理科教育における観察の機能に関する実験的研究(第30報)
観察における観点の意味(3)
高 野恒 雄
(1978年10月12日受理)
Experimental Studies
on the Function of Observation in Science Education(XXX):
Meaning of the Viewpoint in Observation(3)
Tsuneo TAKANO
(Received October 12,1978)
Abstract
The observation of natural phenomena related to the viewpoint of time
is investigated with emphasis on the role of viewpoint in the observation.
The observation of the swing of a pendulum is analyzed from the viewpoint of time, and the difficulty of such observations is co㎡irmed. The reason for this difficulty and the easiness of observation from the point of view of space is considered.
§1 研究の意味 1)
{研究の第28報(観察におげる観点の意味(1))において,観察を促進するため,「ものの見方」を どう形成すべきかという問題意識のもとに考察を進めてみた。まず,この問題の背景となる科学観を 展望し,観察の本質を考える手がかりとした。
そして,観察におげる「観点」の果たす役割を,本研究の1〜27報において,実例について検討し,
観点の持っている選別の機能と有機化の機能を柱に,11種の観点を分類した。
前29報(観察に糊る観点の意味(2げ}こおいては槻察における観点の背景セこある講の枠組の性 格を明らかにするため,人間の観察行為そのものをどうとらえるかの問題について,諸論を比較した。
この観察についての全体的視点に立った把握を前提に,伊東俊太郎氏の創造的発見の様式を考え,
3)
サのうちの一つである類推の基礎的なあり方の例として,本研究(第11報)のヨウ素の観察における スライドによる観点の暗示効果を検討した。
その結果,霜の結晶の多様な姿についての視聴覚的な把握が,ヨウ素の結晶についての観点を示唆 するはたらきを,類似による類推の基礎的な様式の例としてとらえた。
観察の背景に存在するいろいろなものが「観点」としてはたらくことの意味は,ここにその基礎的 な一つの様式を示していると解されるのである。
本報においては,前報のヨウ素の観察と霜のスライドにおける映像の観察が,いずれも主として空
間的な観点のもとに,対象をとらえていることを考え,これと対照的に時間的な観点に立つ観察の場 合は,どのような事情があるのか,どこに問題点があるのかを考えたのである。
§2 観察問題と調査結果
観察の態様を考えると,どのような観点に立って観察を進めるかが観察の機能を促進するのに重要 なポイントであることは前報までにのべた通りであるが,本報においては,主として時間的な観点に 立った観察を吟味するわけである。
ここで注意を要するのは,純粋に空間的な観点や純粋に時間的な観点は,実際にはあまりないと考 えられることである。本報で扱う振り子の観察の場合もそうであるが,各観察点をみていくと,主と して空間的な観点や主として時間的な観点が比較的鮮明にはたらく場合があるので,それらを比較観 察の手がかりにしたのである。
4)
マ察問題は本研究第12報で扱った振り子の観察であるがその骨子はつぎのようである。
用いた実験装置は,力学の実験器具の一部を利用して仕組んだ第1〜3図のようなものである。
鉄製の枠の上部に横糸をふつうの強さ(糸が少したるむ程度)に張り,この横糸の中央部に8㎝ほ ど離して2本の糸を結びつけ,それぞれの糸の先端に重量の等しい金属のオモリを結びつけてある。
ナモリの重量は269で,体積は3㎡である。また用いた糸の重さは1加当り1.49で少し太めの糸で
ある。
そこで教師が一方のナモリを振って他方のオモリに振動を伝えるのであるが,この場合実験を3種 類行った。
第1の実験は,オモリをつけた2本の糸の長さを,いずれも等しく55伽にした場合である。第2の 実験は,始めに手で振る方のナモリの糸を55㎝,他方の糸を50㎝とし,糸の長さを少しちがわせた場 合である。第3の実験は,始めに振る方のオモリの糸を55αη,他方の糸を27.5㎝とし,糸の長さを2
:1の割合に,ずっとちがわせた場合である。
それぞれの場合に異なっだ振り子の運動が行われるので,被検者はこれらを比較観察することによ って,運動に一定のキマリがあることに気づき,現象の中にひそむ法則的なものを見い出すようにな るであろうと考えたわけである。実際には,つぎのような意味の指示を与えた。
「これから行う三つの実験,すなわち糸の長さが同じ場合,糸の長さが少しちがう場合,糸の長さ がずっとちがう場合の各場合において,振り子をよく観察すると,いろいろな動き方をすることがわ かる。それぞれの場合について,できるだけよく観察して記録してほしい。また最後には,三つの実 験全体からわかったことを,まとめて書いてほしい。」
三つの実験は,教師の手によってそれぞれ2回ずつ行い被検者に観察させ(約5分間を要する),
一つの実験が終る毎に15分間の記録の時間を与えた。
実験を教師が行うとき,一方のオモリを始めに振る際は,オモリのついた糸が約45°の角度になる ように位置し,オモリを静かに放してやると,なめらかで振巾の大きい振動が行われ,それが次第に 他方のオモリに伝わって振動をよび起こすようになる。この際,糸の長さがちがう場合は,現象を顕 著にするために,長い方を始めに振るようにした。また,糸の長さが同じ場合は,二つの振り子が同 じでまぎらわしくなるのを防ぐため,始め静止状態におくオモリの方に赤いテープをまき,目印とし 区別しやすいように配慮した。
一_16㎝_8→_16㎝_ _16㎝._8._16㎝_ ・㎝ αη
糸 糸
55㎝ 50㎝
鉄 糸 55㎝ 鉄 糸 製 製
枠 枠
オ オ モ モ
リ リ
第1図 第1の実験 第2図 第2の実験
_16㎝.x.8軽16㎝_
㎝
糸
27.5㎝
糸
鉄
55㎝製 枠
オ 言
第3図第3の実験
〆、
振り子の観察の採点基準は,要約すると第1表のようである。なお洛観察点の観察率を表の右側の 欄に記した。
第1表 観察点と観察率
4年生 6年生
6年%
A:糸の長さが同じ場合
A1
一方の振りが他方に次第に伝わって,両方振れるようになる。 100.0 100.0
1.0A2
振りの周期(速さ)は両方同じ○
4.3 25.0 5.8A3
振りの進み具合は,他方がおくれる。
86.9 95.8 1.1A4
振巾は次第に大きくなり,遂には両方ほとんど同じになる。
6.5 8.3 1.3 B:糸の長さが少しちがう場合B1
振りの周期は(速さ),短かい方が短かい(速い)。
2.2 10.4 4.7B2
両方の振りの方向が反対になり,短かい方がほとんど止まることがある。
56.5 60.4 1.1B3
その後は再び始めのように振れ出す。
43.5 39.6 0.9B4
全体を通して長い方は,ほとんど変わらないで振れる。
152 35.4 2.3B5
振れ巾は,.短かい方が小さい。
80.4 93.8 1.2C:糸の長さがずっとちがう場合
C1
短かい方の周期は,ずっと小さく振りが速いo
2.2 2.1 1.0C2
全対を通して短かい方は,ほとんど変わらないで振れる。
32.6 45.8 1.4C3
短かい方の振巾は,非常に小さい。
95.7 95.8 1.0D:三つの実験からわかったこと。
D1
振り子の運動が上の横糸を通して,他方に移り伝わること。
34.8 37.7 1.1D2 振り子の糸の長さが短かいほど,振りの周期(速さ)が短かい(速い)
6.5 8.4 1.3D3
糸の長さがちがう場合の振りは,一様なくり返しでなく変化に波があること。
10.9 33.4 3.1§3 時間的観点による現象把握の困難
第1表において,太字体で示した観察点は,主として時間的な観点によって現象を把握する場合で ある。ところで,この観察点は,その他の観察点に比べて,おしなべて著しく低い観察率を示してい るといってよい。この事実は,振り子の観察において,観察者である子どもたちの示す特徴の中でも 特に目立つことである。
この特徴を強く示す事実で,とりわけ対照的なのは振り子の振巾についての観察と,周期について の観察の違いである。つまり,振巾についての観察は,なかなかよくなされている。観察率が相当に
高い。
それに対して,周期についての観察は特にむずかしく,観察できにくい。周期についての現象は,
もとより振り子の運動によって認められるものであること,空間的なとらえ方もはたらいていること は当然であるが,主として時間的な観点に立っての観察であることは,まちがいのないところである。
以上のように,時間的な観点に立っての観察は,相当にむずかしいことが分ったのであるが,この
時間的な観点による観察は,筆者の扱ってきた振り子以外の観察の場合にも見られることなのかどう かが関心の対象になる。
そこで,振り子の観察と他の観察とにおける観察得点間の相関係数を資料にして,検討してみるこ 5)
ニにする。筆者がさきに行った調査結果はつぎの第2表のようである。
ここで求めた7種の観察問題の観察得間の相関係数の中で,最も高し値を示すのが,振り子の観察 と水素の観察との間の相関である。+α586という値は,相当に大きな相関係数といわなければなら
ない。
ところで水素の観察とは,容量約20ccの試験管にα1規定硫酸約10ccを入れたものと,別に約19 の華状亜鉛を1個づっ配布しておき,つぎのような説明を与える。
「試験管の中には希硫酸が入れてある。今この中に別に配布した亜鉛を入れると,水素ガスが発生 する。この場合かなり多くの現象がみられるが,それらの現象をできるだけくわしく観察して記録し てほしい。」
観察しうる現象は18,よって採点は18点満点。
この水素の観察においては,気泡の発生状態が時間の経過とともに少しつつ変っていくことをつか みとることが大切である。特に前後意識というか,過去一現在の流れとして現象をとらえ,「これ からどうなっていくだろうか?」という関心,いいかえれば一種の未来意識が,現象に対する観察態 度をプラスの方向にうながすものと考えられる。
このような特徴をもつ水素の観察は,一口でいえば「変化の観察」といえる性格をもっており,時 間的な観点による観察を相当にふくんでいるといえよう。
したがって,振り子の観察と水素の観察との相関が高いことは,時間的な観点による観察という一 つの類型が成り立つことを意味するように思われる。
第2表相関係数表
ヨウ素 水 素
ヨウ素と塩化
Aンモニウムサクラと
N リ 金 魚 虫めがね 振り子
、
ヨ ウ 素
水 素 .483 ヨ ウ 素 と
哩サアンモニウム .382 .385
サクラとクリ .526 .237 .183
金 魚 .087 .104 .199 .031
虫 め がね .465 .273 .274 .368 .221
振 り 子 .168 .586 .192 .014 .055 .258
§4 時間についての考察
前述したように,時間的な観点による現象の観察は,なかなかにむずかしく空間的な観点による観 察と比べて困難さにかなりの差を持っている。このことは,時間というものが,子どもにとって,ま
た成人のわれわれにとって,把握し難いものであることを意味しているのではないか。このような疑 念を持たせられるわけである。そこで,時間についての認識を根源的な視点で考えている学者の言を 参考にしたく,そのいくつかについてあたってみた。つぎに述べるのは,本報に関連の深い考え方を 選んだものである。
まず,時間というもののとらえにくさについて,東北大学の滝浦静雄氏は,つぎのように表現して
@ 6)「る。
「時間は自明なものであり,われわれはいつもそれを『直観』しているとさえ言っていいかもしれ ない。おそらく,時間という言葉を何か他の言葉で言いかえたり,その意味を他の観念によって説明 することはできないだろうし,したがって,ちょうど盲目の人に色そのものを分らせることができな いように(もちろん,色に付随した現象については,話は別である),時間のどんな説明も,時間に ついて初めから何かを知っている人にしか効果をもたないのではあるまいか。その意味では,時間は 直観の対象であるように見える。しかし,一方,よく考えてみると,時間には何かしら見定めがたい とりとめなさがつきまとっていて,その『直観』なるものがまことに貧弱であることも否定できない のである。」
このように,時間は直観の対象であるように見えても,その実,容易には見定めがたい,とりとめ のないものであることは,われわれも認めざるを得ないといえよう。
また,このことについてヴィトゲンシュタインは,つぎのような強い表現で,時間の経過について 7)
フ比較がむずかしいことを述べている。
「われわれはどんな過程をも娘時間の経過 と比較することはできず一そんなものは存在しない のだ一,ただ他の過程(例えぽクロノメーターの動き)と比較しうるだけである。(論理・哲学論
考)」
具体的な物的な現象や現実の生の経験の経過は比較できても,時間の経過は比較できないと断定し ているが,確かに時間そのものの経過としてはとらえられないのは事実であろう。
このようにみてくると,われわれの主体的な経験や出来事において考えるときの時間の意味合いが 8)
蜷リになってくるが,この点について滝浦静雄氏はつぎのように述べている。
「時間はあるものではなく,われわれの経験の意味として語り出されるものである。われわれは,
実在の出来事に触発されて,受動的に時間の言葉を語り出すのである。」
9)
ワたこうも言っている。
「時間は,過去・・現在・未来を含むにしろ,前と後とを含むにしろ,いずれにしても一つの『総合』
である。しかし完全に総合されてしまったものは,もはや時間ではない。時間は根本的にあいまいな 在り方をしているのである。」
時間的な観点で現象をとらえることは,ここに述べられているように意外に総合的なとらえ方をし ているわけであり,そこにむずかしさと,あいまいさをふくんでいるといえよう。
ところで,時間的な観点は,それが純粋に時間的であることは,不可能であって,必ず空間的な観 点といっしょに機能することが考えられるが,その点について,まず,空間,時間ともにその把握が 9)
゙ずかしいことの指摘がある。
「プラトンは,空間について『何か私生児的な推理によって促えられるもの』(ティマイオス)と 言っていたが,同じことは時間にも当てはまるであろう。われわれは時間を肉眼で見ることはできな いし,かと言って頭でだけ考えて理解するというわけにもいかない。時間は,物の存在ではなく,生 成に関わる。」
このような意味においては,空間の把握もむずかしいことは事実であろう。しかし,それ以上に時 間の把握がむずかしいことは前述の通りである。
さて,空間の把握によってつかまれた表象と時間の把握によってつかまれた表象は,いずれが先か 10)
ニいう問題について渡辺慧氏はつぎのように述べている。
「空間の表象と時間の表象といずれが先かという問題にもいろいろ議論があるようである。スペン サーは時間を先とし,ギュイヨーはむしろ空間を先とするごとくにみえる。私は,完全なる空間の表 象と時間の表象とは同時に生じるものと考える。なるほど,現在に生きる動物においても視覚が空間 を教えている。しかし,自ら動かない動物の眼は二次元的な空間しか教えない。両眼視が三次元 を知覚させるという説は真実ではない。三次元的な空間を他の方法ですでに知っているものが初めて 両眼視によりある程度奥行きを見るのである。実際三次元を知覚するのは,生物体自らの運動すな わち行動の一種によって初めて可能である。そして,運動というものは,時間と空間とを生み出し且
つ両者に橋を架するものである。」
このように空間の表象も時間の表象も,もともとは運動から生れてくるものであるというのである。
運動こそ人間の行動の重要な一つの態様であり,そこから空間も時間も生まれてくるわけである。
10)
サして,その運動について,渡辺氏はつぎのように条件づけるのである。
「時間や空間を生む運動は,そこに何か運動を妨げる障害があり,それを乗り越える努力と知恵を 必要とするごときものであるはずである。ベルクソンのいう,障害をうけない「行動は表象を覆いか
くす(表象にふたをする)」という主張は,かかる場合にも生きいきとした意味を持つ。障害をうけ,
選択の必要に迫られる時,運動の目的地点とその目的地点に到達する道筋が意識され,かくて前後を 生むに至るのである。実際に,我々の未来の表象は,乗りこえるべき困難,解かるべき問題と密蜘こ むすぼれており,過去の表象は乗りこえて来た困難,問題解決の成功,または失敗と密接にむすぼれ ているということは,この点について教えるところが多い。」
つまり,「障害」の重要さを説いている。時間の表象を持つためには,その契機として障害が必要 であり,この障害をうけ,それを乗りこえる過程において意識化が進むというわけであろう。
以上のようにみてくると,時間を把握すること,時間的な観点によって現象を観察することは,い ろいうな面を総合的にとらえる構えが必要であり,そこに複雑さ,むずかしさとともにあいまいさを ふくんでいることを認めなけれぽならない。
さて,振り子の観察においても,上に述べたような時間把握のむずかしさは基抵に横たわっている わけであるが,とりわけ周期に関する観察においては,過去から現在へと現象の変化をとらえること にむずかしさを感ずるのである。一方の振り子の振れが糸を通してもう一方の振り子に次第に伝わっ ていくとき,動き出した後者の振り子の規則的な運動に目をこらしていると,少しつつ運動の仕方が 変わっていく。
振巾が次第に大きくなったり,小さくなったりすることなどが運動の変化の例であるが,この運動 の仕方の変化に着目しつつ,その過程で変化しないものに気付くことが大切なのである。始めに一・方 の振り子を振る以外は何も手を加えないのに,もう一方の振り子が少しづっ振れてくる。この現象が じゅうぶん目をひきつけるに足るものであるだけに,この運動の仕方の変化の中で,周期という変化 しないものに気付いていくことはむずかしいことであると察せられる。変化の中に不変なものを見出 すわけであり,それでこそ,現実の規則性,法則性を取り出すことができるといえよう。
ここで大きな役割を演じているのは記憶ではなかろうか。少し前に見た運動と現在見ている運動と を比較するためには,前に見た運動が記億されていなけれぽならない。これは,あるいは表象の残存
といえるような場合もふくむのかもしれない。それが現在見ている運動と重ね合わさり,変化と不変 に気付いていくことが必要なわけである。この辺の事情については,今後,実験的にも吟味してみな けれぽならないと考えている。
また,時間的観点の把握を,いかにして促進すべきか,その方策を求めたいし,そのためには時間 的観点の性格にある程度の共通性を持っている複数の観察経験を前後させて,何らかの転移を起こさ せられないかといった方法も考えてみたい。
§5 要 約
① 観察において非常に重要なはたらきを演ずる観点について,前報において扱った主として空間 的な観点に対して本報においては主として時間的な観点を実例として,振り子の観察の場合について 検討した。その結果,時間的な観点による観察は空間的な観点による観察に比ぺて著しく困難である
ことが明瞭になった。
(2)振り子の観察と水素の観察(変化の観察の典型である)とは,各観察得点間の相関係数が他の 観察間の全部の組み合わせの場合よりも大きいことなどから,時間的観点という観察類型が存在する
ことを認めた。
(3)時間的観点による観察のむずかしさの原因として,時間そのものの把握のむずかしさに着目し,
滝浦静雄氏,ヴィトゲンシュタイン,渡辺慧氏等の考えの中から本研究に関係の深い部分を取り上げ,
それらを参考にして振り子の観察における振巾と周期のとらえ方を変化と変化の中における不変の発 見として位置づけ,観察のむずかしさと結びつけて考察した。
(本研究の内容は,1978年9月23日,日本理科教育学会全国大会(於弘前大学)において,研究発表 してある。)
・ 注
1)高野恒雄 「理科教育における観察の機能に関する実験的研究(第28報)一観察における観点の意味
(1)一」『茨城大学教育学部紀要』25号,1975年,pp.23〜32
2)同 上 「理科教育に樹る観察の機能に関する実験的研究(第29報)一観察における観点の意味
(勾一『茨城大学教育学部紀要』26号,1976年,pp.43〜51.
3)同 上 「理科教育における観察の機能に関する実験的研究(第11報)一ヨウ素の観察におけるス ライドによる観察方法の暗示効果一」『茨城大学教育学部紀要』10号,1960年
PP.171〜181.
4)同 上 「理科教育における観察の機能に関する実験的研究(第12報)一振り子の実験における観 察機能の分析一」『茨城大学教育学部紀要』10号,1960年,pp.183〜195
5)同 上 「理科教育における観察の機能に関する実験的研究(第17報)一因子分析法による観察力 の構造分析と評価法試案一」『茨城大学教育学部紀要』13号,1963年,PP.109〜12乳 6)滝浦静雄 『時間』(岩波書店,1976年),P.4.
7)同書,P.乞 8)同書,P.186.
9)同書,P.207
10)渡辺慧 『時』(河出書房新社,1974年),pp・66〜7・
11)同書,PP.67〜8・