■アブストラクト
本稿の研究の目的は,先駆的保険研究者の一人である志田鉀太郎が1927年 に著わした⽝保険学講義案:全⽞を研究対象とし,その特色を明らかにする ことを通じて,その意義および現代にもつながる示唆を探ることにある。
当時の時代環境を背景とする経済学と保険学の進展,⽝保険学講義案:全⽞
はその研究成果を採り入れ理論構築していたことを帰納的アプローチにより 明らかにする。⽛経済学一分科説⽜の提唱と,不可分のものとして⽛保険学 体系化⽜を明示したところに特色があり,それにより保険学が求められてい た役割発揮に関し経済学の考え方でとらえる研究を可能にした,との問題を 提起し考察を行う。
さらに当時の有力保険学説および経済学上の⽛効用⽜ならびに保険の⽛効 用⽜を需要・供給サイドの視線により考察を行い,現代にもつながる示唆も 導き出す。
■キーワード
志田鉀太郎,保険学説研究,経済学上の⽛効用⽜と保険の⽛効用⽜
序章 はじめに 研究の目的と方法
志田鉀太郎は,1899年公布の商法起草という立法上の功績から,商法や保
志田鉀太郎⽝保険学講義案:全⽞
その特色および意義の考察
大 蔵 直 樹
*平成30年⚙月21日の日本保険学会関東部会報告による。
/ 平成30年12月21日原稿受領。
険法の教授として活躍した(志田 2015,pp. 43-44)ことで知られる。また
⽛1894年に保険学会を創設⽜(印南 1951,p. 96)し⽛経済学分科説を主張し,
入用充足説を初めて我国に紹介した⽜(印南 1951,p. 97)という学問的業績 もあり,まさに先駆的保険研究者の一人であると言える。
本稿が研究対象とする⽝保険学講義案:全⽞(以下,志田(1927a)1))は,
志田鉀太郎2)が保険学の黎明期ともいえる1927年に大学での講義用に著わし た教科書である。日本において保険会社3)が営業を開始して48年経過した時 点での講義用教科書4)ということもあり,理解し易さを重視した内容となっ ている。志田(1927a)5)は,⽛緒言⽜に続き,第一章から第七章までが総論6), 第八章と第九章が保険事業論,そして第十章が保険政策論と構成され,保険 学の教科書として整然たる型を示す。
志田(1927a)の持つ教科書としての領域を超える特色を明らかにし,そ の意義および現代にもつながる示唆を探ることが,本稿の研究の目的である。
本稿は次のような方法にて研究を進める。
第Ⅰ章にて,志田(1927a)の当時の時代環境について考察を行う。志田
(1927a)の理論構築の根底に反映される傾向を文献レビューによりアプロ 1) 初版は1927年であるが,筆者の手元にあるものは1934年の八版である。初版
と八版の違いを確認したうえで,本稿は初版の内容をもとに論考を行った。
2) 志田はその生涯において,198編の論文を出し97冊の著書を刊行(いずれも 筆者の調査結果)しているが,保険学関係の著書は⚓冊である。
3) 日本最初の海上保険会社である東京海上保険(現:東京海上日動火災保険)
が1879年に営業を開始している。
4) 当時,学生から⽛参考になる教科書の刊行⽜という要望が強かった,という 点は粟津(1909)に詳述されている(p. 6)。
5) ⽝保険学講義案:全⽞は CiNii books によると⚓大学の図書館に蔵書(いずれ も1933年発行)されているのみであり,文献としての公開性という点では若干 の問題点を指摘せざるをえない。しかし,国会図書館の図書館送信にてデジタ ル閲覧(1927年発行)が可能であることから,その点の問題は克服されている ものと判断する。
6) 筆者の手元にある1934年(八版)は,⽛緒言⽜,⽛第一編総論⽜,⽛第二編保険 事業論⽜,⽛第三編保険政策論⽜という構成に改編されている。
ーチし考察を行う。
第Ⅱ章にて,⽛保険学は経済科学の一分科である⽜としたこと,⽛保険学の 体系化⽜を明示したこと(緒言,pp. 1-2),について考察を行う。まず,第一 には,経済学の動向から何を探求し活かそうとしていたのか,そして第二に は,保険学と経済学の関係について先行する研究からどのように現状分析を 行い活かそうとしていたのか,という点につき文献レビューによりアプロー チし考察を行う。さらに第三に,保険学の体系化を明示していることについ て,志田(1927a)以前に発行された保険学関係の著書との比較考察を行う。
この考察により,志田(1927a)の有する特色を明らかにすることができる であろう。
第Ⅲ章にて,当時の有力学説であり歴史的意義についても評価されている
⽛経済生活確保説⽜と⽛入用充足説⽜を対象に,需要・供給サイドの観点か らそれぞれの特色の考察を行う。あわせて志田(1926)に記載する Bedürfnis
(欲望)と Bedarf(入用)の両語につき,志田の意図した経済学上の考え方 の違いを文献レビューによりアプローチし考察することにより,現代にもつ ながる示唆を見いだす。
第Ⅳ章にて,経済学上の⽛効用⽜と保険の⽛効用⽜という場合には異なる 意味を持つ,ということを志田は十分承知の上で志田(1927a)を著わした のではないか,という点の考察を行う。あわせて志田(1927a)の⽛入用充 足説⽜が需要サイド,保険の⽛効用⽜が供給サイドの視線からの記述である ことも考察する。
第Ⅴ章において,以上の論考結果を踏まえ,志田(1927a)の特色と意義を 明らかにし,さらに現代にもつながる示唆のとりまとめも行い,結論とする。
第Ⅰ章 当時の時代環境について
⚑.対象年代の設定
志田鉀太郎が,玉木為三郎および粟津清亮とともに保険学会の名称で⽝保
険雑誌⽞7)を発行開始したのが1895年である。そこで本稿は1895年から志田
(1927a)発行の1927年までを対象とし,さらに必要に応じてその前後8)をも 視野に入れ考察する。
⚒.当時の政治・経済状況
⑴ 政治・経済状況の概括的特徴
① 所得格差の拡大
本稿の研究は大正期を中心として明治末期ならびに昭和初期を対象とする。
その時期は⚓つの戦争(日清戦争,日露戦争,第一次世界大戦),関東大震 災などダイナミックな環境変化を経験するという特徴を持つ。明治維新以来,
先進国への仲間入りという念願を持ち,富国強兵・殖産興業に努め,関税自 主権の確立という形で経済主権を回復し先進国の一員として日本が出発し始 めた時期でもある。
しかしながら産業勃興の陰で,図表⚑.のパレート指数9)の推移からも判 明するとおり,都市家計と農村家計との豊かさ格差が継続的に進行10)してい た時代でもある。
7) 1895年⚙月,志田鉀太郎,玉木為三郎,粟津清亮の⚓人により⽝保険雑誌⽞
初号が発刊され,⽛保険雑誌発刊の趣旨⽜として⽛現時ノ紛擾ヲ済ヒ,将来ノ 進路ヲ照ラサン⽜(原文は旧字体)との掲載がなされた(福田 2015,p. 334)。
8) 明確に1895年および1927年にて時代を区切ることは困難であり,考察に際し 必要に応じて,その前後をも対象とした。
9) パレート指数は値が小さい程,不平等度が増すというベニーニの見解が通説 とされる(木村 2004,p. 3)。
10) この状態について,志田(1913)において⽛今日の田舎は恰も新日本の衣装 を着せる旧日本人の集合に外ならない⽜とし,⽛田舎を着実に改良する必要あ り⽜(志田 1913,p. 44)と警鐘を鳴らした。
② 保険部門の役割の高まり
上記図表⚑.の家計所得の推移から経済成長も見てとることができる。経 済成長は,民間金融部門における保険部門の一層の役割発揮を促すものでも あった。1917年からの10年間に⽛生命保険は約⚕倍の契約増加を示し,火災 保険に於いては約11倍の契約増加を示している⽜(太田 1927,自序)との状 況が生まれ,志田(1927a)発行の当時は,保険の一層の役割発揮が期待さ れた時代だったのである。志田(1927a)は第六章に⽛第三節 保険の将来⽜
を起こし,小島(1929)は序に⽛今日は,尚ほ,保険學の黎明期である⽜
(小島 1929,p. 3)と書く。志田も小島も,保険に寄せられる期待感を明確 に意識していたことの反映と考える。
⑵ 政治・経済状況と経済学および保険学の動向
当時の政治・経済状況と経済学およよび保険学の動向について考察する。
図表⚑.所得の成長と格差の拡大(パレート指数の推移)
(Otsuki and Takemoto(1978)をもとに筆者作成)
当時の時代環境を年代別区分11)(1891~1900,1901~1913,1914~1931)に あわせ整理した。
経済学関係書については,日本経済学史の研究書である住谷(1967)に記 載の経済書(pp. 446-454)と志田の膨大な蔵書とのつき合わせを行い,志 田が蔵書12)していた経済学関係書について付録図表A.に記載した。さらに,
住谷が記載した著書数と,それらと重複する志田の蔵書数および明治大学図 書館の蔵書数との比較調査を行い,図表⚒.にとりまとめた。この調査によ り,志田が保険という経済現象が抱える問題解決のために,経済学の研究は 必須のものであった,と考えていたその程度との相関を明らかにすることが できる,と考えたのである。
さらに,保険学関係書については粟津(1934)が⽛系統的に記述した著 書⽜と評価している11冊(p. 16)に関して,志田の蔵書の有無を確認した。
11) 年代区分および時代環境内容については,安藤(1979)をもとに筆者作成し た。
12) 志田の蔵書は,戦火による焼失を免れた総計8,540冊が明治大学に寄贈され 志田文庫(含:志田文庫⚒)として明治大学図書館に保存されている。その蔵 書とのつき合わせを行ったのである。
13) 住谷(1967)の最終年次とあわせ,年代の終わりを1918年とした。
図表⚒.課題を解決するための志田の研究の軌跡 年 代 住谷リスト数
a
志田が研究したと推量される経済学関係著書数 志田蔵書b 明治大学蔵書
C %((bc)/a*100)
1891-1900 88 6 30 40õ9
1901-1913 158 25 52 48õ7
1914-191813) 43 7 19 60õ5
合 計 289 40(13õ8%) 101(35õ0%) 48õ8
(筆者作成)
そして11冊の著者⚗氏14)につき粟津が記載した以外の著書で志田が蔵書し ていたものも確認し,そのつき合わせの結果も小括にとりまとめた。保険学 関係書の内容について研究した結果が志田(1927a)の根底に流れる思考に 反映しているもの,と考えたからである。
⚓.小 括
付録図表A.および図表⚒.から,経済学関係については住谷が記載した 著書と重複する志田蔵書は約14%であること,さらに年代が進行する毎にそ の割合が増加傾向を示すことから,保険学として社会の要請に応え課題解決 のために経済学の考え方を活用することを目指して研究を重ねていた姿勢を 傾向として把握することができる。保険学関係についてみれば,付録図表A.
の志田(1922)および志田(1927a)を除く著書数は22冊であり,図表にと りまとめは示さなかったが,そのうち16冊(73%)が志田の蔵書であり,残 りの⚖冊についても大学の蔵書に含まれている。社会の要請を肌に感ずる先 駆的研究者の一人として22冊すべてについて精細なる研究を行い,その先行 研究の成果を志田(1927a)の内容に採り込む研究を重ねていたものと調査 結果の傾向から把握することができる。
第Ⅱ章 ⽛保険学は経済学の一分科である⽜としたことについて
⚑.当時の経済学の動向
大正期の経済学の動向から,志田が何をくみ採り,何を志田(1927a)の 内容に活かそうとしたのか,という点を本章において考察する。
当時,日本資本主義の発展の一方で,1891年の濃尾地震,日清,日露の二 度の戦争,1905年の凶作,1896年の三陸大津波,1890年,1897-98年,1907- 08年には恐慌も連続して発生した(吉田 1998,p. 99)。そのような状況を背 景に社会労働問題も出現(飯田 1984,p. 52)し,社会が抱える課題を政策 的に研究を行う社会政策学派が登場する。藤井(2004)は,小林(1986-
14) 実際には,柴(1932)も含め⚘氏の著書の確認を行った。
1991)の研究成果もふまえ,⽛大正期の経済思想は⽝貧富の格差⽞の解消を課 題としていた⽜(藤井 2004,p. 55)とし,ただし⽛格差解消をはかる社会政 策学派を誕生させたが,政策提言中心の経済学が持つ有効性に疑問が付され,
資本主義経済のメカニズムを理論的に分析する理論経済学が台頭した⽜(藤 井 2004,pp. 55-56)とする。
志田は,政策提言から理論化へという経済学の動きから,保険学において も体系的理論化が必要との考えに結び付けていたものと考える。その具体的 現れが,志田(1927a)の⽛緒言⽜において⽛保険学は経済学の一分科であ る⽜との表明であり,その不可分のものとして⽛保険学の体系⽜を整理した ところにあると考える。
⚒.保険学と経済学との関係
保険学と経済学との関係,および保険学の体系について,志田に先行する 保険学研究の内容との比較考察を文献レビューにてアプローチし,志田
(1927a)の特色を明確にする。志田に先行する研究書として,付録図表A.
に記載の22冊15)を対象とし検証を行った。各著書の内容を解説することは,
本稿の目的ではない。なお,22冊すべての調査考察結果を掲載する誌的余裕 がないこともあり,特徴的な内容を有する⚕人の著者の著書16)について記載 する。
⑴ 奥村英夫(1903)⽝保険通論⽞
①経済学との関係について⽛保険に関する知識は極めて多面⽜(奥村 1903,
p. 序)の学術に関係するとし,その一つとして経済学を列挙する。②保険学 の体系について⽛保険経済あり或いは保険数学あり⽜(奥村 1903,p. 1)と 綜合保険学との認識を記載する。③被保険者間の保険料の公平なる分担の概 15) 志田(1927a)に先行するという点では17冊となるが,比較内容の有意性を
高めるため,22冊を対象とした。
16) 再訂版あるいは新刊も含め複数の著書を発行してる著者については,その思 考の到達点が最新のものに反映されていると考え,最新の著書の内容,とりわ け志田(1927a)に影響を与えたと考えられる内容あるいは志田(1927a)が 批判的に検証したと思える内容を記述する。
念につき⽛保険金多き者は其分担また多きは当然なり⽜(奥村 1903,p. 94)
とレキシス(Wilhelm Lexis)の影響とも思える認識を記載する。④レキシ スがその概念を明らかにしたのは1909年であり,本書発行の1903年には奥村 は知り得なかったはずである。ただし志田がレキシスの講義を受講したのが 1900年であり,ドイツに留学していた(粟津 1951,p. 13)奥村と志田との 間にレキシスの概念について共有されていた可能性を否定できない。
⑵ 粟津清亮(1909)⽝保険学綱要⽞
①保険学と経済学との関係についての記述はないものの,ヘルマン
(Herrmann)の⽛保険は経済学の継子なり⽜(粟津 1909,p. 87)を引用し,
経済学から保険学へのアプローチがないとの認識を示す。②⽛本書は専ら経 済学の立脚地より保険の原理と政策を論究し,併せて各種保険の組織運転に 関する知識を説明⽜(粟津 1909,p. 7)するとし,保険学の体系化の説明は おこなっていないが,保険総論に該当する所については経済学の立場から論 究し,各論に該当する所については,保険技術論的解説を行う,と論述する。
③⽛近来保険を純正経済学中に記述する学者は多く之を消費論に収めたり⽜
(粟津 1909,p. 95)とし,需要サイドの見方が主流になっているとの認識を 記述する。④志田が保険学の体系化をはかった,その淵源を本書に見いだす ことができる。また入用充足という需要サイドからの見方への方向感も得て いた可能性もある。
⑶ 汀鷗生(1916)⽝官営か民営か⽞
①保険への加入に際して,欲求が動機となり経済的入用17)を考慮した上 で加入するとの趣旨の論述を行う(汀鷗 1916,p. 15)。②保険について,需 要サイド18)からの保険の意義としての見方と,供給サイドからの保険の⽛効 用⽜としての見方を明確に区分して論述を行う。③本書は志田の蔵書中の一 冊であり,保険事象を両サイドからとらえるという志田(1927a)の根底に 流れる論理と共通するものを見いだすことができる。
17) 本書は,入用という用語そのものは使用していない。
18) 本書は,需要サイド,供給サイドという用語そのものは使用していない。
⑷ 小島昌太郎(1929)⽝保険学要論⽞
①小島(1925)の冒頭にて⽛保険と経済の根本関係に立脚⽜するとの考え 方は,小島(1929)においても一貫する。しかし,それは保険学と経済学と の関係を整理しようとするものではない。②また小島(1929)の冒頭にて
⽛交換原則の下に於いて⽜と思考を発展させ,保険学は保険事業者サイドと 保険契約者サイドの両面から研究する学問であるとの趣旨を記載する。その 一方で保険は⽛資本主義社会の短所を補う働きをなすもの⽜と保険事業者サ イドの見方から保険の本質を記述する,と矛盾する一面を持つ。③⽛保険学 の名に値するものは保険たるところの総てのものを包括⽜と,綜合保険学と 考えている(小島 1929,p. 1)ことを明確にする。④保険学と経済学との関 係について⽛保険学は経済学の一分科たるものである⽜(小島 1929,põ 24)
と述べ,小島(1918)および小島(1925)では表明していなかった考え方を 記述する。この点は志田(1927)等の影響と考えることが可能である。ただ し小島(1929)の⽛一分科説⽜は,⽛保険事象は,他の経済事象とは全く異 なる特殊性⽜を有し,⽛保険学は,経済学において独立の一部門を構成する⽜
(小島 1929,põ 24)とする。志田(1927a)の保険事象を経済学を活用し研 究した考え方とは異なるものを見いだすことができる。
⑸ 三浦義道(1933)⽝改定:保険学(11版)⽞
①保険学は保険の綜合的研究を目的(三浦 1933,p. 2)するとし,保険学 の体系ならびに経済学との関係についての整理は不十分である。②保険料の 公平の考え方を述べたうえで,この考え方は保険契約者にとって難解とし,
その理解の困難性が課題であるとの認識を示す。保険の普及教育につき,志 田(1927a)も保険教育政策として記述する(p. 139)が,具体的な保険料の 公平の考え方について説明を尽くすことの重要性を述べてるのは,三浦だけ である。③レキシスが使用した将来の需要19)という考え方の紹介も行う。レ キシスの⽛合理的な交換経済の原則に由る⽜との説も記述しており,この点
19) künftige Bedarfsfalle に将来の需要という訳を与えている。
は志田の保険料の考え方に影響をもたらしていた可能性がある。④保険の本 質について需要説を採用すると言明したうえで,保険について主観と客観の 両面より観察することの重要性も記述し,需要の充足は主観的要件であり,
分配は客観的要件であるとする。さらに志田が需要といわずに入用という用 語を採用することについて,主観的概念を示すものであるとの解説も行う。
主観,客観の両サイドから保険をみる,という点につき志田(1927a)が大 きく影響を受けている,あるいは双方が影響を与えあった可能性がある。
⚓.志田(1922)と志田(1927a):小括にかえて
志田(1922)は付録図表A.に示したとおり,一橋大学において保険学の 講義開始の際に志田が保険学(総論)として講義をおこなった内容を刊行20) したものである。志田(1927a)と大きな変更点はないが,決定的な相違点 がある。志田(1927a)が⽛緒言⽜の項を起こし,⽛経済学一分科説⽜と
⽛保険学の体系⽜を明記したことである。⚗年の間に,経済学各説の発展お よび保険学研究者の成果を採り入れ理論構築を進展させ,よって保険学(総 論)全体にわたり経済学の考え方を活用した研究を可能にした,という特色 を志田(1927a)に見いだすことができる。
第Ⅲ章 ⽛経済生活確保説⽜および⽛入用充足説⽜
⚑.⽛経済生活確保説⽜と⽛入用充足説⽜の考察
小島の提唱した⽛経済生活確保説⽜は主として供給サイドからの見方を反 映した学説であり,志田の提唱した⽛入用充足説⽜は需要サイドからの見方 を反映している,といえよう。小島の見方については,志田が経済学の考え 方から指摘していることであるが(志田,1928,p. 4),小島が Bedürfnis と Bedarf をともに⽛欲望⽜と訳出している点を指摘せざるをえない。その点 に関し,次の通り三点を述べる。
第一に小島は,志田が入用という考え方の創出に結び付けたイタリアの経 20) CiNii books によれば,全国の大学図書館において所蔵しているのは大分大
学における一冊のみである。
済学者ゴッビ21)(U. Gobbi)の論文として,ゴッビ(1897)にもとづいて考 察を行っている。しかし志田が研究した論文はゴッビ(1894)である。参照 した論文が異なる。その食い違いが生じた理由22)は明確ではないが,ゴッ ビ(1897)には Bedarf という用語は一つも現れず,Bedürfnis のみ現れる23) との点を指摘できる。ゴッビ(1894)には Bedürfnis も Bedarf も現れるが,
主として使用されているのは Bedarf である。第二に小島(1929)は,ロッ シャ―(Roschcer)が1854年の著書に⽛Bedarf というのは Bedürfnis の総 括的用語である⽜(小島 1929,p. 186)と述べていることを,両用語の同一 視の理由にあげる。しかし,ロッシャ―はその11年前に歴史学派宣言たる
⽝国民経済学講義要綱⽞を発行し,Bedarf を⽛必要量⽜という意味で使用し ている(Roscher 1843,S. 16)。ロッシャ―は Bedarf に経済学上の主観的認 識という意味に加え,量の属性を与えている。Bedürfnis は⽛欲望⽜あるい は⽛必要⽜という主観的認識の意味だけで使用される。第三に⽛経済生活確 保説⽜の源になっているのはフプカ(Hupka)の1910年の論文⽝保険の概 念⽞である。この論文には Bedürfnis も現れるが,Bedarf もより数多く使 用されている。上記二点からすれば,フプカ(1910)の論文についてまた異 なる視点での考察も可能であったと考える。さらに言うなら,フプカ
(1908)には Bedürfnis も Bedarf も現れるが Bedarf は一か所にしか現れず,
その⚒年間でフプカの経済学上の考え方に関する認識が進展していた可能性 がある。
次に⽛経済生活確保説⽜と⽛入用充足説⽜を需要・供給サイドの視座を通 して考察を行う。
⽛経済生活確保⽜の考え方につき⽛不確実な未来における変化事故24)⽜ 21) 小島は,ゴビーというテクストを使用している(小島 1929,p. 186)。
22) 印南が⽛オーストリア保険新聞に⚒号に亘って連載され⽜⽛稀観書⽜(印南 1942,p. 2)としていることから,小島が Gobbi(1894)を入手するのは困難 だったのかもしれない。
23) 筆者が目視確認した結果である。第一から第三まで同じく筆者確認した結果。
24) 筆者試訳。なお小島は⽛不知なる未来の変化⽜(小島 1929,p. 201)と訳し,
(Hupka 1910,S. 565)とフプカのいう事象の変化に,図表⚓.のとおり時 間軸を設定し考察をおこなった。フプカが動機と述べた⽛未来における変 化⽜から⽛回復⽜に至るプロセスは消費者サイドからの主観的見方によるも のである。しかし,主観的な価値の評価という要素は含まれない。経済生活 確保の考え方における⽛生活レベル確保⽜は,消費者の主観的な評価に基づ く意思決定,すなわち消費行動を説明するものというより,供給サイドの視 線により保険契約の有用性たる結果を説明しているものといえる。小島
(1918)において⽛危険が被保険者の立場において用いられる場合,⽝経済生 活の不安定⽞という意義と解すべきである⽜(小島 1918,p. 85)と述べてい ることからも明らかである。
一方,⽛入用充足説⽜に関しては,三浦も志田の考え方は主観的と述べてお り,また志田自らも,主観的認識である⽛欲望(Bedürfnis)が入用(Bedarf)
となって経済問題になる⽜(志田 1927b,p. 2)と述べていることから,⽛入 用充足説⽜は需要サイドからの主観的価値評価を反映する経済学の考え方を 久須美は⽛測ル可ラサル未来ニ於ケル栄枯盛衰⽜(フプカ 1910,pp. 1839-40)
との訳を与えている。
図表⚓.時間軸を加えた経済生活確保
(筆者作成)
活用しているものである。さらに経済人の合理的な考え方であるともいえる。
ただし,入用充足の概念は経済学上の欲望満足の考え方を保険学において発 展させており,その結果として難解で熟慮を伴うという点も指摘せざるをえ ない。やや難解であることは志田も承知し,志田(1927a)は⽛火災に罹る ことを予想すれば,或いはその場合新たに家屋を建築しようという考えも出 で⽜と⽛財産入用の予定を惹起する所の意思決定⽜も容易である,と強調す る(志田 1927a,p. 32)。難解との点に関し,本稿は何故ゴッビ(1894)が Bedarf という主観的な評価を表わす経済学上の用語を採用したのか,とい う疑問を抱き,イタリア経済学の系譜に疑問を解く鍵があるのではないか,
との問題意識から確認を行った。18世紀イタリアに効用理論の創始者ともい われるガリア―ニ(Galiani; 1728-1787)がいる。その主著のドイツ語版では,
Bedarf にロッシャー同様⽛必要量⽜との意味を与えている(Taberelli 1999,
S. 85,S. 110)。さらにその主著をドイツの経済学者ガンツォーニ(Ganzoni)
が解説し,Bedarf には⽛何かの時の穀物の国家備蓄の量⽜との意味がある と説明する(Ganzoni 1938,S. 85)。その概念図を図表⚔.に示す。
図表⚔.ガリアーニの Bedarf と志田の入用
(筆者作成)
⚒.小 括
ロッシャー(1843)およびガンツォーニ(1938)から,入用とは⽛何かの 時の入り用⽜を金銭に見積もって主体者が評価したもの,と解釈することが 可能であり,志田がその経済学上の考え方を活用し保険学に採用したものと いえる。
本章の小括として,二つの学説につき図表⚕.にて整理を行った。
第Ⅳ章 経済学上の⽛効用⽜と保険の⽛効用⽜
⚑.経済学上の⽛効用⽜と有用性としての⽛効用⽜
カーネマン(Daniel Kahneman)は⽛効用⽜には歴史的に二つの全く異な る意味がある,と記述する(Kahneman 2012,p. 377)。一つは,何をするか を決定するときに決定的な要素となるのは苦しみおよび喜び28)という,経験
図表⚕.二つの保険学説の需要・供給サイドからの分類
学 説 定 義
需要サイドから の定義か供給サ イドからの定義 か
発展可能性理論化
経済生活確保説
保険とは,経済生活を安固な らしむるがために,多数の経 済主体が団結して,大数の法 則に従い,経済的に共通財産 を作成する仕組みである25)。
供給サイドと 需要サイドの 混在
可能性あり (第Ⅴ章)
入用充足説26) 保険は特に偶然的入用の充足 を目的とする経済施設に外な
らない27)。 需要サイド 可能性あり
(第Ⅴ章)
(筆者作成)
25) 小島(1929)pp. 54-55。
26) 志田は,志田(1927a)等においては財産入用説と呼称している。
27) 志田(1941)p. 579。
28) カーネマンがいうように,シーニアは⽛効用とは快楽を生み又は苦痛を防ぐ
的⽛効用⽜といえるものとし,もう一つは,欲求満足の程度という意味の経 済学上の⽛効用⽜29)といえるものであるとする。この経済学上の⽛効用⽜は,
期待効用理論において自己の利益を最大化する意思決定の要素として使用さ れているものである。なお,⽛効用⽜にはさらにもう一つの意味があり,そ れが本章がテーマとする⽛効用⽜である。それは⽛観察者によって理解され るような有用性⽜(松浦 2001,p. 19)と言う意味で使用される。
第Ⅲ章に記述したイタリアのガリアーニは主著⽝貨幣論⽞(Galiani 2017,
邦訳)にて経済学上の効用理論を展開するが,一方では⽛有用性⽜の意味の
⽛ 効 用 ⽜も 数 多 く 使 用 し,⽛ 支 払 い の 容 易 さ と 比 類 の な い 安 全 性30)⽜ (Taberelli 1999,S. 368)と銀行の効用を記述するなど,供給サイドの有用 性の意味の⽛効用⽜と,需要サイドの主観的意思決定の要素としての経済学 上の⽛効用⽜とを,同一の著書に併用する。需要サイドからの見方なのか,
供給サイドの見方なのか,という点さえ明確にしておけば,経済学上の⽛効 用⽜と有用性の意味の⽛効用⽜は,十分併用可能なのである。
⚒.志田の経済学上の考え方
経済学上の⽛効用⽜の認識について,志田自身が説明する著述等は見当た らない。しかし1927年の講演31)にて語った内容には,経済学上の⽛効用⽜
は “from Wants to Satisfaction” という主観的欲望満足であるとの認識がと てもよく表れる。
経済と謂ふことを観念するのには,我々の欲望という観念から出発し なければなりません。其欲望(Wants)なるものは種々様々の物事に就 き欠乏を感ずる場合に起るものであって,此欠乏の状況を何とか始末し て脱却したいと思う心である。経済上の欲望においては,我々の物質生
力である⽜(Senior 1929,邦訳,pp. 13-14)としている。
29) カーネマンは,決定的効用という用語を使用しているが,本稿は,経済学上 の⽛効用⽜という用語を使用した。
30) 筆者試訳。
31) ⽛経済の話⽜⽝千葉薬学誌⽞第⚘号 pp. 1-10,講演日1927年⚕月⚗日。
活即ち我々と外界との直接関係から起こる欲望に限るのである。物質上 の欠乏を感じ之を始末して欠乏を感じなくなる様にするのは欲望の満足
(Satisfaction of Wants)である。
⚓.福田(1911)の⽛利用⽜そして粟津(1894)の保険の⽛利益⽜
大正期に厚生経済学の基礎付けを試みた経済学者の福田は,主観的認識 である満足の度合いを表わす経済学上の utility に⽛利用⽜(福田 1911,
pp. 190-191)という訳語を与えた。それは,⽛利用⽜の程度と物財の価格と の相関を見いだそうとの意図からの訳出であった。一方,保険学の分野の粟 津(1894)には⽛第二章 保険の直接的な効用⽜,⽛第三章 保険の間接的な 効用⽜が現れる。しかし粟津(1909)では,保険の⽛効用⽜の用語に代えて 保険の⽛利益⽜という用語が使用される。⽛各個人に与える所の直接の利益 なり⽜(粟津 1909,p. 214)と有用性の意味であることが明示され,かつ供 給サイドの視線からの記述とする。このように,福田は⽛利用⽜と訳出した ものの経済学上の⽛効用⽜は需要サイドからの主観的認識を示すものとし,
また粟津は⽛利益⽜という用語に代換したものの保険の⽛効用⽜は供給サイ ドの視線からのものとした,のである。そして,志田(1927a)には,第四 章に⽛保険の効用⽜(pp. 69-86)が著わされる。⽛第一節 経済上の効用⽜
そして⽛第二節 一般社会上の効用⽜という構成である。供給サイドからの 一貫性をもった視線にて考察されており,保険の⽛有用性⽜についての記述 となっている。この記述には福田と粟津の研究成果,とりわけ保険の⽛効 用⽜については粟津の成果を採り入れている可能性を指摘できる。
⚔.小 括
志田(1927a)は,福田と粟津が⽛効用⽜ではなく別の用語を使用してい ることを踏まえ,経済学上の⽛効用⽜と保険の⽛効用⽜という場合には異な る意味を持つということを研究成果として採り入れていたと考えられる。さ らに保険の定義を需要サイド,保険の⽛効用⽜を供給サイドから考察する。
経済学の交換経済の原則に則り,志田(1927a)の内容全体を通じ両サイド からの考察結果の調和を図っているのである。
第Ⅴ章 結 論
⚑.需要サイドと供給サイドからの考察
志田(1927a)は⽛保険学は経済学の一分科⽜との提唱と,不可分のもの として⽛保険学の体系化⽜をはかり,保険学全体に対して経済学の考え方の 活用,とりわけ需要サイドと供給サイドからの考察を行っている,という特 色を持つ。
そこで,需要サイドと供給サイドの視線による分析の姿勢がよく現れるレ キシス32)の原理(給付・反対給付均等の原則:das Prinzip der Gleinheit von Leistung und Gegenleistung)と志田(1927a)における保険料の記述を見て みよう。志田(1927a)にはレキシスの原理についての直接的な記述は登場 しない。しかし,第九章の保険料の項(p. 124)において入用充足の考え方 とも合わせた内容にてレキシスの原理の考え方についての説明を行う。その 要旨33)は次のとおりである。
①保険事業の経営者は事業危険の程度を計算し,それに相当する金額を加 入者より,保険料として徴収する。②これは加入者各自から見れば公平な負 担の実行である。③保険料は,純保険料と付加保険料とに分けることができ る。純保険料を,保険事業者が加入者全体から受採り,加入者の予定する財 産入用をことごとく充足すれば理論上は残余のない金額である。
レキシスの原理の数式
から,総保険料
総保険金と理解しがち であるが,正しくは⽛個々の保険料は,受領するかもしれない保険金の期待 値に等しい⽜(近見 2006,p. 33)と説明される。レキシス自身は,“zwi- schen den beteiligten Vʼten34) das Prinzip der Gleichheit von Leistung und 32) 志田と印南にはテクストの異同がみられる。志田は,レキシスとし(志田 1926,p. 9),印南は,レクシスとする(印南 1941,p. 13)。本稿は,レキシス を使用する33) 保険料の記述に関しては,志田(1934)は志田(1927 a)に比べ大幅な訂正 を加えている。保険料の要旨に関しては,志田(1934)にフォローした。
34) 原書のまま。Versicherten(被保険者)の省略形である。
Gegenleistung massgebend bleibt” (関係する被保険者間においては給付・反 対給付均等の原理が基準となる35))と,被保険者間の保険料の公平性として 述べる。その一方でレキシスは,“V.36)im wirtschaftlichen Sinne” (経済上の 意味)として,保険は “nach dem tauschwirtshcaftlichen Prinzip” (交換経 済の原則に従う37))(Lexis 1909,S. 216)と字体も変え強調して述べる。交換 経済の原則に則ることで, を需要・供給サイドの視線から考察可能 となる。保険料は加入者が支払うもの,保険金は保険事業者が支払うもの,
と考えると,保険料が需要サイド,保険金が供給サイドと考えてしまいがち である。しかし志田(1927a)は,は将来の入用の金額,すなわち需要 サイドからみた金額であること,(保険料)は保険事業者,すなわちが供 給サイドが決定する金額である,と記述する。現代の保険料決定の仕組みに つながる考え方である。
⚒.現代につながる発展可能性
⑴ ⽛経済生活確保説⽜および⽛入用充足説⽜:現代につながる寄与可能性 第Ⅲ章図表⚕.に⽛経済生活確保説⽜および⽛入用充足説⽜のいずれの考 え方にも現代につながる発展可能性を示唆していると記述した。まず⽛経済 生活確保説⽜に関しては,図表⚓.に示す⽛現在の生活レベル⽜を⽛参照 点⽜とすることが可能であり,かつ⽛未来における変化⽜から⽛回復⽜とい うプロセスを消費者としてイメージし易く,効率的な消費行動を可能にする。
現代における行動経済学による需要サイドからの分析に寄与する可能性を秘 めている。また⽛入用充足説⽜における⽛入用⽜の考え方は,合理的な消費 行動分析につながるものである。いったん⽛入用⽜について金銭的見積もり が行われると,損害保険の契約の更改や生命保険の契約継続期間中の見直し に際し,その⽛入用⽜を⽛参照点⽜として活用することができる。
このように⽛経済生活確保説⽜も⽛入用充足説⽜も単に歴史的意義をもつ 35) 筆者試訳。
36) 原書のまま。Versicherrung(保険)の省略形である。
37) 筆者試訳。
だけでなく,現代においても消費行動分析活用に寄与する可能性がある。
⑵ 保険の⽛効用⽜:現代につながる寄与可能性
本稿は,志田(1927a)の保険の⽛効用⽜は供給サイドから見た考え方と 指摘した。第Ⅱ章に記載した汀鷗は1916年当時,東京毎日新聞社主筆という 役職にあったが,その著⽝官営か民営か⽞において⽛副貮的利便⽜として次 のように記述する。①保険会社の診察医に依り,在来本人にも知れなかった 疾患が発見され,大患を未然に知り(以下,略),②悪疫流行の際に被保険 者のため生命保険会社が無料予防注射を行い,と⽛効用⽜について記述する
(汀鷗 1916,p. 22)。汀鷗の記載は一例であるが,保険会社という供給サイ ドの視点からの保険の⽛効用⽜にかかわる考察は,現代における自動運転技 術やインシュアテックの考察に寄与する可能性がある。
⚓.まとめ
志田(1927a)は,先行研究の成果を採り入れ,⽛経済学一分科説⽜の提 唱と不可分のものとして⽛保険学の体系化⽜を明示した,という特色を持つ。
そして本稿は文献をレビューすることにより,志田(1927a)が,当時の社 会が抱える問題解決にむけ,保険学において経済学の考え方を活用した理論 構築を行った,との意義を導きだすことができたと考える。そのもっとも具 体的な現れが⽛入用充足説⽜であり,現代から見て合理的な消費行動ともい うべき理論構築もにつながっていると考える。
志田が意識していたかどうかは別にして,保険事象を考察する際に,需要 サイドからの考察か,供給サイドからの考察か,と明確に定めていた姿勢を 見いだすことができたと考える。志田鉀太郎のその姿勢の根底に流れるのは,
保険事業者の発展と消費者被保険者の繁栄という社会の要請に応えることが 保険学の基本的な研究目的である,との信条を堅持していたことにある,と 本稿は結論付ける。
(筆者は明治大学大学院商学研究科博士後期課程)
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38) 保険教育の内容および年次については資料により若干の相違がみられるが,
本稿は志田(1932,p. 1)にフォローした。
付録図表A.政治・経済状況と経済学および保険学の動向
年代別:政治・経済状況 学会創立,
志田の経済学関係蔵書 学会創立,保険教育38), 志田の保険学関係蔵書 1891~1900
日清戦争 1894
下関(講和)条約 1895 国家学学会創立 1887 田口卯吉⽝続経済策⽞ 1890 エンゲル⽝統計の神髄⽞ 1894 ロッシア⽝商工経済論⽞ 1895 レキシス⽝商業経済論⽞ 1895 日本社会政策学会創立 1896 田島錦治⽝最近経済論⽞ 97 瀧本誠一⽝経済的帝国論⽞ 97
粟津清亮⽛保険の効用を論
す⽜ 1894
保険学会の名称で⽝保険雑 誌⽞発行開始 1895 東京帝国大学,保険演習開
設 1897
東京高等商業学校,保険科
設置 1897
粟津清亮⽝保険論集⽞ 1899 村瀬春雄⽝海上保険⽞ 1900 日本アクチュアリー会創立 ドイツ保険学会創立 18991899 金本位制の確立 1897
海運・造船業の発展 造船所数の推移 1890年53所1900年153所 日本郵船・大阪商船の国際 航路開設ラッシュ
製糸業の発展 輸出額の推移 1890年 13,859(千円)
1930年419,109(千円)
商法公布 (1899)
(地震火災免責)
1901~1913
八幡製鉄所の創立 1901 生産能力の発展
1901年 566,960トン 1906年 749,200トン
福田徳三⽝国民経済原論⽞ 03 天野為之⽝経済学綱要⽞ 1905 堀江帰一⽝国際商業政策⽞ 05 高野岩三郎⽝財政原論⽞ 1906 福田徳三⽝経済学講義⽞ 1907 福田徳三⽝経済学研究⽞ 1907 井上辰九郎⽝外国貿易論⽞ 07 ジェンクス⽝産業合同論⽞1907 社政学会編⽝勞働問題⽞ 08 クロポトキン⽝法律と強権⽞1908 瀧本誠一⽝日本経済学説⽞1908 桑田熊蔵⽝労働保険⽞ 1909 井上友一⽝救済制度要義⽞ 09 戸田海市⽝合同⽞ 1910 河田嗣郎⽝社会主義論⽞ 1910 河田嗣郎⽝社会主義論⽞ 1910 森弘元⽝労働保険論⽞ 1911 福田徳三⽝経済学教科書⽞ 11 神戸正雄⽝日本経済政策論⽞ 1 氣賀勘重解説⽝経済原論⽞ 11 フェター⽝物財の価値⽞ 1911 高岡熊雄⽝農業政策⽞ 1912 神戸正雄⽝経済学講義⽞ 12 フィッシャー⽝資本及利子歩合⽞
1912
奥村英夫⽝保険通論⽞ 1903 粟津清亮訳⽝生死論⽞ 1904 東京帝国大学,保険学講義
開始 1907
粟津清亮⽝保険学綱要⽞1909 中島好太郎⽝保険総説⽞1911 粟津清亮⽝保険講話⽞ 1912 三浦義道⽝保険事業論⽞1912 日露戦争 1904
日露講和(ポーツマス)条約 軍備拡張海軍工廠の発展
職工数の推移 1899年 14,278人 1912年 43,082人
鉄道国有法 1905
日露戦争後の恐慌 資本高の推移
1907年 524,891(千円)
1914年 151,078(千円)
商法改正 1911
(地震免責採用されず)
関税自主権の確立
日米・日英・日独修交通商
航海条約 1911
(筆者作成) 1914~1931
第一次世界大戦とブーム 貿易収支推移
1912年 △92(百万円)
1916年 453(百万円)
1920年 1,364(百万円)
戦後恐慌(1920)
本庄栄治郎⽝西陣研究⽞ 1914 松尾音次郎⽝企業集中⽞ 1914 上田貞次郎⽝戦時経済講和⽞
中川正左⽝鉄道論⽞ 19151916 ビュッヒャー⽝経済的文明史論⽞
1917 黎明会39)組織発足 1918 東京帝国大学,経済学部
独立 1919
佐々木惣一⽝法制経済教科書⽞
1919(初刊1913) 上田貞次郎⽝株式会社経済論⽞
1921(初刊1913) 河津暹⽝商業政策⽞
1923(初刊1903)
社会経済史学会創立 1930 日本統計学会創立 1931
日本経済学会創立 1934
汀鷗生⽝官営か民営か⽞1916 粟津清亮⽝保険学⽞ 1917 小島昌太郎⽝保険ト経済⽞18 粟津清亮⽝改定保険学綱要⽞
1920 一橋大学,保険学一般および 保険各論の講義開始 1922
志田鉀太郎⽝保険学(総論)⽞
1922 都築直三⽝一般保険原理⽞23 三浦義道⽝保険学⽞ 1924 小島昌太郎⽝保険本質論⽞25 粟津清亮⽝生命保険十七講⽞
志田鉀太郎⽝保険学講義案:1926
全⽞ 1927
末高信⽝私経済保険概論⽞28 小島昌太郎⽝保険本質論:
全⽞ 1928
小島昌太郎⽝保険学要論⽞29 柴官六⽝保険学概論⽞ 1931 末高信⽝私経済保険学⽞1932 関東大震災 1923õ9õ1
被害額:総計5,506õ4百万円 建物 1,874õ7 家財什器 869õ5 工場 238õ3 商品 2,136õ7 その他 155õ4
米騒動 1918
中国進出:対中国事業投資 1914年 385(百万円)
1931年 1,364(百万円)
ワシントン体制
ロンドン海軍軍縮条約 1930 補助艦保有量(単位:トン)
日本 アメリカ イギリス 267,050 526,200 541,700 金融恐慌 1927
休業銀行数 44行 教育の高揚 大学令(1918)
大学数 1910年 3校 1930年 46校
39) 福田徳三等が,民本主義の発展普及につとめるため発足させた団体。1920年 に解散。