街道を歩く
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電子版
─シニア世代の退屈しのぎと 健 康のために─山陽道(三)
( 三原ー下関) 中 山 高安著は じ め に 山 陽 道 の 全 行 程 を 調 べ 終 え て 、 実 際 に 歩 き 始 め よ う と し た 時 点 で は 、 山 道 や 峠 越 え で 問 題 が あ り そ う な 場 所 は 把 握 し て い た つ も り だ った。 そ の 事 前 調 査 で は ﹁ 山 陽 道 ︵ 二 ﹂ に 不 安 な 場 所 が 多 い よ う に 思 、 ︶ っ て い た が 。 実 際 に 歩 い て み る と 問 題 は あ っ た も の の 、 予 想 を 越 え る こ と は な か っ た よ う に 感 じ る 。 と こ ろ が ﹁ 山 陽 道 ︵ 三 ﹂ は 余 り ︶ 問 題 視 し て い な か っ た だ け に 、 意 外 に 苦 労 さ せ ら れ る 部 分 が 多 か っ たようである。 そ れ は 問 題 の 場 所 を 予 想 し て い た か 、 予 想 し て い な か っ た か に も よ る の か も 知 れ な い し 、 歩 い た 時 期 が 夏 草 が 伸 び 始 め た 頃 か 、 伸 び き っ て し ま っ た 頃 か に も よ る の か も 知 れ な い 。 だ か ら 草 が 枯 れ し ま っ た 時 期 に 歩 い た 人 に は 、 そ の よ う な 問 題 の 場 所 は 考 え ら れ な い こ とかも知れない。 た だ 、 色 々 な 街 道 を た く さ ん 歩 い て き て 、 こ れ ほ ど 逆 か ら も 歩 い
た 街 道 は な い 。 京 都 か ら ス タ ー ト し て 下 関 へ 向 け て 歩 い て い る の だ か ら 、 基 本 的 に は 東 か ら 西 へ 向 け て 歩 い て い る 。 と こ ろ が 、 そ れ で は 道 筋 が 分 か ら な い た め 途 中 で 断 念 し て 、 逆 か ら 回 り 込 ん で 西 か ら 東 へ 歩 い て 道 筋 が 分 か っ た ケ ー ス が ﹁ 山 陽 道 ︵ 三 ﹂ に は 幾 つ も 出 、 ︶ てきた。 山 道 や 峠 越 え が 多 い か 否 か は 実 際 に 数 え た わ け で は な い が 、 実 際 に 逆 か ら 歩 く ケ ー ス が 多 か っ た か ら 、 予 想 し た よ り 何 日 か 日 数 を 必 要 と し た の は 事 実 で あ る 。 ま た イ ノ シ シ が 出 る 場 所 も あ る よ う だ か ら気を付けたい。 こ れ ら の 場 所 は 文 中 よ り も 閑 話 に 書 き 込 ん だ 積 も り だ か ら 、 こ れ か ら 歩 こ う と す る 人 は 、 こ の 点 を 考 慮 し て 情 報 収 集 す る な り 、 自 衛 手段を講じるなりして欲しいものである。 山 陽 道 の 簡 単 な 歴 史 は ﹁ 山 陽 道 ︵ 一 ﹂ と ﹁ 山 陽 道 ︵ 二 ﹂ に 記 載 ︶ ︶ したので、ここでは省略する。
目 次 山陽道の里程 七 三原から湯坂温泉へ 一二 湯坂温泉から西条へ 二七 西条から瀬野へ 三八 逆から歩く︵閑話︶ 五一 瀬野から広島へ 六〇 広島から宮内串戸へ 七二 宮内串戸から大竹へ 九〇 大竹から柱野へ 一一〇 錦帯橋へ寄り道︵閑話︶ 一二二 柱野から高水へ 一二九 高水から徳山へ 一四九 徳山から富海へ 一六七 富海から四辻へ 一八〇
四辻から厚東へ 二〇一 続・旧道を教えて貰う︵閑話︶ 二一八 厚東から厚狭へ 二二四 厚狭から小月へ 二三三 続・逆から歩く︵閑話︶ 二四三 小月から赤間ヶ関へ 二四九 赤間ヶ関から下関駅へ 二六七 終わりに 二七二
山 陽 道 の 里 程 こ の 街 道 の 宿 場 名 や 読 み 方 や 里 程 は ﹁ 新 修 五 街 道 細 見 ﹂ を 主 、 に し て ﹁ 日 本 街 道 総 覧 ﹂ の ﹁ 大 日 本 道 中 行 程 細 見 記 大 全 ﹂ で 補 修 、 し た 。 こ の 点 に つ い て は 資 料 に よ り 若 干 の 相 違 が あ り 、 例 え ば 御 着 宿 や 一 日 市 宿 や 陶 市 宿 や 加 川 宿 が あ る 。 た だ 歴 史 書 で な い た め 余 り 細 か い 追 求 を せ ず 、 歩 こ う と す る 人 の 参 考 に す る た め 取 り 上 げ た 。 こ こ で も 一 里 は 三 ・ 九 三 キ ロ で 換 算 し 、 原 則 と し て 略 図 は 縮 尺 に 準 じ て い る か ら 、 市 販 の 地 図 と 重 ね 合 わ せ れ ば 分 か る だ ろ う 。 た だ し平成の市町村大合併で地名は変わ った所があるかも知れない。 ま た 歩 い た 道 は 赤 い 丸 線 で つ な ぎ 、 現 在 歩 け な く な っ て い る 旧 道 は 赤 い 鎖 線 に し て い る 。 ま た 旧 道 の 上 に 国 道 が で き て い る 場 合 は 街 道と称しているのも、このシリーズで共通する事柄である。 一 回 の 歩 き は 二 十 キ ロ ぐ ら い を 目 途 に し て い る が 、 鉄 道 の 駅 や 旅 館 ・ ホ テ ル が あ る 場 所 で 区 切 っ て い る た め 、 少 し 短 い 所 も 長 い 所 も あるだろう。
宿場名︵現地名︶ 里程︵キロ数︶ 西の宮より兵庫︵神戸市︶ 五里︵十九・七︶ 兵庫より明石︵明石市︶ 五里︵十九・七︶ 明石より加古川︵加古川市︶ 五里︵十九・七︶ 加古川より姫路︵姫路市︶ 四里︵十五・七︶ 姫路より正 条︵揖保川町正條︶ 四里︵十五・七︶ しょ うじょ う 正条より有年︵赤穂市有年︶ 三里︵十一・八︶ う ね 有年より三ツ石︵備前市三石︶ 三里︵十一・八︶ 三ツ石より片上︵備前市西片上︶ 二里二十八町︵十・九︶ 片上より藤井︵岡山市藤井︶ 四里八町︵十六・六︶ 藤井より岡山︵岡山市︶ 二里︵七・九︶ 岡山より板倉︵岡山市吉備津︶ 二里十二町︵九・二︶ 板倉より河辺︵真備市川辺︶ 三里︵十一・八︶ 河辺より矢掛︵矢掛町矢掛︶ 三里︵十一・八︶ や か げ 矢掛より七日市︵井原市七日市︶ 三里︵十一・八︶ な ぬ か い ち 七日市より高屋︵井原市高屋町︶ 一里十二町︵五・二︶
高屋より神辺︵神辺町︶ 一里二十七町︵六・九︶ かん なべ 神辺より今津︵福山市今津町︶ 四里八町︵十六・六︶ 今津より尾ノ道︵尾道市︶ 二里︵七・九︶ 尾ノ道より三原︵三原市︶ 三里︵十一・八︶ 小計 六十一里二十三町︵二百四十二・三︶ 三原より本郷︵三原市本郷︶ 二里半︵九・八︶ 本郷より西条庄四日市︵東広島市西条︶ 六里︵二十三・六︶ 西条庄四日市より海田︵海田町︶ 五里︵十九・七︶ か い た 海田より広嶋︵広島市︶ 二里︵七・九︶ 広嶋より廿日市︵廿日市市︶ 三里︵十一・八︶ 廿日市より玖波︵大竹市玖波町︶ 四里︵十五・七︶ く ば 玖波より関戸︵岩国市関戸︶ 三里︵十一・八︶ 関戸より玖河︵玖珂町︶ 四里︵十五・七︶ く が 玖河より椙杜︵周東町︶ 半里︵二・〇︶ たか もり 椙杜より今市︵周南市︶ 二里︵七・九︶ 今市より呼坂︵周南市︶ 半里︵二・〇︶
呼坂より久保市︵下松市︶ 一里半︵五・九︶ くだ まつ 久保市より花岡︵下松市︶ 二十八町︵三・一︶ 花岡より徳山︵周南市徳山︶ 一里半︵五・九︶ 徳山より福川︵周南市福川︶ 二里︵七・九︶ 福川より富海︵防府市富海︶ 二里半︵九・八︶ と の み 富海より宮市︵防府市︶ 二里︵七・九︶ 宮市より小郡︵小郡町︶ 二里五町︵八・四︶ 小郡より山中︵宇部市山中︶ 二里半︵九・八︶ 山中より舟木︵宇部市船木︶ 二里半︵九・八︶ 舟木より厚狭︵山陽小野田市厚狭︶ 一里十町︵五・〇︶ あ つ さ あ さ 厚狭より吉田︵下関市吉田︶ 三里︵十一・八︶ 吉田より小月︵下関市小月︶ 一里︵三・九︶ 小月より長府︵下関市長府︶ 二里︵七・九︶ 長府より赤間ヶ関︵下関市︶ 二里︵七・九︶ 小計 五十九里七町︵二百三十二・六︶ 京三条より赤間ヶ関まで合計約五百四十キロ
三 原 か ら 湯 坂 温 泉 へ 隆 景 公 左 手 に 三 原 駅 と 三 原 城 跡 を 見 な が ら 直 進 し て 左 へ 曲 が り 、 ① に 突 き 当 た っ て 右 へ 曲 が る 。 こ の 隆 景 公 園 に は が 園 小 早 川 隆 景 像 あ り 、 原 爆 死 没 者 霊 場 が あ っ て 、 公 園 の 橋 に は 開 明 橋 跡 の 碑 が 立 っ ている。 本 町 一 丁 目 と 本 町 二 丁 目 の 商 栄 会 を 進 み 、 左 か ら 来 る 道 と の T 字 路 の 二 軒 目 に 交 番 が あ る 。 こ の 旧 道 に は 意 外 に 医 者 が 多 い よ う に 感 じながら進む。 甲 山 通 り 交 差 点 を 越 え て 西 町 一 丁 目 に 入 り 、 右 側 の ② は 山 順 勝 寺 門 が 三 原 市 重 要 文 化 財 で 、 三 原 城 内 に あ っ た 御 作 事 奉 行 所 門 を 、 明 治 十 年 ︵ 一 八 七 七 ︶ に 順 勝 寺 に 移 し た も の で あ る 。 築 城 当 時 の 建 造 物 が 現 存 す る 貴 重 な 遺 構 で 、 永 禄 か ら 天 正 年 間 ︵ 一 五 五 八 ー 一 五 九 一︶の作と推定され、四脚門で切妻造りの本瓦葺きである。 〇 三 原 西 町 郵 便 局 の 前 に は が あ る 。 そ の 数 十 メ ー ト 西 惣 門 跡 の 石 碑
ル 先 右 側 に ③ が あ り 、 そ の 四 十 メ ー ト ル ぐ ら い 先 で 西 野 三 原 八 幡 宮 川の宮浦橋に出て、橋を渡らず右へ曲がって川沿いに進む。 西 宮 一 丁 目 に 入 る と 右 側 奥 に ④ が あ り 、 法 常 寺 下 バ ス 停 と 法 常 寺 左側に御堂があって、更に大畑団地入口交差点を越える。 八 阪 神 社 市 立 西 小 学 校 前 交 差 点 を 越 え る と 、 右 側 に 西 宮 公 民 館 と ⑤ が 並 ん で い る 。 そ こ か ら 左 へ カ ー ブ し て 、 を 渡 る 寸 前 の 川 梅 観 橋 沿い右手に消防団と御堂と頌徳碑が並んでいる。 橋 を 渡 る と 右 手 の 高 架 は 国 道 二 号 線 バ イ パ ス で 、 商 店 が 点 在 し て い た 旧 道 も 右 へ カ ー ブ す る と 商 店 が な く な る 。 前 方 の 国 道 の 高 架 に 接する寸前、左側の宮浦北住宅の先で左へカーブする。 宮 浦 第 五 公 園 を 左 側 に 見 な が ら 新 幹 線 と J R を く ぐ り 、 車 の 多 い 道 を 横 断 す る が 、 そ の 左 角 に 交 番 が あ る 。 そ の ま ま 国 道 二 号 線 沿 い に 直 進 し て 、 三 百 メ ー ト ル ほ ど 先 で 左 へ カ ー ブ す る 。 こ の 辺 り は 道 路建設の影響で昔の道は少し変わっているらしい。 右 側 に 公 園 を 見 な が ら 右 へ 曲 が り 、 左 へ カ ー ブ し て バ ス が 走 る 道 に 出 て 、 前 方 に 三 菱 の ア パ ー ト を 見 な が ら 右 へ 曲 が る 。 そ の ま ま 真
門 山 宮 の 幡 寺 八 勝 原 順 三
っ 直 ぐ 進 み の 脇 を 通 る と 、 前 方 に 立 派 な 建 物 の 県 立 広 島 宮 浦 中 学 校 大学が見えてくる。 間 も な く 少 し 上 り に な っ て 、 の 前 に 出 て 広 島 大 学 三 原 キ ャ ン パ ス く る 。 こ の 右 側 に 折 れ て 修 復 し た よ う な 道 標 が あ り 、 こ れ に は 西 は 安 芸 で 東 は 備 後 と あ る か ら だ が 、 向 か い 側 に も 道 標 が あ る 。 国 境 石 そ の ま ま 直 進 す る と 右 側 に ⑥ が あ る 。 昔 は こ の 辺 り か ら 右 瘡 神 社 へ 山 越 え で シ ョ ー ト カ ッ ト し た よ う だ が 、 そ の 道 は 分 か ら な く な っ 。 、 、 ている 左側に変電所があり 右側の で国道二号線に合流し 地蔵尊 前方の淀屋大橋を渡らずに沼田川沿いに進む。 、 。 広島まで七一㎞と出ていて 国道二号線バイパスが前方に現れる こ の 辺 り に 山 越 え し て き た 昔 の 道 が 出 て き た ら し い が 、 今 は 出 口 ら し い も の は 見 当 た ら な い 。 そ の 先 で 三 股 の よ う に 見 え る 真 ん 中 の 道 を進み、バイパスをくぐる。 右 側 に 関 西 住 建 を 見 な が ら 、 新 倉 交 差 点 で 二 号 線 と 合 流 し て 、 福 山通運を右側に見るときは広島まで七〇㎞になっている。 新 橋 交 差 点 と 川 を 渡 る と 、 右 手 に J R の 踏 切 が 見 え て 、 右 側 に 山
陽 レ ミ コ ン が あ る 。 左 手 が で 、 右 手 に J R が 接 近 し て く る 。 沼 田 川 七 宝 橋 北 詰 交 差 点 を 越 え 、 長 谷 取 水 場 交 差 点 の 右 手 の 長 谷 踏 切 を 渡 っ て も 、 J R 沿 い に 道 が な い か ら 踏 切 が 違 う 。 三 原 市 農 協 長 谷 支 部 交 差 点 の 右 側 に J A 三 原 が あ り 、 こ こ を 下 っ た 所 の を 渡 第 一 踏 切 ってJR沿いの道を進む。 資 料 に よ っ て は 、 こ の ま ま 国 道 を 進 む の が 旧 道 の よ う に 書 い た も の も あ る が 、 ど ち ら が 正 し い か 分 か ら ず 、 踏 切 を 渡 っ た 下 の 道 は 国 道より静かなので下を選ぶ。 右 側 に ⑦ と 戦 没 者 慰 霊 碑 が あ り 、 そ の ま ま 右 側 に 田 畑 八 重 垣 神 社 を 見 な が ら 進 む 。 民 家 が 見 え て く る 手 前 に 長 谷 宮 第 5 踏 切 の 細 道 が あり、ここの踏切でJRを 渡って国道に出る。 す る と 長 谷 橋 バ ス 停 が あ り 、 そ の 先 で 右 へ 曲 が っ て 、 右 手 に 仏 通 寺 川 と J R を 見 な が ら 進 む 。 左 側 の 何 軒 か の ラ ブ ホ テ ル の 前 を 通 っ て国道に合流する。 、 、 本郷町にはいると 右側にGSエネオスや が並んでいて 伊藤ハム 左 側 は 沼 田 川 で 右 側 は 用 水 路 で あ る 。 本 郷 町 は 空 港 と 史 蹟 の 町 と い
う 大 き な 看 板 が あ り 、 何 か 新 旧 を 合 体 さ せ た だ け で 違 和 感 が あ る 。 本 郷 団 地 入 口 交 差 点 を 過 ぎ 、 木 々 津 バ ス 停 を 過 ぎ る 。 右 側 の ト コ ス の 先 に 納 所 橋 北 詰 交 差 点 を 通 過 す る が 、 納 所 橋 を 渡 れ ば 約 一 ・ 五 キ ロ 先 に 米 山 寺 が あ り 、 こ こ に は 小 早 川 家 歴 代 の 墓 が あ る と い う 。 国 道 の 三 太 刀 バ ス 停 の 百 五 十 メ ー ト ル ぐ ら い 先 、 前 方 に 見 え る G S エ ネ オ ス の 百 五 十 メ ー ト ル ぐ ら い 手 前 で 、 右 へ 曲 が っ て 国 道 と 分 かれる。 国 道 と 分 か れ 右 へ カ ー ブ す る 右 角 に 大 き な ⑧ が あ り 、 右 側 地 蔵 堂 の 立 派 な 家 の 先 で 少 し カ ー ブ す る が 、 そ の 右 角 に 神 社 が あ る 。 川 を 渡 っ て 右 側 の 東 本 通 公 民 館 の 前 を 通 り 、 県 道 五 〇 号 線 を 横 断 す る と 右側に本郷郵便局があり、 保健福祉センターがある。 小 川 を 渡 っ て 右 手 に 総 合 技 術 高 校 を 見 る と 、 右 側 に ⑨ が あ 西 念 寺 り 、 向 か い 側 に 本 郷 町 観 光 協 会 と 隣 に が あ る 。 そ の 先 左 側 に 三 地 蔵 原 市 本 郷 支 所 が あ る T 字 路 の 右 角 に ⑩ が あ り 、 そ の 右 面 に 佛 通 道 標 、 。 。 寺道 左面に稲荷道とある ここを右へ曲がればJR である 本郷駅 右 側 に が あ る 辺 り の 更 に 向 こ う を 見 る と 、 泊 ま ろ う か 恵 比 須 神 社
と 思 っ た 本 郷 グ ラ ン ド ホ テ ル が 見 え る 。 そ の 先 左 側 で 目 を 引 く 建 物 は醤油醸造元とあり、隣は ⑪である。 寂静寺 少 し 上 っ て 県 道 三 三 号 線 と 合 流 し 、 左 へ 曲 が っ て 沼 田 川 を 今 は 本 郷 橋 で 渡 る が 、 昔 は よ り 二 十 メ ー ト ル ほ ど 上 流 で 渡 河 し た と 本 郷 橋 い う 。 現 在 の 本 郷 橋 東 詰 交 差 点 に は 大 き な や 石 碑 が あ り 、 左 常 夜 灯 手 に は 御 堂 や が あ る 。 更 に 本 郷 橋 を 渡 っ た 右 側 に 地 蔵 や 鳥 獣 慰 霊 碑 小さな御堂があり、それには八十八番とある。 左 側 に は 消 防 署 と コ カ コ ー ラ と 東 洋 製 缶 と 続 き 、 そ の 先 で 右 へ カ ー ブ す る 。 菅 公 手 堀 井 戸 は 右 と い う 道 を の ぞ く と 荒 神 社 が あ り 、 そ の五十メートルぐらい先に ⑫がある。 甑 天満宮 こしき 甑 天 満 宮 は 、 延 喜 元 年 ︵ 九 〇 一 ︶ 菅 原 道 真 が 左 遷 さ れ る 際 、 こ こ に 船 を 寄 せ ら れ 、 こ の 井 を 掘 り 、 清 水 を 得 て 炊 飯 し た 跡 だ と い う 。 〇 。 その先右側の民家と民家の間にあるのは というのだろうか 天神社 そ の 一 軒 先 の 右 奥 に が あ り 、 更 に 百 メ ー ト ル ほ ど 先 、 突 き 当 専 教 寺 たりのようなに見える所に ⑬がある。 心光寺
碑 霊 慰 獣 鳥 や 蔵 地 道 の 旧 詰 の 東 脇 橋 寺 郷 光 本 心
そ の 先 で 右 か ら 来 る 道 と の T 字 路 の 左 角 に が あ り 、 そ の 道 標 道 標 に は 右 が 高 木 山 城 址 と あ り 、 そ の 右 側 の 本 郷 中 学 校 の 脇 が 高 木 山 城 址への道だろう。 右 側 に は と あ り 、 左 側 に 水 害 復 旧 河 川 改 修 記 念 碑 が あ 梅 木 平 古 墳 う め き ひ ら る 。 北 方 橋 バ ス 停 を 過 ぎ 、 梨 和 川 を 二 羽 屋 橋 で 渡 り 、 左 手 の 二 号 線 とはつかず離れず進む。 変 則 四 つ 辻 が あ る 所 で 、 左 の 道 は 二 号 線 に 通 じ て い て 、 そ の 右 角 に 御 堂 が あ り 、 そ の 先 左 側 に が あ る 。 ま た 左 側 梨 羽 高 等 小 学 校 の 碑 、 。 に尾原下集会所があり その三十メートルほど先 右側に御堂がある 小 さ な 石 仏 が 左 側 に 五 体 あ る が 、 背 を 向 け て い る の は 集 落 の 方 を 向 い て い る の か 。 そ の 右 側 に ⑭ と 南 方 老 人 集 会 所 が 南 方 村 之 跡 の 碑 あり、ここに村役場・農業会・農協があったらしい。 そ の 先 右 側 に は 柄 崎 仲 次 翁 頌 徳 碑 が あ り 、 そ の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 御 年 代 古 墳 入 口 貞 丸 古 墳 入 口 大 右 側 に ⑮ と あ り 、 そ の 先 に も と 共 に み と し ろ ⑯があって、すぐ先左側には戦没者慰霊碑がある。 日堂 御 年 代 古 墳 は 巨 大 な 花 崗 岩 に よ り 築 か れ た も の で 国 史 跡 と な っ て
い る が 、 明 治 二 十 八 年 ︵ 一 八 九 五 ︶ 石 材 採 取 に あ た っ て 、 ダ イ ナ マ イ ト で 爆 破 し て 見 つ け た と い う 。 貞 丸 一 号 墳 ・ 二 号 墳 も 県 史 跡 と な っている。両方とも石棺が置かれ た玄室だけが残っている。 〇 常 に 左 手 に 国 道 を 見 下 ろ し て い る の は 、 こ ち ら が 山 側 だ か ら で あ る 。 右 側 の 神 社 は 地 図 で は 宗 永 神 社 と あ り 、 南 方 神 社 と し て い る 資 料もあるが、この中に ⑰がある。 二本松古墳 こ こ か ら 国 道 に 合 流 し て 、 ニ ホ ン ケ ミ カ ル と い う 会 社 の 前 を 通 る 、 、 ように書いた資料もあるが そのまま進むような道筋の資料もあり こ こ で は 後 者 を 選 ぶ 。 国 道 を 左 下 に 見 な が ら 、 レ ジ ャ ー ラ イ フ と い う 会 社 を 回 り 込 む 形 で 、 廃 業 し た ラ ブ ホ テ ル の 脇 に 出 て 国 道 に 合 流 するが、この方が旧道らしい感じがする。 エ ス そ の 先 は 国 道 の 左 側 に ラ ブ ホ テ ル が 何 軒 か あ り 、 建 設 機 械 の の百メートルほど先で左斜めに国道と分かれる。 シー 右 側 に 田 ん ぼ を 見 な が ら 、 や が て 交 差 す る 道 を 右 へ 進 め ば 廃 業 し た で、直進する旧道は下草道の山間部に入る。 温泉花むら
上 り の 中 間 点 に 国 交 省 の も の か ア ン テ ナ が あ り 、 そ こ か ら 左 へ 向 か っ て 更 に 上 る 。 途 中 の 大 き な 倒 木 を く ぐ り 、 少 し 草 の 高 い 所 も あ る が 歩 け な い こ と は な い 。 や が て ま た げ る 程 度 の ト タ ン で 行 き 止 ま りになっているが、これはイノシシ対策だろうか。 そ れ を 越 え る と 左 手 に が あ り 、 そ の 先 は 草 が 少 し 深 い 道 に な 民 家 る 。 た だ 鳥 獣 対 策 の た め か 空 き 缶 が 二 つ ず つ 吊 し て あ る か ら 、 そ れ を 頼 り に す る 。 先 ほ ど か ら ク モ の 巣 を 除 け る た め 手 に し て い る 棒 を 振り回して、ヘビや鳥獣に警戒して音を立てながら歩く。 深 い 草 か ら 出 る と 右 側 に が あ り 、 そ こ か ら は ヤ ブ 道 だ 中 山 家 の 墓 が 道 筋 は よ く 分 か る 。 一 ヶ 所 だ け 湿 地 に 気 を 付 け る 必 要 は あ る が 、 間もなく場外車券場売場の ⑱の前を通る。 サテライト山陽 日 名 内 上 交 差 点 で 国 道 を 横 断 し て 県 道 四 九 号 線 を 進 む が 、 こ の 道 ひ な な い に は 広 島 空 港 へ の 道 と あ る 。 交 差 点 の す ぐ 右 側 に 消 防 団 が あ り 、 間 もなくガードレールの右側に道が現れ、それを進む。 や が て 右 へ カ ー ブ し て 県 道 か ら 離 れ 、 グ ル ッ と 回 っ て 県 道 を く ぐ る 。 す る と 県 道 沿 い に 下 り て き た 道 と 合 流 す る か ら 、 先 ほ ど の 右 へ
向かう道を間違えて県道を進んでも、ここで旧道と合流できる。 こ の 先 が ⑲ ︵ 河 原 峠 と し た 資 料 も あ る ︶ で 三 原 市 と 竹 原 市 瓦 坂 峠 の 市 境 で あ る 。 笹 が 腰 ぐ ら い に 達 す る 所 も あ る か ら 、 普 段 ほ と ん ど 歩 く 人 が い な い の だ ろ う 。 た だ 少 し 歩 き に く い こ と や 全 く 道 標 が な い こ と か ら 、 道 な り に 歩 い て い る つ も り で も 磁 石 を 見 な が ら 進 む 。 や が て 民 家 が 出 て く る も の の 正 し く 歩 い て き た の か 自 信 が な く 、 や っ と 右 横 大 路 古 墳 群 の が 出 て き て 少 し 安 心 し 、 そ の 四 つ 辻 の 標 識 左 角 に と 右 角 に 左 大 坂 ・ 右 広 島 の ⑳ で ホ ッ と す る 。 更 に 地 蔵 堂 道 標 出 会 っ た 人 に 訊 い て 間 違 い な い こ と を 確 認 し て 、 や っ と 瓦 坂 峠 を 越 えることができたと確信する。 新 庄 町 横 大 通 交 差 点 で 国 道 四 三 二 号 線 を 越 え て 、 川 を 渡 っ て 上 り 始 め る と 左 側 の 山 肌 に 石 仏 が あ る 。 こ こ ま で 民 家 が 点 々 と あ り 、 畑 がある所から下を見ると二号線が見える。 四 つ 辻 の 右 側 に 大 き な が あ り 、 左 側 に 地 蔵 堂 が あ る 。 そ し 記 念 碑 て 間 も な く 左 下 に が 見 え て く る 。 湯 坂 温 泉 入 口 交 差 点 か ら 湯 坂 温 泉 川沿いに進むと温泉宿とかんぽの宿がある。
道 旧 る 通 を 前 の 泉 口 温 入 坂 墳 湯 古 が 丸 手 貞 右
湯 坂 温 泉 か ら 西 条 へ 旧 道 か ら 湯 坂 温 泉 入 口 交 差 点 に 下 り る 道 は 、 次 の 小 川 を 渡 る 寸 前 に 小 川 沿 い に 進 む 道 も あ る 。 旧 道 の す ぐ 先 右 手 の 高 台 に は 、 石 垣 の 塀に囲まれた立派な家が見える。 左 側 の 民 家 の 垣 根 と 垣 根 の 間 に 小 さ な 地 蔵 堂 が あ り 、 そ の 先 右 側 の 石 垣 と 石 垣 の 間 の 狭 い 道 を 上 る と ① が あ っ て 、 更 に 旧 道 の 百 御 堂 メートルほど先には石垣の上に小祠がある。 大 橋 交 差 点 で 国 道 を 横 断 し て 、 す ぐ 田 万 里 川 を 渡 っ て 右 へ 曲 が り 川 の 左 岸 を 進 む が 、 国 道 は 田 万 里 川 の 右 手 に 見 え る 。 三 菱 マ テ リ ア ル を 右 手 に 見 な が ら 、 廃 業 し た ラ ブ ホ テ ル の 脇 を 通 る 。 そ の 先 の 左 側は山である。 そ の 山 が 遠 の く と 両 側 は 田 ん ぼ に な り 、 民 家 が 点 在 す る よ う に な る 。 間 も な く 右 上 の 国 道 に 龍 玉 神 社 前 交 差 点 が あ り 、 こ こ へ 通 じ る 橋を過ぎると旧道は川から離れていく。 橋 か ら 百 メ ー ト ル ぐ ら い 先 に 二 つ の 小 さ な 地 蔵 堂 が あ っ て 、 そ の
一 つ に は ② と あ る 。 こ の 先 の 左 側 は 山 で 右 側 は 田 ん ぼ で 、 い ぼ 地 蔵 川と国道は大分離れてしまっている。 右 手 前 方 に 新 幹 線 が 走 り 抜 け た の は 、 ト ン ネ ル と ト ン ネ ル の ほ ん の 僅 か な 区 間 で あ る 。 左 側 に 旧 山 陽 道 ③ が あ り 、 左 高 台 茗 荷 ノ 清 水 に御堂があって、その先に民家が並び始める。 こ こ が で 本 郷 か ら 西 条 ま で 約 六 里 ︵ 二 十 四 キ ロ ︶ だ か ら 、 旧 間 宿 山陽街道でも最も長い行程に間宿があっても当然だろう。 す ぐ 右 側 に と あ り 、 更 に 明 治 時 代 の が あ る が 、 旅 籠 跡 郵 便 取 扱 所 こ れ は 今 日 の 郵 便 局 で あ る 。 そ の 先 に ④ と 田 万 里 小 学 校 恵 美 須 神 社 初 代 校 長 の 高 橋 諤 志 翁 碑 が あ り 、 明 治 時 代 最 初 の と あ 邏 卒 分 屯 所 跡 ら そ つ ぶ んとんし ょ るが、これは後の巡査駐在所跡である。 集 落 が 切 れ る と 、 右 手 の 新 幹 線 が ト ン ネ ル か ら 出 て く る の が 見 え る 。 左 側 の 水 が 流 れ 落 ち る 所 に ⑤ と あ り 、 薄 暗 い 森 の 中 に 滝 荒 神 社 あるため社へ向かって歩くのは恐ろしい。 そ の 先 の 二 股 で 右 へ 下 っ た 所 に ⑥ が あ り 、 こ こ は 日 智 院 跡 西 立 寺 で 明 治 時 代 最 初 の 小 学 校 と あ る 。 小 川 を 渡 る と 、 ま た 田 万 里 川 が 近
づいてきて、新幹線はトンネルの中に消えている。 右 手 の 国 道 沿 い に G S エ ネ オ ス が 見 え る 。 す る と 旧 道 は 左 か ら 右 、 、 へカーブして国道に近づいて 田万里橋交差点で国道に合流するが こ こ に は 銀 山 橋 バ ス 停 と あ る 。 そ し て 百 メ ー ト ル ほ ど で 左 斜 め に 国 道と分かれる。 こ の 先 の 国 道 は 上 り と 下 り で 路 線 が 分 か れ 、 別 々 の ト ン ネ ル を 抜 け て 当 分 の 間 は 一 本 化 し な い 。 旧 道 は そ れ ら の ト ン ネ ル と 関 係 な く 山すそを進んでいく。 左 側 の 一 段 高 い 所 に ⑦ が あ り 、 遙 か 右 手 の 二 つ の 国 道 に 石 立 神 社 は さ ま れ て 見 え る の は ⑧ だ ろ う 。 二 股 で 右 の 民 家 へ 下 る 道 熊 野 神 社 に と あ り 、 前 方 高 台 に 国 道 の ト ン ネ ル が 見 え て く る 。 風 呂 ヶ 迫 遺 跡 左 へ 進 ん だ 旧 道 の 右 側 に 棚 田 が あ り 、 や が て 久 し ぶ り に 旧 道 沿 い に 民 家 が 現 れ 、 左 側 の 斜 面 は 畑 に な っ て い る 。 そ の 先 で 国 道 に 向 か って上る途中に がある。 交通安全地蔵 国 道 に か か る 薬 師 橋 を 渡 っ て 左 手 の 民 家 に 向 か う 。 民 家 の 右 側 に 田 ん ぼ が あ り 、 そ の 畦 道 を 通 っ て 国 道 を 陸 橋 で 越 え る 。 た だ 、 こ の
道 国 る ぐ く を ル ネ ン ト の 社 方 神 前 立 手 石 右
上 り 下 り の 二 本 の 国 道 の 敷 設 で 、 こ の 辺 り の 旧 道 は 大 分 変 わ っ た と 地元の人はいうから、更なる追求を諦める。 〇 そ の 先 は 左 側 に 池 を 見 な が ら 左 手 の 森 の 中 へ 進 み 、 舗 装 道 路 が 砂 利 道 に 変 わ り 、 更 に 二 股 を 左 へ 進 む と 下 草 道 で あ る 。 右 側 の 溜 池 を 見ると、すぐ左側にも溜池がある。 こ の と き 見 つ か ら な か っ た 日 向 一 里 塚 跡 は 、 砕 石 道 を 上 り 東 広 島 呉 自 動 車 道 の の 手 前 に 立 て ら れ た と い う 。 ト ン ネ ル を く ぐ ト ン ネ ル る と 二 股 で 、 左 は 自 動 車 道 へ 出 る 道 で 、 右 の 旧 道 は 間 も な く 下 草 道 になる。きびしい道を予想して両 手が使えるように準備する。 道 標 が な い の で 旧 道 か 否 か 不 安 に な る が 、 や が て 途 中 に ビ ニ ー ル に 包 ん だ 紙 の 道 標 が 出 て き て 少 し 安 心 す る 。 の 多 い こ と を 覚 悟 湿 地 し て い た が 、 予 想 し た ほ ど ひ ど く な く 、 が 多 い 所 も 歩 き や す い 倒 木 よ う に し て あ る 。 た だ 三 ヶ 所 ば か り の 倒 木 は 女 性 に ま た げ る の か 心 配 で 、 三 段 ば か り の が あ る 所 は 、 将 来 も 壊 れ な い で 使 え る 木 の 梯 子 のかも心配である。
左 側 の 溜 池 に 紙 の 道 標 が あ り 、 旧 山 陽 道 ⑨ か ら 急 松 子 山 峠 の 石 標 な 下 り に な る 。 マ ウ ン テ ン バ イ ク の 若 い 外 人 が 休 ん で い た の で 話 を 聞くと、時々ここには上ってくるという。 や が て 林 道 の よ う な 舗 装 道 路 に 出 て く る が 、 こ こ に は 標 識 が な い ため西条から来る人に入口が分かるのだろうかと心配になる。 右 か ら 来 る 道 と の T 字 路 に ⑩ が あ り 、 こ の 道 は 南 が 上 三 永 で 道 標 か み み な が 北 は 西 条 駅 と あ り 、 右 の 道 が 白 鳥 神 登 山 道 と あ る 。 そ の 百 メ ー ト ル ほど先左側の ⑪がある。 かご松の碑 、 ここには巨大な老松があって昭和十八年に枯死した跡だそうだが 昔は参勤交代の殿様がかごを止めて休んだという。 〇 更 に ゆ る い 下 り が 続 い て 、 ⑫ の 脇 を 通 る が 、 側 溝 の 松 子 山 浄 水 場 水 の 流 れ が 急 で あ る 。 原 北 川 を 今 宮 橋 で 渡 る と 沿 道 に 民 家 が 並 び 始 め る 。 左 側 に ⑬ が あ り 、 右 側 の 飾 り 瓦 が 素 晴 ら し い 民 御 堂 と 記 念 碑 家を見ながら進む。間もなく前方に西条の町が見えてくる。 左 側 に ⑭ が あ り 、 国 道 三 七 五 号 線 を 吉 土 実 交 差 点 で 歌 謡 坂 一 里 塚
。 。 渡る 更に進んで土与丸交差点で国道を渡 ると西条の街並みに入る ど よ ま る 右 側 の 吉 土 実 幼 稚 園 に 武 田 精 華 先 生 の 碑 や 記 念 碑 が あ り 、 そ の 向 。 、 かいにJAがある 幼稚園に続く敷地は煙突に ⑮とあり 賀茂鶴酒造 その間をのぞくと大林寺が見える。 右 か ら 来 る 道 と の T 字 路 を 過 ぎ て 、 次 の 四 つ 辻 辺 り に 西 条 上 市 町 で 、 こ の 左 側 に 建 つ ⑯ の 建 物 は 趣 が あ る 。 左 奥 に 酒 泉 館 賀 茂 泉 酒 造 旧 県 立 醸 と 藍 泉 館 が あ る と 出 て い て 、 奥 に 入 っ て み る と 昭 和 四 年 の の建物があり、その門前に道標が立っている。 造支場 更 に 進 む と 右 側 に ⑰ が あ り 、 門 前 に 万 年 亀 井 戸 が 湧 き 出 亀 齢 酒 造 。 、 、 している この辺りは西条本町とあり 次の四つ辻を右へはいると 突き当たりの立派な建物は ⑱である。 本陣︵御茶屋︶跡 こ こ は 江 戸 時 代 に 西 条 四 日 市 と 称 し 、 旧 山 陽 道 最 大 の 宿 場 と し て 栄 え 有 名 だ っ た 。 一 般 的 に 宿 場 本 陣 は そ の 土 地 の 名 家 で 営 ま れ て い た が 、 こ の 西 条 四 日 市 の 宿 場 だ け は 重 要 な 本 陣 の た め 藩 ︵ 浅 野 藩 ︶ 直営で、これを御茶屋と称せられていた。 〇
跡 陣 本 の 碑 市 の 日 松 四 ご 条 か 西
右 側 に ⑲ が あ り 、 門 前 に 天 保 井 水 が 湧 き 出 し て い る 。 西 条 鶴 酒 造 そ の 向 か い 側 に ⑳ が あ り 、 門 前 に 四 日 市 冥 加 の 水 が 湧 き 白 牡 丹 酒 造 出 し て い る 。 そ の 斜 め 向 か い に 建 つ が 素 晴 ら し い 。 白 牡 丹 の 延 宝 蔵 四 日 市 冥 加 の 水 と は 、 こ こ 西 条 が 四 日 市 と 呼 ば れ て い た 時 代 の 記 録 に よ れ ば 、 四 日 市 の 井 戸 水 は 冥 加 の 水 と い わ れ て い た 。 山 陽 道 の 宿 場 町 と し て に ぎ わ っ た 四 日 市 は 、 四 方 山 に 囲 ま れ た 盆 地 の 中 に あ り 、 旅 人 が こ こ に た ど り 着 く の は 大 変 な 難 所 で 、 た ど り 着 い た 宿 で 渇いた喉を潤すのが冥加の水だった。 〇 こ の 西 条 の 地 は 水 が よ い か ら 酒 造 所 が 多 い の だ ろ う 。 今 も 門 前 の 湧 水 を く み に 来 る 人 が 後 を 絶 た な い よ う で 、 そ の 人 た ち が 美 味 し い というから飲ませて貰う。 その先の西条駅南口交差 点で右を見ればJR が見える。 西条駅
西 条 か ら 瀬 野 へ 白 牡 丹 の 延 宝 蔵 の 素 晴 ら し さ に 感 動 し た 後 、 次 の 西 条 駅 南 口 交 差 点 を 横 断 す る が 、 右 手 に 見 え る の が J R 西 条 駅 で 、 左 角 に 建 つ 家 も 旧 家 だ ろ う 。 こ こ か ら 西 へ 向 か う 旧 道 は 商 店 街 で 、 西 条 岡 町 は 特 に 飲食店が多いように感じ、その先左側に ①がある。 山陽鶴酒造 間 も な く 川 を 渡 っ て 西 条 西 本 町 に 入 り 、 右 側 に ② が あ り 、 真 光 寺 す ぐ 左 側 に は ③ が あ る 。 右 か ら 来 る 道 と の T 字 路 に 諏 訪 賀 茂 輝 酒 造 神社とサタケ入口は右とある。 車 の 多 い 道 を 渡 る と 左 側 に 西 条 中 学 校 が あ り 、 や が て 二 股 の 右 側 に ④ が あ る 。 こ の 二 股 で は 右 へ 行 く が 、 そ の 右 側 寺 西 村 建 築 記 念 碑 に西条給食センターがある。 国 道 四 八 六 号 線 を 斜 め に 横 断 す る が 、 こ の 角 家 も 旧 家 だ ろ う 。 国 道 沿 い の 細 い 道 を 進 み 、 国 道 に 合 流 す る 。 そ こ か ら 百 メ ー ト ル ほ ど 、 。 先右側に ⑤があるが 明治三十八年建立のものである 戦没者慰霊碑 そ こ か ら 三 百 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側 に ト ヨ タ 販 売 が あ り 、 そ の 前
か ら 左 斜 め に 入 る 。 間 も な く 国 道 に 合 流 し て 、 す ぐ 友 待 橋 交 差 点 か ら 国 道 と 分 か れ て 西 へ 進 み 、 黒 瀬 川 を で 渡 る が 、 こ こ に は 時 友 待 橋 友一里塚があったという。 新 し い 道 を 越 え る と 上 り で 、 こ の 辺 り の 民 家 は 新 し い 。 こ の 民 家 。 、 が切れると山の中で未舗装の上りが続く 間もなく下り道になると 途中の左側に小祠と ⑥が掲示してある。この飢坂には二 飢 坂の由来 か つえざ か つ の 話 が 伝 わ っ て い る が 、 そ の 一 つ は 大 飢 饉 の 年 の 話 で 、 飢 え に 苦 し む 人 々 が 食 べ 物 を 求 め て 街 道 筋 に 列 を な し て い た 。 こ こ で は 村 人 た ち が 炊 き 出 し を 行 っ て い た が 、 こ の 峠 に 達 し て 力 尽 き て 倒 れ 死 ぬ 人が多く出た。そのことから飢坂と呼ぶようになった。 す ぐ 現 れ 、 今 日 は 日 曜 日 の た め 釣 り 人 が 多 い 。 旧 道 は 二 池 が 二 つ つ の 池 に は さ ま れ た 道 で 、 今 日 は 誰 も 歩 い て い な い せ い か 、 何 度 も ク モ の 糸 に 触 れ る 。 こ れ は 車 で 釣 り に 来 て い る 人 た ち も 、 こ ち ら 側 からは上っていないということだろう。 ま た 上 り 始 め る が 、 こ の 途 中 の 右 側 に ⑦ が あ 旧 山 陽 道 飢 坂 跡 の 碑 り 、 そ こ か ら 下 り 始 め る 。 間 も な く 狭 い 公 園 と シ ャ ー プ の 工 場 で 道
む 進 を 間 の つ 蔵 二 宝 池 延 る の あ 造 に 酒 先 丹 の 牡 坂 白 飢
は 消 え て い て 、 こ の 狭 い 公 園 に は ⑧ が 立 っ て い る 。 こ 修 理 場 跡 の 碑 こ に は 国 鉄 材 修 場 が あ っ て 、 国 鉄 職 員 が 戦 後 復 興 と ロ ン グ レ ー ル 敷 設に気を吐いたが、国鉄業務刷新 でその業を廃止したとある。 シ ャ ー プ の 工 場 の 反 対 側 に ⑨ が 立 っ て い る 。 こ 須 久 茂 池 移 築 の 碑 こ の 二 股 は 右 へ 須 久 茂 池 沿 い に 進 み 、 そ の 先 左 側 の 高 台 に 集 会 所 が ある。この辺りは八本松東の地である。 須 久 茂 池 は 、 今 か ら 約 三 百 八 十 年 ほ ど 昔 の 寛 永 年 代 初 め 、 農 耕 用 水 の 溜 池 と し て 苦 労 し 築 造 し た も の で あ る 。 貯 水 量 七 千 ト ン の 水 は 水 田 を 潤 し 、 旧 山 陽 道 の 往 来 人 に 景 観 を 楽 し ま せ 、 あ る と き は 洪 水 を 守 り 、 干 ば つ を 救 い 、 夏 場 に は 子 供 た ち の 遊 泳 場 と な っ て き た 。 し か し 昭 和 五 十 八 年 こ の 池 を 中 心 と し た 地 域 が 研 究 団 地 と し て 開 発 されるに当たり池を埋め、新しい池を代替地に築造した。 〇 狛 左 側 に 墓 地 が あ り 、 向 か い 側 に 消 防 団 が あ っ て 、 そ の 先 左 側 の ⑩ が あ る 。 そ の 三 百 メ ー ト ル ほ ど 先 右 奥 に ⑪ が あ 犬 と 石 鳥 居 妙 福 寺 り 、 途 中 に は 六 十 二 番 十 一 面 観 世 音 菩 薩 が あ る 。 妙 福 寺 は 、 南 北 朝
時 代 ︵ 一 三 三 一 ー 九 一 ︶ の 草 創 と あ り 、 持 明 院 統 の 皇 子 が 安 芸 の 国 へ 流 さ れ 、 こ の 寺 で 終 わ っ た と 伝 え ら れ て い る 。 室 町 時 代 は 東 西 条 大 内 氏 の 庇 護 を 受 け 寺 領 も あ っ た が 、 そ の 後 は 衰 退 と 復 興 を 何 度 か 繰り返している。 旧 道 の す ぐ 左 側 に 六 十 一 番 大 日 如 来 が あ り 、 そ の 後 ろ に 蓮 池 が あ る 。 そ の 先 左 側 に 八 本 松 市 民 グ ラ ン ド と が あ り 、 右 側 八 本 松 中 学 校 に 教 育 セ ン タ ー が あ っ て 、 す ぐ 左 側 に は 五 十 六 番 地 蔵 菩 薩 と 後 ろ に 大きなグランドがある。 四 つ 辻 は 細 い 道 へ 直 進 し て 、 県 道 六 七 号 線 を 斜 め に 突 っ 切 る 。 坂 を 上 る と 国 道 四 八 六 号 線 で 、 三 十 メ ー ト ル ほ ど 右 へ 進 み 、 す ぐ 左 へ 歩道橋で曲がるとJR である。 八本松駅 旧 道 は 歩 道 橋 で 駅 の 改 札 口 の 前 を 通 り 、 J R の 北 側 に 出 て か ら 左 へ カ ー ブ し て 南 西 に 進 み 、 J R を で 渡 っ て 溝 迫 交 差 点 水 掛 第 三 踏 切 で 国 道 四 八 六 号 線 に 合 流 す る 。 た だ こ の よ う な 不 自 然 な 道 筋 に な っ たのは、JRが敷設されて旧道が消えたためらしい。 合 流 す る と 右 側 に ビ ッ グ ハ ウ ス と ミ ス タ ー マ ッ ク が あ り 、 そ の 先
左 側 に は と あ る が 、 こ れ は 先 ほ ど ま 八 本 松 八 十 八 石 仏 山 コ ー ス 入 口 で眼にした〇〇番の石仏などを指しているのだろうか。 次 の 交 差 点 と の 中 間 で 左 斜 め に 国 道 と 分 か れ る が 、 す ぐ 国 道 の 右 側 に 茅 葺 き 屋 根 の ⑫ が 見 え る 。 そ の 先 は 上 り 坂 で 、 右 下 に 見 永 澤 寺 え て い た 国 道 が ど ん ど ん 離 れ て い き 、 二 股 は 右 の な だ ら か な 道 へ 進 み、小さな流れを渡ると今度は急な上り坂になる。 最 初 の ト ン 前 方 に 県 道 八 三 号 線 の コ ン ク リ ー ト 壁 の 二 股 が 現 れ 、 を く ぐ っ て 向 こ う 側 に 出 る 。 す ぐ 右 折 し て 左 折 す る と 、 初 め の ネ ル 一 軒 と す ぐ 先 の 一 軒 以 外 に 民 家 が な く 、 そ の 上 り の 部 分 だ け が 舗 装 道路で、平坦になると砂利道になる。 下 草 の 道 が 二 股 に な っ た ら 右 へ 進 み 、 左 奥 に 小 さ な ダ ム を 見 な が ら 、 ま た 二 股 に な っ た ら 右 へ 進 む 。 倒 木 も 余 り な く 草 の 背 が 高 い 所 も 一 時 的 だ か ら 、 二 股 で 方 向 さ え 間 違 い な け れ ば 迷 う こ と は な い だ ろ う 。 ま た 途 中 で 横 断 す る 流 れ は 小 さ く 、 少 し ジ メ ジ メ す る 所 だ け 気をつけて歩けば問題ないだろう。 左 側 に ダ ム を 見 て 更 に 進 む が 、 先 人 が つ け た 赤 い ビ ニ ー ル テ ー プ
で 安 心 し て 歩 け る 。 右 側 に ⑬ が あ り 、 下 り が 続 き だ し 大 山 峠 の 石 碑 て右側に ⑭があって、すぐ人口にダムがある。 伝大山刀鍛冶の墓 大 山 峠 は 、 弥 生 時 代 ︵ 三 世 紀 前 半 ︶ 既 に あ っ た と い わ れ る 。 そ の 後 、 京 と 筑 紫 太 宰 府 を 結 ぶ 官 道 に な り 大 山 駅 が 置 か れ た 。 明 治 十 七 年 ︵ 一 八 八 四 ︶ に 国 道 二 号 線 が 新 設 さ れ る ま で 、 国 の 幹 線 道 路 と し て の 役 目 を 果 た し た 。 そ の 間 に は 、 九 州 へ 派 遣 さ れ る 防 人 も 元 冠 の さ きもり げ んこう 急 変 を 京 へ 知 ら せ る 早 馬 も 通 っ た だ ろ う し 、 明 治 維 新 の 吉 田 松 陰 も 高杉晋作も通っていた。 大 山 刀 鍛 冶 の 祖 は 建 武 年 間 ︵ 一 三 三 四 ー 三 七 ︶ 守 安 が 住 ん だ の が 、 ︵ ︶ 、 初代で 何代か続いて天正年間 一五七三ー九一 に宗重となるが 最 後 の 宗 重 の 名 刀 を 除 い て 実 物 の 刀 は 発 見 さ れ て い な い 。 こ の 付 近 には刀鍛冶の屋敷跡があって、たたらなどが出土していた。 〇 東 広 島 市 は 二 股 の 道 標 さ え 立 て て い な い の に 、 広 島 市 に は い る と 、 。 さすがに石碑を立て 旧道に間違いないという保証を与えてくれる ⑮ の 前 を 通 り 、 が あ 旧 山 陽 道 賀 茂 安 芸 郡 境 の 石 碑 代 官 お ろ し の 石 碑
道 峠 山 山 の 大 へ 道 峠 陽 山 山 大 旧
って、 の先で舗装道路になる。 瀬野馬子唄発祥地の掲示 民 家 が 現 れ だ し て 川 の せ せ ら ぎ を 聞 き な が ら 、 白 い ガ ー ド レ ー ル に 沿 っ て 歩 き 、 右 へ カ ー ブ し た 先 で J R を く ぐ る と 国 道 に 出 る が 、 この左角に ⑯という食堂がある。 ルート2 ル ー ト 2 の 百 五 十 メ ー ト ル ぐ ら い 先 で 、 左 斜 め に 国 道 二 号 線 と 分 か れ 、 左 手 の J R 沿 い に 進 む 。 こ の 辺 り 右 手 は 瀬 野 川 で 、 そ の 向 こ うの国道からは離れていく。 や が て 左 へ カ ー ブ し て J R を く ぐ り 、 約 五 十 メ ー ト ル 前 方 の 国 道 を 横 断 す る が 、 国 道 は 左 へ カ ー ブ し て い く 。 横 断 す る と す ぐ 左 側 に 、 、 。 上大山集会所があり 今度は左手が国道で 右手が川とJRになる を 渡 っ て 川 沿 い に 進 む と 、 い つ の 間 に か 見 え な く な っ て 久 井 原 橋 い た J R が 前 方 を 走 り 抜 け る 。 川 と J R に は さ ま れ た 旧 道 は ゆ る い 下りだから楽だが、自転車で向かってくる人は苦しそうである。 川 か ら 離 れ て し ま う と 、 右 側 に 旧 山 陽 道 ⑰ が 涼 木 一 里 塚 跡 の 石 碑 立 っ て い て 、 そ の す ぐ 先 右 側 の 家 に 櫻 河 内 作 太 郎 頌 徳 碑 が あ る 。 ま た 瀬 野 川 が 接 近 し て き て 、 そ の 川 向 こ う の 国 道 沿 い に 食 の 里 五 徳 亭
がある。 左 へ カ ー ブ し て 国 道 に 最 接 近 し て い き 合 流 し 、 七 十 メ ー ト ル ぐ ら い 国 道 を 歩 い て か ら 右 斜 め に 分 か れ る 。 上 っ て 蛇 行 し な が ら 平 坦 に な る と 左 側 に 中 大 山 集 会 所 が あ り 、 そ の 先 を で J R を 清 水 第 五 踏 切 渡る。 右 側 の 山 と 左 側 の J R に は さ ま れ た 道 が 蛇 行 し な が ら 下 り 始 め 、 祖 先 大 山 鍛 右 へ カ ー ブ す る 所 に 太 田 家 累 代 の 墓 所 が あ り 、 そ の 中 に ⑱が立っている。 冶市佐衛門之碑 旧 道 は 右 側 の 下 大 山 集 会 所 を 過 ぎ る と 民 家 が 並 び 始 め る 。 登 瀧 川 を 渡 り 、 更 に 栃 谷 川 を 渡 る が 、 ど れ も 細 い 川 で 山 に 近 い せ い か 流 れ が急である。 で J R を 渡 り 、 左 下 に 国 道 を 見 な が ら 進 む と 、 右 側 清 水 第 七 踏 切 に は 立 派 な 家 が あ る 。 下 り き っ て 国 道 を 斜 め に 横 断 す る が 、 そ の 右 角に土方大作先生碑があり、 ⑲がある。 龍善寺 右 側 の 広 島 上 瀬 野 郵 便 局 の 前 を 通 り 、 県 道 一 七 四 号 線 を 横 切 る と 左角に があり、この辺りは として栄えていたらしい。 道標 間宿
更 に そ の す ぐ 先 左 側 の 民 家 に が 立 っ て い る が 、 こ こ に は 昭 祈 念 碑 和 三 十 年 猛 毒 ヒ 素 が 混 入 し た 森 永 ド ラ イ ミ ル ク の 被 害 を 受 け た 方 の 願いが刻まれている。 こ の 上 瀬 野 二 丁 目 に は 山 頭 火 の 句 碑 が 家 々 に 吊 さ れ て い る が 、 聞 く と こ ろ に よ る と 、 こ こ に は 山 頭 火 が 泊 ま っ た と か で 、 山 頭 火 の 同 好者から吊してくれるように頼まれたという。 下 一 貫 田 交 差 点 で 国 道 を 渡 り 、 J R を で 渡 る が 、 こ 中 原 第 一 踏 切 。 、 の辺りは上瀬野一丁目とある 右へはいる道もなく道なりに進んで で J R を 渡 り 、 瀬 野 小 学 校 前 交 差 点 で 国 道 を 渡 る 。 辰 の 口 第 一 踏 切 本 来 の 山 側 の 旧 道 は 消 え て い る が 、 次 の 辺 り に 現 れ て J 中 田 踏 切 R と 国 道 を 渡 る の だ ろ う 。 旧 道 は そ こ か ら 川 沿 い を 進 む た め 中 田 踏 切からは本来の道筋である。 そ の 先 で 右 の 国 道 へ 上 る 細 道 の 角 に 明 治 二 十 四 年 の 道 標 が あ り 、 更 に 進 ん で 川 を 渡 る と 橋 の 右 角 に と ⑳ が あ 道 標 落 合 一 里 塚 跡 の 石 碑 り 、 こ こ か ら 左 へ 進 む 。 そ の 次 の 右 か ら 来 る 道 と の T 字 路 で 、 右 を のぞくとJR が見える。 瀬野駅
道 旧 が 側 る 右 切 の 横 川 を ら 道 か 国 上 の の 手 橋 左 原 は 井 道 久 旧
逆 か ら 歩 く ︵ 閑 話 ︶ こ れ は 一 方 か ら 歩 く と 難 渋 し た 道 が 、 逆 か ら 歩 い た ら 簡 単 だ っ た 。 。 という例である ここでは広島県内の二ヶ所 について書いてみたい 〇 ま ず 最 初 は 、 広 島 県 の 中 央 よ り 少 し 東 に 位 置 す る 場 所 で あ る 。 J R 本 郷 駅 か ら 湯 坂 温 泉 へ 向 か う 瓦 坂 峠 の 手 前 で 、 国 道 二 号 線 か ら 離 れて進む旧道の道筋である。 本 郷 駅 辺 り の 旧 道 は ほ と ん ど 国 道 を 歩 く こ と が な く 、 左 下 に 国 道 二 号 線 を 見 な が ら 山 側 を 進 む が 、 古 墳 群 が 終 わ っ た 一 番 南 端 で 国 道 に合流して、間もなく左へ分かれる道である。 最 初 に 歩 い た と き は 国 道 二 号 線 に 合 流 し て か ら 、 左 へ は い る 場 所 が 分 か ら ず 、 そ の ま ま 国 道 を 歩 い て し ま っ た 。 更 に サ テ ラ イ ト 山 陽 を 左 手 に 見 な が ら 、 日 名 内 上 交 差 点 か ら 県 道 四 八 号 線 を 歩 い て 、 右 へ 曲 が る 道 が 分 か ら ず に 左 斜 め に 進 ん で 、 ト ン ネ ル か ら 来 る 道 と 合 流して峠へ進んでしまった。
家 に 戻 っ て か ら 資 料 を 調 べ 直 し て み る と 、 国 道 二 号 線 を 歩 く の は 僅 か な 部 分 で 途 中 か ら 左 へ は い る は ず だ が 、 あ れ ほ ど 注 意 し て い た のに入口が分からなかった。 ま た 県 道 四 八 号 線 か ら 右 へ 曲 が っ て ト ン ネ ル へ 通 じ る 道 が あ る は ず で 、 こ れ も 含 め て 歩 い て き た 道 が 納 得 で き な い た め 、 後 日 も う 一 度逆から歩くことにした。 さ て 逆 行 す る た め 、 ま ず 峠 に 入 る 寸 前 か ら 歩 き 直 し て み る と 、 ト ン ネ ル ま で の 道 は 逆 行 し な く て も 左 へ は い る 道 が 分 か り 、 大 き く 右 か ら グ ル ッ と 回 り 込 ん で ト ン ネ ル に 達 し 、 前 回 の 間 違 っ た 県 道 沿 い に上る道と合流した。 更 に サ テ ラ イ ト 山 陽 か ら 逆 行 し て み る 。 こ れ も 歩 い て み る と 何 ヶ 所 か 苦 戦 は す る も の の 、 逆 か ら 歩 く と 分 か ら な か っ た 入 口 も 途 中 の 道筋も解明できた。 た だ そ れ は 結 果 的 な こ と で 、 実 際 は 中 山 家 の 墓 が あ る 所 か ら 民 家 へ 通 じ る 道 は 草 深 く て 、 逆 行 し た か ら 出 口 ︵ 向 こ う か ら 来 た と き の 入 口 ︶ が 分 か っ た の で あ る 。 そ の 結 果 に 基 づ い て 、 二 つ ず つ 吊 り 下
げ た 空 き 缶 が 目 印 だ と 書 い た が 、 も し 空 き 缶 が な か っ た ら 分 か る だ ろうか。 ま た そ の 先 の 旧 道 は ト タ ン で 通 行 止 め の よ う に 見 え た が 、 こ れ は 突 破 し て み る と イ ノ シ シ な ど の 対 策 用 ら し く 、 最 終 的 に は 国 道 か ら の入口まで解明できた。 〇 次 は 広 島 県 の 中 央 よ り 少 し 西 に 位 置 す る 場 所 で あ る 。 山 陽 本 線 で い え ば 八 本 松 駅 か ら 次 の 瀬 野 駅 ま で の 前 半 部 分 で 、 J R か ら も 国 道 二号線からも離れた大山峠を越える道筋である。 こ こ の 部 分 は 特 に 難 し い と い う 指 摘 も な い の に 、 な ぜ か 難 渋 し て 大 山 峠 を 越 え る だ け で 一 日 を 過 ご し て し ま っ た が 、 後 で 考 え れ ば 詰 まらないミスによるものだった。 J R 八 本 松 駅 か ら 国 道 二 号 線 に 合 流 し た 後 、 左 斜 め に 分 か れ て 県 道八三号線をくぐり山道に入り、大山峠を越えるものである。 と こ ろ が 、 こ の 県 道 八 三 号 線 を く ぐ る ト ン ネ ル が 二 つ あ り 、 一 つ 目 で な く 二 つ 目 を く ぐ っ た こ と か ら 間 違 い が 始 ま る 。 舗 装 道 路 に 出
て お か し い と は 思 う も の の 歩 き 進 ん で い る と 、 向 こ う か ら 車 が ゆ っ くり走ってくる。 そ こ で 車 を 止 め て 運 転 手 に 訊 く と ﹁ こ の ま ま 行 っ て 、 突 き 当 た 、 っ て 左 へ 入 る 細 道 が 旧 山 陽 道 だ よ ﹂ と い う か ら 、 そ の ま ま 進 ん で み る も の の 、 ど う も 地 図 と は 違 う 。 そ こ で 戻 っ て 一 つ 目 の ト ン ネ ル を くぐることにするが、この間違いが一つの伏線になっている。 一 つ 目 の ト ン ネ ル を く ぐ る と 二 股 に な り 、 右 の 道 を す ぐ 左 へ 進 む と 山 道 で あ る 。 こ れ な ら 地 図 に 合 致 し そ う な 道 で 、 民 家 二 軒 の 前 の 舗 装 さ れ た 道 も 、 上 り 坂 か ら 平 坦 に な る と 砂 利 道 に な り 、 や が て 下 。 、 、 草道になる 結果的には 二股があって右へ 行くのが旧道だったが 道標も何もないから間違えて左 へ進んでしまったらしい。 そ の う ち に 道 筋 が ハ ッ キ リ し な く な り 、 倒 木 や 草 に 悩 ま さ れ 、 遂 に 戻 る こ と に す る 。 と こ ろ が 戻 っ た 積 も り が 、 途 中 で 分 岐 点 が 現 れ て、また逆の方向へ行ってしまったらしい。 強 引 に 進 ん で み る と ガ ー ド レ ー ル が 現 れ て 、 そ れ を 越 え る と 舗 装 道 路 で あ る 。 服 と 靴 は 汗 と 土 で ド ロ ド ロ で あ る 。 こ ん な 道 な の だ ろ
う か と 思 い な が ら 、 磁 石 を 見 る と 南 西 の 方 向 は 右 で 、 左 は 北 へ 向 か っている。 右 へ 進 ん で み る と N H K や ド コ モ の ア ン テ ナ が あ り 、 そ の 先 は 山 道 は あ る も の の 行 き 止 ま り の よ う な 感 じ で あ る 。 訊 く 人 も い な い か ら 一 一 九 番 に か け て み る と 、 舗 装 道 路 を 逆 へ 進 め と い う 。 結 局 、 ど ん ど ん 下 っ て い く と 、 先 ほ ど の 一 つ 目 の ト ン ネ ル の 所 に 戻 っ て し ま った。 と な る と 他 に 旧 道 へ 進 む 道 が 分 か ら な い か ら 、 今 朝 二 つ 目 の ト ン ネ ル を く ぐ っ た 所 で 教 え て く れ た 、 県 道 八 三 号 線 沿 い で 突 き 当 た っ て左へ入る道かと思う。 し か し 、 こ の 細 道 は 進 ん で み る と 道 な き 道 に な っ て 、 こ れ ま た 大 変なことになり進めず下ることにする。 下 の 方 か ら 車 や J R の 音 が す る か ら 迷 う こ と は な い と は 思 う も の の 、 斜 面 は 急 で 半 端 な 下 り で は な い 。 両 手 に 持 っ た 物 は 仕 舞 い 込 ん で い る が 、 掴 ん だ 木 が 簡 単 に 折 れ る か ら 立 ち 枯 れ て い て 、 ず る ず る っと足を滑らせて落ちそうになる。
一 瞬 の す き を つ い て 蜂 が 手 の 甲 を 刺 し て 逃 げ た ﹁ 痛 い ﹂ と 思 っ 。 た と き は も う 逃 げ て い て 、 大 き く 見 え た が ど ん な 蜂 か は 分 か ら ず 、 これは早く下りなくてはならないと思う。 や っ と 自 動 車 道 に 出 る が 何 処 か は 分 か ら ず 、 や が て 歩 き 始 め る と 国 道 二 号 線 だ と 分 か り 、 地 図 に 出 て い る 工 場 な ど も 現 れ て 位 置 が 分 かる。 蜂 に 刺 さ れ た 所 は 触 ら な い 限 り 痛 く な く 、 そ れ 以 外 に 変 化 が な い の で 放 っ て お く 。 た だ し 翌 々 日 に な っ て 手 の 甲 は 腫 れ て 、 簡 単 に 元 に 戻 ら な か っ た た め ス ズ メ バ チ の こ と が 頭 を か す め 、 次 に 刺 さ れ た らショック死するのではないかと不安である。 や っ と 目 印 の ル ー ト 2 と い う 食 堂 に た ど り 着 く が 、 こ こ は 大 山 峠 か ら 下 り て き て 国 道 二 号 線 と 合 流 す る 所 で あ る 。 一 時 間 ぐ ら い で 越 え ら れ る 峠 を 悪 戦 苦 闘 し て 四 時 間 も か か り 、 腹 も 減 っ た の で 食 堂 に はいることにする。 ﹁こんな汚い格好でもいいですか?﹂ ﹁いいよ﹂
食 事 中 の 店 主 が 応 じ て く れ た の で 、 一 つ 離 れ て 向 か い 合 う 形 で 座 る。そして出してくれた水が旨い。 ﹁ここの水は美味しいですね﹂ ﹁そうだろう。ここに湧き出す水がよいからだよ﹂ そ ん な こ と か ら 店 主 と 会 話 が 始 ま り 、 大 山 峠 を 越 え る の に 苦 労 し てきたことを話す。 ﹁ こ ち ら か ら だ と 簡 単 だ け ど ね 。 何 処 か の 分 岐 点 で 方 向 を 間 違 っ た のかなあ。こちらからは間違えるような分岐点はないけどね﹂ ﹁途中に目印みたいなものはありますか?﹂ ﹁ あ あ 、 い く つ か 石 碑 な ど も あ る し 、 そ れ に 途 中 の 所 々 の 木 に カ ラ ーのビニールテープが吊してあるよ﹂ ﹁ そ ん な も の は 一 つ も 見 な か っ た で す よ 。 そ ん な も の が あ る な ら 、 も う 一 度 、 逆 行 し て み よ う か な あ 。 峠 ま で ど の く ら い の 時 間 が か か りますか?﹂ ﹁峠までは三十五分ぐらいだよ﹂ 食 事 を 終 え て か ら 逆 に 戻 り 始 め る と 、 店 主 が 言 う よ う に 全 然 問 題
なく、上りの途中にはカラーテープがあるから特に有り難い。 峠 を 下 り 始 め て 二 ヶ 所 の 合 流 点 ︵ 向 こ う か ら 来 る 人 に は 分 岐 点 ︶ が あ り 、 こ の 辺 り か ら 目 印 に な る も の が 全 く な く な る 。 そ の 一 つ の 分岐点で間違えたらしく、そのまま八本松まで戻ってしまった。 翌 日 の 早 朝 、 ル ー ト 2 か ら ス タ ー ト す る た め 店 ま で 出 向 い て 、 店 主への礼状を店に差し込んでスタートするつもりだった。 と こ ろ が 準 備 に 朝 早 く か ら 店 に 出 て き た 店 主 夫 婦 に 出 会 っ て 、 昨 日 の お 礼 を い う こ と に な る の は タ イ ミ ン グ が よ い 。 つ い で に ま た 美 味しい水をペットボトルに詰めてくれる。 〇 い つ も の こ と だ が 道 の 合 流 点 は 何 も 必 要 な い の だ が 、 分 岐 点 に は 。 、 道標なり何かが欲しいものである しかしこれもよくあることだが 市 町 村 の 境 目 辺 り は 整 備 さ れ て い な い こ と が 多 く て 、 し か も こ う い う 街 道 の よ う な 歴 史 的 な も の に 熱 心 な 市 町 村 と 不 熱 心 な 所 が あ る 。
瀬 野 か ら 広 島 へ 右 手 に J R 瀬 野 駅 を 見 な が ら 、 そ の 先 の 瀬 野 大 橋 東 詰 交 差 点 を 渡 っ て 、 す ぐ 小 さ な ト ン ネ ル で J R を く ぐ り 左 へ 曲 が る 。 す る と 左 側 に公園があり、旧道は左手のJRに沿うような道である。 こ の 先 左 側 は J R で 右 側 に 民 家 が 並 ん で い て 、 坂 を 上 る と 道 が 広 く な っ た 左 側 に が あ り 、 す ぐ 右 側 の ① が あ る 脇 沖 本 家 跡 地 碑 常 夜 灯 道は祇園神社へ向かう道だろう。 中 野 七 丁 目 と あ り 、 狭 い 道 を 自 動 車 が や り く り し な が ら 入 れ 替 わ っ て い く 。 左 側 の 民 家 に 市 指 定 の イ チ ョ ウ と タ ラ ヨ ウ の 木 が あ り 、 その先右側に中野第一公園がある。 上 り 坂 で 、 左 下 に は J R と 川 と 国 道 が 見 え る 。 下 り 始 め て 左 へ カ ー ブ す る 所 に 安 芸 山 陽 道 の 標 識 が あ り 、 中 野 六 丁 目 に 入 っ て い る 。 前 方 に が 見 え て く る 。 川 を 渡 り 、 右 上 の 学 院 大 広 島 国 際 学 院 大 学 学 の 入 口 を 通 り 越 し 、 ま た 川 を 渡 る 。 ず っ と 下 り の 沿 道 に 民 家 が 並 んでいて、左側にJR が現れる。 中野東駅
中 野 四 丁 目 に 入 っ て 右 側 に ② が あ る 。 先 ほ ど の 学 院 大 学 愛 宕 神 社 辺 り か ら 車 が 多 く 、 特 に 二 輪 車 が 増 え る の は 学 生 た ち に よ る の だ ろ うか。車は狭い道を苦労しながら走っている。 民 家 の 後 ろ に 見 え る 鉄 筋 の 建 物 は 中 野 小 学 校 で 、 左 側 に 津 村 第 一 公 団 が あ り 、 J R が 急 接 近 し た 所 に 安 芸 山 陽 道 の 標 識 が あ る 。 広 島 市 に は よ く 山 陽 道 に 関 す る 標 識 が あ り 、 こ れ は 歴 史 に 関 心 が 深 い こ とを示しているのだろう。 中 野 三 丁 目 に 入 り 、 右 側 に 消 防 団 や が 中 野 出 張 所 や 公 民 館 の 建 物 あり、その隣にコーポやJAが並んでいる。 鳥 上 一 そ こ か ら 三 ー 四 百 メ ー ト ル も 行 く と 、 右 側 の 民 家 の 門 前 に ③ が あ る 。 更 に 三 ー 四 百 メ ー ト ル 行 く と ④ が あ り 、 そ 里 塚 跡 専 念 寺 の先左側に広島中野郵便局と左奥にJR がある。 安芸中野駅 京 田 第 三 踏 中 野 二 丁 目 の 左 側 に 中 野 西 集 会 所 が あ る 先 で 、 J R を で 渡 る と 中 野 一 丁 目 で あ る 。 そ の 先 に 瀬 野 川 が 現 れ る が 、 こ れ を 切 。 、 渡らず川沿いに進む すると右側に久保田鉄工所と岩谷瓦斯があり その向かい側の川岸に ⑤が僅かに残っている。 松並木
右 へ カ ー ブ し て 県 道 八 四 号 線 を 渡 り 、 砂 走 橋 バ ス 停 を 過 ぎ る 。 新 幹 線 を く ぐ り 、 J R を で 渡 っ て 山 陽 本 線 沿 い に 進 む 。 大 力 第 一 踏 切 左 側 に ⑥ が あ る 向 か い 側 は 春 日 神 社 の 参 道 で 、 そ の 先 左 側 常 夜 灯 の 味 付 け 海 苔 の 工 場 が あ る 辻 の 角 に 、 海 田 町 ふ る さ と 館 や 畝 第 一 ・ うね 第二古墳などについての ⑦がある。 標識 こ の 辺 り の 旧 山 陽 道 も 、 国 道 と ほ と ん ど 別 の 場 所 で 静 か な 佇 ま い で あ る 。 た だ 家 は 新 し い 物 が 多 い よ う だ か ら 戦 災 に よ る 影 響 か と 思 ったが、この後になって趣のある古い建物が現れる。 畝 一 丁 目 は 石 塀 の 連 な る 家 並 み で 、 右 側 に 安 芸 山 陽 道 の 標 識 が あ る 。 石 原 バ ス 停 が あ り 、 T 字 路 を 形 成 す る 右 か ら 来 る 道 を は さ ん で 常 本 天 神 道 一 丁 と 永 山 信 楽 墓 江 二 ︵ 下 が 埋 ま っ て 読 め な い が 丁 か ︶ と二つの がある。 道標 成 本 バ ス 停 の 先 左 側 に 東 海 田 郵 便 局 が あ り 、 次 は 上 市 バ ス 停 と あ る が 、 こ の 辺 り は 地 名 が こ ろ こ ろ 変 わ る よ う で あ る 。 こ の 上 市 バ ス 停がある家は旧家らしい重厚さである。 海 田 右 側 に こ の 地 を 寄 贈 し た 加 藤 陽 三 先 生 顕 彰 碑 が あ り 、 左 側 に
。 、 町役場 熊野神社 がある その反対側に安芸山陽道の標識と ⑧があり ま た す ぐ 先 右 奥 に は ⑨ が あ る 。 こ こ は 藩 主 の 公 用 御 茶 屋 跡 ︵ 本 陣 ︶ 宿 泊 施 設 ︵ 御 茶 屋 ︶ だ っ た が 、 宿 駅 の 整 備 ・ 拡 充 に 伴 い 本 陣 の 役 割 ︵公家・幕府役人・大名などの宿泊所︶をはたすようになった。 そ の 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 に が あ り 、 左 側 に 海 田 中 恵 比 須 神 社 店郵便局があって、更に がある所は脇本陣跡である。 海田公民館 右 側 に が あ り 、 そ の 先 左 側 の ⑩ は 立 派 で あ る 。 真 宗 寺 千 葉 家 住 宅 そ の 千 葉 家 住 宅 の 敷 地 が 切 れ る 四 つ 辻 で 、 直 進 す る の が 旧 道 だ が 、 左へ曲がればJR である。 海田市駅 、 、 千葉家住宅は江戸屋敷中・後期の建設様式で 玄関は入母屋造り 座 敷 は 数 寄 屋 風 書 院 造 り で あ る 。 千 葉 家 の 祖 先 は 下 野 国 真 壁 ︵ 栃 木 ︶ 、 ︵ ︶ 、 ︵ ︶ 県 で 後に信州国伊奈 長野県 に移り 永正の頃 一五〇四ー 安 芸 国 ︵ 賀 茂 郡 西 条 付 近 ︶ に 移 り 、 大 内 氏 に 属 し て 小 早 川 隆 景 の 配 下 で 活 躍 し た 。 後 に 海 田 へ 来 住 し 江 戸 時 代 は 天 下 送 り ・ 宿 送 り 役 を は じ め 年 寄 ・ 組 頭 な ど の 役 職 を 勤 め 、 脇 本 陣 で も あ っ た ら し い 。 天 下 送 り と は 幕 府 の 公 用 文 書 や 荷 物 な ど を 継 送 す る 役 の こ と で あ る 。
木 並 宅 松 住 の 家 い 葉 沿 千 川 の 野 田 瀬 海
〇 左 へ 曲 が れ ば J R 海 田 市 駅 に い く 四 つ 辻 で は 、 そ の ま ま 直 進 す る の が 旧 道 で あ る 。 そ の す ぐ 右 側 に は ⑪ が あ り 、 こ こ の 銅 製 梵 明 顕 寺 鐘は享保年中︵一七一六ー三五︶のものだとある。 そ の 先 右 側 の 細 道 に と あ り 、 の ぞ く と 参 道 は 石 段 で 山 大 師 寺 参 道 の 上 に 続 い て い る 。 右 側 に 海 田 町 真 田 会 館 が あ り 、 そ の 前 に 真 田 安 夫翁顕彰碑が立っているが、この土地を寄贈した人らしい。 清 正 寺 海 田 市 一 里 塚 跡 の 石 標 そ の 十 メ ー ト ル ぐ ら い 先 右 側 に 、 と ⑫ が 立 っ て い て 、 奥 を の ぞ く と 寺 が 見 え る 。 相 変 わ ら ず 旧 道 は 狭 い か ら 歩 く の に も 注 意 が 必 要 で 、 車 も 行 き 交 う の に い ち い ち 止 ま っ て いる。 船 越 六 丁 目 に 入 っ て 、 四 つ 辻 に 船 越 観 音 と 豊 稔 寺 は 右 と い う 標 識 が あ る 。 更 に 進 ん で 広 い 道 と の 四 つ 辻 を 越 え る と 、 右 側 は 船 越 四 丁 目で、左側は船越五丁目である。 右 側 に 公 園 が 現 れ て 安 芸 山 陽 道 の 標 識 が あ り 、 次 の 四 つ 辻 に 立 つ には岩滝山登山口は右四〇〇mとある。 標識
左 角 に 船 越 郵 便 局 が あ る 四 つ 辻 で 、 直 進 す る の か 右 折 す る の か 迷 ったが、ちょうど地元の人に出会って船越峠は右折だと分かる。 右 側 に 現 れ る ⑬ は 岩 滝 神 社 の 参 道 で 、 こ こ か ら 旧 道 は 上 り 常 夜 灯 坂になり、道が狭いのに出勤時間帯だから車が多く大変である。 右 側 の 船 越 二 丁 目 と 左 側 の 船 越 一 丁 目 を 貫 く 旧 道 は 、 め ぐ み 幼 稚 園 の 掲 示 を 見 た 先 で 二 股 に な る が 、 右 へ 進 む と 歩 道 が つ い て 広 く な るものの、またすぐ歩道が消えて道も狭くなる。 や が て ⑭ の 頂 上 で 安 芸 区 か ら 府 中 町 に 入 り 、 道 は 急 に 広 く 船 越 峠 な り 歩 道 も つ く 。 右 側 に 府 中 町 清 掃 事 務 所 が あ る 先 で 左 へ 入 る 道 は 無 視 を し て 、 次 の 少 し 広 く て 左 斜 め に 下 っ て い く 道 を 進 み 、 左 側 の ⑮ の 前 を 通 る と 間 も な く 柳 ヶ 丘 西 交 差 点 で 、 先 ほ ど 分 か れ た 道 御 堂 と合流する。 新 幹 線 沿 い に 進 ん で か ら 左 斜 め に 入 っ て 、 左 側 の ス パ ー ク と い う ス ー パ ー 前 の 府 中 町 永 田 交 差 点 で 、 県 道 と 新 幹 線 を 横 断 す る 。 す る と二本の道の真ん中に小さな休憩所があり、この左の道を進む。 恵 す ぐ ま た 二 股 が 現 れ た ら 左 の 道 で 川 に 出 て 、 前 方 左 手 に 小 さ な
⑯が見える手前で、旧道は左へ曲がり川から離れる。 比須神社 左 側 の 民 家 の 入 口 に 小 さ な 地 蔵 堂 が あ り 、 そ の す ぐ 先 の 浜 田 本 町 三 丁 目 交 差 点 を 横 断 す る 。 こ こ か ら は 左 側 が 大 通 一 丁 目 で 、 右 側 が 大通二丁目である。 右 側 の 浜 田 会 館 の 前 を 通 り 、 府 中 大 橋 東 詰 交 差 点 に 達 す る 。 こ れ を 横 断 し て 直 進 す る の が 旧 道 だ が 、 右 へ 曲 が る 所 に 多 家 神 社 参 詣 道 の が立っている。 石標 直 進 す る 旧 道 は 新 幹 線 沿 い で 、 気 賀 新 町 五 丁 目 交 差 点 を 左 へ 行 け ば J R で あ る 。 右 側 に ス ー パ ー ハ リ ウ ッ ド と い う 大 き な 建 天 神 川 駅 物の手前、交差点を左へ入れば広隆寺がある。 や が て 芸 備 線 を く ぐ る と 、 そ の 右 側 に は ⑰ 二 葉 の 里 歴 史 の 散 歩 道 に つ い て 掲 示 が あ り 、 そ こ の 曙 町 五 丁 目 東 交 差 点 か ら 右 斜 め に 県 道 と 分 か れ る 。 尾 長 東 一 丁 目 の 途 中 の 右 側 に が あ り 、 間 も な く 法 明 寺 尾長東二丁目になり、突き当たって左へ曲がる。 右 側 に 谷 本 ク リ ニ ッ ク と 左 側 に タ ク シ ー 会 社 が あ り 、 や が て 右 か ら 来 る 道 と の T 字 路 の 右 奥 に 瀬 戸 内 高 校 が あ る 。 そ の す ぐ 先 左 側 に
示 掲 の 松 道 本 り 三 下 と の 蔵 ら 地 か 全 峠 安 越 通 船 交