地震保険における国の 公的 役割
自助 と 公助 の論理
大 塚 英 明
■アブストラクト
雲仙岳噴火,阪神淡路大震災など比較的最近の巨大災害以降,とくに憲法 上の論議として,私的財産への公的補償の根拠が問題としてクローズアップ されてきている。原則として,私的財産には自己責任主義が徹底されるから,
国がその損害を補償する場面はごく限られている。とくに自然災害による損 害の場合,現行憲法には直接的にそれによる個人財産損害の公的補償を基礎 づける規定はない。それにもかかわらず被災者救済の見地から,住宅再建な どにおいて公的支援を実施しようとするとき,これをどのように根拠づける か。それが憲法論議の難題の一つとなる。これに対して,地震保険における 国の再保険事業については制度創設時から所与の仕組みとして,ある意味で 安直に認知されてきた。地震保険が 私保険 として把握されるため,この 再保険には 公的 給付としての認識が完全に欠如してきたように思われる。
その点を疑問視し,再検討の必要性を提言する。
■キーワード
公共の福祉,被災者生活再建支援法,地震保険
1 はじめに
地震保険はいわゆる 自助 に属する。地震という脅威から個人財産を防
*平成24年3月10日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成24年11月14日原稿受領。
衛するための方策は,現在のわが国ではこの自助によって達成するのが原則 である。逆にいえば,たとえ災害に起因する損害であっても,私有財産に関 する自己責任主義からすれば,公的な救済が当然になされると期待すること はできない。むしろ 公助 は,極めて抑制的にしか発動されない。
ところが,地震保険における国の再保険は,同保険の草創期からシステマ ティックに制度に組み込まれ,現在でも当然の仕組みとして受容されている。
これには, 再保険 としてである,あるいは ソルベンシー補強 にすぎ ないなど,様々な特例性が備わることは確かだが,根源的には地震保険とい う個人財産への補償に国が関与していることにはならないのだろうか。仮に そうだとすれば,地震再保険への国の関わり方は,とても 抑制的 とはい えない。一方で,個人財産補償への公助のあり方については厳格な憲法解釈 が展開され,実際にも極めて抑制的な制度しか存在しない。それにもかかわ らず,他方で,国の地震再保険は公然とかつ大規模に個人財産補償に踏み込 んでいることになる。
地震保険の改善策として普及率の向上や支払保険金の引き上げなどが論じ られることはあっても,これまで国の再保険というシステムそのものの正当 性・合理性についての理論的分析は行われてこなかった。本稿は,あえてこ の点をとりあげ,地震保険の構造的再検証の端緒を開こうとするものである。
以下,まず第一に,国による個人財産の補償に関する厳格な憲法理論そのも のと,第二にその憲法論議に沿って実現されてきた抑制的な制度を概観する。
そして第三に,それらを踏まえた上で,地震保険における国の再保険の本質 について若干の検討を加えたいと思う。
2 災害に起因する個人財産の損害と公的補償
⑴ 原因を問わない個人財産の補償と過失責任主義
西島梅治博士は, 補償 という概念について次のように述べておられる。
そもそも補償の原点に立ち帰って考察すれば,事故原因や帰責事由のい
かんによって救済の有無や程度に差を設けることの当否が問題である。事故 死と病死との区別,労働災害と交通事故との区別,天災に起因する死亡・病 気,障害とそれ以外の原因によるものとの区別,人間の行動が介在し有責な 加害者がいるか否かの区別などは,将来における事故の態様に応じた事故の 防止軽減策を樹立するためには是非とも必要なデータであるが,しかし,現 に出現してしまった被害者救済の角度から見ると全く合理性のない区別であ る。加害者が発見できるか否か,その加害者が有責であるか否かは,同じ結 果が生じている被害者の救済の必要性からいえば,どうでもよいことである。
…にもかかわらず,原因いかんにより救済したりしなかったり,また加害者 側の有責性の有無により救済の範囲に差を設けることは,被害者の公平な救 済という正義の原則に反することであり,このような差別を十分に正当化す るわけにはいかない 。
これによればあらゆる場面において 被害者の救済 という側面が最優先 される。例えば大規模災害における被災者の財産的損害の補償についても,
一方の理論として成り立つ考え方であろう。
しかしながら,被災者の救済を法律上の過失責任主義を支柱として理論構 成しようとすれば,その要請を実現することは極めて困難である。とりわけ 民法的な論理を当てはめようとするとき,救済の必要性の側だけから論を進 めることにはかなり無理がある。民法の不法行為理論は,絶対的に有責者の 存在とその賠償能力を被害者救済の前提としているからである。もし被災者 救済を必ず達成しなければならないとすれば,いわば偶然の事情であるこれ ら二つの前提は,まさに救済を阻害する方向に作用してしまう。その意味で,
不法行為論に基づく被災者財産損害の補償は,上に引用した西島説のまさに アンチテーゼとなってしまうのである。
⑵ 公法上の国の 賠償・補償責任
それでは,既存の公法的な法律システムに基づき被災者の財産的損害の補 1) 西島梅治 賠償と保険・補償 基本法学5責任 344‑345(岩波,1984年)。
償を考察する場合はどうか。西島説が法的な補償論に関するいわば 一般的 提言 として述べられたのに対して,工藤達朗教授は阪神・淡路大震災直後 にその被災者の財産的損害を強く意識した上で,次のように指摘されている。
まず憲法17条の国の賠償責任構成について, 国家には自然災害のもたらす 危険を防止するために何らかの措置を講じる義務がある,と抽象的にはいえ るだろう。例えば河川の氾濫を防ぐための堤防の建設などが実際に行われて いる。しかし,国家が大雨が降らないようにすることはできないから,通常 予測される程度の雨量に対して安全性を備えさせる義務を負うにとどまる。
通常予測される程度(本当はこれが大問題なのだが)を越した雨量のため水 害が発生した場合には 予見可能性 がないから公務員には 故意又は過 失 (国家賠償法1条1項)がなく,したがって 不法行為 とはいえない から,国に賠償責任はないことになる 。結局のところ憲法17条の構造も 民法の不法行為となんら相違せず,ただ論点が 加害者 として国を 有 責 にできるのかどうかという点に収斂したにすぎない。だとすれば,憲法 17条による国家賠償は,やはり西島説の対極にあるものと位置づけなければ ならない。とくに大震災の場合には, 地震の専門家の間では 可能性 が 示唆されていたかもしれない…。しかし専門家の指摘する可能性は,日本の ほとんどの地域に当てはまるから,国家が何らかの行動を義務づけられるほ ど具体的であったということは難しい。つまり, 予見可能性 がなかった ということであるから…国家賠償により財産上の被害を回復することはでき ない 。たとえ仮に国家賠償システムが大震災に適用されるとしても,そ もそも故意・過失の要件を満たすことはおおよそあり得ない。したがって,
国家賠償のシステムは,理論的にはもちろん,現実的な被災者財産権の補償 策としても適切ではない。
次に,憲法29条3項の 損失補償 の可能性についても工藤教授は検討す る。同条を論じる場合,その法構造を正確に知っておく必要がある。そもそ
2) 工藤達朗 大震災と財産権保障 法学教室189号29頁(有斐閣,1996年)。
3) 工藤・同所。
も同条1項には 財産権は,これを侵してはならない と規定されている。
私有財産の大原則を定める同項は,いかなる財産的侵害も許されないという 絶対的テーゼを明言する。そしてこのテーゼは, 私有財産性を前提とする 日本国憲法の下では,自然災害による個人の財産権被害に対する個人補償は 行われるべきではなく,私的財産自己責任の原則・自助努力による回復が原 則である という命題とも表裏の関係に立つ 。つまり,私有財産はマイナ スを受けない代わりにプラスも得られないという関係である。ただ,財産権 は強度の社会的拘束を受けるものであり,国家は正当な目的を追求するうえ で必要な場合には,財産権に強度の政策的制限を加え,あるいは剥奪するこ とも認められる。そのことを確認するのが同条2項の 財産権の内容は,公 共の福祉に適合するやうに,法律でこれを定める という規定である。そし て, すべての権利者に一般的な,社会的共同生活を営む上で不可欠の制限 を加える場合には補償は不要であり,これに対して特定の権利者に対して偶 然的に,財産権の剥奪ないしはそれに準ずる制限を加える場合には,財産権 の保障と平等原則の観点から補償が必要だとされる。というのは,特定の 人々の財産を犠牲にして他の多くの人々が利益を受けるという関係にあるか らである 。この 公共の利益 と 補償 の関係を明言したのが,同条 3項の 私有財産は,正当な補償の下に,これを公共のために用ひることが できる という部分である。
それではこのような構図からは,大災害の場合の被災者の財産的損害につ いてはどのように捉えられるのか。憲法29条3項が予定するのは 国家の行 為によって財産上の損失を被った場合であ り, 自然災害は国家行為に起 因するものではない 。たとえ公共のために用いるという要件を広く社会全 体の利益という意味に拡張して解釈しようとも, 国家と無関係な被害にま で拡張することはできない 。 被害にあった人の財産は他の人々に対して何
4) 山崎栄一 被災者支援の憲法政策 六甲台論集法学政治学篇 48巻1号107頁
(神戸大学,2001年)。
5) 工藤・前掲注2,29頁。
の利益も与えていないのだから,他の人々が負担を公平に分け合うという関 係にはな い 。こうして工藤教授は,29条3項による被災者の財産権補償 を否定される。したがって,財産権補償を明言する29条3項もまた,西島説 を実現するための論理として採用することはできない。
⑶ 公的補償の正当な根拠
以上のように,憲法17条の国家賠償および同29条3項の財産権の損失補償 の理論は,自然災害に起因する個人の財産的損害を補償する積極的な背景と はならない。それにもかかわらず, 本当に困っている人を適切に救済する システム が不要であろうはずはない。大災害に起因する個人財産と関連し て,国が一切の 給付 を行ってはならないという結論が必然であるわけで はない。 公的支援は憲法上禁止されていないと解すべきである 。
この関係を整理するためには,まず被災者の財産的損害に対する国の関与 の形を正確に分類する必要がある。山崎准教授は, 個人補償 という曖昧 な呼び名で対象とされてきた救済措置の範囲を,三つに区分けし直す 。第 一に 憲法上の国家補償(国家賠償ならびに損失補償) の意味で用いられ る場合,すでに述べてきたとおり,国家はこれらの形での救済を一切行う義 務はない。したがって,損害を被った側からの国に対する当然の権利として の, 損害賠償請求権 および 私的財産損失補償請求権 は否定される。
第二に,憲法17条および29条3項を離れ,災害による個人財産権の補償を 自然災害によって喪失した私有財産の補填を目的とする給付 と捉えた場 合にはどうか。これもまたすでに見たとおり,私有財産制度を前提とするわ が国の憲法の理念の下では当然には認められない。
これらに対し,山崎准教授は,第三に 私有財産に被害を受けた個人に対
6) 工藤・前掲注2,30頁。
7) 工藤達朗 自然災害からの保護を求める憲法上の権利 公法研究61巻211頁
(有斐閣,1999年)。
8) 山崎・前掲注4,108頁脚注23。
する給付一般 という意味の 補償 を想定する。後述する被災者生活再建 支援法の制定過程で,政府がとくに固執した考え方,すなわち私有財産制を 前提とする日本国憲法の下では自然災害による個人の財産権被害に対しても 個人補償 は行われるべきではなく,私的財産の自己責任原則から自助努 力によってそうした被害が回復されるべきという見解は,上の第一および第 二の概念を強く意識したものである。そのため, 個人補償というキーワー ドは,公的資金の投入そのものを拒否するための口実として逆に政府…に利 用されてしまった 。しかしながら,第三の概念から第一および第二の部 分を差し引いた残りについては,たとえ私有財産が被った損害であっても,
公的な支援を考えることが必ずしも不適切とは限らない。
この第三の公的支援の法的な根拠について,まず指摘されるのは憲法25条 である。すなわち, 被災者への支援は…国家起因性の被害ではないから,
国家賠償でも,損失補償でもなく,社会国家の原理に基づく支援である。し たがって,生じた損失を補填するのではなく,自力で生活しにくい者の生活 を困った程度に応じて保障するという発想に基づくべきである。国家はこれ を政策目標とすべきで,それは憲法の社会国家原理からでてくるというべき である 。憲法25条はすべての国民に, 健康で文化的な最低限度の生活を 営む権利 を保障している。そのために国は 社会福祉,社会保障及び公衆 衛生の向上及び増進に努めなければならない から,具体的な内容の公的支 援が行われてしかるべきである。確かに大規模災害時に同条に基づいて金銭 給付が行われるとすれば,それは,憲法25条に基づく典型的な給付である例 えば生活保護とは異なる。所得・資産や稼得能力を考慮した上での 最低限 度の生活を営む ための給付ではないからである。その意味でこの種の給付 は, 生活保護の原理ではなく,生活再建支援として理論構成 される 。
9) 山崎・前掲注4,108頁。
10) 阿部泰隆 大震災対策における(憲)法解釈と法政策 公法研究61巻152頁
(有斐閣,1999年)。
11) 阿部・前掲注10,155頁。
伝統的な25条解釈からすると多少の違和感があることは否めないであろう。
だからといって,この種の給付がいわゆる 個人補償 に該当するわけでも ない。 その憲法上の根拠は損失補償ではなく,社会保障であ り, したが って,その守備範囲は,失ったものの補償ではなく,立ち上がりの支援であ る 。それゆえ,たとえ広い意味で個人の私有財産の損害を実質的に補う こととなっても,それは私有財産の自助的救済の大原則に反するものとはい えない。
⑷ 憲法論議の深化
もっとも,この考え方をベースにして公的給付を生活再建支援として構成 しても,大きな問題が残る。すなわち,そうした支援について 憲法から直 接に請求権が出てくるわけではな く, 施策を工夫するときにはこのよう な憲法的視点が必要 となるにすぎない。要するに,憲法25条の理念は,
大規模災害により財産的損害を被った被災者に当然の請求権を付与するほど 強固なものではなく,あくまでこの問題についての政策を方向付ける背景に すぎない。結局のところ, 生存権は 健康で文化的な最低限度の生活 の 保障であり,それを超えて被災者を特別扱いするものではない 。そのた め憲法25条は少なくともこれのみでは, 法的根拠 を提供するほど堅固な 拠り所とはならない。
そこで,現行憲法各条の 解釈論 としてではなく,憲法の 前提 とし ての本質にまで遡る根拠づけが試みられている。すなわち, 国家が目標や 課題を設定し,その達成ないし解決を意欲するのは憲法の対象ではなく,憲 法の前提である。…しかしながら,以上をもって,憲法から震災に関するい かなる国家の責務も取り出せないと結論づけるべきではない 。そこに登
12) 阿部・同所。
13) 阿部・同所。
14) 小山剛 震災による財産被害と個人補償―自己決定の国の防災義務― 法学 セミナー503号67頁(日本評論社,1996年)。
15) 小山剛 震災と国家の責務 公法研究61号196頁。
場するのが,国家の 基本的保護義務 という考え方である。
この点,最も過激とも言える主張は次のように論理を展開する。 ここに 憲法に掲げる 人類普遍の原理 の初心に立ち返って国家理論の再検討から 始めるべき根拠がある。…この考え方によれば, 市民社会 がその構成員
(市民)に自然的社会的脅威からの防衛に失敗した場合,その構成員が立ち 直って他の構成員に伍して行けるスタートラインに立てるために援助を行う べく,その共同事務の遂行機関たる政府が責務を負うことはごく自然に導か れるのである。これが 文明 状態の条件でなくして,市民はその属する
市民社会 からどんな恵沢を期待できるのであろうか? 。
つまり,近代国家は,個人が 自然権 を強固にするためにこそ社会契約 を結んで形成するものである。したがって,市民はいかなる場合でも自然権 の保護を国に対して主張できる。そして,公権力の行使の結果 加害者 と なった場合のみならず,自然権の保護者としての作為義務に違反した場合で も,その不作為について当然に責任を負わなければならないことになる。
ところが,この極論に対しては重大な疑問が呈されている。 自然災害も この理論でカバーできる侵害なのであろうか。…内乱…の制度的克服として の近代国家という出発点からすれば,国家の暴力独占と私人の自力救済の禁 止が,国家の基本的保護義務の前提となる。自力救済禁止の原則と何の関係 もない事柄を保護義務で説明することは困難であろう。もちろん,自然災害 からの共同防衛を目的として組織された国家を観念できないわけではないが,
それが近代国家の典型例とはいい難い 。
市民の 自然権保護 といっても,国家形成の過程からすれば,それはあ くまで違法な第三者からの侵害を前提とするものであった 。それに対して,
自然現象は,侵害第三者にはなり得ない。 自然を名宛人とした基本権とい
16) 池田恒男 震災対策・復興法制の展開軸と震災法学の課題・6完 法律時報 70巻8号67頁(日本評論社,1998年)。
17) 工藤・前掲注7,213頁。
18) 小山・前掲注14,67頁。
うものは存在しないのだから,自然災害からの保護を 基本権 保護義務論 でカバーするのは 少なくとも直接的には無理であろう 。
とはいえ,国家の基本的保護義務に遡った考え方は,災害時の国家の給付 を裏付けるための論理としては多分に魅力的にうつる。 国民が要保護状態 にある場合,原因の違いによって国家が保護したりしなかったりするのは,
被害者救済の観点からすれば,明らかに不合理である 。そこで,上記の 極論を修正し,より受け容れやすい形に修正する見解が唱えられている。
基本的人権の制限が公共の福祉を根拠にするものならば,基本的人権の保 護も公共の福祉に基づく。公共の福祉の概念は,自由を限界づけ,保護する 任務を国家に課しているのである。また,公共の福祉は,人権制約を許容す る消極的原理にとどまるものではなく,国家の介入を義務づける積極的原理 でもある。基本的人権の尊重=不作為にとどまらず,保護=作為も含むから である。基本的人権の実現…が公共の福祉である。したがって,公共の福祉 から国家の基本的保護義務を導き出すことが可能であろう 。
すでに述べたように,憲法29条2項および3項をそのままの形で読むとき,
公共の福祉とはむしろ財産権の軋轢を調整するための手段として登場してい る。公共の福祉のために財産的な基本権を制約される者には,そにれよる財 産権の損害を補償することによって,バランスを保つことを図った。しかし 上の見解は,財産的な基本権の制約という消極的な部分だけではなく,より 広範に基本権の積極的実現の背景として,公共の福祉をクローズアップしよ うとした。この結果,必ずしも侵害第三者が存在しなくても,国家の基本権 保護義務を抽出することが可能となり,ひいては保護義務違反=補償という 理論構成に繫げていく道が開ける 。
19) 工藤・前掲注7,213頁。
20) 工藤・前掲注7,214頁。
21) 工藤・同所。
22) 工藤教授は, 国民の安全を自然災害から保護する義務が国家にはある,そ れを公共の福祉から導出できるとして,日本国憲法上,この義務に対応した保 護を求める国民の権利を承認すべきであろうか という問題を提起される。す
以上見てきたとおり,確かに現時点での憲法論議は,大規模災害による被 災者の財産的補償を憲法的視点から正当化する可能性を開いた。しかしなが ら,背景理論の構成には,ひとくちでいえば,容易ならざる努力が必要とな る。そのため,背景論理そのものもまた,複雑・難解化することを免れない。
3 被災者生活再建支援法の 実験
⑴ 生活再建支援 と 住宅再建支援
実はわが国では,阪神・淡路大震災の後,上述してきたような理論的試行 がまさに実地検証された経緯がある。
1998年5月15日,被災者生活再建支援法が制定された。当初この法律に基 づいて支給されるのは,あくまで被災者の生活の安定を図るための支援金で あった。 生活再建支援 という名前の由来するところである。その点は,
同法の審議過程で, 個人の財産に対して,その財産の被害を国が補償をす るという考え方には基本的に立ってはおらず,その点は従来とまったく変わ ることはない という政府の見解が明言されている。国会審議の課程では 原案の提案者サイドからさえ, 個人補償ではなく,社会保障的な考え方に より,生活再建を支援するための見舞金である という見解が述べられたほ どである 。
しかし,特筆すべきは制定当時の同法の附則2条である。すなわち, 自 然災害により住宅が全半壊した世帯に対する住宅再建支援のあり方について は,総合的な見地から検討を行うものとし,そのために必要な措置が講ぜら れるものとする という規定である。同法の審議過程で,住宅という個人財
なわち,国の保護義務違反から,当然に国民が補償請求権を取得するかが問題 となる。教授は,国家に対する 防禦権 としての自由権をイメージされ,具 体的補償請求への道をさらに平滑にしようとされている。工藤・前掲注7,215 頁。
23) 木寿明 被災者の生活再建支援をめぐる論議と立法の経緯 レファレンス 682号43頁参照(国会図書館,2007年)。
24) 第142回国会参議院災害対策特別委員会会議録5号1〜6頁(1998年)。
産の補償が重大な争点となったが,その解決が見られないまま,将来的な検 討課題として残されたのである。そして,同法可決時の附帯決議で, この 法律の施行後五年を目途として,この法律の施行状況を勘案し,総合的な検 討を加え,その結果に基づいて必要な措置を講ずること とされた。
同法に内包される様々な問題の中でも,上述附則にいう 住宅再建支援 は優先的課題の一つと認識され,さっそく国土庁に 被災者の住宅再建支援 の在り方に関する検討委員会 が設置された。2000年,同委員会は報告書を 公表したが,そこには住宅再建についてかなり積極的な見解が提示されてい る。すなわち,まず同委員会は, 住宅は単体としては個人資産であるが,
阪神・淡路大震災のように大量な住宅が広域にわたって倒壊した場合には,
地域社会の復興と深く結びついているため,地域にとってはある種の公共性 を有しているものと考えられる。 という基本認識を出発点に置いた。そし てさらに, 被災に伴う住居の再建・確保のための公的支援の原資は国民の 税に他ならず,国民がその個別の意思に関わりなく義務として納付したもの である。しかしながら,大規模災害時の住宅再建の支援は,対象となる行為 そのものに公共の利益が認められること,あるいはその状況を放置すること により社会の安定の維持に著しい支障を生じるなどの公益が明確に認められ るため,その限りにおいて公的支援を行うことが妥当である と言い切っ ている。確かに,この委員会の報告書は総花的な性格を持ち,住宅再建につ いてもあらゆる視角から問題を総ざらいしている。この 住宅再建の公共 性 は,その中での一つの言及である。しかしそのことを差し引いても,そ れまで頑なに個人財産権の公的補償を否定してきた政府見解からすれば,か なり踏み込んだ報告書であることは確かである。
2002年7月には中央防災会議・防災基本計画専門調査会が 防災体制の強 化に関する提言 を行った。その中で上記の 在り方 委員会の報告を受け
25) 被災者の住宅再建支援の在り方に関する検討委員会 報告書(内閣府,
2000年12月4日)
(
http:
//www.bousai.go.jp/ oshirase
/h
13/130126chubo
/shiryo5 .html
)る形で,この提言では次のように述べられている。 安定した居住の確保に ついては,被災者の生活再建を支援する上で最重要課題の一つである。しか し,私有財産である個人の住宅が全半壊した場合に,その財産の損失補てん を公費で行うことは,持家世帯と借家世帯との公平性が確保されるか,自助 努力で財産の保全を図る意欲を阻害しないかなどの問題がある。これに対す る備えとしては,地震保険や共済制度への加入により対処することが基本で ある 。この部分は明らかに, 在り方 委員会の方針が拡大解釈されるこ とを警戒する内容であろう。財産として捉えた場合の住宅について,基本的 に中央防災会議は,その損害を公的に補填することには,従来述べられてき たような諸理由から反対の姿勢を採用している。
しかしながら,この提言は次のように続く。すなわち 行政としては,被 災者の生活再建を支援するという観点から,住宅の所有・非所有に関わらず,
真に支援が必要な者に対し,住宅の再建・補修,賃貸住宅への入居等に係る 負担軽減などを含めた総合的な居住確保を支援していくことが重要である。
国は,都道府県や関係機関と調整の上,生活の再建にあたって必要となる家 財道具の調達等に対する現行の支援に加えて,安定した居住の確保のための 支援策を講じるべきである 。
すでに憲法論議の経緯で見たとおり, 公共の福祉 という捉え方による 個人財産の公的補填は,理論的に容易に抽出できるものではない。私有財産 は自己責任に帰すべきという理念が高くかつ堅く立ちはだかっている。しか し,それにもかかわらず, 在り方 委員会の報告でも触れられたとおり,
公共性 は一般に最も同意を得やすい公的補填の根拠ともなる。このせめ ぎ合いの中で,上の中央防災会議の提言は,苦肉の策として 住宅の再建・
補修,賃貸住宅への入居等に係る負担軽減などを含めた総合的な居住確保 という,ある程度具体的な表現を初めて用いた。このことは,後の被災者生
26) 中央防災会議 防災体制の強化に関する提言 17頁(2002年,http://
www.
bousai.go.jp/ kaigi
/chousa
/kisya
/020702kisya.pdf
)。2 ) 中央防災会議提言・同所。
活再建支援法の改正に大きく影響したといわれる 。
⑵ 法改正
もっとも,上の中央防災会議の提言で言及されていた, 住宅の再建・補 修 のための給付は,平成16年の同法改正では見送られた。 建築費・補修 費が外されたことによって,その被災者支援の実効性が著しく減殺されるこ とは明らか で, この程度の内容にとどまらざるをえなかった改正支援法 の制定過程からしても,住宅再建支援において公費を投入する公費方式(公 助)には限界があ るなどと評され,大きな失望感が漂ったのである。
ただ,家賃や移転費など 居住安定支援 までの給付にとどめた改正内容 は,逆に 住宅再建支援 の必要性を強く意識させる結果となった。改正後 の給付内容を,ある種の詭弁と捉える見方が広がったのである。日弁連は,
実際,〔改正〕被災者生活再建支援法は,家財道具等の購入や,住宅ローン の利子補給などの支出は認めており,私的財産形成への公費援助は一定の範 囲で既に実施されているのであるから,住宅本体にのみ支出できない,とい うのは理論的にも一貫しない と強く批判した。そのため政府も平成19年 改正をもってようやく,住宅再建・補修のための給付を認めるにいたった。
現行の基礎支援金(全壊・解体・長期避難100万,大規模半壊50万)および加 算支援金(建設・購入200万,補修100万,賃借50万)は,お世辞にも十分な 金額とはいえない。しかし,この最低限の 住宅再建支援 でさえ,上述し てきたような紆余曲折を経たうえで絞り出された給付内容なのである。
28) 福崎博孝 自然災害の被災者救済とわが国の法制度−被災者生活再建支援法 の成立ちを中心として− 予防時報220号62‑63頁(日本損害保険協会,2005 年)。
29) 福崎・前掲注28,63頁。
30) 日本弁護士連合会 被災者生活再建支援法改正についての意見書 (2007年 6月14日)(
http:
//www.nichibenren.or.jp/ library
/ja/ opinion/ report/ data/
070614 5
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4 国による地震再保険の引受
⑴ 特別会計による再保険引受という特性
さて,個人財産とりわけ住宅の罹災損害に対する公的補償については,理 論的にも実務的にもかなりの紆余曲折が伴ってきた。その経緯を延々論じて きたが,それはもっぱらこれから論じる本稿の核心部分との比較基準として 用いたいからである。これまで,国が地震保険の再保険者として関与するこ との正当性・合理性については,必ずしも十分な論議はなされてこなかった。
おそらくは, 地震保険は本来政府主導によって創設され,損害保険業界 との合意をとりつけて実施されている損害保険であり,その性格は,きわめ て社会政策的な色彩の濃い保険である ため,当初より設計書に盛り込ま れていた国の再保険参加は,当然の正当性を持つものとして疑われてこなか ったのであろう。しかも,地震保険創設が新潟地震後の1966年であったのに 対し,前述したような憲法論議が活発に論じられたのは,阪神・淡路大震災 後の1990年代末のことである。この年代的間隔もまた,地震保険における国 の再保険引受について緻密な憲法論的検証が行われてこなかった一つの理由 であろう。
しかし,ここであらためて現行の政府による再保険について考えてみたい。
もし国の再保険が前述したような個人財産の補償に該当するならば,本来,
厳格な憲法論理の適用を受け,少なくとも被災者生活再建支援法のような抑 制的給付を検討しなければならないはずである。それに対して,もし政府再 保険が個人財産の補償とは全く無関係な給付であるとすれば,憲法論理に由 来する抑制的枠組みから解放され,遺憾なく地震被災者の財産的損害の回復 を促進できるはずである。その中間であるとしても,政府再保険を法的に正 確に位置づけるためには,前述した憲法論議からの 距離 が重要になろう。
まず,現行地震保険の政府再保険が,被災者生活再建支援法に基づく住宅 再建支援などとは異なり,個人財産の国による補償にはあたらないという仮
31) 黒木松男 地震保険の法理と課題 229頁(成文堂,2003年)。
説を立ててみよう。周知のとおり,再保険事業は国の特別会計として運営さ れている。民間元受会社が地震保険加入者の保険料を政府再保険の再保険料 にあてる。それを積み立てた資金が特別会計として厳格に管理され,地震保 険再保険金支払以外の目的には利用されない。仮に一度の再保険金支払が積 立金の限度を超過した場合,将来の保険契約者から徴収する保険料をもって,
その超過分の埋め合わせを行い,政府の一般財源とは理論上切り離された運 用を想定している。したがって,再保険を通じた国の保険金支払は,あくま で個人による私有財産の防衛方法としての 保険 システムに沿った給付で ある。こうした 自助 努力の補完は,決して国による個人財産の補償では ない,ということになろう。
しかしながら,特別会計による地震保険の運用が絶対的に公的給付を伴わ ないわけではない。確かに特別会計を設定した趣旨からすれば, 地震再保 険特別会計の歳出目的は地震再保険金支払に限定され,地震保険契約者から 収納した保険料を歳入財源としているものであり,歳入と歳出を明確に対応 して経理し,厳格に責任準備金の管理を行うことにより,国民への説明責任 を果たしている というのが建前であろう。ところが,東日本大震災直後 の参院予算委員会で,当時の野田財務相は,地震保険特別会計の資金が不足 すれば 一般会計からの繰り入れで対応でき るので 保険契約者には安心 していただける仕組みだ と強調した。つまり,特別会計では歳出が再保険 金に限定されるものの歳入は保険料収入だけではなく,不足した場合には一 般会計からの繰り入れが予定される。だとすれば,地震保険契約を締結した 者は,支出した保険料以外の国の財源によって保険金支払を受ける可能性が ある。これは公的財源による個人財産補償にあたらないのだろうか。いった ん大規模災害が発生し,地震保険特別会計が枯渇したとしよう。政府が一般
32) 財政制度等審議会・答申 特別会計の見直しについて−制度の再検討と改革 の方向性− 平成17年11月21日(http://
www.mof.go.jp
/about mof
/councils
/fiscal system council
/sub
‑of fiscal system/report/ zaiseia171121/
zaiseia171121 c.htm)。
会計からその 補填 をなし,契約者に地震保険金を支払う。そして再び地 震保険特別会計の積み立てを行うことにより,後の地震保険契約者からその 補填分を 取り戻す 。このような構造が予定されている限り,地震保険契 約の保険料以外の政府財源が,たとえブリッジ的にせよ地震保険契約者だけ のために利用されることは確かである。
いうまでもなく地震保険そのものは,保険というシステムに基づいて契約 者が自己の財産のリスクを転嫁する方策である。損害保険各社が火災保険に 附帯する形で引受を行うことから,これは 自助 に分類せざるを得ない。
しかし,入り口において自助であるとしても,出口において国の保険金支払 確保策が公的性質を帯びることも,現行制度では否定できない。地震保険と いう自助制度をフィルターとすると,いかなる国の関与も自助として前述の 憲法論議に服さないとするのは,いささか強引であろう。
⑵ ソルベンシー確保策としての特性
次に,国による再保険が個人財産補償に当たらないとする仮説は,国の関 与があくまでソルベンシー強化のために行われていることを挙げるであろう。
この点について,平成23年1月に開始された,財務省の 地震保険特別会計 に関する論点整理に係るワーキンググループ での論議は興味深い。この中 で,地震保険特別会計を国以外の組織に移管する場合が想定され,さらに移 管先の一つとして損害保険契約者保護機構が挙がった。いうまでもなくこの 機構は,もともと保険会社の破綻時のデフォルトリスクを軽減するために設 けれた。そこに地震保険リスクを移管するという発想は,根底において保険 会社デフォルトリスクと地震保険リスクを連結する考え方に由来する。もっ とも機構側は,次のように,地震保険リスクの引受には強い難色を示してい る。すなわち, 保護機構の本来業務は,保険会社の破綻に関わるものであ り,再保険を含め新たな保険契約の引受業務を行っていないため,地震保険 の再保険業務も移管される場合には,新たにノウハウを含め運営インフラの 整備を行う必要性があ り,また, 保護機構の業務運営(日常業務等)は
破綻処理業務に大幅にシフトすることとなり,地震保険の再保険業務が滞る 懸念がある。一方で,再保険業務能力を維持しようとすれば,保険会社の破 綻処理がおろそかとなり,結果として,当機構の設立目的である 保険会社 が破綻した際の資金援助等を行うことで,保険契約者等の保護を図り,保険 業に対する信頼性を維持すること を損なう懸念がある 。理論的にはど うあれ,地震保険引受リスクと保険会社破綻のデフォルトリスクは,実務的 に両立させていくことが困難であることを示唆している。
両者のリスクの異質性は,このワーキンググループの最終報告である 地 震再保険特別会計に関する論点整理 でも意識されている。すなわち,まず
WG
においては, 民間法人にとって債務超過は経営破綻に等しく,破綻 の可能性をはらんだ制度変更は国民の安心感を大きく後退させる , 地震リ スクは民では負えないので 官から民へ はあり得ず,官の中で移管するし かない , 民に比べ官の破綻の蓋然性は低い 等の意見が出され た。特別 会計を民移管することは明確に否定され,そのために 官 としての損害保 険契約者保護機構への移管が想定されたのである。ところが次に,その機構 への移管でさえも, 国が再保険責任を直接負う方が,国以外の主体が負う 責任を国が補償するよりも,制度に対する安心感・信頼性が,より確保され る という理由で否定的に捉えられた。ここまでくれば,国の再保険は,もはや単なるソルベンシー強化策ではない。 破綻しない支払主体 として の国の存在が,絶対的前提として理論を支配しているのである。つまり,地 震保険の再保険者としての国の関与は,単なるソルベンシー論とは異質の
公助 性を抜きにして語ることができないのではあるまいか。
33) 地震再保険特別会計に関する論点整理に係るワーキンググループ第4回資料 再ヒアリング事項について 損害保険契約者保護機構(2011年6月21日)。
34) 地震再保険特別会計に関する論点整理 財務省・地震再保険特別会計に関 する論点整理に係るワーキンググループ(2011年11月)(
http:
//www.cao.go.
jp/ sasshin
/kaigi
/honkaigi
/d23/ pdf
/s
2⑶ 国による地震再保険引受の理論的再検証
さて,このように見てくると, 自助 をサポートする形で行われている とはいえ,国による地震保険の再保険もまた, 公的な個人財産補償 とし てのスクリーニングを免れるべきものではない。ただ,前述した被災者生活 再建支援法による給付のような直接的給付とは異なり,地震再保険の公助性 は間接的なものと理解されよう。おのずと直接的給付と間接的給付の相違は 憲法解釈論的制約の強弱となって反映されるものであろう。そうした点も含 め十分な再検証が必要とされるところではある。しかし,紙幅の余裕もない 本稿では,以下を指摘するにとどめたい。
前述したような公共の福祉=国家の基本的保護義務という理論構成に基づ き,一定の個人財産補償を認める立場からも,それを実施する場合には一つ の重要な原則が強く要請される。憲法14条に基づく公平性原則である。 被 災者の生活再建支援は…社会国家の課題である。憲法は,これについて…む しろ法の下の平等(一四条)により,震災被災者のみを優遇することの原則 的禁止を語る。震災被災者の生活再建支援についても,地震保険加入者と非 加入者,耐震性に投資した者とそうでない者,人的被害と物的被害,人的被 害のうちの生命と身体,震災・自然災害とその他の被害,といった様々なか たちで,平等が問題となる 。公的な補償には,憲法14条もまた,抑制的 な効果を及ぼすのである。
問題は,同種の 自助 方策が複数存在する場合に,そのうちの一つだけ を国が再保険することの不平等性である。周知のとおり,JAの建物更正共 済は,地震保険と同様の機能を持つ。それにもかかわらず,国はこれについ て再共済を負担していない。JAは独自のリスク分散努力を行うことによっ て,地震のような巨大災害リスクに対応している。この現状の不公平性は,
35) 小山・前掲注15,201頁。なお,山崎・前掲注4,104頁も, ①被災地間,す なわち被災地の災害の違いや地域事情の違いをどう考慮するのか,②同じ被災 地内での被災者間の公平性をどのように確保するのか,③被災地とそれ以外の 地域間の公平性をどのように確保するのか に留意すべきとしている。
厳密な検証をするまでもなく明白な事実ではあるまいか。地震再保険を国の 施策であると捉える場合,同じ条件でその恩恵に浴する者とそうでない者が 分かれる場合には,極端な見方をすれば 違憲状態 とさえいえる。この不 公平が生じてしまった背景を正確に把握し,是正の可能性を早急に検討する 必要があろう 。
保険契約はあくまで自助である。まずは自助としての究極の安定性を確保 すべきである。それには,リスク市場・資本市場を通じたリスク分散の徹底 が要請されるであろう。カタストロフィーボンド等でこの努力を推進する
JA
共済に対して,損保各社の地震保険は,当初より国の再保険を前提とし て組み立てられていた。そのことが,むしろ損保の地震保険契約のリスク分 散努力を妨げる方向に機能してはいまいか。ましてや,国の再保険が 公 助 性を帯びると捉えたとき,公助の名の下で私的努力の追求が怠ってしま うと危惧するのは暴論であろうか。国による地震再保険のシステムについて も憲法論的視点を含めあらゆる方向から再検証する必要があるのではないか。少なくともこのことだけは,あながち見当違いな提案ではないと考える。
(筆者は,早稲田大学大学院法務研究科教授)
36) 災害弔慰金等の支給に関する法律 に基づく支給については,平等原則に よる直接請求権を認める論者さえいる。阿部泰隆 憲法上の福祉施策請求権 成田瀬明先生古稀記念 政策実現と行政法 15頁以下(有斐閣,1998年)。