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「蜂の寓話」の意味と問題 !上田博士「蜂の寓話」についての印象富

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(1)

大  泉   

ヽ   

行 應  

∵  

思想家の長い思索と︑探い研究と︑庶い硯野とを菅栄として︑しかも帝すに十分な名将をもつてし︑その撥の卑  

のずから熱するむ待つセ︑生れ出るべぐしで自然駐生れ出たはぅ数学間的労作を︑わたくし牲上田虎之助博士の  

近業﹁蜂の寓話﹂に払とつの典型を見い招す9  

これは︑その構成虹おいても志特有なる態様をもつている︒金箱を二つの部門町分けた蓋昆︑その第蒜に  

おいて著者の研究たる﹁マンドヴイルとその思想﹂が展開せられ︑それ軋つ 

版と考の訳文とから威抄立つ︒   

このような特異の辟成をもつ本書の膚療は︑中々に容易ならぬ仕事のように思われる︒もし︑しその十全なる読後  

感と皇一日い得べきも︑のを作り上げようとすれば−評者蛙究華専門的に探い語学力と鹿汎なる英文学的知撃こ﹂加う  

る匹敵会・経済に関サる学説凧想の十分なる攣解が要求せられる︒不拳にしてわたくし忙は︑い鼓そのよう孜府意  

が︑ない︑︒したがつで︑lここでのわたぐしの書評は︑博士の労作思読みゆく悪食に︑時に放その所論に感銘し︑時に  

九九  ゴ蜂の寓語﹂の電線と問題  

\   

﹁蜂の寓話﹂の意味と問題  

!上田博士﹁蜂の寓話﹂についての印象富  

(2)

r  

山dO  

摩⁚ギ三懇鹿茸観      ㌧\︑  

捻驚葛祭め磯た輿えちれ⁚時空溜芸名身の開讐反歌嘗め︑こうしてそこ票差く脳裡にきざまれた灘象   

のいくらか計こて乾漆しとどめ法う士する弧すぎない︒慨Ⅵいわ︑ゆる寄評邑いうものが︑\もつぱら対象をあげつら  

巧こ.込を偲拾とす鴇ものであbるとすれば︑こ空文のどそ領監轟の偏に偲せぬかも知れぬ︒それはとも凍れ︑わ  

たくしは︑領土の﹁磯の寓声l檻拠Ⅷながら︑そこに数庚や儲を得て︑自分欄身を語カたい誘惑計おさえがたい︒  

哉心常にこのはぅ篭別儀と誘惑む輿えることそのことが■いわば︑わたくしの本署に対する最も大きた批評をので  

攣篭  

こ  ♂  藩琴は︑この層骨≠もとく者に︑予めひとつの旛導を輿えられ・篭それ枚兜や琴南の詔第藍靴んだ後に︑第一  

部の著者の研究へと立ちかえられたルとの翠望である︒   

マンドヴイルの名高い﹁時の寓話﹂ノの詩篇が︑始め′て世忙問われたのは二七〇丑年の昔であり︑これが経済学の  

父といわれるアダム・スミスに︑如何に深甚なる影響をあよぼした︑かは︑経済学詮兜や経済思想史の講義におレいて  

常に閲読せられるところであゎ︑藍ことにこれ摸︑﹁ス主ス蛍設の潔い珂解に牲不可釈のむの﹂︵若者小巴であつ  

て︑わが学鼎でも早くJ抄﹁密蜂物語﹂′の名によつて間接に倍食られてきたのであるが︑その原本が如何なるもの  

であるかについては︑叫般には殆んど知られず︑変た知る械会も得られぬ藍ま忙今日に及んだのである︒いま上田  

博士わ多年の推敲を経て︑その庶承が邦語紅麹され1入虹その全貌を暢達の日永語忙よつて味読し得ることに放つ  

たことは︑大いなる学界の収穫▼こいわねぼならぬ︒博士は戦老の隷遊をもつて︑﹃杜撰ながらヱの程度の日本語降  

し.でおけば︑﹁浄の寓話﹂澱日本の経贋学界濫とつて︑・≠隠や芦はすれども姿は見えぬ積塀の参考文献で虹なくな   

(3)

るであろう︒﹄︵三ハ一異︶といわれる︒けれども︑十八世紀初頭の英国について︑その経済生.沼︒政治︒融会︒思  

想辱のぁらゆる角度から︑しか恩冷徹▼だ皮肉と諷刺の眼光滋.もつてこれを批判するこの独特た脛済帝篇控︑濁に  

・ 礪的な貫其の移し警によつては︑削管の墓患え慧ものと軋慧れた′い↓  

そこには訳者自らの︑英国経済兜をらびに英樹思想吏祇園する拭い索黍と理解が︑あらかじめ要求せられ告そう  

して︑これ及くしては︑この詩篇の邦語への移植持全く不可髄藩であろう︒声膵サれども姿の見得庭かつた 

輝困按︑莫催∈の点にあつたこととわたくしほ思う︒夙に古代及び中世の経済思想について思索を痍められた博士  

が︑近世英国へとその研究を進められることは︑思索の当然冷遇経であ吐︑﹁蜂の寓話﹂の労作の出現もまさしく  

降車のかかる大いなる学問閏歩みの途トムにおゆるひ▼こつの成果と見らるべきではなかろうか︒瀾士盈措いて偲庭何  

びとをこのような仕事に求むべきか︑われわれは思い藍どわざるむ得ぬ︒   

マンドヴイルの原文詩篇は︑十八世紀初頭の英観を背景とサる︒これに対する用意たぐして今日卒然として︑こ  

の詩篇のみ埠接するとしこも︑人路記そらくその贋意を把握するに著し葱ねば放らぬであろう︒ここに博士の労作  

第一部﹁マンドヴイルとその思想﹂が﹂大いなる意味と役割をもつことにたる︒蔵者は先ず第二部詩篇藍訳語し︑  

次いで博士の所静によつてその頃義盈質し二こたび縛じて原詩篇に立ちかえゎ味読するとき︑十八世紀マン下ヴイ  

\    ・ ︑ルの姿躍︑肢・尺たる生気をもつて今日のわれわれ軋追わ釆たる思いあらしめる︒  過去を観ね︑あるいは掻か些野釆老仰望す篭としても︑しかもをの立っ界性︑常に現在匿おけるこの現実である︒  

lニ  

規恵庭生き1現在を切わ開いてゆかぬぼ放らぬわれわれには.問題扱常に現在的な意味をもつ︒われわれが速く  

叩  議の寓細﹂の意味と問題  

(4)

鱒二十三怨 讐二牧  山○ニ  

所興としての現実態が出発点であり︑硯泰において解決を迫られる問題をも′つが故に︑人格遠く歴死に遡せ︑また  

未釆を展望するのである︒   

われわれが学説兜をさぐ†思想児をたゼヵ︑義人の跡教踏み分けようとするのも︑少くともそれが学問的意味  

を要求するものである限り︑われわれ自身が現在に間頓をもつからである︒脚下の照顧は決して払とゎ繹家の替算  

磨るにとど患者もので恕く﹁汝自らを知れ﹂とのデルフォイ神殿の育英と共に︑鼓さに学問研究わ態度忙外ならぬ  7  めである︒  

産業革命の胎動期を成す十八世紀初頭の英商につい七︑.Lれを描写し批判したマンドヴ 

時間的年は既紅二世紀率の過去に属し︑心わんや今日の療殊なる寄態に在るわが国㌢そのま変移し細られぬこと  

波音う藍でもたい︒しかし牽た︑虚心忙マンドダイルの詩篇藍訊謂しゆくとき︐痛烈骨を刺す諷刺の苗場が︑その  

まま今日現在のわが政治︑わが放念生殖薩虚言れて︑食わにも適柳なの虻︑人々偲おどろかざるを得ないであろ  

う︒こ世紀牛の時間も︑幾千哩の基聞も−瞬に霧漁して︑その藍ま現轟の.わが囲に躍動するの鶴がある︒これは山  

体何を意味するか︒後にも改めて敬わ上げられる払とつの寛大な課題︑変化のうち笹貫通する不易たるものを︑こ  

こで人は思わ胎ぽならぬ︒   

われれれは︑更匿われわれ自身打脚下に二履の頒胡を典えてみは乞わが薗は明暗維新の大小なる変革忙よつ  

て︑多年の封趨的制度を打破し†西欧の文物思想を翰入糠敬して︑ここ些言わゆる文明開化の端を作が︑ 

業革命が鳶成軋られることになつたので透るが︑その時の碍導精神牲︑遠国欧の自由主義従つてまた資本主義思  

想であつたと見られる︒けれども公正にして冷徹なる観察は︑むしろかかる見解の皮相であることを別改する︒輸  

入せられた自由蹄紳揉︑決してその本葬の隠様をもつではわが国土忙移植せられす︑かえつで暫しくゆがめられて   

(5)

ゎが国の資本主義経済体制疫︑そのよう夜;の特殊なる性格をもつて形成せられたものであゎ︑彗一口するなら  

ば︑西欧的なる意味においての自由主義放るものは︑わが・団居の二鱒生活のうちには逸に消化し梼放せられず疫払  

ったと貫い得るのでかる︒   

こ次大哉訂経て︑い患改めて民意主義の大道が拓かれ︑ここに訂由や碑人性や人間尊盈の思想について︑もう⊥  

塵灰省をせ患られること灯恕つたのであるが︑ノい藍こそわれわれは︑過去に患いて見その形式と外観のみを模倣し  

た西欧自由主義の横紙灯在五泉の紅︑深い思いをひそめねばならぬ秋で紛あ牒まいか︒対者の展諦忙ふれることこ  

そ︑実に︑おのれ白身の地歩を公正に評慣する所以に外計らぬ︒民主主義がわれわれの揮発を規定するも︑のとすれば  

近世民主主義思想褐静の砲とも見られる英国について︑・その児桁数かえゎみることは︑正にわれわれ自身の直面す  

る現実問題への反省に通するこせである︒   

良由︑レたがつて藍允自由主義の問題掟︑決して単に歴史的制約にとどまるものではなしい︒それは人蘭生酒転内  

在する常住の課題を成すものであゎ︑歴狂的推移はそこに消長豪遊堅不すとはいえ︑しかも過去と現凄と婿舜とを  

貰いて︑人間生括の意蛛臥体に係わる払とつの不易なる畢素を成すものに外ならぬ︒   

近代思想や近代精神︑工兵がって個人主義や自由精紳を廃威して澄たと揚言しっつも︑果レてわが観人は︑幾ば 

くの深さに 

梓たわるやのと言わるべきではないか︒マンFヴイルへの考察は︑決して過去の間琴ではなく︑われわれ自身打と   疏の封建的なる思想と生活硬式が英資的に牲支配性を維持してきたのであつた︒   僅かに十部識者の関心事となつたにとど変わ︑平均的水準にぉいての祀金的共同財産とはたゎ得ず︑依然として障W  

っての眠細説実の問題なのである︒  

﹁路の寓論﹂の濫煉と関越   

(6)

′   ﹁蜂の寓話﹂欝叫部﹁マンFヴイルとぞの思想﹂を読みゆくうち匿⁚おのずから思い出きれるひとつ抄著作は︑数  人上田貞次郎博士の名敷吏国産柴草命史論﹂で臥る︒この欝の公刊は︑配に阿分の壷紀も菅にさかのぼゎ の評慎む輿えられ了えたか孤よケ軋見られるのであるが︑しかしれたくしむ以ですれ母﹁時の寓話﹂についで漁  べ警同魔の窓誓︑哀論﹂はれ告それ監れ昆別の蔓性を怨もの忘わ隻︒序文に見られ患者者の  旨的豊還拭い極めて澄味床長官か宮日く﹁ヂ芸ラ∨㌣は決んて流行感腎の如く︑忽ち釆つて忽ケ姦るもので  ない︒政治上にも隊糞上にも二アモクラシーは既に探き磯を償えたことは簸を容れないJ﹁さわながら︑ヂ塵グラ  シーは・立沢して容易に実現し毎る炉のでない︒﹂と︒四分の一世紀前に放たれたこ︑の言葉蛙︑その時間的制約むこ  えて︑今計針とも軋ねれわれの珊腑むつくの凪いあらしめる︒﹁史論﹂が英国産柴草命の発端と経終に撃を起して︑  をこからも.たらされた英闇の祀会・経許・政治等におげる診響を叙述批判して︑改代への推移を研究対象としたの  忙射し︑・﹁寓話﹂臥その副題が葱さしく示す敗く︑かかる産米革命を絡来した英国昏由主義経済の根祇にあるもの  

を菰薗下げよう左する意図空且つ︒もし乙の二者忙︑不正確ながらも大きくその位置を輿えるどすれば︑﹁兜論﹂  ヽヽ ヽヽ  は産染革命が何をもたむしたか匹ついての外確約論考であや革対し︑﹁寓話﹂は何が産柴草命むもねらしたかの内  

省的温求である︒前者は地上のものを追い︑ノ後者按地下のものを探ろうとする︒とすれば︑われわれはこれ等二人  

の土田瀾士の︑研究を併せて味読すると針に︑英国吼整苧経済並びぬ思想について極めて洗い理解へと到達ずるて  

と監なるゐではあるまいか︒ 

もとよりこれ等二つの労作咤つ︑いての︑右のような性格規定は︑どく概括的なものであゎ︑両者にはしぽしば相  

共乱し︑褐変錯する課題も粗衣する︒・﹁寓話−においてもマン下ヴイルの思想的駅路は︑探く現代に至る藍で探ら    鱒二十三琴蟹二詠  

四   ︼〇四  

(7)

れて英観思想家の数乍が比取扱酎せられ︑フ率ビザ去ズムやギルド敢金主東食で匿も及ぶ︒しか︑し﹁寓話レめ健棒  

は︑常に整誉経済・政治の根株忙流≠︑乙れを基底紅患いで支持して賜る恩恵の源泉む探究しょうとするところ  

に在ることを忘れてはならぬ︒  

五  

痔の経過というものは︑しばしば人々の思′いも及ぼぬ結典をもた訂す︒それ蜂徒長ぬして︑永森の襲と蛙全ぐ似  

てやつかぬ相貌を作め咤げ︑後世の人々敬して︑.かたか思それが馬英で叡るかのようを錯覚に偽らしめる︒われわ  

句  

母   

\  

′  れは︑その誘姦食む︑学翠思想について完怠違るで漂う︒   

これは時間のもつ仏とつの魔術である︒転の経過はしぼしば学説︒思想を︑その成立しだ環境と兜的條件▼ごがら  

遮断し遊馳せしか︑港町結論のみ竺敷的貯継承せしめようとする︒後世人牒∵をの学学風想ぬ朗芽も育成され  

た姐理数見失い︑ただその成典だけむ無償件灯︑しか断乎馨に且つ簡便な形態をもつて受抄取ろ.ケとする︒その結  

展は︑往々紅レて実物虻ほ似もやらぬ偽画が横行する㌃と︑になる︒  

﹁時の寓語﹂の著者ぬ︑こⅥ問題隼ついて払とつの大きな役割を興しご慧警底想の本然の姿華麗しく人声の由   

覧不心てくれる︒先ず著脊はヰソドヴ宣ルを中心としながら︑その筋後の現実生滑と思想的蘭聯を明らか灯する?  

それはマンざヴイルの詩篇申忙擁取せられている構成草案につき∵一′つ︼つその源泉にさかのぼつて︑︑ご終を解明  

署を賢つて︑詩篇の貫性と現実的倣藤が阻明せられ圭㌢ヴ菜自身伊館慕箸昔と浮び上るてく   

笹漁る︑  靡  

この宣ケな考察を通じて︑われわれ絶ゃシ一ドヴ′イルを伸介とし・ながら∵ヴオルテ1みめ選閥鶴を知顆J針薗鬼★   

﹁放め寓話﹂の意味と開放  ︼○愚  

(8)

敦倫理もの対決︑′韓非やマ/キヤヴュリとの此奴︑㌧そケして悪たホップス︑スミ′ス︑降つ.てベンクム㌧︑更には英閣軋  

会象義思想へと︑思想の脈絡が解きほぐされでゆく︒これぬよつて.︑それぞれの思想家は︑その当然なる歴史的背  

鹿町おいで正当なる評憤が下され︹思想家各自の本来在るべ.き位置が明むかにせられる︒   

今日に至るまで︑如何に多ての艶られたる見解が∵例えばホップスヤマキヤヴュサやベンタムについて支配して  

きたことか︒それ等は単改︒思想と不可分の関係忙ある摂取的瑚約むすてて︑ひとつの簡便なる分類によつて︑こ  

れを山律忙処理しょうとすみ︒しかしかかる簡易化榛棲めて危険である︒人々ばそれによつて︑実物なちぬ嘱画を  

償えられるかちである︒博士の﹁マンFヴイんとをの偲想﹂は︑このまぅな偏画の危険から人々を救い出してくれ  

る︒︑︑殊に汲もあやま 

するこ占によヵ︑それ等緒象の思想が公正なる観点から︑それぞれ本来わ位置を取力戻し︑正当なる基鷹の上にそ  

し   犬  

上田博士の﹁マンドヴイルとその思想﹂から印象づけあれるひとぅの鷺大な問題は︑マンドゲイル思想のもつ二  

哲的性格である︒その一っは︑著者自らこ︑れを蘭摘するその匪兜性に外ならぬ︒﹁蜂の寓話﹂は︑サ八世紀初頭の  

英凶を厳に管蛍としてこそ︑そこに独自の意味をもつもので乱れ︑英闊民のせ界制覇に机発する前奏曲を成し︑大  

英帝国の垂威発展を基盤として構成せられた文学であゎ︑﹁英帝国の自己発見﹂忙外ならぬ︒︵︼芸1土≡九貢︶       や   

したがって︑マンドゲイル思想の忽解わた秒には︑こ\の膵兜性を見失うLとは許されぬ︒  

しかる忙われわれは︐同時灯マンドヴイル思想匿存する他の性格を看過して払ならぬ︒それは博士の言葉をもつ    の渇筆の黎を示すこと匿なる︒   一〇六  鰐こサ一三塵 界三流  

(9)

てすれば︑↓牒史的な変当性と共佐︑人間性を償えた∵面﹂であ牒︒︵ニ四〇京︶︒′この叫面を敬わ上ぽるとき︑われ  

われ柊人間生活の推移変化のうちに︑なお貫放する不易怒るものの存在に想い到らねぼならぬ︒マツ下ヴイル風琴  

打ついてこの側面︐社観るとき︑そごに浮び上るものは︑人瀾怪に先天的なる個人創意扮意愁である︒わたくしをも 

ってすれば︑これ望再わぼ︑あらゆ烏時代む貫いて人間鮭存に内面的なる﹁差別への要求﹂に外ならぬと見られ為︒  

急告璧静二十土容顔ニュニ貌︑出癖﹁生満の貌契儲K関する基本町考察﹂参照︶ 

去れについて博士は︑夙佐その時文のうち・で意昧ふかい示唆む輿えられる︒日く 

自.で拡著しい変貌む途げて潜れ︑純粋な形やはすでに過轟のものとな号し針づた︒だが自由主義経済の根砥に潜  

む個人創意への革慾︑およ穣これむ関連をもつ生繹能率の問題は︑疲痴として現代沈金の課窟として摩ってい色 

そしてソ聯をも含むせ界の諸囲が︑その説題と東組んでいるのが二十世紀年ばの尊慮である㌔左︒︵著者小/野︶︒そ  

うして︑このような序文に出発じた瀾士の研究が︑その結末の二節として示されるところも亦これと同趣の庵やで  

警ぷ︒す恕わち﹁人拭自由放任の終局を託わ得ても∵マ.シ・Fゲイ 

得るもので膚ない︒なぜならば︑ノその厳に経済汚勤の嘩界匿触れるものがぁる・から﹂であると︒.︵ニ五五頁︶︒モの  

倶後の▲仙句はまさに再訪ニ⁝読忙促する︒ 

思うにマンドヴイルによらて取上げられた盛徳−私苺は︑いわば個人に固有なる欲望に放ざすものに外なら  

ぬ︒それは重商し︑行動する人間の︑潜動の原動力を超すもの︑セあ払︑行為の痙越智であ旬︑またこれあること匿よ  

って人間の創意が発揮せられる庵のである︒普甘いかえれば︑これむ人間の生存意慾といりても︑あながち大きな洪  

努と・払いわれない︒−ごのような患穂波︑︑払と㊨歴史的なる特定敢会での鎗性的悪徳ではなくて︑むしろ人・の会務乃  

室生春日徐に内在する自然的懐向ですらある︒   

\ 感の寓詣﹂の意味と問題  山〇七   

(10)

品〇八   雰十三懲 啓三取  

開題をかくの如く廉い鯨野に飽いで取上げるときは︑いわゆる恵徳は人間生存に本瀕的なものであり︑本葬︑感  イヤシ 徳の名に億しない魔の悪徳とも見られる︒一それは例えば尊徳傷によつで↓人の膿む処の畜道は天理自然の造なゎ︒﹂  

と造破せられたときの︑その天理自然の道たる性格をもっ悪徳である︒そこには蕃患という判断以前の︑白然的理  

法が二野憺流れているととを知るのである︒いうところ︑の憩徳の横紙に︑このような永瀬的潜ものが横たわるとす  

ぼ︑それは生存者としての人間陀とりて︑ぴとつの不易なる要素と認められぬぼなむぬeあろう︒   

かく論及してくれば︑そもそもそのよう窒息味での意徳のない敢会▼こいうものが︑あゎ得るか着かは根本的な問  

題である︒藍たもし︑そめような慈徳の存在しない政会が想定せられ為とき︑それは金く個人意志の域却せられで  

単に機械的に這行す鳩聖雪垂葦跡ば何等かの絶対権力が蒜を支配する聖琶かり︑したがってそ≡に拭およ  

そ苑展といわるべきものは︑そめ跡を絶つと見られぬぼならぬ︒い忽.そのような敷金は︑本奔放会竃身の生存・  

感動︑嶽じて生ゆる沈金そのものとして存立し難いものであろう︒   

そこで︑われわれは考うるのである︒マン下ヴイルの悪徳とは︑︼両人間生潜したがって︑また人間配会の癖質  

につらなる性格をもクものであり︑これは更忙追求してゆけぼ︑生けるものそのものの本質ぬつながるものであむ  

それ故にこそ†切の社会生摘について不易なるものとして反省記要求せられるものである︒   

ひとつの合理的ばる敷金が想定せられたとして︑そこやは資本真義経済に固有怒る利潤追求−私人の悉徳が鴻  

はや曝轟せす︑何等か︼瀞公正隠しノて合理的なる原則か︑人々の湛済生活を支配するとしでも︑若し﹁差別への要  

求﹂が本来︑人間の生酒自体に固有なものである限わ︑それは必ずや何等かの未班形式によつて盆宿のうち忙作用  

せざむ盈得ぬ︒をうでなけれぽ︑人間生活自体が枯死してし藍うであろう︒繁藤主義経済の捧湛カたる利潤追求が  

否定せちれ克として︑さてそれに代るべき﹁差別﹂衆規の形式が輿えられぬかぎ必︑人間の生招福軌そのものが発   

(11)

七   

↓てンFヴイ≠とその凰整を読む着をして︑大きく印象撃㈲革ものが三つある︒  

ひとつ拭︑靂及の療移・祀会の動き・思想の発展に射す革公正中庸なる象限と批判とである︒人は︑しばしばお  ︵  のれを語り︑翠のれを主張することのみぬ急にしで︑他をかえⅧみることの電容を忘れる︒けれどもさき艦も開設  

した如く︑自己の位置は他者との対比においてのみ決定せられることであむ︑他者の正しい佗澄づけはl︑同時に計  

己自身の正しい表甥に外ならぬ︒博士の論考によつてわれわれは︑生待と思想との発展推移の︑うちに︑それぞれの  

ものの時代的意味が解明せられ︑それぞれのものの本来あるべき位置が正しく示される︒ウエーバーの新教倫理観  

への博士の批評の如きは︐こ.のような場合の叫例として指摘することができよう︒  

妄の二は︑人間性に内凝する本質的なるものへの瘡徹せる直税である︒マンFゲイルの私人の悪徳に思考む藷甘  

ながら︑息らゆる慮儲の銀制を感じて︑常濫考えられねぼならぬ人間性の由有な嵐駁のが︑そこに反省を迫られる  

のである︒蘭節にわれわれが救わ上げ洛問題点こ≠に外なむなかつた︒   

は  その三は︑簸じて英観および英国人の生億と思想についての深くあたたかい理解である︒それは史契を通じ︑思  

想をたどゎ︑外皮を切わ開いて︑事物の贋備にふれる嵐の趣きがある︒手近かな叫例を取上げれぼ︑英図人の入浴  

魔の∵尉の如きこれである︒ふれわれは往々払とつの独断をもつて︑入浴をたのしむのはひとゎわが成人だけであ  

るか打ぅ慧Pい償え︑そこⅥ恵た独自の文学さえ生み出したなどと自負する︒けれどむ︑・﹁他閣人は清潔のため   

︼も    條を失ってしまうであろう︒マンFゲイサ匿おける不易なるものの課題が︑長く鰐郊匿向︼つて考うべ轟課題盈威す  所以である︒ 

(12)

二〇  贋造サ≡巷 解三 

に入浴するが︑イギリえ入廷学費わねめに入浴するⅧ﹂ と称する英閑人自身の記銘に接するとき︑これはまことに  

偲山の石訟鳥む隠ふがある用茶や凱緋の生活に蕗透しゆく紆史の如きも︑ネギリス生露の贋諦にふれるものを感ぜ  

しめられる︒  

■−︑   牢の印象記を結ぶにあ担って︑わたくしは﹁鞄の寓話﹂ 琴がもつ︑∵りのうるおいを指摘したい︒それほ粂巻 

の適所に挿入せられた敦篭たる資料としての写罵版であるわ読者ほそれ忙よつて︑ヴオルタールやスミスやマキヤ  

ヴ苛やベンク\ムや︑その他著鳩の思想家の風貌に接すかことができる︒更にいく薬かは︑鐸に珍笥という以上に  

学問的な興味を入違蔓る︒例えば芸世紀竜の﹁茶車の集い﹂﹁南海会社に国富諷刺画﹂﹁リヴァイアサン  脚  の家紋画﹂等の如きこれである︒﹁茶串の集い﹂の光景を見れば︑われわ粧には十七世紀英国の︑日常生活の一場  

面が生き生きとして嶽像せられて︑当時町野国衆教練合う思いがする︒藍た﹁リヴァイアサンの表紙画﹂をみれば  

そこに描かれている中世都苺の外観が︑われわれの経済史による概念を具体的忙姦づけ七くれるのである︒ただめ  

た試し/のひとつの心残りぼ﹁牌の寓話﹂の著潜マンドゲイルその人の風貌を偲び持たいことである︒これ怯博士由  

ら諭されたいるように︑﹁た準鵬枚の解像画さえも侍わりてい︑ないようである︒L∴貢︶以上﹂如何ともいたしが  

たいことであるが︑主人公とつ潅がゎをもつ学者論客の面目が︑ページの拷南東蝕し出されて︑訪諸に乞よなく心  

たのしい思いを朗ハえる▼だき︑天守自身の簡影に接し待跨いことは一抹の淋しさを残すのである︒  

九石C・九・六︶   

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気象情報(気象海象の提供業務)について他の小安協(4 協会分)と合わせて一括契約している関係から、助成

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

①配慮義務の内容として︑どの程度の措置をとる必要があるかについては︑粘り強い議論が行なわれた︒メンガー

ぎり︑第三文の効力について疑問を唱えるものは見当たらないのは︑実質的には右のような理由によるものと思われ

第三に﹁文学的ファシズム﹂についてである︒これはディー