企業リスク,事業リスクの定量化に ついての一考察
⎜⎜ 事業リスクマネジメントの検討 ⎜⎜
後 藤 和 廣
■アブストラクト
企業価値,事業価値の維持増大は,企業経営の重要な目標の1つである。
DCF法を使い企業価値,事業価値を定量化すると,その値は変動し,また 株価等の他の指標とも乖離する。企業価値,事業価値を定量化した数値とそ の期待値や株価等との乖離をリスクと定義することで,企業価値,事業価値 のリスクマネジメントを行うことができる。企業はリスクマネジメントの実 践により,企業価値,事業価値の変動を減らし,その維持増大を図ることが できる。そして,必要な株主資本を準備することで,倒産を回避できる。本 稿では,企業価値,事業価値を定量化し,期待値,リスク量,リスクマネジ メントに必要な資本量の考え方を,モデルを設定しモンテカルロDCF法を 使い,説明する。
■キーワード
企業価値,事業価値,リスクマネジメント
はじめに
ここ2〜3年の間にリスクマネジメントが話題にされる機会が著しく増大 した。企業の内部統制の整備が,会社法及び金融商品取引法で明文化され,
*平成18年12月26日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成19年8月23日原稿受領。
企業はその整備を行い開示 することが義務づけられた。内部統制の構成要 素の1つがリスクアセスメントであると,内部統制のデ・ファクト・グロー バル・スタンダードである 内部統制の統合的枠組み で明確にされた 。 このため,企業等は内部統制を整備するにあたり,リスクマネジメントが重 要と認識するようになった。さらに, 内部統制の統合的枠組み を作った トレッドウェイ委員会組織委員会 (COSO と略称される) は,内部統制 とリスクマネジメントを一体化した エンタープライズ・リスクマネジメン ト の実践を提唱している 。
また,コーポレート・ガバナンスの視点から企業価値,事業価値の維持・
拡大の重要性が説かれ,不確実な事象による価値の減少を防ぐためにリスク マネジメントの必要性が認識され始めている。企業価値,事業価値の維持・
拡大は,企業の事業戦略の中核であり,リスクマネジメントは企業の基幹業 務の一環として,今後益々重視されると予想される。
企業価値,事業価値を重視するエンタープライズ・リスクマネジメントの 概念は,形成され普及しつつあるが,具体的なマネジメント手法は開発途上 にある。本稿では,割引キャッシュ・フロー (discount cash flow 以下 DCF) 法を使い企業価値,事業価値を定量化し,その変動をリスクとして とらえマネジメントする手法を検討し,リスクマネジメントへの活用に触れ たい。
1) 会社法は 業務の適正を確保する体制 を,金融商品取引法は 財務報告に 関わる内部統制 の開示を求めている( 会社法 362条, 会社法施行規則 第100条,第118条, 会社法経週措置政令 第14条 及 び,企 業 会 計 審 議 会,
財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準並びに財務報告に係る内部統 制の評価及び監査に関する実施基準の設定について(意見書) (2007)p.10 参照)。
2)
COSO著,鳥羽至英, 田進二,高田敏文訳, 内部統制の統合的枠組み理
論編 (1996)p.27他。3)
COSO著, 田進二監訳,中央青山監査法人訳, 全社的リスクマネジメン
ト フレームワーク編 (2006)p.7他。1.企業価値,事業価値の概念
⑴ 企業価値,事業価値の概念
企業価値,事業価値はさまざまな視点から論じられる概念である。西沢脩 氏は,図表1のように分類している。この中で重要な視点は,株主から見た 株主価値,事業面からみた事業価値,市場からみた市場価値であろう。
株主価値は,配当,値上がり益等,投資する株式から将来得られる利益の 総額を表していると考えられる。事業価値は,事業活動から得られる利益,
キャッシュ・フローの総額のことを示す。市場価値は,最近活発に行われて いるM&A等では,取引対象である企業,または,企業が有する事業の一 部の取引価格となる。企業価値は,投資する資金と比較し採算がとれるか否 かを判断する基準となるので,株式投資,事業経営,M&Aいずれの場合も
<図表1> 各種の観点から見た企業価値 企業価値
狭義の事業価値
広義の事業価値
金融資産価値
企業価値 ステークホールダー
●株主
●顧客
●消費者 継続企業
●清算面
●事業面
●市場面 事業対象
●企業全体
●プロジェクト
出所:西澤脩 企業価値の会計と管理 (2005)
p
.60 株主価値 顧客価値 ブランド価値 企業価値 清算価値 事業価値 市場価値 事業価値 清算価値プロジェクト別の事業価値 から見た
から見た から見た から見た から見た から見た から見た から見た から見た から見た から見た
重要な概念である。
また,意志決定時にはその額が未確定である将来得られる利益,キャッシ ュ・フローに基づき算定されることから,企業価値には不確実性が伴い,期 待値(予想値)とは異なる結果となる可能性,すなわちリスクがつきまとう。
企業価値の変動リスクは,事業活動から得られる利益またはキャッシュ・フ ローに基づき算出されることから,企業戦略に関わるリスクである。
企業価値は 1つの特定の企業の価値 であるので,どの視点から見ても 同一 とされることが多いが,実際に試算してみると 同一 となること は少ない。この理由として以下のことが考えられる。
・M&Aの場合,事業を 売る側 と 買う側 では,リターン,リスク の源泉である将来のキャッシュ・フローに関する判断が異なる。株式投 資においても同様である。
・利益,キャッシュ・フローは常に変動しており,いつの時点を基準に企 業価値,事業価値を算出したかにより異なる。
・後述するように,DCF法ではキャッシュ・フローを主観的に判断した方 がより実体に近い企業価値,事業価値が算出できるが,主観的判断のた めその算出結果は異なる。
企業価値の定義は,多様な視点から行うことができ,1つの明確な定義を 定めることは難しい。最も一般的な概念としては,西澤脩氏が渡辺茂氏の著 作 を要約した 事業価値に,直接事業にかかわりのない保有資産(金融資 産)の価値を合計したものが,企業全体の価値を表す。これが企業価値であ る であろう。
⑵ 企業価値の構成要素
図表2は企業価値の構成要素を示している。a列は企業価値の概念からみ た構成要素である。企業価値は有利子負債と株主価値から構成されている。
4) 渡辺茂, ケースと図解で学ぶ企業価値評価 (2003)。
5) 出所:西澤脩 企業価値の会計と管理 (2005)p.58。
株主価値は株主資本の時価総額であり,インカム・ゲインとキャピタル・ゲ インからなっている。そして,企業価値はb列のように,非事業用資産と 事業価値から構成されているとも考えられる。非事業用資産とは,純投資用 株式,運転資金等に当面使われない現金等である。事業価値は,事業から将 来生じるキャッシュ・フローの合計額とされる。DCF法を使い事業価値を算 出する場合は,将来のキャッシュ・フローの現在の価値を求めるため,キャ ッシュ・フローは割引される。
以下,本稿では事業価値は企業価値の構成要素であり事業から将来生じる キャッシュ・フローの現在価値合計とする。
2.キヤノンの例
キヤノンを例に事業価値,企業価値の算出を試みたい。そして算出された 理論的な株主価値と実際の株価を比較し,企業価値,事業価値及び株主価値 が,評価する立場により異なり同一とならないことを示したい。
なお,理論値は1992年以降の各会計年度における決算から各年度ごとに将 来のキャッシュ・フローを予測し計算した。計算にあたっては渡辺茂氏の
ケースと図解で学ぶ企業価値評価 を参照した。
⒜ ⒝
事業価値
=将来生じる
キャッシュ・フロー の現在価値合計 株主価値
(インカム・ゲインと キャピタル・ゲイン)
非事業資産 有利子負債
企 業 価 値
<図表2> 企業価値の構成要素
6) 渡辺茂,前掲書
pp
.52‑90。理論値の計算は,最も普及しているDCF法を使う。理論値の計算のプロ セスは以下の通りである。
⑴ 企業価値を定義する。
⑵ キャッシュ・フローを定義する。
⑶ 将来のキャッシュ・フローを予測する。
⑷ 割引率(WACC)を計算する。
⑸ 計算式を整理する。
⑹ 事業価値を求める。
⑺ 非事業用資産の価値を計算する。
⑻ 企業価値,株主価値を求める。
⑴ 企業価値を定義する
前述の企業価値の構成要素の説明を式で表すと以下の通りとなる。
企業価値=有利子負債+株主価値 ………(イ) 企業価値=非事業資産+事業価値 ………(ロ)
また,事業価値(V)は将来のキャッシュ・フローの現在価値の合計である から以下の計算式で求められる。
V= C
(1+r)+ C
(1+r)……+ C
(1+r)……= C
(1+r)… (1) ただし,C:n年のキャッシュ・フロー r:割引率
⑵ キャッシュ・フローの定義
企業価値の評価は, 企業は永遠に続く ことを前提に行う。 企業が永遠 に続く ためには,企業は 永遠に成長または現状維持 し続ける必要があ る。しかし,永遠のキャッシュ・フローの予測は難しいので,10年後までは,
現在と同じ高成長の事業活動が続き,設備投資とも活発に行われると仮定し たキャッシュ・フローとし,11年目以降は,企業が永遠に高成長を続けるこ とはありないので,安定成長の事業活動によるキャッシュ・フローと仮定す
る。11年以降は,具体的には,新規の純投資はなく,設備投資は減価償却費 と同額と仮定する。以上の仮定のもとにキャッシュ・フローを計算式で表す と次のようになる。
(1年〜10年後までの)キャッシュ・フロー
=税引き後営業利益−設備投資(土地含む)+減価償却費−運転資本 増減
(11年以降の) キャッシュ・フロー(C)
=税引き後営業利益−運転資本増減
定義されたキャッシュ・フローの各構成要素は,決算書の数字を使い以下 のとおり計算する。
税引き後営業利益=営業利益×(1−0.4)
設備投資(土地含む)=償却対象資産投資増減+減価償却費+土地等投資 償却対象資産=建物及び構築物+機械装置及び備品−減価償却累計額 運転資本=売上債権+棚卸資産+決算資金−買入債務
売上債権=受取手形+売掛金 棚卸資産=製品+仕掛品 決算資金=売上高÷(12×2) 買入債務=支払手形+買掛金
⑶ 将来のキャッシュ・フローの予測
キャッシュ・フローの永遠の増加率 も予測が難しい。このためキャッ シュ・フローの定義と同様,今後10年間は過去10年間と同じ高成長の増加率 (g) で推移するとし,11年以降は0.5%の安定成長の増加率 (g′) になると 仮定する。さらに,各年のキャッシュ・フロー (C) の各構成要素は売上高 と同じ割合で変動すると仮定する。
各年の過去10年間の増加率は幾何平均 (以下参照) を使い算出する。
g= 当年度の売上高 10年前の売上高
⑷ 割引率(WACC)の計算
割 引 率 は 加 重 平 均 資 本 コ ス ト(Weighted Average Cost of Capital WACC)を使う。WACCは企業が調達した借金,資本金等資金のコストで あり,負債コストと株主コストの加重平均として表される。計算式は以下の 通りとなる。
WACC=r×(1−T)× D
D+E +r× E D+E ただし,
D:負債の価値:長短借入金の平均残高
r:負債コスト(利子率):支払い利子÷平均残高 E:株主資本の価値:株価×株数
T:法人税率:40%
r:株主資本コスト(株式の期待収益率):CAPMを使い求める。
負債コストは,金利が経費処理できることから,税により軽減される分が 割引かれる。また,負債は,返済を約した資金であるが株式は返済を約さな い資金であることから,リスクが株式より低い。このため投資家のリターン の原資となる資金調達コストも,一般的には負債の方が株式より安い。
具体的な計算は次のようにして行う。
負債コストは支払い利子を平均残高(前期と後期の残高の平均値)で除し 求める。
株主資本コストは,以下の資本資産評価モデル(Capital Asset Pricing Model以下CAPM)を用いて計算する。CAPM は,リスク・フリー・レー トに,その企業のシステマチック・リスク(β)にリスクの市場価格(リス ク・プレミアム)を乗じた値を加えたものである(以下式参照)。
E(R)=R+β×[E(R )−R]
R:リスク・フリー・レート:国債10年物利回りを使用。
E(R ):市場ポートフォリオの期待収益率。TOPIXのリターンを利用。
データは1967年度より当該年度までの期間を使用(例:2004年
度は1967年度より2004年度までの平均値を使用)。
E(R )−R:市場リスクプレミアム。 TOPIXリターン−国債利回り 。 データは1967年度より当該年度までの期間を使用。
β:市場に対する個別株式リスクの大きさ。TOPIXと個別株価の相関 関係。データは過去5年間のものを使用。計算式は以下の通り。
β=Cov(R,R ) V(R ) =
(R −R)(R −R )
(R −R )
⑸ 計算式の整理
複数年の企業価値を計算するので,省力化のため計算式を整理する。
今後10年間は過去10年間と同じ高成長の増加率(g)で推移するとし,11 年以降は0.5%の安定成長の増加率(g′)になると仮定しているので,n年 のキャッシュ・フローは次の通りとなる。
C=C(1+g) (ただしnは1から10までの数)
C=C (1+g′) (ただしnは11以上の数)
Cを式⑴に代入し整理すると以下の⑵式が得られる。
V=C 1
(1+r)(r−g) 1− 1+g
1+r + C
(1+r) (r−g′)……⑵ 11年目以降のキャッシュフロー(C)は税引き利益から運転資本の増 分を控除した額 と仮定している。この仮定を数式で示すと以下の通りとな る。
C =PA (1+g′)−WC g′
ただし,PA:t年の税引き利益 WC:t年の運転資本の増分 2年目から10年目までの税引き利益(PA〜PA )及び運転資本の増 分(WC〜WC )は過去10年の平均成長率(g)で成長する と仮定して いるので,11年目のキャッシュフロー(C )は以下の式で表される。
C =(1+g) PA(1+g′)−WC g′
C を式⑵に代入し整理すると以下の⑶式が得られる。
V=C 1
(1+r)(r−g) 1− 1+g 1+r
+PA(1+g′)−WC g′(1+g)(r+g′)
(1+r) (r−g′)………⑶
式⑶が意味する点は 事業価値は,初年度の財務データ,資本コスト,成 長率が分かれば計算できる と言うことである。すなわち,単年度の財務デ ータをベースに事業価値を計算できる。
⑹ 事業価値,企業価値,株主価値及び理論株価の計算
⑹から⑻までの手順を一括して説明する。
最初に,キヤノンの決算書からデータを集め式⑶を使い事業価値を計算す る。なお本稿では計算結果を理論株価で示すこととし,事業価値,企業価値 の計算結果は省略した。
式 及び を使い,企業価値,株主価値を求める。理論株価は株主価値を 決算月末の株数で除し(=株主価値÷12月末株数 )計算する。
企業価値の計算に必要な非事業用資産は,具体的には,有価証券,有価証 券に関わる繰り延べ税金負債,余裕現金を非事業用資産とする。余裕現金と は,現預金の中から決済資金として必要な資金(平均月商の2分の1)を除 いた額である。
3.理論株価と実際の株価の比較
⑴ 理論株価と実際の株価の不一致
図表3は,理論株価と実際の株価を比較したグラフである。
階段状の太い折れ線が理論上の株価を示している。下方の細い折れ線が実 際の株価(月初の終値)である。理論的には 理論株価と実際の株価は一致
7) キヤノンの決算は12月末である。
する とされるが,実際には異なることが分かる。
⑵ DCF 法の問題点
この乖離をリスクとして認識しマネジメントする方法を検討することが本 稿の趣旨の一つであるが,乖離の原因が以下ようなDCF法上の特性,欠点 にも起因することがあることを指摘しておきたい。
a.決算書から計算したキャッシュ・フローが実際のキャッシュ・フローを 反映しないことがある
図表4は,キャッシュ・フローの額を,決算書からデータを集め計算した 結果を会計年度ごとに示している。キャッシュ・フローは年度により大きな 変化が見られ,92年と94年マイナスとなっている。マイナスとなった場合は,
向こう10年間キャッシュ・フローは減り続けるということになる。 企業は永 久に存続する ことを前提とした場合,このような事態が起きることは極め てまれでなければならない。
<図表3> 実際の株価と理論値との比較
前述の事態は,例えば新規投資に伴うアウト・キャッシュ・フローとイン・
キャッシュ・フローに時間のずれがあること等が原因と考えられる。今年新 規投資を行えば,アウト・キャッシュ・フローは大きくなり,年間通じても キャッシュ・フローがマイナスとなる事態は発生する。しかし,この投資に よる収益は翌年以降数年にわたり回収できるとすると,翌年以降のキャッシ ュ・フローの額は前年の投資による金額が上乗せされていることになる。
したがって,単年度のキャッシュ・フローをベースに将来を推定すると,
将来のキャッシュ・フローを見誤ることがある。
b.ターミナル・バリューが過大に評価される
図表5は企業価値の構成要素を示している。上方の薄い部分はターミナ ル・バリューを示している。ターミナル・バリューは多くの年で企業価値の 75%から90%を超えている。ターミナル・バリューは予測が困難な11年目以 降の価値であるので,計算結果は不確かな要素が大きなウェートを占める結 果となっている。
<図表4> フリー・キャッシュ・フローの額
⑶ 問題点の改善
問題点のa及びbは解決する方法としてDCF法の各要素を修正すること が考えられる。具体的には, キャッシュ・フローの平準化を行う , 割引率 を修正する , 永久成長率,割引率を適性化するなどターミナル・バリュー の計算法を変える 等が考えられる。また,ターミナルバリューは,他の計 算法(例:清算価値法,永久年金法)を使用することも有効と考えられる。
試験的に,キャッシュ・フローは3年の移動平均値とし,11年目以降の割 引率を10年までの2割増(高成長から安定成長への移行に伴い,資本コスト が2割増加する)と仮定し,計算すると図表6の通り改善される。
<図表5> ターミナル・バリューのウェイト
⑷ DCF 法を使うにあたっての注意点
プロジェクト等単一の事業の場合には,事業が陳腐化する時期がある程度 予測でき,キャッシュ・フローやターミナル・バリューも比較的正確に予測 できる。したがって,DCF法でかなり正確な事業価値が計算できると考え られる。このため企業価値の計算は,企業が行っているプロジェクト,事業 ごとにその価値を計算し,合計することによりDCF法の欠点をカバーでき る。また,継続的な事業であっても有期の企業とみなせれば,プロジェクト の価値評価と同様な評価が可能となると思われる。
ただし,DCF法は理論的には正しいが実際に使う上では前述の問題点が あり,かつその問題点を解決しようと思うと計算者の恣意的な判断が入る可 能性がある点に留意する必要がある。
<図表6> キャッシュフローを過去3年とし,割引率を10年目までと ターミナルバリューに分けた場合の実際の株価と理論値
4.事業(企業)価値をリスクマネジメントで活用する
事業価値(または企業価値)は,経済変動,当該企業による製品やサービ スの需給動向,競争者の参入,撤退,欠陥製品等の発生など,様々なリスク により変動する。また,キャノンの事例で示したように事業(企業)価値は,
市場の評価,事業主の期待値等と大きく異なることがある。このような変動 や乖離をリスクとして認識し,マネジメントすることが可能である。そのた めには以下の手順を行う必要がある。
⑴ 事業(企業)価値アット・リスク を定義する
最初にリスクを定義する。事業を行う際には,その事業から得られるキャ ッシュ・フロー,利益を予測する。リスクは,事業を実施した後の実績値が 予測値(期待値)どおりとならないことと定義 する。そしてリスクの大き さは,予測値(期待値)からの乖離の大きさと定義し計測する。実務的には,
偏差 として計算する。
リスクの大きさを期待値からの 偏差 として認識し計算する方法は,銀 行業界のリスク管理で使われているバリュー・アット・リスク(VaR)の概 念,計算方法と基本的には同じである。VaRと類似の概念として,アーニ ング・アット・リスク(EaR),キャッシュ・フロー・アット・リスク,キャ ピタル・アット・リスク等が開発されている。
本稿では,以下,前述の アット・リスク系 のリスク管理指標の1つと して 事業(企業)価値アット・リスク の概念を使い,事業(企業)価値 のリスクマネジメントを行うことを検討する。 事業(企業)価値アット・リ スク を,VaRにならって定義すれば, 一定の信頼水準で発生する可能性 のある損失額 となる。換言すれば, ○○%の確率で生じる可能性がある
8) この定義は,リスクマネジメントの用語の国際規格であるガイド73でも採用 さ れ て い る。(
ISO and IEC, ʻ ISO
/IEC GUIDE
73:2002,Risk manage-ment−Vocabulary
−Guidelines for use in standardsʼ(2002)pp.2‑3)事業(企業)価値の減少額の最大値 と言える。
⑵ 事業(企業)価値アット・リスク の計測とシミュレーションの実施 まず, 事業(企業)価値アット・リスク の信頼水準の設定を行う必要が ある。銀行の実務では,VaRの信頼水準は99%以上と高く設定されること が多い。しかし,EaR等では95%程度以下に設定されることが多い。これ は,日毎のリスク量などの計測に使われるVaRは,その計測期間が短く過 去のデータが豊富で,高い精度の計算が可能であるのに対し,EaRは,会 計年度ごとのリスク量をベースにしており,過去のデータが少なく高い精度 が得られないことによるものと考えられる。信頼水準は,得られるデータ,
使用する経営者の方針等に基づき決められるべきであるが,95%程度が一つ の目安となるであろう。
次に,過去のデータに基づき 事業(企業)価値アット・リスク を計測 する。そして,その変動に与える要因を特定し,要因の変動が 事業(企 業)価値アット・リスク に与える影響をシミュレーションを行い推定する。
たとえば, 気温が一度上昇すると売り上げが10%上昇する というデータ があれば,そのデータを使い, 事業(企業)価値アット・リスク がどのよ うに変化するかシミュレーションを行なう。
また, アット・リスク系 のリスク管理計測手法は,リスクは標準正規分 布に従うことと仮定する場合が多い。しかし,リスクの分布は標準正規分布 に従わないことも多い。したがって,実務ではリスクがどのように分布して いるか分析し,実際の分布に近いモデルを使うことが必要である。また,デ ータが少ないために,リスクの分布を特定できない場合がある。このような 場合は,過去の経験や将来の予測にもとづき,暫定的に三角分布を使うこと も考えられる。
⑶ 事業(企業)価値アット・リスク に株主資本を割り当てる
リスクの最終的な処理手段は株主資本である。たとえば,企業が,1億円
の資本を拠出し,銀行から1億円借り入れ新製品の工場を作り販売するプロ ジェクトを立ち上げたとする。しかし,工場が完成直後火災により全焼し生 産不能になったとしよう。または,格安の輸入品が出回り生産,販売すれば 赤字になる状態になったため,生産見合わせとなったとしよう。いずれの場 合も,将来のキャッシュ・フローはゼロであるから事業価値はゼロである。
しかし,借金は返済を約しているので,銀行に対し1億円を返済しなければ ならない。この際,借金の返済には,最終的には株主資本が使われることに なる。株主資本は,株主に返済を約してないので返済しなくともよいからで ある。この企業は,新規事業からの収入が見込めないので,最終的には株主 資本から1億円銀行に対し返済することになる。
企業が存続し続けるためには,株主資本がゼロまたはマイナス,いわゆる 債務超過の状態となることを避けなければならない。そのためには,損失が 発生しても株主資本勘定がゼロ以下にならないように株主資本を準備してお く必要がある。前述の例で説明すれば,1億円の株主資本が用意されておれ ば,火災または事業中断により新規事業からの収入が見込めなくなっても借 入金を返済できる。
しかし,企業は,無限のリスクに対して無限の資本を用意しておくわけに はいかない。資本を調達し保有し続けるためにはコストが必要となり,巨大 すぎる資本を持てば,その調達,維持のためのコストが本業である事業から の収益を大きくの圧迫し,時には上回りかねない。このような事態を避ける ためには,99%,95%等一定の信頼水準で発生する可能性のある損失額まで 資本を準備しておくことになる。
⑷ 企業価値のリスクマネジメント
企業活動は, 多数の事業から構成されるポートフォリオ と考え,企業 価値を, 多数の事業価値の合計値 と定義する。そして,事業ポートフォ リオ全体で企業全体のリスクとリターンを管理し,リスクに見合う資本を準 備する。
事業ポートフォリオのリスクマネジメント行う際には,各事業間の相関関 係に注意しなければいけない。事業ポートフォリオの構築は,できれば,負 の相関関係にあるリスクを有する事業を組み合わせ,ポートフォリオを構築 するべきである。正の相関関係のある事業の場合は相関関係の低いリスクを 組み合わせるべきである。このようなリスクを有する事業を1つのポートフ ォリオで管理すれば,全体のリスク量を減らし同じリターンを得ることがで きる。または,同じリスク量であれば,リターンを増やすことができる。こ れは,ポートフォリオ・セレクションの理論で説明されている。
5.事業(企業)価値をリスクマネジメントと資本割当の例
以下,モデルを例にモンテカルロDCF法 を使い, 事業(企業)価値ア ット・リスク の計測と必要資本額の計算方法を紹介したい。モデルは,2 つの事業から成り,製品甲は, ハイ・リスク,ハイ・リターン ,製品乙は,
ロー・リスク,ロー・リターン の投資である。図表7は2つの事業の概要
9) シミュレーションにあたっては,モンテカルロ法のソフト・ウェアであるク リスタルボールを使用した。
注:モンテカルロ DCF はリスクはキャッシュ・フローのボラティリティ で反映されているので、割引率はリスク・フリー・レートになる。
甲,乙共通
キャッシュ・フローは2年目以降年2%で増加する。
割引率はリスク・フリー・レート3%と仮定する。
投資後10年で事業は終了し、残価はゼロとする。
非事業用資産は初年度甲乙合わせ10億円で毎年1%増加する。
甲,乙間には相関関係は無い。
10% 40%
キャッシュ・フローのボラティティ
20億円 50億円
初年度のキャッシュ・フロー
100億円 200億円
初期投資
製品乙 製品甲
要素
<図表7> モデルの概要
である。甲,乙それぞれ単独で投資した場合と両方に投資した場合,10年後 の事業価値がどのように分布するかを予測し,信頼水準95%での必要資本額 を計算する。
図表8は 信頼水準の95%の事業価値アット・リスク を計算し,必要資 本額を求めるためのシミュレーション結果である。図表8の下端中央の 信 頼度 はグラフの濃い部分の割合が5%であることを示している。右下端 の−92.89はグラフの濃い部分と薄い部分の境目が−92.89億円であることを 示している。図表8から95%の確率で生じる可能性がある損失の最大値は 約−93億円で,同額のリスク・キャピタルを準備することが望ましい。
甲及び乙に投資する場合のシミュレーションでは,非事業用資産も加え企 業価値を求めた。 信頼水準の95%の事業企業価値アット・リスク は約39億 円となった (図表9参照)。シミュレーションの結果,甲及び乙に投資すれ ば,分散投資によるリスクの軽減効果が表れ,初期投資は高額になるがリス クマネジメントの点からは最も好ましいと言える。
<図表8> 甲の10年後の事業価値(資本)
終わりに
筆者は当初,キヤノンの例で示した理論株価と実際値は近似すると予想し ていた。しかし,結果は大きく異なり,DCF法による企業価値,事業価値 が実際の価値とは大きく異なる可能性があるという問題点が明確になった。
DCF法による評価値の乖離は,リスクの定義を 事業(企業)価値の期待 値と評価値の乖離 としたので,DCF法をリスクマネジメントに使う際に は大きな問題とはならない。実務上は,DCF法のみで価値評価し投資の意 志決定されることが多い現状を考慮すると,誤った価値判断と意志決定が行 われている可能性があり,しかもリスクマネジメントが行われていないこと から,大きな問題点を含んでいると考えられる。複数の手法による評価,リ スクマネジメントの早期導入が必要と考える。
(筆者は
MSK
基礎研究所主任研究員,早稲田大学客員教授)<図表9> 甲と乙に投資した場合の企業価値(資本)