318
−βクーー・
「自由貿易的経費膨脹」政策(1)
−19世紀中葉のイギリス議会(下院)
における経費削減論議の検討一
西 山 一 郎
Ⅰは じ め に
19世紀自由主義段階のイギリス国家財政を「安価な政肝」として特徴づけるこ
(1)
とほ.,今日わが国に.おいて極めて通説的な事柄に.なっている。しかし,この規 定は,わが国における「安価な政府」の研究史を顧みればただちにわかるよう
紅,戦後,とくに最近の10年間紅おいて普及したものである。
周知のよう紅,戦前のわが国の財政学界でほ.,ドイツ財政学が大きな影響力 をもっていた。そのために,19世紀自由主義段階のイギリス国家財偲も,ワグ ナーの唱える「経費膨脹の法則」を立証する1つの実例に.含めて説明された。
代表的な例は、小川郷太郎教授である。教授ほ,昭和5年に,「経費膨脹の趨勢
(2)
ほ欧米の財政史に.於ても又我国の臥政史に於ても之を証明することが出来る。.」
とのぺ,イギリス紅ついて■ほ次のよう紅いう。地方分権を政体としている点 で,イギリスほ,中央集権的な「仏国と異る所があるが,其の経費増加に至っ てほ殆んど軌を同じくしている。.」すなわち,1688年から1912年紅いたる「22b
(1)同じような規定は,イギリスに.おいてもみられる。たとえば,ヒックスは,グラッド ストン時代のイギリス財政に.ついて,「自由と進歩の勢力ほ政府サ・−ビス紅おける節約
(economy)に.大きく加担しでいた」(Hicks,U.K.:British Public Finance,th・
eir structureand development1880−1952,丸善,昭和36年,p.
訳:『イギリス財政史』東洋経済新報社,22頁)といい,コーー・トは の国家財政はかくて節約(economy)のことばかり厳格に注意し」
:A ConciseEconomicHistoryofBritain,from1750toRecent 1962.p,2矧/荒井・天ノーほ尺:『イギリス近代経済史』ミネルヴァ書房,
べている。ただし,「安価な政府」という言葉を使っていないこと
(2)小川郷太郎:「経費論」,く経済学全集,第19巻>『財政学』(上)
初版,232真。
24.遠藤・長谷田
,「ブイクりア時代
(Co11It W・H・B times,Cambridge,
316真)ていたと述
紅注意せよ。
,改造社,昭和5年
319 「自由貿易的経費膨脹」政策(1) ー βノ ー−
(3) 年間紅於て人口は8倍したが経費は60余倍の大きに達した」,と。このような論
述は,小川教授とほ学問的立場をことにする大内兵衛教授紅おいても同様であ る。教授ほ,アダムスに.依って,「1880年における しイギリスを含むヨー・ロツパ 諸国〕の歳計総計は,9億5千5百万弗であったが,1890年に.は36億弗となっ
(4)
た,これはまさに60年間に360%の増加であり」,このような「経費膨脹」の
「大勢は19世紀後半のヨ一口ツパに.おいて著明となり,加速度的となったので
(5、
あり,20世紀に入っていよいよ急速度的と.なった」という。
これらの研究は,戦後の∴連の研究が強く主張しているイギリス自由主義時 代における「安価な政府」の存在を全面的に無視して,イギリス財政史上−・賞
して−経費膨張がみられたと考えている。したがって,当然のことであるが,19 世紀自由主義時代の経費動向の特質を把握するという観点がぬけている。しか
し,私にほ,これらの研究が全く誤って:いるとは思えない。それどころか,基本 的に・ほ正しいとさえ考えられる0なぜなら,自由主義時代のイギリスの国家経 費の動きを根底において規定したもの咋,経費膨脹政策であったと推測される からである。19世紀自由主義段階のイギリスに.おいても,戦後の研究が−・様に強 調する「安価な政府」とほうらはらに,根強い経費膨脹がみられたのである。
さて,わが国においてほ.じめて−,自由主義時代という段階規定をして,そこ における国家財政の特質を「安価な政府」として把握したのは永田酒教授であ
(6) ろう。教授は,昭和17年に,】8世紀中葉より19世紀中葉における経済的自由主
義の時代に現出した国家が「自由国家」であり,「自由国家ほ又『安価な政府』の 要求でもあった。州チ々−チスト運動が鎮静した頃から凡そ20年は自由主義
(3)小川:同上,233貢二。同じ王張は,小川・汐見‥『財政学』有斐閣,昭和8年(昭和 7年初版),128〜129真にもみえる。
(4)大内兵衛:『財政学大綱』岩破書店,昭和23年(昭和5年初版),226頁。
(5)大内:同上,238頁。
(6)そして,教授は,19世紀イギリス紅おける「安価な政府」の存在を指摘した,戦前に おける唯一・の人ではないかと思う。わが国における戦前の唯一・のイギリス財政史とおも われる,小林丑三郎‥「財政史」(く経済学全集,第20巻>『財政学』(下),改造社,
昭和4年初版,311〜316頁)さえも,「安価な政府」にほ全くふれていない。
320 節39巻 罪3号
ー&2−】
(7) 国家の典型的な時代であった。」という。教授ほ,このような先駆的な指摘は・お
となったが,「■安価な政肝」の実態を少しも明らかに・しておらない0ただスミス とパーネルの言説を引用するのみで,国家経費の額の推移とかコプデン,ブラ イトらのマンチェスター派の「安価な政府」の運動とかを全く不問に付してい るっ「安価な政府」の本格的研究は,戦後とくに昭和80年に・出された武田教授の 論稿までまたねばならない。
戦後に.おいで,イギリス19世紀の「安価な政府」をいち早く指摘したのほ,
島恭彦教授であろう。教授は,昭和25年に.,「安価な政府」は「18,9世紀のブル ジョアのたんなる空虚な願望ではなく,中央集権的な官僚制をはとんどもたな
…(8) かった19世紀前半のイギリス・‥でほ.,実現された歴史的事実であった○。」とい ……・
う。翌年にほ.,風早八十二戊が,「贋本主義の発展期に・おける国家財政ほ,通 例,Cheap Government(廉価な政府)と呼ばれる……l,第1次大戦に・至るまで
(9〉
のイギリス財政は.まさにこのような資本主義財政の典型として−知られていた0」
と論じて.いる。さらに,「やすあがりの政府」という側面からみて「1840年から 1′870年代のイギリス財政ほ,もっとも典型的であった」と主張したのは,昭和
(10) 80年紅初版を出した『近代財政の理論』であった。最近でほ,佐藤進撃授が「安
上りの政府」は,「イギリスで自由貿易運動の完成以後,たん紅イデオロギーと
(11)
しでだけでなく,現実的に達成された。」と述べている。
かくて,戦前の永田教授を囁矢とする戦後の一・遵の研究は,「■安価な政府」を 全く無視しノッぺラボクに.経費膨脹がみられるとした戦前の小川・大内両教授 の研究とほ対照的に.,19世紀自由主義時代のイギリス国家財政を「安価な政府」
(7)永田清:『財政学の展開』日本評論社,昭和17年初版,426〜427京。このような明確 な指摘ではないが,しかし,内容的に・ははとんど同じことが昭和12年にすで紅のぺられ
ている(永田:『現代財政学の理論一既成体系の批判と反省』岩波沓店,昭和19年
(昭和12年第1刷),349〜3声4貢)。
(8)島恭彦:<経済学全沓,第十巻>『財政学概論』三笠婁房,昭和25年初版,29貢。傍 点は西山。以下,ことわりなき場合は,傍点は全て私の付したものである0
(9)大阪市立大学経済研究所編:『経済学小辞典』岩波書店,昭和26年第1刷,363貢左欄。
仕α 武田・遠藤・大内:『近代財政の理論』時潮社,昭和30年,92其。
仙 佐藤進:『日本財政の構造と特徴一国際比較的視点から−j束洋経済新報社,昭
和41年,77貫註(3)。
「自由貿易的経費膨脹1政策(1J 一− ββ−
321
の具現であり,典型であると規定した。戦後の研究ほ,自由主義時代の国家財 政の特質を強くうきぼりに.した点に.おいて大きく前進している。しかし,戦後
の研究ほ.,のちに詳しく換討する武田,島両教授にみられるように,「安価な政 府」という規定に拘泥して,それをなんとかして貫こうとする卒まり,議論の 前と後で「安価な政府」概念が異なってきたり,論述に.自家癒着が生じてきた
りするような無理がでてきている。そのことは,19世紀自由主義段階の国家経 費政策を「安価な政府」としては把握できないことを示唆しているように思わ れる。本稿の結論を先どりすれば,イギリス自由主義段階の国家経費政策(と くに軍事費)を畏くものほ「安価な政府」でほなく,経費膨脹政策であった。
勿論,小川・大内両教授のように.,自由主義段階・帝国主義段階を通じて−,ノ ッぺラボクな経費膨脹政策がとられたというのではない。自由主義段階に.は,
その段階特有の経費膨脹政策がとられていたと思われ,それを試論的に「自由 貿易的経費膨脹」政策と規定する。
戦後の研究の特色は,戦前の粗雑で皮相的な議論とことなり,イギリス財政 の実態に立入ってこいることであり,この点で戦前の研究な大きく凌駕しでいる。
「饗価な政府」の実証分析をおこ.なったのは.,わが国に‥おいてほ.武田,島両教 授である。武田教授の研究は,昭和30年に発表され;武田説ほ−・群の研究者に
(12) よって支持されている。武田教授のよってたつ宇野学説批判の意図をこ.めて チ−プ・ガプアメソト (1き) 発表されたのが,昭和38年の島教授の「−『安価な政府』論の再構成」である。島
教授は,すでに.昭和25年に「■安価な政府」の指摘をおこなっているが,それほ あくまでも指摘に.とどまり,内容の分析はおこなって:いない。これは昭和26年 の風早氏の論述についてもいえる。そして,武田,島両教授の研究を凌ぐ
「安価な政府」研究ほそれ以降発表されていないように・おもわれる。したがっ
㈹ 武田説にたつものは,次の事物である。武田・遠藤・大内:前掲苔;遠藤編:<経済学
ノ、ソドブック>『財政学』背林書院,昭和33年第1版,77〜79貢(遠藤教授執筆);鈴 木・武田編<新経済学演習講座:>「財政学』膚林宙院,顧和35年第1版,98〜101真(森 恒夫氏執筆);遠藤嘩‥『帝国主義論』東大出版会,1965年第1刷,155〜163真(加藤三郎
氏執筆)。私が本稿鱒冒頭で「安価な政府」という規定が普及したのは・この10年間であ るといったが,その画期としてほ武田教授の研究が発表された昭和30年を考えている。
朋)『彦根論叢』第46・47合併号,昭和33年9月。
第39巻 筋3号 322
−β4 −
て,両教授の研究が今日紅おけるわが国の最高水準の研究といえよう。そこ で,まず,両教授の所説を検討すること紅よって,「安価な政府」研究の問題 点を別出し,しかる後,19世紀中葉のイギリス議会の経費論議の分析に進みた い。
ⅠⅠ武田教授の「安価な政府」研究
武田教授は,昭和30年に初版を出した,大内兵衛・武田隆夫:く二経済学全集
ⅩⅤ:>『財政学』,欝4章欝2節「『安価な政府』の要望と実現」紅おいて,イギリ
(14)
ス把おける「安価な政府」の研究をおこなっている。
武田教授はまず「■安価な政府」出現の−・般的規定から分析をほじめる。すな
わち,『資本主義ほ,1…財政をふくめた国家の保護,介入にたすけられつつ,
(15)
しだいに.成長してきた。.」産業革命をへて機械制大工業が出現し,資本主義ほ.社 会に.おける支配的生産様式として\確立する。そうなると,「資本主義は.,今度は 逆虹,みずからの成長をたすけてくれた国家の保護,介入の諸政策を排除し,
(16) その撤去をもとめる。」この動向の財政面における特徴は,「登本の蓄積と競合す
(17)
る国家経費を削減せよというかたちで集約的紅表現された」。このような「国家 経費を削減せよ」という要求を端的に」示すものとして「安価な政府」という言 葉が用いられた。
以上が武田教授の「安価な政府」出現の一・般論である。ところで,「国家経費 を削減せよ」というかたちの「安価な政府」は,国家経費の絶対的削減をその
仏側 教授は,同じ年に,「(3)自由主義の財政政策」(『騒済学辞典』節ⅠⅠ巻,東洋経済新報 杜,昭和30年,44貢左棚〜44貢右欄)において,きわめて簡単にでほあるがはぼ同趣旨 のことをのぺている。また,昭和30年の教授の見解は,今日紅おいてもなんら変更され ていない。すなわち,昭和30年の研究ほやや叙述の仕方が変わってはいるが,昭和40年 紅「『安価な政府』の要望と実現−」(島・林編‥町■財政学講座』算Ⅰ巻,有斐閣,1965 年節1刷,99〜・102貫)として再登場しているからである。−・読されたい。以上の2つ のものより,大内・武周 ‥『財政学』,が叙述においてもっとも詳細である。
仕5)大内・武田:同上,75貫。
0嘲 大内・武田:同上,76頁。
仏Ⅵ 大内・武田:同上,76頁。
℡
「自由貿易的経費膨脹」政策(1)
323 − β5・一
(18)
内容とするものである。これを山崎怜氏の用語にならって,絶対的な「安価な 政府」と名称する。武田教授の「安価な政府」がまず,絶対的な「安価な政 府」であることを記憶しでおく必要がある。というのは,教授は後にこの規定
を変更するからである。
さて,絶対的な「安価な政府」の出現プロセスほ,教授にあっては,資本主 義体制をとる国であればいずれの国においても惹起するものとして論じられて
いる。それほ.,「資本主義は,…‥・・」とのぺていることから明らかである。とこ
ろが,絶対的な「安価な政府」は,アメリカ,ドイツ,フランス,日本等々の資本 主義各国に‥おいて出現せず,イギリスー・国だけにおいてうまれたのである。つ まり,絶対的な「安価な政府」ほ「■ただ経済的自由主義の要求が提起されたと ころでのみ提起され,この経済的自由主義が実現されえたかぎりでのみ,実現
(19)
されうると考えてよい」というわけである。経済的自由主義とは,自由貿易で ある0昭和40年に・ほ,より明確把・,「『安価な政府』とは,自由貿易を要望したイ
ギリス資本主義が財政,特に経費面において:もらた要望であるといってよい。
そして,それは,実現された自由貿易のもとでこの資本主義が『世界の工場』と
(20)
して発展しえたかぎりに.おいて実現されたのである。」という。したがって,
『世界のエ場』となり,自由貿易体制を実現した19世紀自由主義段階のイギリス ヽ
以外においては,絶対的な「安価な政府」が実現しなかったのは.当然となる。し かし,それでは.,絶対的な「安価な政府」出現の一・般論を教授自ら否定したこ とにならないであろうか。なぜなら,ほじめに.「安価な政府」は資本主義体制 をとる国であればどこの国においても現われると説いておきながら,結局それ ほ,イギリスー・国紅しか出現しないということになるからである。
つぎに,武田教授は,イギリスにおける絶対的な「安価な政府」出現のプロ
仕針山崎怜‥「 安価な政府, をめぐる諸解釈について」,『香川大学経済論叢』欝38巻節6 号,1966年2月,26真。
㈹ 大内・武田:前掲督,77頁。
鍋 島・林編:F財政学講座.膵H巻,102頁。
第39巻 第3号 324 ーβ6 −
セスの実証をおこなう。それをみよう。
19世紀前半のイギリス資本主義ほ.,関税・消費税の大幅な減税をおこ.なって 自由貿易を実現しようとしたが,その減税財源の捻出紅苦慮してこいた。財源 ほ,当時にあっては歳入の増加−−−これは,当時は所得税の再導入を意味した
−か,絶対的な「安価な政府」の実現である歳出の削減かによって:しかまか なわれなかった。でほ,所得税の再導入か歳出の削減かの二者択一せせま られたイギリス資本主義ほ,どちらのコースをとったであろうか。武田教授日
●●●●●■●
く,「現実においては,関税ないし消費税の引下げは,経費削減というよりは.,
(21J
むしろふたたび臨時的所得税を導入する与・とに・よっておこ・なわれた0」
ここに,教授の「安価な政府」研究の第2の問題点がある。教授ほ.,さき紅
「安価な政府」を「国家経費を削減せよというかたちで集約的に.表現された」も の,すなわち絶対的な「安価な政府」と概念規定し,それが「世界の工場」と して自由貿易体制を実現したイギリスに.おいて存在したとのべた。ところが,
教授は,イギリス財政の実態分析において経費削減が実行されなかったとの ぺ,絶対的な「安価な政府」の存在を自ら否定してしまった。武田教授は,「■貿
易の自由化は,経費の縮減よりは,むしろ所得税の採用をてことしておこなわ
(22〉
れた」といい,「経費絶対額は必ずしも減少していないぼかりでなく,むしろ増
(23)
サ
大を示している。」と主張する。こうなると,絶対的な「安価な政府」は有名無 実の存在になる。
ところが,教授ほ,絶対的な「安価な政府」が実現しなかったとはいわな い。それどころか,「■『安価な政府』の要求ほ,依然として働きつづけるばかりで なく,資本家・地主両階級を通じての要望となることによって,いっそう強化
(24)
されさえするのであるく〉」という。ところが,この場合,絶対的な「安価な政 府」を主張する人たちの狙いが以前と変っていることに注意しなければならな
寄書寄書 掲掲掲掲 前前前前
田田田田 武武武武
内内内内 大大大大
封 切叫 引Ⅷ 爪W 竹W hは﹁ 的仏 h〃
82頁。
84頁:。「てこ」の傍点は原文のまま。
84頁。
84貢。
「自由貿易的経費膨脹」政策(1)
325 −⊥β7−
い。すなわち,教授に.よれば,資本家・地主両階級は「■関税の引下げ,廃止のて
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
ことして所得税を臨時的に導入し,その臨時所得税をなるべく早く廃止するた
(25) めにノ『安価な政府』を要望」したのである。したがって,絶対的な「安価な政
府」要塗の目的が,自由貿易の実現である関税・消費税の減税財源を捻出する ということから,臨時的に導入された所得税廃止の財源を捻出するということ に.変ってきて.おり,後者のため虹絶対的な「安価な政府」が資本家・地主両階
(26)
級によって強力に.主張されたということになって.いる。
しかし,この武田教授の主張ほ誤まっている。なぜなら,第1に.,資本家階 級ほ所得税を廃止しようとして経費削減を要求したのではないからである。コ プデン,ヒ.ユ−ムらのマンチふスター派を資本家階級の利害を代弁するものと 考えると,ただの一度も経費削減と所得税廃止とを結びつけたことはない。ヒ
ューム議員は,1851年の議会で,海軍経費の削減を要求したが,その中で「私
(27)
ほ,所得税に.関してこは¶富も発言しておりません。」と,わざわざ経費削減と所 得税問題とは関係がな斗、ことを明らかにしている。それもそのはずで,コプデ
ン,ヒ.−ム等経費削減を要求する意先峰は,所得税を廃止するどころか1840
(28)
年代後半以降,所得税の永久的継続を軍張していたのである。第2に,地主の 利害を代弁するトーリ−=保守党においても全てが所得税の廃止を要求しては いなかったことに注意しなければならない。たとえば,トーリ−−−:==保守党の巨 頭,デイズレL−リ−は,1851年の議会で「本院の諸君ほ,私のしやべったなか
(29)
で私が財産所得税に反対していないということに注目してはしい。」とのぺ,所 得税の永続化紅賛成の態度を表明して−いる。そして,デイ女レ−リ」−・は,1852 鍋 大内・武田:前掲沓,131真。「てこ」の傍点は鹿文のまま。
個 武田教授は別の所(大内・武田:前掲苔,96頁)でほ.,この立言と異なる見解をのべ ている。しかし,ここでは,それを教授の真意とは考えないことにする。資本家と地主
が所得税の廃止を要求したという武田説は加藤氏によっても支持されている。加藤氏も
「地主匿とっても産業資本家にとっても所得税の廃止しうる状態が1日も早く来ること
が望ましかった」(遠藤編汀帝国主義論』(下),東大出版会,156〜157貢)という。
椚)‡iHansaId,CXIVい1244.
位掛 西山−・郎:「グヲッドストンの財政政策について−のノ・−ト(上)」,『香川大学経済論 叢沸欝37巻第5号,1964年12月,89頁。
闇)3 HansaId,CXVII・1421
326
碍39巻 第3弓
−一占鳩 −
年12月に提出した予算案において所得税の3カ年継続の提案をおこなっている
(30)
のである。第3に,貿易自由化のタコとして導入した臨時的所得税を「なるべ く早く廃止」しようと資本家階級が考えたという武田教授の主張は,論理的に 考えてもおかしい。なぜなら,貿易自由化のテコの役割をする所得税を早々と 廃止してしまったら,それ以降ほ貿易の自由化自体が遂行されないことになる
(31)
からである。そして,資本家。地主両階級がほげしく廃止を要求したと武田教 授がいう所得税は,周知のどとく,1842年.以降一度も中断されず今日まで存続
しているのである。
かくして:,教授のいう絶対的な「安価な政府」ほ,経費削減もおこなかデ,
所得税廃止も実現しえなかったということになる。
そ中でも,武田教授は,「安価な政府」ほ実現したという。そ−の場合の指標 は,国民所得に.しめる国家経費の割合が1817〜18年の13・8%から,1864{ノ65年
し:lご\
の8.2%へと低下七ているということである。そ↓て,経贋の絶対額の増加も その内訳をみ.ると,民事資の増加速度が軍事費・公債費の増加速度を上まわっ ており,「魔対額の増加も自由主義国家に課せられた任務を果すための経費〔 民
(33)
事費〕の増加に.よるところが多い」ので,「安価な政府」実現を否定することに はならないという。
結局,「安価な政府」が19世紀自由主義段階において一笑現したと武田教授がい
($4)
う場合は,国民所得に.しめる国家経費の割合の低下を意味するのである○国民 所得にしめる国家経費の割合の低下を「安価な政府」概念とする場合,それを 馴 西山−L郎:上掲論文,101克。
(31)この点につい.てほ加藤氏の「財政の中心問題をこれら間接諸税の減免に,そしてそれ
を1日も早く達成した上での所得税の撤廃に, 」(遠藤編:帝国主義論』(下),16 1貢)という表現が正しい。
冊 数授は,「安価な政月割実現の指標▲として,経費姶額の増加速度が資本主義の発展状況を 反映する輸出入額,鉄,石炭生産額等の増加速度を下まわっているということもあげてい るが,これは,国民所得にしめる国家経費の割合が低下するということの別表現であろう0
(3劫 大内・武田:前掲書,86頁。のちに朋らかにするように,この論述は誤りであるd
(弛 このことをはじめてわが国に.おいて指摘したのほ風早氏であろう。風早氏は・,昭和 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ■ ● ● ●
26年に,「廉価な政府」ほ「その国民所得濫たいしてもつ比重が一般的に小さいのを特
徴としているが,第1次大戦に至るまでのイリギス財政はまさにこのような資本主義財 政の典型として知られていた。」(大阪市立大学経済研究所編:『経済学小辞典』,363京 左欄)といっている。最近では,佐藤教授が,この説を受けついでいる。(佐藤:柑本
財政の構造と特徴.月,28頁)。
「自由貿易的経費膨脹」政策(1)
327 ー β9−・・
(:iさ)
山崎民の用語を借りて,相対的な「−安価な政府」と名称する。ここで,私は,
武田教授の「安価な政府」研究の最大の問題点に逢着する。教授は,すでにみ たように,はじめ「安価な政府」を国家経贋の縮減を意味する絶対的な「安価 な政府」と規定した。ところが,国家経費ほ削減されず,反対に増大さえして いるという現実に.ぶつかると,国民所得にしめる国家経費の割合の低下,つま
り相対的な「安価な政府」を「安価な政府」と規定した。そこで,教授は,議 論の進行途中において,絶対的な「安価な政府」から相対的な「安価な政府」
へと,r■■安価な政府」概念のすりかえをおこ.なったということに・なる。資本家階 級および地主階級が職烈に唱え.たと教授がいう絶対的な「安価な政府」はど
こへ行ったのであろうか。教授ほ,絶対的な「安価な政府」と相対的な「安価 な政府.」との関連をどのように考えて−いるのであろうか。
ⅠⅠⅠ島敬捜の「安価な政府」研究
つぎに,島教授の「安価な政府」に.関する研究を換討する。イギリスの実態
チープ・ガプアメンI (S8) をふまえた研究は,「『安価な政府』論の再構成」(以下「屑腐成」と略称)として
昭和83年に発表された。しかし,教授は,それ以前の昭和25年に出版された『財
(37) 政学概論』(以下『概論』と略称)隼おいて,すで紅「安価な政府」に言及してい
る。私のみるところ,「再構成」と『概論』との間に.ほ.,教授の「安価な政府」紅
ついての見解に.かなり大幅なちがいが生じている。『概論』と「再構成」とを比 較検討することに.よって,「滞構成」紅おいて一教授がいわんとしたことがより明
らかになると思われるので,両者を取上げる。
(35)山崎:前掲論文,26頁。
郡上打診根論温』欝46・47合併号,昭和33年9月。「再構成」論文は,ほじめの所の叙述を ややかえて,『凝済評論』昭和34年1月号に発表された。そして,それほ,そのままの形 で『現代中国家と財政の理論』三.一層房,1960年欝1版,節1茸に収載されている。
β7)『概論jの見解は,はぼそのままの形で町財政学原理』日本評論新社,昭和29年第1版,
第4牽に転載されている。
算39巻 常3号
・−9クー 328
まず,『概論』からみる。島教授ほ,議論のはじめ払おいて「近代国家の下に 生活しつつある人戌のあらゆる時代を通じての変らない願いほ.,国家の負担が
(3S.)
なるべく軽いこと,税金がなるべく少いこ.とである。」とのぺ,これが「安価な
しこ;9)
政府」の「最初の問題意識」であったという。このように.,教授も武田教授と 同じようにまずはじめに.,「安価な政府」出現の−・般論をのぺる。そ・して,島教 授の場合も武田教授の場合とよくにて,そのような近代国家−・般に混ずる要望 である「安価な政府」も,イギリスとアメリカに・おいてしか出現
る。しかし島教授は,何故にイギリスとアメリカにしか現出しなかったのか,
また,「安価な政府」の要望のあったフランスでほ実醜挙れず,要望のなかった
(教授は,アメリカでどのような「安価な政府」を望む声があったのかについ ては全く言及していないのでこう考える)アメリカで実現されたのか,さらに・,
その後の論述に.おいて何故にアメリカをとりあげず,イ吏リスの「安価な政府
」だけをとりあげるのかなどについてはなんの釈明も㌧ていない0
ところで,島教授の場合に.は,「■安価な政府」実現の指標はなんであろうか。
●●●●●●●●●●●● 教授日く「『簡素な国家級構と徴税機構』の理想は, イギリス古典学派やマ ンチ烏.スター学派の『安価な政府』の主張紅よってうけつがれた。これは,1声,9
●●●●●●■●●●●●
世紀のプル汐ヨアのたんなる空虚な願望ではなく,中央集権的な官僚制皮をは
……===、●■●●●
とんどもたなかった19世紀前半のイギリス………てほ,実現された歴史的事実で
(40)
あった。」かくして了,教授に.おける「安価な政府」実現の指標ほ.,「簡素な国家機 構と徴税機構」であり,官僚制皮をはとんどもたないということである。この
点の認識が「再構成」論文に・おいてかなり変更されることに・なるので,われわ れは注意する必要がある。
島教授の「安価な政府」概念は,簡素な国家機構の指摘とか「国家の負担が なるぺく軽いこと,税金がなるぺく少いこと」という文脈とかから考えて,絶
対的な「安価な政府」であろ笥1三武庸教授の場合ほ,すで紅みたよう把.「安価
(姻 島:『概論』,28某。
渕 島:『働政学原理』,72貢。
仏0)島±『概論』,28〜29真。
阻)この点は,すでに・山崎氏が指摘している(山崎:前掲論文,33京助註¢射。
329 「自由貿易的経費膨脹」政策(1) 一 9J−
な政府」の内容が議論の前と後でことなったが,島教授の場合は「再構成」に
おいても,かわっていない。すなわち,「再構成」論文把おいても,イギリス紅 夷在した「安価な政府」は「財政規模をも縮少し,租税負担をも軽減しようと
(42) している政府」であるという。こ.のように.,絶対的な「安価な政府」概念を山
質して護持し,それでもって,武田教授も認めざるをえなかった経費増加のみ られるイギリス自由主義財政を割切ろうとするために.,のちに.みるように,そ の論述に.矛盾がうまれてくるのである。
ところで,官僚制度をはとんどもたないイギリスの「安価な政府」も,19世 紀末の帝国主義段階に.なるとくずれて−くる。教授ほ,「■19世紀末の帝国主義の段 階では,『安価な政府』のブルジョア的理論ほ破綻した。自由主義の祖国たるイ ギリスに.おいてすら官僚制を徐々に.拡大していったし,−・般に.資本主義国家ほ
(43)
軍備拡張の道を急速に.前進していった。.」という。かくて,『概論』紅‥おける島教 授のイギリス払おける「安価な政府」のイメーザは次のように.まとめられよ
う。自由主義の祖国である19世紀のイギリスに‥おいては,官僚制度と軍隊をは とんどもたない簡素な国家機構,つまり絶対的な「安価な政府」があざやか紅 実現された。勿論,そのような絶対的な「安価な政府」も「『高価な政府』への
(43ノ 逃げ道をこ・つそり用意していた」けれども, ̄自由軍義時代のイギリスにおいて
は顕在化せず,19世紀末の帝国主義段階においては′じめて姿をみせた,と。
つぎに.,「 再構成」に.おける島教授の研究をみる。「再構成」検討のポイント は,上記のような『概論』紅しめされた「安価な政府」紅ついての教授のイメ−
ヂが修正され,そのために.論述に.矛眉が生じてきたということを明らかに.する ことに.ある。
島教授は,アブラモグイィッツの研究把.接して,官僚制皮をはとんどもたない 簡素な国家機構が19世紀自由主義時代のイギリスに実存したという『概論』に・お いて示した自己の認識が誤っていたこ・とに・気づいた。自己の認識の誤りをただ し,「安価な政府」論を再構成するというこ.とが「再構成」論文のひめられた恵
㈹ 島:「再構成」,45貢。
(姻 島:『概論』,31真。
節39巻 算3号 330
− 92−・
図であろう。「再構成.」のもつもうひとつの狙いは,新たに得た19世紀自由主義 時代の国家機構に.関する認識を基準にして,宇野教授(武田教授については−
富ものぺていないが,事実上武田教授も含むと考えられる)の自由主義段階に ついての所誠を批判す・るこ.とである。
さて∴アブラモグィッツの掲げる1851年の政府雇用人員をみて,教授は,「軍
事部門の人員が桁はずれに大きく(70%),ついで税務,郵便局が多くの人員を
(44)
吸収し,地方政府の警察などもかなり大きな比重をしめていることがわかる。一」
という。つまり,現実の19世紀中英の自由主義時代のイギリス国家機構は,か なり殖大なものであり,「■簡素な国家機構と徴税機楓」,「中央集権的な官僚制を はとんどもたなかった19世紀前半のイギリス」という『概論』の認識がまちがっ
ていたのである。そして「税務職員の比重がかなり高いことも,『安価な政府』
の合理的で透明的なイブオロギーが説明しえない事実をあらわしているようで
(46)
ある。一」といわざるをえ.なくなった。
『概論』に‥おいても,島教授は「頃価な政府」が「高価な政肝」へ転じる契機 をもっているヱとを指摘していた。しかし,それは,帝国主義段階においてあ
らわれるのであった。ところが,「層構成」紅おいては,「安価な政府」の矛盾が 自由主義段階においですで転生じ,経費ほスム−ズに縮少されず,かえって膨 脹すらみせるという。日く「『安価な政府』というイデオロギーが無意蘭的転.みお
としていた資本主義の矛盾や運動がこの〔自由主義)段階で作用しはじめたが ために,それが期待するはどの経費の減少は実現せず,むしろこの自由主義段
………=◆●●●●●●●●●●●●
階に.おいでナら根強い経費の膨脹傾向がみとめられるという事実をも忘れて笹
(48)
ならない。」かくして,絶対的な「安価な政府」と規定される自由主義時代紅.お いてさえ,彪大な軍隊と官僚機構が存在し,国家経費が増加するのである。こ のような認識に.たってニ,島教授は宇野教授を批判する。
宇野教授は,自由主義段階紅なると資本主義は自由放任の体制となり,「何等
㈲ 畠:「再構成」,57貫。
脚 島:同上,58巽。
鯛 島:同上,58真。
「自由貿易的経費膨脹」政策(1) −93−一一 331
く47)
の特殊な経済政策をも必要としないものとなる」とする。しかし,島教授に・お いてほ,宇野教授のように.「自由主義段階とよばれる資本主義経済の1発展段 階を,一切の政策が排除される段階と規定したり,政策ゼロまたはゼロの政策
(・1S)
段階と考えたりするこ.とはおかしい」のである。なぜなら,資本主義が一切の 国家の干渉を排除しようとしていた自由主儀段階において,同時に,個々の資 本でほコントロ−ルできない新しい矛盾がうまれ,その矛盾に.対処するために 国家ほ種々の政策をうちだすよ.うた.なるからである。そのために,19世紀中葉 に.おいても国象機構は簡素化されず,あくまでも彪大なものに.とどまるのであ る。すなわち,絶対的な「安価な政肝」が支配的であった自由主義段階に.おし、
て:も,資本主義ほ「ブルジョア的な『安価な政府』を否定する側面をもってい
(49)
た.」のである。要するに.,宇野教授は自由主義段階の国家活動の片面しかとら えていないというわけである。これを,島教授は,「自由主義的理論と自由主義
(60)
的現実との『混同』」という。
以上が「再構成」t論文の大要である。こ.こで,島教授の「安価な政府」論の 問題点を指摘して.おきたい。島教授の「豪価な政府」論のミソは,国家機構を 簡素化し経費を削減する絶対的な「安価な政府」がプル汐、ヨアに.よって唱えら れていた自由主義時代に.,国家機構を彪大化し,経費を増加させる矛盾が発生 するという自由主義国家財政の両面を把握しようとした点にある。しかし,島 説の長所とも真髄ともみえる点が,また同時に.欠陥であると私は思う。すなわ ち,島説の両面把握を文章にすれば,≪19世紀自由主義時代のイギリスにおいて
●●●
●●●●●●●●●●● は,経費の縮減をおこ.なう絶対的な「安価な政府」が実存した,それ紅もかか わらず,経費の膨脹が生じた≫という自家撞着の見解となるのである。島説
は,自己矛盾の説でほないのかというのが私の主張したい点である。
この自家撞着をなんとか解消しようとし■て,島教授は苦慮している。「国家
(媚 宇野弘蔵:『経済政策論j弘文堂,昭和29年初版,8貢。
㈹ 島:「再構成」,51巽。
㈹ 島:同上,53貢。
佃 島:同上,62〜63貫。
第39巻 第3号
−94・− 332
経費の動向にかんするかぎり,『安価な政府』が期待するはどめざましい経費の
(51) 減少はみられないといえる。.」と,教授自ら「安価な政府」の実存を否定するよ
うな口吻を示す。ところが,反転して次のようにいう。「Lもちろんこういう統 計的な事実だけから,『安価な政府』の存否を判断するのほあやまりであろう。
とくに.対仏戦争の時期から自由貿易の完成期に.かけて−,軍事費や公債費を減少 しようとする運動,租税制度,公債制度その他の財政制度全般に.おける自由主 義的な改革の中に,わたしたちは『安価な政府』への動向を充分把つかむことが できるのである。そればかりでなく,前期の『重商主義』段階に.比較してという
よりも,20世紀の独占段階に.比較して−,国家経費の膨脹をさきに.のべたような 比較的長い期間ともかくもおさネることができた点で,なんとしても自由主義
(62)
的イデオロギーやそれに.もとづく運動の影響をみとめないわけ把.はいかない。」
この論述ほ.,私に」は理解できない点が多い。第1。「軍事費や公債費を減少し ようとする運動」を「『安価な政府』への動向」と解することほ私に.もできる。
しかし,教授は,経費削減の運動がどの程度の力をもち,どの位の額の国家経 費の削減に成功したのかの分析を全くおこなっていない。したがって,経費削 減運動が「安価な政府」達成においてどの位の寄与をしたのか不明なのであ る。第2に,「租税制度,公債制度その他の財政制度全般に・おける自由主義的な 改革」に「 『安価な政府』への動向」を見出すとはどういうことなのであろう か。そのことに.ついては,教授は−・富ものべていない。第3。教授は,19世紀 における国家経費の膨脹速度が20世紀の独占段階のをれ碇.比較してゆるやかな のは,「安価な政府」の運動のおかげによるという。しかし,第1の凝問でのべ たように,経費削減運動がイギリスの現実に‥おいて,どの位のカをもち,経費 膨脹をおさえるの紅どの位寄与したのかということが実証されないかぎり,19 世紀における経費増加速度が独占段階のそれに・比較してゆるやかなのは,経費 削減運動の影轡に.よるとはいえないであろう。実態をみれば,19世紀紅おける 経費の増加速度がゆるやかであったのは,経費削減運動以外の原因に・よるとい
乱 6 6 5 5
︑ ︑ 上⊥
同
島
「自由貿易的経費膨脹」政策(1) l− 95−
333
うことに.なるかもしれない。
かくして,島教授の苦心の論述にもかかわらず,島説はやっばり自己矛盾の 説であるといわざるをえない。島教授ほ.,絶対的な「安価な政府」の実存,マ
ンチェスター・派の経費削減運動に.あくまでも拘泥するが,はたしてマンチ,エス ター一派の経費削減運動は成功したのであろうか。
ⅠⅤ 残された問題点
わが国における最高水準の研究とみなされる武田,島両教授の研究に・おいて も,それぞれに問題点をもっていることが,以上の換討によって明らかに・なっ たと思う。
ところで,武田教授も島教授も,ともに議論の出発点紅おいては経費の絶対 的削減や国家機構の簡素化をもって「安価な政府」とした。ところが,現実に ほ.19世紀自由主義時代に.おいても国家経費は増大し,国家機構も彪大なもので あったのである。この現実に.両教授はぶっかって,武田教授は,絶対的な「安 価な政府」から相対的な「頃価な政府」へと,「 安価な政府」概念の転換をしな ければならなくなったし,島教授は,絶対的な「安価な政府」を貫こ・うとした が,その結果自家撞着する「安価な政府」論となった0そこで,私ほ・,国家経 費の削減や国家機構の簡素化,つまり絶対的な「安価な政府」が当時の政府の
(53)
政策方針に.なノったというわが国の通説に強い疑問をもつ。非常に奇妙なことで あるが,武田,島両教授をはじめとする多くの論者がイギリスにおける「安価 な政府」について研究・言及しておりながら,イギリス国家財政の実際の運営 紅携わった蔵相とか首相とかがどのような経費観をもっていたのかについては 全くふれていない。こ・の点をまず明らかにする必要がある○
っぎ軋,19世紀自由主義時代のイギリスに‥おいて経費削減運動をおこなった ものとしては,ただちに.,コプデンやブライトらのマンチェスタ・一派があげら
㈹ たとえば,島教授は,絶対的な「安価な政府」が「た与えば19世紀のイギリスに存在 ●●●●●●
したし,「安価な政府」は産業革倫段階〔:これは厳密に・産浮草命段階をさすのでは なく19世紀前半という意味であろう〕の政府の時代的な要求になっていた」(畠:
「再構成」,45頁)という。
334 鰐39巻 第3号
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れる。しか心,19世紀の現実の国家財政の動きをみて,私はゝ 彼らの経費削減 遊動の影響力に疑問をもつ。アンチェスタ一派は,経費削減瀾動に・おいて:も穀 物条例廃止のように大きな威力をみせたのであろうか。この点についてもわが 国に.おいてほ解明されていない。さらに,マンチェスター泥などのかかげた経 費削減論の内容はどのようなものであったのかについても十分な究明がなされ ていないように.思われる。
このようなことの検討を通じて,19世紀自由主義時代の経費政策の指導理念 ほ,「安価な政府.」でほなく,「自由貿易的経費膨脹」政策であったことを実
証したい。 ………=……●◆●●
かつて永田教授は,「チャーーチスト運動が鎮静庭帰した頃から凡そ20年は自由
(∂4)
国家〔「安価な国家」〕の典型的な時代であった。」といい,『近代財政の理論』は,
「やすあがりの政府」という側面からみて,「■1840年から1870年代のイギリ.ス財
(卵) 政は,もっとも典型的であった」と指摘した。これら先学の規定にのっとり,
本稿の分析期間を1842年から1873年まで(第2次ビール内閣から第1次グヲッ
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