静岡県駿東郡長泉町に存在する溶岩塚群
著者 小川 賢之輔
雑誌名 静岡地学
巻 23
ページ 40‑51
発行年 1972‑11‑05
出版者 静岡県地学会
URL http://doi.org/10.14945/00025789
静 岡 地 学 23号 (1972 )
岡県駿東郡
田 口 ニ
る 塚 群争十字十
小
) 1 1
緊 之 輔は じ め に
わりこ
か つ て , 長 泉 中 学 校 に 勤 務 し て い た 当 時 , 毎 朝 , 御 殿 場 線 下 土 狩 駅 で 下 車 し て , 学 校 西 方 の , 割 狐 荷神社の境内をつ「切って登校するのが,習'損になっていたO こ の 割 狐 塚 稲 荷 神 社 の 境 内 と , 東 側 に 隣 接 す る 長 霊 神 社 , 北 方 に 隣 接 す る 長 泉 町 中 央 公 民 館 附 近 , お よ び 南 側 に 隣 接 す る , IB米 山 梅 吉 氏Jjjl邸 跡 に は , そ れ ぞ れ 一 基 の ド ー ム 状 隆 起 が 存 在 し て い る の に , 気 付 い て い たO しかしながら,
中 学 校 附 近 に は , 古 墳 群 が あ る こ と が , つ と に 知 ら れ て い た の で , 最 初 は , 上 記 の ド ー ム 群 も , 古 墳 の 一 部 で あ ろ う と 勝 手 に き め て お い たO
不 自 , 稲 荷 神 社 の ド ー ム 上 に 登 る 機 会 が あ 4 て 驚 い た 。 一 見 土 ま ん じ ゅ う と 見 え た ド ー ム は , じ つ は 古 墳 正 で は な く , 全 く 三 島 溶 岩 流 よ り 形 成 さ れ た , 玄 武 岩 の ド ー ム 状 隆 起 で あ 「 た か ら で あ るO
こ れ が 溶 京 塚 観 察 の 動 機 と な り , 最 近 に な っ て , ょ う や く , そ れ ら の 全 貌 を 観 察 す る 機 会 を 得 る こ と が で き たO
長 泉 町 地 域 の 地 形 ・ 地 震 の 概 略
泉地域は,地形区分の上から, 山南
UJ麓 と 箱 根 火 山 麓 に は さ ま れ た , 東 西 約 2Km(
の , 桃 沢111流 域 一 帯 を 占 め る 長 窪 地 区 と , 愛 鷹 火 )‑‑‑‑lKm(北縁)・南北約4Kmの,黄瀬J11氾濫原 に位置する,上十狩・中土狩・下土狩地区の, 2地区に大野jlす る こ と が で き るO
・箱根両火山の境界部を南流する黄瀬J11は , 新 富 士 火 山 初 期 の 火 山 活 動 に よ る , 何 枚 か 溶 岩 流 の 流 路 と な っ た た め , 谷 の 中 央 部 ま り , 両 側 が 低 い 谷 形 を 形 成 し た た め , 南 北 に 狭 長 な ,
状 地 に 似 た 地 形 を 形 成 す る に い た っ たO
そ の た め に , 水 系 も 2分 さ れ て , 黄 瀬 川 を 主 流 と す る , 愛j罷 ・ 富 士 両 火 山 東 斜 面 の 水 系 は , 愛 鷹 火 山 東 麓 の 境 界 線 に 忠 実 に 沿 っ て , 谷 の 西 側 を 南 流 し , 沼 津 市 に 入 っ て 狩 野 )I !に合流するO また,境)11
(下流は大場)11) を 主 流 と す る , 箱 根 火 山 西 麓 の 水 系 は , 箱 根 火 山 西 麓 の 境 界 線 に 忠 実 に 沿 っ て , 谷 の 東 側 を 南 流 し , 三 島 市 の 南 東 端 間 近 で 狩 野J11 ~こ合流している O
谷 底 部 は , 主 と し て , ほ ぼ 15,000年 前 の 活 動 に よ り 噴 出 し た , 新 富 士 火 山 基 底 溶 岩 流 で 、 あ る , い (1)
わ ゆ る 三 島 溶 岩 が 分 布 す る 地 域 で あ るO 三 島 溶 岩 流 は , 沢 村 孝 之 助 に よ れ ば , 層 厚 1 m内 外
本 T um u 1 u s (T um u 1 i :複数), S c h 01 1 e n d Om (ドイツ語), P r e s s u r e dome (P re s s ur e r i d g e :著し く延長したもの λLava tumulus,Block四 dome(ニ湧出円頂丘、溶岩団塊丘)
'
"
' " 静岡県地学会副会長
(1) 沢村孝之助(1955),沼津間輯地質図 同説拐書,地質調査所。
の溶岩3枚以上からなるというO 岩質は.富士宮市附近に分布する,大宮溶岩によく似ている を呈し9 特徴的に,長さ 1cm以下の,長柱状斜長石の斑品を多く含んでいる。
本溶岩流の末端は,地域の西方より東方に向かつて,ほぼ長泉町鮎壷(藍査)の滝 竹原部落 工 島市広小路 田町 三島大社東方を結んだ線に達しているO この線上附近,および外側に接する地帯 には9 書官な湯水量をもって知られる,三島楽寿閤 a清水町柿田J11水源などによって代表される,い わゆる三島溶岩伏流湧水群が分布しているO また,この線の内側の地帯には,溶岩洞穴・溶岩樹型。
溶岩塚群が分布しているO
さらに,黄瀬)11には,三島溶岩流の各岩層の末端9 および河岸段丘形成に関係する 9 鮎査の滝・
が淵の滝および牛が淵の滝など,多くの滝や急、端が9 上流に向かつて配列しているO
黄瀬} 11以西の愛鷹山地には,新期・ 18期それぞれの,玄武岩類。安山岩類・火砕流岩類などの,各 が分布し,境J11以東には,箱根第一外輪山その他の溶岩類が分布するO
長 泉 町 下 土 狩 付 近 の 豆 島 議 場 流 末 端 に 発 遣 す る
泉町下土狩附近に発達する溶岩塚群は,三島溶岩流末端より"ほぼ1,500m内棋11(上流側)に発主宰し ているO この事実は,溶岩流の表部が,冷却によってp 流動性を失いはじめた時期に,溶岩塚が形成 されやすいことを意味しているO
次に,溶岩流の末端から,ほぽ1,500mさかのぼった下土狩間近に,溶岩塚が形成されるという 係は,国鉄東海道線三島駅の北側の,三共製薬KK構 内 地 下 県 立 教 育 研 修 所 構 内
校構内に分布する 9 三島溶岩流内部に 9 最近発見された9 溶岩洞穴の存在と対応されるO
l図 泉町下土狩附近
(三島溶岩流末端附近)
41
さらに,J:.記溶岩塚群と 9 対応する
係にある,黄瀬川の鮎壷の滝にかかる,一 溶岩の断崖には,径30cm士の溶岩樹型の 横断面が露出するO
溶岩塚や,溶岩潟穴・溶岩樹型形成の条 件は, (1) 溶岩流が一般に,流動性に富ん でいること(多くの場合,玄武岩溶岩流)。
(2) 溶岩流が流動性を失いはじめている時 期にあることo(3) すなわち9 溶岩流の末 端に近いことO などであり,群をなして形 成されることが多し¥ 0 このことは9 溶岩洞 の形成についてもいえること であるO
下土狩附近の溶岩塚は,標式的でないも のを含めてゆ指に余り,潜在あるいは 9 破
消滅したものを数えれば,その数は9 お そらく 2倍以上に達するに違いないO
2国 泉 町 下 土 知 的 近 の 三 島 溶 岩 流 と 溶 吉 塚 群
これらの溶岩塚群は9 半径約 500mの中にあって,三島溶岩の分流する流路に沿って, ほ ぼ 縦 列 に 点 在 分 布 し て い るO
溶 岩 塚 の 形 成
(2) (3)
溶 岩 塚 の 形 成 は , 津 谷 弘 透 , 荒 牧 草 雄 他 の しているように,流動性に富む,主として玄武岩の 流動末端に形成されやすい。
溶 岩 流 の 末 端 的 近 で は , ま ず , 流 動 す る 溶 岩 の 底 部 a表 部 お よ び 先 端 部 が9 冷 却 ・ 国 結 し は じ め るO
し か し な が ら , 内 部 は , な お 流 動 性 を 残 し て い る の で , あ と か ら 供 給 さ れ る , 流 動 性 を 有 す る 溶 岩 流
(2) 津毘弘違(19お)、地学辞典、
(3) 荒 牧 重 雄 (1970 )、地学事典、平凡社。
の圧力やp 発 生 す る ガ ス の 庄 力 な ど に よ り , 末 凝 酉 の 先 端 部 で9 す で に 凝 回 し つ つ あ る 溶 岩 を 押 し 上
未 凝 回 溶 岩
第3図 溶 岩 塚 形 成IJ慎序模式図(1 .五.m )。駿東郡長泉町
下 土 狩 , 溶 岩 塚 B丘 現 形 ス ケ ッ チ (N......割狐塚稲荷神社)。
げて, ドームを形 成したり g ドーム の 頂 上 部 か ら 放 射 状 の 亀 裂 を 生 じ た り,魯,裂の部分か らガスを放出した り,溶岩を溢流し たりするO すなわ ち,溶岩塚であるO
溶 岩 塚 の ド ー ム に は , そ の 後 の 火 山 活 動 に よ り , い わ ゆ る 革 相 似 口 ムをかぶったり,
におおわ れ た り し て い る 上 に9 た ま た ま 客 土 に よ る 古 墳 に 利 用 されたりしている た め , 古 墳 と 間 違
えられている も少なくなし'0 ま た , 溶 岩 塚 の ド ー ム が , 神 社 の 中 心 部 と し て 利 用 さ れ て い る 場 合 も あ るO あ る い は 溶 岩 塚 を 形 成 す る 溶 岩 を 採 石 す る た め に , 石 切 り 場 と な っ て い る 例 も 少 な く な し ¥ さ ら に , 近 来 宅 地 の 造 成 が 盛 ん に な っ て , ドームの原 形 を 著 し く 破 壊 し た り , ド ー ム 上 に 家 屋 を 連 築 し た り し て , 溶 岩 塚 が , 失 な わ れ つ つ あ る の が 現 況 で あるO 従 っ て , 今 後 , 標 式 的 な 溶 岩 塚 に つ い て は , 自 然 保 護 の 手 が 差 し の べ ら れ て 9 然、るべきであろ
フO
下 土 狩 め 議 岩 塚 群
下 土 狩 の 溶 岩 塚 群 は 2,500分の l地 形 図 に , よ く 表 現 さ れ て い るO 以 下9 下 土 狩 の 溶 岩 塚 の 個 々 に つ い て , 存 在 地 点 ・ 規 模 ( 長 径 ・ 短 径 ・ 比 高 ) ・ 露 頭 の 状 態 ( 岩 相 ・ 亀 裂 ・ 溶 岩 の 溢 流 ・ ガ ス 噴 出 孔
・溶岩の流状等)・自然、破壊の状態(自然破壊・土地利用一古墳・社寺*宅地・畑・植生)・原形保 存 の 状 況 な ど に つ い て 詳 述 す る O
溶 岩 塚A: 長 泉 中 学 校 西 方 約 75m,長 泉 崎 中 央 公 民 館 南 方 50mに 位 置 す る (A 1 ) 0
‑ 43‑
は,北西 に2{問題己列し,他の 1つは9 の るo (A 2 ) A1 規模は 9 東西約45m.南 北 約50m .
比高約 7mのドームを形成するO 表部を くおおわれているため,搭岩塚に関す る詳細は明らかでなし'10 しかしながら,ドー
ム 部の,採お場跡の断躍には, を
,多孔質斜長石玄武岩 されるO
ドーム上は9 雑木と におおわれているが 一部は畑地になっているO 古墳が存在したO
A2 規 模 は , 東 西 約75m.高 北 約 50m.
比高約 6 mのドームを形成するO 事部は
4国 A ・C• Eの露頭 (Alは 長 泉 町 中 央 公民館の南, A2は 閉 じ く 西 )
くおおわれているが,所々に しているO ドーム の,Alι続 く 採 石 場 跡 の コグ
端部には, を示す,多
ドームは,頂部の3 住宅を
A1・A2ともに, 出不良で,
の流向・地形の上から,
溶岩塚B (割旗塚積荷神社) 本地域の
の,ドーム状をなす断面の, が観察されるO
と,雑木・雑草におおわれているO
は不充分で、あるが, 断 面 に 存 在 す る ド ー ム したO
も標式的に現存するものであるO 長 泉 中 学 校 西 方 約 150m るO しかしながら,規模は最も小さく,南北約30m.東 西 約 25m・ 比 高
6 mで,底面積に比較して高さ く,このことも標式的に を遂げた理由の一つであるO ドームは,全く斜長石玄武岩より形成され,
をおおって分布するにすぎない。従って,
は , わ ず か に 南 側 の 裾 と , 西 ・ 北 の 狭 長 な 部 分 の,地形・地質の詳細を することができるO 溶 岩 塚Bの北側には,ドームを幾分オーバーラップして,高さ 2.5m.ほ ぼ14m平 方 の 石 垣 を 構 え て,徳川中期の といわれる割狐塚稲荷神社の社殿が,鮎査の滝間近から されているO そのた めに,溶岩塚のドームは,幾分原形をそこなっているO す な わ ち , 放 射 状 に 発 達 す る 亀 裂5本のうち 北東と南東の 2大亀裂は,ドーム形成時には存在したはずの,破砕岩塊が全く取り除かれ(おそらく
の 材 料 と し て 使 用 さ れ た い 数 段 の 石 段 が 設 け ら れ て い るO また,中央の南北にはしる大亀裂も,
社 殿 前 庭 お よ び 参 道 と し て 整 備 さ れ , 同 様 に , 破 砕 岩 塊 は 除 去 さ れ て , 客 土 を も っ て 平 に な ら さ れ て いるO 南 側 の 大 亀 裂 も , 破 砕 岩 塊 は 除 去 さ れ て い る が , こ の 部 分 に は , 亀 裂 の 原 形 を 最 も と ど め て い るO
その他,岩塊を分離する亀裂は 2カ所あり 1つは西側中央にあって,他の 1つ は , 南 側 の 大 亀 裂 と,南東側大亀裂の放射状中心部に近く存在して" I割 狐 岩Jの高卒しがたてられ,稲荷神社にまつわ る,伝説にいろどられているO この 2か所の亀裂は,小規模ながら,最もよく,溶岩塚形成時の形態、
をとどめているO
岩 芯 の 亀 裂 断 面 観 察 の 結 果 , 次 の 事 実 が 明 ら か に な っ たO すなわち, (1) 溶 岩 の 流 動 に よ り , 平 た く押しつぶされた無数の気泡の配列は,溶岩の流動方向を示すとともに,ドームの頂点を中心に,外 側へ向かつて9 放射状に 200......300の傾斜を示していることo (2) 溶 岩 の 断 面 に 観 察 さ れ る , 流 動 に
25 m
20
15
10
伏 在 溶 岩 6 m
物務総
ら図 Bの (割狐塚稲荷神社境内。 I‑‑‑平面図 rr‑‑‑側 面 図 ‑ 東 側 よ り )
よって生じた縞模様の帯が, 中の気泡の配列と同様に9 ドームの中心から放射状に傾斜し,外側 に向かつて低くなっていることo(3) ドームの北西側の,溶岩流の表面に存在する,縄状溶岩(ロー ピーラパ)の流向を示すしわは,北方から南方に向かつて,流下したことを示しているのにかかわら ず , 溶 岩 の 表 面 が , 溶 岩 塚 に よ っ て 北 西 に 約200" ,300傾 斜 し て い る た め , あ た か も こ の 溶 岩 が , 北 西から南東に, ドームの頂上に向かつて,重力を無視して流動したように見えるo (4) 溶岩壊によっ て 生 じ た 割 れ 目 は , ド ー ム の 中 心 部 か ら 外 側 に 向 か つ て9 放射状に存在するO などであるO
大 亀 裂 部 の 原 形 が 失 な わ れ て い る 現 在 , こ の 溶 宕 塚 に ガ ス の 噴 出 が あ っ た か ど う か は , 知 る 材 料 が 一つもなし、。しかしながら,亀裂内部からの,溶岩の溢流の手がかりのない現在,多少とも s ガス
の作用の存在を肯定しても,なんら差しっかえないものと考えているO
余 談 に わ た る が , 溶 岩 の 小 亀 裂 に は , 各 種 の 雑 木 @ 雑 草 が 根 を お ろ し て , い わ ゆ る 植 物 の 割 り 石 現 象 を 呈 し て い る の が , 数 多 く 観 察 さ れ るo (岩石の風化作用のうち,植物の根が9 岩 石 を 物 理 的 に 崩 壊する例として,教科書によく見られるO
c (長憲神社 長 泉 中 学 校 西 方 約60叫 溶 岩 塚Bの割狐塚稲荷神社の約 100m東 するO 中 規 模 の ド ー ム で , 半 径 約 50mの円形。比高約4.5mのドームを形成するO ドームの頂部には 弄 霊 神 社 が 記 ら れ て い る た め , 幾 分 人 工 が 加 わ っ て い るO
しかしながら,基底には斜長石玄武岩層が存在している上に 9 ドーム頂部に近い南側と南西側の一 部に9 頂 部 よ り の 溢 流 を 示 す も の と 推 察 さ れ る 9 縄 状 溶 岩 の 流 紋 が , そ れ ぞ れ 観 察 さ れ るO もしこれ
らが,真に溢流溶岩だとすれば,この地域では 9 溢流を示す唯一の露頭であるO
45
ドームの表部には,富士火山噴出物の寅端企火山 が , 議 く お お っ て い る 関 係 上 , 溶 岩 の , 溢 流 の 位 の 部 分 が , か く さ れ て い る 公 算 が あ るO
は,南保,IJが,溶岩塚 A と間様に,かつ て採石されたO
溶 岩 塚D (1日米山梅吉氏別邸跡) Bの 割 狐 探 稲 荷 神 社 の 南 , 約75m るOドームの 北側では 9 比 高 約 1.5 mであるが,南側では低くな
って,溶岩流の末端に見られる急、傾斜を示し,
5 m以上となっているO 規 模 は , 南 北 約 105m • 東 西約 100mのドームを形成するO
ドームは全体として,南側に広がる人家を,眼下 に 見 下 す 位 置 に あ り , 宅 地 利 用 に あ て ら れ て い る た めに,かなり原形がそこなわれているO しかしなが ら , ド ー ム の 頭 部 ・ 北 西 部 ・ 南 東 部 ・ 南 部 な ど の 一 部には, ドームを形成する斜長石玄武岩が諾出する O
これらのうち,北西部のものは読ま岩贈,階東部のも の は 縄 状 溶 岩 , 頂 部 の も の は , ド ー ム の 盤 斜 芦 搬 の に相当するO な お ド ー ム の 斜 面 に は , 人 家 が 密 して造成されているため,全貌の詳細を観察する ことは国難であるO
溶 岩 域 主 : 国 鉄 御 殿 場 線 下 土 狩 駅 の 北 方 約 250 m o長 泉 中 学 校 西 方 約 300mに位置するO 規模は,
北 西 一 南 東 約 175m ・北東一南西約75m • 比高約 3.5 mのドームを形成する O
に は , 斜 長 石 玄 武 岩 が 露 出 す る が , 密 集 す る 住宅街の中に吋あることと,表部が黒土層におおわれ て , 畑 地 に 利 用 さ れ て い る こ と か ら , 溶 岩 塚 の 全 貌 を明らかにすることは国難であるO 三 島 溶 岩 流 の 流 向 と , 地 形 の 上 か ら は , 明 瞭 な 溶 岩 塚 で あ るO
基 底 部 の 溶 岩 は , 北 側 の 人 家 の 庭 に 面 し て 露 出 し ているO
溶 岩 塚F: 長 泉 中 学 校 南 東 約 250mに 位 置 す る。規模は中位で,南北約 150m ・東西約100mで あるが, ドームが低平であったことと,上部が著し く変形されて平坦化し,そのため比高約 1mとなっ
6図
第 7図
第 8図
し一
Cの 露 頭 { 神 社 )
勺ゾ稲荷神社
Dの露頭(稲荷神社前,
i日 米 山 梅 吉 邸 )
Eの 露 頭 { 御 殿 場 線 下 土 狩 駅 北 約 200m)
ている。
ドーム上には山の神が柁られ9 高面は拓かれて,
広い墓地になっており,南方約 120mを距てて,溶 1に相対しているO
このドームは古墳に利用されたようだが,現在は その形跡も明らかでなし¥ 0 また,著しく変形されて いるために,詳細に観察することは困難で、あるが,
溶 岩 の 流 向 , 地 形 の 上 か ら9 溶岩塚Fとして扱 ったO
溶 岩 塚G: 泉 中 学 校 南 方 約 125mに るO
ドームは,道路の東に接して,北西…南東の長軸を もって存在するO 規 模 は , 北 西 一 南 東 約 100m .::fヒ
東 一 階 西 約 50 m • 比高約 3 mであるO
ドームは,多孔質の斜長石玄武岩より形成され,基底部の
9関 F , Hの露頭 ( Hは長泉町 原 西 公 民 館 の 北 )
,西部および南部に存在するO ド
←ムの表部には, が務く堆積する上に, により生じた岩塊が持ち去られていることもあゥ
て,原形が失なわれているO しかしながら,ドーム の頂部に露出する溶岩には,
の跡、が残されているO
形成時の,
現在は,雑木・雑草が, ドーム上を深くおおって いるO
溶 岩 塚H: 長 泉 中 学 校 高 方 約 130mに位置するO
ドームは,道路の東側に接して存在するO 規模は,
半径約 25mの円形ドームを形成し,比高約 2mで あるO
このドームは,溶岩塚ぉ(割狐塚稲荷神社)と同 様に,きわめて標式的であって s三 島 溶 岩 流 の , 多 孔質斜長石玄武岩より形成されているO しかしなが らs採 石 と 宅 地 造 成 と に よ っ て , 現 在 で は s西側の 路 傍 に 接 す る 一 部 が , 好 露 頭 と し て 観 察 さ れ る に す
ぎない。
人 /
10図 Gの 中学校の
中学校南東約 350m • Fの南約 100m るO ドームの形態は 2,500分ノ l地 形 閣 に は よ く 現 わ れ て い る が , 住 宅 地 に 利 用 さ れ て い る た め に , 著 し く 掠 形 を 失 いs そのために詳細は不明であるO しかしながら,地形と 9 三 島 溶 岩 流 の 多 孔 質 斜 長 石 玄 武 岩 の 流 向 な ど からs溶岩塚の存在を肯定したO
47 ‑
1 静 岡 泉町下土狩的近の
規 模 状 況
点
長 径 比 高 裂 溢 流
W 100m E'ミF 部m NS 95m 7知 詳 不 詳
Wl50悦 EW 100m NS 90知( 6m 不 詳 不 詳
Wl50m NS 30m E'ミF 25m 6m 5本 な し
W 60m NS 50ra EW 国m 4.5 m 不 詳 I W.SW
NS 105m EW 100m 5m 不 詳 │ 不 詳
W300m NW時 S主175m NE‑SW 75m 不 詳 [不
SE250m EW 1l0'1n NS 150m ? ?
S 125m NW‑SE100m NE‑SW 50m 弓ミ
S 130m NS 110m EW 100m 不 詳
SE350m NS 75m EW 75m 1m十 ? ? ?
S 260m NS 100m E W 100m 1m十 ? ? ?
SE420m NS 75知 EW 15m 1m十 ? ? ?
溶 岩 壕 J 長 泉 中 学 校 南 方 約 260m • 溶お塚誌の南約 120mに位置するO ドームの詳細は,溶岩塚 Iと全く同様で、9 明らかでない。
溶岩塚K: 長 泉 方 約420m • 1 . Jの南方の中間約150mに るO
ドームの詳細は,溶岩塚1, Jに似て,原形の の,多孔質斜長石玄武岩の流向などから,
ドームの頭部には,天然記念物の公孫樹が,
は不良であるO しかしながら,地形と,三島搭 五として肯苦したO
な根を張っているO
結 び
1 . 静 岡 県 駿 東 郡 長 泉 町 下 土 狩F付近に分布する,溶岩塚群は,いずれも s 新富士火山恭紙認さ岩の,
多孔質斜長石玄武岩層の,末端附近(三島溶岩流の末端縁より 1,000m‑‑‑1,500m上流部)に形成さ れたものである(今から約 15,000年r‑..‑20,000年前)。
2 標 式 的 に 発 達 す る 溶 岩 塚 は , 中 規 模 な い し 小 規 模 の ド ー ム を 形 成 し , そ の 表 面 に , 表 土 の 被 覆 が 少 な い か , あ る い は 全 く な い ( B ..日など)0
3 溶岩流試,いずれも s 新富士火山基底溶岩の,
の溶岩塚のドームとの関係は,次の表の通りであるO
溶岩流であるO この溶岩流と,それぞれ
第2 [IJ E
〔五]
/ / / C
¥ ¥
自 然 破 壊
ガス孔 縄 状 流 自 然 破 壊 神 社 宅 地 生 姻 古 墳 │ 原 形 保 存
不 詳 不 詳 不 詳 な し な し 雑 木 林 一 部 畑 古 墳 不 詳
不 詳 不 不 詳 な し 8軒・{也 雑 木 林 な し な し 不 詳
不 NE.逆 亀裂中の岩塊持ち去り 稲 荷 神 社 な し 雑木(少〉 な し な し 良 好 不 詳 W . SW. 11摂 や や 変 形 な し 雑木(少〉 な し な し や や 良 好 不 詳 不 詳 地 な ら し e一 部 掠 形 な し 5 軒 な し 一 部 畑 な し や や 不 良
不 詳 不 不 詳 な し 1 軒 な し な し な し 不 良
? ? 地 な ら し 山 神 社 な し な し な し 吉 墳 完 全 破 壊 不 詳 不 詳 不 詳 な し瓦( し 雑 木 ( 多 ) な し な し 不 詳 不 詳 CW)・逆 地 な ら し ・ 一 部 原 形 な し 7 軒 な し な し な し 不 良
? ? 地 な ら し な し 1 軒 な し 一 部 畑 な し き わ め て 不 良
? ? 地 な ら し な し 8 な し な し な し きわめて不良
? ? 地 な ら し な し 10 軒 公 孫 樹 他 な し な し き わ め て 不 長
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く ラ伊
一一一一一一一
団 J さ訴
G )'
4 下土狩附近 の調査結果から,きわめて小規模の溶岩塚(比高数10cm )が,数多く存在す ることがわかったO これらの露頭はいずれも縄状溶岩で,流下した方向が,いずれも高まっているO 殊に,長泉町役場南方約 150mのs 国鉄御殿場線東側の,宅地内にある露頭では,縄状溶岩は北に 向かつて流下したことを示し,かっ,流下方向が30cm内外高まっているのが観察されたO
5 下土狩間近の溶岩塚群のうち,殊に標式的に発達するドーム(例えば,溶岩塚B .Gな ど )
・露頭(例えば,溶岩塚A2 の南西側断崖 .Hの西側の露頭など)などについては,適切な保護対 策が望まれるO
謝 辞
この報告の印刷費は,すべて静岡県駿東郡長泉町より受けたことを特記し,ここに深甚な謝煮を するO また.富士急行K K宣伝課の小)11孝徳氏からは,溶岩塚の名称に関する御検討をいただいたO 御好意、に対して御礼申し上げるO
‑ 49
第 11図 溶 岩 塚 B ‑筈IJ狐 塚 稲 荷 神 社
(1) B丘 ( 割 狐 塚 稲 荷 神 社 東 方 よ り
(3) B丘 頂 上 大 裂 縛 ( 壁 面 に 溶 岩 流 を 示 す 社 殿 前 庭
(5) B丘 頂 部 裂 鱒 ( ド ー ム 南 西 側JI) 右 端 は 「 割 狐 岩Jとよばれる
(2) B丘頂部大裂鰐{壁面ほぼ自然のまま,
底 面 は 人 為 的 に 変 形 し て い る 社 殿 前 庭
(4) B丘 縄 状 溶 岩 ( 中 央 部 が 押 し 上 げ ら れ た た め 溶 岩 流 が 逆 立 っ て い る 原 形 は 図 の 下 方 か
ら上方に流れた
(6) B丘 溶 岩 の 割 れ 目 を 木 の 根 が 広 げ る
第 12図 下土狩地域の溶岩塚群
(1) A丘 (B丘より北にのぞむ (2) A2丘南西部の溶岩塚露頭
(3) c丘 (B丘 よ り 東 に の ぞ む 長 霊 神 社 (4¥ D丘 ( 南 側 よ り の ぞ む 米 山 梅 吉 邸 祉
(5) G丘西側の露頭:原西公民館の北 (6) K丘 ( 中 央 は 天 然 記 念 物 公 孫 樹 )
‑ 51‑