本稿の目的は,かれの技術論的企業経済学がいかなるものであっ
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(2) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑154. 第5 4 巻 第 2号. ぬ a f t ) を研究する経済科学 に経済とは,. 4 9 6. (W 江t 叫 a f t s w i 問 問h a f t e n ) の l部であ(足。乙こ. 現存する財の合目的的利用 ( zweckmasigeBenutzung) を意味. する。これは経験的に与えられた事実であり,経済科学は乙の事実を科学的に 根拠づけ,記述し,体系的に提示する経験科学である。ライ「ナーはこのよう な経済科学のうちにとりわけ社会経済学 ( S o z i a l w i r t s c h a f t s l e h r e ) と個別経済 学 ( E i n z e l w i r t s c h a f t s l e h r e ) とを理解する。このうち社会経済学が社会経済の 全体を研究対象とし経済的社会現象の因果分析をなすのに対し. C,個別経済学. は,社会経済を構成する個別経済を個別経済主体の立場から研究し,. そこに. おける何らかの同種的活動現象,規則性を体系化する。この個別経済学は, 消費経済 (Konsum t i o n s w i r t s c h a f t e n )な い し 家 政 経 済 と 生 産 経 済 ( E r w e r b s ‑. w i r t s c h a f t e n ) とへの個別経済の分類に対応して,消費経済ないし補償経済 ( D e c k u n g s w i r t s c h a f t e n ) の個別経済学と生産経済の個別経済学とに大別され る。ここに消費経済が家計,地方自治体,国家を含むのに対して,生産経済は つぎのものを含む。. 1 . 収益経済的生産経済 ( e r t r a g s w i r t s c h a f t l i c h eErwerb s w i r t s c h a f t e n ):経済 主体のみに帰属する収誌の追求をなす生産経済 表的学者である手ノコマーレンパッハおよびユ yクリッ νュの学説が,すぐに述べる ように経験・実在論的思考をもっライトナーにとって承認し難く ( Vgl .L e i t n e r,! i . a .0 .,5 5 . 12‑14),そのため,できる限りこの名称の使用を避けたいこと,第 3に , 経 私経済学および経営経済学の対象は実質的には企業であり,しかも両者ともその f 済に関する」学 ( L e h r e n" v o mW i r t s c h a f t 涯がつである ( Vgl .L e i t n e I,a .a .0 . . 5.12.)がゆえに,企業経済学という名称が適切に思えること,がこれである。このこと に関しては,っきrをも参照せよ。 L e i t n e r,Renaissanced e rP r i v a t w i r ' t s . c h a j t s . l e h r e, B e r l i nu .L e i p z i g,1931 . (以下,本稿の注では,R e n a i . s . sa n c e . と略記する。) また,かれは企業経済学という名称を用いる理由として,さらに,これまでの私経 済学および経営経済学と異なり,かれが企業の内部現象および諸々の個別経済の交通 関係を取り上げるのみならず,企業と総合経済との関係をも取り上げる f 本稿, 1 5 6ぺ ージを参熊せよ)ことをあげているように思われる ( V g l .L e i t n e r,W i r t s c h a f t s l e h r e ., 5 5 . 16‑20.) のであるが,この場合,私経済学および経営経済学が企業と総合経済 との関係を取り上げていないと解しうるか否かは問題である。 なお,その主著の表題変更にも拘わらず,ライトナーは第 5版の具体的論述におい ては"自らの企業経済学を私経済学と呼んでいる。 (3) 本節におけるライトナーの所論は, 主としてつぎによる。 L e i t n e r, P r i v a t ‑ w i r ' fs c h a j t s l e h r e . 55. 1‑10. v.
(3) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑155‑. ライトナーの技術論的企業経済学. 4 9 7. i . 手工的生産経済 i i . 企業的に営まれる経済(untemehmungs明 e i s eb e t r i e b e n eW i r t s c h a f t e n ). 2 . 組合的生産経済. t. i . 収益追求的組合的生産経済すなわち営利組合 i i . 節約追求的組合的生産経済すなわち経済組合. 3 . 共同経済的生産経済 ( g e m e i n w i r t s c h a f t l i c h eE r w e r b s w i r t s c h a f t e n ) :収益 追求は副次的であり,共同経済的諸目標の実現を目的とする生産経済 ライトアーの企業経済学は,収益経済的生産経済のうちの企業的に営まれる. ntemehmung)を考察の対象とする 1つの個別経済学であ 経済すなわち企業 (U る 。. ζ. の企業については,それがその経済主体のみに帰属する収益の追求をな. すと L寸意味で私経済志向的 ( p r i v a t w i r t s c h a f t l i c ho r i e n t i e r t ) であること, および手工的生産から区別される近代的生産をなすこと,が直ちに明らかで. k a p i t a l i s t i s c h e あろう。ライトナーによれば,それは資本主義的生産経済 ( E r w e r b s w i r t s c h a f t e n ) をなす。 ここでわれわれは. 、. 2つのことに注意しなければならな L. 1つは,ライト. ナーのいろ企業がさまざまな法形態を取り,この法形態の一種として公企業. り (f f e n t l i c h eUntemehmungen)および混合経済的企業 ( g e m i s c h t w i r t s c h a f t 1 i c h e. Unternehmungen) を含むととである。ここでは公企業および混合経済的企業 は,私企業とともに,共同経済志向的ではなく私経済志向的であると考えられ ている。だが,かれはのちに公企業および混合経済的企業が共同経済志向的で あることを認めるのであり,この点に関するかれの論述は,必ずしも明確でな い。他の 1つは,ここにいう生産が広義に解されるべきことである。それはあ. bゆる種類の財貨および用役の生産を意味し,したがって商業企業,交通業企 業,金融業企業なども生産をなすものとして把握される。 さてライトナーによれば,企業経済学は個別経済主体の立場からつぎのこと. (4) Vgl .L e i t n e r,W i r t s c h a l t s l e h r e .,S . .2 4 . (5) Vg l .L e i t n e r,P r i !Jat w i r t s c h a l t s l e h r e .,SS. 231‑,‑2 3 2 ..
(4) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑156‑‑. 第 54 巻 第 2号. 498. を研究する。. 1 . 企業内部における現象,. すなわち生産目標.の技術的遂行 ( d i et e c h , n i s c h e. Durchfuhrungd e sE r W e l b s z i e l e s ) ないし経営 ( B e t r i e b ). 2 . 分業的,交換経済的経済社会の肢体としての諸ー々の個別経済の交通関係 3 . 経済社会における個別諸経済の社会的,総合経済的連鎖から生じる企 業と総合経済との関係ないし相互作用,. 例えば労働者問題,. 企業者団体. (U ntemehmerverbande) の問題 ここでかれは,つぎの 2つのことに注窓を喚起する。第 1は,企業の生産ーが 財貨および用役の獲得,生産,分配などの技術的作業 ( t e c h n i s c h eA r b e i t )と 経済的熟慮 ( w i r t s c h a ft l i c h eむb e r l e g u n g ) とに基づくことから,企業経済学が 技術的知識と企業において妥当する経済的諸原則とに携わることである。より 正確にいえば,企業経済学は技術的可能性をその経済性 ( W i r t s c h a f t l i c h k e i t ) につい吟味するのであり,この意味において,それは経済的観点からする 経営遂行の学 C L e h r e von d e r B e t r i e b s f u h r u n g u n t e r w i r t s c h a f t l i c h e n. G e s i c h t s p u n k t e n )な L、し経営経済学 ( B e t r i eb s w i r t s c b a f t s l e h r e ) をなす。 第 2は,企業の生産が業種によってその技術的作業を異にするにも拘わら ず,ライトナーがここでは,このような技術的作業をその多様性そのものに おいて取り上げるのではなしすべての企業に典型的,統一的なものを総括 的に提示するに必要な限りで取り上げようとすることでちる。かれは経営手 段の利用を扱う経営論 ( B e t r i e b s l e h r e ) ないし経営管理の技術の学 ( L e h r e. vond e rT e c h n i kd e rB e t r i e b s f u h r u n g ) について一般的なものと特殊的な ものとを区別し,前者を含みこれを経済的観点から考察する企業の私経済学 を商事企業の一般私経済学 ( d i ea l l g e m e i n eP r i v a t w i r t s c h a f t s l e h r ekaufman‑. n i s c h e rUnternehmungen) と呼び,これに対し,ここで得られる一般原則を業 種的な技術的多様性において具体化する私経済学としての特殊私経済学 ( d i e. s p e z i e l l eP r i v a t w i r t s c h a f t s l e h r e ) を特殊経営論 ( d i es p e z i e l l eB e t r i e b s l e h r e ) と呼ぶものと解される。この特殊経営論は,経営管理の技術の学の特殊的部分 から区別されなければならない。前者は後者を経済的観点から考察するので.
(5) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 4 9 9. ライトナーの技術論的企業経済学. ‑157‑. あり,商事企業の一般私経済学とともに技術的可能性をその経済性について検 討する企業経済学をな手;そしてライトアーがその主著『企業の私経済学』な いし『企業経済学 Jにおい℃取り上げようとするものは,企業の私経済学を構 成する上記 2つの部分のちち,一般私経済学のみである。 さてライトナーによれば,企業経済学は実践的課題を解決するべきものであ. W i s s e numd e s Konnens り,知識のための知識ではなく可能のための知識 ( w i l l e n s ) を求める合目的的行為の学 (Lehre von zweckmaβigenHandeln) である。それは,経済主体の設定する経済的目標に至る道標を与える。換言す. S e i n s o l l e n ) に関する価値判断 (W e r t u r t e i l e ) をなし, れば,それは存在当為 ( 緩済主体に対しその経済的目的を達成するための手段の怠識的利用のための 指針を与える。この意味において,それは個別経済的経済政策 ( e i n z e l w i r t ‑. s c h a f t l i c h eW i r t s c h a f t s p o l i t i k ) である。にの場合,存在当為に関する価値判断 をなすとは,規範論的意味に解されてはならない。それは,経済主体が設定し た経済的目的に対する手段の合理性の言平価をなし, この目的の達成のために取 るべき手段を決定するといろ意味に解されるべきである。それゆえにこそライ トナーは,その企業経済学がメンガー ( C . Menger) の 意 味 に お け る 技 術 論. ( K u n s t l e h r e ) であるというのである。 さてこのように布在当為に関する価値判断をなす技術論として規定されるラ イトナーの企業経済学については,われわれは,これが存在に関する理論的認 識を含むことに注意しなければならない。かれによれば,経済過程・への経済主 体の目的意識的関与にとって,いかにして,なぜ,いかなる場合,についての 理論的認、識は不可欠であり,それゆえに,技術論としての企業経済学は,この よラな理論的認識を不可欠の部分とするのである。. (6) 中村常次郎教授は,この点についてわれわれと異なる解釈を取る。っき、を参照せよ。 福島大学商学論集』第 1 8 中村常次郎稿「ライトナーの『企業私経済学J論の性格Jr. 巻第 1号 , 1 9 4 9年 , 30‑32 ページ。 (7) VgL L e i t n e r,a .a .0 .,AusdemV o r w o r tz u rL u n d2 . Auf 1 a g e . (8) 中村常次郎教授は, この点についてもわれわれと異なる解釈を取る。つぎを参照の こと。中村常次郎前掲稿, 24ページ。.
(6) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑‑158ー. 第5 4巻 第 2号. 500. ライトナーにおいては,企業経済学は一般的部分と特殊的部分と?と分けられ た。かれによれば,一般的部分においては問題の取り扱い方は原則的,体系的 であり,特殊的部分においては記述的なのであるが,両者ともにその研究方 法はすぐれて帰納的であり,一般的部分といえども純粋抽象理論のみからなる わけではな L、。ところで,ここでわれわれが看過しえないのは,かれが ζ とに いう一般的部分を理論的部分 ( t h e o r e t i s c h e rT e i l ) と,特殊的部分を実践的部. p r a k t i s c h e rT e i l ) とそれぞれ言い換えることである。周知のように,理 分 ( 論的という言葉は,歴史的といろ言葉に対し,個性的,特殊的なものではなく 普遍的,一般的なものを志向する意味において用いられるとともに,また実践 的という言葉に対し,認識を実践のためにではなく認識そのもののために求め る意味において用いられるのであるが,ライトナーは企業経済学の一般的部分 および特殊的部分が同時にそれぞれ,存在に関する理論的部分および存在当為 に関する実践的部分をなすと解しているように思われる。このような理解から すれば,本稿でわれわれが取り上げるライトナーの企業経済学は,技術論的企 業経済学の 1部として,一般的理論的かつ存在に関する理論的認識を問題とす ることになるであろう。. I I I 収益追求と企業結済学の性格 ライトナーによれば,個別経済ないし特殊経済 ( S o n d e r w i r t s c h a f t ) の頂点 には自然人または法人としての経済主体が存在し,統一的意思により個別経済. Untern 伽 を動か字;この経済主体は,企業においては企業者 (. e r )である。個. 別経済学は個別経済を個別経済主体の立場から研究するものであったが,個別 経済学の 1つとしての企業経済学は,企業を企業者の立場から研究する。企業. G e l d e r t r a g )を所得として受け取るのであり, 者は企業の収益ないし貨幣収益 ( 貨幣収益追求の観点から企業を運営する。そこで企業は純粋の貨幣計算をな (9) Vg1 .a u c hL e i t n e r,Renaissance. S S . .1 3 ‑ 1 4 . ( 1 0 ) 本節におけるライトナーの所論は,主としてつぎによる。 L e i t n e r,a .a .0 .,SS.. 1‑12 ,64‑97..
(7) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ライトナーの技術論的企業経済学. 5 0 1. ‑159‑. し,金業の経済原則は貨幣的に評価された最小費用による最大収益の達成ない しは最大純収益 ( R e i n e r t r a g ) の達成である。企業経済学は企業をこのよう な観点から研究するのであり,この;志昧において,それは企業の収益性論. ( R e n t a b i l it a t s l e h r e ) である。 さてライトナーによれば,このよろな企業経済学は,企業について単に存在 を叙述するのではなく,存在当為を理論的に叙述する。それは貨幣収益という 経済的目的の迷成のために,存在するものを批判し具体的手段を提示するので この限りにおいて,管理論 (V e r w a l t u n g s l e h r e ),生産手段の利用の学. あり,. ( L e h r母 vond e rn u t z l i c h e n Verwendung d e rE r w e r b s m i t t e l ) または収益経. L e h r evond e rO r g a n i s a t i o n,d e rE r t r a g s w i r t s c h a f t e n ) と呼 済の組織の学 ( ばれラる。しかしかれによれば,それは決して個別経済的利己主義の学 ( L e h r e. vone i n z e l w i r t s c h a f t l i c h e n Egoismu ゅではなし、。なぜなら,企業者の私経済 的行為と利己主義的動機とは必ずしも一致するものではなし、からである。企業 者の私経済的関心は財産所有と自己または他人の労働との結合によりできる限 り高くかっ持続的な収益を追求することにあるのであるが,この収益追求は金. 健け ( G e l d v e r d i e n e n )と同義ではない。それは,利己主義者とではなく経済する. W i r t s c h a f t s m e n s c h e n )およびその専門世界 ( S a c h e n w e l t ) の支配の追求 人間 ( と関係し,経済性の原則 ( G e s e t zd e rW i r t s c h a f t l i c h k e i t ) および,特殊的所有 と自由競争とに基づく私経済的経済体制 ( p r i v a t w i r t s c h a f t l i c h e sW i r t s c h a f t s .. s y s t e m ) であると共同所有と共同作業の組織とに基づく共同経済的経済体制 ( g e m e i n w i r t s c h a f t l i c h e sW i r t s c h a f t s s y s t e m )であるとを問わず,支配的経済体 制の. Fでの,自己の欲望に応じた財の所有の追求と関係するのであり,消費経. 済の欲望を満足させる最も重要な個別経済的手段である。それゆえライトアー. ( 1 1 ) ライトナーは,このようなかれの主張が,シュマーレンバッハを中心とする当時の ド イ Y経営学の主流の主張と異なることを意識している。ただこの場合,かれは νュ 性を節約性の窓月末に解し,ここから, νュマーレシ マーレンバッハの共同経済的経済1 e i n et e c h n i s c h eE i n h e i t ) とし バッハが経営を国民経済から孤立した技術的単位 ( V 以 gLl e i t 句n e 叡r ,R e . て考えているという解釈を導き出しているように思われる。 ( 仰 n l ω ai ι I ssanα c e .5 5 . 7‑8,1 5 . ) このようた解釈には,われわれは組しえない。 酢.
(8) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑160ー. 第5 4 巻 第 2号. 502. によれば,企業経済学は,金儲け論 ( P r o i it l e h r e ) ではなく,企業の合理化に よる国民経済の合理化の科学 ( W i s s e n s c h a f t von d e r Ra t i o n a l i s i e r u n gd e r. V o l k s w i r t s c h a f td u r c hR a t i o n a l i s i e r u n gd e rE i n z e l w i r t s c h a f t ) である。 このようなライトアーの論述について,われわれは,収益追求が金儲けから区 別され国民経済的な欲望の合理的充足の手段として特質づけられていること, およびそれが私経済的ないし資本主義的経済体制のみならず共同経済的ないし 社会主義的経済体制においても妥当するものとして規定されていること,に注 意しなければならな L、。このことによって,ライトナーの企業経済学は金儲け 論から区別され,超体制的性格をもっ企業の収益追求の学として規定されるの である。とのよラなかれの所論から,われわれは,かれの企業経済学が選択原 理を収益性に求めるにも拘わらず,ヰ/ュマーレンバッハの経営経済学と類似の 傾向をもつことを知ることができるであろう。だが,企業の収益追求は,金儲 けから広別されえ,また超体制的性格をもちうるであろうか。われわれはこの ことをのちに明らかにすることとし,ここではライトナーのいう収益の性格を 検討しておこう。 ライトアーによれば,企業はできる限り大きな収益の途成を目的とするので あるが,ここに追求される収益,精確には純収益は,粗収益 ( R o h e r t r a g )と費 用 ( K o s t e n ) との差であり,したがって企業の収益追求は,生産の技術的基礎 に基づく費用の節約と個別経済的または集団的施策による粗収益の増大との 2 つの方向においてなされる。 第 1に費用は,貨幣収益を達成するための企業の財貨および労働の,貨幣額. v z : 表現されうる費消 ( Aufwendungen) の全体であり,物的財産を獲得するた V e r m o g e n s k o s t e n ) めの原材料費,労務費,減価償却費などからなる財産費用 ( と一般的な製造費,販売賀,管理費などの経費からなる収益費用 ( E r 主 r a g s k o s t e n ) とに区分される。このような費用は,収益形成目的の手段であるから,収益と. ( 1 2 ) L e i t n e , ' IP r i v a t w i r t s c h a j t s . ! e h r ' e .,S .7 . ( 13 ) つぎをも参照せよ。中村常次郎前掲稿, 22 ページ。.
(9) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 503. ライトブャの技術論的企業経済学. ‑‑161‑. 関係つ手けられることによってのみ,その質すなわち企業に対する有用性が評価 されうるのであり,費用節約は,このような有用性を配慮して行われなければ ならない。 第 2に粗収益は,企業の経済活動の結果として生み出され常に貨幣で表現さ れる効用であり,こ.れを生み出すための費用を含む。粗収益は主として取引高. ( U m s a t z ) からなり,. これは価格と取引速度 ( U m s a t z s c h n e l l i g k e i t ) によっ℃. 志右される。取引速度については,これが速ければ 1回の取引ごとの純収益の. G e w i n n q u o t e ) が小さくとも相当の純収益が得られ, 大きさないし利幅 C. また. 製品単位当り回定費の減少を介して製品単位当り生産貨の減少が生じうること が注意されねばならない。 ライトナーは,このような費用および粗収益を純利潤の構成要素である損失. ( V e r l u s t ) および利潤 (Gewinn)から区別する。かれにおいては,利潤と損失 とによって計算される純利潤の追求は,まさに金儲けに関連しうる。この場 合,損失および利潤は,抽象的貨幣額としての資本の減少および増加であるが ゆえに常に貨幣額で表現され,それぞれつぎ、のような内容をもっ。 第 1に損失はつぎのものを含む。. 1 . 財産価値的反対給付を伴わない損失支出 ( V e r l u s t a u s g ab e ) すなわち収益 費用,例えば利子支出,給料,手数料支出,違約金. 2 . 取引を伴わない価格下落による財産有高の減価,債権および投資に関する 償却損. 3 . 逃がした利潤ないし間接的損失,例えば在庫に対する利子損失,債務者に よる信用期聞の一方的延長,注文の無償での取消し. 4 . 財産費用に比べて少ない売上げによる損失 5 . 事故および第三者による価値破損としての損失 第 2に利潤はつぎのものを含む。. 1 . 財産価値の減少を伴わない企業の給付による利潤収入(Ge w i n n e i n n a h m e l, 例えば利子収入,手数料収入,特許使用料. 2 . 商品の取得原価を超える販売による財産価備増加,すなわち取引利潤.
(10) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑162‑‑. 第5 4 巻 第 2号. 504. (Umsatzgewinn). 3 . 取引きを伴わない財産有高の計算上の価値上昇,すなわち評価利潤 (Bewertungsgewinn). 4 . 債権者による債務免除,会社整理の手段としての減資による帳簿上の利潤 および合併利潤,償却ずみ債権の入金および償却ずみ設備の売却による利潤. 5 . 貨幣的反対給付を伴わない資本形成,例えば贈与,相続,による現実の利 潤. 6 . 秘密積立金の解消による清算利潤(Liquidationsgewinn) このよラな損失および利潤は,費用および収益からとりわけ以下の諸点にお いて区別されうるであろう。第 1に,費用および収益と異なり,損失および利 潤は企業の経済活動と必ずしも直接に関係する必要はない。そこで損失は,例 えばその第 5項目に示されるような事故および第三者による違法行為の結果と しての価値破損を含み,利潤は,例えば,第 4項目に示されるよラな帳簿上の 利溜および合併利潤,第 5項目に示されるような贈与,相続による利潤を含む にとになる。さらに損失および利潤は,企業の通常の業務から区別される財産 の売却損益,例えば土地の売却損益,を含主)。第 2に損失は,費用と異なり資 本の再生産部分に限定されず,したがって損失の第 3項目に示されるような計 算上の利子等を含む。第 3に,純収益も純利潤も一定期聞について計算される のであるが,純収益が当該期閣の企業の経済活動の成果,しかも保守的商人の 観点から取引によって実現された成果,を示すのに対して,純利潤は必ずしも そうではない。そこで利潤は,その第 3項目の 1音 ) 1としての財産有高の未実現 の価値上昇,第 4項目に示されている償却ずみ債権の入金および償却ずみ設備 の売却による利潤,第 6項目に示されている秘密積立金の解消による清算利潤. ( 1 4 ) Vgl .L e i t n e r,a .a .0,刷 S .2 4 . なおその際,かれは土地の売却による利潤をとくに投機利濁 ( S p e k u l a t i o n s g e w i n n e ) と呼んすいるが,このことは,これから区別されるかれの収益が投機的性格をもたな いことを意味しない。かれにおいては,広義における投機は企業および企業者の概念 e i t n e r,a . .a .0 . ,S, と不可分であれ企業活動は本質的に投機性をもっ。 (VgL L 2 5 7undW i r ' t s c h a f t s l e h r e .,S 2 5, , ) したがって企業の収益も必然的に投機性をも たざるをえない。 ゅ.
(11) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ライトブーの技術論的企業経済学. 505. ‑163ー. 等を含む。 にのような純利潤と純収益との区別についてここでとくに注意するべきこと は,純収益が企業の経済活動によって生み出された成果すなわち有機的利潤. ( o r g a n i s c h eGewinn) なし、し経営利潤 ( B e t r i e b s g e w i n n ) のみを含むことであ る。ライトアーにおいては,企業の経済活動とは国民経済的財の合理的生産を 意味するのであり,これこそ企業の収益追求を特質づける決定的要因である。 それは純収益を国民経済的ないし共同経済的有用性 ( v o l k s w i r t s c h a f t l i c h ebzw.. g e m e i n w i r t s c h a f t l i c h eN u t z l i c h k e i t ) に関係づけ,企業の経済性の尺度とす る4 それは企業の収益追求を金儲けから区別する要因であり,また国民経済的 財の合理的生産は資本主義経済体制のみならず柏会主義経済体制においても妥 当するがゆえに,企業の収益追求に超体制的性格を与える要因でもある。. IV 収益追求と企業者の私経済的利害. V e r m o g e n ) ライトアーによれば,企業は企業者によって形成され,企業の財産 ( として具体化す. Z L企業の財産は,一般に貸借対照表の借方に表される。この. L e i t e r )によっ℃生産目的 ( E r w e r b s z w e c k )のため 財産は,企業の管理者 ( に自己資本および他人資本によって独占得され,収益を求めて働く経営手段. (Bet d e b s m i t t el)である。この;場合企業の財産は,厳密にいえば,現に働きつ つあり収益を形成する財産部分のみならず,いまだ働かず収益に積極的に作用 するためには経済的変形を要するもの(貨幣とその代替物), もはや働かず収 益の源泉ではなくしばしば収益減少の源泉となるもの(例えば売上げ債権)お よび間接的にのみ生産に寄与するに過ぎない財産部分(例えば社宅)を含む。 ところで,以上の財産は,企業の経営手段ないし生産手段をその財産と呼ぶ. ( 1 5 ) Vg I .L e i t n e r,a .a .0 .,S S . 67,137‑138" ( 1 6 ) VgL L e i t n e r,a .a . .0 .,S .1 3 8 .. ただし,かれによれば,純収益は無条件に経済性とー致するわけではない。 (VgL. L e i t n e r,a .a "0 S . 151刷 ) 吋. ( 1 7 ) 本節におけるライトナーの所論は, 主としてっきrによる。 L e i t n e r, Privat‑ S . 31‑35,97‑99,230‑234,236‑238. w i r t s c h a f t s l e h r e,S.
(12) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑164.‑. 第5 4巻 第 2号. 506. とき,このすべてを尽さな L、。企業の財産には,さらにつぎのものが含まれな ければならない。その第 1は,賃借された機械,建物などである。これらは貸 借対照表上の財産ではないが企業の生産手段であり,収益源泉をなす。第 2は. S a c h v e r m o g e n )はラ生産経済的課題を遂 労働である。以上に述べた物的財産 ( 行するために企業者自らの労働および他人の労働と結合されなければならな い。労働は,収益経済的にみて企業にとって著しく重要であり,企業の財産の. 1部すなわち労働財産 ( A r b e i t s v e r m o g e n ) とみられなければならない。第 3 は,企業の名声,得;志先関係,製造上の秘密,良好な組織などである。これら. i d e e l l e s, は,企業の収益源泉の 1つであり,労働とともに理念的,無形的財産 ( i m m a t e r 恰l l e sVermogen)をなす。 以上を要するに,ライ fナーにおい℃は,企業の財産とは直接的および間接 的な収益源泉の全体を意味する。われわれは,これが企業者自らの労働および 他人の労働を含むことに注意しなければならない。このような企業財産の理解 から,. ライトアーの企業経済学は,後述するように労働の問題を取り上げるこ. とになる。 ライトナーによれば,企業の財産諸部分は企業者の創意(In i t i a t i v )によって. 1つの収益源泉になる。ここに企業者とは,第 1に自己資本の所有者であり, 乙のことによって生産手段を私法上および事実上支配し企業の権威ある長に な る と と も に , 第 2に企業の経済指導者 ( W i r t s c h a f t ョ f u h r e r ) として指導的. ( le i t e n d ) 企業者労働を提供し,これによって生産手段を私経済的利害におい. V e r w a l t u n g s a r b e i t )を て組織し,一般的業務原則を決定し,職員に管理労働 ( 行わせる。このような企業者の私経済的利害は,. n t e r n e h m e r・ 企業者所得 (U. einkommen) の追求にある。企業者所得は自己資本の所有に基づく資本利潤 (Ka p it a l g e w i n n ) と企業者L労働に基づく企業者賃金 (Un t e r n e h m e r l ' o h n ) とを 含み,これらは企業の収益から得られる。そこで,企業者の私経済的利害は企 業の収益追求として現れる。 さてここでわれわれが注意するべきことは,企業者所得がライトナーのいわ ゆる収益のみからなるわけではない聞ことである。それは,収益を超える利潤か.
(13) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ライトナーの技術論的企業経済学. 5 0 7. ‑165‑. らも構成される。ライトナーの L寸利沿うは,たしかにそのすべてが企業者所得 になるわけで句はない。例えば未実現の評価利潤は,企業者がその消費経済にお いて使用しうるものではない。だが,利潤を構成する要素のうち,企業の生産 活動と直接に関係せずしたがって収益とならないもののいくつかが企業者所得 となる。そこで,企業者の私経済的利害が企業者所得の追求にあるとすれば, 企業者所得となりうる利潤の全体が企業において追求されることになるであろ う。このとき,企業における企業者の目的したがって企業の目的は,このよう な利潤の追求に求められざるをえない。収益はこの利潤の 1部 を な す の で あ る 。 さて,ライトアーによれば,企業者は第 1に自己資本の所有者であり,第 2 に指導的企業者労働の提供者であった。この場合,自己資本の所有と企業者労 働の提供とは,向ーの人聞によって担当されるとともあれば,別々の人聞によ って担当されることもある。ライトアーによれば,これには法形態および事実 上の形成が決定的である。そして自己資本の所有と企業者労働の提供が別々の 人聞によって担当されるとき,企業者労働の提供者は自己資本の所有者の代理 人となる。すなわち前者は後者の利益において企業を運営するのである。 だが,自己資本の所有者の利害と企業者労働の提供者の利害とは必ずしも常 に一致するわけではない。ライトナーは,企業が貨幣を調達する諸源泉に関連 してつまのようにいろ。. r c過度に高い貸借対照表上の減価償却および公開およ. び秘密積立金の創設ならびにその他の貸借対照表政策上の手段による〉企業の 内的強化は,企業の継続的管理 C W e i t e r f u h r u n g ) の利益に反する流動手段の 著しい弱体化を妨げるべき「予防手段として役立つ。この手段は当然に利潤権利 者と業務管理者との利害対立をもたらさざるをえない。」 ここに利潤権利者とは自己資本の所有に基づき利潤の分配を要求する権利を もっ者を,業務管理者とは企業者労働の提供者を意味する。そしてまた,企業 の継続的管理とは,企業を持続的に発展させることを意味するであろう。すで. ( 1 8 ). L e i t n e r,a .a .0 s . .149 リ.
(14) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 166‑. に述べたよラ. : z. 5 0 8. 第5 4巻 第 2号. ライトアーにおいては企業経済学は企業者の立場を研究の立. 場として取るのであり, ここに企業者の立場とはできる限り高くかっ持続的な 収益を追求する立場を意味したのであるが,この立場は,自己資本の所有者と 企業者労働の提供者とが分離するとき,この 2者のうちの 1つの立場と必ずし も一致しないことが認められているのである。 ライトナーは..,企業形態と資本危険 (Kapit a l r i s i k o)との関係を述べる筒所 で,資本会社においては企業者労働の提供と自己資本の所有とが同一人によっ て担当されるわけではなしそのため,企業利害 (Geschaftsinter鈴田)と自己 (却). 資本所有者との利害の対立が存在しうると主張する。ここに企業利害とは,企 業の持続的収益追求を意味する。そこでライトナーにおいては,企業の私経済 学が自らのものとする企業者の立場とは,企業者労働の提供者と自己資本の所 有者とが同一人でない場合には,主として企業者労働の提供者の立場をなすと 解されていることが明らかである。そしてライトナーは,企業者労働の提供者 と自己資本の所有者とが同一人である場合には,おそらく企業者労働の提供者 としての企業者の立場こそが企業者の立場となり,企業を継続的に収益の追求 考えるのであろう。ただかれはこの場合,企業者労働の提供者 に向かわせると 2 の立場が企業者の立場をなす理由,およびそれが企業の継続的収益追求の立場ー をなす理由については,何ら説明すると乙ろがない。. V 企業経済学の諮問題 ライトナーが企業経済学において取り扱う諸問題は,その主著の第 5版にお いてより整備された形で呈示されている。そこでわれわれは,第 5版について これを説明しよう。 ( 1 9 ) 本稿第 I I I節を参照せよ。 ( 2 0 ) VgL FυLeitner,a . .a .0 .,S S . 158‑159 ( 2 1 ) なおわれわれは,ここで,ライトナーのいわゆる企業の収益ないし純収益について, これが単純に粗収益と費用との差としての収益額ではなく,自己資本に対するその比 .F . .L e i t n e r,a . .a .0 ., キを意味するように思われることを付け加えておこう。 (Vgl S S .1 5,178‑179,und W i r t s c h a f t s . l eh r ' eS 1 5 . ) 刷. . ,. 刷.
(15) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ライトナーの技術論的企業経済学. 5 0 9. ‑‑167ー. ライトナーは,企業経済学の諸問題を,1. 経済活動の基礎と成果, 2 . 企. . 組織と経済管理,の 3つに分けて論じる。第 1に経済活動の基礎と成 業 , 3 果においては,前者について,まず企業の経済活動の手段ないし生産手段とし ての財産.を収益追求目的のためのあらゆる物的,人的手段の経済的統一体,収 益源泉として把握し,これを分類する。っきに,企業の財産を賄うべき資本を 自己資本と他人資本とに分け C説明し,財産‑と資本との関係をとくに流動性に 留意して述べたあと,企業の財産のうちの労働を企業者の指導的労働,職員の 管理ュ労働,労務者および職員の執行労働に分け,大規模経営における労働の原 子化および機械的化,組織,賃金,労働財産の保全ならびに利用を説明し,加 えて費用要因としての時聞についてこの給付単位当りの節約,市場情況とりわ け景気についてこの費用および収益に対する影響,景気指標,企業の畏気対策 を述べ,最後に企業危険ないし資本危険と危険対策を説明する。経済活動の成 果については,費用の種類,その操業度との関係,その計算および節約,取引 およびこの諸関係値(回転率など〉に続いて,収益と利潤との相違,企業者所 得,収益と財産および資本の形成との関係,資本収益率を説明したのち,企業 に関する諸価値とその計算,価格形成,貨幣の窓味と諸種の支払い方法を述べ る 。 第 2に企業については,企業の諸 種 の 法 形 態 , そ の 経 済 型 な い し 結 合 形 態 A. (子会*.:1:,複数企業による共同企業,. コシヅヱノレン,. 企業者団体とりわけカノレ. アノレ等)および企業設立の形態を詳論し,設立に関連して立地,企業評価等を 説明し,管理の諸形態として所有者による管理,経営者による管理,破産にお けるおよび戦時経済の業務監督による強制管理,賃貸借,用益権などによる管 理,諸企業による全体的または部分的職能の共同管理をあげ,社会化の諸形態 を述べたのち,企業の解散を企業の法形態ごとに説明する。これらは,主とし て,企業の設立から解散に至る法的諸規定およびこれに関連する諸事項を述べ るものに他ならない。 ( 2 2 ) 以下,この 3つの問題に関するライトナーの論述は, J 順次,かれの『企業経済学』. ( 第 5版〉の第 I部,第 I I部および第 I I I部による。.
(16) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑168‑. 第5 4 巻 第 2号. 510. 第 3に組織と経済管理については,まず組織を最適給付達成のための人的お. よび物的生産手段の統一体ないし生産機構の形成とし℃把握し,製造業企業の 組織を規定する要因および業稜ごとの組織特性を説明し,組織の手段としての 測定について諸種の尺度をあげる。つぎに合理化を生産過程と流通過程の経済 性の向上として把え,生産技術,管理事務,銀行業務について例示し,財務な いし資本調達について自己資本と他人資本との調達,設備資本と運転資本との 調達,設立資本と補完および拡張資本との調達を区別し,資本需要および資本 充足を規定する要因,銀行と企業との関係,株式発行プレミアムの処理,新株 引受権および新株の価値を述べたあと,設備財産および取引に関する資本調達 の方法を述べ,貿易,新築,企業買収のための,および株式会社固有の資本調達 方法を例示し,財務との関連において企業の整理ないし再建の諾‑方法を説明す る。また,企業の計算制度を管理の手段として把え,簿記,原価計算,経済統 計の役割,短期損益計算の方法を説明する。最後に,企業者政策を利潤獲得闘 争において企業者が取る管浬施策の全体と規定し,これを価格政策,信用政策, 利子政策,財務政策について例示する。 このようにライトナーは,企業経済学の諸問題として企業の目的追求に関す る多様な事実を論述する。そこでは,企業の具体的行動に関わる諸技術,およ び企業が社会的存在であることから生じる企業に対する法律的,慣習的諸制約 が重要な役割を演じる。だがかれにおいては,これらの事実を関連させ秩序づ けるべき理論的枠組が必ずしも明確でなしそのため,かれの論述は 1つの体 系を構成するわけではない。かれの論述は,全体としてみれば,企業の目的追 求に関する諸知識のまとまりのない集合であるといわれぎるをえない。. VI ライトナーの所論の吟味 ライトナーは,企業を企業者の観点から研究し事実に関する知識を体系化ず る経験科学としての企業経済学を形成しようとする。この企業経済学におい. ( 2 3 ) VgLa u c hL e i t n e r,Renai s .s a n c e .,S .1 1,1 5,1 6 ゆ.
(17) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 5 1 1. ‑169ー. ライトナーの技術論的企業経済学. て , かれは知識のための知識ではなく実践のための知識を求める。すなわちか. l. れは企業の目的追求の手段?と関する知識を求めるのであり, その企業経済学を 経験科学としての政策論, しかも収益追求という企業の経済的目的を政策目的 とする経済政策論として形成しよろとする。 この意味において, かれの企業経 済学は技術論たるべく意図されるのである。 この場合,技術論としての企業経 済学は,経済から区別される技術を排除す困るものではない。むしろそれは,技 術を含みこれを統合する。 ライトナーの企業経済学は技術的可能性を収益に対 するその効果について吟味するのであり, 経済的観点からする経営遂行の学を j‑1. なすのである。 さて, このような企業経済学は,存在に関する理論的認識を排除するもので はなかった。 ライトアーによれば,技術論的企業経済学は,企業の収益追求の ための手段の究明において存在に関する認識を必要とし, 理論をその不可欠の. 号. liti‑‑. 部分とする。それのみではない。かれは,技術論的企業経済学を企業の一般的 事;象を扱う一般私経済学と企業の業種的特性を扱う特殊私経済学とに 2分し, 一般私経済学に対して存在に関する理論的認識の課題を,特殊私経済学に対し て実践的認識の課題を与えていた。そしてかれは,その主著『企業の私経済学」 ないし『企業経済学』をこのうちの一般私経済学の叙述に当てようとしたので ある。 だが, このように企業の一般的事象を扱う一般私経済学が存在に関する理論 的認識のみを論述すると解するライトナーの見解は,合理性をもつであろう か。企業の一般的事象の研究は,あるいは存在に関する認識をより多く含み, その特殊的事象の研究は存在当為に関する認識をより多く含むかも知れない。 しかし,一般的事象の研究が存在に関する理論的認識のみに限定されうるかは 疑問である。 われわれは, ライトナーの一般私経済学と特殊私経済学とへの企業経済学の 区分に対応して,存在当為に関する認識を 2つに分けるこ とがでさる。 1つは, μ. 業穏を問わず企業一般に妥当する存在当為の認識であり, いま 1つは, その妥 当性が業種的に制約される存在当為の認識である。前者は, 企業の業種的特性.
(18) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 第5 4 巻 第 2号. ‑170‑. 512. に関わりなく妥当するものであるから,企業の業種的特性を問題とする特殊私 経済学ではなく,むしろ一般私経済学において取り扱われるべきであろう。一 般私経済学がこのような存在当為に関する認識を排除するべき理由は存在しな い。同様に,存在に関する認識も一般的なものと特殊的なものとに昆分され え,このうちの後者は特殊私経済学に含まれるべきものと解されなければなら ない。 われわれのこのような理解は,ライトナー自身が一般私経済学と特殊私経済 学との区分に関する自らの主張を守っていないという事実によって 1つの裏づ けを得る。例えば,かれが『企業の私経済学 j ないし『企業経済学』において 財務の技術を述べるとき,かれの}般私経済学は,存在当為に関する実践的認、 識を含んでいるのである。 さて,ライトアーはその企業経済学を経験科学として形成しようとするので あるが,その際かれが経験的知識を獲得する源泉は企業に関する現実の諸資料 であり,これからかれは,企業の収益追求に関わる事実について,規則的なも の,典型的なものを取り出して提示しようとする。乙こにかれの用いる方法は, ( 2 4 ). すぐれて帰納的な方法である。 このようなライトナーの行き方は,乙/ュマ ーレシバッハの意図した行き方と l. 対照的であるの乙/ュマーレシバッハは,その共同経済的経済性を達成するため に,自ら,いまだ存在せざる諸手段を新たに開発し提示しようとした。そこで は一定の目的に対する合理的手段の思惟的展開が意図され,すぐれて演終的な 方法が用いられたのである。かれの学説はその政策目的の設定の仕方において 規範論的性格を有したのであるが,しかし,かれのこのような演終的方法自体 は経験科学的企業政策論においても用いられちる。ここで・は,企業の目的追求 のために,いまだ存在せざる手段を思惟的に提示しこの合理性を経験的に検討 することによって,企業経済学は豊かな内容を展開しうるのである。 だがこのような方法は,ライトナーが積極的に用いるものではな L、。かれば. ( 2 4 ) Vgl .L e i t n e r,Privafwirtschaffslehre.,5 "6.
(19) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 5 1 3. ライトナーの技術論的ヨ企業経済学. すでに存在する事実に固執し,. ‑171‑. ここから一般的に合理性をもっと思われる手段. を取り出そうとする。このような行き方を取ることによって,かれの企業経済 学は必然的に企業の実務においてすで・に行われていることがらに関する知識の 結合体となる。 それのみではなし、。ライトナーの企業経済学は,演緯的方法と結びっく理念 化 ( I d e a l i & i e r u n g ) 的方法を排除する。すなわちそれは,多様な現実のなかか ら特定の要因を意図的に取り出して明確なモデノレを構成し, これに関して諸手 段の合理性を検討するわけではない。このことは,企業の目的追求のために選 択されるべきまたは形成されるべき手段の論述において重大な問題を引き起こ す。この場合には,企業の目的追求に関連するさまざまの手段が,その目的合 理性についての,さらには目的達成における相互の関係につい℃の明確かつ厳 密な確認がなされないままに提示されるのである。 さてライトアーによれば,企業経済学は企業を企業者の収益追求の観点から 研究し,収益追求のための手段に関する知識を与えようとするのであるが, しかしこのことは,企業経済学が私経済的利己主義の学であることを意味しな い。かれによれば,収益は企業の経済活動すなわち国民経済的財の合理的生産ー によって生み出される成果であり,したがってこの成果の追求は,国民経済的 財の合理的生産を意味する。そこで,この成果の追求に泰仕する企業経済学は, 金儲け論ではなく企業の合理化による国民経済の合理化の学である。それのみ ではない。かれによれば,収益追求ないし国民経済的財の合理的生産は資本主 義経済体制のみならず社会主義経済体制においても存在する問題であるがゆえ. に,これを扱う企業経済学は超体制的性格をもつのである。 ライトナーのこのような主張は,われわれの承認しうるものではない。われ われは第 1に,純収益を追求する企業の活動がはたして金儲けから区別されう. ( 2 5 ) VgL L e i t n e r,a .a .0 .,8 1 2 6 . また,とれに関連して,かれが限界効用理論および数学的方法を排除しようとして いることに,われわれは注意するべきである。 (VgLL e i t n e r,R e n a is . s a n c e ., 8 8 .1 7, 22‑23.).
(20) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑172‑. 第5 4 巻 第 2号. 5 1 4. るかを問わなければならない。ライトナーにおいては,純収益は貨幣的収益で あり,したがってこの追求は,貨幣を獲得させる点においては金儲けから区別 されえない。それにも拘わらずかれが収益追求を金儲けから区別することの志 味は,収益追求においては,このような貨幣の獲得が金儲けという利己主義的 動機によって行われるわけではないところに求められなければならない。そし てこの場合,利己主義的動機に代って企業者の動機となるものは,国民経済的 財の合理的生産以外にありえない。 だが,われわれがすでに明らかにしたよろに,ライトグーにおいては,企業 の収益追求は企業者の所得追求の 1部としてなされる。したがってそれは,企 業者の金儲けの 1部としてなされることが注意されなければならない。たしか に企業者は,貨幣的成果を追求する過程において,国民経済的財を合理的に生 産しようとし, このためにさまざまな専門的努力を行う。だが,このような生 産は,それ自体が企業者の動機をなすわけではない。資本主義経済体制におい ては,むしろ企業におけるこのような生産が,自己の貨幣的成果を追求しよう とする企業者の利己主義的動機によって行われるのである。 このように企業の生産活動が企業者の利己主義的動機によって行われること は,ライトナ一自身認めている。かれはいう。「個別経済的生産経済における ( 2 6 ). 行為の動機は,常に 収益経済的利己主義である。」さらにいう。「乙/ューア(商 l. 業経営論,第 3版 , 1 918 年〉のように商業の利潤目的 ( G e w i n n a b s i c h t ) を概 念形成において排除しようとする者は,原因と結果とを取り違えている。商 人,生産者,問屋などの私経済的動因 (Beweggrund) は,営利 (Erwerb) 追 求,利潤追求である。この個別経済的行為の技術的遂行に,供給,在庫の社会 経済的作用,収集的および分配的作用および他の『諸理想』が結びついてい る 。 」 ライトナーの企業経済学は,かれの主張にも拘わらず一種の金儲け論である といわれざるをえな¥、。ただこのように解する場合,われわれはそれが企業の. ( 2 6 ) F" L e i t n e r,P r ' i v a t w i r t s c h a j t s l e h r e ", S "1 2 7, ( 2 7 ) F .L e i t n e r,a,a "0 .,Sυ258 刷.
(21) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ライトナーの技術論的 1企業経済学. 5 1 5. ‑173‑. 利潤追求を国民経済的財の合理的生産に関連する限りにおいて}問題にしようと することを看過しえない。こにでわれわれは,企業の利潤追求を 2つに分ける べきであろう。 1つは国民経済的財の合理的生産に関わる利潤追求すなわちラ イトナーのいう収益追求であり,他の 1つはそのような生産に関わらない利潤 追求である。このうちの前者は,企業における利潤追求の重要部分をなすとい うことがでまる。そして,この部分に焦点を合わせて企業の活動を研究しよう とする行き方が 1つの行き方であることは認められなければならない。だがこ の場合にも,われわれは,国民経済的財の合理的生産の意味が必ずしも明確で はなしそのため利潤追求に関する 2つの区分を維持することには大ぎな困難 が伴うことを忘れてはならなし、。 第 2に問うべきことは,企業の収益追求が超体制的性格をもち,. これを扱う. 企業経済学が超体制的学問たりうるかである。企業の収益追求は,資本主義経 済体制?とおいては,すでに明らかなよろに,貨幣的成果を目的とする企業活動 の 1つである。ここでは財の生産は,常にこの目的によって規定されている。 これに対して社会主義経済体制すなわちライトナーのいわゆる共同経済的経済 体制においては,かれによれば,企業の生産活動は貨幣的成果という目的によ って規定されているわけではない。ここでは,企業の生産活動はこのような目 的とは別個の目的によって規定される。このように 2つの経済体制における企 業の目的が異なるとさ,企業の生産活動のあり方はそれぞれの経済体制におい て異ならざるをえず,したがって一律に取り扱われえない。われわれは,それ ぞれの経済体制における企業の生産活動を区別して研究することを必要とす る。と とでわれわれが注意するべきことは,ライ fナー自身がその企業経済学 t. において,企業の収益追求を両経済体制に共通のものとして実際に提示しえて いるわけではないことである。かれが実際に扱っているものはあくまでも資本 主義企業の収益追求活動であり,社会主義企業は,これとの関連が不明確なま まに,企業の社会化の諸形態に関して,例外的に付言されているに過ぎない。 ( 2 8 ) Vgl .L e i t n e r,a "a 0 .,S S . 232‑235. ぃ.
(22) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑174‑. 第5 4 巻 第 2号. 516. V I I 結 ライトナーは,その著書『企業の私経済学 Jまたは:. r 企業経済学 Jにおいて 経験科学とし℃の企業経済政策論を提唱する。それは,企業者の立場から企業 を考察し,収益追求のための手段を提示しようとするものである。とのような 手段の研究において,かれは企業の具体的活動に関わる技術を排除しない。む しろかれは技術的可能性を収益に対する効果について吟味する。それのみでは ない。かれは企業が社会的存在であることから生じる企業に対する法律的,慣 習的諸制約をも重視する. J. かれが意図するのは,まさに企業に関する包括的論. 述である。ただ,その論述において,ライトアーはすでに存在する諸手段をそ の目的合理性および相互関係に関する厳密な解明をしないままに収集し,これ を秩序づけるべき明確な理論的枠組を欠くままに提示する。この場合,諸手段 の目的合理性を解明しこれを秩序づけるためには,まず目的自体が合理的に規 定されなければならないのであるが,ライトアーにおいてはこのような目的と しての収益追求は,とりわけこの設定者である企業者の利害との明確な関連を 欠くままに提示されていたのである。このことに関連してわれわれは,ライト ナーが企業の収益追求およびこれを研究する企業経済学を企業者の利己主義的 動機と無関係で超体制的性格をもつものとして理解しようとしたことに注意し なければならない。ライトナーは企業経済学が企業に対してよりも一般に対し て奉仕することを望むのであり,このような願望の不用意な混入こそ,かれの 企業経済学の政策目的と企業者の利害との関連の徹底的な解明を妨げただけで なく,かれの企業経済学が企業者の利己主義的動機と無関係で超体制的性格を もっとする主張を生じさせることにもなったのである。この点において,かれ の企業経済学は経験科学的企業経済政策論としての徹底性を欠いている。. ( 2 9 ) VgL L e i t n e r,R e n a i s s a n c e .,S S . 27‑28..
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