Author(s) 村松, 晋
Citation 聖学院大学論叢, 第 25 巻(第 2 号), 2013. 3 : 182-161
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吉
﹀満 義 彦 の 時 代 認 識 と ︿ 実 践
﹀
︱︱
﹁近 代の 超克
﹂論 への 一視 角︱
︱
村 松 晋 問題
の所 在 吉満
義彦
︵明 治三 十七 年~ 昭和 二十 年︶ は、 岩下 壮一 とも ども 近代
日本 を代 表す るカ トリ ック 思想 家で あり
、昭 和十 七年
、雑 誌﹃ 文学 界﹄ 誌上 で行 われ た座 談会
﹁近 代の 超克
﹂に キリ スト 者と して 唯一 参加 し た点 でも 注目 され る存 在で ある
。と はい え従 来の
﹁近 代の 超克
﹂論 に おい て、 吉満 はほ とん ど論 究の 対象 とな って こな かっ た。 しか し︿ 近
抄 本 録 稿の 対象 は、 昭和 戦前 期に カト リッ ク思 想家 とし て存 在感 を放 った 吉満 義彦 であ る。 その 思 想の 構造 と特 質に 関し ては 二〇 一一 年度 に著 した 論考 と、 本年 度末 に公 刊さ れる 新稿 で明 らか にし た。 本稿 はそ れら の考 察を 承け
、吉 満の 思想 の展 開過 程を 扱っ たも ので ある
。具 体的 には 吉満 の時 代認 識と
、そ の認 識に 基づ く︿ 実践
﹀の あり よう を解 析し た。 前者 につ いて は、
﹁生 命へ の渇 望﹂ を めぐ る実 存へ の理 解、 時代 を席 巻す る﹁ 二十 世紀 の神 話﹂ への 内在 的批 判、 なら びに キリ スト 教信 仰に 根ざ す同 時代 把握 を指 摘し
、後 者に つい ては
、吉 満の 宗教 的︿ 実践
﹀が 持ち 得た 思想 的か つ社 会的 な射 程を 説い た。 キー ワー ド 日本 思想 史、 近代 の超 克、 ファ シズ ム、 内村 鑑三
、南 原繁
代﹀ をめ ぐる 論点 の性 質上
、プ ロテ スタ ント なら ぬカ トリ ック の思 想 家な る吉 満の まな ざし は原 理的 に無 視し 得な いは ずで ある
。筆 者は 如 上の 課題 意識 から
、既 に昨 年、 吉満 の思 想の 核心 とし て人 間観 なら び に前 提と なる 神観 に注 目し
、そ の構 造と 特質 を詳 らか にし た()
。本 稿は
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これ を承 け、 吉満 の思 想の
︿展 開﹀ をあ とづ ける べく
、そ の時 代認 識 と︿ 実践
﹀の 内在 的な 解析 を通 じて 吉満 研究 の深 化を はか ると とも に、 併せ て﹁ 近代 の超 克﹂ とい う︿ 問題
﹀に 新た な光 を当 てよ うと する 試 みで ある 1 。
吉満 の時 代認 識
︱﹁ 生命 への 渇望
﹂と
﹁決 死の 世代
﹂︱ 結論
を先 取り して 言え ば吉 満の 時代 認識 は、 同時 代の 特質 を︿ 生命
﹀ の危 機、
︿存 在﹀ の危 機の 噴出 に見 出す もの だっ た。 たと えば 昭和 十一 年﹁ 文化 倫理 にお ける 神学 的問 題﹂ にお いて 吉満 は﹁ 生命 への 渇望()
﹂
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を現 代の 傾向 とな し、 また 同年
﹁新 しき 秩序
︱充 足的 ヒュ ーマ ニズ ム の立 場︱
﹂で は、 論壇 の話 題で あっ た﹁ 新し きヒ ュー マニ ズム()
﹂に つ
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いて 説き
、そ の底 に﹁ 抑圧 され た生 命︵ bi os
︶の 強烈 なあ るい は悲 痛な る権 利回 復()
﹂の 希求 を指 摘し た。 昭和 十三 年﹁ ヨハ ン・ アダ ム・ メー
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ラー とカ トリ ック 的思 惟の 理念
﹂に ても
、﹁ 現代 的思 惟の 根本 的範 疇と も言 うべ きも のを 問わ ば人 々は 等し くそ は﹃ 生レーベ
﹄ン
ない し﹃ 生命 的﹄ とい うこ とで ある と答 える であ ろう()
﹂と の総 括を 見せ てい た。
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これ ら﹁ 生命 への 渇望
﹂を
、吉 満は 時代 の必 然と 位置 づけ てい た。 ここ では 詳述 でき ない が、 別稿() にて 論じ たよ うに
、吉 満が その 淵源 と
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して 指摘 した のは 第一 に、
﹁e go co gi ta ns()
﹂の
﹁確 実性()
﹂に 依り 恃む デ
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カル ト以 来の 人間 観の 帰結
、具 体的 には ハイ デガ ーや フロ イト によ る
﹁﹃ 人間 本性
﹄の 虚無 性()
﹂の 暴露 がも たら した
、人 間の 存立 基盤 の形 而
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上的 危機 だっ た。 第二 に、
﹁探 究者 自ら の精 神の 事実()
﹂を 除外 して
﹁一
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切を 量と 数()
﹂ま た﹁ 法則 や理 念の 形式 的機 能()
﹂に
﹁帰 属せ しめ んと す
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る()
﹂類 の﹁ 合理 主義
﹂、 そし て、 その 上に 築か れた
﹁文 明の 構造()
﹂と
﹁技
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術的 機械 的生 条件 規定()
﹂の 自乗 化が 強い る、
﹁人 間的 生そ のも の()
﹂の
﹁分
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解の 危機()
﹂だ った
。
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しか し吉 満は
﹁生 命へ の渇 望﹂ とい う表 現に
、如 上の 原理 的問 題の みな らず
、同 時代 日本 にお ける
、よ り具 体的 な﹁ 渇望
﹂を 託し ても い た。 たと えば 前掲
﹁新 しき 秩序
﹂で 吉満 は、 特に
﹁若 き魂
﹂の 現状 を 以下 のよ うに 問い かけ てい た。 いわ く﹁ 今日 われ われ 自ら の生 の環 境 を一 つの 苦悩 と一 つの 憂愁 とな しに 感じ 得る であ ろう か。 いか に多 く の若 き魂 が断 念と 順応 の徳 を牧 羊の ごと くに 強い られ てい るこ とか
、
⋮⋮ その 憂い その 断念 が深 けれ ば深 いほ ど、 それ は眼 前に 提供 され た ポリ スの 現実 的秩 序志 向に よっ ては 均衡 され 得ぬ とこ ろの 苦悩 を感 ず るで あろ うし
、あ るい は﹃ パン を求 むる に石 を与 えん とす る﹄ に対 す る憤 りと 反感 の沈 殿に 胸塞 がる こと であ ろう()
﹂と
。
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﹁眼 前に 提供 され たポ リス の現 実的 秩序 志向
﹂を
﹁パ ンを 求む るに 石 を与 えん とす る﹂ こと に譬 える 事実 が示 唆す るよ うに
、吉 満は
﹁眼 前﹂
の﹁ 若き 魂﹂ が、 政治 状況 に因 する
﹁苦 悩﹂ に苛 まれ てい ると 見な し てい た。 実際
、右 が書 かれ た昭 和十 一年
、﹁ ポリ スの 現実 的秩 序志 向﹂ は、 前年 の﹁ 国体 明徴 声明
﹂に 始ま って
、こ の年 二月 の二
・二 六事 件、 そし て翌 十二 年の
﹃国 体の 本義
﹄発 行へ と至 る、 極め て統 制的 な﹁ 生 条件 規定
﹂構 築の 只中 にあ った()
。し かも それ に先 立つ
、佐 野学 ら共 産
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党幹 部の
﹁転 向﹂ なら びに 党員 の﹁ 大量 転向
﹂が 表す よう に、 もは や 如上 の﹁ 志向
﹂を 相対 化し て、 別個 の地 平を 指し 示し 得る 希望 的な 世 界観 は封 じら れて いた()
。彼 なら ずと も、
﹁今 日わ れわ れ自 らの 生の 環
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境を 一つ の苦 悩と 一つ の憂 愁と なし に感 じ得 るで あろ うか
﹂と の呻 き を必 然と する
﹁生 条件 規定
﹂で あっ た。 さら に吉 満は
、如 上の
﹁規 定﹂ が﹁ 若き 魂﹂ に宿 命づ けた
、深 刻な 課題 を見 すえ ても いた
。た とえ ば吉 満没 して 十年 後、 雑誌
﹃世 紀﹄ で
﹁吉 満義 彦教 授を 偲ぶ
﹂と の特 集が 編ま れた が、 寄稿 者で あり
、吉 満に 私淑 した 岡田 純一
・広 瀬京 一郎 両名 の生 年は
、共 に一 九二 一年 だっ た。
﹃吉 満義 彦全 集﹄ 編纂 にか かわ った 垣花 秀武 も、 一九 二〇 年生 まれ の同 世代 であ った
。こ の一 九二
〇年 を起 点と し、 たと えば
﹃戦 艦大 和ノ 最 期﹄ の著 者た る吉 田満
、あ るい は自 身も 吉満 に師 事し た遠 藤周 作ら の 生年 であ る一 九二 三年 まで に出 生し た人 々は
、太 平洋 戦争 にて 最も 戦 没者 を出 した 世代 とし て、
﹁決 死の 世代()
﹂と 称さ れる 一群 を形 作っ てい
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た。 こう した 事実 が示 唆す るよ うに
、吉 満の 周囲 に集 うた
﹁若 き魂
﹂は
、 遠か らず
﹁国 家の ため の死
﹂を 宿命 づけ られ てい た点 で、 観念 とし て
でな く文 字通 り、
﹁e go co gi ta ns
﹂の
﹁確 実性
﹂を 揺さ ぶら れ、 みず か らの
﹁虚 無性
﹂と の対 峙を 強い られ てい た存 在だ った
。実 際、 広瀬 は 上掲 の追 悼文
﹁吉 満先 生の 想い 出﹂ にて
、﹁ 私が 先生 に代 父を お願 いし て受 洗し たの は入 営の 三ヶ 月ほ ど前 であ つた()
﹂と
、時 代の 息吹 をし た
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ため てい るし
、ま た垣 花は 吉満 への 師事 と前 後し て、 無教 会キ リス ト 者・ 三谷 隆正 の周 りに 形成 され た集 いに も出 入り して いた が、 その 交 わり に連 なっ た一 人に は、 当時
﹁戦 争工 学部
﹂と して
、眼 前の 戦争 に 奉仕 する こと を決 定づ けら れて いた
、東 京帝 国大 学第 二工 学部 に在 籍 の学 生も 含ま れて いた()
。
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さら に遠 藤も
、こ の点 で注 目す べき 一人 であ った
。彼 は戦 後間 もな く著 した 論考 の一 つ﹁ 堀辰 雄論 覚書()
﹂で
、︿ 死﹀ をめ ぐる 堀の 汎神 論的
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傾向 を内 在的 に批 判し たが
、そ れが 可能 にな った のは
、戦 時中 の遠 藤 が堀 の如 上の 作風 に心 酔し てい たか らで もあ った
。そ の回 顧に てい わ く、
﹁召 集令 の赤 紙が やが て来 るこ とも 予想 して いた し、 毎夜 の空 襲で いつ 死ぬ かわ から なか った
。そ んな 切迫 した 生活 の中 で、 私は 月に 一 回は 朝暗 いう ちか ら起 きて 駅の 行列 にな らび
、や っと 手に 入れ た切 符 をも って
、信 濃追 分に 行く こと をた だ一 つの 救い のよ うし てい た⋮
⋮ 堀辰 雄氏 の話 を少 しで もう かが える のが 精神 のよ りど ころ だっ たか ら であ る()
﹂と
。こ の述 懐は 遠藤 個人 の経 験を 超え
、﹁ 月に 一回 は朝 暗い う
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ちか ら起 きて 駅の 行列 にな らび
、や っと 手に 入れ た切 符﹂ のそ の先 に、
﹁た だ一 つの 救い
﹂﹁ 精神 のよ りど ころ
﹂を 見出 すほ どに 追い 詰め られ てい た﹁ 決死 の世 代﹂ の実 存の 証言 とな って いる 点に 注意 を促 した い。