• 検索結果がありません。

西 山

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "西 山"

Copied!
15
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

141   −ヱ−−  

自由主義時代の   イギリスの国家経費政策   

西  山   郎  

Ⅰ  

まずほじめに.,時代の限定をおこないたいと思いますが,ここでいう自由主   義時代のイギリスとほ,「世界の工場」,「世界の銀行」と称された時代のイギリ   スであります。時期的にいいますとナ・ボレオン戦争終了以降1873年恐慌までで   あり,大雑把にいって1820年代から18ケ0年代までであります。   

御承知のようにこの時代のイギリスの国家財政は,わが国に・おいてほ「安価  

な政府」と規定され,国家経費の削減が経費政策の狙いであったと理解されて  

おります。このような解釈は,わが国のように「安価な政府」という言葉は使い  

ませんが,イギリス,アメリカにおいてもみうけられます。たとえば,イギリ  

スに.おいてほピ−コック教授とワイズマン戌が,1961年に,「経費の縮少は19世  

(1)  

紀の〔イギリス〕議会において広く承認された目標であった」とのぺております◇   

しかし,自由主義時代の国家経費政策が国家経費削減の政策であったとい   う,イギリス,アメリカおよびわが国にみられる通説は,若干の問題点をもち  

ただちにほ支持しがたいように.思われます。わが国におけるこの問題について  

の権威の一人である武田先生の御説明をみますと,先生は,通説的立場に立ち  

「安価な政府」の特徴を国家経費の削減ととらえられるのですが,現実の経費  

の動向についてほ,「経費絶対額ほ必ずしも減少していないばかりでなく,むし  

(2)  

ろ増大を示している。」といっておられます。先生に.よれば,国家経費の削減を  

目的とする政策の結果が,経費の膨脹であったということのようですが,この  

(1)A.T.Peacock andJ.Wiseman,The Grou,ih qf.Public ExPendiiureinihe   

び戒≠βd∬去喝励潤,PIinceton,1961,p.63  

(2)大内兵衛・武田蜂天『財政学』弘文登,昭和30年,76ぺ」−ジ。   

(2)

142  

寛44巻 寛2弓   

ー 2 − 

点が私に.はよく理解できません。通説を支持しがたい大きな理由のひとつは,通   説にしたがうと経費の削減が最もよく実行されたと思われる19世紀中葉の自   由主義時代の最盛期に.おいて国家経費が逆に・膨脹しているということでありま   す。この点に通説の問題点のあることほ,1963年に.イギリスのヴェヴュカ氏に 

よって一指摘されております。ヴェヴェカ氏ほ,それを「経費膨脹反対の世論にも  

(い  

かかわらず経費が膨脹するというパラドックス」と表現し,その「パラドック   ス」を解明することをうったえて−おります。私の報普ほ,ヴュグ.ェカ戌のいう  

「パラドックス」の解明を課題とするものでありますが,それを中央府政の経   費蓼策に限定し,材料を主としてイギリス議会の経費論争にもとめながらどく   概略的におこなってみたいと思います。  

ⅠⅠ   

第1図 公債費・軍事費・民事費の推移  

第1図をみていただき   たい。この図よりさしあ  

たり2つのことがまっかり  

ます。俸1ほ,中央政府経  

費総額の動きについでで  

ありますが,自由主義時   代をさきに.いいましたよ  

うに1820年代から1870年  

代までと考え.ますと,18   30年代中頃まで経費ほ漸  

減傾向を示し,1830年代   中頃を下位転換点として  

それ以降1870年代まで経  

費ほ増加候向にあること  

<U O O 一〇  <U  9  8  7  6  5  

経費教︵−00万ボンエl  

1810  1820  

一→年次   1830  18401 1850  1860  18701875  

出所 B.R.Mitchelland P.Deane,AbstYaCiof  

及痛須戒」箭ぶねγよcαJ5才α才∠.sわcざ,1962,Cam−  

bridge,pp.396〜397.  

(3=.Veverka, TheGrowth ofGovernment Expenditu土 eintheUnitedKingdom    since1790,ScotfisJ(IoL/TNa!0/Po/情ca/Ecol:OWZ:l,Vol.X,No.1,FebIuary  

1963,p.112,   

(3)

自由主義時代のイギリスの国家経費政策  

− 3・−  

143  

がわかります。このような中央政府経費総額の動きよりみて,国家経費政策の時   期も1820年代から1830年代中頃までと1830年代後半より1870年代までの2つの   時期に.区分すべきことがわかります。そこで,こ.こでほ1820年代より1830年代   中頃までを自由主義時代の前期,1830年代後半りよ1870年代までを自由主義時   代の後期と名付けて−おきます。   

第2は,このような中央政府経費総額の変動が主として軍事費にもとづくと   いうことであります。それは,ヰ央政府経費総額のカL−ヴと軍事費のカープと   がはば相似形を示していることからわかります−。そして,このことから自由主   義時代前期の経費の漸減傾向も後期の経費の増大も,主として軍事費に・よると   いうことがわかります。このことを反映して−,つぎに.紹介しますように.,イギリ  

ス議会の経費論争も主として軍事費をめぐる攻防として展開されております。   

ところで,私の報告の中心は自由主義時代後期の国家経費政策の解明です   が,その前に目由主義時代前期の経費政策について簡単にふれて−おきたいと思   います。   

ナ・ボレオン戦争後20年間のイギリスの国家経費の動向に.ついて:は,土生先生  

(4)  

が1965年に発表された論文に.おいて解明されておりますが,経費政策について   みますと国家経費削減の要求が戦後の財政困窮を背景に1816年のイギリス議会   に.おいですでに出て‥います。戦後における急進派を中心とする野党側の経費削   減の要求の頂点は,私のみるところ,1821年のヒュ−ム議員の動議ではないかと   思います。こ.のヒュームという人ほ,わが国に.おいてほあまり知られでおりませ  

(5) んが,イギリスにおいては「急進派の指導者」といわれ,財政問題に・精通し経  

費論争においては常に野党側の立役者であり,当時の議会においてはわが国に   おいて著名なコプデソよりもずっと活躍しております。そして−,1821年のヒュ   ー・ム議員の経費削減動議は,それ以降約半世紀にわたる急進派あるいはマンチ  

ェスター派の経費削減論の雛形をなすものであります。  

(4)土生芳人「ナボレカ:/戦争後のイギリス財政」,『法経学会雑誌』第15巻第2号,1965   

年9月。  

㈲lr如ヱ抽才∠彿叩川′肋薇皿れ畝砂朝吻,Vol・ⅩⅤⅠⅠⅠ・p・1242・   

(4)

欝44巻 欝2号  

− 4 −−   144   

このようなヒコ.−ムの経費削減論の趣旨ほノ,深刻な戦後不況軋みまわれてい   るイギリス資本主義を救済するために国家経費を削減し,それでういた余裕財   源で大幅な減税をおこなうというものでした。彼は,議会において「大幅な経   費節約(economy)こそが不況を除去し公信用をささえるため紅必要でありま   す。減税のみが効果的な不況回復をおこ.ない国家信用をささえるでありましょ  

(¢)  

う。」といっております。ヒュームは,このような基本的観点にたって第1表の   ような400万ポンドをこえる包括的な陸海軍費,徴税費等の経費削減を提案しま   す。彼は,現在いる消費税および関税の徴税官の半分,現在の軍隊の半分で充  

分であるといっています。ヒュームほ., 

このような経費削減によって:ういた財  

源でもって減税を提案します。彼は,減税紅よって人民を富裕に.することこそ 

が政府の安定に貢献するものであると考えており,議会演説において「人民の   ポケットに残される貨幣が多ければ多いはど,政府ほますます強力になり公信  

(ア) 用ほ.安定するであろう。」といっで民間資本の値接的な充実をうったえます。   

こ.のようなヒュームの動議は形式的に.ほ否決されますが,実質的には政府も   認めます。経費削減と減税を結びつけた財政政策ほ早くも翌年1822年に.ほ政府   によって実行に移されております。自由主義前期において経費が漸減傾向を示   したのもこのような政策の結果でほないかと考えるわけです。   

ただし,ここで注意しなければならないのは,政府の経費削減政策紅は留保   条件がついていたとしくうこ.とです。リグァアール首相ほ,1821年の議会紅おい  

てほっきりと「これらの削減(reduction)ほ,正義の要求と公共サーヴィス   の利益に−・致しうるかぎりにおいでできるだけすみやかに実行される。私は,  

この範囲内において経費節約(economy)の原則を最大限にみとめるものであ  

(8)  

る。」といっております。リグァプール首相のいう「正義の要求と公共サーヴィ   ス」は,私のみるところ国の防衛と民事行政をさすと思われます。したがっ   て,政府は,国の防衛と民事行政の遂行に.支障をきたさない範囲内での経費削   減を考えていたわけであり,逆にいえば国の防衛と民事行政の遂行に支障をき  

(6)(7)2月〃〝ざαγd,Ⅴ.1416.June27,1821.  

侶)j甘摘・・,1469〜1470.July2,1821,   

(5)

自由主義時代のイギリスの国家経費政策   

第1表 ヒュームの経費削減提案  

145   一 5 一  

金額(ポンド)  

経 費  削 減 項  目  

1.植民地駐屯軍と近衛兵(20,000名の削減)  

2.同上紅.伴う陸軍特別手当  

3.95連隊(650名編成)を75連隊(釦0名編成)に・削減   4.同上紅伴う兵舎(イングランド)  

5.同上紅伴う兵舎(アイルランド)  

6.同上庭.伴う兵端(イングランドとアイルランド)  

7.グレイト・プリテンと植.民地軍の陸軍参謀俸給   8.アイルランドの陸軍参謀俸給  

9..陸軍最高司令官俸給   10.陸軍省費   11.高級副官俸給  

12、同  上(スコツFランド)  

13.主討総監俸給  

14.同  上(スコットランド)  

15.陸軍法務総監俸給   16.同  上(スコットランド)  

17..軍政本部長俸給   18.軍医俸給  

19.アイルランド軍管区  

20.志願兵および義勇農騎兵費(イングランド)  

21.同  上(アイルランド)  

22.陸軍士官学枚蟄   23..陸軍士官学校収容所費   24.退職給在外支給事務費   25.海外および国内の守備隊費   26.新兵徴募費  

27.古参の大隊士官俸給   28.陸軍病院費  

753,955    300,000    211,000    80,000    40,000    115,000    10,943  

6,538   4,000    10,000  

1,500   351    1,500   622   2,180  

650   4,600   2,200   3,500    20,000  

9,000   7,244    12,000  

2,025   

12,440   

20,000   

18,870   

10,000   

(6)

弟44巻 箆2号  

第1蓑 ヒュ−・ムの経費削減提案(つづき)   

経  濱  削  減  項  目  

146  

ー 6 一−  

金額(ポンド)  

陸軍費  

291.退職手当   8,000   

(a)1,663,127  

(b)15,818  

139,191  

77,500  

′ト   

1.タワ−とウ.エスタミンスクーの要塞賀  

2.雑費  

3.臨時費  

1.定給   2.建濫費   3.ドック蟄  

刷1,108,543   1,050,000  

250,000   

(e)4,288,361   

合   封  

注(a)各項目の合計は,1,668,118ポンドであり,小計と4,991ポンドくいちがう。  

(b)この金額は原表では脱落している。  

(C)各項目の合封は,232,509ポンドであり,小計と15,818ポンドくいちがう。  

(d)各項目の場合は,1,158,543ボンドであり,小針と50,000ポンドくいらがう。  

(e)各項目の合計は,4,359,170ポンドであり,合討と70,809ポンドくいちがう。   

出所 2ガα〝・Sα7d,Ⅴ.1413{−1416小一ー皿e27,1821.  

たすように.なれば経費削減は不可能になるであろうし,国の防衛と民事行政の  

水準が上昇すれば国家経費は膨脹せざるをえないということになります。この   点に,自由主義時代後期の経費膨脹の原因を解明するひとつのカギがあると思   います。   

自由主義時代前期の経費政策についてはこの位にして,つぎに自由主義時代   後期の経費政策の検討に移りたいと思います。   

自由主義時代後期の経費膨脹の主たる原因は軍事費ですが,ここでは,1840   

(7)

自由主義時代のイギリスの国家経費政策   −7−  

147  

年代末から1850年代初めにかけてラッセル政府とマンチェスタ」沢との間に   おいておこなわれた軍事費削減論争をとりあげたいと思います。   

コプデン,ヒコ.−ムをはじめとするマンチェスダー派の論客の基本的見解   ほ,国民ほ現在租税負担の過重に苦しんでいるということ,そして過重な租税   負担を軽減する唯一・の方策は国家経費の削減であるということであります。コ   プデン議員ほ,1851年の議会で「経費を削減しなけれほ減税をおこなえ.ないの  

(9)  

であります。‥…‥それ〔減税〕を行なう唯一・の途ほ経費の削減であります。」とい   いますが,彼のいう減税とはいうまでもなく自由貿易を実現するための関税,  

消費税の減税であります。   

マンチェスタ一派ほ経費の大幅な削減をおこなうにほ.陸海軍費の削減以外に.  

はないとして,海軍紅ついてほ7つの海に大艦隊を擁するイギリスの外交政   策を批判し,イギリス帝国の対外干渉政策を論難します。ヒュー・ムほ,「実際の  

(10) ところわれわれほ戦艦をもちすぎている。」とのべ,過大な海軍経費を批判し  

ます。陸軍については植民地駐屯軍の徹退を要求しますが,コプデンほ,陸軍   軍人のうち3分の2が植民地のために働いているのであるからそのような植民   地駐屯軍制皮を改革すれば,自由主義時代の経費水準の最低である1835年度の   水準に国家経費を削減することはさはどの困難をともなわないといいます。こ   のようにマンチェスタ一派は,対外不干渉主義といわゆる「小イギリス主義」  

の立場にたち陸海軍経費の縮少を政府に要求します。   

しかし,このような陸海軍経費の削減要求は,当時の政府により糸向から   否定されます。ラッセル内閣のウッド蔵相は,陸海軍カの増強が「海外貿易紅  

(11) 従事しているイギリス臣民の保護の増大」と植民地領有の拡大により1830年代  

後半以降ますます必要になったことを力説します。パ−マストン外相も議会に  

おいて−ほほ同様の発言をしております。すなわち,彼は,「海軍の保護の増大が   はとんど全ての地域で必要であるということは,単に植民地の領有の拡大によ  

(9j 3助乃,Sα7一・d,CXIV.1212。、MaIChlO,1851.  

し10I3ガα抑.Sα7d,ⅩCVIIい 795MaICb20,1848.  

ul) HansaYd,CII1238いFebruary26,1849    

(8)

鴇44巻 凝2増  

−∂ −  

148  

(12) るばかりでなく,通商の年々の増加紅もよる」といっております。   

ところで,マンチェスタ一派に」は自由貿易体制の発展により各国間の通商が   盛んとなり相互の国際的連帯が密になると,戦争のない平和な世界がもたらさ   れ軍事力は大幅に縮少されるという平和観があり,・それが軍事費削減の根拠の  

ひとつにもなっていたのですが,ワォ−・ド海軍大臣ほ,そのようなマンチェスタ  

(13)  

一派の平和勧は「国防に関する・ユートピア的考え」であると−・蹴します。そし  

て,彼は「こ.の国のような豊かな産業社会に合致する唯一・の防衛は,自衛力に  

(14) よるということである。」と主張し,イギリス資本主義の経済力を背景にした軍  

備の増強を力説します。   

こ.のように,政府とマンチェスタ−・派とは軍事費削減に関して全くあい反し   た考えをもっていたわけであり,マンチ■ェスター派の軍事費削減の動議は第2   表のように圧倒的多数で否決されまこす。当時の庶民院の議員数が650名位であ   ったことを考えますと,マンチェスター派は庶民院に.おいて1割前後の勢力し   か保持していなかったことがわかります。  

第2義 経賀削減動議の採決の結果  

年・月・日   投 票 結 果  

38票対347票で否決  

45票対264崇で否決   78票対275票で否決  

19票対117票で否決  

61票対169票で否決  

47票対186票で否決   31票対135票で否決   

経 費 項 目   1.海軍予算   2.陸軍予 鈴  

3.政府経費全般   4.海軍 予界  

5 海軍予静   6.陸軍予静   7.陸軍予鈴  

J・ヒュ−ム    J・ヒューム    R・コプヂン    J」ヒ。乙.・−ム   

J・ヒュ∴−ム   

J・ヒューム    J・ヒュ−ム   

1848・3・20    1848・3i31    1849・2・26    1850・3・31    1851・3・10    1851・3・28    1851・3・31  

かくして自由主義時代後期においてほ.,基本的に・は軍事費膨脹政策がとられ   たわけですが,ここで注意しなければいけないことは当時の政府も軍事費紅お   

t12)3肋プ2・Sαア・d,ⅩCVII・835・MafCh20,1848 

(13=14)撒d・,779・   

(9)

自由主義時代のイギリスの国家経蟄政策   ・− 9−  

149  

いて節約できる部分ほぬけめなく節約し軍事費負担を他へ転嫁して:いることで  

す。それが最も典型的におこなわれたのが19世紀中葉におけるカナーダ,オー・・ス  

トラリア,ニ.ユ.−−ト汐−・ランド等の移住植民地からの植民地駐屯軍の引揚げであ   ります。イギリス政府は,移住植民地に自治政府を樹立するとともにそこの駐屯   軍を引揚げ,自前で植民地の防衛にあたらせたのでした。これは,話がすこし飛   躍しますが今日のニクソン・ドクトリンを想起させますが,100年前のイギリ  

ス帝国も不必要と考える所にほ経費せつぎこまなかったのです。このような軍   事費に.ついての政策をみますと.,私は,1862年の議会に・おいて経費の真の節約  

とはなにかを説明したパーマストン首相の言葉を思い出します。パーマそトン   は,経費の英の節約とは経費の削減でほなく,不必要な所紅経費を支出せず目  

(16)  

的に.あったように.いか軋有効に経費を支出するかの「蘭分効果」であるといっ   ていますが,これほ,自由主義時代後期の経費膨脹時代の政府の経費政策の特   色を端的に示していると思います。   

軍事費をめぐる経費論争はこの位にして−,つぎに自由主義時代後期において   軍事費についで経費膨脹の原因をなす民事行政費について検討します。民事行   政費は,1830年代中頃以降増加傾向に転じますが,これほ根本的に・はイギリス   社会が産業革命をおえ成代資本主義社会として発展するための必然的要請に・も   とづくものであり,政府がイギリス資本主義の要請にもとづいて行政分野を拡   大しはじめたことによると考えられます。たとえ.ば,1834年に救貧庁が設置さ   れ,1839年にほ枢密院に教育局がおかれます。また,1840年にはヒルの提案に   なる全国一率の低廉な料金による郵便制度が実現され,郵政部門の公務員数が   激増します。こうして中央政府の行政機構は膨脹し,公務員数は第3表のよう   に.,1871年には1832年と比較して2・6倍になっております−。   

民事行政費の推移をみますと,第4表のように,それは1840年度から1874年   皮までに4.7倍に増加しております。最も膨脹率の大きいのは教育費であり,  

それは同じ期間に9.8倍に・増加しており,その地位も1874年優には司法費笹つ   いで第2位になっています。このような教育費の増加ほ,主と■して教育費国庫  

し15)3ガα乃ざαγd,CLXVI.1434〜1435・May8,1862u   

(10)

籍44巻 籍2葛  

−ヱ〃・一  

帯3表19世・紀中葉の公務員数  

150  

補助金の増加に.よるものであります。  

それは,1839年当初わずか3万ボンド   であったのですが第5表のように急激  

に.増加し1873年に.は140万ポンドに達  

し教育費の半分以上を国庫補助金がし  

めるように.なっています。  

とと.ろで,このような民事行政費の増  

加傾向にたいして政肝ほどのような政  

策でもって−のぞんだのでしょうか。こ  

の点について.ここ.でほ.激しく増加した  

教育費国庫補助金の改革紅話を限定し  

注(a)多数の書記,使丁等を除く。  

㈲職エを若干含む。   

(c)電信電話職員を除く。  

出所 K.B.Smellie,A H  

yβαγ・5q/且喝偵−SゐGoぴβγ乃雛β乃≠,  

ちOndon,1937,p.455 

第4表19世紀中葉の民事行政費の推移  

(単位1,000ポンド)  

1855年皮  

1840年皮   1874年度  

区   分  

鏑恒分比い撒   

金額l百分比画数   

金額恒分比い旨数  

公 共 土 木 費  

公務員俸給費   司  法  費   教  育  費   海外駐在文官費   恩  給  費   雑  支  出  

7   

3  0 

5  2  ︵‖0  9  2  3  5  

2,52車00・OilOOいa)6,931いa)1可 275ト可100・0き 474  

合   計  

注1.金額は,1,000ポンド未満を四捨五入した。   

(a)各項目の合計は,692万5千ポンドであり,合計と6千ポンドくいちがうが,慮衷   の通りである。このため百分比の合計も100.0%とならない。  

出所 S.Buxton,FjT7aJJ(CGl:d Po/Jfzcs,GN his((けic〝/SfLI(]v17 83−ZS85.London,  

1966(First ed.,1888)VoIⅠⅠ,p.369.  

てみたいと思います。算5表のように交付開始後急速に膨脹していった国庫補   

(11)

自由主義時代のイギリスの出家経蟄政策  

−JJ−  

151  

助金を,政府はなんらかの形で抑制する   必要紅せまられました。その結果I862年   にほ.「出来高払い」制という補助金交付   の方式が実現しました。それによれば,  

学校維持費にあてられる国庫補助金は  

「生徒の出席状況と学業成績,教師の資格   および学校の状態に応じて交付される」  

(改正教育令第10条)ことに.なり,民間   の学校は,より多額の国庫補助金をうけ   ようと思えば児童の出席率や試験の成績   を引上げなければならなくなったので   す。政府は,この制度の導入により国庫   補助金を効率的に.支出し,教育の質の向   上をほかり,「健全にして安価な基礎教  

(16) 育」を実現しようとしたのでした。私ほ,  

第5義 教育費僅庫補助金の推移  

(単位1,000ポンド)  

出所1839〜1851年の金額ほ,三好信浩  

『イギリス公教育の歴史構造』亜紀書房,  

1968年,305ぺ−・ジ,1857〜1862年の金額  

は成田見失『イギリス教育政策史研究』  

御茶の水書房,1966年,102,112ぺ−ジ,  

1873年の金額は,E・WlCohen,7協e  

Gγ・の山鳩(げ≠カ♂劫∠−fjざゐC査如才5財制cβ  

J7∂0〜ヱ9β9,London,1965,p.124に   それぞれよる。  

ここに経費支出の効率化を組こんだ民事費膨脹政策の典型をみるのです。民事   費政策の元締である大蔵省事務次官のトレグエリアンほ,1856年に真の経費節   約とはなに.かを説明し,「効率化と結びつかないのほ真の経費節約ではありえ  

(17) ず,最高の効率化ほ−・般的にいって最良の経費節約である」といっております。   

最後に国債費についてふれておきます。自由主義時代においてほ.,クリミヤ   戦争以外に.国債残高を増加させる原因ほなかったのですが,積極的な国債償還   政策がとられたわけでもありません。第6表のように,国債残高は停滞傾向を   示すとともに国債費の負担もあまり減少しておりません。自由主義時代におい  

て国債償還が積極的に.おこなわれなかったのは,国債償還の方式が旧減債基金  

制度に.もとづくものであったことによると思います。旧減債基金制度は,1829  

(16)成田克矢『イギリス教育政策史研究』御茶の水書房,1966年,104ぺ−・汐。  

u71M.Wright.Tl亡、a$:L].l・CoIZf,・)[of fhLl(丁再/S(rZl]((11S5Ll−1S7J,London,   

1969,p.359   

(12)

寛44巻 寛2号   152  

第6表 国債残高と国債費の推移  

(鍋雷管裏壬駕票;ド  )  

−・J2−  

年から1874年まで唯一・の減債基金制度とし  

て存続しましたが,その特色ほ,簡単にい   いますと,国債償還の財源を財政状況の変   動により激しくかわる余剰金に限定した点  

(18) であります。そのため国債の償還は不安定  

不確実になりました。減債基金に.くりこま   れる財源が偶然的な余剰金に依存する旧減   債基金制度は,余剰金をなに.よりもまず第  

1に自由貿易実現のための減税に充当する   という自由主義時代の財政政策上の要請に   より存続したわけですが,そのため国債の   償還は等閑にふされたのでした。  

年 度l国債残高l国債費  

注1.国債残高は,100万ポンド未   満を,国債費は.,1,000ポン  

ド未満をそれぞれ四捨五入し   た。  

出.所 BuR。Mitchelland P.De−  

ane,Aみ.sわ′・αC≠ げ βタjわ・沌   ガ壱■βねグ≠cαJ5fα才〜ざ才よc5,Cam・  

bridge,1962,pp.396〜397,  

402′}403.   

ⅠⅠⅠ  

以上ごく概略的でありますが,自由主義時代の経費政策についての検討をお   えて結論に入りたいと思います。   

まず第1は,「安価な政府」という言葉についでです。わが国では「安価な政  

府」というスロ−ガンが自由主義時代のイギリス社会を風靡していたかのよう  

(19) に理解されておりますが,この理解は若干問題があるのでほないかと思いま  

す。イギリス議会の経費論争に関連して私が検討した議員は延人員で800名を   こえ.ますが,誰一人も「安価な政府」という言葉を使っておりません。議会論   争において経費の削減や節約を意味する言葉として多く使用されるものは,  

(1g)E.L.Hargreaves,TheNationalDebt,London,1966(Firsted,1930),p・154  q9 たとえば,隅訂近代財政の理論』は,「19世紀にはいるとこの語〔「やすあがりの政   

府」〕の使用は珍しくほなくなった。」(武田・遠藤・大内『再訂近代財政の理論』時朝礼,   

昭和39年,88ぺ一一汐)という。   

(13)

自主由義時代のイギリスの国家経費政策   −ヱ3− 

153  

economy ,山retIenChment ,∽reduction 等であります。そこで自由主義時   代のイギリスに.おいてほ,「安価な政府」という言葉はあまり使用されていなか  

ったと考えるのが翼当ではないかと思われます。   

欝2。わが国においては産業ブルジョアジーの利害を代弁する急進派ないし   マンチェスタ一派の経費政策がすなわち自由主義時代の国家の経費政策である   と理解されているように思われますが,すでにみましたようにわが国に‥おいて   有名なマンチェスタ一派は少数派であります。マンチェスタL一派が少数派であ  

り,自由主義時代の後期においてはその経費削減運動もたいした効果をあげえ  

(20)  

なかっ串こ・とほ.マンチェスター派の議員自身認めております0   

欝3は.,自由主義時代の経費政策の特徴づけについでですが,自由主義時代   の前期を経費の削減を国家の政策としそれが現実に実行されたという意味で  

扇∽少ゐ♂C・0㈲∽.γ の時代,後期を軍事費や民事費に.みられるように経費支出の   効率化,合理化を内に.粗こんだ経費膨脹政策の時代と理解して CO沼♪ゐ∬βCO乃−  

0∽.γ の時代と規定したいと思います。そ・して自由主義時代の経費政策の本来   の姿はノ,産業革命をおえ白由貿易体制を世界申規模において実現していった後   期の 一抑噸血r 紺鋤朔.γ にあると考え.ます。(なお,5査朋少ゐ eco㈲明γ,CO研・ 

♪如ecク脚明γとわざわざ英語でいうのほ,これらの言葉をここではじめて使   うため日本語に訳さずに英語のニュアンスを感じて:もらうためです。)   

ところで,グェヴュカ氏のいう「パラドックス」ほ,以上のように,マンチ   ェスター派が少数派であったこと,自由主義時代後期の経費政策が CO∽♪如   βCβ〝0鱒γであったことが明らかになればとけると思います。   

最後に,国民所得にしめる国家経費の割合についてみますとわが国の何人か   の論者紅よってすでに指摘されているよう紅・それは.低下しております。そ・の様   子ほ第7表の通りです。しかし,第7表をよりこまかくみますと,その低下の   幅ほ眉由主義時代前期の方が大きく,後期の方が小さいことがわかります。こ  

とに.も ぷ∠招♪ゐβ√β脚鱒γ とco桝♪如 ¢Cβ㈲明γ という国家経費政策のちがい  

鋤 3ガα乃ざαγ♂,CCXIV.621・F¢bfuary18,1即3・   

(14)

貸44巻 寛2弓  

.−J・才 一−  

154  

第ワ表 国民総生産にしめる中央政肝経費の割合  

(学位100万ポンド)  

国民総崖産(A)i中央政府経酎B)   デフレーター  

年 度皇頂福海画T蒔一面十不要画商丁面¶1訂  

し些二三jl云星山∴さÅ.1 

1900=100  

36】58r 160  

1820    1830    1840    1850    1860    1870    1880   

252】 403  

330i438   433 598 

51    53    56    70    67    82  

1.Veverka, The Growthof   

出所 国民総生産とデフレーターは  

Government Expendi 

turein the United Kingdom since1790,,ScottishJouYnalof Poliiit:alEcon・  

Om.y,Vol..X,No.1,February1963,p.114に.,中央政肝経費は,B・R・Mitchell  

and P.Deane,OP.cit,pp。396′・ノ397に,それぞれよる。  

第8表 国民総生産の年平均成長率と  

中央政府経費の年平均膨脹率  

(単位 %)  

期   間 l 国民総連産 】中央政貯経費  

1820−1840  

1840−1880  

12   1820靡1880  

注1.国民総生産と中央政府経費ほいずれも不変価格に 

よる。  

出所J.Veverka,Ob.cit.,pl14;B。R.Mitchelland  

P.Deane,0少.ぐま≠小;pp.396〜397.  

があらわれ七おります。そして−,国民所得との関連でみた自由主義時代の国家   経費の動向の特徴ほ,第8蓑のように.,C〃椚♪ゐ.方βCク〝β鱒γ という経費膨脹政   策をとりながらそれをうわまわる国民所得の成長があったため,国民所得にし  

める国家経費の割合が漸減して−いったという点にもとめられると思います。   

(15)

自由主義時代のイギリスの国家経費政策   −J5− 

155  

(付記)本稿ほ,寛28回日本財政学会(昭和46年10月22日。23軋於神戸簡科大学)  

のための報告原稿である。当初は学会発表後に凍誌紅梅載する予定であったが,都合に   より事前に.公表することにした。   

なお,本稿は昭和45年度文部省科学研究費〔奨励研究刷〕の交付をうけておこなわれ  

た研究成果の一部であることを付言しておきたい。   

参照

関連したドキュメント

その後、反出生主義を研究しているうちに、世界で反出生主義が流行し始め ていることに気づいた。たとえば『 New Yorker 』誌は「 The Case for Not

第1章 序論 1.1初めに

 加えて、従来の研究においてフョードロフの思想の形成時期を指摘するためにしばしば言及さ れてきた2つの断片にも触れておこう

経費登録システム リリース後、新規で 実績報告(証拠 書類の登録)をす る場合は、全て. 「経費登録システ

巻四いやな批判●うはか年代記にて、いよいよしれす(1話)

このように資本主義経済における競争の作用を二つに分けたうえで, 『資本

能率競争の確保 競争者の競争単位としての存立の確保について︑述べる︒

[r]