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結果的加重犯と責任主義

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Academic year: 2021

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(1)

結 果 的 加 重 犯 と 責 任 主 義

(同(ヨ仁

H

一 )

結 結 過 序 論 果 失 論

的 必 加 要 重 説 犯 の の 検 定 討 義

( ー )

結果的加重犯とは︑二疋の基本となる構成要件を実現し︑そこか

ら行為者の予期していなかった重い結果が生じた場合に︑その重い

結果を理由に刑が加重される犯罪のことである︒現行刑法典に規定

されている例としては︑建造物等以外放火罪(一一

O

条 )

︑ 延

焼 (

二条)︑往来妨害致死傷(一二四条二項)︑汽車転覆致死傷(一

二六条三項)︑往来危険転覆等(一二七条)︑強姦致死傷(一八

一条)︑特別公務員致死傷(一九六条)︑傷害致死(二

O

五 条

) ︑

堕胎致死傷(一二三条後段︑二一四条後段︑二一六条)︑遺棄致死

傷(一二九条)︑逮捕監禁致死傷(一二二条)︑強盗致死傷(二 四

O

条)︑強盗強姦致死(二四一条後段)がある

ω

ここで傷害致死罪を例にとれば︑基本となる構成要件とは傷害罪

のそれである︒行為者が傷害の意思で被害者の身体を傷害したとこ

ろ︑意外にも被害者が死んでしまった場合︑傷害罪より法定刑の重

西

ぷ ょ 、

j

い傷害致死罪として処断きれる︒人を死なせたという結果だけを見

れば︑殺人罪(刑一九九条)に問うことも可能なように思われるが︑

責任主義を採ることを明らかにした刑法三八条一項二項により︑そ

れは許されない︒

責任主義(印♀

cE

匂円目立℃)とは﹁責任なければ刑罰なし﹂(同・

2

ロ 巾

印 昨

日 向

c F R ω

♀己仏)という標語で表わされる近代刑法の根本 原別である︒行為者の主観を無視し︑発生した結果だけを科刑の基

礎とする結果責任(開門甘一阿佐

ω

沖 ロ ロ

m)

を否定するものである︒刑

罰を科すためには︑客観的な法益侵害の結果のみならず︑どういう

意図の下に行為したかという行為者の主観をも考慮しなければなら

な い

︑ と

す る

そういう意味で︑責任主義は結果責任に対立する概念である主観

的責任をその特色とすると言われるのであるが︑なおここで主観的

責任の内容を明らかにしておくことが︑結果的加重犯の構造を吟味

するための前提として重要であろうと思われる

ω

かつて有力であった心理的責任論によれば︑主観的責任とは︑責

任能力を有する者が故意又は過失によって構成要件該当・違法な行

為をすることである︒ところが︑責任を行為者に対してなされる否

定的価値判断︑即ち非難であると捉える規範的責任論によれば︑責

任は必ずしも責任能力・故意過失というた心理的事実に尽きるもの

(2)

ではない︒行為の際の事情から認定きれる心理状態(所謂︑期待可 能性)もまた責任要素である

ω

︒この規範的責任論が今日の通説で

ル め ヲ

h v

しかるに︑規範的責任論を採る学者でも︑今日まだ心理的責任論 の影響が尾を引いて︑責任イコール故意過失(責任能力は一応差し 置く)と考える者が少なくない凶︒これが︑結果的加重犯と責任主義 の整合性を疑問視し︑結果的加重犯を近代刑法の異端児扱いをする 一要因になっているのではないかと私には思われるのである︒

我国の判例は︑重い結果の発生につき行為者に過失がなくても結 果的加重犯は成立するとの立場を採っている︒古くは大審院昭和三 年四月六日判決が﹁凡そ結果的加重犯たるや一・定の犯罪行為より一 定の重き結果を生ぜしめたるとき其の重き結果を基本たる犯罪行為 に結合せしめ重き責任を負わしむる場合なれば︑苛も基本たる犯罪 行為と結果との聞に若し前者なかりせば後者なかりしなるべしとの 関係存するに於ては︑基本たる犯罪行為が其の重き結果に対し直接 の原因を為すと否とを問わず絶対に結果的加重犯の成立を来すもの と解すべきものとす同﹂と述べ︑基本的行為と重い結果との間に︑

条件説の言う因果関係があれば足りるとした︒

この立場は最高裁によっても受け継がれている︒昭和二六年九月

O

日判決刑集五巻十号一九三八頁では﹁傷害致死罪の成立には傷 害と死亡との間に因果関係の存在を必要とするにとどまり︑致死の 結果についての予見は必要としない﹂と明言し︑昭和三二年二月二 六日判決刑集一一巻二号九

O

七│八頁で﹁因果関係の存する以上被 告人において致死の結果を予め認識することの可能性ある場合でな くても被告人の判示所為が傷害致死罪を構成するこというまでもな

い﹂と踏襲した︒

この過失不要説に対して︑学説の批判が集中する︒例えば福田教 授は﹁重い結果について行為者に過失がなかったばあいにも︑行為

者はその重い結果についても罪責を負うことになる︒それが果たし て︑行為者を処罰するためには行為者が一当該行為および結果につ いて非難さるべきものであることを要求する主観的責任の原理と矛 盾しないといえるであろうか︒歴史的には︑古い時代の刑法が︑故 意・過失のない行為および結果に対しても刑罰を科することを原則 としたところのいわゆる結果責任の原則が徐々に克服されて︑刑罰 の要件としては犯罪の行為および結果について故意・過失を必要と する原則︑すなわち︑責任主義の原則が確立されたのである︒そし て︑結果的加重犯の結果をすくなくとも過失の範囲に限定すること によって︑結果的加重犯と責任主義との調和がはかれることになる♂

と さ れ る

︒ 更 に

︑ 団 藤 博 士 に よ れ ば

﹁ 第 三 八 条 第 一 項 は そ の 但 書をも含めて│責任主義をあきらかにしたものとみるべきである︒

したがって︑この但書によっても︑故意・過失のないものを罪とす ることは許きれないといわなければならない︒第一に︑結果的加重 犯については︑加重原由としての結果については故意は必要でない が︑責任主義の原理から考えて︑少くとも過失を要するものと解し なければならない︒これは︑現在ではほぼ通説になっている︒かよ うにして︑結果的加重犯は︑故意犯と過失犯との複合的な形態だと

いえようげ﹂︒

ところで︑結果的加重犯に関しては︑基本的行為と重い結果との 聞の過失の要否のみならず︑因果関係についても争いがある︒判例 が条件関係︑即ち一の事実と他の事実との間に︑前者がなかったら 後 者 は な か っ た で あ ろ う と 考 え ら れ る よ う な 因 果 関 係

︑ が あ れ ば 足るとしていることは前述した伺

O

これについても学説は﹁条件関

係が存在するかぎり︑ただちに刑法上の因果関係があるとするとき

は︑たとえば︑殺人犯人を産んだ両親もその殺人の結果に対して因

果関係を有するといった常識的にみて是認しえない結論が生ずると

いう批判が加えられている︒もっとも︑ここから︑直ちに︑殺人犯

(3)

の 両 親 が 処 罰 さ れ る と い う 非 常 識 な 結 論 が ひ き 出 さ れ る も の で は な い︒すなわち︑条件説は︑責任原理による刑法上の負担の制限をみと めることによって一般のぱあいには︑右のような非常識な処罰の拡大 を回避している︒ところが︑重い結果について責任を必要としない結 果的加重犯のばあいには︑責任原理による刑法上の負担の制限は機能 し な い

︒ こ こ で は

︑ 因 果 関 係 の 存 在 の み が 刑 法 上 の 負 担 を 生 ぜ し め

るものと解されている︒そこで︑条件説は︑結果的加重犯において︑そ

の 刑 法 上 の 負 担 の 不 当 な 拡 大 と い う 実 際 上 の 欠 陥 を 露 呈 す

﹂と る ω

批判する︒

し か し

︑ こ の よ う な 条 件 説 に 対 す る 批 判 は 条 件 説 に と っ て 致 命 的 なものではない︒なぜなら︑

A が

B

を殺害した場合︑﹁ A

の両親が

A

を生まなかったならば︑

B

が殺害されることはなかったであろう﹂

とは言えないからである︒ A

さえ

B

を殺さなければ︑

B

は一生の間 他 の 何 者 に よ っ て も 殺 さ れ る こ と は 絶 対 に な い

︑ と は 断 言 で き な い からである︒交通事故の頻繁な今日においては特にそうである︒

B

は寿命・病気あるいは他人の過失によって死んだのではない︑

A

の故意によって殺害されたのだ︑という反論が予想される︒では︑

﹁ A の両親が A を生まなかったならば︑ A が

B

を殺すということは な か っ た で あ ろ う

﹂ と 修 正 す れ ば

︑ こ れ は 成 り 立 つ で あ ろ う か

? 成 り 立 た な い

︒ な ぜ な ら

﹁ A が

B

を 殺 す と い う こ と は な か っ た で あろう﹂という命題は︑当然に

A

と い う 特 定 の 人 聞 の 存 在 を 前 提 に しているからである︒もしそうでないなら︑

A

には故意があったと す る 反 論 自 体

︑ 無 意 味 な も の と な る

︒ 而 る に

A

の両親が

A

を 生 まなかったならば﹂と仮定部分で︑

A

の 存 在 と い う 前 提 条 件 を 否 定 し て し ま っ て い る の で あ る か ら

︑ も は や

﹁ A が

B

を殺すということ はなかったであろう﹂という結論部分は成り立たない︒これは︑﹁水

は 一

OO

度 C

で 沸 騰 す る

﹂ と い う 自 然 法 則 が

﹁ 気 圧 は 一 で あ る

﹂ を 前 提 と し て い る の に

﹁ 気 圧 は 一 で な い

﹂ と し て そ の 前 提 を 否 定 し

て し ま え ば

︑ も は や そ の 法 則 は 偽 で あ り 成 り 立 た な い の と 同 一 の 原 理 で あ る

︒ 前 述 の 条 件 説 批 判 が 真 で あ る た め に は

B

を殺すとい

う行為は︑

A

を 生 む と い う 行 為 に 等 し い

﹂ と い う 命 題 の 真 な る こ と を 承 認 し な け れ ば な ら な い が

︑ こ れ が 偽 で あ る こ と は 誰 の 目 に も 明

らかであろう︒

従 っ て

﹁ 条 件 説 を 採 る 時 は

︑ 結 果 的 加 重 犯 の 場 合

︑ 処 罰 範 囲 を 不 当 に 拡 大 す る

﹂ と い う 批 判 は

︑ 帰 す る と こ ろ

﹁ 重 い 結 果 に つ き 過 失 仰 が な く て も 結 果 的 加 重 犯 の 成 立 を 認 め る の は 不 当 で あ る

﹂ と

言うのと同一である︒

か く し て

︑ 因 果 関 係 を め ぐ る 条 件 説 と 相 当 因 果 関 係 説 の 争 い

︑ あ るいは因果関係否定論について言うべきことは多々あるけれども︑

詳 し く は 他 日 の 稿 に 譲 っ て

︑ 本 稿 で は 専 ら 過 失 の 要 否 に 焦 点 を 絞 っ て論を進めることにしたい︒

ω 他に︑刑法二

O

四条傷害罪は︑暴行の結果的加重犯としても成立する︑

とするのが判例・多数説である︒小暮得雄︑注釈刑法問︑七八頁参照︒伺

し︑本稿では︑便宜のため︑故意犯としての傷害だけを例として用いる︒ ω 結果的加重犯﹁の問題を分析するについては︑:・その根底に流れる責任

論 の 問 題 を 取 り 扱 お う と し な け れ ば ︑ 真 の 問 題 解 決 に は な ら な い で あ ろ う ﹂ ︒

石堂功卓﹁結果的加重犯序説﹂中京法学一二巻三号︑二頁︒ ω 附随事情そのものを責任要素と与える︑換言すると︑客観的責任要素と

いうものを認める見解は︑﹁主観的責任﹂という前提と予盾する︒更に別

の観点からの批判として︑拙稿﹁期待可能性についてその標準からの号

察﹂秋田大学教育学部研究紀要第二八集︑八一

'l

三 頁

参 照

ω ﹁従来︑責任主義の要請というときこの心理的責任論を基礎として︑

結果に対して故意・過失を必要とするという意味に解されていた﹂︒石堂︑

前 掲

︑ 一

九 頁

註 印

(4)

同新判例体系︑刑事法制︑刑法口︑二

O O

三 三

参 照

附一稲田平︑﹁責任主義の展開﹂ジユリスト五

O O

︑ 二

一 八

四 頁

問団藤重光︑刑法制要総論(改訂版)︑一一二二頁︒同己目︑大塚仁︑刑法概

説 (

総 論

) 培

補 ︑

一 四

七 頁

附もっとも︑相当因果関係説に則っているかのような判例もある︒福田︑

﹁ 結 果 的 加 重 犯 と 困 果 関 係 ﹂ 法 律 時 報 三 二 巻 二 一 号 ︑ 四 一 頁 参 照 ︒

附福田︑法律時報三二巻二一号︑同

O l

一 一

員 ︒

同 己

円 ︑

石 堂

︑ ﹁

結 果

的 加

犯と責任主義﹂法学セミナー二三

O

号︑九八九頁︒

同﹁わが通説・判例は︑結果的加重犯の重い結果につき故意を必要とせず︑

し か

も 故

意 の

な い

場 合

に か

ぎ っ

て い

る ﹂

︒ 福

田 ︑

注 釈

刑 法

凶 の

H ︑

三 一

六 頁

( ご : . )

基本行為から生じた重い結果については︑行為者に過失がなけれ ばならない︑とする通説に対して香川教授の次のような批判がある︒

即ち﹁結果的加重犯をもって︑故意犯と過失犯との複合形態である とし︑したがって重い結果に対する過失の存在をその当然の前提と して要求したにしても︑複合とするただそれだけの理由で︑なぜ通 常 の 過 失 犯 と の 刑 の 総 和 を こ え た よ り 以 上 の 加 重 刑 が

︑ 結 果 的 加 重犯については法定きれなければならないのか︒そうした疑問に対 する解答は依然解決きれているともいえない山﹂︒

もっとも︑結果的加重犯の法定刑が︑故意犯と過失犯の刑の総和 であったとしても︑なお通説には疑問が残る︒なぜなら︑例えば傷 害の意思による傷害致死の場合︑行為者にとっては予期した以上の 被害者の死という結果が生じたのだから︑本来ならば錯誤の問題と してこれを処理しなければならない筈だからである︒このように︑

表象した内容と発生した事実とが異る構成要件に跨っている場合(こ

こでは︑傷害と殺人)を抽象的事実の錯誤と呼ぶ︒刑法三八条二項

﹁罪本重かる可くして犯すとき知らざる者は其重きに従て処断する ことを得ず﹂によって︑行為者を殺人罪で罰することはできない︒

多数説である法定的符合説(構成要件的符合説)は﹁錯誤がこと なる構成要件にまたがるばあいでも︑その構成要件が同質的で重な り合うものであるときには︑その重なり合う限度において軽い罪に つき故意の成立をみとめるべきであるとする﹂から︑傷害を経由し て死に至らしめた場合︑軽い傷害罪の既遂が成立するであろう︒こ れは﹁他人を殺すつもりであやまって自分の親を殺してしまったば あい︑:・軽い普通殺人罪の故意の成立がみとめられ︑同罪で処断き

れる

ω

﹂のとパラレルに考え得る︒そして同時に︑被害者の死という 重い結果については過失致死罪の既遂が成立し︑両者は一個の傷害 行為が二個の構成要件的評価を受ける場合として観念的競合(五四

条)の関係に立つ︒

抽象的符合説によっても結論は同一であろう︒抽象的符合説は︑

法定的符合説のように二つの異なる構成要件が同質的で重なり合う 部 分 を 相

E

に有していることというような制限を設けない︒重い軽 いの違いはあっても︑罪となるべき事実を認識して罪となるべき事 実を実現したのであるから︑少なくとも軽い罪の故意の既遂の責任 を行為者に負わせるべきであり︑また実際許されてもいる︑と主張 するものである︒三八条二項は﹁軽い甲罪を犯す意思で重い乙罪の 結果を発生させたばあいは︑重い乙罪の既遂をもって処断できない という消極的制限を加えたにすぎないもので﹂あるから︑そのよう な場合は﹁軽い罪の既遂と重い結果についての過失犯との観念的競 合 を も っ て 論 ﹂ずる︑とする︒ ω

きて︑傷害既遂と過失致死既遂の観念的競合ということについて 読者は既に﹁おかしい﹂と気づいておられるだろう︒傷害の意思で 人を死なせてしまった場合は︑二

O

五条一項の傷害致死罪として構

(5)

成 要 件 的 評 価 は 一 回 し か 受 け な い の で あ る

︒ こ こ で 観 念 的 競 合 を 論 ず る こ と が 誤 り で あ る な ら

︑ そ れ と 全 く 同 じ 根 拠 で

︑ 重 い 結 果 に つ き 過 失 を 要 求 す る 通 説 も 誤 り で あ る と い う こ と が で き る

︒ 結 果 的 加 重 犯 を 複 合 形 態 と す る 理 解 は

﹁ 数 個 の 犯 罪 の 存 在 を 前 提 と し た も の として位置づけられる

ω

﹂︒もし︑重い結果に過失を要求すれば︑行 為者は傷害構成要件との関連で故意があったかどうかを評価され︑

更 に 過 失 致 死 構 成 要 件 と の 関 連 で 過 失 の 有 無 を 評 価 さ れ る の で あ る日︒因果関係についても同様である︒行為と傷害との因果関係のみ ならず︑傷害と死との因果関係もまた証明きれなければならない︒

結果的加重犯は︑正田教授が指摘しておられるように﹁全体が一 個の故意犯なのである附﹂と考えねばならない︒複合形態説は︑一個 の犯罪であるものを二個に分割し︑構成要件的評価を二回要求する ものである仰︒その限りで︑錯誤理論に基づく観念的競合関係を承認 せ ざ る を 得 な く な る

︒ そ れ は 傷 害 致 死 を 傷 害 罪 で 処 罰 せ よ と 主 張 す る こ と で あ る

︒ 結 局

︑ 複 合 形 態 説 は

︑ 責 任 主 義 と の 調 和 以 前 に

︑ 現 行 刑 法 典 に 厳 然 と 規 定 さ れ て い る 結 果 的 加 重 犯 の 存 在 そ の も の を 否 定するものであると言わざるを得ない︒

かくして︑我々は過失必要説と別れて不要説へと赴くことになる︒

植松教授によれば︑﹁刑事責任の本質か通りすれば︑過失または予見 可能性すら存しない結果についてまで責任があるとすべきでないと する前説の主張は一見正当であるかに似ているけれども︑元来︑そ の行為の基礎には故意行為があるのであるから︑故意も過失もなし に発生した結果に対する責任を問うのとは同日の談ではない︒それ ばかりか︑後説(過失不要説

l

筆 者 註 ) の 説 く と こ ろ も

︑ な ん ら 責 任原理に反するものではない︒これは一般の故意犯においても︑い やしくも構成要件該当の事実の認識の上に行為するかぎりは︑たま たま結果が意外に重大であった場合(たとえば︑軽傷を与えるつも りであったところ︑意外の重傷を発生きせた場合など)にも︑その

重大な結果につき罪責を生ずるのと同理である︒加うるに︑予見可 能性または過失を要するとすることには︑なんら成文上の根拠のあ るものではない仰

L

︒ 条文は︑基本的行為と重い結果とを﹁ニ因り﹂とか﹁因テ

L

で連

結しているにすぎないのに︑殊更︑重い結果につき過失を要求する のは罪刑法定主義に反する︑という批判刊に対して福田教授は次の ように反論される︒即ち︑﹁過失が必要であるとする解釈は︑現行 刑法が立つところの責任主義の原則から導き出される解釈であって︑

なにも︑重い結果について過失を要求する明文がなくても︑なんら 罪刑法定主義の要請を破ることにはならないであろう

ω

﹂ ︒

過失犯の処罰は三八条一項但書﹁法律ニ特別ノ規定アル場合﹂に 当たる︒例外であることから︑現行刑法典が明確に﹁過失ニ因り﹂

とか﹁業務上必要ナル注意ヲ怠り﹂﹁火ヲ失シテ﹂とかの表現を用 いていることから考えると︑福田反論は些か苦しいという感じがし

ないでもない︒

しかし︑問題はあくまでも責任主義であるの重い結果に行為者の過

失を要求したからといって︑それで責任主義が貫徹されるわけでもな

く︑むしろ刑法典から結果的加重犯を抹殺してしまおうとする立法

論に堕してしまうことになることは前述した︒植松教授の言われる

ように︑結果的加重犯には︑すべて基本行為について故意が要求さ

れているから︑これをもって責任主義の要請は十分満たされている

と考えるべきである︒被害者の死という結果だけを見れば傷害致死

罪は殺人罪と何ら変わるところがない︒それにも拘らず︑行為者を

殺人罪で罰しないのは︑彼に死を惹起する意思がなかったからであ

り(三八条一項)︑発生した結果だけを見て罰してはならないとす

る結果責任禁止規定(三八条二項)の故である︒現実に発生した結

果即ち﹁罪本重カル可クシテ﹂の本来重い罪(殺人罪)を基準にし

て考えると︑傷害致死罪は主観的減軽犯である︒

(6)

重 い 結 果 に 過 失 を 要 求 す る 論 者 に は 歴 史 的 観 点 が 欠 け て い る と 言 わ ざ る を 得 な い

︒ 責 任 主 義 な い し 主 観 的 責 任 の 思 想 は

︑ 結 果 責 任 は 犯 人 に と っ て 苛 酷 す ぎ る と の 非 難 で は な か っ た の で あ ろ う か

︒ 同 じ く 死 を 惹 起 し た か ら と い っ て

︑ 故 意 の 殺 人 犯 と 同 じ 刑 に 処 す る の は 不 当 で あ る

︑ と の 人 権 思 想

・ 自 由 主 義 か ら の 弾 劾 で は な か っ た の で あ ろ う か

︒ 過 失 必 要 説 は

︑ 歴 史 的 に は 前 後 転 倒 の 誤 ち を 犯 し て い る

︒ 即 ち

︑ 故 意

・ 過 失 と い う こ つ の 責 任 形 式 は

︑ 結 果 責 任 を 克 服 し た 近 代 刑 法 の 所 産 で あ る

︒ も し

︑ こ こ で

﹁ 傷 害 致 死 の 場 合 を 考 え て みると︑人の死亡という点においては過失殺人と選ぶところがない︒

過 失 殺 人 よ り 傷 害 致 死 が 重 い 刑 を 予 定 さ れ て い

る ω

﹂というように︑

過 失 殺 人 を 基 準 と し て 傷 害 致 死 の 加 重 刑 を 問 題 視 す る な ら

︑ 責 任 主 義 が 生 み 出 し た も の ( 過 失 に よ っ て 死 な せ た 場 合 と 傷 害 の 故 意 か ら 死 な せ た 場 合 の 刑 の 差 ) を

︑ 責 任 主 義 の 名 に お い て 非 難 す る こ と に

な る

傷 ︒ 害 致 死 罪 に お い て は 基 本 行 為 を 傷 害 と 捉 え る と こ ろ に 問 題 が あ る

︒ 行 為 者 に は 傷 害 の 故 意 し か な か っ た と い う 観 点 か ら 傷 害 罪 を 想 起 す る の は

︑ 既 に 責 任 主 義 に 立 脚 し た 捉 え 方 で あ る

︒ そ し て

︑ 傷 害 罪 の 法 定 刑 と 傷 害 致 死 罪 の そ れ と を 比 較 し

︑ 傷 害 致 死 罪 は 重 い 結 果 が 発 生 し た と い う た だ そ れ だ け の 理 由 で 刑 を 加 重 す る も の で

﹁ 古 い 結 果 責 任 の 遺 物

﹂ で あ る と か

﹁ 我 々 の 法 律 を 辱 し め る 不 正

﹂ で あ る と か 非 難 す る の は 全 く の 矛 盾 で あ る

︒ な ぜ な ら

︑ こ の 非 難 は

︑ 責 任 主 義 の 立 場 か ら な さ れ て い る よ う な 外 見 を 呈 し て い な が ら

︑ 実 際 に は

︑ 結 果 的 加 重 犯 を 責 任 主 義 を 用 い て 概 念 規 定 し た 上 で そ れ を 非 難しているからである︒従って︑責任主義に基づく攻撃ではなくて︑

責任主義そのものに対する攻撃である︒

責 任 主 義 と 対 立 す る も の と し て の 結 果 責 任 の 見 地 か ら は

︑ 先 ず

︑ 発 生 し た 結 果 の 方 に 注 目 す る 必 要 が あ る

︒ 傷 害 致 死 罪 に お け る 基 本 的 行 為 と は

︑ 殺 人 罪 で な け れ ば な ら な い

︒ 傷 害 致 死 行 為 を 故 意 に よ

る 殺 人 行 為 と 同 一 の 刑 で 処 断 し て い た 原 始 的 刑 法 に 対 す る 攻 撃 者 と し て 現 わ れ た 近 代 責 任 主 義 刑 法 は

︑ 傷 害 致 死 あ る い は 過 失 致 死 を

︑ 殺 人 か ら 切 り 離 す こ と に 成 功 し た の で あ る

︒ 従 っ て

︑ 殺 人 罪 よ り も 法 定 刑 を 軽 く さ れ た 傷 害 致 死 罪 の 規 定 の 存 在 は

︑ 過 去 の 遺 物 ど こ ろ か

︑ 責 任 主 義 の 勝 利 の 金 字 塔 で あ る と 言 わ ね ば な ら な い ω o

川香川達夫︑結果的加重犯の本質(刑事法叢書④)︑六七八頁︒

間福田︑注釈刑法

ω のH︑三間二 1 二一頁︒﹁故意の成立がみとめられ﹂と

は︑既遂になる︑の意味であろう︒﹁他人を殺すつもりで﹂行為したのだ

から︑普通殺人の故意が成立するのは当然であって一百うまでもない︒また︑

そう解さなければ﹁同質的で重なり合うものであるとき﹂を他の抽象的事

実の錯誤と区別して論ずる価値がない︒

帥福岡︑注釈刑法

ω の

H ︑

二 一

四 四

頁 ︒

同香川︑前州向︑六七頁︒

同故意・過失の本籍は責任であるが︑定型的な非維の強坊を表わすものと

して︑構成要件要素でもある︑とするのは団藤︑前拘︑一二二三頁︒同

旨︑一悩旧︑新版刑法総論(有斐閣ブックス)︑七一頁︒

同正問満三郎︑刑法体系総論︑一一二頁︒

間﹁重い結果について過失を要求するということは予見義務と結果回避義

務をそこに認めるということになるのであろうが︑違法な故意行為をする

者にその行為の程度を軽い結果に止めなければならない義務を認めること

は疑問のある点でもある﹂︒青柳文雄︑刑法通論 I ︑二九八

l

九 頁

︒ 間柄松正︑再訂刑法概論

I ︑

一 三

五 頁

側荘子邦雄︑法律学演習構座刑法(木村亀二編)︑七三頁︒

帥福田︑ジュリスト五

O O

︑ 三

八 四

頁 ︒

側滝川春雄︑旧法学教室凶︑一一二頁︒

間 7 ウラツハを例にとると︑彼は︑一九五三年のドイツ刑法改正によって︑

(7)

( 五

﹁少なくとも過失により﹂重い結果を招来した場合に限るとなった

六 条

︑ 但

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正 義

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・ 由 一 山 ・

恒) 刑法一二八条二項は︑従来﹁認識(予見)した事実と実現した事実

(結果)との間にくいちがいのあるとき仰

L

︑即ち﹁事実の錯誤に つきとくに規定し凶﹂たものとのみ解きれてきたが︑以上述べてき たところから︑この規定は同条一項とともに邸︑責任主義を宣言し たものと理解すべきである︒﹁罪本重力ル可クシテ﹂の﹁本﹂とは

﹁はじめ︑起源凶﹂を意味し︑刑法の起源は結果責任であるから問︑

発生した結果を指すと考えられる︒従って︑前述したように同条二 項は︑結果責任で処罰することを禁止した規定である︒

ところで︑先に傷害致死罪の基本行為は殺人罪であるとしたのだ が︑﹁なるほど︑殺人罪の構成要件的結果即ち人の死亡は発生して いるが︑行為者に殺人の故意がないのになぜ殺人罪なのか

L

という 反論が予想されるので︑繰り返しになるが︑もう一度述べておこうと 思う︒我々は責任主義の立場から結果責任を批判しようとしたわけ だから︑批判の対象を純粋に(責任主義を予め潜り込ませるような ことはせず)結果責任の立場で把握しなければならない︒そうする と殺人罪の成立には故意は不要である︒

結局︑私はかつてのドイツの通説│結果的加重犯においては﹁基 本犯罪の構成要件が有責に︑即ち通例故意に惹起されさえすれば︑

重い結果の客観的発生で十分である

ω

﹂に賛成する者であるが︑結 果 的 加 重 犯 を 責 任 主 義 の 所 産 で あ リ そ れ と 調 和 す る も の で あ る と

すると︑結果的加重犯をもう一度責任主義の観点から定義し直す必 要 を 感 ず る

︒ 犯 罪 の 成 立 に は 客 観 的 要 素 と 主 観 的 要 素 と が 必 要 だ が︑基本犯罪(の

E

ロ (

庄 内 E

E )

と呼ばれるものには︑主観面だけが あって客観面を欠く︒従って︑犯罪でない基本行為というものはあ っても︑基本犯罪は存在しないわけである︒結果的加重犯は基本犯 罪に比較して刑が重くなっているがそれは何故か︑予見可能性もな い結果の発生を理由に加重刑を科すのは不当ではないか︑という疑 問 が 論 争 の 発 端 で あ る が 刑 の 軽 重 を 言 う た め の 基 準 と な る 基 本 犯 罪が消えてしまえば︑結果的加重犯はもはや加重犯ではなくなる︒

単なる結果犯である︒

傷害致死罪を例にとれば︑それの法定刑を傷害罪の法定刑と比べ ること自体が不合理なのである︒二個の犯罪の刑を比べるのなら︑

殺人罪の刑とこそ比べるべきであると前に主張した︒傷害致死罪に おいては︑因果関係の認められる範囲内で︑傷害から更に進んで死 という結果が発生したのであるから︑もはや傷害罪は問題にならな

o

﹁法条競合は数個の法条の適用が外観的に可能とみられる場合 にはじめて問題となるのであるから

ω

﹂︑法条競合ですらない︒仮 に補充関係側を認めたとしても︑法条競合とは﹁一個の行為が数伺 の構成要件を充足するような外観を呈するが︑実はそのうちの一伺 の構成要件による評価だけで十分であり︑したがって他の構成要件 による評価を排斥する結果︑一罪が成立するにすぎない場合側﹂を言 うのであるから︑傷害罪の成立がないということには変わりがない︒

犯罪でもない慕本行為につき法定刑を考えることは不可能であるか ら︑傷害致死罪を﹁加重﹂犯とする根拠はどこにも見出きれ得ない︒

責 任 主 義 を 前 提 と す る 限 り 殺 人 罪 に つ い て も 同 様 で あ る

ほど︑﹁人の死﹂という結果は発生しているけれども︑それに対応

する行為者の認識・予見︑即ち殺人罪の故意が存在していない︒従

って︑殺人罪は成立せず︑その法定刑を傷害致死罪との関係で考え

(8)

責任主義の下では︑

傷害致死罪は

﹁ 減

L

ることは無意味である︒

犯でもない︒

しかし︑所謂結果的加重犯が︑他の故意犯と比べた場合に特殊な グループを形成していることは紛れもない事実である︒法文に﹁ニ 因り﹂﹁因テ﹂と規定される点に︑その外見的特徴があると言える が︑これは決定的なものではない

ω

︒行為者の主観との関連では︑

結果的加重犯は︑﹁例外的に︑構成要件要素の一部について認識予 見を必要としない犯罪﹂と特徴づけられている︒つまり﹁重い結果 は結果的加重犯の構成要件要素であるにもかかわらず︑その認識予 見を必要としない︒すなわち︑結果的加重犯における故意の認識の 範囲は︑基本たる構成要件に該当する客観的事実にかぎられるので

ある

ω L

しかし︑認識予見を必要としない構成要件要素をも・つ犯罪は︑何 も結果的加重犯だけに限らない︒目的犯がそうである︒﹁目的犯の 目的のような主観的構成要件要素に属する事実は認識することを要 しない削﹂︒団藤博士によれば︑常習犯もそうである︒﹁常習犯に おける常習性も構成要件要素であるが︑責任要素の定型化とみるべ きであるから︑これについても表象を要しない附﹂︒更に我々は︑

そのような犯罪として過失犯を忘れてはならないだろう︒過失犯は︑

予め構成要件的結果を認識する場合もあるが(認識のある過失) 認識の可能性きえあれば︑必ずしも認識を必要としない(認識のな

い 過

失 )

側 こう考えてくると︑先の特徴づけも︑結果的加重犯の本質を衝く ものではないということがわかる︒そこで︑定義としては︑刑の重 い 軽 い を 除 外 し て 二 定 の 故 意 か ら

︑ そ こ に 含 ま れ な い 結 果 が 生 じ た場合﹂と概念規定するのが適当であろうと思う︒傷害致死を例に とると︑死という結果が傷害の故意に含まれていた︑換言すると認 容きれていた場合は︑もはや傷害致死でなく︑殺人罪である︒また︑

死の結果が一定の故意︑即ち傷害の故意以外の故意あるいは過失か ら生じた場合は︑過失致死罪が成立する︒このように︑結果的加重 犯は︑一定の故意に基づく犯罪である点で過失犯と異なり︑認識と 結果が一致していない点で他の故意犯と異なる問︒

結果的加重犯は︑故意犯の一種である︒しかも︑例外とは一言えな いくらい︑現行刑法典の中でもその数は多い︒構成要件的結果につ き過失の有無とは関係なく成立する︑故意犯の一翼である︒既に結 果的加重犯という用語は定着した感があるけれども︑結果責任から 主観的責任へという刑法の歴史的発展を考慮に入れるならば︑この グループを特色づけるのには︑結果的加重犯より﹁主観的減軽犯

L

の方が︑よりふさわしい呼称であること︑繰り返し述べたところで

それはともかくとして︑結果的加重犯規定を見ると︑行為者の意 図 し た 行 為 は

︑ 予 期 で き な い 場 合 が あ る に し て も 結 果 を 発 生 さ せ る可能性が高いものばかりであることに気がつく︒﹁ここに傷害致 死には基本行為として故意的傷害があり︑この基本犯と重い結果の 連結の中に加重犯としての本質が見出されねばならないという考え 方がでてくる︒つまり基本行為としての故意犯の中に結果発生の危 険性がある場合︑エーラーによれば﹃不意打ち的﹄でない結果の発 生 が 予 測 さ れ う る 場 合 に の み こ の よ う な 基 本 の 故 意 行 為 と 重 い 結 果が結びつく︒つまり結果的加重犯は単に重い結果の発生のみを加 重原因としているのではなく︑基本行為のもつ重い結果発生の危険 性の故に加重されることが是認せられる側﹂︒

この危険性説に対しても︑先ず︑﹁加重犯﹂として理解している

点を批判しなければならない︒更に︑傷害の意思で死に致らしめた

場合の中で︑不意打ち的でない場合のみ傷害致死罪の成立を認めよ

うとする意図で主張きれているのであれば︑﹁危険性によって因果

関係の限界づけをなそうとするものにすぎな附﹂いか︑あるいは︑

(9)

結果発生に行為者の過失を要するとする説と同一に帰する︒そこで︑

基本犯のもつ﹁危険が︑違法徴表としてとらえられるなら︑・:その 類 型 化

︑ そ れ が 結 果 的 加 重 犯 規 定 に は か な ら な い と す る 立 論 が 自 然 であるようにもおもわれる附﹂︒即ち︑危険性が犯罪成立の範囲を画 す る も の と し て で は な く

︑ 結 果 的 加 重 犯 規 定 が 設 け ら れ た 理 由 な い し 立 法 動 機 を 説 明 す る も の と し て 主 張 さ れ て い る の で あ れ ば

︑ そ れ ら の 規 定 が 現 実 の 結 果 発 生 を 構 成 要 件 要 素 と し て 要 求 し て い る こ と と矛盾する︒﹁危険性﹂が重い刑の根拠なのであれば︑結果の発生を待 つまでもなく︑危険な行為の存在だけで十分な筈である︒

正田教授は︑複合形態説を︑﹁故意犯と過失犯は︑:・責任の基礎 し た が っ て

︑ ま た 反 道 義 的 性 格

l

に お い て 異 質 の 犯 罪 だ か ら

﹂ 両 者 を 結 合 さ せ る の は 妥 当 で な い と 批 判 さ れ た 上

﹁ 基 本 た る 故 意 犯 と 結 果 の 拡 大 を 防 止 し な か っ た 故 意 の 不 作 為 犯 と の 結 合 犯 ( 相 当 因 果 関 係 の 範 囲 内 で の ) じ と 把 握 さ れ る

︒ し か し な が ら

︑ い か に 不 作 為 で あ ろ う と

︑ 重 い 結 果 の 発 生 に つ き 最 初 か ら 故 意 が 存 す る の で あ れ ば

︑ 結 果 的 加 重 犯 の 成 立 を 認 め る の は 不 合 理 で あ る

︒ 教 授 は

﹁ 当 初 か ら 重 い 結 果 に つ い て 故 意 を 必 要 と す る の で は な く

﹂ と 断 わ っ て お ら れ る が

﹁ 重 大 な 不 法 結 果 発 生 の 危 険 性 は 通 常 人 な ら 行 為 の 当 初 か ら 当 然 予 見 し う べ き と こ ろ で あ リ

︑ そ の ゆ え に 当 の 犯 人 と い え ど も

︑ 極 力 そ の 発 生 を 回 避 す べ き で あ っ た に も か か わ ら ず

︑ そ れ を せ ず

︑ 重 大 な 事 態 に 発 展 き せ て し ま っ た 刷

﹂ と い う こ と は

︑ 重 い 結 果 を 発 生 さ せ る 危 険 性 の 高 い 基 本 行 為 を

︑ そ れ と 承 知 の 上 で

︑ 換 言 す る と 重 い 結 果 を 当 然 予 見 し た 上 で

︑ な お か つ 基 本 行 為 の 実 行 に 出 た の で あ る か ら

︑ そ こ に は

﹁ 認 容 し が 認 め ら れ 得 る

︒ 危 険 性 を 強 調 す れば認容を伴い︑危険性を一言わなければ不作為の故意性を主娠でき ない︑というジレンマである︒結合犯とは﹁本来それぞれ独立して︑

犯 罪 と な る 二 伺 以 上 の 複 数 行 為 を 結 合 し て 特 別 の 一 個 の 構 成 要 件 と し て い る 場 合 陥

﹂ で あ る

︒ 正 田 説 は

﹁ そ れ を せ ず

﹂ と い う 一 個 の 行

為 を 危 険 な 基 本 行 為 の 実 行 ( 作 為 ) と 結 果 発 生 不 防 止 ( 不 作 為 ) と 二 個 に 評 価 し た 点 で 誤 っ て い る

︒ 仮 に

︑ 傷 害 と 死 と の 間 に 時 間 的 間 隔 が あ り

︑ 死 の 予 見 が 傷 害 後 初 め て 生 じ た よ う な 場 合 を 考 え て お ら れ る と す れ ば

︑ 先 程 ジ レ ン マ と 評 し た よ う に

︑ 教 授 が 不 作 為 の 故 意 性 を 主 張 す る た め に 言 わ れ た

﹁ 重 大 な 事 態 に 発 展 き せ て し ま っ た 反規範的態度(過失責任原由たる過失を意味するものではない)附﹂

が ぐ ら つ い て く る

︒ な ぜ な ら

︑ 最 初 に

︑ 通 常 人 な ら 当 然 死 を 予 見 で き て い る 筈 だ と せ ず

︑ 傷 害 後 の 予 見 を 問 題 に す る な ら

︑ 傷 害 の 程 度 な ど か ら 死 を 実 際 予 見 で き た か ど う か と い う 過 失 が 問 題 に な っ

てくるからである︒

(

( 2

( 2 6 )

附 凶

( 2 3 )

新版刑法(ポケット註釈全書川)︑

福岡︑注釈刑法凶の H

︑ 三

O O 頁 ︒

団藤︑刑法綱要総論(改訂版)︑二二二頁(註川に同じ)参照︒

新 村 出 一 編 ︑ 広 辞 苑 ( 第 二 版 補 訂 版 ) ︑ 一 二 九 三 頁 ︒

木村亀二︑犯罪論の新構造問︑四二二頁参照︒

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口町釦円門日司﹃印ロ}アロ向田ω円円札

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間高間卓爾︑注釈刑法

ω の H

︑ 五

六 二

頁 ︒

側補充関係とは︑﹁一個の行為が同時に基本法の構成要件と補充法の構成

要件とに該当するように見える場合﹂で︑﹁たとえば暴行罪の規定(二 O

八)は傷害の結果が生じない場合においてのみ適用され︑傷害罪の規定(二 O 四)が適用されるに至るときは暴行罪の規定の適用はないというごとき

で あ

る ﹂

︒ 吉

岡 田

︑ 前

掲 ︑

五 六

O 頁 ︒

削高田︑前掲︑五五六頁︒

聞過失犯にも﹁ニ因り﹂﹁困テ﹂が使われている︒更に︑一一 O

条 (

建 造

以外の放火)は﹁因テ﹂と規定されているにも拘らず︑結果的加重犯でな

いとする異説がある︒団藤︑刑法綱要各論(増補)︑一七四頁参照︒更に︑

一 七

頁 ︒

(10)

一九七条の三(加重収賄)︒

H

︑二二六頁︒

倒福岡︑新版刑法総論︑八三頁︒

岡田藤︑刑法綱要総論(改訂版)︑(以後︑前掲と表示する)︑

頁 ︒

は認識予見は行為者において打消されてしまっており︑過失犯はすべて 認識予見のない場合であると一言えなくもない︒従って︑行為者が認識し ない結果につき責任を間われるという意味でなら︑相松教授の言われる

寸もともと過失犯はみな結果的責任を問うのである﹂︒前掲︑一

ように

三間頁o

m

目的犯における目的は︑それに対応する客観的要素をもたない超過的 内心傾向であるから︑結果即ち構成要件に属する客観的要素に関する限 リでは︑認識と一致し︑一般の故意犯と異ならない︒常宵犯も同じ︒

論叢六九巻二号︑九三頁以下参照︒

同香川︑前掲︑九三頁︒

川正回︑前掲︑一一一一頁︒

附高田︑前掲︑五六四頁︒

( 岡

結 果 的 加 重 犯 を

︑ 前 述 の よ う に

﹁ 一 定 の 故 意 と そ れ に 含 ま れ な い 結 果 と を 構 成 要 件 要 素 と す る 犯 罪

﹂ と 定 義 し た 場 合 に

︑ 規 範 的 責 任論との調和はどうであろうか︒責任とは故意又は過失であるとし︑

しかもこれと︑﹁故意が成立するためには︑まず︑行為者が構成要件 に 該 当 す る 客 観 的 事 実 を 表 象 し

︑ か つ そ の 事 実 の 発 生 を 認 容 し た こ と を 要 す る 附

﹂ と の 見 解 が 相 候 っ て

︑ 故 意 責 任 は 行 為 者 が 認 識 予 見 し た と こ ろ を 限 度 と す る

︑ と い う 結 論 が 導 き 出 さ れ る な ら ば

︑ こ れ は 認 識 予 見 と い う 心 理 的 な も の の み か ら 責 任 の 程 度 を 決 定 し よ う と す る も の で

︑ 私 が 批 判 し よ う と し て い る の は

︑ ま さ に そ う い う 意 味 で の 心 理 的 責 任 論 で あ る

︒ 責 任 は 故 意

・ 過 失 い ず れ か の 形 式 に 帰 着 す る と い う だ け の 意 味 の も の な ら

︑ そ れ は そ の 通 リ で あ っ て

︑ 心 理 的責任論は今日も依然として否定されるべきいわれはない刷︒

結 果 的 加 重 犯 は

︑ 行 為 者 が 予 見 し た と こ ろ を 責 任 の 限 度 と し な い 犯 罪 で あ る

︒ 例 え ば

︑ 傷 害 し か 予 見 し て い な か っ た と し て も

︑ 死 の 結 果 が 行 為 か ら 因 果 的 に 発 生 す れ ば

︑ 傷 害 罪 で は な く 傷 害 致 死 罪 で あ る

︒ 植 松 教 授 が 言 わ れ て い る よ う に

︑ 結 果 の 基 礎 に は

︑ 傷 害 を 惹 起 し よ う と い う 故 意 が あ る の で あ る か ら

︑ 故 意 も 過 失 も な し に 発 生 し た 結 果 に 対 す る 責 任 を 問 う 結 果 責 任 は

︑ こ こ で は き っ ぱ り と 排 除 されている︒責任主義は貫徹されているのである刷︒

基 礎 に あ る 故 意 に よ っ て

﹁ 行 為 者 を 処 罰 す る た め に は

︑ 当 該 行 為 に つ い て 行 為 者 が 非 難 さ る べ き も の で 間

﹂ な け れ ば な ら な い

︑ と す る 規 範 的 責 任 論 の 要 請 も 満 た き れ て い る

︒ 規 範 的 責 任 論 の 刑 法 思 想 上 の 功 績 は

︑ 故 意 を 単 に 客 観 的 な 犯 罪 事 実 に 対 応 す る 行 為 者 の 認 識 ( 予 見 ) と 把 握 し

︑ こ の 心 理 的 事 象 を も っ て 故 意

﹁ 責 任

﹂ を 説 明 で き る

︑ 即 ち 両 者 は 一 致 す る と の 見 解 を 克 服 し た と こ ろ に あ る

︒ 両者は必ずしも一致しない︒結果的加重犯がその典型である︒

し か し な が ら

︑ 規 範 的 責 任 論 の 価 値 は そ こ ま で で あ っ て

︑ も し そ れ 以 上 の 意 味 を も つ も の と 理 解 さ れ る な ら

︑ 今 度 は 逆 に

︑ 克 服 さ れ る べ き 対 象 と 化 す る

︒ 即 ち

︑ 序 論 で 少 し 触 れ た が

︑ 故 意

・ 過 失 と 並 立 す る 第 三 の 責 任 要 素 と し て で あ れ

︑ 故 意 過 失 の 中 に 含 ま れ る 要 素 と し て で あ れ

︑ 行 為 者 に 非 難 を 帰 す る た め に は

﹁ 期 待 可 能 性

(11)

ければならないとする見解がそれである︒期待可能性は︑実定法規を 超 越 し た

︑ 換 言 す る と 無 視 し た 次 元 で 要 求 さ れ て い る 責 任 の 成 立 要 件 で あ る

︒ こ こ で は

︑ 規 範 的 責 任 の 言 う

﹁ 規 範

﹂ は

︑ も は や 法 規 範 ではなく︑違法性のところで説かれている﹁全体としての法秩序﹂

つまり﹁社会倫理的な規範附﹂の責任領域への延長に他ならない︒

規範的責任論がこのような意味をもっ時は︑可罰性と当罰性との︑

あるいは法規範と道徳規範との混同として︑批判を免れない倒︒

結 果 的 加 重 犯 に 関 す る 以 上 の 考 察 か ら

︑ 故 意 を

﹁ 構 成 要 件 に 該 当 する客観的事実の表象及び認容﹂と定義することはよいとしても︑

そ こ か ら

︑ 故 意 犯 の 責 任 は

︑ 行 為 者 の 表 象

・ 認 容 し た と こ ろ ま で を 限 度 と す る

︑ と い う よ う に 理 解 き れ で は な ら な い

︒ 傷 害 の 結 果 し か 予 見 し て い な い 行 為 者 で も

︑ そ れ よ り 重 い 傷 害 致 死 罪 の 責 任 を 負 わ さ れ る こ と が あ り 得 る

︒ 故 意 犯 の 多 く は

︑ 発 生 し た 結 果 と 行 為 者 の 表 象

・ 認 容 し た 結 果 と が 一 致 し て い る が

︑ そ う で な い 故 意 犯 も 存 在 す る こ と が 明 ら か に な っ た

︒ そ の 意 味 で は

︑ 犯 罪 は そ れ ぞ れ 切 迫 し た 事 情 と 社 会 的 必 要 か ら 別 々 の 方 向 に 発 展 し た の で あ る か ら

︑ あ ら ゆる犯罪に妥当する一般的な日︒ロ印月山概念を見出そうとしても望 み 薄 で あ る と の セ イ ヤ ー の 主 張 側 も 正 し い も の を 含 ん で い る と 言 え

るだろう︒

最 後 に

﹁ 結 果 の 発 生 に よ っ て 刑 を 加 重 す る 罪 に つ い て

︑ そ の 結 果 を 予 見 す る こ と が 不 能 で あ っ た と き は

︑ 加 重 犯 と し て 処 断 す る こ と

・ は で き な い

﹂ と 規 定 す る 改 正 刑 法 草 案 二 二 条 に 少 し 触 れ て お き

の 規 定 は 改 正 刑 法 準 備 草 案 二 一 条 を そ の ま ま 踏 襲 し た も の で あ るが︑伊達教授は︑結果予見の可能性について疑問が残るとされ︑

﹁もし︑これを客観的に判断するとすれば︑それは︑結果の発生が 相 当 因 果 関 係 の あ る 場 合 に は

︑ た と え 行 為 者 に 過 失 の な い 場 合 に も 処 罰 す る こ と と な り

︑ 責 任 主 義 の 立 場 か ら い え ば

︑ 十 分 に 満 足 で き

る も の と は い え な い こ と に な る

︒ 理 由 書 の 説 明 に よ る と

︑ 結 果 予 見 の 不 能 は

︑ 客 観 的 標 準 に よ る べ き も の と 考 え て 立 案 さ れ た と き れ て い る

︒ そ こ で

︑ こ の 点 は

︑ 責 任 主 義 を 貫 く た め に は

︑ 積 極 的 に

﹃ そ の 結 果 を 発 生 き せ た こ と に つ い て 過 失 が あ る と き は

﹄ ( 罰 す る

l

者註)というように改むべきである側

L

と述べておられる︒

改 正 刑 法 草 案 二 二 条 の 存 在 そ の も の に 対 す る 批 判 と し て

︑ 佐 々 木 検 事 は

﹁ 現 行 刑 法 で は 特 に 問 題 と し て い な か っ た と こ ろ を

︑ こ と さ ら に 採 り 上 げ て

︑ 犯 人 の 認 識 如 何 を と い た だ き な け れ ば 解 明 で き な い 要 件 を 新 た に 加 え た こ と に な る わ け で

︑ こ れ は

﹁ 刑 事 訴 訟 法 が 被 害 者 に 供 述 拒 否 権

︑ 黙 秘 権 を 認 め

︑ 被 疑 者 の 供 述 を き か な い で 証 拠 を 収 集 す る の が 捜 査 の 理 想 的 態 度 で あ る と し て い る 訴 訟 法 の 下 に お い て

︑ 被 疑 者 の 供 述 を き か な け れ ば 解 明 し 得 な い 要 件 を 新 た に 加 え た と い う こ と は

︑ 刑 事 訴 訟 法 の 建 前 に 逆 行 す る も の と い わ な け れ ばならないであろう聞﹂とされる︒

こ の よ う な 批 判 に 対 し て 伊 達 教 授 は

﹁ 結 果 的 加 重 犯 に お け る 過 失 の 有 無 の 判 断 は

︑ 経 験 法 則 に よ る 判 断 で 足 り る 場 合 が 多 く

︑ 必 ず し も 具 体 的 な 事 実 関 係 に つ い て

︑ そ れ 程 深 入 り し て 証 拠 調 を す る 必 要 の な い 場 介 が 多 い

︒ 従 っ て

﹁ あ る 程 度 の 行 為 者 の 認 識 を 問 題 と す れ ば 足 リ

︑ そ れ 程 突 き 進 ん だ 認 識 を 問 題 と す る 必 要 は な い と 思 われるのである附﹂と反論される︒

しかし︑責任が構成要件該当性における因果関係と異なるのは︑

﹁違法・有責の判断が具体的な判断であるのに対して︑構成要件該 当性の判断は抽象的・定型的な広一準による判断である側﹂という点 に 存 す る

︒ そ れ 故

︑ 過 失 の 有 無 を 決 め る 標 準 に つ い て は

︑ 大 き く 分 け て 通 常 人 の 能 力 を 標 準 と す る 客 観 説 と 行 為 者 の 能 力 を 標 準 と す る 主 観 説 と が あ る が

﹁ 行 為 者 に 不 能 な こ と を 強 い て 非 難 を 加 え る こ と は で き な い

︒ 行 為 者 と し て ま っ た く 不 可 能 で あ る と き は

︑ 非 難 は や む べ き で あ る

︒ そ の 意 味 で 恨 本 的 に 主 観 説 が 正 当 防

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