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経済成長論の現在 一非主流的視角からの現状評価一

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(1)

一非主流的視角からの現状評価一

有 泉   哲

1980年代半ば以降、経済成長論は第3のブーム期にある。このブームをもた らしたものは内生的成長論の登場である。Solw(1994)から引用しておこう。

内生的長論の真の価値は、技術進歩の内生的部分を経済成長論の不可欠な構成要素 としてモデル化する試みから出てくると考える。ここでも先駆者はRorner(1990)

であった(1)。

このような内生的技術変化モデルには、規模の経済があり、独占的競争があり、

そして技術革新がある(2)。これらの諸要素はすべて、非主流的理論の側がその 重要性を指摘し続けてきたものである。本稿は、このような主流的成長理論の 現状を、非主流的理論の立場から評価・検討することを試みたものである。

なお、内生的成長論のうちにはいわゆるAKモデルが含まれるが、現実の経 済成長の中心にある技術変化に焦点を当てることのないAKモデルは、ここで の検討の対象外とした。AKモデルを含む主流的成長論の全体については、

Barro and Sala−i−Martin(1995)を参照されたい。また、非主流的成長論も 含む成長理論の全体については、Pasinetti and Solow(1994)を参照された い。そこに収録された諸論文のうちには、Dosi el al.(1994)のように興味 深いものも含まれるが、その検討も本稿の対象外である。

I Solowモデルと2つの基本的問題点

Maddison(1991)によれば、1820年以来今日までの間に、先進資本主義諸 国はその総生産を70倍にまで増大させた。歴史上前例のないこの170年間の経

(2)

済成長の時代を、彼は「資本主義の時代」(the capitalist epoch)と呼ぶ。

         一

ナは、資本主義的成長過程の本質的な(あるいは主要な)特徴はどこにある

ヴィジョン

のだろうか。この間に対する答は、当然に、理論の依って立つ経済像に依存す

る。

1つの経済像は次のようなものである。

およそ資本主義は、本来経済変動の形態ないし方法であって、けっして静態的では ないのみならず、けっして静態的たりえないものである。しかも資本主義過程のこの 発展的性格は、ただ単に社会的、自然的環境が変化し、それによってまた経済活動の 与件が変化するという状態のなかで経済活動が営まれる、といった事実にもとつくも のではない。この事実もなるほど重要であり、これらの変化(戦争、革命、等)はし ばしば産業変動を規定するものではあるが、しかもなおその根源的動因たるものでは ない。さらにまたこの発展的性格は、人口や資本の準自動的増加や貨幣制度の気まぐ れな変化にもとつくものでもない。これらについても右とまったく同じことがいえる。

資本主義のエンジンを起動せしめ、その運動を継続せしめる基本的衝動は、資本主義 的企業の創造にかかる新消費材、新生産方法ないし新輸送方法、新市場、新産業組織 形態からもたらされるものである。

……スとえば1760年から1940年までの労働者の家計の内容は、単に一定線上での成 長ではなく、質的変化の過程を経たものである。同様にして、輪作、耕転、施肥を合 理化しはじめたところから、今日の機械化された器具一エレベーターや鉄道と連絡 して一にいたるまでの典型的な農場生産設備の歴史は、革命の歴史である。木炭が まから現在の型の溶鉱炉にいたる鉄鋼産業の生産装置の歴史、上射水車から現代の動 力工場にいたる動力生産装置の歴史、駅逓馬車から飛行機にいたる運輸の歴史、みな しかりである。内外の新市場の開拓および手工業の店舗や工場からU・S・スチール のごとき企業にいたる組織上の発展は、不断に古きものを破壊し新しきものを創造し

●    …

て、たえず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変異一生物学的用語を用い ることが許されるとすれば一の同じ過程を例証する。この「創造的破壊」(Creative Destruction)の過程こそ資本主義についての本質的事実である。それはまさに資本 主義を形づくものでり、すべての資本主義的企業がこのなかに生きねばならぬもので

ある(3)。

そこにあるものは、資本主義過程の「発展的」(evolutionary)性格であり、

(3)

資本主義発展の「根源的動因」としてのイノヴェーションである。そして、こ れは、定常状態へ向かおうとする諸力を打ち破る対抗諸力のうちに資本主義過 程の1つの本質的特徴を捉えようとするものである。

これに対して、Solowの2のつ論文(Solow1956、1957)以来、30年間にわ たって、経済成長の理論と言えば新古典派成長論であった。

では、新古典派成長論は何を資本主義的成長過程の主要な特徴と捉えたので あろうか。周知のとおり、それは定常成長経路の存在とその安定性である。資 本主義的成長通過は定常成長経路に収束する。これがSolowモデルの捉える過 程の基本的特徴である。

新古典派の世界は、市場における需給不均衡がすべて価格によって調整され る世界である。そこでは、労働市場において常に完全雇用が成立しており、投 資は完全雇用の下で生ずる貯蓄と常に等しい大きさに決定される。そのような 世界において、一定の貯蓄率の下に進展する資本蓄積は、システムを人口成長 率に等しい定常成長経路に収束させる。このSolowモデルの結論のカギとなる

ものは、一次同次(規模に関して収穫一定)で要素収穫逓減の集計的新古典派 生産関数の存在であり、その上で生ずる資本と労働との技術的代替である。い

ま、資本・労働比率をkと書き、貯蓄率をs、人口成長率をnとしたとき、

ok=sf(k)−nk

という運動方程式において、f ik)>o, f (k)<oという特性(資本の限界生 産逓減)が均衡の安定性を保証する(4)。つまり、Solowモデルは、要素収穫逓 減の生産関数上で生ずる資本と労働との代替のうちに、資本主義的成長過程の 主要なメカニズムを捉えたこととなる。

このように見てきたとき、30年もの間、経済成長の研究の中心に新古典派成 長論があったということは、ある意味で奇妙なことである。その奇妙さを一言 で言うならば、 経済成長の原動力を欠いた成長理論 という点にある。それ は、何が成長の主要因かということを問うことなく、システムの安定性に焦点 を当てた理論であった。

もちろん、Solowモデルの拡張は直ちに始まった。有名なKaldor(1961)の 6つの「定型化された事実」(5)(stylized facts)に照らして言えば、技術水準 を一定とするそのままのSolowモデルでは、どれ1つこれを説明することはで きない。しかし、Solowモデルに外生的なハロッド中立的技術進歩(6>を導入す

(4)

ることによって、新古典派成長論は、2つを除いて、これらの「事実」をうま く「説明」する(η。そして、うまく「説明」することによって、30年間にわたっ て中心的な地位を占めることとなる。

だが、「説明」する上で不可欠の役割を果たす技術変化は、与件として外か ら与えられるものであって、理論が説明するものではない。 経済成長の主要 因の説明を欠いた成長理論 という性格は、そのまま残るのである。

ところで、Solowモデルには、もう1つ、大きな問題点(Solowの立場から すれば課題)が存在した。長くなるが、Solow自身の述べるところをそのまま 引用しておこう。

このように技術の記述に焦点を合わせたことには、一つ悪い副次的結果が伴った。

それは、有効需要の問題に私があまり注意を向けなかったと思えることである。別の 言い方をすれば、経済成長理論は均衡成長経路からの乖離に関する理論を大いに必要

としていたし、今でもそれに変わりはないということである。

長期と短期のマクロ経済学をどう統合するかという問題は、いまだ解決されていな い問題である。……

ハロッド=ドーマーの原モデルは、これらの困難を両方とも含んでいるものと思わ れた。私は、彼らのモデルを拡張することによって、第1種の不安定性の困難をとり 去ることに成功したと考えている。しかし第2種の困難は、実のところ、短期のマク ロ経済学と長期のそれとの統合、すなわち景気循環理論と成長理論との統合に深く関 連している。ハロッドと多くの同世代の論者は、投資行動についてきわめて特殊な

(そして納得しがたい)仮定をおくことでこの問題と取り組んだ。当時の私は、この 不安定性の二つの概念について今ほど明確な区別を意識してはいなかったように思う。

今の私としては、この未解決問題をつぎのような形で述べておきたいのである。すな わち成長理論の一つの成果は、均衡成長を平穏な状況下における資産価格形成と関係 づけたところにあった。しかし不均衡成長が含む難問は、動揺しつつある状況下での 資産の評価に関して真にすぐれた理論がまだつくられておらず、ことによるとそれを つくることは不可能かもしれないという点にある。(この評言の例証として1987年ほ

どお読え向きの年はまたとあるまい!)

……ャ長理論は経済の均衡経路について語ったりそれを比較したりするための体系 的な手段を与えるべくつくり出されたものであった。その仕事に関しては、成長理論 はかなりの成功をおさめてきた。しかしそれを行うにあたって、成長理論は均衡成長

(5)

からの乖離を正当にとり扱うという同程度重要で興味深い問題を適切な把握すること には失敗した。この点について可能な一つの解決法は、私には考え方が間違っている ように思われる。それにしたがえば、「経済変動」は均衡成長からの乖離なのではな く、経済成長の例にすぎないものであって、そう主張することによって、この立場は 分析上のの問題の存在そのものを否定してしまうものである。私の印象では、この立 場の信奉者はほぼ北米に限定されている。おそらく、ヨーロッパ経済の経験がそのよ うな解釈にはまったく適していないのであろう。しかし、もしそうであるとすれば、

ほかにはどんな代案があるのであろうか。

そのためには、皆さんのお気に入りの景気循環モデルを均衡成長経路の上に重ねる だけでは十分ではない。このようなやり方も、きわめて小さな乖離の場合、しかもど ちらかといえばその乖離がごくわずかに自己相関をもった「誤差」といった性格のも のである場合にはあるいは許されるかもしれない。しかし1979年以来のヨーロッパ経 済大国の歴史に例示されるような、均衡成長からの四半期を越える実体的な離反に徴 してみれば、均衡成長経路自体が短中期の経験によって影響を受けないと信じ込むご とはできない。とりわけ、資本形成の大きさの方向は、新設備への粗投資をつうじて であれ旧設備の加速度的廃用化をつうじてであれ、景気循環によって影響を受けざる をえない。私はまた、職業、産業、地域などによる労働市場の分割も、そのそれぞれ が失業量を異にしていることをつうじて、同様に均衡経路に反作用を及ぼすという考 えに傾いている。したがって、趨勢と変動を同様に分析しようとすれば、事実上どう しても長期と短期あるいは均衡と不均衡を統合することが不可避となってくるのであ

る(ω。

ノーベル記念講演におけるこの発言は、Solowの優れた現実感覚を示すもの として読むことができる。

価格がすべてを調整iする新古典派成長論の世界では、需要制約(有効需要)

の問題が入り込む余地は無い。しかし、現実はケインズ的であって、有効需要 の問題は常に存在している。伝統的ケインジアンの 新古典派総合 は長期に おいては均衡成長が実現し、有効需要の問題は均衡からの短期的な乖離を説明 するという立場に立つことで、両者の 和解 を図った。しかし、Solow自身が 述べているように、「均衡成長経路自体が短中期の経験によって影響を受けな いと信じ込むことはできない」以上、そこには、「長期」の理論と「短期」の 理論との深刻な分裂が存在することとなる(9)。

(6)

さて、新古典派成長論は出発点においてこの2つの基本的問題を抱えていた 訳だが、近年の内生的成長論の登場は、このうち第1の点に焦点を当てるもの である。しかし、その検討に入る前に、最適成長論に簡単に触れておこう。

Solowモデルにおいては貯蓄率は外生的な与件であった。すなわち、それは、

個人の合理的選択というミクロ的基礎づけを欠くものであった。これに対して、

無限の時間視野を持つ代表的個人の厚生最大化問題を解くことによって、貯蓄 率を内生化するというものが最適成長論である。このようなSolowモデルの拡 張によって、この理論は、分権的市場経済の成長経路が自ずと社会的に最適な 成長経路に合致すること(分権的市場経済の最適性)を「論証」する。

このようなSolowモデルの拡張に対しては、 Stiglitz(1990)の次のコメン トが的確な批判となっている

Solowモデルでは、各々の労働者の労働供給量は固定されており、貯蓄率も固定さ れている。労働供給も貯蓄率も選択理論の原理から導びかれてはいない。今日の多く の経済学者にとって、これは致命的な批判点であろう。確かに、もし今日Solowがそ の論文を提出したならば、多くの雑誌から、「理論的基礎づけ」の欠落と「貯蓄と労 働供給のアド・ホックな性格」とを指摘する短い否定的な返答を受け取ることとなる だろう。しかし、オリジナル・モデルに存在するこれらの「ギャップ」を埋めた、以 後の諸論文から、一体、何か新しい洞察が得られたであろうか。代表的個人を用い、

完全な資本市場を仮定する、選択理論に基礎づけられたモデルが、Solowのアド・ホッ クとされる仮定によるよりも、より優れた実証的記述を提供すると信ずべき多くの理 由があるだろうか。実際、より強く次のように問うことができる。すべての個人が同 一であると仮定するような、あるいは、簡単な集計を可能とするような簡単な効用関 数を全員が持つと仮定するようなモデルが、特定の集計変数の振舞いを記述しようと するSolowモデルよりも、果して、アド・ホックである度合いの低いものであろう

か(1°)。

これに加えるならば、Samuelson(1962)の言う「代理生産関数」である集 計的新古典派生産関数の存在もまた、かなり強い仮定である。荒(1975)が示 すように、異質的資本財の世界でマクロの観点から資本の限界生産という数量 に確定的な規定を与えることができるのは、すべての産業部門において「労働 の資本集約度(11)」が等しい場合に限られる。この強い仮定に、代表的個人とい

(7)

う同じく強い仮定を重ねて、その上に数学的精緻化を施したとしても、そこか ら得られる結論は、現実適合性という点では著しく脆弱な基盤に立つものとな

る。

H Romerの内生的技術変化モデル

Solowモデルに内生的技術変化を導入しようという試みは、すでに1960年代 から取り組まれていた。その際、最大の問題は、技術変化の導入のもたらす非 凸性(規模の経済)にあった。

いま、Yを産出、 Kを資本、 Lを労働、そしてAを技術知識の水準として、

KとLについて1次同次の生産関数

Y=F(A,K, L)

を考えてみよう。ここで、技術知識の生産という経済活動を明示的に考慮に入 れて、例えば、K。、 L。をそれぞれ研究部門に投入される資本と労働とし、技 術水準が

A=A(K。,L。)

という関数で示されるとする。このとき、KとLについて1次同次の上の生産 関数は、すべての投入要素については規模の経済を示すことになる(あるいは、

Aを最終財部門の投入要素と見れば、A、 K、 Lについて規模の経済を示すご

ととなる)。

しかし、このような規模の経済の存在は、完全競争均衡とは相容れない。こ こに困難があった。

より具体的に言えば、上の生産関数において、

Y一

ロK+器L<舘A+銀K+器L

が成立する。したがって、競争的市場均衡において、資本と労働にそれぞれ限 界生産が支払れれば、最終生産物はすべてそれによって尽くされてしまい、技 術知識生産への対価はどこからも生じない。逆に、生産された技術知識にその 限界生産が支払れるならば、最終財生産企業には負の利潤が生ずることとなる。

このことは、経済成長論に内生的技術変化を導入するためには、完全競争の

(8)

仮定を捨て去らなければならないことを意味していた。しかし、1960年代には、

それに取って代わるべき不完全競争の理論は未成熟であった。

この困難を打開して内生的成長論(内生的技術変化モデル)登場の基礎を提 供したものは、独占的競争理論の発展である。具体的に言えば、次の形の生産 関数が考案されたことであるω。

1一碇 A     麿

Y=L  Σκ(i),    0<α<1      (1)

L二1

ここで、κ(i)は第iタイプの差別化された中間財の投入量であり、Aは最終財 生産企業に入手可能な中間財の種類の総数を示す。但し、ここでは、内生的成 長論の文脈に即して、Aをすでに発明された中間財の種類の総数と考える。し たがって、新たな発明はAの上昇となり、Aは技術知識の水準の指標となる。

この生産関数は、それぞれの投入要素L,κ(i)について要素収穫逓減の性格 を示し、かつ、すべての投入要素について1次同次となっている。

生産関数をこのように定式化したとき、最終財産出Yは中間財種類の総数A の増加関数となる。この点を明らかにするために、中間財は共通の物量単位で 測れるものとし、中間財生産に対称性を仮定して、すべてのi,」(1≦i,

j≦A)についてκ(i)=κ(j)=κとし、(この等式は均衡において成立する)中 間財投入総量をKと書くとき、K=Aκだから、(1)式は次のように書き直さ

れる。

Y−Lh

̀κα一Lh̀hiAκ)α一AhiLhKαj (2)

明らかなように、ここでは、労働投入量L及び中間財投入総量Kを一定とした とき、中間財の種類Aの増大とともに最終財産出量Yは増大することとなる。

これをRomer(1986,1987)は「専門化(specialization)に基づく規模の経 済(13)」と呼び、A.Smithの「分業の利益」の大まかな数式的定式化とする。

したがって、この定式の下では、技術知識の生産(新たな中間財の発明)は、

「専門化の利益」を通じて最終財生産に規模の経済を生ずることとなる。同時 に、(1)式はLとκ(i)について1次同次であることから、最終財部門に完全競 争均衡が成立する。そして、後に見るように、中間財部門には独占的競争均衡 が成立し、そこでの独占利潤が技術知識生産への対価を支払うこととなる。こ のようにして、価格がすべてを調整する新古典派的一般均衡が可能となる。

(9)

さて、上に述べたところを踏まえて、Romer(1990)の「内生的技術変化 モデル」を見てみよう。このモデルは少々複雑なモデルであるが、ここではで

きるだけ簡潔に、その要点を示しておきたい。なお、Romerモデルにおいて 技術知識生産は2つの役割を果たしている。1つは、「専門化の利益」を通じ て経済成長を主導する役割である。もう1つは、知識のスピルオーバーによっ て生ずる外部効果であり、これは技術知識生産自体の生産性を上昇させる。こ の2つの役割に焦点を当てた点にRomerモデルの中心的アイディアがある(14)。

モデルにおける基本的な投入要素は、資本K、労働L、人的資本H及び技術 水準の指標Aの4種である。なお、簡単のため、L及びHは一定とする。また、

技術水準は中間財の種類の範囲によって示されることとする。すなわち、技術 進歩は中間財の種類の増大として扱われる。

モデルは3部門から成る。すでに発明された中間財の範囲を[0,A]とし たとき、最終財生産部門は、次の生産関数に従って同質の最終財Yを生産する。

Y−H;LβネAκ(i)卜α一βdi,

0<α<1, 0<β<1, 1一α一β>0       (3)

但し、HYは最終財生産部門に投入された人的資本、κ(i)は第iタイプの中間 財投入量である。また、労働は、この経済において最終財部門にのみ投入され ることとする。なお、ここでは、整数制約が問題を複雑にすることを避けるた め、iを連続量として扱う。この経済の諸価格は最終財単位で測られることと し、最終財価格を1とする。

中間財部門は、このモデルでは耐久資本財生産部門として扱われる。ここで は、研究部門から購入したデザインに即して、最終財η単位を資本財1単位に 変換する。なお、研究部門の開発したデザインには永続的パテントが与えられ ており、特定のデザイン購入企業のみが特定のタイプの資本財を生産すること ができる(排除可能)。そして、企業は、生産した資本財をp(i)のレンタル・

レイトで最終財生産企業に賃貸しするものとする。ここで、この経済のタイプ ごとの資本財存在量はκ(i)となる。更に、総資本ストック量をKと書き、こ れを資本財に変換された最終財の数量で測ることとする(15)。このとき、Cを総 消費量とし、資本減耗を捨象すると

K=Y−C

(10)

が成立する。

研究部門は、人的資本と既存の技術知識を用いて、新たな資本財のデザイン を生産する。ここでは、δを生産性パラメータとして、

■A=δHAA       (4)

と定式化される。但し、H。は研究部門における人的資本投入量である。また、

Aは直接にはすでに発明された資本財デザインの範囲を示すが、これは技術知

識の指標である。そして、研究・開発にあたっては既存の技術知識は誰でも利      ●

用可能(非競合)であるので、技術知識の水準が高いほどAは大きくなる。こ    ●アで、AがHAについて線形であるのは簡単化の仮定である。これに対して、

Aについて線形である点はより強い仮定である。すなわち、この線形性の仮定 がモデルの均衡における一定率での成長を可能とする⑯。

なお、経済全体では、当然のこととして、H。+H。=Hである。また、いく つかの記号を定義しておくと、rは利子率、 P、は新たなデザインの価格、 W。

は人的資本のレンタル・レイトを表わす。研究部門では誰でも既存知識を利用 して新たなデザインの生産に従事しうるとされているところから、(4)より

WH=PAδA

となる。

モデルの生産サイドの叙述を終えるにあたって、p(i),κ(i)がどのように 決まるかを見ておこう。独占的競争状態にある資本財生産企業は、P。とrを 与件として、利潤を最大化するようにp(i)とκ(i)とを決定する。そこで、ま ず、第i資本財生産企業の直面する需要関数を求めよう。これは最終財部門の 企業行動から導びかれる。

いま、とりあえずH,を与件としたとすると、最終財部門の直面する最大化

問題は、

m鱒H;Lβκ(i)1一α一β一P(i)κ(i)]di

となり、これをκ(i)で偏微分してゼロとおけば

      α  β   一α一β 吹ii)=(1一α一β)HYL κ(i)

(11)

これが第i資本財企業の直面する(逆)需要関数となる。ところで、このモデ ルの定式において資本財企業には対称性が仮定されているところから、κにつ いて(i)を落として記すことができる。

すでにデザイン購入に固定費用を投入している各資本財企業は、その収入マ イナス可変費用を最大化する。

なお、pはレンタル・レイトであるので、費用も利子費用をとる。これを同様 にして解いてやれば、

_    rη

P=@ 1一α一β

2  σ  β 1訂 死= (1一α一β)H。L

また、独占利潤は π=(・+β)薩

となる(17)。

ところで、この部門への参入は自由であるから、πの割引現在価値がP。を 上回る限り、新たなデザインを購入しようとする需要がP。をせり上げること

となる。したがって、各時点において     τ

レ°°e一岬dsπ(・)d・一私(t),(5)

が成立することとなる。なお、上式は、P、が一定値であれば、π(t)=r(t)PA となる。

モデルの消費者選好サイドについては、最適成長モデルの定式と同様である。

代表的消費者は、無限の時間視野に立って次の厚生関数を最大化する。

イ、(のe一ρ厩

(12)

1一σ

      c −1

@      ,σ∈[0,。。]但し、u(c)=       1一σ

ここでρは将来効用の主観的割引率である。また、即時的代替の弾力性σは一 定という便利の良い定式を用いる。このモデルでは、消費者の保有する純資産 価値は資本財企業の市場価値である。そして、代表的消費者は労働賃金、人的 資本のレンタル収入に加えて、先の独占利潤を配当として受け取ることとなる。

このことから導びかれる予算制約(flow budget constraint)の下で、上の最 大化問題を解いてやれば、必要条件の1つとして次のRamseyルールが導び

かれる。

■£−1(,一ρ)

C    σ

以上のように、モデルから導かれる変数間の諸関係を提示した上で、Romer はモデルの定常成長に焦点を当てる。

いま、(3)式をκ(i)=元とおいて書き直すと、

α  β   1一α一β

Y=HYLA元

一H;LβA(η萄1一

α      β    1一α一β    α+β一1

=(HYA) (LA)K   η

となる。これは、通常の新古典派生産関数に労働増加的かつ人的資本増加的な 技術進歩を導入したものと、形式的には同一である。したがって、もしAが外 生的に一定の率で成長するならば、最適成長モデルの議論に照らして、KもY

もCもAと同一の率で成長する定常成長経路が存在することとなる。そこでは、

rもKとAの比(したがって効も一定値となる(18)。

そこで、(4)式を見れば、Aが一定率で成長する条件はH。が一定であると いうことである。したがって、人的資本の両部門への配分が一定のとき、モデ ルは定常成長にあることとなる。ところで、人的資本のレンタル・レイトは両 部門で同一でなければならないから、

(13)

PAδA=WH= ∂Y

∂HY

となる。この右辺を計算して整理すると、

α  α一1 β 1一α一β

PA=−HY L元      (6)  δ

となる。ここで、定常成長においては死,HYともに一定値であるから、 P、もま た一定値でなければならない。そこで、先の(5)式において、PAを一定値と

して整理すると、

  π  α+β      1一α一β       α  β

@        (1一α一β)HYL死PA=・一=

r      r

これを上の(6)式に代入して整理すると、

HY= δ(1一α一β)(α+β)α r

となり、これが定常成長経路上のHの分割を与える。また。定常成長における 共通の成長率をgと書くと、

●      ・      ●      ●

b Y K A

9=一=一=一=一=δHA  C Y     K A

であるから、

g=δ(H−HY)=δH−Ar      (7)

         α

Aし、A=

@    (1一α一β)(α+β)

となる。ここで、モデルの消費者選好サイドにおける先のRamseyルールより、

  1

X=一(r一ρ)  σ

(14)

これと(7)式より、

σδH十ρ r= σA十1

δH−Aρ 9= σA十1

となり、定常成長率をモデルのファンダメンタルズによって表現することがで

きる。

以上からRomerの導く主な結論は次の諸点である。

第1に、(7)式に示されるように、利子率の低下は定常成長率を上昇させる。

したがって、消費者選好における主観的割引率ρの低下や即時的代替の弾力性 σの上昇は定常成長率を上昇させる㈹。このように利子率が成長率に影響を及 ぼすのは、(5)式において、新たな技術知識の価格PAが独占利潤πの割引現 在価値に等しくなることによる。言い換えれば、利子率が低いほど技術知識生 産の収益性が高くなることによる。

第2に、人的資本賦存量が大きけばそれだけ定常成長率は高い。そこには、

人的資本量に関して規模の効果(scale effect)が存在する。そして、人的資 本賦存量が非常に少ない場合には、研究部門へ人的資本が配分されることなく、

経済成長の生じえないケースも存在する(2°)。このことが、諸国間に観察される 長期成長率の大幅な相違(ばらつき)と、いくつかの国では1人当り所得の成 長率がほぼゼロであるという事実の、1つの説明となる(21)。

第3に、分権的市場経済の成長経路は社会的に最適な成長経路に合致しない。

ここでは、2つの理由から、研究部門に用いられる人的資本が過少となる。1 つは、技術知識生産の外部効果(スピルオーバー)の存在である。2つは、新 たな技術知識を体化した資本財に独占価格が設定されることである。この2つ の要因によって、技術知識生産の私的収益と社会的収益との間に乖離が生ずる こととなる。その結果、分権的市場経済の成長率は社会的最適成長率を下回る こととなる。そして、人的資本賦存量を一定とするこのモデルの枠内では、技 術知識生産に対する政府補助が、これを矯正して社会的最適を実現するための 手段として有効である。

(15)

皿 主流的成長理論の現状の評価

主流的成長理論の現状を評価するに当たって、第1に指摘しておかなければ ならないことは次の点である。

1980年代以来、経済理論は大きな変革の過程にある。一言で言えば、それは、

新古典派一般均衡理論の明示的あるいは暗黙の仮定の課す 拘束衣 (strait一 jacket)を脱ぎ捨てる過程である。それらの仮定の中でとりわけ重要なものは、

情報の完全性、市場の完備性、市場の競争性そしてイノヴェーションの不在に 関する諸仮定である。

新古典派理論の核心(hard core)をどこに求めるのかという問題はより深 い省察を要求するが(22)、ここでの議論のレベルでは、 価格は諸資源の希少性 についての情報を伝える 、 価格は資源配分の強力な手段である という、価 格の資源配分機能への 信頼 にそれを求めることとしよう。上の諸仮定は、

価格信号のみによってすべての調整がなされるシステムとして資本主義経済を 描くために、最低限必要な諸仮定のいくつかである。

これに対して、現在進行しつつある変革の一方の中心にある情報の経済学が 明らかとすることは、市場経済における資源配分は価格のみによるものではな いし、価格は必ずしも希少性のみのシグナルではないという点である圏。この 先にあるものは、制度であり、組織であり、資本主義経済システムの進化的多 様性である。

翻って、内生的成長論を見れば、そこには、規模の経済があり、不完全競争 があり、技術革新がある。これらは、一般均衡理論において仮定により排除さ れてきたものである。更に、そこではもはやPareto最適性は維持できない。

それらの意味では、内生的成長論も現在の経済理論変革の大きな流れの一環で はある。しかし、前節で見てきたように、資本主義経済システムを基本的に価 格のみによって調整されるシステムとして描く点で、内生的成長論はまさしく 新古典派成長論である。この点は確認しておかなければならない。

第2に、規模の経済の作用する下での内生的経済成長というアイディァは、

決して新しいものではない。Romer(1986)も指摘するように、それは Young(1928)に遡ることができる。そして、 Young論文の含意を十全に検 討したものはKaldor(1972)であった。そこでの検討結果を一言で言えば、

均衡経済学の不適切 であり、それに対置するものは、需要と供給との 累積

(16)

的因果連関 (cumulative causation)の過程としての経済成長である。

        f

アれに対して、現在の内生的成長論は 均衡経済学 としての内生的成長論 である。その相違がどこかにあると言えば、それは規模の経済の捉え方にある。

新古典派的な完全競争均衡と両立しうる規模の経済は、Marshall流の外部 効果のケースに限られることは、すでに知られている点である。「専門化に基 つく規模の経済」の定式化とされる(1)式は、中間財部門に独占的競争均衡を 成立させつつ、最終財部門に同様の外部効果を生じさせるための工夫である。

この工夫によって、そこでは、規模の経済と一般均衡とが両立させられる。

(1)式を再掲しよう。

1一α A     α

Y=L  Σκ(i),    0<α<1

1=1

これが通常の生産関数と相違する点は、κ(i)について加法的に分離可能となっ ている点である。このとき、Yをκ(i)で偏微分すると、

∂Y     1_σ  。_1

=αL κ(i)

∂κ(i)

となり、第iタイプの中間財の限界生産は、他のタイプの中間財の投入量に依 存しないこととなる。すなわち、各タイプの中間財の限界生産は相互に独立と

なる。

そこで、(2)式を見てみよう。

1一α   a    1一α  1一α     α    1一α   1−G  耀

Y=L  Aκ=L  A  (Aκ)=A  (L  K)

先に見たとおり、K及びLを一定としたとき、 Aの増大はYの増大を導く。そ の根拠は、いま述べた各中間財の限界生産の独立1生にある。中間財投入総量K=

Aκを一定としてAが増大するということは、各中間財に共通の投入量κが低 下するということである。そして、各中間財について、相互に独立に要素収穫 逓減を仮定するこの生産関数上においては、κの低下は、各中間財の限界生産 が上昇することを意味している。これが、Aの上昇がYの増大を導く理由であ

る。そして、Romerモデルの均衡においては、κが一定値のままAが一定率で

(17)

上昇することとなる(したがって、KニAκも一定率で増大することとなる)

が、これを通常の生産関数に即して言えば、資本蓄積の進展(Kの増大)に伴 う要素収穫逓減の発現を、技術水準Aの上昇が抑える形となっている。

したがって、ここで定式化された「専門化の利益」とは、中間財の種類が増 えることによって、個々のタイプの中間財の要素収穫逓減の発現を抑えること の利益ということとなる。この利益は2つの仮定に依存している。1つは要素 収穫逓減の仮定であり、これは新古典派生産関数を新古典派生産関数たらしめ ているものである。2つは、中間財投入について加法的に分離可能という関数 形の仮定である。それぞれのタイプの中間財は、相互に直接の代替関係にもな ければ、直接の補完関係にもない(エンジンとタイヤの両方を用いても自動車 は生産できるし、片方しか用いないでも自動車は生産できる)というこの定式 は、しかし、かなり限定的なものである。この2つの仮定という狭い基礎の上 に生ずる上の「専門化の利益」と、現実経済のうちに遍く観察されるSmith の「分業の利益」との間には、大きな隔たりがある閻。

もっとも、上の「専門化の利益」は1つの擬制である。それは、新古典派的 枠組に規模の経済を取り込むための1つの工夫である。そして、新古典派の世 界を前提とすれば良く出来た(便利の良い)工夫である。

しかし、このようなi擬制を用いることが、Smith, Youngにとって(したがっ てまた、Kaldorにとって)本質的な重要性を持つポイントを見えなくさせる。

そのポイントは何かと言えば、それは、「分業は市場の広さによって制限され る㈲」という点にある。

このことの含意を述べる前に、先のRomer論文に一言触れておこう。確 かに、Romerも次のように述べて「市場の広さ」に言及している。

ここで構成されたモデルの均衡の、おそらく最も興味深い特徴は、市場の規模の拡 大が所得と厚生の水準ばかりでなく、その成長率にも影響を及ぼす点である。より大

きな市場は、より多くの研究とより高い成長を誘発する(26)。

しかし、Romerモデルにおいて「専門化」の範囲を制限しているものは、人 的資本の賦存量(資源制約)であって、「市場の規模」(需要制約)ではない。

そうであるからこそ、 資源の希少性のシグナル としての価格がすべてを調 整する世界が出現するのである。

(18)

さて、議論を先に進めるために、ここで、規模の経済と呼ばれる現象につい て少々考えてみよう。

1つは装置産業に典型的に見られるケースである。単純化して言えば、エチ レン・プラントにしろ高炉にしろ、その建設コストは半径の2乗に比例するの に対し、その容積(生産能力)は半径の3乗に比例して増大する。また、プラ ントの保守・管理及び運転に要する労働力は、規模の拡大に比例しては増加し ない。但し、ここで重要なことは、現実は決してこのように単純なものではな いという点にある。プラントにしろ機械設備にしろ、それは、それ自体1つの システムなのであって、規模の拡大は、構造デザイン、機能デザイン及び素材 についてバランスのとれた技術革新なしには実現できないものである。言い換 えれば、規模の経済とは、それ自体が技術進歩の1つの発現形態なのである。

この点は次に述べるケースと全く同じであり、そこで述べる含意についても同 様である。

2つに、Youngの重視した点であるが、複雑な過程を一連の単純な過程に 分解することの利益であり、また、そのことによって可能となる専用機械の導 入のもたらす利益である。これは、その古典的な形態においてはSmithのピン 製造の事例そのものであるが、より現代的な(生産の迂回度の高い)事例とし て、YoungはFordシステムをとりあげる。そして、次のように述べて、

「分業は市場の広さによって制限されるというAdam Smithの有名な定理(27)」

の重要性を指摘する。

1本の釘を打つのにハンマーを製造することは無駄であろう。何であれ手元にある 用具を用いれば良い。100台の自動車を作るのに、特別製の治具、ゲージ、施盤、ド

リル、プレス機械及びコンベアーから成る精巧な設備を工場に備えつけることは無駄 であろう。……もしその生産量が非常に少なければ、Ford氏の方法は全く不経済で あろうし、例え他の自動車製造業者が大量と呼ぶような産出量であっても、利益を伴 わないものとなるだろう(28)。

ここでも留意しなければならないことは、Ford的大量生産様式の導入は1 つの(この場合は大きな)技術革新であるという点である。すなわち、それ以 前には存在しなかった新たな生産方法、新たな生産組織の導入だという点であ る。そして、Youngの強調点は、このような新たな生産方法、新たな生産組

(19)

織の導入が市場の大きさによって制限されるという点にある。これを言い換え れば、市場の拡大がそのような技術革新g)導入を可能とするという点にある(29)。

3つに、 学習効果 (1earning by doing)の存在である。これは、特定 の生産工程での経験を積むにつれ、労働者の習熟が進むという点のみでなく、

しばしば 1earning by using と呼ばれる側面とも併せて、現場の生産経験や 製品の使用経験を通じて、個々には小さな無数の技術改良の積重ねの生ずる過 程である。そして、現実の生産性上昇の大きな部分は、このような連続的技術 進歩の積重ねの結果であることは、Rosenberg(1982)の強調する点である。

なお、この効果はしばしば動学的規模の経済と呼ばれるが、上の技術進歩が累 積生産量(生産経験)の増大とともに進行することに着目しての命名である。

以上の3点は、直接には内部効果としての規模の経済に着目したものである。

そして、これらの総体が、諸企業・諸産業が織りなす産業連関の補完関係の網 の目を通じて、国民経済全体としての規模の経済(「分業の利益」)を構成する。

そして、この総体としての「分業の利益」が「市場の広さ」によって制限され るというのが、Youngの言う「A.Smithの定理」である。

では、市場の大きさは何によって規定されるのであろうか。これはYoung の問うところである。それは人口や面積のみの問題ではなく、購買力の問題で ある。では、購買力は何によって規定されるのかと言えば、それは生産能力に 依存する。

全体として見るならば、すなわち、市場を特定の産業の生産物の販路として、した がってその産業にとって外的なものとして見るのではなく、生産物一般の販路として 見るならば、市場の大きさは生産量によって規定され、定義される。……

このより広い市場の概念の下で修正すれば、A.Smithの格言は、分業は主として 分業に依存するという定理に帰着する。これは単なる同義反復を超えるものである。

もし私がその意味するところを正しく読むならば、それは、経済均衡へ向かう諸力を 絶えず打ち破る対抗諸力は、我々が冒般に理解しているよりもはるかに一般的であり、

現在の経済システムの構造により深く根ざしたものである、ということを意味してい る。外から入り込んでくる新しいあるいは偶発的な諸要素ばかりでなく、財の生産方 法の永続的な性格である諸要素も、絶えず変化へと向かう。狭く技術的な意味で新し い「発明」と呼ばれるものに基づくものであれ、あるいは、科学進歩の産業への新規 の応用に基づくものであれ、生産組織のあらゆる重要な進歩は産業活動の諸条件を変

(20)

え、産業構造の到る所でそれへの反応を惹き起こす。そして、それらはそれらで、更 に一層の治まるところのない効果を及ぼす。このようにして、変化は累積的な方法で 増殖する㈹。

この引用部分に、YoungそしてKaldorの議論の核心がある。

すでに述べたように、規模の経済とは技術進歩の1つの発現形態である。そ して、市場の拡大が、これまで存在しなかった新たな生産方法、新たな生産物 そして新たな生産組織の導入を可能とするならば、逆に、後者の導入のもたら す生産と所得の増大が、市場の一層の拡大を惹き起こす。ここでの市場の拡大 は、再び、大きな技術革新であれ 学習劾果 を通じた連続的技術進歩であれ、

新たな変化を呼び起こす。こうして、原因が結果となり、結果が原因となって、

過程は内生的かつ累積的な変化の過程として進行する(31)。

もちろん、このように述べた限りでは、これは未だ 理論 ではない(靴これ は、現実の経済システムがどのように振舞うかについての見方、すなわち経済 像の表明である。しかし、この経済像は現実の過程に十分根ざしたものである。

この経済像に見られるものは、冒頭に引用したSchumpeterの場合とも似て、

進化的な(evolutionary)過程としての資本主義的経済成長である。もちろん、

両者の経済像の間には小さくない相違がある。しかし、「経済均衡へ向かう諸 力を絶えず打ち破る対抗諸力」としての生産方法、生産組織の内生的変化のう ちに、資本主義過程の主要な特徴を見るという点では、両者の経済像は類似で ある。そして、このような過程は、必然的に、歴史依存的なものとなる。そこ では、現在は過去の変化に依存し、未来は現在の変化に依存することとなる。

これは、諸資源の賦存量が与えられれば定常成長経路が算出され、完全予見 下の最大化行動によって自ずとそこに収束することとなるRomerの世界とは、

遠く隔たった世界である。

なお、関連して、先のSolow(1988)からの引用に一言触れておこう。そこ での「均衡成長径路自体が短中期の経験によって影響を受けないと信じ込むご

とはできない」という指摘は重要である。しかし、そこでSolowの提起する課 題は、価格がすべてを調整する長期均衡という概念を保持した上での「長期と 短期の統合」の課題であった。これに対して、Young, Kaldorの立場に立つ ならば、経済成長過程とはそもそもが需要と供給の相互作用の過程である。そ こには、過程に本質的な要素として、需要制約(市場の大きさの制限)が入り

(21)

込んでいる。そして、このとき、価格がすべてを調整する長期均衡という概念 自体が成立しえないものとなるというのが、ここでの結論である。ここでの議 論は、上の重要な指摘からSolowが課題を提起するその問題の建て方自体を 否定するものである。

主流的成長理論の現状を評価するに当たって、第3に指摘すべき点はその非 歴史性である。但し、ここで言う「非歴史性」とは、歴史上の諸社会構成のう ちに相違を見ないという意である。社会関係から切り離された抽象的個人から 出発する方法論的個人主義は、新古典派理論の核心にあるものであり、本稿で あらためて指摘するまでもないものである。また、その検討は本稿の対象外で ある。ここでは、先のRomerの議論にかかわる限りで、簡単に触れておき

たい。

Romer論文の主要な結論は、人的資本の賦存量が経済成長率を規定すると いう点にあった。そして、人的資本が非常に少ない場合には経済成長の生じえ ないケースも存在するとされていた。この点を指摘した箇所で、彼は、このこ とが先史時代における経済成長の欠如を説明するとも述べている。この先史時 代への言及に関連して、興味深い事例を対置しておこう。

シアネ族が最初に《発見》されたのは1930年だが、当時彼らはまだ石斧を使ってい た。……1952年にソールズベリーが調査を開始したとき、スチール斧がすでに部族交 易を通じて導入され、石器の使用は老人だけになっていた。

インフォーマントの言によると、こうした作業は昔石斧を使っていたときには、現 在の3倍から4倍時間がかかっていた、とのことである。……

3倍も生産性があがり、労働時間比率が30%も減ったのに、シアネ族の畠は大体以 前と同じ広さのままで、所有する資本財の蓄積も行われなかった。……

……カ計労働で浮いた30%分は、社交的な訪問に3%ふりむけられて倍増し、儀礼 的行為に11%ふりかえられてこの部分が2.6倍も急増し、また新規の活動やフットボー ル……に17%も充当された。……財的所得の増加の代替として彼らがこうした活動を 選んだのも、「新しいスチール・テクノロジーの導入は、どんな種類の財を作るのに 使用できたはずの時間を解放したのだから、あらゆる種類の財を供給できる潜在能力 をたかめたはずである。だが、生存財に対する需要は、社会の既存の役割構造からし てつねに一定だったので、もはやそれ以上生産されなかった」圃。

(22)

ここでの人々の行動原理は 必要の原理 とも呼ぶべきものである。生活の 必要が満たされるところで生産活動は止む。スチール斧の導入という技術革新 は、経済成長を導くことなく、余暇の増大に帰結する。この社会において経済 成長を 阻んで いるものは、社会構成員のこの行動原理であり、言うまでも なく、これは社会関係の反映である。

もっとも、新古典派の効用関数はその内容についてオープンであるから、こ れを余暇に対して強い選好を示す事例として説明することは不可能ではない。

しかし、この場合には、人類は長く 必要の原理 の下で生存してきたこと、

そして、人類史から見れば、人々が 致富の原理 とも言うべきより多くの富 の追求へとその行動原理を転換したのは、比較的最近のことであるという事実 は、社会的規定性から切り離された諸個人の選好の独立性すなわち抽象的個人 の仮定を危ういものとする。

第4に、経済学は技術変化をブラック・ボックス内で生起する事象として扱っ てきた。これは、現在の内生的成長論についても全く同様である。すべての時 代、すべての国に共通の新古典派生産関数と技術知識生産関数という2つのブ ラック・ボックス   これは、現実の技術変化が社会・経済システムとの相 互作用のうちに持つ意味合いの豊富さに対して、あまりにも 貧弱 な道具だ てである岡。

この点は、技術変化を新古典派理論に取込むことの本質的な困難という点と もかかわっている。この困難について、Solow(1994)の述べるところを見て おこう。

これ(技術変化をモデル化すること)は、多くの理由から、大変困難な問題である。

研究・開発には、おそらく取り除き切れない外生的要素がある。……知識の進歩には 内的論理一時に非論理一があって、それは経済的論理とは無縁のものかも知 れない。このことは、技術革新の部分的には内生的な性格を否定するものではない。

しかし、これは、新たな技術の 生産 は投入と産出の問題というほどに単純なもの ではないだろう、ということを示唆するものである。成功した技術革新の高い金銭的 収益が、資源をR&Dに向かわせるであろうということを疑うものではない。困難な 部分は、それから先に何が生ずるかをモデル化するところにある。

第2の困難は、疑いなく第1のものと関連しているが、多くの研究プロジェクトを とりかこむ大きな不確実性である。この不確実性のあるものは、確率的ではないとい

(23)

うことがありうる。もし、 Knight的不確実性 がどこかに登場するとすれば、それ はここに違いない。もしそうであるならば、適切な分析テクニックは欠落する。第3 に、有望なモデルを得たとしても、どうやってそのことを知りうるのか不明瞭である。

表面的なもっともらしさは1つの基準であるが、しかし、十分な基準ではない。実証 的素材の最良の源は歴史的なケース・スタディであろう。しかし、真実の検定はあい まいなまでに制限されている。

もちろん、D&D過程をその文脈的詳細において研究する歴史家、社会学者そして 経済学者がいる。彼らの洞察と結論は、通常、マクロ経済モデルの作製者が用いうる ような形式のものではない。そして、彼等は、必要な抽象化とコード化をある種の冒 漬と見倣しさえするだろう。たとえそうであっても、他の研究スタイルから出てくる 一般化を無視することは許されない。技術革新のモデルを虚空から(out of thin

air)構成することも可能である。しかし、入手可能であるならば、もっと耐久性の ある素材を用いる方が、確実に良い。最良の方策は、疑いなく、モデル作製者と非形 式的方法を用いる研究者との間の、一方の明確さの要求と他方の複雑さを重んじる心 との妥協へ向けた共働であるだろう圃。

ここでも、Solowの現実感覚は優れている。 Solowの挙げる第1、第2の 困難、そして第3の困難とかかわって指摘される共働の必要性、これらはすべ てその通りである。しかし、Solowの言う共働の先にあるものは、おそらく、

「妥協」ではなく、新古典派パラダイムの終焉であるだろう。

ここでは2点だけ指摘しておこう。

おそらく、最も破壊的なものは、Solowも指摘する Knight的不確実性 であろう。このような不確実性が研究・開発につきまとうことは、技術(史)

研究者が常に指摘してきたところである。現在のR&Dへの資源配分が将来ど のような事象に帰結するのか、その確率分布すら与えられていないという状況 の下で、人々は、一体どのようにして 限界費用と限界便益の均衡 を計算す るのだろうか。そして、このような真の不確実性の下で、果して、 Pareto最 という概念が意味を持つものであろうか。そこには否定的な答しか用意し えないであろう。

しかし、問題は技術の領域だけに限られる訳ではない。現実世界の複雑性と 人間の認知能力及び計算能力の限界とを考えれば、このような不確実性は、

Solowの言うところを超えて、人間生活にははるかに普遍的なものである。

(24)

そして、このとき、Allen(1994)の次の指摘が重要な意味を持ってくる。

ここで思い起こしておくべき重要な点は、人類はそのようなシステムの中で進化し てきたのであり、そのような永続的不確実性とともに生きる能力は、我々にとって極 めて自然なものだということである。しかし、そのことは、同時に、我々の為すこと の多くは、合理性の言葉をもってしては説明できないであろう、ということを意味し ている㈹。

これは、合理的経済人の公準の否定に行き着くものである。

2つに、Solowの言う技術変化の「内的論理」という点では、技術研究者 の側から、興味深い定式化が生じつつある。Dosi(1984)の言葉を用いれば、

科学の領域に パラダイム があるとすれば、技術の領域にも 技術パラダイム とも呼ぶべきものがある。それは パラダイム が「一般に認められた科学的 業績で一時期の問、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの㈱」

であるのと同様に、大きな可能性を持った1つの原理的に革新的な技術であっ て、技術者集団に対して、その可能性の実現に向けてどのような問題を選択す べきかの選択基準を与え、その解決へ向けた手順を示し、そのことによって、

引き続く技術変化の方向を規定するものである。これは、Rosenberg(1976)

の 焦点装置 と類似の概念であり、そこに描かれる技術変化の軌道( 技術ト ラジェクトリー )は、Nelson and Winter(1977)の言う技術の 自然トラ ジェクトリー と重なるものである。そして、 焦点装置 としての 技術パラ ダイム が、その約束する可能性の大きさによって技術変化の方向を支配する とすれば、それは同時に、他の技術的可能性に対して、企業や技術者集団を言 はば 盲目 にする( 技術パラダイム 排斥効果 )。言い換えれば、企業や 技術者集団の技術研究活動は、潜在的に可能なすべての領域で生ずるものでは ない。それは、特定のパラダイムの枠内で、(Kuhnの 通常科学 を文字って 言えば)「通常技術」として生ずるものである。

このような定式化の含意は豊富であり、それらは長期的な経済変動を説明す る際の1つの基礎を提供するものである㈹。しかし、その点に立入ることは本 稿の目的を超えることとなる。

ここでの議論に直接にかかわる点に限って1点指摘しておけば、上の定式の 最後の部分から直接に、現実の技術進歩は局所的な技術進歩であるということ

参照

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