ア ナ ト リア に伝わ る花 言 葉
山 本 昌 子
アジア側 トル コ , つ まりトル コ語で ア ナ ドール と呼 ば れるア ナ トリア は
, 小ア ジア とも言わ れ,
トル コ 全 土の97% を占めて い る, ア ジ ア大陸 か ら西 に向っ て約1,500kmに わ たっ て突き 出 し た,
大 きな半 島状の地 形で,三層に分 け られる。 最 下 層 は一番低い沿 岸 部に発 達 し,所に よっ て はあ る程 度の広がりはあるが, ほ とん ど は海と山の聞に は さ まれた縁どりの様な狭い平 地 地 帯。 中 層 はアナ ト リア地方の 3分の 2を占め る高原地 帯。 最 上 層は山岳 地 帯と, 起 伏が三層に分か れて い
る よ うに, 気 候上の変化 も多 彩であ る。 黒海沿岸は 湿度に恵ま れて深い森が茂 り, ニ ーゲ海 沿 岸 部に は強い太 陽の光が満ちあふれ, 中 央ア ナ トリア 高 原に は心 地 よ い風が吹 き渡っ てい るの に,
アダ ナ平 野は ほ と ん ど無 風 状態 で 蒸 し 風 呂の様に な る。 し か し, アナ ト リア とい う名称が, 古 代 ギ リシ ャ語の 「太陽の昇る方向の土 地 」 とい う言 葉が訛っ た ものと い わ れ る ように, 一般 的に
は, ア ナ トリア全域が き わ めて 自然 に 恵 ま れ, 自然の魅力 が一ぽい に
あふれて い る土 地である。
こ の様な風土の も とに .トル コ人 は, か な り昔か ら装 飾や楽しみ の た めに, 自分 達の庭で いろ い
ろ な草や花を栽 培し, 日常 生 活 と花 とは密 接な関 係 を もっ て, 心 豊か な生 活 を して いたのであ るQ
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本稿は, 1978年 8月, イス タ ンブール に於て約100年 前 か ら現 在に至 るトル コ 人の 日常生活と 花 とのか か わ りと, 中央アナ ト リァ に伝 わる花 言葉を, 有名な トル コ 民族 衣 裳 研 究者であ り,コ
Y
レ ク ターで もある Sabiha TANSUG 女 史よ り聞 き 取 り調 査 を し, 1979年 8月, ア ナ トリア中 央部を訪ねて現 地 見 聞, 調 査 を し たもの である。
〈花 と 生活〉
トル コ に於ては, 昔か ら日常の生 活 用 品に花の図 案 を用い たもの が多く見 ら れ る。 そ れ は タ イ
ル IC, (イス タンブール に あ るブル ーモ ス ク や トプ カ プ宮 殿には
, 伝 統 的 な百 合,カーネーシ
ョ ン, バ ラ, bル コ人 が特に好む チ ュ ーリップ
, 糸 杉 な どのタイル が多 く見 られ る。 写 真カ ラー
No.1), 布 地に, そ して木, 金 属, 石の彫 り もの で浴 場や回 教 寺 院 な どの給 水 栓 や 扉, 祭 壇, 墓 石 まで に も, あらゆ るもの に花のモ チーフ が 用い ら れてい る
。
特に トル コ 史上, チ ュ ーリップ時 代 (Lale Deuri ラーレ ・デ ウリ,1703〜1730 ) と呼ばれ
た, 宮廷 を中心に優雅 なフ ラ ン ス趣 味が 生活や学 問, 芸 術 等に取 り入 れ られ, トル コ の社会に大
き な刺 激を与 えた, オス マ ン国家の西 欧 化の 第一歩ともい うべ き華美で多彩な文 運 開 化の時 代が あっ た。 チュ ーリ
ップの 名称がつ い たの は, ラーレ
, 即ちチ ュ ーリ
ップ が, 当 時 欧 州 方 面か ら輸 入さ れ, 一種の 装 飾 品と して栽 培 す るこ
と が, 全 国 的に熱 狂 的な 流行を呼び, もて は や されたこ と と, オス マ ン帝 国の西 欧化が始 ま り, 生 活の向 上, 織 物工業の発達な ど, この花の様に華 麗で 絢爛た る新 しい文 化が咲 き匂っ た こ とに由 来してい る。当時, ア ドリァ ノーブル か らコ ン ス タン チノ ープル までの 一帯は
, い た る とこ ろチュ ーリ
ッ プが植え ら れて おり, こ のチ ュ ーリッ プ栽 培
は, 商業の 歴史でも かつ て な かっ た程の投 機の対 象 と な り, その値 段は最 高の 貴 金属 より高かっ た とも言 わ れている。
チ ュ ーリッ プ とい う名は, “tulipan”チュ ーリパ ン と呼 ばれ る トル コ の ターバ ンの形 と色 が 似
て い ることか ら, オ ランダ 人が チュ ク リッ プ (トル コ の帽子)と呼ん だのが語 源だ と言 わ れて い る。 チュ・一一リ
ップ 栽 培は, 一ツ の特 殊な技 術と み な さ れてお り
, 形は細 長 くて現 代のもの とはか な り異 な る が, 博 愛や名声 を 意 味 す るた め に, 国の花 と して愛され,隆 盛き わ め る トル コ 皇帝の 宮廷衣 裳 “Kaftan” カフ タ ン の柄にも多 く見 られた (写真カラー No.2)。
アナ ト リァ地方で は日常生活や 入生に於て最も 重要な儀 式, 即ち結 婚や葬 式の時に, 花が大き な役 割 を もっ てかかわ り, 現 在で もな お続い て い る習 慣 もある。 イス パ ル タでは,今日で も畑一 面にバ ラを栽培して いて , 5月に は, 日 の 出前か ら青 年 男 女が共々 馬車に乗っ てバ ラ畑に行 き,
一緒に フォ ークソ ング を歌いな が らバ ラの花 を摘む。 帰 りに は, 人々 は皆, 髪にバ ラの花 を 飾 り, 馬やロバ まで,バ ラの花で飾 られる。 家の中はバ ラ の花で一ぱい にな り,一部は最 高の 香料
と して有名なバ ラ の花精 油ICする ため工場へ 送 られる。 このバ ラの花 精 油は, U 一マ時代か らこ の地方で は名 産 品と なっ て い た。 また各家庭で はバ ラ の ジャ ム が作られ, こ の様な取 り入れ 風 景 は約 1ケ月 も続 くの である。
ア ナ トリアで は, 女の子に花の名が よ くつ け ら れる。たとえば, バ ラ, 水仙, ヒ ャ シ ンス , 水 一ユ20一
山本 ;ア ナ ト リ アに伝わ る花 言 葉 蓮, す み れ な どの 名前が多い 。 そ して , 娘の こ と を “gonca” ゴン ジ ャ (つ ぼ みの 意 ) と呼び,
成 長し た女 性は “koklanmis gigek” コ ク ラン ム ッ シュ ・チチェ ッ キ (香りのある花の意 )と言
う。
一部の地 方で は, 若い娘の 居る家の窓際には, 鉢 植 を 置 く習 慣 が あ る。 人々 はこの鉢植を 見
て , 結 婚 適 令 期の娘が居ることを 知 り, 関 心があ れ ば娘 を 見に行っ て もよい こと ICな な っ て い る。 ま た多く の 地方で は, 婚約者の娘に対し, 男 性の方か ら雄の羊が贈 られる が, その 羊の頭や 背 中は, 季節の花や造花で美しく飾 りっ け ら れ, 人々 は その羊 を見 るた めに, 娘の家の庭IC集ま
っ て くるの である。
娘が お嫁入 りで生家を出る時は, 必 らず 根の付いた花, あ るいは木の苗 をたつ さえて , 婚家に 着く とす ぐに これ を庭に植え る。 そ して こ の花, ま た は木が根 付 き,大 き くな り,花や枝が増 え
る ことは, この 結 婚が う ま くい っ た証 拠と考え られる。
不 幸に も入 が 死 亡 した 場 合, 特に女 性 はそ の両 手の中に花を 入 れ て胸の上に お か れ, 埋 葬の時
には多くの 新鮮な花が 土 と共に埋め ら れ るの である。
〈 花 と祭 り〉
100 年 位 前,人々 の 花に対 する関心 が非 常に高 ま り, 各 地で い ろい ろ な花祭りが催さ れて い た。 そ の一ツ に
, マ ル マ ラとエ ーゲ海地帯の ヒ ャ シ ン ス祭りがある。 どの家に も庭には種々 の花 を一ぱい植えて い る が, 特に春が来る と, 野や畑一面に色 と りどりの ヒ ャ シ ンス が咲 き競い
, 人
々 は春を ヒ ャシン ス 畑で 迎 え るのが常で あっ た。 またバ ラの栽 培は一般 的で非 常に盛ん で あ り
, ブル サの イズニ ク では,昔か らバ ラ祭 りが あ り, バ ラ作 りのコ ンテス トが行 わ れ, 現 在でもこ の催し は続い てい る。
〈 花と手 芸〉
ア ナ トリア の住民に と らて, 男女と も, 日常 生 活の服 飾 と花 との関 連は深 く, 特に頭 部の覆い
の 飾りを , レース 編や刺 繍に よっ て
, 感情, 思 考あ るい は物 事 をア ナ トリア独 特の花 言 葉によっ
て表現 して い る。
花は 野生の花, 庭の花, 果 樹の花 な どが, それぞれ 刺 繍や編み物な どでそっ くり再 現さ れ, ま た 日常の 出来 事や感じ た こと な ど を詩の様に表現し た り す る。 それは, ア ナ トリア 農 村の ほ とん どの人 が読み書 きが出 来 な かっ た た め, 自分の気 持 を, また昔か らの伝 説や多 くの物 語や民 話 な ど を刺繍や編み物に よっ て図 案 化し, また花言葉な どを通 じて今日まで伝えて い るの である。
ア ナ ト リ ア に於 ける刺 繍の 始ま り は,民 衆の間で花を愛 好 するこ と が 頂点に達す る と共に始ま
っ た と言わ れ る。 それは資 料によ る と, 前述の チュ ーリップ時 代 前 後か ら発 展して き た ようで あ
る。 女の子は 6〜 7才の子 供の時か ら刺繍や編み物を親か ら習い始め, 自分の ものや家 族の者が 使用する ものを一生 作り続け るの である
。
刺 繍 は, 7世紀 頃か ら絹の 生 産 地とし て名高い, 小アジア西端の ブル サ地方で盛んIC生 産さ れ 一 121一
て いた が, 今日 で は,マ ル マ ラ, エ ーゲ海 沿 岸 及 び,黒 海 沿 岸,中部ア ナ トリア及びイス タ ン ブ ール 周 辺 が 盛 んで ある
。
〈 花言 葉〉
ア ナ ト リア の服装に は, 必 らず頭 を覆いかぶ るものがあ り, 花 言 葉はこれ ら に施さ れて い る編 み物や刺 繍に託して種々 の メ ッセ ージ が伝 え られて い た
。 それ は “Yemeni ” イエ メニ と 呼ばれ る もの で, うすい 木 綿地に木 版で 花 模 様の プ リン ト (アナ ト リア地 方では, か な り昔か ら プ リン
トの手法が存在して いたと言 わ れ, 今日で も多く使わ れ てい る)を し, 周 囲を ℃ ya” オ ヤと呼 ばれるレース の 花で飾ら れ たス カーフ である (写 真カラー No.3)。
☆ ヒ ヤ シ ン ス
恋 と幸せ の シ ンボル で あっ たの で , 恋 愛 中 ある い は婚 約 中の 若い娘の頭 巾に使わ れ る。 紫の ヒ
ャ シ ンス は恋 愛 中の 娘, 赤い ヒ ャ シ ン ス は婚約中の 娘, 白い ヒ ャ シ ンス は貞 操を示す もの と さ れ て い た。
☆ 黄 色い水 仙 (写 真 カラー No.4)
ギ リシ ャ神 話に出て くるナル シス の 様に, 望 み な き 恋,絶望 的 な愛を示す。
☆ グリーン グラス (写 真 No.1)
コ ニ ヤ地 方では現 在で も見 られ る 習慣で, 婚 約中の娘は, 婚 約 者の母 親に対して , 手作りの芝 を送 るのが習 しである が, 花が咲い て いる もの であれ ば, 二 人の仲 が う ま くい っ て い るこ と を示 し,もし墓石な ど が描か れて いれ ば, 冷たい関 係が死ぬ まで続 くこ とを示す。 ま た 毛虫は娘が婚 約者の 男性を嫌っ て い る こ とを示 す。 故に男性の母 親は, 婚 約 中の女 性 か ら野 原の芝 を送 ら れ る
こと を望 むの で ある。
☆ ア ーモ ン ド
好き な 男性と結 婚が約 束さ れ て い る娘が 飾 り と してつ けて い た。
婚 約 中の男性の家か ら娘へ は, ニ ツか 三ツ の花の刺 繍が贈 られた が, それには, バ ラ, すみ れ, カーネーシ ョ ン等があ り,花 嫁の頭 巾 は,これ ら贈られ た花で飾られて いたの で あ る。 現 在
で もコ ニ ヤ地 方で はこれ らの 飾りに多 額の 費用をか け る と言わ れて い る。
☆ バ ラ (写 真カラー No .5) 一部 地 方で は既 婚の女 性が用い
, 他の地 方で は若い娘に も用い られ た。 左 側に花をつ けると子
供が た くさ ん出来る よ うに との祈 りがこ め られ,右 側につ けて い るこ と は,新 婚の幸せ を表わ し
て い る。 ま た夫が異 郷に出て い る妻は, 野生の バ ラの 飾 りをつ けて いた。
☆ 赤 とうが ら し (写 真 カ ラー No,6)
新 婚の花 嫁の頭 巾につ け られて い る場合は, 辛いとうが らしの様に, 結 婚 生 活 が あ ま り うま く い っ て お らず, 苦しい夫 婦 関 係 を 表 わす。
☆ カーネーショ ン (写 真カ ラー No ,7)
既 婚の女 性がつ けるもの で, 夫 婦 相 和を示 す。 また若い男 性が頭にカーネーシ ョ ンをつ けて い
一ユ22一