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太平洋戰爭中に於ける日本寄生虫學の動向

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(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

太平洋戰爭中に於ける日本寄生虫學の動向

著者 岩田 正俊

雑誌名 奈良学芸大学紀要

巻 1

号 3

ページ 247‑252

発行年 1952‑03‑20

その他のタイトル The Tendency of Research on Parasitology in Japan During the Pacific War

URL http://hdl.handle.net/10105/5183

(2)

ー2汀−

太平洋戦争中に於ける日本寄生虫撃の動向.

岩  田  正  俊 (生物学教室)

川汚】年0月3日受環)

SeishunIWAnl:The Tendency of Research on ParasitologyinJapan During

the Pacific War

目    次

1. ほ し が き

2.戦時中に於ける寄食虫学者の占掛也への 派遣

3.乳時中に於ける寄生虫学研究の動向 4.原虫学研究の動向

5.衛生昆虫学研究の動向 6 時虫学研究の動向 7. あ と が き

1 ほ し が き

日本に於ける寄生虫学に関しては、動物学自今方面と 医学眺方面とより研究が進められ、日本寄生虫学会に ょって癖含されている。搾って年一一回開催され三該学 会つ紆象二於て発表されな甘演は、その内容と動向キ よく俸えるものである。此牡衛生昆虫学の発達により 昆虫学者、動物学者、医学者吏に化学者等によって衛 生昆虫学金力組徹され上す\距成仝ポ瀾暗中に即拍子 が戦火の厄に過ったテ:軌こ、そCr会報を発刊しなかっ たのは残念であったが、東京に於て時折H鋸計会が催 されて昭和三3年より定昇艶に大全オ催されることゝな ったっ

日本寄生虫学会は年々綻会に放ける講演の抄録を

「日本寄生虫学会記事」として発刊していたが、これ も昭和IF年の第1咽紆余を以て華麿中のため中止さ れ、戦後昭和22年に第L6回経全力溺催されたっ

日本の寄生虫学の動向は、昭和は年に日夏専変が始 まり日本軍隊が北麦或は中安へと群避さるゝに及んで 北安及び中支方面に於て、寄生虫学者が派過されて諸 種の調査をなしたが、昭和16年の九平群畢争〇姑まる までは北東方面に乾部活洋、阿部壊男、吉『畏之等が派 遣され岡部つ掠血潮領の調香阿部及丁吉田口」呵坤 ピね調賓等一う:ある。中丈方面に於ては森下哲夫のMa二aユ・三a 及び 』乃坤加1eJ Lつ調香、上海E曹科芋研打所の小宮 義孝か淡水魚顎を中間宿主とせる唄虫類の研究が、ま

た甫安方面でほ海醇島へ推進された台北大学の小林英 一の、同地住民の寄生虫枚委棄芸や Malal・ia 云甘否の 報告等がある。

一方湛洲に於てほ満洲医ブ二㍍久保遺文其他のMalaria,

赤痢アミrノく、K礼13・azarに関する研与ガも、内地 では署拝正俊の大隕音附近に於ける・4批少k五gの分布 調香が始まった。

以上は昭和16年.ニ太平洋戦争C妊まる以前に於けろ 戦争に倖ふ寄生虫学的研究の大要であるが、lT年以後 に於二法日本軍の南方の進封に仕って熱帯触二放ける 胃壁虫病が対象となって、南方石地に拇毘せられた者 及び内矧二於ても海外の寄生虫病を対象としての研究 が行われた。

2 戦時中に於ける寄生虫草書の 占領地への派遣

昭和17年リ後終戦∴到る問∴於ては、軍隊二放ける 軍上宴或は嘱託とし.王私さま∴ヰ封斤者として反問から派 遣された者が少くないが、買戻の消息に放ては詳かて なく、主に民間学者として南方、中ロ及び勘Tl目方直に 派遣された者貰:挙けると次の通りてもろ。但しその滞 在那間等に放ては詳かでない。

元す清洲のハルビンに租ナそ陸軍防疫部隊にほ篠田 続,田中英堆、尾崎繁夫、訂比了正二郎等C動物学者 が.珪睾技師として戦前より在任し、按に篠匠茨尾崎は 北京に滞在したが、軍(つ秘密.二院するため研究の内容 は明かでないが、樗牛昆虫としてノミ.九.シテミ、

ダニ等と昂に放て研究した様に聞く。一方鼻孔箆にハ ルビンにてペストとノミr関係に凱て研究し.役シン

ガポ←ルに移った。

群京の湛洲官話生私術版には綿虫等ら塚匠順一一、衛

生昆虫学の大野蔓右ユ門、奉天に於てに廣大の久保道

夫が昆虫モ野良にわたり、敷援研まし所の山下誅都がダ

ニの研究をし、大連病院Cつ薪仕義金の奥野蝿匿研負が

ある。北真方面に於ては同仁会関係で岡部浩洋のK几13

一礼Zarの研究がもり、中安に於ては同仁会の森下育夫が

奈良学芸大学紀要 第1巻 第3号.1952年(昭和27年)3月20日

(3)

−2舶一 太平洋戦争中に於げろ日本書生虫羊の動向

原虫に昆虫に蟻虫にと、経ゆる方面に活動をなし、同 会の門馬健次は∴MicrofilaTiaの調香をし、小宮養空言 吸虫顎の研究を日本住血吸虫C研宅にと手をモモはL、

宮崎一郎は中安の在住地の寄生虫状況しつ舐=藍をしてい る。浅口方面では軍医の山田学を中心とし細井輝夫、

益子帰来也、山本茂后等の一4呵極南に関する研究が ある。

筒まで法広東に於て召集軍医の民増金太郎の 一4秒

♪加わ∫の研究がもり、海南島には鈴木稔が派遣されて 寄生虫学の各方面を研究した。

台湾では在住の森下薫、大森南三郎等の』1坤カピアp∫

の研究、横川罠、宮原初男等C∴MhlaIiaに関する研究 がある。

更に新なる占領地への派遣はタイへ大春宵三郎の沌 迫が数回もり、ニユ1ギニアには森下薫が夫々 』脚・

タカeJp∫の調香を行っている。ニユ1ブリテン島のラ,て ウルには小泉丹、松林久吉、中山一郎、岩田正使、宮 原初男等が海軍から派遣されてM乱iaTia、赤痢アミ←

バや蚊族の研究をした。ジャバには陸軍から億抗御稔 がペスト開係のノミと鼠の研究に、ぬ軍からはセレべ スの寸カツサルには山口左仲が寄生虫屈虫預の、徳方稚 明が衛生昆虫の研究に行き、陸軍からは岩臣正俊がマ ライ熱帯医学研究所へnlalaria及び月明画商の研究 に、沖波実がシンガポールの防疫所拝所にペスト及び

ノミの研究に夫々派遣された。

筒お京城大学からの諾否回として匪遺賢其他数名が タイ国へ出張しその報告を出版している。

3 戦時中に於ける寄生虫率桝究の勧向 元素日本内鞄に於ける寄生虫は人体では胆管寄生性 のものが主で、これは日本人の食生活の習慣からして 当然のことであって、僅血性のものは日本に於てほ吸 血性昆虫の苺貫が少いこと上、活動斯坊庖いために夏 大性は少いため内地に於てはその研究は少いのであ る0然るに熱帯及び亜熱帯地に於ては感染期間が長い ためと、寄生虫の種顎も多く、且つまたその病原性も 大であることはいうまでもないことである。

今事変と戦争に於て日本軍は北安、中安臥、て甫安 を占俣するに及び、戦争と寄生虫との問題が重要性を 帯びて、此所に未知の学界が急に戻蹄されまた新しい テ←マが茸々として得られた為めに、先ず中風こ於て 北支及び中安を対象として研究を長閑され、臥、て亜 熱帯の甫安から夏に熱帯の所謂南方の歎拝病としての 寄生虫が対象となった。そして赤道を越えて南半球に まで進出したものゝ、日本の学界としては斯かる熱樟 地方の寄生虫学が対象となるとは今迄は考えられず、

単に台湾に於て発祥病の−一部としての問題が坂上けら

れていたのに過ぎなかった。

だるところ日本軍の北ま及び中支い、の進出により、

該亀の風土病たるKalaユZall及丁ブユhlal・iaにおぴやか され、ミ:こ粍式に研玉が必要となったが、軍にも民間に 尊、その葦梅はなく、ほって元ず該地の風土病に関する 文献による研訳が姑軌こ勘、られた。次て急に軍医に 熱帯病の教育をして間に合せをしたが、それと平行し て各地に於て研究か連荘きなオ:ら始められた。然しそ の完結を見ない中途に於て故事は終局を告げ、且つ各 地に於ける研究の調香はこれを内地に封参出来ず、そ の昔ゝ中途の研究に終ったので、それらの報告は極め て少いのである。

然し日本の寄生虫は光の戦争こより、外埠進出と共 に大幅な進匿をなしたので、日夏事変以来年々盛況を 呈し、年々の学会報告も占供鞄に関するもののみなら ず∴熱帯病で内地に於ても研究せられ、樽に Mahrla

の研究は研究そのものゝ流行を程むるに到った。次で デング熱の内増移入によってその媒介蚊の研究が盛と なった。斯様にして日本の寄生虫学の研究は今次戦争 によって多大の進歩をなしたといえよう。

研究の動向としては在棄内地の晴虫に関する研究 は下火となって、占伊地に関するMaJa−・ia,gakaz凰r 赤痢アミpバの如き原虫に関するもの、頁にこれに附 臆する侍癒着たる昆虫及びダニ野即ち衛生昆虫学の研 究に向って進められた。即ち在来内地に於ては原虫及 ひ昆虫に関する研究注、その対象物が少なかったゝめ、

学界の発表も極めて少なかったが、戦時中俄然として 超えたことが菜も注目に憤すると恩ふ。此の傾向を日 本寄生虫学会記事によって拾って見ると次の様である。

即ち原虫顎及昆虫類の研究は占領地を対象としたも のが多く、且つ多大の関心を持たれたからであるが、

昭和1時と20年には日本寄生虫学会際会が院かれなか ったので、比の傾向は不明であるが、恐らく一層此の 傾向が塔大していたものと思われる。

次に逮べる戦時中の研究の内容に於てほ、主として

日本寄生虫学会言巳等の昭和16年より18年の3年間に関

するものであるが、戦時中に於てほ印刷特に維不足の

ため干し行物射際次減少し、特に別刷の交換が少く

(4)

岩  田

なり、寄生虫学界全般に亘るものを蒐集することは困 難な状態にあるので、本内容は上記の記者ヰ敷物学関 係のみに就て記し、純真学的のもの誌これを省略する ことゝする。而して19年友30年に賛ける研究注研究そ のものが種々の点からはゞまれて進行もせず、その上 会合及び出版オ殆んど不能のため、此間の詳報は蒐集 全く困難にて、此所に比の二年間の動向を託敏出来な いのは甚だ遺憾てある。

4 原虫奉研究の動向

赤痢アメーノミに放ては、久保達夫ほ奉天希内にて捕 獲した5種の蝿を解剖検LI54仇中東子を11例 認め、汀辺操は自己考案の培養法にて培養すれば診断 用として日常使用出来る旨を迂べているが、此方面で

の研究は著しいものはない。枚林久吉は終戦後ラバウ ルに放ける研究を「赤痢アミ←バ」という刊行物中に記 している皿鋤加冊わ舟彿茄に託てほ松林久吉は体外 に排出されたものは1時間後には死滅し、培養は

⊥10bell−Laidhwの培養基に米粉茨炭酸石灰を少量加え たものが艮結果を循たこと、唾液中に於ては24時間 までは常に生存すること、自照感染果験は65匹の中

】頭だけ匪実に感染したこと、東京市内での検奄てほ 21%の寄生率があって、族管寄生原虫の中東高位で あると密告している。

Kal礼−aZarに於てほ久保道夫は自己考案の培養液を アムプレに入れて携行して使用すれば流行鞄の作業に 便利であるといゝ、福江雅夫は3種夢の 工d∫加の血 蔓増養して温要に対する抵抗力を研究し、エ・あγα∫払 ピ潜血は高温にも低温にも弱く、株の長期保存には

220(」の坪卯器と氷室とに交互l二保つ方オ:よいと。森 川黄金は両横洲にてほKユla−aZal・所在地憲の犬レイシ ュマニア症も可成り潰軍に存在し、犬の脾隈肥大は人 類の如く著明でないが原虫は彩しいと。福田稚夫は培 地用血液を比咳研究し家兎を最良とし、海狸にては不 良ながら発育すると、杉本勉まエ・ゐ柁細々壷 小体は支 那田厨及人体健康度蘭を通して感染路カはないが,鞭 毛型は支那田厨の健康皮伝を通して感染せしめ得る と∴即席外二名は エ・あ′〜OU〟乃iほ2rJO(1前後にて 糞中に混じたものは2鼠夜以内、尿中では半民夜位に て死威し従って感染源として重要性は左程でもないと 述べている。

別hhTiaに関しては此間諸種の研究が多数発表され

、特に軍陣医学方面に於ては移しいものであるが、そ れは主として医学駅方面に園するものてあって、動物 学方面としての原虫方面の研究は余り多くなく、主と して媒介蚊たるの』明地血研究に向けられている。

此所では原虫学研究を少しく紹介して見よう。:先ず

音  便 −24fl−

hIala山患者の謂蚕では佐藤忠文外3名が中支甫通に て、昭和15年の綾香では佐原中国人にて1298名 中32名の2.5%にて、三日熟53・1‰四日燕25%

芽一帯熱15.6%にて、季節的消長はSp血gwaveと Autulullalwa、▼eの2個の選があると、関豊吉は昭和く1 4年より15年にわたって東京鞄方の50餌のマラリ ア忍者に溌て調査し、発病鞄は中支31、南支5、北 安1、内鞄11仇であると、枚略表周は揚子江北岸の 調蚕を2ケ月にわたってなし3種のマラリア原虫を 見、愚者は大部分慢性マラリアの再発者であると。其 他占領矧こ於ける原地人の検奄成環は多くは軍関係に て行われているので此所では省く。鼓踵マラリア原虫 の発育に超音波を作用せしめた実験が榎田饉雄によ って試みられているが、結果は作脚ま5分間にて変形 或は断裂する旨述べている。マラリア研究は実験動物 としてカナリアを使用して、鳥マラリアの原虫学的及 び薬物学的研究が諸所で行われたが、先ず福田秀信外 一名が・烈強則戒潮目血毎鵬流刑 に就て感染カナリ アにてその経過を観察し、且つ再発の誘発を試みてい る。田中敏沃鳥マラリア原虫の赤血球外発育塾に放て、

赤外丑の検出される振器は田隋、脳、腎、肺、骨髄の 順位で、時矧ま赤内型が末楯血管にその数を増さんと する頃から始まって漸時その数を培し、殊に急膠な感 染経過の下に質れた鳥に墓も多いと述べている。

棄マラリアは昭和16年11月にフィリピン大学の AI√RI(・A教授から岩田正隆が移入し、内地産鶏に鉄柱 試験を報告し、次いで吉本盛昭との共同研究によって 赤外型の存在を報告し、此の者α∫77枇ガ1〝Jg g ?〝玩貯α耽昭 は台湾に移されて、小林英一は家鶏脂児への接種可能 を報じている。而して鶏マラリア原虫の赤外型に関す る細薔なる研究は横川定の教室こて行われ、血液扱環 による赤外型特に有色素性赤外型に就て、又蚊による 感染家弟の赤外形に就て、更に組織学的所見等が報ぜ

られている。

猿のマラリアに託てほ台湾の黒肢猿に 者融,7枇軌憫 ね血路雄視壷とP∴あ馳彫心壷 vJユー.〃γわ7壷が横川一派に よって詳細なる実験と観察と力持艮吉されているが、マ

ラリア原虫の赤外型の問題は注目さる上に到り、横川 はマラリア原虫の発育環特に赤外形の起原と其意義に 託て報てじいる。岩田iE俊外4名は内増産シナハマダ ヲかが癌マラリアの媒介者なることを実験証明した。

岩田は更に馬乗熱帯医研学究所にて同地産の猿に放て

大垣昌弘と共に研究を始めた。Co 五軌湖叫こ託ては鬼

頭順三は鳥のコクチジウムのオーシスト排出の過期性

に就て、田辺操はモルモットの嫡午穀内に見出される

コクチヂウムに就て、小林英一は人体コクチヂサムの

嘩刊に立て台湾にて死亡兵士の肝臓に寄生せるものは

(5)

−250− 太平洋甑争中に放ける日本欝生虫学グ動向

家兎の ノ説裾γ〃∫ぬ五e と区別し難いと述べている。

既の腸寄生原虫に託てほ埼玉県大宮屠場より得たる ものに託て松林久恵は7環を挙げ、赤痢アミーバーよ発 見しなかったと事艮じている。

5 衛生昆虫寧研究の動向

従来衛生昆虫学に関する研究ほ日本に於てほ少なか ったが、今次戦争によるマラリア及びデング熱と関係 して蚊の研究、特に』〝ゆろeleg と 』芭如の研究が内 地と占領地に於て盛に行われたが.その一班を此所に 述べる。

先ず』〝坤か1β∫ の種顎と分舶こ立てに占現地に於 て促采の研究の紹介或は許否が報告されている。内地 では岩層正俊注大阪附近を中心として』,呼一㍍PJ の 調奄をなし、』.わリーrα〝〝∫、▼al・.ぷ′〜ご′Z∫i∫宅:水『一一帯に 産すること及つこ千葉県では越冬せる のに 』.ど血Jγ

誠の存在することを発見して報じ、ま ̄た j前期心の一 動物嗜好性に関しては医法によって実験し、瞥た二年鳶 嗜好性にて附近の八は顧みない旨を述べている。三重 県下の分在に裁てほ新見正喜の芸鑑がある。中山一郎 は東京及横浜の分社消長を許査し、Aえmicがと」・ピし手 打αγ誠 とは一頭の両翼に両踵の特徴のあるものを苑 見し、幼虫を高冷温にて飼育することによって高淫か ら前任を低温から臥種を、生ずることを知り比に南榎は

・一種なることを提唱し、前晰料短も発見している。岩田 正使は兵庫県の山間部の山勘こて採集せる夢虫を蘇百 して低温水産のものに』・ピJ机机誠にを発見することを 知った。枚林久吉は東京的近にて観察し。4.ど血刀・dZ

は常に水C換るところに多く、』・∫わ貯め は停水に 多く 』・JJ72グ′′oJあ の独立性を疑っている。また季節 裾肖長としてほ啓執こ見 た0γ壷や㍉軋前脚止血,』・

∫わ払那ゐ の順序に出現することを見ている。松崎蓑周 は中支南通では』・∫わだ捏尋∫ のみにてその消長は5−

6月と9−10月との二つの山があり、延冬致虫は見 られないことを孝則二ている。一方内地に於てほ野村健 一註鹿尾島県揖宿田近の温泉地腎にて捻幼虫の楚冬す ることを発見、岩・田正俊もこれを調査契証している。

細年輝壇は卵の抵抗力に就て乾燥に対しては高温低湿 では短時間にて醇化能力を失ふが、低温高湿にてほ長 期間坪化能力を持績することを実験観察している0

昭和17年貢ヂン省熱が台浩方面から内地に入って 流行したので、謀介蚊のヒトスヂシマカの研究が盛

となり、当時の防火水槽が対象となった。岩臣正雀は 昭布目7年貫台湾に於てデング熱ととトスヂシマカの 研究をして内地へ帰ると、間もなく大阪及神戸附近ニ デング熱の発生が発見されたので.同地方に於げるヒ トスヂシマカ発生の情況を調査し、同種幼虫は墓増の

自在、防火水槽では屋内の口這又に屋外ならに蓋のあ るものに発生し、日当りのよい水槽から AねgGZ が 多く珪息することを報じ、官票葬憶亮防人水槽内の蚊 族幼虫の季節致推移を調査し、神戸附近′こては7種を 発見し、AA‰〆血㌣ H用月頃が最高であると、中 田五一法神戸こて両頭つ生活史を観察し8月にては幼 虫期は6−7日こて卵瑚2日であることを確証してい る。内詔信久迂長崎地方の蚊族調奄をなし6嵐20環 を報じ、石井信太郎は Aα‰〆血ざ 及び.乱叫画 のヂソグ熟媒介性に放て突放し、前頭迂陽性で後種は 陰蓬であることを確め、越冬は攻蚊及び卵子にてなす ことを報じている.備忘岩田正凰去 A α70〆拙作注

冬闇こ於ても温童にて然も白扇を吸血せしめて飼育す れ 三、成蚊こても越冬し夏季と同様、こ繁殖を釦ナ、暗 室勺こて飼育つ漂こl詫電夜つ判定く唄血することを寒 験して.、る.熱帯シマカの卵を南方よ 遥ゲその飼育 は海軍軍芸事至や大坂青ヨ七学微生物靖誹見所寄生虫 学,冴患選でも温塁を利召して具告飼育した。

更こ此つ坊放て寸農として.よ野付建一.よヂリス剤及毒 虫菊剤昔乾撤軋二効力二あク、灰、曙鞍、煙草戦等は効 力う:劣ると。官川東次詫フエノチアジンカ:ノ、体、水車 しつ負え風こも軍書.クリrクに放ける侵君に好都合に てPnrlSgre211よりも違う1ニ勝っていることを述べて いる。岩田正l空くよマテリメツと称するノくリスグリーン

を防火水槽に使用して、丑叫海南 及プシマカの幼 虫には有効なるもイスカの幼虫には効少きことを報じ ている。一一一方生物二.÷釣に天敵利用としてほメダカを水 相中に飼育することを長野寛治は推奨している。

利岡静一点トウブウヤブカの卵と湿聖に関する墾験 を行い.野外つ温度二於二一よ高湿要より低湿麦に降る に獲って坪化率よ低下することを報じている0

アカイエカこ放ては鈴ド一一貼ま名古畳地方の発生状 態を汚薄にて調奄し′、産卵.よ大体11月上旬に終り、

幼虫及桶は1月中玩以後には存在せず、雌戎蚊の越冬 せるものを目撃し産卵は大体4月中包と想定すると。

利司静1−−誌吸血量と卵巣卵発達との関係に裁て実験し 1.5−2.ng以下つ吸血量では卵巣卵は成熟しない が、3.5一打1−gで誌上卵巣卯オ成熱する、依って卵 東卵つ成熟には一定量場との現血を必要とすることが

うなづけると。

揮軋こ託てほ牧野正は甜卸こて唆血量を実験し′、吸 血量と拝見愴更量の比は第1回吸血に於て30・・J3

%。熱こ対する趨向性は特に嗜好温要はなく、室温では 窟虜温曇より稗高い温度に二冒して軽度のTl・OPi。n▲があ る′う:.3IuJ以上二(つ農奴にてほそれよ仁稀任潟に向ふ性 質がある。吸血時に坑管内客の逆流の有無に見ては、

宿主の体内に逆流する性質はないものと断足してよい

(6)

岩  田

と竣ごている。

満洲に放ける乳媒蝿に謁してはク\保道夫外】名ふ 奉天城及軍岳妖附近では 鼎Je50紬椚11∫Cカi瑠ど振子∫て、

6月下旬から7月にかけて発生し特に7月と電力、多い と。森川義金㍍遠満地方に於て訴奄研究をしている。

蚤に託てほ大野聾右衝門ふ新京の厨科はf啓もり、

これらrこ寄生せる蚤。よl u遠こて、ドフ才ズミ( ̄はい 薩を発見し.ふ・′叫∫〆hrカビ顔∫ オ二綜三数の(;7%を

占めていたと。

次にダニに敢てほ乳下哲夫ふ上甑虹口地区qドブネ ズミ∴寄生しているイェダニはわや0君ユー∫∫侶件㌢り壷で あると 山下次郎は満洲通委附近産も亦南極であると。

中山一郎は中亥南通のものは上.乃こ7gごり・CZ及上.∂JC01j LJ両謹てあるといっている。朝上し崇正二郎は エJgや∫

永〟〝γ は満州窯河苔にてセスヂネズミ及1アジアハ ツカネズミに寄生し、流行茂虻血熟の病原体を偉看す ると讃苦している。早川温よマライに於ける熱搾性差 虫病の研究をなし、その媒介者として氾町子葛「野鼠 に寄生せるダニの 釣棚通血流7 d茄飢壷 をあけてい

そ。

6 嬬虫畢隕究の動向

先ず吸貞三間の日本住血吸虫ではCe一℃aI・a q向性に 蔚て、福西佑信は370C−こて人、犬、家克、掠狸の血清 には陽性なるも、家鶏つ血清には陰・僅なることを実験 し、小宮莱孝産中安に於て 0配!脇塘五㈲b雪月采睾L日 本住血唄血のセルカリア寄生汎態を詔苦し、宮匡葬徳 は横川吸血と貢橋艮大卵盈i_頓叫押あ湖とJよ、箪丸 の位置と子宮迂曲の走行状態オ胡かに区別田乗ると述 べている。

セルカリアに乱てほ小官菱孝は上組に於て石川此m 〆k血血に寄生せる且妨前期加批=WCコγ炭にオタマジ ヤクシ、モロコ及○園魚に侵入してhletacPl・Cal・iaとな 仁、几勉C7・0あγ〝油壷侶頑画眈壷七に寄生する】恥tllCer−

cl血を3蔭、ルrJcr少力。J〝∫1′血11∫,C〔JrorごJPC刷り軽一 彿肌五七月年‰壷船紺据ノ扉壷〝を報告し、昆形藤治 は頂京湾産のアサリに寄生せる イ押冊・石血加㍉ふ試 食実験の虚業、白鼠にて未熟成虫を得、Gユ・〝用仁〆〟作男 顧なることは疑いなく、カワザンシヨオガイから得た セルカリアは軸わcl〟血∫蘭であるが(>γ佃正J九年ん・

どのご〟∫として招じ.これに勺し山甘左仲ノ主ボうに於て 発育するのでないかと述べている。久保達夫;ニ北満の 輝水魚に寄生する唄虫類の被瑳幼虫を訳召し、淡水魚 25種っ中コヒ、フナ、白粉魚、ホソカマツ九二於て 肝吸虫を、コヒ、カワビラに横周哩虫の夫々被襲幼虫 を発見している。小額英一・迂海南島:こ於ける哩虫類つ 研究調奄をなし、異形項虫科の中間宿主として17頑 の淡水魚及ひ汽水魚をあげてをり、而してこれを犬

正  俊 ー2音1−

に試会せしあて成虫を15蔭あげている。

肺ヂストマに裁ては高畠良彦は伊豆濫泉地帯の狩野 川商のモクヅカニCつ市振のものを調査し、其鬼に8(ノ ア昌の被轟幼虫の富生せることを認め、蟹体の各部分で は旭が最も多く、地主寄生せる畔は内の部分.こも亦寄 生が認めら1、そう色は美麗な淡紫紅色で.平均ナさ は直径0.小一1mてあると。宮崎一郎は揚子江河口の呉 敵こもこてクロベンナイガ二.こ害生せる被襲幼虫を白鼠 に試食吾除の正業 良和工・0壷〟は∫0/・iγがiなりと報じ、

内矧二てベンケイガニ及1、 クロベンケイガ二から両様 の甘苦をしている。

肥大唄虫は漸江曇粛[士地方:こて薪下重夫が詭奄し_確 急学童.中間福士Cつ菱、芋、矧二関する知見を述べて いる。

狛肝唄虫∴放て首辺操はタイ国に出張しPIも。ユrhIAS 教授から標本を貰い受けたのはq♪如ゐ0γC磁∫ むerr壷 であるといっている。

次u二条貝類(二関する研究は少く、岩瓦正俊はイワシ クヂヲ仁等生せる†条虫こ鯨条虫と命名し、刀妙ogo・

叫匝甑油症酬吋如冊と同定し、人体寄生のβ.gm耽伝 と比較し形態的差異注認められず、後者は前者のS)・−

no叩n)とすべきことを掩喝している。文相突発虫の 人体寄生刑を日本に於て始めて報告している。

次に絡虫で−よフィラリアでは門馬健次は漸江及江蘇 両省に於て中匡け、の検地をなし腑cr(直がわあのCγq秒 の他∴∴椚∴m扉の・iの存在することを報じ、特こ濁山 列島に肱椚汀7の′Zを発見し銭塘江南岸地域に於て重乞 研五叩ト合みの地のあったことを報じている。また妹尾 巌は新鮮に於てル乙批最前の発見を報告している。大 泉吠虫か1γ車ん才〟α 椚〝止血の発育史に放て板垣四郎は 大の等験にて筋隈下.皮下薇、弗液隈下、脂肪組織よ り多数の幼苦虫を検量し、錠等が心臓に出現前の中間 発育場所二あることを述べている。

朝鮮つ緬羊飼育に大害をメえる所謂腰嘱埠が.牛の 顆瞥辛状良の1荘ぶど紬ィ。日毎加わが寄生することに

より粁羊Cつ転脊髄に病変を生じ、四肢及び腰部等の運 動簿指を起すことが、板垣四郎外4名の研究によって 発表され、伝播者劫ゆ加わ∫わ▼γ亡君机∫Va・・∫わ把月正 及 び」 錐ige ど∫0如1′㌢㌶那なることが判明した。

六十二指汚虫∴託て江崎嗜入江、固有宿†ニたる犬の 血液を非回書指したる家兎に戯画輸血しつゝ、これに 犬十二指肯虫完熱幼虫を経口的に感染せしめる時iま、

幼虫迂謹庫特異性を失って家兎完管内に於て発育する が、その酷力は幼犬血液融七大のそれに比して優れて いることを実験し、横川達サト1呂は、 ♪壱仰わrα叩.

γJc招叫沌南感染が常適にて、肺は同虫の発育上生物

学的に重大な意義のあるものであると報じている。村

(7)

ー252一

太平洋戦争中に於けろ日本㌫隼貞学の動向

匡泰道は十二指炉虫病の貧血は同虫から分泌する物 質、新陳代謝物質カ:宿主の血液中に在って、そのため 造血陳器特に骨髄に於ける再生能を不全或は不離なら しむるものならんと、六十二指跨虫の実験から推論し ている。

姻虫に関しては慶脛義塾大学の小泉丹¢教室に放て 年々多数の研究が発表されているが、その内動物学的 なものを摘出して見ると、小泉丹ほ抽虫毒は多押的で あるが、ヒスタミンと脂肪酸はその一つと考えられ、

蛋白質の分断産物㍑大なる魚拓を持っていないらし く、細虫毒つイ′昂は宿主の個鮎汎痕施状態如何により て発呈せしめるもので、宿主(つ条件の研究が必藍であ

ると辻べている。品川好は肝虫回虫の固辞経と香箱崖を 連絡する連銀神雀ら形状並に数を解剖学輔二研究し、

村瀬正唯は融回虫に数桓色素の0.5ア抽出液を注入 して、それが例細諸組織中に著明に摂取されることを 知り、これによって倒練の解剖組亀学敢所見を菟表し ている。

蒲池舅三は蛙雌虫C産卯擬乾に茨にす堆虫C意表に 就て受稿卯C排出数は4日毎に東大となじ、椎虫力排 出ざれて雌虫にみとな㌢ても17日掛ま更粗卯力排出 ざれ、不授崩卯のみとなるまてには36日を要した。

中年買十市川・05%ペプトン水中にて犬仔虫は380 Cに於て最も清腰且つ連動期間長く、0.8針%の食 塩水にて 略抒同様であると。また犬的仔虫は固有荷 主血清は非固有宿主血清に比して向性を示すことか強 く、踵嵐特異性カ二顕著であると、またCl城中に於二 はNaCl,KCl,Ca(JI2,NII4C】によって最適なる稀釈 度は具り・毒力の強いもの程稀釈なる液中にて運動が 活叢であると。土谷忠は犬防虫の宿主体内彩肴経按は 小伝大隠から肘陣に行き更に田儀に達し、元入の業績 に一致する旨報じている。

校医鎮堆外1名は暁虫の寄生状態に関する研究をな し、乳幼児の検査に於て大阪市乳児院に於て23%、

京者に厨及票艮県の農相に於て8−9%の低率で、糞庚 検査では0・83%なるに、肛周囲検査では1316

%を元し、後竜が断怒優秀であると。また反覆検香は 必ずしも初回検賓に勝る成鍔が得られるとほ限らな い0異常児に託ての検査は大阪市にてほ佐旗児と且較

してその差異は痔に認められない。而して集民検査法 としては旺開放奄法、糞便検査法、指爪垢検査法及び口

・脛検査法の中肛国検査法が最も勝れ、その中ガ「セ溌 拭法、脱脂綿洗拭法及びセロハン洗拭法が最も勝れて いると報じている。

宮坂桂は叫紗融和檻帝の順流の発育過程を、溝 鼠からとりたる仔虫を白鼠に経口感染させて観察し、

更に醇感染抵抗性に就て研究し、明かに抵抗性が存在

することを失証している。

釣醇虫丑短萌わⅦねゐ旋ガに就て松本韻書は成熟 卵子の形態に関し、又48時間にて紺化すること、中 間宿主=「キブリに於てほ胃中にて24喝聞役卯愚は破 壊して樽化し、3日間位胃中に存在することなど述べ

ている。

7 あ と が き

昭和16年より20年に至る間の日本に於ける寄生 虫学研覚の動向は、前半に於ては占現地の拡大と共に 極めて盛となり、殊に熟持病に向けられ、在来の内地 をこ豪とせる研究に稽下火の感があった。而してこの 前足削こ於ける研発は日本の寄生虫学研究の最高潮とい わるべきであったオ:、後半に到りてほ生活物資の不足 による困苦、交通の蹴隈による不便等のた獲会合の中 止となり、また出版物刊行の取隈を受けて打刷困艶更 に戦災による原稿や組版の焼失等によって発表されな いものカニ少くなしので、その全ほうを何ふことは不能 である。従って本内容は日本寄生虫学会詑尋を主体と

して書いたもので、詳細なる文献を挙げることの出来 ないことを温憾としている。

伺この稲は昭和よ年に日本動物学会にて計画された

「乳時中に於ける日本科学技術史」の「寄生虫」として脱 稿したものであるが、其後諸種の事情によって出版が 不能となったので、これを訂正して発表したものであ る0

参 考 文 献

臼不寄生虫学会記事 停13年  昭和16年 仝   上    14年  昭和17年 仝   上    15年  昭和18年 岩井派四郎、北村清一飼 泰国の疾病と其診療

昭和17年・東京

松林久曽 赤痢アミrノ 昭和光年 東京

早川清、帆刈寄四男 熱帯性蓑虫病昭和22年東京

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