遠許志の息子守屋は父同様如来の排除 皿如来は︑再び内裏に奉請される︒ もだえこがれ︑無間地獄に堕ちる︒

V i l

鬼神現れ︑遠許志は熱病のため七日七夜

‑104‑

(9)

普光寺信仰貧料考・附解題

の同様の場面に読み換えられている︒ここに描かれるの 破壊しようとする場面なのであるが

いているN

は ︑

Mほど遺例が多くない︒同様のものは

) れ は 息 子 の 守 屋 も

一般に流布したもので︑異版も数多くある︒

後半を欠

まった︒

I X の図も︑元禄五年版では物部遠許志が如米をゴルドン文庫には︑刷物の絵伝が二種あるMは︑最︒ ここに遠許志を描いたことによて︑元禄五年版で本来っ

は蘇我稲目が私邸に如来像を移した図であるはずの珊が

内裏に再度奉遷された固として機能することになっ

てし

Jれなどは明らかに大勢を前にした絵解きの ている人物と同一で︑これが遠許志である︒ところが中には肉箪の掛幅絵伝にも劣らない大画面の一枚刷り絵 い図の挿入は︑本絵伝作者の創作にかかるものか︑あるいは粉本があるのかは︑今後の他の絵伝も含

本のものも大量に作成され流布している︒これは︑

伝も

あり

ために作成されたものと思われる︒以上については︑

(1 0

って架蔵本を中心に報告したことがある︒

﹃ 善

光寺如来絵伝﹄には︑江戸時代後期から︑版

があ

ったことを知り得る︑貴重な資料である︒ はなく語りの必要に応じて増補されていく過程 も︑絵伝制作の場で単純に版本を模写するだけで めた検討を侯たなければならない︒いずれにして あることから明らかである︒こういった版本にな が守屋であることは︑Xに描かれる人物と同一で

‑105‑

(10)

︵写 真 4)

︵写

5

‑106一

(11)

S

は ︑

﹁善光寺縁起﹂

として目録に収載され︑﹃国書総存在意義を有しているのである︒

(P.Q•R)﹃善光寺本地﹄の一本として︑新たに紹介すべき大きな

れる

Sは︑単なる版本の写しではなく︑遺例の少ない 善光寺縁起として最も流布したものである︒この後刷としては、文政元年版

化三年版•安政六年版があり、

い ず れ も 早 稲 田 大 学 図 書 館 に 一 本 ず つ 蔵 さ れ て い る

れている︒奈良絵本のような豪華な極彩色のものではな 光寺縁起﹄は︑当時のベストセラーとして︑江戸時代のには全部で十九図あり︑四場面多く︑しかも彩色が施さ

れている︒この本文を検討すると︑元禄五年版﹃善光寺

(1 1

縁起﹄五巻の抜書であることがわかる︒元禄五年版の﹃善︶の万治二年版には十五図の挿絵がある︒しかしS 版の本文とほほ一致する︒

まず

﹁善光寺署縁起﹂

と内題のある嘉永三年(

‑八

五 O)

写本0は︑特別図書に指定されている︒墨付十四丁の小

型本

で︑

天竺百済本朝にわたる善光寺の縁起が記さ と記されたことから︑書名の細師が生じたのであろう︒

その

の本

文は

細かな表記の違いはあるが︑万治二年

いが︑江戸中期に専門の画工によって制作されたと見ら そのため︑近代に改装された時

題簑に﹁善光寺縁起全

﹂ 集のものではなく

一般

書の宗教の部に分類されている︒うじほんじおはり﹂とあるものがすべて省かれている︒ 五部蔵されている︒これらはいずれもゴルドン夫人蒐んくはうじほんじ上︵中下︶﹂と︑下巻尾題の﹁ぜんくは 早稲田大学図書館には︑江戸以前の善光寺縁起類が計あるのに対し︑S

は一

巻一

冊で︑版本各巻冒頭の内題﹁ぜ

先の報告時には架蔵していなかったが︑近年古書律にお

いて

二枚揃いの彩色が施されたものを入手した︒

善光寺縁起

れている︒しかし︑この本文を検討すると︑万治二年︵一

( 1 2 )  

お伽草子﹃善光寺本地﹄とほぼ同文である

六五

九︶

の ︑

ことが明らかである︒ただし︑万治二年版は三巻三冊で 目録﹄にも﹁善光寺縁起四

巻︵

中略︶

早大

︵一

冊︶﹂

とさ

‑107 ‑

(12)

いのかもしれない︒というのは︑万治二年版を書写した 以上四図が版本にない挿絵である︒ここで︑なぜこの

場面が加えられたのかという疑問が生ずるが︑版本との

直接関係ではなく︑介在する粉本の存在を考えた方がよ

図は

万治二年版本挿絵と比較すると場面が入れ替わっ

た形になっている︒すなわち版本第十一図は︑S第十四

図に相当する箇所にあるのだが︑ここの図はS第十六図 ところで、④S第十四図と、それに続く第十五•十六 の因縁を語る︒の絵相の伝播の系譜も詳細に検討する必要がある︒

写真

9)

如来が難波の浦に出現し︑本田善光に前世 ④S第十四図︵五0ウ/版本第十固と第十一閲の間/この絵巻の絵相とSを比較すると︑直接関係は認められ

ないが︑親縁関係のありそうな部分も存し︑今後本地物

るが

波間に漂い漁師の網に引き上げられる︒の絵巻として︑鎌倉市英勝寺蔵五巻本が知られている︒ 8 如来は物部守屋のために難波の沖に捨て

ら れ る

︒ な お

別系統の﹃善光寺如来本地﹄には︑現存唯 ③S第九図︵三

四ウ

/版本第六図と第七図の間/写真 上人も庖従︒から︑版本を直接書写

し た も の で は な く こ う い

った写 7 はしのく王︑月蓋長者の許に行幸し︑公卿・殿 ②S第六図︵ニ︱ゥ/版本第四図と第五図の間/写真 Sの万治二年版本にはない場面を︑以下順に指摘し

①S第二図︵五ウ/版本第一図と第二図の間/写真

6)

父の病を訴える︒ 釈迦如来である金色の登が国王の夢に現れ︑盲目の ておきたい︒である︒該本は現在所在未詳であるが︑﹃室町時代物語集﹄

( 13 )  

第四の解題に

拠れば︑上・中巻に相

当する部分の零本

で︑挿絵は全部で十三図あるという︒

これ

は︑

Sの中巻

れた証左となるものである︒ までの数と全く同じであり︑同様の写本が他にも作成さ

Sは︑万治二年版本に比べ

挿絵

も多

く︑

わずかな部分ではあるが本文が異なること

本をもとに作られた可能性が高いのではないかと思われ も

のと

して

他に旧赤木文庫蔵本が報告されているから

‑108‑

(13)

(写真6)

.•. T‑-—-ーニ::ニニ—―-

L.... 

― ‑ ・ ・ ・ ‑ ‑

‑109

― 

(14)

れを正しい形に直し︑

かつ一場面を加えているのである

︒ 絵の順序が錯綜してしまっているのだが︑Sにおいてそ る場面が配置される︒

つまり︑版本では物語の展開と挿遷った形となっている︒ところが︑万治二年版本では

難波の堀江に出現し善光の背に飛び遷る/写真

1 0 )

に相当す

いずれも一光三尊仏がそのまま本田善光の背に飛び れている︒そして版本第十二図では︑S第十五図︵如来が

描かれている︒この場面は︑中世の各絵伝にも描かれる

︵本

田善

光が

草堂

に如来を祀る︶と同一

構図のものが描か

顕著であり︑S

第十五図ではそれがより強調される形で

両者に共通する場面の構図は︑基本的には殆ど

S

は屋根や舟を書き加えたり︑植

①くなど︑生身の如来を強調する方向が認められる︒

真そもそも万治二年版﹃善光寺本地﹄は︑善光寺仏

⑮ 

を生身如来として︑生けるがごとく描く最初の例

( 14 )  

なのである︒これは︑前述版本の第十二凶に最も

阿弥陀如来が生けるがごとくに抱きついており︑観音・

勢至の二菩薩像は描かれてはいない︒このことは︑善光

書き加えることである︒また如来も大きめに描 なのは︑人物を版本より一人から最大七人も多く なぎこちなさは︑かなり解消されている︒特徴的 的に柔らかく描かれており︑万治二年版本の稚拙 Sの絵相は全般物の位置を変えるなどしている︒ 同じであるが ︶

れは

Sが版本の誤りを正したものといえよう︒

‑llO

― 

(15)

折しも

仰森料

一九九三年十一月︑﹁善光寺如来の仏徳を宣楊

現在まで︑共編著・論文・翻刻などの形で二十数点を発 分にあるものと信ずる次第である︒ な遺産を︑今回あらためてまとめて報告する意義は︑充

註(

である︒江戸時代の庶民の篤い信仰を彩方梶とさせる重要 寺信

仰研究の文脈の中で紹介されたことはなか

ったもの 部の関係者には知られていたものであるが︑

かつて善光 貴重な存在といってよい︒これらの資料は︑もちろん

﹃善光寺本地﹄

の写本も︑類例が数えるほどしかなく 光寺如来絵伝

を見出すことができた︒また︑お伽草子

大書するほどのものがあるわけではない︒しかし︑中に

はこれまで報告されていない︑善光寺如来の小像や

﹃ 善

︹附

記︺

小稿

は︑

一九

二年度早稲田大学特定課題研究助

成費の研究成果の一部である︒調査に際してお世話にな

った早稲田大学図書館特別資料室ならびに静嘉堂文庫

各位に︑あらためて御礼申し上げたい︒また︑一九九三年

十一月三十日︑早稲田大学文学部における第七十一回絵

解き研究会例会において︑﹁早稲田大学図書館蔵善光寺信仰資料についてー付•新出熊野観心十界絵巻のことー」と

題し発表した︒席上御示教賜った各位に︑衷心より感謝申

し上

げる

信仰資料には美

術史あるいは

宗教史・文学史上

︑特 箪 く た め の 一

助となるならば

幸いである︒

以上概観したごとく︑早稲田大学図書館所蔵の善光寺

かつ善光寺信仰の奥深さを多くの方々に理解していただ

ー 』

むすび

資料を蒐集した先人の業績と労苦を顕彰することになり

な問題を乃子んでいるが

( 1 5 )  

とがあり︑)こでは繰り返さない︒

それについてはかつて論じたこ 寺本尊に対する生身のイメージの変遷を考える上で重要

し︑仏

教興隆を図り︑もって世界平和に寄与することを

全国善光寺会が発足した︒これ

目的とする﹂と謳った

によ

り︑

謎の多い善光寺信仰にいっそう研究の光が当て

( 16 )  

られることになろう︒小稿がいささかなりとも︑貴重な

‑111‑

(16)

表している。『真宗重宝衆英第三巻「阿弥陀仏絵像阿弥陀

仏木像・善光寺如来絵伝﹂︵同朋舎一九八九・ニ︶︑﹁善光寺

信仰と文芸l﹃もろかど物語﹄に語られた縁起と聖地│'﹂︵﹃国

文学解釈と鑑買﹄第五八巻三号一九九三・三︶︑﹁善光寺如

来絵伝の絵解き

﹂ ︵

改訂再録︶︵﹃

絵 解 き 万 華 錢 聖 と 俗 の イ マ

ジネーション』三一書房一九九三•五)等を参照された

︑ ︒

(2

)

以下︑ゴルドン文庫ならびにゴルドン夫人については︑

﹁ゴルドン夫人の寄贈﹂︵﹃早稲田学報﹄

第 二 六 三 号 一 九 一 七 ・ 一︶︑﹁館蔵特殊コレクション摘報4ゴルドン文庫﹂︵﹃早 稲 田 大 学 図 書 館 報 ふ み く ら

油 一

0一九八七・ニ︶︑中村

悦子

﹁ E.A・ゴルドン夫人の生涯﹂︵﹃早稲田大学図書館紀要﹄第三0号一九八九・三︶などの記述に拠る︒ゴルドン文庫の

目録

は︑

﹃嘔呼畔和漢図書分類目録︵三︶

﹄︵

一 九四O・三︶に

収載されている︒

( 3 )

現在固書館登録の収蔵数は︑註

(2

) ﹃

ふみ

くら

﹄に拠

れば︑和漢書扱五百十九点・洋書一千二百七十九部一千四百

八十五冊と数えられている︒

(4)請求記号モ四/五ニ―。ダンポール表紙。三一Ox

OC

( 5 )

刀剣・施無為印の阿弥陀如来を中尊に︑梵徳印の観音・

勢至菩薩がそれぞれ臼の上に乗り︑舟型光背には七仏と雲焔 を配する︒通常の阿弥陀三尊の形式とは全く異なり︑もとは釈迦三尊ではなかったかという論もあるが︑阿弥陀三尊像として長く受容されてきたものである︒(6)

従来通行の説に従ってこう記したが︑近年信濃善光寺

においては︑月蓋長者・如是姫像として解説している︒この像

は﹃善光寺縁起集註﹄巻五には︑﹁善光夫妻影像︒裾二宝座両

脇︱焉︒﹂と説明されるなど︑解釈に諸説あったようである︒

この本田善光夫妻説は︑像の服装からいって成立し得ないが︑

向かって左側の女性が月蓋長者夫人か︑その娘如是姫なのか

を判断するのは難しい︒なお︑単独で彫刻された月蓋長者夫妻

像は︑現在甲府市善光寺蔵のものしか報告されていない︒

(7

) 山 本 泰 一

﹁ 善 光 寺 縁 起 絵 と 善 光 寺 如 来 画 像 根 津 美 術 館 善 光 寺 縁 起 絵 に 描 か れ た 如 来 画 像 を め ぐ っ て

﹃金

鱗叢書﹄第三輯一九七六・三︶︒なお︑前註の﹃善光寺縁起 集註﹄の指摘もこの論文に拠

った

(8

) 註(l)﹃真宗重宝衆英﹄第三巻﹁総説﹂など一連の拙稿

参照

(9

)

Lと同様の元禄五年版本系統の絵伝としては︑愛知県

西尾市安楽寺・滋賀県大津市等正寺・山梨県甲府市善光寺など

に蔵されるものがある︒

( 1 0 )

拙稿﹁刷物の﹃善光寺如来絵伝﹄

七 種 紹 介 と 翻 刻

|」(絵解き研究第七号一九八九六)。

‑112

(17)

( 1 1 ) これを活字翻刻し註を附したものに︑小林一郎﹃善光寺如来縁起元禄五年版(銀河書房一九八五•)がある

( 1 2 )

お伽草

子と

して知られるものには︑他に

﹃ 善

光寺如来本

地﹄

と題する本文系統の異なったものがある︒また︑万治二年 版には︑同年の刊記を持

つ後

印本

と︑

享保三年(‑七

一八

︶後

印本

があ

り︑

上・

巻相当部分のみの零本写本も知られている

︵﹃室町時代物語集

﹄第

四 ︑

﹃室町時代物語大成﹄第八・補迫二

各解題︶︒しかし︑伝本が極めて少なく享保三年版は静嘉堂 文庫に所蔵されるが︑他の三本はいずれも旧赤木文庫蔵本で あり︑現時点で私はその所在を掴んでいない︒従って以下の比 較検討は︑﹃室町時代物語大成﹄第八所載万治二年旧赤木文庫 本翻刻本文と︑静嘉堂文廊蔵享保三年刊本を併せ参照したも

のに

拠る

︒ ( 1 3 )

横山重・

太田武夫

﹃室町時代物語集﹄第四︵大岡山書店 九四0九)

( 1 4 ) これについてはかつて︑拙稿﹁﹃善光寺如来絵伝﹄党え書ー—絵相並びに絵解き研究の課題」(伝承文学研究』第

九 号 一 九 八

三・八︶︑同﹁安暴川町太子堂蔵

﹃ 善

光寺如来

絵伝﹄考続群書類従本﹃善光寺縁起﹄と絵相との対照を中

心に

I

﹂ (

﹃研究年誌

﹄第

0

号 早 稲田大学高等学

院 一 九 八六・三︶などで指摘した︒前者では︑Sについても簡単に紹

介している︒

( 1 5 ) 善光寺本諄に対する生身信仰については

︑拙

稿﹁

普光寺

本雌と生身信

仰 ﹂

︵﹃

仏 像 を 旅 す る 中 央 線

﹄ 至 文 堂 一 九 九 0六)を参照されたい

( 1 6 )

これに併せて︑信州善光寺事務局では︑全国五百箇所以

上に及ぶ善光寺に関係する寺社へのアンケ

ート調査を実施し

た︒二百余寺社からの回答結果をまとめた﹃平成五年度全国

善光寺第一次調査報告書﹄︵信州

善 光 寺 事 務 局 一

九九三・一

‑︶が発刊されたが︑これは今後の善光寺信仰研究の道標とな

ろう

‑113

― 

(18)

︵両泣 12) ︵刺泣11)

-114

(19)

︵吋涵15) ︵両涎14)

‑115‑

(20)

・.!::' 

(写真18)

│ 

9 1 1

`.9

(写真17)

寺 光 善 州 甲.a 

(写真16)

(21)

L II

(写真20) (写真19)

(22)

‑118

― 

(23)

611 │ 

︵斜萬帥︶

こ十毎己米甜環璃掛涙,,臼

琴蒻這料・圭淀苺

(24)

早稲田大学図書館蔵善光寺信仰資料解題

一︑早稲田大学図書館所蔵の善光寺信仰関係資料のうち︑彫刻•絵画・縁起について、略解題を附す

一︑ 各

資料

には

便宜

A

から

Sまでの記号を附し整理した︒

一︑ 各項 目は︑まず資料名を

ゴチ

ック体で示した︒この資料名

は︑呼称の統一を図るため早稲田大学図書館分類目録に おける表題ではなく︑

一般に通行しているもので示した︒

一 ︑

資料名の後の丸囲み数字は︑以下の内容を表す

①早稲田大学図書館分題目録の表題︒②請求記号︒③形

状・材質︒④員数︒⑤法露︒⑥年代︒⑦解説︒

一︑収載資料は︑江戸時代以前のものに限ったが︑ゴルドン文

庫衰料については︑一部明治時代のものも含まれる︒

一 ︑

本来解題に記すべき事項であっても︑前掲本文において 論じた問題については省略した場合もあり︑また一部重 複した記述もある点御寛恕いただきたい

︒ A阿弥陀三掠立像

︵写

1)

① 善 光 寺 如 来 t i t 銅

モニ/

③ 銅 造

一体

⑤ 像 高三•六[/⑥江戸時代⑦一光三尊善光寺如来像。刀

剣・施無為印の阿弥陀如来を中尊に︑梵痰印の観音・勢

至菩薩がそれぞれ臼の上に乗る︒光背には七仏と

雲焔

の︑

一光三尊形式︒台座下方には︑月蓋長者

・如

是姫の供養

像もあるが︑これは彫像としては非常に珍しい︒

B阿弥陀如来立像

︵写

真 1 1 )

①善光寺如来匹翡E

② モ ニ

/ 一

③ 銅 造

④ 一 体

⑤ 像 高

二四ニ︱[

江戸

時 代

⑦ 目 録 に

﹁ 善 光 寺 如 来

とあり︑善光寺三尊像のうちの中尊阿弥陀如来像と解さ Y t

れている︒しかし善光寺如来像は︑単独で光背が付けら

れることはない︒

印相も

善光寺式三尊中尊の特徴である

刀剣・施無為印ではなく上品上生印であるので︑阿弥陀

‑120

(25)

哀料考解題

絵 画

c

阿弥陀如来立像

︵写

真 1 2 )

①善光寺如来

モニ/九

③ 銅 造

④ 一

体⑤像高

ーニ

・二[⑥

江 戸 時 代

B同様阿弥陀如米の

立像

で︑

善光寺如来像ではない︒光背は透し彫り︒

D阿弥陀三尊像

︵写

1 3 )

①善光寺

如来

芥色

②モ

ニ/

四七③

紙 本 著 色 掛 幅 装

一幅

三四

O l '

' . x

六・三[/⑥

江 戸 時 代

⑦ 版本に細密極彩色に著色したもの

︒極めて丁寧な仕上︒

一九九二年一月に改装されてい

る︒

光三尊善光寺式阿

弥陀如来図︒月蓋長者・如是姫の供旋像も描かれる

︒善

光寺本尊を模写したもので︑現在に至るまで

礼拝の対象

として多数制作されてい

る ︒ E 阿 弥 陀 三 尊 像

︵写

真 1 4 )

①善 光寺如来

舒色

版両

②モ

ニ/ 一 五

③ 紙 本 著 色

④ 一幅⑤一〇六六パこx0七仕ノ⑥江戸時代⑦版

本に著色したもの︒D

参照

如米単独の立像である︒光背の傷は焼損かと思わ

れる

F 阿 弥 陀 三 尊 像

︵写

1 5 )

① 善 光 寺

如来

版画

②モ

ニ/ 一 五 四

③ 紙 本

④ 一幅⑤三五g/X八•八代/⑥江戸時代⑦木版D

参照︒版面磨滅のため刷りが良くない︒一九九二年一

月改装︒

G 阿 弥 陀 三 尊 像

︵写

真 1 6 )

①甲州

善光寺

如来

版 画

ニ/ 一︱

③ 紙 本

④ 一 幅

九四•三パこx四七•三バ/⑥江戸時代⑦木版刷D

参照︒三尊像の下に﹁甲

州善光寺﹂とある︒甲州善光寺

は浄土宗に属し︑山梨県甲府市善光寺三丁目に所在︒各

のいわゆる新善光寺においても︑本尊の模写がそれぞ

れに制作された︒

この版本は︑現在甲府善光寺にも蔵さ れておらず賞重である

H阿弥陀三尊像

︵写

1 7 )

① 善 光 寺 如 来 版 画

/ 一 五 三

③ 紙 本

④ 一幅⑤一•五八/x-九・七十/⑥江戸時代⑦木版刷D

参照︒三

尊像の下に﹁川口善光寺

﹂とある︒川口善光寺 は真言宗智山派に属し︑埼玉県川口市舟戸町に所在

︒一

‑121‑

(26)

九九

二年

月改装︒

阿弥陀三尊像

︵写

真1

8)

①蒋光寺

如来

名 色

ニ/

四八③

紙 本 著 色

⑤一七.八[こ^九•一巧⑥江時代⑦善光寺如

来御姿の朱印に著色を施したもの︒D参照︒原装の軸寸

ニ巧x•O[/。背景は群青色で、天より華が

る︒

裏に

﹁善光寺別当/開眼一光三尊阿弥陀仏/大勧

進之章

﹂印

と︑

﹁凡一百五十年位/三蒻阿弥陀如来ノ図﹂の帖紙あり︒

J阿弥陀三尊像︵

写真

1 9 )

①善光寺

如来

豹 巴

/ニ 一

四九③紙本

著 色

⑤一七•四xO丘/⑥江戸時代⑦参照。原装の軸寸、四六·二巧XOパ/。裏に、「善光

当/開眼一光三尊阿弥陀仏/大勧進之章﹂印あり︒

k阿弥陀三尊像︵

写真

2 0 )

① 阿 弥 陀 如 米 沼 色

② モ ニ

/ 一 五 一

③ 紙 本 著 色

④ 一

幅⑤三三・七

[ / X

一七こ︳/⑥明治時代⑦版面と一体の色刷印刷。原装軸寸‘七ニ・七が/X二四三バ/〇

善光寺如来絵伝

︵写

真 2 2

同様のものは︑善光寺みやげとして明治期以降大量に作成されている︒

L善光寺如来絵伝

︵写

真2

5)

①善光寺

如来縁起図

霜 暉 訊 崎

② モニ/一五八③紙本著色④一幅⑤―二八·ニパ,X五七•四[’⑥江時 代

⑦ 固 書 館 目 録 に は

﹁ 着 色 版 画

﹂とあるが︑版画では

なく肉箪である︒全十図からなり︑向かって右下から順

に上に進み︑左側は上から下に進む︒もと三幅からなっ

ていたと思われ︑その中幅に相当する︒

M善光寺如来絵伝

︵写

真2

1)

①善光寺

如来縁起図

知︱ ︱ 鱗

モニ/一五

③ 紙 本

④一幅⑤七五一仕こ^二六・七丑ノ⑥江戸時代⑦木版

刷︒上部に﹁三国伝来之図﹂とある︒二枚一組のものを

合わせて表装したもの︒目録

には

﹁二

六 段﹂とあるが︑

蒋光寺境内固を入れて全二十七図

︒最

も一

般に流布した

刷物

の﹃

光善

如来絵伝

﹄ ︒

明治初期に至るまで︑版を変

えて多く刷られた︒

‑122

― 

(27)

寺信仰衰科

① 善 光 寺 如 来 略 絵 詞 伝 版 画

/ 一 五 六

③ 紙 本

④一⑤五0.六丑又三七•三[/⑥江戸時代⑦木 版刷︒上部に﹁善光寺如来略絵詞伝﹂とある︒もと二枚 一組であったが︑後半を欠いている︒全十四図︑十五段︒

ちなみに︑架蔵のこれと同版のものでは後半は十五図あ

り︑合計三十段からなる︒

〇 善 光 寺 縁 起

① 善 光 寺 忍 縁 起

② ハ

四/三六五四③写

本 袋 綴

冊⑤―二•X七・ニ[/⑥嘉三年(-八

O

)

書 写

⑦ 墨

付十四丁︒特別図書指定︒表紙﹁

饂善

光寺

縁起

︒内題﹁善光寺署縁起﹂ ︒奥書に﹁嘉永三庚戌

年二月写之/

元 本 相 沢 氏 有 川所持﹂とある︒後述の元

禄五年版本

﹃ 善 光寺縁起﹄の抜

書 ︒

p善光寺縁起

︵ 偲

2)

① 善 光 寺 縁 起

② ハ

四/四二九

③ 版 本 袋 綴

④中 一冊⑤ニニ·orX-五gノ⑥文政元年(-八一 八

⑦ 外 題

﹁誌

光寺如来縁起﹂︒

内題﹁

善光

寺 縁

起﹂︒もと五巻五冊のものを︑一冊に合綴︒坂内直頼︵葉 縁起 山之隠士︶撰︒元禄五年︵一六九二︶版の後刷︒刊記﹁文

政元年戊寅初冬/皇都書林/御幸町御池下ル町/菱屋孫

兵衛﹂

Q善光寺縁起

① 善 光 寺 縁 起

② ハ

四/

ニ︱

四四

/一

ー 五

③ 版 本 袋 綴④中五冊⑤ニニニパ;x-五六仕/⑥弘化

︵一

⑦ 元 禄 五 年

︵ 一 六 九二︶版の後刷︒P参

照︒刊記

﹁弘

三年丙午初夏/皇都書林/御幸町御池下

ル町

/菱屋孫兵衛﹂ ︒

R善光寺縁起

① 善 光 寺 縁 起

② ハ 四

/ 二 三

0

/ 一 ー 五

③ 版 本 袋

綴④中五冊⑤ニニ・一令x一五•四丑ノ⑥安政六年

︵一八五九︶⑦元禄五年︵一六

九二︶版の後刷︒P参

照︒刊記

﹁元

禄 五申年十月吉日/安政六未年九月再

刻 ﹂

﹁書騨/善光寺御庭/小枡屋喜太郎/同大門街/蔦屋伴

五郎/同東横町/駿河屋国平/京都書林/菱屋孫兵衛/

江戸芝神明前/岡田屋嘉七/大阪心斎橋北久太郎町/河

内屋喜兵衛/同心斎橋博労町角/河内屋茂兵衛/同心斎

橋安土町/河内屋利助/同心斎橋北久宝寺町/敦賀屋彦

‑123

― 

(28)

以上 よ し は ら ひ ろ と 文 学 部 助 教 授

s

善光寺本地

︵写

61

10

)

① 善 光 寺 縁 起

② ハ 四

/ 七 ニ ハ

③ 写 本 袋 綴

④ 大 一 冊

⑤ 六二

・六

g

^二

0・Ot'

⑥ 江 戸 時 代

⑦ 墨 付 六

十七丁︒彩色挿絵十九図︒外題﹁善光寺縁起全﹂︒但

し︑これは近代の改装の際に附されたもの︒本文は︑万

治二年版﹃善光寺本地﹄︵三巻三冊︶の写し︒挿絵には著

色が施され︑数少ないお伽草子

﹃善 光寺 本

地﹄の写本と

して貴重な存在︒ 七/京御幸町御池南/菱屋孫兵衛﹂ ︒

‑124

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