本日は,全国大会でお話しする機会を与えて頂きましたこと,大変光栄に 存じております。再保険の実務家である私が,学問の立場から保険を牽引さ れている多くの研究者の皆様の前でお話しすることに,些か緊張しておりま すが,しばらくの間お付き合い下さい。
はじめに
福田弥夫理事長から,⽝大規模自然災害と再保険⽞というテーマで本日の 講演を依頼されたのが⚖月上旬でした。⚒年前の2016年には熊本地震が発生 し,昨年は豪雨被害が相次ぎました。アメリカでも大型ハリケーンが立て続 けに発生し,保険及び再保険に対する関心が高まってきたためのご要請と受 け止め,引き受けさせて頂きました。
昨年は豪雨被害が相次ぎましたので今年(2018年)は平穏な年になればと 思っていましたが,講演を引き受けさせていただいて間もなく,⚖月18日に 大阪北部地震が発生し,次いで⚗月の西日本豪雨,⚙月は⚔日に台風21号が 日本列島に上陸,⚖日には北海道胆振東部地震が起き,更に⚙月30日から10 月⚑日にかけて,台風24号が再度上陸して各地で大きな被害が発生しました。
被災者の皆さまには心よりお見舞い申し上げます。2018年の日本の一連の大 規模自然災害に対する再保険の支払いは,東日本大震災とタイ洪水が起こっ た2011年を上回り過去最大となる見込みです。福田理事長は,今年の状況も 見越したうえでこのようなテーマを設定されたのではと思わざるを得ません。
【基調講演】
大規模自然災害と再保険
石 井 隆
*平成30年10月28日の日本保険学会大会(日本大学)基調講演による。
/ 平成30年11月26日原稿受領。
経済環境は,高度な IT の普及とグローバル経済の進展,企業の多国籍化,
国境を超えたサプライチェーンの拡大,AI を始めとした様々な新しい技術 の開発・導入,デジタル革命,アメリカやイギリスなどの保護主義的政策,
少子高齢化社会の進展などにより大きな変革期を迎えています。
また,気候変動による気象災害の激化,サイバーリスクの出現によって経 済の不安定要素が拡大しており,経済の安定的発展と社会生活の安定を支え る保険事業の重要性が非常に大きくなってきています。
本日は三部構成でお話しします。第⚑部は⽛繰り返される大規模自然災 害⽜と題して,関東大震災,伊勢湾台風などの歴史的災害は一度きりの大災 害ではないこと,特に,気象災害は地球温暖化と気候変動によって激化する 懸念が強いことについて確認したいと思います。第⚒部は,⽛プロテクショ ン・ギャップ⽜と題して,現在世界的な問題として浮かび上がっている⽛経 済被害に対する保険金回収の割合低下⽜について,その現状を説明し,さら に日本の状況についてお話しします。そして,最後の第⚓部では,⽛再保険 の機能と対応力の向上⽜と題して,国際再保険市場と機能について説明し,
それを踏まえて再保険の機能向上と諸問題の解決・改善に向けた取り組みに ついてお話しいたします。
⚑.繰り返される大規模自然災害
人類はその誕生以来ずっと自然災害に苦しめられ,大きな犠牲を払い,
様々な経験から協力して河川堤防や防潮堤を建設し,避難方法や災害復旧に 向けた仕組みの構築に取り組んできています。日本列島の形成と地理的な位 置から,日本は豊かな自然に恵まれる一方,地震・津波,台風,豪雨,豪雪,
干ばつなどの災害に苦しめられる宿命にあります。
自然災害の規模や被害が科学的に検証されて記録されるようになったのは
せいぜい100年程前からなので,数百年から数千年を再現期間とする大規模
自然災害の規模と被害想定を考えるにはデータが十分ではありません。地震
については地層の分析から1000年ぐらい前まである程度の情報が取れますが,
古い地震の規模の推計は容易ではありません。それでも,幾つかの古い地震 の凡その規模や被害内容が分かっています。江戸時代の宝永地震(1707年)
は,南海トラフが活動した巨大海溝型地震であり,東日本大震災以前に日本 で発生した最大級の地震であるとされます。また,その49日後には富士山が 噴火し,地震・津波と併せて太平洋側の広い地域に甚大な被害を及ぼしたこ とが知られています。
気象災害は地層などに痕跡が残らないので,地震以上に過去の災害の気圧 や降雨量などの推測が難しいとされます。そのような前提でのお話しですが,
江戸時代末期の1828年,オランダ商館付きのドイツ人医師のシーボルトが乗 船した船が座礁し,国禁の日本地図の持ち出しが発覚した⽛シーボルト事 件⽜に因んで呼ばれるシーボルト台風は,過去300年間に日本を襲った最大 の台風とされ,九州,四国を中心に広い地域で大きな被害が発生しています。
近代的な気象記録が始まった明治年代以降に起こった地震と気象災害の中 で,最大の被害をもたらした災害が関東大震災と伊勢湾台風です。その被害 の大きさから関東大震災,伊勢湾台風が再来した場合の予想保険金額が,損 害保険会社のソルベンシーマージンの計算において巨大災害の指標として用 いられています。
1923年(大正12年)⚙月⚑日に発生した関東大震災の震央は,相模湾もし くは河口湖付近もしくは神奈川県西部とされ,そのマグニチュードは7õ9と 推計されています。激しい揺れによって建物が倒壊し,能登沖にあった台風 の影響による強風によって東京,横浜を含む関東の広い地域が消失し,死者 は10万人を超えたとされます。関東大震災の再現期間は200年以上とされる ので,しばらく日本では巨大地震は起こらないと思っていた人が多いはずで すが,1995年に阪神・淡路大震災,2011年にはマグニチュード9õ0の東日本 大震災が発生し,⚒万⚘千人もの死者・行方不明者が出ています。その後も,
⚒年前の2016年に熊本地震,今年も大阪北部地震が発生しています。
今後も大規模な地震災害が発生します。大きな被害をもたらす首都直下地
震が今後30年以内に高い確率で発生することが予知されている他,南海トラ
フの巨大地震の発生も懸念されています。さらに,阪神・淡路大震災,東日 本大震災は⽛想定外⽜の地震であり,今後も想定外の大地震が発生すること を忘れてはなりません。
一方,1959年⚙月26日に発生した伊勢湾台風では,名古屋を中心とした中 京地区が強風と豪雨,高波に襲われました。中でも,高波による浸水被害が 甚大で,⚔m近い高波によって海抜の低い場所が広域に亘って浸水し,⚕千 人を超える死者・行方不明者を出すとともに,経済活動が長期間に亘って停 滞しました。また,名古屋は東京と大阪を結ぶ中間点でもあり,鉄道,道路 の寸断,港湾施設の損傷によって日本の二大経済圏の物流と移動が長期間麻 痺しています。
地震・津波,台風や洪水に対して,古くから様々な防災・減災対策が行わ れています。1300年前に建てられた法隆寺には地震に強い柔構造が用いられ ており,城の石垣も地震の揺れを想定して石組みされています。大正時代の 1920年には既に⽛市街地建築物法⽜が施行され,関東大震災の被害を目の当 たりにして基準が強化され,その後も大きな地震が起こる度に耐震建築,耐 火素材の基準が強化されてきています。
河川堤防や防潮堤についても古墳時代から対策が行われており,奈良時代 の僧の行基,平安時代の空海,戦国時代に信玄堤を建設した武田信玄,土木 の天才で太閤堤を建設した豊臣秀吉,江戸湾に流れ込んでいた利根川を銚子 に付け替えた徳川家康などがいます。戦後の日本の治水工事は,伊勢湾台風 をきっかけに急速に進められています。また,記憶に新しい事業では,民主 党政権が誕生して中止を決め,東日本大震災が起こって再開したスーパー堤 防事業があります。
しかしながら,防災事業を如何に進めても大地震や強い台風や豪雨が起こ れば災害が発生します。2018年はそのことを思い知らされた年です。中でも
⚖月下旬から⚗月上旬に発生した西日本豪雨,⚙月⚔日に上陸して関西地方
を中心に大きな被害を出した台風21号,そして⚙月30日から10月⚑日にかけ
て日本列島を駆け抜けた台風24号でも各地で大きな被害が発生しています。
さらに重要なことが,シーボルト台風や伊勢湾台風ですらも最大の台風で はないことです。伊勢湾台風の再現期間は70年とされていますが,伊勢湾台 風が発生した60年前と今とでは地球環境が異なっており,今後もその差が大 きくなってゆくということです。
地球温暖化の影響によって平均気温及び海水面温度が上昇傾向にあること は世界的問題になっており,2005年にアメリカのニューオリンズが広域に亘 って浸水したハリケーン・カトリーナや2011年のタイ洪水は,地球温暖化が 影響して巨大災害になったとする見方が有力です。
海水面温度の上昇は,日本の周りの海でも顕著な傾向として現れており,
その状況は気象庁のホームページ
1)から確認することができます。それによ れば,日本の周りの海の海水面温度は100年間で1õ11℃上昇しており,上昇 幅は全世界平均の0õ54℃を大幅に上回っています。すなわち,日本近海では かつて遠く南の海でしか起こらなかった現象が起こるようになっており,し かも世界の平均的状況より変化の度合いが大きいということです。
また,海水面温度の上昇は海面水位の上昇をもたらします。ヴェニスや南 太平洋のツバル諸島の水没が現実味を増しており,インドやバングラデシュ では海面水位の上昇によって海岸線が内陸側に数百メートルに亘って削り取 られている場所もあります。日本でも海岸線が削り取られる事態の発生が予 想されています。IPCC(気候変動に関する政府間バネル)の研究では,地 球温暖化が進行すれば,今世紀末までに海水面が最大で82cm 上昇する可能 性があるとされています。
シーボルト台風の江戸時代末期,60年前の伊勢湾台風のときより日本周辺 の海水面温度は既に上昇しており,今後さらに上昇することを考えると,そ れらの歴史的台風を超えるスーパー台風の襲来を想定せざるを得ません。ま た,気象災害の激化に加えて海面水位の上昇が起こるので,防潮堤の高さと
1) 気象庁,海面水温の長期変化傾向(日本近海)https : //www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/data/shindan/a_1/japan_warm/japan_warm.html 2018年11月26日 閲覧
強度を始めとした防災対策を見直す必要があります。気象庁は最近,特別警 報を出すときに⽛これまでに経験したことのない豪雨⽜という表現を用いる ことがあり,豪雨の激化を始めとした気候変動は既に起こり始めています。
気候変動は世界的な重大な問題となっており,異常気象と気象災害の増大傾 向は様々な機関によって確認されています。
保険や再保険に携わる者は,そうした起こり得る変化を踏まえた上で,経 済的備えについて最善の方法を検討してゆく必要があります。
⚒.プロテクション・ギャップ
保険は,個人や企業・団体への保険提供を通して経済の安定的発展を支え てゆく,という重要な機能を負っています。では,その実態はどうでしょう か。世界の大規模自然災害の例から,経済損害額に対する保険金回収額の割 合(プロテクション・ギャップ)について見てみたいと思います。
なお,入手可能な資料の限界から,保険及び再保険には民間保険会社の
(再)保険のみならず国家(再)保険,日本の家計地震保険のような政府の 信用供与を柱とした官民共同の(再)保険が含まれていること,複数の異な るデータを比較している箇所があることを予めお断りしておきます。しかし ながら,そのことで私の説明や考えが妥当性を欠くことはないものと考えて います。
世界及び日本の大規模自然災害についての経済被害額と保険金回収額の関 係は,表⚑,表⚒の通りです。
これらの事例から分かることは,世界では保険事業が中国を除いて,経済 被害額に対して35%~50%程度が保険金の支払いによって補填されていると いうことです。一方,日本では東日本大震災の経済被害額に対する保険金回 収額の割合の19õ1%が最高で,世界の水準には遠く及びません。
日本より経済被害額に対する保険金回収額の割合が高いアメリカ及び他の
先進国の多くで今問題視されているのが,経済被害額に対する保険金回収額
との差,所謂プロテクション・ギャップが縮まらず,逆に拡大傾向にあるこ
とです。理由は様々ですが,要因の一つとして,高度な IT の普及を背景に 進展する経済のグローバル化,企業間競争に勝ち抜くための規模の拡大と国 境を超えたサプライチェーンの拡大によって,経済・産業価値の高額化が保 険資本の拡大のスピードを超えて進んでいることが挙げられます。欧米先進 諸国は,プロテクション・ギャップの拡大傾向を食い止め,ギャップを縮小 することによって経済被害額に対する保険金の割合を向上させることを重要 な課題としています。
表⚑:大規模自然災害の経済被害額と保険金回収額の関係(海外)
(単位:10億ドル)
災 害 名 国 名 経 済
被害額 保険金
回収額 保険金の
割 合
2017年のアメリカのハリケーン合計
(ハーベイ,イルマ,マリア) ア メ リ カ 215õ0 92õ0 42õ8%
ハリケーン・カトリーナ
(2005年) ア メ リ カ 125õ0 60õ5 48õ4%
四川大地震(2008年) 中 国 85õ0 0õ3 0õ4%
ハリケーン・サンディ(2012年) ア メ リ カ 68õ5 29õ5 43õ1%
ノースリッジ地震(1994年) ア メ リ カ 44õ0 15õ3 34õ8%
タイ洪水(2011年) タ イ 43õ0 16õ0 37õ2%
出典:Munich Re NatCatService
(データ:2016年⚓月時点,ただし,2017年のアメリカのハリケーン合計は2018年
⚑月⚔日時点。)
表⚒:大規模自然災害の経済被害額と保険金回収額の関係(日本)
災 害 名 経済被害額 保険金回収額 保険金の割合
東日本大震災(2011年) 23兆1ó000億円 4兆4ó000億円 19õ1%
阪神・淡路大地震(1995年) 11兆円 3ó300億円 3õ0%
中越地震(2004年) 3兆1ó000億円 836億円 2õ7%
熊本地震(2016年) 4兆6ó000億円 5ó500億円 12õ0%
出典:Munich Re NatCatService(⚑ドル:110円で換算)
注:熊本地震については, 経済被害額は,内閣府,保険金回収額は,Swiss Re Institute による。
日本の状況を東日本大震災や熊本地震における保険金支払いの内訳から見 ると,家計地震保険と地震共済の支払いが大きな割合を占めており,企業が 地震保険から保険金を回収しているケースは限定的です。日本損害保険協会 の資料
2)によれば,家計地震保険の付保率は毎年着実に上昇しており,2016 年度の普及率は世帯加入率で30õ5%,地震保険付帯率で62õ1%にまで伸びて きています。阪神・淡路大震災前の1994年度の世帯加入率が9õ0%であった ので,普及率は大幅に改善してきており,それが阪神・淡路大震災と東日本 大震災及び熊本地震の経済被害額に対する保険金回収額の割合の差になって 現れていると言えます。これは,日本の損害保険会社各社,日本損害保険協 会,財務省など関係の皆様の長年の努力の成果であり,高く評価いたします。
他方,Swiss Re の調査(表⚓)によれば,日本の企業保険の普及率は低 く,2016年のアメリカの企業保険料の GDP に対する割合が1õ6%であるの に対して,日本の企業保険料はその半分の0õ8%に過ぎません。自然災害に よる経済被害額に対して保険損害額と無保険損害額の割合を予想・比較した 同社の資料
3)を見ても,日本の経済被害額はアメリカに次いで高額ですが,
無保険損害額の割合が非常に大きくなっているのが特徴的です。日本人は
⽛起きると困ることは起こらないと自らに言い聞かせて信じ込む習性がある⽜
という文化学者や歴史学者のコメントを見かけることがありますが,企業地 震保険の利用度の低さはそのためでしょうか。
経済のグローバル化が進むとき,企業は如何なる事態が生じても事業継続 できる資本力を持つことが求められます。保険は資本を補完する重要なツー ルであり,企業の保険手当て,特に大規模自然災害に対する保険手当ての拡
2) 日本損害保険協会⽛地震保険の契約件数・世帯加入率・付帯率の推移⽜(損害保険料率算出機構統計による)
http : //www.sonpo.or.jp/insurance/commentary/jishin/pdf/reference/jishin_suii.
pdf 2018年11月26日閲覧
3) スイス・リー・インスティテュート⽛日本の企業保険市場(2018)⽜
http : //www. swissre. com/library/japan_commercial_insurance_market_2018_
jp.html
充は,日本企業と保険会社の喫緊の課題になってきています。
⚓.再保険の機能と対応力の向上
再保険の重要な機能は保険会社の資本力の補完であり,保険引受能力(キ ャパシティー)の補完と経営の安定的運営に寄与することです。再保険市場 は,保険会社にとって,突出した引受リスクを移転し,不測の事態から経営 の健全性を維持するための最後の拠り所です。
そのため,再保険会社は保険会社以上に強固な財務基盤を持ち,大規模自 然災害によって保険会社が支払う保険金の相当部分を支払うことが求められ ます。また,再保険会社の経営は,大きく強固な資本とともに世界各国から 広く再保険を引き受けて経営リスクを分散する必要があり,大規模資本のグ ローバル再保険会社が大きな役割を果たしています。
表⚓:企業保険の世界10大市場
順位 国 名 企業保険の
元受保険料
(10億米ドル)
損害保険市場に 企業保険の比率占める
GDP に占める 企業保険の 保険料の割合
1 ア メ リ カ 301 50% 1õ6%
2 イ ギ リ ス 64 68% 2õ4%
3 中 国 59 43% 0õ5%
4 日 本 38 46% 0õ8%
5 ド イ ツ 27 34% 0õ8%
6 フ ラ ン ス 22 34% 0õ9%
7 イ タ リ ア 14 41% 0õ7%
8 カ ナ ダ 13 30% 0õ9%
9 オーストラリア 12 44% 0õ9%
10 韓 国 10 15% 0õ7%
世界市場合計 720 45% 1õ0%
注:2016年の元受保険料(医療保険を除く)の推定値。英国の数値はロンドンマ ーケットの数値を含まない。
出典:スイス・リー・インスティテュート⽛日本の企業保険市場(2018)⽜
日本には再保険市場といえるような市場がないためか,再保険の機能と世 界の再保険市場に関する正確なニュースが少ないのが現状です。例えば,た まに再保険という活字を新聞で見つけると⽛ロイズ(Lloyd’s)⽜の名前が大 きく出てきて,すべて,あるいは大部分をそこで引き受けているように書か れていますが,実際にはそうではありません。
S & P の資料(表⚔)によれば,2017年の正味再保険料収入ベースでは Munich Re(ドイツ)が最大で,第⚒位が Swiss Re(スイス),第⚓位が Berkshire Hathaway(米国)となっています。Lloyd’s は第⚖位で,正味再 保険料収入はトップの Munich Re の1/3以下です。資本額(調整株主資本 額)では多数のシンジケートが集まった Lloyd’s が Munich Re,Swiss Re と 肩を並べますが,Berkshire Hathaway が再保険事業に充当している資本は Lloyd’s の⚕倍近くあります。
Lloyd’s は現在も世界で最も活発な再保険市場であり,大手の再保険ブロ ーカーがロンドンに拠点を置き,多くのビジネスの値踏み及び条件設定に重 要な役割を果たしています。しかしながら,大規模自然災害に関しては,前 述の大手再保険会社がより大きなキャパシティーを提供しています。
世界の保険市場から再保険市場に支払われる再保険料は,損害保険の収入 保険料の⚑割弱,生命保険料の⚒%程度です。生保と損保で出再保険料の割 合が大きく異なるのは,リスク量の差によります。また,再保険会社の事業 成績は,大きな事故や災害のない年は元受保険会社より利益率が高くなりま すが,世界のどこかで大規模災害が発生した年は高額の再保険金支払いのた めに成績が大きく悪化する傾向があります。再保険会社が元受保険会社より 大きな資本を必要とするのは,高額の支払いと悪績の年に耐えるためであり,
再保険会社の信用格付けが重視されるのもそうした理由です。
再保険の機能を具体的に見てみたいと思います。BIS(国際決済銀行)の
資料によれば,東日本大震災やタイ洪水などの大規模災害が発生した2011年
の自然災害による物理的損害額が世界合計で3ó860億ドルであったのに対し
て,保険金回収が1ó100億ドルあり,28õ5%が保険から回収されています。
また,この保険損害額の1ó100億ドルの内,640億ドルを再保険市場から回収 しており,再保険市場は保険金損害額の58õ2%を支払っていることになりま す。
すなわち,保険市場は収入保険料の⚑割程度を再保険料として再保険市場 に支払い,大きな災害があった年は保険金支払額の⚖割を再保険金として回 収しているということです。実際の大規模自然災害及び大事故における支払 保険金と再保険回収額との関係は表⚕のとおりです。
実際の事例においても支払保険金の⚔割~⚗割強が再保険市場から回収さ れており,再保険が世界中で保険金支払いを強力にサポートしていることが 分かります。もう一つ重要なことは,大規模災害や事故が発生した場合,保 険金の支払いはそれぞれの国や地域の保険会社が行いますが,再保険金の支
表⚔:2017年:世界の10大再保険会社(正味再保険料ベース)
(単位:10億ドル) 順位 会 社 名 国 名 正味収入再保険料
マーケット・
シェア S & P 信 用格付け
調整株主資 本
株 主資 本 シェア 1 Munich Re ド イ ツ 36ó454õ4 15õ7% AA- 37ó585õ3 7õ5%
2 Swiss Re ス イ ス 32ó316õ0 13õ9% AA- 34ó428õ0 6õ8%
3 BerkshireHathaway アメリカ 24ó210õ0 10õ4% AA+ 170ó000õ0 33õ8%
4 Hannover Re ド イ ツ 19ó321õ4 8õ3% AA- 10ó803õ2 2õ1%
5 SCOR SE フランス 16ó163õ5 7õ0% AA- 7ó437õ1 1õ5%
6 Lloyd's イギリス 10ó746õ5 4õ6% A+ 36ó191õ7 7õ2%
7 China Re 中 国 9ó970õ3 4õ3% A 11ó573õ9 2õ3%
8 RGA アメリカ 9ó841õ1 4õ2% AA- 9ó569õ5 1õ9%
9 Everest Re バミューダ 6ó244õ7 2õ7% A+ 8ó369õ2 1õ7%
10 General InsCorp India イ ン ド 5ó796õ3 2õ5% NR 3ó711õ4 0õ7%
注:•マーケットシェア及び株主資本シェアは S & P 社調査対象の上位40社に対す
•信用格付け:S & P 2018年⚘月⚒日時点る割合。
出典:S & P “Global Reinsurance Highlights 2018”
払いは大手のグローバル再保険会社を中心にほぼ同じ顔ぶれが行っているこ とです。すなわち,保険市場は世界各国,地域にそれぞれありますが,再保 険は大手数社と Lloyd’s を中心に構成される一つの国際再保険市場に集中し ている,ということです。
国際再保険市場では再保険会社間の激しい競争があります。ここでの競争 は,如何に再保険料率を安定させ,高い再保険支払能力を維持・拡大してゆ くか,ということが重要です。そして,再保険会社と市場の戦略は大きく四 つのポイントに整理できます。すなわち,⑴再保険会社の資本増強,⑵代替 的再保険資本の開発・増強,⑶再保険市場規模の拡大と M & A,⑷大規模 自然災害の再保険料率の変動に対する工学的モデルの開発,の四点です。
⑴ 再保険会社の資本増強
再保険資本は再保険キャパシティーの最も重要な裏付けであり,資本量と 再保険キャパシティーは相関関係にあります。大手(再)保険ブローカーの 表⚕:大規模自然災害及び大事故における支払保険金と再保険回収額との関係
(単位:10億ドル)
災 害 名 国 名 支払保
険金額 再保険金
回 収 額 再保険金 の 割 合 ワールドトレードセンター(WTC)
テロ事件(2001年) ア メ リ カ 32õ5 19õ5 60õ0%
ハリケーン・カトリーナ
(2005年) ア メ リ カ 62õ2 28õ0 45õ0%
ニュージーランド地震
(2011年) ニュージー
ラ ン ド 13õ0 9õ5 73õ1%
東日本大震災(2011年) 日 本 37õ5 15õ0 40õ0%
タイ洪水(2001年) タ イ 10õ0 6õ0 60õ0%
出典:•WTC テロ事件,ハリケーン・カトリーナ:Insurance Information Insti- tute(III),Munich Re,Swiss Re
•上記以外:III,RAA,ASIR,CEA press releaseó Jan 13ó 2011
Aon の調査
4)によれば,世界の再保険資本量は,統計を開始した2006年以降,
リーマンショックのあった2008年と2015年に僅かに前年比で減少しています が,年々着実に増加しており,2006年に3ó850億ドルであった再保険資本総 額は10年後の2016年に1õ55倍の5ó950億ドルにまで拡大しています。また,
新たな再保険資本が金融事業の自由化,グローバル化の流れを受けてタック スヘイブン及びそれに準じる市場で成長し,中でもバミューダ市場は収入再 保険料ベースでドイツ,スイス,イギリスなどのヨーロッパ市場やアメリカ 市場と肩を並べるまでに大きくなっています。
この間の世界の名目 GDP(OECD)の増加は1õ47倍であり,経済成長率 を上回る割合で再保険市場の資本量が増加しています。東日本大震災やタイ 洪水などの大規模自然災害はあったものの,全世界の再保険事業収支はこの 間概ね良好であり,伝統的な大手再保険会社の資本増強に加えて,新規参入 資本が多かったことが再保険資本量の増加に貢献しています。
⑵ 代替的再保険資本の開発・増強
1992年,アメリカにハリケーン・アンドリューが上陸し,高額の再保険金 回収が起こって再保険市場が混乱し,翌年の再保険価格が数倍に上昇し,キ ャパシティー不足が生じました。こうした事態に対して,再保険キャパシテ ィーの不足を補完し,価格変動を緩和するため,再保険市場はイノベイティ ブな方法を生み出しています。
キャット・ボンドは,自然災害に対する保険引受リスクを証券化し金融市 場にリスク移転する方法として1990年代半ばに開発・導入されています。キ ャット・ボンドの発行額は伝統的再保険市場の価格動向に影響されます。再 保険価格の上昇局面では,伝統的再保険の購入を控えてキャット・ボンドを 購入するために発行額が増加し,一方,再保険価格の下降局面でキャット・
4) Aon plc⽛再保険マーケット・アウトルック(2018年⚙月)⽜
https : //aoncomauthoring. blob. core. windows. net/aoncom2017media/aon. com/
media/japan/rmo-sept-2018-jp.pdf
ボンドの発行額が減る傾向がありますが,⚕年~10年単位で債券発行残高を 見ると明確な上昇傾向が見られます。他にも幾つかの新しいリスク移転手段 が開発され,代替的資本は今日では再保険資本総額の15%近くを占めるまで に成長しており,今後も伝統的再保険の補完機能を充実させてゆくものと考 えられます。
⑶ 再保険市場規模の拡大と M&A
大規模自然災害に対する再保険キャパシティー拡大要請が強い中で,再保 険会社も規模の拡大に努めています。
再保険会社の正味再保険料収入ベースの上位会社のランキングを S & P の 資料から直近の2017年と10年前の2007年,20年前の1997年と並べてみると幾 つかのことが分かります(表⚖)。まず,20年前から上位⚓社の顔ぶれは,
上位⚒社がずっと Munich Re,Swiss Re と変わらず,第⚓位は1997年の Lloyd’s から2007年以降 Berkshire Hathaway に変わりましたが上位は安定 しています。
次に,再保険市場の大部分を占める上位40社の再保険料収入をみると,
2007年から2017年の10年間で1õ4倍になっていますが,20年前の1997年との 比較では約⚔倍に伸びています。同様に上位10社の正味再保険収入合計を比 較すると,2007年から2017年にかけての10年間の再保険料収入の伸びは1õ4 倍で上位40社の増収率と変わりませんが,20年前の1997年との比較では約⚕
倍に伸びています。上位10社の市場占有率が拡大していることが分かります。
中でも,正味再保険収入ベースで第⚒位の Swiss Re は1997年から2017年 までの20年間で再保険料収入を7õ5倍に拡大していますが,その背景には積 極的 M & A があります。トップの Munich Re も M & A を繰り返して経営 規模の拡大を図っています。また,2007年に⚓位に登場した Berkshire Hathaway は自らの巨大資本を利用して1980年代以降急速に再保険事業を拡 大しましたが,同時に大型の M & A を行っています。1997年のリストの第
⚖位にランクされている General Re(アメリカ)が第⚘位の Cologne Re
(ドイツ)を買収し,Berkshire Hathaway は合併した General Re を1998年 に買収しています。
M & A は現在も活発に行われており,S & P によれば2013年⚘月以降の約
⚕年間における再保険会社に関する買収額が10億ドル以上の大型 M & A 事 案が19件あります
5)。日本の大手損害保険会社も再保険会社の大型の M & A を行っており,また,大手の生命保険会社の中にも再保険会社の M & A に 積極的な会社があります。
表⚖:世界の10大再保険会社の正味再保険料収入の推移
(単位:100万ドル)
1997年 2007年 2017年
順位
会 社 名 国 名 正味収入 再保険料 会 社 名 国 名 正味収入
再保険料 会 社 名 国 名 正味収入
再保険料 1 Munich Re ドイツ 9ó606õ6 Munich Re ドイツ 30ó292õ9 Munich Re ドイツ 36ó454õ4 2 Swiss Re スイス 4ó282õ9 Swiss Re スイス 27ó706õ6 Swiss Re スイス 32ó316õ0 3 Lloyd’s イギリス 3ó585õ0 Berkshire Hathaway アメリカ 17ó398õ0 Berkshire
Hathaway アメリカ 24ó210õ0 4 Allianz ドイツ 3ó323õ3 Hannover Re ドイツ 10ó630õ0 Hannover Re ドイツ 19ó321õ4 5 Generali イタリア 2ó550õ8 Lloyd’s イギリス 8ó362õ9 SCOR SE フランス 16ó163õ5 6 General Re アメリカ 2ó541õ1 SCOR SE フランス 7ó871õ7 Lloyd’s イギリス 10ó746õ5 7 American Re アメリカ 2ó491õ7 RGA アメリカ 4ó906õ5 China Re 中 国 9ó970õ3 8 Cologne Re ドイツ 2ó274õ6 Transatlantic Re アメリカ 3ó952õ9 RGA アメリカ 9ó841õ1 9 Hannover Re ドイツ 2ó052õ7 Everest Re バミューダ 3ó919õ4 Everest Re バミューダ 6ó244õ7 10 Gerling Re ドイツ 1ó970õ9 Partner Re バミューダ 3ó751õ1 General Ins Corp India インド 5ó796õ3 上位10社合計 34ó679õ6 上位10社合計 118ó798õ0 上位10社合計 171ó064õ2 上位40社合計 60ó111õ2 上位40社合計 162ó702õ3 上位40社合計 231ó984õ4
出典:S & P “Global Reinsurance Highlights 1998ó 2008ó 2018”5) S & P “Global Reinsurance Highlights 2018”
https : //www.spratings.com/en_US/topic/-/render/topic-detail/global-reinsurance- highlights
M & A においては資本収益性と株価が重要な要素となります。再保険会 社の ROE(自己資本収益率)は,大規模自然災害や大事故,さらには景気 動向によって大きく左右されますが,再保険会社の株価はこれらの動向には 極端に反応しない,という傾向があります。この点は元受保険会社や他の金 融機関,他産業の動きとは異なる点です。再保険事業は単年度の事業成績で はなく,中・長期的な事業であることが投資家間で理解されているというこ とであると考えられます。
⑷ 大規模自然災害の再保険料率の変動に対する工学的モデルの開発 私は様々な方とお話しさせて頂く機会を大切にしていますが,⽛再保険と いう事業は運任せの事業であり,科学的ではない。⽜という印象をお持ちの 方がときどきいらっしゃいます。保険関係者にもいらっしゃいます。
その理由は,数年から十数年に一度起こる世界的な大規模自然災害によっ て,自然災害に対する再保険(キャット再保険)の価格と供給キャパシティ ー量が激しく変動することにあるようです。元受保険会社が資本コストを合 理的に抑え資本効率の高い経営を行うためには,集積リスクを再保険にヘッ ジする必要がありますが,再保険価格とキャパシティーの供給が安定しない 状況では保険引受の拡大に慎重にならざるを得ません。
再保険料率の変動は激しく,1990年にヨーロッパで相次いだ大型のストー ム,1991年の日本の台風19号,1992年のハリケーン・アンドリューなどの大 規模自然災害の多額の再保険金回収発生によって1991年から1993年にかけて キャット再保険の料率が激しく上昇しています。大手再保険ブローカーの Guy Carpenter の調査
6)によれば,1993年のキャット再保険の価格は1990年 の約⚔倍に高騰しており,これでは再保険事業は科学的ではないと言われて も仕方ありません。
6) Guy Carpenter, “Global Property Catastrophe ROL Index”
http : //www. gccapitalideas. com/2018/05/16/chart-global-property-catastrophe- rol-index-3/ 2018年11月26日閲覧
その原因は,自然災害に対する再保険料率が過年度の再保険成績のみに基 づいて計算されていたことにあります。すなわち,1960年代から1980年代末 まで地球は比較的平穏で,たまたま大きな自然災害がなかったために再保険 料率は安くなっていました。ところが,1990年代に入ると世界各地で大規模 自然災害が相次いで発生し,高額の再保険金が回収され,中には経営破綻す る再保険会社が出て再保険料率が大幅に引き上げられています。
その後はしばらく大きな保険事故がなく,2000年まで急激に価格が下がり ましたが,2001年のワールドトレードセンター・テロ事件による高額の再保 険金回収で再保険会社の財務事情が再び悪化したために2002年,2003年と価 格が上昇しています。2004年,2005年は一旦下降しますが,2005年のハリケ ーン・カトリーナによって再び大幅に上昇しています。再保険料率の上下動 の様子はローラーコースター(ジェットコースター)に例えられたほどです。
前述のキャット・ボンドは再保険価格の急激な変動とキャパシティー不足の リスクをヘッジする手段として考案されたものです。
しかしながら,根本的問題は,数十年,数百年,あるいはそれ以上の期間 を再現期間とする大規模自然災害に対する再保険料率を,せいぜい20~30年 の経験に基づいて計算することに無理があるということです。再保険を長期 的かつ安定的運営するには,大規模自然災害の発生頻度と損害額を科学的に 予測する必要があります。
そこで,大手再保険会社や Lloyd’s を中心に世界の再保険会社は,大規模 自然災害の発生頻度と損害額を科学的に予測すべく,各国の気象庁,大学,
気象及び地質の研究機関などの協力を得つつ工学的モデルの開発に取り組ん でいます。また,今日では専門のモデル会社がモデルの開発・提供を行い,
大手ブローカーや保険会社もモデル開発に加わっています。モデルの開発は アメリカのハリケーン,カリフォルニアの地震,ヨーロッパのストーム,日 本の地震及び台風・洪水などから着手され,次第に全世界に対象を拡大して います。
既にモデルの本格的開発着手から四半世紀が過ぎ,データ量が増え,モデ
ルによる損害予測値と実際の損害額の差の検証や,様々なモデルの比較検証 によってモデルの精度は向上しています。近年はキャット再保険の価格安定 度が増してきており,再保険資本の増大とリスク量の測定精度向上が大きく 貢献しているものと考えられます。
大規模自然災害は今後も間違いなく発生し,気象災害については激化が予 想されます。防災・減災技術の一層の向上が望まれますが,大規模自然災害 の危険度の増大と経済・産業価値の高額化によって保険需要が今後一層高ま ってゆくでしょう。再保険市場は,安定的かつ優良な資本の拡充とキャット 再保険の価格問題の改善によって対応力をさらに高めるために,これからも 様々な取り組みを進めてゆきます。
最後に,ここにお集まりの保険学者,保険及び再保険の実務家,行政が一 緒になって,日本の大規模自然災害に対する経済的備えを高めてゆくために 一層の努力を払っていただくことを提案させて頂き,私の講演を終わらせて 頂きます。
ご清聴ありがとうございました。
(筆者はジェンリー・ジャパン・サービス株式会社代表取締役社長)