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大学の内と外から大学の未来を展望する

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(1)

問題提起3 大学の内と外から大学の未来を展望する (シンポジウム 二一世紀に向けて大学のあり方を考 える)

著者 新村 洋史

雑誌名 東西南北

1997

ページ 45‑58

発行年 1997‑03‑19

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003864/

(2)

大学の内と外から大学の未来を展望する

新村洋史中京女子大学助教授

新村でございます︒ただ今ご紹介にありました東海高

等教育研究所は︑一九九

O

年に設立されました︒私が研

究所づくりに参加したのは一九八四年︑大学教員になっ

てからの経験によるものです︒四

O

歳で大学に就職して

いきなり組合の委員長にさせられ︑大学民主化のために

努力したところ︑理事会から三人が懲戒解雇︑一人が停

職処分を受けました︒私は処分を免れたのですが︑大学

や学生のためによかれとがんばっているのになぜ処分か

と︑深刻な思いをしました︒今まで行ったこともない裁

判所へ足を運んだり︑そんな体験を重ねているなかで︑

大学のことは大学人自身が考えなくてはいけない︑同じ

地域の大学人がもっと横のつながりを持って︑私学財政

の問題も含めちゃんとした教育や研究ができるようにし

ていくべきではないかと思い︑東海地方の大学共同の研 究所を作っていま五年目になります︒会員も四

OO

最近︑私が雑誌﹃教育﹄六月号(国土社)にのせた評

論にまとめて書いてありますが︑財界は矢つぎ早に大学

改革︑特に大学教育の内容にわたる提言をしてきでおり

ます︒どういう教育をし︑どういう学生を育てるかとい

う大学改革の心臓部分︑一番柔らかい一番大事な部分に

いよいよ手をつっこんできたという感じは否めません︒

そして新聞の論調や投書︑大学基準協会の提言書等々を

見ても︑この大学教育の内容と方法をどうやって充実さ

せていくかに大学改革の関心が集まっているように思え

もともと私たちのなすべき課題は理念なき大学教育で

はないわけで︑主体的な大学の理念︑大学像を作ること

(3)

が最大の問題であると思います︒そこに経済同友会が踏

み込んできて︑立ち入ったことを言っています︒同友会

が出した﹁大衆化時代の新しい大学像を求めて﹂という

提言の中に︑﹁特定専門分野を掘り下げて深く追求する意

欲・能力﹂を持ち︑かつ﹁柔軟で総合的視点から新しい

価値を創造できる﹂学生あるいは人間像を掲げておりま

す.単なるスペシャリストではだめだ︑﹁体系的知識を持

つと同時に個性をのばし判断力を高め︑人間としての生

き方に自党を促すような教育﹂をやってほしいと大学に

この言葉の限りでは︑あまり異論はない︒ところが︑

経済同友会の元教育担当委員会の親玉で︑住友信託銀行

重役の桜井修氏は最近ある新聞で︑ゼネラルな能力や主

体的に現代の問題を発見・挑戦していく︑専門と教養が

しっかり結びついた学生はご握りの人間で結構です﹂

と明確に述べています.まさしく経済界のねらいはそう

いうところにあるといえます︒このようなエリート主義︑

差別・選別思想は︑他の文書からも読みとれることです︒

私は︑これは大衆化時代の大学が要求している︑ある

いは学生自身が求めていることとは全く異なっていると

思います︒桜井さんたちは︑学生とか国民の大衆的要求

をほとんど見ていない︒国連の﹁子どもの権利条約﹂(一

九八一年)を見ても︑一八歳までは子供で一九歳以上は

大人であり︑大学での教育は大人への教育及び成人を対 象とした教育だといえます︒国際的には︑小林先生も言われたようにユネスコの﹁学習権宣書(一九八五年)があります︒それはすべての人々の学習権を保障し︑国民主権の立場に立つ学習観で︑大学はその場所であるわけです.桜井発言は︑国民大衆の学習権要求を制限するもので︑よって財界の本音と国民の要求とは水と油である

(

1

九六年)︑大学の改革は本当に進ん

だでしょうか︒そうは言えないと思います︒例えば︑﹃朝

日新聞﹄の二月一八日号の社説では︑﹁自由化と言いなが

ら大学は︑文部省の利益誘導に争って手を挙げているだ

けではないか﹂と痛烈に批判しています︒大勢はこのと

()

大学改革は順調に進んでいると言うが︑これは今まで難

しかった﹁大学の自治﹂に手を差し込み︑一定の成果を

あげつつあるとの認識で︑しめしめとほくそ笑んでいる

ようなことの表われではないか︑と書いています︒いま

多くの大学がカリキュラム改革を進めていますが︑共通

に見られる方向は専門教育の重視と教養教育の軽視・縮

﹁教育白書﹂はまた︑学生の要望が職業教育や専門教

育といった︑すぐ就職に役立つものへの関心が強いとし

ています︒しかし︑文部省が委託した調査でも︑現代社

会に必要な教育内容︑教養教育と専門教育を関連づけた

‑46

(4)

内容の充実を求める学生が五七%にも上るのです.

決して部の人間だけが教義教育を求めているわけでは

ないといえますさくら銀行の研究所(さくら総研)の

別査でも︑これは昨年

1三千人の学生を対象

にした調査ですが︑つめこみ教育ではなく

に考え

させ参加させる綬業﹂を求める学生は五五%と過半数に

及んでいます︒そのために高校までの教育を変えてほし

的なつめこみや管理主義教育ではなく︑基礎的

な知識の習得﹂と共に

﹁ 個

性︑創造力の養成﹂を求める

学生がそれぞれ六%と五八

%

およそ

六割の学生が大学と高校以下とにそうした教育を相極的

な意味で望んでいるわけで︑阪井さんがわれることと は異なことを見る必要があります.

そういったことから︑私の初めの結論として︑

﹁ 学

習研

究共同体を作ろうということを言いたいと思います

学生をそのように指導するだけでなく︑大学という組織

体が自身の教養を深め文化性を高めていく︑そんな学習

研究共同体ができた時に︑本の大学は良くなり改革さ

れたというべきではないでしょうか・それをめざして力

を結集していくことが大学の本当の歩むべき道だと思い

ますこれは行年学生も求めていることです.教師の

側がもっと自信を持って︑これだけは緒に学ぼうとい

うことを強力に打ち出すと共に

学んでいくかのプロセスをもっと丹念におさえる必袈が

ある・そうした学習が成り立っためにはやはり集団の

での切硲琢段︑対治︑交流︑コミュニケーションがあ

分の考えていたことが正しか

励まされたり自信を持ったりすることが大切です.集団

とか共同の学習があってこそ︑学んだことが自分の生き

る力としての教養になると確信していいと思います・﹁能

力主筏﹂的大学体制は︑共同とか教後の形成それ自体の

附告ですが︑だからこそ改革の撚題はここにあると言え

そういう過程や態鈴を大学全体に広げ︑いろんな科目

を担当している先生方がカを出し合

︑総原先生が作

った本のようにまとめていくことができれば︑それが大

(5)

学の共同財産になる︒大学とはこういうものか︑学生が

学ぶとはこういうことかという風に︑理事会︑文部省︑

あるいは市民の方々にもわかって頂けると思います︒

小・中・高校ではそうした学校づくりが行なわれてお

り︑私も教育科学研究会のメンバーの一人として勉強し

てきました︒大学では今まで︑かけ声はとにかく本当に

そういったことが行なわれたことはあまりないと思いま

す︒和光のような民主的な人が集まっている大学でもあ

O年かかるそうで︑私どものような所では何十年か

かるか気が遠くなります︒そういうことを頭に入れなが

ら︑小・中・高校の実態と子どもたちの学校への願いを

具体的に見ていこうと思います︒

今の学校教育体系は︑本当にいきづまっていると思い

ます︒いじめ自殺事件に象徴されるように︑と言ったら

一番わかりやすいでしょうか︒子どもたちが今の学校を

どう見ているかを見てみます︒私などは自分の生き方と

して学校教育を批判できるようになったのは︑大学を率

業してからです︒私はもともと法学部で法律の勉強をし

ていました︒教育学は勉強していません︒二凶︑五歳に

なって︑この小学生のようなことを考えたわけで︑今の

小学生が直面している事態はそれだけ深刻だともいえる

でしょう︒これは千葉の柏市の小学校六年生が書いた﹁勉

強とは﹂という作文です︒

1

レツに考えている事がある︒勉強つ びたい︒テレビゲlムもじゃんじゃんしたいと思う︒大 たいテレビがあっても見れない︒もっともっと友達と遊 ぼくは無条件降伏したくなる︒たとえば︑どうしても見 れる位の苦い汁を吸わされて︑点数に追いまくられる︒ えない閣のトンネルのようで︑以前ゃったことは全て忘 だろうか︒くる日もくる日も︑やってもやっても先が見 て本当は楽しみながら︑そして真剣にやるものではない

人の残業のように︑夜一一時一二時と塾から帰る子ども︑

と新聞が書く位だ.いつもいつも時間に追いまくられる︒

・:どうしてこんなにきつく激しいたくさんのぎせいを払

ってまで勉強をやらなくてはならないのか︒大人になる

前に疲れちゃうよ︒ちくしようちくしようとぼくは思う︒

時代が時代だからしょうがないのだろうか︒これが勉強

の本来の姿であるのか︒・:大人たちに考えてほしい︒勉

強ってもっと生きるためのことを学ぶためのものではな

いだろうか︒・:楽しく勉強したりすることは不可能であ

るのか︒ぼくは未来が見えたらいいなと思う︒でも反面

恐ろしい︒もうちょっとゆっくり大人になりたい︒そし

てストレスがたまらない世の中だといいなと思う.:・も

っと大切なことがあるような気がするから﹂

この子どもの文章を読んで︑本当に切なくなります︒

大人の私たちの生活と閉じだなあ︑と︒でも︑切ないだ

けではありません︒この子は︑もっと楽しい生きるため

の勉強とか︑もっと来来のことを考えられる勉強がある

‑48

(6)

んじゃないかと考えているところが︑すごくすばらしい

と思いました︒そして中学生になると子どもたちは︑さ

らにまともに積極的になっていく︒問題も多いですが︑

積極的になっていく子どもがたくさんいます︒中学生は

青年前期といわれて︑生き方や進路とか人間って何だろ

うとか︑教養に相当するようなことにかなり関心を持っ

ていくのですね︒次の例は︑東京の石神井中学校三年生

M君の﹁生き方を見つめる﹂という作文です︒

﹁中学時代にする方がいいことはたくさんあるが︑な

かでも生きた勉強をすべきだ︒生きた勉強とは︑受験勉

強などとは違い︑自分の人生を生きるためのものであり︑

言いかえてみると︑自分の進路をよく見つめてみること

だ︒かん違いしてもらっては困るのは︑ここでいう﹃進

路﹄とは︑どの高校に進むのか︑どの会社に就職するの

かではなく︑もっと広い視野で見たどのような生き方を

するかということである︒それを決めたのならやり過せ︑

という訳ではない︒ただ自分をもっと深く見つめ︑自分

は何をなすべきかを倍れば︑それでいいと思う︒またそ

れを学ぼうとする心があればいいのではないか﹂

次は高校で︑この学校に進学したら人生は終わりだと

いう風に地域の人が見ている大阪のある私立高校の生徒

たちが︑卒業するまでの三年間に自分の見方を変え︑勉

強の見方を変えていったという実践記録の一部です︒そ

れが︑生徒らによる構成詩で表現されています︒ /

考え成長していく存在だ/三年間続けた﹃充実ノl

考える勉強に初めて出会った/一つわかると知りたいこ

とがいっぱい出てくる/いろいろ考え疑問が解ける喜び

がわいてくる/丸暗記することが勉強だと思い/テスト

の点ばかり気にしていた私/﹃授業なんて聞いても無駄﹄

/﹃勉強なんかしなくてもやっていける﹄/﹃わからな

い﹄と言うことが恥ずかしかった/あの頃はなぜ聞けな

かったのだろう/私にとって﹃充実ノlト﹄は真実を発

見し/未来のことを考える大切なノl

/

lト ﹄

をすると授業の内容がいつまでも頭に残る/自分の生活

を見つめ︑社会の動きに関心を持つようになった/(略)

﹃なすがままにされる受け身の存在から/自分自身の歴史

を創造する主体的な存在に﹄{ユネスコ学習権宣言)/こ

の言葉の意味がわかってきた/﹃どうしょうもない劣等

生だ﹄といじけていた私/でも今︑別人のような私がこ

このような卒業の詩をうたって︑高校生たちは卒業し

ていきました︒中高生でさえ︑このように自分のことと

社会の発展を願って︑勉強しています.その中で権利意

識にめざめ︑何のために学ぶのかがわかってくる︑未来

に生きる力を得るということがひしひしと伝わってくる

私の大学は︑びっくりすることがいっぱいあります︒

(7)

授業は大講義室で学生は二

OO

から二五

O

授業は法学や憲法その他ですから私語がすごく︑さわが

しさは止まない︒最初の頃はガl

これで授業ができるのかという感じでした︒気を取り直

して教室の隅から隅までよくよく眺めますと︑いろんな

光景が目に入ってきて︑いっそうショックを受けました︒

ヤキソパとスパゲティを交換しながら食べ合っている学

生︑旅行のカタログを見ている集団︒階段教室ですから︑

前の席の学生がうしろを向くと宴会のように輸になって

しまいます.教室の階段の隅の方には︑新体操のポl

の演技を練習している学生もいました︒

これは学生の研究をやらなくては︑学生と一緒に生き

ていけないと思いました︒私語をなくすためにイエロー

lドを渡すとか指定席を作っておどかすことも︑でき

ないことはないけれどそれでは自分が敗北したことにな

る︒そこで学生を知るための勉強を始めました︒学生は︑

わからなければわからないままで︑﹁授業が面白くない﹂

といつも言ってきてくれるほど発達していませんし︑心

やさしくありませんから︒

﹁何で私語をするの﹂﹁勉強したくないの﹂といろいろ

聞いたり書いてもらったり︑面接したりしました︒その

結果学生の気持がだんだんとわかってきました︒この大

学は学校歴社会の中では底辺の大学だ︒合格はしたけれ

ど本当は来たくなかった︒卒業したって底辺大学ではい い所に就職できないだろうし︑教師にもなれないだろう︒勉強しようとしまいと関係ない︒一生けんめい勉強するなんてバカバカしいしむだなことだ︒そういうわけで授業にはちゃんと出ているけれど︑勉強意欲なんてまるでない︒単位さえとれればそれでいい︒学費を出してくれる親に悪いから︑義務感のようなもので教室に行っているだけなのよ︒こういうのが多数だということです︒そうした中でいろいろな問題が起こるわけです.

入学式の日に︑あんな大学に行きたくないとお母さん

とケンカして遅刻したとか︑オリエンテーションの日に︑

こんな大学で勉強したって希望がない︑と思って気を失

って︑大学の保健室に運ばれた学生もいました︒また別

の学生は︑こう書きとめています︒

﹁思いおこせば入学の春︑私はどんなひどい顔をして

入学式を迎えたでしょう︒一生けんめいに私を盛り上げ

ようと明るくふるまっていた母親を横目に︑私の心はも

うどん底で何も手につかない︒このままどこかへ行って

しまいたい気持になっていた︒そんな頃自分の顔を鏡に

映した︒自分の自分じゃない顔を︑今でもしっかり憶え

ている︒希望もときめきも何もなかった︒五月になった

ら大学をやめて︑予備校にいこうと騒いでいた私︒完壁

な不本意入学で︑八七年の春は冬だった﹂

こんな風に書いていますが︑この子は合唱部の部員に

なってもう別人のように変身しました︒よかったなあと︑

50

(8)

私はすごくうれしく思っております︒こういう大学でも︑

そして私のような教師と出会っても皆ががんばってや

れば学生はやはり変わっていくものだとわかってきまし

た︒教師が変われば︑学生も変わるという面も確かにあ

るのです︒そうした新しい大学体験をくぐりぬけて学生

は変わり︑発達していきます︒

別の学生が書いた文章を紹介します︒

﹁現代の社会は︑能力主義︑学歴社会といわれる︒小

さいうちから競争社会にまきこまれ︑よい幼稚園に入学

できれば︑よい将来へと続くレlルが保障されるとでも

いったように考えられている︒でも︑それは違うと思う︒

人間の発達はダイナミックで過ちをくり返しながらジグ

ザグの道筋をたどる︒時に回り道に見え︑あるいは停滞

に見え︑これまできちんと身についたと思っていたこと

が︑次の瞬間には揺らいでみえる︑退行にみえる︒そう

いう事実を通して人聞は発達するのである︒人生とは︑

いい大学にいきいい就職ができれば︑すばらしいものに

なるとは限らない︒にもかかわらず︑それをすばらしい

ものとみんなに錯覚させてしまった社会の︑ものごとの

考え方はとても小さいと思う︒しかし︑そんな社会の中

で学力もなしに教養もなしに競争社会を批判しても︑何

も話にならないので︑まず実力とか教養を身につけてそ

れから批判したいと思う︒その中で︑人間の心を忘れな

いようにして︒人聞が生きるうえで︑最も大切なことは 何かと常に考えながら﹂

大学生もまた︑今の小中高生たちが考えていることと

同じことを考えている︒学校歴社会の中にいることにい

っそう苦しみながら︑しかしそれだけにより自覚的に︑

学習や教養の自分にとっての意味といったものを学んで

いく︑といえると思います︒

私も学生に寄り添って︑学生が一体どんな学習体験を

積んでくるのか︑どんな教養観をもって大学にくるのか

を書かせたりリポートを作らせたり︑アンケート調査を

したりします︒勉強するとは何か︑教養とは何かという

ことを学生と一緒に考えるためです︒

資料

lを見て下さい︒第ーから第3までの学力・学習

とあります︒そこに書いてあるようなことを私なりに話

をしてから︑自分の高校時代の体験を考えてみてほしい

と言ってアンケートに答えてもらい集計したものです︒

これは去年ゃったのですが︑表2が教職課程の非常勤講

師をしている明治大学︑表1

lの学力はいわゆる基礎学力といわれるようなもの

です︒機械的記憶や練習によって身につく非体系的で要

素的な知識や技能のことで︑単語や熟語を憶えるとか公

式の一つがわかったとか︑そういう類です︒そういうの

が高校までの学習で﹁八O%位身についた﹂という学生

が︑明大で一回・五%︑中京女子大で八・三%います︒

五O%ならどちらも約三分のニですね︒第2

(9)

うのは︑これがもっと点から線︑線から面へとつながっ

て立体的連関的になった︑体系的洞察的な知識や技能の

ことです︒こうしたものが頭の中にできると﹁わかった﹂

感じが生ずる︑あるいはそう思って本を読んだりしたと

いう学習体験の有無を聞いたわけです︒高校までに﹁か

なりあった﹂という人が明大ニニ・六%︑中京女子大七・

%

それから第3の学力は︑勉強だけでなくもっと広くボ

ランティアや部活なども含めて学習したことが自分の進

路や生き方︑アイデンティティの形成に寄与したと恩わ

れるような︑学習体験や学力習得の体験があったかどう

かです.そういう体験が﹁多くあった﹂という学生が明

大一九・四%︑中京女子大六・三%という状況です︒要

するに自分について考えたり︑社会や人間の生き方につ

いての勉強は︑どちらの大学生もあまりしていない傾向

が強いのです︒大学で本当に勉強するようになるために

は︑自分を媒介にして社会を見ていき︑自分がどのよう

に社会に貢献できるかを考え︑批判的な目あるいは問題

意識を持って社会に関わっていく関わり方を自分なりに

確立することが必要です.それが本当の勉強であり教義

だと思いますが︑高校までにはまことに不充分だという

次に︑そうした課題に気づき︑自分もそのようになり

たいと思ったきっかけは何か︑ということについて聞い

(

2Y

12は︑能力主義はいけない

本当の教義をつけなければと多少でも考えるようになっ

た体験はいつか︑どんな事かをリポートに書いてもらっ

た集計です︒対象は中京女子大の一年生で︑家政学部と

家政学部では︑高校︑予備校までの勉強の中で︑すで

に約半分の学生がやはり受験勉強は本当の勉強ではない

と倍っている.これは大きいと思います︒それから大学

生になって学内外の友人はじめいろいろな人との交流や

活動を通してというのが家政で二四・七%︑体育でも三

三・六%と多いです︒このことから︑先の小中高の生徒

たちの勉強観と同じような傾向が私の大学についてもい

えると思いました(資料

3Y

表l2は︑﹁では自分をそういう風な主体的な人間に

向かって自己変革︑自己形成していくための条件は何か

を考える﹂というリポートを書いてもらった集計です︒

表5の家政学部で見ると︑①目的意識や目標を確立して

それに向かってがんばるというのが二九・二%︑⑤意欲

的に学ぶこと一七・O%︑⑥広い視野や知識で考える力

をつける一四・六%︑⑧自分と社会の価値観を変える一0・一%で︑これらを足しますと約七O%になります︒

やはり知的に広い視野から学んで自己を確立する︑そう

いう方向を考えている学生が︑圧倒的に多いということ

です︒体育学部でも︑①②⑥⑦を足すと八O%になりま

52

(10)

43

八割という大多数の学生が︑やはりちゃんと大

学で勉強しなくてはだめなんだ︑主体的な勉強︑自分が

学ぶ主人公にならなくてはならない︑と思っていること

がわかりました︒私もこのことに閲して確信を持つよう

教養とは何か︑ということについて︑口で言つでもな

かなかすぐにわかることではないので︑まず学生に問い

かけて書いてもらうことにしました︒私の意見は述べず︑

いきなり﹁教義とは何か︑言葉で表してみてくれ﹂と言

って番かせたものです︒明大と中京女子大に短大も入れ

て三校分の回答のうち︑共通するものは一つにまとめ︑

少しずつ変わったものをそれぞれ三

O

ぐらいずつ並べま

︑自己のアイデンティティを確立し︑目標を決定﹁1 まず明大で︑理工学部農学部一年生の教養観です︒

するために必要な知識であると思う﹂

3︑﹃教養が身につく﹄という言葉があるように︑教

義とは先天的なものではなく︑後天的なものであろう︒

後天的知識の量の最も多い人間固有の知識体系であり︑

学問を通じて身につく知識︑人間性︑悟り︑知恵のよう

自己というものをどうやって確立するかに非常に関心

が集まっており︑このことはどこの大学でも共通です︒

その一方で︑こういうのもあります︒

つぎは中京女子大学は人文学部児童学科です(資料

4)

3︑高校まで習ってきた勉強内容や知識だけでなく︑

日本や世界の状況をはじめ実社会生活に役立つ知識があ

り︑さらに知識を持っているだけでなくそれを実行に移

していく︑人間性にあふれたバイタリティのある人が︑

8︑自分自身を自己教育して人間性を養うこと﹂

人間にとって最も高級な能力である﹄と高校時代の先生

が言われた︒でも私はわからない﹂

﹁円︑自分の生きている時代で︑どんなことが起こっ

ているか知っていることであり︑きちんと自分の意見が

述べられることだと思う︒ただ単に物知りというだけで

次は短大です︒短大の学生は実用的な知識だけを求め

るのがはやっているのかと思いましたが違いました︒

7︑覚えただけの知識の多さが﹃教養﹄ではない︒

それは﹃育む﹄ものであり︑知識を育み活用することが

できる営みでなければならない︒例えば︑食事するには

かんで飲みこんで︑吸収消化して初めて栄養になるよう

に︑その人が自らの人聞を育む場合に︑知識というもの

がそのような働きをすることを教養という﹂

私はいつも︑栄養を教義とつなげて話をしています︒

(11)

この学生はまるでそれを知っているかのようです︒

η︑学校でのテスト勉強のためのものではなく︑も

っと人間的で社会人になっていくうえで︑大切なものと

?

る ﹂

﹁加︑人聞をしばるものではなく︑人間に希望を抱か

せ与えるものが教建たと思う﹂

と書いてあります︒これらのことを教材にして︑勉強し

今まで私たち私大教速などは︑国民のための大学︑国

民にひらかれた大学ということを合言葉にして︑研究し

運動を進めてきました︒しかし必ずしも共通のイメージ

がありませんので︑国民のための大学とは何か︑その条

件は何かをつめていく必要があります︒大学像の問題︑

教育の中身の問題︑カリキュラムの問題︑教育形態や方

法の問題︑管理運営の問題︑財政状況の問題等の点で早

急に作っていく必要があると思います︒

具体的に考えますと︑最近は﹁主権者﹂としての国民

をつくるための教育︑という言い方はあまりしなくなっ

ているように思います︒一人ひとりの子どもが幸せにな

る︑一人ひとりの子どもが自己決定の能力とか︑自分を

育てる自己形成の能力を持つようにする教育とは何か︑ といった方向に焦点が向けられているように思います︒

それはそれで大切なことですけれど︑社会的に考えた

時には主権者としての国民をどうするかという観点︑国

民主権を重視する公的な部分が教育︑そして大学教育に

なければいけないと思います︒単なる﹁被教育者﹂とし

ての学生から︑主体的な学習者への変化が大学で起こら

なくてはならないこと︑それが実際に起こり得ることに

ついては前にお話ししました︒しかしこの変化が単なる

通の自党に支えられていなくてはならない︑と思います︒

学生も消費者(コンシューマ

l)

だ︑という言い方が

最近されてきています︒大学が提供するカリキュラムや

授業を︑特に私学の場合学費と見比べて買う価値がある

か判断する︑学生もかしこい消費者にならなくてはとい

うわけです︒これにもたしかに一理ありますが︑そうし

た市場原理ですべていいとはいえない︒国家統制が間違

っているからといって︑市場原理つまり私的権利のぶつ

け合いに任せておけばいいことにはなりません︒公共的

な面の原理原則︑条件が必要だと思います︒

そうするとやはり︑主権者としての人間をどうつくる

かという考え方が根本になくてはならない︒学習者とい

う概念は︑そのような主権者としての学習者︑生活者で

なければならず︑学ぶ主体としてのイメージが共有され

なくてはならないと思います︒学生に付加価値をつけて

54

(12)

社会に出す︑そのために単位や卒業の判定を厳しくする

という大学のことが最近いろいろと報道されていますが︑

私は非常に疑問に思っています︒学生はモノではありま

せんので︑品質管理をしていく発想は間違いです︒学生

が主体的に勉強していくという自主的な学習能力を身に

つけたかどうかこそが大事であり︑しかもそれが当の個

人のためだけのものでなく︑国民共有の財産としての大

切さなのです︒具体的にいえば︑前にも言いました﹁学

習権宣言﹂に基づく大学像の再生ということです︒この

ことについては︑もっともっと皆で考えていく必要があ

最後に大いそぎですが︑大学教育の課題といった観点

からいくつかのことを述べたいと思います︒まず学生の

参加をどう位置づけるかということです︒これは国民に

ひらかれた大学の条件の一つだと思います︒かっていろ

いろな問題がありましたが︑詳しく話す時聞がありませ

ん︒授業への参加︑カリキュラム作りへの参加といった

個々の問題を超えて︑基本的には大学文化・教育文化の

世界への学生参加(すなわち大学運営への参加)という

考え方が必要ではないでしょうか︒

となると︑これを具体化していく組織づくりが必要に

なってきます︒学習と研究の共肉体づくりについては前

に申しました︒これは学生をその方向で指導するという

だけでなく︑大学自身が組織体として独自の文化を持ち︑ 教養を深めることを意味します︒そのための努力が常に必要だということです︒何のために研究するのかということを何のために学ぶかという聞いと共に︑学生と一緒に考えていくことが大切だと思います︒

以上のことをまとめて大学全体がこの自分たちの大学

を自分たちの条件にふさわしく作っていく︑そういう大

学づくり運動体としての関係ができればいいと思います︒

それはすなわち国民皆の自己教育︑自己形成を原理とす

る︑教育と研究の組織化であり計画化だと思っています︒

教育研究の共同体づくりは︑国民と人類の福祉と人間

的発達に奉仕すべきものです︒ユネスコは︑二一世紀の

大学像に関する政策や高等教育発展のためのインターナ

ショナルなネットワークづくりにおいて︑大学の本来的

機能を社会的・人類的課題(平和︑人権︑自由︑環境な

ど)への志向性や社会的﹁妥当性﹂において発帰される

べきものとしています︒こうした意味での大学像の明確

化・共有化が今日ほど重要なときはありません︒その意

味で︑さきほど小林さんが紹介された和光大学合同教授

会の決議は︑まさにこの方向に沿うものとして今後ます

ますその意義を増すものだと思います︒﹁大学改革﹂の中

で大学が主体的理念を主張し持ちにくくなっているとき︑

右の点はいっそう重要な基本的課題です.

ご静聴ありがとうございました︒

(13)

資料1 学習観の転換と青年期の自己形成(新村)

1 高校教育下の学力像・学習像(中京女子大学の学生の場合) アジア文化学科 A.1の学力・学習について

1  80%位は身についた 2  50%程度は身についた あまり身についたとは言えない B.2の学力・学習について

人(%) 2(  8.3)  175.0) 4(16.7)  24  そういう体験はかなりあった 4(16.6)  少しは体験できた 9(37.5)  ほとんど体験できなかった 1( 4.2)  4  N 1(  4.2) 

24  C.3の学力・学習について

そういう体験が多くあった 3(12.5)  少しは体験できた 12(50.0)  ほとんど体験できなかった 8(33.3)  4  N 1(  4.2) 

24 

2 高校教宵下の学力像・学習像(明治大学の学生の場合) 全体{理工・農学} 理工学部 A. 第 1の学力・学習について 人(%) 人(%)

1  80%位は身についた 9(14.5)  6(18.2)  2  50%程度は身についた 42(67.7)  20(60.6)  あまり身についたとは言えない 11(17.7)  7(21.0) 

62  33  B. 第 2の学力・学習について

そういう体験はかなりあった 14(22.6)  9(27.3)  少しは体験できた 31(51.6)  18(54.5)  ほとんど体験できなかった 17(27.4)  6(18.2) 

62  33  C. 第 3の学力・学習について

そういう体験が多くあった 12(19.4)  10(30.3)  少しは体験できた 26(42.0)  12(36.5)  ほとんど体験できなかった 24(38.0)  11(33.3) 

62  33 

中京女子大学紀要NO.30(1995年)

児童学科 合計

人(%) 人(%)

5(  9.0)  7(  8.8)  35(63.6)  53(67.1)  15(27.3)  19但4.1)

55  79 

2(  3.6)  6(  7.6)  29(52.7)  39(49.4)  23(41.8)  32(40.5)  1(  1.8)  2(  2.5) 

55  79 

2(  3.6)  5(  6.3)  26(47.2)  41(51.9)  27(49.1)  35(44.3)  O( 0 )  1(  1.3) 

55  79 

農学部 男子 女子

人(%) 人(%) 人(%) 3(10.3)  4(11.1)  6(24.0)  22(75.8)  25(69.4)  16(64.0)  4(13.8)  8(22.2)  3(12.0)  29  36  25 

5(17.2)  5(13.8)  9(36.0)  13(44.8)  18(50.0)  14(56.0)  11(37.9)  13(36.2)  2(8.0)  29  36  25 

2(6.9)  3( 8.3)  9(36.0)  14(48.3)  13(36.1)  12(48.0)  13(44.8)  20(55.6)  4(16.0)  29  36  25 

1の学力・学習…記憶と再生、反復練習、機械的習熟という学力・学習に象徴されるような非体系的知 艶・技能をいう.

2の学力・学習…『理解J(意味連聞の洞察)や『わかる』ことにつながる学力の習得や学習体験をさす.点 から線や面にあたる知酪や技能、連関的・体系的知畿技能の習得、&tJlfi的習熟の学習・学力をいう.

3の学力・学習…要素的知能や体系的知能・技能の習得と平行しつつ、またそれを土台にしつつ、いわ ゆる『探題化的認艶Jや『主体的認盤Jを形成し、自己の進路、生き方、社会的実践的観題を把握するな ど、人格形成(価値観形成やアイデンティティの形成確立)に関与し作用した知織・学習をいう.

56

(14)

「能力主穏を』こえる教養と人権としての教育(新村)

41 46.0% 22 24.7% 16 18.0% 2 2.2% {リポート作成:19926‑7月) 2考え方を転換できた体験は何か(体育学部1年・110人)

大学生になって学内外の友人・人々との交流をとおして 37 33.6%  2 高按・予備校など受験をとおして 22 20.0%  3 さまざまな情報や社会観察をとおして 14 13.0%  4 小・中・高を通じて進路を考えてきたから 13 12.0%  5 大学入学後の今、リポート作成をとおして考えている 15 13.6%  (リポート作成:19926‑7月) 資料

4

教養とは何か?こ九九六

年五月)│中京女子大学・人文学部児童学科・第一学年

資料2

1考え方を転換できた体験は何か(家政学部1年・89人)高校・予備校までのさまざまな体験を通して

大学生になって学内外の友人・人々との交流をとおして 3  目標をもっていたから、目標をもつことができたから 本などを読み勉強することによって

1.

教養は差別的作用をもっ場合も

27 (1993)

1 自己形成のための条件(家政学部1年・89人}

目的意践や目標を確立し挑戦する 積極的に行動・挑戦し自信を持ちたい 3  友遣をたくさんつくり交流する 教免や管理栄養士などの資格をとる 意欲的に学ぶこと

6  広い視野や知践で考える力をつける自分たちが時れる大学にする 自分と社会の価値観をかえる 教育・社会を改革する揚力をする

26 29.2% 24 27.0% 19 21.3% 19 21.3% 15 17.0% 13 14.6% 10 11.2% 9 10.1% 5 5.6% (リポート作成:19926‑7月) 中京女子大学紀要

資料3

31 28.7% 30 27.3% 20 18.2% 19 17.3% 16 14.5% 15 13.6% 11 10.0% 8 7.3% 8 7.3% 5 4.5% (リポート作成:19926‑7月) 2自己形成のための条件(体育学部1年・110人)

価値観と教聾を身につける

目標や熱中できるものをつくり挑戦する 3  教員免許や資格をとる

友だちをたくさんつくり交流する 本気で努力することができる人間に 6  意欲的に学ぶこと

広い視野で人間と社会を考える 自分たちが跨れる大学にする 社会と教育のあり方をかえる 10自信を持ちたい

ある

2 .

成績の善し悪しではなく︑世間でいう常識をわきまえていること︒

3 .

高校まで習ってきた勉強内容や知識だけでなく︑日本や世界の状況 をはじめ︑実社会生活に役立つ知識があり︑さらに︑知識をもっているだけでなく︑それを実行にうつしていく︑人間性にあふれたバイタリテ

ィーのある人が︑﹁教義のある人﹂で はないか

4.

雑学的なことを含んで自分自身をつくること.遊ぶこと︑運動する

こと︑趣味をもっていること︑恋もすること.

参照

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